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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿夜/渋い大人の魅力〜

毎回切番では普段の歌手紹介とは趣を変えて楽器紹介をしていたわけですが、ここのところなかなか更新もできていない中で別番組を無理に組むのもなあということで、今後は基本的には平常運行にして行こうかなと思います^^;
そんな訳で今回はずっとやっていた「大バリトン特集」の最終回。今回は大物の登場です。

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Carlo Gérard

マリオ・セレーニ
(Mario Sereni)
1928〜2015
Baritone
Italy

彼の歌唱を知っている人にとって、誰が何と言おうと伊ものの大物であることには何の疑問もないと思います。しかし。では他方で彼が泣く子も黙る派手なスター・バリトンだと言われると、ちょっと違和感を抱くのではないでしょうか。例えば先輩のゴッビやバスティアニーニ、同世代のカプッチッリ、ミルンズ、後輩のヌッチなどと並べた時に、煌びやかな活躍、輝かしい声、外連味のある演技といったところでは、正直申し上げてちょっと地味な印象は免れ得ないかもしれません。かく言う私も、以前よくマリオ・ザナージとこんがらがっていました(声の響きがだいぶ違うので今は混同することはなくなりましたが^^;)しかし当然ながら目や耳を奪うような華やかさだけがオペラに必要な訳ではありません。聴き込んでいくとじわじわとその渋さで魅了してしまうのがこのセレーニという人の凄いところ。荒々しさのある美声から繰り出される堅実で真面目な歌唱には、伊ものをレパートリーの中心に据えた人が持つ、滾るような熱気が込められています。

そういう「聴けば聴くほど」の人だからでしょう。彼の名前をネットで検索してみると色々な音盤が出てくるのにもかかわらず、決して親しまれているとは言い難い状況です。非常に残念ながら多くの人にとって彼は、カラスの58年の『椿姫』(G.F.F.ヴェルディ)でジェルモンをやっていた人という程度の認識に留まっているようですし、その音源での歌唱にしても正当に評価はされていないように見受けられます(そもそもバリトンの良さが全面に発揮される役でもありませんしね)。同じヴェルディでももっと若々しいパワーのある色仇でこそ彼は映えますし、意外なまでに器用にコロラトゥーラをこなしなりという技も秘めているのに、です。本来ならば記憶されてしかるべき藝術家がこんな事情でスルーされている訳ですから、これは非常にもったいない話!そして今日あまり日の目を見ていない歌手を中心にお送りしてきた「大バリトン特集」の最後を飾るのに、この遠くて近い名優セレーニはまさしくふさわしいのではないかと思います^^

<ここがすごい!>
オペラで名歌手と言われる人の条件というのは何なのでしょうか——セレーニの記事を書こうとしてそんな疑問が頭の中を巡っています。というのも今回改めて彼の録音をいろいろ聴いてみて感じるのは、繰り返しになりますがひとつには彼の声の地味さです。先述したバリトンたちの中でも特にバスティアニーニやカプッチッリが感じさせるような強烈なスターのオーラはありません。けれども同時にもうひとつ、彼の声の響きには聴くものの心を捉えて離さない力があるのも事実です。例えて言うならば舞台で長いこと活躍してきた役者さんが、何かの機会に映画やドラマに登場することになった時に発揮するただものではない存在感が近いかもしれません。こういう人の持つ渋い鈍色の輝きが恐ろしいのは、華々しく万人にわかりやすい魅力ではない分、一度その美しさに惹きこまれてしまうとその正体を追いかけて更に聴き込み、次第に虜にしてしまうところでしょう(もちろん私もそのひとり)。こう考えて行くと、セレーニは誰もをうっとりさせる響きは持ってはいないけれども、確かに名歌手の声を持っていると思うのです。

渋いと繰返し言いましたが、その渋さはいい味を出すおじちゃんといったような脇の存在に留まるようなものではなく、むしろうんとカッコいい硬派な渋さです。妙な言い方ですが、物語のヒロインは絶対なびかないだろうけれども、戀のライバルとして登場した時にこそ冴え冴えとした魅力を発揮するように思います。より具体的には、主人公のカウンターパートとして望まれる要素が備わっていると言ってもいいかもしれません。テノールが演じる主人公に与えられている不安定なまでの若さや直情径行な戀心、不幸な身の上、戦いへの天才的な才能に対して、セレーニの作り上げる仇役は、年齢による経験により培ってきた如才なさや政治的な才能、恵まれた身分、努力をしてきた秀才の持つ堅実な人物としての好ましさとマキァヴェリスト的な感じの悪さとを備えているように思われます。そう、現実世界であれば勝ち抜いていく能力とかっこよさがあることをを十分に感じさせるような役作りだからこそ、どんなにとんでもない悪役でも彼の演ずる役に私たち聴衆は惹かれてしまうのです。もちろん憎々しいですがそこになんの魅力的な要素もなければ、主人公に対抗することはできませんから。

こうした痺れるぐらいスタイリッシュな大人の渋さを持つセレーニの魅力が非常によく発揮されているのはジェラール(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)でしょう。彼の丹念に練り上げられた歌唱は、物語の中では仇になってしまうこの人物が本来は真面目で実直な人柄で、決して短絡的な悪役に堕しえない多面的な性格を有していることを明晰に描き出しています。ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』)も素晴らしいです。あらすじ的には荒唐無稽な振舞いの多いのですが、彼の歌の湛える腹に一物ありそうな雰囲気が役柄により説得力を増しているように感じます。そしてもう一つ、セレーニの持ち味が予想外に活きていると思うのはベルコーレ(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)。言ってしまえばスッカラカンな色男気取りの人物に彼のような重量級のイケメン歌唱の人を配役したことで生まれるギャップがとても愉しい!(そしてコロラトゥーラがうまい!)まさに配役の妙を楽しめると言えるものでしょう。

<ここは微妙かも(^^;>
冒頭からずっと述べていますが、ともすると地味さが強くなってしまうのがこの人の惜しいところでしょうか。これも冒頭で取り上げたカラスとの『椿姫』は巧みな歌唱だと思うのですが、そうした地味さが出てしまった感は否めないように思います。カラスの『椿姫』ではバスティアニーニのような派手な人がジェルモンを演じた音源もあるので、そうした印象が際立ってしまっているところもあるかもしれません(とはいえバスティアニーニがジェルモン向きとも思えないのですが)。

