FC2ブログ

Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿九夜/ひそやかな決意を胸に〜

自分が聴いている音源に20世紀中盤から後半にかけてのものが多いこともあり、悲しいことに100回を超える前後から追悼記事を書くことが多くなりましたし、既に取り上げた人の訃報に接することも増えました。近いところでは昨年の暮れにショーヨム=ナジ、今年に入ってからはネステレンコや指揮者のレヴァインなどよく親しんでいる音楽家たちが相次いで旅立ってしまっているのは、残念でなりません。
今夜の主役も2月の中ごろ、ちょうど前回のヴァイクルの記事の見通しが立った頃に亡くなられたというニュースを知りました。

AndreaGuiot.jpg
Micaëla

アンドレア・ギオー
(Andréa Guiot)
1928〜2021
Soprano
France

決して録音には恵まれていませんが、20世紀仏国屈指の名花です。
うっとりするほど滑らかで澄んだ響きは可憐だけれども、適度な質量と凛とした力強さがあって声を聴いている満足感があります。歌い口は端正なのですが「整っている」と言い方をしてしまうと恐らく正確ではなくて、慎み深さや趣味の良さ、上品さといった印象の方が強いように思います。このblogでの仏国の歌手の特集をお読みいただいている方はここまでで「ははあ」と思われるかもしれませんが、バリトンならばエルネスト・ブラン、バスならばロジェ・ソワイエやグザヴィエ・ドゥプラに通ずる空気を纏ったソプラノなのです。

訃報はもちろん大きなショックだったのですが、ある意味でそれ以上に悲しい気持ちにさせられたのは、少なからぬ記事が「カラスの『カルメン』でミカエラを演じたソプラノが死去」という書きぶりだったことです。もちろんあの『カルメン』の彼女はとびきり素敵ですし、その歌を知ることができる代表的な録音であることに異論はありません。けれど、アンドレア・ギオーは、アンドレア・ギオーの歌が素晴らしかったからこそ記憶に残る藝術家なのであって、決してひととき「カラスの共演者」であったことこそが彼女を知らしめている所以ではないのですから、こうした書き方はあまりにも彼女に対して礼を失していると思います。何故、魅力あふれるソプラノだった彼女の功績に素直に耳を傾けられないのか。

偲ぶ想いとともに、こうした大きな失望と憤りもあって、今回はギオーのことをどうしても書きたいと思った次第です。

<演唱の魅力>
「求められる声」という表現はあまりにも作品やジャンルを自分の都合のいいイメージの中に閉じ込めてしまう言い回しかもしれませんが、それでもやはりある役柄に対してこういう響きや表現で聴きたい/聴きたくないという嗜好の存在を否定することはできないでしょう。伊もののテノールと言えば生命力にあふれた輝きを放っていて欲しいし、独もののソプラノであれば生硬で辛口なスパークリングワインのようにすっきりと純粋な響きを、露もののバスであれば人生の悲喜交交を折り込むことのできるような倍音の豊かさを期待してしまう。では仏もののソプラノでは?その一つの答えがギオーではないかと思います。

彼女の声を聴いてまず強く印象付けられるのは、既に述べたとおりいかにも娘役らしい可憐さです。それも品よく躾けられた深窓の令嬢とでも言ったような風情で、フレッシュなのですが若さゆえのオーバーな熱量や効きすぎるぐらいの機転でキビキビと動き回る様子ではなく、むしろ楚々として奥ゆかしい空気を纏っています。ただこれで終わってしまうとあまりにも「お人形さん」になってしまうのですが、仏もののソプラノ役はそうではありませんよね?アントニア(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)はこのイメージに最もそぐう箱入り娘ですが、最後にはクレスペルやホフマンの籠の鳥を脱する人間としての芯の強さを持っています。非力な田舎娘の代表格であるようなミカエラ(G.ビゼー『カルメン』)も、恐怖と闘いながら戀する相手のいる無法者の住処まで乗り込む覚悟のできる女性です。マルガレート(C.F.グノー『ファウスト』)もローゼン(V.A.E.ラロ『イスの王』)もそうでしょう。彼女たちに通底する、一見すると可愛らしく弱々しい少女のようでありながら、自分の信じる道筋を抂げない我の強さを宿した人物に、ギオーはまさにうってつけの声を持っているし、またその楽器のポテンシャルを活かすことができたのです。だからこそ彼女のミカエラは決して添え物にはなることなく、頼りなげな外見に譲ることのないしたたかさを秘めた人物として、態度とは裏腹に弱さを内包したカルメンへのこの上ないカウンターパートであり得るのです。「カラスの『カルメン』のミカエラ」でも「ロードのカルメンのミカエラ」でもなく、「稀代のミカエラとして様々なカルメンと亘りあったソプラノ」なのだと、僕は声を大にして言いたいと思います。

彼女の美質の頂点として、あまりにも演奏されることの少ないE.レイエの『シギュール』が遺されたことは、オペラ・ファンの僥倖と言っても良いでしょう。ヴァーグナーの『神々の黄昏』の異稿と言えるこの物語で彼女が演じるのはブリュヌイルド、即ちブリュンヒルデです。その登場の悠揚たること!やわらかな美しさを保ちつつも、しなやかで雄渾な声と歌い口は、まさに戦女神にふさわしい神々しさを放っています。手に入れ難い逸品ですが、ぜひもっと知られて欲しいものです。

<アキレス腱>
「麗人」というイメージとぴったり合致したギオーの歌唱なのですが、どうもその長所がうまく発揮されていない印象の演奏もないわけではありません。何が、と言われると非常に困るのですけれども、どうもその可憐さと力強さのバランスがしっくりはまっていないと言いますか、「滑っている」感じに聴こえてしまう時があるのです……また、彼女もまたこの世代の歌手ですから細かい音の転がしについては雰囲気で聴かせている部分がないと言い切ってしまうと嘘になるでしょう(色々な意味でカバリエがお好きな方であれば気にはならないと思います)。

<音源紹介>
・ミカエラ(G.ビゼー『カルメン』)
ベンツィ指揮/ロード、ランス、マッサール、パニ、ブルデュー、プランティ、モリアン共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
プレートル指揮/カラス、ゲッダ、マッサール、ソートロー、ベルビエ、ヴォーケラン、プリュヴォ、マル、カレ共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音
>いろいろ述べてきましたがギオーはやはりミカエラのイメージが強いのです。カマトトっぽいいやらしさを出さずに純朴で一途な田舎娘を演じるというのは難しいのだろうなあと思うのですが、そういう意味で彼女ほど好感度の高いミカエラ、『カルメン』というむわっとするような熱気をはらんだ作品の中で一服の清涼剤たり得るようなミカエラには、そうそう出会うことができません。最初に取り上げた抜粋盤は、これが全曲録られなかったのが本当に残念でならない、生命力と洒脱さに溢れた決定的名盤。彼女が登場するのは僅かにあのアリアだけなのですが、それでも『カルメン』の中でのこの役の存在をきちんと聴き手に刻みつける力があります。のちのベルガンサのカルメンを予見させる、軽やかできっぷのいいロードのカルメンと機微のわかったランス、ベンツィの瀟洒な音楽も抜群です。とはいえ、ギオーについていえばアリア以外も聴きたくなるのが人情で、そうなるとあの「カラスの『カルメン』」です。これで彼女を知っている、或いはここでしか彼女を知らないが印象的という人がいてもおかしくない名演をこちらでも遺しています。冒頭のモラレスたちとの絡みでは兵営が男ばかりという以上にちやほやされる理由のよくわかるチャーミングさですし、ジョゼを説得する静かな語りも真に迫っています。母の便りの重唱も美しい……のですが、ここでのゲッダは美声だけれどもちょっと健康的過ぎ。ジョゼは2つスタジオで遺していますし、いずれも水準以上とは思いますが、いずれを聴いてもゲッダに向いた役ではなかったんだなと思ってしまう部分は否めません。またカラスも評価が難しい……稀に見る演劇的表現力で磨かれたカルメンが魅力的でないなどというつもりは毛頭ないのですけれども、他方でオペラ座を支えた仏ものっぽいキャストにこれだけ囲まれてしまうと彼女の個性はあまりにも異質であるように思います、ここでいずれの録音でも共演してむしろ輝いているのは華やかな闘牛士、ということはマッサールの回で語りましたからそちらに譲りましょう。

・ブリュヌイルド(E.レイエ『シギュール』)
ロザンタール指揮/ショーヴェ、マッサール、バスタン、ブラン、An.エスポージト、シャルレ共演/ORTF管弦楽団&合唱団/1973年録音
>ギオーの歌手としての柄の大きさは、この録音で一番感じられるかと思います。ヴァーグナーとの作風の違いや筋書きの相違があるとはいえ、雄大で重厚なオーケストラをバックに女神の復活や、イルド(『黄昏』のグートルーネにあたります)との対決、壮大な死の場面にとてつもない馬力がいることには変わりなく、それを彼女らしい“たをやめぶり”を維持して歌い上げてしまうのを聴くと、エリザベッタ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)なども遺してくれていればという詮ない妄想が、つい掻き立てられるのです。共演がこの時期の仏ものの粋を尽くしたメンバーなのもたまりません。特に主役のショーヴェ!彼もまた録音に恵まれていないのですが、これほどぴったりの役柄が遺っているのはありがたいです。

・ローゼン(V.A.E.ラロ『イスの王』)
デルヴォー指揮/ロード、ヴァンゾ、マッサール、バスタン、トー共演/リリック放送管弦楽団&合唱団/1973年録音
>彼女が遺した全曲盤ではカラスの『カルメン』とともに比較的入手しやすいものです。いかにも整い過ぎたお嬢様であるローゼンは、歌が上手いだけの人が演じてしまうと薄っぺらな印象を免れ得ないでしょうが、ギオーは優しいけれども力のある声で対照的な存在感を示しています。ちょうどカルメンに対するミカエラのように、ドラマティックではあっても多くの葛藤を抱えた弱さのあるマルガレードに対して、地味ながらローゼンは一貫して姉を心配し、守ろうとする譲らなさを持っているのだなということがわかるように思えるのです。そういう意味で、カルメンでもそうでしたがロードとのバランスが素晴らしいですね^^ヴァンゾのハスキーな声もセクシーですし、まとまった歌はないものの低音陣も充実しています。

