Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百五夜/真夏の夜の色~

100回を超えてから更新の鈍っている本企画ですが、一方で書きたいと思っているひと、やりたいと思っていることは山積しております^^;
今回のひとについてもフレーニについて書いていたころから構想をしていたものの、やっとこさ着手ができてひとつ胸のつかえが降りた気分です。

depraz.jpg

グザヴィエ・ドゥプラ
(Xavier Depraz)
1926~1994
Bass
France

インターネットで「グザヴィエ・ドゥプラ」なり「Xavier Depraz」と入れて検索してみると、映画『ブロンテ姉妹』などに出演した俳優がかなり引っかかります(G○○le大先生に至ってはご丁寧に「俳優」として検索結果を出してきます)。オペラ歌手を検索するとこういう目には比較的よく遭うのですが(ロバート・メリルのときにはロバート・デ=ニーロとメリル・ストリープばかり出てきて閉口しました。。。)、彼の場合ちょっと特殊なのはこの「俳優」として登場するドゥプラ氏こそが、まさに今回ご紹介する「オペラ歌手」のドゥプラ氏と同一人物であるということ。
オペラ歌手として活躍している人がこうして映画に登場している事例では有名なところだと『仮面のアリア』に登場したジョゼ・ヴァン=ダムが挙げられますが、本業の俳優としても名前が知られているのは、比較的珍しいでしょう。本当はこのあたりで彼の映画での演技とオペラでの演技の話ができればよいのですが、あいにく『ブロンテ姉妹』も未見なら彼の登場したオペラの映像も持っていない上、演技の話をできるほど演劇の知識もないという有様なので、片手落ちながら今回は特に音源で聴くことのできる範囲での話をしていこうと思います。もちろん、歌の面でも高い実力を示した人物です。
とはいえ他の仏国の歌手同様、彼もご多聞に漏れず日本語の情報が少なく、ご存知の方も少ないと思います。幸い2年ほど前に仏国のレーベルMariblanからアリア集も出ましたし、CDで出ていなかったレコード音源もmp3で聴くことができるようになっています。今回はそういった音源を踏まえつつ、そうではないものも加えて紹介していきましょう。

<ここがすごい!>
これまでこのシリーズでは、仏国のバスとしてソワイエ、白国出身ながら仏もので活躍したバスタンを取り上げてきました。ドゥプラは彼らの先輩筋で、どちらかと言えばソワイエのようなシリアスな路線によりつつも幅広い役柄活躍しています。歌い口や声の軽やかさなど後輩たちとなるほど似ているなあと思う面もある一方で、ドゥプラの声はもっと重心が低く、たっぷりと深みがあってまろやか。仏国の声の形容として「黒い声」という表現があるそうですが、彼の声はまさにそういった印象を受けます。しかしその黒は、例えばモルやフリックやグラインドルのような独国の森を思わせる底の見えない闇のような色調ではなく、夏の宵のように明るくて爽やかで色気のある、ちょっと藍色に近いような黒のイメージです。そんな印象ですからオペラの中で他のパートの人たちとしっかりとコントラストのつくバスの音色でありながらも、重たくならないのです。より具体には、ヴェルディやヴァーグナーを歌うと見事な歌手が仏ものやモーツァルトを歌うと鈍重でエネルギッシュ過ぎる印象になってしまうことがありますが、そういった歌手と対極にある人とも言えそうです。いい意味で脂身が少なく、もたれないというのは彼の大きな特徴でしょう。ただそれでも声はしっかり鳴っていて、欲求不満を感じさせることはありません。特に低音の豊かで深い響きは仏国の他のバスと一線を画しています。
先ほども書いたとおり、演じている役柄の幅はかなり広いと思います。遺っている録音を見てみると、物語の中心にいる役と言うよりは悲劇的な状況に陥った主人公たちに力を貸すような役が比較的多いところです。例を挙げるならばローラン神父(C.F.グノー『ロメオとジュリエット』)やナルバール(H.ベルリオーズ『カルタゴのトロイ人』)、オラトリオですが家長(同『キリストの幼時』)などがこう言った役柄でしょう。こうした役柄では彼の柔和な声と控え目で誠実な歌唱が良く活かされていると思います。他方でバジリオ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)、家庭教師(同『オリー伯爵』)、全曲は聴けていないのですがオスミン(W.A.モーツァルト『後宮からの逃走』)などコミカルな役どころでも巧さがあります。これらの役でも彼はそれぞれのキャラクターらしい味わいを出しつつも抑制の効いた歌い口をキープしています。この路線で最も見事なのは(否、彼の録音の中でも最も見事と言うべきでしょう)、悪魔(J.E.F.マスネー『グリゼリディス』)ではないかと思います。この役柄は悪役ではあるのですがかなり多面的で、かなりいろいろなアプローチをし得ると思うのですが、悪魔らしい不気味さや色気、上っ面のお行儀のよさといったものを感じさせつつ、全体としてはコミカルで憎めないキャラクターに仕上げている彼の手腕には脱帽させられます。
もう一つ、忘れてはならないのは20世紀の作品での活躍でしょう。と言っても僕が視聴しているのはアルケル(C.ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』)とルプレヒト(С.С.プロコフィエフ『炎の天使』)だけなのですが、彼の甘みのある声が深い解釈と相俟っていずれも絶品です。とりわけルプレヒトでの名唱は、エキセントリックな女性に翻弄される男を克明に描き出していて惹き込まれます。プロコフィエフがお好きなら是非と言うところです。

<ここは微妙かも(^^;>
ヴェルディやヴァーグナーで活躍する人の対極にあると上述しましたが、逆に言えばこうした高カロリーな演目ではもうひとつパワー不足な印象を受ける面もあります。フィリッポ2世(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)などは元々が仏語の演目ですから、興味深くもあればそのグラントペラ風の趣も魅力的ではあるものの、ヴェルディを聴く気分で接してしまうとちょっと拍子抜けしてしまうかと。
また、バスですからそこまで問題になりませんが、やや高音が不安定になる時もあるのも惜しいです。

<オススメ録音>
・悪魔(J.E.F.マスネー『グリゼリディス』)
アルプレス指揮/モワザン、ジェンティ、マラブレラ、ベッティ、ロヴァーノ共演/仏放送協会管弦楽団&合唱団/1963年録音
>ドゥプラを聴くならばまずはこれが外せないと思っているのですが、果たして全曲がCD化されたことはあるのやら^^;かく言う僕自身もYoutubeに上がっていたものでしか視聴できていないのですが、この録音は名盤と思います。この作品の悪魔はメフィストばりの超自然的な登場をしたり子供を攫ったりと言う不気味で恐ろしい面と、おかみさんの悪魔につつかれるコミカルな面を持ち、尚且つ物語全体を引っ張っていくという魅力的で難しい役どころですが、彼の知的でバランス感覚のよい歌唱が実に冴えています。オペラの録音は東西いろいろありますが、これだけ人間的で憎めない悪魔は他にはそうそうないのではないかと。純粋そうなモワザンや引き締まった騎士的なジェンティをはじめ共演陣もいずれもお見事。どうにか光の当たってほしい演奏です。

・ローラン神父(C.F.グノー『ロメオとジュリエット』)
ロンバール指揮/コレッリ、フレーニ、グイ、カレ、ルブラン、ヴィルマ、トー共演/仏国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1968年録音
>主役を演じるコレッリとフレーニばかりが注目されてしまいがちな録音ですが、実は残りのメンバーも当時の仏国を代表する面々が結集しています(そういえばプレートル盤の『カルメン』もカラスの題名役以外はそんなメンバーでしたね)。こちらもまたドゥプラの良さがよく出ていて、温かみのある声と落ち着いたトーンが優しくて懐の深い神父像を作り上げています。主役2人が伊風の情熱的な歌い口で、若々しさと熱しやすさが目立っているのもあって好対照となっているように思います。

・アルケル(C.ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』)
フルネ指揮/モラーヌ、ミショー、ルー、ゴール共演/コンセール・ラムール管弦楽団/1953年録音
>この作品、僕は実は苦手で、恥ずかしながらあまり深く聴きこめているとは言い難いのですが、ドゥプラを語る上ではこれに触れない訳にはいかないかなと。この役は脇役ではあるのですが、曖昧で瞑想的な音楽と不安定な精神状態の主役たちを下支えする、言わば通奏低音のような役割をしていることを、彼の歌を聴いて納得した覚えがあります。あまりにも強すぎる個性が出てしまうと作品世界が歪んでしまう演目だと思うのですが、そのあたりの匙加減も絶妙ではないかと。主役陣については僕では語るに落ちてしまう部分が多分にあるのですが、その幻想的で危うい雰囲気は気に入っています。

・ナルバール(H.ベルリオーズ『カルタゴのトロイ人』)
シェルヒェン指揮/ジロドー、マンディキアン、コッラール、ドラン、ガレ共演/パリ音楽院管弦楽団&パリ声楽アンサンブル/1952年録音
>超大作『トロイ人』の後半3幕を切り取って演奏したものですが、なんといっても指揮のシェルヒェンが大変な曲者。強烈なアッチェレランドはじめパワーとドライヴ感に溢れた音楽づくりで、ベルリオーズの魅力を引き出しています。ナルバールのアリアなどはちょっとバロックのような雰囲気もあるのですが、ドゥプラらしいくさみのない清潔な歌唱はこういう音楽にもぴったりですね^^今だったらバロックオペラでも活躍したのではないかと思わせます。共演も総じて優れていますが、エネを演じるジロドーが出色かと。

・メフィストフェレス(C.F.グノー『ファウスト』)
エチェヴリー指揮/ボティオー、ギオー、ビアンコ、シルヴィ共演/管弦楽団/1960年録音
>こちらは抜粋。折角このメンバーでスタジオ録音なら全曲録ってくれればよかったのにと思ってしまいます。ここでのドゥプラからは、例えばソワイエのこの役の歌唱で感じさせるような二面性やクリストフやギャウロフの強烈さといったはっきりとした強い印象はそこまでないのですが、代わりに良い意味でお手本のような均整の取れた表現を楽しむことができます。なにもメフィストだからといって、濃い味にする必要はないんだということを教えてくれているようです。共演ではギオーのマルグレートが出色か。

