Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

群盗

群盗
I masnadieri
1847年初演
原作:フリードリッヒ・フォン=シラー
台本:アンドレア・マッフェイ

<主要人物>
モール伯爵マッシミリアーノ(B)…カルロとフランチェスコの父親でモールの領主。可愛がっていた上の息子のカルロは悪いお友達ができちゃってうちから離れて行くし、下の息子のフランチェスコは兄貴へのコンプレックスで拗けた性格に育っちゃったし、はあ~俺子供の育て方間違っちゃったかなあ…な人。挙句フランチェスコの姦計により幽閉されてしまう。下の3人に較べるとあらすじ的にも音楽的にも負担の軽い役だが、死んだと思っていたが生きていたという場面などを考えるとそれなりの風格とドスの利いた声が欲しい役だろう。
カルロ(T)…マッシミリアーノの長男。父に溺愛されて育つが、長じて悪友との放蕩の生活を送る。父との和解を望んでいたところ弟の謀略に陥り、群盗へと身を窶すことになる。主人公なんだけど現代の目からするとなんだかやたら身勝手なやつやなあと^^;原作だともう少し違うようですが。初期ヴェルディらしい熱気の籠った音楽が当てられており、馬力のあるテノールが歌えば聴き栄えのいい役。とはいえかなり歌わなくてはならない役なので、全曲で馬力を発揮するのは結構ハード。
フランチェスコ(Br)…マッシミリアーノの次男。父が兄を猫かわいがりするせいで性格がひねくれてしまったひたすら邪悪な人物。情報操作で父と兄の間に行き違いを起こさせ、父を幽閉、兄も亡き者にして権力を恣にし、兄の戀人をも自分の手に入れようとするが、罪の意識から最後の審判の夢に魘される。如何にもヴェルディが好みそうな性格的なバリトンの役どころで、後のイァーゴが透けて見える。また夢の場面などは同時期に書かれたマクベス夫人とも関係が深そう。後のヴェルディならもう少し違う音楽をつけて呉れそうだが、書かないかな~この出来の悪い台本だと^^;
アマーリア(S)…カルロの戀人。伊ものらしい激しい性格のヒロインで、フランチェスコから逃げる時には自ら剣を取りもするし、お近づきになったら割と厄介そうな気がするw一方で戀人を追放した直接的な人物であるマッシミリアーノには敬意を抱いて接するなど徳が高い(?)一面もある。全体として強い声が必要な役になってきている一方、この役が一番ベル・カントの音楽の延長にいる感じでもある。
アルミーニオ(T)…モールの伯爵家の家令。当初フランチェスコに力を貸すが、早々に後悔し、アマーリアに全てを話し、マッシミリアーノには密かに食料を運ぶ。物語の要所要所で主人公たちを繋ぐ重要な脇役テノールで、出番もこの手の役の中ではかなり多い。特に1幕のフィナーレは第1テノールのカルロが不在なので、主役陣に混ざってアンサンブルを展開する。
モーゼル司祭(B)…フランチェスコが懺悔するために呼ぶ司祭。罪はあまりにも重く、人の力で懺悔を受け入れることはできないと彼を突っぱねる。出番は終幕のフランチェスコとの重唱だけだが、物語の展開としては相当重要な役で、できれば力量のある歌手、少なくとも存在感のある歌手に演じてもらいたいところ。派手に延々と歌ったりする場面がある訳ではないが、オーケストレーションでも後の宗教裁判長の登場を予見すると言っていい興味深い役。
ロッラ(Br)…カルロと徒党を組む悪友の1人。意外と面白い役が多いこの演目の中では最も存在感の薄いひと。

<音楽>
・前奏曲
○第1幕
・カルロのカヴァティーナ
・フランチェスコのアリア
・アマーリアのカヴァティーナ
・アマーリアとマッシミリアーノの小2重唱
・アマーリア、アルミーニオ、フランチェスコ、マッシミリアーノの4重唱

○第2幕
・アマーリアのアリア
・アマーリアとフランチェスコの2重唱
・カルロのロマンツァとフィナーレ

○第3幕
・アマーリアとカルロの2重唱
・群盗の合唱
・マッシミリアーノの物語
・カルロの誓い

○第4幕
・フランチェスコの夢
・フランチェスコとモーゼルの2重唱
・カルロとマッシミリアーノの小2重唱
・フィナーレ

<ひとこと>
マクベスと同じ時期にロンドン上演に向けて準備された作品。良いテノールが用意できそうだということで、テノールを主役に据えた、或意味オペラらしいオペラです。初期のヴェルディらしいドラマティック且つ流麗な音楽がやはり魅力的で、こうして聴いてくるとだんだんと熱気の籠った音楽が多くなってきているような印象を受けます。とは言えイマイチ人気がないのは、巷間言われる台本の拙さからでしょうが、ここでは改めてそこに踏み込むことはしません(細かいところまで目を通せてないし^^;)
ただ一概につまらない作品かというとそんなことはないと思います。その良さを充分に活かしきれているとは言えない台本になってしまっているとは言え、フォン=シラーの原作をヴェルディが選んだ理由はわかる気がします(ちなみに何だかんだ言ってヴェルディの作品はフォン=シラーが原作となっているものが多いですよね。既に登場している『ジョヴァンナ・ダルコ』然り、この後登場する『ルイザ・ミラー』然り、伊ものの最高傑作である『ドン・カルロ』然り)。主役は当然ながらテノールであり、その魅力をたっぷりと味わえる音楽をつけていますが、ヴェルディが一番興味深く目を向けているのはバリトンの演ずるフランチェスコだと思います。まだそれほどではないですが、彼一流のグロテスクな人物への関心とそれを通して描かれる人間の内面の表現への意欲が感じられるのです。そういう意味では、意外とスルーできない作品なのではないかと。

そのフランチェスコ、これはやはり難しい役です。原作ほどではないにしろ悪の権化であり、最後の場面は狂乱の場の延長と言ってもいいでしょう(とは言え原作での描かれるフランチェスコの自殺はオペラでは存在しないので、最終的に彼がどうなるのかは実はうやむやになってしまっているのですが…実際のところどうかはわかりませんが、検閲のせいかなと何となく思っています)。権力を欲して悪の限りを尽くし、罪の意識から精神を病む…この設定何処かで見ませんでした?そう、前作のマクベス夫人。完成度的にはやはりマクベス夫人の夢遊の場が秀でているように思いますが、フランチェスコの夢の場も同じような狂乱の場の発展形と言ってもいいのかもしれません。また、恐ろしい悪夢を人に語るという状況は前々作のアッティラのアリアとも類似しているようです。このあたり簡単にそうだ、と決めつけることはできませんが、この時期のヴェルディが特に関心を抱いていたのかもしれません。この悪人の系譜はこの作品の後ヴルム、パオロへと繋がり最終的には伊歌劇史最大の怪物イァーゴへと進化していきます。よく言われることではありますが、登場アリアの前奏、そしてフランチェスコが自らの恨みつらみを吐露するレチタティーヴォでは、既にそのイァーゴの気配が漂っています。これに較べるとアリア本体は伝統的な形式に則った流麗過ぎる歌に彩られており、勢いが後退してしまっている感がありますが、この時期の彼らしいたっぷりとした旋律はそれはそれで魅力的なものです。1幕フィナーレでの悪への讃歌も後年ならばより強烈な音楽をつけていそうですがまあまあでしょうか。リゴレットもヴィオレッタもアズチェーナもフィリッポも生み出していないこの時点で、作曲家にこれ以上を求めるのもちょっと酷な気はします(^^;朗々とした歌もあるので声のある所謂ヴェルディ・バリトンに歌って欲しいなとも思うのですが、それ以上に屈折した人物を表現する演劇的な巧みさがないと、特に夢の場は務まりません。ゴッビが遺して呉れていたら結構面白かったかもしれない。

音楽的にも台本的にも主役のカルロ、これもまたえっらい難役です。何せ登場場面が多いし、どれも声楽的な負荷が非常に高い。ヴェルディ個人の興味や描き込みとは別に、はっきり言って公演の出来を大きく左右するのはこの役です。ブンチャッチャ調の勇壮でメロディアスな音楽が与えられているロブストなテノールの役で、かなりパワフルに歌って欲しいところ。これまでの役はそうは言ってもベル・カントの匂いが強かったように思うのですが、このカルロあたりから様子が変わってくるのかなという感じがします。この役の中にマンリーコの原型を見るのはそんなに難しい話でも荒唐無稽なことでもないでしょうし(少なくともこの作品そのものや『イル・トロヴァトーレ』のあらすじほどには荒唐無稽ではないと思いますw)、この役をベル・カント流儀で優美に優雅に歌われてもちょっとなあという感じ。また流石にマンリーコ程の完成度には至っておらず、誰が歌っても音楽の魅力を感じ得るといった役ではないので(と言ったけどヴァルター・フラッカーロのマンリーコはガ鳴るだけで本当に酷かった…あいつはもう二度と聴かない)、巧く歌える以上になにかひとつプラスがないと面白くない役かもしれません。それはやはりヴェルディの場合は熱気と言いますか、テノールバカっぽさなのかなあなどと思っています。役柄としての破れかぶれ感が増した方が演劇としてもリアルな気もします。逆にそういうところがあれば作品のイメージをガラッと変えて呉れるかも。或意味では歌で必死になって結果を出せばそれっぽくなるという、非常にオペラっぽい役と言えるかもしれません。

歌というところで行くのであれば、わかりやすくかなり難しいのがもう一人の主役アマーリアで、2つのアリアでも重唱でも技巧のテンコ盛りです。これを歌いこなすのはかなり難しいでしょう。そしてこちらもカルロ同様出番が非常に多い。ただ、その割には上記2人に較べてあんまり面白くないかなあと言うのが正直な感想です。あらすじ的にはこれといった派手な見せ場がある訳でもないのに、音楽的な見せ場を突っ込まれてしまってなんとなく中だるみしてしまった感じと言いますか。ヴェルディが手を抜いているとかっていうよりは、やはり台本の拙さが出てしまっているような気がします。2幕のアリアと重唱が逆の順番ならどちらももう少しグレード上がる仕上がりになったのではないだろうかなどとまた岡目八目。そういう意味では逆にこれを聴かせなくてはならない歌手の側は結構しんどいものがあるように思います。参考音源のサザランドとカバリエは、こう考えて行くとやはり凄い歌手だなと。このクラスの歌手が妙技を尽くせば俄然聴きごたえが出て面白くなってくるんですが、なかなか歌って呉れないでしょうね^^;