・マルグリート(C.F.グノー『ファウスト』)
エチェヴリー指揮/ボティオー、ドゥプラ、ビアンコ、シルヴィ共演/管管弦楽団&合唱団不明/1960年録音
>何度か書いていますがこの時代の仏国の流行だったのか、上述の『カルメン』のみならずオペラは抜粋が非常に多いです(全曲録っていてくれたらどんなによかったか!)。華麗なヴィルトゥオーゾを聴かせる宝石の歌が大きな聴きどころであるが故に技巧に長けたソプラノが歌うことも多いこの役ですが、彼女たちにはあまり聴くことのできないこっくりとした響きの豊かさ、倍音のやわらかさを十二分に楽しめるのが、ここでのギオーの魅力でしょう。月明かりの入った部屋のように、程よい明るさと暗さの同居したような彼女の音色が、“トゥーレの王”など個別の歌にも合っていますし、作品全体の色調にも沿っています。そしてここでもフィナーレは堂々と神々しい……!ドゥプラはじめ必ずしも録音の多くない面々の共演も嬉しく、とりわけボティオーは貴重でしょう。

・アントニア(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)
エチェヴリー指揮/ランス、メスプレ、サロッカ、セルコワイヤン、ジョヴァネッティ、マッサール、バキエ、ジロドー、ミシェル、ビソン、ソワイエ共演/管弦楽団&合唱団不明/1968年録音
>この作品のヒロインと悪役と道化とをそれぞれ別の人に演じさせつつ、全体を1枚のCD(恐らく当初はレコード両面でしょうね)に収まる長さにしてしまった抜粋ですから、ほとんどガラ・コンサートか歌合戦の世界なのですが、だからこそ当時の仏国の歌手たちの珠玉の歌声を凝縮した魅力のある音盤です。抜粋ではありますが、単なる清楚なおぼこ娘のようでいて藝術家として一本の筋の通ったアントニアはまさにギオーの適性にハマった役柄ですから、こうして聴くことができるのは非常にありがたいです。アリアの静謐さももちろんながら、やはりクライマックスの3重唱での恍惚とした音楽が一番の聴きどころでしょう。この瞬間、アントニアは表現という快楽に身を委ねているのだろうなということが感じられます。ここでも巧みに誘惑者を演じるバキエ、そして母の声にはソランジュ・ミシェル!ややエチェヴリーの指揮がおっとりしている気はしますが、それでもこれだけ仏ものらしいメンバーでこのアンサンブルを愉しめるのは大きいです。

・マティルド(G.ロッシーニ『ギョーム・テル(ウィリアム・テル)』)
ロンバール指揮/ブラン、ゲッダ共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/1967-8年録音
>パテ社は仏もの抜粋シリーズによくぞこれを入れてくれました!と心底思います、ロッシーニの最後の大作であり伊語版もあるが故に仏語の録音・映像は今でも必ずしも多くない作品ですから……。気高いブランやゲッダと並んでも、ハプスブルクの王女として登場して負けない気品を感じさせる淑やかな声の響きと端正な歌は流石のものです。ゲッダとの情熱的な(しかし決して伊的な暑苦しさに陥らない)戀の重唱もさることながらやはりアリア、特に最後に付加した高音の繊細な響きは多くのオペラファンを唸らせるに違いありません。ブランは本当にこういう役は似合いますね!格調高く英雄然としたテルは古典的過ぎるというご意見もあるでしょうが、元来のロッシーニたちの意には沿うものでしょう。ゲッダは全曲盤も遺していますがここでも柔和でありながら強烈な歌唱を披露しています。

・ミレイユ(C.F.グノー『ミレイユ』)
・サロメ(J.E.F.マスネー『エロディアード』)
・ドンナ・エルヴィーラ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)
>最後はMalibranの出している名唱集から。このレーベルにはよくあることながら細かい情報はわからないことが多く、調べる限り『エロディアード』以外の全曲盤は出回ってはいないようです。うーん、実にもったいない!まずミレイユではあの長大な祈りのアリア、仏国でもルネ・ドーリアなど細めのソプラノが歌うことも多い役ですが、ギオーぐらいの響きの幅がある方がこの歌のドラマティックな盛り上がりも愉しめるし、絶叫調にもならなくて良いと思います。次いでロマンティックなマスネーの世界のサロメであれば、彼女はベストの歌手の一人と言えるでしょう。細く鋭すぎる声の人や、逆に脂の乗ったグラマラスすぎる人が歌ってしまうと、この役に欲しいエロティックな少女の姿にたどり着けない。ギオーの声には程よい肉感があるように思います。そしてエルヴィーラ!正直なところこれは彼女のイメージではなかったのですが、素晴らしい演奏がまとめられているこのアルバムでも随一の出来です。コミカルに傾きすぎてしまったり、逆に深刻になりすぎてしまったりするこの役で、少なくともこのアリアを聴くかぎり、ギオーはものすごくリアルな女性の気の迷い、親近感のある葛藤を描くことに成功しているように感じます。Malibraさんには是非こちらの全曲を出していただきたい……!
スポンサーサイト



オペラなひと | コメント:0 | トラックバック:0 |

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿八夜/馥郁たる美男子〜

飛んでしまったiPodの中身はそうそう簡単には復旧しそうになく、ちまちまと作業しています。もっと早く復旧する手段もないことはないのですが、それをやってしまうとどうしても復旧したい音源がちゃんと入るかどうかわからない。やはり絶対入れておきたい音源は少なからず存在するので、牛のあゆみでも確実な手を使いたいというところです。
そんなこんなでまだ以前の4分の1ぐらいの状況なのですが、こちらもちまちま更新していこうかと思います。

BerndWeikl.jpg
Mandryka

ベルント・ヴァイクル
(Bernd Weikl)
1942〜
Baritone
Austria

今回もバスを続けようかと思ったのですが、前回モルの音源を聴いているうちに共演の多かった彼のことを書きたくなりました。チャームポイントの口髭が凛々しい墺国のバリトンです(実在の人物でこんなに似合う人を他に知りません笑)。

若々しいパワーに溢れた個性を持った人ですが筋肉質な硬い声ではなく、むしろ芳醇で耳に心地よいやわらかな響きが魅力の核になっていると思います。同じヴィーンの先輩であるヴェヒターと較べるとその違いは歴然でしょう。ヴェヒターを華やかだけれどもやや神経質で峻険な貴族と評するのであれば、ヴァイクルはさしずめ駆け引きが上手で社交会が似合い、愛想のいい色男と言ったところでしょうか。ヴェヒターのみならず独墺系のバリトンは、ドン・ジョヴァンニ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)やダニロ(レハール F.『メリー・ウィドウ』)を演じても比較的生真面目で不器用な印象のある歌手が多く、そうでなければ思い起こされるのは愛嬌と人間味とを魅力にしたプライやベリーといった一群です。彼らもまた十分に素敵なのですが、いかにもな美男子の雰囲気を湛えているという点で、ヴァイクルを際立った存在と見ることもできるかもしれません(敢えて同じような歌手を探すのであればブレンデルだと思いますがもう少し軽量級ですね)。

今でこそヴァイクルの最も重要なレパートリーとしてハンス・ザックス(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)は欠かせないものとなっていますが、戀おおき美丈夫という言葉がしっくりくる歌声と個性と照らせば、当時いかに斬新なキャスティングであったかは想像に難くありません。ヴァーグナーの作品に明るくない僕ですらも、ザックスと言えば重厚で低い倍音の鳴るバスによって演じられる思索的な中年の親方というイメージが植え付けられているぐらいですから。しかし他方で彼の歌に接すると、この役が名刺がわりとして知られ、愛されたのはよくわかるように思うのです。今回はそのあたりの彼の持ち味について語っていくことができればと考えています。

<演唱の魅力>
戀に悩む優男というとオペラではテノールの印象ですが、天下の色事師ドン・ジョヴァンニを引き合いに出すまでもなく、自らの戀情を追いかける美男子がバリトンに割り当てられる機会は少なからずあります。ベルコーレ(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)が軍曹という肩書のみならず女性にモテるだけの外華やかな容姿をも備えているからこそネモリーノは焦るのでしょうし、アルマヴィーヴァ伯爵(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)に冒険心あふれたヒーローの面影が残っていてもおかしくはない訳です。当て馬/敵役ばかりではなく、堂々たる主役としてマンドリカ(R.シュトラウス『アラベラ』)もオネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)を挙げることもできるでしょう。彼らは胸に熱い情熱を抱いた騎士であり、「カヴァリエ・バリトン」といわれる歌手にこそ歌われてほしい。ヴァイクルは、まさにうってつけです。

とはいえいかなその素質があったとして肝心なのは歌、彼はその点でも卓越しています。とりわけその鼻持ちならないさ!物語に登場する美男というのは往々にしてうぬぼれ屋で自己顕示欲が強いものです(これはもちろん僕自身が男だから余計に感じるという部分もあるように思いますが、他方で物語を進めていくためにはそういう性格づけが必要だからという側面もあります)。どういうわけかテノールにはこういう雰囲気を出せる人が多いのですが、バリトンではナルキッソス的な空気を出すのに苦労を感じることが少なくありません(演じる役柄の幅が広いからかもしれません)。ヴァイクルは、あの整ってはいるものの強面の容貌からはちょっと想像ができないぐらい、引き出しが多く器用な歌い方をできる人なので、この鼻につく空気を自然に/自在に歌に纏わせるのが本当にうまい。そのうぬぼれをベースにジョヴァンニやオネーギンであれば人を喰った、性格の歪みを巧みに描きますし、ベルコーレならいつでも配れるように自分のブロマイドを何枚か懐に忍ばせていそうなバカバカしさを感じさせます。また、実はベックメッサー(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)も遺していて、闊達で滑ったイケメンぶりには感嘆させられること請け合いです。褒めているんだかなんなんだかと思われるかもしれませんが、こういう個性は物語の人物をリアルにするために非常に重要であるばかりでなく、出そうと思って出せるものではありません。

