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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十六夜/華麗なる名士〜

前回は武骨でパワフルなショーヨム=ナジでしたが、今回は方向性をガラッと変えて20世紀の仏国を代表するバリトンにご登場いただきましょう!

Dens.jpg
Lescaut (Massenet)

ミシェル・ダン
(Michel Dens)
1911〜2000
Baritone
France

『カルメン』(G.ビゼー)を除いた仏ものはどうも日本では今ひとつ人気がないと言いますか重視されてこなかったところがあって、20世紀中葉を「オペラ黄金時代」と呼ぶ人たちの口からもあまり仏勢の名前を聞かないのは寂しい限りです。このコーナーではそう言った状況を打開すべく仏国特集を組んだこともあり、バリトンでは第2回でブランをご紹介したのを皮切りに、マッサールとバキエを紹介してきました。彼らは当然ながら仏ものでの活躍もめざましいものがありますが、いずれも国際的にも活躍していて、ヴェルディやヴァーグナーのような作品もドラマティックに演じてきた歌手たちです。
これに対し今夜の主役ミシェル・ダンは彼らよりもやや上の世代、かの国のオペラで力強さよりも華やかさや優雅さがより求められた時代の人と言えるのではないかと思います。もちろんブランたちの良さも華やかさや優雅さ、粋にあった訳ですが、ダンや彼の時代の録音を聴いているとそれよりも更に軽やかさが尊ばれたことを感じます。そう、それは巨大な舞台での重厚で崇高な舞台藝術ではなく、芝居小屋の娯しみと言うべき気軽さと爽やかさ!彼もまたヴェルディなどを歌っているのですが、大悲劇作品と普段思って聴いている作品が、あたかもオッフェンバックを歌うようにさっぱりとした表現されるのには少々面喰らいもしますし、人によっては明確な拒否反応を示されるのも良くわかります。ですが彼の活躍した時代の演奏の嗜好に思いを馳せ、彼の適性にあった演目での歌唱を聴けば、その華麗な魅力に気づくことができるのではないでしょうか。一説による10,000回を超える数の舞台でエスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)を演じ、クリュイタンスやモントゥー、プレートルといった名指揮者の録音に起用されたのには、やはりそれなりの理由があるなあと個人的には思うところです。
ひょっとすると、ベル・カントものの価値が見直され、仏ものにも再び光があたり、古楽の発掘が盛んになった今の時代においては、彼のような軽やかな歌手の評価は上がってくるのかもしれません。

<ここがすごい!>
ダンの魅力、大きな特長となっているのは、その華やかな存在感でしょう。音域としてはしっかりバリトンではありますが、彼の声の清々しさ軽やかさにはレジェーロなテノールを聴いた時のような爽快感があります。決して妙な力みや重ったるさのない華麗で繊細な彼の歌を耳にすると、一流のパティシエの作った目にも口にも喜びを与えてくれる洋菓子を想起します。ふんわりサクサク、気づくと溶けてなくなってしまう華々しく享楽的な娯しみ……と考えてみると絢爛たる陽気な社交界の名士然とした魅力を纏っていると言うこともできるでしょう。そこからは耳あたりがよくて一緒にいて楽しい、快活な好男子という面があると同時に、他方では俗っぽくて狡賢い外面にこだわる人物という貌も聴こえてきます。ですから彼の真価は、舞台に花を添えるようなキャッチーさと鼻持ちならなさを感じさせるような役だとか俗っぽさこそが魅力になるオペレッタで一番発揮されるものと思います。

ダンの魅力は、その非現実的というか非日常的なところにあるのかもしれません。リアリティがないということではなくて、泥臭い現実からかけ離れたような、ある種の夢の世界で生きる人物を描くのに長けていると感じます。ダンが歌う華々しい役たちは派手で愉しく賑やかな面ばかりで成り立っているの訳ではなく、水面下の白鳥の努力をそこはかとなく感じさせ、とても人間くさく、日常的な卑俗な空気をも内包しているのです。明るく愉しいのですが、明るく愉しいで終始はしないと言ってもいいでしょう。

そう思うとなるほど合点が行くのが、まずは当たり役と言われたエスカミーリョではないでしょうか。マッサールの回でも述べましたが、この役は今でこそマッチョなバスによって歌われるのがリアルで好まれるところがあるものの、もちろんそうではない解釈は可能ですし、むしろかつての仏国での演奏を紐解けばそれがあくまで最近の傾向であることも聴いて取れるはずです。彼のソフトな歌いぶりと華麗な存在感から感じられるのはまさにスターのオーラであり、喝采を受ける人気者として非常にリアルです。闘牛士というなりわいの面からではなく、真面目だけれども冴えないジョゼからカルメンを奪っていく、見目麗しくて優秀なリアリストで、同時にイラっとさせるようなキザさのある色好みの男という人物としてエスカミーリョを考えるとまさにぴったりはまっていると言えるでしょう。また華麗で優雅な声や歌が活きるという点では何と言ってもマスネーの音楽がよく似合うなあと思うのですが、とりわけレスコー(J.E.F.マスネー『マノン』)では彼以上の人が思いつきません。先述したようなキャッチーさ、鼻持ちならなさ、俗っぽさが全て求められる役ですし、すごく軽薄で小狡いけれども代えがたい、頽廃的で快楽主義な社交界を思わせる魅力があります。仏ものではないものの彼が仏語で歌っているダニロ(レハール F.『メリー・ウィドウ』)もまた秀逸です。レスコーの良い面を大きくしたらこの役になるのではないかと言う気もしてきます。彼らしい華やかさに加えて、大人の戀物語の主人公として欠かせないそこはかとない愁いがにじむ名唱は抜粋なのがもったいないぐらいで、ヴェヒターやプライにも比肩しうるものと思います。朗らかさの中にほろ苦い感傷を切々と歌い込むうまさもまた彼の大きな長所だと言えるでしょう。

<ここは微妙かも(^^;>
彼はかなり評価が分かれるだろうなと思います。そのスキップの出そうな華美な歌い口は、常日頃ヴェルディやヴァーグナーに親しんでいる方からすればあまりにも軽佻で真実味がなく、薄っぺらに感じる方もいるかもしれません。何故だかヴェルディやイーゴリ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)をアリア集で入れているのですが、このあたりは綺麗な歌だけれどもしっくりこないと言うのが正直なところです。ヴァーグナーには絶対向かないだろうなと思うと、これは実際音源もなさそうです。ひょっとするとR.シュトラウスなどではハマる役もあったのではないかと言う気もしますが、寡聞にしてそう言った音源は存じ上げません。

