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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十九夜/謎に包まれた武勇の人〜

公私ともに繁忙期に入ってしまい、また随分更新が止まってしまいました。また少しずつ進めて行きたいところです。
「大バリトン特集」もいよいよ次回で最終とする予定。今回はとっておきの秘密の歌手をご紹介いたします。

Popovic.jpg
Prince Andrei Bolkonsky

ドゥシャン・ポポヴィッチ
(ドゥシャン・ポポヴィチ)

(Dušan Popović)
1927〜2001
Baritone
Yugoslavia (North Macedonia)

このシリーズではヴェヒターやダン、それに前回のアレクセイ・イヴァノフのように高名な大物歌手をご紹介したいという気持ちももちろんあったのですが、それ以上にあまり知られているとは言えないバリトン、ショーヨム=ナジやヒオルスキ、そしてこのポポヴィッチに光を当てたいという想いが強くて始めたところがあります。日本語はおろか英語で検索をしてもほとんど引っかかることがない上に、ドゥシャンというファーストネームもポポヴィッチという姓も旧ユーゴ諸国では珍しくないこともあって、「謎に包まれた」という言い回しがこれほど当てはまる人もいないのではないかと。決して活躍の少なかった人ではないようで、ベルリンやミュンヘン、モスクヴァ、リヨン、シカゴ、モントリオールなど世界各地で客演していたようですし、その歌声の滑らかな響きや力強く端正な歌の美しさは一度聴けばご納得いただけると思うのですが。。。

録音もまた決して多いとは言えない、というよりも本当に限られたタイミングの録音が運よくまとまって遺されたという方が近いでしょう。Deccaがベオグラードに赴いて録音したいくつかの露ものオペラの全曲音源のなかでは、ポポヴィッチは最も若い世代の歌手ではありますが、その骨太な声と重厚で整った歌い口で強い存在感を示しており、まさに真価を知ることができると言って良いでしょう。(このプロジェクトはダノンやチャンガロヴィッチ、ブガリノヴィッチと言った人たちに支えられた当時のユーゴスラヴィアのクラシックの高いレベルを伝えるとともに、いまでも決して多いとは言えない露ものの録音において優れた記録として価値があると思います)。残念ながらこれらの音源は長い間CD化されておらず、レコードですらそうそう手に入らない幻の録音となっていたのですが、幸いなことに近年Eloquenceシリーズで復刻され、日本でも大手のCD店でかなり容易に入手できるようになってきました。記事を構想しはじめた頃にはこうした状況になることは全く予想していなかったのですが、折角こうした恵まれた環境が訪れている現在、より多くの人に彼の魅力を知ってもらうことができればと強く感じています。もしこの記事を読んで彼に関心を持たれた方は、是非その録音を手にとってみてください。忘れられた藝術家が再び陽の目を見る唯一の方法は、より多くの人がその藝術に触れることにあるのですから。

<ここがすごい!>
前回のアレクセイ・イヴァノフは悪人、曲者、屈折した人物といった、作品の世界を彩る個性的な役どころでこそ真価を発揮する藝風でした。確かにバリトンにとってそういったある種の“異常人”が重要なレパートリーであることは言を俟ちませんが、テノールともバスとも異なる太く輝きのある声だからこそ求められるヒロイックな役どころも忘れることはできないでしょう。ポポヴィッチはまさにそうした英雄的な魅力が求められる役で、目覚ましい力を発揮する見事な声を持った歌手です。どっしりとした重心の低い声は深く暗い力に溢れてドラマティックでバス・バリトンと言ってもいいような気もしますが決して生硬で剛直過ぎず、むしろなめらかで雄弁なカンタービレを得意とするやわらかさも兼ね備えています。自分はよく引き締まった精悍で堅い響きの声に「筋肉質」という印象を持つのですが、彼の声からはそれとはまた別の、希国彫刻のような堂々たる肉体美を想起させられます。この辺り、そのレパートリーに伊ものが多かったというのは非常に得心のいくところでもあり、スラヴらしい剛の者感と地中海的な流麗さとが高次に共存しているということもできそうです(ただし、残念ながら伊ものの録音は見当たらないので、想像で補うしかない部分もあるのですが……)。

彼はまたその声の特質をよく活かして、歌そのもので勝負しています。堂々とした声を惜しげもなく使って紡ぎ出す、滔々と流れる河のような豊潤でスケールの大きな歌にこそ、ポポヴィッチの美質が詰まっていると言えるでしょう。「演じる」ことや「語る」ことで惹きつける歌手も多いバリトンという声区ではある意味では最も衒いのない王道を突き進んでいる訳ですが、それによって何番煎じと言うような没個性な退屈さに陥ることなく、むしろ大河ロマンの主役の魁偉な風貌を聴き手にありありと思い描かせてくれるのです。英雄譚の世界の人物が纏っているような雄々しくオーラが、声からも歌からも感じられるということもできそうです。またそこには、現代の我々からすると時に不器用に感じられることもあるような古風な生真面目さやまっすぐさも同時にあって、だからこそよりリアルなのではないかと思います。

そうしたポポヴィッチの良さがストレートに楽しめるものを挙げるのであれば、イーゴリ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)やアンドレイ公爵(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)あたりがまず思い浮かびます。不吉な兆しや周囲の説得をはねのけて出陣したりコンチャク汗の懐柔も断固として受け入れなかったりと、迷いはあれど何かと頑なに自らの信じた道を行く古武士イーゴリには、スマートに理詰めで損得を考えるような現代的な感覚はどうしてもそぐわず、神話的、昔話的な人物として造形した方がむしろリアリティを得られるように個人的には思っているのですが、そういう意味で彼の歌唱はまさに理想的です。アンドレイはイーゴリよりもうんとくだった時代の人物ですが、その仕事の面での有能さと戀愛感情の不器用さ(アナトーリはアンドレイと好対照なんですね、こう考えると)は通底しています。しかもこの役に欲しい若々しい力強さという観点でポポヴィッチは卓越しています。『戦争と平和』の録音は意外とたくさんあるのですが、フヴォロストフスキーと並ぶ最高のアンドレイです。直球ではないものとしてはシャクロヴィートゥイ(М.П.ムソルグスキー『ホヴァンシチナ』)やオネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)も忘れることはできません。どちらの役も上述していたような不器用なまでの誠実さという観点からはちょっと外れるようですが、自らの愛の対象への歌には裏表のない直裁な感情がにじみ出ます。他方でシャクロヴィートゥイであればダークヒーロー的な一筋縄ではいかない政治家を、オネーギンであれば(特に2幕までに)暖かなようでいて空虚でニヒルな若い男をしっかりと表現していて、その藝の幅の広さに唸らされます。この路線の屈折した愛情を表現できる役の録音が更に残っていれば、もっと知られていたかもしれません。

<ここは微妙かも(^^;>
視聴できる音源がほとんど一時期のものに限られる上、いずれも十八番と言えるようなものばかりですから、取り立ててここが良くないという点を挙げるのは難しいですが……敢えて言うとやはりたっぷりとした豊穣な声と歌を売りにしている人ではあるので、歌う場面が少ない中で尖った個性を出さなければいけない役だとちょっと良さが出づらい印象です。ある意味では前回のイヴァノフの対極にあるとも言えそうですね。

