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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿三夜/朗らかな等身大のヒロイン〜

意図せずシュライアーの記事が挟まりましたが、暫く男声ばかりだったので少し女声を続けようと思っています。
今回の主役も、その実力に反して何故かいまや忘れられつつある名歌手です。

JaneRhodes.jpgHélène

ジャヌ・ロード
(ジャーヌ・ロード、ジェーン・ローズ)

(Jane Rhodes)
1929〜2011
Mezzo Soprano
France

彼女もまた名前の表記が安定しません……厄介なことにニュージーランドのバリトンTeddy Tahu Rhodesは、同じ綴りでテディ=タフ・ローズと読むので、彼女もまたその流れで「ローズ」と読みたくなってしまうのもわからなくはありません。が、パリ生まれの彼女のことを、わざわざ英語読みで呼ぶ道理はありませんから、「ロード」とここでは表記します。

この世代の仏ものを得意とするメゾとしては、やや歳上のリタ・ゴールと双璧と言ってよいと思います。いずれも柔らくて深みのある低い方に豊かな響きが魅力です。しかしながらゴールが完全にメゾとしてキャリアを全うしたのに対し、ロードは例えばトスカ(G.プッチーニ『トスカ』)などソプラノの役にも挑戦していることからもわかる通り、彼女たちの持ち味は全く同じ方向性というわけではありません(まあ当たり前ではありますが笑)。より暗く重みのあるゴールはヴェルディやヴァーグナーをレパートリーに入れている一方で、明るくて小回りが効くロードはオッフェンバックや現代ものを遺しています。とりわけオッフェンバックについては、特出しでアリア集にしているぐらいですからロード自身にとっても大事な作曲家だったのでしょう。ただ、彼女の得意としたジャンルこそが彼女を忘れられた人にしてしまったのかもしれません。20世紀の一時期のオペラはモーツァルトを除くと、ヴェルディやヴァーグナー、プッチーニ、R.シュトラウスあたりの重厚な作品が重要視され、仏もので演奏されるのは限られた演目(オッフェンバックは『ホフマン物語』に尽きる)になってしまっていた感があります。加えてレコードの録音時間の制約とマーケティングの関係か当時の仏国では非常にハイライト盤が多く、しかもこれがCDにあまりなっていません(これらが全曲盤になっていたらと思うと大変残念なことです)。私が彼女の名前を最初に知ったのは2005年ごろだったかと思いますが、その頃は殆どデルヴォー指揮の『イスの王』(V.A.E.ラロ)ぐらいでしか彼女を聴くことはできなかったように記憶しています(そこでのマルガレートの素晴らしかったこと!)。そんな訳でロードのことを知っているのは仏ものに関心があって集めている人か、レコードも蒐集している方に限られていた時期があるといっていいでしょう。

しかし、21世紀も20年目に入って状況は徐々に変わってきています。オッフェンバックの作品はミンコフスキやペリー、ブロンといった人々の活躍によって息を吹き返しつつあります。J.F.アレヴィの『ユダヤの女』やC.L.A.トマ『アムレート』、J.マイヤベーアの『悪魔のロベール』、そして隠れた大オペラ作曲家であるJ.E.F.マスネーの作品も、パリのみならずヴィーンやMET、ロンドンなど大きな劇場で取り上げられることで再発見され、しかもそれらの映像が手に入るようになってきています。CD化の進まなかった仏国のハイライト盤はmp3で手に入るようになってきました。こうした流れの中で、20世紀の仏ものを支えた名手の或る種の古典として、今一度ロードが脚光を浴びる日を願ってやみません。中でもアリア集を含めると3度も残しているエレーヌ(J.オッフェンバック『美しきエレーヌ』)や、残念ながらハイライトですが知る限り最高の演奏と信じて疑わないカルメン(G.ビゼー『カルメン』)は彼女の遺した大きな業績としてもっと光の当たって欲しいものです。

<ここがすごい!>
アルトがあまり活躍することのないオペラにおいてメゾ・ソプラノは、単に役柄の問題だけではなくソプラノと対抗する存在です。このジャンルで彼女たちに与えられた役柄は音が高いことも多く、男声とは違ってどちらかと言えば音域よりも音色によってその棲み分けがなされていると言っても過言ではないと思います。もちろん色々なタイプの声と役柄があるのは大事な前提として、輝かしく華やかでエキセントリックなソプラノに対し、メゾは一段落ち着いた柔らかで深みのある声を持ち味にしていると一般的には言うことは出来るでしょう(もちろん、コッソットやバルツァのようにきらびやかな切れ味を持ち味にする人もいますので、あくまで「一般的に」です)。こうした音色は独特の妖しさやわかりやすく言ってしまえば大人の色気を帯びていて耳に心地よい訳ですが、どうしても全体に暗めで重たい響きに聴こえてしまいがちです。そうした中で柔らかな深みと色気を感じさせる声ながら春の日のような明るさを兼ね備えた歌手が、今回の主役ジャヌ・ロードです。

声の朗らかな明るさは直感的にはより高い音のパートと相性が良さそうな気がしますし、実際そういうメゾにはソプラノのレパートリーを持っている人が少なからずいます。但しそれらの歌唱がいいかと言いますと……違うパートの人が頑張ってチャレンジしている印象以上のものになることはほとんどありません。先述の通りロードもソプラノの役柄も歌っていて、レナータ(С.С.プロコフィエフ『炎の天使』)や女(F.プーランク『人間の声』)、それにトスカ(G.プッチーニ『トスカ』)などは音源を手に入れることができます。いずれもはっきりと「メゾが歌っている」歌唱。ここまでですと単に健闘お疲れさまでしたという出来になりそうなのですが、ロードの歌唱はむしろ「メゾとして役を昇華した」と言うべき非常に完成度の高いものです。もちろん高音域で苦労している感じはあるのですが、それ以上に中低音での豊麗さとニュアンスに富んだ歌い口の絶妙さがたまりません。その人物がそこにいる感覚があるのです。これもまた個人的な経験ですが、彼女のレナータのCDを初めて見かけたとき、価格も高いし原語ではないしなあと躊躇しつつ視聴して、そのあまりの色気と説得力に打たれて一点購入を決めたことをよく覚えています(ここではルプレヒトを演じているドゥプラの彼女との相性がまたとびきりよかった!)。尋常ではない危険なオーラをまとう美女がありありと脳裏に浮かぶのです。これだけ声と言葉で表現できる人ですから、残念ながら映像で彼女を観たことはないのですが、演技も達者だったのだと推察します。

そうした彼女の良さーー声の明るさと言葉のニュアンスのセンスーーが活きる演目が、オペレッタであり現代音楽であったのでしょう。実際彼女が参加した決して多くはない全曲録音のうち2つはオッフェンバック、2つは現代物で、いずれも鮮烈な印象を残す名盤と言えるものです。カルメンの全曲やデリラ(C. サン=サーンス『サムソンとデリラ』)を遺して欲しくなかったかと言えば嘘にはなりますが、必ずしも一般に音源が豊富とは言えないこれらの演目を彼女が遺したのは幸運でもあり、また当時の人たちの見識でもあったのでしょう。あえて一つ、ロードの魅力を知る最善の役を選ぶのであれば(カルメンやマルガレートとかなり悩むものの)、やはりエレーヌを挙げたいです。希国神話の美女ヘレネーそのものならば楚々としたソプラノがイメージに合うのでしょうが、『美しきエレーヌ』はあくまでそれを下敷きにしたオッフェンバックの猥雑な笑いの世界。酸いも甘いも嚙み分けた空気を醸し出しながら、なおかつ賑やかで朗らかな女性をイメージできるロードの声は楽器としても最高ですし、オペレッタとしての言葉や歌での遊びのセンスの良さには脱帽させられます。

<ここは微妙かも(^^;>
上でも何度か述べていますが、高い方まで音そのものは楽に出している感じはするものの、ちょっと響きがきつく聴こえてしまう部分はあります。中低音が豊かなだけに高音で固く生っぽい声になってしまうのはどうしても目立ちがちです。また彼女の持ち味になっている深みのある美声を、薹が立っているように感じられる向きもあるようです(世論(J.オッフェンバック『地獄のオルフェ』)などを聴いているとそういう印象を持つ方がいらっしゃるのも良くわかりますが、個人的にはマイナスではないと思います)。

<オススメ録音♪>
・エレーヌ(J.オッフェンバック『美しきエレーヌ』)
ロンバール指揮/コラッツァ、マルタン、バスタン、トランポン、オーフォン、フリードマン、ギーグ、トリジュー、バルボー共演/ストラスブール交響楽団&ライン国立合唱団/1978年録音
ロザンタール指揮/プランテ、ジロドー、J.ドゥセ、ドミニ、フォルリ共演/パリ・オペラ・コミーク座歌劇場管弦楽団&合唱団/1966年録音
>ロード最大の当たり役のひとつ。最近でこそミンコフスキの指揮でロットが主演した映像をはじめ、カサロヴァやラーモアが主演した映像など入手できるものが増えてきましたが、それでもロンバール盤の持つ輝きは失われないでしょう。決して純情な箱入りお姫様ではなく、戀のアヴァンチュールを求めるマダムとして生々しく真実味があって、オッフェンバックの陽気で下世話な音楽にぴったりです。またこの作品は全体的に伊もの(特にヴェルディ)のパロディと思えるような部分がたくさんあるのですが(第2幕フィナーレなど)、彼女の声の重心の低さはこうした部分に迫力を与えつつ、他方でその音色の明るさは「これはパロディですよ」ということも示すという絶妙なバランスです。2つの録音の間には8年もの歳月があるものの、声でも歌でもそこまで優劣はないように感じています。ロンバール盤は終始絶好調のノリノリでアガメムノンを歌うバスタンや声に無駄な迫力があるのが笑えるメネラスのマルタンなど共演も強力。ロザンタール盤ではよりオペレッタらしいごちゃごちゃした空気があるのと、藝の幅の広いジロドーがメネラスで登場している点でポイント高いです。

