Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百四夜/パ・パ・パ~

このところ何かと忙しく、気づけばこのシリーズも1年近く更新が止まってしまっていました汗。今年はもう少し更新していきたいなと思っているところではありますが、まあ気長に笑。
久しぶりということで、とびきり陽気な御仁にご登場願いましょう!

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ヘルマン・プライ
(Hermann Prey)
1929~1998
Baritone
Germany

いつご紹介しようかとずっと思っておりました。独墺系歌手の重鎮中の重鎮です。
レパートリーが被ることとともに、その藝術的な完成度の高さも相俟って、4つ歳上ののフィッシャー=ディースカウと共に語られることが非常に多いです。とはいえこの2人の方向性は大きく異なるように個人的には感じています。いずれにせよこの2人が、20世紀のオペラと独歌曲で活躍したバリトンの双璧であることに変わりはないでしょう(本当は彼のライフ・ワークはシューベルト歌曲だと言われているのですが、恥ずかしながら未だにそのあたり明るくなく、今回はオペラに絞ったお話をしていこうと思います。。。F=Dのときも同じようなこと言ってましたね^^;)。またレパートリーには若干のずれがありますが同い年にはもう一人、こちらもこの時代の独墺系バリトンの雄である同年のエーベルハルト・ヴェヒターがおり、彼との比較がなされることも少なくないように思います。。
余談になりますが、1929年は20世紀の低音歌手にとって記念すべき年で、独墺系ではプライ、ヴェヒターに加えヴァルター・ベリー、伊系で活躍した人では本blogでおなじみのニコライ・ギャウロフ、ピエロ・カプッチッリの他にジョゼフ・ルロー、コスタス・パスカリスといった人たちが生まれています。なんとまあ!笑

さてそんな訳でフィッシャー=ディースカウやヴェヒターと較べられることの多いプライではありますが、藝風と言いますか歌手としての個性は彼らとは大きく異なると言っていいでしょう。フィッシャー=ディースカウは以前取り上げたとおり、楽譜を深く読み込んだ知的で丁寧で整った歌い口が魅力の人ですし、ヴェヒターはオペレッタで鳴らしていましたが、それにしてもやはりヴァーグナーなどでのコワモテな印象が強いです。彼らに限らず、独墺系のオペラ歌手と言うと比較的生真面目で硬派のイメージが強い人が多いように思います。
では、プライの魅力は?
今夜はそこに迫ってみたいと思います。

<ここがすごい!>
彼を語る上で非常によく取り沙汰されるのがフィガロです。何故ならば、彼は独墺系のバリトンの中では珍しく、モーツァルトの『フィガロの結婚』とロッシーニの『セビリャの理髪師』のどちらの演目でも、フィガロとして名を馳せたからです。同様に彼を語る上で欠かせない役とされるのは、極め付のパパゲーノ(W.A.モーツァルト『魔笛』)とアイゼンシュタイン(J.シュトラウス2世『蝙蝠』)。
この役どころを眺めているだけでも、彼の美点と個性が見えてきます。F=Dやヴェヒターにない彼の魅力は、おおらかでのびやかで愛嬌があって、人間臭いところにあると言っていいでしょう。うまく言葉にできないのですが、プライさん自身の人柄の良さと言うか、気さくさ、自由さが、歌っている時の感情の全てが歌から溢れ出ているような感じなんです。時に感情に持ってかれるところもあって、単純比較すればF=Dの方が精緻な歌なんですが、それでもプライの方が歌として感動できるものだったりする。最初にフィガロの話をしましたが、正直言うとモーツァルトのフィガロは彼には音が低いと感じるし、ロッシーニは今の耳からするとたどたどしい部分もあるんです。でも、未だに「フィガロと言えばプライ!」という人がいるのも肯ける味があるのもまた事実なのです。これだけはもう聴いていただかなければわからない、彼の天賦の才なんだと思います。

但し、彼が感情の赴くままに、恣意的に粗っぽい歌をうたっているかと言うとそうではありません。むしろその歌は基本的にはかなり端正で、彼の音楽面での誠実さがよく出ていると言っていいでしょう。特に奇を衒ったことをしている訳ではないのに、充分にその役柄の面白味が伝わってくるところに彼の偉大さがあります。オペレッタであっても、語りや崩しにならず歌として聴かせてしまう妙味には頭が下がります。優れた喜劇役者は余計なオカシサを役柄に付け加えるのではなく、徹頭徹尾真面目にやることでその役柄の可笑しさを引き出すと言いますが、彼の歌を聴いているとまさにその通りなんだろうなと思うのです。

また、ここまでのところではどちらかと言うとコミカルな役どころこそが彼のレパートリーの中心のような印象と思われるようなことを述べてきましたが、実のところはそうではありません。彼のライフ・ワークであるシューベルトをはじめ、歌曲で評価を受けているように、微妙な感情の機微を感じさせるような役柄もまた絶品なのです。例えばダニロ(レハール F.『メリー・ウィドウ』)は華やかで楽しい役柄である一方で、過去の戀愛での苦い記憶をどこかに引きずった切なさのある粋な大人の男ですが、名演は多いもののここまで繊細で複雑な味わいを出している歌唱は他に例を見ないと思います。脇役ではありますがフリッツ(E.コルンゴルト『死の都』)でも、陽気な男の歌ううっとりさせるような甘い旋律の中に潰えていく街の儚さを感じさせる名唱を披露しています。笑顔なんだけど哀しい、笑っているような泣いているような感情の動きを優しいタッチで作り上げていく彼の手腕には、何度聴いても涙が零れます。

最後になりますがもちろんその美声も忘れてはならないでしょう!厚みがあって柔らかで、心地よい湿り気と質感のある響きの良さ。独系のロマンティックな声のバリトンの最高峰と言ってもいいのではないでしょうか。こういうことを言うとまた怒られそうな気もしますが、声そのものだけを俎上に取ると、実は私自身はF=D御大よりもプライの方にうっとりさせられることが多いです。特に低音の豊かな声は録音史の様々な低音歌手の中でも最良のもののひとつでしょう。個人的には、これは或意味で邪道っぽさはあるのですが、ヴンダーリッヒとの重唱集で残しているマルチェッロ(G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)での色気のある美声はイチオシ。騙されたと思って是非一度!

<ここは微妙かも(^^;>
ここまでも述べてきたとおり彼は非常に自然体で歌う人です。実際ご本人としてどうだったのかというのは残念ながら私にはわかりませんが非常に飾りのない人。それが或意味で裏目に出る時があるような気がするのが、時にある音程の不安定さです。感情がこもってくると割とその感情に合わせて音程のぶら下がりとかがあるんですよね^^;これが気になる人は気になるかも。
ただ、彼の場合その自然体こそが一番の持ち味でもあるともいえるので、表裏一体の部分なんでしょう。
あとはちょっと人が良すぎるところもあって……ドン・ジョヴァンニ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)なんかは歌は素敵なものの、変な話いい人過ぎちゃってあんまりはまらないように感じました^^;

<オススメ録音♪>
・パパゲーノ(W.A.モーツァルト『魔笛』)
リーガー指揮/ヴンダーリッヒ、ローテンベルガー、コーン、ケート、エンゲン、ヒレブレヒト、ナアフ、マラウニク、グルーバー、フリードマン共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音
>秘密の名盤。もう繰り返しになりますが、やはり私としてはプライと言えばやっぱりパパゲーノ!彼一流の陽気で自然体な人柄が、このキャラクターにぴったりなのです。ありきたりな表現ではありますが、まさにパパゲーノその人と言いますか。そう、この役はダメなやつですが、彼は彼なりに必死に生きているんですよね、それが感じられる。無理に作った人物像ではなく、プライの人柄がにじみ出て、この役と融合しているように思います。ショルティのスタジオ盤もありますが、やはりライヴ盤の方が生き生きとしていますし、何よりここではタミーノを夭逝したプライの親友ヴンダーリッヒが歌っているのが嬉しい!意外とこの主従が一緒に歌っている場面は少ないのですが、「ム、ム、ム」の5重唱など最高です^^その他全体に完成度が高いですが、ケートの夜の女王が今一つなのが惜しい(まあこの役にはよくある話なんだけれども)。

・ガブリエル・フォン=アイゼンシュタイン(J.シュトラウス2世『蝙蝠』)
C.クライバー指揮/ヴァラディ、ポップ、レブロフ、コロ、ヴァイクル、クッシェ、グルーバー/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1975年録音
>ひょっとするといまだにこの録音を超える蝙蝠は登場していないかもしれません(公爵のレブロフの好き嫌いはありますが)。プライに関していえば、これだけ人から愛されそうなアイゼンシュタインもそうそういないでしょう。陽気でいい加減で女好きで、でも愛嬌があってどこか憎めない。思わずはっとしてしまうような色気もある。例えばこれがヴェヒターだと、確かにスタイリッシュで気品も色気もあってかっこよいのですが、お友達にしたいかというとちょっと……(笑)ファルケ博士の復讐に遭ってしまったのも然りという感じがあるんですね。そういうアイゼンシュタインももちろんありな訳ですが、プライの場合にはもっとこの一件をすかっと笑い飛ばして終われそうな明るさがあるんですね。そうしてみるとプライという人は存外、天性の人たらしなのかもしれません。

・フィガロ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
ベーム指揮/ヴァイクル、ヤノヴィッツ、ポップ、バルツァ、リドル、リローヴァ、ツェドニク、エキルス共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1980年録音
>こちらも当たり役中の当たり役ですね^^同じベーム指揮のスタジオ録音は当然不滅の名盤と思っていますが、あんまりにもメジャーなので今回は別の音盤をご紹介します。こちらはベーム最晩年の来日公演(!)の音源で、ベームの年齢のことも含め瑕も少なからずあるものの、やはりライヴらしい活きの良さがたまりません。流石のプライもだいぶ年齢を重ねており、スタジオ録音で聴かれたような若々しさはないのですが、その分表現力の幅は広がっているように感じます。彼のモーツァルトらしい丁寧さも感じられる一方で、例えば有名な“もう飛ぶまいぞこの蝶々”など、他の録音ではあまり聴かないような崩れるぎりぎりの攻めた歌唱を繰り広げています。「守・破・離」の離の境地といっても良いのかもしれません。同じくだいぶ薹が立っているものの相変わらず可愛らしくて生命力いっぱいのポップちゃん、意外とこの役での録音のないヴァイクル、格調高いヤノヴィッツなどなど共演も揃っていますが、一番拍手を貰っているバルツァが一番よくないのが残念です。

・アルマヴィーヴァ伯爵(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
アバド指揮/フレーニ、ファン=ダム、マッツカート、ベルガンサ、モンタルソロ、ピッキ、リッチャルディ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1974年録音
スウィットナー指揮/ギューデン、ベリー、ローテンベルガー、マティス、オレンドルフ、ブルマイスター、シュライヤー共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ドレスデン国立歌劇場合唱団/1964年録音
>これまで述べてきたとおり、楽器としてはノーブルな騎士的バリトンである彼にとって実のところフィガロよりもハマっている伯爵では2つの音源を。アイゼンシュタインのところでも言ったけれども、彼は本当に憎めない人物像を作るのが本当にうまい。最終的にはいつもフィガロたちの掌の上で転がされてしまうとは言え、それなりに才気もあり、権力もあり、プライドも高い上に女好きというこの役であれば、強権的で嫌な人物にすることもいくらでもできる(実際、F=Dもヴェヒターもアレンもシュミットもそういう路線でしょう)筈なのですが、そういう要素が全てあった上でもまだ可愛げが感じられるというか、どこかに善良さが顔を出す伯爵なのです。フレーニの夫人がまた素晴らしくて、この録音を聴くとこの演目の主役はこの人たちだなと思います(尤もファン=ダムだって悪くないし、実はこの録音の最大の聴きものはこの中では最も無名なマッツカートだったりもするのですが笑)。後者の盤は旧東独で録音された独語によるもので、より若々しいプライの声が楽しめるのが大きな魅力です。また、やはり彼が達者なのは独語というのもあって、のびのびと歌っているのも嬉しい。スウィットナーの指揮にしても共演陣にしても、実にさっぱりとした格調高いモーツァルトを楽しむことができます。