<オススメ録音♪>
・カルロ・ジェラール(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)
サンティーニ指揮/コレッリ、ステッラ、ディ=スタジオ、マラグー、モンタルソロ、モデスティ、デ=パルマ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>何故だかあまり話題になることがないように思いますが、ガヴァッツェーニ盤と東西の横綱を張ることのできる名盤中の名盤です。セレーニは、この役の理想を目指して懸命に生きる人物としてのカッコよさを巧みに引き出しており、聴くものの胸を打ちます。甘いマスクのスマートで立派すぎるキャラクターではなく、泥くさく苦悩する等身大の男ジェラールです。他方で伊ものに欲しい煮えたぎるような熱情も歌唱の隅々までほとばしっていて、コレッリやステッラとがっぷり組んでテンションの高い世界を作り上げています。開幕のアリアからスタジオ録音とは思えないぐらいかっ飛ばしていますが、やはり“国を裏切る者”の絶唱が記憶に残ります。コレッリはドラマティックなだけではなく繊細な表現もできる人なのでこの詩人にはうってつけ、ステッラも彼女らしい力演ですし、脇役でもそれぞれスペシャリストと言える人が完成度の高い歌唱を繰り広げています。

・ベルコーレ軍曹(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)
モリナーリ=プラデッリ指揮/フレーニ、ゲッダ、カペッキ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1966年録音
>こちらもあまり言及されませんが見事な演奏だと思います。「え、あのセレーニが?」とびっくりしますが、聴いてみるとなるほど堅実な仕事をしそうな立派な見てくれにもかかわらず実のところ中身のないすっとこどっこいというあらまほしき喜劇の人物になっています。これがもう少し重厚路線に行ってしまうと過度に暑苦しくなってしまったり、おっかない人が無理やり喜劇を演じているような感じがしてしまったりして収まりがつかなくなってしまうのですが、まさに絶妙なバランス。加えて意外なぐらいに器用な転がしのテクニックも注目に値するでしょう。登場のアリアは意外と軽妙な転がしが要求されますが、しっかり歌いこなしています。この辺りの喜劇的なセンスや歌唱技術は、彼の時代のバリトンたちの中では稀有なものと言ってよいでしょう。共演ではカペッキのドゥルカマーラが最高!フレーニとゲッダはいずれもやや真面目過ぎる感じはあるものの整った美しい歌唱です。

・西国王ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』)
シッパース指揮/ベルゴンツィ、L.プライス、フラジェッロ、ハマリ共演/RCAイタリア・オペラ管弦楽団&合唱団/1967年録音
>やはり彼の堂々としたややくすみのある声はヴェルディの敵役にはよくハマりますが、その中でも音質が良く比較的手に入れやすいのはこの『エルナーニ』でしょう。ロマンティックな時代劇に登場する厄介な王様を、たっぷりとした声で颯爽と演じています。シルヴァの懇願をにべもなく断るドライさや、エルナーニとの決闘も辞さない血気、玉座に座る野心といった人間的な側面を表現しながらも決して気品を失わない歌い口は実に見事なものです。かなり高い音まで求められる上にパワフルな役ですが余裕すら感じさせ、しかもそれがカルロのキャラクターの鷹揚さにも繋がっているように思います。共演はフラジェッロの勇猛なシルヴァを始め平均点は高いのですが、ここでのベルゴンツィはちょっと整いすぎな気がしていて、全体のトーンが落ち着いてしまっているのがちょっと残念です。

・アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
プレートル指揮/モッフォ、ベルゴンツィ、フラジェッロ、デュヴァル共演/RCAイタリア・オペラ管弦楽団&合唱団/1965年録音
>ベルコーレに続きベル・カントものへの彼の適性をよく示した歌唱だと思います。何と言ってもこれだけ迫力がある声に加えてコロラテューラの技術もありますから、最初のアリアもカットなしで一切ダレずに威勢良く歌い切りますし、ルチアに婚約を迫る場面の剣幕も凄まじいもの。しかもありがたいことにこの演奏はほぼノーカットなので、エドガルドとの嵐の場面も収録されています!セレーニの重厚な声と歌はこの場面で一番発揮されているように思いますし、先ほどのエルナーニではちょっと整いすぎていると言ったベルゴンツィもこちらではスタジオとは思えない気迫で応戦していますから、この部分はこの音盤の中でも白眉と言えるでしょう。モッフォの泣きの多い歌唱への好き嫌いはあるでしょうが、看過できない名盤です。

・アモナズロ(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
メータ指揮/ニルソン、コレッリ、バンブリー、ジャイオッティ、マッツォーリ、デ=パルマ共演/ローマ国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1967年録音
>この役は意外と歌う場面が少ないのでヴェルディの書いたバリトン役にもかかわらず下手をすると影が薄くなってしまうのですが、彼一流の苦み走った歌唱で強い存在感を発揮しています。武将というよりは政治家という印象の歌唱で、例えば2幕フィナーレでアイーダの父だという場面の声のトーンの使い分けなどひとまずこの場面を切り抜けて再起を図ろうというしたたかさが前に出てきているようです。対するジャイオッティの演じる冷淡なランフィスも秀逸で、メータの作る祝祭的で絢爛な音楽に駆け引き的な緊張感を加えています。コレッリのラダメスはこれがベストだと思いますし、バンブリーのアムネリスも彼女らしい奥行きのある歌唱が魅力的なんですが、ニルソンのアイーダが声の面でも歌の面でも強すぎてしまうのが惜しい。

