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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十八夜/曲者は朗らに歌う〜

「大バリトン特集」と銘打って、露国の歌手を取り上げない訳には参りません。まだ取り上げていない人がたくさんいますので誰にしようか非常に悩ましいところではありましたが、今回は性格派として知られるこの人に白羽の矢を立てました。

Al-Ivanov.jpg
Kiril Petrovich Troekurov

アレクセイ・イヴァノフ
(Alexey Ivanov, Алексей Петрович Иванов)
1904〜1982
Baritone
Russia

以前確かプチーリンの回でも触れたように思いますが、20世紀前半の露国にはイヴァノフというバリトンが2人います。1人は分厚くて豊かな声のアンドレイ・イヴァノフで、英雄やパワフルな役どころでその力を発揮していました。これに対して今回の主役のアレクセイ・イヴァノフは、アンドレイに比べると明るくて薄めの声質ながらその藝達者な歌い口で主役から脇役まで幅広いレパートリーをこなし、数々の録音を遺しています。例えば露ものだけを取り出して見てもムソルグスキーやチャイコフスキー、リムスキー=コルサコフといった有名作曲家の作品にとどまらず、ルピンシテインやナプラヴニク、そしてシャポーリンといったほとんどお目にかかることのないような作品の音源に登場しているのは注目すべきことでしょう。一つにはそれだけ露国で当時親しまれていた歌劇のレパートリーが、今の私たちが想像するよりもずっと多様性に富んでいたということの証左と言えますし、もう一つにはその中で如何にアレクセイが重宝されていたのかということをうかがい知ることができるからです。そしていずれの録音でもその存在感の貴重さをこれ以上なく示していると言えると思います。

一言で言ってしまえば曲者の似合う藝風で、方向性は必ずしも完全に一致しませんが、ゴッビとは近いイメージと言えるのではないでしょうか。脇役であったとしても彼が登場するとそのアクの強さは記憶に残り、演奏全体のアクセントになります。リムスキー=コルサコフの作品などは1場面にしか登場しない名もない役柄に突然名アリアが与えられていたりするので、彼のような人が起用されると歌を聴く愉しみも緊張感も増して大変嬉しいところ。もちろん大きな役でも主役、悪役、狂言回しとどんな人物でもキャラクターを立たせて、しかも毎度おなじみにならない器用さがあります。出る以上は仕事とをしたと思ってもらえるような仕事をする、と言ってもいいのかもしれません。前述の通り遺しているのは露ものがメインなのですが、そう思うと例えば伊もののイァーゴ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』)、ナブッコ(同『ナブッコ』)、マクベス(同『マクベス』)、スカルピア(G.プッチーニ『トスカ』)、それにバルナバ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)、アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)あたりを遺してくれたら面白かったのかもしれません(アリア集では遺しているものもあるようです)。

そんな訳で、今夜はソヴェト時代の大立者にご登場いただきましょう。

<ここがすごい!>
アレクセイ・ペトロヴィッチ・イヴァノフの声と歌が正統派のヒーロー役ーー物語上の正義のために鬪い、勝利や愛を手にするーーに適しているか、と問われることがあるのであれば、素直に肯んずることはできないというのが私の意見です。声の響きは張りと輝きがあってドラマティックでまさにオペラに向いた声、ではあるんですが色気ですとか甘みからは遠い印象を持ちます。パワーはあるけれどやや甲高い響き、稠密ではあるものの乾燥したヴィブラートが感じられる彼の声から感じられるのはドライで理知的、感情よりは理屈に寄った人物です。役柄によっては狡猾で酷薄な色合いすら引き出してくる、はっきり言ってしまえば悪役声なのです。それも勢いだけで悪事を働くような単純な悪役ではなく、ニヒリスティックで隙のない「知能犯」という3文字がよく似合います。ですからもちろんおぞましい敵役を演ずる時の彼の魅力は圧倒的で、ドン・ピツァロ(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)はとても終幕であっさりと退陣させれてしまうとは思えない憎々しい迫力がありますし、この方面で最高なのはトロエクロフ (E.ナプラヴニク『ドゥブロフスキー』)でしょう。意外にも纏まったアリアのない役で出番もそこまで多くはないのですが、横暴に振る舞う権勢家として強烈なインパクトがあり、もしスカルピア男爵が物語の最後まで生きながらえ恣に過ごしていたらこんな感じだったろうなと思います。アレクセイのアクの強い声に加えて押し出しの強い歌いっぷりが、権力にこだわる強欲ジジイをリアルに作り上げています。

ただし、だからと言って彼が悪役専門であったわけではないのは上述の通りで、実に多様な役柄で見事な演奏を遺しています。例えば彼の演じた重要な脇役としては、トムスキー伯爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)を挙げることができるでしょう。典型的な狂言回しと言えるこの役は、あらすじにしてしまうと説明しづらいのですが全幕に登場し、ゲルマンに秘密のカードの逸話を伝えるという物語のひとつの核を担っており、どういう歌手が演じるかによってだいぶ印象が変わってきます。レイフェルクスが歌えば世慣れた社交人となり、プチーリンが歌えばフェランド(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)のような武骨な軍人の昔話色が強くなる。では我らがイヴァノフの癖のある歌と声ではどうなるかというと、途端に腹に一物あるいかがわしい雰囲気になります。カードの歌にしても本当かなあと思わせるところがどこかにありつつ、しかし怪談の信憑性に必須な不気味な迫力は絶対失わない。これを聴くと自らの持ち味をよく引き出すことが出来ることがわかると思います。

或る意味でもっと面白いのが主役での歌唱でしょう。彼の場合主役と言っても普通の主役といいますか物語の中で素直に共感しやすいような役はあまり演じておらず、異形と言ってよいようなものが多いと思います。イーゴリ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)なども遺してはいるようですが、不器用ながら祖国に忠義を果たしたりするような歌唱が想像できず正直なところどうもピンときません(憂国の策士ならわかるのですが)。むしろ横暴で嫌悪感すら抱かせる面がある一方で、どこかしらに人間くさくて思わず共感してしまうような面が同居しているような役柄ですと、彼らしいアクや癖が昇華されて本領が発揮されるように感じます。こう述べてきたときに頭に浮かぶのは、悪魔(А.Г.ルビンシテイン『悪魔』)でしょう。大変情熱的でうっとりさせるような愛情と目的のためには残虐な行動も厭わない冷酷さとが、時にギラギラするほどパワフルに時にぎこちなくロマンティックに歌われ、この隠れた名作の醍醐味を知ることができます。

悪役然とした声と藝風を多面的に活かすことのできた名優、と思います。

<ここは微妙かも(^^;>
性格的な歌唱を味わえる名歌手ではあるのですが、ちょっと力でゴリゴリと押してくるところがあるので、くどくて好きになれないという方は一定数いるのではないかと思います。繊細で柔らかな歌唱をよしとする向きには脂っこすぎる、癖が強すぎると言われても仕方がないところはありそうです。
またバリトンとしては高めの響きの声も好き嫌いが出るかもしれません。

<オススメ録音♪>
・キリル・ペトロヴィチ・トロエクロフ (E.ナプラヴニク『ドゥブロフスキー』)
スラヴィンスキー指揮/レメシェフ、クドリャフスカ、ドゥダーレフ共演/スタニスラフスキー&ネミローヴィチ=ダンチェンコ記念国立モスクワ音楽劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
>どの役がアレクセイの藝風にあっていたかと思うと、どうしてもこれが真っ先に浮かんできます笑。欲の皮の突っ張った悪党、しかも制度上は“合法的”に私服を肥やしていくという悪辣極まりないこの老人を、アレクセイ以上に説得力を持って演じることはなかなかできないだろうなと思わせるハマりっぷり。力づくで横柄な登場場面は何度聴いてもゾクゾクさせられますし、実の娘に対しても容赦の全くない態度を示す聴かせどころの重唱も総毛立つばかりの完成度。余裕綽々で入れてくる笑い声もいかにも憎々しいですし、見得を切るとこなどでは彼らしい強力な高音を挟んできていて大変なインパクト。或る意味では一面的な役柄なのですが、それでもここまで堂に入った歌唱は、そうはできないとおもいます。どちらかというとネレップなどの方が似合いそうな役ながらレメシェフも流石に美しい喉を披露していますし、クドリャフスカもドゥダーレフも悪くないのですがちょっとオケが非力で肝心なところが揃わないのが残念。しかし、この名指揮者の秘作を楽しむことはできると思います。

・悪魔(А.Г.ルビンシテイン『悪魔』)
メリク=パシャイェフ指揮/タラハーゼ、コズロフスキー、クラソフスキー、グリボヴァ、ガブリショフ共演/ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1950年録音
>時代柄音の悪さは否めないものの、知られざる傑作を楽しめる名盤と思います。悪魔のアリアはフヴォロストフスキーのようにバリトンが遺しているものもあるものの、バスが歌っているイメージが強い中で甲高い響きの声のアレクセイが歌うとどうなんだろうと思って聴き始めるのですが、不足や違和感はありません。むしろその力強く、時に強引にすら聴こえる歌い口が、このキャラクターを超自然的な存在として引き立てるとともに、戀愛感情への不器用さを際立たせているように思います。実は最もよく歌われる3幕のアリアは意外とさらっと歌っているのですが、むしろそのあとのタマーラとのやりとりや天使との対決などは迫力満点で聴きごたえがあります。また2幕の2つのロマンツァも名唱で、ここはさながらリサイタルのようでもあります(笑)共演陣はいずれも立派で、タラハーゼは澄んだ若々しい声が好印象。名手コズロフスキーはいい歌はもらっているとはいえ出番も多くない損な役回りで登板していて贅沢な気分ですwクラソフスキーの重厚なバスも素敵で、いつもながらこういう役で力を発揮しています。

