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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

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NEZUMI (Mus musculus)

今更感がありますが、今年もよろしくお願いいたします。
年末年始日本にいなかったところから始まって忙しいこともあり、また最近twitterなどで上がっている素晴らしい作品を見るにつけ、自分程度のレベルの創作に価値を見出せない気持ちになりなんとなしにモチベーションが下がっておりまして、今年は干支も作らなくていいかなと思っていたのでした(完全に自分の努力や向上心の不足の問題です)。

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が、帰国して見ると少なからぬ年賀状が届いており、何かしら図案を作らねばならぬと考えてみると、やはり一番自分が形にしやすいのは折り紙。とはいえ今年の干支の子はあまり気乗りのしない題材でもあり、仕方なしに紙を手にしてみたところ、思いのほか悪くないものができたと言う具合です。

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無理矢理感はあるものの、前足も後ろ足も指を折り出しはしてあります。
昨今あまりいいものとはされていないようですが、個人的にぐらい折りはそんなに悪いようには思われないのでこちらでも特に顔の部分で使っています。

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実験用のマウスっぽい感じではありますが、色味としてはこれが一番締まりそうだったのでこれで行ってみました。
久々に折ってみると楽しいもので、気が向いたらまたちょっと折ろうかな。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿一夜/清純の中の情念〜

大バリトン特集もひと段落しましたので、久々に女声歌手をご紹介しましょう。
カバリエに続き西国の名花を。

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Manon

ビクトリア・デロサンヘレス
(ヴィクトリア・デ=ロス=アンヘレス)

(Victoria de los Ángeles)
1923〜2005
Soprano
Spain

広大なレパートリーを誇った20世紀を代表するソプラノ。
モーツァルトからロッシーニ、ヴェルディ、プッチーニ、果てはバイロイトでヴァーグナーを歌い、お国もののデ=ファリャやサルスエラはもちろん、様々な歌曲までも録音しているのですから驚きです。そしてこれだけいろいろなものを歌っていると、だいたいどこかしらでこれは彼女の声では重すぎるとか、逆に軽すぎて破綻を来たしているとか言ったような悪評が付いて回るものなのですが、こと彼女についてはそうしたマイナスの評価を耳にしたことがないように思います。確かにデロサンヘレスの歌を聴くと、その可愛らしいけれども身の詰まった声質と完成度の高い歌が、ジャンルを超えて魅力的な娘役や凛とした若い女性の役で重宝されたことは想像に難くありません。

とは言え実のところ恥ずかしながら私はその果てしなく広い持ち役を全然追いきれておらず、本来ならば必須であろう伯爵夫人(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)、ヴィオレッタ(G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)、エリーザベト(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』)あたりも視聴できていないという為体なのですが、それでもどうしてもここで取り上げたいと思ったのは、彼女の得意とした仏ものの話をしたいと考えたからです。ゲッダやブラン、ゴール、ルゲイ、ダン、ドゥプラ、ソワイエと言ったこの時代の第一人者たちとともにデロサンヘレスが遺した仏ものの録音は、疑いなく彼女の声の持ち味が最大限に発揮されたものですし、同時に今以てしてもそれぞれの役柄において範とすべき録音のひとつと言って差し支えないでしょう。今宵はこれらの演目から彼女に光を当てていこうと思います(もちろん今後伯爵夫人やヴィオレッタを聴くことができれば、そうした点からの追記をしていく腹づもりです)。

<ここがすごい!>
僕が初めてデロサンヘレスの歌を聴いたのは、もう20年近く前、まだオペラを聴きはじめて間もない頃に出逢ったクリュイタンス盤の『ファウスト」だったと思います。この録音は本当に何度聴いても声に恵まれた録音で、情熱に燃えるゲッダ、地響きのようなクリストフ、高貴で格調高いブランと誰を取り出しても稀有の声の持ち主なのですが、この中で唯一の女声の大役として彼女が響かせていた天使のような歌声が大変印象的だったことをよく覚えています。そして同時期に聴いた同じくクリュイタンスの指揮による『ホフマン物語』(J.オッフェンバック)。ここでのアントニアもまた実に愛らしく、可憐で、だからこそミラクルが来てからの3重唱(オッフェンバックの最高傑作!)にゾッとしたものです。最初に記憶に残ったのがこれらの演目でしたから、「デロサンヘレスと言えば清純な娘役」として僕の中に刷り込まれてしまい、カルメン(G.ビゼー『カルメン』)などは長いことどうもしっくり来ませんでした。実際、彼女の声の音色はそうした色眼鏡なしで聴いても娘役にはうってつけのものであることがわかるでしょう。若い女声の笑いを形容するのによく「ころころと」という言い回しが遣われますが、まさにあのイメージで弾力があり潤いを感じる、活き活きとした響き。内側から力が湧いて出て来るような瑞々しい声!こちらも大好きなポップもこうした生命力に溢れた声ですが、それよりも少しリッチで心地よい重みがあります。
しかし、思えばこの頃はデロサンヘレスの魅力の一部しか耳に入っていなかったのです。