なおかつヴァイクルが素晴らしいのはそのちょっと鼻持ちならない美男子オーラを感じさせつつも、上段で述べた独墺系らしい生真面目な雰囲気を逸脱してはいないところ。これがあるからこそヴォルフラム(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』)やザックスが、大きな支持を得たのではないでしょうか。容姿も整っていて思慮深く、実力もあるけれど、ただほんの少しだけ歳を累ねていて、そしてヒロインの意中の人物ではない。自分にあるものもないものもわかっているからこそ、相手の意を汲んで引いていくという葛藤の深さとかっこよさ。あるいは元帥夫人(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)に通ずるところもあるかもしれません。こうした年長者の姿はちょっと理想化された人間すぎる、かくありたい人物像すぎるという向きももちろんあるでしょうが、それでもやはり観る人を魅了するものであると思います。

<アキレス腱>
とても藝達者でいろいろな人物を演じ分けられる人だとは思うのですが、ちょっとやりすぎかなと感じるところもない訳ではなくて、役によって/聴く人によって評価の上下が出てくる部分もあるようです(僕は好きなんでご紹介するんですがね笑)。また、なんといっても甘い声が武器のひとなので、ドライな声や表現が欲しい役では良さが活きないと思います。例えば司令官(R.シュトラウス「平和の日』)は期待して聴いたのですが……これならそれこそヴェヒターの方がハマっただろうなと。

<音源紹介>
・マンドリカ(R.シュトラウス『アラベラ』)
サヴァリッシュ指揮/ポップ、Ju.カウフマン、ザイフェルト、クーン、ヤーン、ホプファヴィーザー、シーデン共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1989年録音
>あれだけザックスの話をしておいて難ですが、僕にとっては、彼といえばここでのこの役の演唱なのです。冷静に考えればこのマンドリカという男、自分が富豪であることも魅力的な容姿であることもわかっていながらそれをごりごり押し出すのではなく、もったいぶった言葉や態度から主張していくという、鼻持ちならなさで行けばオネーギンといい勝負の人物なのですが、ここでのヴァイクルはそうした衒いを自然に、しかも素敵に魅せてしまうだけの華々しさと愛らしさを備えています。パワフルで野生的な歌い口はこの役のもつエキゾチックな香りを高めるとともに、彼が地方出身者だからこそ財産や貴族的な振舞い/慣習にこだわっているのだということを仄めかしてもいるようです。結構オーバーに愛を語ったり、怒り狂ったり、落ち込んだり気性の激しさを際立たせた歌だとも思うのですけれども、それがギリギリのところで悲愴でもありコミカルでもあり美しい……絶妙な匙加減には感服させられます。ヒロインのアラベラもややこしいこだわりのある女性ですがポップちゃんの知的さがとてもよく出ていて、しかも可愛らしい。この主人公たちのキャラクターとしての面倒臭さを、ここでの彼らは絶妙に愛すべき人たちへと昇華しているのです。この作品の肝ながら現実感に乏しいズデンカに生き生きと命を吹き込んでいるカウフマンや直情径行で程よくおバカなザイフェルト、エレメールにはもったいないぐらいのキラキラした美声で歌い上げるホプファヴィーザーといった面々もお見事ですが、この公演はクーンとヤーンの作り上げる極めて人間的な両親によって深みを増していると言っても過言ではありません。とりわけクーンのヴァルトナー伯爵は道化役と愛のある父親とのバランスが最高で極め付け。そしてもちろんこれらを支えるサヴァリッシュの豊麗な音楽の洪水も圧巻です。NHKさんには是非ともこの映像を正規の商品として販売していただきたいです。

・ハンス・ザックス(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)
サヴァリッシュ指揮/ヘップナー、ステューダー、S.ローレンツ、モル、ファン=デア=ヴァルト、カリッシュ共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1993年録音
>そんなわけで一般的には本命と思われるザックスです。繰り返しますが僕はあまりヴァーグナーは聴き込めていないものの、これだけ若やいだザックスの類例は少なくとも彼以前には思い当たりません。まだ枯れていないものを持っているからこそ、むしろ悩みの深さを感じさせる名演だと思います。彼が本気になれば親方衆やポーグナーはもちろんのこと、エーファ自身ですらも心をぐらつかせかねないことを自覚した上で、彼女の幸せを願って自らの想いに蓋をするまでの心のよろめき惑いがとても切実です。ヴァーグナーの音楽は例によって男性中心的で大袈裟なので、人によっては大仰で胡散臭くなってしまいそうなところを個人として親しみを感じられるレベルまで現実味を持たせている手腕は圧倒的と言えるでしょう。ここでもサヴァリッシュの指揮もいいですし、共演も優れていますが、とりわけエーファのステューダー!こんなにこの役が瑞々しく、愛らしいものだったとは!

・ジクストゥス・ベックメッサー(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)
ショルティ指揮/ベイリー、コロ、ボーデ、モル、ハマリ、ダッラポッツァ共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1975年録音
>あまりにも新しく、優れたザックスとして鳴らした彼が、若い時に演じたベックメッサーというとちょっとイロモノ感すら漂ってしまう意想外の配役ですが、これは掛け値ない名唱だと言えるでしょう。ヴァルターやザックスとの関係で捉えられがちなこの役は、笑われる役としての対比を際立たせるために過度に年老いた、物笑いの種となる人物として描かれてしまうと思うのですが、ここでのヴァイクルはこれまでに述べてきた彼らしさをある意味で明確に発揮しています。即ち、ベックメッサー自身としては大変真摯で真剣であり、なおかつ端正でもありながらそれがどこか行きすぎてタガを外してしまったような、筋の通った滑稽さがあるのです。だから聴かせどころのセレナーデなどはハッとするほど美しい……この辺りバカバカしいだけになってはいけないバランスの難しさをよくよく心得て歌っているのがわかります。同じくジェントルなベイリーのザックスとのバランスもいいですし、上記の録音同様モルの実直かつ華のある歌にも旨みがありますが、なんと言ってもコロの美声がすごいです。まるで火口から流れるマグマのような明晰で生命力のある、熱量の大きな輝き。スタジオ録音ながら必ずしも手に入りやすくないのが残念です。

・ヴォルフラム・フォン=エッシェンバッハ(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』)
ハイティンク指揮/ケーニヒ、ポップ、マイヤー、モル、イェルザレム共演/バイエルン放送交響楽団&合唱団/1985年録音
>ヴァイクルのヴァーグナーといえばやはり一にも二にもザックスなのでしょうが、実は彼の持つ音色や雰囲気に一番似合っているのはこのヴォルフラムなのではないかと思います。この役はイェレツキー公爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)と同様、幸せになることのできない哀愁と諦念を漂わせた人格者的二枚目であって欲しいと個人的には思っているのですが、そういった理想に一番近い歌唱です。外面・内面ともに天分に恵まれ、何不自由ない人生を送ることもできたであろうに、ただ一人の破滅的な天才のせいで運命が狂っていく人物の哀しい美しさ……情熱溢れるヴェヒターや理知的なFDとは異なる高貴なる凡人ヴォルフラムをヴァイクルは地で行けてしまっているのが素晴らしいです(こう考えてみると、実はこの役は遠くないところでザックスと繋がっているのかもしれません)。だからこそタンホイザーにはもうちょっと人が欲しかったところ、いやケーニヒも悪くはないのですが。ポップやモルがいいだけに余計にそれは感じてしまいます。

・グンター(R.ヴァーグナー『ニーベルンクの指環』)
レヴァイン指揮/ベーレンス、ゴールドベルク、サルミネン、ステューダー、ヴラシハ、シュヴァルツ、デルネシュ、トロヤノス、グルーバー共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/1989年録音
>高貴なる凡人と言えばこの役こそだという気もします。この兄妹はハーゲンの引き立て役のようにもともするとなってしまうのですが、それでは面白くない。彼もまた世間並みには優れた人物であるからこそ、ハーゲンの怪物性が際立つのではないでしょうか。ヴァイクルらしい甘めの歌い口をこの役として好まない方ももちろんいらっしゃるでしょうが、ブリュンヒルデへの彼の想いを建前以上のものにしているように思います(愛に焦がれる兄を弟が弑するというのは『ラインの黄金』との対照が意識されているんでしょうね)。そして彼が歌うことによって、例えばジークフリートとの誓いの歌などヴァーグナーがこの演目に与えているベル・カントっぽい歌にも気付かされたりします。共演の中ではサルミネンがダントツで強力、次いでステューダーの楚々とした歌が気に入っています。ノルンたちが豪華でびっくり。