・トムスキー伯爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)
メリク=パシャイェフ指揮/ネレップ、スモレンスカヤ、ヴェルビツカヤ、リシツィアン、ボリセンコ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1949-1950年録音
>本作の歴史的名盤。この当時のボリショイの看板役者たちが揃っていると言えるでしょう。彼一流の一筋縄では行かなさそうな歌い口によってこの人物のいかがわしさが増していて、ゲルマンの“悪い友達”という風情が漂っています。上述のとおり3枚のカードの歌は怪談調の不気味さに全体が包み込まれた名唱で、計算された忍び足のppから強靭で逞しいffまでその表現の持ち駒の多彩さを惜しげも無く披露しています。他方で終幕の賭場での歌では、伯爵にはグループのリーダー格になるようなちょっとしたカリスマが備わっているように感じられる牽引力のある朗らかな歌いっぷりです。メリク=パシャイェフの指揮はこれしかない!と思わせるような絶妙な間合いですし、何と言ってもネレップのゲルマン!!後半のやけっぱちなのにどこか堂々とした歌唱はオペラファン必聴でしょう。

・コンラドチイ・フョードロヴィッチ・リレーエフ(Ю.А.シャポーリン『十二月党員たち』)
メリク=パシャイェフ指揮/ネレップ、ピロゴフ、ペトロフ、セリヴァノフ、ヴォロヴォフ、イヴァノフスキー、ポクロフスカヤ、ヴェルビツカヤ、オグニフツェフ共演/ボリショイ劇場管弦楽団&合唱団/1953年録音
>これもまた現在ほとんど聞くことのないシャポーリンの名作。やや多すぎる登場人物に話の筋が散ってしまっているような感じですとかもう少し盛り上がり切らない部分もあるのですが、それでも各役に魅力的な歌が配されていて美しい旋律に魅了されます。リレーエフはアレクセイの演ずる役の中では比較的癖のない主役と言っていい役ではないかと思いますが、他方で当時の過激派である十二月党を率いた人物の1人でもありますので、その腹の底の見えなさと言いますか理知的な賢しさが引き出されているように思います。いい意味で政治家っぽいドライな賢さが役のリアリティを生んでいるということもできるかもしれません。アリアも多いですが、計画実行を前にした愛国的な嘆きの抑えた表現が個人的には気に入っています。この音源は何度か登場していますが、今回改めて聴いて見てこれだけの人が集まったことに改めて驚嘆しました。

・シェルカロフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
メリク=パシャイェフ指揮/ペトロフ、レシェチン、イヴァノフスキー、アルヒーポヴァ、シュルピン、キプカーロ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1962年録音
>これも当時のスターキャストを集めた録音。ちょっともったいないぐらい出番が短いのですが、官僚的な役に甘さが少なく峻険で引き締まった口跡でよく似合っています。むしろ小さい役だからこそ彼のような個性の強い名手が歌うことによって作品の幅が広がるなあと思わせてくれるパフォーマンスとも言えるかも知れません。キプカーロも同じようにハイバリ系ではありますが、湿り気のある妖しい声ではっきりと個性の違いが出ています。共演ではやはりペトロフの題名役やアルヒーポヴァのマリーナがいいですが、レシェチンの演ずる渋いピーメンも忘れ難いものです。

・使者(Н.А.リムスキー=コルサコフ『皇帝サルタンとその息子栄えある逞しい息子グヴィドン・サルタノヴィッチ、美しい白鳥の王女の物語』)
ネボリシン指揮/ペトロフ、イヴァノフスキー、スモレンスカヤ、オレイニチェンコ、ヴェルビツカヤ、シュムスカヤ、レシェチン共演/ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>こちらはさらに小さい役(というかリムスキー=コルサコフはどうしてこう固有名詞がないような小さい役に突然アリアをつけるのかw)ではありますが、これまでにあげた作品とは一線を画すコミカルな音楽をイヴァノフが巧みに歌っていて興味深いです。ちょっと間延びした呑気な雰囲気をまといながらのびのびとユーモラスに歌っていて、彼にはこんな抽斗もあったのかとちょっとびっくりさせられます。普段の彼からは想像がつきませんが、こういう道化役的なものも向いていたんだなということがよくわかり、性格派の面目躍如というところでしょう。こちらも音は良くないもののおなじみの名手たちが揃っており、“熊蜂”だけではないこの作品の魅力を知ることができます。

・ドン・ピツァロ(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)
メリク=パシャイェフ指揮/ヴィシニェフスカヤ、ネレップ、シェゴリコフ、ネチパイロ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1957年録音
>こちらはかなり変わり種でカットも多い演奏ではあるのですが、コレクター的な意味での「興味深さ」を超えた演奏と思います。この悪徳典獄に与えられた苛烈な音楽と、アレクセイのきつめの歌い口の親和性はやはり非常に高く、露語の訳詩で歌われていることを忘れてしまうほどです。その口跡にメリク=パシェイェフのアップテンポの指揮も相まって、サディスティックでエキセントリックな魅惑の悪党ぶりだと言えるのではないかと。シェゴリコフがやや籠もった声で、田舎っぽい純朴さのあるロッコを演じているのとは好対照でしょう。ヴィシニェフスカヤが鋭利な声で歌うレオノーレも、ドラマティックなパワーのほとばしるネレップのフロレスタンも、いずれも露風ではありますが見事で、風変わりながら名盤でしょう。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十七夜/白銀の冬の空気をまとい〜

前回のダンがそれなりに知名度がありましたから、再びマイナーとされている歌手に光を当てたいと思います。
とはいえ彼はマイナー・ジャンルの界隈ではそれなりに有名人らしく(形容矛盾の感が否めませんがご容赦!笑)、検索で当たってみると意外と多くの方が記事にしていてびっくりしたりもします。少なくとも前々回のショーヨム=ナジに比べたら名前を見る機会は多いでしょう(もちろん、決してショーヨム=ナジが劣っている訳ではありませんが)

Hiolski.jpg
Miecznik

アンジェイ・ヒオルスキ
(Andrzej Hiolski)
1922〜2000
Baritone
Poland

波国のバリトンと言えば近年ではマリウシュ・クヴィエチェンの活躍が目立っていて、ネトレプコとMETなどで共演もしていますし、日本でも『ドン・ジョヴァンニ』(W.A.モーツァルト)を歌って人気を博しています。グローバルなクヴィエチェンの活躍とは対照的に、今回の主役アンジェイ・ヒオルスキは自国のオペラ上演を背負って立っていた人物というイメージです。彼の長いキャリアに比して多いとは言えない録音の中で、かなりの割合がお国ものの作品であることからもその印象は裏付けられるように思います。ご承知のとおり波国の歌劇の上演は国外では稀ですからそれらの録音は存在しているだけでも充分な価値がある訳ですが、いずれも資料的な価値を超えた作品の質の高さを伝えるもので、かの国にはショパン以外にもクラシックの宝と言うべき音楽が存在することを明確に示しています。驚くべきことは、これらの録音がヒオルスキにとって決して最盛期に収録されたものではなくむしろかなり歳をとってから、普通ならば声の衰えが顕著になっていたり、そうでなくとも年齢を累ねた声になっていて然るべき年代に録られているにもかかわらず、高い音域までよく伸びる若々しい声を維持している点です。若い時に残しているアリア集と比べますと流石に音色のアクや籠りは増すのですが、それでも年齢を感じるというほどではありません。白状しますとかく言う僕自身、共演の多いテノールのヴィエスワフ・オフマンやソプラノのソプラノのバルバラ・ザゴルザンカと同じぐらいの年齢だろうと思っていたのですが、今回記事にしようと調べてみて、彼らより実に15歳も年上ということに気づいてびっくりした次第です。堅実な歌いぶりから察するに、ひょっとするとご本人は節制の人だったのかもしれませんね。

そんな彼が波国の声楽作品を考える上で欠かすことのできない重要な存在になっていることは間違いないでしょう。国民楽派の祖であるモニューシュコ 、20世紀に入ってからのシマノフスキやもっと現代のペンデレツキに興味がある人ならば必ず出逢う藝術家です(尤も、僕自身はディスコグラフィー上でしかペンデレツキは知らないのですが……)。世に知られていない豊穣なジャンルを支える名歌手の魅力に、今夜は迫りたいと思います。

<ここがすごい!>
非常に主観的な印象だという自覚はあるのですが、人の声質には温度があるような気がしています。同じバリトンで言うのであれば、例えばカプッチッリは夏の海を思わせるカラッとした熱さのある声、フィッシャー=ディースカウは近代建築のような精緻な美しさのある冷たさのある声というように……これらはもちろん彼らの藝風とも密接に関わっているとは思うのですが、その声だからこその藝風という側面もあるでしょうから一概にどちらが鶏とも卵ともいうことはできないでしょう。さておきそれではヒオルスキの声はどんな温度に感じるかと言いますと、これはもう確実に冷たい声、硬質な美しさのある声です。キリリと引き締まった冬の空気をまとったかのような彼の声は、しかし決して暗い響きなのではなく、むしろ月夜の雪化粧を連想させる冴えざえとした明るさを湛えています。露国の粗野な力強さともまた一線を画していて、まさに白銀の北国のイメージにふさわしいと言えるのではないでしょうか。

その魅力を余すところなく体験できるのは、やはり波ものでしょう。個人的には彼の印象は、特にスタニスワフ・モニューシュコの作品と切っても切り離せません。この作曲家は作品はおろかその名前すらよく知られているとは言いがたい人ではありますが、民謡を取り入れたメロディアスで表情豊かな音楽は、露ものの泥臭い世界とはまた違ってユニークで愛らしいもの。ヒオルスキの北国の声はその独特な魅力を引き出すのに、まさしく好適と感じます。波語がわかるわけではないですし、かの国の音楽に詳しいわけでもないのですが、その声と音楽と言葉とが一体となっているように思われるのです。残念ながら私は『幽霊屋敷』と『ハルカ』をそれぞれ一つの音源で知っているに留まるのですが、『パーリア』も録っているようですし、『ハルカ』は2度録音していますから彼の藝術の中でもメインと言ってよいでしょう。私が聴いた2つの作品のうち、より彼の魅力を味わえるのは、出番も多いミチェニク(『幽霊屋敷』)と思います。この役は長々と訓示を垂れたかと思うとノスタルジックに歌ったり、「幽霊屋敷」の種明かしをしたりといろいろな顔を見せなければならないと思うのですが、彼の歌唱はいずれの場面でも歌として美しく、また強い説得力をも感じさせます。