この印象が改まったのは、だいぶ後になってプレートル盤の『ウェルテル』(J.E.F.マスネー)を視聴した時です。白状するとこの時も「デロサンヘレスなら美しい歌だろうけれど、シャルロットはメゾの役だしなあ」などと彼女にはあまり期待しないまま聴きはじめたのですが、全曲聴き通して自分の不見識を大いに恥じました。彼女らしい(と思っていた)清純さを感じられる前半から、徐々にウェルテルに対する想いの深みにはまっていく表現の濃密さ!狂おしい情念を感じさせるような歌唱というとメゾの専売特許のように思っていたのですが、そうした先入観を覆す真に迫った歌に胸を打たれたのです。その後改めてカルメンを聴いた衝撃!可愛らしい潤いに満ちた声が今ひとつ似合わないとしか思えなかった歌唱の中に、彼女が如何に妖艶な人物像を築き上げていたことか!デロサンヘレスほど軽い役も歌えるソプラノが歌ったカルメンは他にはないと思いますが、同時にデロサンヘレスほど妖しい魅力のあるカルメンを歌えたソプラノはいないと思います。
彼女の魅力は男性が女性に求める愛らしい清純さを表すことができるといった表面的なものなどではなく、その中に秘められている強さ/賢さ/算高さをコケットリーという戦略に包んで男性と対峙する女性の姿を表現できることにこそあるのではないかと、いまは考えています。そう思って彼女の歌ったレパートリーを眺め直すと、いずれの役も男性たちの好きにはならない、芯の強さのある女性ではないでしょうか(だからこそ、伯爵夫人、ヴィオレッタ、エリーザベトあたりを聴かなければという思いを強くもする訳です)。

前述のとおり僕は彼女のレパートリーを網羅できていないのですが、知るかぎりデロサンヘレスのそうした魅力が一番出ていると思われるのはマノン(J.E.F.マスネー『マノン』)です。若々しく、華があり、可愛らしい美徳の化身のようでありながら、享楽的で破滅に突き進むファム=ファタル!その表側の清純さと内に潜むベクトルの強さで、彼女ほど蠱惑的にマノンを歌える人が今後出てくるとは思えない、ちょっと危険な香りさえ感じさせる歌唱です。ぜひ一度、お楽しみを。

<ここは微妙かも(^^;>
僕自身にとっても時間をかけて大きく印象の変わった歌手ですが、レパートリーがあまりにも広いこともあり、その本当の良さに気づくのにはちょっと時間がかかるかもしれません。前回のセレーニ同様、じわじわとその味わいを堪能していくタイプの人だと言えるでしょう。
マルグリートを得意としたぐらいですから転がしは得意ですが、やはりそれはベル・カントのそれとは違うので、ロジーナ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)などは今の歌唱水準と単純比較してしまうと辛いところがあります。

<オススメ録音♪>
・マノン(J.E.F.マスネー『マノン』)
モントゥー指揮/ルゲイ、ダン、ボルテール、エレン共演/パリ・オペラ・コミーク管弦楽団&合唱団/1950年録音
>この演目最高の音盤だと思います。何と言ってもデロサンヘレスの自然体のマノンが最高の聴きもの!登場したときのふわふわとした歌い口は如何にも箱入りの穢れを知らぬお嬢さま、それが徐々に本性を見せていくと言いますか堕落していく様が凄まじくリアルです。しかもそれで単なる悪女や愚かな人物に成り下がるのではなく、美しく純粋で輝く女性であり続けています。マノンは純粋に享楽的であるからこそ魅力に溢れる傾城の美女であることが、力むことなく全霊で表現された演奏だということもできるでしょう。そして彼女の兄弟を演ずるダンが、また空虚な好人物を快演!彼らは純粋な悪徳により人を惹きつけてやまないという、よく似た兄妹であるということが良くわかります。ふわふわとして地に足のついていない雰囲気のルゲイと、控え目ながらこのメンバーの中で大人として喰えない空気を醸し出すボルテールの親子もこれ以上は考えづらく、エレンほか脇役も揃っている上にモントゥーの華やかな音楽も文句のつけようがありません。仏ものがお好きな方は是が非でも。