・世論(J.オッフェンバック『地獄のオルフェ』)
プラッソン指揮/メスプレ、セネシャル、トランポン、ビュルル、ベルビエ、コマン、ラフォン、マラブレラ共演/トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団&合唱団/1978年録音
>オッフェンバックが本作のために書いた音楽が、最も多く収録されている録音だそうです。全体に質は高いのですが、プラッソンの指揮がちょっとまったりしてしまっており、スピード感がないのが惜しいところ。姦しい妻が死んだことで一息つくオルフェに凄まじい勢いで迫ってきて地獄に行けと駆り立てる世論の図々しさはどんな録音でも笑えるところですが、ロードのリッチな、しかし重たくならない声で歌われると、こけおどし的な迫力も相待ってお腹を抱えて笑えます(この場面なんて極めて現代的で、今こそ日本でリバイバルされてほしい作品です)。セネシャルの軽薄だけれども可愛げのあるオルフェとは好対照だと言えるでしょう。面白い役にも関わらず歌う部分が少ないのが残念なぐらい。共演では先述のセネシャルとともに、フットワークの軽いメスプレとあっと驚く裏声が飛び出すビュルルが絶品です。

・ジェロルスタン女大公殿下(J.オッフェンバック『ジェロルスタン女大公殿下』)
・ブロッテ(J.オッフェンバック『青髭』)
ベンツィ指揮/ボルドー・アキテーヌ管弦楽団&アキテーヌ声楽アンサンブル/1979年録音
>上述したオッフェンバックのアリア集より。ここでもエレーヌで見事な歌を披露していますが、折角なので他の役をご紹介しましょう。エキセントリックな女大公殿下のハマりっぷりは特筆したいです。まさに自家薬籠中という余裕綽々の歌で、楽譜に忠実すぎず離れすぎない品のあるお馬鹿っぷりを楽しむことができます。それこそセネシャルやバスタンと全曲録音をして欲しかったという気も。ブロッテでは女大公殿下と大きく歌い方を変えている訳ではないように思うのですが、その自由自在な歌い口で今度は野放図な田舎者感を引き出しているように聴こえ、ロードの言葉遣い・声色の巧みさを再認識させられます。

・マルガレート(V.A.E.ラロ『イスの王』)
デルヴォー指揮/ヴァンゾ、ギオー、マッサール、バスタン、トー共演/リリック放送管弦楽団&合唱団/1973年録音
>ラロのこの作品は決してメジャーではないにも拘わらず、クリュイタンス指揮ゴール主演の音盤とこの音盤という2大横綱が揃っているという嬉しい状況です。ゴールが歌うと鬱々と悩み恨む内面的な人物がキレてしまったような怖さがあるのですが、ロードの明るい声はそれよりももっと激情型で思いのままに突っ走る若い女性という印象を強くします。ある意味で素直にこの役を演じている感じで、等身大なリアリティがあるのはむしろこちらかもしれません。2幕冒頭のアリアのみずみずしさなどを思うと、演劇に寄りすぎず率直に彼女の歌の良さが楽しめるという点では、出演している全曲盤の中でも筆頭に挙げられそうです。共演も穴がありませんし、デルヴォーの指揮も流石は心得たもの。

・カルメン(G.ビゼー『カルメン』)
ベンツィ指揮/ランス、マッサール、ギオー、パニ、ブルデュー、プランティ、モリアン共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
>『カルメン』の名盤を1枚だけ選べと言われたら、僕は迷わずこれです。魔性の女の持つ色香を出そうとして、ついついべたっとした重たさや無駄な迫力が加わってしまいがちなこの役において、ごくさっぱりとした歌をうたいながら姐御肌を感じさせることにロードは成功していると思います。同じような路線でこの役を歌った人としてはベルガンサが挙げられますが、彼女よりも更に自然な歌い口と言えるでしょう。カルメンを決して異常人ではなく、健康的な魅力にあふれ、多くの人に好かれることで常に輪の中心にいる人物として描く説得力が彼女の歌には宿っています。これに対してジョゼのランスがやや病んだ感じで良いバランス(実は異常なのはカルメンよりもこの人だと思う)。マッサールやギオーはカラスとの共演盤の方が有名でしょうがこちらの方が完成度が高いと思います。その他カルメンの取り巻きたちは歌も上手ければ言葉も綺麗で文句なしです(5重唱の楽しいことと言ったら!!)。そしてロードの夫君ベンツィの華やかで色彩的で柔軟な指揮!仏流でありながら、舞台となった西国の朗らかな空気をも感じさせる名タクトです。

・ミニョン(G.ビゼー『カルメン』)
アルトマン指揮/ヴァンゾ、An.エスポージト、ルー共演/国立オペラ・コミーク座歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音
>意外と『ミニョン』は多国籍な演奏が多いので、ハイライト盤なのが非常に惜しい名演です。ミニョンは舞台女優フィリーヌの持つ輝くような華やかさこそないものの、そばにいることで感じられる奥ゆかしい可愛らしさが求められるといういささか厄介な要求のある役ですが、ロードの声には明るい若さが詰まっていて、しかも淑やかな響きで、この要求のズバリど真ん中に当たっていると思います。ヴィルヘルムへの無邪気な愛情を示すところや楽屋でのおふざけなどではある種のあどけなさすら感じますし、何と言ってもあの有名なアリアが素晴らしい歌唱!彼女のフレッシュな声の響きが、夢見がちな少女のうっとりとした歌にリアリティを与えています。共演ではのちの全曲よりも圧倒的に瑞々しい声のヴァンゾ、まろみのあるこってりした声ながら技巧もしっかり聴かせるエスポージトがいいです。ルーの優しい声も悪くはないのですが、この役にはもう少しはっきりバスの方が合うと思います。

・タヴォン(C.F.グノー『ミレイユ』)
プラッソン指揮/フレーニ、ヴァンゾ、ファン=ダム、バキエ共演/トゥールーズ・カピトール管弦楽団&合唱団/1979年録音
>彼女にしては珍しく老婆の役を演じています。そうなるとその声の朗らかさや若々しさはマイナスになりそうですが、いざ聴いてみると彼女らしい言葉や声色の巧みさがよく出ていて流石の完成度。アリアはこの牧歌的な悲劇の空気を緩ませる、穏やかで少々コミカルな歌唱。口跡からはちょっと意識的におばあさんぽく歌っているような感じがします。他方で決闘の場面の後でウリアスをなじる部分は非常にドラマティック。彼女がこんなくらい迫力を聴かせるとはびっくりしました。つくづく懐の広い人です。仏ものでの活躍の多かったメンバーの中でフレーニのみ1人異質ではありますが、流石は彼女のこと歌のうまさは圧倒的。総じてグノーの書いた優美な旋律を存分に楽しむことができる録音と思います。

・レナータ(С.С.プロコフィエフ『炎の天使』)
ブリュック指揮/ドゥプラ、フィネル、ジロードー、ヴェシエール共演/パリ・オペラ座管弦楽団&フランス放送協会合唱団/1957年録音
>現代ものの名演もご紹介。意外にも本作の世界初録音は露語歌唱のものではなく、仏語による本録音だそうです。冒頭すぐの第一声からロードの歌声には不安定な甘美さがあって、一気に引き込まれてしまいます。彼女に対峙するルプレヒトを演じるドゥプラがまたちょっと優柔不断な色気を感じさせる声と歌。これらの役は本来指定されたソプラノとバリトンが露語で歌うと非常に固く、ギシギシした響きを作り出し、演目全体のエキセントリックな印象を強くするのですが(例えばゴルチャコーヴァとレイフェルクスの名演などまさにその典型)、深く柔らかみのある声の響きと仏語歌唱であることが相まって、このコンビは実に、実にエロチック。3つの録音しか聴いていませんが、これ以上に妖しく人を魅了する演奏はちょっと想像できず、プロコフィエフの音楽の奇妙な耽美さを引き出しています。聴いているととても翻訳物のオペラを聴いているようには思えず、むしろ仏映画を観ているような気持ちになってくるのは、声や歌のキャラクターはもちろんのこと、彼らがともに卓越した演技センスを持っているからでしょう。フィネルやジロードー、ヴェシエールはそれぞれわずかな場面にしか出てこない脇役ですが、それぞれにインパクトの強い個性的な歌唱です。

・女(F.プーランク『人間の声』)
マルティ指揮/仏国立管弦楽団/1976年録音
>この作品について僕自身の理解がどこまで追いついてるんだという大きな問題はあるものの、その範疇では優れた演奏だと思います(^^;プーランクとともにこの作品を作り上げたデュヴァルは完全にソプラノでしたから、聴いているとごくごく若い女性が頭の中のスクリーンに浮かんでいたのですが、ロードぐらいしっかりしたメゾが歌うとイメージがガラッと変わってある程度年齢を累ねて分別のある女性が想起され、だからこそ男が彼女の許を去ってしまうことに差し迫った感情、ただならぬ執着が感じ取れるように思います。特に終盤、女が死を選ぶあたりはほとんど官能的ですらあるデュヴァルに対して、重たい感情に沈んでいくロードはゾクゾクするようなリアルさがあり、両者譲らぬ名演でしょう。レナータもそうでしたがこうした現代劇的な作品では、彼女の言葉への鋭敏な感覚が最大限発揮されますね。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿二夜/自然美と人工美〜

またも訃報!12月の末ですから少し経ってしまいましたが追悼記事を。
2019年頭に亡くなった盟友アダムの後を追うように彼もまた逝ってしまうとは……!