・グリエルモ(W.A.モーツァルト『女はみんなこうしたもの』)
ベーム指揮/ヤノヴィッツ、ファスペンダー、グリスト、シュライヤー、パネライ共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1974年録音
>モーツァルトをもう一つ。僕にとってこの作品を「開眼」から「お気に入り」にした非常に楽しい録音です^^男声3人のキャラクターがいずれもはっきりしていて、尚且つ歌のレベルも高いというのが非常に嬉しいところ。ここでのプライは予想に反してコミカルに突き進むのではなく、おどけた表情を見せる一方で、品格あるカヴァリエ・バリトンとして演じています。これがパネライのいかがわしいアルフォンソとしっかり役割を分けることに繋がっていて、どちらの人物も引きたたせています。名優の面目躍如というところでしょう。

・フィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
カイルベルト指揮/ヴンダーリッヒ、ケート、プレープストル、ホッター共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1959年録音
スウィットナー指揮/シュライヤー、ピュッツ、オレンドルフ、クラス、ブルマイスター共演/シュターツカペレ・ベルリン&ベルリン放送合唱団/1965年録音
>こちらはアバド指揮のものがあまりにも有名ですが、彼はロッシーニ歌いではないし、母語でより自由に歌うことのできている独語版のものを2つ。最初のものはかなり古い映像ですが、颯爽とした舞台姿が非常に素敵です。どのメンバーよりも闊達に、自由自在に舞台を動き回り、正しく狂言回しというところ。そして大親友だったヴンダーリッヒとの息の合った楽しいやりとりをこうして映像で見ることができるのが、何よりも大きな財産でしょう。ホッターの不気味すぎるバジリオについ目が行きますが、このメンバーの中では無名ながらプレープストルの弱気なバルトロの演技は注目に値します。ここでもケートが冴えないのが惜しい。2つ目の録音は『フィガロの結婚』と同様、旧東独でスウィットナーの指揮により演奏されたもの。こちらでは弾ける若さより、もっと男の色気を感じさせるフィガロになっているように思います。ロジーナとの重唱での裏声など思わずゾクゾクさせられる代物。こちらでは伯爵はシュライヤー、こんなに王子様然としたこの役も珍しいかもしれません。クラスのずっしりとしたバジリオはじめ共演もいいですが、就中ベルタのブルマイスターは貫禄ものです。

・ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵(レハール F.『メリー・ウィドウ』)
ヴァルベルク指揮/モーザー、ドナート、イェルザレム、クッシェ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1979年録音
>フォン=マタチッチ盤などの陰に隠れがちですが、穴場的な名盤です。ここでは先ほどとは一転して、昼行燈的なバカバカしい明るさの中に、ほんのひとさじ哀愁の苦みを加えた、陰のある男を演じており、その渋いかっこよさに打たれてしまいます。役として影を出そうとしているわけではなく、ごくごく自然に陽気なふるまいの中に影が滲み出てしまう感じがとてもリアル。しかも、ほとんど崩さずに歌うことでそれを実現してしまっているのが本当にすごいです。モーザーはじめ共演の力もあり、大人の喜劇に仕上がっています。

・ボッカチョ(F.フォン=スッペ『ボッカチョ』)
ボスコフスキー指揮/モーザー、ローテンベルガー、ベーメ、ベリー、ダッラポッツァ、レンツ、リッツ共演/バイエルン放送交響楽団&ミュンヘン州立歌劇場合唱団/1974年録音
>もう一つオペレッタ、こちらの方がより軽い喜劇ですね^^プライはここでも大人の男の魅力と余裕を感じさせる堂々たる主役で大変素敵です。アリアでの清々しい高音などはまさに胸のすく思いがしますし、名花ローテンベルガーとの重唱にもうっとりさせられます。全曲は最近演奏されませんが、浅草オペラで大当たりをとっただけのことはあって“戀はやさし”など魅力的な旋律が沢山あります。このあたりの作品の再評価がもう少し進むといいのですが。。。

・マウガレート(F.シューベルト『アルフォンソとエストレッラ』)
スウィトナー指揮/シュライヤー、マティス、フィッシャー=ディースカウ、アダム/ベルリン国立歌劇場管弦楽団&ベルリン放送合唱団/1978年録音
>歌曲はあまり聴いていないものの、やはりシューベルトに触れない訳にはいきません。決して多くはない彼のオペラ作品の録音ですが、よくぞこのメンバーでこれを残してくれました!と快哉を叫びたくなるもの。オペラといってもどちらかというと歌曲が続いていくような印象の本作では、悩みの深い2つのアリアが、まずはプライの別の顔を知ることができるということでお勧めできます。また、フロイラとの和解の重唱ではフィッシャー=ディースカウとの夢のような重唱を楽しめるのが大きいですね^^珠玉の1枚です。

・音楽教師(R.シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』)
レヴァイン指揮/トモヴァ=シントヴァ、バトル、レイクス、バルツァ、ツェドニク、シェンク、マルンベルク、プロチュカ、リドル、アップショウ、ボニー共演/WPO/1986年録音
>超名盤、惜しむらくはレイクスのバッカスがキングだったら!(あとはツェルビネッタが僕の嫌いなバトルでなければ!笑)脇役に至るまで非常にうまい人を揃えていることもあり、もちろん第2幕以降の本編も聴きごたえ十分なのですがむしろ第1幕の面白さを存分に発揮している録音ということができるでしょう。プライの歌う音楽教師には纏まった大きな歌こそないのですが、その穏健且つ懐の深い人物づくりが冴えていて、存在感があります。僅かな出番からも、魅力的な好人物でありつつも、劇場内の政治にも手腕を発揮できる有能さを感じさせるのは実にお見事。バルツァの若々しく神経質な作曲家を支える年長の庇護者といった風格です。もっと歌って欲しくもなりますが、あくまで傍役という抑制も効いているのは流石という他ありません。

・エーベルバッハ伯爵(A.ロルツィング『密猟者』)
ヘーガー指揮/ヴンダーリッヒ、ローテンベルガー、オレンドルフ共演/バイエルン国立管弦楽団&合唱団/1964年録音
>こちらも日本ではあまり顧みられることのないロルツィングの名作。プライはいつもながらのたっぷりとした美声で、モーツァルトよりもロマンティック、ヴァーグナーよりも軽やかでオペレッタよりも賑やかではない中庸の美と言うべき作品の魅力を存分に引き出しています。意外とプライの声が一番活きるのはこうしたものかもしれません。いつまでも聴いていたくなるような心地がします^^ヴンダーリッヒほか共演も充実しており、ロルツィング入門としてはこの上ないものかもしれません。

・フリッツ(E.コルンゴルト『死の都』)
ラインスドルフ指揮/コロ、ネプレット、ラクソン共演/ミュンヘン放送交響楽団、バイエルン放送合唱団&テルツ少年合唱団/1975年録音
>この役はほとんど名アリア一発勝負という役どころですが、ここにプライをもってきたのがよくわかる名唱です。1975年の録音ということで、彼ももうピークは過ぎている訳ですが、それがむしろここでの彼を味わい深いものにしていると言えるように思います。というのも、これはかつて栄えた街を回顧する歌なのです。過去への憧憬、ノスタルジーを感じさせるのに、彼の声が、ひょうげんがまさにうってつけ。作品そのもののテーマもノスタルジックなものであり、その意味でこのアリアがこの作品を象徴しているともいえるように感じます。

・エスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)
シュタイン指揮/ルートヴィッヒ、ショック、ムゼリー、レブロフ共演/BPO、ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団&シェーネベルク少年合唱団/1961年録音
>打って変わって鬪牛士、独語版です。あんまりプライのイメージじゃないなあなどと思いながら聴き始めるのですが、そのスタイリッシュな歌い口には思わずほれぼれすること請け合いです。大体がこの役、マッチョで気障であんまりキャラクターとしては好感度高くないのですが、ここでもプライ一流のいい人オーラが働いており、人懐っこくてこれならカルメンじゃなく誰が相手でもいいやつだと思うだろうなと思わされてしまいます。共演では意外なぐらいルートヴィッヒが役柄にマッチしていて感動的。素晴らしい切れ味です。

・マルチェッロ(G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)
アイヒホルン指揮/ヴンダーリッヒ共演/ミュンヘン放送交響楽団/1960年ごろ録音
>これはヴンダーリッヒとのデュエット集から。『ドン・カルロ』と『セビリャの理髪師』とこの作品から2重唱が録音されているのですが、これが一番良い出来です(僕の好みからいけば予想に反して笑)。ヴンダーリッヒの歌う旋律を包み込むように寄り添っていくプライのたっぷりとした美声!ほとんど裏声に近いような柔らかでウェットな高音の情感には、彼にしか出せない味わいがあります。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百三夜/伯爵の復権~

索引を作って改めて思ったことがいくつかあるのですが、そのうちの一つに、「ロッシーニが好き」と言いながら最初の100夜ではそんなにロッシーニを得意にした人をご紹介できていなかったなあということがあります。
と言う訳で今回はベル・カントもの、特にロッシーニでの活躍で人気を博した名テノールをご紹介。

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ロックウェル・ブレイク
(Rockwell Blake)
1951~
Tenor
America

ロッシーニの演目の再評価が進んだ近年、彼の作品の上演機会も多くなり、そこで必要とされる猛烈なアジリタをこなすことができるテノールも増えてきました。既にご紹介した人で言えば伊的なサーヴィス精神旺盛なシラグーザがいますし、彼以外にもこの領域で圧倒的な存在感を放っているフローレス、バルトリとの共演も多く知的な歌唱が持ち味のオズボーン、黒人らしい艶のある声が個性的なブラウンリーなどなど……とはいえ、現在の彼らの活躍があるのは、20世紀後半のロッシーニ・ルネッサンスの流れがあったからであることは、言を俟ちません。
ロックウェル・ブレイクは、ラウル・ヒメネスやクリス・メリット、グレゴリー・クンデらと共にこの時代を牽引し、新たなテノールの時代の嚆矢となった名手中の名手です。

彼を語る上で欠かせないエピソードと言えば、『セビリャの理髪師』(G.ロッシーニ)のアルマヴィーヴァ伯爵の大アリアの復活を上げねばならないでしょう。
詳述されているWebサイトも多いので、ここでは簡単に。ロッシーニ演奏が下火であった時代にあっても傑作として演奏され続けていた『セビリャの理髪師』ではありますが、本来作中の山場となっていた2幕終盤の伯爵の大アリアは、演奏困難であることを理由に長い間演奏されていませんでした。ロッシーニ再興時代以前では、スタジオ録音で僅かに2例、1958年のラインスドルフ盤でチェーザレ・ヴァレッティが、1964年のヴァルヴィーゾ盤でウーゴ・ベネッリがそれぞれ歌っているのを除くと実演でも殆ど歌われていなかったと言います。
その復活に貢献したのが誰あろうブレイク。それまでは多くの公演で大アリアは判断の余地なくカットの憂き目に合っていたのだそうですが、彼はこの役を受ける契約にあたっての条件として大アリアを歌うことを盛り込み、世界中の劇場でこの歌を歌ったのだとか。彼のお蔭で我々はこの曲を愉しむことができるようになった訳ですが、一方で「俺はこれ歌うんじゃあ」というブレイクのスターっぷりを感じたりもして、ちょっと微笑ましい^^
実際彼がこの曲を歌っている映像を観ると、これでもか!というドヤ顔ぶりが面白かったりもします笑。演劇としてのオペラを考えたときに、あんまり素のドヤ顔が出て来てしまうのはどうかなというのもあるのですが、これだけ爽快な顔をされるとなんちゅうか赦しちゃうよね笑。

<ここがすごい!>
このひとについては、卓越した技術と勢いのある歌いっぷりに魅力が集約されていると思います。何と言ってもあの速射砲のようなスピード感のあるコロラテューラには有無を言わせない強烈なパワーがあります。このパワーはひとつには彼の声が、ロッシーニを得意とするテノールの中では比較的重量感のあるもので、もっと言ってしまえば或種の野太さを持っているところに起因しているように思います。この重さの違いは、例えば先ほどのシラグーザやフローレスの声などと較べていただければ一耳判然ではないかと。そして実はその分、彼の転がしはよく聴くと当世のロッシーニ・テナーよりも強引さや粗さが感じられるものではあるのですが、それが音楽的に不満足な結果を生んでいる訳ではなく、むしろ先ほど述べたようなパワフルさやぐいぐいとドライヴするスピード感といったユニークな魅力に繋がっています(念のため付言しておきますがブレイクに強引さや粗さが感じられると言ってもそれは超高次元の話で、これだけ歌えて粗いというのもどうなのかという気もしますが^^;)。