準主役ぐらいの扱いのマッシミリアーノですが、実はカルロよりもアマーリアよりもこの人に当てられている物語の方が出来がいいのではないかと(我ながらバス贔屓、バリトン贔屓のため、テノールやソプラノに対してより圧倒的にこちらに重心を置いた、偏った聴き方をしている自覚はあるのですがw)。重唱はまあこんなもんかなぐらいの扱いではあるのですが、彼の物語は実に不気味な趣のある音楽で、全曲の白眉と言ってもいいかもしれません。この時期のヴェルディはアッティラやバンクォーでも仄暗い不吉な音楽を作るのに成功しており、これらの曲は深く関係しているように思われます。役としては後半の耄碌してしまっている部分及び嘆き節をしっかりやれるひとならばそんなに難しくはないのではないかと思いますが、この物語で死んだ筈の老人のおぞましい語りだという感じを出すためには、重厚で暗い音色の迫力ある声と舞台上での存在感が欲しい。それこそネーリあたりがやっていて呉れたらかなり良かったのではないかという気がします(フランチェスコにゴッビ、マッシミリアーノにネーリってかなりインパクトがありますね…このメンバーなら相当どぎついカルロじゃないと。となるとデル=モナコかな?)

アルミーニオもこの手の役としては珍しいぐらい歌う場面が多く、アンサンブルでもしっかり絡んで来なければいけない役です。特に上述のとおり1幕フィナーレにはカルロが居ない代わりに彼が登場し、テノール・パートを補っているので、それなりに通る声でしっかり歌える人でなければ務まらないでしょう。フランチェスコの命令に従ったり、アマーリアに真実を伝えたり、マッシミリアーノに秘密で食事を運んだり、そのあとカルロにどやされるなど主人公同士を繋げる役回りとしても重要であり、そこそこに演技力も欲しい。今回参考にした音源ではどちらもまあまあでしたが、それこそデ=パルマあたりがやって呉れたらなあと。

そしてもう1人、異様な脇役としてモーゼル司祭が居ます。彼の出番は終幕のほんの5分程度ですが、その印象はとても強いです。彼は、そこまで悪事の限りを尽くしてきたフランチェスコの懺悔を冷淡に拒絶し、直接的に追いこんでいく人物だからです。ヴェルディの作品に親しんでいる耳で聴けば、彼の登場のファンファーレを聴いてすぐピンと来るはず。そう、フィリッポを追い詰める宗教裁判長です。こちらも完成度的には未熟な部分が多いものの、その旋律的でない単調な動きで威圧していく様はやはり恐ろしい。雛形としては非常に興味深いです。僅かな出番に対して大物を連れてくるのはなかなか難しいとは思うのですけれども、出来れば存在感のあるひとに歌って欲しい。往年の名歌手を起用があったら嬉しいな^^

合唱。この作品ではもう殆ど単なる盛り上げ隊ですね^^;3幕の合唱も愉快だけど冴えないですね~『マクベス』のバンクォー暗殺団の合唱もやたら愉快でしたが、この時期ヴェルディは男声合唱を愉快にしたかったのでしょうか笑。

出来としてはまだまだ望めるところがありながら、マンリーコやイアーゴ、宗教裁判長の原型を楽しむことができる作品です。破れかぶれな感じもありますが、これはこれでその不完全さが或意味で魅力的。あらかたヴェルディの有名作を聴いて、別のものを更にという方にはおススメです。

<参考音源>
○ランベルト・ガルデッリ指揮/カルロ…カルロ・ベルゴンツィ/アマーリア…モンセラート・カバリエ/フランチェスコ…ピエロ・カプッチッリ/マッシミリアーノ…ルッジェーロ・ライモンディ/アルミーニオ…ジョン・サンダー/モーゼル…マウリツィオ・マッツィエッリ/ニュー・フィルハーモニー管弦楽団 & アンブロジアン・オペラ合唱団
>キャストも揃っていますし、全体的に整った演奏だと言っていいと思います。まずはこの演奏を聴けば、なんとなく『群盗』という作品の全体像も見えてきますし、音質的にも聴きやすい^^私見では白眉はフランチェスコを演ずるカプッチッリ。こういう性格的な役どころは流石に巧いし、声もしっかりヴェルディ・バリトンですから、流麗に歌うところも不足はありません。彼ぐらい声が立派なら、音楽的にはもうちょっとのところもしっかり聴きものになる、という証左とも言えるかもしれません。この中では演技にも熱が入っており、夢の場はお見事。1幕フィナーレでの「死んだ!Morto!」という叫びの乾ききった喜びをはじめ、全体に楽曲を喰う出来ではないかと。声楽的に素晴らしいのはカバリエです。メカニカルで細かい動きに時に難の出る彼女ですが、ここでは巧くこなしています。全編に亘って瑞々しい美声を聴かせていますが、何と言っても彼女のトレードマークである高音のppにもの天国的な美しさ!特に2幕のアリアはピカイチと言っていいでしょう。ライモンディも身の詰まったカンタンテでしっかりと聴かせて呉れます。優れた歌手である彼の場合しばしばある、もっと聴きたくなるぐらいの歌。また、終幕での耄碌気味の部分では、声こそ立派ですけれどもその疲れ切った感じと言いますか、マッシミリアーノが最早単に命があるに過ぎない人物になってしまっている感じがよく出ています。このあたり役柄をしっかり表現しようとする彼らしい知的さが大きなプラスになっています。ベルゴンツィも彼らしい整った歌でたっぷりと聴かせて呉れて◎です。特に冒頭のアリアの若々しい力強さに満ちており、ヴェルディを聴くならまずはやっぱり彼だという印象を強く受けます。ただ彼のマンリーコには不足を感じない私も、この役ではやや熱っぽさが足りないと言いますか、カルロの持っている破れかぶれな感じがいまひとつに感じます(とは言えこれは恐らくボニング盤での強烈なボニゾッリと比較してしまっているからで、普通はこれだけ歌えれば十二分だとも思うのですが)。サンダーとマッツィエッリはまあまあでしょうか。ガルデッリの指揮はドラマティックで悪くないのですが、なんとなくこの演目を分析的というか学究的に振っている感じで、ベルゴンツィより更に熱っぽさが薄いように感じます。このメンバーなので多少粗っぽくなってももっとガツガツと演奏しても良かったんじゃないかなあ。という訳で惜しい点もあるのですが、まずは推薦盤でしょう。

○リチャード・ボニング指揮/カルロ…フランコ・ボニゾッリ/アマーリア…ジョーン・サザランド/フランチェスコ…マッテオ・マヌグエッラ/マッシミリアーノ…サミュエル・レイミー/アルミーニオ…アーサー・デイヴィス/モーゼル…シモーネ・アライモ/ウェールズ国立歌劇場管弦楽団&合唱団
>基本的にはガルデッリ盤を聴いていただければいいような気がするのですが、カルロという役についてより良く体現しているのは、この盤のボニゾッリでしょう。彼の藝風らしいものすごいテノール・バカ歌唱ですが、それが役柄とぴたりと合って恐ろしいほどの効果を上げています。如何にもこの人らしくあちこちに荒々しいことこの上ないハイCを挟んでくる様の凄まじさと言ったら!作品の疾風怒濤感の良く伝わる気迫の歌で、ボニゾッリのスタジオ録音でのベストの出来ではないでしょうか。こういう歌唱を品がないとかグロテスクとかといった言葉で切り捨てる方ももちろんいらっしゃるでしょうが、こういう歌唱もまたオペラの世界のひとつの側面として認めて欲しいなあというのが僕の意見で、少なくともここでの彼の歌唱は或る見方からすれば最良の部類に入るものでしょう(もうひとつ付言するなら、彼の歌い口が気に喰わないときは、もちろん僕にもあります)。これを聴いてしまうと、上記のベルゴンツィがいささか端正過ぎて聴こえてしまうのです。マヌグエッラもカプッチッリと較べてしまうと遜色がないとは言いませんが、悪くありません。というかこのひとも余り正当な評価を得ていないように思うのですが、厚みのある豊かな声と知的にコントロールされた性格的な歌い回しでヴェルディの諸役を巧みに演じており、なかなかどうして隅には置けないバリトンです。ここでも重厚な存在感を見せつつポンポン付加的な高音を挟んでいたりして、聴き応え十分。特に夢の場とモーゼルとの重唱がいい。サザランドは姥桜の感はどうしても否めないし、役柄的にはあんまり合ってはいないなあとも思えるのですが、それでも高音をヴァリアンテで加えたりして彼女なりに消化し、聴かせる歌にしているあたり流石。エルヴィーラ(『エルナーニ』)よりも後の録音ですがむしろこちらの方がいい出来ではないかと。レイミーのヴェルディは相変わらずあまり好きではないですし、どうしてもライモンディと較べるとそちらの方がいいのですが、ここではまずまず。何よりあの物語は彼の深い声で歌われるとやはり迫力が出ます。アルミーニオ役はここでもまあまあですが、モーゼルを演ずる若き日のアライモは天晴な歌いぶり。重低音が響く方ではない(むしろそれならガルデッリ盤のマッツィエッリの方が鳴る)のですが、にべもない冷厳な拒絶が決まっています。ボニングの指揮はコケコケに言われることが多いですが、ここではガルデッリとどっこいどっこいかな。金管を煌びやかに鳴らしていたりするところはむしろ僕は好みです。ただ、どちらももう少し煽った方がこの作品はいいんじゃないかなぁ。
ガルデッリ盤よりも凸凹を感じますが、まずはボニゾッリを楽しむ音源と思うとかなり楽しめます。
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マクベス(初演版)

