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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿八夜/馥郁たる美男子〜

飛んでしまったiPodの中身はそうそう簡単には復旧しそうになく、ちまちまと作業しています。もっと早く復旧する手段もないことはないのですが、それをやってしまうとどうしても復旧したい音源がちゃんと入るかどうかわからない。やはり絶対入れておきたい音源は少なからず存在するので、牛のあゆみでも確実な手を使いたいというところです。
そんなこんなでまだ以前の4分の1ぐらいの状況なのですが、こちらもちまちま更新していこうかと思います。

BerndWeikl.jpg
Mandryka

ベルント・ヴァイクル
(Bernd Weikl)
1942〜
Baritone
Austria

今回もバスを続けようかと思ったのですが、前回モルの音源を聴いているうちに共演の多かった彼のことを書きたくなりました。チャームポイントの口髭が凛々しい墺国のバリトンです(実在の人物でこんなに似合う人を他に知りません笑)。

若々しいパワーに溢れた個性を持った人ですが筋肉質な硬い声ではなく、むしろ芳醇で耳に心地よいやわらかな響きが魅力の核になっていると思います。同じヴィーンの先輩であるヴェヒターと較べるとその違いは歴然でしょう。ヴェヒターを華やかだけれどもやや神経質で峻険な貴族と評するのであれば、ヴァイクルはさしずめ駆け引きが上手で社交会が似合い、愛想のいい色男と言ったところでしょうか。ヴェヒターのみならず独墺系のバリトンは、ドン・ジョヴァンニ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)やダニロ(レハール F.『メリー・ウィドウ』)を演じても比較的生真面目で不器用な印象のある歌手が多く、そうでなければ思い起こされるのは愛嬌と人間味とを魅力にしたプライやベリーといった一群です。彼らもまた十分に素敵なのですが、いかにもな美男子の雰囲気を湛えているという点で、ヴァイクルを際立った存在と見ることもできるかもしれません(敢えて同じような歌手を探すのであればブレンデルだと思いますがもう少し軽量級ですね)。

今でこそヴァイクルの最も重要なレパートリーとしてハンス・ザックス(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)は欠かせないものとなっていますが、戀おおき美丈夫という言葉がしっくりくる歌声と個性と照らせば、当時いかに斬新なキャスティングであったかは想像に難くありません。ヴァーグナーの作品に明るくない僕ですらも、ザックスと言えば重厚で低い倍音の鳴るバスによって演じられる思索的な中年の親方というイメージが植え付けられているぐらいですから。しかし他方で彼の歌に接すると、この役が名刺がわりとして知られ、愛されたのはよくわかるように思うのです。今回はそのあたりの彼の持ち味について語っていくことができればと考えています。

<演唱の魅力>
戀に悩む優男というとオペラではテノールの印象ですが、天下の色事師ドン・ジョヴァンニを引き合いに出すまでもなく、自らの戀情を追いかける美男子がバリトンに割り当てられる機会は少なからずあります。ベルコーレ(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)が軍曹という肩書のみならず女性にモテるだけの外華やかな容姿をも備えているからこそネモリーノは焦るのでしょうし、アルマヴィーヴァ伯爵(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)に冒険心あふれたヒーローの面影が残っていてもおかしくはない訳です。当て馬/敵役ばかりではなく、堂々たる主役としてマンドリカ(R.シュトラウス『アラベラ』)もオネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)を挙げることもできるでしょう。彼らは胸に熱い情熱を抱いた騎士であり、「カヴァリエ・バリトン」といわれる歌手にこそ歌われてほしい。ヴァイクルは、まさにうってつけです。

とはいえいかなその素質があったとして肝心なのは歌、彼はその点でも卓越しています。とりわけその鼻持ちならないさ!物語に登場する美男というのは往々にしてうぬぼれ屋で自己顕示欲が強いものです(これはもちろん僕自身が男だから余計に感じるという部分もあるように思いますが、他方で物語を進めていくためにはそういう性格づけが必要だからという側面もあります)。どういうわけかテノールにはこういう雰囲気を出せる人が多いのですが、バリトンではナルキッソス的な空気を出すのに苦労を感じることが少なくありません(演じる役柄の幅が広いからかもしれません)。ヴァイクルは、あの整ってはいるものの強面の容貌からはちょっと想像ができないぐらい、引き出しが多く器用な歌い方をできる人なので、この鼻につく空気を自然に/自在に歌に纏わせるのが本当にうまい。そのうぬぼれをベースにジョヴァンニやオネーギンであれば人を喰った、性格の歪みを巧みに描きますし、ベルコーレならいつでも配れるように自分のブロマイドを何枚か懐に忍ばせていそうなバカバカしさを感じさせます。また、実はベックメッサー(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)も遺していて、闊達で滑ったイケメンぶりには感嘆させられること請け合いです。褒めているんだかなんなんだかと思われるかもしれませんが、こういう個性は物語の人物をリアルにするために非常に重要であるばかりでなく、出そうと思って出せるものではありません。

なおかつヴァイクルが素晴らしいのはそのちょっと鼻持ちならない美男子オーラを感じさせつつも、上段で述べた独墺系らしい生真面目な雰囲気を逸脱してはいないところ。これがあるからこそヴォルフラム(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』)やザックスが、大きな支持を得たのではないでしょうか。容姿も整っていて思慮深く、実力もあるけれど、ただほんの少しだけ歳を累ねていて、そしてヒロインの意中の人物ではない。自分にあるものもないものもわかっているからこそ、相手の意を汲んで引いていくという葛藤の深さとかっこよさ。あるいは元帥夫人(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)に通ずるところもあるかもしれません。こうした年長者の姿はちょっと理想化された人間すぎる、かくありたい人物像すぎるという向きももちろんあるでしょうが、それでもやはり観る人を魅了するものであると思います。

<アキレス腱>
とても藝達者でいろいろな人物を演じ分けられる人だとは思うのですが、ちょっとやりすぎかなと感じるところもない訳ではなくて、役によって/聴く人によって評価の上下が出てくる部分もあるようです(僕は好きなんでご紹介するんですがね笑)。また、なんといっても甘い声が武器のひとなので、ドライな声や表現が欲しい役では良さが活きないと思います。例えば司令官(R.シュトラウス「平和の日』)は期待して聴いたのですが……これならそれこそヴェヒターの方がハマっただろうなと。

<音源紹介>
・マンドリカ(R.シュトラウス『アラベラ』)
サヴァリッシュ指揮/ポップ、Ju.カウフマン、ザイフェルト、クーン、ヤーン、ホプファヴィーザー、シーデン共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1989年録音
>あれだけザックスの話をしておいて難ですが、僕にとっては、彼といえばここでのこの役の演唱なのです。冷静に考えればこのマンドリカという男、自分が富豪であることも魅力的な容姿であることもわかっていながらそれをごりごり押し出すのではなく、もったいぶった言葉や態度から主張していくという、鼻持ちならなさで行けばオネーギンといい勝負の人物なのですが、ここでのヴァイクルはそうした衒いを自然に、しかも素敵に魅せてしまうだけの華々しさと愛らしさを備えています。パワフルで野生的な歌い口はこの役のもつエキゾチックな香りを高めるとともに、彼が地方出身者だからこそ財産や貴族的な振舞い/慣習にこだわっているのだということを仄めかしてもいるようです。結構オーバーに愛を語ったり、怒り狂ったり、落ち込んだり気性の激しさを際立たせた歌だとも思うのですけれども、それがギリギリのところで悲愴でもありコミカルでもあり美しい……絶妙な匙加減には感服させられます。ヒロインのアラベラもややこしいこだわりのある女性ですがポップちゃんの知的さがとてもよく出ていて、しかも可愛らしい。この主人公たちのキャラクターとしての面倒臭さを、ここでの彼らは絶妙に愛すべき人たちへと昇華しているのです。この作品の肝ながら現実感に乏しいズデンカに生き生きと命を吹き込んでいるカウフマンや直情径行で程よくおバカなザイフェルト、エレメールにはもったいないぐらいのキラキラした美声で歌い上げるホプファヴィーザーといった面々もお見事ですが、この公演はクーンとヤーンの作り上げる極めて人間的な両親によって深みを増していると言っても過言ではありません。とりわけクーンのヴァルトナー伯爵は道化役と愛のある父親とのバランスが最高で極め付け。そしてもちろんこれらを支えるサヴァリッシュの豊麗な音楽の洪水も圧巻です。NHKさんには是非ともこの映像を正規の商品として販売していただきたいです。

・ハンス・ザックス(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)
サヴァリッシュ指揮/ヘップナー、ステューダー、S.ローレンツ、モル、ファン=デア=ヴァルト、カリッシュ共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1993年録音
>そんなわけで一般的には本命と思われるザックスです。繰り返しますが僕はあまりヴァーグナーは聴き込めていないものの、これだけ若やいだザックスの類例は少なくとも彼以前には思い当たりません。まだ枯れていないものを持っているからこそ、むしろ悩みの深さを感じさせる名演だと思います。彼が本気になれば親方衆やポーグナーはもちろんのこと、エーファ自身ですらも心をぐらつかせかねないことを自覚した上で、彼女の幸せを願って自らの想いに蓋をするまでの心のよろめき惑いがとても切実です。ヴァーグナーの音楽は例によって男性中心的で大袈裟なので、人によっては大仰で胡散臭くなってしまいそうなところを個人として親しみを感じられるレベルまで現実味を持たせている手腕は圧倒的と言えるでしょう。ここでもサヴァリッシュの指揮もいいですし、共演も優れていますが、とりわけエーファのステューダー!こんなにこの役が瑞々しく、愛らしいものだったとは!