また、どうしてもその転がしの技術や刺激的な高音に耳が行ってしまうところはあるのですが、彼の強みの一つとしてその息の長さも特筆すべきものだと言えるでしょう。あの凄まじい超絶技巧のいったい何処で呼吸をしているんだろうかと思いながら聴いていると、こちら側がむしろ息が詰まってしまうぐらいブレスが少ないです。アリアの最後などで高音を張る部分なども、唖然とするぐらいのロングブレス!いったいいつまで伸ばすのよ、と途中で笑いがこみあげてくるほどです。とりわけその凄さを感じさせるのは、恥ずかしながら私自身全曲聴くことはできていないのですが『なりゆき泥棒』(G.ロッシーニ)のアルベルト伯爵のアリアです。これ、youtubeに上がっているんで是非ご視聴ください。さんざっぱら超絶技巧を尽くした揚句に最後の音を延々と伸ばし、しかもその音を1回pまでデクレッシェンドした後にクレッシェンドでfまで引き戻して終わるという、にわかには信じがたい藝当をさらりとやってのけています!ブレス・コントロールの訓練の賜物と言うべき圧巻のパフォーマンスで、彼の技術が一朝一夕に作られるものではないことがよくわかります。

もうひとつ、彼の歌を聴いていてとても愉しいのは、彼自身が非常に自信満々に、如何にも楽しそうに自分の技術を披露しているところです。良くも悪くもかつての「テノール馬鹿」的な気質を引き継いでいると言ってもいいかもしれません。自分が目立つためにアンサンブルをぶち壊すような真似こそしませんが、自分が目立てる部分では徹底的に自分をアピールし、それを楽しむタイプの歌手。うまくない人にこれをやられるとアイタタタタな話になりますが、彼ぐらい実力があると、むしろアスリートの名演技を見ているかのような爽快感すらあります^^このごろはこういう意味での主張のある人が少なくなっている気がしていて、それはそれで残念にも思えます。

<ここは微妙かも(^^;>
卓越した技術とパワーが魅力のブレイクですが、声そのものは所謂美声ではありません。現在のベル・カントの名手たちのような明るくて軽い、透明感のある声では全くなく、むしろ音色としてはやや暗めで硬さのある響きで、これが独特の力感を生んでいる一方、悪声と感じて受け付けない人もいるでしょう。また、上述のとおりやや強引さのあるコロラテューラも好き嫌いの出そうなところです。

あと、先ほど申し上げた「テノール馬鹿」的なドヤ顔歌唱はきらい!という向きにはおススメはできませんね^^;

<オススメ録音♪>
・アルマヴィーヴァ伯爵(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
ヴァイケルト指揮/ヌッチ、ダーラ、フルラネット、バトル共演/メトロポリタン・オペラ管弦楽団&合唱団/1989年録音
>数多ある本作の録音・映像の中でも最高峰のもののひとつと言っていいのではないかと思います。何と言っても男声陣が最強!軽妙なヌッチに面白過ぎるダーラ、重厚ながらもコミカルなフルラネットと揃っています。とりわけ伯爵のオーソリティとして世界中で大アリアを披露していたころのブレイクを、こうして音質画質とも良好な形で観ることができるのは本当にありがたいところ。ライヴと言うこともあって勢いのある表現で、荒削りながら力強い伯爵像を築き上げています。やはり大アリアはもう文句なく素晴らしい!失われた超絶技巧に期待を膨らませていた客席の熱狂も納得です。登場のカヴァティーナから情熱的でスタイリッシュな魅力がありますし、酔っ払いや音楽教師に化けて出てくるところもコミカル。彼の例の自信満々なドヤ顔っぷりが喜劇としての面白さも生んでいますし、同時に自分の運命を切り拓くこの役にリアリティを与えてもいます。この役を知るためには、一度は観ておきたい映像ではないかと思います。

・オジリーデ(G.ロッシーニ『エジプトのモゼ』)
アッカルド指揮/スカンディウッツィ、ペルトゥージ、デヴィーア、スカルキ、ディ=チェーザレ共演/ナポリ・サン=カルロ歌劇場管弦楽団&合唱団/1993年録音
>これもよくぞ映像を遺して呉れました!と言う代物。音質は鑑賞には問題ないレヴェルですし、年代を考えると必ずしも画質はよくはありませんがまあ許容できますし各役ともルックスもイメージに合っています。ブレイクはヘブライの女と戀に落ちる埃国の王子と言う役どころで、あらすじ上全体に直情的で過激な行動が目立つ人物なのですが、これが彼の個性に凄くよく合っていて、強烈なインパクトがあります。アリアこそないものの技巧的に厄介な重唱がいくつもあって、しかも物語を進めて行くのは彼なのでかなりの難役だと思うのですが、歌唱上転がしも高音も圧倒的ですし、見た目としてもまさに役と一体化していると言っていいぐらい。シリアスものをやってもカッコよく決まる人だということがよくわかります^^

・リナルド(G.ロッシーニ『アルミーダ』)
マジーニ指揮/アンダーソン、R.ヒメネス、山路、スルヤン共演/エクサン・プロヴァンス音楽祭管弦楽団&合唱団/1988年録音
>よくこんなものが残っていたなあと思わされる物凄い演奏です。音質こそ冴えませんが、そんなことを言っては罰が当たります(笑)この役もアリアこそないものの演奏困難な重唱が目白押しで歌える人はかなり限られますが、彼の歌唱には余裕すら感じられます。やや癖のある声は、ここではリナルドに英雄然とした雰囲気を齎すのにも一役買っています。その重さのある声での迫力のあるアジリタ!特に有名なテノール3重唱での歌いぶりは目覚ましく、固唾を飲んで聴きいってしまいます。その3重唱で絡んでくる2人がまた凄い。優美な声で気品を感じさせるラウル・ヒメネスも見事ですし、夭逝した日本の名テノール山路の格調高いスタイリッシュな歌がこうして全曲で聴けるのは大変ありがたいところ。そしてこの2人はいずれも1人2役で臨んでいます!ブレイクが1951年生まれ、ヒメネスと山路がそれぞれ1950年生まれと、この世代の層の厚さを感じさせます。

・ジャコモ5世(G.ロッシーニ『湖上の美人』)
ムーティ指揮/アンダーソン、デュパイ、メリット、スルヤン共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1992年録音
>ポリーニ盤と並ぶ本作の東西の横綱と言うべき名盤!ムーティのきびきびとした指揮の下、特にこの時代を代表するロッシーニ・テノール2人の対決をきちんとした音質で聴くことができるのは非常に嬉しいところです。あの有名なロマンティックなカヴァティーナがやはり印象に残ります。これはどちらかと言えば彼の得意とする勢いのある歌というよりも、全体にはゆったりとした中に超絶技巧を散りばめたようなもの。ゆったりしているからこそ却って聴かせるのは難しい歌だと思うのですが、堂々とした貫禄を感じさせる歌いぶりで文句ない名唱です。対するメリットはいつもながらの野太い声でブレイク以上にスリリングな転がしを繰り広げていて、こちらも絶唱!アンダーソンも切れ味の鋭い技巧を聴かせますし、デュパイも高水準です。

・アルベルト伯爵(G.ロッシーニ『なりゆき泥棒』)
詳細不明
>上述のとおりごめんなさい、これは全曲でちゃんと聴けていなくて、youtubeに落ちていたアリアを1曲聴いただけですが、彼の技術の確かさをわかりやすく感じられるものなので^^大前提として元がファルサの曲と言うこともあってか、彼の明るいキャラクターが非常に活きています。映像は何種類か観られるのですが、いずれにおいても意気揚々と楽しげに余裕を持って歌っているのが微笑ましいです(実際には信じられないような超絶技巧を繰り広げているのですが笑)繰返しになりますがあの速射砲のようなコロラテューラからの最後の高音ロングトーンをデクレッシェンドした後にクレッシェンドしてfでフィニッシュ!!!(何を書いてるのか自分でもよくわからなくなるwww)は何度聴いても感動させられます。

・フェルナンド・ファリエーロ(G.ドニゼッティ『マリーノ・ファリエーロ』)
ダントーネ指揮/ペルトゥージ、セルヴィレ、デヴィーア共演/パルマ国立歌劇場管弦楽団&合唱団/2002年録音
>どうしてもロッシーニばかりが並びますが、それ以外の演目でももちろん卓越した歌唱を遺しています。この作品はドニゼッティがよりドラマティックな音楽を志向して書いた作品で、舞台を考えても“ドニゼッティの『シモン・ボッカネグラ』”といってもいいと思います。そういう意味でより力強い重たい声が要求される一方、まだこの時代らしい華やかな転がしや刺激的な超高音も求められるというこれまた歌唱面では相当にきつい役ですが、キャリアも後半になってからであるにも拘わらず卓越した歌を聴かせています。アリアでの高音はやや構えて出す感じこそありますが十二分の鳴りですし、決鬪に向かう場面の切迫感も堪りません。共演陣はいずれもベル・カントの名手と言うこともあって聴き応え充分!

・ジョルジュ・ブラウン(F.A.ボワエルデュー『白衣の婦人』)
ミンコフスキ指揮/マシス、ナウリ共演/パリ管アンサンブル&仏放送合唱団/1996年録音
>ロッシーニを中心に活躍した後、彼は活動の中心を仏ものへと移していきます。その時代の代表的な録音と言えるのがこちら。ゲッダやセネシャルがそれぞれの魅力を引き出したながらも技巧的にはかなり端折って歌っているのに対し、ブレイクは彼お得意の転がしをあらんかぎりに披露しています(楽譜を見ていないのでどちらが本来のあり方なのかはわかりませんが^^;、ロッシーニより少し前と言うことで技巧が好まれる時代の作品なのは確かだと思います)。仏ものの優雅さよりはメカニックな技巧と推進力の方が勝っている感じはありますが、これはこれで実に爽快な歌唱^^ヒロインのマシスも華があって魅力的ですし、悪役のナウリも歌う場面は短いながら適度に下卑た人間臭さが出ていていい味出してます。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百二夜/知られざる実力者~

100回を迎えたことですし、ちょっと最初の頃のように各パート1人ずつご紹介するスタイルに戻ってみようかなと思います^^
前回はソプラノでしたので、今回はメゾをご紹介しましょう。

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ラリッサ・ジャチコーヴァ
(ラリッサ・ディアドコーヴァ、ラリッサ・ジャジコ―ヴァ)

(Larissa Diadkova, Лариса Ивановна Дядькова)
1954~
Alto, Mezzo Soprano
Russia

再び露国の名手を。
彼女もまたゲルギエフの手兵として長くマリインスキーを支えてきた大ヴェテランです。以前ご紹介した範囲からだと、プチーリンやアレクサーシキン、それにプルージュニコフといった面々との録音が多いですね。ネトレプコとの共演もあります。
マリインスキーで活躍したメンバーの中では比較的西欧での録音も多く、アバドやパッパーノの指揮で伊ものにも登場しており、いずれも高い評価を得ています。サン・カルロ劇場の引越公演で一緒に来日した際には、迫力ある声でアズチェーナ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)を演じて話題になったようです(あのころはまだ金欠学生だったからなあ……金欠はいまも変わらないけど^^;)。

とは言え後輩のボロディナなどに較べるとまだ国際的な活躍は少ないですし、アリア集などを出している訳でもないので、知名度が高い歌手とは言えないかなと思います。彼女ぐらい実力があれば、今だったらライヴ・ヴューイングに出演したりして話題になっただろうという気がします。美人とは言いませんが、独特の中性的な顔つきで舞台上での存在感もありますし。