マクベス(初演版)
Macbeth
1847年初演
原作:ウィリアム・シェイクスピア
台本:フランチェスコ=マリア・ピアーヴェ、アンドレア・マッフェイ

<主要人物>
ダンカン(黙役)…スコットランド国王。史実でのダンカン1世。マクベスに王位を簒奪される。「黙役」となっているものの、登場しない演出もありそう。この作品は伊語なので「ドゥンカーノ」と呼ばれたりしていて、誰それwwwってなります。
マクベス(Br)…蘇国の武将、のちにダンカンを弑逆し国王となる。史実でのマクベタッド・マク・フィンレック(有能な王様だったらしい)。魔女の予言と強烈奥さんに振り回されて、人生がエラいことになってしまった人。ヴェルディ作品の暴君の系譜に入れて考えられることも多いけれど、思い悩むこと甚だしい非常に内面的な役で、あんまり暴君と言う感じではないというか、アッティラ以上にナヨナヨwただ、原作シェイクスピアなのでそのあたり描き込みは格段の差だが。初演版では幻影の場が実質狂乱の場と言うべき大規模かつ歌の求められるもので、ベルカントの素養も必要だろう。一方でより新しいスタイルを模索したと思われる死の場面や独白もあるため、かなりの演技力も求められる。そういう意味では、改訂後より初演版の方が難しいと言えそう。この作品は伊語なので「マクベット」と呼ばれていたりしていて(以下略
マクベス夫人(S)…彼女はマクベスの奥さんである。名前はまだない。というかない。が、原作同様強烈なキャラクターで実質的な主人公と言ってもいい。マクベスが受けた魔女の予言の話を聞いて、本人以上に火がついて手段を選ばずに権力に走って行く恐ろしい女だが、一方で最後には後悔に苛まれ、衰弱して死んでいく。アビガイッレと非常に関係が深い役だということができそう。初演版ではアリアが1つまるまる全く違う音楽で、音程も高く転がしも多いので、よりソプラノ向きでしょう。この改訂前アリアは華やかなベルカント流儀のものなので、ヴェルディの意向を考えればアリアの差替えは納得いくもの。改訂後と比べても役の比重は変わっておらず、超難役。
バンクォー(B)…蘇国の武将。この人も史実の人物だと言う。息子が国王になると魔女に予言されたことが災いし、マクベス夫妻に恐れられ、暗殺される。前半で殺されてしまうため、意外なぐらい登場場面は少ないのだが、マクベス夫妻の恐怖を納得させるだけの風格が欲しい。また、大シェーナでの完成度の高い不安感のある音楽をきっちり再現できねばならず、どことなく不吉な雰囲気を湛えている感じも必要。この作品は伊語なので「バンコ」と呼ばれているが、これはわかりやすい。
マクダフ(T)…蘇国の貴族でファイフの領主。マクベスに妻子を殺される悲劇の人だが、最後には仇を討つ。カッコいいどころの役のような気もするんだが、扱いは軽くて出番も少ない。っていうかアリアのカバレッタなんてマルコムとずっとユニゾンだし^^;原作での出番もそもそも少ないのだが、初演の時のテノールがへっぽこだったからといわれてはいる。けど、後年の大規模な改定含め、ヴェルディはかなりこの作品に手を入れているらしいということを考えると、あんまりこの役を重要視してなかったということがむしろ大きいような気がする。妄想ですが笑。この作品は伊語なので「マクドゥッフォ」と呼ば(以下略)
マルコム(T)…ダンカンの息子。マクダフとともに父の敵を討つ。敵を打つのはいいんだけど、のちにバンクォーの子孫が王になるんだよね?この人どうなるの?マクダフの負担が軽減されている分脇役テノールの割には歌う分量が多い。
医者(B)…夫人の夢遊の場の解説役。スピードワゴンではない。
侍女(Ms)…夫人の夢遊の場の実況役。シュトロハイムではない。
フリーアンス(黙役)…バンクォーの息子。バンクォーのシェーナの後走って逃げる演出も多い。彼の子孫がステュアート朝を開いた

<音楽>
・前奏曲
○第1幕
・魔女の合唱、マクベスとバンクォーの2重唱
・マクベス夫人のカヴァティーナ
・行進曲
・マクベスの独白
・マクベスとマクベス夫人の2重唱
・フィナーレ

○第2幕
・マクベス夫人のアリア
・暗殺者の合唱
・バンクォーの大シェーナ
・マクベス夫人の乾杯の歌と祝宴の場

○第3幕
・魔女の合唱
・マクベスの幻影の場

○第4幕
・合唱
・マクダフのアリア、マクダフとマルコムの2重唱
・マクベス夫人の夢遊の場
・マクベスのアリア
・戦いの音楽
・マクベスの死

<ひとこと>
ヴェルディ自身が最も愛着を持っていたという作品で、長きに亘り手を入れていたと言います。現在は後にオペラ座での公演用に改訂した版が専ら演奏されますが、ここでは初演版。
はっきり言えるのは、この初演版はもっと上演が増えて然るべき、非常に充実した作品だということです。前作の『アッティラ』もこの時期では比較的出来のいい部類の音楽がついているようには思いますが、比べ物になりません。

改訂後の話は改訂版でなるべくしたいとは思いますが、改訂版は有名作ですし、どうしてもそこを較べた話が多くなってしまいますが、まず言えるのは改訂版の重心がかなり夫人寄りなのに対し、この初演版ではマクベスと夫人の両者、或いはむしろマクベスの方に重心が載った作品だということが言えると思います。恐らくはスタイルの問題はもちろんのこと、改訂版初演の地パリの趣味の問題やヴェルディの興味の対象がやはり夫人の異常性にあったということでしょう。ヴェルディの後年の志向から行けば、むしろ最後はあっけらかんとした合唱ではなくマクベスの死を選びそうなところをわざわざ改訂しているというのは、そういうことなんじゃないかと思っています。
スタイルということばを遣いましたが、初演版はまさに過渡期の作品ということばがふさわしいでしょう。ベルカント作品を引きずっているところがかなり見られます。それは例えばマクベスの幻影の場面や、2幕の夫人のアリアあたりに顕著ですが、2重唱の後半の展開部にもそうした傾向が見えます。面白いのは改訂版ではこのあたりのはっきりベルカント流儀の部分をバッサリ直しているところですが、そのあたりは改訂版の折にでも。一方でかなりモダンで後の作品を予感させる部分もあって、その最たるはマクベスの独白でしょう。旋律的と言うよりはとぎれとぎれの語りというべき風情で、糸を張ったような緊張感があります。リゴレットの独白や、更に先のファルスタッフをも感じ得るところでしょう。

初演版のマクベスは、ヴェルディ屈指の難役だと思います。改訂版よりも劇中の比重が大きいということに留まらず、過渡期の作品らしく伝統的な音楽から意欲的な音楽までさまざまなスタイルのエッセンスが垣間見られるからです。改訂版のマクベスもヴェルディ作品では異色な要求のある役ではあるのですが、それに加えてベルカントも必要というのはかなり過酷でしょう。最もベルカント的なのは、後の改訂で大きく変更される幻影の場でしょう。ここは例えばアッスール(G.ロッシーニ『セミラミデ』)やタッソー(G.ドニゼッティ『トルクァート・タッソー』)の狂乱の場と関係の深い音楽だと思います。前作アッティラのアリアも同じような傾向にあります。そういう意味では伝統的なスタイルだとは思うのですが、ここの部分の完成度は関連するこうした作品に劣らない、極めて高いものと言っていいと思います。特に完全にカットされているカバレッタは暗いドラマティックな迫力があり、ヴェルディが低音陣に書いたカバレッタの中でもトップクラスの出来ではないでしょうか。また、同じく改訂版でカットされる死の場面は、これとは逆にうんとモダンで簡潔な音楽です。改訂版でのカットはちょっと先に行きすぎた?ということなのでしょうか。ここの部分はむしろこちらの版の方が作品全体の雰囲気にも合致していると思います。この2か所を聴くためだけでもこの初演版を聴いて損はありません。独白の先進性は既に上述したとおりですが、この時期に朗々とした歌ではなくドラマティックな語りに仕上げているというのは特筆に値するでしょう。有名なアリアは比較的伝統的なスタイルで書かれたカヴァティーナですが、カバレッタを伴わず、このあたりにもヴェルディの苦心が見てとれるようです。作曲家らしい流麗な旋律を聴かせる歌で、名旋律と言うところではマクベスの最大の見せ場でしょう。こうして見るとベルカントを心得て流麗に歌わなくてはいけない一方、演劇的な表現力をも問われる先進的な音楽表現もしなければいけない、初演版のマクベスの難しさが見えてきます。

対して夫人は初演版でも改訂版でも同じような難しさを持っている役だと言えるように思います。上述のとおりアビガイッレの延長線上にあるというべき野望の女で、突っ込んだところは改訂版のところで書こうと思いますが、力強い迫力のある声で超絶技巧をこなさなければいけない超難役です。性格的に改訂版と異なるのは、差し替えられた2幕冒頭のアリアで、こちらではより音程の高い華やかでベルカントの香りが漂う音楽になっています。技術的には相当難しいもので、聴き映えはします。ただ、マクベス夫人のキャラクターと合っているかと言うとちょっとなあという感じ。これは雲泥の差で改訂版の不気味なアリアの出来が勝っています。それ以外のマクベスとの重唱などでもちらほらベルカントの素養が要求される一方、ベルカント音楽が生み出した狂乱の場をより演劇的に発展させたとも言える夢遊の場を歌わねばならないし、手紙の読みまである(これはヴェルディの作品では異色だし、当時としては珍しい手法だったのではないかと思いますがどうなんでしょう)と考えると、この版でのマクベスを歌うのと同様の難しさがあるとも言えるでしょう。

バンクォーは役そのものは大きいとは言い難いものの、存在感のあるバスがやらなければ面白味が減ってしまうところで、実際録音などでは軒並み有名歌手が演じています。バンクォーは悪人ではありませんが、堂々とした重々しい存在感とともに、不吉な雰囲気を感じさせる人でなければ、名曲である大シェーナが活きません。この大シェーナもまた、ヴェルディが新しい表現を意欲的に試みた結晶とも言うべきものです。同時期に作曲されているアッティラのアリアのカヴァティーナ部分との関連は間違いなく強く、ここでも嘘ら寒いどことなく不安な予感に苛まれる様子が見事に表現されています。劇的に終わる構成も、アリアやカヴァティーナではなく敢えて「大シェーナ」としたヴェルディの意図を強く感じます。