・家長(H.ベルリオーズ オラトリオ『キリストの幼時』)
クリュイタンス指揮/ゲッダ、デロサンへレス、ブラン、ソワイエ、コレ共演/パリ音楽院管弦楽団&ルネ・デュクロ合唱団/1965-66年録音
>超名盤。これだけ役者の揃った演奏も珍しいと思います(と言いながら、実はドゥプラもソワイエもこの録音で初めて知ったのですが)。ドゥプラは埃国逃避行中の聖家族一行を匿う寛大な人物を、安定感のある歌唱で好演しています。ソワイエと共演している音源は知る限りこれだけなのですが、較べて聴いてみると持ち味の違いを感じることができ、興味深くもあります。

・ルプレヒト(С.С.プロコフィエフ『炎の天使』)
ブリュック指揮/ロード、フィネル、ジロドー、ヴェシエール共演/パリ・オペラ座管弦楽団&フランス放送協会合唱団/1957年録音
>隠れ名盤だと思っています。どうやらこの作品の世界初録音のようですが、仏語歌唱。しかし、この演奏ではむしろ当時の仏国の人気歌手が仏語で歌ったことがプラスになっているのではないかと思います。何といっても主役を務めるロードと、我らがドゥプラの声に得難い色気があって、それが仏語で歌われることによって際立つこと!そして更に言えば、そのことが作品の毒々しくてグロテスクな音楽と物語とをより強く印象付けるのです。当然ながら原語版は原語版で素晴らしいですが、それとは違う味わいを出している感じ。セルゲイ・レイフェルクスの有名な歌唱は見事ですが、彼の歌唱からは感じなかった、簡単に愚かとは切って捨てられない魅力のあるルプレヒトをドゥプラは作り上げています。

・ドン・バジリオ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
グレシエール指揮/ジロドー、ダン、ベルトン、ロヴァーノ、ベッティ共演/パリ・オペラ・コミック管弦楽団&合唱団/1954-55年録音
>この役はドゥプラの十八番のひとつだったのか、知るかぎり2つの全曲録音と、由来不明のジャズ編曲録音があります(ジャズのものはちょっと流石にスタイルがちがいすぎて厳しいなと言う印象です)。こちらはそれらの中でも最も状態のいいスタジオ全曲盤。上品でありつつも狡猾ないやらしさが透けて見えるバランスが流石です。この作品の中ではフィガロのように器用に切り抜けられなかったにしても、小市民として自分の利益を目指す算高さを感じさせます。全体にどのメンバーも現代のロッシーニ演奏で求められる歌唱技術は持っていないのですが、それとはまた別の軸でのエレガントなやりとりに心惹かれます。ジロドーやダンも素晴らしいですが特にバルトロのロヴァーノ。こんなに色気のあるバルトロは他に類を見ません。

・家庭教師(G.ロッシーニ『オリー伯爵』)
ストル指揮/セネシャル、ドーリア、ミリエッティ、マッサール共演/ストラスブール歌劇場管弦楽団/1961年録音
>同じくコミカルなロッシーニ路線でもうひとつ。この役などはかなり高度なアジリタを要求される役なのですが、意外なぐらいドゥプラは達者に歌っています。残念ながら音質が今一つなのですが、しっかりした低音でアンサンブルを支えています。以前紹介したアリエもそうでしたが、いまもし歌っていたらもっと評価が上がったかもしれないと思うところも。セネシャルやマッサールは他の録音でも聴くことのできるエレガントな歌唱、聴きどころはドーリアの演ずる伯爵夫人でしょう。
スポンサーサイト
オペラなひと | コメント:0 | トラックバック:0 |

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百四夜/パ・パ・パ~

このところ何かと忙しく、気づけばこのシリーズも1年近く更新が止まってしまっていました汗。今年はもう少し更新していきたいなと思っているところではありますが、まあ気長に笑。
久しぶりということで、とびきり陽気な御仁にご登場願いましょう!

prey01.jpg

ヘルマン・プライ
(Hermann Prey)
1929~1998
Baritone
Germany

いつご紹介しようかとずっと思っておりました。独墺系歌手の重鎮中の重鎮です。
レパートリーが被ることとともに、その藝術的な完成度の高さも相俟って、4つ歳上ののフィッシャー=ディースカウと共に語られることが非常に多いです。とはいえこの2人の方向性は大きく異なるように個人的には感じています。いずれにせよこの2人が、20世紀のオペラと独歌曲で活躍したバリトンの双璧であることに変わりはないでしょう(本当は彼のライフ・ワークはシューベルト歌曲だと言われているのですが、恥ずかしながら未だにそのあたり明るくなく、今回はオペラに絞ったお話をしていこうと思います。。。F=Dのときも同じようなこと言ってましたね^^;)。またレパートリーには若干のずれがありますが同い年にはもう一人、こちらもこの時代の独墺系バリトンの雄である同年のエーベルハルト・ヴェヒターがおり、彼との比較がなされることも少なくないように思います。。
余談になりますが、1929年は20世紀の低音歌手にとって記念すべき年で、独墺系ではプライ、ヴェヒターに加えヴァルター・ベリー、伊系で活躍した人では本blogでおなじみのニコライ・ギャウロフ、ピエロ・カプッチッリの他にジョゼフ・ルロー、コスタス・パスカリスといった人たちが生まれています。なんとまあ!笑

さてそんな訳でフィッシャー=ディースカウやヴェヒターと較べられることの多いプライではありますが、藝風と言いますか歌手としての個性は彼らとは大きく異なると言っていいでしょう。フィッシャー=ディースカウは以前取り上げたとおり、楽譜を深く読み込んだ知的で丁寧で整った歌い口が魅力の人ですし、ヴェヒターはオペレッタで鳴らしていましたが、それにしてもやはりヴァーグナーなどでのコワモテな印象が強いです。彼らに限らず、独墺系のオペラ歌手と言うと比較的生真面目で硬派のイメージが強い人が多いように思います。
では、プライの魅力は?
今夜はそこに迫ってみたいと思います。

<ここがすごい!>
彼を語る上で非常によく取り沙汰されるのがフィガロです。何故ならば、彼は独墺系のバリトンの中では珍しく、モーツァルトの『フィガロの結婚』とロッシーニの『セビリャの理髪師』のどちらの演目でも、フィガロとして名を馳せたからです。同様に彼を語る上で欠かせない役とされるのは、極め付のパパゲーノ(W.A.モーツァルト『魔笛』)とアイゼンシュタイン(J.シュトラウス2世『蝙蝠』)。
この役どころを眺めているだけでも、彼の美点と個性が見えてきます。F=Dやヴェヒターにない彼の魅力は、おおらかでのびやかで愛嬌があって、人間臭いところにあると言っていいでしょう。うまく言葉にできないのですが、プライさん自身の人柄の良さと言うか、気さくさ、自由さが、歌っている時の感情の全てが歌から溢れ出ているような感じなんです。時に感情に持ってかれるところもあって、単純比較すればF=Dの方が精緻な歌なんですが、それでもプライの方が歌として感動できるものだったりする。最初にフィガロの話をしましたが、正直言うとモーツァルトのフィガロは彼には音が低いと感じるし、ロッシーニは今の耳からするとたどたどしい部分もあるんです。でも、未だに「フィガロと言えばプライ!」という人がいるのも肯ける味があるのもまた事実なのです。これだけはもう聴いていただかなければわからない、彼の天賦の才なんだと思います。

但し、彼が感情の赴くままに、恣意的に粗っぽい歌をうたっているかと言うとそうではありません。むしろその歌は基本的にはかなり端正で、彼の音楽面での誠実さがよく出ていると言っていいでしょう。特に奇を衒ったことをしている訳ではないのに、充分にその役柄の面白味が伝わってくるところに彼の偉大さがあります。オペレッタであっても、語りや崩しにならず歌として聴かせてしまう妙味には頭が下がります。優れた喜劇役者は余計なオカシサを役柄に付け加えるのではなく、徹頭徹尾真面目にやることでその役柄の可笑しさを引き出すと言いますが、彼の歌を聴いているとまさにその通りなんだろうなと思うのです。

また、ここまでのところではどちらかと言うとコミカルな役どころこそが彼のレパートリーの中心のような印象と思われるようなことを述べてきましたが、実のところはそうではありません。彼のライフ・ワークであるシューベルトをはじめ、歌曲で評価を受けているように、微妙な感情の機微を感じさせるような役柄もまた絶品なのです。例えばダニロ(レハール F.『メリー・ウィドウ』)は華やかで楽しい役柄である一方で、過去の戀愛での苦い記憶をどこかに引きずった切なさのある粋な大人の男ですが、名演は多いもののここまで繊細で複雑な味わいを出している歌唱は他に例を見ないと思います。脇役ではありますがフリッツ(E.コルンゴルト『死の都』)でも、陽気な男の歌ううっとりさせるような甘い旋律の中に潰えていく街の儚さを感じさせる名唱を披露しています。笑顔なんだけど哀しい、笑っているような泣いているような感情の動きを優しいタッチで作り上げていく彼の手腕には、何度聴いても涙が零れます。

最後になりますがもちろんその美声も忘れてはならないでしょう!厚みがあって柔らかで、心地よい湿り気と質感のある響きの良さ。独系のロマンティックな声のバリトンの最高峰と言ってもいいのではないでしょうか。こういうことを言うとまた怒られそうな気もしますが、声そのものだけを俎上に取ると、実は私自身はF=D御大よりもプライの方にうっとりさせられることが多いです。特に低音の豊かな声は録音史の様々な低音歌手の中でも最良のもののひとつでしょう。個人的には、これは或意味で邪道っぽさはあるのですが、ヴンダーリッヒとの重唱集で残しているマルチェッロ(G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)での色気のある美声はイチオシ。騙されたと思って是非一度!