<オススメ録音♪>
・エスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)
クリュイタンス指揮/ミシェル、ジョバン、アンジェリシ共演/パリ・オペラ・コミーク管弦楽団&合唱団/1950年録音
>今ではこういう演奏をなかなか聴くことができないだろうな、と思う香気のある名演です。クリュイタンスの作り出す優雅な音楽もそうですが、全体に低カロリーながら呼吸をするように自然な歌い口の歌唱陣も稀有なものと思います。上述の通りダンのエスカミーリョもそうした流儀に則ったもので、筋骨隆々とした男臭い闘牛士としてよりも人気者の女たらしとしてリアリティの高いパフォーマンスです。自信たっぷりで余裕綽々のクープレを聴くだけで、生真面目でいっぱいいっぱいな人物であるジョゼには勝ち目がないことが伝わってきて、この役で一斉を風靡したことに得心がいきます。共演ではどこかに幼児性を感じさせるジョバンのジョゼも、可憐一直線のアンジェリシのミカエラも魅力がありますが、あっさりとした歌の中に自由なカルメンを創り出しているミシェルがとりわけ素晴らしいです。

・レスコー(J.E.F.マスネー『マノン』)
モントゥー指揮/デロサンヘレス、ルゲイ、ボルテール共演/パリ・オペラ・コミーク管弦楽団&合唱団/1950年録音
>超名盤です。レスコーは決して悪い奴ではない、どころではなく一般にはかなり人好きのする陽気で気のいい兄ちゃんで、ただ軽くて欲に流されやすいところがある人物だとおもっているのですが、そうしたイメージを文字通り「体現」しているように感じられます。これならマノンやデ=グリューを裏切るのも、協力するのもその日の風次第という風情だろうなあと。しかも気取った世界の気取った人物であることには間違いないのですが、そこにグロテスクなわざとらしさは感じさせず、むしろその歌唱の自然さが際立っています。デロサンヘレスのマノンがまた非常にコケティッシュで、可愛らしい魅力に欲望の赴くままに動く危険さを秘めていることがよく伝わってくる演唱なので、この2人が従兄妹であることに非常に説得力があります。ルゲイの優美なソット・ヴォーチェはまさに稀有というべきもので地に足のつかない人物を見事に表現していて、最高のデ=グリューと言えそうです。録音の少ないボルテールの上品な歌い口で脇を固めていますし、その他脇の面々のアンサンブルもとても美しく、よくぞこのメンバーにモントゥーの指揮で!と。

・ズルガ(G.ビゼー『真珠採り』)
クリュイタンス指揮/アンジェリシ、ルゲイ共演/パリ・オペラ・コミーク管弦楽団&合唱団/1954年録音
>こちらもこの作品の代表的な録音のひとつです。こういう悩みの深い役どころは彼の持ち味からは離れそうな気もするのですが、実際聴いてみると美しい愁いをまとった音楽と彼の柔らかで繊細な歌声がマッチしていてうっとりと聴き惚れてしまいます。アリアに端的にあらわれているように思いますが、例えばブランの力強さがある歌唱に対し、もっと静かに涙を流すようなしっとりとした哀しみが感じられる歌唱です。有名な2重唱はルゲイもまたリラックスした優しい歌唱でダンの声とよく溶け合って、ちょっとこの世のものではないような現実離れした美の世界を作り上げた名演。アンジェリシはやや高い音の響きがキツい気もしますが、それでもやはりこの慎ましやかな歌には捨てがたいものがあります。『カルメン』もそうでしたが仏ものを鮮やかに描き出すクリュイタンスの指揮は素晴らしいですね。

・エロド(J.E.F.マスネー『エロディアード』)
プレートル指揮/クレスパン、ゴール、ランス、マル共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1963年録音
>この作品最高の演奏なのではないかと思うのですが、残念なことに抜粋です。これは全曲録って欲しかったなあ……。上述の通り彼の華やかな声はマスネーらしい情趣に富んだ音楽に最も適性があるように思っていて、レスコーではそれが脇のキャラクターとして物語の世界を豊かにしているのですが、こちらでは戀心に苛まれる主役としてより胸に迫ってきます。2つのアリアの燃えあがるような熱情と切なさに思わず共感してしまうのは私だけではないでしょう。またサキソフォンやトライアングルの作るエキゾチックで官能的な世界に彼の藝風が非常にしっくりくるのです。共演も素晴らしいメンバーで、ふくよかな声で愛らしくも艶かしいサロメを演じるクレスパン、深い美声だけれども冷たい王妃に怖いぐらいはまっているゴール、あたたかみを感じさせつつ政治家的な喰えなさもあるマルのいずれをとっても欠けがありません。とりわけ聖ジャンのランスの歌唱は抜きん出ていて、カリスマ的な神々しさが感じられ、この役はこんなに良かったかと初めて聴いたときには唸らされました。

・フィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
グレシエール指揮/ジロドー、ベルトン、ロヴァーノ、ドゥプラ、ベッティ共演/パリ・オペラ・コミック管弦楽団&合唱団/1954-55年録音
>仏語版ですがこれは明るくて軽やかでなかなか楽しい演奏です!登場した瞬間人気者オーラを爆発させる役ですから、ダンの魅力が最大限活かされると言っても過言ではないと思います。いかにもフットワークや頭の回転が早くてお調子者の何でも屋の姿が目に浮かぶようなウキウキとした歌いぶりは、ぜひ多くの方に聴いて欲しいところです。なんというか鼻唄でも歌ってるようなお気楽さがとてもフィガロらしいんですよね(笑)ドゥプラのよさは以前記事にしましたが、他にもダンと息がぴったりとあっているジロドーは技術の問題ではなく本当に器用な表現ができる歌手で、ここでも程よく間の抜けたご機嫌なつっころばしで楽しめますし、ロヴァーノの上品な色気のあるバルトロは稀有なものです。

・ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵(レハール.F『メリー・ウィドウ』)
ポーセル指揮/ヴィヴァルダ、リンヴァル、アマーデ、ブノワ共演/パリ音楽院管弦楽団&合唱団/1960年録音
>仏語歌唱なので当たり前と言えば当たり前なのですが、ここまで舞台のパリを感じさせる録音は類例がないように思います。ここでもダンはあまりにも自然にダニロを歌っていて、ひょっとして素のこの人もこんな感じなのではないかと感じてしまうほどです(笑)要領が良くて求められていることが何なのかを察する聡明さもあって、けれども自分の戀や気持ちを扱うのにはちょっとだけ不器用な人物を作り上げていて、底抜けに陽気で愉快だけれどもちょっとセンチメンタルで胸を締め付けるような切なさのあるこの演目をより魅力的にしているように思います。共演はブノワ以外はあまり知らない人なのですが、アンサンブルも決まっていて◎です。

