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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十五夜/吟声魁偉~

このblogではもちろん有名歌手を自分の観点で語りたいという面もあるにはあるのですが、どちらかと言うと日本語では本でもネットでもあまり言及のない名手や秘密のお気に入り歌手の良さをアピールしたい!と言う思いでやっているところがあります。なので今実施している大バリトン特集でも半分は比較的名前が挙がる人、もう半分はなかなかまとまった情報のない人を扱いたいと考えています。
前回はちょっと予定外だったのですが大御所をご紹介したところですから、今回はちょっとコアなところをついて行きたいと思います!

Solyom-Nagy.jpg
Gara Miklós

ショーヨム=ナジ・シャーンドール
(Sólyom-Nagy Sándor)
1941〜
Baritone
Hungary

オペラと言えばまずは伊独、ついで仏が来て露が来てと言うのは現在のメジャー度合いから行けば頷けるところでしょう(もちろん作品ごとに見ていけば『カルメン』のようなおばけもあるわけですが)。しかし当然ながらそれ以外の国にもオペラはあって、例えばスメタナやドヴォルジャーク、ヤナーチェックを生んだ捷国、ブリテンやヴォーン=ウィリアムズ、サリヴァンのいる英国は小さいながらも1ジャンル、準オペラ先進国と言ってもいいでしょう。
洪国もまたそうした準オペラ先進国のひとつであり、それぞれ1作ずつながら『青髭公の城』と言う渋い名作を書いたバルトークと朗らかな喜劇『ハーリ・ヤーノシュ』の作者コダーイがいますし、国際的な知名度は落ちるものの充実した内容のオペラを作曲しているエルケルもいますし、銀の時代のオペレッタの名手レハールもまたかの国の出身です。クラシック・レーベルでは独特の存在感を放つHUNGAROTONがあり、お国ものはもちろんのこと、ヴェルディやR.シュトラウスの初期作品、ボーイト、レスピーギ、サリエリ、パイジェッロ、ハイドンなど意欲的な録音を数々遺しています。これらの録音ではシャーシュやマルトン、セーケイのような洪国を代表する歌手だけではなく、カプッチッリやネステレンコ、スコット、イェルザレムにガルデッリといった国外の一流の音楽家も加わっており、非常に面白いところ。

今夜の主役ショーヨム=ナジは、そのHUNGAROTONで大変活躍したバリトンです。野性味に溢れた歌い口は力強く、独特のエキゾティックな魅力があります。これが洪ものの雰囲気にピタリと決まっていて、よくぞ彼の歌でこの役を遺してくれました!と思うものが少なからず。詳しくは追ってご紹介しますが、実はこの国のオペラには主役につけ悪役につけ性格的なバリトンが欲しい演目が多いものですから、彼のようにエッジの効いた個性がある人が出てくると演奏自体がグッと締まるのです。必ずしも有名でない作品を満喫できるのは、何と言っても彼の力によるところが大きいでしょう。HUNGAROTONは本当に良い歌手を得たものだと思います。

一方で本音をいうともっと国際的に活躍をして、メジャーどころの録音もして欲しかった実力の持ち主でしょう。荒みとパワーのある声はヴェルディの諸作品、マクベスやナブッコ、エツィオ(『アッティラ』)、アモナズロ(『アイーダ』)あたりは如何にも似合いそうですが、アリア集も出しているヴァーグナーの方にどちらかと言うと軸足を置いていたようです。国際的な活躍がもう少し欲しかったとは言いましたがこの時代のバイロイトにも招聘されており、シュタイン指揮ヴァイクル主演の『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(R.ヴァーグナー)の映像ではヘルマン・オルテルを演じています(プライも出ていて気になっていますが未視聴)。

今宵は日本ではあまり光の当たらない洪もののオペラの雄に注目し、このジャンルの魅力についても語って行きたいと思います。
(ちなみに洪国は日本や中国などと同様「姓・名」の順に名前を書くため、本blogでもその表記に倣います。また、HUNGAROTONのCDについている日本語の解説書では1934年生まれとして紹介されることが多いのですが、洪語版のWikipediaでも1941年生まれとなっているのでひとまずこちらを採用しています)。

<ここがすごい!>
ショーヨム=ナジのことを考えるとまず思い浮かぶのが、そのユニークな音色の声です。「美声」といって間違いないと思いますが、雪の日の太陽のようなちょっとくすみがかかった輝きのある響き。こう言うとスラヴっぽい声なのでは?と思われるかもしれませんが、重量感はあるものの深い響きというのともまた違いますしあまり似た声の人が思い浮かびません。どちらかというと若々しい戀仇よりも、苦悩する王や壮年の英雄を思わせる渋さと迫力のある声です。低い方もよく鳴るのですが安定感のある高音の煌びやかさはまた一入。歌い口もまたそうした声質にまた良くあったエネルギッシュなもので、荒事のように豪快な押し出しの強さや智に働いた強かな雄弁さでグイグイと聴かせていきます。こういった藝風ですから、その声を流麗に聴かせる役ではなく、個性が際立っている役柄でこそ真価を発揮する人でしょう。

上述もしましたが、偶然か必然か彼が少なからぬ録音を遺している洪国お国ものの作品では性格的で魅力的な音楽がつけられたバリトンの役が数多く存在します。何と言っても有名なのは愛すべきホラ吹き親父ハーリ・ヤーノシュ (コダーイ Z.『ハーリ・ヤーノシュ 』)でしょう。おじさんの都合の良い昔語りのようでありつつ或る種の英雄譚でもあるこのお話の主人公には、ユーモラスな雰囲気はもちろん、爽快な剛毅さもロマンスを歌う哀愁も必要であり歌手の力量が試される訳ですが、ショーヨム=ナジの活き活きとした歌唱はそういった複雑な人物を実に魅力的に描き出します。かの国の国民楽派の祖と言われるエルケルの作品も忘れられません。『フニャディ・ラースロー』のガラ提督は娘の幸せよりも自らの権力欲を高らかに歌う悪辣な役柄で、ここでは彼の歌唱は輝かしい憎々しさを伴っており、魅惑的ですらあります。他方『バーンク・バーン 』では横暴な王妃とその弟への反乱を主人公にけしかけるペトゥール・バーンを演じ、味方ではあるものの腹に一物ある政治家を感じさせる演唱で、1幕でいなくなってしまうのがもったいないぐらい。思うに彼のパフォーマンスは非常に賢い人物を感じさせるのですが、それがwiseに近いような思慮深い知的さというよりも、もっと世俗的で権謀術策や肚芸を得意とするcleverさに近いのです。こうした彼の持ち味は作中の人物に、或る意味での親近感を与え、リアリティをもたらしているように思います。

こういった彼の特長を総合していくと、声のタイプこそ違いますが強いて言えばカプッチッリに似た印象が浮かび上がって来ます。輝かしく強靭な声を生み出す喉、渋みがあり重厚で個性的な存在感、多彩で複雑な役柄に説得力にを与える言葉のうまさ……こういったことを分析的に述べることは容易ですが、より端的に申し上げれば、「かっこいいおじさんが似合う」の一言に集約できるかもしれません(笑)

<ここは微妙かも(^^;>
お国ものに限らず独ものでも伊ものでも、彼の豪快さは子音やアクセントを立てて歌うところから来ている部分が多いように思うので、滑らかで美しい旋律を楽しみたいという方にとってはちょっとゴリゴリと押しすぎというか、力み過ぎに感じられるかもしれません。でももしこれがなくなってしまったら彼の歌の良さはだいぶ減じてしまうので、諸刃の剣とも言えそうです。
例によって例のごとく原語で歌っていないものも多いので、その点もご注意を。

<オススメ録音♪>
・ガラ・ミクローシュ(エルケル F.『フニャディ・ラースロー』)
コヴァーチ指揮/モルナール、シャシュ、カルマール、グリャーシュ、ガーティ、グレゴル共演/洪国立歌劇場管弦楽団&合唱団、洪軍男声合唱団/1985年録音
>エルケルという作曲者すら知らなかった自分にとって開眼の1枚で、今でも多くの人に聴いてほしい超名盤だと思っています。ショーヨム=ナジの豪快且つ算高さを感じさせる歌唱は、この悪役のギラギラするような権勢への執着を明らかにし、これまでも多くの人物を追い落として来たであろう老獪さをも引き出しています。彼の歌い口は決してこそこそしたものではなく、堂々として自身たっぷりなので、全曲中の白眉であるアリア(これはガラの権力讃歌であり、イァーゴのような信条告白ですね)は強烈で印象的です。ドラマの後半、王を籠絡して主人公を結婚式から断頭台へと送り込んでいく様は悪魔的ですらあります。彼の長所が最もよくでた録音と言えるかもしれません。コヴァーチの指揮はドラマティックで、メジャーとは言えないこの作品を十分に楽しむことができます。共演は高音が厳しいカルマールを除いて全体に優れていますが、出色はフニャディの母親を演じる名花シャシュでしょう。「カラスの再来」などと言われなければ、彼女はもっと活躍したのではないかと思うと、残念でもあります。