<ここは微妙かも(^^;>
ここまでも述べてきたとおり彼は非常に自然体で歌う人です。実際ご本人としてどうだったのかというのは残念ながら私にはわかりませんが非常に飾りのない人。それが或意味で裏目に出る時があるような気がするのが、時にある音程の不安定さです。感情がこもってくると割とその感情に合わせて音程のぶら下がりとかがあるんですよね^^;これが気になる人は気になるかも。
ただ、彼の場合その自然体こそが一番の持ち味でもあるともいえるので、表裏一体の部分なんでしょう。
あとはちょっと人が良すぎるところもあって……ドン・ジョヴァンニ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)なんかは歌は素敵なものの、変な話いい人過ぎちゃってあんまりはまらないように感じました^^;

<オススメ録音♪>
・パパゲーノ(W.A.モーツァルト『魔笛』)
リーガー指揮/ヴンダーリッヒ、ローテンベルガー、コーン、ケート、エンゲン、ヒレブレヒト、ナアフ、マラウニク、グルーバー、フリードマン共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音
>秘密の名盤。もう繰り返しになりますが、やはり私としてはプライと言えばやっぱりパパゲーノ!彼一流の陽気で自然体な人柄が、このキャラクターにぴったりなのです。ありきたりな表現ではありますが、まさにパパゲーノその人と言いますか。そう、この役はダメなやつですが、彼は彼なりに必死に生きているんですよね、それが感じられる。無理に作った人物像ではなく、プライの人柄がにじみ出て、この役と融合しているように思います。ショルティのスタジオ盤もありますが、やはりライヴ盤の方が生き生きとしていますし、何よりここではタミーノを夭逝したプライの親友ヴンダーリッヒが歌っているのが嬉しい!意外とこの主従が一緒に歌っている場面は少ないのですが、「ム、ム、ム」の5重唱など最高です^^その他全体に完成度が高いですが、ケートの夜の女王が今一つなのが惜しい(まあこの役にはよくある話なんだけれども)。

・ガブリエル・フォン=アイゼンシュタイン(J.シュトラウス2世『蝙蝠』)
C.クライバー指揮/ヴァラディ、ポップ、レブロフ、コロ、ヴァイクル、クッシェ、グルーバー/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1975年録音
>ひょっとするといまだにこの録音を超える蝙蝠は登場していないかもしれません(公爵のレブロフの好き嫌いはありますが)。プライに関していえば、これだけ人から愛されそうなアイゼンシュタインもそうそういないでしょう。陽気でいい加減で女好きで、でも愛嬌があってどこか憎めない。思わずはっとしてしまうような色気もある。例えばこれがヴェヒターだと、確かにスタイリッシュで気品も色気もあってかっこよいのですが、お友達にしたいかというとちょっと……(笑)ファルケ博士の復讐に遭ってしまったのも然りという感じがあるんですね。そういうアイゼンシュタインももちろんありな訳ですが、プライの場合にはもっとこの一件をすかっと笑い飛ばして終われそうな明るさがあるんですね。そうしてみるとプライという人は存外、天性の人たらしなのかもしれません。

・フィガロ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
ベーム指揮/ヴァイクル、ヤノヴィッツ、ポップ、バルツァ、リドル、リローヴァ、ツェドニク、エキルス共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1980年録音
>こちらも当たり役中の当たり役ですね^^同じベーム指揮のスタジオ録音は当然不滅の名盤と思っていますが、あんまりにもメジャーなので今回は別の音盤をご紹介します。こちらはベーム最晩年の来日公演(!)の音源で、ベームの年齢のことも含め瑕も少なからずあるものの、やはりライヴらしい活きの良さがたまりません。流石のプライもだいぶ年齢を重ねており、スタジオ録音で聴かれたような若々しさはないのですが、その分表現力の幅は広がっているように感じます。彼のモーツァルトらしい丁寧さも感じられる一方で、例えば有名な“もう飛ぶまいぞこの蝶々”など、他の録音ではあまり聴かないような崩れるぎりぎりの攻めた歌唱を繰り広げています。「守・破・離」の離の境地といっても良いのかもしれません。同じくだいぶ薹が立っているものの相変わらず可愛らしくて生命力いっぱいのポップちゃん、意外とこの役での録音のないヴァイクル、格調高いヤノヴィッツなどなど共演も揃っていますが、一番拍手を貰っているバルツァが一番よくないのが残念です。

・アルマヴィーヴァ伯爵(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
アバド指揮/フレーニ、ファン=ダム、マッツカート、ベルガンサ、モンタルソロ、ピッキ、リッチャルディ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1974年録音
スウィットナー指揮/ギューデン、ベリー、ローテンベルガー、マティス、オレンドルフ、ブルマイスター、シュライヤー共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ドレスデン国立歌劇場合唱団/1964年録音
>これまで述べてきたとおり、楽器としてはノーブルな騎士的バリトンである彼にとって実のところフィガロよりもハマっている伯爵では2つの音源を。アイゼンシュタインのところでも言ったけれども、彼は本当に憎めない人物像を作るのが本当にうまい。最終的にはいつもフィガロたちの掌の上で転がされてしまうとは言え、それなりに才気もあり、権力もあり、プライドも高い上に女好きというこの役であれば、強権的で嫌な人物にすることもいくらでもできる(実際、F=Dもヴェヒターもアレンもシュミットもそういう路線でしょう)筈なのですが、そういう要素が全てあった上でもまだ可愛げが感じられるというか、どこかに善良さが顔を出す伯爵なのです。フレーニの夫人がまた素晴らしくて、この録音を聴くとこの演目の主役はこの人たちだなと思います(尤もファン=ダムだって悪くないし、実はこの録音の最大の聴きものはこの中では最も無名なマッツカートだったりもするのですが笑)。後者の盤は旧東独で録音された独語によるもので、より若々しいプライの声が楽しめるのが大きな魅力です。また、やはり彼が達者なのは独語というのもあって、のびのびと歌っているのも嬉しい。スウィットナーの指揮にしても共演陣にしても、実にさっぱりとした格調高いモーツァルトを楽しむことができます。

・グリエルモ(W.A.モーツァルト『女はみんなこうしたもの』)
ベーム指揮/ヤノヴィッツ、ファスペンダー、グリスト、シュライヤー、パネライ共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1974年録音
>モーツァルトをもう一つ。僕にとってこの作品を「開眼」から「お気に入り」にした非常に楽しい録音です^^男声3人のキャラクターがいずれもはっきりしていて、尚且つ歌のレベルも高いというのが非常に嬉しいところ。ここでのプライは予想に反してコミカルに突き進むのではなく、おどけた表情を見せる一方で、品格あるカヴァリエ・バリトンとして演じています。これがパネライのいかがわしいアルフォンソとしっかり役割を分けることに繋がっていて、どちらの人物も引きたたせています。名優の面目躍如というところでしょう。

・フィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
カイルベルト指揮/ヴンダーリッヒ、ケート、プレープストル、ホッター共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1959年録音
スウィットナー指揮/シュライヤー、ピュッツ、オレンドルフ、クラス、ブルマイスター共演/シュターツカペレ・ベルリン&ベルリン放送合唱団/1965年録音
>こちらはアバド指揮のものがあまりにも有名ですが、彼はロッシーニ歌いではないし、母語でより自由に歌うことのできている独語版のものを2つ。最初のものはかなり古い映像ですが、颯爽とした舞台姿が非常に素敵です。どのメンバーよりも闊達に、自由自在に舞台を動き回り、正しく狂言回しというところ。そして大親友だったヴンダーリッヒとの息の合った楽しいやりとりをこうして映像で見ることができるのが、何よりも大きな財産でしょう。ホッターの不気味すぎるバジリオについ目が行きますが、このメンバーの中では無名ながらプレープストルの弱気なバルトロの演技は注目に値します。ここでもケートが冴えないのが惜しい。2つ目の録音は『フィガロの結婚』と同様、旧東独でスウィットナーの指揮により演奏されたもの。こちらでは弾ける若さより、もっと男の色気を感じさせるフィガロになっているように思います。ロジーナとの重唱での裏声など思わずゾクゾクさせられる代物。こちらでは伯爵はシュライヤー、こんなに王子様然としたこの役も珍しいかもしれません。クラスのずっしりとしたバジリオはじめ共演もいいですが、就中ベルタのブルマイスターは貫禄ものです。

・ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵(レハール F.『メリー・ウィドウ』)
ヴァルベルク指揮/モーザー、ドナート、イェルザレム、クッシェ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1979年録音
>フォン=マタチッチ盤などの陰に隠れがちですが、穴場的な名盤です。ここでは先ほどとは一転して、昼行燈的なバカバカしい明るさの中に、ほんのひとさじ哀愁の苦みを加えた、陰のある男を演じており、その渋いかっこよさに打たれてしまいます。役として影を出そうとしているわけではなく、ごくごく自然に陽気なふるまいの中に影が滲み出てしまう感じがとてもリアル。しかも、ほとんど崩さずに歌うことでそれを実現してしまっているのが本当にすごいです。モーザーはじめ共演の力もあり、大人の喜劇に仕上がっています。

・ボッカチョ(F.フォン=スッペ『ボッカチョ』)
ボスコフスキー指揮/モーザー、ローテンベルガー、ベーメ、ベリー、ダッラポッツァ、レンツ、リッツ共演/バイエルン放送交響楽団&ミュンヘン州立歌劇場合唱団/1974年録音
>もう一つオペレッタ、こちらの方がより軽い喜劇ですね^^プライはここでも大人の男の魅力と余裕を感じさせる堂々たる主役で大変素敵です。アリアでの清々しい高音などはまさに胸のすく思いがしますし、名花ローテンベルガーとの重唱にもうっとりさせられます。全曲は最近演奏されませんが、浅草オペラで大当たりをとっただけのことはあって“戀はやさし”など魅力的な旋律が沢山あります。このあたりの作品の再評価がもう少し進むといいのですが。。。

・マウガレート(F.シューベルト『アルフォンソとエストレッラ』)
スウィトナー指揮/シュライヤー、マティス、フィッシャー=ディースカウ、アダム/ベルリン国立歌劇場管弦楽団&ベルリン放送合唱団/1978年録音
>歌曲はあまり聴いていないものの、やはりシューベルトに触れない訳にはいきません。決して多くはない彼のオペラ作品の録音ですが、よくぞこのメンバーでこれを残してくれました!と快哉を叫びたくなるもの。オペラといってもどちらかというと歌曲が続いていくような印象の本作では、悩みの深い2つのアリアが、まずはプライの別の顔を知ることができるということでお勧めできます。また、フロイラとの和解の重唱ではフィッシャー=ディースカウとの夢のような重唱を楽しめるのが大きいですね^^珠玉の1枚です。

・音楽教師(R.シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』)
レヴァイン指揮/トモヴァ=シントヴァ、バトル、レイクス、バルツァ、ツェドニク、シェンク、マルンベルク、プロチュカ、リドル、アップショウ、ボニー共演/WPO/1986年録音
>超名盤、惜しむらくはレイクスのバッカスがキングだったら!(あとはツェルビネッタが僕の嫌いなバトルでなければ!笑)脇役に至るまで非常にうまい人を揃えていることもあり、もちろん第2幕以降の本編も聴きごたえ十分なのですがむしろ第1幕の面白さを存分に発揮している録音ということができるでしょう。プライの歌う音楽教師には纏まった大きな歌こそないのですが、その穏健且つ懐の深い人物づくりが冴えていて、存在感があります。僅かな出番からも、魅力的な好人物でありつつも、劇場内の政治にも手腕を発揮できる有能さを感じさせるのは実にお見事。バルツァの若々しく神経質な作曲家を支える年長の庇護者といった風格です。もっと歌って欲しくもなりますが、あくまで傍役という抑制も効いているのは流石という他ありません。