・ジクストゥス・ベックメッサー(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)
ショルティ指揮/ベイリー、コロ、ボーデ、モル、ハマリ、ダッラポッツァ共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1975年録音
>あまりにも新しく、優れたザックスとして鳴らした彼が、若い時に演じたベックメッサーというとちょっとイロモノ感すら漂ってしまう意想外の配役ですが、これは掛け値ない名唱だと言えるでしょう。ヴァルターやザックスとの関係で捉えられがちなこの役は、笑われる役としての対比を際立たせるために過度に年老いた、物笑いの種となる人物として描かれてしまうと思うのですが、ここでのヴァイクルはこれまでに述べてきた彼らしさをある意味で明確に発揮しています。即ち、ベックメッサー自身としては大変真摯で真剣であり、なおかつ端正でもありながらそれがどこか行きすぎてタガを外してしまったような、筋の通った滑稽さがあるのです。だから聴かせどころのセレナーデなどはハッとするほど美しい……この辺りバカバカしいだけになってはいけないバランスの難しさをよくよく心得て歌っているのがわかります。同じくジェントルなベイリーのザックスとのバランスもいいですし、上記の録音同様モルの実直かつ華のある歌にも旨みがありますが、なんと言ってもコロの美声がすごいです。まるで火口から流れるマグマのような明晰で生命力のある、熱量の大きな輝き。スタジオ録音ながら必ずしも手に入りやすくないのが残念です。

・ヴォルフラム・フォン=エッシェンバッハ(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』)
ハイティンク指揮/ケーニヒ、ポップ、マイヤー、モル、イェルザレム共演/バイエルン放送交響楽団&合唱団/1985年録音
>ヴァイクルのヴァーグナーといえばやはり一にも二にもザックスなのでしょうが、実は彼の持つ音色や雰囲気に一番似合っているのはこのヴォルフラムなのではないかと思います。この役はイェレツキー公爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)と同様、幸せになることのできない哀愁と諦念を漂わせた人格者的二枚目であって欲しいと個人的には思っているのですが、そういった理想に一番近い歌唱です。外面・内面ともに天分に恵まれ、何不自由ない人生を送ることもできたであろうに、ただ一人の破滅的な天才のせいで運命が狂っていく人物の哀しい美しさ……情熱溢れるヴェヒターや理知的なFDとは異なる高貴なる凡人ヴォルフラムをヴァイクルは地で行けてしまっているのが素晴らしいです(こう考えてみると、実はこの役は遠くないところでザックスと繋がっているのかもしれません)。だからこそタンホイザーにはもうちょっと人が欲しかったところ、いやケーニヒも悪くはないのですが。ポップやモルがいいだけに余計にそれは感じてしまいます。

・グンター(R.ヴァーグナー『ニーベルンクの指環』)
レヴァイン指揮/ベーレンス、ゴールドベルク、サルミネン、ステューダー、ヴラシハ、シュヴァルツ、デルネシュ、トロヤノス、グルーバー共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/1989年録音
>高貴なる凡人と言えばこの役こそだという気もします。この兄妹はハーゲンの引き立て役のようにもともするとなってしまうのですが、それでは面白くない。彼もまた世間並みには優れた人物であるからこそ、ハーゲンの怪物性が際立つのではないでしょうか。ヴァイクルらしい甘めの歌い口をこの役として好まない方ももちろんいらっしゃるでしょうが、ブリュンヒルデへの彼の想いを建前以上のものにしているように思います(愛に焦がれる兄を弟が弑するというのは『ラインの黄金』との対照が意識されているんでしょうね)。そして彼が歌うことによって、例えばジークフリートとの誓いの歌などヴァーグナーがこの演目に与えているベル・カントっぽい歌にも気付かされたりします。共演の中ではサルミネンがダントツで強力、次いでステューダーの楚々とした歌が気に入っています。ノルンたちが豪華でびっくり。

・ドン・ジョヴァンニ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)
ショルティ指揮/バキエ、シャシュ、M.プライス、バロウズ、ポップ、スラメク、モル共演/LSO&ロンドン歌劇合唱団/1978年録音
>この演目/役柄は非常に多面的なので、演じる人によって随分と解釈が分かれるのまた面白いところですが、ここでのヴァイクルはショルティの作る音楽以上にコミカルに演じているのではないかと感じます。自分の美男子ぶりを笠に着たジョヴァンニで、世の中を舐めきって全てが自分の思いどおりになると信じて疑わない、非常に横柄で傲慢な印象が前に出ています。あまりにも戯画化されすぎていて魅力を感じないという方もいらっしゃるでしょうが、悪人というよりは自信過剰な戀の狩人としての説得力は十分と言えるのではないでしょうか(ですから彼のジョヴァンニはベルコーレやオリー伯爵(G.ロッシーニ『オリー伯爵』)とおそらく非常に相性が良いと思うのです)。こうなるとただのコミカル路線のレポレロでは力不足になってしまいますが、藝達者なバキエが一筋縄ではいかなさそうな狡さを持っていて好演。主従ともにバリトンというのも珍しいですが良いコンビですし、騎士長に来るどバスのモルが際立ちます。天使のようなプライスと溌剌としたポップも聴きもの、バロウズも凛々しいですが、シャシュは好き嫌いが出そう。

・アルマヴィーヴァ伯爵(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
ベーム指揮/ヤノヴィッツ、プライ、ポップ、バルツァ、リドル、リローヴァ、ツェドニク、エキルス共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1980年録音
>ヴァイクルはいかにもこの役には向いていそうなのに意外にもこれ以外に録音も映像もないようです(ちなみにこの時の映像はときどき出回っているのですがちょっとびっくりするような価格で出ていることが多いので、今のところは諦めて音のみで我慢しています^^;)。実際視聴してみてどうかといえば、よくぞこれを遺してくれましたという素晴らしいもの。上述の音源との並びで聴くとよくわかりますが、ああ彼のアルマヴィーヴァはちょっと隙の多いジョヴァンニなんだなということで、色男だしそれと貴族であることを鼻にかけた強権的な人物ではあるのだけれども、そこにあぐらをかいてしまった油断の多さがとても感じられます。コワモテのイケメンなのでアリアなんかはとてもかっこいいんだけれども、フィガロやスザンナにいっぱい喰わされるところはとても油断があってお間抜け。あまつさえここでのフィガロとスザンナは百戦錬磨のプライと利発を絵に描いたようなポップちゃんですから、余計そこが際立ってくるようです。好みは多少あれどこれだけの布陣のフィガロを東京で観られたなんて羨ましい限り!

・ハンス・ハイリンク(H.A.マルシュナー『ハンス・ハイリンク』)
G.A.アルブレヒト指揮/シュレーダー=フェイネン、シウコラ、ツォイマー、ギルズ共演/RAIトリノ管弦楽団&合唱団/1972年録音
>フォン=ヴェーバーとならびモーツァルトとヴァーグナーを繋ぐ時代の重要な作曲家にもかかわらずほとんど忘れられているマルシュナーの代表作の1つで、カットはかなりあるものの貴重な全曲録音です(プライの歌うハイリンクのおまけ付き)。話の筋を何度読んでもどうも人間にたぶらかされたとしか思えないちょっと抜けた感じのする地獄の王子なのですが、マルシュナーがデモーニッシュな迫力のある音楽を与えていることもあり、ヴァイクルぐらいのはパワーのあるたっぷりした声で歌われてこそ真価を発揮すると思います。響きの甘さが活きていることもあってしばしば歌われているアリアもロマンティックな味わいがあるのですが、地獄の軍団の合唱との歌の不気味さがとても独墺系らしくて個人的には好きです。共演も指揮も全くわかりませんが、水準の高い演奏だと思います。

・オットカール(C.M.フォン=ヴェーバー『魔弾の射手』)
C.クライバー指揮/シュライアー、ヤノヴィッツ、アダム、マティス、ヴァイクル、フォーゲル、クラス共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ライプツィヒ放送合唱団/1973年録音
>出番は少ないながらも大変重要な要役で、カヴァリエ・バリトンとしての彼の魅力を味わえます。この物語の世界において悪魔の誘いに乗ることが禁忌であり、本来マックスは罪を免れないことを象徴するのがオットカールという人物です。彼が隠者のとりなしがあるまで頑なに恩赦を拒むのは、個人的な固定観念に縛られているからではなく、しきたりを守り統治する領主としての勤め、求められているふるまいを果たそうとしているからなので、小役人じみてしまったり、度量が小さく見えてはいけない。ここでのヴァイクルの歌唱は若い力に溢れて荒々しいですが、そのことがよくわかるものです。