<オススメ録音♪>
・イーゴリ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)
ダノン指揮/ヘイバローヴァ、Ž.ツヴェイッチ、ジュネッチ、ブガリノヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>長い間幻だったこの演奏が手に入りやすくなったのは非常に嬉しいところですが、とりわけポポヴィッチのイーゴリを楽しめると言うのが大きなポイントでしょう!重厚でズシンと響く太い声ながらバリトンらしい輝きもあり、終始他を圧倒するパワーを感じさせるものです。とは言えその歌は決して力任せで乱暴なものではなく、スタイリッシュな美観を保っており、この役柄の高貴さが見事に表現されているように思います。勇壮な出征の場面や感動的な再会などのアンサンブルも素晴らしいですが、やはりここでの聴きどころは彼らしい堂々とした歌と声を楽しめるアリア。剛毅で渋い魅力を湛えた壮年の英雄というべき理想的な歌唱でしょう。共演ではヴラジーミルを演じるジュネッチのロブストで影のある声と、コンチャコヴナのブガリノヴィッチの深みのあるメゾが優れています。特にジュネッチはここでしか聴けないのがもったいなく、ゲルマン(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)やサトコ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『サトコ』)あたりをやったらかなりはまりそう。ダノンは大好きな指揮者で、序曲や韃靼人の踊りなどは胸のすくような快演なのですがオヴルールが出てくる場面やコミカルな場面がちょっとのたっとしてしまっているのが残念です。

・イェヴゲニー・オネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)
ダノン指揮/ヘイバローヴァ、B.ツヴェイッチ、スタルツ、チャンガロヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>複数回CDになっており、ポポヴィッチの音源の中でも一番手に入りやすい演奏でしょう。どちらかと言うと叙事詩的な役柄を得意としている(と言うかそう言うものが多く残っている)彼の録音の中では数少ない叙情的な演目で、彼の異なる魅力を発見できるように思います。1幕のアリアは柔らかく響く低音が心地よく、非常に立派で美しいながらも仰々しい感じが、オネーギンに見せかけだけの思慮深さや空疎さを与えているようです。2幕の決闘で聴かせる迷いや哀しみを除くとずっとどこか人を喰った人物で居続けつつ(3幕冒頭の乾いた独白!)、3幕で自らのタチヤーナへの戀心に気づいてからは一気に情熱に溢れる表情となり、漸く彼にも人間的な感情が宿ったことを感じさせる手腕は素晴らしいです。ヘイバローヴァはこの録音の時には既に声のピークを過ぎているようで、薹が立って感じられるところもなくはないのですが、表現力で納得させるタチヤーナ。特に終幕のこの2人の重唱は白眉でしょう。小さい役ながら名アリアを聴かせてくれるチャンガロヴィッチをはじめ共演も揃っていますし、ダノンの指揮も彼の録音の中でも指折りの完成度と感じます。

・アンドレイ公爵(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)
ヤンセン指揮/ヴァソヴィッチ=ボカセヴィッチ、B.ツヴェイッチ、マリンコヴィッチ、スタルツ、N.ツヴェイッチ、Ž.ツヴェイッチ、ジョルジェヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団、ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1958年録音
>米国の指揮者、ユーゴの独唱陣、ユーゴとヴィーンの混成オケ、ヴィーンの合唱団という不思議な組合せで、例のDeccaのベオグラード遠征とは全く別に録音されたと思われる謎の音源です。かなり多くのカットがあり、結果として群像劇というよりはアンドレイとナターシャに焦点が絞られています。一連の遠征録音の3年後の録音ですが、声はますます艶やかに力強くなっており(というかこの時ですら31歳ですから他の多くの録音は28歳ごろのものということ!なんという早熟ぶり!!)、このさまざまな理想に敗れて死んでいく若々しい軍人を強い説得力を持って演じています。やわらかな春の空気を伴った優しい歌を聴かせる冒頭部分もうっとりさせてくれますし、2幕頭の愛の回顧の苦々しさも聴く者の心を掴みますが、圧巻は死の床の場面でしょう。朦朧とする意識の中で様々な想い出や感情が去来するこの狂乱的な場面の持つ毒のある美しさを引き出した名演です。ナターシャへの愛、ロシアへの愛を朗々と歌ったかと思えば、無意味なピチピチという音を強迫的に無感情に呟く落差が生む異様な緊張感!ナターシャのヴァソヴィッチ=ボカセヴィッチはややおとなしめですが柔らかな響きのある声で悪くはありません。クトゥーゾフ将軍のジョルジェヴィッチがやや落ちるのが惜しいです。ヤンセンは露国の指揮者たちとは違うところを強調するなど聴きなれずに驚く場面はあるものの大河ドラマらしいスケールの大きさがあって結構好きです。序曲の爆演っぷりなどは本国顔負けかもしれません。この演奏はmp3では手に入れやすくなったものの、残念ながらCDやレコードでは手に入れづらい状態が続いています。

・シャクロヴィートゥイ(М.П.ムソルグスキー『ホヴァーンシナ』)
バラノヴィッチ指揮/N.ツヴェイッチ、チャンガロヴィッチ、マリンコヴィッチ、スタルツ、ブガリノヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1954年録音
>こちらも近年漸く手に入りやすくなった録音で、チャンガロヴィッチやブガリノヴィッチはじめ役者が揃っています。バラノヴィッチの指揮は前奏曲などハッとするほどの美しさがありますが、全体にはややだれ気味なのが惜しい。シャクロヴィートゥイ最大の聴き処であるアリアをポポヴィッチはいつもながら厚みのある立派な声で歌っていますが、朗々とではなく祈るような哀切極まる声で訥々と絞り出すように歌っているのが非常に印象的ですし、だからこそ最後の感極まったかのようなffがぐっと胸に刺さります。これに対し、代書屋やホヴァンスキーとの場面ではドライな歌い口で、この政治家の閉ざした心を表現しています。

・イェレツキー公爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)
バラノヴィッチ指揮/マリンコヴィッチ、ヘイバローヴァ、グリゴリイェヴィッチ、ブガリノヴィッチ、B.ツヴェイッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>バラノヴィッチが指揮した一連の録音のなかではこの演奏が一番良いと思います。彼が演じる公爵は終幕ではゲルマンと対決し、有名なアリアもある割には登場場面が少ないのですが、それでも丁寧な歌い口でしっかり存在感を示しているのは流石です。こちらではリーザへの深い愛情をなんら恥ずかしげもなく情感を込めて歌い上げているのが潔く、とても好感が持てる人物を作り上げています。他方対決の部分で、少ない口数でゲルマンの敗北を宣言する決然としたところもいい。共演ではマリンコヴィッチのゲルマンが最高!やや細いキャラクタリスティックな声ながら、後半は清々しいまでに堂々とした賭け狂いっぷり、とりわけ最後のアリオーソは圧巻です。

・ミズギル(Н.А.リムスキー=コルサコフ『雪娘』)
バラノヴィッチ指揮/ヤンコヴィッチ、B.ツヴェイッチ、チャンガロヴィッチ、ミラディノヴィッチ、ヘイバローヴァ、アンドラシェヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>録音そのものも少ないリムスキー=コルサコフの佳品の貴重な現役盤です。かなり多くの歌手を揃えねばならない作品ですが、ここでも当時のユーゴの層の厚さを感じることができます。ミズギルは長く連れ添って結婚を誓った戀人クパヴァが居ながら雪娘に一目惚れしてしまい、クパヴァを捨てて彼女に猛アタックをするというちょっと残念なやつなのだけれども役としては起伏に富んでいて、演じ甲斐があるところだと思います。いまいちな人が歌うと情けないだけで雪娘が最終的に靡くのに説得力がなくなってしまうのですが、そこは我らがポポヴィッチ、憂いをも感じさせる男っぷりの良い歌唱で真実味を持たせています。短いアリオーソもバラノヴィッチが遅めのテンポを取っていることもあって、彼のしんみりとした歌い口をじっくり楽しむことができます。共演も本当に少女のようなヤンコヴィッチをはじめ好きがありませんが、クパヴァを演じるヘイバローヴァの熱唱は特筆すべきものでしょう。上述のとおり必ずしも全盛ではないと思うのですが、ここではその実力が遺憾なく発揮されているように思います。

・シェルカロフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
ミラディノヴィッチ指揮/チャンガロヴィッチ、ジョルジェヴィッチ、パウリック、ボドゥロフ、カレフ、Ž.ツヴェイッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1967年録音
>実はベオグラードでの一連の録音でも同役で登場しているのですが、ここでは珍しいショスタコーヴィチ版のライヴ音源をご紹介します。これまで述べてきた録音から10年あまり過ぎ、ちょうど40歳のときのものです。若い頃よりも更に沈んだ暗い色調に変わってはいますが、その野性味と言っても良いようなパワーとやわらかな歌い口は健在です。惜しむらくはこのころの録音がもう少しあれば……というところでしょうか、この役はあまりにも小さすぎますから(せめてランゴーニをやって欲しかった)。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十八夜/曲者は朗らに歌う〜

「大バリトン特集」と銘打って、露国の歌手を取り上げない訳には参りません。まだ取り上げていない人がたくさんいますので誰にしようか非常に悩ましいところではありましたが、今回は性格派として知られるこの人に白羽の矢を立てました。

Al-Ivanov.jpg
Kiril Petrovich Troekurov

アレクセイ・イヴァノフ
(Alexey Ivanov, Алексей Петрович Иванов)
1904〜1982
Baritone
Russia

以前確かプチーリンの回でも触れたように思いますが、20世紀前半の露国にはイヴァノフというバリトンが2人います。1人は分厚くて豊かな声のアンドレイ・イヴァノフで、英雄やパワフルな役どころでその力を発揮していました。これに対して今回の主役のアレクセイ・イヴァノフは、アンドレイに比べると明るくて薄めの声質ながらその藝達者な歌い口で主役から脇役まで幅広いレパートリーをこなし、数々の録音を遺しています。例えば露ものだけを取り出して見てもムソルグスキーやチャイコフスキー、リムスキー=コルサコフといった有名作曲家の作品にとどまらず、ルピンシテインやナプラヴニク、そしてシャポーリンといったほとんどお目にかかることのないような作品の音源に登場しているのは注目すべきことでしょう。一つにはそれだけ露国で当時親しまれていた歌劇のレパートリーが、今の私たちが想像するよりもずっと多様性に富んでいたということの証左と言えますし、もう一つにはその中で如何にアレクセイが重宝されていたのかということをうかがい知ることができるからです。そしていずれの録音でもその存在感の貴重さをこれ以上なく示していると言えると思います。

一言で言ってしまえば曲者の似合う藝風で、方向性は必ずしも完全に一致しませんが、ゴッビとは近いイメージと言えるのではないでしょうか。脇役であったとしても彼が登場するとそのアクの強さは記憶に残り、演奏全体のアクセントになります。リムスキー=コルサコフの作品などは1場面にしか登場しない名もない役柄に突然名アリアが与えられていたりするので、彼のような人が起用されると歌を聴く愉しみも緊張感も増して大変嬉しいところ。もちろん大きな役でも主役、悪役、狂言回しとどんな人物でもキャラクターを立たせて、しかも毎度おなじみにならない器用さがあります。出る以上は仕事とをしたと思ってもらえるような仕事をする、と言ってもいいのかもしれません。前述の通り遺しているのは露ものがメインなのですが、そう思うと例えば伊もののイァーゴ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』)、ナブッコ(同『ナブッコ』)、マクベス(同『マクベス』)、スカルピア(G.プッチーニ『トスカ』)、それにバルナバ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)、アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)あたりを遺してくれたら面白かったのかもしれません(アリア集では遺しているものもあるようです)。

そんな訳で、今夜はソヴェト時代の大立者にご登場いただきましょう。

<ここがすごい!>
アレクセイ・ペトロヴィッチ・イヴァノフの声と歌が正統派のヒーロー役ーー物語上の正義のために鬪い、勝利や愛を手にするーーに適しているか、と問われることがあるのであれば、素直に肯んずることはできないというのが私の意見です。声の響きは張りと輝きがあってドラマティックでまさにオペラに向いた声、ではあるんですが色気ですとか甘みからは遠い印象を持ちます。パワーはあるけれどやや甲高い響き、稠密ではあるものの乾燥したヴィブラートが感じられる彼の声から感じられるのはドライで理知的、感情よりは理屈に寄った人物です。役柄によっては狡猾で酷薄な色合いすら引き出してくる、はっきり言ってしまえば悪役声なのです。それも勢いだけで悪事を働くような単純な悪役ではなく、ニヒリスティックで隙のない「知能犯」という3文字がよく似合います。ですからもちろんおぞましい敵役を演ずる時の彼の魅力は圧倒的で、ドン・ピツァロ(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)はとても終幕であっさりと退陣させれてしまうとは思えない憎々しい迫力がありますし、この方面で最高なのはトロエクロフ (E.ナプラヴニク『ドゥブロフスキー』)でしょう。意外にも纏まったアリアのない役で出番もそこまで多くはないのですが、横暴に振る舞う権勢家として強烈なインパクトがあり、もしスカルピア男爵が物語の最後まで生きながらえ恣に過ごしていたらこんな感じだったろうなと思います。アレクセイのアクの強い声に加えて押し出しの強い歌いっぷりが、権力にこだわる強欲ジジイをリアルに作り上げています。

ただし、だからと言って彼が悪役専門であったわけではないのは上述の通りで、実に多様な役柄で見事な演奏を遺しています。例えば彼の演じた重要な脇役としては、トムスキー伯爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)を挙げることができるでしょう。典型的な狂言回しと言えるこの役は、あらすじにしてしまうと説明しづらいのですが全幕に登場し、ゲルマンに秘密のカードの逸話を伝えるという物語のひとつの核を担っており、どういう歌手が演じるかによってだいぶ印象が変わってきます。レイフェルクスが歌えば世慣れた社交人となり、プチーリンが歌えばフェランド(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)のような武骨な軍人の昔話色が強くなる。では我らがイヴァノフの癖のある歌と声ではどうなるかというと、途端に腹に一物あるいかがわしい雰囲気になります。カードの歌にしても本当かなあと思わせるところがどこかにありつつ、しかし怪談の信憑性に必須な不気味な迫力は絶対失わない。これを聴くと自らの持ち味をよく引き出すことが出来ることがわかると思います。

或る意味でもっと面白いのが主役での歌唱でしょう。彼の場合主役と言っても普通の主役といいますか物語の中で素直に共感しやすいような役はあまり演じておらず、異形と言ってよいようなものが多いと思います。イーゴリ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)なども遺してはいるようですが、不器用ながら祖国に忠義を果たしたりするような歌唱が想像できず正直なところどうもピンときません(憂国の策士ならわかるのですが)。むしろ横暴で嫌悪感すら抱かせる面がある一方で、どこかしらに人間くさくて思わず共感してしまうような面が同居しているような役柄ですと、彼らしいアクや癖が昇華されて本領が発揮されるように感じます。こう述べてきたときに頭に浮かぶのは、悪魔(А.Г.ルビンシテイン『悪魔』)でしょう。大変情熱的でうっとりさせるような愛情と目的のためには残虐な行動も厭わない冷酷さとが、時にギラギラするほどパワフルに時にぎこちなくロマンティックに歌われ、この隠れた名作の醍醐味を知ることができます。