・ドン・ジョヴァンニ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)
ショルティ指揮/バキエ、シャシュ、M.プライス、バロウズ、ポップ、スラメク、モル共演/LSO&ロンドン歌劇合唱団/1978年録音
>この演目/役柄は非常に多面的なので、演じる人によって随分と解釈が分かれるのまた面白いところですが、ここでのヴァイクルはショルティの作る音楽以上にコミカルに演じているのではないかと感じます。自分の美男子ぶりを笠に着たジョヴァンニで、世の中を舐めきって全てが自分の思いどおりになると信じて疑わない、非常に横柄で傲慢な印象が前に出ています。あまりにも戯画化されすぎていて魅力を感じないという方もいらっしゃるでしょうが、悪人というよりは自信過剰な戀の狩人としての説得力は十分と言えるのではないでしょうか(ですから彼のジョヴァンニはベルコーレやオリー伯爵(G.ロッシーニ『オリー伯爵』)とおそらく非常に相性が良いと思うのです)。こうなるとただのコミカル路線のレポレロでは力不足になってしまいますが、藝達者なバキエが一筋縄ではいかなさそうな狡さを持っていて好演。主従ともにバリトンというのも珍しいですが良いコンビですし、騎士長に来るどバスのモルが際立ちます。天使のようなプライスと溌剌としたポップも聴きもの、バロウズも凛々しいですが、シャシュは好き嫌いが出そう。

・アルマヴィーヴァ伯爵(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
ベーム指揮/ヤノヴィッツ、プライ、ポップ、バルツァ、リドル、リローヴァ、ツェドニク、エキルス共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1980年録音
>ヴァイクルはいかにもこの役には向いていそうなのに意外にもこれ以外に録音も映像もないようです(ちなみにこの時の映像はときどき出回っているのですがちょっとびっくりするような価格で出ていることが多いので、今のところは諦めて音のみで我慢しています^^;)。実際視聴してみてどうかといえば、よくぞこれを遺してくれましたという素晴らしいもの。上述の音源との並びで聴くとよくわかりますが、ああ彼のアルマヴィーヴァはちょっと隙の多いジョヴァンニなんだなということで、色男だしそれと貴族であることを鼻にかけた強権的な人物ではあるのだけれども、そこにあぐらをかいてしまった油断の多さがとても感じられます。コワモテのイケメンなのでアリアなんかはとてもかっこいいんだけれども、フィガロやスザンナにいっぱい喰わされるところはとても油断があってお間抜け。あまつさえここでのフィガロとスザンナは百戦錬磨のプライと利発を絵に描いたようなポップちゃんですから、余計そこが際立ってくるようです。好みは多少あれどこれだけの布陣のフィガロを東京で観られたなんて羨ましい限り!

・ハンス・ハイリンク(H.A.マルシュナー『ハンス・ハイリンク』)
G.A.アルブレヒト指揮/シュレーダー=フェイネン、シウコラ、ツォイマー、ギルズ共演/RAIトリノ管弦楽団&合唱団/1972年録音
>フォン=ヴェーバーとならびモーツァルトとヴァーグナーを繋ぐ時代の重要な作曲家にもかかわらずほとんど忘れられているマルシュナーの代表作の1つで、カットはかなりあるものの貴重な全曲録音です(プライの歌うハイリンクのおまけ付き)。話の筋を何度読んでもどうも人間にたぶらかされたとしか思えないちょっと抜けた感じのする地獄の王子なのですが、マルシュナーがデモーニッシュな迫力のある音楽を与えていることもあり、ヴァイクルぐらいのはパワーのあるたっぷりした声で歌われてこそ真価を発揮すると思います。響きの甘さが活きていることもあってしばしば歌われているアリアもロマンティックな味わいがあるのですが、地獄の軍団の合唱との歌の不気味さがとても独墺系らしくて個人的には好きです。共演も指揮も全くわかりませんが、水準の高い演奏だと思います。

・オットカール(C.M.フォン=ヴェーバー『魔弾の射手』)
C.クライバー指揮/シュライアー、ヤノヴィッツ、アダム、マティス、ヴァイクル、フォーゲル、クラス共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ライプツィヒ放送合唱団/1973年録音
>出番は少ないながらも大変重要な要役で、カヴァリエ・バリトンとしての彼の魅力を味わえます。この物語の世界において悪魔の誘いに乗ることが禁忌であり、本来マックスは罪を免れないことを象徴するのがオットカールという人物です。彼が隠者のとりなしがあるまで頑なに恩赦を拒むのは、個人的な固定観念に縛られているからではなく、しきたりを守り統治する領主としての勤め、求められているふるまいを果たそうとしているからなので、小役人じみてしまったり、度量が小さく見えてはいけない。ここでのヴァイクルの歌唱は若い力に溢れて荒々しいですが、そのことがよくわかるものです。

・ファルケ博士(J.シュトラウス2世『蝙蝠』)
C.クライバー指揮/プライ、ヴァラディ、ポップ、レブロフ、コロ、クッシェ、グルーバー/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1975年録音
>必ずしもオペレッタをたくさん歌っている人ではないと思いますが、『蝙蝠』は外せないでしょう。アイゼンシュタインという男は愛すべき人物ながらある程度解釈の方向が揃うのに対し、彼へのとびきり馬鹿馬鹿しい復讐を企てるこの人物の方こそ意外と色々なアプローチがあるように思います。ヴァイクルのファルケ博士は十分すぎるぐらいコミカルな味わいも持っているのですが、同時にびっくりするほどハンサム。彼がアイゼンシュタインもまた歌っているからということではないのですが(映像があるのですが未視聴)、ひょっとするとこの悪友たちは逆の立場であってもおかしくなかったのでは?とついつい勘繰ってしまいます。この或る種の双子的な空気は、相方がプライであることによっておそらく更に強くなっています。実年齢も含めた印象で言えば年長の人懐っこい男にしっぺ返しをする頭の回る年下の男というここでの『ドン・パスクァーレ』的な構図に対して、おそらく実在はしないですが配役を交換した演奏があるならば是非聴いてみたいものです(観られていないのに言うのもなんですが、ヴァイクルのザックスにプライのベックメッサーという映像があって、ひょっとすると関係性としてはそこに近くなるのかも)。こんな2人ですから1幕で舞踏会に乗り出す重唱が大傑作です!クライバーの素晴らしく闊達な音楽と抜群のキャストによる歌が楽しめる不滅の名盤ですが、実はこの音盤の価値を高めているのは科白回しかもしれないと最近思います。独語の美しさだけではなく、怪しげな仏語も楽しめますし、露語ネイティヴという点まで鑑みれば、毀誉褒貶を見越してもレブロフをオルロフスキーに据えた意図は非常によくわかります(そして彼がちゃんと仏語がわかっていそうなのもミソ)。

・ベルコーレ軍曹(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)
ヴァルベルク指揮/ポップ、P.ドヴォルスキー、ネステレンコ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1981年録音
>ヴァルベルクによる2つのブッファの全曲録音は、指揮者、歌唱陣、オケや合唱とすべてにおいてスタジオで遺されていることそのものが意外ではあるのですが、いずれも大変優れた演奏です。ヴァイクルについて言えば、やわらかな甘みのある声の持ち味がベル・カントものでも十分に発揮されるものであることを示したものだと言えるでしょう。もう何度も上で述べていますが、中身のないイケメンという定番の役柄を奇を衒わず直球で演じています。いわば極上の紋切り型。案外と伊的なメンバーでもこれだけ見た目の整っていそうなベルコーレというのはいないような気がしており、僕は彼の歌を聞いて初めてああこの役は「ドン・ジョヴァンニくずれ」なんだ、という新鮮な発見が得られました。作品そのものに新しい光を当てつつ全体にブッファの愉悦にも満ちた特異な秀演です。

・マラテスタ医師(G.ドニゼッティ『ドン・パスクァーレ』)
ヴァルベルク指揮/ネステレンコ、ポップ、アライサ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1979年録音
>上記の「妙薬」と同じくこちらも実にユニークなブッファ。20世紀の名ボリスと名ザックスがこのおバカな演目でどんな歌を披露するのか初見だと想像もつきませんが、めざましい成功だと思います。ザックスやヴォルフラムで聴かせる知的さを喜劇に転じていくとファルケやこの役になっていくのだなあと役同士の意外な距離感が見えてきて面白いですね。海賊版のレコード以外ではフィガロ(G.ロッシーニ『セヴィリャの理髪師』)も見当たらないヴァイクルですが、ネステレンコともども早口も実に達者。この作品のハイライトである強烈な2重唱がこれだけ重たい声のコンビで痛快に歌われた例は他に知りません。何度も共演しているポップちゃんとの息の合ったコンビでも、いわゆるベル・カントっぽいイメージを脱却した清新な歌唱を楽しめます。アライサが見事なのは言わずもがな!

・リゴレット(G.ヴェルディ『リゴレット』)
ガルデッリ指揮/アラガル、ポップ、ローテリング、タカーチ、マルタ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1984年録音
>実は以前は全然いいと思わなかったのですが、今回改めて聴いてみて充実した演奏なのに驚きました。なんといってもヴァイクルの言葉の扱いが見事で、浮き沈みが激しく複雑なリゴレットという男にさまざまな表情を与えています。もちろん2幕のようにドラマティックで人間的な場面も秀逸ながら、とりわけ意外とこの役柄の歌唱で見えてくることの少ない、道化としての顔、例えば1幕1場でモンテローネを侮辱するに至るまでの皮肉なおべんちゃらっぷりが際立っているようです。ポップはアリアなどちょっとモーツァルトっぽい歌ですが娘ぶりが愛らしいですし、アラガルもライヴ盤ほどのアツさこそないものの薄っぺらな端正さがこの役らしい。ヴェルディの録音が必ずしも多くないローテリングやタカーチも高水準です。ただ、傍の中では驚くぐらい迫力のあるマルタのモンテローネがいちばん聴きごたえがあるかもしれません。