・ダッペルトゥット船長(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)
・シンディア(J.E.F.マスネー『ラオールの王』)
・アタナエル(J.E.F.マスネー『タイス』)
・メルキューシオ(C.F.グノー『ロメオとジュリエット』)
デルヴォー指揮/パリ・オペラ座管弦楽団/1958年録音
>最後はアリア集です。もうひとつふたつアリア集があって気にはなっているのですが未聴。こちらはどうしてこれを録音した?というものもありますが仏ものについてはいずれもダンの魅力がよく出ています。彼はオッフェンバックは似合いそうなのですが実は自分が聴けているのはこれだけ(苦笑)。しかしこのダッペルトゥットは明るく伸びやかで品のある歌の中にもミステリアスな闇が垣間見える名演だと思います。『ホフマン物語』の悪役4役を歌ったものがあれば是非聴いてみたいのですが、この役が一番似合いそうだなとも思います。続いてマスネーから2役。『ラオールの王』の演奏は殆どないのでここでのダンの歌唱は貴重です。シンディアの執拗さはあまり感じさせないものの、戀する1人の男の想いの吐露としては切々と心に刺さるものがあります。アタナエルも全曲遺して欲しかった役ですが、ここで2幕のアリアを入れてくれているのは嬉しいところ。堅物な僧侶の信条の宣言でありながら青いというか、自分の気づいていないところに生臭いものが残っていることがはっきりと顕われています。『ロメオとジュリエット』は魅力的なキャストでの抜粋がありますが未聴、そこでもメルキューシオを歌っています。マブの歌は素晴らしいのですが出番が少ないので意外と大物が歌っていない中で、ダンの若々しく引き締まった歌は際立つものではないかと。
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象の肖像

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象の肖像
A portrait of Elephant

に続き、旧作の象の頭をもとにして作ってみました。体裁やサイズはほぼ同じ。不切正方形2枚を使い、片方頭蓋骨、もう片方が下顎骨になっています。下顎骨は頭蓋骨の1/4のサイズの紙で作ったのですがちょっと小さかったかな。。。
これでいろいろな動物の頭骨をたくさん作ってみようと思ってみています。

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旧作は全体の雰囲気は兎も角、眼窩や顎の筋肉がつくあたりがかなりいい加減だったので、今回はきちんと作ろうと思っていた矢先、大哺乳類展が開催されるというので実物を見ながら写真を撮りながらイメージをまとめていくことに。今回手を入れたかった眼窩から噛む筋肉がつくあたりは意外とすんなりまとまったのですが最終的なバランスがうまく取れず、結構頭を抱えました^^;

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今回は牙の立体感をしっかりと出したいと思い、比較的長く取ってある紙を巻きながら形にするという方法を取ってみました。あまり試したことがないことだったので、ここが一番悪戦苦闘したかもしれません。左の牙で練習していけるかと思ったら、右で相当てこずりました……左右対称に同じことをするのは難しいですね(苦笑)

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アフリカゾウを念頭において作ってきたんですが……最後の仕上げで何となくアジアゾウのようになってしまったような^^;同じようなパーツを持っているのでそのバランスを最終的に修正するというのはやはり難しいなと改めて(ヒトの頭蓋骨を作ったときにも思ったのでした)。

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下顎はパーツが少ないのでかえって難しいかもしれないと思ったのですが、実物をじっくり観る機会が得られたお陰か割と苦労しませんでした。
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猪の肖像

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猪の肖像
A portrait of Boar

お正月にイノシシの頭蓋骨を作ったところですが、後日博物館で実物を改めて見て特に頭の後ろの方を直さなければと思っていました。
また下顎を作った点は非常に評判が良かったので、折角ならもう少し紙にこだわって色々作ってみようという気になって紙の温度さんで気に入った紙をまとめて仕入れてもいました。

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骨の艶かしい美しさを表すのにはやはり白がいいし、少し光沢があった方がいいと考えていたところ、素敵な柄のホイル紙があったので背景をこの紙に決定。背景に負けない光沢感のある紙を選びました。結果的にやや硬い紙ではあったのですが、しっかりした紙なのできっちり形が決まるのと、ボンドの付きも良かったので仕上げもしやすく、非常に良かったです。
ネットでもう少し買いためておこうかなとも思っています。

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ただその魅力ある光沢のお陰で写真に撮ると細部が飛んでしまって困った困った^^;
もう少し明るくしてシャープに撮りたいんだけど白飛びしちゃうんですよね。。。
この写真もボケてますが、直したかった正面からの見え方を修正できたのは伝わるかなと。

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前回は頭蓋骨と下顎を同じ大きさの紙で作ったのですが、よりリアルなバランスにするために試作を重ねました。
結果として辺の長さにして5cm程度大きい紙で下顎を作っています。

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また噛む筋肉のつく下顎の重量感をあげたかったのもなんとか修正できたかなと思っています。
これでもまだ結構寸詰まりなんですけどね。。。

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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十五夜/吟声魁偉~

このblogではもちろん有名歌手を自分の観点で語りたいという面もあるにはあるのですが、どちらかと言うと日本語では本でもネットでもあまり言及のない名手や秘密のお気に入り歌手の良さをアピールしたい!と言う思いでやっているところがあります。なので今実施している大バリトン特集でも半分は比較的名前が挙がる人、もう半分はなかなかまとまった情報のない人を扱いたいと考えています。
前回はちょっと予定外だったのですが大御所をご紹介したところですから、今回はちょっとコアなところをついて行きたいと思います!

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Gara Miklós

ショーヨム=ナジ・シャーンドール
(Sólyom-Nagy Sándor)
1941〜
Baritone
Hungary

オペラと言えばまずは伊独、ついで仏が来て露が来てと言うのは現在のメジャー度合いから行けば頷けるところでしょう(もちろん作品ごとに見ていけば『カルメン』のようなおばけもあるわけですが)。しかし当然ながらそれ以外の国にもオペラはあって、例えばスメタナやドヴォルジャーク、ヤナーチェックを生んだ捷国、ブリテンやヴォーン=ウィリアムズ、サリヴァンのいる英国は小さいながらも1ジャンル、準オペラ先進国と言ってもいいでしょう。
洪国もまたそうした準オペラ先進国のひとつであり、それぞれ1作ずつながら『青髭公の城』と言う渋い名作を書いたバルトークと朗らかな喜劇『ハーリ・ヤーノシュ』の作者コダーイがいますし、国際的な知名度は落ちるものの充実した内容のオペラを作曲しているエルケルもいますし、銀の時代のオペレッタの名手レハールもまたかの国の出身です。クラシック・レーベルでは独特の存在感を放つHUNGAROTONがあり、お国ものはもちろんのこと、ヴェルディやR.シュトラウスの初期作品、ボーイト、レスピーギ、サリエリ、パイジェッロ、ハイドンなど意欲的な録音を数々遺しています。これらの録音ではシャーシュやマルトン、セーケイのような洪国を代表する歌手だけではなく、カプッチッリやネステレンコ、スコット、イェルザレムにガルデッリといった国外の一流の音楽家も加わっており、非常に面白いところ。