悪役然とした声と藝風を多面的に活かすことのできた名優、と思います。

<ここは微妙かも(^^;>
性格的な歌唱を味わえる名歌手ではあるのですが、ちょっと力でゴリゴリと押してくるところがあるので、くどくて好きになれないという方は一定数いるのではないかと思います。繊細で柔らかな歌唱をよしとする向きには脂っこすぎる、癖が強すぎると言われても仕方がないところはありそうです。
またバリトンとしては高めの響きの声も好き嫌いが出るかもしれません。

<オススメ録音♪>
・キリル・ペトロヴィチ・トロエクロフ (E.ナプラヴニク『ドゥブロフスキー』)
スラヴィンスキー指揮/レメシェフ、クドリャフスカ、ドゥダーレフ共演/スタニスラフスキー&ネミローヴィチ=ダンチェンコ記念国立モスクワ音楽劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
>どの役がアレクセイの藝風にあっていたかと思うと、どうしてもこれが真っ先に浮かんできます笑。欲の皮の突っ張った悪党、しかも制度上は“合法的”に私服を肥やしていくという悪辣極まりないこの老人を、アレクセイ以上に説得力を持って演じることはなかなかできないだろうなと思わせるハマりっぷり。力づくで横柄な登場場面は何度聴いてもゾクゾクさせられますし、実の娘に対しても容赦の全くない態度を示す聴かせどころの重唱も総毛立つばかりの完成度。余裕綽々で入れてくる笑い声もいかにも憎々しいですし、見得を切るとこなどでは彼らしい強力な高音を挟んできていて大変なインパクト。或る意味では一面的な役柄なのですが、それでもここまで堂に入った歌唱は、そうはできないとおもいます。どちらかというとネレップなどの方が似合いそうな役ながらレメシェフも流石に美しい喉を披露していますし、クドリャフスカもドゥダーレフも悪くないのですがちょっとオケが非力で肝心なところが揃わないのが残念。しかし、この名指揮者の秘作を楽しむことはできると思います。

・悪魔(А.Г.ルビンシテイン『悪魔』)
メリク=パシャイェフ指揮/タラハーゼ、コズロフスキー、クラソフスキー、グリボヴァ、ガブリショフ共演/ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1950年録音
>時代柄音の悪さは否めないものの、知られざる傑作を楽しめる名盤と思います。悪魔のアリアはフヴォロストフスキーのようにバリトンが遺しているものもあるものの、バスが歌っているイメージが強い中で甲高い響きの声のアレクセイが歌うとどうなんだろうと思って聴き始めるのですが、不足や違和感はありません。むしろその力強く、時に強引にすら聴こえる歌い口が、このキャラクターを超自然的な存在として引き立てるとともに、戀愛感情への不器用さを際立たせているように思います。実は最もよく歌われる3幕のアリアは意外とさらっと歌っているのですが、むしろそのあとのタマーラとのやりとりや天使との対決などは迫力満点で聴きごたえがあります。また2幕の2つのロマンツァも名唱で、ここはさながらリサイタルのようでもあります(笑)共演陣はいずれも立派で、タラハーゼは澄んだ若々しい声が好印象。名手コズロフスキーはいい歌はもらっているとはいえ出番も多くない損な役回りで登板していて贅沢な気分ですwクラソフスキーの重厚なバスも素敵で、いつもながらこういう役で力を発揮しています。

・トムスキー伯爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)
メリク=パシャイェフ指揮/ネレップ、スモレンスカヤ、ヴェルビツカヤ、リシツィアン、ボリセンコ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1949-1950年録音
>本作の歴史的名盤。この当時のボリショイの看板役者たちが揃っていると言えるでしょう。彼一流の一筋縄では行かなさそうな歌い口によってこの人物のいかがわしさが増していて、ゲルマンの“悪い友達”という風情が漂っています。上述のとおり3枚のカードの歌は怪談調の不気味さに全体が包み込まれた名唱で、計算された忍び足のppから強靭で逞しいffまでその表現の持ち駒の多彩さを惜しげも無く披露しています。他方で終幕の賭場での歌では、伯爵にはグループのリーダー格になるようなちょっとしたカリスマが備わっているように感じられる牽引力のある朗らかな歌いっぷりです。メリク=パシャイェフの指揮はこれしかない!と思わせるような絶妙な間合いですし、何と言ってもネレップのゲルマン!!後半のやけっぱちなのにどこか堂々とした歌唱はオペラファン必聴でしょう。

・コンラドチイ・フョードロヴィッチ・リレーエフ(Ю.А.シャポーリン『十二月党員たち』)
メリク=パシャイェフ指揮/ネレップ、ピロゴフ、ペトロフ、セリヴァノフ、ヴォロヴォフ、イヴァノフスキー、ポクロフスカヤ、ヴェルビツカヤ、オグニフツェフ共演/ボリショイ劇場管弦楽団&合唱団/1953年録音
>これもまた現在ほとんど聞くことのないシャポーリンの名作。やや多すぎる登場人物に話の筋が散ってしまっているような感じですとかもう少し盛り上がり切らない部分もあるのですが、それでも各役に魅力的な歌が配されていて美しい旋律に魅了されます。リレーエフはアレクセイの演ずる役の中では比較的癖のない主役と言っていい役ではないかと思いますが、他方で当時の過激派である十二月党を率いた人物の1人でもありますので、その腹の底の見えなさと言いますか理知的な賢しさが引き出されているように思います。いい意味で政治家っぽいドライな賢さが役のリアリティを生んでいるということもできるかもしれません。アリアも多いですが、計画実行を前にした愛国的な嘆きの抑えた表現が個人的には気に入っています。この音源は何度か登場していますが、今回改めて聴いて見てこれだけの人が集まったことに改めて驚嘆しました。

・シェルカロフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
メリク=パシャイェフ指揮/ペトロフ、レシェチン、イヴァノフスキー、アルヒーポヴァ、シュルピン、キプカーロ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1962年録音
>これも当時のスターキャストを集めた録音。ちょっともったいないぐらい出番が短いのですが、官僚的な役に甘さが少なく峻険で引き締まった口跡でよく似合っています。むしろ小さい役だからこそ彼のような個性の強い名手が歌うことによって作品の幅が広がるなあと思わせてくれるパフォーマンスとも言えるかも知れません。キプカーロも同じようにハイバリ系ではありますが、湿り気のある妖しい声ではっきりと個性の違いが出ています。共演ではやはりペトロフの題名役やアルヒーポヴァのマリーナがいいですが、レシェチンの演ずる渋いピーメンも忘れ難いものです。

・使者(Н.А.リムスキー=コルサコフ『皇帝サルタンとその息子栄えある逞しい息子グヴィドン・サルタノヴィッチ、美しい白鳥の王女の物語』)
ネボリシン指揮/ペトロフ、イヴァノフスキー、スモレンスカヤ、オレイニチェンコ、ヴェルビツカヤ、シュムスカヤ、レシェチン共演/ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>こちらはさらに小さい役(というかリムスキー=コルサコフはどうしてこう固有名詞がないような小さい役に突然アリアをつけるのかw)ではありますが、これまでにあげた作品とは一線を画すコミカルな音楽をイヴァノフが巧みに歌っていて興味深いです。ちょっと間延びした呑気な雰囲気をまといながらのびのびとユーモラスに歌っていて、彼にはこんな抽斗もあったのかとちょっとびっくりさせられます。普段の彼からは想像がつきませんが、こういう道化役的なものも向いていたんだなということがよくわかり、性格派の面目躍如というところでしょう。こちらも音は良くないもののおなじみの名手たちが揃っており、“熊蜂”だけではないこの作品の魅力を知ることができます。