・ファルケ博士(J.シュトラウス2世『蝙蝠』)
C.クライバー指揮/プライ、ヴァラディ、ポップ、レブロフ、コロ、クッシェ、グルーバー/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1975年録音
>必ずしもオペレッタをたくさん歌っている人ではないと思いますが、『蝙蝠』は外せないでしょう。アイゼンシュタインという男は愛すべき人物ながらある程度解釈の方向が揃うのに対し、彼へのとびきり馬鹿馬鹿しい復讐を企てるこの人物の方こそ意外と色々なアプローチがあるように思います。ヴァイクルのファルケ博士は十分すぎるぐらいコミカルな味わいも持っているのですが、同時にびっくりするほどハンサム。彼がアイゼンシュタインもまた歌っているからということではないのですが(映像があるのですが未視聴)、ひょっとするとこの悪友たちは逆の立場であってもおかしくなかったのでは?とついつい勘繰ってしまいます。この或る種の双子的な空気は、相方がプライであることによっておそらく更に強くなっています。実年齢も含めた印象で言えば年長の人懐っこい男にしっぺ返しをする頭の回る年下の男というここでの『ドン・パスクァーレ』的な構図に対して、おそらく実在はしないですが配役を交換した演奏があるならば是非聴いてみたいものです(観られていないのに言うのもなんですが、ヴァイクルのザックスにプライのベックメッサーという映像があって、ひょっとすると関係性としてはそこに近くなるのかも)。こんな2人ですから1幕で舞踏会に乗り出す重唱が大傑作です!クライバーの素晴らしく闊達な音楽と抜群のキャストによる歌が楽しめる不滅の名盤ですが、実はこの音盤の価値を高めているのは科白回しかもしれないと最近思います。独語の美しさだけではなく、怪しげな仏語も楽しめますし、露語ネイティヴという点まで鑑みれば、毀誉褒貶を見越してもレブロフをオルロフスキーに据えた意図は非常によくわかります(そして彼がちゃんと仏語がわかっていそうなのもミソ)。

・ベルコーレ軍曹(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)
ヴァルベルク指揮/ポップ、P.ドヴォルスキー、ネステレンコ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1981年録音
>ヴァルベルクによる2つのブッファの全曲録音は、指揮者、歌唱陣、オケや合唱とすべてにおいてスタジオで遺されていることそのものが意外ではあるのですが、いずれも大変優れた演奏です。ヴァイクルについて言えば、やわらかな甘みのある声の持ち味がベル・カントものでも十分に発揮されるものであることを示したものだと言えるでしょう。もう何度も上で述べていますが、中身のないイケメンという定番の役柄を奇を衒わず直球で演じています。いわば極上の紋切り型。案外と伊的なメンバーでもこれだけ見た目の整っていそうなベルコーレというのはいないような気がしており、僕は彼の歌を聞いて初めてああこの役は「ドン・ジョヴァンニくずれ」なんだ、という新鮮な発見が得られました。作品そのものに新しい光を当てつつ全体にブッファの愉悦にも満ちた特異な秀演です。

・マラテスタ医師(G.ドニゼッティ『ドン・パスクァーレ』)
ヴァルベルク指揮/ネスてレンコ、ポップ、アライサ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1979年録音
>上記の「妙薬」と同じくこちらも実にユニークなブッファ。20世紀の名ボリスと名ザックスがこのおバカな演目でどんな歌を披露するのか初見だと想像もつきませんが、めざましい成功だと思います。ザックスやヴォルフラムで聴かせる知的さを喜劇に転じていくとファルケやこの役になっていくのだなあと役同士の意外な距離感が見えてきて面白いですね。海賊版のレコード以外ではフィガロ(G.ロッシーニ『セヴィリャの理髪師』)も見当たらないヴァイクルですが、ネステレンコともども早口も実に達者。この作品のハイライトである強烈な2重唱がこれだけ重たい声のコンビで痛快に歌われた例は他に知りません。何度も共演しているポップちゃんとの息の合ったコンビでも、いわゆるベル・カントっぽいイメージを脱却した清新な歌唱を楽しめます。アライサが見事なのは言わずもがな!

・リゴレット(G.ヴェルディ『リゴレット』)
ガルデッリ指揮/アラガル、ポップ、ローテリング、タカーチ、マルタ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1984年録音
>実は以前は全然いいと思わなかったのですが、今回改めて聴いてみて充実した演奏なのに驚きました。なんといってもヴァイクルの言葉の扱いが見事で、浮き沈みが激しく複雑なリゴレットという男にさまざまな表情を与えています。もちろん2幕のようにドラマティックで人間的な場面も秀逸ながら、とりわけ意外とこの役柄の歌唱で見えてくることの少ない、道化としての顔、例えば1幕1場でモンテローネを侮辱するに至るまでの皮肉なおべんちゃらっぷりが際立っているようです。ポップはアリアなどちょっとモーツァルトっぽい歌ですが娘ぶりが愛らしいですし、アラガルもライヴ盤ほどのアツさこそないものの薄っぺらな端正さがこの役らしい。ヴェルディの録音が必ずしも多くないローテリングやタカーチも高水準です。ただ、傍の中では驚くぐらい迫力のあるマルタのモンテローネがいちばん聴きごたえがあるかもしれません。

・ダゴンの大祭司(C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』)
パタネ指揮/キング、C.ルートヴィッヒ、マルタ、コーゲル共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1973年録音
>これまた何故あえてこのメンバーでこの作品をという感じですが、上述の2つのブッファと『リゴレット』と同じくバイエルン州ゆかりのオケと合唱ですから、当時のミュンヘンで演奏されていたオペラの空気を遺したいというような意図があったシリーズなのかもしれません。さておきこの演目はどうにも題名役たちにばかり話題が偏りがちなのですが、この大祭司は第3の主役であってここがこけてしまうと全然面白くない演奏になってしまう重要なポジションです。ヴァイクルのまとっている男の色気と独墺系らしい生真面目さがここでは絶妙な相互作用を起こして、背徳的な空気を湛えた生臭坊主を作り上げています。こういう妖しげな色香があるとデリラとの重唱の意味合いも増しますし、サムソンとの関係も一段と緊張感を孕んだものになることが、お聴きいただければお分かりになるでしょう。仏もののイメージはこちらもないものの神性を帯びた雰囲気がハマっているキング、柔軟で旨みのあるルートヴィッヒも優れており、一風変わってこそいるものの役者の揃った名盤です。

・イェヴゲニー・オネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)
ショルティ指揮/クビアク、バロウズ、ギャウロフ、ハマリ、セネシャル共演/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団/1974年録音
>露色の少ない演奏の中では最も知られたものかもしれません。フヴォロストフスキーなど露国のバリトンが聴かせる気怠げで空虚な哀しい男とは異なり、戀の冒険者を感じさせるアプローチには最初ちょっと面喰らいますが、繰返し聴いていると役に対しての思い込みから離れればこういう人物造形も十分あり得る気がしてきます。ドン・ジョヴァンニと繋がる部分もあるのですが、彼のように情熱的に色戀を追いかけ回しているわけではなく、ヴァイクルのオネーギンは退屈しのぎに女性に声をかけているような、愛情の感じられないもの(だからこそオリガに色目を使ってレンスキーを激昂させるあたりがリアルなのです)。それがこの役の虚ろさに別の部分から光を当てているように思います。共演はいずれも土臭さはありませんが優秀、特にギャウロフの圧倒的な声には登場の瞬間から息を飲みます。

・ドン・ヴァスケス(L.シュポア『錬金術師』)
フレーリヒ指揮/ピュッテルス、アボウロフ、ドゥルミュラー、ツィンクラー共演/ブラウンシュヴァイグ州立劇場管弦楽団&合唱団/2009年録音
>知るかぎりヴァイクルの最も新しい全曲録音は、滅多に演奏されないシュポアの秘曲です。題名役ながら派手な歌は多くなく、筋の上でも戀の鞘当てを繰返す若者たちにスポットが当たっているようには思うのですが、この作品を仄暗い色調に定めている点で強い存在感が求められていると言えるでしょう。さしものヴァイクルも往年の甘美さは衰え、渋みの際立ったドライな響きになっているのですが、ここではそれがむしろ効果的に働いていて、特に宗教裁判の幻想の場面など実に不気味です。共演は知らない人ばかりなのですが、事実上の主役と言っていいピュッテルスが抜群の出来で舞台を引っ張っているほか、ドゥルミュラーの熱の籠った歌唱もお見事。作品も素敵で一聴の価値ありです。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿七夜/深淵の奥底から〜

Twitterではつぶやいたのですが、昨年暮れに15年ほどデータを貯め続けていたiPodがお釈迦になってしまいました。ある程度手許に音盤の形で残してあるコレクションもありつつも流石にショックが大きく、ここのところずっとその修復作業に追われておりまして、あまりこちらの更新が進められる状況には今も至っていません。
とはいえあんまり開けてしまうとそれはそれで書かなくなってしまいそうな気もして、けれども特集したいという思いのある人はまだまだたくさんいるので、ぼちぼち更新していこうと思います。

我ながら驚いたのですが、ヴィノグラドフの特集をしてからまるまる3年近くここでバスの記事を書いていないのでした。大バリトン特集でほぼほぼ1年かかっていますし、そのあとは反動のように女声を立て続けにご紹介していましたから当然といえば当然なのですが……それにしてもそろそろ「これぞバス」と言えるような人を取り上げたいなと思った次第です。

KurtMoll.jpg
Zarastro

クルト・モル
(Kurt Moll)
1938〜2017
Bass
Germany

ヴァーグナーをあまり聴き込めていないこともあってどうしても独国の歌手は取り上げづらく、名だたる巨匠を認識していつつも記事にできていません。今回久々にバスのことを書くのであれば、折角ならここで開拓できていない独国のバスを、その中でもとびきり思い入れのある人をと考えまして選んだのが今回の主役、クルト・モルです。

バスの種類についてはネーリやルッジェーロ・ライモンディのところで触れており、そこではプロフォンドだカンタンテだブッフォだと伊語による分類を紹介していますが、仮にその分け方に則るのであればモルの声は正しくプロフォンド。それもこれほどに底知れない深さのある、石炭袋の闇のように暗い音色の持ち主は古今東西あまり思いつきません。しかも単に深い、暗い、重いということではなく、その声はあまりに美しい……深淵の底から響くような彼の声に誘われると、人智の及ばぬ闇の中へすら思わず足を踏み入れてしまいそうになります。だからこそ彼は、多くの神秘の世界の住人や高徳の僧侶を当たり役にしてきたのでしょう。