・エーベルバッハ伯爵(A.ロルツィング『密猟者』)
ヘーガー指揮/ヴンダーリッヒ、ローテンベルガー、オレンドルフ共演/バイエルン国立管弦楽団&合唱団/1964年録音
>こちらも日本ではあまり顧みられることのないロルツィングの名作。プライはいつもながらのたっぷりとした美声で、モーツァルトよりもロマンティック、ヴァーグナーよりも軽やかでオペレッタよりも賑やかではない中庸の美と言うべき作品の魅力を存分に引き出しています。意外とプライの声が一番活きるのはこうしたものかもしれません。いつまでも聴いていたくなるような心地がします^^ヴンダーリッヒほか共演も充実しており、ロルツィング入門としてはこの上ないものかもしれません。

・フリッツ(E.コルンゴルト『死の都』)
ラインスドルフ指揮/コロ、ネプレット、ラクソン共演/ミュンヘン放送交響楽団、バイエルン放送合唱団&テルツ少年合唱団/1975年録音
>この役はほとんど名アリア一発勝負という役どころですが、ここにプライをもってきたのがよくわかる名唱です。1975年の録音ということで、彼ももうピークは過ぎている訳ですが、それがむしろここでの彼を味わい深いものにしていると言えるように思います。というのも、これはかつて栄えた街を回顧する歌なのです。過去への憧憬、ノスタルジーを感じさせるのに、彼の声が、ひょうげんがまさにうってつけ。作品そのもののテーマもノスタルジックなものであり、その意味でこのアリアがこの作品を象徴しているともいえるように感じます。

・エスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)
シュタイン指揮/ルートヴィッヒ、ショック、ムゼリー、レブロフ共演/BPO、ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団&シェーネベルク少年合唱団/1961年録音
>打って変わって鬪牛士、独語版です。あんまりプライのイメージじゃないなあなどと思いながら聴き始めるのですが、そのスタイリッシュな歌い口には思わずほれぼれすること請け合いです。大体がこの役、マッチョで気障であんまりキャラクターとしては好感度高くないのですが、ここでもプライ一流のいい人オーラが働いており、人懐っこくてこれならカルメンじゃなく誰が相手でもいいやつだと思うだろうなと思わされてしまいます。共演では意外なぐらいルートヴィッヒが役柄にマッチしていて感動的。素晴らしい切れ味です。

・マルチェッロ(G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)
アイヒホルン指揮/ヴンダーリッヒ共演/ミュンヘン放送交響楽団/1960年ごろ録音
>これはヴンダーリッヒとのデュエット集から。『ドン・カルロ』と『セビリャの理髪師』とこの作品から2重唱が録音されているのですが、これが一番良い出来です(僕の好みからいけば予想に反して笑)。ヴンダーリッヒの歌う旋律を包み込むように寄り添っていくプライのたっぷりとした美声!ほとんど裏声に近いような柔らかでウェットな高音の情感には、彼にしか出せない味わいがあります。
オペラなひと | コメント:2 | トラックバック:0 |

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百三夜/伯爵の復権~

索引を作って改めて思ったことがいくつかあるのですが、そのうちの一つに、「ロッシーニが好き」と言いながら最初の100夜ではそんなにロッシーニを得意にした人をご紹介できていなかったなあということがあります。
と言う訳で今回はベル・カントもの、特にロッシーニでの活躍で人気を博した名テノールをご紹介。

Blake.jpg

ロックウェル・ブレイク
(Rockwell Blake)
1951~
Tenor
America

ロッシーニの演目の再評価が進んだ近年、彼の作品の上演機会も多くなり、そこで必要とされる猛烈なアジリタをこなすことができるテノールも増えてきました。既にご紹介した人で言えば伊的なサーヴィス精神旺盛なシラグーザがいますし、彼以外にもこの領域で圧倒的な存在感を放っているフローレス、バルトリとの共演も多く知的な歌唱が持ち味のオズボーン、黒人らしい艶のある声が個性的なブラウンリーなどなど……とはいえ、現在の彼らの活躍があるのは、20世紀後半のロッシーニ・ルネッサンスの流れがあったからであることは、言を俟ちません。
ロックウェル・ブレイクは、ラウル・ヒメネスやクリス・メリット、グレゴリー・クンデらと共にこの時代を牽引し、新たなテノールの時代の嚆矢となった名手中の名手です。

彼を語る上で欠かせないエピソードと言えば、『セビリャの理髪師』(G.ロッシーニ)のアルマヴィーヴァ伯爵の大アリアの復活を上げねばならないでしょう。
詳述されているWebサイトも多いので、ここでは簡単に。ロッシーニ演奏が下火であった時代にあっても傑作として演奏され続けていた『セビリャの理髪師』ではありますが、本来作中の山場となっていた2幕終盤の伯爵の大アリアは、演奏困難であることを理由に長い間演奏されていませんでした。ロッシーニ再興時代以前では、スタジオ録音で僅かに2例、1958年のラインスドルフ盤でチェーザレ・ヴァレッティが、1964年のヴァルヴィーゾ盤でウーゴ・ベネッリがそれぞれ歌っているのを除くと実演でも殆ど歌われていなかったと言います。
その復活に貢献したのが誰あろうブレイク。それまでは多くの公演で大アリアは判断の余地なくカットの憂き目に合っていたのだそうですが、彼はこの役を受ける契約にあたっての条件として大アリアを歌うことを盛り込み、世界中の劇場でこの歌を歌ったのだとか。彼のお蔭で我々はこの曲を愉しむことができるようになった訳ですが、一方で「俺はこれ歌うんじゃあ」というブレイクのスターっぷりを感じたりもして、ちょっと微笑ましい^^
実際彼がこの曲を歌っている映像を観ると、これでもか!というドヤ顔ぶりが面白かったりもします笑。演劇としてのオペラを考えたときに、あんまり素のドヤ顔が出て来てしまうのはどうかなというのもあるのですが、これだけ爽快な顔をされるとなんちゅうか赦しちゃうよね笑。

<ここがすごい!>
このひとについては、卓越した技術と勢いのある歌いっぷりに魅力が集約されていると思います。何と言ってもあの速射砲のようなスピード感のあるコロラテューラには有無を言わせない強烈なパワーがあります。このパワーはひとつには彼の声が、ロッシーニを得意とするテノールの中では比較的重量感のあるもので、もっと言ってしまえば或種の野太さを持っているところに起因しているように思います。この重さの違いは、例えば先ほどのシラグーザやフローレスの声などと較べていただければ一耳判然ではないかと。そして実はその分、彼の転がしはよく聴くと当世のロッシーニ・テナーよりも強引さや粗さが感じられるものではあるのですが、それが音楽的に不満足な結果を生んでいる訳ではなく、むしろ先ほど述べたようなパワフルさやぐいぐいとドライヴするスピード感といったユニークな魅力に繋がっています(念のため付言しておきますがブレイクに強引さや粗さが感じられると言ってもそれは超高次元の話で、これだけ歌えて粗いというのもどうなのかという気もしますが^^;)。

また、どうしてもその転がしの技術や刺激的な高音に耳が行ってしまうところはあるのですが、彼の強みの一つとしてその息の長さも特筆すべきものだと言えるでしょう。あの凄まじい超絶技巧のいったい何処で呼吸をしているんだろうかと思いながら聴いていると、こちら側がむしろ息が詰まってしまうぐらいブレスが少ないです。アリアの最後などで高音を張る部分なども、唖然とするぐらいのロングブレス!いったいいつまで伸ばすのよ、と途中で笑いがこみあげてくるほどです。とりわけその凄さを感じさせるのは、恥ずかしながら私自身全曲聴くことはできていないのですが『なりゆき泥棒』(G.ロッシーニ)のアルベルト伯爵のアリアです。これ、youtubeに上がっているんで是非ご視聴ください。さんざっぱら超絶技巧を尽くした揚句に最後の音を延々と伸ばし、しかもその音を1回pまでデクレッシェンドした後にクレッシェンドでfまで引き戻して終わるという、にわかには信じがたい藝当をさらりとやってのけています!ブレス・コントロールの訓練の賜物と言うべき圧巻のパフォーマンスで、彼の技術が一朝一夕に作られるものではないことがよくわかります。

もうひとつ、彼の歌を聴いていてとても愉しいのは、彼自身が非常に自信満々に、如何にも楽しそうに自分の技術を披露しているところです。良くも悪くもかつての「テノール馬鹿」的な気質を引き継いでいると言ってもいいかもしれません。自分が目立つためにアンサンブルをぶち壊すような真似こそしませんが、自分が目立てる部分では徹底的に自分をアピールし、それを楽しむタイプの歌手。うまくない人にこれをやられるとアイタタタタな話になりますが、彼ぐらい実力があると、むしろアスリートの名演技を見ているかのような爽快感すらあります^^このごろはこういう意味での主張のある人が少なくなっている気がしていて、それはそれで残念にも思えます。

<ここは微妙かも(^^;>
卓越した技術とパワーが魅力のブレイクですが、声そのものは所謂美声ではありません。現在のベル・カントの名手たちのような明るくて軽い、透明感のある声では全くなく、むしろ音色としてはやや暗めで硬さのある響きで、これが独特の力感を生んでいる一方、悪声と感じて受け付けない人もいるでしょう。また、上述のとおりやや強引さのあるコロラテューラも好き嫌いの出そうなところです。

あと、先ほど申し上げた「テノール馬鹿」的なドヤ顔歌唱はきらい!という向きにはおススメはできませんね^^;

<オススメ録音♪>
・アルマヴィーヴァ伯爵(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
ヴァイケルト指揮/ヌッチ、ダーラ、フルラネット、バトル共演/メトロポリタン・オペラ管弦楽団&合唱団/1989年録音
>数多ある本作の録音・映像の中でも最高峰のもののひとつと言っていいのではないかと思います。何と言っても男声陣が最強!軽妙なヌッチに面白過ぎるダーラ、重厚ながらもコミカルなフルラネットと揃っています。とりわけ伯爵のオーソリティとして世界中で大アリアを披露していたころのブレイクを、こうして音質画質とも良好な形で観ることができるのは本当にありがたいところ。ライヴと言うこともあって勢いのある表現で、荒削りながら力強い伯爵像を築き上げています。やはり大アリアはもう文句なく素晴らしい!失われた超絶技巧に期待を膨らませていた客席の熱狂も納得です。登場のカヴァティーナから情熱的でスタイリッシュな魅力がありますし、酔っ払いや音楽教師に化けて出てくるところもコミカル。彼の例の自信満々なドヤ顔っぷりが喜劇としての面白さも生んでいますし、同時に自分の運命を切り拓くこの役にリアリティを与えてもいます。この役を知るためには、一度は観ておきたい映像ではないかと思います。