・ぺトゥール・バーン(エルケル F.『バーンク・バーン』)
パル指揮/キッシュ、ロシュト、コヴァーチ、マルトン、グリャーシュ、ミレル共演/洪国千年紀管弦楽団、洪国立合唱団&ホンヴェード男声合唱団/2001 年録音
>こちらもまたエルケルの代表作。彼の演じるペトゥールは、ガラ提督が味方になったらこんな感じかもしれないと思わせるような一筋縄でいかない雰囲気を纏っていて、バーンクを陰謀に誘うところなど大変スリリングな空気を作り上げています。また開幕すぐの酒の歌は野性味溢れていて実にパワフルで、けだしご機嫌な歌唱。エルケルは基本的には伊ものの音楽の作りをベースにしながらこうした部分洪国らしい土臭くてもの悲しい旋律を絶妙に融合しているのですが、いい意味で癖のあるショーヨム=ナジの声と歌にはぴったりだなあと何度聴いても思うところです。結構歳をとってからの録音ですが、活き活きしたパフォーマンスには年齢は感じません。彼をはじめ往年の名歌手たちが脇を支え、主役の2人キッシュとロシュトは若い世代ということになりますが、彼らが大変素晴らしい歌唱。キッシュは思ったよりもうんと力強い声と歌で悲劇の英雄を作り上げていますし、ロシュトの軽やかな美声はこの薄幸のヒロインにぴったりで、狂乱の場は圧巻。

・ハーリ・ヤーノシュ(コダーイ Z.『ハーリ・ヤーノシュ』)
フェレンチク指揮/タカーチ、シュドリク、ポーカ、メーセイ、グレゴル、バルチョー共演/洪国立歌劇場管弦楽団&合唱団、洪放送児童合唱団/1979〜81年録音
>洪国歌劇の傑作の超名盤です。芝居の部分はカットして歌だけですが、組曲でしか本作をご存じない方には是非聴いてほしいと思います。ハーリは上記の役に較べるともっと屈託のない法螺吹きおじさんではありますが、そのホラ話の中での大活躍やロマンスを魅力的にできるのは歌手の力量。もちろんここでの彼の歌唱は十分水準を越えた、という以上の見事なものです。上記2作品のアリアとも似ている血湧き肉躍る募兵の歌ももちろん楽しいですが、タカーチとの重唱や赤い林檎の歌など民謡っぽいところがやはり抜群にうまくて、聴けば聴くほど味わいが出てくるようです。

・ソロモン王(ゴルトマルク K.『シバの女王』)
フィッシャー指揮/タカーチ、イェルザレム、グレゴル、キンチェシュ、ミレル、カルマール、ポルガール共演/洪国立歌劇場管弦楽団&合唱団、ジュネス・ミュージカル合唱団、洪軍男声合唱団/1980年録音
>こちらもまた忘れられてしまった名作の優れた録音で、当時の洪国を代表する歌手陣に加えてヴァーグナーで有名なジークフリート・イェルザレムが登場しています。この作品はここまで紹介してきた作品に較べるとうんとロマンティックな色彩が強いもので、ヴァーグナーでも活躍していたショーヨム=ナジの藝の幅の広さを感じることができます。荒々しい豪放さは影をひそめ、優秀な実務家・政治家としての側面がより伝わってくると言いますか。2つのアリアはいずれも預言者のような崇高さがありますし、イェルザレムやタカーチとの重唱での丁々発止のやりとりも聴きごたえがあります。が、とりわけ大きなアンサンブルでの貫禄、押し出しの強さは格別ですね。フィッシャーの豪奢な音楽も素敵ですし、こちらも共演がまた素晴らしい!特にここでは怪しい雰囲気を漂わせながら小回りも効くタカーチの女王が魅力的だと思います。

・ドン・バジリオ(G.パイジェッロ『セビリャの理髪師』)
フィッシャー指揮/ラキ、グリャーシュ、ガーティ、グレゴル共演/洪国立管弦楽団&洪放送合唱団/1985年録音
>ロッシーニではなくパイジェッロの方での本作は録音が少ないため、代表盤と言っていいかと思います。このバジリオはバスということになっていますからクラバッシやペトリと言った人たちも残していますが、キャラクターの個性の強さという意味ではここでの彼の起用は大成功と言えるかと。作品が作品なので荒々しさは控えめなのですが何より勢が圧倒的で、突風のように駆け抜けていくアリアは痛快そのもの。またバジリオがひょっこり現れて大混乱になるアンサンブルでもまさに台風の目というべき活躍ぶりで、性格派バリトンの面目躍如といったところでしょう。更に他の作品でも共演しているグレゴルのバルトロが抱腹絶倒の歌唱を繰り広げていて、比較的おとなしい主役たちに対してキャラの立った悪役たちが目立つ構図になっています。フィッシャーの指揮もキビキビしていて個人的にはベスト。

・ファラオ(G.ロッシーニ『モゼ』)
ガルデッリ指揮/グレゴル、カルマール、ナジ、ハマリ共演/洪国立管弦楽団&洪放送合唱団/1981年録音
>HUNGAROTONは本当に見識があるなあと思うのが、ロッシーニでも『セビリャの理髪師』とか『チェネレントラ』みたいな人気作ではなくてこういうのを録音してるんですよね、持てる最高の人たちを集めて。当時のディレクターには頭が下がります。本作の版の問題は極めて複雑なので詳細は別の本やサイトに譲りますが、この演奏で使われている版ではファラオは大規模アンサンブル以外にあまり歌のパートはなくて比較的地味なんですけれども、レチタティーヴォでの言葉捌きから尊大な王の風情がよく出ています。息子のテノールの方が目立つ役でもありより大物の歌手がやることもあるのですが、やはり少ない出番であっても十分な存在感を引き出せる彼のような人がやった方が全体が締まりますね^^喜劇での活躍で記憶に残るグレゴルはこうした大真面目な役も立派に果たせることをよく示した名演、ハマリも意外なレパートリーを堅実にこなしています。他方、ナジとカルマールはいまのロッシーニの歌唱を知ってしまうとちょっと辛いところがあります。

・総督バジリオ(O.レスピーギ『炎』)2019.2.28追記
ガルデッリ指揮/トコディ、ケレン、タカーチ、コヴァーチ共演/洪国立管弦楽団&洪放送合唱団/1986年録音
>レスピーギの歌劇というのはあまり聞きませんが実は9作もあって、本作はその最後のもの。プッチーニやヴェリズモ作品などと前後した作品で重厚な管弦楽を楽しめますが印象は全く異なっていて、ロマンチックな甘いメロディや現代ドラマのような生々しさとは別の世界の作品なので、オペラ好きからの受けは悪そうですが辛口で起伏の富んだ名作だと思います。総督は歌う場面は長くないもののあらすじの上では重要で、魔女の企みで妻と結ばれたものの今は妻を愛してる(しかし裏切られて死ぬ)というバリトンらしい役どころ。基本的に無骨な音楽が当てられており、彼の藝風によくあっています。妻シルヴァーナへの歌の途中で一瞬、ほんの少しだけロマンティックになる瞬間があって、そこが老総督の不器用な愛情を感じさせて、レスピーギとショーヨム=ナジ双方の手腕の確かさを思わざるを得ません。主役のトコディの熱唱、ガルデッリの立派な音楽もあって、この珍しい作品の秀演と思います。

・イァーゴ(G.ヴェルディ『オテロ』)
・アルフィオ(P.マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』)
詳細不明
>アリアでの名唱を集めたもの(恐らく放送音源)から2つ、いずれも洪語歌唱です。本当は彼はヴェルディならシモン(『シモン・ボッカネグラ』)が一番ハマるんじゃないかなと思っているのですが、このイァーゴの歌唱も黒々とした悪の魅力が存分に発揮されていて、他に得難いもの。つくづく語りがうまいなあというのを再認識させられます。対してアルフィオではこれまで繰返し述べてきた、彼のスピード感に満ちた豪放磊落な持ち味が凝縮されています。この役はおとなしく丁寧に淡々と歌ったのでは面白くないので、いい意味で歌い飛ばしてくれるのが本当に爽快です!いずれもアリアのみならず全曲であれば……という妄想が膨らむ快演(笑)
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十四夜/主神の品格~

これまで私の趣味嗜好の問題でどうしても独もののバス・バリトンと呼ばれる人たちを扱うことができずにきていたこともあり、このシリーズで扱おうと思っていた歌手がいましたが、急遽予定変更することにしました。
というのも今回は独墺系のヴェヒターからスタートしましたし、もう少し時間を置いて勉強してからその人を取り上げようと思っていたのですが、大変残念なことにまたしても訃報が入り、そしてまた亡くなった彼こそこのジャンルの巨人というべき人であったので特集しないわけにはいかないなと。

そんな訳で最高のヴォータンに登場していただきます。

Adam.jpg
Wotan

テオ・アダム
(Theo Adam)
1926〜2019
Bass Baritone
Germany

独ものを多く聴くことができてはいないものの、最高のバス・バリトン歌手だと思います。
ドレスデンの出身。勝手なイメージですが独ものというとオペラに限らずクラシック音楽全般で、彼が活躍していた東独の演奏の印象が強いです。音色は清澄で引き締まっていて、生真面目な硬さがありつつ筋肉質な身軽さがある……そしてそういった印象をそのまま歌にすると彼の歌唱にたどり着くように思います。オペラであってもあたかも歌曲を聞いているような、丁寧で濃密な歌唱からは、真摯でストイックな姿勢が伝わってくるようです。

幸いなことに録音が多く、彼が如何にさまざまなレパートリーでその本領を発揮していたのかが良くわかります。もちろん得意としていた独ものでの格調高い歌はいずれも名唱ですし、他方でヴェルディや露ものを扱ったアリア集も光ります。時代柄ほぼ全て独語歌唱ですが、優れた歌手が歌えば原語ではなくてもその音楽の真価を引き出すことができるということを証明してくれるでしょう。
正直なところ、彼のヴァーグナーやR.シュトラウスをあまり聴けていないにもかかわらずこの特集を組むのはいささか気がひけるところもあるのですが、そこはこのシリーズの常、追記で補っていきたいと思います(苦笑)。