他方でモルは小さな役をコツコツと演じてキャリアを積み上げてきた、言わば“叩き上げの歌い手”の感があって、スタジオ録音でもライヴ録音でも信じられないようなレパートリーを遺しています。少なからぬ大役を歌ってきてから何もそんなパートを歌わなくてもと思わなくもないのですが、そうした経験こそが彼自身の歌を作ってきたという矜持があるのか、或いは主役を演じるのとは違う抽斗を使うことに意味を見出していたのか……いずれにせよモンテローネ伯爵(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)やバルトロ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)といった役でも、彼の圧倒的な演唱を楽しむことができるのはファンにとって嬉しい限りです。そして、こうした役を演じてきた積み重ねが功を奏してか、コミカルな難役の中にも彼なしには語れないものが多々あります。

バス・ファンとしては不覚としか言いようがないのですが、2017年3月に亡くなられた頃は公私ともに多忙だった時期で全く訃報に気づかず、2年ほど経って大きなショックを受けたのでした。追悼というにはあまりにも遅ればせながら、今夜はモルの歌に想いを馳せたいと思います。

<演唱の魅力>
またもや自分語りのようなお話からで恐縮なのですが、僕が彼のことを初めて知ったのはまだクラシックを聴きはじめて間もない頃、NHK BSで放送された来日リサイタルの様子だったと記憶しています。この時の自分の第一印象は無邪気というかなんというか、「うわ、すごいおじいちゃん出てきたけど歌えんのかな」というものでした(と言っても、振り返るに70代ぐらいだったんだと思うんですが)。しかし第一声を聴いてその余りにも深みのある美声にビックリ!それ以来、あまり独ものは得意ではないと言いつつモルだけは自分の中で別格のポジションに居続けています(また、あの頃に既に幾らかでも自由にできるお金があったならと思うと、ちょっと残念でもあります)。ほとんど声楽に関心を持っていなかった人間の脳裏にすら刻まれる声なのです。

「深い」という形容詞を繰返し遣っていますが、他の面から光をあてるならば、やや籠ったやわらかな声ということもできるでしょう。この「やわらかな声」という点は彼のキャラクターにかなり効いていて、荒々しさはトーンダウンする反面、畏敬の念を感じさせる落ち着き、超常的なオーラ、声の暗さを緩和する人間くささと言ったものが引き出されているように考えています。加えて絶妙な瞬間に挟まれる声芝居が抜群にうまい!コミカルな悪役に憎めない表情を与えているのはこの濃やかさだろうなあと思います。象徴的なのはハーゲン(R.ヴァーグナー『ニーベルングの指環』)ではなくオックス(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)を持ち役にしていたことで、これはモルの持ち味を知る一つのヒントになり得る点でしょう。もう少し深掘りするなら、同じように独国に典型的な暗く深い声を持ち、コミカルな役も得意にしたゴットロープ・フリックとの比較も役に立ちそうです。興味深いことに、彼は逆にオックスではなくハーゲンをメインレパートリーに据えています。両者がともに名演を遺している役オスミン(W.A.モーツァルト『後宮からの逃走』)からはその違いが炙り出せるかもません。どちらもその凄まじい声でオスミンの剛力無双ぶりを際立たせている部分は共通していますが、フリックがけばけばしいまでのドラマティックさでかえって間抜けぶりを強調する一方で、モルの歌には終始どこか人のよさがにじみ出ていて、ブロンデとのやりとりなど可愛らしささえ感じられるものになっています。

上述の通りその美声を駆使した小さな役にも忘れがたいものが数多くあります。こうした活躍という観点では、最近特集したところでいうとザレンバに近いということもできるかもしれません。これだけの声の人が一瞬の登場とはもったいないとも感じられますが、むしろその一瞬で舞台を引き締める声を出してくれるという意味では得難い存在と言えるでしょう。気品を失わずに呪いの言葉を突きつけるモンテローネ伯爵の鮮烈さ、怒る領主を諫める隠者(C.M.フォン=ヴェーバー『魔弾の射手』)の崇高さ、地獄の底から現れる騎士長(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)の血も凍る壮絶さ、異端者への容赦ない極刑を言い渡す宗教裁判長(С.С.プロコフィエフ『炎の天使』)の冷酷さ……いずれもモルだからこそ引き出せる境地を聴き取ることができます。

膨大なレパートリーの中から「これは」というものを一つ選ぶのであれば、ザラストロ(W.A.モーツァルト『魔笛』)を挙げたいです。物語をコペルニクス的にねじってしまうこの役は大変厄介な存在で、厳かな旋律にもかかわらず誰が歌ってもどうしても嘘くささや胡散臭さが漂ってしまうのを避けられないのですが、モルの穏やかで思慮深い歌い口にはそういったことに封をしてしまう魔力があるように思います。敢えてその怪しさを強調するのでないならば、彼以上に説得力のあるザラストロの登場は望めないように感じるのは、やや贔屓耳に聴きすぎでしょうか。

<アキレス腱>
低い方の倍音が豊かな深い声であることからは想像に難くありませんが、どうしても高い音には苦労している感じはあります。またこれも仕方のないことでしょうが、早口が必要な部分のもたつきが気になるという御仁もいらっしゃるでしょう(いずれも彼の声の重さを考えれば信じられないようなレベルで対処しているのですが……)。
また上述もしましたがやや籠った響きの楽器であることは確かなので、その点の好き嫌いもあるかもしれませんね。

<音源紹介>
・ザラストロ(W.A.モーツァルト『魔笛』)
サヴァリッシュ指揮/シュライアー、ローテンベルガー、ベリー、E.モーザー、モル、ミリャコヴィッチ、ブロックマイヤー、アダム共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1972年録音
>既に上で述べたとおり、彼の演じた数多の役柄の中からどれが印象に残っているかと訊かれたならばこの役です。メトでの映像も遺されており、そこでも抜群の存在感を誇ってはいますが全体の完成度としてはこのサヴァリッシュ盤と思います(というか、この音源こそ個人的には『魔笛』のベストの演奏と言って憚りません)。モルの声のなんと優しく幽玄なこと!そしてその歌の厳かさと慈愛の深さ!しっかりとした足取りで聴く者の心に寄り添ってくる彼のザラストロの入念な歌唱は、先述の通りの台本による役柄の白々しさや出番の少なさなどを補って余りあるものです。或る意味では最も危険なザラストロということもできるでしょう。彼と対立するモーザーもまた夜の女王のベスト。技術的な余裕はありつつも、若者を冒険に導く鷹揚さと怒りに声を震わせるエキセントリックさとを兼ね備えています。タミーノやパパゲーノについてはやれヴンダーリッヒがいいとかプライがいいとかといった好みはあるでしょうがシュライアーとベリーが特筆すべき名演を繰り広げていることをなんら否定するものではありませんし、ローテンベルガーもチャーミング(彼女はオペレッタやもっと軽い喜劇のイメージが強いですが、卓越したモーツァルト歌いですね)。サヴァリッシュの堅牢なタクトもお見事です。つまるところこの録音、この役柄の多い演目では奇跡的なほど穴がないのです。『魔笛』の演奏をどれかひとつと問われれば、迷いなくこの音盤を推すことができます。

・騎士長(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)
ショルティ指揮/ヴァイクル、バキエ、シャシュ、M.プライス、バロウズ、ポップ、スラメク共演/LSO&ロンドン歌劇合唱団/1978年録音
>この演目はバスやバリトンが4人も必要ですが、モルのような深い声で歌うとなれば騎士長一択ですね。晩餐の場面で凄まじい声を響かせるイメージがあまりにも強い役であり、その場面で彼以上に強烈な印象を与える歌手はフリックやサルミネンなど少なからずいるのですが、ジョヴァンニとの決闘で殺される最初の場面の一瞬で人間的な優しい人柄まで感じ取れるという点で、この役のベストは彼ではないかと思います(またここでのプライスの可憐なこと!)。もちろん終幕での登場の存在感が相対的に低くなることはありません。ヴァイクルの甘美な、しかしちょっと世の中を馬鹿にしていそうなジョヴァンニに引導を渡すという意味で、本当に地の底から語りかけてくるようなモルの声はあまりにも効果的です。コミカルなだけはなくシニカルでもあるバキエのレポレロすらも、彼の前では恐怖せざるを得ないことがよくわかります。指揮・共演とも優れていますが、シャシュだけはモーツァルトには違和感があるかもしれません。

・オスミン(W.A.モーツァルト『後宮からの逃走』)
ベーム指揮/オジェー、グリスト、シュライアー、ノイキルヒ共演/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団&ライプツィヒ放送合唱団/1973年録音
>彼の人間くさくて陽気な側面を知りたければまずはこれでしょう。上述した2つの役を聴いているときには、粗野で暴力的且つ間の抜けた顔が誇張されたこの後宮の番人を歌っているところはとても想像できないのですが、聴いてみるとこれほど憎めない、ある種の愛らしささえも感じさせるオスミンは他にないように感じます。相変わらず大砲のような凄まじい低音を駆使しながら決して鈍重にならない彼の歌を聴いていると、私などは竜巻きのようなパワーとスピードであちこちを駆け回るルーニー・チューンズのタズマニアン・デビルを知らないうちに思い浮かべることもしばしばです(そう言えば彼にもなんとも言えない愛嬌がありますね!)。難所中の難所である勝鬨のアリアの最低音にも余裕があります。ベームの指揮のもと共演もこれだけ揃えば文句なし。