・オジリーデ(G.ロッシーニ『エジプトのモゼ』)
アッカルド指揮/スカンディウッツィ、ペルトゥージ、デヴィーア、スカルキ、ディ=チェーザレ共演/ナポリ・サン=カルロ歌劇場管弦楽団&合唱団/1993年録音
>これもよくぞ映像を遺して呉れました!と言う代物。音質は鑑賞には問題ないレヴェルですし、年代を考えると必ずしも画質はよくはありませんがまあ許容できますし各役ともルックスもイメージに合っています。ブレイクはヘブライの女と戀に落ちる埃国の王子と言う役どころで、あらすじ上全体に直情的で過激な行動が目立つ人物なのですが、これが彼の個性に凄くよく合っていて、強烈なインパクトがあります。アリアこそないものの技巧的に厄介な重唱がいくつもあって、しかも物語を進めて行くのは彼なのでかなりの難役だと思うのですが、歌唱上転がしも高音も圧倒的ですし、見た目としてもまさに役と一体化していると言っていいぐらい。シリアスものをやってもカッコよく決まる人だということがよくわかります^^

・リナルド(G.ロッシーニ『アルミーダ』)
マジーニ指揮/アンダーソン、R.ヒメネス、山路、スルヤン共演/エクサン・プロヴァンス音楽祭管弦楽団&合唱団/1988年録音
>よくこんなものが残っていたなあと思わされる物凄い演奏です。音質こそ冴えませんが、そんなことを言っては罰が当たります(笑)この役もアリアこそないものの演奏困難な重唱が目白押しで歌える人はかなり限られますが、彼の歌唱には余裕すら感じられます。やや癖のある声は、ここではリナルドに英雄然とした雰囲気を齎すのにも一役買っています。その重さのある声での迫力のあるアジリタ!特に有名なテノール3重唱での歌いぶりは目覚ましく、固唾を飲んで聴きいってしまいます。その3重唱で絡んでくる2人がまた凄い。優美な声で気品を感じさせるラウル・ヒメネスも見事ですし、夭逝した日本の名テノール山路の格調高いスタイリッシュな歌がこうして全曲で聴けるのは大変ありがたいところ。そしてこの2人はいずれも1人2役で臨んでいます!ブレイクが1951年生まれ、ヒメネスと山路がそれぞれ1950年生まれと、この世代の層の厚さを感じさせます。

・ジャコモ5世(G.ロッシーニ『湖上の美人』)
ムーティ指揮/アンダーソン、デュパイ、メリット、スルヤン共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1992年録音
>ポリーニ盤と並ぶ本作の東西の横綱と言うべき名盤!ムーティのきびきびとした指揮の下、特にこの時代を代表するロッシーニ・テノール2人の対決をきちんとした音質で聴くことができるのは非常に嬉しいところです。あの有名なロマンティックなカヴァティーナがやはり印象に残ります。これはどちらかと言えば彼の得意とする勢いのある歌というよりも、全体にはゆったりとした中に超絶技巧を散りばめたようなもの。ゆったりしているからこそ却って聴かせるのは難しい歌だと思うのですが、堂々とした貫禄を感じさせる歌いぶりで文句ない名唱です。対するメリットはいつもながらの野太い声でブレイク以上にスリリングな転がしを繰り広げていて、こちらも絶唱!アンダーソンも切れ味の鋭い技巧を聴かせますし、デュパイも高水準です。

・アルベルト伯爵(G.ロッシーニ『なりゆき泥棒』)
詳細不明
>上述のとおりごめんなさい、これは全曲でちゃんと聴けていなくて、youtubeに落ちていたアリアを1曲聴いただけですが、彼の技術の確かさをわかりやすく感じられるものなので^^大前提として元がファルサの曲と言うこともあってか、彼の明るいキャラクターが非常に活きています。映像は何種類か観られるのですが、いずれにおいても意気揚々と楽しげに余裕を持って歌っているのが微笑ましいです(実際には信じられないような超絶技巧を繰り広げているのですが笑)繰返しになりますがあの速射砲のようなコロラテューラからの最後の高音ロングトーンをデクレッシェンドした後にクレッシェンドしてfでフィニッシュ!!!(何を書いてるのか自分でもよくわからなくなるwww)は何度聴いても感動させられます。

・フェルナンド・ファリエーロ(G.ドニゼッティ『マリーノ・ファリエーロ』)
ダントーネ指揮/ペルトゥージ、セルヴィレ、デヴィーア共演/パルマ国立歌劇場管弦楽団&合唱団/2002年録音
>どうしてもロッシーニばかりが並びますが、それ以外の演目でももちろん卓越した歌唱を遺しています。この作品はドニゼッティがよりドラマティックな音楽を志向して書いた作品で、舞台を考えても“ドニゼッティの『シモン・ボッカネグラ』”といってもいいと思います。そういう意味でより力強い重たい声が要求される一方、まだこの時代らしい華やかな転がしや刺激的な超高音も求められるというこれまた歌唱面では相当にきつい役ですが、キャリアも後半になってからであるにも拘わらず卓越した歌を聴かせています。アリアでの高音はやや構えて出す感じこそありますが十二分の鳴りですし、決鬪に向かう場面の切迫感も堪りません。共演陣はいずれもベル・カントの名手と言うこともあって聴き応え充分!

・ジョルジュ・ブラウン(F.A.ボワエルデュー『白衣の婦人』)
ミンコフスキ指揮/マシス、ナウリ共演/パリ管アンサンブル&仏放送合唱団/1996年録音
>ロッシーニを中心に活躍した後、彼は活動の中心を仏ものへと移していきます。その時代の代表的な録音と言えるのがこちら。ゲッダやセネシャルがそれぞれの魅力を引き出したながらも技巧的にはかなり端折って歌っているのに対し、ブレイクは彼お得意の転がしをあらんかぎりに披露しています(楽譜を見ていないのでどちらが本来のあり方なのかはわかりませんが^^;、ロッシーニより少し前と言うことで技巧が好まれる時代の作品なのは確かだと思います)。仏ものの優雅さよりはメカニックな技巧と推進力の方が勝っている感じはありますが、これはこれで実に爽快な歌唱^^ヒロインのマシスも華があって魅力的ですし、悪役のナウリも歌う場面は短いながら適度に下卑た人間臭さが出ていていい味出してます。
オペラなひと | コメント:0 | トラックバック:0 |

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百二夜/知られざる実力者~

100回を迎えたことですし、ちょっと最初の頃のように各パート1人ずつご紹介するスタイルに戻ってみようかなと思います^^
前回はソプラノでしたので、今回はメゾをご紹介しましょう。

Diadkova.jpg

ラリッサ・ジャチコーヴァ
(ラリッサ・ディアドコーヴァ、ラリッサ・ジャジコ―ヴァ)

(Larissa Diadkova, Лариса Ивановна Дядькова)
1954~
Alto, Mezzo Soprano
Russia

再び露国の名手を。
彼女もまたゲルギエフの手兵として長くマリインスキーを支えてきた大ヴェテランです。以前ご紹介した範囲からだと、プチーリンやアレクサーシキン、それにプルージュニコフといった面々との録音が多いですね。ネトレプコとの共演もあります。
マリインスキーで活躍したメンバーの中では比較的西欧での録音も多く、アバドやパッパーノの指揮で伊ものにも登場しており、いずれも高い評価を得ています。サン・カルロ劇場の引越公演で一緒に来日した際には、迫力ある声でアズチェーナ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)を演じて話題になったようです(あのころはまだ金欠学生だったからなあ……金欠はいまも変わらないけど^^;)。

とは言え後輩のボロディナなどに較べるとまだ国際的な活躍は少ないですし、アリア集などを出している訳でもないので、知名度が高い歌手とは言えないかなと思います。彼女ぐらい実力があれば、今だったらライヴ・ヴューイングに出演したりして話題になっただろうという気がします。美人とは言いませんが、独特の中性的な顔つきで舞台上での存在感もありますし。

名前の日本語表記の安定しないオペラ歌手と言えば以前ご紹介した土国のプリマ・ドンナ、ゲンジェルが代表選手ですが、このジャチコーヴァも負けず劣らずで、見る資料見る資料名前が違うんじゃないの?と思うくらいです^^;困ったことに彼女の出演する録音を数多く出しているPHILIPSの日本盤でも音源によって表記がまちまちで、混乱に拍車をかけています。英語の綴りを見ると確かに「ディアドコーヴァ」に読めてしまうのですが、露語の標記的には「ジャチコーヴァ」と読むのが一番よいように思います。

<ここがすごい!>
露国のメゾはいい人がたくさんいて、このシリーズでもこれまでにアルヒーポヴァ、オブラスツォヴァ、それにドマシェンコをご紹介してきました。それぞれ個性のある声の人たちではありますが、いずれも重厚で深みのある、ちょっとアクを感じさせる響きの声でした。それがざっくり言えばアルヒーポヴァなら土臭さに、オブラスツォヴァなら迫力に、ドマシェンコなら色気に繋がっていた訳です。
ジャチコーヴァもまた深くて豊かな響きの声です。アルトと言ってもいいでしょう。しかし、彼女の声にはアクをそれほど感じません。むしろすっきりとした、クリアな響きにこそ魅力があるということができるように思います。水の澄んだ、しかし底が見えないぐらい深い淵のような、透明感のある真っ直ぐな深さ、とでもいいましょうか。そしてその声質のまま低い方からかなりの高い音までスカッと声を飛ばすことができます。広い音域を均質な美しい響きで鳴らすことができる、というのは基本的なことのように思われますが、実現するのは難しいことで、その点からだけでも彼女の実力の高さが窺えます。