名前の日本語表記の安定しないオペラ歌手と言えば以前ご紹介した土国のプリマ・ドンナ、ゲンジェルが代表選手ですが、このジャチコーヴァも負けず劣らずで、見る資料見る資料名前が違うんじゃないの?と思うくらいです^^;困ったことに彼女の出演する録音を数多く出しているPHILIPSの日本盤でも音源によって表記がまちまちで、混乱に拍車をかけています。英語の綴りを見ると確かに「ディアドコーヴァ」に読めてしまうのですが、露語の標記的には「ジャチコーヴァ」と読むのが一番よいように思います。

<ここがすごい!>
露国のメゾはいい人がたくさんいて、このシリーズでもこれまでにアルヒーポヴァ、オブラスツォヴァ、それにドマシェンコをご紹介してきました。それぞれ個性のある声の人たちではありますが、いずれも重厚で深みのある、ちょっとアクを感じさせる響きの声でした。それがざっくり言えばアルヒーポヴァなら土臭さに、オブラスツォヴァなら迫力に、ドマシェンコなら色気に繋がっていた訳です。
ジャチコーヴァもまた深くて豊かな響きの声です。アルトと言ってもいいでしょう。しかし、彼女の声にはアクをそれほど感じません。むしろすっきりとした、クリアな響きにこそ魅力があるということができるように思います。水の澄んだ、しかし底が見えないぐらい深い淵のような、透明感のある真っ直ぐな深さ、とでもいいましょうか。そしてその声質のまま低い方からかなりの高い音までスカッと声を飛ばすことができます。広い音域を均質な美しい響きで鳴らすことができる、というのは基本的なことのように思われますが、実現するのは難しいことで、その点からだけでも彼女の実力の高さが窺えます。

そういった響きの声だからでしょう。彼女のレパートリーを見てみると確かに露ものらしいものなのですが、露もののメゾと言ってぱっと思いつくような情念の塊をどろどろと描くようなものとはちょっと傾向が違います。その適性がよく発揮されているのは、特にラトミール(М.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』) やニェジャータ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『サトコ』)といったズボン役だと思います。寡聞にして未だ鑑賞していないのですが、『ボリス・ゴドゥノフ』(М.П.ムソルグスキー)の映像で、後輩のボロディナが貴族の娘マリーナを演じているのに対し、彼女が皇太子フョードルとして共演しているものがあることなどは、ひとつ象徴的な例だということができるかもしれません。端正で凛々しい、若い騎士を思わせるような声と、スタイリッシュでべたべたし過ぎないきりっとした歌い口。そう考えて改めて聴いてみると、演目こそ全く違えど例えばホーンやラーモアのような男役で定評のあるメゾたちとどこか似た印象を受けるように思います。個人的にはヴァーニャ(М.И.グリンカ『イヴァン・スサーニン』) は最高なんじゃないかと思うのですが、残念ながら録音はないようです。

ただ、だからと言って女の情念みたいなものを歌いあげるのは苦手かと言えばそんなことはないのが、彼女の凄いところでもあります。お国もので行くならば、マイナーながらカシチェヴナ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『不死身のカシェイ』)では色気のあるエキゾチックな歌が印象に残ります。変にべたべたした表現にしていないことで、むしろ若い女性の活き活きとしたキャラクターが感じられるのです。そして――実はこれこそが彼女の代表盤になるかもしれませんが――、パッパーノ盤でのアズチェーナ!(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)ここではいつもながらのクリアで音域の広さを感じさせるスッキリとした声でありながらも、伊的なパッションと迫力を感じさせて演奏に彩りを添えています。この演奏そのものが現代的でフレッシュなものだからこそ彼女が活きているということは言えると思いますが、これはこれで見事なもの。この演奏での世界観を維持しつつ、真の主役が誰なのかをわからせて呉れるパフォーマンスになっており、彼女の知的なセンスを感じさせます。

<ここは微妙かも(^^;>
声もよし、歌もよし、舞台センスもあるとどの録音を聴いても悪いところのおよそない人なんで、微妙どころを述べるのも難しいです^^;
ただ、常に平均以上のパフォーマンスをしてくれるし非常によく頭を使った歌唱をしている一方で、ものすごく強烈な個性を押しだしたり熱狂的な表現をするタイプではないので、人によるとちょっと醒めた印象と言うか、優等生的だなあと思われる方もいるかもしれません。上述のとおり、それこそが彼女の持ち味でもあるので、如何ともしがたいところではありますが。

<オススメ録音♪>
・ラトミール(М.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』)
ゲルギエフ指揮/オグノヴィエンコ、ネトレプコ、ベズズベンコフ、ゴルチャコーヴァ、プルージュニコフ、キット共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団/1995年録音
>超名盤。彼女の録音で印象的なものを1つ選べと言われたら、僕はこれかなと思います。ゲルギエフの指揮も、ネトレプコやオグノヴィエンコといった共演も非常に優れていますし、彼女の美質もとてもよく出た演奏です。硬質ですっきりとした、しかし響きの豊かな美声は、リュドミラを救いに向かう騎士の1人に相応しい凛々しい印象です。特に1幕フィナーレのアンサンブルでの勢いのある歌いぶりはお見事。もちろん3幕の大きなアリアでのロマンティックな歌い口も素晴らしいです。この役かなり出番が多いのですが、全曲に亘ってしっかりとした存在感を感じさせる歌唱で、もしこれでルスランがしょぼい人だったらどっちが主役だかわからなくなりそうなくらいです笑。実際にはオグノヴィエンコが、往年のペトロフやネステレンコに負けない充実した歌唱なので、当初はルスランと対立し、やがて友情を育む頼りになる友人としての、説得力のある人物像を築き上げています。

・リュボフィ(П.И.チャイコフスキー『マゼッパ』)
ゲルギエフ指揮/プチーリン、アレクサーシキン、ロスクトーヴァ、ルツィウク共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー・オペラ管弦楽団&合唱団/1996年録音
>こちらもまた超名盤。特にプチーリン、アレクサーシキン、そしてジャチコーヴァのヴェテラン3人のうまさが光ります。彼女はこの録音の他にレイフェルクスやコチェルガと共演した父ヤルヴィ指揮の音盤でもこの役を演じており、エキスパートの感があります。派手な出番がある訳ではありませんが、脇役以上の存在感を与えているのは彼女の技量でしょう。彼女の声の響きが、ここでは年配の女性らしい落ち着いた雰囲気を伴っていてしっくりくる一方、娘を奪われ夫を殺される悲劇の人物としての感情の動きも、動的にしっかり描いていて素晴らしいです。

・カシェヴナ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『不死身のカシェイ』)
ゲルギエフ指揮/プルージュニコフ、シャグチ、ゲルガロフ、モロゾフ共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団/1999年録音
>リムスキー=コルサコフの小さいながらも興味深い作品をゲルギエフが素晴らしい手腕で仕上げた名盤です。歌唱陣も平均点の高い出来ですが、とりわけ題名役のプルージュニコフと彼女のカシェヴナが出色です。この役は、当初は父の命でいつものとおりに殺そうとした王子に惚れてしまい、しかし王子には拒絶され……とオペラ的なオイシさてんこ盛りな影の主役であり、要役としての難しさもありますが、抜群の表現力で思わず感情移入して聴いてしまいます。他の露国のメゾだったら物凄く濃い歌唱と演技で味付けをしていきそうな役柄なのですが、ジャチコーヴァの表現は上述のとおりむしろもっとクールに感じられるもので、最初に登場したときの殺人を厭わない魔王の冷酷な娘という雰囲気がとてもリアル。もちろんその先ほだされて行く部分もいいですし、アリアでのエキゾチックな香りも秀逸です。彼女の藝の広さを感じとることができる演奏と言えるでしょう。

・ニェジャータ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『サトコ』)
ゲルギエフ指揮/ガルージン、ツィディポヴァ、タラソヴァ、アレクサーシキン、ミンジルキーイェフ、グレゴリヤン、ゲルガロフ、プチーリン共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー・オペラ管弦楽団&合唱団/1994年録音
>露的熱狂と言うところで行くともうひとつふたつな感はあるのですが(ゲルギエフの指揮とガルージンでしょうね問題は)、この作品を知るのに悪くはないものと思います。この役も露節の炸裂したゴロヴァーノフの強烈な録音では、アントノーヴァがまた土臭さ満点の民謡節で演じていた印象が強いのですが、ジャチコーヴァはここでもまた彼女らしいえぐみの少ない表現で、別の魅力を引き出しているように思います。もちろんどちらがいいという訳ではなく、アントノーヴァが持っていた露的で異様な熱気が少ない代わりに、与えられた旋律本来の美しさをストレートに引き出していると言えるのではないかと。或意味でロマンティックな吟遊詩人の風情をジャチコーヴァの方に感じる人も多いかもしれないと思います。彼女が得意とするズボン役ですし、おススメできます。

・アズチェーナ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)
パッパーノ指揮/アラーニャ、ゲオルギウ、ハンプソン、ダルカンジェロ共演/LSO&ロンドン・ヴォイセズ/2001年録音
>これは異色の名盤と言っていいと思います。この演目が長い上演の歴史で培ってきたような、重厚で力感溢れる伊的熱狂の粋をつくした味付けの濃ゆい演奏から一旦離れて、現代的で引き締まったフレッシュな魅力を再構築したパフォーマンスです。まずは偏にパッパーノの力だと思いますし、一見ミス・キャストに思えるゲオルギウ、ハンプソン、ダルカンジェロの3人がそれぞれ脂身の少ない声と歌唱で、ユニークなうまみを引き出しています。とはいえそれだけだとドライで味気なくなってしまいそうなところに、全体をぶち壊さない範囲で効果的に伊国の風を吹き込んでいるのが、アラーニャと(惜しいことに彼はアプローチとしては凄く納得いくのですが、彼の声の美質が活きていなくて残念)、そして意外にもジャチコーヴァなのです。ここでの彼女はいつものように透明感のある艶やかな美声を巧みに使いながら、熱気の感じられる歌唱を繰り広げています。高音も気分よく抜けますし、低音のドスも凄まじい。でも、単なる迫力押しではないのです。むしろ歌唱スタイルそのものから行けばゲオルギウたちと同じような現代的でさっぱりとした感じですらありながらも、伊ものらしいトロッとしたアツさを強く感じさせるという点で、彼女が一番ユニークかもしれません。こんなアズチェーナもあるのか、と思わせられること請け合いです。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百一夜/私の名はミレッラ~

さて3桁の大台に乗った訳ですが、このコーナーの名前的にはあと900夜(!)お送りしなくてはいけないということで、むしろこれからまだまだ、頑張っていきたいと思います笑。
今回は、先の100回でなんで登場していないんだ!とやきもきされていた方もおそらく多いであろう(ほんとか?)名ソプラノ。共演者のところにも何度も名前が挙がってますね^^;

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ミレッラ・フレーニ
(ミレルラ・フレーニ)

(Mirella Freni)
1935~
Soprano
Italy

押しも押されもせぬ伊ものの重鎮。
レパートリーの幅は広く、モーツァルトからプッチーニに至るまでの伊ものから仏もの、果てはタチヤーナ(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)、リーザ(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)といった露ものに至るまで。もちろん様々な意見がありますが、どのジャンルでも一定以上の評価を得ています。20世紀を代表するマルチな歌手と言っていいでしょう。

とりわけ多くの評価を得ていたのが娘役。彼女の後年のドラマティックなレパートリーに懐疑的な人であっても、ミミ(G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)やミカエラ(G.ビゼー『カルメン』)での彼女の素晴らしさは衆目一致するところではないかと思います。いくつになっても若々しい娘が演じられる声と歌、そして容貌をキープしていたことは注目に値します(必ずしも美人ではないんですが、「娘」に見えるんですよね笑)。

パヴァロッティとは同い年、同じモデナ出身と言うばかりでなく、どちらのお母さんも同じ煙草工場に勤めていたということで同じ乳母に育てられたとか。どちらも長じて20世紀のオペラを語るのに欠かせないスーパースターになってしまったのだから凄い話です。米国のアカペラ・グループPENTATONIXもスコット、ミッチ、カースティーが同じ田舎の高校出身と言いますが、才能がひとっところに集まる奇跡というのがこうしてときどきあるようです。
加えて、夫君は我らがニコライ・ギャウロフ!彼もまた20世紀最大のバスの1人な訳です。『ラ=ボエーム』(G.プッチーニ)、『グリエルモ・テル』(G.ロッシーニ)、それに『メフィスト―フェレ』(A.ボーイト)などでは3人共演していますが、なんというか狭い世界と言いますか(笑)いずれも名盤です。