・ダゴンの大祭司(C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』)
パタネ指揮/キング、C.ルートヴィッヒ、マルタ、コーゲル共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1973年録音
>これまた何故あえてこのメンバーでこの作品をという感じですが、上述の2つのブッファと『リゴレット』と同じくバイエルン州ゆかりのオケと合唱ですから、当時のミュンヘンで演奏されていたオペラの空気を遺したいというような意図があったシリーズなのかもしれません。さておきこの演目はどうにも題名役たちにばかり話題が偏りがちなのですが、この大祭司は第3の主役であってここがこけてしまうと全然面白くない演奏になってしまう重要なポジションです。ヴァイクルのまとっている男の色気と独墺系らしい生真面目さがここでは絶妙な相互作用を起こして、背徳的な空気を湛えた生臭坊主を作り上げています。こういう妖しげな色香があるとデリラとの重唱の意味合いも増しますし、サムソンとの関係も一段と緊張感を孕んだものになることが、お聴きいただければお分かりになるでしょう。仏もののイメージはこちらもないものの神性を帯びた雰囲気がハマっているキング、柔軟で旨みのあるルートヴィッヒも優れており、一風変わってこそいるものの役者の揃った名盤です。

・イェヴゲニー・オネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)
ショルティ指揮/クビアク、バロウズ、ギャウロフ、ハマリ、セネシャル共演/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団/1974年録音
>露色の少ない演奏の中では最も知られたものかもしれません。フヴォロストフスキーなど露国のバリトンが聴かせる気怠げで空虚な哀しい男とは異なり、戀の冒険者を感じさせるアプローチには最初ちょっと面喰らいますが、繰返し聴いていると役に対しての思い込みから離れればこういう人物造形も十分あり得る気がしてきます。ドン・ジョヴァンニと繋がる部分もあるのですが、彼のように情熱的に色戀を追いかけ回しているわけではなく、ヴァイクルのオネーギンは退屈しのぎに女性に声をかけているような、愛情の感じられないもの(だからこそオリガに色目を使ってレンスキーを激昂させるあたりがリアルなのです)。それがこの役の虚ろさに別の部分から光を当てているように思います。共演はいずれも土臭さはありませんが優秀、特にギャウロフの圧倒的な声には登場の瞬間から息を飲みます。

・ドン・ヴァスケス(L.シュポア『錬金術師』)
フレーリヒ指揮/ピュッテルス、アボウロフ、ドゥルミュラー、ツィンクラー共演/ブラウンシュヴァイグ州立劇場管弦楽団&合唱団/2009年録音
>知るかぎりヴァイクルの最も新しい全曲録音は、滅多に演奏されないシュポアの秘曲です。題名役ながら派手な歌は多くなく、筋の上でも戀の鞘当てを繰返す若者たちにスポットが当たっているようには思うのですが、この作品を仄暗い色調に定めている点で強い存在感が求められていると言えるでしょう。さしものヴァイクルも往年の甘美さは衰え、渋みの際立ったドライな響きになっているのですが、ここではそれがむしろ効果的に働いていて、特に宗教裁判の幻想の場面など実に不気味です。共演は知らない人ばかりなのですが、事実上の主役と言っていいピュッテルスが抜群の出来で舞台を引っ張っているほか、ドゥルミュラーの熱の籠った歌唱もお見事。作品も素敵で一聴の価値ありです。
オペラなひと | コメント:0 | トラックバック:0 |

ケンタロス



ケンタロス  ポケットモンスター25周年に寄せて
Tauros ver. 25th anniversary

今日は「ポケットモンスター」というゲームが世に出てから25周年だそうです。初代からのファンの1人として、心からお祝いしたいと思います。
コンテンツとして素晴らしい作品になったなあと思うのは、大人・子ども問わず現時点で現役で何かしらのゲームやアニメを楽しんでいる人たちはもとより、一時期離れてしまった人やもはやゲーム/アニメそのものを楽しむことはしなくなった人にも、そのキャラクターや音楽、登場人物やアイテムが郷愁を抱かせるものになっているという点です。かく言う自分もGoは続けていますし、金銀以来ひさびさに剣盾も買って少しずつ進めていますが、どちらかと言うと後者。でも、今もポケモン自体は大好きで、グラニフのコラボシャツなどは嬉々として買ってしまいましたし、推しのアイテムは(なかなか存在しないこともあって)ごりごり集めています笑。

Kentaros22022702.jpg

時の流れの速さを感じさせるのは20周年の記念作品として慌ててリザードンを拵えたことが本当につい最近のことのように思えることですが、考えてみればあれからフシギバナ、カメックスニドキングギャラドスピカチュウを作っている訳ですから、それなりに年月を累ねているんだなあと実感します。
この記念のタイミングで何を作ろうかと頭を捻ってみると、ちょうど今年は丑年!以前一度作品にしたときにも書いていますが、僕が25年間ずっと好きだと言い続けているケンタロスにぴったりではありませんか!普段あまりにも地味な扱いに甘んじていて、グッズにもならない彼らが節目の年のテーマにピッタリなどということはもう2度とは来ないでしょうから、どうしても作りたいと思って2ヶ月ほど準備を続けていました。

Kentaros22022703.jpg

前作に続き苦労したのはやはりしっぽ。三叉同じ長さ、そして細長いという作りのものがお尻からちょこんと飛び出しているというのをウシの身体に仕込むにはどうしたらいいか非常に難渋して、満足のいくものにできるまでには文字通り何日も費やしましたし、無駄にした紙もどれぐらいあったものかわかりません(もちろん当世の展開図から考えていく作家の方々にとっては難しいことではないのだと推察するのですが)。それでもどうにかこのバランスに行き着いたときには本当に嬉しくて、小躍りして妻に報告に行ったぐらいです笑。
頭のサイズや蹄を作るための仕込みを含めて最終的に割と簡単な比率に落ち着いたのもよかったところ。ただ厚みは結構なものになってしまうので、紙質をかなり選びます。最初に本折りと思って仕上げたものは糊で頑張って固定したのですが、どうも納得がいかず、ホイルで裏打ちした紙を新たに用意して作ったのが今回の写真のものです。
厚くなりすぎる部分が出てきてしまうというのは欠点ではありますが、出来上がりはもちろん、折っていて楽しいという意味でも自分としてはいいものが作れたと思っています(作品の完成度と折っていて楽しいかどうかは、不思議なことに相関しないような気がするんですよね)

Kentaros22022704.jpg

折角なので色違いも用意しました。
実のところケンタロスの色違いは、僕としては「どうしてこの配色にしたのか?」と思ってしまう色みでそこまで愛を感じてこなかったのですが、先日のGoのイベントのレイドでうまいこと1頭だけ手に入れることが出来ました。そうすると厳禁なものでなんとなく愛着が増してきまして、急遽紙を手配してこちらも作った次第です笑。

Kentaros22022705.jpg

ポーズはやはり25周年のお祝いというところで赤緑のデザインに拠るのがいいかなということで、初期の絵柄を元にしています。
ただこの点実は思うところもなくはなく。例えばピカチュウやイーブイ、プリンといった人気のあるモンスターはデザインについての研究がかなり進んでいて、グッズにしてもカラーリングや抽象化されたパーツに落とし込み、一瞬そうとは見えないのだけれど見る人が見ればポケモンのグッズだということがわかるレベルまで昇華された素敵なものがあります。ところがケンタロスぐらいのレアキャラになってしまうと、露出が少ない分その点の発展があまりにも少ない。時たまグッズが出たとしても赤緑版のポーズをごりっと押し込みました!みたいなことばかりで、タッチの差もあまりなければ思いっきりキャラクターグッズですよ感が全面に出されてしまってややおダサいテイストになってしまいがちです(このあたりもはや絶版になって久しいと思いますが絵本「ケンタロスのまもりがみのなみだ」は絵も物語も独特の世界を作っていて魅力的でした)。

Kentaros22022706.jpg

ときどき思うのが、ケンタロスが初代のゲーム環境であれほど圧倒的でなければ、或いはああして話題になるタイミングがもっとあとであったら、むしろ今もう少し日が当たっていたのではないかということです。もちろん当初は地味だし、しんかもしないしで名前すらほとんど知られていなかった彼らが小学生だった僕たちプレーヤーに知られるようになったのは、その強さがあってこそです。子ども目線の記憶になってしまいますが、あれだけゲットしづらかったにもかかわらず(実際僕は赤緑でのゲットは結局できていません……延々サファリゾーンで彷徨いていたのに……ガルーラやストライク、ラッキーは何度か獲れたのに……)、あの頃ケンタロスをパーティに入れていない子どもはいなかったのではないでしょうか。
でも、早すぎた。彼らが全盛だった時代はポケモンはもちろんゲームそのものが「子どものもの」でしたから、「子ども」を離れたコンテンツの展開はあまりなされていなかった。他方で初期の環境で強すぎたケンタロスは世代が進むに従って弱体化させられ(これが僕がポケモンから離れた理由でもあります)、大人に向けたポケモングッズが出て来るころには、ほとんど注目されなくなってしまった。
拗らせたファンのノスタルジーだとは思いますがそんな彼らに、もっと光を、という想いはつい募ります。

Kentaros22022707.jpg

さてゲームでは鬪神と謳われた彼らですが、アニメでは当時から不遇を託っていたところがあります。サファリゾーンを舞台にした回で、サトシがボールを投げるたびにケンタロスの群れに横切られ、結局30個のボール全てケンタロスになってしまう……比較的ポケモンのアニメはモンスターとの心の交流を描くような回が多かったにもかかわらず、自分の推しのときに限ってネタ要員なんてと子どもながらにかなり悲しくなったのを覚えています(しかも実際のゲームではケンタロスは群れどころか1匹出て来るだけで居住まいを正して真剣にボールを投げなければならない相手でしたから、「サトシお前、なんてうらやましい!」という気持ちもありました)。
ただ他方でやっぱりあの場面は印象的で、ケンタロスというと群れを作りたいという気持ちになります。そして作った結果がこれです笑。

Kentaros22022708.jpg

実際には「群れを作ろう!」と最初から意気込んだわけではなく、自分として気に入ったものができたこともあって、Goにハマっている母のいる実家に渡そうとか、職場の机に置きたいとか需要を見越した結果何頭か出来上がることになりました。ただこの時はホイルを使っていないので、改めて作る前のものです。
複数いるとそれなりに疾走感が増すように思えるのは欲目でしょうか?