<ここがすごい!>
前段のところで既に「格調高い」という語を遣ってしまいましたが、アダムの歌唱を形容するに当たってこれほど適切な言葉はないのではないかと思います。オペラの世界には芝居っ気や外連味で“見せる歌手”がたくさんいて、私自身この特集でそういった人を多く取り上げている通りそういった人たちにも魅力を感じる訳ですが、それでも彼の音楽に対して誠実な歌いぶりはまさに“聴かせる歌手”としてその稀有な才能を記憶されるべきものです。先程来の書きぶりですと「要は楽譜通りに歌っているのでは?」と思われるかもしれませんが、そうではありません。むしろ楽譜なり科白なりを丹念に読み込んだ上で深い洞察を行い、歌唱に魂を込めているといると言いますか、その中に世界を創り上げている感じがします。アリア集を聴いていても歌曲集を聴いているかのような印象を持つのはそういった彼の藝風によるところが大きいのででしょう。同じようなタイプでいけばFDやバルトリをここでは上げて来ましたが、FDはもっと学者的、バルトリはもっと“見せる歌手”といった中で、アダムには武道家のような印象を持ちます。或いは仁王像のような引き締まった姿と厳しい顔つきを連想することもあります。精悍さと、自らが信じる伝統を担っているというような誇り高さが、彼の歌からは表出しているように思うのです。時としてがなるような崩しが入る時もあるのですが、それが全く不自然ではなくむしろ歌唱の魅力となっているのは、歌の中でそれが違和感のある浮いた表現になってしまっているのではなくあくまでも彼の藝の地平の先に繋がった、言わば“離”の世界として存在するからではないでしょうか。

バス・バリトンとしてご紹介していますから当然ながらかなり低い音域までカヴァーはしている(オックス男爵(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)歌えるぐらいですからね笑)のですが、声質としてはバスと聞いて想像するような深さや暗さを感じさせるというよりは、むしろバリトンらしい明るさや輝きのある響きです。むしろ普通のバリトンでも例えば前回扱ったヘルレアなどの方がうんと重く黒々とした、いわゆるバスっぽい響きに聴こえるでしょう。独ものの低音ではかの国の森を思わせるような漆黒の声が求められる役が多いように思いますが、ではそういった役柄をアダムが歌うとどうかというと、これがびっくりするほど素晴らしい!とりわけ悪役では湧き上がり、煮えたぎり、噴きこぼれるような苦々しい悪の魅力を楽しむことができます。僕がアダムに初めて注目したのがドン・ピツァロ(L.ヴァン=ベートーヴェン『フィデリオ』)だったこともあり、この役のイメージが強いです。他のファンの方々には、なんでまた彼が演じるには単純な悪役をとお叱りを受けそうな気もしますが、作品そのものの問題もあって今ひとつピンと来ていなかったこの役が鮮やかな実在感を伴って立ち現れてきたのが、ベーム盤での彼の歌唱で、いまでもこの役のベストはアダムだなあと思うのです。

そして僕がアダムの素晴らしさを改めて認識することになったのが、ヴォータン(R.ヴァーグナー『ニーベルングの指環』)です。こちらもベームの指揮によるバイロイトでのライヴは、アダムの魅力が凝縮された最高の記録と言って良いでしょう。いかにも彼らしい格調の高さはそのままに、実演らしい白熱した力強い歌い口で豪快な覇気を感じさせ、神の品格と気性の荒々しさを表出した、蓋し絶唱。あまり聴き込めていない作品でこういうことを書くのも難ではあるのですが、個人的にはこれ以上のヴォータンは考えられません。

<ここは微妙かも(^^;>
上述のとおり基本的には明るい音色のエネルギッシュな声なので、いわゆる独国のバスらしい声(例えばフリックやグラインドル、モルのような。バス・バリトンで言えばホッターやベリー)を期待する向きには満足感が得られづらいかもしれません。ネット上では声が軽い、ブレスが浅いと言ったご意見の方もいるようですが、私見では音色の趣味の問題が大きいように思います。
もう一つ、彼の大きなプラスと思う歌曲を思わせる丁寧で丹念な歌い口も、オペラはもっと勢いと新鮮さのものだ!という向きからは好まれなさそうです。あまりにも真面目すぎる、という指摘があるのも、賛否は別にしてわからなくもないところです。

<オススメ録音♪>
・ヴォータン(R.ヴァーグナー『ニーベルングの指環』)
ベーム指揮/ヴィントガッセン、ニルソン、キング、リザネク、グラインドル、ナイトリンガー、ヴォールファールト、ブルマイスター、ニーンシュテット、ドヴォルジャコヴァー、ステュアート、ベーメ、タルヴェラ、ソウクポヴァー、シリア共演/バイロイト祝祭劇場管弦楽団&合唱団/1966-67年録音
>不滅の名盤。ヴァーグナーが苦手な僕がこの超大作の素晴らしさを知ることができたのは、小さな役まで万全の人を得たこの録音によるところが大きく、特にここでのアダムの“吼えるヴォータン”に魅了されました。「歌曲のよう」と感じさせる彼の歌唱の中では最もオペラティックなものかもしれません。自分が聴いたことのあるこの役の中では最も明るい音色ではないかと思うのですが、それをプラスにして若々しくて精悍で感情の起伏に富んだキャラクターを作り上げています。4夜のうち1夜を取り上げるのであればやはり活躍の多い『ヴァルキューレ』で、どんな小さなフレーズ1つを取ってもヴォータンそのものがそこに降り立ったような荘厳さに圧倒されます。名高い告別の場面はかなり長いこともあって、正直なところ聴いていて飽きてしまうことも少なくないのですが、愛と哀しみに満ちた堂々たる歌で聴き手を惹き混んでしまいます。これにはもちろんベームの集中力の高い指揮の力も大きいでしょう。共演では神々しいニルソン、アルベリヒでは右に出るもののいないナイトリンガー、最後の夜の悪役としての邪悪な風格に不足のないグラインドルの3人がやはり素晴らしい。ヴィントガッセンはジークフリートは熱唱ながらどこか足りないものがあるような気がしていて(それもかなり高次元の話ですが)、むしろローゲでの想像以上に器用な歌いぶりが見事と思います。

・ドン・ピツァロ(L.ヴァン=ベートーヴェン『フィデリオ』)
ベーム指揮/ジョーンズ、キング、クラス、マティス、シュライアー、タルヴェラ共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ドレスデン国立歌劇場合唱団/1969年録音
(L.ヴァン=ベートーヴェン『レオノーレ』)
ブロムシュテット指揮/E.モーザー、キャシリー、リッダーブッシュ、ドナート、ビュヒナー、ポルスター共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ライプツィヒ放送合唱団/1976年録音
>『フィデリオ』はオペラとしては必ずしも評価の高い演目ではないと思うのですが、各役に与えられた音楽が(歌いやすさなどは別にして)非常にかっこよくて好きな演目で、一時期いろいろ聴きくらべていました。その中での個人的なベストがベームのスタジオ録音で、ベームの堅牢で密な音楽とソリストたちの役柄に適した名唱ともども他の追随を許さない名盤だと思っています。ピツァロという役にはそもそもかなり悪人然とした険しい音楽がつけられていますが、アダムの歌唱はその力を最大限にひきだしてるように感じます。筋肉質でスピード感があり、エネルギッシュな華がある彼の歌は、まさにダークヒーローそのもの。終幕でのあっさりした退場がちょっともったいなくなってしまうぐらい。そして非常にありがたいのは彼が『レオノーレ』の方の全曲盤にも参加してくれていることです。ベーム盤から7年越しの歌唱ではありますが、声の衰えを全く感じさせず、純粋にピツァロにつけられている音楽を比較することができます。もちろんこちらもまたギラギラした悪役ぶりがお見事。モーザーはじめ共演陣の質も高く、資料的に面白い以上に質の高い音楽を楽しむことができる名盤です。

・ペーター(E.フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』)
スウィットナー指揮/シュプリンガー、ホフ、シュレーダー、シュライアー、クライマー共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ドレスデン聖十字架合唱団/1969年録音
>これほどメルヒェンの世界を表した音楽と演奏はないのではないかと思います!子供たちの可愛らしい世界の中に、魔女の棲む森の不気味さと飢えや貧しさという現実の苦難とをこれほど高次で融合した当時の東独の人々には畏敬の念を覚えます。ここでは唯一の男性低音のアダムは、この作品をどっしりと支える要役として抜群の存在感です。子どもたち(=女性歌手)の場面の印象が多い作品ですが、魔女の恐ろしい伝承を物語り、最後の祈りをリードするなど実は重要な出番が多いペーターを真摯に演じていてとても好感が持てます。となると酔っ払いの歌は面白みが少ないのかなと思われるかもしれませんが、ここでは彼らしいたっぷりした明るい美声が活きていて高い完成度。スウィットナーの渋い音楽はやはりこの作品にはしっくりきますし、子どもを演じても違和感のないシュプリンガーとホフもいいし、シュレーダーもこの作品の現実的な深刻さを感じさせる名演。そしてシュライアーの強烈な魔女!あの端正なリリック・テナーがここまでやるか!という怪演です。歌が上手いのがタチが悪い(褒めてますw)。