今夜の主役ショーヨム=ナジは、そのHUNGAROTONで大変活躍したバリトンです。野性味に溢れた歌い口は力強く、独特のエキゾティックな魅力があります。これが洪ものの雰囲気にピタリと決まっていて、よくぞ彼の歌でこの役を遺してくれました!と思うものが少なからず。詳しくは追ってご紹介しますが、実はこの国のオペラには主役につけ悪役につけ性格的なバリトンが欲しい演目が多いものですから、彼のようにエッジの効いた個性がある人が出てくると演奏自体がグッと締まるのです。必ずしも有名でない作品を満喫できるのは、何と言っても彼の力によるところが大きいでしょう。HUNGAROTONは本当に良い歌手を得たものだと思います。

一方で本音をいうともっと国際的に活躍をして、メジャーどころの録音もして欲しかった実力の持ち主でしょう。荒みとパワーのある声はヴェルディの諸作品、マクベスやナブッコ、エツィオ(『アッティラ』)、アモナズロ(『アイーダ』)あたりは如何にも似合いそうですが、アリア集も出しているヴァーグナーの方にどちらかと言うと軸足を置いていたようです。国際的な活躍がもう少し欲しかったとは言いましたがこの時代のバイロイトにも招聘されており、シュタイン指揮ヴァイクル主演の『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(R.ヴァーグナー)の映像ではヘルマン・オルテルを演じています(プライも出ていて気になっていますが未視聴)。

今宵は日本ではあまり光の当たらない洪もののオペラの雄に注目し、このジャンルの魅力についても語って行きたいと思います。
(ちなみに洪国は日本や中国などと同様「姓・名」の順に名前を書くため、本blogでもその表記に倣います。また、HUNGAROTONのCDについている日本語の解説書では1934年生まれとして紹介されることが多いのですが、洪語版のWikipediaでも1941年生まれとなっているのでひとまずこちらを採用しています)。

<ここがすごい!>
ショーヨム=ナジのことを考えるとまず思い浮かぶのが、そのユニークな音色の声です。「美声」といって間違いないと思いますが、雪の日の太陽のようなちょっとくすみがかかった輝きのある響き。こう言うとスラヴっぽい声なのでは?と思われるかもしれませんが、重量感はあるものの深い響きというのともまた違いますしあまり似た声の人が思い浮かびません。どちらかというと若々しい戀仇よりも、苦悩する王や壮年の英雄を思わせる渋さと迫力のある声です。低い方もよく鳴るのですが安定感のある高音の煌びやかさはまた一入。歌い口もまたそうした声質にまた良くあったエネルギッシュなもので、荒事のように豪快な押し出しの強さや智に働いた強かな雄弁さでグイグイと聴かせていきます。こういった藝風ですから、その声を流麗に聴かせる役ではなく、個性が際立っている役柄でこそ真価を発揮する人でしょう。

上述もしましたが、偶然か必然か彼が少なからぬ録音を遺している洪国お国ものの作品では性格的で魅力的な音楽がつけられたバリトンの役が数多く存在します。何と言っても有名なのは愛すべきホラ吹き親父ハーリ・ヤーノシュ (コダーイ Z.『ハーリ・ヤーノシュ 』)でしょう。おじさんの都合の良い昔語りのようでありつつ或る種の英雄譚でもあるこのお話の主人公には、ユーモラスな雰囲気はもちろん、爽快な剛毅さもロマンスを歌う哀愁も必要であり歌手の力量が試される訳ですが、ショーヨム=ナジの活き活きとした歌唱はそういった複雑な人物を実に魅力的に描き出します。かの国の国民楽派の祖と言われるエルケルの作品も忘れられません。『フニャディ・ラースロー』のガラ提督は娘の幸せよりも自らの権力欲を高らかに歌う悪辣な役柄で、ここでは彼の歌唱は輝かしい憎々しさを伴っており、魅惑的ですらあります。他方『バーンク・バーン 』では横暴な王妃とその弟への反乱を主人公にけしかけるペトゥール・バーンを演じ、味方ではあるものの腹に一物ある政治家を感じさせる演唱で、1幕でいなくなってしまうのがもったいないぐらい。思うに彼のパフォーマンスは非常に賢い人物を感じさせるのですが、それがwiseに近いような思慮深い知的さというよりも、もっと世俗的で権謀術策や肚芸を得意とするcleverさに近いのです。こうした彼の持ち味は作中の人物に、或る意味での親近感を与え、リアリティをもたらしているように思います。

こういった彼の特長を総合していくと、声のタイプこそ違いますが強いて言えばカプッチッリに似た印象が浮かび上がって来ます。輝かしく強靭な声を生み出す喉、渋みがあり重厚で個性的な存在感、多彩で複雑な役柄に説得力にを与える言葉のうまさ……こういったことを分析的に述べることは容易ですが、より端的に申し上げれば、「かっこいいおじさんが似合う」の一言に集約できるかもしれません(笑)

<ここは微妙かも(^^;>
お国ものに限らず独ものでも伊ものでも、彼の豪快さは子音やアクセントを立てて歌うところから来ている部分が多いように思うので、滑らかで美しい旋律を楽しみたいという方にとってはちょっとゴリゴリと押しすぎというか、力み過ぎに感じられるかもしれません。でももしこれがなくなってしまったら彼の歌の良さはだいぶ減じてしまうので、諸刃の剣とも言えそうです。
例によって例のごとく原語で歌っていないものも多いので、その点もご注意を。

<オススメ録音♪>
・ガラ・ミクローシュ(エルケル F.『フニャディ・ラースロー』)
コヴァーチ指揮/モルナール、シャシュ、カルマール、グリャーシュ、ガーティ、グレゴル共演/洪国立歌劇場管弦楽団&合唱団、洪軍男声合唱団/1985年録音
>エルケルという作曲者すら知らなかった自分にとって開眼の1枚で、今でも多くの人に聴いてほしい超名盤だと思っています。ショーヨム=ナジの豪快且つ算高さを感じさせる歌唱は、この悪役のギラギラするような権勢への執着を明らかにし、これまでも多くの人物を追い落として来たであろう老獪さをも引き出しています。彼の歌い口は決してこそこそしたものではなく、堂々として自身たっぷりなので、全曲中の白眉であるアリア(これはガラの権力讃歌であり、イァーゴのような信条告白ですね)は強烈で印象的です。ドラマの後半、王を籠絡して主人公を結婚式から断頭台へと送り込んでいく様は悪魔的ですらあります。彼の長所が最もよくでた録音と言えるかもしれません。コヴァーチの指揮はドラマティックで、メジャーとは言えないこの作品を十分に楽しむことができます。共演は高音が厳しいカルマールを除いて全体に優れていますが、出色はフニャディの母親を演じる名花シャシュでしょう。「カラスの再来」などと言われなければ、彼女はもっと活躍したのではないかと思うと、残念でもあります。