Kentaros22022709.jpg

ひさびさの本格的な新作(実は年始のはこちらからのバリエーション)と積年の想いとで随分暑苦しい文章になってしまいましたが、今日はこんなところで。。。
折り紙 | コメント:0 | トラックバック:0 |

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿七夜/深淵の奥底から〜

Twitterではつぶやいたのですが、昨年暮れに15年ほどデータを貯め続けていたiPodがお釈迦になってしまいました。ある程度手許に音盤の形で残してあるコレクションもありつつも流石にショックが大きく、ここのところずっとその修復作業に追われておりまして、あまりこちらの更新が進められる状況には今も至っていません。
とはいえあんまり開けてしまうとそれはそれで書かなくなってしまいそうな気もして、けれども特集したいという思いのある人はまだまだたくさんいるので、ぼちぼち更新していこうと思います。

我ながら驚いたのですが、ヴィノグラドフの特集をしてからまるまる3年近くここでバスの記事を書いていないのでした。大バリトン特集でほぼほぼ1年かかっていますし、そのあとは反動のように女声を立て続けにご紹介していましたから当然といえば当然なのですが……それにしてもそろそろ「これぞバス」と言えるような人を取り上げたいなと思った次第です。

KurtMoll.jpg
Zarastro

クルト・モル
(Kurt Moll)
1938〜2017
Bass
Germany

ヴァーグナーをあまり聴き込めていないこともあってどうしても独国の歌手は取り上げづらく、名だたる巨匠を認識していつつも記事にできていません。今回久々にバスのことを書くのであれば、折角ならここで開拓できていない独国のバスを、その中でもとびきり思い入れのある人をと考えまして選んだのが今回の主役、クルト・モルです。

バスの種類についてはネーリやルッジェーロ・ライモンディのところで触れており、そこではプロフォンドだカンタンテだブッフォだと伊語による分類を紹介していますが、仮にその分け方に則るのであればモルの声は正しくプロフォンド。それもこれほどに底知れない深さのある、石炭袋の闇のように暗い音色の持ち主は古今東西あまり思いつきません。しかも単に深い、暗い、重いということではなく、その声はあまりに美しい……深淵の底から響くような彼の声に誘われると、人智の及ばぬ闇の中へすら思わず足を踏み入れてしまいそうになります。だからこそ彼は、多くの神秘の世界の住人や高徳の僧侶を当たり役にしてきたのでしょう。

他方でモルは小さな役をコツコツと演じてキャリアを積み上げてきた、言わば“叩き上げの歌い手”の感があって、スタジオ録音でもライヴ録音でも信じられないようなレパートリーを遺しています。少なからぬ大役を歌ってきてから何もそんなパートを歌わなくてもと思わなくもないのですが、そうした経験こそが彼自身の歌を作ってきたという矜持があるのか、或いは主役を演じるのとは違う抽斗を使うことに意味を見出していたのか……いずれにせよモンテローネ伯爵(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)やバルトロ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)といった役でも、彼の圧倒的な演唱を楽しむことができるのはファンにとって嬉しい限りです。そして、こうした役を演じてきた積み重ねが功を奏してか、コミカルな難役の中にも彼なしには語れないものが多々あります。

バス・ファンとしては不覚としか言いようがないのですが、2017年3月に亡くなられた頃は公私ともに多忙だった時期で全く訃報に気づかず、2年ほど経って大きなショックを受けたのでした。追悼というにはあまりにも遅ればせながら、今夜はモルの歌に想いを馳せたいと思います。

<演唱の魅力>
またもや自分語りのようなお話からで恐縮なのですが、僕が彼のことを初めて知ったのはまだクラシックを聴きはじめて間もない頃、NHK BSで放送された来日リサイタルの様子だったと記憶しています。この時の自分の第一印象は無邪気というかなんというか、「うわ、すごいおじいちゃん出てきたけど歌えんのかな」というものでした(と言っても、振り返るに70代ぐらいだったんだと思うんですが)。しかし第一声を聴いてその余りにも深みのある美声にビックリ!それ以来、あまり独ものは得意ではないと言いつつモルだけは自分の中で別格のポジションに居続けています(また、あの頃に既に幾らかでも自由にできるお金があったならと思うと、ちょっと残念でもあります)。ほとんど声楽に関心を持っていなかった人間の脳裏にすら刻まれる声なのです。

「深い」という形容詞を繰返し遣っていますが、他の面から光をあてるならば、やや籠ったやわらかな声ということもできるでしょう。この「やわらかな声」という点は彼のキャラクターにかなり効いていて、荒々しさはトーンダウンする反面、畏敬の念を感じさせる落ち着き、超常的なオーラ、声の暗さを緩和する人間くささと言ったものが引き出されているように考えています。加えて絶妙な瞬間に挟まれる声芝居が抜群にうまい!コミカルな悪役に憎めない表情を与えているのはこの濃やかさだろうなあと思います。象徴的なのはハーゲン(R.ヴァーグナー『ニーベルングの指環』)ではなくオックス(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)を持ち役にしていたことで、これはモルの持ち味を知る一つのヒントになり得る点でしょう。もう少し深掘りするなら、同じように独国に典型的な暗く深い声を持ち、コミカルな役も得意にしたゴットロープ・フリックとの比較も役に立ちそうです。興味深いことに、彼は逆にオックスではなくハーゲンをメインレパートリーに据えています。両者がともに名演を遺している役オスミン(W.A.モーツァルト『後宮からの逃走』)からはその違いが炙り出せるかもません。どちらもその凄まじい声でオスミンの剛力無双ぶりを際立たせている部分は共通していますが、フリックがけばけばしいまでのドラマティックさでかえって間抜けぶりを強調する一方で、モルの歌には終始どこか人のよさがにじみ出ていて、ブロンデとのやりとりなど可愛らしささえ感じられるものになっています。

上述の通りその美声を駆使した小さな役にも忘れがたいものが数多くあります。こうした活躍という観点では、最近特集したところでいうとザレンバに近いということもできるかもしれません。これだけの声の人が一瞬の登場とはもったいないとも感じられますが、むしろその一瞬で舞台を引き締める声を出してくれるという意味では得難い存在と言えるでしょう。気品を失わずに呪いの言葉を突きつけるモンテローネ伯爵の鮮烈さ、怒る領主を諫める隠者(C.M.フォン=ヴェーバー『魔弾の射手』)の崇高さ、地獄の底から現れる騎士長(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)の血も凍る壮絶さ、異端者への容赦ない極刑を言い渡す宗教裁判長(С.С.プロコフィエフ『炎の天使』)の冷酷さ……いずれもモルだからこそ引き出せる境地を聴き取ることができます。

膨大なレパートリーの中から「これは」というものを一つ選ぶのであれば、ザラストロ(W.A.モーツァルト『魔笛』)を挙げたいです。物語をコペルニクス的にねじってしまうこの役は大変厄介な存在で、厳かな旋律にもかかわらず誰が歌ってもどうしても嘘くささや胡散臭さが漂ってしまうのを避けられないのですが、モルの穏やかで思慮深い歌い口にはそういったことに封をしてしまう魔力があるように思います。敢えてその怪しさを強調するのでないならば、彼以上に説得力のあるザラストロの登場は望めないように感じるのは、やや贔屓耳に聴きすぎでしょうか。

<アキレス腱>
低い方の倍音が豊かな深い声であることからは想像に難くありませんが、どうしても高い音には苦労している感じはあります。またこれも仕方のないことでしょうが、早口が必要な部分のもたつきが気になるという御仁もいらっしゃるでしょう(いずれも彼の声の重さを考えれば信じられないようなレベルで対処しているのですが……)。
また上述もしましたがやや籠った響きの楽器であることは確かなので、その点の好き嫌いもあるかもしれませんね。

<音源紹介>
・ザラストロ(W.A.モーツァルト『魔笛』)
サヴァリッシュ指揮/シュライアー、ローテンベルガー、ベリー、E.モーザー、モル、ミリャコヴィッチ、ブロックマイヤー、アダム共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1972年録音
>既に上で述べたとおり、彼の演じた数多の役柄の中からどれが印象に残っているかと訊かれたならばこの役です。メトでの映像も遺されており、そこでも抜群の存在感を誇ってはいますが全体の完成度としてはこのサヴァリッシュ盤と思います(というか、この音源こそ個人的には『魔笛』のベストの演奏と言って憚りません)。モルの声のなんと優しく幽玄なこと!そしてその歌の厳かさと慈愛の深さ!しっかりとした足取りで聴く者の心に寄り添ってくる彼のザラストロの入念な歌唱は、先述の通りの台本による役柄の白々しさや出番の少なさなどを補って余りあるものです。或る意味では最も危険なザラストロということもできるでしょう。彼と対立するモーザーもまた夜の女王のベスト。技術的な余裕はありつつも、若者を冒険に導く鷹揚さと怒りに声を震わせるエキセントリックさとを兼ね備えています。タミーノやパパゲーノについてはやれヴンダーリッヒがいいとかプライがいいとかといった好みはあるでしょうがシュライアーとベリーが特筆すべき名演を繰り広げていることをなんら否定するものではありませんし、ローテンベルガーもチャーミング(彼女はオペレッタやもっと軽い喜劇のイメージが強いですが、卓越したモーツァルト歌いですね)。サヴァリッシュの堅牢なタクトもお見事です。つまるところこの録音、この役柄の多い演目では奇跡的なほど穴がないのです。『魔笛』の演奏をどれかひとつと問われれば、迷いなくこの音盤を推すことができます。