・ドン・バルトロ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
ショルティ指揮/ヴァン=ダム、ポップ、ヤノヴィッツ、バキエ、フォン=シュターデ、ベルビエ、ロロー、セネシャル、バスタン、ペリエ共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1980年録音
ショルティ指揮/レイミー、ポップ、アレン、テ=カナワ、フォン=シュターデ、ベルビエ、ティアー、ラングリッジ、ケニー、タデオ共演/LSO&ロンドン歌劇合唱団/1981年録音
>モーツァルトのコミカルなキャラクターをもう一つ。『フィガロ』は登場人物の多い演目で、主役というべきスザンナ、フィガロと伯爵夫妻が揃っていて欲しいのはもちろんのことながら、彼らを取り囲む脇役たちが個性的に妙技を披露してくれるとそれだけ面白くなります。バルトロももちろんそうなのですが、ザラストロやオックスを持ち役にしたモルのような大御所が実際の舞台で歌っており、それが映像に収録されているという点で、最初に挙げたDVDは本当にありがたいものです(共演もバスタンをアントニオに据えるほどの無敵艦隊)。昨今の歌手のように俳優のような演技ではなく、割とパターンのある動きをしているようにも見えるのですが、それが実に自然で活き活きとしたものに感じられるのは20世紀の名手の底力でしょうか。聴かせどころのアリアではネチネチとした早口が笑いを誘いますし(その辺りで飽き飽きした様子をにじませるベルビエも笑えます)、ややふらつきながらもあの太い声で終盤の2度の高音を決められるとグッとくるものがあります。2つ目に挙げたややメンバーの異なる録音の方が有名と思いますし、ライヴでのワクワクはないものの演奏としては整っており、モルも正確さを取るならばアリアなどこちらの方が優れているでしょう(それにしてもこの時のショルティのチームは毎回ケルビーノ、バルトロ、マルチェリーナにフォン=シュターデ、モル、ベルビエを据えているのだから恐ろしいものです)。

・オックス男爵(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)
フォン=カラヤン指揮/トモヴァ=シントヴァ、バルツァ、ペリー、ホーニク、ツェドニク、リップ、コール共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1982年録音
>自分としてはどうしてもモルと言えばモーツァルトと刷り込まれてしまっているのですが、モーツァルトを敬愛しオマージュしたシュトラウスの作品での活躍、とりわけこのオックス男爵での歌唱を忘れる訳にはいきません。この役は下品で高慢で図々しくて卑怯で、恐らくはこの物語に登場する誰一人として彼に対して好意的な眼差しを注いでいないのに、間違っても客席からは嫌われてはならず、どこかに古い時代の優雅さと愛すべき人くささを湛えながら、一抹の哀愁をさえ漂わせていて欲しいという、数あるオペラの役柄の中でも最高峰の難役だと思います。モルの演唱は、この不可能な問いへの一つの説得力のある回答でしょう。元帥夫人に自分の若々しい好色ぶりを誇る得意満面さ、財産に対するネチネチとしたこだわり、テノール歌手をうるさいと叩き出す小心な怒り、そのあまりにも堂々たる退場……歌う人によってはさらっと流してしまいそうな部分に詰められた魅力は枚挙にいとまがなく、聴けば聴くほどその味わいは増していくようです。最大の見せ場であるワルツは言うにや及ぶ!ここでのオックスの鼻歌は単に彼が上機嫌という以上に優美で繊細で、どんな人間でもこんな風に美しく愛を歌うことができるのだとシュトラウスが主張しているよう思う部分で、モルはその意図を見事に実現していると感じます。オスミン同様に難所として知られる超低音も余裕たっぷり。フォン=カラヤンは正直うるさすぎる演奏も多い中でこれはベストの1つ、トモヴァ=シントヴァの淑女ぶりやバルツァの溌剌とした美青年に加え、ペリーもホーニクもいいですが、ツェドニクの演ずるヴァルツァッキがうまい!キャラクターテナーの面目ここに極まれり、という名歌唱です。

・ヴァルトナー伯爵(R.シュトラウス『アラベラ』)
レンネルト指揮/カバリエ、ニムスゲルン、ミリャコヴィッチ、コロ、ドミンゲス、ガイファ、スコヴォッティ共演/ローマ放送交響楽団&合唱団/1973年録音
>オックスと比べるとかなり小さいですが、如何にも彼らしいこうした役での良サポートぶりを聴き取れる演奏です。自身のギャンブル狂いで破産寸前などうしようもない面をコミカルに表現しつつ、貴族であり軍人であったことに誇りを感じさせるような重厚な声を響かせるというバランス感覚の良さは彼ならではでしょう。知的な歌い口もあって、この老人がいざとなれば意外に機転の効くところだとか結構ちゃんと父親としての慈愛も持っているところなども浮いてしまわずに説得力が感じられ、奥行きのある人物を作り上げています。伊国のオケに聞いたことのない指揮者、カバリエはともかく後はあまりシュトラウスの印象のないメンバーで、初めて聴いたときには正直期待をしていなかったのですが極めて完成度の高い演奏で自分の先入観を恥じました(苦笑)

・ファン=ベット(A.ロルツィング『ロシア皇帝と船大工』)
フリッケ指揮/ブレンデル、ボニー、ザイフェルト、ファン=デル=ヴァルト、ローテリング、リドル、ヴルコップフ共演/ミュンヒェン放送交響楽団&バイエルン放送合唱団/1987年録音
>コミカル路線で行くと日本ではなかなか演奏されない楽しい演目も遺しています。キャラクターとしてはバルトロを拡張したような、自信過剰で声だけは大きい権威的な人物(且つヒロインの父親)と言う比較的単純なものなのですが、いかにもロルツィングらしいロマンティックな旋律も満載されており歌うところが多い分、声だけで聴かせる響きの魅力や飽きさせない藝が必要な役でしょう。モルのパフォーマンスはまさに理想的なもので、重厚でどっしりした声がちょうどいい具合にこけ脅し感を出していますし、とぼけた口跡は聴いていて思わず笑みがこぼれるものです。「とぼけた」といえば、登場アリアでのファゴットとのヴィルトゥオーゾ的なやりとりはルチアの狂乱のような高度なアンサンブルをしているにもかかわらず正しくとぼけた味わいを出していてとても長閑。曲中1番の聴きどころかもしれません笑。

・ダーラント(R.ヴァーグナー『彷徨えるオランダ人』)
フォン=カラヤン指揮/ヴァン=ダム、ヴェイソヴィッチ、ホフマン、T.モーザー共演/BPO&ヴィーン国立歌劇場唱団/1981〜3年録音
>独国を代表するバスですから僕自身の嗜好とはかかわりなくヴァーグナーも重要なレパートリーです。この俗物の船長を演じるには彼の声はやや高貴過ぎるような気もしながら視聴しはじめるのですが、いざ聴いてみると喜劇的な役柄を演じるときのような軽さを感じさせる素晴らしい歌唱で、その懐の深さに頭が下がります。ヴァン=ダムの暗く籠った声とも相性が良く、序盤に取引をする場面の重唱はベル・カント的な優美さもありつつ作品そのもののどんよりとした空気にも沿った名演でしょう。フォン=カラヤンの豪奢な指揮も聴きごたえがあります。

・ヘルマン1世(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』)
ハイティンク指揮/ケーニヒ、ポップ、マイヤー、ヴァイクル、イェルザレム共演/バイエルン放送交響楽団&合唱団/1985年録音
>彼の堂々たる重厚な低音は、言わずもがな身分のある人物を演じるのにも適しています。ヴァーグナーの王様役というのはどちらかというとメロディアスに歌いあげるというよりも、祝詞のような音程のある語りという趣きの音楽が当てられていることが多いのですが、それでも単調にならずに聴き手を惹きつける力量は特筆すべきものでしょう。2幕フィナーレのような重層的なアンサンブルも多いので、何を歌っているかがはっきり伝わってくるだけの声量があるのも大きなプラスです。この時期共演の多かったポップとヴァイクルもそれぞれに脂ののった歌唱、ハイティンクはつまらないという人もいますが個人的には風通しが良くて好ましく思います。

・ハインリヒ・デア・フォーグラー(R.ヴァーグナー『ローエングリン』)
アバド指揮/イェルザレム、ステューダー、マイヤー、ヴェルカー、A.シュミット共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場唱団/1991〜92年録音
>アバドの『ローエングリン』というとドミンゴが題名役を演じた映像の方がメジャーらしく、隠れがちですがこちらも名演です(個人的にはマイヤーは得意ではないのですが、ここでは優れたオルトルートを演じていると思います)。モルは品格と安定感のあるずっしりとした声で、問題のある登場人物の多いこの物語の国を支える主を作り上げています。軍令のシュミットも相当立派なのですが、彼が仕える領主として全く不足のない、信頼感とカリスマのあるハインリヒです。ここでも頻出する長丁場の演説も決して飽きさせず、うまみのある歌でしっかり聴かせています。

・ファイト・ポーグナー(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)
サヴァリッシュ指揮/ヴァイクル、ヘップナー、ステューダー、S.ローレンツ、ファン=デア=ヴァルト、カリッシュ共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1993年録音
>低音の役柄が多い演目ながら、バスの中でもとりわけ低い声を持っている彼が繰り返し演じているのはやはりこの役です(とは言え、アリア集ではザックスも歌っていますが)。どうしてもザックスがカリスマ的な主人公になってしまうので、ポーグナーはともすると地味で影の薄い印象になってしまうことも多いのですが、彼の輝かしい声は他の親方たちの中にいても決して埋もれることはなく、ニュルンベルクでも一目置かれる重要人物であることがすぐにわかります。また(いかにもヴァーグナーらしい価値観の枠の中であるとは言え)娘にも深い愛情を抱いていることのわかる、とても優しい歌唱は感動的です。