・グスマーノ(G.F.F.ヴェルディ『アルツィーラ』)
リナルディ指揮/グリン、チェッケレ、マッツォーリ、リナウド共演/トリノRAI交響楽団 & 合唱団/1973年録音
>切れば血が出るようなライヴ盤もご紹介しましょう。本作は人気のない作品でなかなか音盤もありませんが、人さえ揃えば初期ヴェルディらしい勢いのある音楽を楽しめるということをよく示してくれる演奏です。グスマーノは『エルナーニ』のカルロ以上に整合性はないながらもこの作品を動かしていく原動力になる人物ですが、セレーニはその役目を十分に果たす入魂の歌唱。登場アリアでの血の気の多い歌はヴェルディのご機嫌な音楽が好きな人にはたまならないものでしょうし、終幕の赦しの場面でのやわらかで丁寧な口跡も美しいです。しかもグリンやチェッケレといった録音そのものが少ない名歌手がいずれも熱唱しているのも嬉しいところ。メジャーになることはない作品でしょうが、聴いて損のない熱演だと思います。
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Deinocheirus 2019

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デイノケイルス 2019
Deinocheirus mirificus
version 2019

デイノケイルスについては過去に何度か作ってみていて、そのあたりの変遷は過去のこの記事に貼ったリンクなどを見ていただければ。
この夏に科博で開催されている恐竜博では、ついにその全身の復元が日本で初公開されています。とはいえ色々な事情でここ数年恐竜に対するモチベーションも下がってきていたところ、ものの良さは認識しつつもあまり期待しないで今回は観に伺ったのですが、いざ実物の化石や復元全身骨格を前にしてみるとやはり感動するもので……旧作はあるけれども、どうしても改めて作ってみたくなってしまったのでした。

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いざ組まれたものを前にしてみると、過去に作ったものが如何に極端な誇張を随所に加えていたかということを痛感いたしまして(大きすぎる背鰭や前肢、鴨のようにしすぎた顔、おざなりな後肢などなど)、兎にも角にもそういった誇張を是正してなるべく自然な姿にしたいというのが今回の作成の一番強い想いでした。実のところ基本的な構造は旧作とほとんど変わっていないのですが、尖りすぎていたところや直線的すぎたところなどかなり手を入れているので、全体の印象はかなり良くなったのではないかと思います。

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当初発見されていた前肢のイメージがどうしても強かったものですから全身を最初に作った際にはつい前肢を大きくしてしまったのですが、全体のバランスから見るとそこまででもないので、当初前肢に使っていたパーツと後肢に使っていたパーツを逆にしました。かといって前肢の指を省略はしたくなかったのでなんとか折り出せるように苦心しまして、今回いちばん悩んだところかもしれません。また最初は風切羽も表現することを考えたのですが、それよりも腕の長さをしっかりと出したいという結論にいたり、最終的には省略しています。

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前肢とパーツを交換した後肢ですが、こちらは足の裏にパッドのようなものがあったということで普通の肉食恐竜を作るときとは違う表現にしたいと考えまして、ここも試行錯誤しました。最終的にできた形は結構気にいっていて、今後エドモントサウルスを作るときなどに活用できそうに思っています。

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思った以上に肢がうまくいったので、最後の最後まで苦しんだのは顔の処理。あまり残っていないパーツを使って、どれだけ大きさを担保しつつあの大きな頭を作ったものかと。こうして考えて見ると、今回はかなり生みの苦しみがあったんだなあと思います^^;

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苦労した甲斐があって最終的な出来栄えには満足しています。この夏はシーラカンスんしろこいつにしろ随分1つ1つ悩ませられましたが、お蔭で久々に楽しい創作の時間を過ごせたようです。
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Coelacanth

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シーラカンス
Coelacanth

博物倶楽部でワークショップを行うため今年も神保町ヴンダーカンマーに出展しました。
そこで展示されていた小田さんのシーラカンスがあまりに素晴らしく、自分も作品にしてみようと思った次第です。

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シーラカンス、実は昔も作ったことがあったので、なんとなくどうにかなるだろうと軽い気持ちで始めたのですが、これが全くまとまらず悪戦苦闘。ヴンダーカンマーの会期中には形にできればと思ったものの結局間に合いませんでした。
自分は飽きっぽいので比較的安易に完成にしてしまうか、そもそも構想を投げてしまうのですが、どうもこいつはいい形に仕上げたくて、珍しく1ヶ月近く試作を重ねて漸くこの形に。頭から第1背鰭までが比較的早く気にいる形のできたので、なんとか粘れたというところです。

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苦労したのは第2背鰭と臀鰭。どちらも同じような位置から同じような長さ・形のヒレが出ているのですが、これがどうも思うようなバランスにならない。魚をよく作る方はこれをいつもやっているのかと思うと正直頭が下がります。これらの折り出し方の目星がある程度ついた時点でとりあえず形の上では下半身もまとまりました。

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あとはその前に試作していた上半身とドッキングするだけと思っていたのですが、これがまたいいバランスにならない(^^;
折り方の上でうまく整合性がついてもやたら身体が長くなってしまったり、うまく臀鰭が折り出せなくなってしまったりと、手札は揃っているのにあがれない苦しい闘いが続きました。。。

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ただ、最終的には苦しんだ甲斐あってプロポーションは気に入っています。鱗の折り出しなど技巧的なところでは及ばないものの、シルエットとしては今の自分のできる範囲ではやりきったかな、と。ひさびさに本当に楽しんで作れたように思います。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十九夜/謎に包まれた武勇の人〜

公私ともに繁忙期に入ってしまい、また随分更新が止まってしまいました。また少しずつ進めて行きたいところです。
「大バリトン特集」もいよいよ次回で最終とする予定。今回はとっておきの秘密の歌手をご紹介いたします。

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Knyaz Andrei Bolkonsky

ドゥシャン・ポポヴィッチ
(ドゥシャン・ポポヴィチ)

(Dušan Popović)
1927〜2001
Baritone
Yugoslavia (North Macedonia)

このシリーズではヴェヒターやダン、それに前回のアレクセイ・イヴァノフのように高名な大物歌手をご紹介したいという気持ちももちろんあったのですが、それ以上にあまり知られているとは言えないバリトン、ショーヨム=ナジやヒオルスキ、そしてこのポポヴィッチに光を当てたいという想いが強くて始めたところがあります。日本語はおろか英語で検索をしてもほとんど引っかかることがない上に、ドゥシャンというファーストネームもポポヴィッチという姓も旧ユーゴ諸国では珍しくないこともあって、「謎に包まれた」という言い回しがこれほど当てはまる人もいないのではないかと。決して活躍の少なかった人ではないようで、ベルリンやミュンヘン、モスクヴァ、リヨン、シカゴ、モントリオールなど世界各地で客演していたようですし、その歌声の滑らかな響きや力強く端正な歌の美しさは一度聴けばご納得いただけると思うのですが。。。