・ドン・ピツァロ(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)
メリク=パシャイェフ指揮/ヴィシニェフスカヤ、ネレップ、シェゴリコフ、ネチパイロ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1957年録音
>こちらはかなり変わり種でカットも多い演奏ではあるのですが、コレクター的な意味での「興味深さ」を超えた演奏と思います。この悪徳典獄に与えられた苛烈な音楽と、アレクセイのきつめの歌い口の親和性はやはり非常に高く、露語の訳詩で歌われていることを忘れてしまうほどです。その口跡にメリク=パシェイェフのアップテンポの指揮も相まって、サディスティックでエキセントリックな魅惑の悪党ぶりだと言えるのではないかと。シェゴリコフがやや籠もった声で、田舎っぽい純朴さのあるロッコを演じているのとは好対照でしょう。ヴィシニェフスカヤが鋭利な声で歌うレオノーレも、ドラマティックなパワーのほとばしるネレップのフロレスタンも、いずれも露風ではありますが見事で、風変わりながら名盤でしょう。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十七夜/白銀の冬の空気をまとい〜

前回のダンがそれなりに知名度がありましたから、再びマイナーとされている歌手に光を当てたいと思います。
とはいえ彼はマイナー・ジャンルの界隈ではそれなりに有名人らしく(形容矛盾の感が否めませんがご容赦!笑)、検索で当たってみると意外と多くの方が記事にしていてびっくりしたりもします。少なくとも前々回のショーヨム=ナジに比べたら名前を見る機会は多いでしょう(もちろん、決してショーヨム=ナジが劣っている訳ではありませんが)

Hiolski.jpg
Miecznik

アンジェイ・ヒオルスキ
(Andrzej Hiolski)
1922〜2000
Baritone
Poland

波国のバリトンと言えば近年ではマリウシュ・クヴィエチェンの活躍が目立っていて、ネトレプコとMETなどで共演もしていますし、日本でも『ドン・ジョヴァンニ』(W.A.モーツァルト)を歌って人気を博しています。グローバルなクヴィエチェンの活躍とは対照的に、今回の主役アンジェイ・ヒオルスキは自国のオペラ上演を背負って立っていた人物というイメージです。彼の長いキャリアに比して多いとは言えない録音の中で、かなりの割合がお国ものの作品であることからもその印象は裏付けられるように思います。ご承知のとおり波国の歌劇の上演は国外では稀ですからそれらの録音は存在しているだけでも充分な価値がある訳ですが、いずれも資料的な価値を超えた作品の質の高さを伝えるもので、かの国にはショパン以外にもクラシックの宝と言うべき音楽が存在することを明確に示しています。驚くべきことは、これらの録音がヒオルスキにとって決して最盛期に収録されたものではなくむしろかなり歳をとってから、普通ならば声の衰えが顕著になっていたり、そうでなくとも年齢を累ねた声になっていて然るべき年代に録られているにもかかわらず、高い音域までよく伸びる若々しい声を維持している点です。若い時に残しているアリア集と比べますと流石に音色のアクや籠りは増すのですが、それでも年齢を感じるというほどではありません。白状しますとかく言う僕自身、共演の多いテノールのヴィエスワフ・オフマンやソプラノのソプラノのバルバラ・ザゴルザンカと同じぐらいの年齢だろうと思っていたのですが、今回記事にしようと調べてみて、彼らより実に15歳も年上ということに気づいてびっくりした次第です。堅実な歌いぶりから察するに、ひょっとするとご本人は節制の人だったのかもしれませんね。

そんな彼が波国の声楽作品を考える上で欠かすことのできない重要な存在になっていることは間違いないでしょう。国民楽派の祖であるモニューシュコ 、20世紀に入ってからのシマノフスキやもっと現代のペンデレツキに興味がある人ならば必ず出逢う藝術家です(尤も、僕自身はディスコグラフィー上でしかペンデレツキは知らないのですが……)。世に知られていない豊穣なジャンルを支える名歌手の魅力に、今夜は迫りたいと思います。

<ここがすごい!>
非常に主観的な印象だという自覚はあるのですが、人の声質には温度があるような気がしています。同じバリトンで言うのであれば、例えばカプッチッリは夏の海を思わせるカラッとした熱さのある声、フィッシャー=ディースカウは近代建築のような精緻な美しさのある冷たさのある声というように……これらはもちろん彼らの藝風とも密接に関わっているとは思うのですが、その声だからこその藝風という側面もあるでしょうから一概にどちらが鶏とも卵ともいうことはできないでしょう。さておきそれではヒオルスキの声はどんな温度に感じるかと言いますと、これはもう確実に冷たい声、硬質な美しさのある声です。キリリと引き締まった冬の空気をまとったかのような彼の声は、しかし決して暗い響きなのではなく、むしろ月夜の雪化粧を連想させる冴えざえとした明るさを湛えています。露国の粗野な力強さともまた一線を画していて、まさに白銀の北国のイメージにふさわしいと言えるのではないでしょうか。

その魅力を余すところなく体験できるのは、やはり波ものでしょう。個人的には彼の印象は、特にスタニスワフ・モニューシュコの作品と切っても切り離せません。この作曲家は作品はおろかその名前すらよく知られているとは言いがたい人ではありますが、民謡を取り入れたメロディアスで表情豊かな音楽は、露ものの泥臭い世界とはまた違ってユニークで愛らしいもの。ヒオルスキの北国の声はその独特な魅力を引き出すのに、まさしく好適と感じます。波語がわかるわけではないですし、かの国の音楽に詳しいわけでもないのですが、その声と音楽と言葉とが一体となっているように思われるのです。残念ながら私は『幽霊屋敷』と『ハルカ』をそれぞれ一つの音源で知っているに留まるのですが、『パーリア』も録っているようですし、『ハルカ』は2度録音していますから彼の藝術の中でもメインと言ってよいでしょう。私が聴いた2つの作品のうち、より彼の魅力を味わえるのは、出番も多いミチェニク(『幽霊屋敷』)と思います。この役は長々と訓示を垂れたかと思うとノスタルジックに歌ったり、「幽霊屋敷」の種明かしをしたりといろいろな顔を見せなければならないと思うのですが、彼の歌唱はいずれの場面でも歌として美しく、また強い説得力をも感じさせます。

他方で、その声質のみに引っ張られて限られた役に縛られるような人ではありません。遺された録音は多いとは言えませんが、それらを耳にしてわかるのは彼の歌の表現の豊かさでしょう。比較的若いときにアリアを遺しているエスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)やフィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)はいずれも派手で華々しい歌があり、硬質で冷たい音色のヒオルスキにはちょっと馴染まないように思えるのですが、いざ聴いてみると実にのびやかで活き活きとした歌唱で胸のすくような楽しさがあります。他方でランゴーニとシェルカロフの1人2役をこなしている『ボリス・ゴドゥノフ』(М.П.ムソルグスキー)では、同じ演奏の中で全く違う顔を披露しており驚かされます。ランゴーニには宗教者という以上の妖しさがありますし、シェルカロフでは峻険で打って変わってドライな印象です。この器用さはお国ものに立ち戻ると改めて強く感じられるもので、彼の個性的な“楽器”の良さとあいまって、聴くものに忘れがたい印象を与えるのに一役買っていると思います。

<ここは微妙かも(^^;>
彼の冷たい質感の声にはスラヴ的なアクと言いますか荒々しさも感じられますので、そこがお好みでないという方はいらっしゃるかもしれません。また基本的に声は衰え知らずとは言え、流石に90年代に入ると少し籠った印象は強くなります(そこまで歌っているのがむしろびっくりなんですけどね笑)。この時代の歌手をご紹介するときにはよくある話ではありますが母語歌唱のものも少なからずありますので気になる方はいるかも。