<ここがすごい!>
彼女の凄さをひとことで言ってしまうなら、歌がうまい、それもべらぼうにうまい、都この言葉に尽きます。古今東西さまざまな歌手がいても、みんなオペラ歌手なんだから歌がうまいのは当たり前っちゃ当り前なのですが、それにしたって殊に歌のうまさと言う点で彼女を凌ぐ人と言うのは、私には思い当たりません。
私がここで想定している歌のうまさというのは、単純に技巧的に優れているとか劇的な表現力が秀でているとかという部分とイコールではありません。巧く言えないのですが、彼女には、役柄に適した表現で音楽的に歌う傑出したセンスがあるように感じます。言い方を変えると、異なる作曲家の作品の持ち味をきっちり引き出しながら、尚且つ彼女らしい色合いを添えることができる点が凄いんです。例えば伊ものの有名作曲家に限ってもみんな同じようには歌えないと思うのですが、用の東西を問わず相当有名な歌手でもそのあたりの区別なく同じように歌ってしまっていて、スタイルのずれを感じさせる人は意外と多いんですよね。逆に、そこをこなせちゃう人は没個性な歌になってしまったりしてなかなか難しい^^;それをちょっと考えられないようなハイレベルで実現しているのが、フレーニだと思うのです。
また、技巧面で行けば彼女の後輩に当たる今のベル・カントを歌いこなす現代の歌手には及ばないと思いますし、劇的な表現力で行けば逆に彼女の先輩筋の所謂「黄金時代」の歌手の爆発的な力には敵わないでしょう。しかし、いずれもそういった驚異的なレベルでこそないものの、充分に水準以上のレベルで満足させてしまうだけの器用さを持っているのもまた彼女の凄まじいところです。個々の歌の要素でより優れた人はいるだろうけれども平均点の高さというところで、彼女ほど卓越した歌手は殆どいないと言っていいでしょう。
そういった彼女の特質を考えて行くと、彼女のレパートリーの広さはごくごく自然なものと思えてきます。伊ものだけで見てもモーツァルト、ロッシーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、ボーイト、プッチーニを全てスタジオ録音で遺していて、いずれに於いても見事な歌唱を聴かせているなんて言うひとはまずいない訳ですが、それができてしまうのは、偏に彼女の歌のうまさに拠るのかなと。

どんなものでもうまく歌えてしまう彼女ではありますが、役柄として彼女の声質や持ち味が発揮されるのは、やはり上述のとおり娘役でしょう。
とりわけ「ミミはやっぱりフレーニ!」と思ってらっしゃる方は少なくないのではないかと^^彼女のディスコグラフィーを見れば一目瞭然、彼女がミミのエキスパートとして如何に信頼と尊敬とを集めていたかよくわかります。ミミは有名で人気もある役柄でもありますが、意外と人を選ぶところがあって、プッチーニの濃厚な音楽に合うようなこってりした歌唱をと思うと大物になり過ぎて少女らしい可憐さが出ませんし(個人的にテバルディの新盤が歌の素晴らしさに対してベストにできない理由。むしろ彼女は旧盤の方が魅力的)、娘らしさに重心が行きすぎると軽くなり過ぎてしまいます。彼女はその声が絶妙で、重さは充分ながらも可愛らしい響き。尚且つその表現もこってりとしたところもしっかりと感じさせながら立派にはなり過ぎず、等身大の人物像を創りあげている点がやはり非常に素晴らしいと思います。
また、彼女自身最も思い入れを持って歌っていた役として知られているのはミカエラです。この役でデビューしたというのみならず自分の娘に「ミカエラ」とつけるぐらい気に入っていたというのも有名な話です。こちらは仏ものですから、ミミに較べるとうんと軽やかでスッとしたソプラノでも充分な役柄ですし、その範疇で素晴らしい歌唱を遺している人もいます。しかしフレーニはその声の豊かな響きを駆使して、よりたっぷりとした表現でミカエラを作っています。これがまた仏流の鼻筋の通ったすらりとした歌唱とはまた違う、よりグラマーで密度の濃い魅力があります。このあたり他の仏もののヒロイン、例えばジュリエット(C.F.グノー『ロメオとジュリエット』)やミレイユ(同『ミレイユ』)といった役でも同じように、本場仏国の人たちとはまた違った側面に光を与えています。

フレーニが歌っているというだけで少なくとも音楽的な魅力には太鼓判を押せる、そういう歌手だと言っても過言ではないと思います。

<ここは微妙かも(^^;>
どの音源を聴いても、しっかりと中身の詰まったリッチな声と平均点の極めて高い歌唱を楽しむことができるという点では、本当に彼女は優れています。ただ、時としてその高水準の歌唱とは裏腹に、いまひとつ感興を呼ばない音源があるのもまた事実です。これは本当になんでだろうなあと思うのですが、よくベルゴンツィに対してなされるような、「優等生的」と言うことばが的を射ているのかもしれません。そういった音源は、彼女は歌がうまいので聴けるものになってはいるものの、彼女の個性には合っていないのでしょう。

<オススメ録音♪>
・ミミ (G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)
フォン=カラヤン指揮/パヴァロッティ、パネライ、ギャウロフ、ハーウッド、マッフェオ、セネシャル共演/BPO&ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団/1972年録音
>この役については、ライヴやアリア集を含めるとかなりの回数入れていると思いますが、敢えてひとつ選ぶならやはりこれかなあと思います。役者の揃った理想的なキャスティングですし(勘違いおばさんにしか聞こえないハーウッドを除けば)、フォン=カラヤンのシンフォニックなアプローチもこの作品では成功していると思います。ここでのフレーニは、彼女のミミの中では比較的ヴェテランになってからのもの。もっと若々しい歌声を聴けるものは他にある訳ですが、円熟した歌を、彼女の藝の完成形を楽しむことができるという点でこの録音を推します。娘らしい可愛らしさを感じさせる声質という長所はもちろんなのですが、それすら飛び越えて、フレーズ一つひとつが、ことばの面でも歌の面でも彼女に染みついていると言いますか、もうあまりにも自然にミミその人であると言いますか。これを聴かずしてこの作品は語れないと思います。

・ミカエラ(G.ビゼー『カルメン』)
フリューベック・デ=ブルゴス指揮/バンブリー、ヴィッカーズ、パスカリス共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団、パリ木の十字架合唱団/1969-1970年録音
>世評は兎も角個人的にはお気に入りの録音です。フリューベック・デ=ブルゴスが作る音楽は華やか且つ色彩的で、仏ものとしての『カルメン』というよりは西国の空気を感じさせるもの。等身大の気分のいいカルメンを演ずるバンブリーはじめ、共演にも恵まれています。彼女はこの役もいくつか録音していますが、ここでの歌唱がベスト。この役の純真さと愛らしさをここまで表現しているのは本当に凄いと思います。恥ずかしながら私自身は、ここでの彼女の歌を聴くまでこの役に余りが興味が持てなかったのですが、これを聴いて衝撃を受け、思わずアリアを何度も聴き返してしまいました^^;それぐらい印象に残っています。単にフレーニのミカエラとしてお見事と言うだけではなく、全てのミカエラのパフォーマンスの中でも傑出したものと言えると思います。

・アディーナ(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)
モリナーリ=プラデッリ指揮/ゲッダ、セレーニ、カペッキ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1966年録音
>彼女の代表的なレパートリーではないのですが、役柄が彼女の個性にあっていて見事な歌唱を披露しているのがこちら。単純にかわいらしいと言うだけではなく、良家の若いお嬢さんらしいちょっとした自惚れを感じさせるあたり流石です。フレーニ自身の頭の良さも相俟ってだと思いますが、この役に欲しい知的な魅力もしっかりと盛り込まれています。悲劇での活躍の多い人ではありますが、なかなかのコメディエンヌぶり^^コロラテューラを一番の武器にした人ではないにも拘らず、よくカットされるカバレッタでも達者な歌いぶりを披露しており、意外と難しいこのアリアのベストのひとつと言える歌唱です。こってりとした声と表現の路線によるアディーナとしてはカルテリと東西の横綱でしょう。モリナーリ=プラデッリの安定のマンネリズムの指揮(こういう作品ではこれが心地いい!)の元に集まった男声陣は必ずしもドニゼッティで活躍した人たちばかりではありませんが、3人とも素晴らしい名唱!個人的には本作の決定盤の1つと思います。

・ジュリエット(C.F.グノー『ロメオとジュリエット』)
ロンバール指揮/コレッリ、ドゥプラ、グイ、カレ、ルブラン、ヴィルマ、トー共演/仏国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1968年録音
>本場仏流のエレガントで柔らかな歌唱を持ち味とするメンバーに、主役2人だけ伊ものの大歌手を突っ込んだ演奏で、ちょっと不安を感じながら聴き始めたのですが、かなり楽しめる内容です!有名なワルツのところなどほんの少し転がしにたどたどしさを覚えなくはないのですが、しっかりと身の詰まったフレッシュな美声を駆使して好演しています。流石は娘役のフレーニといったところで、スウェンソンやヴァドヴァといった人たちと較べるとかなり重心の低い声ながら、溌溂とした少女像を創りあげています。また、声が重たい分役柄にドラマティックな魅力を添えているのもユニークです。折角彼女を起用したのなら毒のアリアも復活すればよかったのに!と思わざるを得ない充実した演奏です。ロンバールの仏ものをよくわかった音楽とドゥプラやルブランといった仏勢の洗練された歌唱が見事なのはもちろんのこと、一見ミスキャストに思えるコレッリが彼らしい力強さで独特の魅力のあるロメオを演じていてこちらも素晴らしいです。

・ミレイユ(C.F.グノー『ミレイユ』)
プラッソン指揮/ヴァンゾ、ファン=ダム、ロード、バキエ共演/トゥールーズ・カピトール管弦楽団&合唱団/1979年録音
>なんどかこのblogで述べてきたとおり、『ファウスト』や『ロミ&ジュリ』の陰に隠れていますが『ミレイユ』は数々の美しい音楽に彩られたグノーの傑作のひとつです。素朴な田舎の娘の役ですから、やっぱり彼女にはよく似合っています。上述のジュリエットに較べると更に声が重くなってからの録音と言うこともあり、こちらでは若干周りの仏勢から浮いてしまっている感じはあるのですが、それでもしっかりとした美声と確かな歌心によって入念に練り込まれた歌唱の魅力は捨てがたいです。ヴァンゾはじめ共演にも恵まれていますし、プラッソンの指揮も総じて勘所をよく押さえたもの。

・マルゲリータ(C.F.グノー『ファウスト』)2016.2.5追記
プレートル指揮/G.ライモンディ、ギャウロフ、マッサール、アルヴァ、ディ=スタジオ、ジャコモッティ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1967年録音
>これは素晴らしい録音です。フレーニは後年ギャウロフと共に、プレートルの指揮でこの作品のスタジオ録音に臨んでおり、そちらでも彼女らしい完成度の高い歌唱を遺していますが、個人的にはこのライヴの方が更に乗った歌唱を聴くことができるように思います。彼女は比較的声をキープしていた歌手ですが、それでもやはりこちらの方がより若々しく目の詰まった厚みを感じさせる声に思われます(ライヴ録音の音であることを踏まえても、です)。もちろんそれで重すぎてしまうことはなく、いつもながらころころとした可愛らしさがあり、有名な宝石の歌などを聴いているとうっとりさせられます。教会の場でのギャウロフとの絡みもドラマティックで引き込まれますし、終幕の昇天の場面も神々しい。共演も伊的ではあるものの名手が揃ってお見事ですが、特筆すべきはギャウロフ。圧巻の大悪魔です。