録音もまた決して多いとは言えない、というよりも本当に限られたタイミングの録音が運よくまとまって遺されたという方が近いでしょう。Deccaがベオグラードに赴いて録音したいくつかの露ものオペラの全曲音源のなかでは、ポポヴィッチは最も若い世代の歌手ではありますが、その骨太な声と重厚で整った歌い口で強い存在感を示しており、まさに真価を知ることができると言って良いでしょう。(このプロジェクトはダノンやチャンガロヴィッチ、ブガリノヴィッチと言った人たちに支えられた当時のユーゴスラヴィアのクラシックの高いレベルを伝えるとともに、いまでも決して多いとは言えない露ものの録音において優れた記録として価値があると思います)。残念ながらこれらの音源は長い間CD化されておらず、レコードですらそうそう手に入らない幻の録音となっていたのですが、幸いなことに近年Eloquenceシリーズで復刻され、日本でも大手のCD店でかなり容易に入手できるようになってきました。記事を構想しはじめた頃にはこうした状況になることは全く予想していなかったのですが、折角こうした恵まれた環境が訪れている現在、より多くの人に彼の魅力を知ってもらうことができればと強く感じています。もしこの記事を読んで彼に関心を持たれた方は、是非その録音を手にとってみてください。忘れられた藝術家が再び陽の目を見る唯一の方法は、より多くの人がその藝術に触れることにあるのですから。

<ここがすごい!>
前回のアレクセイ・イヴァノフは悪人、曲者、屈折した人物といった、作品の世界を彩る個性的な役どころでこそ真価を発揮する藝風でした。確かにバリトンにとってそういったある種の“異常人”が重要なレパートリーであることは言を俟ちませんが、テノールともバスとも異なる太く輝きのある声だからこそ求められるヒロイックな役どころも忘れることはできないでしょう。ポポヴィッチはまさにそうした英雄的な魅力が求められる役で、目覚ましい力を発揮する見事な声を持った歌手です。どっしりとした重心の低い声は深く暗い力に溢れてドラマティックでバス・バリトンと言ってもいいような気もしますが決して生硬で剛直過ぎず、むしろなめらかで雄弁なカンタービレを得意とするやわらかさも兼ね備えています。自分はよく引き締まった精悍で堅い響きの声に「筋肉質」という印象を持つのですが、彼の声からはそれとはまた別の、希国彫刻のような堂々たる肉体美を想起させられます。この辺り、そのレパートリーに伊ものが多かったというのは非常に得心のいくところでもあり、スラヴらしい剛の者感と地中海的な流麗さとが高次に共存しているということもできそうです(ただし、残念ながら伊ものの録音は見当たらないので、想像で補うしかない部分もあるのですが……)。

彼はまたその声の特質をよく活かして、歌そのもので勝負しています。堂々とした声を惜しげもなく使って紡ぎ出す、滔々と流れる河のような豊潤でスケールの大きな歌にこそ、ポポヴィッチの美質が詰まっていると言えるでしょう。「演じる」ことや「語る」ことで惹きつける歌手も多いバリトンという声区ではある意味では最も衒いのない王道を突き進んでいる訳ですが、それによって何番煎じと言うような没個性な退屈さに陥ることなく、むしろ大河ロマンの主役の魁偉な風貌を聴き手にありありと思い描かせてくれるのです。英雄譚の世界の人物が纏っているような雄々しくオーラが、声からも歌からも感じられるということもできそうです。またそこには、現代の我々からすると時に不器用に感じられることもあるような古風な生真面目さやまっすぐさも同時にあって、だからこそよりリアルなのではないかと思います。

そうしたポポヴィッチの良さがストレートに楽しめるものを挙げるのであれば、イーゴリ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)やアンドレイ公爵(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)あたりがまず思い浮かびます。不吉な兆しや周囲の説得をはねのけて出陣したりコンチャク汗の懐柔も断固として受け入れなかったりと、迷いはあれど何かと頑なに自らの信じた道を行く古武士イーゴリには、スマートに理詰めで損得を考えるような現代的な感覚はどうしてもそぐわず、神話的、昔話的な人物として造形した方がむしろリアリティを得られるように個人的には思っているのですが、そういう意味で彼の歌唱はまさに理想的です。アンドレイはイーゴリよりもうんとくだった時代の人物ですが、その仕事の面での有能さと戀愛感情の不器用さ(アナトーリはアンドレイと好対照なんですね、こう考えると)は通底しています。しかもこの役に欲しい若々しい力強さという観点でポポヴィッチは卓越しています。『戦争と平和』の録音は意外とたくさんあるのですが、フヴォロストフスキーと並ぶ最高のアンドレイです。直球ではないものとしてはシャクロヴィートゥイ(М.П.ムソルグスキー『ホヴァンシチナ』)やオネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)も忘れることはできません。どちらの役も上述していたような不器用なまでの誠実さという観点からはちょっと外れるようですが、自らの愛の対象への歌には裏表のない直裁な感情がにじみ出ます。他方でシャクロヴィートゥイであればダークヒーロー的な一筋縄ではいかない政治家を、オネーギンであれば(特に2幕までに)暖かなようでいて空虚でニヒルな若い男をしっかりと表現していて、その藝の幅の広さに唸らされます。この路線の屈折した愛情を表現できる役の録音が更に残っていれば、もっと知られていたかもしれません。

<ここは微妙かも(^^;>
視聴できる音源がほとんど一時期のものに限られる上、いずれも十八番と言えるようなものばかりですから、取り立ててここが良くないという点を挙げるのは難しいですが……敢えて言うとやはりたっぷりとした豊穣な声と歌を売りにしている人ではあるので、歌う場面が少ない中で尖った個性を出さなければいけない役だとちょっと良さが出づらい印象です。ある意味では前回のイヴァノフの対極にあるとも言えそうですね。