・アドルフォ(F.シューベルト『アルフォンソとエストレッラ』)
スウィットナー指揮/シュライアー、マティス、フィッシャー=ディースカウ、プライ共演/シュターツカペレ・ベルリン&ベルリン放送合唱団/1978年録音
>こちらも当時の東独の雄が結集した感のある超名盤です。この指揮者、このメンバーであまり有名とは言えないオペラがこうして遺されたことは、我々オペラ・ファンにとっても、シューベルトのファンの方々にとっても喜ばしいことですし、おそらくこれから先これ以上の録音が出ることはないかもしれません。この作品の持つ歌曲的な旋律の美しさと独語の響きの小気味良さが遺憾無く発揮されています。アダムはここでも悪役ですが、そのスタイリッシュな歌い口のうまさが引き立っているという意味では彼の録音の中でも屈指のものでしょう。一番の見せ場はアリアなのでしょうが、整然と美しい合唱のアンサンブルは掛け値なしでかっこいい!歌曲的な優美さとオペラ的な盛り上がりとを楽しむことができる、一口で二度美味しい名演です。

・弁者(W.A,モーツァルト『魔笛』)
サヴァリッシュ指揮/シュライアー、ローテンベルガー、ベリー、E.モーザー、モル、ミリャコヴィッチ、ブロックマイヤー共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1972年録音
>ヴンダーリッヒがタミーノではなくてもプライがパパゲーノではなくても、『魔笛』最高の名盤はこの演奏でしょう!彼がザラストロを演じている音源もありそれもまた彼の風格ある歌いぶりが際立つ名唱なのですが、高尚な内容を滔々と歌うよりも曖昧な謎かけでタミーノの考えを揺るがす弁者の方が、アダムの知的な個性に合っているように思います。シュライアーがまた行動の先に立つ若々しさのある歌で、好対照。旋律的ではない、語りと歌の合間のような晦渋な音楽を楽しめるのは彼らの美声と力量の賜物でしょう。全てのキャストが役柄にはまっていますが、特に怒りを歌に昇華した切れ味の鋭いモーザー、重厚な美声と整った歌い口が徳の高さに繋がっているモルはそれぞれ最高の夜の女王とザラストロとして記憶されるべきものでしょう。

・カスパール(C.M.フォン=ヴェーバー『魔弾の射手』)
C.クライバー指揮/シュライアー、ヤノヴィッツ、マティス、ヴァイクル、フォーゲル、クラス共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ライプツィヒ放送合唱団/1973年録音
>実は恥ずかしながらあまり得意ではない作品だったのですが、今回改めて聴き直してこの悪魔に魂を売った狩人の荒々しい歌は彼の個性にぴったりだなあとしみじみ感じた次第です。闇を思わせるようなドスこそありませんが、キビキビしたフットワークの軽い歌いまわしとドライな声色には尋常ならざる魔力、目が据わっているような毒気が漂っています。酒の歌はクライバーの煽るテンポにもバッチリ乗っていてスリリングですし、続くアリアでの迫力ある歌はまさに圧巻で、この録音の一番の聴き処でしょう(それだけに後半の幕でカスパールの歌での出番が少ないのが残念ではあるのですが……狼谷の場は科白でここでは別の人があてていますし)。息子クライバーがこの作品というのはちょっと意外な印象ですが彼らしいホットな指揮はやはり魅力的ですし、情熱的なシュライアーをはじめ共演陣も楽しめます。

・フィリッポ2世(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
コンヴィチュニー指揮/リッツマン、ドヴォルジャコヴァー、ミュラー=ビュトウ、R.イェドリチカ、フレイ共演/ベルリン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
>比較的最近になって登場した音源ですが隠し球的な名演で、初めて聴いた時にかなり驚くとともに感動しました。独語ということもあってアダムの歌はヴェルディらしいというよりはやはり歌曲を思わせるものですが、全く別のアプローチから光を当てることでこの役の新たな魅力に気づかせてくれるようです。“独り寂しく眠ろう”はこの部分だけ単体で取り出してもフィリッポという役柄の持つ世界がしっかりと打ち出された精緻で知性的な歌唱で脱帽させられます。またフレイの演じる恐ろしくて破壊力のある宗教裁判長との重唱は、2人の音色と持ち味の違いが実にリアルで演劇的な面白さがあります。正直なところドヴォルジャコヴァーを『指環』で少し聴いたことがあることを除くと全く知らないメンバーなのですが、それぞれの個性が役に合致しており素晴らしく、聴き慣れた本作を新たな耳で楽しむことができます。

・オックス男爵(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)
・ペナイオス(R.シュトラウス『ダフネ』)
スウィットナー指揮/シュレーター共演/シュターツカペレ・ドレスデン/1969年録音
>残念ながらこの記事の投稿時点では彼のシュトラウスは聴きとおせていないのですが、この『R.シュトラウス名場面集』が比較的手に入りやすいのは嬉しいところです。図々しくて品がない、コミカルな役であるオックスと生真面目なアダムの藝風はいかにも反りが合わなさそうな感じがしますが、彼の明るい声はこうした役にもマッチしていますし、非常に柔軟で器用な歌い口には舌を巻きます。明るい声なので意外ではありますがあの最低音もきっちり鳴っていて、彼の声域の広さの証左と言えるでしょう。若さが必ずしもプラスに働く役ではありませんが、パワーがあってまだまだ枯れてないという自負があるのにも納得感があります。『ダフネ』はシュトラウスの作品の中でとりわけ目立った存在ではないと思いますが、ここでの彼の雄大な歌唱は合唱を伴ってスケールの大きな風景を想起させるもので、一聴に値します。この役も作中唯一低音を受け持つパートですから、もし実演であれば頼り甲斐がある低音を聴かせてくれるに違いないだろうなと想像できます。どちらも全曲を聴いてみたいと思わせるのに十分な歌唱です。

・ケツァール(B.スメタナ『売られた花嫁』)
・メフィストフェレス(C.F.グノー『ファウスト』)
スウィットナー指揮/シュライアー共演/シュターツカペレ・ドレスデン/1973年録音
>ここまでの音盤紹介でも繰り返し登場しているシュライアーとは重唱集を遺しています。このアルバムは全て独語歌唱ではありますがかなり多彩なプログラムで、彼らがあまり歌わなかっただろうものも楽しめる点で貴重なものですが、ここでは2つご紹介しましょう。まず独語での録音も多い『売られた花嫁』のケツァールは、速いテンポでの口数が多い部分では小回りの効いた口跡が気分良く、中間部では恰幅のいい伸びやかな歌で美声にうっとりさせられます。メフィストは全曲遺していないのが全く惜しいぐらいで、ピツァロやカスパールで聴かせたような魔術的な魅力がここでも存分に出てきています。そしていずれもシュライアーの若々しい活力の漲る声と歌と相性が抜群。彼らは録音史に残る名コンビと言ってよいでしょう。

・ボリス・ゴドゥノフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
・イーゴリ・スヴャトスラヴィチ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)
・イァーゴ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』)
マズア指揮/シュターツカペレ・ベルリン/1968年録音
>最後はちょっとだけイロモノで、露ものとヴェルディを集めたアリア集からです。いずれもそもそも独語の歌であったかのように違和感がありません。まずボリスは彼の良さが一番活きそうな独白が収録されていますが、これはちょっとびっくりするぐらいの名唱です。ボリスの焦燥と後悔をちりばめながら、こんなにも神々しく荘厳に、そして端正な表現ができるのかと聴くたびに頭が下がります。彼はヴォータンにしろフィリッポにしろ権力者の胸の内の表現に秀でていると言えるのかもしれませんね。続くイーゴリ公はそもそもバリトン向けに書かれた役ながらバスが歌うことが多いこともあって、或意味バス・バリトン向きなのかもしれません。高音から低音までよく響くアダムの美声に思わず聞き惚れてしまいます。囚われたイーゴリの苦渋の表情が思い浮かぶようです。そしてイァーゴのゾクゾクするような悪への讃歌もまた稀代の名演!どうしてこうも悪を魅力的に描けるものかと嘆息させるもので、下手に伊語で歌われたものよりもよっぽど優れた歌唱でしょう。これらも全曲が欲しくなりますが、できれば敢えて独語で聴きたいですね^^
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十三夜/重厚かつしなやかに~

あけましておめでとうございます。
本当は2018年中にと思っていたのですが、バタバタしているうちに年を越してしまいました^^;
本年も気長にやっていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

大バリトン特集、第2回目ですが早速大穴と言うべき人です。

Herlea.jpg
Rodrigo, Marchese di Posa

ニコラエ・ヘルレア
(Nicolae Herlea)
1927〜2014
Baritone
Romania

ブカレストに生まれた名バリトン。
現在日本では知名度が高いとはとてもいえませんが、実は来日もしていれば時の人にもなっています。キャリア後半になったカラスがディ=ステファノとともに『トスカ』を日本で公演することになった際、スカルピア役として指名されたのが誰あろうヘルレア(但しカラスは結局キャンセルして代打はカバリエ)。公演の直後から爆発的人気となったらしいのですが、やはりその録音の手に入らなさからか、今やまさに知る人ぞ知る、という感じになってしまっています(ちなみに未見ですがこの時の映像が残っているようなので、これは手に入れたいと思っています)。
実のところ録音が取り立てて少ないということではないのですが、羅国のローカル・レーベルで地元の歌手たちと遺しているものが多いのがその手に入りづらさを生んでしまっているようです。

録音に実際触れてみるとわかりますが、日本ですぐ圧倒的人気が出たのも宜なるかな。バスティアニーニを少しエキゾチックにしたような肉厚で力強い輪郭のはっきりした美声と、熱量の高い、しかし優美なカンタービレは伊もののオペラ、とりわけヴェルディを愛する人であればお気に召すこと間違いなしでしょう。正直なところここでご紹介しているマイナーな歌手は、私自身の趣味による偏りが少なからずあると思っているのですが、こと彼に関しては多くの人にその良さが伝わるのではないかと思っています。
今回は、この知られざる伊ものの名手に光を当てていきます。