・ツェルリーナ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)
クレンペラー指揮/ギャウロフ、クラス、ベリー、ルートヴィヒ、ゲッダ、モンタルソロ、ワトソン共演/ニュー・フィルハーモニア交響楽団&合唱団/1966年録音
>不滅の名盤です。何と言っても若きギャウロフの圧倒的な歌唱と、クレンペラーのデモーニッシュな音楽が最高なのですが、フレーニはここでも娘役のだ第一人者らしいチャーミングな歌いぶりです。この役はミレイユのような純朴さもある一方、マゼットを手玉に取る機転の効いた賢しさはアディーナに通ずるところもある訳ですが、そのいずれの側面もきっちり出しています。当り前と言えば当たり前ですが、同じ娘役とは言ってもそれぞれに対して、これだけ的を射た表現を与えるあたりこの人は本当に凄いなと思います。”お手をどうぞ”はギャウロフの良さも相俟って秀逸ですし、後に夫婦になる2人の息の合ったアンサンブルをこうしてステレオで聴けるのは、なんだかとっても嬉しくなります^^

・アルマヴィーヴァ伯爵夫人(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
アバド指揮/プライ、ファン=ダム、マッツカート、ベルガンサ、モンタルソロ、ピッキ、リッチャルディ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1974年録音
>娘役で名を成した彼女がスザンナで定評があるのは尤もなところだとは思うのですが、彼女のリッチな声はむしろ伯爵夫人でこそ真価を発揮すると私は感じています。アリア集に入れたものもありますが、恐らく全曲ではこのライヴのみで、その圧倒的なパフォーマンスにため息が出ます。この時期の彼女の声ですから、モーツァルトの歌唱としてはかなり重たい部類に入るかと思いますが、それがただ無暗に重たいだけではなく、きちんと伯爵夫人の役柄としての重みにしっかり繋がっています。3幕のあの有名なアリアも、極めて集中力の高い絶唱。個人的には録音史上指折りの夫人ではないかと。対する伯爵のプライがまた最高!カヴァリエ・バリトンらしい品位と色気を感じさせ、しかも愛嬌があります。他の面々も優れていますが、もう一人あげるならマッツカートのスザンナが出色です。若きアバドの指揮はやりたいことはわかるものの、まだ完成できていない印象なのが惜しい。

・マティルデ(G.ロッシーニ『グリエルモ・テル(ウィリアム・テル)』)
シャイー指揮/ミルンズ、パヴァロッティ、ギャウロフ、コンネル、D.ジョーンズ、トムリンソン、マッツォーリ、デ=パルマ共演/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団&アンブロジアン歌劇合唱団/1978-1979年録音
>不滅の名盤。彼女にしては珍しいロッシーニの録音を、ステレオで聴けるのは大変嬉しい。この作品はロッシーニとは言え華麗な装飾技巧で聴かせる演目ではなく、むしろもっとうんと先の時代を予見する率直でドラマティックな音楽が魅力の代物(余談ながら本当にロッシーニは天才だと思う)ですので、フレーニの声と歌が非常に活きるのは得心するところではあります。それでも転がしが必要な部分は2つ目のアリアでは顕著にあったりする訳ですが、これぐらいならものともしないのもまた彼女の凄いところですね笑。そちらのアリアもドラマティックな魅力がありますし、有名な最初のアリアはハプスブルクの女らしい気高さや崇高さすら感じさせる貫禄の名唱。とは言え一番見事なのは2幕でのパヴァロッティとの2重唱なんじゃないかと言う気がします。2人とも脂の乗り切ったうまみのある声とのびやかな歌い口が最高。そのあとのパヴァ、ミルンズ、ギャウロフの3重唱も圧倒的な演奏で、ベルリオーズをして「(ロッシーニではなく)神が作った」と言わしめたこの2幕の素晴らしさを十二分に堪能できます。
オペラ・ファン必聴です!

・ヴィオレッタ・ヴァレリー(G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)
ガルデッリ指揮/ボニゾッリ、ブルスカンティーニ共演/シュターツカペレ・ベルリン&ベルリン国立歌劇場合唱団/1973年録音
>必ずしも彼女に向いた役柄でもないようには思うのですが、ここでの歌い口の見事さにはぐうの音も出ません。かつてスカラ座で盛大なブーを喰らったという事件もあったそうですが、この音源に触れると聴衆は何を聴いていたんだろうかと悩んでしまいます。彼女らしいたっぷりとした美声による充実した歌の素晴らしさは、幕が進むに連れてその真価を発揮していきます。終幕での集中力の高い歌は本当に特筆すべきもので、聴き終わって暫し呆然とさせられます。一見するとミス・キャストのように思われるボニゾッリは、こんな歌もうたえたのかと思うぐらい爽やかでスッキリとした味わいが◎老ブルスカンティーニの口跡や演技の巧みさもお見事。ガルデッリはツボを押さえた仕事ぶりがたまりません。

・アメーリア・グリマルディ (G.F.F.ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』)
アバド指揮/カプッチッリ、ギャウロフ、カレーラス、ファン=ダム共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1976年録音
>不滅の名盤。彼女のヴェルディの仕事の中でも最も評価されているものでしょう。この渋い男たちの対決に於いて、平和の象徴であるこの役の持っている重みを充分に表現しながら、若い娘のかわいらしい純真さをも感じさせる彼女の歌唱は、やはり録音史上最高のアメーリアと言うのに相応しいものです。アバドの名采配もあって登場アリアの戀する娘の胸の高鳴りは強く印象に残りますし、1幕フィナーレで平和を訴える歌にもただならぬ説得力があります。シモンとの再会の場面はカプッチッリの名唱もあって、感動を禁じ得ません。当然ながらギャウロフ以下他のキャストも見事で、これ以上は考えられない最高の音盤です。

・レオノーラ・ディ=ヴァルガス(G.F.F.ヴェルディ『運命の力』)
ムーティ指揮/ドミンゴ、ザンカナロ、プリシュカ、ザージック、ブルスカンティーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1986年録音
>フレーニの名唱が軸になっている音源です。今回ご紹介している音源の中で、彼女のキャリア的には最も遅くになってからの録音ですが、想像以上に豊かな声にまずは圧倒されます。高音にもキツさはなく、むしろドラマティックな部分に関して言うのであれば、年齢を経ることによってより深みを増しているように感じます。彼女にとってはベストの時に録音されたとも言えるかもしれません。この役は本当に難しくて、なかなか満足いく歌唱に巡り合えないのですが、テバルディと並びうる唯一の録音でしょう。ムーティのきびきびとした音楽は魅力的だし、脇役陣も聴き応え十分ですが、ドミンゴとザンカナロにいまひとつ熱気がないのが残念です。

・エリザベッタ・ディ=ヴァロア(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
アバド指揮/カレーラス、ギャウロフ、カプッチッリ、オブラスツォヴァ、ネステレンコ、ローニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1977年録音
>これもまた不滅の名盤。私自身は、ミミやアメーリアと同じくこの役も最初はフレーニの歌唱から入ったのですが、恥を忍んでいうと最初のころはこの役そのものの素晴らしさもここでのフレーニの凄さもよくわかっておりませんでした。けれど色々な音源を聴いて改めて彼女の歌唱に戻ってくると、しみじみとその凄まじい表現力に打たれます。「ああ、これだ。これぞエリザベッタだ」と心を動かされるのは、フレーニなのです。あの厄介な、それでいて音楽としてもドラマとしても極めて魅力的な4幕のアリアをむしろ余裕を持って歌いこなし、エリザベッタの葛藤の哀しみを重厚な表現で感じさせるとともに、彼女が若い女性であることもきっちりと描き出すその手腕には頭が下がります。彼女のエリザベッタとして優れた録音はこれ以外にもフォン=カラヤンとの有名なスタジオや同じく彼の指揮によるライヴなどいろいろありますが、総合的にはこれが気に入っています。

・デズデモナ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』)
C.クライバー指揮/ドミンゴ、カプッチッリ、チャンネッラ、ローニ、ラッファンティ、ジョーリ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1976年録音
>そしてこれも不滅の名盤(笑)彼女が出ている録音は、やはり極めて質の高いものが多いということなんでしょう。先ほどのエリザベッタに続き、お恥ずかしい限りですがデズデモナもまた私にとっては猫に小判だった時期の長い役でした(そもそも『オテロ』の価値がわかるまでにもかなりかかっていたという話も;;;)。『オテロ』そのものが傑出した作品であることがわかってきてからも、柳の歌とアヴェ・マリアの場面では退屈してしまうことが多かったのですが、その意識を変えるきっかけになったのがここでの彼女の歌唱。これを聴いて初めて「ああ、柳の歌とアヴェ・マリアが続けて歌われることには物凄い意味があったんだなあ」と衝撃を受けたことは今以て忘れられません。彼女の声に対してはかなり重い役だと思うのですが、そんなビハインドを一切感じさせない卓越した歌唱のセンスと緊密な集中力は圧巻です。また、その声からここでもまたデズデモナの若さをにじませているのは心憎いばかり。だからこそのこの役は純潔なんだ、と。弱音の表現の美しさは最早清浄ですらあります。ここに絡むドミンゴの苦悩と葛藤のオテロ、そしてカプッチッリの恐ろしいまでの悪の力、それぞれに最高のパフォーマンスを聴かせる脇役陣にそれらすべてを纏め上げるクライバーの熱狂的な音楽!
ああ、これぞオペラであります。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百夜/ナポレオンは死んだが、別の男が現れた~

「1,001回やれたらいいな」ぐらいの軽い気持ちで始めた本シリーズですが、そんなん無理だわと気付くのにそんなに時間はかからなかったwここまで来るのにかなりかかりましたが、ようやっと、本当にようやっと100回を迎えることができました。
いやあ、時間かかった^^;

第50回では作曲家いうことでヴェルディをご紹介したのでした。
今回も同じくオペラの大家をご紹介。

Rossini.jpg


ジョアキーノ・ロッシーニ
(Gioachino Rossini)
1792~1868
Composer
Italy

「ナポレオンは死んだが、別の男が現れた」
スタンダールの『ロッシーニ伝』はこの一文から始まります。

この偉大な作曲家は、ほんの20代のときからその天才を発揮して、欧州をまたにかけて活躍、その名声を恣にします。しかし、僅か38歳で筆を折り、以降はほんの簡単なものしか書かなかったというのは有名な話です。ちょっと変わってはいるけれど人懐っこい魅力のあった人のようで、それ以外にも面白おかしいエピソードは枚挙に暇がありません。おそらくはかなりの割合で尾鰭がついたものだとは思いますが、ヴァーグナーとの音楽談義の逸話など、何度聞いても笑えます。このあたりは詳しく述べている書籍やWebサイトもたくさんありますから、詳細はそちらに譲ります。

作曲したオペラは40近いのですが、その後のロマン派の時代の中でこの天才は一時期殆ど忘れられた作曲家になっていました。そのあたりの事情も他の記述に譲りますが、レパートリーとして命脈を保ち続けていたもの、となるとブッファで行けば『セビリャの理髪師』、『チェネレントラ』、『アルジェのイタリア女』、セリアなら『セミラミデ』、『モゼ』、『グリエルモ・テル(ウィリアム・テル)』ぐらいでしょうか。しかし、長い間演奏が少なかった作品、或いは現在でも決して演奏機会の多くない作品にも、素晴らしい作品はたくさん眠っています。

今回は敢えて超有名作ではなく、そのような秘曲の中から個人的な選りすぐりをご紹介したいと思います。何年か前なら『ランスへの旅』を入れたのでしょうが、ちょっとベタすぎるかなあと思って辞めちゃいました^^;