・騎士長(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)
ショルティ指揮/ヴァイクル、バキエ、シャシュ、M.プライス、バロウズ、ポップ、スラメク共演/LSO&ロンドン歌劇合唱団/1978年録音
>この演目はバスやバリトンが4人も必要ですが、モルのような深い声で歌うとなれば騎士長一択ですね。晩餐の場面で凄まじい声を響かせるイメージがあまりにも強い役であり、その場面で彼以上に強烈な印象を与える歌手はフリックやサルミネンなど少なからずいるのですが、ジョヴァンニとの決闘で殺される最初の場面の一瞬で人間的な優しい人柄まで感じ取れるという点で、この役のベストは彼ではないかと思います(またここでのプライスの可憐なこと!)。もちろん終幕での登場の存在感が相対的に低くなることはありません。ヴァイクルの甘美な、しかしちょっと世の中を馬鹿にしていそうなジョヴァンニに引導を渡すという意味で、本当に地の底から語りかけてくるようなモルの声はあまりにも効果的です。コミカルなだけはなくシニカルでもあるバキエのレポレロすらも、彼の前では恐怖せざるを得ないことがよくわかります。指揮・共演とも優れていますが、シャシュだけはモーツァルトには違和感があるかもしれません。

・オスミン(W.A.モーツァルト『後宮からの逃走』)
ベーム指揮/オジェー、グリスト、シュライアー、ノイキルヒ共演/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団&ライプツィヒ放送合唱団/1973年録音
>彼の人間くさくて陽気な側面を知りたければまずはこれでしょう。上述した2つの役を聴いているときには、粗野で暴力的且つ間の抜けた顔が誇張されたこの後宮の番人を歌っているところはとても想像できないのですが、聴いてみるとこれほど憎めない、ある種の愛らしささえも感じさせるオスミンは他にないように感じます。相変わらず大砲のような凄まじい低音を駆使しながら決して鈍重にならない彼の歌を聴いていると、私などは竜巻きのようなパワーとスピードであちこちを駆け回るルーニー・チューンズのタズマニアン・デビルを知らないうちに思い浮かべることもしばしばです(そう言えば彼にもなんとも言えない愛嬌がありますね!)。難所中の難所である勝鬨のアリアの最低音にも余裕があります。ベームの指揮のもと共演もこれだけ揃えば文句なし。

・ドン・バルトロ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
ショルティ指揮/ヴァン=ダム、ポップ、ヤノヴィッツ、バキエ、フォン=シュターデ、ベルビエ、ロロー、セネシャル、バスタン、ペリエ共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1980年録音
ショルティ指揮/レイミー、ポップ、アレン、テ=カナワ、フォン=シュターデ、ベルビエ、ティアー、ラングリッジ、ケニー、タデオ共演/LSO&ロンドン歌劇合唱団/1981年録音
>モーツァルトのコミカルなキャラクターをもう一つ。『フィガロ』は登場人物の多い演目で、主役というべきスザンナ、フィガロと伯爵夫妻が揃っていて欲しいのはもちろんのことながら、彼らを取り囲む脇役たちが個性的に妙技を披露してくれるとそれだけ面白くなります。バルトロももちろんそうなのですが、ザラストロやオックスを持ち役にしたモルのような大御所が実際の舞台で歌っており、それが映像に収録されているという点で、最初に挙げたDVDは本当にありがたいものです(共演もバスタンをアントニオに据えるほどの無敵艦隊)。昨今の歌手のように俳優のような演技ではなく、割とパターンのある動きをしているようにも見えるのですが、それが実に自然で活き活きとしたものに感じられるのは20世紀の名手の底力でしょうか。聴かせどころのアリアではネチネチとした早口が笑いを誘いますし(その辺りで飽き飽きした様子をにじませるベルビエも笑えます)、ややふらつきながらもあの太い声で終盤の2度の高音を決められるとグッとくるものがあります。2つ目に挙げたややメンバーの異なる録音の方が有名と思いますし、ライヴでのワクワクはないものの演奏としては整っており、モルも正確さを取るならばアリアなどこちらの方が優れているでしょう(それにしてもこの時のショルティのチームは毎回ケルビーノ、バルトロ、マルチェリーナにフォン=シュターデ、モル、ベルビエを据えているのだから恐ろしいものです)。

・オックス男爵(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)
フォン=カラヤン指揮/トモヴァ=シントヴァ、バルツァ、ペリー、ホーニク、ツェドニク、リップ、コール共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1982年録音
>自分としてはどうしてもモルと言えばモーツァルトと刷り込まれてしまっているのですが、モーツァルトを敬愛しオマージュしたシュトラウスの作品での活躍、とりわけこのオックス男爵での歌唱を忘れる訳にはいきません。この役は下品で高慢で図々しくて卑怯で、恐らくはこの物語に登場する誰一人として彼に対して好意的な眼差しを注いでいないのに、間違っても客席からは嫌われてはならず、どこかに古い時代の優雅さと愛すべき人くささを湛えながら、一抹の哀愁をさえ漂わせていて欲しいという、数あるオペラの役柄の中でも最高峰の難役だと思います。モルの演唱は、この不可能な問いへの一つの説得力のある回答でしょう。元帥夫人に自分の若々しい好色ぶりを誇る得意満面さ、財産に対するネチネチとしたこだわり、テノール歌手をうるさいと叩き出す小心な怒り、そのあまりにも堂々たる退場……歌う人によってはさらっと流してしまいそうな部分に詰められた魅力は枚挙にいとまがなく、聴けば聴くほどその味わいは増していくようです。最大の見せ場であるワルツは言うにや及ぶ!ここでのオックスの鼻歌は単に彼が上機嫌という以上に優美で繊細で、どんな人間でもこんな風に美しく愛を歌うことができるのだとシュトラウスが主張しているよう思う部分で、モルはその意図を見事に実現していると感じます。オスミン同様に難所として知られる超低音も余裕たっぷり。フォン=カラヤンは正直うるさすぎる演奏も多い中でこれはベストの1つ、トモヴァ=シントヴァの淑女ぶりやバルツァの溌剌とした美青年に加え、ペリーもホーニクもいいですが、ツェドニクの演ずるヴァルツァッキがうまい!キャラクターテナーの面目ここに極まれり、という名歌唱です。

・ヴァルトナー伯爵(R.シュトラウス『アラベラ』)
レンネルト指揮/カバリエ、ニムスゲルン、ミリャコヴィッチ、コロ、ドミンゲス、ガイファ、スコヴォッティ共演/ローマ放送交響楽団&合唱団/1973年録音
>オックスと比べるとかなり小さいですが、如何にも彼らしいこうした役での良サポートぶりを聴き取れる演奏です。自身のギャンブル狂いで破産寸前などうしようもない面をコミカルに表現しつつ、貴族であり軍人であったことに誇りを感じさせるような重厚な声を響かせるというバランス感覚の良さは彼ならではでしょう。知的な歌い口もあって、この老人がいざとなれば意外に機転の効くところだとか結構ちゃんと父親としての慈愛も持っているところなども浮いてしまわずに説得力が感じられ、奥行きのある人物を作り上げています。伊国のオケに聞いたことのない指揮者、カバリエはともかく後はあまりシュトラウスの印象のないメンバーで、初めて聴いたときには正直期待をしていなかったのですが極めて完成度の高い演奏で自分の先入観を恥じました(苦笑)

・ファン=ベット(A.ロルツィング『ロシア皇帝と船大工』)
フリッケ指揮/ブレンデル、ボニー、ザイフェルト、ファン=デル=ヴァルト、ローテリング、リドル、ヴルコップフ共演/ミュンヒェン放送交響楽団&バイエルン放送合唱団/1987年録音
>コミカル路線で行くと日本ではなかなか演奏されない楽しい演目も遺しています。キャラクターとしてはバルトロを拡張したような、自信過剰で声だけは大きい権威的な人物(且つヒロインの父親)と言う比較的単純なものなのですが、いかにもロルツィングらしいロマンティックな旋律も満載されており歌うところが多い分、声だけで聴かせる響きの魅力や飽きさせない藝が必要な役でしょう。モルのパフォーマンスはまさに理想的なもので、重厚でどっしりした声がちょうどいい具合にこけ脅し感を出していますし、とぼけた口跡は聴いていて思わず笑みがこぼれるものです。「とぼけた」といえば、登場アリアでのファゴットとのヴィルトゥオーゾ的なやりとりはルチアの狂乱のような高度なアンサンブルをしているにもかかわらず正しくとぼけた味わいを出していてとても長閑。曲中1番の聴きどころかもしれません笑。

・ダーラント(R.ヴァーグナー『彷徨えるオランダ人』)
フォン=カラヤン指揮/ヴァン=ダム、ヴェイソヴィッチ、ホフマン、T.モーザー共演/BPO&ヴィーン国立歌劇場唱団/1981〜3年録音
>独国を代表するバスですから僕自身の嗜好とはかかわりなくヴァーグナーも重要なレパートリーです。この俗物の船長を演じるには彼の声はやや高貴過ぎるような気もしながら視聴しはじめるのですが、いざ聴いてみると喜劇的な役柄を演じるときのような軽さを感じさせる素晴らしい歌唱で、その懐の深さに頭が下がります。ヴァン=ダムの暗く籠った声とも相性が良く、序盤に取引をする場面の重唱はベル・カント的な優美さもありつつ作品そのもののどんよりとした空気にも沿った名演でしょう。フォン=カラヤンの豪奢な指揮も聴きごたえがあります。

・ヘルマン1世(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』)
ハイティンク指揮/ケーニヒ、ポップ、マイヤー、ヴァイクル、イェルザレム共演/バイエルン放送交響楽団&合唱団/1985年録音
>彼の堂々たる重厚な低音は、言わずもがな身分のある人物を演じるのにも適しています。ヴァーグナーの王様役というのはどちらかというとメロディアスに歌いあげるというよりも、祝詞のような音程のある語りという趣きの音楽が当てられていることが多いのですが、それでも単調にならずに聴き手を惹きつける力量は特筆すべきものでしょう。2幕フィナーレのような重層的なアンサンブルも多いので、何を歌っているかがはっきり伝わってくるだけの声量があるのも大きなプラスです。この時期共演の多かったポップとヴァイクルもそれぞれに脂ののった歌唱、ハイティンクはつまらないという人もいますが個人的には風通しが良くて好ましく思います。