<オススメ録音♪>
・ミェチニク(S.モニューシュコ『幽霊屋敷』)
クレンツ指揮/オフマン、ムロース、ベトレイ=シエラツカ、バニエヴィッツ、ニコデム、イマルスカ、サチウク共演/波国立放送管弦楽団&合唱団/1986年録音
>本作の数少ない全曲録音のひとつ。オフマンやムローズといった、知ってる人は知っている波国の名歌手たちを集めた録音で、クレンツの華やかで緩急のメリハリのある指揮もあってオペラ好きには楽しめるものでしょう。ミェチニクは巷で「幽霊屋敷」と噂される館の主人で、ヒロインたちの父親というバリトンらしい年長者の役どころで、登場人物の多いこの演目に於いては歌う場面の多い重要なパートです。上述の通り様々な表現が求められる役だと思うのですが、2つの全く性格の異なるアリア(舞曲を思わせる華やかで堂々したものと、哀愁を感じさせるロマンチックなもの)はいずれも彼らしい豊かな声が楽しめる名唱ですし、引き締まった歌い口でアンサンブルも牽引しています。全体でパワフルで筋肉質な印象は、この喜劇の人物の裏に愛国的な軍人の姿をちらつかせているようにも思われます。是非多くの人に知られてほしい音源です。

・ヤヌシュ(S.モニューシュコ『ハルカ』)
サタノフスキ指揮/ザゴルザンカ、オフマン、オスタピウク、ラセヴィッツ共演/ヴィエルキ歌劇場管弦楽団&合唱団/1986年録音
>こちらもモニューシュコの代表作。ヤヌシュは物語冒頭からヒロインのハルカを裏切って突き放す、G.ヴェルディ『リゴレット』のマントヴァ公爵のような非道い男で、こういう役を演じるとヒオルスキの声の冷たさや荒々しさ、険しい歌いぶりは際立ちます。自分の欲望に忠実でギラリとした酷薄さのある悪役がよくハマっており、出番は決して多くはないながらもこの作品に悪の魅力を添えていると言えるでしょう。けだし、当たり役と思います。『幽霊屋敷』でも共演していたオフマンも素晴らしい歌唱(しかしモニューシュコはテノールにいいアリアを書ける人です)ですし、オスタピウクやラセヴィッツもしっかり脇を固めていますが、何と言っても題名役のザゴルザンカの可憐な歌声と悲痛な歌がたまりません。この作曲家の作品を知るためにうってつけの演奏です。

・ロジェ王(K.シマノフスキ『ロジェ王』)
ストリージャ指揮/オフマン、ザゴルザンカ、グリチニク、ムロース共演/ポーランド国立フィルハーモニー管弦楽団&合唱団、クラクフ・フィルハーモニー少年合唱団/1990年録音
>この難解な作品は恥ずかしながら自分の中で消化し切れているとはとても言えないのですが、ヒオルスキを取り上げるにあたって本作に触れないのは片手落ちの感を免れえないので。古稀を目前にしているとは思えない立派な声の力にまずは圧倒されます。妻のロクサーナを始め人びとが羊飼い(実はバッカス)に心を寄せていってしまう中で、独り頑なであるがために苦悩する国王を力演しており、彼の歌唱の集大成でしょう。とりわけ終幕のモノローグは陶酔感があって感動的です。ここでも共演しているザゴルザンカやムロースといった人たちはいずれも見事な歌唱と思いますが、特筆すべきはオフマンの圧倒的な輝かしさ!円熟を迎えていた彼の、ベストの歌唱ではないかと。

・ランゴーニ、シェルカロフ(2役)(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
セムコフ指揮/タルヴェラ、ゲッダ、ムロース、キナシュ、ハウグランド、パプロツキ、ラプティス共演/ポーランド国立放送交響楽団、クラクフ・ポーランド放送合唱団&クラクフ・フィルハーモニー少年合唱団/1976年録音
>この演目が北欧や東欧のメンバーのみで演奏されている録音はあまりないのではないかと思います。露国の人々によって固められた演奏よりも静謐で、西欧の指揮者の演奏よりも質素で、あたかも冬の朝のような清澄さのある名盤です。ここでは2役を演じているヒオルスキ、上に述べたとおりそれぞれまったく別の表情を見せていますが、個人的にどちらが好きかと問われればランゴーニです。マリーナに策略を授ける様子には、魔術師のように恐ろしく不気味な、しかし蠱惑的な力を感じます。意外と妖しい色気の欲しいバリトンの役柄というのは珍しいせいか、この役の魅力を引き出し切れていると思える演奏は少ないのですが、彼の個性にはゾクゾクするほど合致していると思います。一方のシェルカロフは無駄な色気は捨て去ったドライで辛口な歌で、感情を吐露するのにも淡々とした役人の姿をリアルに想起させるものです。タルヴェラは思いのほかリリカルな声と歌でボリスの新境地を拓いていますし、ゲッダはいくつかあるこの役での録音と較べても絶好調。ムロースの渋いが端整なピーメンほかあまり聞かないメンバーが多い共演はいずれも完成度の高い歌唱で、もっと注目されるべき名盤です。

・イェヴゲニー・オネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)
・フィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
・エスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)
ヴォディチコ指揮/ヴァルシャヴァ歌劇場管弦楽団/1963年録音
>若い頃のアリア集の録音からいくつか。むしろメジャーな役はここでしか聴くことができなかったりするので貴重でもあります。この中で最もいいのはオネーギン!彼らしい冷たい質感の声がこの役の分別を装った冷淡さと良く合っていますし、アンニュイな雰囲気も最高です。この声で決闘の場面や最終場の拒絶を受けたあたりが聴けたらどれだけ良かったでしょう!全曲がないのが本当に惜しまれます。代わってフィガロは若い時の録音とは言え、こんなに軽妙に歌えるのに驚きです。慣習的な高音を一部カットしたり早口もそこまで速くなかったり、現代の歌手と較べてご不満を述べる向きもあるでしょうが、それでもこれだけのびのびと勢い良く、自然に歌われるフィガロは評価したいです。エスカミーリョは波語の歌唱で最初ちょっとびっくりしますが、非常に快活で若々しいながらもマッチョになりすぎない絶妙なバランスが心地よいです。フィガロともども華がある場の主役の登場をはっきりと聴衆に知らしめる快演でしょう。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十六夜/華麗なる名士〜

前回は武骨でパワフルなショーヨム=ナジでしたが、今回は方向性をガラッと変えて20世紀の仏国を代表するバリトンにご登場いただきましょう!

Dens.jpg
Lescaut (Massenet)

ミシェル・ダン
(Michel Dens)
1911〜2000
Baritone
France

『カルメン』(G.ビゼー)を除いた仏ものはどうも日本では今ひとつ人気がないと言いますか重視されてこなかったところがあって、20世紀中葉を「オペラ黄金時代」と呼ぶ人たちの口からもあまり仏勢の名前を聞かないのは寂しい限りです。このコーナーではそう言った状況を打開すべく仏国特集を組んだこともあり、バリトンでは第2回でブランをご紹介したのを皮切りに、マッサールとバキエを紹介してきました。彼らは当然ながら仏ものでの活躍もめざましいものがありますが、いずれも国際的にも活躍していて、ヴェルディやヴァーグナーのような作品もドラマティックに演じてきた歌手たちです。
これに対し今夜の主役ミシェル・ダンは彼らよりもやや上の世代、かの国のオペラで力強さよりも華やかさや優雅さがより求められた時代の人と言えるのではないかと思います。もちろんブランたちの良さも華やかさや優雅さ、粋にあった訳ですが、ダンや彼の時代の録音を聴いているとそれよりも更に軽やかさが尊ばれたことを感じます。そう、それは巨大な舞台での重厚で崇高な舞台藝術ではなく、芝居小屋の娯しみと言うべき気軽さと爽やかさ!彼もまたヴェルディなどを歌っているのですが、大悲劇作品と普段思って聴いている作品が、あたかもオッフェンバックを歌うようにさっぱりとした表現されるのには少々面喰らいもしますし、人によっては明確な拒否反応を示されるのも良くわかります。ですが彼の活躍した時代の演奏の嗜好に思いを馳せ、彼の適性にあった演目での歌唱を聴けば、その華麗な魅力に気づくことができるのではないでしょうか。一説による10,000回を超える数の舞台でエスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)を演じ、クリュイタンスやモントゥー、プレートルといった名指揮者の録音に起用されたのには、やはりそれなりの理由があるなあと個人的には思うところです。
ひょっとすると、ベル・カントものの価値が見直され、仏ものにも再び光があたり、古楽の発掘が盛んになった今の時代においては、彼のような軽やかな歌手の評価は上がってくるのかもしれません。