・隠者(C.M.フォン=ヴェーバー『魔弾の射手』)
クーベリック指揮/コロ、ベーレンス、メーフェン、ドナート、ブレンデル、グルムバッハ共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1979年録音
>この演目でバスと言うとカスパールが強烈なアリアで記憶に残りますが(ちなみにこちらもアリア集で歌っています)、ここではそちらは先輩のペーター・メーフェンが演じ(彼もまた高級感のある美声!ながら録音が極端に少ないのが勿体無いです)、彼は物語の終盤に少しだけ登場する隠者を歌っています。出番が僅かとは言えこの作品全体を大団円に導く重要な要役であり、安直なデウス・エクス・マーキナーに堕さないような説得力がほしいです。ここでのモルは登場第一声で勝負あり。声量があると言うよりは空間を満たすような奥行きのある巨大な声と、その楽器を濫用しない穏やかな語り口が合わさって、常人の知を超えた高徳の人物として圧倒的な存在感を示しています。これだけのオーラがあれば、若々しいパワーが漲るブレンデルの領主が彼の意見を受け容れるのも宜なるかなと言ったところでしょうか。

・カジモド(F.シュミット『ノートル=ダム』)
ペリック指揮/G.ジョーンズ、キング、ヴェルカー、ラウベンタール共演/ベルリン放送交響楽団、RIAS室内合唱団&聖ヘトヴィヒ大聖堂合唱団/1988年録音
>間奏曲が時たま演奏される以外はほとんど接する機会がなく、正直ちょっと散漫な部分もあるのですが、独ロマン派らしい甘美で重厚な音楽に酔える作品でもあります。『ノートル=ダム』ものの他のオペラ同様にカジモドの出番は意外と少ないものの、終幕での活躍は忘れがたいものです。ここでは普段の落ち着いたモルや気のいいモルではなく、よりドラマティックな歌唱。フロローとの対決の場面はその荒々しさに手に汗を握りますし、全てが終わった後の絶望的な独白は長くはないものの、悲痛で胸に迫ります。こういう人間味のある芝居をすると彼はピカイチですね。

・宗教裁判長(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
マルティネス指揮/ギャウロフ、アラガル、フレーニ、トロヤノス、マズロク、レイノーゾ共演/ハンブルク州立歌劇場管弦楽団&合唱団/1980年録音
>本領の独ものに留まらない幅広い活躍を知ることができる録音もいくつか。伊ものの中でもモルの凄まじい声が最大限に活きるのは当たり役だと思っています。大変残念ながらスタジオ録音もなければ手に入りやすいライヴ音源もないのですが、バス・ファン必携です。同じように抗いがたい高僧であっても、ザラストロや隠者で聴くことができるような穏やかな聡明さではなく、狂信的であるとさえ言えそうな権威とヒエラルキーの意識が宿った非人間的な存在であることが明確に示された演唱で、思わずゾッとさせられます。「人ならざる何か」になってしまったことが感じられる宗教裁判長としてはネーリと双璧でしょう。だからこそ、藝としての円熟期に差し掛かったこのギャウロフの非常に人間味のあるフィリッポとの対決には凄みがあります。20世紀を代表する名バス2人の対決がこうして残っているのは、まさしく幸運でしょう。

・モンテローネ伯爵(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
ジュリーニ指揮/カプッチッリ、ドミンゴ、コトルバシュ、ギャウロフ、オブラスツォヴァ、シュヴァルツ共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1979年録音
>これも「モルほどの人がこんな小さな役を!」と言う代物のひとつでしょうが、ここに彼を起用した慧眼と交渉力は賞賛に値するものでしょう。あまり話題にされることはありませんが、リゴレットの侮辱に対して我を忘れて呪いの言葉を叫ぶこの人物がいなければ、そもそもこの物語は始まらないのです。そしてその呪いの叫びはリゴレットの脳裏に深く刻みつけられるような強烈さがなければなりません。モルのノーブルな歌い口はこの貴族の自尊心を示すのにふさわしいものですし、その底しれない声での罵りにはまさに地獄から響いてきているような凄みが感じられます(騎士長を想起するのは僕だけではないでしょう)。ここでも共演しているギャウロフは、彼らしい微妙な色彩を加えながらも残虐な行いを辞さない野卑な響きがあって見事なコントラスト。他に共演で傑出しているのは繊細なコトルバシュで、彼女のベストかもしれません。ただ全体として見るとジュリーニの音楽が丁寧なんだけれども勢いに欠けるもので、特に主役のカプッチッリが足止めを食ってしまっているのが惜しいです。

・宗教裁判長(С.С.プロコフィエフ『炎の天使』)
N.ヤルヴィ指揮/セクンデ、S.ローレンツ、ツェドニク、ラング、サロマー共演/イェーテボリ交響楽団、イェスタ・オーリン合唱団&イェーテボリ・プロ・ムジカ室内合唱団/1991年録音
>知っている範囲では唯一の露ものの録音です(とは言え、全体的に独っぽいメンバーで土臭さよりは純音楽的なシンフォニックさを感じさせるものではあります)。『ドン・カルロ』の宗教裁判長ほどの“邪悪さ”はないにしても、主人公を破滅させる絶対的なこの宗教権威もまたおぞましく、“善”の衣を纏っているからこそ始末におえない腐臭を感じさせる役柄だと思います。その意味でここでモルが演じていることには2つの側面から非常に強い説得力を与えているようです:1つは繰返しになりますが地の底から響いてくるような彼の深く暗い声によって抗いがたい力を感じさせること、もう1つは彼が多くの役でも見せる穏やかで格調高い歌がここでも聴けることによって“善”の衣を纏った恐怖の存在であるということです。共演ではここでも脇役ですがツェドニクが抜群。セクンデの悪声がエキセントリックなレナータに貢献している一方、ローレンツはちょっと穏当すぎるかも。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿六夜/綺羅星の姫君〜

1ヶ月に1度ぐらいは更新したいのですが、なかなかままなりませんね……。
さておき今宵は久々に伊国の薫りのする歌手をご紹介。

AntoniettaStella.jpg

Leonora(Il Trovatore)

アントニエッタ・ステッラ
(Antonietta Stella)
1929〜
Soprano
Italy

20世紀中葉を代表するスピントの名花。経歴を調べるとプッチーニもよく歌ったようですが「ヴェルディのひと」という印象が強く、それは外形的には、ディスコグラフィーに顕れていると言えるでしょう。彼女の代表盤と言えばまずはセラフィン盤の『イル=トロヴァトーレ』、それにサンティーニ盤『ドン・カルロ』にガヴァッツェーニ盤『仮面舞踏会』とヴェルディ中期の傑作が並びます。面白いのが、併せてよく知られている音盤がプッチーニではなくジョルダーノの『アンドレア・シェニエ』であるところ。ここには彼女の持ち味を間接的に見出せるかもしれないと思うのです。

実際に彼女の歌を聴くと感じるのは、曲がらない信念を持っていそうな意志の強さ、芯の強さです。これは彼女の楽器によるところが大きいと思います。決して固い声やきつい声ではなく伊国らしいふくよかな響きですし、変な重ったるさとも無縁の清澄な声だと思うのですが、兎に角馬力があります。他方その歌には強さとともに、育ちの良い相貌や美しい所作までもが想像できそうな王族・貴族の風情が漂っています。こうした彼女の特徴はヴェルディの描くドラマティックな時代劇の姫君にしっくり来るもののように感じておりまして、それが例えば2度にわたってエリザベッタ(『ドン・カルロ』)のスタジオ録音を遺す結果につながった理由かもしれないなどと妄想してしまう次第です(彼女のプッチーニをまともに聴くことができていないので、この推測は本当に妄想レベルの、フェアではないものですが)。

同世代のゲンジェルやトゥッチに較べればかなり商業録音に恵まれてはいますが、彼女もまたやや先輩のカラスとテバルディの活躍と活動時期を同じくしていることで、割りを食っているように思います。ステッラの長所が最もよく発揮されている録音ですら、彼女たちと比べて魅力に欠けるというような批判がなされてしまうのは、明確な個性を持ったスターとして非常に残念なことです。「黄金時代」の多様性の一つの重要な証左として、彼女の名演の数々は大きな意味を持つと思うのですが……。

<演唱の魅力>
ご多聞に漏れず僕がステッラという人を知ったのは、名盤の誉高いセラフィンの『イル=トロヴァトーレ』でした。恥ずかしながら白状しますとこの時には「素晴らしく美しい声のソプラノ」以上の印象がなかったのですが、本当にオペラに触れはじめたばかりだったこともあって、それこそ繰り返し繰り返しこの演奏を聴き、耳になじませたのを覚えています。そんなこんなで私の中でのレオノーラのイメージはすっかりステッラなのですが、いろいろと他の歌手の歌唱を聴いた今改めてこの音源に改めて当たってみて痛感するのは、如何に彼女の声が特殊なものだったかということです。彼女の楽器の明るく柔らかみのある響きはどう聴いても伊もの向きなのですが、他方で金属的で厚みのあるオーケストラをも分断する強靭な輝きは、敢えて誤解を押して言うのであれば、ヴァーグナーやR.シュトラウスを得意とする独系の歌手の持っている力強さを想起させます。今回改めて聴き直していた時には思わずビルギット・ニルソンの名前が脳裏によぎる瞬間もあって、ひょっとするとこの人は何かしら違う巡り合わせであればブリュンヒルデ(R.ヴァーグナー『ニーベルングの指環』)なども歌ったかもしれないなどと考えたりもしたくらいです。