・ハインリヒ・デア・フォーグラー(R.ヴァーグナー『ローエングリン』)
アバド指揮/イェルザレム、ステューダー、マイヤー、ヴェルカー、A.シュミット共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場唱団/1991〜92年録音
>アバドの『ローエングリン』というとドミンゴが題名役を演じた映像の方がメジャーらしく、隠れがちですがこちらも名演です(個人的にはマイヤーは得意ではないのですが、ここでは優れたオルトルートを演じていると思います)。モルは品格と安定感のあるずっしりとした声で、問題のある登場人物の多いこの物語の国を支える主を作り上げています。軍令のシュミットも相当立派なのですが、彼が仕える領主として全く不足のない、信頼感とカリスマのあるハインリヒです。ここでも頻出する長丁場の演説も決して飽きさせず、うまみのある歌でしっかり聴かせています。

・ファイト・ポーグナー(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)
サヴァリッシュ指揮/ヴァイクル、ヘップナー、ステューダー、S.ローレンツ、ファン=デア=ヴァルト、カリッシュ共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1993年録音
>低音の役柄が多い演目ながら、バスの中でもとりわけ低い声を持っている彼が繰り返し演じているのはやはりこの役です(とは言え、アリア集ではザックスも歌っていますが)。どうしてもザックスがカリスマ的な主人公になってしまうので、ポーグナーはともすると地味で影の薄い印象になってしまうことも多いのですが、彼の輝かしい声は他の親方たちの中にいても決して埋もれることはなく、ニュルンベルクでも一目置かれる重要人物であることがすぐにわかります。また(いかにもヴァーグナーらしい価値観の枠の中であるとは言え)娘にも深い愛情を抱いていることのわかる、とても優しい歌唱は感動的です。

・隠者(C.M.フォン=ヴェーバー『魔弾の射手』)
クーベリック指揮/コロ、ベーレンス、メーフェン、ドナート、ブレンデル、グルムバッハ共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1979年録音
>この演目でバスと言うとカスパールが強烈なアリアで記憶に残りますが(ちなみにこちらもアリア集で歌っています)、ここではそちらは先輩のペーター・メーフェンが演じ(彼もまた高級感のある美声!ながら録音が極端に少ないのが勿体無いです)、彼は物語の終盤に少しだけ登場する隠者を歌っています。出番が僅かとは言えこの作品全体を大団円に導く重要な要役であり、安直なデウス・エクス・マーキナーに堕さないような説得力がほしいです。ここでのモルは登場第一声で勝負あり。声量があると言うよりは空間を満たすような奥行きのある巨大な声と、その楽器を濫用しない穏やかな語り口が合わさって、常人の知を超えた高徳の人物として圧倒的な存在感を示しています。これだけのオーラがあれば、若々しいパワーが漲るブレンデルの領主が彼の意見を受け容れるのも宜なるかなと言ったところでしょうか。

・カジモド(F.シュミット『ノートル=ダム』)
ペリック指揮/G.ジョーンズ、キング、ヴェルカー、ラウベンタール共演/ベルリン放送交響楽団、RIAS室内合唱団&聖ヘトヴィヒ大聖堂合唱団/1988年録音
>間奏曲が時たま演奏される以外はほとんど接する機会がなく、正直ちょっと散漫な部分もあるのですが、独ロマン派らしい甘美で重厚な音楽に酔える作品でもあります。『ノートル=ダム』ものの他のオペラ同様にカジモドの出番は意外と少ないものの、終幕での活躍は忘れがたいものです。ここでは普段の落ち着いたモルや気のいいモルではなく、よりドラマティックな歌唱。フロローとの対決の場面はその荒々しさに手に汗を握りますし、全てが終わった後の絶望的な独白は長くはないものの、悲痛で胸に迫ります。こういう人間味のある芝居をすると彼はピカイチですね。

・宗教裁判長(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
マルティネス指揮/ギャウロフ、アラガル、フレーニ、トロヤノス、マズロク、レイノーゾ共演/ハンブルク州立歌劇場管弦楽団&合唱団/1980年録音
>本領の独ものに留まらない幅広い活躍を知ることができる録音もいくつか。伊ものの中でもモルの凄まじい声が最大限に活きるのは当たり役だと思っています。大変残念ながらスタジオ録音もなければ手に入りやすいライヴ音源もないのですが、バス・ファン必携です。同じように抗いがたい高僧であっても、ザラストロや隠者で聴くことができるような穏やかな聡明さではなく、狂信的であるとさえ言えそうな権威とヒエラルキーの意識が宿った非人間的な存在であることが明確に示された演唱で、思わずゾッとさせられます。「人ならざる何か」になってしまったことが感じられる宗教裁判長としてはネーリと双璧でしょう。だからこそ、藝としての円熟期に差し掛かったこのギャウロフの非常に人間味のあるフィリッポとの対決には凄みがあります。20世紀を代表する名バス2人の対決がこうして残っているのは、まさしく幸運でしょう。

・モンテローネ伯爵(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
ジュリーニ指揮/カプッチッリ、ドミンゴ、コトルバシュ、ギャウロフ、オブラスツォヴァ、シュヴァルツ共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1979年録音
>これも「モルほどの人がこんな小さな役を!」と言う代物のひとつでしょうが、ここに彼を起用した慧眼と交渉力は賞賛に値するものでしょう。あまり話題にされることはありませんが、リゴレットの侮辱に対して我を忘れて呪いの言葉を叫ぶこの人物がいなければ、そもそもこの物語は始まらないのです。そしてその呪いの叫びはリゴレットの脳裏に深く刻みつけられるような強烈さがなければなりません。モルのノーブルな歌い口はこの貴族の自尊心を示すのにふさわしいものですし、その底しれない声での罵りにはまさに地獄から響いてきているような凄みが感じられます(騎士長を想起するのは僕だけではないでしょう)。ここでも共演しているギャウロフは、彼らしい微妙な色彩を加えながらも残虐な行いを辞さない野卑な響きがあって見事なコントラスト。他に共演で傑出しているのは繊細なコトルバシュで、彼女のベストかもしれません。ただ全体として見るとジュリーニの音楽が丁寧なんだけれども勢いに欠けるもので、特に主役のカプッチッリが足止めを食ってしまっているのが惜しいです。

・宗教裁判長(С.С.プロコフィエフ『炎の天使』)
N.ヤルヴィ指揮/セクンデ、S.ローレンツ、ツェドニク、ラング、サロマー共演/イェーテボリ交響楽団、イェスタ・オーリン合唱団&イェーテボリ・プロ・ムジカ室内合唱団/1991年録音
>知っている範囲では唯一の露ものの録音です(とは言え、全体的に独っぽいメンバーで土臭さよりは純音楽的なシンフォニックさを感じさせるものではあります)。『ドン・カルロ』の宗教裁判長ほどの“邪悪さ”はないにしても、主人公を破滅させる絶対的なこの宗教権威もまたおぞましく、“善”の衣を纏っているからこそ始末におえない腐臭を感じさせる役柄だと思います。その意味でここでモルが演じていることには2つの側面から非常に強い説得力を与えているようです:1つは繰返しになりますが地の底から響いてくるような彼の深く暗い声によって抗いがたい力を感じさせること、もう1つは彼が多くの役でも見せる穏やかで格調高い歌がここでも聴けることによって“善”の衣を纏った恐怖の存在であるということです。共演ではここでも脇役ですがツェドニクが抜群。セクンデの悪声がエキセントリックなレナータに貢献している一方、ローレンツはちょっと穏当すぎるかも。
オペラなひと | コメント:2 | トラックバック:0 |

20201231_173552.jpg


Ushi (Bos taurus)

"平安と喜びがあなたにありますように"
(これはバジリオではなく、アロンソですけどね)

去年は散々な年で自分の生活が侵食される恐ろしさを知った時間でしたが、家に長いこといた分いろいろと気づきもあったし、それまでのマイナスな習慣が清算されたところあったかなと思っています。状況はどうもますます悪くなっているように見えますが、だからこそちょっと心持ちも変わって、新しいことを始めてみようとも思っているところです。

20201231_173531.jpg

去年の記事でも書いていた通りここ数年あんまり創作意欲が湧いていなかったのですが、ちょっと大きな作品を出す機会があったこともあって紙に触っているうちに、やっぱり楽しいなあという気持ちがまた生まれてきました。しかも今年の干支は昔から好きな動物のウシですから、これまで実現できていなかった蹄を表現した手の込んだものを作ろうと思った次第です。

20201231_173709.jpg

のときもそうですが副蹄は何かしら表現したいと考えつつ、イノシシとウシではメインの蹄の形がだいぶ違います。このずっしり感を出したかった。

20201231_173605.jpg

「これをやりたい」がうまくいっても別のところで引っかかってしまうのは良くある話。今回は頭の処理に悩みました。パーツはあるんだけど欲しいところに欲しい長さで伸びない!結局角に使うつもりだったパーツと耳に使うつもりだったパーツを入れ替えたらすっとまとまりました。

20201231_173514.jpg

いい感じに出来上がったんだけど、作り込めば作り込むほど美味そうな感じになってしまうのは何だんだろうw

また、このコロナで乱暴な言葉の投げ合いに疲れてしまってtwitterの個人アカウントを閉じたのですが、創作折り紙を発表するため改めて開設しました。基本的に作品発表にしぼった発信の予定。
粗製濫造にはしたくないのでたぶん低浮上になりますが、よろしければ気長におつきあいくださいませ。
@basiwolihaberi

折り紙 | コメント:0 | トラックバック:0 |
| ホーム |次のページ>>