PeterSchreier.jpg
Die Knusperhexe

ペーター・シュライアー
(ペーター・シュライヤー)

(Peter Schreier)
1935〜2019
Tenor
German

前回のデロサンヘレスと同じく、彼もまた信じられないぐらい幅広いレパートリーを誇った20世紀クラシック音楽を代表する名歌手だということができるでしょう。バッハや歌曲での活躍はまさに不滅のもので、僕のようなオペラ・フリークでも抗しがたい魅力を感じます。指揮者としても卓越した才能を発揮していたと言い、そのマルチな活動は驚くべきものです。昨今ではドミンゴも同じように指揮やバリトンとしての活動を繰り広げていますが、彼の方がよりやりたいことにとにかく手を出しているといった印象で、シュライアーのクレヴァーな感じの活動の広げ方とはちょっと質が異なるように思います。

とは言えこのblogのメインであるオペラに限って改めて彼のレパートリーを見てみると、意外なことにこのジャンルで遺したものは絞られるようです。基本的には主役・脇役を問わずリリカルな役どころ、よりはっきり申し上げればモーツァルトこそがオペラ歌手としてのシュライアーの本丸にあるように感じます。ヴンダーリッヒよりも更に端正でうんと生真面目で、しかし熱い感情の迸る彼の歌い口を考えると、これは得心のいくところかもしれません。他方で彼にはF=Dにもなされたような批判、例えば巧すぎるとか聴かせるための技巧(これは超絶技巧という意味ではありません、念のため)が立ちすぎて鼻につくと言った批判をされる方も一定数いたようです。その経歴や歌を聴いて感じられる通り、彼は“智に働く”感じがあるのは間違いなく、そこに人工的・人為的な匂いを嗅ぎ取ってしまう人もいるのではないかと推察します。しかしこの知的で清潔な歌唱こそが彼の持ち味でもあり、だからこそ彼が独系のテノールの中で一種独特の立ち位置を得ることができたのではないでしょうか。後段ではそのあたりもうまく述べることができればと思っている次第です。

そんな訳で、今夜はまさしく「20世紀の巨匠」であったペーター・シュライアーに光を当てて行きます。

<ここがすごい!>
明瞭で端正、清潔で知的……独墺系のリリック・テナーというとこういった言葉が僕の頭にはすっと思い浮かび、理想として追ってしまうのですが、それは少なからずこのシュライアーのイメージなのでしょう。キリッとして精妙でしかし甘みのある、アルザスのワインのような彼の声と歌は、とりわけモーツァルトやバッハの演奏で代え難い魅力を放ちます。同じようなレパートリーで活躍したテノールとしては、声の面ではヴンダーリッヒやデルモータといった人たちの方が自分の好みには近いのですが、これらの人たちが具体的な役柄に結びついてその卓越した歌唱が思い浮かぶ(例えばヴンダーリッヒであればタミーノ(W.A.モーツァルト『魔笛』)、デルモータであればオッターヴィオ(同『ドン・ジョヴァンニ』)のに対し、彼の歌唱はもっとニュートラルに、軽やかな独語のもの、もっと言えばモーツァルトならばなんでもござれという感じ。それだけレパートリーが広かったといえばそれまでなのですが、これはシュライアーの美点にも繋がっているのではないかと思います。

シュライアーの声に躍動するような生命力が宿っていることは疑いようもありません。それは例えばプライやパネライと歌う『女はみんなこうしたもの』(W.A.モーツァルト)の冒頭やサヴァリッシュの指揮によるタミーノのアリアを聴けば、僕がここで長々と語らずとも感ずることができるでしょう。しかしながら他方で彼の歌は、人の手によって磨き上げられた、計算された美しさをも備えています。それは例えば優れた職人の手による白磁の銘品のような美しさ。人の力の及び得ない自然の産物と、人の技術の粋を尽くした結果との成し遂げ難い絶妙なバランス。これこそが彼を世に稀な名歌手たらしめている点であり、その長所が最も発揮された世界こそ、モーツァルトの典雅な音楽だったと言えるように思うのです。

敢えて較べるのであれば、ヴンダーリッヒは言わずもがな天才ですがもっと生来の声や感覚に寄った或る意味で奔放な歌唱で、シュライアーの方がより楷書体の、好ましい意味でお手本のような歌唱と考えることもできるかもしれません。そう考えるとヴンダーリッヒがプライと、シュライアーがアダムとそれぞれ縁の深い歌手であるというのは、もちろんそれ以外の様々な要因もあるにしても、非常に興味深いと思います。実際彼らはそれぞれにデュエット集を遺していますが、いずれもこのコンビ以外の組み合わせは考えられないと感じさせる代物です。

但し、ここまでのことを全てひっくり返す形になりますが、僕自身が彼の演唱で一番強烈な印象を受けたのは実はモーツァルトではなく、むしろその楷書体のかっちりしたイメージから最も離れたところにあると言ってもいい魔女(E.フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』)であることを最後に述べておきます。これは彼がそのキャリアの中でも恐らく群を抜いて暴れてみた記録ではないでしょうか。普段の端正そのものというような歌い口と、プルージュニコフやセネシャルもびっくりの引き攣った哄笑とを交錯させるここでのシュライアーは「男の演じる魔女」を遠の昔に通り過ぎた人ではない何かと化しており、その藝の懐の深さは衝撃的です。自然美と人工美のバランスによって成り立っているシュライアーの藝術のバランスを、彼自身の手によってグロテスクに歪め、変奏したパロディと見ることもできると思います。まさしく怪演であり快演です。

<ここは微妙かも(^^;>
もう好きではない人はこれが原因だろうなあということは一通り書いてしまった気もしますので屋上屋を重ねるようではありますが、その作為的に感じられることもある歌いぶりへの好悪はどうしてもあるところかなと思います。ただ、それを言い出したらオペラの歌唱そのものがかなり人為的に技術を磨いた結果なのではないかとも思うのですが……。

<オススメ録音♪>
・タミーノ(W.A.モーツァルト『魔笛』)
サヴァリッシュ指揮/ローテンベルガー、ベリー、E.モーザー、モル、ミリャコヴィッチ、ブロックマイヤー、アダム共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1972年録音
>本作の決定盤(と思っているのですが、意外なことにこのblogでは殆ど紹介できていませんね汗)。均整のとれた美しい声と泉のように沸く活力を感じられる歌、キャラクターへの適性などを考えると、彼の最良の演奏の一つでしょう。冒頭の蛇に追われている場面の一声からーーこの場面でのタミーノの滑稽なまでのひ弱さと裏腹にーー叙情的な悲劇のヒーローを思わせる切羽詰まった真剣さで聴く者の心を鷲掴みにしてしまいます。そこからガラッと変わって科白でのパパゲーノとのコミカルなやりとり、有名な絵姿のアリアでの耽美な感傷と立て続けに示される藝の幅広さはまさに圧巻です!笛のアリアでの食べごろの果物のようなフレッシュさも強く印象に残りますし、2幕以降のお気楽パパゲーノに対する頑なな態度では理屈っぽい彼らしさがよく表れているように感じます。サヴァリッシュの堅実で実直な音楽もこの作品の空気にピッタリ、モルやエーザー、ローテンベルガーといった共演陣も鉄壁です。とりわけベリーのパパゲーノには得難い愛嬌があって、音楽全体を明るく彩っています。

・フェルランド(W.A.モーツァルト『女はみんなこうしたもの』)
ベーム指揮/ヤノヴィッツ、ファスペンダー、グリスト、プライ、パネライ共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1974年録音
>ライヴらしい瑞々しさの感じられる超名盤です(この時ベームが80才だったなんて信じられない!)。冒頭の3重唱から彼らしいやや神経質ささえ感じられる端正さと歳若い男の力み返った勢いとが共存した歌にワクワクさせられます。すごく几帳面な歌なんですが、そこに決起盛んで必死すぎる若さが表出されていて、この賭事が勝ちでは終わらないことがなんとなく見透せ得るのが◎これにプライの余裕と気品のあるまろやかな歌とパネライのちょっと伊ものらしい脂のあるいかがわしい語り口と、それぞれ全く異なること性であるにもかかわらず最高に相性が良く、アンサンブルにこそ美点のある本作の魅力をこれ以上ないほど引き出しているといえるのではないかと。また1幕フィナーレ最後に書かれている付点と16分の異様に難しいパッセージを軽々と浮き立たせる手腕には圧倒されます。女性陣では何と言ってもグリストのいたずらっ子のようなデズピーナが出色です。ヤノヴィッツとファスペンダーはやや生硬な気がしなくもないですが、アンサンブルの精妙さは特筆すべきもの。

・ベルモンテ(W.A.モーツァルト『後宮からの逃走』)
ベーム指揮/オジェー、グリスト、ノイキルヒ、モル共演/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団&ライプツィヒ放送合唱団/1973年録音
>不滅の名盤。シュライアーのモーツァルトの中でも最もその2枚目ぶりを楽しめる演奏の一つでしょう。清流の水を思わせるような、澄んでスッキリとしたヴィヴィッドな響きの声と、繊細で甘い歌い口には耳がとろける思いがすること請け合いです。オジェーの天使の歌声とのアンサンブルの美しいこと!他方でモルとの弾むような活力の感じられるコミカルなやりとりも実に楽しく、優れたバランス感覚を発揮しています。ペドリロのノイキルヒがちょっとガサついた、けれども旨味のある声のキャラクター・テナーで、シュライアーと明確に異なる持ち味ながらうまく共存しているのも嬉しいところ。オジェーの天使の歌声、グリストの軽やかさ、ベームの典雅な指揮も相待って有名な4重唱の盛り上がりは最高です。もちろんモルの重厚で端正でありつつ迫力あるオスミンも言うことありません!