・マルグリート(C.F.グノー『ファウスト』)
クリュイタンス指揮/ゲッダ、クリストフ、ブラン、ゴール共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1958年録音
>何度も登場している不滅の名盤、直球清純派路線のマルグリートです。あまりにも有名な宝石の歌が大変華麗なので、時として全体としてはゴージャスすぎる声や歌に出くわしてしまうこの役ですが、彼女の声は一緒独特の素朴な空気をまとっていて、独国の田舎の箱入り娘という役柄に説得力を増しています(特に奇をてらったことはしていないのに、マノンとは全く別の人物を想起させる藝は脱帽ものです)。もちろんその宝石の歌も指折りの名演!他方でこの役は教会の場や終幕の3重唱などドラマティックな強さも求められる場面も多いですが、クリストフを向こうに張っても位負けしない堂々たる歌声には感服させられます。

・アントニア(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)
クリュイタンス指揮/ゲッダ、ダンジェロ、シュヴァルツコップフ、ギュゼレフ、ロンドン、ブラン、ロロー、セネシャル、ゲイ、ゲロー共演/パリ音楽院管弦楽団&ルネ・デュクロ合唱団/1964年録音
>ちょっと豪華趣味に走りすぎな面はあるものの、こちらも名盤と言っていいでしょう。彼女のように歌い分けの巧みな人にこそ4人のヒロインを通しでやってもらいたかった感もありますが、恐らく最も彼女に向いた役であろうアントニアを良い音質で聴くことができるのは嬉しいかぎりです。やはりその清純な、というより冒頭などはほとんど清浄な歌には恍惚とさせられます。共演の多いゲッダとは流石のコンビネーションで愛の重唱の盛り上がること!そして大詰めの3重唱での熱に浮かされたかのような、やや病的なほどの情熱を感じる歌には胸が締め付けらるような感動が待っています(ここでのロンドンの不気味な迫力も得難いものです)。アントニア単体として、ひょっとすると理想以上の歌唱と言ってもいいかもしれません。

・シャルロット(J.E.F.マスネー『ウェルテル』)
プレートル指揮/ゲッダ、ソワイエ、メスプレ共演/パリ管弦楽団&フランス国立放送児童合唱団/1968-1969年録音
>本作屈指の名盤です。デロサンへレスの歌唱は、「本来はメゾの役」などという御託が意味をなさなくなるような圧倒的な説得力があります。気品があり淑やかながら畏まって優等生的な印象の前半から、悩み苦しみつつも自分の感情と戦う強い女性としての後半への変化は非常にダイナミック。ゲッダとからむ3幕後半の盛り上がりは特筆すべきものでしょう。共演も鉄壁ですし、何よりプレートルのエスプリに満ちた指揮が素晴らしいです。

・カルメン(G.ビゼー『カルメン』)
ビーチャム指揮/ゲッダ、ブラン、ミショー、ドゥプラ共演/フランス国立放送管弦楽団&合唱団/1958-1959年録音
>こちらも声域がどうこうという話を忘れさせる彼女の藝が楽しめます。明るくて健康的な声とコケティッシュな表現は、マノンと同様に悪女と言った時の固定観念のようなカルメンではなく、もっと等身大の生きた人間を感じさせるものです。その意味で後に登場するベルガンサの先鞭をつけていると言うこともできるかもしれません。他方でハバネラなどでは濃厚でこってりとした声を響かせていて、この演目を聴いたという充実感にも事欠きません。共演では何と言ってもブランの極め付きのエスカミーリョ!