<ここがすごい!>
後で改めて詳しくご紹介しますが、僕がヘルレアを最初に聴いたのはトッツィやコレッリとMETで共演した『ドン・カルロ』(G.F.F.ヴェルディ)のロドリーゴでした。この時の関心は専らフィリッポを演ずるトッツィで、エボリのアイリーン・デイリス(彼女もいずれ記事にしたいですね)とロドリーゴのヘルレアは全然知らない人だしまあどっちでもいいかなという程度の認識でした。しかし聴き終わって一変、両者ともその歌唱の見事さに圧倒されたのでした。コレッリはカルロとしては最重量級と言ってもいい歌手ですが、彼と組んでも全く不足を感じさせない馬力が、まずはヘルレアの武器だと言っていいでしょう。バスティアニーニの名前を先に上げましたが更に一段重い声で、G.G.グェルフィを思わせる瞬間も少なからずあります。ここまで重い声だと過度におどろおどろしい印象になりかねないのですが、あくまでも歌い口は正統派で、いたずらに凄んだり力んだりすることなくスマートにまとめていく手腕には大変好感が持てます。どんな役を演じてもグロテスクになり過ぎず、剛毅な声と表現の中にも気品が漂っているのです。先の『ドン・カルロ』でも超重量級の歌手とがっぷり四つに組みながらも、ノーブルで若々しい活力をも感じさせています。

重さばかりに焦点を当ててしまいましたが、やはりその声の音色は賞賛すべきもの。黒檀を思わせる重厚な輝きのあるヘルレアの声の響きには、メタリックな煌めきとはまた違った暖かみがあります。よく伸びる高音からは胸のすくような力強さが鮮やかに感じられ、声区こそ違いますがドラマティコのテノールを聴いているような爽快感を受けることもしばしば。レパートリーの中心が伊ものであるのも、こう言った声だからこそでしょう。声量の必要なドラマティックな役柄ではその真価が遺憾なく発揮されています。

そんな中でフィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)を当たり役にしているのもびっくりしますが、聴いてみると意外なほどフットワークが軽く洒脱に歌いこなしているのがわかります(それこそ彼よりは声質そのものは軽いと思うカプッチッリやバスティアニーニがフィガロを演じた時の重々しさったら!)。言葉さばきも巧みですし、柔軟で器用なところもまた彼の持ち味です。言われなければひょっとすると伊国出身と勘違いする人もいるのではないかと思わせるほど伊ものに適したしなやかで熱の籠った歌い回しは、今でこそたくさんいる東欧出身の歌手たちと較べても垢抜けたものです。
偉大な先駆者として再び注目が集まることを願ってやみません。

<ここは微妙かも(^^;>
フットワーク軽い歌もうたえるのは確かなのですが、どうしても重たい声の人の常としてちょっともこもことした感じに聴こえてしまう時もあるので、気になる人は気になるかもしれません(僕は気になりません笑)。
あとはバスティアニーニやブランの時にも同じようなことを書きましたが、基本的には端正な雰囲気のある歌ですので、下卑た人物を歌うとしっくりこない感じはあります。

<オススメ録音♪>
・ポーザ侯爵ロドリーゴ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
アドラー指揮/コレッリ、リザネク、デイリス、ヘルレア、ウーデ共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音
>現在最も手に入りやすいのはこの録音でしょう。明らかなバリトンながら宗教裁判長を歌っているウーデ(そして成功していない)を除けば、数ある本作の音源の中でも最重量級のキャストによる演奏ではないかと思いますが、力負けしないどころかむしろ抜群の存在感で、これがMETデビューだったのだというのですから肝が据わっています。気力横溢した声と情熱的な歌い回しからは、ロドリーゴに欲しい理想に燃えたパワフルで若々しい輝きが感じられまさに当たり役。死の場面ももちろん聴かせますが、トッツィやデイリスとの丁々発止のやり取りや落ちまくるコレッリを好サポート(?)する場面など全編にわたって彼の魅力の詰まっています。アドラーのキビキビとした指揮も気分がいいですし、繰り返しになりますがトッツィとデイリスは素晴らしい出来。コレッリとリザネクは凄い声ですが好き嫌いが別れそうです。

・アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
ヴァルヴィーゾ指揮/サザランド、コンヤ、ジャイオッティ共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音
>こちらも同じ年のMETでのライヴ。ベルカントとは言えドラマティックにも演じられてきましたし、豊かなな旋律をたっぷりと歌い上げる悪役なので、ヘルレアの良さがとてもよく出ていると思います。冒頭のアリアは客席をドラマの世界にグッと引き込む要の曲ですが、緊張感の高いスタイリッシュな歌唱でお見事。高音も気分良く飛ばしています。ルチアとの重唱の冒頭では多くの歌手のように強権的な力技で行くのではなく、朴訥に宥めすかすような抑えた表情をつけていて、エンリーコの新たな一面を引き出しているように思います。こういうところのセンスの良さや器用さは彼の大きな美質でしょう。コンヤもまた同じような方針の力感溢れるエドガルドだったので、本当は3幕の重唱も欲しかったところです(6重唱ももちろん素敵なのですが)。カットは多いですがヴァルヴィーゾはいつもながらフレッシュな音楽、共演陣も優れた隠れ名盤です

・リゴレット(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
ボベスク指揮/イアンクレスク、ブゼア、ラファエル、パラーデ共演/ブカレスト・ルーマニア歌劇場管弦楽団&合唱団/1965年録音
>羅国の地方レーベルでの録音ですが、侮るなかれなかなかの名演です。ヘルレアはリゴレットにはちょっと整いすぎているという意見も出そうですが、迫力のある声によるスケールの大きな歌唱にはやはり得難い魅力があります。娘をさらわれた後に平静を装って鼻歌しながら入ってくるところだとか2幕のジルダとの重唱だとかは、結構しっかり演技を入れつつそれがくどくならない匙加減が流石。それだけに悪魔め鬼めや復讐を叫ぶ部分での爆発がかなり際立っています(2幕フィナーレの見事なこと!)。他の人は全く知らなかったのですが、イアンクレスクの古風ながら薄幸な乙女を感じさせるジルダ、ブゼアの重ためながらキリッとしたスタイルのいい公爵はじめ全体にかなり楽しめます。ボベスクの指揮も個性的で悪くない。

・スカルピア男爵(G.プッチーニ『トスカ』)
オラリウ指揮/ゼアーニ、ファナテアヌ、クラスナル、アンドレエスク、ハラステアヌ共演/ブカレスト・ルーマニア歌劇場管弦楽団&合唱団/1977年録音
>随分前に入手した時、実はヘルレア以外あまりピンとこなくてMDに録った後CD本体は売っぱらってしまったのですが、今回聴き直してなかなかどうしてかなり立派な演奏で手放したのを後悔しています……なかなか手に入らないし^^;さておきヘルレアは登場時点から巨大な声で強烈なスカルピアを印象付けます。これだけ声量があるとテ=デウムも素晴らしい聴きばえ。柔剛よく取り混ぜてというよりはかなりマッシヴで高圧的な役作りで、暑苦しいのがとても良いですね(笑)とりわけ2幕でトスカやカヴァラドッシを詰問するところなどは、結構退屈してしまう場面だったりするのですが、サディスティックな雰囲気がハマっていてグイグイ聴かせます。ゼアーニはややヴィブラートきつめですが熱唱ですし、ファナテアヌはびっくりするぐらいごついドラマティコでお好きな方にはたまらないのではないかと。オラリウの指揮も◎で、堂守と子どもたちが大騒ぎする賑やかな場面などこんなに楽しかったけというほど雰囲気を出しています。

・フィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
・西国王ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』)
・レナート(G.F.F.ヴェルディ『仮面舞踏会』)
・カルロ・ジェラール(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)
ボベスク指揮/ルーマニア放送交響楽団/1962年録音
>お得意の伊ものを中心に取り上げたアリア集なのですがここでは指揮のボベスクがちょっとかったるいのと、強すぎて違和感のあるエコーが足を引っ張っているのが残念です。とは言え彼自身の歌は上質なもの。ここでは4役とりあげます。まずは当たり役として知られるフィガロの縦横無尽な歌いぶりが聴けるのが嬉しいですね^^早口でも着実な言葉さばきや声色の使い分けをしながらの堂々たる歌を楽しむことができます。打って変わって西国王カルロでは国王に選ばれる人物らしい恰幅の良さや若さからくる思索的な側面をよく引き出しています(まあ全編見るとこの役すっとこどっこいなところがあるんですが)。前半の内面的な語りと後半の悟りを得たかのように朗々と大志を抱く部分の対比も鮮やかです。レナートでは苦悩に苛まれる渋い男ぶりがたまりません!主部に入り込むまでのレチタティーヴォが抜群にうまいですし、あの強烈な前奏の中でどちらかというと淡々と歌うことで、怒りの言葉を口にしながらも心ここにないことが伝わってきます。そしてだからこそ後半のアメーリアへの愛情を歌う場面の熱唱が切々と胸に迫ってきて、これは全曲がないものかと。最後はジェラールですが、シェニエの処遇を冗談めかして独白するところから苦渋の面持ち、その中でも迷いや愛などさまざまな表情がひしひしと伝わってくるこちらも名演。レナートもそうですが、明らかな善玉悪玉よりもこういう変化のある役の方がひょっとするとよかったのかも……音源はないものか……。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十二夜/気位の高いヴィーンの貴族~

6周年で少しコメントした通り、追悼記事を挟みましたが今回から久々に特集を。
このコーナーを何度かご覧になっている方はおなじみだと思いますが、blog主は低音歌手を偏愛しております。
が、改めて目次を見てみると意外なぐらいバリトンの紹介が少ない!!これはいかん!!ということで、お気に入りの各国のバリトンを紹介していく「大バリトン特集」をスタートいたします^^
(え、ソプラノの方が少ない?前回カバリエだったしいいじゃないですか!)