上記の役に較べるとマクダフは普通のテノール役で、特段意欲的な音楽はつけられていません。これは上述のとおり初演の歌手の非力さに起因するというのがよく言われる話ではありますが、やっぱりヴェルディの関心が低かったように私には感じられます。とはいえ彼のアリアは伝統的でありながら、非常に悲痛で聴く者に訴えかけるものです。この時期の他のテノールのアリアなどと比べても(例えば次回作『群盗』の主人公であるカルロなどよりずっと)、ずっと見事な曲なのは、やはりヴェルディの本作への思い入れでしょうか。

マルコムはマクダフの補強用の役と言う程度だとは思います(カバレッタ部で延々ユニゾンとかどんだけ期待されてないんだよって感じですねw)が、清潔感と若さのあるテノールが期待されるでしょう。

合唱もマクダフのアリアの前の曲がまるっと変わるのをはじめ、改訂でかなり手直しされますが、全体的に改訂後の方があやしげでドラマティックな雰囲気が増しているように思います。この作品では特に女声合唱、魔女の合唱の出来が作品全体の雰囲気を左右します。この作品に登場する人々、マクベス夫人でさえ手玉に取っているのは、彼女たちだからです。ヴェルディは夫人を醜くて汚い声の歌手が歌うべきだということに拘ったと言いますが、魔女たちについても同じことが言えると思います。整然と綺麗に統率された合唱で魔女たち、と言われて納得がいくでしょうか。合唱各人の声のエッジが立たせたような、別の言い方をすればめいめいが勝手に歌っているような猥雑さが欲しいところです。

<参考音源>
○ジョン・マテソン指揮/マクベス…ピーター・グロソップ/マクベス夫人…リタ・ハンター/バンクォー…ジョン・トムリンソン/マクダフ…ケネス・コリンズ/マルコム…リチャード・グレーガー/BBCコンサート管弦楽団&合唱団
>ちょっと意外なメンバーによる演奏ですが、この時期BBCはヴェルディの有名作品の初演版とか埋もれた版を演奏するのに凝っていたらしく、『シモン』の初演版も遺していますし、『ドン・カルロ』に至っては恐らくはそれまで演奏されたことがあるのかすらわからない超原典版の録音もしています。で、この演奏ですが、個人的にはかなり好き。正直オケも合唱もあんまり巧いとは思わないんですが(祝宴の場面とかクラが派手にリードミスしてるしw)、それがこの欧州の辺疆の古びた雰囲気に包まれた世界に逆に非常に合ってるんです。魔女の合唱なんかも程よくへたくそ(笑)一方でソリストたちはそれぞれにレベルの高い歌唱で、いいバランスを保っています。何と言ってもマクベスのグロソップが立派。意外と音源が少ない人なので、ここでの登場は嬉しい限り。荒々しい声と堂々とした存在感で、聴き応えがありますし、モダンな独白もベルカントな幻影の場も過不足ない表現で満足できます。僕自身は未聴ですがリゴレットで鳴らしたというのもよくわかる表現力、演技力です。ハンターは如何にもこの役にあった棘のある声ですし、転がしも悪くありません。附加的な高音をつけたりしていてそれなりにカッコいい。けど、もうちょい迫力が欲しいかなあ。グロソップが立派なだけにもう少し味付けの濃い歌唱の方が暴走する夫人らしさが出てくると思うのです。バンクォーは有名な割にあまり私には縁が無いトムリンソンですが、ここではグロソップに負けず劣らず重厚かつ不吉な雰囲気で◎ただ、大シェーナはソット・ヴォーチェやクレッシェンドを意識し過ぎたのか、声の飛びがよくない個所があります。コリンズはやや線が細い気もしますが、ハリと金属光沢のある声で、この役らしい若々しさを感じさせて呉れます。マクベスの初演版を聴いてみようと思う好事家には、望外の充実した歌を楽しむことができることもあり、おススメできます。

○マルコ・グィダリーニ指揮/マクベス…イェヴゲニー・デメルジェフ/マクベス夫人…イアーノ・タマール/バンクォー…アンドレア・パピ/マクダフ…アンドレア・ラ=ローザ/マルコム…エミール・アレクペロフ/伊国際管弦楽団&ブラティスラヴァ室内合唱団
>最近の演奏ですがこれも楽しめます!恐らく更新日現在存在する2つしか無い録音が、両方とも作品の良さがわかる音源だというのは、嬉しいところです^^グィダリーニの采配によるところだと思いますが、この時期のヴェルディらしい熱気はこちらの演奏の方があります(ライヴだからって言うのもあるでしょうね)。全体に前に進む音楽で気分がいいです。合唱はちょっと綺麗すぎるかも。マテソンより巧いとは思うのですが、やはり汚らしさが欲しい。オケは上記のBBCより巧いと思いますが、生っぽい汚い音も入っていて綺麗すぎなくて程よい匙加減笑。マクベスのデメルジェフは勃国のバリトンだそうで、ここでしか聴いたことはないですが、結構な実力者だと思います。暗い音色の厚みのあるバリトンで役にもあっていますし、終幕のアリアの表情付けなど知的なコントロールを感じます。独白も劇的で見事ですし、幻影の場も引き込まれます。タマールはセミラミデがいまいちだったので期待してなかったのですが、こちらの方がうんと好演。技術的な部分はや附加的な高音などはハンターに譲るものの、狂気に満ちた隈取りな雰囲気など全体的には彼女の方が出来がいいと思います。これならアビガイッレやオダベッラを歌っても良さそうです。パピは何度か来日しているバスでありながら諸々の事情でスルーしていたんですが、いくつかの録音を聴いて聴くべき人だった…と痛く反省しています。深々とした重厚な響きのある声で、何処かシエピを思わせるようなところがあってかなり好みです(シエピよりはかなり粗っぽい歌になるところもあるのですが)。ここでもどっしりとしたバンクォーを演じていて公演を支えています。ラ=ローザは頑張ってはいますが、コリンズより細い声でちょっと流石に^^;有名キャストではないものの、全体にはこちらも十二分におススメできるものです。
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アッティラ

アッティラ
Attila
1846年初演
原作:ツァハリウス・ヴェルナー
台本:テミストクレ・ソレーラ、フランチェスコ=マリア・ピアーヴェ

<主要人物>
アッティラ(B)…史実上のフン族の大王アッティラ。史実では欧州を席巻して当時住んでいたゲルマン民族の大移動を引き起こし「神の鞭」と恐れられた人物。フン族の子孫とされる洪人の間では未だに人気があり「アッティラ」は一般的なファースト・ネームとなっている。が、この作品の中では台本上はなよなよくよくよしていてなんだかなぁと言う感じ^^;アリアでは幻影に魘され、その後のフィナーレで恐れ慄くところはそれはそれでいいと思うし作品中出来のいい部分だとは思うんだけど、折角ならもう少し暴君ぶりを発揮して呉れても良かったんじゃないかしら。とはいえ、音楽面では主役らしい堂々たる楽曲が当てられており、バスとしては一度はやってみたい役かも。特に上述した不安に苛まれるアリアから豪快なカバレッタ、或種の狂乱場面と言ってもいいフィナーレの当たりなんかは表現力のあるバスに演じて欲しいところ。また、同じ王でもフィリッポのように老年の貫禄を感じさせるよりは豪快な若々しさがある方が個人的にはいいと思う。
オダベッラ(S)…アクイレイアの領主の娘。主要人物の中では数少ない史実にはない人物で、原作ではヒルデグンテという思いっきりゲルマンな感じのお名前。ヴェルナーはゲルマン大移動を意識した設定なんでしょうが、この作品の初演はヴェネツィアですから、そこはやっぱりサービスして伊女にしているんでしょうね。戀人に対して情熱的な愛を注ぐ一方で、父を殺したアッティラに復讐を誓う男勝りな猛女として描かれる。アッティラの求婚を受けながらも、最後には彼を刺殺する(一般的にはアッティラは急病で死んだとされるが、妻に殺されたという説もある)。音楽的にはアビガイッレの流れを汲みマクベス夫人へと繋がる役であり、ドラマティコで上から下までゴリゴリ転がしを入れて行かなくてはいけない超難役。
エツィオ(Br)…ローマの将軍であり、アッティラとは旧知の仲でもある英雄。史実では「最後のローマ人」と称されたフラウィウス・アエティウス(伊語ではアエティウスがエツィオとなる)で、カタラウムヌの戦いでアッティラを潰走させた。彼の有名なカバレッタの中には「最後のローマ人の死に、全伊国が涙するだろう」という歌詞があるあたりは当然狙っているし、アッティラと交渉する重唱の中で「全世界をそなたにそなたに委ねよう、しかし伊国だけは私に残して欲しい」なんていう歌詞なんかも含めるとリソルジメントに燃えていた当時の伊人の熱狂をもろに狙っている。こういうあたりソレーラの手腕はかなり見るべきものがあるように思う。途中で仕事投げたけど。実際今日の耳からしてもこの役に与えられている音楽は骨太でカッコいいものばかりであり、声量のあるヴェルディ・バリトンにこそ歌って欲しい役。とはいえ、カッコいいことをカッコいい音楽に乗って歌う割には、実際の台本上の決めどころはオダベッラに持って行かれてしまっている感はあるのだが…。
フォレスト(T)…オダベッラの戀人。原作のヒルデグンテの戀人はアッティラとの戦いにより既にこの世にいないことになっているが、歌劇的な効果を考えて登場しているオリジナル・キャラ。とは言えこの人単なるオリジナルではなくアッティラの侵攻から逃れアドリア海にヴェネツィアを築いたという伝説から取られた人物で、彼と伊人に設定し直したヒロインを戀仲にするあたり初演の地ヴェネツィアの人々の心を擽る工夫をしっかりしていてソレーラの手腕は以下略。途中で仕事以下略。ただ、台本上はあんまりカッコいい見せ場がある訳ではない所謂フツーのテノール役で、正直オダベッラの尻に敷かれそう。与えられている音楽もそれなりにカッコいいんだけど、対決する英雄たちや隈取りのヒロインと較べちゃうと分が悪い。
レオーネ(B)…ローマ在住の謎のおじいちゃん。アッティラの夢に現れたのち、現実でも登場して彼を怯えさせる。この作品だけ見てると何故このおじいちゃんがこんなに不吉でおぞましいのか皆目わからないが、実は彼の正体は史実でアッティラと会談し和平を結んだ教皇レオ1世。当時は聖職者を舞台に登場させられなかったりとかっていうことがあったんで、こんなことになるんですね^^;登場場面はその預言の部分だけで、印象的なフレーズも1ヶ所だけなんだけど、そこが作品の中で超重要なところなので、しっかりとした厚みと迫力のあるバスにやって欲しいところ。そういう意味じゃモンテローネ伯爵や修道士と同系統ですね。けど、実際ないものねだりよねー。
ウルディーノ(T)…アッティラの忠臣。と思いきや伊人たちと繋がっていて、アッティラに毒を盛ろうとする。が、オダベッラに阻まれる。劇作品的にはこういう人は舞台装置みたいな役割になってしまうが、現実にはこういう人がいるのは大事っていう、まあなんというか美味しくない役回りの人ですよね。あ、でも結構歌うし目立つよ!