<オススメ録音♪>
・イーゴリ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)
ダノン指揮/ヘイバローヴァ、Ž.ツヴェイッチ、ジュネッチ、ブガリノヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>長い間幻だったこの演奏が手に入りやすくなったのは非常に嬉しいところですが、とりわけポポヴィッチのイーゴリを楽しめると言うのが大きなポイントでしょう!重厚でズシンと響く太い声ながらバリトンらしい輝きもあり、終始他を圧倒するパワーを感じさせるものです。とは言えその歌は決して力任せで乱暴なものではなく、スタイリッシュな美観を保っており、この役柄の高貴さが見事に表現されているように思います。勇壮な出征の場面や感動的な再会などのアンサンブルも素晴らしいですが、やはりここでの聴きどころは彼らしい堂々とした歌と声を楽しめるアリア。剛毅で渋い魅力を湛えた壮年の英雄というべき理想的な歌唱でしょう。共演ではヴラジーミルを演じるジュネッチのロブストで影のある声と、コンチャコヴナのブガリノヴィッチの深みのあるメゾが優れています。特にジュネッチはここでしか聴けないのがもったいなく、ゲルマン(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)やサトコ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『サトコ』)あたりをやったらかなりはまりそう。ダノンは大好きな指揮者で、序曲や韃靼人の踊りなどは胸のすくような快演なのですがオヴルールが出てくる場面やコミカルな場面がちょっとのたっとしてしまっているのが残念です。

・イェヴゲニー・オネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)
ダノン指揮/ヘイバローヴァ、B.ツヴェイッチ、スタルツ、チャンガロヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>複数回CDになっており、ポポヴィッチの音源の中でも一番手に入りやすい演奏でしょう。どちらかと言うと叙事詩的な役柄を得意としている(と言うかそう言うものが多く残っている)彼の録音の中では数少ない叙情的な演目で、彼の異なる魅力を発見できるように思います。1幕のアリアは柔らかく響く低音が心地よく、非常に立派で美しいながらも仰々しい感じが、オネーギンに見せかけだけの思慮深さや空疎さを与えているようです。2幕の決闘で聴かせる迷いや哀しみを除くとずっとどこか人を喰った人物で居続けつつ(3幕冒頭の乾いた独白!)、3幕で自らのタチヤーナへの戀心に気づいてからは一気に情熱に溢れる表情となり、漸く彼にも人間的な感情が宿ったことを感じさせる手腕は素晴らしいです。ヘイバローヴァはこの録音の時には既に声のピークを過ぎているようで、薹が立って感じられるところもなくはないのですが、表現力で納得させるタチヤーナ。特に終幕のこの2人の重唱は白眉でしょう。小さい役ながら名アリアを聴かせてくれるチャンガロヴィッチをはじめ共演も揃っていますし、ダノンの指揮も彼の録音の中でも指折りの完成度と感じます。

・アンドレイ公爵(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)
ヤンセン指揮/ヴァソヴィッチ=ボカセヴィッチ、B.ツヴェイッチ、マリンコヴィッチ、スタルツ、N.ツヴェイッチ、Ž.ツヴェイッチ、ジョルジェヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団、ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1958年録音
>米国の指揮者、ユーゴの独唱陣、ユーゴとヴィーンの混成オケ、ヴィーンの合唱団という不思議な組合せで、例のDeccaのベオグラード遠征とは全く別に録音されたと思われる謎の音源です。かなり多くのカットがあり、結果として群像劇というよりはアンドレイとナターシャに焦点が絞られています。一連の遠征録音の3年後の録音ですが、声はますます艶やかに力強くなっており(というかこの時ですら31歳ですから他の多くの録音は28歳ごろのものということ!なんという早熟ぶり!!)、このさまざまな理想に敗れて死んでいく若々しい軍人を強い説得力を持って演じています。やわらかな春の空気を伴った優しい歌を聴かせる冒頭部分もうっとりさせてくれますし、2幕頭の愛の回顧の苦々しさも聴く者の心を掴みますが、圧巻は死の床の場面でしょう。朦朧とする意識の中で様々な想い出や感情が去来するこの狂乱的な場面の持つ毒のある美しさを引き出した名演です。ナターシャへの愛、ロシアへの愛を朗々と歌ったかと思えば、無意味なピチピチという音を強迫的に無感情に呟く落差が生む異様な緊張感!ナターシャのヴァソヴィッチ=ボカセヴィッチはややおとなしめですが柔らかな響きのある声で悪くはありません。クトゥーゾフ将軍のジョルジェヴィッチがやや落ちるのが惜しいです。ヤンセンは露国の指揮者たちとは違うところを強調するなど聴きなれずに驚く場面はあるものの大河ドラマらしいスケールの大きさがあって結構好きです。序曲の爆演っぷりなどは本国顔負けかもしれません。この演奏はmp3では手に入れやすくなったものの、残念ながらCDやレコードでは手に入れづらい状態が続いています。

・シャクロヴィートゥイ(М.П.ムソルグスキー『ホヴァーンシナ』)
バラノヴィッチ指揮/N.ツヴェイッチ、チャンガロヴィッチ、マリンコヴィッチ、スタルツ、ブガリノヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1954年録音
>こちらも近年漸く手に入りやすくなった録音で、チャンガロヴィッチやブガリノヴィッチはじめ役者が揃っています。バラノヴィッチの指揮は前奏曲などハッとするほどの美しさがありますが、全体にはややだれ気味なのが惜しい。シャクロヴィートゥイ最大の聴き処であるアリアをポポヴィッチはいつもながら厚みのある立派な声で歌っていますが、朗々とではなく祈るような哀切極まる声で訥々と絞り出すように歌っているのが非常に印象的ですし、だからこそ最後の感極まったかのようなffがぐっと胸に刺さります。これに対し、代書屋やホヴァンスキーとの場面ではドライな歌い口で、この政治家の閉ざした心を表現しています。