他方で、その声質のみに引っ張られて限られた役に縛られるような人ではありません。遺された録音は多いとは言えませんが、それらを耳にしてわかるのは彼の歌の表現の豊かさでしょう。比較的若いときにアリアを遺しているエスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)やフィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)はいずれも派手で華々しい歌があり、硬質で冷たい音色のヒオルスキにはちょっと馴染まないように思えるのですが、いざ聴いてみると実にのびやかで活き活きとした歌唱で胸のすくような楽しさがあります。他方でランゴーニとシェルカロフの1人2役をこなしている『ボリス・ゴドゥノフ』(М.П.ムソルグスキー)では、同じ演奏の中で全く違う顔を披露しており驚かされます。ランゴーニには宗教者という以上の妖しさがありますし、シェルカロフでは峻険で打って変わってドライな印象です。この器用さはお国ものに立ち戻ると改めて強く感じられるもので、彼の個性的な“楽器”の良さとあいまって、聴くものに忘れがたい印象を与えるのに一役買っていると思います。

<ここは微妙かも(^^;>
彼の冷たい質感の声にはスラヴ的なアクと言いますか荒々しさも感じられますので、そこがお好みでないという方はいらっしゃるかもしれません。また基本的に声は衰え知らずとは言え、流石に90年代に入ると少し籠った印象は強くなります(そこまで歌っているのがむしろびっくりなんですけどね笑)。この時代の歌手をご紹介するときにはよくある話ではありますが母語歌唱のものも少なからずありますので気になる方はいるかも。

<オススメ録音♪>
・ミェチニク(S.モニューシュコ『幽霊屋敷』)
クレンツ指揮/オフマン、ムロース、ベトレイ=シエラツカ、バニエヴィッツ、ニコデム、イマルスカ、サチウク共演/波国立放送管弦楽団&合唱団/1986年録音
>本作の数少ない全曲録音のひとつ。オフマンやムローズといった、知ってる人は知っている波国の名歌手たちを集めた録音で、クレンツの華やかで緩急のメリハリのある指揮もあってオペラ好きには楽しめるものでしょう。ミェチニクは巷で「幽霊屋敷」と噂される館の主人で、ヒロインたちの父親というバリトンらしい年長者の役どころで、登場人物の多いこの演目に於いては歌う場面の多い重要なパートです。上述の通り様々な表現が求められる役だと思うのですが、2つの全く性格の異なるアリア(舞曲を思わせる華やかで堂々したものと、哀愁を感じさせるロマンチックなもの)はいずれも彼らしい豊かな声が楽しめる名唱ですし、引き締まった歌い口でアンサンブルも牽引しています。全体でパワフルで筋肉質な印象は、この喜劇の人物の裏に愛国的な軍人の姿をちらつかせているようにも思われます。是非多くの人に知られてほしい音源です。

・ヤヌシュ(S.モニューシュコ『ハルカ』)
サタノフスキ指揮/ザゴルザンカ、オフマン、オスタピウク、ラセヴィッツ共演/ヴィエルキ歌劇場管弦楽団&合唱団/1986年録音
>こちらもモニューシュコの代表作。ヤヌシュは物語冒頭からヒロインのハルカを裏切って突き放す、G.ヴェルディ『リゴレット』のマントヴァ公爵のような非道い男で、こういう役を演じるとヒオルスキの声の冷たさや荒々しさ、険しい歌いぶりは際立ちます。自分の欲望に忠実でギラリとした酷薄さのある悪役がよくハマっており、出番は決して多くはないながらもこの作品に悪の魅力を添えていると言えるでしょう。けだし、当たり役と思います。『幽霊屋敷』でも共演していたオフマンも素晴らしい歌唱(しかしモニューシュコはテノールにいいアリアを書ける人です)ですし、オスタピウクやラセヴィッツもしっかり脇を固めていますが、何と言っても題名役のザゴルザンカの可憐な歌声と悲痛な歌がたまりません。この作曲家の作品を知るためにうってつけの演奏です。

・ロジェ王(K.シマノフスキ『ロジェ王』)
ストリージャ指揮/オフマン、ザゴルザンカ、グリチニク、ムロース共演/ポーランド国立フィルハーモニー管弦楽団&合唱団、クラクフ・フィルハーモニー少年合唱団/1990年録音
>この難解な作品は恥ずかしながら自分の中で消化し切れているとはとても言えないのですが、ヒオルスキを取り上げるにあたって本作に触れないのは片手落ちの感を免れえないので。古稀を目前にしているとは思えない立派な声の力にまずは圧倒されます。妻のロクサーナを始め人びとが羊飼い(実はバッカス)に心を寄せていってしまう中で、独り頑なであるがために苦悩する国王を力演しており、彼の歌唱の集大成でしょう。とりわけ終幕のモノローグは陶酔感があって感動的です。ここでも共演しているザゴルザンカやムロースといった人たちはいずれも見事な歌唱と思いますが、特筆すべきはオフマンの圧倒的な輝かしさ!円熟を迎えていた彼の、ベストの歌唱ではないかと。

・ランゴーニ、シェルカロフ(2役)(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
セムコフ指揮/タルヴェラ、ゲッダ、ムロース、キナシュ、ハウグランド、パプロツキ、ラプティス共演/ポーランド国立放送交響楽団、クラクフ・ポーランド放送合唱団&クラクフ・フィルハーモニー少年合唱団/1976年録音
>この演目が北欧や東欧のメンバーのみで演奏されている録音はあまりないのではないかと思います。露国の人々によって固められた演奏よりも静謐で、西欧の指揮者の演奏よりも質素で、あたかも冬の朝のような清澄さのある名盤です。ここでは2役を演じているヒオルスキ、上に述べたとおりそれぞれまったく別の表情を見せていますが、個人的にどちらが好きかと問われればランゴーニです。マリーナに策略を授ける様子には、魔術師のように恐ろしく不気味な、しかし蠱惑的な力を感じます。意外と妖しい色気の欲しいバリトンの役柄というのは珍しいせいか、この役の魅力を引き出し切れていると思える演奏は少ないのですが、彼の個性にはゾクゾクするほど合致していると思います。一方のシェルカロフは無駄な色気は捨て去ったドライで辛口な歌で、感情を吐露するのにも淡々とした役人の姿をリアルに想起させるものです。タルヴェラは思いのほかリリカルな声と歌でボリスの新境地を拓いていますし、ゲッダはいくつかあるこの役での録音と較べても絶好調。ムロースの渋いが端整なピーメンほかあまり聞かないメンバーが多い共演はいずれも完成度の高い歌唱で、もっと注目されるべき名盤です。

・イェヴゲニー・オネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)
・フィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
・エスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)
ヴォディチコ指揮/ヴァルシャヴァ歌劇場管弦楽団/1963年録音
>若い頃のアリア集の録音からいくつか。むしろメジャーな役はここでしか聴くことができなかったりするので貴重でもあります。この中で最もいいのはオネーギン!彼らしい冷たい質感の声がこの役の分別を装った冷淡さと良く合っていますし、アンニュイな雰囲気も最高です。この声で決闘の場面や最終場の拒絶を受けたあたりが聴けたらどれだけ良かったでしょう!全曲がないのが本当に惜しまれます。代わってフィガロは若い時の録音とは言え、こんなに軽妙に歌えるのに驚きです。慣習的な高音を一部カットしたり早口もそこまで速くなかったり、現代の歌手と較べてご不満を述べる向きもあるでしょうが、それでもこれだけのびのびと勢い良く、自然に歌われるフィガロは評価したいです。エスカミーリョは波語の歌唱で最初ちょっとびっくりしますが、非常に快活で若々しいながらもマッチョになりすぎない絶妙なバランスが心地よいです。フィガロともども華がある場の主役の登場をはっきりと聴衆に知らしめる快演でしょう。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十六夜/華麗なる名士〜

前回は武骨でパワフルなショーヨム=ナジでしたが、今回は方向性をガラッと変えて20世紀の仏国を代表するバリトンにご登場いただきましょう!

Dens.jpg
Lescaut (Massenet)

ミシェル・ダン
(Michel Dens)
1911〜2000
Baritone
France

『カルメン』(G.ビゼー)を除いた仏ものはどうも日本では今ひとつ人気がないと言いますか重視されてこなかったところがあって、20世紀中葉を「オペラ黄金時代」と呼ぶ人たちの口からもあまり仏勢の名前を聞かないのは寂しい限りです。このコーナーではそう言った状況を打開すべく仏国特集を組んだこともあり、バリトンでは第2回でブランをご紹介したのを皮切りに、マッサールとバキエを紹介してきました。彼らは当然ながら仏ものでの活躍もめざましいものがありますが、いずれも国際的にも活躍していて、ヴェルディやヴァーグナーのような作品もドラマティックに演じてきた歌手たちです。
これに対し今夜の主役ミシェル・ダンは彼らよりもやや上の世代、かの国のオペラで力強さよりも華やかさや優雅さがより求められた時代の人と言えるのではないかと思います。もちろんブランたちの良さも華やかさや優雅さ、粋にあった訳ですが、ダンや彼の時代の録音を聴いているとそれよりも更に軽やかさが尊ばれたことを感じます。そう、それは巨大な舞台での重厚で崇高な舞台藝術ではなく、芝居小屋の娯しみと言うべき気軽さと爽やかさ!彼もまたヴェルディなどを歌っているのですが、大悲劇作品と普段思って聴いている作品が、あたかもオッフェンバックを歌うようにさっぱりとした表現されるのには少々面喰らいもしますし、人によっては明確な拒否反応を示されるのも良くわかります。ですが彼の活躍した時代の演奏の嗜好に思いを馳せ、彼の適性にあった演目での歌唱を聴けば、その華麗な魅力に気づくことができるのではないでしょうか。一説による10,000回を超える数の舞台でエスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)を演じ、クリュイタンスやモントゥー、プレートルといった名指揮者の録音に起用されたのには、やはりそれなりの理由があるなあと個人的には思うところです。
ひょっとすると、ベル・カントものの価値が見直され、仏ものにも再び光があたり、古楽の発掘が盛んになった今の時代においては、彼のような軽やかな歌手の評価は上がってくるのかもしれません。