・ロジーナ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
セラフィン指揮/モンティ、ベキ、ルイーゼ、ロッシ=レメーニ共演/ミラノ・スカラ座劇場管弦楽団&合唱団/1952年録音
>コケティッシュで強いヒロインという観点で行くならば、この役も忘れられません。こういう元気いっぱいな歌を活き活きと歌っているのを聴くと、こちらの方が彼女の性格にあっているのかもしれないという気もしてきます。フィガロとの重唱での一枚上手な雰囲気と言ったら!彼女を含めて全体には一時代、二時代前のロッシーニ演奏という印象は否めないのですが、この作品に不可欠な浮き浮きするような楽しさに満ちた名演と思います。

・アメーリア・グリマルディ(G.F.F.ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』)
サンティーニ指揮/ゴッビ、クリストフ、カンポーラ、モナケージ共演/ローマ歌劇場管弦楽団/合唱団/1957年録音
>ヴェルディも一つだけ。兎に角アクの強いゴッビとクリストフというコンビの中にあって、清純な娘役の風情を保ちながらもしっかりとドラマティックな声で応酬するなんていうことができるのは彼女を置いて他にいないでしょう。地中海の果物のような瑞々しさにはフレーニとはまた違った魅力があります。サンティーニの指揮が全体にちょっと安全運転なのと、カンポーラやモナケージが煮え切らないのがもったいないところです。
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【お知らせ】「オペラなひと♪千夜一夜」記事紹介botを作りました!

今年は忙しくしていてすっかり忘れてしまっていたのですが、9月末で7周年を迎えました!
なかなか記事が更新できていないこともあって、以前より失速している感は否めないものの、マイペースに続けていけたらとも思っているところです。

そんなこのblogでも最も長期にわたるシリーズになっている、「オペラなひと♪千夜一夜」の記事を紹介するtwitterのbotをこの度オープンしました!どうしても昔の記事は埋もれてしまいがちになるのですが、過去にご紹介した人たちの演奏が古びたり価値がなくなるわけでは決してありませんから、これで少しでもすくい上げることができればと思っています。

アカウントは @1001OperaNights です。
ハッシュタグも #1001OperaNights ですので、よろしければフォローしてみてください。

ちなみに過去記事の目次はこちら、索引はこちらです。

引き続き、どうぞよしなに。
【目次】オペラなひと | コメント:0 | トラックバック:0 |

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿夜/渋い大人の魅力〜

毎回切番では普段の歌手紹介とは趣を変えて楽器紹介をしていたわけですが、ここのところなかなか更新もできていない中で別番組を無理に組むのもなあということで、今後は基本的には平常運行にして行こうかなと思います。
そんな訳で今回はずっとやっていた「大バリトン特集」の最終回。今回は大物の登場です。

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Carlo Gérard

マリオ・セレーニ
(Mario Sereni)
1928〜2015
Baritone
Italy

彼の歌唱を知っている人にとっては、誰が何と言おうと彼が伊ものの大物であることには何の疑問もないと思います。しかし、他方で彼が泣く子も黙る派手なスター・バリトンだと言われると、ちょっと違和感を抱くのではないでしょうか。例えば先輩のゴッビやバスティアニーニ、同世代のカプッチッリ、ミルンズ、後輩のヌッチなどと並べた時に、煌びやかな活躍、輝かしい声、外連味のある演技といったところでは、正直申し上げてちょっと地味な印象は免れ得ないかもしれません。かく言う私も、以前よくマリオ・ザナージとこんがらがっていました(声の響きがだいぶ違うので今は混同することはなくなりましたが)。けれども、当然ながら目や耳を奪うような華やかさだけがオペラに必要な訳ではありません。聴き込んでいくとじわじわとその渋さで魅了してしまうのがこのセレーニという人の凄いところ。荒々しさのある美声から繰り出される堅実で真面目な歌唱には、伊ものをレパートリーの中心に据えた人が持つ、滾るような熱気が込められています。

そういう「聴けば聴くほど」の人だからでしょう。彼の名前をネットで検索してみると色々な音盤が出てくるのにもかかわらず、決して広く親しまれているとは言い難い状況だと感じます。非常に残念ながら多くの人にとって彼は、カラスの58年の『椿姫』(G.F.F.ヴェルディ)でジェルモンをやっていた人という程度の認識に留まっているようですし、その音源での歌唱にしても正当に評価はされていないように見受けられます(そもそもバリトンの良さが全面に発揮される役でもありませんしね)。彼は同じヴェルディでももっと若々しいパワーのある色仇でこそ映えますし、意外なまでに器用にコロラトゥーラをこなしなりという技も秘めているのに、勿体無いことこの上ありません。本来ならば記憶されてしかるべき藝術家がこんな事情でスルーされている訳ですから!そして今日あまり日の目を見ていない歌手を重点的にお送りしてきた「大バリトン特集」の最後を飾るのに、この遠くて近い名優セレーニはまさしくふさわしいのではないかと思います。