最初に取り上げるのは独墺系のハイバリトンの代表格というべきこの御仁。

Waechter.jpg
Graf Danilo Danilowitsch

エーベルハルト・ヴェヒター
(エバーハルト・ヴェヒター)

(Eberhard Waechter)
1929〜1992
Baritone
Austria

プライのところでも触れましたバス&バリトン栄光の世代1929年生まれの墺国の名手です。
この世代の独墺系のハイバリトンと言えば日本で親しまれているのはプライやフィッシャー=ディースカウだと思いますが、ヴェヒターもまた忘れてはいけない重要な歌手としてその名を録音史に刻んでいます。私見では少なからぬ録音に反して必ずしもレパートリーが広い訳ではない、と言いますかピッタリと合致する役柄が多い訳ではないのですが、ハマる役では彼を超える歌唱を探すのが難しいというタイプの人と認識しています。例えば豊かな声でたっぷり歌うような、ヴェルディはじめとする伊ものの役では率直に言えばピンとこない一方で、数々のオペレッタでの最高のパフォーマンスは、録音史を彩る名盤として永久に語り継がれるべきものであると思います。

遺された録音からだけでも非常に貴族的と言いいますか、鼻っ柱の高そうな雰囲気が漂っている人ではあるのですが、保守的で相当難しい人だったようです(実際男爵ですし)。ヴィーン国立歌劇場の総監督になってすぐに音楽監督だったクラウディオ・アバドが退任していった話などは顕著な例でしょうね。とはいえそういった厳しさもまた彼の藝風を形作る個性であるようにも感じます。

実はヴィーンを代表する名手のご紹介は初めてですが、彼ならばもってこいの方かと!

<ここがすごい!>
僕はどうしてもこの時代に独墺圏で活躍したハイ・バリトンを考えるとき、F=Dとプライとヴェヒターをセットで考えてしまうのですが、それは彼らが同じようなレパートリーで活躍し共通する面もありながら、それぞれに全く異なる個性を持っているからです。求道者のようにあらゆる分野の声楽レパートリーで練りこんだ歌唱を残しているF=D、明るくて人間味のある人柄が滲み出るような藝で聴かせるプライに対して、ヴェヒターは何と言っても華やかで貴族的なオーラと言葉の巧みさで記憶に残ります。言葉に対する感覚でいけば当然F=Dも優れているわけですが、F=Dが一つ一つの言葉の解釈にこだわった学者肌で理知的なアプローチを取っているのに対し、ヴェヒターのそれはもっと自然な、口をついて出てくる言葉がそのまま歌や科白回しになってしまうような印象を持ちます。決してそんなことはないとは思うのですが、彼自身の素の姿がそのまま出しているのではないかという錯覚に陥ってしまうような自然なパフォーマンス。これが彼の演じているもののひとつの軸なのではないかなと。ですからその軸にぴったりとハマるような役柄を演じさせると、他の追随を許さないヴェヒター独自の世界を展開してくれるように感じます。

その彼の軸を考えると、どうしても「貴族」というキーワードを避けては通れません。何と言っても孤高ともいうべき気品があります。もちろん例えば伊ものではバスティアニーニが、仏ものではブランが品格ある歌を持ち味にしている訳ですが、もっと他を寄せつけない、自分自身が優れた存在であるというような強い矜恃が滲み出るような、そんな気品です。これを軸に彼が得意にしたレパートリーを考えると実にスッキリまとまる気がするのです。例えばそこに藝術的な才能が備わると尊敬される詩人ヴォルフラム(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルとブルクの歌合戦』)になりますし、その自信満々さが男性的な魅力の方面に向かえばドン・ジョヴァンニ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)になります。そして一転こうした気品が実はこけおどしで、実は根っこのところでは幼児性を感じさせるようなワガママな人物なのだということが垣間見えれば、アルマヴィーヴァ伯爵(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)やアイゼンシュタイン(J.シュトラウス2世『蝙蝠』)に早変わりしてしまいます。私見ではこうした多面的なキャラクターが高次に結びついた、彼の一番の当たり役こそがダニロ(レハール F.『メリー・ウィドウ』)ではないかと。パリを舞台に活躍する大使館員らしい華やかさはもちろんのこと、大人の戀物語の登場人物としてのダンディさや暑苦しくならない趣味の良さ、そしてスマートに喜劇的な面も引き出すことができる匙加減のうまさなどどれを取っても一級品です。後でご紹介するシュヴァルツコップフとの共演盤はこの作品の金字塔であり、蓋し彼を聴かずしてダニロを語ることは出来ないでしょう。

<ここは微妙かも(^^;>
独ものやモーツァルトで際立つことば回しの巧みさに対して、伊流の流麗なカンタービレを聴かせて欲しい演目ではどうにも固さが出てしまうのがこの人のツラいところでしょう。フィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)も遺していますが独語歌唱にもかかわらずギクシャクした印象は拭えませんし、ヴェルディでも苦しそうというか合っていない感じが強くしてしまいます。何というかこういう演目では声そのものがパサついて聴こえてしまうのです(独ものではその豊かさに驚かされるのに!)。
またお得意のオペレッタでも人によっては歌よりも語りに重きを置きがちな彼の歌は好まないかもしれません。そこが持ち味でもあるのですが。

<オススメ録音♪>
・ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵(レハール F.『メリー・ウィドウ』)
フォン=マタチッチ指揮/シュヴァルツコップフ、シュテフェック、ゲッダ、クナップ、エクヴィルツ共演/フィルハーモニア管弦楽団&合唱団/1962年録音
>録音されて半世紀経ちますが、未だに本作最高の名盤ではないでしょうか。登場のアリアから彼らしい自由な歌いぶりなのですが、それがダニロというキャラクターの伸びやかな個性を実に見事に表現しているように思います。彼のオペレッタらしいかなり崩しの入る歌いぶりなのですが(例えば同じ役でもプライはきっちり楽譜通りに歌いながら人物像を滲ませていく全く別の名演)、それによって下品になってしまうことは決してなく、子どもっぽさや気の短さはあっても貴族らしい優雅な華やかさのある大人の男を描いてしまう手腕には何度聴いても脱帽させられます。科白回しも最高で、ハンナとの和解の重唱に入るまでの会話などシュヴァルツコップフ共々これ以上は考えれらません!役柄以上に魅力溢れるゲッダのカミーユやコケティッシュなシュテフェック、クナップはじめコミカルな脇の人たちも粒ぞろいです。そしてフォン=マタチッチの指揮!ちょっとエキゾチックな空気を与えているのが作品の雰囲気を盛り上げています。

・ガブリエル・フォン=アイゼンシュタイン(J.シュトラウス2世『蝙蝠』)
ダノン指揮/リー、ローテンベルガー、スティーヴンス、ロンドン、コンヤ、クンツ共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年
>アイゼンシュタインを当たり役にしたヴェヒターは、ことこの役についてはたくさんの録音を遺していますが(中にはフランクをやっているものなども)、個人的にはベストではないかと!共演陣とのバランスがいいこともあってか、彼の作り上げる人物像がが最も自然に表現されているように思うのです。それにしてもよくもまあ社交界でも活躍する華やかな伊達男の雰囲気を湛えつつ、ここまでお馬鹿で人間的で子どもっぽい人物を作れるものです。リーとの時計の重唱などその喜劇役者ぶりに笑みが溢れます。舞踏会への重唱はファルケがロンドン(!)ということでこの歌の録音でも最重量級のコンビではないかと思うんですが、こちらも意外なぐらいの軽やかさで実に愉しい!(この部分についてはベリーとのライヴでの自棄っぱちテンション&最後に痺れる高音!というのも捨てがたくはありますが笑)そのほか共演のメンバーもそれぞれベストの出来ですが、極めつきなのはダノンの柔軟な指揮!クライバーにも劣らない決定的名演と思います。

・ヴォルフラム・フォン=エッシェンバッハ(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルとブルクの歌合戦』)
サヴァリッシュ指揮/ヴィントガッセン、シリヤ、バンブリー、グラインドル、シュトルツェ、クラス、パスクーダ、ニーンシュテット共演/バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団/1962年録音
>恥ずかしながらあまり聴き込めていないヴァーグナーですが、この演奏は最初に聴いたときからその魅力に惹きこまれたもの。ヴェヒター演ずるヴォルフラムは非常に気高く、また若々しいパワーを感じさせるもので、ともするといいやつだけどちょっと智に働きすぎた四角四面な人物になってしまいそうなこの役にうっとりさせるような美しさを与えています。タンホイザーがヴェーヌスヴェルクから帰ってきて騎士達と遭遇する場面のアンサンブルで、これだけのメンバーを颯爽とリードしていく様は惚れ惚れするほどかっこいいですし、もちろん夕星の歌も愁いを帯びた、しかし優しい愛を感じさせる稀代の名唱です。しかしそれ以上に衝撃的なのは、ヴィントガッセンによるローマ語りの力演の後、これまたバンブリーのヴェーナスからの強烈な誘惑に対して発する、力強い「エリーザベト!」の一言!それまでのうねる音楽が一瞬にして鎮まり、タンホイザーが正気に返るのがわかる凄まじい瞬間です。これを聴かずしてタンホイザー語るなかれ、です。