・イェレツキー公爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)
バラノヴィッチ指揮/マリンコヴィッチ、ヘイバローヴァ、グリゴリイェヴィッチ、ブガリノヴィッチ、B.ツヴェイッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>バラノヴィッチが指揮した一連の録音のなかではこの演奏が一番良いと思います。彼が演じる公爵は終幕ではゲルマンと対決し、有名なアリアもある割には登場場面が少ないのですが、それでも丁寧な歌い口でしっかり存在感を示しているのは流石です。こちらではリーザへの深い愛情をなんら恥ずかしげもなく情感を込めて歌い上げているのが潔く、とても好感が持てる人物を作り上げています。他方対決の部分で、少ない口数でゲルマンの敗北を宣言する決然としたところもいい。共演ではマリンコヴィッチのゲルマンが最高!やや細いキャラクタリスティックな声ながら、後半は清々しいまでに堂々とした賭け狂いっぷり、とりわけ最後のアリオーソは圧巻です。

・ミズギル(Н.А.リムスキー=コルサコフ『雪娘』)
バラノヴィッチ指揮/ヤンコヴィッチ、B.ツヴェイッチ、チャンガロヴィッチ、ミラディノヴィッチ、ヘイバローヴァ、アンドラシェヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>録音そのものも少ないリムスキー=コルサコフの佳品の貴重な現役盤です。かなり多くの歌手を揃えねばならない作品ですが、ここでも当時のユーゴの層の厚さを感じることができます。ミズギルは長く連れ添って結婚を誓った戀人クパヴァが居ながら雪娘に一目惚れしてしまい、クパヴァを捨てて彼女に猛アタックをするというちょっと残念なやつなのだけれども役としては起伏に富んでいて、演じ甲斐があるところだと思います。いまいちな人が歌うと情けないだけで雪娘が最終的に靡くのに説得力がなくなってしまうのですが、そこは我らがポポヴィッチ、憂いをも感じさせる男っぷりの良い歌唱で真実味を持たせています。短いアリオーソもバラノヴィッチが遅めのテンポを取っていることもあって、彼のしんみりとした歌い口をじっくり楽しむことができます。共演も本当に少女のようなヤンコヴィッチをはじめ好きがありませんが、クパヴァを演じるヘイバローヴァの熱唱は特筆すべきものでしょう。上述のとおり必ずしも全盛ではないと思うのですが、ここではその実力が遺憾なく発揮されているように思います。

・シェルカロフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
ミラディノヴィッチ指揮/チャンガロヴィッチ、ジョルジェヴィッチ、パウリック、ボドゥロフ、カレフ、Ž.ツヴェイッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1967年録音
>実はベオグラードでの一連の録音でも同役で登場しているのですが、ここでは珍しいショスタコーヴィチ版のライヴ音源をご紹介します。これまで述べてきた録音から10年あまり過ぎ、ちょうど40歳のときのものです。若い頃よりも更に沈んだ暗い色調に変わってはいますが、その野性味と言っても良いようなパワーとやわらかな歌い口は健在です。惜しむらくはこのころの録音がもう少しあれば……というところでしょうか、この役はあまりにも小さすぎますから(せめてランゴーニをやって欲しかった)。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十八夜/曲者は朗らに歌う〜

「大バリトン特集」と銘打って、露国の歌手を取り上げない訳には参りません。まだ取り上げていない人がたくさんいますので誰にしようか非常に悩ましいところではありましたが、今回は性格派として知られるこの人に白羽の矢を立てました。

Al-Ivanov.jpg
Kiril Petrovich Troekurov

アレクセイ・イヴァノフ
(Alexey Ivanov, Алексей Петрович Иванов)
1904〜1982
Baritone
Russia

以前確かプチーリンの回でも触れたように思いますが、20世紀前半の露国にはイヴァノフというバリトンが2人います。1人は分厚くて豊かな声のアンドレイ・イヴァノフで、英雄やパワフルな役どころでその力を発揮していました。これに対して今回の主役のアレクセイ・イヴァノフは、アンドレイに比べると明るくて薄めの声質ながらその藝達者な歌い口で主役から脇役まで幅広いレパートリーをこなし、数々の録音を遺しています。例えば露ものだけを取り出して見てもムソルグスキーやチャイコフスキー、リムスキー=コルサコフといった有名作曲家の作品にとどまらず、ルピンシテインやナプラヴニク、そしてシャポーリンといったほとんどお目にかかることのないような作品の音源に登場しているのは注目すべきことでしょう。一つにはそれだけ露国で当時親しまれていた歌劇のレパートリーが、今の私たちが想像するよりもずっと多様性に富んでいたということの証左と言えますし、もう一つにはその中で如何にアレクセイが重宝されていたのかということをうかがい知ることができるからです。そしていずれの録音でもその存在感の貴重さをこれ以上なく示していると言えると思います。

一言で言ってしまえば曲者の似合う藝風で、方向性は必ずしも完全に一致しませんが、ゴッビとは近いイメージと言えるのではないでしょうか。脇役であったとしても彼が登場するとそのアクの強さは記憶に残り、演奏全体のアクセントになります。リムスキー=コルサコフの作品などは1場面にしか登場しない名もない役柄に突然名アリアが与えられていたりするので、彼のような人が起用されると歌を聴く愉しみも緊張感も増して大変嬉しいところ。もちろん大きな役でも主役、悪役、狂言回しとどんな人物でもキャラクターを立たせて、しかも毎度おなじみにならない器用さがあります。出る以上は仕事とをしたと思ってもらえるような仕事をする、と言ってもいいのかもしれません。前述の通り遺しているのは露ものがメインなのですが、そう思うと例えば伊もののイァーゴ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』)、ナブッコ(同『ナブッコ』)、マクベス(同『マクベス』)、スカルピア(G.プッチーニ『トスカ』)、それにバルナバ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)、アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)あたりを遺してくれたら面白かったのかもしれません(アリア集では遺しているものもあるようです)。