・ティート帝(W.A.モーツァルト『皇帝ティートの慈悲』)
ベーム指揮/ヴァラディ、ベルガンサ、マティス、シルム、アダム共演/ドレスデン国立管弦楽団&ライプツィヒ放送合唱団/1979年録音
>ベーム指揮のモーツァルトが続きます、こちらも名盤。ここでのシュライアーの評判は必ずしも芳しくなく、不調だとか衰えを感じるというようなコメントも散見されますが、個人的にはそんなことはないと思います。確かにタミーノやベルモンテのときに較べれば声の潑剌とした輝きは一段弱まったような印象はありますが、寛大な心で知られた皇帝を演ずるのには、いい意味で角が取れた穏やかな響きはむしろ好ましいのではないでしょうか。やや地味な印象になってしまっているとすれば、こ題名役でもあり少なくない数のアリアもある割に、女声陣に喰われている感じが否めないこの役の問題かもしれません。それでも終曲では柔らかで威厳のある声をたっぷりと鳴らしており、大団円にふさわしい歌唱を披露しています。共演は凹みのないメンバーですが、難役ヴィッテリアを歌うヴァラディと彼女に振り回されるセルヴィリオのベルガンサが堂々たるパフォーマンス。

・バジリオ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
スウィットナー指揮/ギューデン、プライ、ベリー、ローテンベルガー、マティス、オレンドルフ、ブルマイスター共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ドレスデン国立歌劇場合唱団/1964年録音
>旧東独の名手を集めた独語版。彼のキャラクタリスティックな歌唱が活きた録音だと思います。バジリオはボーマルシェのお話の中ではフィガロたちにしてやられるのですが、本来はクレヴァーで強かな人物であるということが、シュライアーの知的な歌い口によって感じ取れると言えるでしょう。そう言った側面をより表すためにもアリアは歌って欲しかったですが(ブルマイスターともども折角彼らを起用したのならば歌ってもらえば良かったのに)。アダムとの共演が多いということを上段では述べましたが、キャリアが長いこともありプライともかなりの数共演しており、ここでも奔放なプライの殿様に媚びへつらうシュライアーの臣下というバランスのいいコンビを楽しめます。

・アルフォンソ(F.シューベルト『アルフォンソとエストレッラ』)
スウィットナー指揮/マティス、フィッシャー=ディースカウ、プライ、アダム共演/シュターツカペレ・ベルリン&ベルリン放送合唱団/1978年録音
>何度か登場している本作の決定盤。旧東独の粋を尽くした演奏で、スウィットナーによるオペラ録音の中でも特に優れた完成度だと思います。外の世界を夢見るようなアリアも合唱を伴った勢いのある歌も、ロマンティックな逢瀬の場面も、かなりシューベルトの少年のような理想が入っているように思いますが、如何にもその世界の主人公というこの役に、シュライアーらしい王子様的な声と歌が見事に合致しています。ここで取り上げた録音の中ではティートの次に最近の歌唱ではありますが、声の質感そのものはむしろフレッシュな印象すら与えるぐらいです。今回纏めて聴いてみて意外にもオペラの全曲での共演はそこまで多くない(集められていないだけの可能性もかなり高いですが)F=Dとの重唱も、両者の理知的な藝風が心地よく調和しており、まさしく“アンサンブル”していると言えるのではないかと。マティス、プライ、アダムも悪かろうはずがありません。スウィットナーはこの作品の持つ伊的な歌劇への作曲者の憧れ(そうした歌劇からの影響といった方が適切かもしれません)をうまく引き出しているように感じます。

・アルマヴィーヴァ伯爵(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
スウィットナー指揮/プライ、ピュッツ、オレンドルフ、クラス、ブルマイスター共演/シュターツカペレ・ベルリン&ベルリン放送合唱団/1965年録音
>独語歌唱ですが、スウィットナーの精緻で硬めの音楽と歌唱陣の言葉のうまさで自然に聴こえてしまう名盤です(ロッシーニというよりはモーツァルトに聴こえてきますが笑)。シュライアーの歌も、例えばシラグーザの聴かせるような開けっぴろげなバカバカしい貴族というよりは、モーツァルトに出てくるちょっとなよっとした優男を思わせるもの。ある意味ここまで品がいいとこの後『フィガロの結婚』には繋がらないのではと思ってしまうほどです。ここでもプライと素晴らしく典雅なアンサンブル!(プライのフィガロはやはり伊語で歌ったものよりも独語で歌ったものの方が完成度が高いと思う)。共演凹みはないですが、クラスのダース・ヴェイダーのような深い声のバジリオがちょうどいい陰翳をもたらしています。

・イェーニク(B.スメタナ『売られた花嫁』)
・ファウスト(C.F.グノー『ファウスト』)
スウィットナー指揮/アダム共演/シュターツカペレ・ドレスデン/1973年録音
>アダムとのデュエット集ではモーツァルトやヴェルディ、ロルツィングなど幅広くさまざまな作曲家の演目を歌っています(全て独語歌唱)。特に完成度が高いと思うのはこの2つで、いずれの役でも彼らしいクレヴァーな輝きが役柄にはまっていると言えましょう。イェーニクでの抜け目のない軽やかさは同じく俊敏なアダムと丁々発止のやりとりを繰り広げており爽快そのものです!ファウストはこの演目では世界の果てまで調べ尽くした大学者という要素は少なくて脳みそ垂れ流し感のある所謂テノールの役なのですが、シュライアーが歌うことによってより理屈が多い学究肌の人物である感じが出てきます。ここでも交渉慣れしてそうなアダムとのコンビがいい。レコードしか私は知りませんが、CDなどでもっと知られてほしいと思う音盤です。

・マックス(C.M.フォン=ヴェーバー『魔弾の射手』)
C.クライバー指揮/ヤノヴィッツ、アダム、マティス、ヴァイクル、フォーゲル、クラス共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ライプツィヒ放送合唱団/1973年録音
>名盤の誉れ高く、また実際優れた演奏だと思うのですが、シュライアー個人のキャラクターを考えるのであれば「鬼っ子」というべき録音ではないかと思います。何と言っても彼の録音の中では群を抜いて重たい役!実際アリアの最後など、普段の彼からするとかなり声を荒げていて、ほとんど破綻寸前の歌唱でしょう。そうした意味でここでのシュライアーの起用が失敗だったという人がいても不思議ではありません。しかし、それでも、やはり、うまい。その破綻ギリギリの歌唱が、単なる声のリソース・オーバーに聴こえるのではなく、スランプに悩み、苦しむ姿にきちんと繋がってくるのです。そしてリリカルな彼が歌うことによって、ドラマティックなテノールが歌うよりもいい意味でなよっとして聴こえることで、マックスの真面目さや神経質さが表現されているように思います。

・魔女(E.フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』)
スウィットナー指揮/シュプリンガー、ホフ、シュレーダー、アダム、クライマー共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ドレスデン聖十字架合唱団/1969年録音
>シュライアー最高の怪演を記録した本作の名盤のひとつです。初めて聴いた時、あの上品で格調高いモーツァルトを歌う人がここまでトリッキーな崩しを聴かせるものかと衝撃を受けたことは鮮明に記憶しています。イヒヒヒ、アハハハという不気味な笑いと異様な作り声、わざとどぎつく発音した子音の印象が勢い強くなりますが、よく聴いてみるとただのおふざけではなく彼一流の丁寧でリリックな歌が基本になっていること、優れた技術がなければできないことをしていることもよくわかるのではないでしょうか。ご承知の通りこの演目で魔女が出てくるのはお話もだいぶ後半になった3幕半ばなのですが、出番がわずかしかないとはとても思えない強烈さです。勢い彼の印象が強くなりますが、スウィットナーの清潔だけれども濃密な音楽も魅力的ですし、共演が素晴らしい出来。主役2人がちゃんと子供たちに聴こえるというのもありがたいところです。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿一夜/清純の中の情念〜

大バリトン特集もひと段落しましたので、久々に女声歌手をご紹介しましょう。
カバリエに続き西国の名花を。

VictoriaDeLosAngeles.jpg
Manon

ビクトリア・デロサンヘレス
(ヴィクトリア・デ=ロス=アンヘレス)

(Victoria de los Ángeles)
1923〜2005
Soprano
Spain

広大なレパートリーを誇った20世紀を代表するソプラノ。
モーツァルトからロッシーニ、ヴェルディ、プッチーニ、果てはバイロイトでヴァーグナーを歌い、お国もののデ=ファリャやサルスエラはもちろん、様々な歌曲までも録音しているのですから驚きです。そしてこれだけいろいろなものを歌っていると、だいたいどこかしらでこれは彼女の声では重すぎるとか、逆に軽すぎて破綻を来たしているとか言ったような悪評が付いて回るものなのですが、こと彼女についてはそうしたマイナスの評価を耳にしたことがないように思います。確かにデロサンヘレスの歌を聴くと、その可愛らしいけれども身の詰まった声質と完成度の高い歌が、ジャンルを超えて魅力的な娘役や凛とした若い女性の役で重宝されたことは想像に難くありません。

とは言え実のところ恥ずかしながら私はその果てしなく広い持ち役を全然追いきれておらず、本来ならば必須であろう伯爵夫人(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)、ヴィオレッタ(G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)、エリーザベト(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』)あたりも視聴できていないという為体なのですが、それでもどうしてもここで取り上げたいと思ったのは、彼女の得意とした仏ものの話をしたいと考えたからです。ゲッダやブラン、ゴール、ルゲイ、ダン、ドゥプラ、ソワイエと言ったこの時代の第一人者たちとともにデロサンヘレスが遺した仏ものの録音は、疑いなく彼女の声の持ち味が最大限に発揮されたものですし、同時に今以てしてもそれぞれの役柄において範とすべき録音のひとつと言って差し支えないでしょう。今宵はこれらの演目から彼女に光を当てていこうと思います(もちろん今後伯爵夫人やヴィオレッタを聴くことができれば、そうした点からの追記をしていく腹づもりです)。