・アルマヴィーヴァ伯爵(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
ジュリーニ指揮/シュヴァルツコップフ、タッデイ、モッフォ、コッソット、I.ヴィンコ、ガッタ、エルコラーニ、カプッチッリ共演/フィルハーモニア管弦楽団&合唱団/1959年録音
>ヴェルディを演じるとどうもしっくりこないヴェヒターなのですが、同じ伊語でもモーツァルトの演目になるとびっくりするような名演が飛び出してくるのはちょっと不思議なほどです。こちらでの伯爵は旧主的で身勝手な殿様ぶりが前に出てくる役ではあるのですが、仮にも『セビリャの理髪師』の伯爵と同人物ですから、脂ぎったセクハラおやじではなく品のある美男子であって欲しいところ、ここでの彼の歌はそうしたバランス感覚が抜群にいいです。なんと言いますか、ちょっと美男子なのを鼻にかけた嫌な雰囲気をしっかり出しているんですが、それでもしょうがない人だなあと思わせてしまう人懐っこさもあるのです。だからしっかり悪役なんだけれども、夫人の赦しの言葉が嘘くさくならない。こういう伯爵は、彼にしか歌えないものだと思います。

・ドン・ジョヴァンニ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)
ジュリーニ指揮/タッデイ、シュヴァルツコップフ、サザランド、アルヴァ、シュッティ、カプッチッリ、フリック共演/フィルハーモニア管弦楽団&合唱団/1959年録音
>実はこの演奏は何よりヴェヒターの題名役の声が軽く感じてしまって、長いこといいと思えなかったものなのですが、今回の記事を書くために改めて聴き直してその素晴らしさを改めて認識したもの。例えばシエピやギャウロフのようなバスや、バリトンでもブランのような深みのある声による悪魔的で強大な力を念頭に置いてしまうとなんとなくピンと来なくなってしまうのですが、もっと等身大の色事好きの貴族と思ってこの役を捉えると、彼のハイバリトンも決して軽々しい響きではなく、むしろその卓越したリズム感と言葉さばきをともなって、筋肉質で機動力のある男性的な魅力を引き出していることがよくわかります。共演陣は異種格闘技戦感はあるものの総じてレベルは高く、趣味は分かれるかなあという気はします(上のフィガロもそんな感じですが)。これはこれで楽しいので僕は好きですが。

・フォン=ファーニナル(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)
フォン=カラヤン指揮/シュヴァルツコップフ、ルートヴィヒ、エーデルマン、シュティッヒ=ランダル、ゲッダ、ヴェリッチ、キューエン共演/フィルハーモニア管弦楽団&合唱団/1956年録音
>不滅の名盤。ここまでの他のキャラクターが本物の貴族だったのに対し、こちらは爵位を金で買った成金貴族という役どころですが、だからこそ彼の歌によって理想の高さや爵位への執着といった部分がよく出ているように感じられます。必ずしも出番は多くないものの、オクタヴィアンとオックス男爵の決闘の後で怒りまくって娘を怒鳴りつけ、男爵をなじるあたりの早口でのまくし立てなどは流石の出来で、やり場のない怒りの爆発にはフォン=ファーニナルの立場なりの悲哀も感じさせます。一方で、終幕でマルシャリンと交わすほんの一言の大人の会話に父としての慈愛を覗かせたりするのはうまいものです。共演陣はその彼を脇に回してなお存在感の強い名演。フォン=カラヤンはこういう作品でこそ良さが出る人と思います。

・ヴラディスラフ2世(B.スメタナ『ダリボル』)
クリップス指揮/シューピース、リザネク、クレッペル、チェルヴェンカ、ダッラポッツァ共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1969年
>スメタナ本人が、作曲したオペラの中で最も気に入っていたという作品の独語版。全体に演奏そのものの質は高いと思うのにカットがやたら多いのが玉に瑕で、特に後半が尻すぼみになってしまっているのが大変残念です。さておき我らがヴェヒターは、こういう思い悩む王様を演じさせると随一だなあと唸らされる出来で、原語版でこそないもののこの役柄を知る上では外せない名唱ではないかと思います。とりわけ2幕の為政者の苦悩を吐露するアリアは全霊をかけて歌っていることがひしひしと伝わってくる素晴らしい歌唱で、心ならずも厳しい決断を迫られる王の姿が目に浮かぶようです。題名役のシューピースとヒロインのリザネクがドラマティックな声で聴きごたえ満点、ヴァーグナーがお好きな方はお気に召すのではないかと思います。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十一夜/天使のピアニシモ~

それなりに書き出しまで準備している記事があるのですが、突然舞い込んだ訃報を受けて再び予定変更。
追悼記事が続かざるを得ないのは大変悲しいことです。この人は本当はもう少し時間をかけて準備したいなあと思っていた人だったのですが。。。


Lucrezia Borsia

モンセラート・カバリエ
(モンセラ・カバリエ、モンセラット・カバリエ)

(Montserrat Caballé)
1933〜2018
Soprano
Spain

20世紀後半に活躍した西国のソプラノ。
ベル・カントから始まってヴェルディからプッチーニまで伊ものを総なめにし、R.シュトラウスに至るまで広大なレパートリーを誇っていた他、かのフレディ・マーキュリーとのデュエットも知られています(むしろひょっとするとこの晩年のフレディとの曲で彼女を知っている人も少なくないのかもしれません)。まさに録音史上の巨星ともいうべき存在と言えるでしょう。

信じられないことですがそんな彼女もキャリアの初期は大きな役がもらえず大変苦労をしたと言います。更にびっくりなのがそのころのレパートリーのメインはあくまで独墺系のもので、生涯ベル・カントものに行くつもりはなかったのだとか。そこに突然『ルクレツィア・ボルジア』(G.ドニゼッティ)の題名役の代役の話が舞い込み、公演は大成功、一晩にして彼女は大スターの座に就いたというのですから人生はわからないものです。

夫のベルナベ・マルティもまたオペラ歌手であり、高音に強い素晴らしいテノールでしたが、「家に2人歌手はいらない」という理由で引退したのだとか(ただ実際には健康上の理由のようです)。カバリエ曰く、「ピンケルトンに結婚してもらえた蝶々夫人は私だけだと思う」。
一方で2人の娘の1人モンセラート・ベルティもまたオペラ歌手になっています。何につけてもエピソードに事欠かない人ということは言えそうですね^^;

とはいうものの恥ずかしながら自分は少なからずカバリエの音源には接していながら、そのあまりにも広大な業績を前に彼女の持ち味や藝を掴みかねている感があり、これまでここでのご紹介が叶わずにいた人です。未だに私が聴くことができているのは伊もののごく一部に過ぎないのですが、これを機に改めて聴き直したところから少しでも彼女を偲ぶことができればと思います。

<ここがすごい!>
「モンセラート・カバリエ 」の一番の魅力を挙げよと言われれば、私ならば「繊細な弱音」と答えると思います。と言いますのも、繰り返しますが彼女の広大なレパートリーは追い切れていないものの、知るかぎりいずれの音源でも彼女が一番勝負をかけているのが、細くても強く切れない、まさに絹糸のような弱音だからです。そして強力だからこそその弱音を操って繊細な表現をすることができる。その技術にかけては未だにカバリエを超える人は出ていないでしょう。決めどころというべき場面で彼女が聴かせる細く美しい高音は非常に耽美的で、その瞬間に時間が止まってしまったのではないかという錯覚に陥るほど。そしてそれをベル・カントでもヴェルディでもプッチーニでも成し遂げてしまうところに彼女の凄まじさの一端はあるように思います。

彼女のキャリアを切り拓いたのがドニゼッティということもあり、また彼女のレパートリーでそれらが重要な位置を占めてもいますから、ベル・カントこそがカバリエの真髄というご意見は十分理解できます。ただ一方で、ロッシーニ・ルネッサンス以降登場してきた歌手たちと較べると転がしの技術にはまだ遜色があるのもまた確かではないでしょうか。それでもなお彼女のベル・カントの魅力を不朽のものとしているのは、彼女の藝術的センスにこそにあるように私には思われるのです。カバリエの甘みのある豊かな響きの声は単に美しいというだけのものではなく、芯の通った力強さをも兼ね備えており、だからこそ彼女はジョコンダ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)やアイーダ(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)、R.シュトラウスの諸役といったドラマティックなレパートリーでも名声を得ることができたのだろうなと(恥ずかしながらシュトラウスは未聴なのですが)感じます。普通はこうした役を歌う人が同時にベル・カントなど歌えるものではありません。そうした強さのある声をしなやかに使って繊細に表現するセンスが、カバリエを偉大な歌手たらしめているように思うのです。

<ここは微妙かも(^^;>
上述のとおり今飛ぶ鳥を落とす勢いでロッシーニやドニゼッティを歌っている人たちのメカニックな歌唱を愛する人にとっては、コロラテューラの精度はもう一声と思われるところが少なくないかと思います。その分弱音のコントロールでたくさんの美しい瞬間を作っているのが彼女の持ち味ではあるのですが、それが音楽の流れを止めてしまっているという批判もまたありうるのかなとは思います。
私自身がそうでしたが、あまりにも様々な役を歌っているので返ってその魅力が伝わりづらくなってしまっているところは残念ながらあるかもしれません(私は今回記事を書くために色々と聴き直して大変反省したクチです。。。)