・ぺトゥール・バーン(エルケル F.『バーンク・バーン』)
パル指揮/キッシュ、ロシュト、コヴァーチ、マルトン、グリャーシュ、ミレル共演/洪国千年紀管弦楽団、洪国立合唱団&ホンヴェード男声合唱団/2001 年録音
>こちらもまたエルケルの代表作。彼の演じるペトゥールは、ガラ提督が味方になったらこんな感じかもしれないと思わせるような一筋縄でいかない雰囲気を纏っていて、バーンクを陰謀に誘うところなど大変スリリングな空気を作り上げています。また開幕すぐの酒の歌は野性味溢れていて実にパワフルで、けだしご機嫌な歌唱。エルケルは基本的には伊ものの音楽の作りをベースにしながらこうした部分洪国らしい土臭くてもの悲しい旋律を絶妙に融合しているのですが、いい意味で癖のあるショーヨム=ナジの声と歌にはぴったりだなあと何度聴いても思うところです。結構歳をとってからの録音ですが、活き活きしたパフォーマンスには年齢は感じません。彼をはじめ往年の名歌手たちが脇を支え、主役の2人キッシュとロシュトは若い世代ということになりますが、彼らが大変素晴らしい歌唱。キッシュは思ったよりもうんと力強い声と歌で悲劇の英雄を作り上げていますし、ロシュトの軽やかな美声はこの薄幸のヒロインにぴったりで、狂乱の場は圧巻。

・ハーリ・ヤーノシュ(コダーイ Z.『ハーリ・ヤーノシュ』)
フェレンチク指揮/タカーチ、シュドリク、ポーカ、メーセイ、グレゴル、バルチョー共演/洪国立歌劇場管弦楽団&合唱団、洪放送児童合唱団/1979〜81年録音
>洪国歌劇の傑作の超名盤です。芝居の部分はカットして歌だけですが、組曲でしか本作をご存じない方には是非聴いてほしいと思います。ハーリは上記の役に較べるともっと屈託のない法螺吹きおじさんではありますが、そのホラ話の中での大活躍やロマンスを魅力的にできるのは歌手の力量。もちろんここでの彼の歌唱は十分水準を越えた、という以上の見事なものです。上記2作品のアリアとも似ている血湧き肉躍る募兵の歌ももちろん楽しいですが、タカーチとの重唱や赤い林檎の歌など民謡っぽいところがやはり抜群にうまくて、聴けば聴くほど味わいが出てくるようです。

・ソロモン王(ゴルトマルク K.『シバの女王』)
フィッシャー指揮/タカーチ、イェルザレム、グレゴル、キンチェシュ、ミレル、カルマール、ポルガール共演/洪国立歌劇場管弦楽団&合唱団、ジュネス・ミュージカル合唱団、洪軍男声合唱団/1980年録音
>こちらもまた忘れられてしまった名作の優れた録音で、当時の洪国を代表する歌手陣に加えてヴァーグナーで有名なジークフリート・イェルザレムが登場しています。この作品はここまで紹介してきた作品に較べるとうんとロマンティックな色彩が強いもので、ヴァーグナーでも活躍していたショーヨム=ナジの藝の幅の広さを感じることができます。荒々しい豪放さは影をひそめ、優秀な実務家・政治家としての側面がより伝わってくると言いますか。2つのアリアはいずれも預言者のような崇高さがありますし、イェルザレムやタカーチとの重唱での丁々発止のやりとりも聴きごたえがあります。が、とりわけ大きなアンサンブルでの貫禄、押し出しの強さは格別ですね。フィッシャーの豪奢な音楽も素敵ですし、こちらも共演がまた素晴らしい!特にここでは怪しい雰囲気を漂わせながら小回りも効くタカーチの女王が魅力的だと思います。

・ドン・バジリオ(G.パイジェッロ『セビリャの理髪師』)
フィッシャー指揮/ラキ、グリャーシュ、ガーティ、グレゴル共演/洪国立管弦楽団&洪放送合唱団/1985年録音
>ロッシーニではなくパイジェッロの方での本作は録音が少ないため、代表盤と言っていいかと思います。このバジリオはバスということになっていますからクラバッシやペトリと言った人たちも残していますが、キャラクターの個性の強さという意味ではここでの彼の起用は大成功と言えるかと。作品が作品なので荒々しさは控えめなのですが何より勢が圧倒的で、突風のように駆け抜けていくアリアは痛快そのもの。またバジリオがひょっこり現れて大混乱になるアンサンブルでもまさに台風の目というべき活躍ぶりで、性格派バリトンの面目躍如といったところでしょう。更に他の作品でも共演しているグレゴルのバルトロが抱腹絶倒の歌唱を繰り広げていて、比較的おとなしい主役たちに対してキャラの立った悪役たちが目立つ構図になっています。フィッシャーの指揮もキビキビしていて個人的にはベスト。

・ファラオ(G.ロッシーニ『モゼ』)
ガルデッリ指揮/グレゴル、カルマール、ナジ、ハマリ共演/洪国立管弦楽団&洪放送合唱団/1981年録音
>HUNGAROTONは本当に見識があるなあと思うのが、ロッシーニでも『セビリャの理髪師』とか『チェネレントラ』みたいな人気作ではなくてこういうのを録音してるんですよね、持てる最高の人たちを集めて。当時のディレクターには頭が下がります。本作の版の問題は極めて複雑なので詳細は別の本やサイトに譲りますが、この演奏で使われている版ではファラオは大規模アンサンブル以外にあまり歌のパートはなくて比較的地味なんですけれども、レチタティーヴォでの言葉捌きから尊大な王の風情がよく出ています。息子のテノールの方が目立つ役でもありより大物の歌手がやることもあるのですが、やはり少ない出番であっても十分な存在感を引き出せる彼のような人がやった方が全体が締まりますね^^喜劇での活躍で記憶に残るグレゴルはこうした大真面目な役も立派に果たせることをよく示した名演、ハマリも意外なレパートリーを堅実にこなしています。他方、ナジとカルマールはいまのロッシーニの歌唱を知ってしまうとちょっと辛いところがあります。

・総督バジリオ(O.レスピーギ『炎』)2019.2.28追記
ガルデッリ指揮/トコディ、ケレン、タカーチ、コヴァーチ共演/洪国立管弦楽団&洪放送合唱団/1986年録音
>レスピーギの歌劇というのはあまり聞きませんが実は9作もあって、本作はその最後のもの。プッチーニやヴェリズモ作品などと前後した作品で重厚な管弦楽を楽しめますが印象は全く異なっていて、ロマンチックな甘いメロディや現代ドラマのような生々しさとは別の世界の作品なので、オペラ好きからの受けは悪そうですが辛口で起伏の富んだ名作だと思います。総督は歌う場面は長くないもののあらすじの上では重要で、魔女の企みで妻と結ばれたものの今は妻を愛してる(しかし裏切られて死ぬ)というバリトンらしい役どころ。基本的に無骨な音楽が当てられており、彼の藝風によくあっています。妻シルヴァーナへの歌の途中で一瞬、ほんの少しだけロマンティックになる瞬間があって、そこが老総督の不器用な愛情を感じさせて、レスピーギとショーヨム=ナジ双方の手腕の確かさを思わざるを得ません。主役のトコディの熱唱、ガルデッリの立派な音楽もあって、この珍しい作品の秀演と思います。