<ここがすごい!>
ダンの魅力、大きな特長となっているのは、その華やかな存在感でしょう。音域としてはしっかりバリトンではありますが、彼の声の清々しさ軽やかさにはレジェーロなテノールを聴いた時のような爽快感があります。決して妙な力みや重ったるさのない華麗で繊細な彼の歌を耳にすると、一流のパティシエの作った目にも口にも喜びを与えてくれる洋菓子を想起します。ふんわりサクサク、気づくと溶けてなくなってしまう華々しく享楽的な娯しみ……と考えてみると絢爛たる陽気な社交界の名士然とした魅力を纏っていると言うこともできるでしょう。そこからは耳あたりがよくて一緒にいて楽しい、快活な好男子という面があると同時に、他方では俗っぽくて狡賢い外面にこだわる人物という貌も聴こえてきます。ですから彼の真価は、舞台に花を添えるようなキャッチーさと鼻持ちならなさを感じさせるような役だとか俗っぽさこそが魅力になるオペレッタで一番発揮されるものと思います。

ダンの魅力は、その非現実的というか非日常的なところにあるのかもしれません。リアリティがないということではなくて、泥臭い現実からかけ離れたような、ある種の夢の世界で生きる人物を描くのに長けていると感じます。ダンが歌う華々しい役たちは派手で愉しく賑やかな面ばかりで成り立っているの訳ではなく、水面下の白鳥の努力をそこはかとなく感じさせ、とても人間くさく、日常的な卑俗な空気をも内包しているのです。明るく愉しいのですが、明るく愉しいで終始はしないと言ってもいいでしょう。

そう思うとなるほど合点が行くのが、まずは当たり役と言われたエスカミーリョではないでしょうか。マッサールの回でも述べましたが、この役は今でこそマッチョなバスによって歌われるのがリアルで好まれるところがあるものの、もちろんそうではない解釈は可能ですし、むしろかつての仏国での演奏を紐解けばそれがあくまで最近の傾向であることも聴いて取れるはずです。彼のソフトな歌いぶりと華麗な存在感から感じられるのはまさにスターのオーラであり、喝采を受ける人気者として非常にリアルです。闘牛士というなりわいの面からではなく、真面目だけれども冴えないジョゼからカルメンを奪っていく、見目麗しくて優秀なリアリストで、同時にイラっとさせるようなキザさのある色好みの男という人物としてエスカミーリョを考えるとまさにぴったりはまっていると言えるでしょう。また華麗で優雅な声や歌が活きるという点では何と言ってもマスネーの音楽がよく似合うなあと思うのですが、とりわけレスコー(J.E.F.マスネー『マノン』)では彼以上の人が思いつきません。先述したようなキャッチーさ、鼻持ちならなさ、俗っぽさが全て求められる役ですし、すごく軽薄で小狡いけれども代えがたい、頽廃的で快楽主義な社交界を思わせる魅力があります。仏ものではないものの彼が仏語で歌っているダニロ(レハール F.『メリー・ウィドウ』)もまた秀逸です。レスコーの良い面を大きくしたらこの役になるのではないかと言う気もしてきます。彼らしい華やかさに加えて、大人の戀物語の主人公として欠かせないそこはかとない愁いがにじむ名唱は抜粋なのがもったいないぐらいで、ヴェヒターやプライにも比肩しうるものと思います。朗らかさの中にほろ苦い感傷を切々と歌い込むうまさもまた彼の大きな長所だと言えるでしょう。

<ここは微妙かも(^^;>
彼はかなり評価が分かれるだろうなと思います。そのスキップの出そうな華美な歌い口は、常日頃ヴェルディやヴァーグナーに親しんでいる方からすればあまりにも軽佻で真実味がなく、薄っぺらに感じる方もいるかもしれません。何故だかヴェルディやイーゴリ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)をアリア集で入れているのですが、このあたりは綺麗な歌だけれどもしっくりこないと言うのが正直なところです。ヴァーグナーには絶対向かないだろうなと思うと、これは実際音源もなさそうです。ひょっとするとR.シュトラウスなどではハマる役もあったのではないかと言う気もしますが、寡聞にしてそう言った音源は存じ上げません。

<オススメ録音♪>
・エスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)
クリュイタンス指揮/ミシェル、ジョバン、アンジェリシ共演/パリ・オペラ・コミーク管弦楽団&合唱団/1950年録音
>今ではこういう演奏をなかなか聴くことができないだろうな、と思う香気のある名演です。クリュイタンスの作り出す優雅な音楽もそうですが、全体に低カロリーながら呼吸をするように自然な歌い口の歌唱陣も稀有なものと思います。上述の通りダンのエスカミーリョもそうした流儀に則ったもので、筋骨隆々とした男臭い闘牛士としてよりも人気者の女たらしとしてリアリティの高いパフォーマンスです。自信たっぷりで余裕綽々のクープレを聴くだけで、生真面目でいっぱいいっぱいな人物であるジョゼには勝ち目がないことが伝わってきて、この役で一斉を風靡したことに得心がいきます。共演ではどこかに幼児性を感じさせるジョバンのジョゼも、可憐一直線のアンジェリシのミカエラも魅力がありますが、あっさりとした歌の中に自由なカルメンを創り出しているミシェルがとりわけ素晴らしいです。

・レスコー(J.E.F.マスネー『マノン』)
モントゥー指揮/デロサンヘレス、ルゲイ、ボルテール共演/パリ・オペラ・コミーク管弦楽団&合唱団/1950年録音
>超名盤です。レスコーは決して悪い奴ではない、どころではなく一般にはかなり人好きのする陽気で気のいい兄ちゃんで、ただ軽くて欲に流されやすいところがある人物だとおもっているのですが、そうしたイメージを文字通り「体現」しているように感じられます。これならマノンやデ=グリューを裏切るのも、協力するのもその日の風次第という風情だろうなあと。しかも気取った世界の気取った人物であることには間違いないのですが、そこにグロテスクなわざとらしさは感じさせず、むしろその歌唱の自然さが際立っています。デロサンヘレスのマノンがまた非常にコケティッシュで、可愛らしい魅力に欲望の赴くままに動く危険さを秘めていることがよく伝わってくる演唱なので、この2人が従兄妹であることに非常に説得力があります。ルゲイの優美なソット・ヴォーチェはまさに稀有というべきもので地に足のつかない人物を見事に表現していて、最高のデ=グリューと言えそうです。録音の少ないボルテールの上品な歌い口で脇を固めていますし、その他脇の面々のアンサンブルもとても美しく、よくぞこのメンバーにモントゥーの指揮で!と。