<ここがすごい!>
オペラで名歌手と言われる人の条件というのは何なのでしょうか——セレーニの記事を書こうとしてそんな疑問が頭の中を巡っています。というのも今回改めて彼の録音をいろいろ聴いてみて感じるのは、繰り返しになりますがひとつには彼の声の地味さです。先述したバリトンたちの中でも特にバスティアニーニやカプッチッリが感じさせるような強烈なスターのオーラはありません。けれども同時にもうひとつ、彼の声の響きには聴くものの心を捉えて離さない力があるのも事実です。例えて言うならば舞台で長いこと活躍してきた役者さんが、何かの機会に映画やドラマに登場することになった時に発揮するただものではない存在感が近いかもしれません。こういう人の持つ渋い鈍色の輝きが恐ろしいのは、華々しく万人にわかりやすい魅力ではない分、一度その美しさに惹きこまれてしまうとその正体を追いかけて更に聴き込み、次第に虜にしてしまうところでしょう(もちろん私もそのひとり)。こう考えて行くと、セレーニは誰もをうっとりさせる響きは持ってはいないけれども、確かに名歌手の声を持っていると思うのです。

渋いと繰返し言いましたが、その渋さはいい味を出すおじちゃんといったような脇の存在に留まるようなものではなく、むしろうんとカッコいい硬派な渋さです。妙な言い方ですが、物語のヒロインは絶対なびかないだろうけれども、戀のライバルとして登場した時にこそ冴え冴えとした魅力を発揮するように思います。より具体的には、主人公のカウンターパートとして望まれる要素が備わっていると言ってもいいかもしれません。テノールが演じる主人公に与えられている不安定なまでの若さや直情径行な戀心、不幸な身の上、戦いへの天才的な才能に対して、セレーニの作り上げる仇役は、年齢による経験により培ってきた如才なさや政治的な才能、恵まれた身分、努力をしてきた秀才の持つ堅実な人物としての好ましさとマキァヴェリスト的な感じの悪さとを備えているように思われます。そう、現実世界であれば勝ち抜いていく能力とかっこよさがあることをを十分に感じさせるような役作りだからこそ、どんなにとんでもない悪役でも彼の演ずる役に私たち聴衆は惹かれてしまうのです。もちろん憎々しいですがそこになんの魅力的な要素もなければ、主人公に対抗することはできませんから。

こうした痺れるぐらいスタイリッシュな大人の渋さを持つセレーニの魅力が非常によく発揮されているのはジェラール(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)でしょう。彼の丹念に練り上げられた歌唱は、物語の中では仇になってしまうこの人物が本来は真面目で実直な人柄で、決して短絡的な悪役に堕しえない多面的な性格を有していることを明晰に描き出しています。ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』)も素晴らしいです。あらすじ的には荒唐無稽な振舞いの多いのですが、彼の歌の湛える腹に一物ありそうな雰囲気が役柄により説得力を増しているように感じます。そしてもう一つ、セレーニの持ち味が予想外に活きていると思うのはベルコーレ(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)。言ってしまえばスッカラカンな色男気取りの人物に彼のような重量級のイケメン歌唱の人を配役したことで生まれるギャップがとても愉しい!(そしてコロラトゥーラがうまい!)まさに配役の妙を楽しめると言えるものでしょう。

<ここは微妙かも(^^;>
冒頭からずっと述べていますが、ともすると地味さが強くなってしまうのがこの人の惜しいところでしょうか。これも冒頭で取り上げたカラスとの『椿姫』は巧みな歌唱だと思うのですが、そうした地味さが出てしまった感は否めないように思います。カラスの『椿姫』ではバスティアニーニのような派手な人がジェルモンを演じた音源もあるので、そうした印象が際立ってしまっているところもあるかもしれません(とはいえバスティアニーニがジェルモン向きとも思えないのですが)。