<ここがすごい!>
ダンの魅力、大きな特長となっているのは、その華やかな存在感でしょう。音域としてはしっかりバリトンではありますが、彼の声の清々しさ軽やかさにはレジェーロなテノールを聴いた時のような爽快感があります。決して妙な力みや重ったるさのない華麗で繊細な彼の歌を耳にすると、一流のパティシエの作った目にも口にも喜びを与えてくれる洋菓子を想起します。ふんわりサクサク、気づくと溶けてなくなってしまう華々しく享楽的な娯しみ……と考えてみると絢爛たる陽気な社交界の名士然とした魅力を纏っていると言うこともできるでしょう。そこからは耳あたりがよくて一緒にいて楽しい、快活な好男子という面があると同時に、他方では俗っぽくて狡賢い外面にこだわる人物という貌も聴こえてきます。ですから彼の真価は、舞台に花を添えるようなキャッチーさと鼻持ちならなさを感じさせるような役だとか俗っぽさこそが魅力になるオペレッタで一番発揮されるものと思います。

ダンの魅力は、その非現実的というか非日常的なところにあるのかもしれません。リアリティがないということではなくて、泥臭い現実からかけ離れたような、ある種の夢の世界で生きる人物を描くのに長けていると感じます。ダンが歌う華々しい役たちは派手で愉しく賑やかな面ばかりで成り立っているの訳ではなく、水面下の白鳥の努力をそこはかとなく感じさせ、とても人間くさく、日常的な卑俗な空気をも内包しているのです。明るく愉しいのですが、明るく愉しいで終始はしないと言ってもいいでしょう。

そう思うとなるほど合点が行くのが、まずは当たり役と言われたエスカミーリョではないでしょうか。マッサールの回でも述べましたが、この役は今でこそマッチョなバスによって歌われるのがリアルで好まれるところがあるものの、もちろんそうではない解釈は可能ですし、むしろかつての仏国での演奏を紐解けばそれがあくまで最近の傾向であることも聴いて取れるはずです。彼のソフトな歌いぶりと華麗な存在感から感じられるのはまさにスターのオーラであり、喝采を受ける人気者として非常にリアルです。闘牛士というなりわいの面からではなく、真面目だけれども冴えないジョゼからカルメンを奪っていく、見目麗しくて優秀なリアリストで、同時にイラっとさせるようなキザさのある色好みの男という人物としてエスカミーリョを考えるとまさにぴったりはまっていると言えるでしょう。また華麗で優雅な声や歌が活きるという点では何と言ってもマスネーの音楽がよく似合うなあと思うのですが、とりわけレスコー(J.E.F.マスネー『マノン』)では彼以上の人が思いつきません。先述したようなキャッチーさ、鼻持ちならなさ、俗っぽさが全て求められる役ですし、すごく軽薄で小狡いけれども代えがたい、頽廃的で快楽主義な社交界を思わせる魅力があります。仏ものではないものの彼が仏語で歌っているダニロ(レハール F.『メリー・ウィドウ』)もまた秀逸です。レスコーの良い面を大きくしたらこの役になるのではないかと言う気もしてきます。彼らしい華やかさに加えて、大人の戀物語の主人公として欠かせないそこはかとない愁いがにじむ名唱は抜粋なのがもったいないぐらいで、ヴェヒターやプライにも比肩しうるものと思います。朗らかさの中にほろ苦い感傷を切々と歌い込むうまさもまた彼の大きな長所だと言えるでしょう。

<ここは微妙かも(^^;>
彼はかなり評価が分かれるだろうなと思います。そのスキップの出そうな華美な歌い口は、常日頃ヴェルディやヴァーグナーに親しんでいる方からすればあまりにも軽佻で真実味がなく、薄っぺらに感じる方もいるかもしれません。何故だかヴェルディやイーゴリ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)をアリア集で入れているのですが、このあたりは綺麗な歌だけれどもしっくりこないと言うのが正直なところです。ヴァーグナーには絶対向かないだろうなと思うと、これは実際音源もなさそうです。ひょっとするとR.シュトラウスなどではハマる役もあったのではないかと言う気もしますが、寡聞にしてそう言った音源は存じ上げません。

<オススメ録音♪>
・エスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)
クリュイタンス指揮/ミシェル、ジョバン、アンジェリシ共演/パリ・オペラ・コミーク管弦楽団&合唱団/1950年録音
>今ではこういう演奏をなかなか聴くことができないだろうな、と思う香気のある名演です。クリュイタンスの作り出す優雅な音楽もそうですが、全体に低カロリーながら呼吸をするように自然な歌い口の歌唱陣も稀有なものと思います。上述の通りダンのエスカミーリョもそうした流儀に則ったもので、筋骨隆々とした男臭い闘牛士としてよりも人気者の女たらしとしてリアリティの高いパフォーマンスです。自信たっぷりで余裕綽々のクープレを聴くだけで、生真面目でいっぱいいっぱいな人物であるジョゼには勝ち目がないことが伝わってきて、この役で一斉を風靡したことに得心がいきます。共演ではどこかに幼児性を感じさせるジョバンのジョゼも、可憐一直線のアンジェリシのミカエラも魅力がありますが、あっさりとした歌の中に自由なカルメンを創り出しているミシェルがとりわけ素晴らしいです。

・レスコー(J.E.F.マスネー『マノン』)
モントゥー指揮/デロサンヘレス、ルゲイ、ボルテール共演/パリ・オペラ・コミーク管弦楽団&合唱団/1950年録音
>超名盤です。レスコーは決して悪い奴ではない、どころではなく一般にはかなり人好きのする陽気で気のいい兄ちゃんで、ただ軽くて欲に流されやすいところがある人物だとおもっているのですが、そうしたイメージを文字通り「体現」しているように感じられます。これならマノンやデ=グリューを裏切るのも、協力するのもその日の風次第という風情だろうなあと。しかも気取った世界の気取った人物であることには間違いないのですが、そこにグロテスクなわざとらしさは感じさせず、むしろその歌唱の自然さが際立っています。デロサンヘレスのマノンがまた非常にコケティッシュで、可愛らしい魅力に欲望の赴くままに動く危険さを秘めていることがよく伝わってくる演唱なので、この2人が従兄妹であることに非常に説得力があります。ルゲイの優美なソット・ヴォーチェはまさに稀有というべきもので地に足のつかない人物を見事に表現していて、最高のデ=グリューと言えそうです。録音の少ないボルテールの上品な歌い口で脇を固めていますし、その他脇の面々のアンサンブルもとても美しく、よくぞこのメンバーにモントゥーの指揮で!と。

・ズルガ(G.ビゼー『真珠採り』)
クリュイタンス指揮/アンジェリシ、ルゲイ共演/パリ・オペラ・コミーク管弦楽団&合唱団/1954年録音
>こちらもこの作品の代表的な録音のひとつです。こういう悩みの深い役どころは彼の持ち味からは離れそうな気もするのですが、実際聴いてみると美しい愁いをまとった音楽と彼の柔らかで繊細な歌声がマッチしていてうっとりと聴き惚れてしまいます。アリアに端的にあらわれているように思いますが、例えばブランの力強さがある歌唱に対し、もっと静かに涙を流すようなしっとりとした哀しみが感じられる歌唱です。有名な2重唱はルゲイもまたリラックスした優しい歌唱でダンの声とよく溶け合って、ちょっとこの世のものではないような現実離れした美の世界を作り上げた名演。アンジェリシはやや高い音の響きがキツい気もしますが、それでもやはりこの慎ましやかな歌には捨てがたいものがあります。『カルメン』もそうでしたが仏ものを鮮やかに描き出すクリュイタンスの指揮は素晴らしいですね。

・エロド(J.E.F.マスネー『エロディアード』)
プレートル指揮/クレスパン、ゴール、ランス、マル共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1963年録音
>この作品最高の演奏なのではないかと思うのですが、残念なことに抜粋です。これは全曲録って欲しかったなあ……。上述の通り彼の華やかな声はマスネーらしい情趣に富んだ音楽に最も適性があるように思っていて、レスコーではそれが脇のキャラクターとして物語の世界を豊かにしているのですが、こちらでは戀心に苛まれる主役としてより胸に迫ってきます。2つのアリアの燃えあがるような熱情と切なさに思わず共感してしまうのは私だけではないでしょう。またサキソフォンやトライアングルの作るエキゾチックで官能的な世界に彼の藝風が非常にしっくりくるのです。共演も素晴らしいメンバーで、ふくよかな声で愛らしくも艶かしいサロメを演じるクレスパン、深い美声だけれども冷たい王妃に怖いぐらいはまっているゴール、あたたかみを感じさせつつ政治家的な喰えなさもあるマルのいずれをとっても欠けがありません。とりわけ聖ジャンのランスの歌唱は抜きん出ていて、カリスマ的な神々しさが感じられ、この役はこんなに良かったかと初めて聴いたときには唸らされました。

・フィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
グレシエール指揮/ジロドー、ベルトン、ロヴァーノ、ドゥプラ、ベッティ共演/パリ・オペラ・コミック管弦楽団&合唱団/1954-55年録音
>仏語版ですがこれは明るくて軽やかでなかなか楽しい演奏です!登場した瞬間人気者オーラを爆発させる役ですから、ダンの魅力が最大限活かされると言っても過言ではないと思います。いかにもフットワークや頭の回転が早くてお調子者の何でも屋の姿が目に浮かぶようなウキウキとした歌いぶりは、ぜひ多くの方に聴いて欲しいところです。なんというか鼻唄でも歌ってるようなお気楽さがとてもフィガロらしいんですよね(笑)ドゥプラのよさは以前記事にしましたが、他にもダンと息がぴったりとあっているジロドーは技術の問題ではなく本当に器用な表現ができる歌手で、ここでも程よく間の抜けたご機嫌なつっころばしで楽しめますし、ロヴァーノの上品な色気のあるバルトロは稀有なものです。

・ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵(レハール.F『メリー・ウィドウ』)
ポーセル指揮/ヴィヴァルダ、リンヴァル、アマーデ、ブノワ共演/パリ音楽院管弦楽団&合唱団/1960年録音
>仏語歌唱なので当たり前と言えば当たり前なのですが、ここまで舞台のパリを感じさせる録音は類例がないように思います。ここでもダンはあまりにも自然にダニロを歌っていて、ひょっとして素のこの人もこんな感じなのではないかと感じてしまうほどです(笑)要領が良くて求められていることが何なのかを察する聡明さもあって、けれども自分の戀や気持ちを扱うのにはちょっとだけ不器用な人物を作り上げていて、底抜けに陽気で愉快だけれどもちょっとセンチメンタルで胸を締め付けるような切なさのあるこの演目をより魅力的にしているように思います。共演はブノワ以外はあまり知らない人なのですが、アンサンブルも決まっていて◎です。

・ダッペルトゥット船長(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)
・シンディア(J.E.F.マスネー『ラオールの王』)
・アタナエル(J.E.F.マスネー『タイス』)
・メルキューシオ(C.F.グノー『ロメオとジュリエット』)
デルヴォー指揮/パリ・オペラ座管弦楽団/1958年録音
>最後はアリア集です。もうひとつふたつアリア集があって気にはなっているのですが未聴。こちらはどうしてこれを録音した?というものもありますが仏ものについてはいずれもダンの魅力がよく出ています。彼はオッフェンバックは似合いそうなのですが実は自分が聴けているのはこれだけ(苦笑)。しかしこのダッペルトゥットは明るく伸びやかで品のある歌の中にもミステリアスな闇が垣間見える名演だと思います。『ホフマン物語』の悪役4役を歌ったものがあれば是非聴いてみたいのですが、この役が一番似合いそうだなとも思います。続いてマスネーから2役。『ラオールの王』の演奏は殆どないのでここでのダンの歌唱は貴重です。シンディアの執拗さはあまり感じさせないものの、戀する1人の男の想いの吐露としては切々と心に刺さるものがあります。アタナエルも全曲遺して欲しかった役ですが、ここで2幕のアリアを入れてくれているのは嬉しいところ。堅物な僧侶の信条の宣言でありながら青いというか、自分の気づいていないところに生臭いものが残っていることがはっきりと顕われています。『ロメオとジュリエット』は魅力的なキャストでの抜粋がありますが未聴、そこでもメルキューシオを歌っています。マブの歌は素晴らしいのですが出番が少ないので意外と大物が歌っていない中で、ダンの若々しく引き締まった歌は際立つものではないかと。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十五夜/吟声魁偉~

このblogではもちろん有名歌手を自分の観点で語りたいという面もあるにはあるのですが、どちらかと言うと日本語では本でもネットでもあまり言及のない名手や秘密のお気に入り歌手の良さをアピールしたい!と言う思いでやっているところがあります。なので今実施している大バリトン特集でも半分は比較的名前が挙がる人、もう半分はなかなかまとまった情報のない人を扱いたいと考えています。
前回はちょっと予定外だったのですが大御所をご紹介したところですから、今回はちょっとコアなところをついて行きたいと思います!

Solyom-Nagy.jpg
Gara Miklós

ショーヨム=ナジ・シャンドール
(Sólyom-Nagy Sándor)
1941〜
Baritone
Hungary

オペラと言えばまずは伊独、ついで仏が来て露が来てと言うのは現在のメジャー度合いから行けば頷けるところでしょう(もちろん作品ごとに見ていけば『カルメン』のようなおばけもあるわけですが)。しかし当然ながらそれ以外の国にもオペラはあって、例えばスメタナやドヴォルジャーク、ヤナーチェックを生んだ捷国、ブリテンやヴォーン=ウィリアムズ、サリヴァンのいる英国は小さいながらも1ジャンル、準オペラ先進国と言ってもいいでしょう。
洪国もまたそうした準オペラ先進国のひとつであり、それぞれ1作ずつながら『青髭公の城』と言う渋い名作を書いたバルトークと朗らかな喜劇『ハーリ・ヤーノシュ』の作者コダーイがいますし、国際的な知名度は落ちるものの充実した内容のオペラを作曲しているエルケルもいますし、銀の時代のオペレッタの名手レハールもまたかの国の出身です。クラシック・レーベルでは独特の存在感を放つHUNGAROTONがあり、お国ものはもちろんのこと、ヴェルディやR.シュトラウスの初期作品、ボーイト、レスピーギ、サリエリ、パイジェッロ、ハイドンなど意欲的な録音を数々遺しています。これらの録音ではシャーシュやマルトン、セーケイのような洪国を代表する歌手だけではなく、カプッチッリやネステレンコ、スコット、イェルザレムにガルデッリといった国外の一流の音楽家も加わっており、非常に面白いところ。

今夜の主役ショーヨム=ナジは、そのHUNGAROTONで大変活躍したバリトンです。野性味に溢れた歌い口は力強く、独特のエキゾティックな魅力があります。これが洪ものの雰囲気にピタリと決まっていて、よくぞ彼の歌でこの役を遺してくれました!と思うものが少なからず。詳しくは追ってご紹介しますが、実はこの国のオペラには主役につけ悪役につけ性格的なバリトンが欲しい演目が多いものですから、彼のようにエッジの効いた個性がある人が出てくると演奏自体がグッと締まるのです。必ずしも有名でない作品を満喫できるのは、何と言っても彼の力によるところが大きいでしょう。HUNGAROTONは本当に良い歌手を得たものだと思います。

一方で本音をいうともっと国際的に活躍をして、メジャーどころの録音もして欲しかった実力の持ち主でしょう。荒みとパワーのある声はヴェルディの諸作品、マクベスやナブッコ、エツィオ(『アッティラ』)、アモナズロ(『アイーダ』)あたりは如何にも似合いそうですが、アリア集も出しているヴァーグナーの方にどちらかと言うと軸足を置いていたようです。国際的な活躍がもう少し欲しかったとは言いましたがこの時代のバイロイトにも招聘されており、シュタイン指揮ヴァイクル主演の『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(R.ヴァーグナー)の映像ではヘルマン・オルテルを演じています(プライも出ていて気になっていますが未視聴)。

今宵は日本ではあまり光の当たらない洪もののオペラの雄に注目し、このジャンルの魅力についても語って行きたいと思います。
(ちなみに洪国は日本や中国などと同様「姓・名」の順に名前を書くため、本blogでもその表記に倣います。また、HUNGAROTONのCDについている日本語の解説書では1934年生まれとして紹介されることが多いのですが、洪語版のWikipediaでも1941年生まれとなっているのでひとまずこちらを採用しています)。

<ここがすごい!>
ショーヨム=ナジのことを考えるとまず思い浮かぶのが、そのユニークな音色の声です。「美声」といって間違いないと思いますが、雪の日の太陽のようなちょっとくすみがかかった輝きのある響き。こう言うとスラヴっぽい声なのでは?と思われるかもしれませんが、重量感はあるものの深い響きというのともまた違いますしあまり似た声の人が思い浮かびません。どちらかというと若々しい戀仇よりも、苦悩する王や壮年の英雄を思わせる渋さと迫力のある声です。低い方もよく鳴るのですが安定感のある高音の煌びやかさはまた一入。歌い口もまたそうした声質にまた良くあったエネルギッシュなもので、荒事のように豪快な押し出しの強さや智に働いた強かな雄弁さでグイグイと聴かせていきます。こういった藝風ですから、その声を流麗に聴かせる役ではなく、個性が際立っている役柄でこそ真価を発揮する人でしょう。

上述もしましたが、偶然か必然か彼が少なからぬ録音を遺している洪国お国ものの作品では性格的で魅力的な音楽がつけられたバリトンの役が数多く存在します。何と言っても有名なのは愛すべきホラ吹き親父ハーリ・ヤーノシュ (コダーイ Z.『ハーリ・ヤーノシュ 』)でしょう。おじさんの都合の良い昔語りのようでありつつ或る種の英雄譚でもあるこのお話の主人公には、ユーモラスな雰囲気はもちろん、爽快な剛毅さもロマンスを歌う哀愁も必要であり歌手の力量が試される訳ですが、ショーヨム=ナジの活き活きとした歌唱はそういった複雑な人物を実に魅力的に描き出します。かの国の国民楽派の祖と言われるエルケルの作品も忘れられません。『フニャディ・ラースロー』のガラ提督は娘の幸せよりも自らの権力欲を高らかに歌う悪辣な役柄で、ここでは彼の歌唱は輝かしい憎々しさを伴っており、魅惑的ですらあります。他方『バーンク・バーン 』では横暴な王妃とその弟への反乱を主人公にけしかけるペトゥール・バーンを演じ、味方ではあるものの腹に一物ある政治家を感じさせる演唱で、1幕でいなくなってしまうのがもったいないぐらい。思うに彼のパフォーマンスは非常に賢い人物を感じさせるのですが、それがwiseに近いような思慮深い知的さというよりも、もっと世俗的で権謀術策や肚芸を得意とするcleverさに近いのです。こうした彼の持ち味は作中の人物に、或る意味での親近感を与え、リアリティをもたらしているように思います。