そういった響きの声だからでしょう。彼女のレパートリーを見てみると確かに露ものらしいものなのですが、露もののメゾと言ってぱっと思いつくような情念の塊をどろどろと描くようなものとはちょっと傾向が違います。その適性がよく発揮されているのは、特にラトミール(М.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』) やニェジャータ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『サトコ』)といったズボン役だと思います。寡聞にして未だ鑑賞していないのですが、『ボリス・ゴドゥノフ』(М.П.ムソルグスキー)の映像で、後輩のボロディナが貴族の娘マリーナを演じているのに対し、彼女が皇太子フョードルとして共演しているものがあることなどは、ひとつ象徴的な例だということができるかもしれません。端正で凛々しい、若い騎士を思わせるような声と、スタイリッシュでべたべたし過ぎないきりっとした歌い口。そう考えて改めて聴いてみると、演目こそ全く違えど例えばホーンやラーモアのような男役で定評のあるメゾたちとどこか似た印象を受けるように思います。個人的にはヴァーニャ(М.И.グリンカ『イヴァン・スサーニン』) は最高なんじゃないかと思うのですが、残念ながら録音はないようです。

ただ、だからと言って女の情念みたいなものを歌いあげるのは苦手かと言えばそんなことはないのが、彼女の凄いところでもあります。お国もので行くならば、マイナーながらカシチェヴナ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『不死身のカシェイ』)では色気のあるエキゾチックな歌が印象に残ります。変にべたべたした表現にしていないことで、むしろ若い女性の活き活きとしたキャラクターが感じられるのです。そして――実はこれこそが彼女の代表盤になるかもしれませんが――、パッパーノ盤でのアズチェーナ!(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)ここではいつもながらのクリアで音域の広さを感じさせるスッキリとした声でありながらも、伊的なパッションと迫力を感じさせて演奏に彩りを添えています。この演奏そのものが現代的でフレッシュなものだからこそ彼女が活きているということは言えると思いますが、これはこれで見事なもの。この演奏での世界観を維持しつつ、真の主役が誰なのかをわからせて呉れるパフォーマンスになっており、彼女の知的なセンスを感じさせます。

<ここは微妙かも(^^;>
声もよし、歌もよし、舞台センスもあるとどの録音を聴いても悪いところのおよそない人なんで、微妙どころを述べるのも難しいです^^;
ただ、常に平均以上のパフォーマンスをしてくれるし非常によく頭を使った歌唱をしている一方で、ものすごく強烈な個性を押しだしたり熱狂的な表現をするタイプではないので、人によるとちょっと醒めた印象と言うか、優等生的だなあと思われる方もいるかもしれません。上述のとおり、それこそが彼女の持ち味でもあるので、如何ともしがたいところではありますが。

<オススメ録音♪>
・ラトミール(М.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』)
ゲルギエフ指揮/オグノヴィエンコ、ネトレプコ、ベズズベンコフ、ゴルチャコーヴァ、プルージュニコフ、キット共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団/1995年録音
>超名盤。彼女の録音で印象的なものを1つ選べと言われたら、僕はこれかなと思います。ゲルギエフの指揮も、ネトレプコやオグノヴィエンコといった共演も非常に優れていますし、彼女の美質もとてもよく出た演奏です。硬質ですっきりとした、しかし響きの豊かな美声は、リュドミラを救いに向かう騎士の1人に相応しい凛々しい印象です。特に1幕フィナーレのアンサンブルでの勢いのある歌いぶりはお見事。もちろん3幕の大きなアリアでのロマンティックな歌い口も素晴らしいです。この役かなり出番が多いのですが、全曲に亘ってしっかりとした存在感を感じさせる歌唱で、もしこれでルスランがしょぼい人だったらどっちが主役だかわからなくなりそうなくらいです笑。実際にはオグノヴィエンコが、往年のペトロフやネステレンコに負けない充実した歌唱なので、当初はルスランと対立し、やがて友情を育む頼りになる友人としての、説得力のある人物像を築き上げています。

・リュボフィ(П.И.チャイコフスキー『マゼッパ』)
ゲルギエフ指揮/プチーリン、アレクサーシキン、ロスクトーヴァ、ルツィウク共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー・オペラ管弦楽団&合唱団/1996年録音
>こちらもまた超名盤。特にプチーリン、アレクサーシキン、そしてジャチコーヴァのヴェテラン3人のうまさが光ります。彼女はこの録音の他にレイフェルクスやコチェルガと共演した父ヤルヴィ指揮の音盤でもこの役を演じており、エキスパートの感があります。派手な出番がある訳ではありませんが、脇役以上の存在感を与えているのは彼女の技量でしょう。彼女の声の響きが、ここでは年配の女性らしい落ち着いた雰囲気を伴っていてしっくりくる一方、娘を奪われ夫を殺される悲劇の人物としての感情の動きも、動的にしっかり描いていて素晴らしいです。

・カシェヴナ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『不死身のカシェイ』)
ゲルギエフ指揮/プルージュニコフ、シャグチ、ゲルガロフ、モロゾフ共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団/1999年録音
>リムスキー=コルサコフの小さいながらも興味深い作品をゲルギエフが素晴らしい手腕で仕上げた名盤です。歌唱陣も平均点の高い出来ですが、とりわけ題名役のプルージュニコフと彼女のカシェヴナが出色です。この役は、当初は父の命でいつものとおりに殺そうとした王子に惚れてしまい、しかし王子には拒絶され……とオペラ的なオイシさてんこ盛りな影の主役であり、要役としての難しさもありますが、抜群の表現力で思わず感情移入して聴いてしまいます。他の露国のメゾだったら物凄く濃い歌唱と演技で味付けをしていきそうな役柄なのですが、ジャチコーヴァの表現は上述のとおりむしろもっとクールに感じられるもので、最初に登場したときの殺人を厭わない魔王の冷酷な娘という雰囲気がとてもリアル。もちろんその先ほだされて行く部分もいいですし、アリアでのエキゾチックな香りも秀逸です。彼女の藝の広さを感じとることができる演奏と言えるでしょう。

・ニェジャータ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『サトコ』)
ゲルギエフ指揮/ガルージン、ツィディポヴァ、タラソヴァ、アレクサーシキン、ミンジルキーイェフ、グレゴリヤン、ゲルガロフ、プチーリン共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー・オペラ管弦楽団&合唱団/1994年録音
>露的熱狂と言うところで行くともうひとつふたつな感はあるのですが(ゲルギエフの指揮とガルージンでしょうね問題は)、この作品を知るのに悪くはないものと思います。この役も露節の炸裂したゴロヴァーノフの強烈な録音では、アントノーヴァがまた土臭さ満点の民謡節で演じていた印象が強いのですが、ジャチコーヴァはここでもまた彼女らしいえぐみの少ない表現で、別の魅力を引き出しているように思います。もちろんどちらがいいという訳ではなく、アントノーヴァが持っていた露的で異様な熱気が少ない代わりに、与えられた旋律本来の美しさをストレートに引き出していると言えるのではないかと。或意味でロマンティックな吟遊詩人の風情をジャチコーヴァの方に感じる人も多いかもしれないと思います。彼女が得意とするズボン役ですし、おススメできます。

・アズチェーナ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)
パッパーノ指揮/アラーニャ、ゲオルギウ、ハンプソン、ダルカンジェロ共演/LSO&ロンドン・ヴォイセズ/2001年録音
>これは異色の名盤と言っていいと思います。この演目が長い上演の歴史で培ってきたような、重厚で力感溢れる伊的熱狂の粋をつくした味付けの濃ゆい演奏から一旦離れて、現代的で引き締まったフレッシュな魅力を再構築したパフォーマンスです。まずは偏にパッパーノの力だと思いますし、一見ミス・キャストに思えるゲオルギウ、ハンプソン、ダルカンジェロの3人がそれぞれ脂身の少ない声と歌唱で、ユニークなうまみを引き出しています。とはいえそれだけだとドライで味気なくなってしまいそうなところに、全体をぶち壊さない範囲で効果的に伊国の風を吹き込んでいるのが、アラーニャと(惜しいことに彼はアプローチとしては凄く納得いくのですが、彼の声の美質が活きていなくて残念)、そして意外にもジャチコーヴァなのです。ここでの彼女はいつものように透明感のある艶やかな美声を巧みに使いながら、熱気の感じられる歌唱を繰り広げています。高音も気分よく抜けますし、低音のドスも凄まじい。でも、単なる迫力押しではないのです。むしろ歌唱スタイルそのものから行けばゲオルギウたちと同じような現代的でさっぱりとした感じですらありながらも、伊ものらしいトロッとしたアツさを強く感じさせるという点で、彼女が一番ユニークかもしれません。こんなアズチェーナもあるのか、と思わせられること請け合いです。
オペラなひと | コメント:2 | トラックバック:0 |

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百一夜/私の名はミレッラ~

さて3桁の大台に乗った訳ですが、このコーナーの名前的にはあと900夜(!)お送りしなくてはいけないということで、むしろこれからまだまだ、頑張っていきたいと思います笑。
今回は、先の100回でなんで登場していないんだ!とやきもきされていた方もおそらく多いであろう(ほんとか?)名ソプラノ。共演者のところにも何度も名前が挙がってますね^^;

Freni.jpg


ミレッラ・フレーニ
(ミレルラ・フレーニ)

(Mirella Freni)
1935~
Soprano
Italy

押しも押されもせぬ伊ものの重鎮。
レパートリーの幅は広く、モーツァルトからプッチーニに至るまでの伊ものから仏もの、果てはタチヤーナ(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)、リーザ(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)といった露ものに至るまで。もちろん様々な意見がありますが、どのジャンルでも一定以上の評価を得ています。20世紀を代表するマルチな歌手と言っていいでしょう。

とりわけ多くの評価を得ていたのが娘役。彼女の後年のドラマティックなレパートリーに懐疑的な人であっても、ミミ(G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)やミカエラ(G.ビゼー『カルメン』)での彼女の素晴らしさは衆目一致するところではないかと思います。いくつになっても若々しい娘が演じられる声と歌、そして容貌をキープしていたことは注目に値します(必ずしも美人ではないんですが、「娘」に見えるんですよね笑)。

パヴァロッティとは同い年、同じモデナ出身と言うばかりでなく、どちらのお母さんも同じ煙草工場に勤めていたということで同じ乳母に育てられたとか。どちらも長じて20世紀のオペラを語るのに欠かせないスーパースターになってしまったのだから凄い話です。米国のアカペラ・グループPENTATONIXもスコット、ミッチ、カースティーが同じ田舎の高校出身と言いますが、才能がひとっところに集まる奇跡というのがこうしてときどきあるようです。
加えて、夫君は我らがニコライ・ギャウロフ!彼もまた20世紀最大のバスの1人な訳です。『ラ=ボエーム』(G.プッチーニ)、『グリエルモ・テル』(G.ロッシーニ)、それに『メフィスト―フェレ』(A.ボーイト)などでは3人共演していますが、なんというか狭い世界と言いますか(笑)いずれも名盤です。