<オススメ録音♪>
・カルロ・ジェラール(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)
サンティーニ指揮/コレッリ、ステッラ、ディ=スタジオ、マラグー、モンタルソロ、モデスティ、デ=パルマ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>何故だかあまり話題になることがないように思いますが、ガヴァッツェーニ盤と東西の横綱を張ることのできる名盤中の名盤です。セレーニは、この役の理想を目指して懸命に生きる人物としてのカッコよさを巧みに引き出しており、聴くものの胸を打ちます。甘いマスクのスマートで立派すぎるキャラクターではなく、泥くさく苦悩する等身大の男ジェラールです。他方で伊ものに欲しい煮えたぎるような熱情も歌唱の隅々までほとばしっていて、コレッリやステッラとがっぷり組んでテンションの高い世界を作り上げています。開幕のアリアからスタジオ録音とは思えないぐらいかっ飛ばしていますが、やはり“国を裏切る者”の絶唱が記憶に残ります。コレッリはドラマティックなだけではなく繊細な表現もできる人なのでこの詩人にはうってつけ、ステッラも彼女らしい力演ですし、脇役でもそれぞれスペシャリストと言える人が完成度の高い歌唱を繰り広げています。

・ベルコーレ軍曹(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)
モリナーリ=プラデッリ指揮/フレーニ、ゲッダ、カペッキ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1966年録音
>こちらもあまり言及されませんが見事な演奏だと思います。「え、あのセレーニが?」とびっくりしますが、聴いてみるとなるほど堅実な仕事をしそうな立派な見てくれにもかかわらず実のところ中身のないすっとこどっこいというあらまほしき喜劇の人物になっています。これがもう少し重厚路線に行ってしまうと過度に暑苦しくなってしまったり、おっかない人が無理やり喜劇を演じているような感じがしてしまったりして収まりがつかなくなってしまうのですが、まさに絶妙なバランス。加えて意外なぐらいに器用な転がしのテクニックも注目に値するでしょう。登場のアリアは意外と軽妙な転がしが要求されますが、しっかり歌いこなしています。この辺りの喜劇的なセンスや歌唱技術は、彼の時代のバリトンたちの中では稀有なものと言ってよいでしょう。共演ではカペッキのドゥルカマーラが最高!フレーニとゲッダはいずれもやや真面目過ぎる感じはあるものの整った美しい歌唱です。

・西国王ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』)
シッパース指揮/ベルゴンツィ、L.プライス、フラジェッロ、ハマリ共演/RCAイタリア・オペラ管弦楽団&合唱団/1967年録音
>やはり彼の堂々としたややくすみのある声はヴェルディの敵役にはよくハマりますが、その中でも音質が良く比較的手に入れやすいのはこの『エルナーニ』でしょう。ロマンティックな時代劇に登場する厄介な王様を、たっぷりとした声で颯爽と演じています。シルヴァの懇願をにべもなく断るドライさや、エルナーニとの決闘も辞さない血気、玉座に座る野心といった人間的な側面を表現しながらも決して気品を失わない歌い口は実に見事なものです。かなり高い音まで求められる上にパワフルな役ですが余裕すら感じさせ、しかもそれがカルロのキャラクターの鷹揚さにも繋がっているように思います。共演はフラジェッロの勇猛なシルヴァを始め平均点は高いのですが、ここでのベルゴンツィはちょっと整いすぎな気がしていて、全体のトーンが落ち着いてしまっているのがちょっと残念です。

・アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
プレートル指揮/モッフォ、ベルゴンツィ、フラジェッロ、デュヴァル共演/RCAイタリア・オペラ管弦楽団&合唱団/1965年録音
>ベルコーレに続きベル・カントものへの彼の適性をよく示した歌唱だと思います。何と言ってもこれだけ迫力がある声に加えてコロラテューラの技術もありますから、最初のアリアもカットなしで一切ダレずに威勢良く歌い切りますし、ルチアに婚約を迫る場面の剣幕も凄まじいもの。しかもありがたいことにこの演奏はほぼノーカットなので、エドガルドとの嵐の場面も収録されています!セレーニの重厚な声と歌はこの場面で一番発揮されているように思いますし、先ほどのエルナーニではちょっと整いすぎていると言ったベルゴンツィもこちらではスタジオとは思えない気迫で応戦していますから、この部分はこの音盤の中でも白眉と言えるでしょう。モッフォの泣きの多い歌唱への好き嫌いはあるでしょうが、看過できない名盤です。