こういった彼の特長を総合していくと、声のタイプこそ違いますが強いて言えばカプッチッリに似た印象が浮かび上がって来ます。輝かしく強靭な声を生み出す喉、渋みがあり重厚で個性的な存在感、多彩で複雑な役柄に説得力にを与える言葉のうまさ……こういったことを分析的に述べることは容易ですが、より端的に申し上げれば、「かっこいいおじさんが似合う」の一言に集約できるかもしれません(笑)

<ここは微妙かも(^^;>
お国ものに限らず独ものでも伊ものでも、彼の豪快さは子音やアクセントを立てて歌うところから来ている部分が多いように思うので、滑らかで美しい旋律を楽しみたいという方にとってはちょっとゴリゴリと押しすぎというか、力み過ぎに感じられるかもしれません。でももしこれがなくなってしまったら彼の歌の良さはだいぶ減じてしまうので、諸刃の剣とも言えそうです。
例によって例のごとく原語で歌っていないものも多いので、その点もご注意を。

<オススメ録音♪>
・ガラ・ミクローシュ(エルケル F.『フニャディ・ラースロー』)
コヴァーチ指揮/モルナール、シャシュ、カルマール、グリャーシュ、ガーティ、グレゴル共演/洪国立歌劇場管弦楽団&合唱団、洪軍男声合唱団/1985年録音
>エルケルという作曲者すら知らなかった自分にとって開眼の1枚で、今でも多くの人に聴いてほしい超名盤だと思っています。ショーヨム=ナジの豪快且つ算高さを感じさせる歌唱は、この悪役のギラギラするような権勢への執着を明らかにし、これまでも多くの人物を追い落として来たであろう老獪さをも引き出しています。彼の歌い口は決してこそこそしたものではなく、堂々として自身たっぷりなので、全曲中の白眉であるアリア(これはガラの権力讃歌であり、イァーゴのような信条告白ですね)は強烈で印象的です。ドラマの後半、王を籠絡して主人公を結婚式から断頭台へと送り込んでいく様は悪魔的ですらあります。彼の長所が最もよくでた録音と言えるかもしれません。コヴァーチの指揮はドラマティックで、メジャーとは言えないこの作品を十分に楽しむことができます。共演は高音が厳しいカルマールを除いて全体に優れていますが、出色はフニャディの母親を演じる名花シャシュでしょう。「カラスの再来」などと言われなければ、彼女はもっと活躍したのではないかと思うと、残念でもあります。

・ぺトゥール・バーン(エルケル F.『バーンク・バーン』)
パル指揮/キッシュ、ロシュト、コヴァーチ、マルトン、グリャーシュ、ミレル共演/洪国千年紀管弦楽団、洪国立合唱団&ホンヴェード男声合唱団/2001 年録音
>こちらもまたエルケルの代表作。彼の演じるペトゥールは、ガラ提督が味方になったらこんな感じかもしれないと思わせるような一筋縄でいかない雰囲気を纏っていて、バーンクを陰謀に誘うところなど大変スリリングな空気を作り上げています。また開幕すぐの酒の歌は野性味溢れていて実にパワフルで、けだしご機嫌な歌唱。エルケルは基本的には伊ものの音楽の作りをベースにしながらこうした部分洪国らしい土臭くてもの悲しい旋律を絶妙に融合しているのですが、いい意味で癖のあるショーヨム=ナジの声と歌にはぴったりだなあと何度聴いても思うところです。結構歳をとってからの録音ですが、活き活きしたパフォーマンスには年齢は感じません。彼をはじめ往年の名歌手たちが脇を支え、主役の2人キッシュとロシュトは若い世代ということになりますが、彼らが大変素晴らしい歌唱。キッシュは思ったよりもうんと力強い声と歌で悲劇の英雄を作り上げていますし、ロシュトの軽やかな美声はこの薄幸のヒロインにぴったりで、狂乱の場は圧巻。

・ハーリ・ヤーノシュ(コダーイ Z.『ハーリ・ヤーノシュ』)
フェレンチク指揮/タカーチ、シュドリク、ポーカ、メーセイ、グレゴル、バルチョー共演/洪国立歌劇場管弦楽団&合唱団、洪放送児童合唱団/1979〜81年録音
>洪国歌劇の傑作の超名盤です。芝居の部分はカットして歌だけですが、組曲でしか本作をご存じない方には是非聴いてほしいと思います。ハーリは上記の役に較べるともっと屈託のない法螺吹きおじさんではありますが、そのホラ話の中での大活躍やロマンスを魅力的にできるのは歌手の力量。もちろんここでの彼の歌唱は十分水準を越えた、という以上の見事なものです。上記2作品のアリアとも似ている血湧き肉躍る募兵の歌ももちろん楽しいですが、タカーチとの重唱や赤い林檎の歌など民謡っぽいところがやはり抜群にうまくて、聴けば聴くほど味わいが出てくるようです。

・ソロモン王(ゴルトマルク K.『シバの女王』)
フィッシャー指揮/タカーチ、イェルザレム、グレゴル、キンチェシュ、ミレル、カルマール、ポルガール共演/洪国立歌劇場管弦楽団&合唱団、ジュネス・ミュージカル合唱団、洪軍男声合唱団/1980年録音
>こちらもまた忘れられてしまった名作の優れた録音で、当時の洪国を代表する歌手陣に加えてヴァーグナーで有名なジークフリート・イェルザレムが登場しています。この作品はここまで紹介してきた作品に較べるとうんとロマンティックな色彩が強いもので、ヴァーグナーでも活躍していたショーヨム=ナジの藝の幅の広さを感じることができます。荒々しい豪放さは影をひそめ、優秀な実務家・政治家としての側面がより伝わってくると言いますか。2つのアリアはいずれも預言者のような崇高さがありますし、イェルザレムやタカーチとの重唱での丁々発止のやりとりも聴きごたえがあります。が、とりわけ大きなアンサンブルでの貫禄、押し出しの強さは格別ですね。フィッシャーの豪奢な音楽も素敵ですし、こちらも共演がまた素晴らしい!特にここでは怪しい雰囲気を漂わせながら小回りも効くタカーチの女王が魅力的だと思います。

・ドン・バジリオ(G.パイジェッロ『セビリャの理髪師』)
フィッシャー指揮/ラキ、グリャーシュ、ガーティ、グレゴル共演/洪国立管弦楽団&洪放送合唱団/1985年録音
>ロッシーニではなくパイジェッロの方での本作は録音が少ないため、代表盤と言っていいかと思います。このバジリオはバスということになっていますからクラバッシやペトリと言った人たちも残していますが、キャラクターの個性の強さという意味ではここでの彼の起用は大成功と言えるかと。作品が作品なので荒々しさは控えめなのですが何より勢が圧倒的で、突風のように駆け抜けていくアリアは痛快そのもの。またバジリオがひょっこり現れて大混乱になるアンサンブルでもまさに台風の目というべき活躍ぶりで、性格派バリトンの面目躍如といったところでしょう。更に他の作品でも共演しているグレゴルのバルトロが抱腹絶倒の歌唱を繰り広げていて、比較的おとなしい主役たちに対してキャラの立った悪役たちが目立つ構図になっています。フィッシャーの指揮もキビキビしていて個人的にはベスト。

・ファラオ(G.ロッシーニ『モゼ』)
ガルデッリ指揮/グレゴル、カルマール、ナジ、ハマリ共演/洪国立管弦楽団&洪放送合唱団/1981年録音
>HUNGAROTONは本当に見識があるなあと思うのが、ロッシーニでも『セビリャの理髪師』とか『チェネレントラ』みたいな人気作ではなくてこういうのを録音してるんですよね、持てる最高の人たちを集めて。当時のディレクターには頭が下がります。本作の版の問題は極めて複雑なので詳細は別の本やサイトに譲りますが、この演奏で使われている版ではファラオは大規模アンサンブル以外にあまり歌のパートはなくて比較的地味なんですけれども、レチタティーヴォでの言葉捌きから尊大な王の風情がよく出ています。息子のテノールの方が目立つ役でもありより大物の歌手がやることもあるのですが、やはり少ない出番であっても十分な存在感を引き出せる彼のような人がやった方が全体が締まりますね^^喜劇での活躍で記憶に残るグレゴルはこうした大真面目な役も立派に果たせることをよく示した名演、ハマリも意外なレパートリーを堅実にこなしています。他方、ナジとカルマールはいまのロッシーニの歌唱を知ってしまうとちょっと辛いところがあります。

・総督バジリオ(O.レスピーギ『炎』)2019.2.28追記
ガルデッリ指揮/トコディ、ケレン、タカーチ、コヴァーチ共演/洪国立管弦楽団&洪放送合唱団/1986年録音
>レスピーギの歌劇というのはあまり聞きませんが実は9作もあって、本作はその最後のもの。プッチーニやヴェリズモ作品などと前後した作品で重厚な管弦楽を楽しめますが印象は全く異なっていて、ロマンチックな甘いメロディや現代ドラマのような生々しさとは別の世界の作品なので、オペラ好きからの受けは悪そうですが辛口で起伏の富んだ名作だと思います。総督は歌う場面は長くないもののあらすじの上では重要で、魔女の企みで妻と結ばれたものの今は妻を愛してる(しかし裏切られて死ぬ)というバリトンらしい役どころ。基本的に無骨な音楽が当てられており、彼の藝風によくあっています。妻シルヴァーナへの歌の途中で一瞬、ほんの少しだけロマンティックになる瞬間があって、そこが老総督の不器用な愛情を感じさせて、レスピーギとショーヨム=ナジ双方の手腕の確かさを思わざるを得ません。主役のトコディの熱唱、ガルデッリの立派な音楽もあって、この珍しい作品の秀演と思います。