<オススメ録音♪>
・ルクレツィア・ボルジア(G.ドニゼッティ『ルクレツィア・ボルジア』)
ペルレア指揮/クラウス、フラジェッロ、ヴァーレット、エル=ハーゲ共演/RCAイタリアオペラ管弦楽団&合唱団/1966年録音
>カバリエを一躍有名にした名刺がわりの役のスタジオ録音で、十八番をこうして良い音で楽しむことができるのは嬉しいかぎりです。この音盤全体にかなりハイレベルなのですが、登場アリアの第一声からお得意のppの高音を繊細に響かせていて、ここでの主役は紛れもなく彼女であることを感じさせます。最後のカバレッタは作曲者のドニゼッティ自身があまり望まなかった改訂でつけられたものだそうですが、ここでの歌唱は迫真のものでこの演奏の白眉といって良いでしょう。彼女にしては珍しく声を荒げたり走っている部分もありますがそういった部分がむしろ大きくプラスに働いていると思います。気品溢れる背筋の通った歌唱を披露するクラウス、味のあるバスを広い音域で響かせるフラジェッロなど共演も端役にいたるまでお見事。

・イモージェネ(V.ベッリーニ『海賊』)
ガヴァッツェーニ指揮/ベルティ、カプッチッリ、R.ライモンディ共演/ローマRAI管弦楽団&合唱団/1971年録音
>夫のマルティとはいくつか共演盤があるようですが、全曲のスタジオ録音はこれだけのようです。いまのベル・カントの水準ではカバリエもベルティもカプッチッリもコロラテューラの技巧ではたどたどしいのですが、声に圧倒的な魅力があって全く不満を感じさせません。とりわけカバリエの声の濃密な美しさは際立っており、彼女の魅力を楽しむ上での代表的音盤の一つと言って差し支えないと思います。マルティはやや締まるような癖もあるので好き嫌いは出るように思うのですが、明るく華々しい歌いっぷりは天晴れで、録音が少ないことが心底惜しまれます。カプ様はアリアもありますがむしろアンサンブルでいい味を出しています。3人が絡むいくつかのアンサンブルは伊もの好きにはたまらないものでしょう。チョイ役のライモンディも美味しいです^^

・マルゲリータ(A.ボーイト『メフィストーフェレ』)
ルーデル指揮/トレイグル、ドミンゴ、アレン共演/LSO&アンブロジアンオペラ合唱団/1973年録音
>カバリエにはこの他にエレーナを歌ったデ=ファブリツィース盤(ギャウロフ、パヴァロッティ、フレーニ共演!)もあり、そちらの方が有名かと思うのですが、個人的にはマルゲリータの方が彼女の持ち味が引き立つように思います。聴きどころは何と言っても昇天の場面のアリアで、ppで高音を濃やかに表情づけするテクニックは正に至藝というべきもの。時間を忘れて聴き入ってしまいます。早逝したため録音の少ないトレイグルはお得意の悪魔役だけに悪くない歌唱ですがちょっと大仰すぎる気もしなくもなし、ドミンゴも立派ですがこの役には声の厚みがありすぎるきらいもなくもなし、ですがまあいずれも贅沢な悩みでしょう。若いころのアレンが何故か通常テノールが歌うヴァグネルを歌っているので面食らいますが、歌は悪くないです。

・マティルド(G.ロッシーニ『ギョーム・テル(ウィリアム・テル)』)
ガルデッリ指揮/バキエ、ゲッダ、コヴァーチ、メスプレ、ハウウェル、ビュルル共演/ロイヤルフィル管弦楽団&アンブロジアンオペラ合唱団/1973年録音
>この作品の仏語版の代表的な録音です。ロッシーニの作品ですから曲芸的なコロラテューラもありながら全体的には重厚な大作ということもあって厄介な役だとは思うのですが、彼女のしなやかで馬力のある声と細かい動きでのフットワークの軽さがうまくはまっています。全く性格が違う2つのアリアがあって大変だと思うのですが、最初のものは彼女お得意のガラス細工のような柔軟で凛とした弱音で美しく仕上げていますし、2つ目のドラマティックな歌もパワフルで満足感があります。あまり共演はないように思うのですがこういうところゲッダと相性がいいようで、2幕の重唱はじめアンサンブルの完成度が高いです。物語の軸として堂々と構えるバキエも魅力的ですし、沢山いる共演陣も欠けがありません。

・ジョコンダ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)
ロペス=コボス指揮/カレーラス、マヌグエッラ、ナーヴェ、ジャイオッティ、ペイン共演/スイス・ロマンド管弦楽団&ジェノヴァ大歌劇場合唱団/1979年録音
>スタジオ録音で豪華なメンバーと共演した名盤もあり、そこでのカバリエの歌唱はより精緻なもので魅力的なのですが、全体の出来では個人的にはこちらのライヴ盤を推したいです。よりスケールが大きく熱の籠った堂々たる歌で、こういうものを聴けば彼女をドラマティックなソプラノと判断する方がいらっしゃるのもよくわかりますし、R.シュトラウスなどを歌っていたのも頷けます。ところどころ不安定なところもあるのですが、そこもむしろこの役のリアリティに一役も二役も買っているのです、特に素晴らしいのは2幕の重唱と終幕で、私自身は低音趣味なこともあっていずれもそれまであまり熱心に聴いていなかった場面なんですが、そこでのあまりにも鬼気迫る歌唱に仰天し、一気に気に入ってしまったほど(笑)ここでは共演しているカレーラス、ナーヴェ、そしてマヌグエッラも凄まじい形相が伝わってくるような歌で、この作品の他の録音と較べても随一の完成度ではないかと思います。ジャイオッティの貫禄の歌いぶりやペインの深みのある美声、そしてロペス=コボスの力感溢れる指揮、いずれも欠けない完成度の高い演奏です。

・アマーリア(G.F.F.ヴェルディ『群盗』)
ガルデッリ指揮/ベルゴンツィ、カプッチッリ、R.ライモンディ、マッツィエッリ共演/ニュー・フィルハーモニー管弦楽団 & アンブロジアン・オペラ合唱団/1974年録音
>カバリエはガルデッリのヴェルディ初期オペラの録音シリーズに結構参加していますが、自分の知る限りこれが一番はまっているように思います。あまり演奏されない一方でやるとなるとかなりのレベルの歌手が揃わないと面白くないという超厄介な作品で、とりわけ技巧面でアマーリアは相当大変なのですが、ここでの彼女は貫禄の演唱。ちょっとこれを超えるのは難しいかもなどと思ってしまうぐらいです。2幕の冒頭のアリアはいつもの美しい高音はもちろん転がしもバッチリで、秘曲を思う存分楽しむことができます。共演ではこういう屈折した役をやらせたら抜群にうまいカプッチッリが秀逸でゾクゾクするような力演。ベルゴンツィ、ライモンディも充実しており、この作品を知るにはまず薦められる音源です。

・レオノーラ・ディ=ヴァルガス(G.F.F.ヴェルディ『運命の力』)
パタネ指揮/カレーラス、カプッチッリ、ギャウロフ、ナーヴェ、ブルスカンティーニ、デ=パルマ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1978年録音
>これもまた無敵艦隊的なライヴですね^^彼女の声の芯の強さが、役柄の直情的なキャラクターに合致しているように思います。それに彼女ぐらい美声だと、このヒロインに聖性がぐんと引き立つように思われるのです。特に2幕後半のアリアから修道院長にいざなわれて修行に入って行く場面の美しさは、この演目の理想的な演奏といっていいのではないでしょうか。懐が深く堂々たる歌をうたうギャウロフと、清澄な声で純真な美しさを体現しているカバリエとのアンサンブルは荘厳な雰囲気をたたえています。カレーラスやカプッチッリといった残る共演陣も極めて優れたパフォーマンス。

・アイーダ(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
ムーティ指揮/コッソット、ドミンゴ、カプッチッリ、ギャウロフ、ローニ、マルティヌッチ共演/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団&合唱団/1974年録音
>これも既に何度も取り上げている超名盤ですね。レオノーラもそうなんですがカバリエの声は通常この役でイメージされる声質よりもかなりリリックだとは思うのですが、充実した芯のある響きで不足を感じさせないユニークな演唱となっています。やはり天国的なppを聴かせる場面での余韻が大きな魅力となっており、とりわけ魅力的なのは3幕でしょう。ムーティの指揮は若々しいですし、共演もご覧の通り強力。何度聴いても誰が登場しても「うまいなあ」と唸らされます。

・リュー(G.プッチーニ『トゥーランドット』)
メータ指揮/サザランド、パヴァロッティ、ギャウロフ、ピアーズ共演/LPO&ジョン・オールディス合唱団/1972年録音
>プッチーニがお好きな方からすると異色の演奏ということになるのでしょうが、私にとってはお気に入りの『トゥーランドット』です。豪華絢爛きらびやかな音楽ですが、サザランド、パヴァロッティともこの役を演じるには軽い声のメンバーで清新な印象に仕上げています(彼らもまた重さではなく声の充実度で十分な聴きごたえ)。プッチーニですからカバリエもまた重厚ドラマティック路線で歌っていてもおかしくはないわけですが、この中で弱音を駆使したユニークで可憐なリューを作り上げ、他の主役陣と見事にバランスを取っています。特にカラフを説得する最初のアリアは絶品。重厚なギャウロフとの対比もよく、死の場面からティムールの嘆きはこの演奏の中でも印象に残るところです。
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