<音楽>
・前奏曲
○プロローグ
・導入の合唱
・オダベッラのカヴァティーナ
・アッティラとエツィオの2重唱
・フォレストのカヴァティーナ

○第1幕
・オダベッラのロマンツァ
・オダベッラとフォレストの2重唱
・アッティラのアリア
・フィナーレ

○第2幕
・エツィオのアリア
・フィナーレ

○第3幕
・フォレストのロマンツァ
・オダベッラ、フォレストとエツィオの3重唱
・アッティラ、オダベッラ、フォレストとエツィオの4重唱フィナーレ

<ひとこと>
仕事としては依頼されたものですが題材としてはヴェルディ自身がやりたいと言って出来た初期のもの。何故だか理由はよくわかりませんが、近年人気が出てきていてあちこちでかかっているようです。
よく言われているように、台本を当初ヴェルディはピアーヴェと検討しますが途中でソレーラに依頼します。ソレーラとはナブッコでも仕事をしていますし、題材に合うと思ったのかもしれません。ところがソレーラが途中で仕事を投げて愛人と国外へ行ってしまいました。仕方がないので慌てて残りをピアーヴェに任せたので、曲目リストを見るだけでもその竜頭蛇尾っぷりがよくわかる残念な感じになってしまいました^^;これを以てこの台本やソレーラやピアーヴェは非難をよく浴びているし、その気持ちは僕も良くわかります。特にソレーラはあれだけ壮大に始めたんだから、壮大に完結させて欲しかった。
とは言え、ソレーラがやった部分の仕事を純粋にみると、このひと全体の一貫性は兎も角舞台の盛り上げ方をよく知ってるなあと玄人っぽさを感じるのも事実です。特に上述したようなリソルジメントが活発となっていた時代のヴェネツィアで初演と言うことを考えたキャラの改編や科白などは本当にいいところを狙っているなと。まあだからこそ完結しろよ、という気分にもなる訳ですが^^;一方、ソレーラとは持ち味が大分違うのに、彼が拡げるだけ広げた大風呂敷の回収を命ぜられたピアーヴェも気の毒な気がします。

このやっつけ台本につけられたヴェルディの音楽は、全体的には初期ヴェルディの中にありながらも、いろいろなことを試している感じがします。そして作品を通して見たときには、台本がああですからまあしょうがない気はしますが、やはり前半の方が勢いがある充実した音楽で、2幕後半から急激に失速する印象は否めません(とか言いながら、個人的には3幕フィナーレの4重唱は結構好きだったりするんですが。終わりがあっけなさすぎるけど)。

題名役の蛮王アッティラの人物像が、全体としてぱっとしないと言いますか弱々しいものになってしまっているのがこの作品の最も残念な点だと思います。豪快な英雄らしさに溢れているのがプロローグぐらいになってしまっているのは誠に勿体ない。個人的には1幕の不安なアリア、一転して豪放なカバレッタ、独り震えて別のパートを歌うアンサンブルというあたりの出来は凄くいいと思っていて、これでそれ以外の場面で暴君ぶりが発揮されていれば、多面的な人物になって凄く良かったのではないかと思うのです。当のアリアからアンサンブルまでの流れは気持ちの変化が激しい部分なので、歌手にはかなりの表現力が求められるところです。アリアはこの後『マクベス』でのバンクォーの大シェーナに繋がる音楽であり、漠然とした不吉な気配を恐れる様子をしっかり出して欲しいし、台本上の展開はやや唐突な感じはあるものの、そのあとローマに侵攻することを考えると、カバレッタは一転して勢いを以て決然とした豪快な歌を求めたいところ(古い録音だと時々カバレッタがカットされていますが、これは流れを考えるとあった方がいいと思う)。その後のアンサンブルはやはり恐れ慄いていますが、ここでは予知夢が的中した恐ろしさですから、アリアとは区別をつけなければならない、となるとやはりこのあたり要求が多いですね。また、全体にキャラクターがなよっとしてしまっているので、数少ないパワフルさが見せられる場所としてプロローグの重唱では堂々たる歌唱が期待されます。ここでのアッティラとエツィオの会話は、А.П.ボロディン『イーゴリ公』のイーゴリ公とコンチャク汗の会話と並ぶオペラでの英雄の対決ですから、序盤ではありますがぶっ飛ばして欲しいですね^^もうひとつ、キャラの弱さを補うために、逆説的ではありますが立派な声の堂々たるバスが演じるのが好ましいと思います。並みの歌手ではなよなよへろへろっぷりが強調されてしまいますから(苦笑)加えて言うなら、この役はフィリッポのような或る面枯れた人物ではないので、若々しい声の人の方が合うように、個人的には思います。

オダベッラは久々の強烈な女声キャラでまさに女傑という言葉がふさわしい人物造形で、アビガイッレの延長線上にあると言っていいでしょう。実際本編の主人公は彼女でしょう。とは言えこのひとも描き込みが非常にしっかりしているとは言い難い部分があって、祖国の敵である以上に父の敵であるアッティラが憎い、というところまではいいと思うのですが、そこからどうしても我が手で殺したい、というところにはちょっと隔たりが大きいような。どう考えてもフォレストの毒杯で殺してしまう方が正常な判断で、このあたりが彼女をエキセントリックにしていると言いますか、悪く言えば現実味に乏しい人物にしてしまっている気がします。フォレストはこんな女性が戀人では長生きできないんではないかと余計なことが心配になってしまうレベルです^^;が、彼にはぞっこんっぽいのでそのあたりの二面性をうまく織り込めるひとでないと厳しいのかなと。音楽的にはアビガイッレ、マクベス夫人と並ぶ厄介なもので、上から下まで鳴るドラマティックな声と転がしの技巧が要求されています。開幕早々のカヴァティーナはテンポも速く溌溂としたもので、カバレッタが2個続くようなもの。2幕のロマンツァは一転して静かでロマンティックですが、これも芯の強い声の方が栄えるでしょう。

フォレストは他のキャラクターに較べると言いますか相方が隈取り異常人のオダベッラですから存在感が薄い気がしますが、そうは言っても彼女との絡みが2回もありますし独唱も2つもありますから、力量のある人にやって欲しいところです。テノールにはありがちな戀人のことで一喜一憂させられる人物ではあるものの、彼の場合は武人としてやることはやっている気がしますし、何より相手があのオダベッラですからまあ振り回されても仕方ないですね笑。後のヴェネツィアを興した人物のカメオ出演でもありますし、ロブストな歌手の方が個人的にはキャラクターにあっているように思います。一方で、当てられている音楽はやはりまだベル・カントの匂いのするものなので、様式感はしっかり出して欲しいです。

アッティラと対峙するもう一方の英雄エツィオは、話の筋上は美味しいところをオダベッラに持って行かれてしまっている感はあるものの、力強い声のヴェルディ・バリトンにやって欲しい役です。史実ではアッティラをカタラウヌムで撃破した人物でもあり、プロローグでは互いに認める人物として彼と語り合う訳ですから、堂々たる存在感がなければ務まりません。当然ながら大前提として歌が確かである必要はあって、この役もまた様式感が欲しいところです。音楽的にはベル・カントの匂いのする、ややあっけらかんとした嫌いはあるものの、アッティラよりむしろ豪傑然としたもので、主な見せ場であるアッティラとの重唱もアリアも聴き応えがあります。楽曲としてはそうした派手な見せ場がある割に台本としては活躍も少なく一面的な人物になってしまっている感も否めないので、ソレーラが実際後半をどうするつもりだったのかはわかりませんが、想像するに多分彼が仕事を投げたせいで一番割を喰ってしまったキャラクターではないかと思います。アッティラやオダベッラとの絡みがもう少しあったらもっと面白い役になったのではないかという気がしますし、愛国者的な面とは違う一面を見せる内面的なアリアがあったら深みが増したような。とは言え作品自体がリソルジメントものですし、そういうキャラですから(笑)、ちょっと厳しかったのもわからなくはなく…ただちょっと勿体ない気はしていたりします。

レオーネは脇役ではありますがキーロールでしょう。上述のとおりモンテローネ伯や修道士を彷彿とさせます。迫力と深みのあるバスに演じて欲しいところですが、なかなかそこまで手の回っている録音はありません。近年の上演では史実に即して教皇の姿で登場させる演出もあるようですが、個人的にはもう史実なんて全然関係ない台本ですし、敢えて元設定に戻さないで謎のおじいちゃんの方が迫力があるように思います。

<参考音源>
バスが主役なので(笑)、知名度の割にいろいろ聴いてますw今回は取り上げませんでしたが、アッティラなら異民族らしい迫力のあるガルデッリ新盤のネステレンコ、エツィオならいくつか音源のある荒ぶる猛将G.G.グェルフィ、フォレストならパタネ盤のロブストなルケッティもそれぞれおススメです。オダベッラはなかなかいい歌唱に出会えないなぁという印象ですが、ムーティ盤のステューダーは声のリッチさと色合い、迫力、技術等すべてひっくるめた上でベストの歌唱と言ってもいいかもしれません。是非に。