・アモナズロ(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
メータ指揮/ニルソン、コレッリ、バンブリー、ジャイオッティ、マッツォーリ、デ=パルマ共演/ローマ国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1967年録音
>この役は意外と歌う場面が少ないのでヴェルディの書いたバリトン役にもかかわらず下手をすると影が薄くなってしまうのですが、彼一流の苦み走った歌唱で強い存在感を発揮しています。武将というよりは政治家という印象の歌唱で、例えば2幕フィナーレでアイーダの父だという場面の声のトーンの使い分けなどひとまずこの場面を切り抜けて再起を図ろうというしたたかさが前に出てきているようです。対するジャイオッティの演じる冷淡なランフィスも秀逸で、メータの作る祝祭的で絢爛な音楽に駆け引き的な緊張感を加えています。コレッリのラダメスはこれがベストだと思いますし、バンブリーのアムネリスも彼女らしい奥行きのある歌唱が魅力的なんですが、ニルソンのアイーダが声の面でも歌の面でも強すぎてしまうのが惜しい。

・グスマーノ(G.F.F.ヴェルディ『アルツィーラ』)
リナルディ指揮/グリン、チェッケレ、マッツォーリ、リナウド共演/トリノRAI交響楽団 & 合唱団/1973年録音
>切れば血が出るようなライヴ盤もご紹介しましょう。本作は人気のない作品でなかなか音盤もありませんが、人さえ揃えば初期ヴェルディらしい勢いのある音楽を楽しめるということをよく示してくれる演奏です。グスマーノは『エルナーニ』のカルロ以上に整合性はないながらもこの作品を動かしていく原動力になる人物で、セレーニはその役目を十分に果たす入魂の歌唱。登場アリアでの血の気の多い歌はヴェルディのご機嫌な音楽が好きな人にはたまならないものでしょうし、終幕の赦しの場面でのやわらかで丁寧な口跡も美しいです。しかもグリンやチェッケレといった録音そのものが少ない名歌手がいずれも熱唱しているのも嬉しいところ。メジャーになることはない作品でしょうが、聴いて損のない熱演だと思います。
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Deinocheirus 2019

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デイノケイルス 2019
Deinocheirus mirificus
version 2019

デイノケイルスについては過去に何度か作ってみていて、そのあたりの変遷は過去のこの記事に貼ったリンクなどを見ていただければ。
この夏に科博で開催されている恐竜博では、ついにその全身の復元が日本で初公開されています。とはいえ色々な事情でここ数年恐竜に対するモチベーションも下がってきていたところ、ものの良さは認識しつつもあまり期待しないで今回は観に伺ったのですが、いざ実物の化石や復元全身骨格を前にしてみるとやはり感動するもので……旧作はあるけれども、どうしても改めて作ってみたくなってしまったのでした。

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いざ組まれたものを前にしてみると、過去に作ったものが如何に極端な誇張を随所に加えていたかということを痛感いたしまして(大きすぎる背鰭や前肢、鴨のようにしすぎた顔、おざなりな後肢などなど)、兎にも角にもそういった誇張を是正してなるべく自然な姿にしたいというのが今回の作成の一番強い想いでした。実のところ基本的な構造は旧作とほとんど変わっていないのですが、尖りすぎていたところや直線的すぎたところなどかなり手を入れているので、全体の印象はかなり良くなったのではないかと思います。

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当初発見されていた前肢のイメージがどうしても強かったものですから全身を最初に作った際にはつい前肢を大きくしてしまったのですが、全体のバランスから見るとそこまででもないので、当初前肢に使っていたパーツと後肢に使っていたパーツを逆にしました。かといって前肢の指を省略はしたくなかったのでなんとか折り出せるように苦心しまして、今回いちばん悩んだところかもしれません。また最初は風切羽も表現することを考えたのですが、それよりも腕の長さをしっかりと出したいという結論にいたり、最終的には省略しています。

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前肢とパーツを交換した後肢ですが、こちらは足の裏にパッドのようなものがあったということで普通の肉食恐竜を作るときとは違う表現にしたいと考えまして、ここも試行錯誤しました。最終的にできた形は結構気にいっていて、今後エドモントサウルスを作るときなどに活用できそうに思っています。

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思った以上に肢がうまくいったので、最後の最後まで苦しんだのは顔の処理。あまり残っていないパーツを使って、どれだけ大きさを担保しつつあの大きな頭を作ったものかと。こうして考えて見ると、今回はかなり生みの苦しみがあったんだなあと思います^^;

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苦労した甲斐があって最終的な出来栄えには満足しています。この夏はシーラカンスんしろこいつにしろ随分1つ1つ悩ませられましたが、お蔭で久々に楽しい創作の時間を過ごせたようです。
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