・イァーゴ(G.ヴェルディ『オテロ』)
・アルフィオ(P.マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』)
詳細不明
>アリアでの名唱を集めたもの(恐らく放送音源)から2つ、いずれも洪語歌唱です。本当は彼はヴェルディならシモン(『シモン・ボッカネグラ』)が一番ハマるんじゃないかなと思っているのですが、このイァーゴの歌唱も黒々とした悪の魅力が存分に発揮されていて、他に得難いもの。つくづく語りがうまいなあというのを再認識させられます。対してアルフィオではこれまで繰返し述べてきた、彼のスピード感に満ちた豪放磊落な持ち味が凝縮されています。この役はおとなしく丁寧に淡々と歌ったのでは面白くないので、いい意味で歌い飛ばしてくれるのが本当に爽快です!いずれもアリアのみならず全曲であれば……という妄想が膨らむ快演(笑)
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十四夜/主神の品格~

これまで私の趣味嗜好の問題でどうしても独もののバス・バリトンと呼ばれる人たちを扱うことができずにきていたこともあり、このシリーズで扱おうと思っていた歌手がいましたが、急遽予定変更することにしました。
というのも今回は独墺系のヴェヒターからスタートしましたし、もう少し時間を置いて勉強してからその人を取り上げようと思っていたのですが、大変残念なことにまたしても訃報が入り、そしてまた亡くなった彼こそこのジャンルの巨人というべき人であったので特集しないわけにはいかないなと。

そんな訳で最高のヴォータンに登場していただきます。

Adam.jpg
Wotan

テオ・アダム
(Theo Adam)
1926〜2019
Bass Baritone
Germany

独ものを多く聴くことができてはいないものの、最高のバス・バリトン歌手だと思います。
ドレスデンの出身。勝手なイメージですが独ものというとオペラに限らずクラシック音楽全般で、彼が活躍していた東独の演奏の印象が強いです。音色は清澄で引き締まっていて、生真面目な硬さがありつつ筋肉質な身軽さがある……そしてそういった印象をそのまま歌にすると彼の歌唱にたどり着くように思います。オペラであってもあたかも歌曲を聞いているような、丁寧で濃密な歌唱からは、真摯でストイックな姿勢が伝わってくるようです。

幸いなことに録音が多く、彼が如何にさまざまなレパートリーでその本領を発揮していたのかが良くわかります。もちろん得意としていた独ものでの格調高い歌はいずれも名唱ですし、他方でヴェルディや露ものを扱ったアリア集も光ります。時代柄ほぼ全て独語歌唱ですが、優れた歌手が歌えば原語ではなくてもその音楽の真価を引き出すことができるということを証明してくれるでしょう。
正直なところ、彼のヴァーグナーやR.シュトラウスをあまり聴けていないにもかかわらずこの特集を組むのはいささか気がひけるところもあるのですが、そこはこのシリーズの常、追記で補っていきたいと思います(苦笑)。

<ここがすごい!>
前段のところで既に「格調高い」という語を遣ってしまいましたが、アダムの歌唱を形容するに当たってこれほど適切な言葉はないのではないかと思います。オペラの世界には芝居っ気や外連味で“見せる歌手”がたくさんいて、私自身この特集でそういった人を多く取り上げている通りそういった人たちにも魅力を感じる訳ですが、それでも彼の音楽に対して誠実な歌いぶりはまさに“聴かせる歌手”としてその稀有な才能を記憶されるべきものです。先程来の書きぶりですと「要は楽譜通りに歌っているのでは?」と思われるかもしれませんが、そうではありません。むしろ楽譜なり科白なりを丹念に読み込んだ上で深い洞察を行い、歌唱に魂を込めているといると言いますか、その中に世界を創り上げている感じがします。アリア集を聴いていても歌曲集を聴いているかのような印象を持つのはそういった彼の藝風によるところが大きいのででしょう。同じようなタイプでいけばFDやバルトリをここでは上げて来ましたが、FDはもっと学者的、バルトリはもっと“見せる歌手”といった中で、アダムには武道家のような印象を持ちます。或いは仁王像のような引き締まった姿と厳しい顔つきを連想することもあります。精悍さと、自らが信じる伝統を担っているというような誇り高さが、彼の歌からは表出しているように思うのです。時としてがなるような崩しが入る時もあるのですが、それが全く不自然ではなくむしろ歌唱の魅力となっているのは、歌の中でそれが違和感のある浮いた表現になってしまっているのではなくあくまでも彼の藝の地平の先に繋がった、言わば“離”の世界として存在するからではないでしょうか。

バス・バリトンとしてご紹介していますから当然ながらかなり低い音域までカヴァーはしている(オックス男爵(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)歌えるぐらいですからね笑)のですが、声質としてはバスと聞いて想像するような深さや暗さを感じさせるというよりは、むしろバリトンらしい明るさや輝きのある響きです。むしろ普通のバリトンでも例えば前回扱ったヘルレアなどの方がうんと重く黒々とした、いわゆるバスっぽい響きに聴こえるでしょう。独ものの低音ではかの国の森を思わせるような漆黒の声が求められる役が多いように思いますが、ではそういった役柄をアダムが歌うとどうかというと、これがびっくりするほど素晴らしい!とりわけ悪役では湧き上がり、煮えたぎり、噴きこぼれるような苦々しい悪の魅力を楽しむことができます。僕がアダムに初めて注目したのがドン・ピツァロ(L.ヴァン=ベートーヴェン『フィデリオ』)だったこともあり、この役のイメージが強いです。他のファンの方々には、なんでまた彼が演じるには単純な悪役をとお叱りを受けそうな気もしますが、作品そのものの問題もあって今ひとつピンと来ていなかったこの役が鮮やかな実在感を伴って立ち現れてきたのが、ベーム盤での彼の歌唱で、いまでもこの役のベストはアダムだなあと思うのです。

そして僕がアダムの素晴らしさを改めて認識することになったのが、ヴォータン(R.ヴァーグナー『ニーベルングの指環』)です。こちらもベームの指揮によるバイロイトでのライヴは、アダムの魅力が凝縮された最高の記録と言って良いでしょう。いかにも彼らしい格調の高さはそのままに、実演らしい白熱した力強い歌い口で豪快な覇気を感じさせ、神の品格と気性の荒々しさを表出した、蓋し絶唱。あまり聴き込めていない作品でこういうことを書くのも難ではあるのですが、個人的にはこれ以上のヴォータンは考えられません。

<ここは微妙かも(^^;>
上述のとおり基本的には明るい音色のエネルギッシュな声なので、いわゆる独国のバスらしい声(例えばフリックやグラインドル、モルのような。バス・バリトンで言えばホッターやベリー)を期待する向きには満足感が得られづらいかもしれません。ネット上では声が軽い、ブレスが浅いと言ったご意見の方もいるようですが、私見では音色の趣味の問題が大きいように思います。
もう一つ、彼の大きなプラスと思う歌曲を思わせる丁寧で丹念な歌い口も、オペラはもっと勢いと新鮮さのものだ!という向きからは好まれなさそうです。あまりにも真面目すぎる、という指摘があるのも、賛否は別にしてわからなくもないところです。

<オススメ録音♪>
・ヴォータン(R.ヴァーグナー『ニーベルングの指環』)
ベーム指揮/ヴィントガッセン、ニルソン、キング、リザネク、グラインドル、ナイトリンガー、ヴォールファールト、ブルマイスター、ニーンシュテット、ドヴォルジャコヴァー、ステュアート、ベーメ、タルヴェラ、ソウクポヴァー、シリア共演/バイロイト祝祭劇場管弦楽団&合唱団/1966-67年録音
>不滅の名盤。ヴァーグナーが苦手な僕がこの超大作の素晴らしさを知ることができたのは、小さな役まで万全の人を得たこの録音によるところが大きく、特にここでのアダムの“吼えるヴォータン”に魅了されました。「歌曲のよう」と感じさせる彼の歌唱の中では最もオペラティックなものかもしれません。自分が聴いたことのあるこの役の中では最も明るい音色ではないかと思うのですが、それをプラスにして若々しくて精悍で感情の起伏に富んだキャラクターを作り上げています。4夜のうち1夜を取り上げるのであればやはり活躍の多い『ヴァルキューレ』で、どんな小さなフレーズ1つを取ってもヴォータンそのものがそこに降り立ったような荘厳さに圧倒されます。名高い告別の場面はかなり長いこともあって、正直なところ聴いていて飽きてしまうことも少なくないのですが、愛と哀しみに満ちた堂々たる歌で聴き手を惹き混んでしまいます。これにはもちろんベームの集中力の高い指揮の力も大きいでしょう。共演では神々しいニルソン、アルベリヒでは右に出るもののいないナイトリンガー、最後の夜の悪役としての邪悪な風格に不足のないグラインドルの3人がやはり素晴らしい。ヴィントガッセンはジークフリートは熱唱ながらどこか足りないものがあるような気がしていて(それもかなり高次元の話ですが)、むしろローゲでの想像以上に器用な歌いぶりが見事と思います。

・ドン・ピツァロ(L.ヴァン=ベートーヴェン『フィデリオ』)
ベーム指揮/ジョーンズ、キング、クラス、マティス、シュライアー、タルヴェラ共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ドレスデン国立歌劇場合唱団/1969年録音
(L.ヴァン=ベートーヴェン『レオノーレ』)
ブロムシュテット指揮/E.モーザー、キャシリー、リッダーブッシュ、ドナート、ビュヒナー、ポルスター共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ライプツィヒ放送合唱団/1976年録音
>『フィデリオ』はオペラとしては必ずしも評価の高い演目ではないと思うのですが、各役に与えられた音楽が(歌いやすさなどは別にして)非常にかっこよくて好きな演目で、一時期いろいろ聴きくらべていました。その中での個人的なベストがベームのスタジオ録音で、ベームの堅牢で密な音楽とソリストたちの役柄に適した名唱ともども他の追随を許さない名盤だと思っています。ピツァロという役にはそもそもかなり悪人然とした険しい音楽がつけられていますが、アダムの歌唱はその力を最大限にひきだしてるように感じます。筋肉質でスピード感があり、エネルギッシュな華がある彼の歌は、まさにダークヒーローそのもの。終幕でのあっさりした退場がちょっともったいなくなってしまうぐらい。そして非常にありがたいのは彼が『レオノーレ』の方の全曲盤にも参加してくれていることです。ベーム盤から7年越しの歌唱ではありますが、声の衰えを全く感じさせず、純粋にピツァロにつけられている音楽を比較することができます。もちろんこちらもまたギラギラした悪役ぶりがお見事。モーザーはじめ共演陣の質も高く、資料的に面白い以上に質の高い音楽を楽しむことができる名盤です。