○ジュゼッペ・シノ―ポリ指揮/アッティラ…ニコライ・ギャウロフ/オダベッラ…マーラ・ザンピエリ/エツィオ…ピエロ・カプッチッリ/フォレスト…ピエロ・ヴィスコンティ/レオーネ…アルフレード・シュラメク/ウルディーノ…ヨーゼフ・ホプファヴァイザー/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団 & 合唱団
>『アッティラ』と言えばこれ!という不滅の名盤。切れば血が出るのではないかと言う熱く滾った凄演だということで、このblogでも繰り返しご紹介してきました。今回改めて聴いてみて、何と言ってもやはりカプッチッリを聴くための録音だと再認識しました。入りがずれたりとかライヴらしい疵がないかと言えば嘘になりますが、これが劇場でのヴェルディだ!と言わんばかりの熱血歌唱で、これで興奮しないならヴェルディに関心がないかバリトンに関心がないかのどちらかだと思います(笑)カバレッタでのハイBと喝采に応えてのBisが取り沙汰されますが、格調高いカヴァティーナやギャウロフとの丁々発止のやり取りも必聴です。そのギャウロフは声に衰えがあり、圧倒的な迫力で押してくる演奏を期待するとちょっと拍子抜けしてしまうかもしれません。しかしその歌のスケールの大きさは稀有のもので、台本上のずっこけぶりを忘れさせてくれる史上の英雄らしい力強いキャラクターを感じさせます。いつもながら表現力に秀でており、一番の見せ場であるアリアから1幕フィナーレまでも天晴な歌唱。懐の深さ、老獪さで行けば一番でしょう。シノーポリの采配もお見事で、ハイテンションな演奏ながら、テンションだけの演奏ではない理知的な印象も受けます。ウルディーノに脇の名手ホプファヴァイザーも嬉しいところ。一方でザンピエリとヴィスコンティについてはあまり褒めちぎったことは書けないなと思いました。ザンピエリは声質がやや可愛らしいのには目を瞑るにしても迫力がもう一声で、この役の強烈さが表現できていないと思います。また、細かい音符が流れてしまっているのもいただけません。ヴィスコンティはちゃんと歌ってはいると思うのですが、ちょっと線が細い印象なのとちょっとなよなよし過ぎな感じ。シュラメクは自分の仕事はしていると思いますが、如何せん他の低音陣が強すぎて印象が薄い(^^;

○ランベルト・ガルデッリ指揮/アッティラ…ルッジェーロ・ライモンディ/オダベッラ…クリスティーナ・ドイテコム/エツィオ…シェリル・ミルンズ/フォレスト…カルロ・ベルゴンツィ/レオーネ…ジュール・バスタン/ウルディーノ…リッカルド・カッシネッリ/ロイヤル・フィルハモニー管弦楽団 & アンブロジアン・オペラ合唱団
>非常に平均点の高い演奏で、アッティラがどういう演目なのかを知るにはこちらの方がいいかもしれません。後年のガルデッリはテンポがたるみがちになったり、緊張感がいまひとつな演奏が多くなりますが、このころはまだベスト・フォームではないでしょうか。初期ヴェルディをよくわかった実直な指揮ぶりだと思います。全盛期のライモンディの若々しい声が大変素晴らしいです。スケール感や野性味こそ他よりも劣るかもしれませんが、精悍で雄弁な歌いぶりは実にスタイリッシュで、耳に心地いいです。野蛮な異民族の王と言うよりは、誇り高い君主と言うイメージです。他のキャストとの声のバランスもあらまほしきもので、音楽的な歌唱と言う意味では最も範とすべき演奏だと思います。スタイリッシュと言う点で行けばベルゴンツィもまた、彼らしい真摯な歌唱。声は衰えたかなとも思わなくはないですが、格調の高さで行けばベストのフォレストと言っていいでしょう。特に登場のカヴァティーナでのpを多用した繊細な表現にはうっとりします。前述のとおりこの役はロブストな声の方がいいとは思うのですが、こういう絶妙な味付けもできればなおよしです。ま、ベルゴンツィだからできるという説もありますが…笑。ミルンズもいつもながらたっぷりとした豊麗なバリトンで恰幅のいい将軍です。彼の藝風はより理知的な印象を与える歌唱ですから、燃える闘将という風情だったカプッチッリやパワフルなG.G.グェルフィに較べるとよりクールな雰囲気です。エツィオのキャラクターを考えるとこういうのもありかと。そしていつも思いますが、彼の声はライモンディと非常に相性がいいですね!このコンビで歌っているときは実に気分がいいです。で、オダベッラのドイテコムなんですが、この人がね~好き嫌いが分かれるかなと思うんです。技術的には全く問題ありませんし、迫力と言う面でも充分かなとは思います。ただ、ジゼルダの時もそうでしたが彼女の硬質で澄んだ声質がこの熱気の初期ヴェルディに合うのかと言われると、躊躇するところがあります。例えて言うなら、赤い色が欲しいところに黄色を塗ってしまって、それもまあ悪くはないんだけどなんとなくちぐはぐな感じと言いますか。純粋に歌唱技術でいったらピカイチなのですが。バスタンは藝の幅が広くて私自身大好きなバスなのですが、レオーネには流石に声が明る過ぎ・軽過ぎ。珍しくこの役にしては大物起用なんですけどね^^;

○ブルーノ・レンツェッティ指揮/アッティラ…フェルッチョ・フルラネット/オダベッラ…ディミトラ・テオドッシュウ/エツィオ…アルベルト・ガザーレ/フォレスト…カルロ・ヴェントレ/レオーネ…ダニエル・トニーニ/ウルディーノ…アレッサンドロ・コンセンティーノ/トリエステ・ヴェルディ歌劇場管弦楽団 & 合唱団
>比較的最近の演奏です。レンツェッティの指揮は多少の粗っぽさを感じなくもないですが、勢いがあり快活で悪くないで。初期ヴェルディの熱っぽさがよく出てる。とは言え一番の聴きものは野性味溢れるフルラネットでしょう!かなり大胆に荒々しさを前面に出した歌唱なので乱暴さが気になる向きもあるかと思うのですが、だからこそ異民族の猛者らしさが余すところなく表現されていて、スラヴ系の歌手たちよりもむしろそれっぽさを感じます笑。近年の彼のヴェルディに感じるところですが、崩しの絶妙さが功を奏していると言えそうです。これだけ荒ぶって呉れれば暴君的側面も際立ち、台本の弱さも補われるように思います。ついでテオドッシュウのド迫力歌唱が印象に残ります。やや転がしがもたつくところもあるものの、これだけパワフルな声でこれだけ歌って呉れれば文句なしと言うところで、オダベッラのちょっと異常なキャラクターが際立つ理想的な歌でしょう。まさに気迫の歌唱です。この2人の大迫力大相撲歌唱に較べるとガザーレ、ヴェントレは丁寧な歌唱ではあるものの印象が薄いです。ヴェントレはまあ悪くない一方、ガザーレは声自体は立派だと思うのですがどうものぺっとした歌い口でちと残念。フルラネットとの対決では完全に力負けしています。
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アルツィーラ

アルツィーラ
Alzira
1845年初演
原作:ヴォルテール(フランソワ=マリー・アルエ)
台本:サルヴァトーレ・カンマラーノ

<主要人物>
アルヴァーロ(B)…西国人のペルー総督と言う訳で偉い侵略者なんだけど、開幕いきなり原住民に囚われている何か可哀そうな人。ヴェルディに出てくるお父ちゃんでバスとか言うと見せ場が多そうで俄然テンションが上がるが、ここではほぼ脇役。後年のヴェルディだったらこの役をもう少し拡張して(息子グスマーノと恩人ザモーロと対立していることを嘆くアリアとか、どちらかを説得する重唱とか)、オペラ全体をもう少し立体的にしてそう。
グスマーノ(Br)…アルヴァーロの息子。作中で高齢の父から総督の座を引き継ぐ。オペラには良くあることだが、身分のある人物の癖に捕虜の原住民(=アルツィーラ)に惚れ込む。これだけだと単なる悪役なんだが、終幕でザモーロに刺された後はいきなり名君モードになってアルツィーラとザモーロに恩赦を出し、高潔な人物として讃えられて死んでいく。この作品での彼の最期はやたら唐突だが、後の『仮面舞踏会』のリッカルドの最期が透けて見えないこともない。
ザモーロ(T)…原住民の酋長のひとりで、死んだと思われていたが実は生きていた。冒頭敵のアルヴァーロを解放したりとか懐がでかい感じを漂わせるものの、そのあとはアルツィーラ逢いたさに敵陣に忍び込んでいちゃいちゃしたり、西国との戦いに奮起してみるもののあっさり敗れてたり、アルツィーラがグスマーノと結婚すると聞いてブチ切れて単騎グスマーノ刺しに向かったり…まあよくいるスットコドッコイなテノール役。けど案外いいアリアが与えられているし、この役の出来栄えが作品の印象を左右しそう。
アタリーバ(B)…原住民の酋長のひとりでグスマーノに捕えられている。。ヴェルディに出てくるお父ちゃんでバスとか言うと以下略。アルヴァーロ以上に見せ場がなくて何か可哀そう。ポジション的には『アイーダ』のアモナズロへと繋がって行くのかな、と言う気もするが…まあ脇役だしね^^;
アルツィーラ(S)…アタリーバの娘。ザモーロと愛し合っているが、父親ともどもグスマーノの捕虜になり、その上グスマーノに言い寄られている悲劇のヒロイン。しかし題名役なんだが割と存在感が稀薄で、ザモーロやグスマーノの方が印象に残る気がするのは聴いた録音の問題か^^;でも結構技巧的には難しそうで、アンサンブルなんかでは華々しく活躍している(まあ主役だからそうかw)。
オヴァンド(T)…西国の侯爵。西国人だったら「オバンド」の方が発音的には合ってるのかな。ま、いっか。
ツーマ(Ms)…アルツィーラの召使。捕虜になってるのにちゃんと召使が結構いるなんてアルツィーラはいい身分だ。アイーダなんかアムネリスの召使やってるのに…。あ、意外とこの役はアンサンブルで聴こえます。
オトゥンボ(T)…原住民の兵士。如何にも原住民っぽい、そして脇役っぽい名前がチャーミングである。そして、意外と歌う。