・『シャブランのマティルデ、または美女と鉄の心』
フリッツァ指揮/フローレス、マシス、アレヴィ、タッデア、ヴィンコ、レポーレ、デ=シモーネ、キアッリ等/ガリシア管弦楽団&プラハ室内合唱団/2004年
>そんなことを言いながらいきなり一発目にDECCAからきっちり日本語解説付の録音まで出てしまっているやつを出すのもどんなもんかなあとは思わなくもないのですが^^;とはいえ『ランス』のように蘇演後の上演が盛んな訳でもなくまだまだ知名度の低いこの曲を、「秘曲」と謳っていながら取り上げないのはあまりにも片手落ちなので。いくつかの改訂版があるようですが、ここで演奏されているのはナポリ稿と呼ばれているものだそう。兎に角ロッシーニの作曲の技の粋を尽くした超弩級の傑作で、話の展開がわからなくても終始その音楽に身を委ねるだけで、彼一流の愉悦の世界に浸ることができます。ここではフリッツァがさっぱりとした響きで推進力のある音楽を作って呉れていますし、歌唱陣のレベルも高いため、フレッシュで爽快な演奏に仕上がっていて、演目の長さを感じさせません(1幕だけで1時間50分もあるのに!)
歌唱陣では何と言ってもフローレスにとどめを刺します。アリアこそないものの、テノール殺しと言うべき厄介で過酷な高音と転がしの連発。普通に考えたらこんなもん歌えないよ!と歌手が怒りだしそうな楽譜が延々と書かれている訳なのですが、彼はそれをものともしないどころか本当に自然に、何処かに余裕すら感じさせながら歌いきってしまいます。美声ながら硬めで切れ味の鋭い響きが、このエキセントリックな人物にリアリティを与えており天晴な歌いぶりです。対するヒロインのヴェテラン、マシスがまた素晴らしい!仏人の彼女はどちらかというとベルカントより仏ものの方がその良さが出るように思っているのですが、ここではそんな前知識は何処かへ吹っ飛ぶ卓越した歌唱。ゴージャスで華々しい技巧の渦に耳が釘付けになること請け合いです。尚且つ、この人もまたいくつになってもコケティッシュですよね^^かわいらしさもコミカルさも際立っています。厄介なアリアのあるアレヴィはやや硬さもありますが、技巧もしっかりしていますし、このセミ・セリアのセリア的な側面を感じさせるひたむきな歌唱が好印象です^^彼女に絡む超絶技巧的なホルンもお見事。マルコ・ヴィンコは名前を聴いたときには叔父さんのイーヴォの七光りかと思いましたが、全く違う軽やかでフットワークの軽い藝風に驚かされますし、侍医としてのちょっと気取った真面目さもアクセントになっています。デ=シモーネはバルトロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)やマニフィコ(同『チェネレントラ』)などよりもよっぽど感心させられる素晴らしい歌唱で、むしろこういう斜に構えた役、同じ『チェネレントラ』でもダンディーニとか或いは詩人(同『イタリアのトルコ人』)、タッデーオ(同『アルジェのイタリア女』)の方が光りそうな気がします。レポーレも軽快なことば捌きでヴィンコ、デ=シモーネともどもアンサンブルを盛り上げていて◎
ロッシーニ上演を語る上で欠かせない録音だと思います。

・『アルミーダ』
シモーネ指揮/ガズディア、メリット、フォード、マッテウッツィ、ワークマン、F.フルラネット等/イ・ソリスティ・ヴェネティ&アンブロジアン・オペラ合唱団/1990年
>こちらはスタジオ録音ですが、国内ではあんまり出回っていないのではないかと。この作品で検索するとフレミングがMETでやったものの情報が殆どであとはカラスの音の悪いライヴ盤の話ですが、私見では演奏そのものはフレミングのものの数段上を行くと思っているのがこちらの録音です(カラスのは少し聞いた限りではあれだけ音が悪いと判断がつかないし、あの時代のテノールには歌いこなせていないです。誤解なきように言いますが、先のフレミングもカラスと共演しているフィリッペスキやジャンニ・ライモンディも優れた歌手だと思っています。単純にこの演目に向いていないと感じるだけ)。我らが山路芳久が出演しているアンダーソン&ブレイク主演のものも大変すばらしい演奏で、こちらをご紹介しようかとも思っていたのですが、肝心のアルミーダのアリア・フィナーレの音が悪すぎるので、迷った挙句こちらにしました。演目としては「え?そこで終わるの?!」とびっくりさせられる数あるオペラの中でも指折りの尻切れ蜻蛉台本だと思う一方、音楽的にはロッシーニの天才を感じさせるもので、とりわけアルミーダとリナルドに充てられている部分は最高!後年『モゼ』や『チェネレントラ』に転用している部分も散見されます。
指揮はロッシーニはお得意のシモーネだけあって安心して聴くことができます。今回ご紹介した中では唯一のスタジオ録音なのでライヴ感はないのですが、音質もいいですし密度の濃い丁寧な音楽で好感が持てます。スピードと歯切れの良さで愉悦を演出するのではなく、書かれている音楽そのものでこれだけ楽しく聴かせるのだからシェフの腕は大したものだと思います。
それを盛り立てているのが卓越した歌唱陣!優れたロッシーニ歌手が沢山出てきている現代においてもこれだけのメンバーはなかなか集められないものです。やはり主役アルミーダのガズディアの凄まじい切れ味の歌唱が記憶に残ります。彼女もまた日本では今一つ評価されていないように思うのですが、十分な重さとドラマティックさを持ちながらフットワーク軽く技巧的な歌いまわしも身につけていた素晴らしいソプラノです。その煌びやかな技巧でコンサートで歌われることも多い名アリア“甘い愛の帝国”も非常に見事ですが、なんといっても圧巻はアリア・フィナーレ!前半の気を失うほどの落胆と衝撃からくる茫然自失ぶりからの復讐の怒りに燃えるパワフルなコロラテューラ!!長い曲ではありますが聴き手の我々に息もつかせない凄まじい緊張感です。プリマ・ドンナとはこういうものだということを思い知らされます。そしてそのアルミーダと並ぶ超難役リナルドを演じるのは、ブレイクとフローレスを繋ぐ世代のロッシーニ・テノールの雄メリット!ベル・カント歌手として活躍していた頃の彼の最高の歌唱のひとつではないでしょうか。彼らしい太くずっしりした響きから弾き出される技巧と高音の強烈さは筆舌に尽くしがたいものがあります。ガズディアとの声の相性も良く、両者の重唱は実に美しいです。とはいえ、やはりメリットの実力の高さを強く感じさせるのは、有名なテノール3重唱でしょう。ここではフォードとマッテウッツィというこれまたロッシーニ・テノールの第1人者を従えて、なおかつ主役としての強い個性を発揮しています。カバレッタに入ってからのこちらも火が出そうなコロラテューラは癖になりますし、最後の部分での3人揃ったハイCはオペラ録音指折りの至宝と言ってもいいのでは。主役こそメリットに持って行かれているとはいえ、フォードとマッテウッツィは2人とも1人2役をこなしつつ、リナルドとは全く異なる良さをしっかり打ち出しています。フォードのアリア中間部でのロマンチックな甘さ(復讐に燃える部分なんですけどねw)、マッテウッツィののびやかで決然とした歌い回しいずれもお見事。チョイ役で登場するワークマンとフルラネットも何と贅沢!というかなんでこんな歌うところの少ない役を歌ってるのよフルラネット!!wwお蔭で1幕の4重唱はめり込みなく決まっていますがww
METの映像やカラスの録音で面白くないと思われた向きには、是非聴いていただきたいです。

・『エジプトのモゼ』
アッカルド指揮/スカンディウッツィ、ペルトゥージ、ブレイク、デヴィーア、スカルキ、ディ=チェーザレ共演/ナポリ・サン=カルロ歌劇場管弦楽団&合唱団/1993年
>『モゼ』は成立過程が非常に煩雑な作品で、私の理解では当初伊国の劇場向けに伊語で作曲されたのが『エジプトのモゼ』、その音楽をもとに仏国の劇場向けに大幅に改編を行い仏語にしたのが『モイーズとファラオン』、それを更に伊語に直したのが『モゼ』。『モイーズとファラオン』は恥ずかしながら視聴できていないのですが、『エジプトのモゼ』と『モゼ』について言えば、改作で同じ旋律が登場するとは言え全く別物と言っていいように個人的には思います(ヴェルディの『第1回十字軍のロンバルディア人』と『ジェルザリム』みたいな感じ)。ややこしいことに『エジプトのモゼ』と名乗りながら演奏しているのは『モゼ』と言う録音も複数あるようですが、知る限り『モゼ』の録音が一番多く、この『エジプトのモゼ』は録音・映像ともに少ないです。が、これはその少ない資料の中では信じられないほど素晴らしい内容の映像です!画質音質とも近年のものと較べると残念ながら遜色があるのですが、舞台としてはちょっとこれ以上のものは考えられません。声よし、演奏よし、姿よしと三拍子揃っています^^
アッカルドと言う指揮者は知らないと思っていたのだけれども、かなり有名なヴァイオリン奏者だそうですね。器楽奏者になじみがないものでお恥ずかしい限り(^^;どうしても歌の印象が強いのですが、急緩のついた立派な采配だと思います。ロッシーニらしい前進する音楽づくりで、終幕クライマックスのドラマティックな展開はお見事です。一方で2幕の4重唱や有名な祈りも静謐で素晴らしく、オペラらしい“音楽による時間の停止”が実に自然になされています。
そして歌手陣が最高!オジリーデを演ずるロックウェル・ブレイクは非常に自己主張の強いテノールなので、ともすると濃過ぎたりアクが強すぎたりと言うことがあるのですが、この役そのものが、一本気で直情径行、自分の色戀のためには大胆な行動も厭わないという、かなりアグレッシヴな代物なのでピッタリです^^アリアこそありませんが、エルチアとの2つの重唱、ファラオーネとの重唱はじめ、高音もあれば技巧も盛りだくさんの難役なので、ロッシーニ・ルネサンスを支えた技巧派である彼の面目躍如たるところ。『モゼ』を含めてもこの役まわりの録音のベストと言っていいでしょう(ややこしいことに『モゼ』では名前がアメノフィスに変わるのですが……しかも『モゼ』ではオジリーデと言う名前の大臣も出てきたり^^;)ヒロインのエルチアのデヴィーア、個人的には完璧な技巧に反して熱狂を感じさせないイメージのある人なのですが、ここでは興に乗っていたのかかなりアツい歌い口で興奮させられます。アリアの最高音の切れ味などこの人だからこそ出せるものでしょう。ブレイクとの相性も良く2つの重唱が盛り上がるのは実力者2人の相乗効果でしょう。ファラオーネを演じるペルトゥージはこのメンバーの中では最年少、何と28歳の時の録音ですが、貫禄のある歌いぶりで若さを感じさせません。この『エジプトのモゼ』ではアリアもありオジリーデとの重唱もありで『モゼ』より数段大変な役だと思うのですが、いつもながら転がすパッセージもお手の物。何より権力ある王としての厳めしさが強く感じられるのが舞台としては非常に嬉しいところです。アマルテアのスカルキははっきりイマイチな歌の時もあるのですが、ここではコロラテューラもちゃんとしていますし、セコンダ・ドンナの母親役らしい一歩引いた淑やかさが歌にも声にも演技にも出ているのが◎アロンネのディ=チェーザレもこの時はヴェテランだったと思いますが、如何にも頭が切れて口うるさい長老らしい雰囲気を漂わせる一方、素直で耳馴染みのする美声が印象に残ります。そして誰より題名役のスカンディウッツィでしょう。ロッシーニを得意とする他のメンバーの中でひとりより重たくドラマティックな演目を得意とする彼が入ることで、モゼのカリスマ的なイメージが強くなります。どっしりと深いプロフォンドはペルトゥージの切れのある声と好対照をなしており、この2人が絡む場面はタイプの違うバスの魅力を楽しむことができて楽しいです。もちろんただずしずしと重たいだけではなく、彼らしい優美で端整な口跡も大きな魅力ですし、フットワークの軽さも感じさせます。この演目は題名に反してオジリーデとエルチアの印象が強くなりがちですが、彼がしっかりと物語の軸になっているように思います。
この映像もうひとつ素晴らしいのは、画像の粗さはあるものの各役の見た目がばっちり役柄に当てはまっていて美しいこと。昨今オペラ歌手の見た目も随分良くなってきたのはご存じのとおりかと思いますが、それにしてもこれだけ姿も声も歌もしっかりハマっている映像と言うのはそうはないでしょう。特にスカンディウッツィのイケメンぶりには惚れぼれします笑。
伊もの、特にベルカントを好まれる向きには是非。