・イァーゴ(G.ヴェルディ『オテロ』)
・アルフィオ(P.マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』)
詳細不明
>アリアでの名唱を集めたもの(恐らく放送音源)から2つ、いずれも洪語歌唱です。本当は彼はヴェルディならシモン(『シモン・ボッカネグラ』)が一番ハマるんじゃないかなと思っているのですが、このイァーゴの歌唱も黒々とした悪の魅力が存分に発揮されていて、他に得難いもの。つくづく語りがうまいなあというのを再認識させられます。対してアルフィオではこれまで繰返し述べてきた、彼のスピード感に満ちた豪放磊落な持ち味が凝縮されています。この役はおとなしく丁寧に淡々と歌ったのでは面白くないので、いい意味で歌い飛ばしてくれるのが本当に爽快です!いずれもアリアのみならず全曲であれば……という妄想が膨らむ快演(笑)
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十四夜/主神の品格~

これまで私の趣味嗜好の問題でどうしても独もののバス・バリトンと呼ばれる人たちを扱うことができずにきていたこともあり、このシリーズで扱おうと思っていた歌手がいましたが、急遽予定変更することにしました。
というのも今回は独墺系のヴェヒターからスタートしましたし、もう少し時間を置いて勉強してからその人を取り上げようと思っていたのですが、大変残念なことにまたしても訃報が入り、そしてまた亡くなった彼こそこのジャンルの巨人というべき人であったので特集しないわけにはいかないなと。

そんな訳で最高のヴォータンに登場していただきます。

Adam.jpg
Wotan

テオ・アダム
(Theo Adam)
1926〜2019
Bass Baritone
Germany

独ものを多く聴くことができてはいないものの、最高のバス・バリトン歌手だと思います。
ドレスデンの出身。勝手なイメージですが独ものというとオペラに限らずクラシック音楽全般で、彼が活躍していた東独の演奏の印象が強いです。音色は清澄で引き締まっていて、生真面目な硬さがありつつ筋肉質な身軽さがある……そしてそういった印象をそのまま歌にすると彼の歌唱にたどり着くように思います。オペラであってもあたかも歌曲を聞いているような、丁寧で濃密な歌唱からは、真摯でストイックな姿勢が伝わってくるようです。

幸いなことに録音が多く、彼が如何にさまざまなレパートリーでその本領を発揮していたのかが良くわかります。もちろん得意としていた独ものでの格調高い歌はいずれも名唱ですし、他方でヴェルディや露ものを扱ったアリア集も光ります。時代柄ほぼ全て独語歌唱ですが、優れた歌手が歌えば原語ではなくてもその音楽の真価を引き出すことができるということを証明してくれるでしょう。
正直なところ、彼のヴァーグナーやR.シュトラウスをあまり聴けていないにもかかわらずこの特集を組むのはいささか気がひけるところもあるのですが、そこはこのシリーズの常、追記で補っていきたいと思います(苦笑)。

<ここがすごい!>
前段のところで既に「格調高い」という語を遣ってしまいましたが、アダムの歌唱を形容するに当たってこれほど適切な言葉はないのではないかと思います。オペラの世界には芝居っ気や外連味で“見せる歌手”がたくさんいて、私自身この特集でそういった人を多く取り上げている通りそういった人たちにも魅力を感じる訳ですが、それでも彼の音楽に対して誠実な歌いぶりはまさに“聴かせる歌手”としてその稀有な才能を記憶されるべきものです。先程来の書きぶりですと「要は楽譜通りに歌っているのでは?」と思われるかもしれませんが、そうではありません。むしろ楽譜なり科白なりを丹念に読み込んだ上で深い洞察を行い、歌唱に魂を込めているといると言いますか、その中に世界を創り上げている感じがします。アリア集を聴いていても歌曲集を聴いているかのような印象を持つのはそういった彼の藝風によるところが大きいのででしょう。同じようなタイプでいけばFDやバルトリをここでは上げて来ましたが、FDはもっと学者的、バルトリはもっと“見せる歌手”といった中で、アダムには武道家のような印象を持ちます。或いは仁王像のような引き締まった姿と厳しい顔つきを連想することもあります。精悍さと、自らが信じる伝統を担っているというような誇り高さが、彼の歌からは表出しているように思うのです。時としてがなるような崩しが入る時もあるのですが、それが全く不自然ではなくむしろ歌唱の魅力となっているのは、歌の中でそれが違和感のある浮いた表現になってしまっているのではなくあくまでも彼の藝の地平の先に繋がった、言わば“離”の世界として存在するからではないでしょうか。

バス・バリトンとしてご紹介していますから当然ながらかなり低い音域までカヴァーはしている(オックス男爵(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)歌えるぐらいですからね笑)のですが、声質としてはバスと聞いて想像するような深さや暗さを感じさせるというよりは、むしろバリトンらしい明るさや輝きのある響きです。むしろ普通のバリトンでも例えば前回扱ったヘルレアなどの方がうんと重く黒々とした、いわゆるバスっぽい響きに聴こえるでしょう。独ものの低音ではかの国の森を思わせるような漆黒の声が求められる役が多いように思いますが、ではそういった役柄をアダムが歌うとどうかというと、これがびっくりするほど素晴らしい!とりわけ悪役では湧き上がり、煮えたぎり、噴きこぼれるような苦々しい悪の魅力を楽しむことができます。僕がアダムに初めて注目したのがドン・ピツァロ(L.ヴァン=ベートーヴェン『フィデリオ』)だったこともあり、この役のイメージが強いです。他のファンの方々には、なんでまた彼が演じるには単純な悪役をとお叱りを受けそうな気もしますが、作品そのものの問題もあって今ひとつピンと来ていなかったこの役が鮮やかな実在感を伴って立ち現れてきたのが、ベーム盤での彼の歌唱で、いまでもこの役のベストはアダムだなあと思うのです。

そして僕がアダムの素晴らしさを改めて認識することになったのが、ヴォータン(R.ヴァーグナー『ニーベルングの指環』)です。こちらもベームの指揮によるバイロイトでのライヴは、アダムの魅力が凝縮された最高の記録と言って良いでしょう。いかにも彼らしい格調の高さはそのままに、実演らしい白熱した力強い歌い口で豪快な覇気を感じさせ、神の品格と気性の荒々しさを表出した、蓋し絶唱。あまり聴き込めていない作品でこういうことを書くのも難ではあるのですが、個人的にはこれ以上のヴォータンは考えられません。