そんな訳で、今夜はソヴェト時代の大立者にご登場いただきましょう。

<ここがすごい!>
アレクセイ・ペトロヴィッチ・イヴァノフの声と歌が正統派のヒーロー役ーー物語上の正義のために鬪い、勝利や愛を手にするーーに適しているか、と問われることがあるのであれば、素直に肯んずることはできないというのが私の意見です。声の響きは張りと輝きがあってドラマティックでまさにオペラに向いた声、ではあるんですが色気ですとか甘みからは遠い印象を持ちます。パワーはあるけれどやや甲高い響き、稠密ではあるものの乾燥したヴィブラートが感じられる彼の声から感じられるのはドライで理知的、感情よりは理屈に寄った人物です。役柄によっては狡猾で酷薄な色合いすら引き出してくる、はっきり言ってしまえば悪役声なのです。それも勢いだけで悪事を働くような単純な悪役ではなく、ニヒリスティックで隙のない「知能犯」という3文字がよく似合います。ですからもちろんおぞましい敵役を演ずる時の彼の魅力は圧倒的で、ドン・ピツァロ(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)はとても終幕であっさりと退陣させれてしまうとは思えない憎々しい迫力がありますし、この方面で最高なのはトロエクロフ (E.ナプラヴニク『ドゥブロフスキー』)でしょう。意外にも纏まったアリアのない役で出番もそこまで多くはないのですが、横暴に振る舞う権勢家として強烈なインパクトがあり、もしスカルピア男爵が物語の最後まで生きながらえ恣に過ごしていたらこんな感じだったろうなと思います。アレクセイのアクの強い声に加えて押し出しの強い歌いっぷりが、権力にこだわる強欲ジジイをリアルに作り上げています。

ただし、だからと言って彼が悪役専門であったわけではないのは上述の通りで、実に多様な役柄で見事な演奏を遺しています。例えば彼の演じた重要な脇役としては、トムスキー伯爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)を挙げることができるでしょう。典型的な狂言回しと言えるこの役は、あらすじにしてしまうと説明しづらいのですが全幕に登場し、ゲルマンに秘密のカードの逸話を伝えるという物語のひとつの核を担っており、どういう歌手が演じるかによってだいぶ印象が変わってきます。レイフェルクスが歌えば世慣れた社交人となり、プチーリンが歌えばフェランド(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)のような武骨な軍人の昔話色が強くなる。では我らがイヴァノフの癖のある歌と声ではどうなるかというと、途端に腹に一物あるいかがわしい雰囲気になります。カードの歌にしても本当かなあと思わせるところがどこかにありつつ、しかし怪談の信憑性に必須な不気味な迫力は絶対失わない。これを聴くと自らの持ち味をよく引き出すことが出来ることがわかると思います。

或る意味でもっと面白いのが主役での歌唱でしょう。彼の場合主役と言っても普通の主役といいますか物語の中で素直に共感しやすいような役はあまり演じておらず、異形と言ってよいようなものが多いと思います。イーゴリ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)なども遺してはいるようですが、不器用ながら祖国に忠義を果たしたりするような歌唱が想像できず正直なところどうもピンときません(憂国の策士ならわかるのですが)。むしろ横暴で嫌悪感すら抱かせる面がある一方で、どこかしらに人間くさくて思わず共感してしまうような面が同居しているような役柄ですと、彼らしいアクや癖が昇華されて本領が発揮されるように感じます。こう述べてきたときに頭に浮かぶのは、悪魔(А.Г.ルビンシテイン『悪魔』)でしょう。大変情熱的でうっとりさせるような愛情と目的のためには残虐な行動も厭わない冷酷さとが、時にギラギラするほどパワフルに時にぎこちなくロマンティックに歌われ、この隠れた名作の醍醐味を知ることができます。

悪役然とした声と藝風を多面的に活かすことのできた名優、と思います。

<ここは微妙かも(^^;>
性格的な歌唱を味わえる名歌手ではあるのですが、ちょっと力でゴリゴリと押してくるところがあるので、くどくて好きになれないという方は一定数いるのではないかと思います。繊細で柔らかな歌唱をよしとする向きには脂っこすぎる、癖が強すぎると言われても仕方がないところはありそうです。
またバリトンとしては高めの響きの声も好き嫌いが出るかもしれません。

<オススメ録音♪>
・キリル・ペトロヴィチ・トロエクロフ (E.ナプラヴニク『ドゥブロフスキー』)
スラヴィンスキー指揮/レメシェフ、クドリャフスカ、ドゥダーレフ共演/スタニスラフスキー&ネミローヴィチ=ダンチェンコ記念国立モスクワ音楽劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
>どの役がアレクセイの藝風にあっていたかと思うと、どうしてもこれが真っ先に浮かんできます笑。欲の皮の突っ張った悪党、しかも制度上は“合法的”に私服を肥やしていくという悪辣極まりないこの老人を、アレクセイ以上に説得力を持って演じることはなかなかできないだろうなと思わせるハマりっぷり。力づくで横柄な登場場面は何度聴いてもゾクゾクさせられますし、実の娘に対しても容赦の全くない態度を示す聴かせどころの重唱も総毛立つばかりの完成度。余裕綽々で入れてくる笑い声もいかにも憎々しいですし、見得を切るとこなどでは彼らしい強力な高音を挟んできていて大変なインパクト。或る意味では一面的な役柄なのですが、それでもここまで堂に入った歌唱は、そうはできないとおもいます。どちらかというとネレップなどの方が似合いそうな役ながらレメシェフも流石に美しい喉を披露していますし、クドリャフスカもドゥダーレフも悪くないのですがちょっとオケが非力で肝心なところが揃わないのが残念。しかし、この名指揮者の秘作を楽しむことはできると思います。