・ズルガ(G.ビゼー『真珠採り』)
クリュイタンス指揮/アンジェリシ、ルゲイ共演/パリ・オペラ・コミーク管弦楽団&合唱団/1954年録音
>こちらもこの作品の代表的な録音のひとつです。こういう悩みの深い役どころは彼の持ち味からは離れそうな気もするのですが、実際聴いてみると美しい愁いをまとった音楽と彼の柔らかで繊細な歌声がマッチしていてうっとりと聴き惚れてしまいます。アリアに端的にあらわれているように思いますが、例えばブランの力強さがある歌唱に対し、もっと静かに涙を流すようなしっとりとした哀しみが感じられる歌唱です。有名な2重唱はルゲイもまたリラックスした優しい歌唱でダンの声とよく溶け合って、ちょっとこの世のものではないような現実離れした美の世界を作り上げた名演。アンジェリシはやや高い音の響きがキツい気もしますが、それでもやはりこの慎ましやかな歌には捨てがたいものがあります。『カルメン』もそうでしたが仏ものを鮮やかに描き出すクリュイタンスの指揮は素晴らしいですね。

・エロド(J.E.F.マスネー『エロディアード』)
プレートル指揮/クレスパン、ゴール、ランス、マル共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1963年録音
>この作品最高の演奏なのではないかと思うのですが、残念なことに抜粋です。これは全曲録って欲しかったなあ……。上述の通り彼の華やかな声はマスネーらしい情趣に富んだ音楽に最も適性があるように思っていて、レスコーではそれが脇のキャラクターとして物語の世界を豊かにしているのですが、こちらでは戀心に苛まれる主役としてより胸に迫ってきます。2つのアリアの燃えあがるような熱情と切なさに思わず共感してしまうのは私だけではないでしょう。またサキソフォンやトライアングルの作るエキゾチックで官能的な世界に彼の藝風が非常にしっくりくるのです。共演も素晴らしいメンバーで、ふくよかな声で愛らしくも艶かしいサロメを演じるクレスパン、深い美声だけれども冷たい王妃に怖いぐらいはまっているゴール、あたたかみを感じさせつつ政治家的な喰えなさもあるマルのいずれをとっても欠けがありません。とりわけ聖ジャンのランスの歌唱は抜きん出ていて、カリスマ的な神々しさが感じられ、この役はこんなに良かったかと初めて聴いたときには唸らされました。

・フィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
グレシエール指揮/ジロドー、ベルトン、ロヴァーノ、ドゥプラ、ベッティ共演/パリ・オペラ・コミック管弦楽団&合唱団/1954-55年録音
>仏語版ですがこれは明るくて軽やかでなかなか楽しい演奏です!登場した瞬間人気者オーラを爆発させる役ですから、ダンの魅力が最大限活かされると言っても過言ではないと思います。いかにもフットワークや頭の回転が早くてお調子者の何でも屋の姿が目に浮かぶようなウキウキとした歌いぶりは、ぜひ多くの方に聴いて欲しいところです。なんというか鼻唄でも歌ってるようなお気楽さがとてもフィガロらしいんですよね(笑)ドゥプラのよさは以前記事にしましたが、他にもダンと息がぴったりとあっているジロドーは技術の問題ではなく本当に器用な表現ができる歌手で、ここでも程よく間の抜けたご機嫌なつっころばしで楽しめますし、ロヴァーノの上品な色気のあるバルトロは稀有なものです。

・ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵(レハール.F『メリー・ウィドウ』)
ポーセル指揮/ヴィヴァルダ、リンヴァル、アマーデ、ブノワ共演/パリ音楽院管弦楽団&合唱団/1960年録音
>仏語歌唱なので当たり前と言えば当たり前なのですが、ここまで舞台のパリを感じさせる録音は類例がないように思います。ここでもダンはあまりにも自然にダニロを歌っていて、ひょっとして素のこの人もこんな感じなのではないかと感じてしまうほどです(笑)要領が良くて求められていることが何なのかを察する聡明さもあって、けれども自分の戀や気持ちを扱うのにはちょっとだけ不器用な人物を作り上げていて、底抜けに陽気で愉快だけれどもちょっとセンチメンタルで胸を締め付けるような切なさのあるこの演目をより魅力的にしているように思います。共演はブノワ以外はあまり知らない人なのですが、アンサンブルも決まっていて◎です。

・ダッペルトゥット船長(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)
・シンディア(J.E.F.マスネー『ラオールの王』)
・アタナエル(J.E.F.マスネー『タイス』)
・メルキューシオ(C.F.グノー『ロメオとジュリエット』)
デルヴォー指揮/パリ・オペラ座管弦楽団/1958年録音
>最後はアリア集です。もうひとつふたつアリア集があって気にはなっているのですが未聴。こちらはどうしてこれを録音した?というものもありますが仏ものについてはいずれもダンの魅力がよく出ています。彼はオッフェンバックは似合いそうなのですが実は自分が聴けているのはこれだけ(苦笑)。しかしこのダッペルトゥットは明るく伸びやかで品のある歌の中にもミステリアスな闇が垣間見える名演だと思います。『ホフマン物語』の悪役4役を歌ったものがあれば是非聴いてみたいのですが、この役が一番似合いそうだなとも思います。続いてマスネーから2役。『ラオールの王』の演奏は殆どないのでここでのダンの歌唱は貴重です。シンディアの執拗さはあまり感じさせないものの、戀する1人の男の想いの吐露としては切々と心に刺さるものがあります。アタナエルも全曲遺して欲しかった役ですが、ここで2幕のアリアを入れてくれているのは嬉しいところ。堅物な僧侶の信条の宣言でありながら青いというか、自分の気づいていないところに生臭いものが残っていることがはっきりと顕われています。『ロメオとジュリエット』は魅力的なキャストでの抜粋がありますが未聴、そこでもメルキューシオを歌っています。マブの歌は素晴らしいのですが出番が少ないので意外と大物が歌っていない中で、ダンの若々しく引き締まった歌は際立つものではないかと。
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象の肖像

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象の肖像
A portrait of Elephant

に続き、旧作の象の頭をもとにして作ってみました。体裁やサイズはほぼ同じ。不切正方形2枚を使い、片方頭蓋骨、もう片方が下顎骨になっています。下顎骨は頭蓋骨の1/4のサイズの紙で作ったのですがちょっと小さかったかな。。。
これでいろいろな動物の頭骨をたくさん作ってみようと思ってみています。

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旧作は全体の雰囲気は兎も角、眼窩や顎の筋肉がつくあたりがかなりいい加減だったので、今回はきちんと作ろうと思っていた矢先、大哺乳類展が開催されるというので実物を見ながら写真を撮りながらイメージをまとめていくことに。今回手を入れたかった眼窩から噛む筋肉がつくあたりは意外とすんなりまとまったのですが最終的なバランスがうまく取れず、結構頭を抱えました^^;

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今回は牙の立体感をしっかりと出したいと思い、比較的長く取ってある紙を巻きながら形にするという方法を取ってみました。あまり試したことがないことだったので、ここが一番悪戦苦闘したかもしれません。左の牙で練習していけるかと思ったら、右で相当てこずりました……左右対称に同じことをするのは難しいですね(苦笑)

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アフリカゾウを念頭において作ってきたんですが……最後の仕上げで何となくアジアゾウのようになってしまったような^^;同じようなパーツを持っているのでそのバランスを最終的に修正するというのはやはり難しいなと改めて(ヒトの頭蓋骨を作ったときにも思ったのでした)。

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下顎はパーツが少ないのでかえって難しいかもしれないと思ったのですが、実物をじっくり観る機会が得られたお陰か割と苦労しませんでした。
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