<ここは微妙かも(^^;>
上述のとおり基本的には明るい音色のエネルギッシュな声なので、いわゆる独国のバスらしい声(例えばフリックやグラインドル、モルのような。バス・バリトンで言えばホッターやベリー)を期待する向きには満足感が得られづらいかもしれません。ネット上では声が軽い、ブレスが浅いと言ったご意見の方もいるようですが、私見では音色の趣味の問題が大きいように思います。
もう一つ、彼の大きなプラスと思う歌曲を思わせる丁寧で丹念な歌い口も、オペラはもっと勢いと新鮮さのものだ!という向きからは好まれなさそうです。あまりにも真面目すぎる、という指摘があるのも、賛否は別にしてわからなくもないところです。

<オススメ録音♪>
・ヴォータン(R.ヴァーグナー『ニーベルングの指環』)
ベーム指揮/ヴィントガッセン、ニルソン、キング、リザネク、グラインドル、ナイトリンガー、ヴォールファールト、ブルマイスター、ニーンシュテット、ドヴォルジャコヴァー、ステュアート、ベーメ、タルヴェラ、ソウクポヴァー、シリア共演/バイロイト祝祭劇場管弦楽団&合唱団/1966-67年録音
>不滅の名盤。ヴァーグナーが苦手な僕がこの超大作の素晴らしさを知ることができたのは、小さな役まで万全の人を得たこの録音によるところが大きく、特にここでのアダムの“吼えるヴォータン”に魅了されました。「歌曲のよう」と感じさせる彼の歌唱の中では最もオペラティックなものかもしれません。自分が聴いたことのあるこの役の中では最も明るい音色ではないかと思うのですが、それをプラスにして若々しくて精悍で感情の起伏に富んだキャラクターを作り上げています。4夜のうち1夜を取り上げるのであればやはり活躍の多い『ヴァルキューレ』で、どんな小さなフレーズ1つを取ってもヴォータンそのものがそこに降り立ったような荘厳さに圧倒されます。名高い告別の場面はかなり長いこともあって、正直なところ聴いていて飽きてしまうことも少なくないのですが、愛と哀しみに満ちた堂々たる歌で聴き手を惹き混んでしまいます。これにはもちろんベームの集中力の高い指揮の力も大きいでしょう。共演では神々しいニルソン、アルベリヒでは右に出るもののいないナイトリンガー、最後の夜の悪役としての邪悪な風格に不足のないグラインドルの3人がやはり素晴らしい。ヴィントガッセンはジークフリートは熱唱ながらどこか足りないものがあるような気がしていて(それもかなり高次元の話ですが)、むしろローゲでの想像以上に器用な歌いぶりが見事と思います。

・ドン・ピツァロ(L.ヴァン=ベートーヴェン『フィデリオ』)
ベーム指揮/ジョーンズ、キング、クラス、マティス、シュライアー、タルヴェラ共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ドレスデン国立歌劇場合唱団/1969年録音
(L.ヴァン=ベートーヴェン『レオノーレ』)
ブロムシュテット指揮/E.モーザー、キャシリー、リッダーブッシュ、ドナート、ビュヒナー、ポルスター共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ライプツィヒ放送合唱団/1976年録音
>『フィデリオ』はオペラとしては必ずしも評価の高い演目ではないと思うのですが、各役に与えられた音楽が(歌いやすさなどは別にして)非常にかっこよくて好きな演目で、一時期いろいろ聴きくらべていました。その中での個人的なベストがベームのスタジオ録音で、ベームの堅牢で密な音楽とソリストたちの役柄に適した名唱ともども他の追随を許さない名盤だと思っています。ピツァロという役にはそもそもかなり悪人然とした険しい音楽がつけられていますが、アダムの歌唱はその力を最大限にひきだしてるように感じます。筋肉質でスピード感があり、エネルギッシュな華がある彼の歌は、まさにダークヒーローそのもの。終幕でのあっさりした退場がちょっともったいなくなってしまうぐらい。そして非常にありがたいのは彼が『レオノーレ』の方の全曲盤にも参加してくれていることです。ベーム盤から7年越しの歌唱ではありますが、声の衰えを全く感じさせず、純粋にピツァロにつけられている音楽を比較することができます。もちろんこちらもまたギラギラした悪役ぶりがお見事。モーザーはじめ共演陣の質も高く、資料的に面白い以上に質の高い音楽を楽しむことができる名盤です。

・ペーター(E.フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』)
スウィットナー指揮/シュプリンガー、ホフ、シュレーダー、シュライアー、クライマー共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ドレスデン聖十字架合唱団/1969年録音
>これほどメルヒェンの世界を表した音楽と演奏はないのではないかと思います!子供たちの可愛らしい世界の中に、魔女の棲む森の不気味さと飢えや貧しさという現実の苦難とをこれほど高次で融合した当時の東独の人々には畏敬の念を覚えます。ここでは唯一の男性低音のアダムは、この作品をどっしりと支える要役として抜群の存在感です。子どもたち(=女性歌手)の場面の印象が多い作品ですが、魔女の恐ろしい伝承を物語り、最後の祈りをリードするなど実は重要な出番が多いペーターを真摯に演じていてとても好感が持てます。となると酔っ払いの歌は面白みが少ないのかなと思われるかもしれませんが、ここでは彼らしいたっぷりした明るい美声が活きていて高い完成度。スウィットナーの渋い音楽はやはりこの作品にはしっくりきますし、子どもを演じても違和感のないシュプリンガーとホフもいいし、シュレーダーもこの作品の現実的な深刻さを感じさせる名演。そしてシュライアーの強烈な魔女!あの端正なリリック・テナーがここまでやるか!という怪演です。歌が上手いのがタチが悪い(褒めてますw)。

・アドルフォ(F.シューベルト『アルフォンソとエストレッラ』)
スウィットナー指揮/シュライアー、マティス、フィッシャー=ディースカウ、プライ共演/シュターツカペレ・ベルリン&ベルリン放送合唱団/1978年録音
>こちらも当時の東独の雄が結集した感のある超名盤です。この指揮者、このメンバーであまり有名とは言えないオペラがこうして遺されたことは、我々オペラ・ファンにとっても、シューベルトのファンの方々にとっても喜ばしいことですし、おそらくこれから先これ以上の録音が出ることはないかもしれません。この作品の持つ歌曲的な旋律の美しさと独語の響きの小気味良さが遺憾無く発揮されています。アダムはここでも悪役ですが、そのスタイリッシュな歌い口のうまさが引き立っているという意味では彼の録音の中でも屈指のものでしょう。一番の見せ場はアリアなのでしょうが、整然と美しい合唱のアンサンブルは掛け値なしでかっこいい!歌曲的な優美さとオペラ的な盛り上がりとを楽しむことができる、一口で二度美味しい名演です。