<ここがすごい!>
僕が初めてデロサンヘレスの歌を聴いたのは、もう20年近く前、まだオペラを聴きはじめて間もない頃に出逢ったクリュイタンス盤の『ファウスト」だったと思います。この録音は本当に何度聴いても声に恵まれた録音で、情熱に燃えるゲッダ、地響きのようなクリストフ、高貴で格調高いブランと誰を取り出しても稀有の声の持ち主なのですが、この中で唯一の女声の大役として彼女が響かせていた天使のような歌声が大変印象的だったことをよく覚えています。そして同時期に聴いた同じくクリュイタンスの指揮による『ホフマン物語』(J.オッフェンバック)。ここでのアントニアもまた実に愛らしく、可憐で、だからこそミラクルが来てからの3重唱(オッフェンバックの最高傑作!)にゾッとしたものです。最初に記憶に残ったのがこれらの演目でしたから、「デロサンヘレスと言えば清純な娘役」として僕の中に刷り込まれてしまい、カルメン(G.ビゼー『カルメン』)などは長いことどうもしっくり来ませんでした。実際、彼女の声の音色はそうした色眼鏡なしで聴いても娘役にはうってつけのものであることがわかるでしょう。若い女声の笑いを形容するのによく「ころころと」という言い回しが遣われますが、まさにあのイメージで弾力があり潤いを感じる、活き活きとした響き。内側から力が湧いて出て来るような瑞々しい声!こちらも大好きなポップもこうした生命力に溢れた声ですが、それよりも少しリッチで心地よい重みがあります。
しかし、思えばこの頃はデロサンヘレスの魅力の一部しか耳に入っていなかったのです。

この印象が改まったのは、だいぶ後になってプレートル盤の『ウェルテル』(J.E.F.マスネー)を視聴した時です。白状するとこの時も「デロサンヘレスなら美しい歌だろうけれど、シャルロットはメゾの役だしなあ」などと彼女にはあまり期待しないまま聴きはじめたのですが、全曲聴き通して自分の不見識を大いに恥じました。彼女らしい(と思っていた)清純さを感じられる前半から、徐々にウェルテルに対する想いの深みにはまっていく表現の濃密さ!狂おしい情念を感じさせるような歌唱というとメゾの専売特許のように思っていたのですが、そうした先入観を覆す真に迫った歌に胸を打たれたのです。その後改めてカルメンを聴いた衝撃!可愛らしい潤いに満ちた声が今ひとつ似合わないとしか思えなかった歌唱の中に、彼女が如何に妖艶な人物像を築き上げていたことか!デロサンヘレスほど軽い役も歌えるソプラノが歌ったカルメンは他にはないと思いますが、同時にデロサンヘレスほど妖しい魅力のあるカルメンを歌えたソプラノはいないと思います。
彼女の魅力は男性が女性に求める愛らしい清純さを表すことができるといった表面的なものなどではなく、その中に秘められている強さ/賢さ/算高さをコケットリーという戦略に包んで男性と対峙する女性の姿を表現できることにこそあるのではないかと、いまは考えています。そう思って彼女の歌ったレパートリーを眺め直すと、いずれの役も男性たちの好きにはならない、芯の強さのある女性ではないでしょうか(だからこそ、伯爵夫人、ヴィオレッタ、エリーザベトあたりを聴かなければという思いを強くもする訳です)。

前述のとおり僕は彼女のレパートリーを網羅できていないのですが、知るかぎりデロサンヘレスのそうした魅力が一番出ていると思われるのはマノン(J.E.F.マスネー『マノン』)です。若々しく、華があり、可愛らしい美徳の化身のようでありながら、享楽的で破滅に突き進むファム=ファタル!その表側の清純さと内に潜むベクトルの強さで、彼女ほど蠱惑的にマノンを歌える人が今後出てくるとは思えない、ちょっと危険な香りさえ感じさせる歌唱です。ぜひ一度、お楽しみを。

<ここは微妙かも(^^;>
僕自身にとっても時間をかけて大きく印象の変わった歌手ですが、レパートリーがあまりにも広いこともあり、その本当の良さに気づくのにはちょっと時間がかかるかもしれません。前回のセレーニ同様、じわじわとその味わいを堪能していくタイプの人だと言えるでしょう。
マルグリートを得意としたぐらいですから転がしは得意ですが、やはりそれはベル・カントのそれとは違うので、ロジーナ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)などは今の歌唱水準と単純比較してしまうと辛いところがあります。

<オススメ録音♪>
・マノン(J.E.F.マスネー『マノン』)
モントゥー指揮/ルゲイ、ダン、ボルテール、エレン共演/パリ・オペラ・コミーク管弦楽団&合唱団/1950年録音
>この演目最高の音盤だと思います。何と言ってもデロサンヘレスの自然体のマノンが最高の聴きもの!登場したときのふわふわとした歌い口は如何にも箱入りの穢れを知らぬお嬢さま、それが徐々に本性を見せていくと言いますか堕落していく様が凄まじくリアルです。しかもそれで単なる悪女や愚かな人物に成り下がるのではなく、美しく純粋で輝く女性であり続けています。マノンは純粋に享楽的であるからこそ魅力に溢れる傾城の美女であることが、力むことなく全霊で表現された演奏だということもできるでしょう。そして彼女の兄弟を演ずるダンが、また空虚な好人物を快演!彼らは純粋な悪徳により人を惹きつけてやまないという、よく似た兄妹であるということが良くわかります。ふわふわとして地に足のついていない雰囲気のルゲイと、控え目ながらこのメンバーの中で大人として喰えない空気を醸し出すボルテールの親子もこれ以上は考えづらく、エレンほか脇役も揃っている上にモントゥーの華やかな音楽も文句のつけようがありません。仏ものがお好きな方は是が非でも。

・マルグリート(C.F.グノー『ファウスト』)
クリュイタンス指揮/ゲッダ、クリストフ、ブラン、ゴール共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1958年録音
>何度も登場している不滅の名盤、直球清純派路線のマルグリートです。あまりにも有名な宝石の歌が大変華麗なので、時として全体としてはゴージャスすぎる声や歌に出くわしてしまうこの役ですが、彼女の声は一緒独特の素朴な空気をまとっていて、独国の田舎の箱入り娘という役柄に説得力を増しています(特に奇をてらったことはしていないのに、マノンとは全く別の人物を想起させる藝は脱帽ものです)。もちろんその宝石の歌も指折りの名演!他方でこの役は教会の場や終幕の3重唱などドラマティックな強さも求められる場面も多いですが、クリストフを向こうに張っても位負けしない堂々たる歌声には感服させられます。

・アントニア(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)
クリュイタンス指揮/ゲッダ、ダンジェロ、シュヴァルツコップフ、ギュゼレフ、ロンドン、ブラン、ロロー、セネシャル、ゲイ、ゲロー共演/パリ音楽院管弦楽団&ルネ・デュクロ合唱団/1964年録音
>ちょっと豪華趣味に走りすぎな面はあるものの、こちらも名盤と言っていいでしょう。彼女のように歌い分けの巧みな人にこそ4人のヒロインを通しでやってもらいたかった感もありますが、恐らく最も彼女に向いた役であろうアントニアを良い音質で聴くことができるのは嬉しいかぎりです。やはりその清純な、というより冒頭などはほとんど清浄な歌には恍惚とさせられます。共演の多いゲッダとは流石のコンビネーションで愛の重唱の盛り上がること!そして大詰めの3重唱での熱に浮かされたかのような、やや病的なほどの情熱を感じる歌には胸が締め付けらるような感動が待っています(ここでのロンドンの不気味な迫力も得難いものです)。アントニア単体として、ひょっとすると理想以上の歌唱と言ってもいいかもしれません。

・シャルロット(J.E.F.マスネー『ウェルテル』)
プレートル指揮/ゲッダ、ソワイエ、メスプレ共演/パリ管弦楽団&フランス国立放送児童合唱団/1968-1969年録音
>本作屈指の名盤です。デロサンへレスの歌唱は、「本来はメゾの役」などという御託が意味をなさなくなるような圧倒的な説得力があります。気品があり淑やかながら畏まって優等生的な印象の前半から、悩み苦しみつつも自分の感情と戦う強い女性としての後半への変化は非常にダイナミック。ゲッダとからむ3幕後半の盛り上がりは特筆すべきものでしょう。共演も鉄壁ですし、何よりプレートルのエスプリに満ちた指揮が素晴らしいです。

・カルメン(G.ビゼー『カルメン』)
ビーチャム指揮/ゲッダ、ブラン、ミショー、ドゥプラ共演/フランス国立放送管弦楽団&合唱団/1958-1959年録音
>こちらも声域がどうこうという話を忘れさせる彼女の藝が楽しめます。明るくて健康的な声とコケティッシュな表現は、マノンと同様に悪女と言った時の固定観念のようなカルメンではなく、もっと等身大の生きた人間を感じさせるものです。その意味で後に登場するベルガンサの先鞭をつけていると言うこともできるかもしれません。他方でハバネラなどでは濃厚でこってりとした声を響かせていて、この演目を聴いたという充実感にも事欠きません。共演では何と言ってもブランの極め付きのエスカミーリョ!