・ペーター(E.フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』)
スウィットナー指揮/シュプリンガー、ホフ、シュレーダー、シュライアー、クライマー共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ドレスデン聖十字架合唱団/1969年録音
>これほどメルヒェンの世界を表した音楽と演奏はないのではないかと思います!子供たちの可愛らしい世界の中に、魔女の棲む森の不気味さと飢えや貧しさという現実の苦難とをこれほど高次で融合した当時の東独の人々には畏敬の念を覚えます。ここでは唯一の男性低音のアダムは、この作品をどっしりと支える要役として抜群の存在感です。子どもたち(=女性歌手)の場面の印象が多い作品ですが、魔女の恐ろしい伝承を物語り、最後の祈りをリードするなど実は重要な出番が多いペーターを真摯に演じていてとても好感が持てます。となると酔っ払いの歌は面白みが少ないのかなと思われるかもしれませんが、ここでは彼らしいたっぷりした明るい美声が活きていて高い完成度。スウィットナーの渋い音楽はやはりこの作品にはしっくりきますし、子どもを演じても違和感のないシュプリンガーとホフもいいし、シュレーダーもこの作品の現実的な深刻さを感じさせる名演。そしてシュライアーの強烈な魔女!あの端正なリリック・テナーがここまでやるか!という怪演です。歌が上手いのがタチが悪い(褒めてますw)。

・アドルフォ(F.シューベルト『アルフォンソとエストレッラ』)
スウィットナー指揮/シュライアー、マティス、フィッシャー=ディースカウ、プライ共演/シュターツカペレ・ベルリン&ベルリン放送合唱団/1978年録音
>こちらも当時の東独の雄が結集した感のある超名盤です。この指揮者、このメンバーであまり有名とは言えないオペラがこうして遺されたことは、我々オペラ・ファンにとっても、シューベルトのファンの方々にとっても喜ばしいことですし、おそらくこれから先これ以上の録音が出ることはないかもしれません。この作品の持つ歌曲的な旋律の美しさと独語の響きの小気味良さが遺憾無く発揮されています。アダムはここでも悪役ですが、そのスタイリッシュな歌い口のうまさが引き立っているという意味では彼の録音の中でも屈指のものでしょう。一番の見せ場はアリアなのでしょうが、整然と美しい合唱のアンサンブルは掛け値なしでかっこいい!歌曲的な優美さとオペラ的な盛り上がりとを楽しむことができる、一口で二度美味しい名演です。

・弁者(W.A,モーツァルト『魔笛』)
サヴァリッシュ指揮/シュライアー、ローテンベルガー、ベリー、E.モーザー、モル、ミリャコヴィッチ、ブロックマイヤー共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1972年録音
>ヴンダーリッヒがタミーノではなくてもプライがパパゲーノではなくても、『魔笛』最高の名盤はこの演奏でしょう!彼がザラストロを演じている音源もありそれもまた彼の風格ある歌いぶりが際立つ名唱なのですが、高尚な内容を滔々と歌うよりも曖昧な謎かけでタミーノの考えを揺るがす弁者の方が、アダムの知的な個性に合っているように思います。シュライアーがまた行動の先に立つ若々しさのある歌で、好対照。旋律的ではない、語りと歌の合間のような晦渋な音楽を楽しめるのは彼らの美声と力量の賜物でしょう。全てのキャストが役柄にはまっていますが、特に怒りを歌に昇華した切れ味の鋭いモーザー、重厚な美声と整った歌い口が徳の高さに繋がっているモルはそれぞれ最高の夜の女王とザラストロとして記憶されるべきものでしょう。

・カスパール(C.M.フォン=ヴェーバー『魔弾の射手』)
C.クライバー指揮/シュライアー、ヤノヴィッツ、マティス、ヴァイクル、フォーゲル、クラス共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ライプツィヒ放送合唱団/1973年録音
>実は恥ずかしながらあまり得意ではない作品だったのですが、今回改めて聴き直してこの悪魔に魂を売った狩人の荒々しい歌は彼の個性にぴったりだなあとしみじみ感じた次第です。闇を思わせるようなドスこそありませんが、キビキビしたフットワークの軽い歌いまわしとドライな声色には尋常ならざる魔力、目が据わっているような毒気が漂っています。酒の歌はクライバーの煽るテンポにもバッチリ乗っていてスリリングですし、続くアリアでの迫力ある歌はまさに圧巻で、この録音の一番の聴き処でしょう(それだけに後半の幕でカスパールの歌での出番が少ないのが残念ではあるのですが……狼谷の場は科白でここでは別の人があてていますし)。息子クライバーがこの作品というのはちょっと意外な印象ですが彼らしいホットな指揮はやはり魅力的ですし、情熱的なシュライアーをはじめ共演陣も楽しめます。

・フィリッポ2世(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
コンヴィチュニー指揮/リッツマン、ドヴォルジャコヴァー、ミュラー=ビュトウ、R.イェドリチカ、フレイ共演/ベルリン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
>比較的最近になって登場した音源ですが隠し球的な名演で、初めて聴いた時にかなり驚くとともに感動しました。独語ということもあってアダムの歌はヴェルディらしいというよりはやはり歌曲を思わせるものですが、全く別のアプローチから光を当てることでこの役の新たな魅力に気づかせてくれるようです。“独り寂しく眠ろう”はこの部分だけ単体で取り出してもフィリッポという役柄の持つ世界がしっかりと打ち出された精緻で知性的な歌唱で脱帽させられます。またフレイの演じる恐ろしくて破壊力のある宗教裁判長との重唱は、2人の音色と持ち味の違いが実にリアルで演劇的な面白さがあります。正直なところドヴォルジャコヴァーを『指環』で少し聴いたことがあることを除くと全く知らないメンバーなのですが、それぞれの個性が役に合致しており素晴らしく、聴き慣れた本作を新たな耳で楽しむことができます。

・オックス男爵(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)
・ペナイオス(R.シュトラウス『ダフネ』)
スウィットナー指揮/シュレーター共演/シュターツカペレ・ドレスデン/1969年録音
>残念ながらこの記事の投稿時点では彼のシュトラウスは聴きとおせていないのですが、この『R.シュトラウス名場面集』が比較的手に入りやすいのは嬉しいところです。図々しくて品がない、コミカルな役であるオックスと生真面目なアダムの藝風はいかにも反りが合わなさそうな感じがしますが、彼の明るい声はこうした役にもマッチしていますし、非常に柔軟で器用な歌い口には舌を巻きます。明るい声なので意外ではありますがあの最低音もきっちり鳴っていて、彼の声域の広さの証左と言えるでしょう。若さが必ずしもプラスに働く役ではありませんが、パワーがあってまだまだ枯れてないという自負があるのにも納得感があります。『ダフネ』はシュトラウスの作品の中でとりわけ目立った存在ではないと思いますが、ここでの彼の雄大な歌唱は合唱を伴ってスケールの大きな風景を想起させるもので、一聴に値します。この役も作中唯一低音を受け持つパートですから、もし実演であれば頼り甲斐がある低音を聴かせてくれるに違いないだろうなと想像できます。どちらも全曲を聴いてみたいと思わせるのに十分な歌唱です。

・ケツァール(B.スメタナ『売られた花嫁』)
・メフィストフェレス(C.F.グノー『ファウスト』)
スウィットナー指揮/シュライアー共演/シュターツカペレ・ドレスデン/1973年録音
>ここまでの音盤紹介でも繰り返し登場しているシュライアーとは重唱集を遺しています。このアルバムは全て独語歌唱ではありますがかなり多彩なプログラムで、彼らがあまり歌わなかっただろうものも楽しめる点で貴重なものですが、ここでは2つご紹介しましょう。まず独語での録音も多い『売られた花嫁』のケツァールは、速いテンポでの口数が多い部分では小回りの効いた口跡が気分良く、中間部では恰幅のいい伸びやかな歌で美声にうっとりさせられます。メフィストは全曲遺していないのが全く惜しいぐらいで、ピツァロやカスパールで聴かせたような魔術的な魅力がここでも存分に出てきています。そしていずれもシュライアーの若々しい活力の漲る声と歌と相性が抜群。彼らは録音史に残る名コンビと言ってよいでしょう。

・ボリス・ゴドゥノフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
・イーゴリ・スヴャトスラヴィチ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)
・イァーゴ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』)
マズア指揮/シュターツカペレ・ベルリン/1968年録音
>最後はちょっとだけイロモノで、露ものとヴェルディを集めたアリア集からです。いずれもそもそも独語の歌であったかのように違和感がありません。まずボリスは彼の良さが一番活きそうな独白が収録されていますが、これはちょっとびっくりするぐらいの名唱です。ボリスの焦燥と後悔をちりばめながら、こんなにも神々しく荘厳に、そして端正な表現ができるのかと聴くたびに頭が下がります。彼はヴォータンにしろフィリッポにしろ権力者の胸の内の表現に秀でていると言えるのかもしれませんね。続くイーゴリ公はそもそもバリトン向けに書かれた役ながらバスが歌うことが多いこともあって、或意味バス・バリトン向きなのかもしれません。高音から低音までよく響くアダムの美声に思わず聞き惚れてしまいます。囚われたイーゴリの苦渋の表情が思い浮かぶようです。そしてイァーゴのゾクゾクするような悪への讃歌もまた稀代の名演!どうしてこうも悪を魅力的に描けるものかと嘆息させるもので、下手に伊語で歌われたものよりもよっぽど優れた歌唱でしょう。これらも全曲が欲しくなりますが、できれば敢えて独語で聴きたいですね^^
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