・弁者(W.A,モーツァルト『魔笛』)
サヴァリッシュ指揮/シュライアー、ローテンベルガー、ベリー、E.モーザー、モル、ミリャコヴィッチ、ブロックマイヤー共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1972年録音
>ヴンダーリッヒがタミーノではなくてもプライがパパゲーノではなくても、『魔笛』最高の名盤はこの演奏でしょう!彼がザラストロを演じている音源もありそれもまた彼の風格ある歌いぶりが際立つ名唱なのですが、高尚な内容を滔々と歌うよりも曖昧な謎かけでタミーノの考えを揺るがす弁者の方が、アダムの知的な個性に合っているように思います。シュライアーがまた行動の先に立つ若々しさのある歌で、好対照。旋律的ではない、語りと歌の合間のような晦渋な音楽を楽しめるのは彼らの美声と力量の賜物でしょう。全てのキャストが役柄にはまっていますが、特に怒りを歌に昇華した切れ味の鋭いモーザー、重厚な美声と整った歌い口が徳の高さに繋がっているモルはそれぞれ最高の夜の女王とザラストロとして記憶されるべきものでしょう。

・カスパール(C.M.フォン=ヴェーバー『魔弾の射手』)
C.クライバー指揮/シュライアー、ヤノヴィッツ、マティス、ヴァイクル、フォーゲル、クラス共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ライプツィヒ放送合唱団/1973年録音
>実は恥ずかしながらあまり得意ではない作品だったのですが、今回改めて聴き直してこの悪魔に魂を売った狩人の荒々しい歌は彼の個性にぴったりだなあとしみじみ感じた次第です。闇を思わせるようなドスこそありませんが、キビキビしたフットワークの軽い歌いまわしとドライな声色には尋常ならざる魔力、目が据わっているような毒気が漂っています。酒の歌はクライバーの煽るテンポにもバッチリ乗っていてスリリングですし、続くアリアでの迫力ある歌はまさに圧巻で、この録音の一番の聴き処でしょう(それだけに後半の幕でカスパールの歌での出番が少ないのが残念ではあるのですが……狼谷の場は科白でここでは別の人があてていますし)。息子クライバーがこの作品というのはちょっと意外な印象ですが彼らしいホットな指揮はやはり魅力的ですし、情熱的なシュライアーをはじめ共演陣も楽しめます。

・フィリッポ2世(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
コンヴィチュニー指揮/リッツマン、ドヴォルジャコヴァー、ミュラー=ビュトウ、R.イェドリチカ、フレイ共演/ベルリン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
>比較的最近になって登場した音源ですが隠し球的な名演で、初めて聴いた時にかなり驚くとともに感動しました。独語ということもあってアダムの歌はヴェルディらしいというよりはやはり歌曲を思わせるものですが、全く別のアプローチから光を当てることでこの役の新たな魅力に気づかせてくれるようです。“独り寂しく眠ろう”はこの部分だけ単体で取り出してもフィリッポという役柄の持つ世界がしっかりと打ち出された精緻で知性的な歌唱で脱帽させられます。またフレイの演じる恐ろしくて破壊力のある宗教裁判長との重唱は、2人の音色と持ち味の違いが実にリアルで演劇的な面白さがあります。正直なところドヴォルジャコヴァーを『指環』で少し聴いたことがあることを除くと全く知らないメンバーなのですが、それぞれの個性が役に合致しており素晴らしく、聴き慣れた本作を新たな耳で楽しむことができます。

・オックス男爵(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)
・ペナイオス(R.シュトラウス『ダフネ』)
スウィットナー指揮/シュレーター共演/シュターツカペレ・ドレスデン/1969年録音
>残念ながらこの記事の投稿時点では彼のシュトラウスは聴きとおせていないのですが、この『R.シュトラウス名場面集』が比較的手に入りやすいのは嬉しいところです。図々しくて品がない、コミカルな役であるオックスと生真面目なアダムの藝風はいかにも反りが合わなさそうな感じがしますが、彼の明るい声はこうした役にもマッチしていますし、非常に柔軟で器用な歌い口には舌を巻きます。明るい声なので意外ではありますがあの最低音もきっちり鳴っていて、彼の声域の広さの証左と言えるでしょう。若さが必ずしもプラスに働く役ではありませんが、パワーがあってまだまだ枯れてないという自負があるのにも納得感があります。『ダフネ』はシュトラウスの作品の中でとりわけ目立った存在ではないと思いますが、ここでの彼の雄大な歌唱は合唱を伴ってスケールの大きな風景を想起させるもので、一聴に値します。この役も作中唯一低音を受け持つパートですから、もし実演であれば頼り甲斐がある低音を聴かせてくれるに違いないだろうなと想像できます。どちらも全曲を聴いてみたいと思わせるのに十分な歌唱です。

・ケツァール(B.スメタナ『売られた花嫁』)
・メフィストフェレス(C.F.グノー『ファウスト』)
スウィットナー指揮/シュライアー共演/シュターツカペレ・ドレスデン/1973年録音
>ここまでの音盤紹介でも繰り返し登場しているシュライアーとは重唱集を遺しています。このアルバムは全て独語歌唱ではありますがかなり多彩なプログラムで、彼らがあまり歌わなかっただろうものも楽しめる点で貴重なものですが、ここでは2つご紹介しましょう。まず独語での録音も多い『売られた花嫁』のケツァールは、速いテンポでの口数が多い部分では小回りの効いた口跡が気分良く、中間部では恰幅のいい伸びやかな歌で美声にうっとりさせられます。メフィストは全曲遺していないのが全く惜しいぐらいで、ピツァロやカスパールで聴かせたような魔術的な魅力がここでも存分に出てきています。そしていずれもシュライアーの若々しい活力の漲る声と歌と相性が抜群。彼らは録音史に残る名コンビと言ってよいでしょう。

・ボリス・ゴドゥノフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
・イーゴリ・スヴャトスラヴィチ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)
・イァーゴ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』)
マズア指揮/シュターツカペレ・ベルリン/1968年録音
>最後はちょっとだけイロモノで、露ものとヴェルディを集めたアリア集からです。いずれもそもそも独語の歌であったかのように違和感がありません。まずボリスは彼の良さが一番活きそうな独白が収録されていますが、これはちょっとびっくりするぐらいの名唱です。ボリスの焦燥と後悔をちりばめながら、こんなにも神々しく荘厳に、そして端正な表現ができるのかと聴くたびに頭が下がります。彼はヴォータンにしろフィリッポにしろ権力者の胸の内の表現に秀でていると言えるのかもしれませんね。続くイーゴリ公はそもそもバリトン向けに書かれた役ながらバスが歌うことが多いこともあって、或意味バス・バリトン向きなのかもしれません。高音から低音までよく響くアダムの美声に思わず聞き惚れてしまいます。囚われたイーゴリの苦渋の表情が思い浮かぶようです。そしてイァーゴのゾクゾクするような悪への讃歌もまた稀代の名演!どうしてこうも悪を魅力的に描けるものかと嘆息させるもので、下手に伊語で歌われたものよりもよっぽど優れた歌唱でしょう。これらも全曲が欲しくなりますが、できれば敢えて独語で聴きたいですね^^
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