一方的な声の強さだけではなく、言葉の感覚の鋭敏さ、声芝居の巧みさも彼女の大きな特質でしょう。セラフィンとの『椿姫』(G.F.F.ヴェルディ)はカラスとの因縁を避けては通れない音盤でなかなか純粋に評価されづらいところがありますが、ここでのゴッビ演ずるジェルモンとのやりとりなど、どうしてどうして緊張感と哀しみに包まれた得難い感興のある瞬間です。そのニュアンスの豊かさは、より彼女に向いた役であるエリザベッタ(『ドン・カルロ』)の長大なアリアでも聴き取ることができるでしょう。また、『仮面舞踏会』ではそうした言葉のをちゃんと聞かせながら、テンポが速くて細かい厄介な動きをしっかりはめるという辣腕ぶり。そのアンサンブル能力の非凡さも味わえます。

それにしてもここで述べてきた声の強さやニュアンスの豊かさ以上に、ステッラの個性を際立たせているのは、高雅な気品です。前段で「時代劇の姫君」と形容しましたが、その王侯貴族の令嬢然とした空気は彼女の藝風の根幹を成しているように思います。決して大時代的な古くさい歌い回しではないのですが、同時に決して現代劇風のメタ的な視点やある種の冷酷なドライさも似つかわしくなく、例えば読替え演出の舞台に登場するステッラはとても想像できないのです(笑)。とはいえそれは単に型にハマったお嬢さんということではなくて、背景は書割でも先の展開が見える固定観念の世界の「理想の女性像」でも、その世界の主人公として生きている存在感を宿しています。この点こそが歴代の名花たちの中でもとりわけ彼女の特異性が顕れている部分ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

<アキレス腱>
上述の通り濃やかなニュアンスをつけることができる人ではあるのですが、あまりにも美しく、強い声だからでしょうか、力押しに終始してしまっているような時がないではありません。そうした音源に出会うと、ステッラならもっと歌えたはずだと思うのに……と残念な気持ちになります。またこれは好き好きだと思いますが、常に均質に豊かな歌声というわけではなくて、速いパッセージなどで語りのようなやや乾いた響きの声が混ざる時があるので、気になる人は気になるかもしれません。
コロラテューラについては一糸乱れぬ正確さを売りにした人ではないのでお好みでない方もいるでしょう(特に下降音型はだれがち)。が、これだけの質量のある声としてはかなり達者だと僕個人は思います。

<音源紹介>
・レオノーラ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)
セラフィン指揮/ベルゴンツィ、バスティアニーニ、コッソット、ヴィンコ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1962年録音
クレヴァ指揮/ベルゴンツィ、バスティアニーニ、シミオナート、ウィルダーマン共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
>かなりメンバーは共通していますが、方向性は全く異なるいずれも超名盤。特徴を簡単に述べるなら音楽として磨き上げられ、完成された演奏である前者と、舞台としての生々しさがまざまざと記録された後者において、ステッラについてもその双方のベクトルがはっきりと顕れています。自分にとって刷り込みになっていることは否めないにしても、やはりこのセラフィン盤での彼女ほど美しいレオノーラは思い当たりません。楚々とした麗人を思わせる端正さと美しさを兼ね備えつつ、声の強靭さは随一で、鍛えた刃物のような美しさがあります。ベル・カント作品の総決算的な面もある本作、華やかなコロラテューラも立派なものです。しかもカットされがちな4幕のカバレッタまで入れてくれているのは嬉しいところ。これに対して後者はヴェルディ演奏黄金時代のライヴの真髄を知ることができる強烈な演奏です。多少瑕が出ようが何だろうが、目の前の聴衆といかに白熱した舞台が作れるかに心血を注ぎ切った、異様なまでの集中度にはくらくらさせられます。ステッラはアリアもいいですがこういう音盤はやはりアンサンブルのうまさが光るところで、1幕フィナーレの熱気や4幕でのバスティアニーニとの丁々発止のやり取りは、ライヴ録音に求める魅力の全てが詰まっているようです。いずれも最高のトロヴァトーレ、是非座右に。

・エリザベッタ・ディ=ヴァロワ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
サンティーニ指揮/クリストフ、ラボー、コッソット、バスティアニーニ、ヴィンコ、マッダレーナ、デ=パルマ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団/1961年録音
>こちらもまた最大の当たり役。エリザベッタを2回もスタジオで録音している歌手は寡聞にしてステッラしか知りませんし、それもカラスやテバルディが活躍している最中のことということを考えると、彼女たちとは異なる個性がはっきりと認識されていたのかなと思います。以前の自分のメモを見ると重厚な低音陣に恵まれた旧盤やライヴ録音の方が好ましいと感じていたようですが、改めて聴いてみるとカルロのラボーとの声の相性の良さ、言葉さばきの巧みさなど彼女の良さはこちらの方が出ているように思いました。伊語5幕版(ここではやや変則的)の1幕の重唱は、歌手の力量と魅力がないと持たない場面で正直なところ退屈な思いをすることも少なくないのですが、ここではラボーともども伊ものに向いた煌びやかで透き通った美声と情感豊かな歌唱で本盤の大きな聴き処になっています。別れに際した小さなロマンスも哀切極まる佳演ながら、やはり大詰めのアリアが極め付けの名演でしょう。

・アメーリア(G.F.F.ヴェルディ『仮面舞踏会』)
ガヴァッツェーニ指揮/ポッジ、バスティアニーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1960年録音
>ステッラのヴェルディとしてもう一つ忘れることができないのがアメーリアです。特に「イタリア歌劇団」公演を生でご覧になった世代の方々にとっては、彼女がベルゴンツィやザナージと演じた超のつく名演がありましたから、その印象はより強いかもしれません(残念ながら私はまだあの映像を入手できていないのですが)。ここで紹介しているスタジオ録音は、彼女の声を取り出して考えるならばベストでしょう。その美しさと強靭さについて今回の記事では何度となく繰り返して触れてきていますが、それらが高次で融合された非常にスケールの大きな歌唱を楽しむことができます。しかも馬力一辺倒には決してならず、例えば2幕終盤や3幕の不穏で動きの細かいアンサンブルなど正確無比なリズム感とフットワークの軽さをも示す会心の出来です。同様に旨みの強い巨大な声を持っているバスティアニーニもお見事で、これでリッカルドがベルゴンツィだったら!という思いを強くします(ポッジは明るい澄んだ声は魅力があるのですが、どうも高い倍音が伸びきらないというかやや詰まって聴こえてしまうのです。。。)。

・ルイザ・ミラー(G.F.F.ヴェルディ『ルイザ・ミラー』)
サンツォーニョ指揮/ディ=ステファノ、マックニール、アリエ、カンピ、ドミンゲス共演/パレルモ・マッシモ劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>ステッラのヴェルディと言えば上述3役が絶対に外せない王道であるのに対し、裏名盤と言いますか、あまり知られてはいないけれども是非オススメしたいのがこのルイザ。そもそもこの役かなり要求の厳しい難役で、序盤はベル・カント作品のヒロインのような転がしや軽さが求められるのに対し、2幕のアリア以降はうんとドラマティックで深刻な歌を歌わねばならず、多くの名ソプラノが挑んでいながら全曲通して満足できることはほとんどないです(大体が登場の場面で軽さが出ないか、逆に後半でパワーが不足してしまうか)。正直ここでの彼女も登場のカヴァティーナの細かいパッセージにはうまく決まっていない部分もあるのですが、個人的には知る限りで最高のルイザだと思います。冒頭では彼女の声の暖かい輝きから、うきうきとした幸せな心持ちがひしひしと伝わってくるのに対し、偽りの手紙を書かされる場面からはその声の強さを全面に押し出して、臓腑をえぐるような悲痛な歌唱(しかし決して絶叫調にはならない)を繰り広げる手腕は圧巻です。共演ではディ=ステファノは勢いの目覚ましい名唱、アリエもいつもどっしり構えた歌が持ち味ですがいい意味でテンション高め、カンピの憎々しい怪演と短い時間ながらドミンゲスの登場も嬉しいところ(ところでこの音源、どの情報を見ても伯爵がカンピ/ヴルムがアリエとされていますが、明らかに逆です)。マックニールは1幕の熱唱は良かったんですが3幕がちょっと荒っぽすぎで惜しい……。

・ヴィオレッタ・ヴァレリー(G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)
セラフィン指揮/ディ=ステファノ、ゴッビ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1955年録音
>上述したとおりカラスにまつわるエピソードばかりが語られてしまう音盤ながら、ステッラらしい良さもしっかり出ており無視できない演奏だと思います。確かにここではややコロラテューラがもたつきがちだったり、慣例的なEsを入れなかったりというところで1幕、特に本作のハイライトというべきあのアリアではいささか地味な印象になっているのは否めないのですが、むしろ迷いや憂いが繊細に表現されている2幕からの完成度の高さは比類ありません。訥々とソット・ヴォーチェで優しく“諭す”ゴッビのジェルモンに対して、最初は毅然として振る舞いながらも徐々に迷いと諦めとに支配されていく重唱は、全曲中の白眉。また3幕の直情的なディ=ステファノとの重唱も聴きごたえ十分、特に後半の「こんなに若くして死ぬなんて!」というドラマティックなやりとりが秀逸です。