・ロジーナ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
セラフィン指揮/モンティ、ベキ、ルイーゼ、ロッシ=レメーニ共演/ミラノ・スカラ座劇場管弦楽団&合唱団/1952年録音
>コケティッシュで強いヒロインという観点で行くならば、この役も忘れられません。こういう元気いっぱいな歌を活き活きと歌っているのを聴くと、こちらの方が彼女の性格にあっているのかもしれないという気もしてきます。フィガロとの重唱での一枚上手な雰囲気と言ったら!彼女を含めて全体には一時代、二時代前のロッシーニ演奏という印象は否めないのですが、この作品に不可欠な浮き浮きするような楽しさに満ちた名演と思います。

・アメーリア・グリマルディ(G.F.F.ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』)
サンティーニ指揮/ゴッビ、クリストフ、カンポーラ、モナケージ共演/ローマ歌劇場管弦楽団/合唱団/1957年録音
>ヴェルディも一つだけ。兎に角アクの強いゴッビとクリストフというコンビの中にあって、清純な娘役の風情を保ちながらもしっかりとドラマティックな声で応酬するなんていうことができるのは彼女を置いて他にいないでしょう。地中海の果物のような瑞々しさにはフレーニとはまた違った魅力があります。サンティーニの指揮が全体にちょっと安全運転なのと、カンポーラやモナケージが煮え切らないのがもったいないところです。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿夜/渋い大人の魅力〜

毎回切番では普段の歌手紹介とは趣を変えて楽器紹介をしていたわけですが、ここのところなかなか更新もできていない中で別番組を無理に組むのもなあということで、今後は基本的には平常運行にして行こうかなと思います。
そんな訳で今回はずっとやっていた「大バリトン特集」の最終回。今回は大物の登場です。

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Carlo Gérard

マリオ・セレーニ
(Mario Sereni)
1928〜2015
Baritone
Italy

彼の歌唱を知っている人にとっては、誰が何と言おうと彼が伊ものの大物であることには何の疑問もないと思います。しかし、他方で彼が泣く子も黙る派手なスター・バリトンだと言われると、ちょっと違和感を抱くのではないでしょうか。例えば先輩のゴッビやバスティアニーニ、同世代のカプッチッリ、ミルンズ、後輩のヌッチなどと並べた時に、煌びやかな活躍、輝かしい声、外連味のある演技といったところでは、正直申し上げてちょっと地味な印象は免れ得ないかもしれません。かく言う私も、以前よくマリオ・ザナージとこんがらがっていました(声の響きがだいぶ違うので今は混同することはなくなりましたが)。けれども、当然ながら目や耳を奪うような華やかさだけがオペラに必要な訳ではありません。聴き込んでいくとじわじわとその渋さで魅了してしまうのがこのセレーニという人の凄いところ。荒々しさのある美声から繰り出される堅実で真面目な歌唱には、伊ものをレパートリーの中心に据えた人が持つ、滾るような熱気が込められています。

そういう「聴けば聴くほど」の人だからでしょう。彼の名前をネットで検索してみると色々な音盤が出てくるのにもかかわらず、決して広く親しまれているとは言い難い状況だと感じます。非常に残念ながら多くの人にとって彼は、カラスの58年の『椿姫』(G.F.F.ヴェルディ)でジェルモンをやっていた人という程度の認識に留まっているようですし、その音源での歌唱にしても正当に評価はされていないように見受けられます(そもそもバリトンの良さが全面に発揮される役でもありませんしね)。彼は同じヴェルディでももっと若々しいパワーのある色仇でこそ映えますし、意外なまでに器用にコロラトゥーラをこなしなりという技も秘めているのに、勿体無いことこの上ありません。本来ならば記憶されてしかるべき藝術家がこんな事情でスルーされている訳ですから!そして今日あまり日の目を見ていない歌手を重点的にお送りしてきた「大バリトン特集」の最後を飾るのに、この遠くて近い名優セレーニはまさしくふさわしいのではないかと思います。

<ここがすごい!>
オペラで名歌手と言われる人の条件というのは何なのでしょうか——セレーニの記事を書こうとしてそんな疑問が頭の中を巡っています。というのも今回改めて彼の録音をいろいろ聴いてみて感じるのは、繰り返しになりますがひとつには彼の声の地味さです。先述したバリトンたちの中でも特にバスティアニーニやカプッチッリが感じさせるような強烈なスターのオーラはありません。けれども同時にもうひとつ、彼の声の響きには聴くものの心を捉えて離さない力があるのも事実です。例えて言うならば舞台で長いこと活躍してきた役者さんが、何かの機会に映画やドラマに登場することになった時に発揮するただものではない存在感が近いかもしれません。こういう人の持つ渋い鈍色の輝きが恐ろしいのは、華々しく万人にわかりやすい魅力ではない分、一度その美しさに惹きこまれてしまうとその正体を追いかけて更に聴き込み、次第に虜にしてしまうところでしょう(もちろん私もそのひとり)。こう考えて行くと、セレーニは誰もをうっとりさせる響きは持ってはいないけれども、確かに名歌手の声を持っていると思うのです。

渋いと繰返し言いましたが、その渋さはいい味を出すおじちゃんといったような脇の存在に留まるようなものではなく、むしろうんとカッコいい硬派な渋さです。妙な言い方ですが、物語のヒロインは絶対なびかないだろうけれども、戀のライバルとして登場した時にこそ冴え冴えとした魅力を発揮するように思います。より具体的には、主人公のカウンターパートとして望まれる要素が備わっていると言ってもいいかもしれません。テノールが演じる主人公に与えられている不安定なまでの若さや直情径行な戀心、不幸な身の上、戦いへの天才的な才能に対して、セレーニの作り上げる仇役は、年齢による経験により培ってきた如才なさや政治的な才能、恵まれた身分、努力をしてきた秀才の持つ堅実な人物としての好ましさとマキァヴェリスト的な感じの悪さとを備えているように思われます。そう、現実世界であれば勝ち抜いていく能力とかっこよさがあることをを十分に感じさせるような役作りだからこそ、どんなにとんでもない悪役でも彼の演ずる役に私たち聴衆は惹かれてしまうのです。もちろん憎々しいですがそこになんの魅力的な要素もなければ、主人公に対抗することはできませんから。

こうした痺れるぐらいスタイリッシュな大人の渋さを持つセレーニの魅力が非常によく発揮されているのはジェラール(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)でしょう。彼の丹念に練り上げられた歌唱は、物語の中では仇になってしまうこの人物が本来は真面目で実直な人柄で、決して短絡的な悪役に堕しえない多面的な性格を有していることを明晰に描き出しています。ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』)も素晴らしいです。あらすじ的には荒唐無稽な振舞いの多いのですが、彼の歌の湛える腹に一物ありそうな雰囲気が役柄により説得力を増しているように感じます。そしてもう一つ、セレーニの持ち味が予想外に活きていると思うのはベルコーレ(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)。言ってしまえばスッカラカンな色男気取りの人物に彼のような重量級のイケメン歌唱の人を配役したことで生まれるギャップがとても愉しい!(そしてコロラトゥーラがうまい!)まさに配役の妙を楽しめると言えるものでしょう。

<ここは微妙かも(^^;>
冒頭からずっと述べていますが、ともすると地味さが強くなってしまうのがこの人の惜しいところでしょうか。これも冒頭で取り上げたカラスとの『椿姫』は巧みな歌唱だと思うのですが、そうした地味さが出てしまった感は否めないように思います。カラスの『椿姫』ではバスティアニーニのような派手な人がジェルモンを演じた音源もあるので、そうした印象が際立ってしまっているところもあるかもしれません(とはいえバスティアニーニがジェルモン向きとも思えないのですが)。

<オススメ録音♪>
・カルロ・ジェラール(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)
サンティーニ指揮/コレッリ、ステッラ、ディ=スタジオ、マラグー、モンタルソロ、モデスティ、デ=パルマ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>何故だかあまり話題になることがないように思いますが、ガヴァッツェーニ盤と東西の横綱を張ることのできる名盤中の名盤です。セレーニは、この役の理想を目指して懸命に生きる人物としてのカッコよさを巧みに引き出しており、聴くものの胸を打ちます。甘いマスクのスマートで立派すぎるキャラクターではなく、泥くさく苦悩する等身大の男ジェラールです。他方で伊ものに欲しい煮えたぎるような熱情も歌唱の隅々までほとばしっていて、コレッリやステッラとがっぷり組んでテンションの高い世界を作り上げています。開幕のアリアからスタジオ録音とは思えないぐらいかっ飛ばしていますが、やはり“国を裏切る者”の絶唱が記憶に残ります。コレッリはドラマティックなだけではなく繊細な表現もできる人なのでこの詩人にはうってつけ、ステッラも彼女らしい力演ですし、脇役でもそれぞれスペシャリストと言える人が完成度の高い歌唱を繰り広げています。

・ベルコーレ軍曹(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)
モリナーリ=プラデッリ指揮/フレーニ、ゲッダ、カペッキ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1966年録音
>こちらもあまり言及されませんが見事な演奏だと思います。「え、あのセレーニが?」とびっくりしますが、聴いてみるとなるほど堅実な仕事をしそうな立派な見てくれにもかかわらず実のところ中身のないすっとこどっこいというあらまほしき喜劇の人物になっています。これがもう少し重厚路線に行ってしまうと過度に暑苦しくなってしまったり、おっかない人が無理やり喜劇を演じているような感じがしてしまったりして収まりがつかなくなってしまうのですが、まさに絶妙なバランス。加えて意外なぐらいに器用な転がしのテクニックも注目に値するでしょう。登場のアリアは意外と軽妙な転がしが要求されますが、しっかり歌いこなしています。この辺りの喜劇的なセンスや歌唱技術は、彼の時代のバリトンたちの中では稀有なものと言ってよいでしょう。共演ではカペッキのドゥルカマーラが最高!フレーニとゲッダはいずれもやや真面目過ぎる感じはあるものの整った美しい歌唱です。

・西国王ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』)
シッパース指揮/ベルゴンツィ、L.プライス、フラジェッロ、ハマリ共演/RCAイタリア・オペラ管弦楽団&合唱団/1967年録音
>やはり彼の堂々としたややくすみのある声はヴェルディの敵役にはよくハマりますが、その中でも音質が良く比較的手に入れやすいのはこの『エルナーニ』でしょう。ロマンティックな時代劇に登場する厄介な王様を、たっぷりとした声で颯爽と演じています。シルヴァの懇願をにべもなく断るドライさや、エルナーニとの決闘も辞さない血気、玉座に座る野心といった人間的な側面を表現しながらも決して気品を失わない歌い口は実に見事なものです。かなり高い音まで求められる上にパワフルな役ですが余裕すら感じさせ、しかもそれがカルロのキャラクターの鷹揚さにも繋がっているように思います。共演はフラジェッロの勇猛なシルヴァを始め平均点は高いのですが、ここでのベルゴンツィはちょっと整いすぎな気がしていて、全体のトーンが落ち着いてしまっているのがちょっと残念です。

・アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
プレートル指揮/モッフォ、ベルゴンツィ、フラジェッロ、デュヴァル共演/RCAイタリア・オペラ管弦楽団&合唱団/1965年録音
>ベルコーレに続きベル・カントものへの彼の適性をよく示した歌唱だと思います。何と言ってもこれだけ迫力がある声に加えてコロラテューラの技術もありますから、最初のアリアもカットなしで一切ダレずに威勢良く歌い切りますし、ルチアに婚約を迫る場面の剣幕も凄まじいもの。しかもありがたいことにこの演奏はほぼノーカットなので、エドガルドとの嵐の場面も収録されています!セレーニの重厚な声と歌はこの場面で一番発揮されているように思いますし、先ほどのエルナーニではちょっと整いすぎていると言ったベルゴンツィもこちらではスタジオとは思えない気迫で応戦していますから、この部分はこの音盤の中でも白眉と言えるでしょう。モッフォの泣きの多い歌唱への好き嫌いはあるでしょうが、看過できない名盤です。

・アモナズロ(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
メータ指揮/ニルソン、コレッリ、バンブリー、ジャイオッティ、マッツォーリ、デ=パルマ共演/ローマ国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1967年録音
>この役は意外と歌う場面が少ないのでヴェルディの書いたバリトン役にもかかわらず下手をすると影が薄くなってしまうのですが、彼一流の苦み走った歌唱で強い存在感を発揮しています。武将というよりは政治家という印象の歌唱で、例えば2幕フィナーレでアイーダの父だという場面の声のトーンの使い分けなどひとまずこの場面を切り抜けて再起を図ろうというしたたかさが前に出てきているようです。対するジャイオッティの演じる冷淡なランフィスも秀逸で、メータの作る祝祭的で絢爛な音楽に駆け引き的な緊張感を加えています。コレッリのラダメスはこれがベストだと思いますし、バンブリーのアムネリスも彼女らしい奥行きのある歌唱が魅力的なんですが、ニルソンのアイーダが声の面でも歌の面でも強すぎてしまうのが惜しい。

・グスマーノ(G.F.F.ヴェルディ『アルツィーラ』)
リナルディ指揮/グリン、チェッケレ、マッツォーリ、リナウド共演/トリノRAI交響楽団 & 合唱団/1973年録音
>切れば血が出るようなライヴ盤もご紹介しましょう。本作は人気のない作品でなかなか音盤もありませんが、人さえ揃えば初期ヴェルディらしい勢いのある音楽を楽しめるということをよく示してくれる演奏です。グスマーノは『エルナーニ』のカルロ以上に整合性はないながらもこの作品を動かしていく原動力になる人物で、セレーニはその役目を十分に果たす入魂の歌唱。登場アリアでの血の気の多い歌はヴェルディのご機嫌な音楽が好きな人にはたまならないものでしょうし、終幕の赦しの場面でのやわらかで丁寧な口跡も美しいです。しかもグリンやチェッケレといった録音そのものが少ない名歌手がいずれも熱唱しているのも嬉しいところ。メジャーになることはない作品でしょうが、聴いて損のない熱演だと思います。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十九夜/謎に包まれた武勇の人〜

公私ともに繁忙期に入ってしまい、また随分更新が止まってしまいました。また少しずつ進めて行きたいところです。
「大バリトン特集」もいよいよ次回で最終とする予定。今回はとっておきの秘密の歌手をご紹介いたします。

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Knyaz Andrei Bolkonsky

ドゥシャン・ポポヴィッチ
(ドゥシャン・ポポヴィチ)

(Dušan Popović)
1927〜2001
Baritone
Yugoslavia (North Macedonia)

このシリーズではヴェヒターやダン、それに前回のアレクセイ・イヴァノフのように高名な大物歌手をご紹介したいという気持ちももちろんあったのですが、それ以上にあまり知られているとは言えないバリトン、ショーヨム=ナジやヒオルスキ、そしてこのポポヴィッチに光を当てたいという想いが強くて始めたところがあります。日本語はおろか英語で検索をしてもほとんど引っかかることがない上に、ドゥシャンというファーストネームもポポヴィッチという姓も旧ユーゴ諸国では珍しくないこともあって、「謎に包まれた」という言い回しがこれほど当てはまる人もいないのではないかと。決して活躍の少なかった人ではないようで、ベルリンやミュンヘン、モスクヴァ、リヨン、シカゴ、モントリオールなど世界各地で客演していたようですし、その歌声の滑らかな響きや力強く端正な歌の美しさは一度聴けばご納得いただけると思うのですが。

録音もまた決して多いとは言えない、というよりも本当に限られたタイミングの録音が運よくまとまって遺されたという方が近いでしょう。Deccaがベオグラードに赴いて録音したいくつかの露ものオペラの全曲音源のなかでは、ポポヴィッチは最も若い世代の歌手ではありますが、その骨太な声と重厚で整った歌い口で強い存在感を示しており、まさに真価を知ることができると言って良いでしょう。(このプロジェクトはダノンやチャンガロヴィッチ、ブガリノヴィッチと言った人たちに支えられた当時のユーゴスラヴィアのクラシックの高いレベルを伝えるとともに、いまでも決して多いとは言えない露ものの録音において優れた記録として価値があると思います)。残念ながらこれらの音源は長い間CD化されておらず、レコードですらそうそう手に入らない幻の録音となっていたのですが、幸いなことに近年Eloquenceシリーズで復刻され、日本でも大手のCD店でかなり容易に入手できるようになってきました。記事を構想しはじめた頃にはこうした状況になることは全く予想していなかったのですが、折角こうした恵まれた環境が訪れている現在、より多くの人に彼の魅力を知ってもらうことができればと強く感じています。もしこの記事を読んで彼に関心を持たれた方は、是非その録音を手にとってみてください。忘れられた藝術家が再び陽の目を見る唯一の方法は、より多くの人がその藝術に触れることにあるのですから。

<ここがすごい!>
前回のアレクセイ・イヴァノフは悪人、曲者、屈折した人物といった、作品の世界を彩る個性的な役どころでこそ真価を発揮する藝風でした。確かにバリトンにとってそういったある種の“異常人”が重要なレパートリーであることは言を俟ちませんが、テノールともバスとも異なる太く輝きのある声だからこそ求められるヒロイックな役どころも忘れることはできないでしょう。ポポヴィッチはまさにそうした英雄的な魅力が求められる役で、目覚ましい力を発揮する見事な声を持った歌手です。どっしりとした重心の低い声は深く暗い力に溢れてドラマティックでバス・バリトンと言ってもいいような気もしますが決して生硬過ぎず、むしろなめらかで雄弁なカンタービレを得意とするやわらかさも兼ね備えています。自分はよく引き締まった精悍で堅い響きの声に「筋肉質」という印象を持つのですが、彼の声からはそれとはまた別の、希国彫刻のような堂々たる肉体美を想起させられます。この辺り、そのレパートリーに伊ものが多かったというのは非常に得心のいくところでもあり、スラヴらしい剛の者感と地中海的な流麗さとが高次に共存しているということもできそうです(ただし、残念ながら伊ものの録音は見当たらないので、想像で補うしかない部分もあるのですが……)。

彼はまたその声の特質をよく活かして、歌そのもので勝負しています。堂々とした声を惜しげもなく使って紡ぎ出す、滔々と流れる河のような豊潤でスケールの大きな歌にこそ、ポポヴィッチの美質が詰まっていると言えるでしょう。「演じる」ことや「語る」ことで惹きつける歌手も多いバリトンという声区ではある意味では最も衒いのない王道を突き進んでいる訳ですが、それによって何番煎じと言うような没個性な退屈さに陥ることなく、むしろ大河ロマンの主役の魁偉な風貌を聴き手にありありと思い描かせてくれるのです。英雄譚の世界の人物が纏っているような雄々しいオーラが、声からも歌からも感じられるということもできそうです。またそこには、現代の我々からすると時に不器用に感じられることもあるような古風な生真面目さやまっすぐさも同時にあって、だからこそよりリアルなのではないかと思います。

そうしたポポヴィッチの良さがストレートに楽しめるものを挙げるのであれば、イーゴリ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)やアンドレイ公爵(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)あたりがまず思い浮かびます。不吉な兆しや周囲の説得をはねのけて出陣したりコンチャク汗の懐柔も断固として受け入れなかったりと、迷いはあれど何かと頑なに自らの信じた道を行く古武士イーゴリには、スマートに理詰めで損得を考えるような現代的な感覚はどうしてもそぐわず、神話的、昔話的な人物として造形した方がむしろリアリティを得られるように個人的には思っているのですが、そういう意味で彼の歌唱はまさに理想的です。アンドレイはイーゴリよりもうんとくだった時代の人物ですが、その仕事の面での有能さと戀愛感情の不器用さ(アナトーリはアンドレイと好対照なんですね、こう考えると)は通底しています。しかもこの役に欲しい若々しい力強さという観点でポポヴィッチは卓越しています。『戦争と平和』の録音は意外とたくさんあるのですが、フヴォロストフスキーと並ぶ最高のアンドレイです。直球ではないものとしてはシャクロヴィートゥイ(М.П.ムソルグスキー『ホヴァンシチナ』)やオネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)も忘れることはできません。どちらの役も上述していたような不器用なまでの誠実さという観点からはちょっと外れるようですが、自らの愛の対象への歌には裏表のない直裁な感情がにじみ出ます。他方でシャクロヴィートゥイであればダークヒーロー的な一筋縄ではいかない政治家を、オネーギンであれば(特に2幕までに)暖かなようでいて空虚でニヒルな若い男をしっかりと表現していて、その藝の幅の広さに唸らされます。この路線の屈折した愛情を表現できる役の録音が更に残っていれば、もっと知られていたかもしれません。