・『トルヴァルドとドルリスカ』
ペレス指揮/メリ、タコーヴァ、ペルトゥージ、プラティコ、フィッシャー、アルベルギーニ共演/ボルツァーノ=トレント・ハイドン管弦楽団&プラハ室内合唱団/2006年
>本作は『セビリャの理髪師』の直後に書かれた作品で、ロッシーニ自身もかなり気合を入れて作曲した(転用も殆どないそうです)のにも拘わらず、初演時の評価がいま一つで現在に至るまで殆ど知られていません。では実際この録音を聴いてみてどうかといいますと、なぜこれほどの傑作が日の目を見ることがなかったのか不思議なぐらいの代物。話の筋自体は『フィデリオ』(L.v.ベートーヴェン)を彷彿とさせる、ド定番と言うべき“救出オペラ”ではありますが、『シャブランのマティルデ』同様その音楽的な魅力が台本をはるかに凌駕していると言って過言ではないでしょう。脇役オルモンドの歌うシャーベット・アリアに至るまで緊張感のある密度の高い音楽に溢れており、この公演のように優れたメンバーを揃えれば、圧倒的な印象を与えて呉れます。ここで指揮をしているペレスと言う指揮者も演奏しているオケも寡聞にして私自身は他では聞いたことがないのですが、ロッシーニに欲しいドライヴ感のつまった音楽を、軽い風合いながらも充実した響きで聴かせていて、近年の他の優れたロッシーニ演奏と較べても遜色なく感じました。プラハの合唱もお見事。
歌唱陣はいずれも優れていますが、わけても悪役のオルドウ公爵を演じるペルトゥージが傑出していると言っていいでしょう。セミ・セリアの悪役らしくシリアスで恐ろしい側面とコミカルな側面とがある役ですが、全体にはシリアスに寄りつつもどちらにも不足を感じさせません(作品そのものがどちらかと言えばセリア寄りのセミ・セリアなので、彼の判断は的を射ていると言えます)。いつもの彼らしいシャープな響きながらゾッとさせるようなドスも効いていて、『フィデリオ』のドン・ピツァロ(役柄的にも近い)に欲しいような酷薄さが窺えますが、同時にそこにセクシーな悪の魅力をも醸し出しています。クライマックスの公爵退場のアリアも見事な迫力で、この作品の本来の主役がこの役であることを聴衆に印象付けています(ロッシーニがここに公爵の最大の見せ場であり曲中の白眉とも言えるアリアを持ってきているのに対し、ベートーヴェンがピツァロの退場にはまるで無関心だったことはちょっと面白いところ)。主役のメリは少し声が重くなってきている頃の歌唱のように思いますが、伊ものにありがちなつっころばしではなく申告で真面目な役どころなのでむしろピッタリ来ています。声そのもののクリーミーな味わいは落ちていませんし、転がしも達者でむしろヒロイックな感興を増していると言ってもいいでしょう。ふたつのアリアも難なくこなしています。もう一人の主役、ヒロインのタコーヴァは実はあまり聴いたことのないソプラノで、ロッシーニを歌うにしては太くて重ための声のように思うのですけれども、それが却って淑やかな風情を出していて魅力があります。重心の低い声であることもあってコロラテューラはところどころぎりぎりでハンドルを切っているような感じもありますが、まずまずクリアしています。それよりも悲劇のヒロインとしての凛とした佇まいが感じられる歌によるプラスの方が大きいと思います。演目的に物凄くコミカルなアリアがある訳ではありませんが、現代を代表する名ブッフォ、プラティコのジョルジョも小気味よく、この役柄に人間的な厚みを加えています。およそオペラ歌手で彼ぐらいそのダミ声で得をしている、或いはそのダミ声を効果的に遣っている人はいないでしょう^^彼と前述のペルトゥージ、メリの出来が非常によいお蔭で、ロッシーニの手によるものの中でも強烈な男声3重唱は超快演!彼の妻を演ずるフィッシャーもよく気の回る、優しくて慎み深い女中を等身大で演じる一方、見せ場のアリアでは技巧も聴かせています。目立つ役でこそありませんが、好サポートで嬉しくなります。脇役のオルモンドにアルベルギーニは、今ではちょっともったいないぐらいのキャスティングですね笑。
これを聴かずにロッシーニ・ファンを騙る勿れ、という名盤です。

・『オテロ、またはヴェネツィアのムーア人』
タン指揮/オズボーン、バルトリ、カマレナ、ロチャ、カールマン、ニキテアヌ共演/ラ・シンティッラ管弦楽団&チューリッヒ歌劇場合唱団/2012年録音
>『オテロ』というとやはり有名なのはヴェルディの作品だとは思いますが、ロッシーニも書いています。台本がシェイクスピアからかけ離れていて酷いという評が昔からあるのですが、この作品が作られた時代にはシェイクスピアの『オセロー』は伊国では普及しておらず、基本的なプロットは一緒だけれども全く別物と思った方がいいのだとか。加えて本作ではオテロよりもむしろデズデモナに焦点が当てられていて、ヴェルディのオテロの死を想定して観ると最後があっけなく感じられる一方で、柳の歌からデズデモナの死までの充実した音楽は特筆すべきものがあります。デズデモナを除くと主要な役は3役もテノールで、先ほどの『アルミーダ』を思わせる編成です。
この映像では全体に時代を移した演出になっており、全体的にセットも衣装も近代的でな雰囲気ではありますが、過激なことをしている訳ではないので或意味で安心して観ることができます。他方で昔ながらの棒立ち演出かと言うとそんなこともなくて、むしろ現代劇のような張りつめた緊張感を孕むとともに、各人の動きに説得力を持たせていて素晴らしい舞台です。音楽的にもぐいぐい聴かせる求心力があります。タンの指揮そのものは立ち上がりもう一つかなと思っていたのですが、歌唱陣のテンションに引っ張られてか進むに従ってどんどんよくなります。正直なところ、私自身この映像でこの作品を再評価したような次第です。映像も録音もそんなにたくさんある作品でもありませんから、こういう優れたものが1本あることは非常にありがたいところ^^
歌唱陣はいずれも現時点でこれ以上はなかなか考えられないメンバーと思います。いずれのどの場面でも覇気のある圧倒的な歌で、2幕途中までは3つのテノール2重唱にいたく感動していたのですが、2幕のアリア・フィナーレから終幕までバルトリが凄過ぎて全部持って行ってしまいました(笑)デズデモナは技巧を魅せる部分だけではなく、1幕のエミーリアとの重唱や所謂“柳の歌”のようにしっとりと歌の美しさを聴かせる部分の比重がかなり大きいのですが、そもそも大前提として彼女は非常に歌がうまいので、抜群のパフォーマンス。特にニキテアヌがまた美声なので1幕の重唱は、哀しい響きではありながらも本当に美しい音楽に仕上がっています。一方で1幕フィナーレや2幕でテノール対決に分け入るところ、そして刺殺の場面のような激しくドラマティックな場面では、強烈なコロラテューラを伴った劇的な歌唱が印象に残ります。そして歌とともに演技がまた天晴なもの。というか彼女の場合、歌とことばと演技とが三位一体となっていると言ってもいいかもしれません。歌が凄いところは演技もことば捌きも凄いのです。そうした意味で、個人的には全編亘って最も気に入ったのは2幕のアリア・フィナーレ。オペラにおける迫真のパフォーマンスとは、まさにこういうもののことをいうんだと思います。題名役のオズボーンも見事な歌唱です。高音まできっちり決まる一方でここでのテノールの中では比較的太め重め。重心の低い声からのパワフルな歌い口は猛将オテロのイメージに沿いますし、彼もまたことばの繊細な扱いが達者。アリア以上に重唱での冴えがお見事。ロドリーゴのカマレナはオズボーンとは好対照をなす軽やかでノビヤカナ声の技巧の達者なテノール。その技術の確かさはひょっとするとフローレス以上かもしれません。アリアも重唱もキレッキレです。歌唱技術も見事ながらむしろ演技で光ったのがイァーゴのロチャ。パット見いい人そうで(普通にヒーロー役でも行けそう)実際そういった体を装いつつも邪悪な顔をちらつかせるあたりは心憎いばかり。それでいて重唱の途中で超高音を噛ませてきたりしていて、アリアはないながらに裏の主役と言ってもよい活躍。カールマンはレイミーを思わせる重心の低いしっかりした声ながら転がしも行けるし、先述のとおりニキテアヌも美しい声で善戦。
ロッシーニの隠れた傑作、伊もの好き必聴の1枚。

・『オリー伯爵』
グイ指揮/セネシャル、バラバーシュ、カンネ=マイヤー、アリエ、マッサール、シンクレア共演/トリノRAI交響楽団&合唱団/1957年
>最後に敢えてちょっと毛色の違うものを。録音年代を見れば一目瞭然ですが、ロッシーニ・ルネサンス以前のレトロな上演で、今の歌手だったらこういう歌い方はしないだろうなあと思う部分は多々ありつつも、全体に仏流のエレガンスを感じさせる捨てがたい魅力があるのです。殆どの音楽が『ランスへの旅』からの転用とはいえ(基本的にはロッシーニは、『ランスへの旅』を機会ものの作品と捉えており、再演をあまり前提としていなかったようです)、仏語の作品として作られた本作が、セネシャルやマッサールのような仏もののスペシャリストたちによって歌われるのを聴くことができるのは非常に嬉しいところ。他のメンバーは意外とグローバルなメンバーなのですが、非常に仏ものっぽい演奏になっています。
ヴィットリオ・グイは伊人の指揮者ですし、オケも合唱も伊国のものではありますが、軽やかな音楽に仕上がっています。グイは近代での蘇演にも深く関わった人物と言うことで、当時この演目については権威と言ってよい人だったのかもしれません。なんにしても洒脱な仕上がりが心地いいです。超名曲の第1幕フィナーレのアンサンブルも彼の手腕があってこそのものでしょう(余談ですが、この曲のもととなった『ランスへの旅』の14重唱(!)の大コンチェルタートは、個人的にはロッシーニの最高傑作の1つだと思っています)。
歌唱陣では上述のとおり、何と言っても生粋の仏勢セネシャルとマッサール!題名役を演じるセネシャルはいい意味で肩の力が抜けた歌で、やわらかく優美でありながらもこの役らしい軽薄さといい加減さを実によく体現していて、この全く褒めるべきところのない主人公をとても魅力的に演じてみせています。転がしもうまいし、高音もピシっと出せるのですが、一番うっとりさせられるのはその官能的な裏声かもしれません。いまどき頭声をこうやって使う人はほとんどいませんが、効果的に使えば歌唱の表現として素晴らしい抽斗になりうると納得させて呉れます。マッサールもまた高音の頭声がお見事。柔らかい響きのバリトンが出すこういう音には得も言えぬ色気があります。そしてことば捌きがとりわけ巧みで、酒を見つけてきたことを自慢するアリアも余裕綽々、自惚れたランボーの姿が容易に想像できます。一方で彼らしい上品で洒落た歌い口は健在で、とてもオモシロオカシク歌っているんだけれどもやり過ぎて伊流のブッフォになったりはしないあたり流石の匙加減。家庭教師を演じるアリエは仏勢ではありませんが、この役は彼本来の魅力であるしなやかで深みのある声の響きが最大限に活かされる役だということがよくわかります。同時に、重厚でどっしりした響きの声でありながら転がしも達者で、彼がベルカント復興期に生まれていたらさぞかし活躍したに違いないのになどとつい思ってしまうくらい。彼もまたアリアの高音を絶妙な裏声を駆使して表現していてgood!男声陣に較べると女声陣はややマイナーなメンバーではありますが、いずれも聴きおとりしません。伯爵夫人を演じる洪国の名花バラバーシュは、やや歌い口が独っぽいと言いますか、オペレッタみたいな感じが無きにしも非ずですが、軽やかな歌い口で愛らしいヒロインを演じており不満はありません。カンネ=マイヤー演じるイゾリエは、台本上の活躍ぶりに反して歌としてはおいしい部分が少なめですが、存在感があります。また、この役のヒーローになりきらないコミカルな部分も充分に感じられると言っていいでしょう。彼女たちとセネシャルの相性がいいので終盤の重唱も盛り上がります。大きくはない役ですがラゴンドのシンクレアもいい味を出しています^^
過去のロッシーニ演奏にも面白いものがあることを再確認させられる録音です。
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