<音楽>
・序曲
○プロローグ「囚われ人」
・導入の合唱
・ザモーロのカヴァティーナ

○第1幕「命には命を」
・導入の合唱
・グスマーノのカヴァティーナ
・アルツィーラのカヴァティーナ
・アルツィーラとザモーロの2重唱
・フィナーレ

○第2幕「原住民の復讐」
・導入の合唱
・アルツィーラとグスマーノの2重唱
・ザモーロのアリア
・グスマーノのアリア・フィナーレ

<ひとこと>
ヴェルディ御大が後年自分の作品を振返って、「これはひどい」と言ったことで有名な作品(笑)興行的にも『1日だけの王様』以来の大コケだったと言うこともあり、ヴェルディの数ある歌劇の中でも最も光の当たらない作品だと言ってもいいかもしれません。名前も『アッティラ』に似ていてよくCD屋でも間違えて置かれてるし…かくいう僕自身が聴いたのも全作品中最後の方、というかその後に聴いた『ジェルザレム』や『アロルド』は改作ですから、そう考えると最後と言ってもいいでしょうね^^;
よく台本が古臭くってダメだったとよく言われますが、あらすじを読んでみると意外とマトモ。むしろヴェルディ先生の作品の中ではまだ筋が通ってる方なんじゃないかと言う気もします。もちろん最後はデウス・エクス・マーキナー的ではあるのだけれど、彼の人気作の超展開っぷりに較べたらだいぶマトモなんじゃないかと。ただ、後述しますが各人物の魅力はやはり足りないと思います。
音楽の方も、とても傑作と言えるようなパンチに富んだものではないものの、歌う人がちゃんとしてればまあ楽しめるレベルではあると思います。集中力は続かないものの、光るところも散見されるのは確か。あと、聴いた音源の歌唱陣のせいかもしれませんが、ベル・カントものですねこれは。そう考えるとヴェルディと言えども直前の偉大な時代の影響から抜け出るのは大変だったんだなぁと。というか、彼もまたベル・カントの時代を生きた作曲家なんですよね。だからベル・カント的な匂いが中期ぐらいまでは漂っている部分がある。どうもこれは無視されがちだと思います。
本作は90分程度とヴェルディのオペラの中でもおそらく最もコンパクトなもののひとつ(カバレッタ繰り返してもこんな程度ですよ!)。作品が長すぎると言うのももちろん考えものなのですが、この作品の場合は本来必要な部分まで殺ぎ落とされちゃっているような感じでちょっと物足りないし、そのせいで特に最後の展開が強引になってしまってるきらいはあるように思います。各人物が魅力薄なのもそこに起因しているようにかんじます。
という訳で欠点は少なくはないし、特段印象に残る訳ではないけど、現在光があたっているヴェルディ初期の他の作品と較べて格段に出来が悪いとは思わないなあという感じ。

全体的に大雑把な人物造形のキャラばかりですが、やはりこの物語を或る意味で推し進める原動力と言っていいグスマーノに説得力を持たせられるかどうかが、まずは大きいような気がします。前半の悪役ぶりと刺されてからいきなり名君になるギャップは如何ともしがたい^^;上にも書いたように、展開的にはのちのリッカルドを思わせる終わり方ではあるのですが、何分そこまでがそこまでだし、しかも直前にあるザモーロのアリアは勢いのある音楽で彼に感情移入してしまうので、最後こいつはいいやつなのか悪いやつなのか良くわからなくなってしまいます。出番が多い割にはその辺の描き方が適当なのが残念。彼につけられた音楽は超名曲とは言わないまでもそれなりに綺麗な旋律なので、バリトンに力量があれば聴きごたえはあるかもと。ベル・カントの作品だとは言いましたが、バリトンにはやはりパワーが求められるという部分はヴェルディらしい特徴が出ていると言えるでしょう。

残る2人の主役については更に人物造形が粗くなるように思います。
上にも書きましたが、ザモーロは登場した最初の場面こそ酋長らしい判断をして見せますが、それ以降は上述のとおり自らの愛以外は何も見えないすっとこどっこいテノールの王道を行ってしまいます。逆に言えばその登場の場面は彼の別の面、酋長としての彼を示せる唯一の場面ですから、そこで堂々と説得力あるパフォーマンスができれば、そんな彼が夢中になる女性としてアルツィーラを持ち上げることもできるでしょうし、或いはいっそ二重人格的な人物にすることもできるかもしれない。また、彼に与えられている音楽は結構立派で、ふたつあるアリアはどちらも大規模且つ華やかなものですから、ここを聴かせられるかどうかは、作品全体の印象にも繋がるように思います。しっかり歌えばそれなりの聴き栄えはあるかな、と。
題名役のアルツィーラは、恐らくはヒロインの心情の変化の描き込みの足りなさやキャラクターとしての主張の弱さに加え、グスマーノやザモーロのようなちょっと呆気にとられる極端な方向転換もないので、実は主役の中で一番印象が薄いように思います。アンサンブルでは結構聴かせる動きもあるのですが、アリアはいまひとつですし。グスマーノの要求を嫌々飲む場面を、むしろ迷い落胆しながらも不承不承それを認めるアルツィーラのアリア(『ルイザ・ミラー』でルイザがヴルムに手紙を書かされる場面のような)にすれば良かったのかなぁなどと岡目八目。

最後にヴェルディの作品の人物とは思えないぐらい存在感のない父親2人。このあたりにヴェルディがまだ題材を選べない余裕のなさを見るか、それともヴェルディのやる気のなさを見るかは鑑賞者次第でしょうか。とは言え、アタリバはかなり存在感が薄いもののアルヴァーロはアンサンブルの中で何箇所か光る場面があります。グスマーノを止める場面などは暗い迫力があり、もうちょっとこの役を拡大しても良かったんじゃない?という気も。まあその前に主役3役の洗練が来るのでしょうが^^;

<参考音源>
○ランベルト・ガルデッリ指揮/アルツィーラ…イレアナ・コトルバシュ/ザモーロ…フランシスコ・アライサ/グスマーノ…レナート・ブルゾン/アルヴァーロ…ヤン=ヘンドリク・ローテリング/アタリバ…ダニエル・ボニッラ/ミュンヘン放送交響楽団 & バイエルン放送合唱団
>このあまり有名でない作品の、割と古くから知られている演奏。所謂ヴェルディらしいメンバーではないとは思うのですが、水準は高くこの作品を楽しむのに不足は感じませんでした。ガルデッリは流石に初期ヴェルディを制覇していることもあり、快活で熱気がに満ちた、前に進む音楽を展開しています。後年の彼は変にテンポがまったりしちゃうこともあるんですがここではそんなこともありません。この作品のベル・カント的な面が際立っているのは、アライサの存在でしょう。まだ重くなる前の爽やかな美声を響かせ、マイナーな音楽の魅力を引き出しています。役として深みがある訳でもないですし、聴いていて心地よい演奏をして呉れるというところで◎でしょう。同じくコトルバシュも軽量級ですからベル・カント風の空気をいや増します。影のある可憐な声で、非常に「らしい」。主役の中でヴェルディ的な風を吹き入れているのはやはりブルゾン。いつもながら立派な声と端整な歌唱で、淡々と歌っているようでありながら、説得力のある充実した歌で、この演奏の大黒柱となっています。チョイ役には勿体ないローテリングも印象に残ります。

○マウリツィオ・リナルディ指揮/アルツィーラ…アンヘレス・グリン/ザモーロ…ジャン=フランコ・チェッケレ/グスマーノ…マリオ・セレーニ/アルヴァーロ…フェルッチョ・マッツォーリ/アタリバ…マリオ・リナウド/トリノRAI交響楽団 & 合唱団
(2015.9.9追記)
>参考音源にあまりヴェルディらしくない演奏を上げていた訳ですが、このほどよりそれっぽい演奏を手に入れたので比較のために。『エルナーニ』の時にカレッラのスマートすっきりベル・カント演奏と、サンツォーニョ盤やミトロプロス盤のアツアツ脂身ヴェルディ演奏とをご紹介しましたが、ここでも同じような対比を感じます。上記で紹介したスッキリした演奏に対して、このリナルディ盤はかなりの熱血演奏で、ベクトルは違うもののどちらも優れたものだと思います。また、主役3人はいずれも実力者ながら音源の少ない人たちなので、その面でも嬉しい^^個人的にこちらの方が好きだったのはグリンのアルツィーラ。かなり荒っぽい歌だとも思うし、瑕もあるのですが、声のスケール感に対して転がしのフットワークの軽さがあってスリリングな歌唱です。このぐらい主張があるとアルツィーラに自然と耳が行きます。ザモーロのチェッケレは歌唱そのものは丁寧なものだと思いますが、アライサと大きく異なりかなりロブストな声なので、それだけで雰囲気がぐっと変わります。特に2幕のアリアなどは切迫感があって集中度の高いアツい歌。セレーニがまた素晴らしいです。幾分硬さのある渋い美声ながら見事なカンタービレを聴かせていて天晴。この世代のバリトンらしいパワーと勢いがあり、豪快な歌いっぷりが心地いい一方で、終幕の名君モードになるところでは繊細な表現をしていてぐっときます。出番こそ少ないですがマッツォーリの深々としたバスも◎そう多くはないこの演目の音源としては、上記のものと並び優秀ではないかと^^
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ジョヴァンナ・ダルコ