<ここがすごい!>
彼女の凄さをひとことで言ってしまうなら、歌がうまい、それもべらぼうにうまい、都この言葉に尽きます。古今東西さまざまな歌手がいても、みんなオペラ歌手なんだから歌がうまいのは当たり前っちゃ当り前なのですが、それにしたって殊に歌のうまさと言う点で彼女を凌ぐ人と言うのは、私には思い当たりません。
私がここで想定している歌のうまさというのは、単純に技巧的に優れているとか劇的な表現力が秀でているとかという部分とイコールではありません。巧く言えないのですが、彼女には、役柄に適した表現で音楽的に歌う傑出したセンスがあるように感じます。言い方を変えると、異なる作曲家の作品の持ち味をきっちり引き出しながら、尚且つ彼女らしい色合いを添えることができる点が凄いんです。例えば伊ものの有名作曲家に限ってもみんな同じようには歌えないと思うのですが、用の東西を問わず相当有名な歌手でもそのあたりの区別なく同じように歌ってしまっていて、スタイルのずれを感じさせる人は意外と多いんですよね。逆に、そこをこなせちゃう人は没個性な歌になってしまったりしてなかなか難しい^^;それをちょっと考えられないようなハイレベルで実現しているのが、フレーニだと思うのです。
また、技巧面で行けば彼女の後輩に当たる今のベル・カントを歌いこなす現代の歌手には及ばないと思いますし、劇的な表現力で行けば逆に彼女の先輩筋の所謂「黄金時代」の歌手の爆発的な力には敵わないでしょう。しかし、いずれもそういった驚異的なレベルでこそないものの、充分に水準以上のレベルで満足させてしまうだけの器用さを持っているのもまた彼女の凄まじいところです。個々の歌の要素でより優れた人はいるだろうけれども平均点の高さというところで、彼女ほど卓越した歌手は殆どいないと言っていいでしょう。
そういった彼女の特質を考えて行くと、彼女のレパートリーの広さはごくごく自然なものと思えてきます。伊ものだけで見てもモーツァルト、ロッシーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、ボーイト、プッチーニを全てスタジオ録音で遺していて、いずれに於いても見事な歌唱を聴かせているなんて言うひとはまずいない訳ですが、それができてしまうのは、偏に彼女の歌のうまさに拠るのかなと。

どんなものでもうまく歌えてしまう彼女ではありますが、役柄として彼女の声質や持ち味が発揮されるのは、やはり上述のとおり娘役でしょう。
とりわけ「ミミはやっぱりフレーニ!」と思ってらっしゃる方は少なくないのではないかと^^彼女のディスコグラフィーを見れば一目瞭然、彼女がミミのエキスパートとして如何に信頼と尊敬とを集めていたかよくわかります。ミミは有名で人気もある役柄でもありますが、意外と人を選ぶところがあって、プッチーニの濃厚な音楽に合うようなこってりした歌唱をと思うと大物になり過ぎて少女らしい可憐さが出ませんし(個人的にテバルディの新盤が歌の素晴らしさに対してベストにできない理由。むしろ彼女は旧盤の方が魅力的)、娘らしさに重心が行きすぎると軽くなり過ぎてしまいます。彼女はその声が絶妙で、重さは充分ながらも可愛らしい響き。尚且つその表現もこってりとしたところもしっかりと感じさせながら立派にはなり過ぎず、等身大の人物像を創りあげている点がやはり非常に素晴らしいと思います。
また、彼女自身最も思い入れを持って歌っていた役として知られているのはミカエラです。この役でデビューしたというのみならず自分の娘に「ミカエラ」とつけるぐらい気に入っていたというのも有名な話です。こちらは仏ものですから、ミミに較べるとうんと軽やかでスッとしたソプラノでも充分な役柄ですし、その範疇で素晴らしい歌唱を遺している人もいます。しかしフレーニはその声の豊かな響きを駆使して、よりたっぷりとした表現でミカエラを作っています。これがまた仏流の鼻筋の通ったすらりとした歌唱とはまた違う、よりグラマーで密度の濃い魅力があります。このあたり他の仏もののヒロイン、例えばジュリエット(C.F.グノー『ロメオとジュリエット』)やミレイユ(同『ミレイユ』)といった役でも同じように、本場仏国の人たちとはまた違った側面に光を与えています。

フレーニが歌っているというだけで少なくとも音楽的な魅力には太鼓判を押せる、そういう歌手だと言っても過言ではないと思います。

<ここは微妙かも(^^;>
どの音源を聴いても、しっかりと中身の詰まったリッチな声と平均点の極めて高い歌唱を楽しむことができるという点では、本当に彼女は優れています。ただ、時としてその高水準の歌唱とは裏腹に、いまひとつ感興を呼ばない音源があるのもまた事実です。これは本当になんでだろうなあと思うのですが、よくベルゴンツィに対してなされるような、「優等生的」と言うことばが的を射ているのかもしれません。そういった音源は、彼女は歌がうまいので聴けるものになってはいるものの、彼女の個性には合っていないのでしょう。

<オススメ録音♪>
・ミミ (G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)
フォン=カラヤン指揮/パヴァロッティ、パネライ、ギャウロフ、ハーウッド、マッフェオ、セネシャル共演/BPO&ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団/1972年録音
>この役については、ライヴやアリア集を含めるとかなりの回数入れていると思いますが、敢えてひとつ選ぶならやはりこれかなあと思います。役者の揃った理想的なキャスティングですし(勘違いおばさんにしか聞こえないハーウッドを除けば)、フォン=カラヤンのシンフォニックなアプローチもこの作品では成功していると思います。ここでのフレーニは、彼女のミミの中では比較的ヴェテランになってからのもの。もっと若々しい歌声を聴けるものは他にある訳ですが、円熟した歌を、彼女の藝の完成形を楽しむことができるという点でこの録音を推します。娘らしい可愛らしさを感じさせる声質という長所はもちろんなのですが、それすら飛び越えて、フレーズ一つひとつが、ことばの面でも歌の面でも彼女に染みついていると言いますか、もうあまりにも自然にミミその人であると言いますか。これを聴かずしてこの作品は語れないと思います。

・ミカエラ(G.ビゼー『カルメン』)
フリューベック・デ=ブルゴス指揮/バンブリー、ヴィッカーズ、パスカリス共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団、パリ木の十字架合唱団/1969-1970年録音
>世評は兎も角個人的にはお気に入りの録音です。フリューベック・デ=ブルゴスが作る音楽は華やか且つ色彩的で、仏ものとしての『カルメン』というよりは西国の空気を感じさせるもの。等身大の気分のいいカルメンを演ずるバンブリーはじめ、共演にも恵まれています。彼女はこの役もいくつか録音していますが、ここでの歌唱がベスト。この役の純真さと愛らしさをここまで表現しているのは本当に凄いと思います。恥ずかしながら私自身は、ここでの彼女の歌を聴くまでこの役に余りが興味が持てなかったのですが、これを聴いて衝撃を受け、思わずアリアを何度も聴き返してしまいました^^;それぐらい印象に残っています。単にフレーニのミカエラとしてお見事と言うだけではなく、全てのミカエラのパフォーマンスの中でも傑出したものと言えると思います。

・アディーナ(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)
モリナーリ=プラデッリ指揮/ゲッダ、セレーニ、カペッキ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1966年録音
>彼女の代表的なレパートリーではないのですが、役柄が彼女の個性にあっていて見事な歌唱を披露しているのがこちら。単純にかわいらしいと言うだけではなく、良家の若いお嬢さんらしいちょっとした自惚れを感じさせるあたり流石です。フレーニ自身の頭の良さも相俟ってだと思いますが、この役に欲しい知的な魅力もしっかりと盛り込まれています。悲劇での活躍の多い人ではありますが、なかなかのコメディエンヌぶり^^コロラテューラを一番の武器にした人ではないにも拘らず、よくカットされるカバレッタでも達者な歌いぶりを披露しており、意外と難しいこのアリアのベストのひとつと言える歌唱です。こってりとした声と表現の路線によるアディーナとしてはカルテリと東西の横綱でしょう。モリナーリ=プラデッリの安定のマンネリズムの指揮(こういう作品ではこれが心地いい!)の元に集まった男声陣は必ずしもドニゼッティで活躍した人たちばかりではありませんが、3人とも素晴らしい名唱!個人的には本作の決定盤の1つと思います。

・ジュリエット(C.F.グノー『ロメオとジュリエット』)
ロンバール指揮/コレッリ、ドゥプラ、グイ、カレ、ルブラン、ヴィルマ、トー共演/仏国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1968年録音
>本場仏流のエレガントで柔らかな歌唱を持ち味とするメンバーに、主役2人だけ伊ものの大歌手を突っ込んだ演奏で、ちょっと不安を感じながら聴き始めたのですが、かなり楽しめる内容です!有名なワルツのところなどほんの少し転がしにたどたどしさを覚えなくはないのですが、しっかりと身の詰まったフレッシュな美声を駆使して好演しています。流石は娘役のフレーニといったところで、スウェンソンやヴァドヴァといった人たちと較べるとかなり重心の低い声ながら、溌溂とした少女像を創りあげています。また、声が重たい分役柄にドラマティックな魅力を添えているのもユニークです。折角彼女を起用したのなら毒のアリアも復活すればよかったのに!と思わざるを得ない充実した演奏です。ロンバールの仏ものをよくわかった音楽とドゥプラやルブランといった仏勢の洗練された歌唱が見事なのはもちろんのこと、一見ミスキャストに思えるコレッリが彼らしい力強さで独特の魅力のあるロメオを演じていてこちらも素晴らしいです。

・ミレイユ(C.F.グノー『ミレイユ』)
プラッソン指揮/ヴァンゾ、ファン=ダム、ロード、バキエ共演/トゥールーズ・カピトール管弦楽団&合唱団/1979年録音
>なんどかこのblogで述べてきたとおり、『ファウスト』や『ロミ&ジュリ』の陰に隠れていますが『ミレイユ』は数々の美しい音楽に彩られたグノーの傑作のひとつです。素朴な田舎の娘の役ですから、やっぱり彼女にはよく似合っています。上述のジュリエットに較べると更に声が重くなってからの録音と言うこともあり、こちらでは若干周りの仏勢から浮いてしまっている感じはあるのですが、それでもしっかりとした美声と確かな歌心によって入念に練り込まれた歌唱の魅力は捨てがたいです。ヴァンゾはじめ共演にも恵まれていますし、プラッソンの指揮も総じて勘所をよく押さえたもの。