・悪魔(А.Г.ルビンシテイン『悪魔』)
メリク=パシャイェフ指揮/タラハーゼ、コズロフスキー、クラソフスキー、グリボヴァ、ガブリショフ共演/ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1950年録音
>時代柄音の悪さは否めないものの、知られざる傑作を楽しめる名盤と思います。悪魔のアリアはフヴォロストフスキーのようにバリトンが遺しているものもあるものの、バスが歌っているイメージが強い中で甲高い響きの声のアレクセイが歌うとどうなんだろうと思って聴き始めるのですが、不足や違和感はありません。むしろその力強く、時に強引にすら聴こえる歌い口が、このキャラクターを超自然的な存在として引き立てるとともに、戀愛感情への不器用さを際立たせているように思います。実は最もよく歌われる3幕のアリアは意外とさらっと歌っているのですが、むしろそのあとのタマーラとのやりとりや天使との対決などは迫力満点で聴きごたえがあります。また2幕の2つのロマンツァも名唱で、ここはさながらリサイタルのようでもあります(笑)共演陣はいずれも立派で、タラハーゼは澄んだ若々しい声が好印象。名手コズロフスキーはいい歌はもらっているとはいえ出番も多くない損な役回りで登板していて贅沢な気分ですwクラソフスキーの重厚なバスも素敵で、いつもながらこういう役で力を発揮しています。

・トムスキー伯爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)
メリク=パシャイェフ指揮/ネレップ、スモレンスカヤ、ヴェルビツカヤ、リシツィアン、ボリセンコ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1949-1950年録音
>本作の歴史的名盤。この当時のボリショイの看板役者たちが揃っていると言えるでしょう。彼一流の一筋縄では行かなさそうな歌い口によってこの人物のいかがわしさが増していて、ゲルマンの“悪い友達”という風情が漂っています。上述のとおり3枚のカードの歌は怪談調の不気味さに全体が包み込まれた名唱で、計算された忍び足のppから強靭で逞しいffまでその表現の持ち駒の多彩さを惜しげも無く披露しています。他方で終幕の賭場での歌では、伯爵にはグループのリーダー格になるようなちょっとしたカリスマが備わっているように感じられる牽引力のある朗らかな歌いっぷりです。メリク=パシャイェフの指揮はこれしかない!と思わせるような絶妙な間合いですし、何と言ってもネレップのゲルマン!!後半のやけっぱちなのにどこか堂々とした歌唱はオペラファン必聴でしょう。

・コンラドチイ・フョードロヴィッチ・リレーエフ(Ю.А.シャポーリン『十二月党員たち』)
メリク=パシャイェフ指揮/ネレップ、ピロゴフ、ペトロフ、セリヴァノフ、ヴォロヴォフ、イヴァノフスキー、ポクロフスカヤ、ヴェルビツカヤ、オグニフツェフ共演/ボリショイ劇場管弦楽団&合唱団/1953年録音
>これもまた現在ほとんど聞くことのないシャポーリンの名作。やや多すぎる登場人物に話の筋が散ってしまっているような感じですとかもう少し盛り上がり切らない部分もあるのですが、それでも各役に魅力的な歌が配されていて美しい旋律に魅了されます。リレーエフはアレクセイの演ずる役の中では比較的癖のない主役と言っていい役ではないかと思いますが、他方で当時の過激派である十二月党を率いた人物の1人でもありますので、その腹の底の見えなさと言いますか理知的な賢しさが引き出されているように思います。いい意味で政治家っぽいドライな賢さが役のリアリティを生んでいるということもできるかもしれません。アリアも多いですが、計画実行を前にした愛国的な嘆きの抑えた表現が個人的には気に入っています。この音源は何度か登場していますが、今回改めて聴いて見てこれだけの人が集まったことに改めて驚嘆しました。

・シェルカロフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
メリク=パシャイェフ指揮/ペトロフ、レシェチン、イヴァノフスキー、アルヒーポヴァ、シュルピン、キプカーロ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1962年録音
>これも当時のスターキャストを集めた録音。ちょっともったいないぐらい出番が短いのですが、官僚的な役に甘さが少なく峻険で引き締まった口跡でよく似合っています。むしろ小さい役だからこそ彼のような個性の強い名手が歌うことによって作品の幅が広がるなあと思わせてくれるパフォーマンスとも言えるかも知れません。キプカーロも同じようにハイバリ系ではありますが、湿り気のある妖しい声ではっきりと個性の違いが出ています。共演ではやはりペトロフの題名役やアルヒーポヴァのマリーナがいいですが、レシェチンの演ずる渋いピーメンも忘れ難いものです。

・使者(Н.А.リムスキー=コルサコフ『皇帝サルタンとその息子栄えある逞しい息子グヴィドン・サルタノヴィッチ、美しい白鳥の王女の物語』)
ネボリシン指揮/ペトロフ、イヴァノフスキー、スモレンスカヤ、オレイニチェンコ、ヴェルビツカヤ、シュムスカヤ、レシェチン共演/ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>こちらはさらに小さい役(というかリムスキー=コルサコフはどうしてこう固有名詞がないような小さい役に突然アリアをつけるのかw)ではありますが、これまでにあげた作品とは一線を画すコミカルな音楽をイヴァノフが巧みに歌っていて興味深いです。ちょっと間延びした呑気な雰囲気をまといながらのびのびとユーモラスに歌っていて、彼にはこんな抽斗もあったのかとちょっとびっくりさせられます。普段の彼からは想像がつきませんが、こういう道化役的なものも向いていたんだなということがよくわかり、性格派の面目躍如というところでしょう。こちらも音は良くないもののおなじみの名手たちが揃っており、“熊蜂”だけではないこの作品の魅力を知ることができます。

・ドン・ピツァロ(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)
メリク=パシャイェフ指揮/ヴィシニェフスカヤ、ネレップ、シェゴリコフ、ネチパイロ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1957年録音
>こちらはかなり変わり種でカットも多い演奏ではあるのですが、コレクター的な意味での「興味深さ」を超えた演奏と思います。この悪徳典獄に与えられた苛烈な音楽と、アレクセイのきつめの歌い口の親和性はやはり非常に高く、露語の訳詩で歌われていることを忘れてしまうほどです。その口跡にメリク=パシェイェフのアップテンポの指揮も相まって、サディスティックでエキセントリックな魅惑の悪党ぶりだと言えるのではないかと。シェゴリコフがやや籠もった声で、田舎っぽい純朴さのあるロッコを演じているのとは好対照でしょう。ヴィシニェフスカヤが鋭利な声で歌うレオノーレも、ドラマティックなパワーのほとばしるネレップのフロレスタンも、いずれも露風ではありますが見事で、風変わりながら名盤でしょう。
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