<ここは微妙かも(^^;>
視聴できる音源がほとんど一時期のものに限られる上、いずれも十八番と言えるようなものばかりですから、取り立ててここが良くないという点を挙げるのは難しいですが……敢えて言うとやはりたっぷりとした豊穣な声と歌を売りにしている人ではあるので、歌う場面が少ない中で尖った個性を出さなければいけない役だとちょっと良さが出づらい印象です。ある意味では前回のイヴァノフの対極にあるとも言えそうですね。

<オススメ録音♪>
・イーゴリ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)
ダノン指揮/ヘイバローヴァ、Ž.ツヴェイッチ、ジュネッチ、ブガリノヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>長い間幻だったこの演奏が手に入りやすくなったのは非常に嬉しいところですが、とりわけポポヴィッチのイーゴリを楽しめると言うのが大きなポイントでしょう!重厚でズシンと響く太い声ながらバリトンらしい輝きもあり、終始他を圧倒するパワーを感じさせるものです。とは言えその歌は決して力任せで乱暴なものではなく、スタイリッシュな美観を保っており、この役柄の高貴さが見事に表現されているように思います。勇壮な出征の場面や感動的な再会などのアンサンブルも素晴らしいですが、やはりここでの聴きどころは彼らしい堂々とした歌と声を楽しめるアリア。剛毅で渋い魅力を湛えた壮年の英雄というべき理想的な歌唱でしょう。共演ではヴラジーミルを演じるジュネッチのロブストで影のある声と、コンチャコヴナのブガリノヴィッチの深みのあるメゾが優れています。特にジュネッチはここでしか聴けないのがもったいなく、ゲルマン(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)やサトコ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『サトコ』)あたりをやったらかなりはまりそう。ダノンは大好きな指揮者で、序曲や韃靼人の踊りなどは胸のすくような快演なのですがオヴルールが出てくる場面やコミカルな場面がちょっとのたっとしてしまっているのが残念です。

・イェヴゲニー・オネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)
ダノン指揮/ヘイバローヴァ、B.ツヴェイッチ、スタルツ、チャンガロヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>複数回CDになっており、ポポヴィッチの音源の中でも一番手に入りやすい演奏でしょう。どちらかと言うと叙事詩的な役柄を得意としている(と言うかそう言うものが多く残っている)彼の録音の中では数少ない叙情的な演目で、彼の異なる魅力を発見できるように思います。1幕のアリアは柔らかく響く低音が心地よく、非常に立派で美しいながらも仰々しい感じが、オネーギンに見せかけだけの思慮深さや空疎さを与えているようです。2幕の決闘で聴かせる迷いや哀しみを除くとずっとどこか人を喰った人物で居続けつつ(3幕冒頭の乾いた独白!)、3幕で自らのタチヤーナへの戀心に気づいてからは一気に情熱に溢れる表情となり、漸く彼にも人間的な感情が宿ったことを感じさせる手腕は素晴らしいです。ヘイバローヴァはこの録音の時には既に声のピークを過ぎているようで、薹が立って感じられるところもなくはないのですが、表現力で納得させるタチヤーナ。特に終幕のこの2人の重唱は白眉でしょう。小さい役ながら名アリアを聴かせてくれるチャンガロヴィッチをはじめ共演も揃っていますし、ダノンの指揮も彼の録音の中でも指折りの完成度と感じます。

・アンドレイ公爵(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)
ヤンセン指揮/ヴァソヴィッチ=ボカセヴィッチ、B.ツヴェイッチ、マリンコヴィッチ、スタルツ、N.ツヴェイッチ、Ž.ツヴェイッチ、ジョルジェヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団、ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1958年録音
>米国の指揮者、ユーゴの独唱陣、ユーゴとヴィーンの混成オケ、ヴィーンの合唱団という不思議な組合せで、例のDeccaのベオグラード遠征とは全く別に録音されたと思われる謎の音源です。かなり多くのカットがあり、結果として群像劇というよりはアンドレイとナターシャに焦点が絞られています。一連の遠征録音の3年後の録音ですが、声はますます艶やかに力強くなっており(というかこの時ですら31歳ですから他の多くの録音は28歳ごろのものということ!なんという早熟ぶり!!)、このさまざまな理想に敗れて死んでいく若々しい軍人を強い説得力を持って演じています。やわらかな春の空気を伴った優しい歌を聴かせる冒頭部分もうっとりさせてくれますし、2幕頭の愛の回顧の苦々しさも聴く者の心を掴みますが、圧巻は死の床の場面でしょう。朦朧とする意識の中で様々な想い出や感情が去来するこの狂乱的な場面の持つ毒のある美しさを引き出した名演です。ナターシャへの愛、ロシアへの愛を朗々と歌ったかと思えば、無意味なピチピチという音を強迫的に無感情に呟く落差が生む異様な緊張感!ナターシャのヴァソヴィッチ=ボカセヴィッチはややおとなしめですが柔らかな響きのある声で悪くはありません。クトゥーゾフ将軍のジョルジェヴィッチがやや落ちるのが惜しいです。ヤンセンは露国の指揮者たちとは違うところを強調するなど聴きなれずに驚く場面はあるものの大河ドラマらしいスケールの大きさがあって結構好きです。序曲の爆演っぷりなどは本国顔負けかもしれません。この演奏はmp3では手に入れやすくなったものの、残念ながらCDやレコードでは手に入れづらい状態が続いています。

・シャクロヴィートゥイ(М.П.ムソルグスキー『ホヴァンシナ』)
バラノヴィッチ指揮/N.ツヴェイッチ、チャンガロヴィッチ、マリンコヴィッチ、スタルツ、ブガリノヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1954年録音
>こちらも近年漸く手に入りやすくなった録音で、チャンガロヴィッチやブガリノヴィッチはじめ役者が揃っています。バラノヴィッチの指揮は前奏曲などハッとするほどの美しさがありますが、全体にはややだれ気味なのが惜しい。シャクロヴィートゥイ最大の聴き処であるアリアをポポヴィッチはいつもながら厚みのある立派な声で歌っていますが、朗々とではなく祈るような哀切極まる声で訥々と絞り出すように歌っているのが非常に印象的ですし、だからこそ最後の感極まったかのようなffがぐっと胸に刺さります。これに対し、代書屋やホヴァンスキーとの場面ではドライな歌い口で、この政治家の閉ざした心を表現しています。

・イェレツキー公爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)
バラノヴィッチ指揮/マリンコヴィッチ、ヘイバローヴァ、グリゴリイェヴィッチ、ブガリノヴィッチ、B.ツヴェイッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>バラノヴィッチが指揮した一連の録音のなかではこの演奏が一番良いと思います。彼が演じる公爵は終幕ではゲルマンと対決し、有名なアリアもある割には登場場面が少ないのですが、それでも丁寧な歌い口でしっかり存在感を示しているのは流石です。こちらではリーザへの深い愛情をなんら恥ずかしげもなく情感を込めて歌い上げているのが潔く、とても好感が持てる人物を作り上げています。他方対決の部分で、少ない口数でゲルマンの敗北を宣言する決然としたところもいい。共演ではマリンコヴィッチのゲルマンが最高!やや細いキャラクタリスティックな声ながら、後半は清々しいまでに堂々とした賭け狂いっぷり、とりわけ最後のアリオーソは圧巻です。

・ミズギル(Н.А.リムスキー=コルサコフ『雪娘』)
バラノヴィッチ指揮/ヤンコヴィッチ、B.ツヴェイッチ、チャンガロヴィッチ、ミラディノヴィッチ、ヘイバローヴァ、アンドラシェヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>録音そのものも少ないリムスキー=コルサコフの佳品の貴重な現役盤です。かなり多くの歌手を揃えねばならない作品ですが、ここでも当時のユーゴの層の厚さを感じることができます。ミズギルは長く連れ添って結婚を誓った戀人クパヴァが居ながら雪娘に一目惚れしてしまい、クパヴァを捨てて彼女に猛アタックをするというちょっと残念なやつなのだけれども役としては起伏に富んでいて、演じ甲斐があるところだと思います。いまいちな人が歌うと情けないだけで雪娘が最終的に靡くのに説得力がなくなってしまうのですが、そこは我らがポポヴィッチ、憂いをも感じさせる男っぷりの良い歌唱で真実味を持たせています。短いアリオーソもバラノヴィッチが遅めのテンポを取っていることもあって、彼のしんみりとした歌い口をじっくり楽しむことができます。共演も本当に少女のようなヤンコヴィッチをはじめ好きがありませんが、クパヴァを演じるヘイバローヴァの熱唱は特筆すべきものでしょう。上述のとおり必ずしも全盛ではないと思うのですが、ここではその実力が遺憾なく発揮されているように思います。

・シェルカロフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
ミラディノヴィッチ指揮/チャンガロヴィッチ、ジョルジェヴィッチ、パウリック、ボドゥロフ、カレフ、Ž.ツヴェイッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1967年録音
>実はベオグラードでの一連の録音でも同役で登場しているのですが、ここでは珍しいショスタコーヴィチ版のライヴ音源をご紹介します。これまで述べてきた録音から10年あまり過ぎ、ちょうど40歳のときのものです。若い頃よりも更に沈んだ暗い色調に変わってはいますが、その野性味と言っても良いようなパワーとやわらかな歌い口は健在です。惜しむらくはこのころの録音がもう少しあれば……というところでしょうか、この役はあまりにも小さすぎますから(せめてランゴーニをやって欲しかった)。
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