ジョヴァンナ・ダルコ
Giovanna d'Arco
1845年初演
原作:ヨハン=クリストフ=フリードリッヒ・フォン=シラー
台本:テミストクレ・ソレーラ

<主要人物>
ジョヴァンナ・ダルコ(S)…史実におけるジャンヌ・ダルク。仏国の小村ドン=レミーの農家に生まれるが、森で天使の声を聞き、劣勢であった仏軍に協力、破竹の活躍を見せるあたりは皆様ご存じのとおり。これもまた周知のとおり異端者として火刑になる訳だけれども、この作品では戦死する。えーって感じだけどフォン=シラーの原作からしてそうらしい(ごめん読んでない^^;)。また、カルロとの戀に落ちたことで聖なる務めに反したということになっている。意外なことにこの頃のヴェルディが如何にも書きそうな女丈夫のカバレッタはない。
仏国王カルロ7世(T)…史実でのシャルル7世。登場したときから負けそうな上に、続く展開でもあんまりいいところのないなんか残念な王様。まぁテノールらしい役ではある。夢のお告げによりジャンヌを見出すが、彼女に戀心を抱いてしまう。原作のカールはもっとチョイ役で、ジャンヌと戀に落ちるのは英雄リオネルという人物らしいが、このあたりソレーラは思い切って登場人物を省略している。
ジャコモ・ダルコ(Br)…ジャンヌの父で史実ではジャック、原作のティボー。天使に導かれていた娘を悪魔に導かれているものと勘違いし、さんざっぱら苦慮した上に娘を邪魔するというなんというかこれもあんまりいいとこの無い父ちゃん。しかも自分は仏人だが英国に協力するよ♪っていう娘どうのこうのっていうのと違うんじゃないの?っていう奇行に至る(大体騎士とか貴族とかじゃない農民に協力するよ♪とかって言われても英国軍そんな大歓迎しないでしょうよ^^;)。挙句最後には自分が間違ってましたって悔いるというあんまり一貫性のないキャラクター。ただ、苦悩する表現とかは結構ヴェルディ研究してると思う。
デリル(T)…史実ではジャンヌの戦友として知られるラ=イルことエティエンヌ・ド=ヴィニョルらしい。この人だけでも面白そうな作品にできそうな気もするけど、ここでは特別出演みたいなもんで純然たる脇役。
タルボ(B)…英国の総司令官。百年戦争の話ですから完全に悪役側の人ではありますが、こいつも脇役。けどデリルよりはしっかり歌う場面がある気がする。

<音楽>
・序曲
○プロローグ
・導入の合唱
・カルロのカヴァティーナ
・ジャコモのシェーナ
・ジョヴァンナのカヴァティーナ
・フィナーレ

○第1幕
・導入曲
・ジャコモのアリア
・ジョヴァンナのロマンツァ
・ジョヴァンナとカルロの2重唱

○第2幕
・行進曲
・ジャコモのロマンツァ
・フィナーレ

○第3幕
・ジョヴァンナとジャコモの2重唱
・カルロのロマンツァ
・フィナーレ

<ひとこと>
はっきり言ってヴェルディの作品の中でも1,2を争う面白くない作品というイメージでした、長いことwww今回取り上げた音源を聴き、DVDを観、1つ1つの曲はまあまあなんだけど、全体通すとなんというか締りのない感じの作品だなあと^^;
ところが今回改めて虚心に帰って聴いてみて、あら意外と面白いじゃないと思っている自分がいたりする訳です。と言っても、『ナブッコ』から『エルナーニ』までの勢いや『フォスカリ』で見せた秀逸なスケッチというようなところはないのですが、愚作と切り捨てるほど酷い作品でもないし、ヴェルディ自身ただ流してやった仕事でもなさそうだなと(流してるなと思う部分がない訳ではないですが笑)。
ぐじゃぐじゃ言ってますが、歌手が揃えば存外面白い部分も多い作品だと言うことです。

例えばジョヴァンナのアリアだけを取ってみても、それまでの作品とは違うものを狙っていることが伺えます。女性の主人公、しかも如何にも勇壮な役柄にも拘わらず、彼女の二つのアリアはいずれも合唱を伴わずカバレッタもないシンプルで短いもの。こうしたところからもわかるとおり、全体に彼女のキャラクターの勇壮な側面よりも、天使と悪魔の声を聞くことができる霊的・夢幻的な側面と、戀する乙女=普通の女性としての側面が強調されています。最たるものはカルロとの重唱の最中に悪魔の合唱が聴こえてくるところなどでしょう。ここは、力量のあるソプラノがやれば、狂乱の場風に結構盛り上がるのではないでしょうか。能天気に愛を語るカルロと錯乱するジョヴァンナの対比が効いていて、後のマクベスの祝宴の場面(マクベスにだけ亡霊が見え、恐れ慄く場面)へと繋がっていくのではないかと。内面的で新しい表現を志向していることが感じられるように思います。ただ、そもそも台本からして突っ込みどころ満載だし(ソレーラに関してはいつものことですが。作品の構成からして、全体に対して長すぎるプロローグとかww途中で飽きちゃうんですかね^^;ただ当たると物凄くインパクトのある場面を書ける人ではあるのですが)、フォスカリの時のようなヴェルディ自身が強い共感があったかというとそうではないでしょうし、或る意味苦労を感じるところも。

ジャコモについても、苦悩している部分の表現などは如何にもヴェルディらしい悩める父像が楽しめます。3幕のジョヴァンナとの重唱はフォスカリの義父娘の重唱より出来が良いように思いますし、4幕のロマンツァも見事なものだと思います(というか後でも述べますが、パネライの歌唱にすっかり痺れてしまったということもありますが笑)。娘を想う父の等身大の嘆きと言う点でみれば、このロマンツァは他のヴェルディ・バリトンの名曲に引けを取らないものです。とはいうものの、既に述べたとおり全体にはちょっとここまで一貫性のないというか不自然な登場人物もなかなかいないと言う部分は否めないですね^^;思っていることとやっていることの因果関係が繋がっていないということも考えると、一貫性のなさは『エルナーニ』のカルロより酷いです。1幕のアリアなんかは流麗なヴェルディ節を聴くためだけのものになってしまっています。

カルロはもう本当によくいるテノールの役ですw頭の中は自分の戀のことばっかりで、国民のことも国のことも政治のことも考えている気配がありません^^;史実のシャルル7世は権謀術策に彩られた生涯だったようですから、かなりの落差があります。とはいうものの、彼が能天気で頭ん中お花畑である方がよりジョヴァンナの苦しみも際立つので、これはこれでいいのでしょうが。そういう意味では『椿姫』のアルフレードの原型を見ることもできるかもしれません。また、曲としては登場のカヴァティーナはカルロの夢のお告げの話に群衆の合唱がかなり絡むものとなっており、よく作り込まれたものです。

そして合唱!この作品は彼らの存在が大きいです。群衆として登場する部分もありますが、それ以上に印象的なのはジョヴァンナには聞こえる(見える)霊的な存在、天使と悪魔として登場する部分です。ジョヴァンナのバックに天使の合唱と悪魔の合唱が聞こえる部分で狙われている立体的な構成は、必ずしも巧く行っているとは言えないかもしれませんが、面白いことは確かです。個人的にはA.ボーイトの『メフィトーフェレ』を思い出します。むしろこのあたりの路線を拡大してファウスト的な話にした方が、中途半端大河ドラマより楽しめる作品になったのではないかと思います。惜しむらくは全体に悪魔に当てられた音楽があっけらかんとした明るいもので、迫力を欠くところでしょう。これがもっとデモーニッシュな雰囲気の音楽だったら、ぐんと聴き栄えがするのですが。

<参考音源>
○アルフレード・シモネット指揮/ジョヴァンナ・ダルコ…レナータ・テバルディ/カルロ7世…カルロ・ベルゴンツィ/ジャコモ…ローランド・パネライ/デリル…ジュリオ・スカリンチ/タルボ…アントニオ・マッサリア/RAIミラノ管弦楽団&合唱団
>音は悪いですがこれはいい演奏だと思います。何より音楽全体に、この時期のヴェルディには欲しい熱気がありますし、主役の歌手たちに圧倒的なパワーがあります。作品そのものの欠点が少なくないだけにそれを吹っ飛ばすエネルギーが感じられるのは重要なことです。特に素晴らしいのはテバルディ!円熟してからの果てしなく美しい声とはまた違う、若くて馬力のある声を楽しむことができます。一方で終幕ジョヴァンナの死の場面では後年の美麗な歌唱の片鱗を聴いて取れます。カルロを歌うベルゴンツィがまたいつもながらの折り目正しい歌唱に加えて力強さがあって聴き応えのある歌唱。アリアよりもむしろアンサンブルの途中で派手に見栄を切っているところのカッコよさには唸らされます。このふたりの重唱はまさに声の競演と言うべきもので、その迫力たるや凄まじいものがあります。そしてパネライ。このひとは永遠のマルチェッロというべき人だと思っていたのですが、これだけパワフルなヴェルディを歌えるとは恥ずかしながら思っていませんでした。娘のみが頼りであったのにと嘆く父親のロマンツァの充実ぶりには圧倒されました。この作品でまさかこんなに感動するとは、というぐらい立派な歌です。ロマンツァの話ばかりになってしまいましたが、他の部分でも力に満ちた歌唱を展開しています。残念ながら印象的な陰の合唱は聴きとりづらいです。とはいえ或る程度ライヴ録音慣れしている人で、この作品がダメだと思ってらっしゃる方はご一聴いただきたい音源です。

○ジェームズ・レヴァイン指揮/ジョヴァンナ・ダルコ…モンセラット・カバリエ/カルロ7世…プラシド・ドミンゴ/ジャコモ…シェリル・ミルンズ/デリル…ジュリオ・/タルボ…ロバート・ロイド/LSO&アンブロジアン・オペラ合唱団
>スタジオ録音ですから上記のものに較べてこちらの方が圧倒的に聴きやすく、またカットも少ないです。熱気こそシモネット盤より劣りますが、非常に丁寧に美しく演奏されており、初めて聴かれる方にはおススメできる内容だと思います。カバリエは実演では絶対やらないだろうなと思うし、キャラもちょっと違うとは思うのですが、丁寧な歌唱で好感が持てます。いつもながら彼女の絹糸ppは堪らないですが、それがジョヴァンナの死の場面で非常に活きています。ドミンゴも一番声が充実していたころでしょうか、しっかりとした中身のある声を楽しめます。普段のシミンゴっぷりはどこへやら、カバレッタの最後にはびっくりするような高音を付加しています。ミルンズも脂が乗っていた時期でたっぷりとした歌声に聴き惚れますし、いつもながら堅実な歌いぶりです。合唱がくっきり聴こえるのが嬉しい。この作品での合唱の重要性がよくわかります。
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