・マルゲリータ(C.F.グノー『ファウスト』)2016.2.5追記
プレートル指揮/G.ライモンディ、ギャウロフ、マッサール、アルヴァ、ディ=スタジオ、ジャコモッティ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1967年録音
>これは素晴らしい録音です。フレーニは後年ギャウロフと共に、プレートルの指揮でこの作品のスタジオ録音に臨んでおり、そちらでも彼女らしい完成度の高い歌唱を遺していますが、個人的にはこのライヴの方が更に乗った歌唱を聴くことができるように思います。彼女は比較的声をキープしていた歌手ですが、それでもやはりこちらの方がより若々しく目の詰まった厚みを感じさせる声に思われます(ライヴ録音の音であることを踏まえても、です)。もちろんそれで重すぎてしまうことはなく、いつもながらころころとした可愛らしさがあり、有名な宝石の歌などを聴いているとうっとりさせられます。教会の場でのギャウロフとの絡みもドラマティックで引き込まれますし、終幕の昇天の場面も神々しい。共演も伊的ではあるものの名手が揃ってお見事ですが、特筆すべきはギャウロフ。圧巻の大悪魔です。

・ツェルリーナ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)
クレンペラー指揮/ギャウロフ、クラス、ベリー、ルートヴィヒ、ゲッダ、モンタルソロ、ワトソン共演/ニュー・フィルハーモニア交響楽団&合唱団/1966年録音
>不滅の名盤です。何と言っても若きギャウロフの圧倒的な歌唱と、クレンペラーのデモーニッシュな音楽が最高なのですが、フレーニはここでも娘役のだ第一人者らしいチャーミングな歌いぶりです。この役はミレイユのような純朴さもある一方、マゼットを手玉に取る機転の効いた賢しさはアディーナに通ずるところもある訳ですが、そのいずれの側面もきっちり出しています。当り前と言えば当たり前ですが、同じ娘役とは言ってもそれぞれに対して、これだけ的を射た表現を与えるあたりこの人は本当に凄いなと思います。”お手をどうぞ”はギャウロフの良さも相俟って秀逸ですし、後に夫婦になる2人の息の合ったアンサンブルをこうしてステレオで聴けるのは、なんだかとっても嬉しくなります^^

・アルマヴィーヴァ伯爵夫人(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
アバド指揮/プライ、ファン=ダム、マッツカート、ベルガンサ、モンタルソロ、ピッキ、リッチャルディ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1974年録音
>娘役で名を成した彼女がスザンナで定評があるのは尤もなところだとは思うのですが、彼女のリッチな声はむしろ伯爵夫人でこそ真価を発揮すると私は感じています。アリア集に入れたものもありますが、恐らく全曲ではこのライヴのみで、その圧倒的なパフォーマンスにため息が出ます。この時期の彼女の声ですから、モーツァルトの歌唱としてはかなり重たい部類に入るかと思いますが、それがただ無暗に重たいだけではなく、きちんと伯爵夫人の役柄としての重みにしっかり繋がっています。3幕のあの有名なアリアも、極めて集中力の高い絶唱。個人的には録音史上指折りの夫人ではないかと。対する伯爵のプライがまた最高!カヴァリエ・バリトンらしい品位と色気を感じさせ、しかも愛嬌があります。他の面々も優れていますが、もう一人あげるならマッツカートのスザンナが出色です。若きアバドの指揮はやりたいことはわかるものの、まだ完成できていない印象なのが惜しい。

・マティルデ(G.ロッシーニ『グリエルモ・テル(ウィリアム・テル)』)
シャイー指揮/ミルンズ、パヴァロッティ、ギャウロフ、コンネル、D.ジョーンズ、トムリンソン、マッツォーリ、デ=パルマ共演/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団&アンブロジアン歌劇合唱団/1978-1979年録音
>不滅の名盤。彼女にしては珍しいロッシーニの録音を、ステレオで聴けるのは大変嬉しい。この作品はロッシーニとは言え華麗な装飾技巧で聴かせる演目ではなく、むしろもっとうんと先の時代を予見する率直でドラマティックな音楽が魅力の代物(余談ながら本当にロッシーニは天才だと思う)ですので、フレーニの声と歌が非常に活きるのは得心するところではあります。それでも転がしが必要な部分は2つ目のアリアでは顕著にあったりする訳ですが、これぐらいならものともしないのもまた彼女の凄いところですね笑。そちらのアリアもドラマティックな魅力がありますし、有名な最初のアリアはハプスブルクの女らしい気高さや崇高さすら感じさせる貫禄の名唱。とは言え一番見事なのは2幕でのパヴァロッティとの2重唱なんじゃないかと言う気がします。2人とも脂の乗り切ったうまみのある声とのびやかな歌い口が最高。そのあとのパヴァ、ミルンズ、ギャウロフの3重唱も圧倒的な演奏で、ベルリオーズをして「(ロッシーニではなく)神が作った」と言わしめたこの2幕の素晴らしさを十二分に堪能できます。
オペラ・ファン必聴です!

・ヴィオレッタ・ヴァレリー(G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)
ガルデッリ指揮/ボニゾッリ、ブルスカンティーニ共演/シュターツカペレ・ベルリン&ベルリン国立歌劇場合唱団/1973年録音
>必ずしも彼女に向いた役柄でもないようには思うのですが、ここでの歌い口の見事さにはぐうの音も出ません。かつてスカラ座で盛大なブーを喰らったという事件もあったそうですが、この音源に触れると聴衆は何を聴いていたんだろうかと悩んでしまいます。彼女らしいたっぷりとした美声による充実した歌の素晴らしさは、幕が進むに連れてその真価を発揮していきます。終幕での集中力の高い歌は本当に特筆すべきもので、聴き終わって暫し呆然とさせられます。一見するとミス・キャストのように思われるボニゾッリは、こんな歌もうたえたのかと思うぐらい爽やかでスッキリとした味わいが◎老ブルスカンティーニの口跡や演技の巧みさもお見事。ガルデッリはツボを押さえた仕事ぶりがたまりません。

・アメーリア・グリマルディ (G.F.F.ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』)
アバド指揮/カプッチッリ、ギャウロフ、カレーラス、ファン=ダム共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1976年録音
>不滅の名盤。彼女のヴェルディの仕事の中でも最も評価されているものでしょう。この渋い男たちの対決に於いて、平和の象徴であるこの役の持っている重みを充分に表現しながら、若い娘のかわいらしい純真さをも感じさせる彼女の歌唱は、やはり録音史上最高のアメーリアと言うのに相応しいものです。アバドの名采配もあって登場アリアの戀する娘の胸の高鳴りは強く印象に残りますし、1幕フィナーレで平和を訴える歌にもただならぬ説得力があります。シモンとの再会の場面はカプッチッリの名唱もあって、感動を禁じ得ません。当然ながらギャウロフ以下他のキャストも見事で、これ以上は考えられない最高の音盤です。

・レオノーラ・ディ=ヴァルガス(G.F.F.ヴェルディ『運命の力』)
ムーティ指揮/ドミンゴ、ザンカナロ、プリシュカ、ザージック、ブルスカンティーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1986年録音
>フレーニの名唱が軸になっている音源です。今回ご紹介している音源の中で、彼女のキャリア的には最も遅くになってからの録音ですが、想像以上に豊かな声にまずは圧倒されます。高音にもキツさはなく、むしろドラマティックな部分に関して言うのであれば、年齢を経ることによってより深みを増しているように感じます。彼女にとってはベストの時に録音されたとも言えるかもしれません。この役は本当に難しくて、なかなか満足いく歌唱に巡り合えないのですが、テバルディと並びうる唯一の録音でしょう。ムーティのきびきびとした音楽は魅力的だし、脇役陣も聴き応え十分ですが、ドミンゴとザンカナロにいまひとつ熱気がないのが残念です。

・エリザベッタ・ディ=ヴァロア(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
アバド指揮/カレーラス、ギャウロフ、カプッチッリ、オブラスツォヴァ、ネステレンコ、ローニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1977年録音
>これもまた不滅の名盤。私自身は、ミミやアメーリアと同じくこの役も最初はフレーニの歌唱から入ったのですが、恥を忍んでいうと最初のころはこの役そのものの素晴らしさもここでのフレーニの凄さもよくわかっておりませんでした。けれど色々な音源を聴いて改めて彼女の歌唱に戻ってくると、しみじみとその凄まじい表現力に打たれます。「ああ、これだ。これぞエリザベッタだ」と心を動かされるのは、フレーニなのです。あの厄介な、それでいて音楽としてもドラマとしても極めて魅力的な4幕のアリアをむしろ余裕を持って歌いこなし、エリザベッタの葛藤の哀しみを重厚な表現で感じさせるとともに、彼女が若い女性であることもきっちりと描き出すその手腕には頭が下がります。彼女のエリザベッタとして優れた録音はこれ以外にもフォン=カラヤンとの有名なスタジオや同じく彼の指揮によるライヴなどいろいろありますが、総合的にはこれが気に入っています。

・デズデモナ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』)
C.クライバー指揮/ドミンゴ、カプッチッリ、チャンネッラ、ローニ、ラッファンティ、ジョーリ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1976年録音
>そしてこれも不滅の名盤(笑)彼女が出ている録音は、やはり極めて質の高いものが多いということなんでしょう。先ほどのエリザベッタに続き、お恥ずかしい限りですがデズデモナもまた私にとっては猫に小判だった時期の長い役でした(そもそも『オテロ』の価値がわかるまでにもかなりかかっていたという話も;;;)。『オテロ』そのものが傑出した作品であることがわかってきてからも、柳の歌とアヴェ・マリアの場面では退屈してしまうことが多かったのですが、その意識を変えるきっかけになったのがここでの彼女の歌唱。これを聴いて初めて「ああ、柳の歌とアヴェ・マリアが続けて歌われることには物凄い意味があったんだなあ」と衝撃を受けたことは今以て忘れられません。彼女の声に対してはかなり重い役だと思うのですが、そんなビハインドを一切感じさせない卓越した歌唱のセンスと緊密な集中力は圧巻です。また、その声からここでもまたデズデモナの若さをにじませているのは心憎いばかり。だからこそのこの役は純潔なんだ、と。弱音の表現の美しさは最早清浄ですらあります。ここに絡むドミンゴの苦悩と葛藤のオテロ、そしてカプッチッリの恐ろしいまでの悪の力、それぞれに最高のパフォーマンスを聴かせる脇役陣にそれらすべてを纏め上げるクライバーの熱狂的な音楽!
ああ、これぞオペラであります。
オペラなひと | コメント:2 | トラックバック:0 |
| ホーム |次のページ>>