・マッダレーナ・ディ=コワニー(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)
サンティーニ指揮/コレッリ、セレーニ、ディ=スタジオ、マラグー、モンタルソロ、モデスティ、デ=パルマ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>万全のキャストによる、燃えた鉄のような熱気に包まれた名盤……なのですが主役3人に大看板を並べたガヴァッツェーニ盤の割りを食ってかあまり言及されないように思います(もちろんあちらも掛け値ない極上の声の饗宴を味わえる演奏であることは言を俟ちませんが)。テバルディのマッダレーナが波乱の人生を歩みながらもどこか腹をの据わった奥ゆかしさを感じさせる淑女であったのに対し、ステッラはよりはっきりとヒロイン、不運に見舞われた育ちのいいお嬢様という風情で、絶妙なバランスで気品と癇の強さが共存しています。そう、この役は革命で落ちぶれてしまうとは言っても、ヴェリズモやプッチーニの時代の作品には珍しい貴族令嬢で、そのように考えると彼女がスタジオ録音としてこの役を遺したのはとても合点が行くように思うのです(余談ですがプッチーニの姫様役と言えばご存知トゥーランドットがおりまして、声質を考えてもステッラが歌うのだとしたらこの役だという気がするのですが、全曲はどうも歌ってなさそう)。コレッリの熱唱やセレーニの苦みばしった歌とも相性が良く、モノクロ映画を観ているような感興があります。

・リンダ(G.ドニゼッティ『シャモニーのリンダ』)
セラフィン指揮/ヴァレッティ、タッデイ、カペッキ、バルビエーリ、モデスティ、デ=パルマ共演/ナポリ・サン・カルロ劇場管弦楽団&合唱団/1956年録音
>全曲録音がほとんどない本作にとっては貴重な存在である一方で、彼女にとっては異色の録音だと言わざるを得ないでしょう。知る限り彼女のドニゼッティはこれしかないのですが、ステッラの個性を考えるならばそれこそ女王三部作ぐらいドラマティックな作品を歌ってそうなものなのに、敢えて可憐な田舎娘のリンダに起用されているのですから。彼女の録音としては最も初期のものなので、あるいはまだその持ち味を模索しているときだったのかもしれません。ではここでの歌唱が大味で退屈なものかというと、これが文句なく素晴らしい。ルイザでも感じられたように、登場アリアから甘やかで明るい声の響きにうっとりさせられてしまいます。もちろん役に対して重い声ではあるし、機動力でももっと優れた人はいるでしょうが、彼女の声だからこそ引き立つ歌のうまみがあるように感じます。そうした甘美さが更によく出ているのがヴァレッティ演ずるカルロとの重唱、最高にロマンティックです。他方で彼女らしいシリアスなパワーを聴き取ることができるところもあって、例えばボアフレリー侯爵がパリのリンダを訪ねる場面は通常ならば彼ら2人の行き違った感情がコミカルに歌われるものだと思うのですが、名ブッフォのカペッキが徹頭徹尾ふざけて笑い歌っているのに対して、ステッラはかなり深刻に悩んだり不快感をあらわにしたりしていて、侯爵の非道さとリンダの哀れさがグロテスクなまでに強調された一種異様な迫力がある怪演になっています。そして狂乱になると、タッデイやバルビエーリとの絡みはほとんどヴェルディのような切迫感で進んでいきますし、続くカバレッタはゆっくりと、しかし明らかに正気ではないぎこちなさを伴っていて、聴いていて寒気を覚えるほど。間違いなくこの録音最大の聞きどころです。全体にこの作品には重い指揮とキャストながら、その方針でしっかりと筋が通っていて独特な個性を持った名盤になっているように思います。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿五夜/ブラチスラヴァのナイチンゲール〜

最低音級のザレンバから、一気に駆け上がってコロラテューラの名手へ。

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Zerbinetta

エディタ・グルベロヴァー
(エディタ・グルベローヴァ)

(Edita Gruberová)
1946〜
Soprano
Slovakia

この世代の大プリマ・ドンナの最後の生き残りの1人でしょう。70年代から80年代がピークでしょうが、2000年代に入ってからもノルマ(V.ベッリーニ『ノルマ』)のような新しい役に挑戦したり、たびたび来日してそのパフォーマンスで話題をさらうなど、第一線のソプラノとして活躍している歌手としては、あとはマリエッラ・デヴィーアぐらいではないかと。

スロヴァキアのソプラノといえば少し先輩に以前取り上げたポップがいて、夜の女王(W.A.モーツァルト『魔笛』)やアデーレ(J.シュトラウス『蝙蝠』)など被っているレパートリーも少なからずあります。が、この2人の持ち味は近いようで遠いところがあって、ポップちゃんがコロラテューラの技術はありながらもそこにこだわらず幅広くヴィヴィッドな娘役を軸として最終的にはヴァーグナーやR.シュトラウスのヒロインまで歌ったのに対し、グルベ様はその卓越した技巧をこそ最大の武器にして自身の可能性を追求していました。モーツァルトの『イドメネオ』でポップがイリアを、グルベロヴァーがエレットラを歌って共演しているのは、彼女たちのキャラクターの違いを象徴していると言っていいかもしれません。

グルベロヴァーのキャリア後半で特筆すべきは、ベル・カント作品における功績でしょう。自身が主催するレーベルNIGHTINGALEでは、彼女が中心となってスタンダードな作品から滅多に演奏されない秘曲に至るまで数多の録音がなされています。ロッシーニは今でこそマイナー作品にも光が当たるようになりましたが、ドニゼッティやベッリーニのレアな作品を発掘している点ではOpera Raraレーベル同様に資料的な価値も大きいように思います(どうせならもっといい共演者を揃えて欲しいという演奏もありますが)。

そんな訳で今回は、世紀の変わり目を生きた大技巧派ソプラノ、グルベロヴァーの魅力をご紹介いたします。

<演唱の魅力>
ナイチンゲールという鳥はサヨナキドリ(小夜啼鳥)という風雅な和名が与えられているものの日本には分布しておらず、有名な割にその啼き声のイメージは抱きづらいかもしれません。すっきりした響きの声で少しせわしなく連符を刻みながら自在に“歌う”のを聴くと、コロラテューラ・ソプラノの喩えで引き合いに出されるのにも得心がいきます。そして、グルベロヴァーが自身のレーベルにこの鳥の名前を選んだことは彼女の藝を象徴しているとも言え、転がしの技巧の正確さ、自在さで彼女に比肩できる人はほとんど思いつきません。個人的には円熟期の歌を聴いていると、熟練の職人が精妙な手つきと火加減で金属を細く長く伸ばしたり、膨らませる華麗さと繊細さを思い出します。

もう一つグルベロヴァーを特徴づけているのはは、独特の硬質な声です。決して耳に障る金切り声にはならないのですが、愛らしく華やかだけれども慎ましやかな金属の輝きを持つ響き。楽器に例えるのであれば同じように高音で細やかなパッセージを扱うとしてもフルートやヴァイオリンではなくて、チェレスタやグロッケン・シュピールでしょう。この声と超絶技巧とが組み合わさることで、あたかも銀細工やオルゴールのように壮麗で緻密な歌が作り上げられています。

そういった彼女の持ち味が存分に味わえるのは、まずはモーツァルトというのが私の意見です。彼女の可愛らしく気品のある声が若々しい貴婦人の姿を鮮やかに描き出すコンスタンツェ(『後宮からの逃走』)は圧巻ですし、決して叫ぶことはしていないのにヒステリックな怒りを見事に表出したエレットラ(『イドメネオ』)や夜の女王(『魔笛』)はそれぞれ上演史に燦然と輝く名演と言えるでしょう。とは言えグルベロヴァー最高の歌唱を聴くとができると思うのは、そのモーツァルトを意識していたであろうR.シュトラウスの創造した難役ツェルビネッタ(『ナクソス島のアリアドネ』)!彼女の技巧の粋が尽くされているとともにおそらくはご自身の明るいお人柄が反映されたことで、ツェルビネッタがコケティッシュなコメディエンヌとして舞台の上に生を受けています。そんなことは決してありえないですが、仮に彼女の他の記録が全て忘れられたとしても、この役1つを以て人々の記憶に永遠に遺り続けるに違いありません。まさに当たり役中の当たり役です。

<アキレス腱>
これはもう完全に私見なので異論・反論はたくさん出て来るのは承知の上、趣味の問題と思っていただければと言うところなのですが、一般的な傾向として彼女の硬質な声がベル・カント作品の柔らかな旋律線で十分に活かされるのかと言うとちょっと疑問符です。もちろんこの方面での彼女の貢献の大きさや後で取り上げるいくつかの演奏での驚異的なパフォーマンスには不動の価値があると思います。ただ、プロモーションでたびたび聞かれる「ベル・カントの女王」と言うフレーズに納得できるかというと、それは別問題。グルベロヴァーが彼女の持てる力を尽くして、ベル・カントの作品に新たな光を当てたと言うことであれば全く異論はないのですが……。

自分としてはグルべ様をあんまり評価してないような書きぶりが並んでしまうのは非常に不本意ながら、彼女が歌ってさえいればそれは極上のものというような絶対的なプリマとしての評価が出来上がってしまっているようにしばしば感じられるのが非常に残念に思えます。不幸にして私はグルベロヴァーの実演に触れることができなかったので、そこでは自分の認識以上の演唱がなされている可能性も高く、上記の意見は一面的だという批判は甘んじて受けます。しかしそれでも彼女が自身の土俵で作り上げた歌の真骨頂はツェルビネッタやコンスタンツェ、エレットラにこそあって、ベル・カント作品への取組みはむしろ彼女のあくなき探究心から来る意欲的な挑戦、グルベロヴァー流に昇華した藝術を楽しむものではないかと思うのですが、半可通の偏屈でしょうか。

<音源紹介>
・ツェルビネッタ(R.シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』)
ベーム指揮/ヤノヴィッツ、キング、バルツァ、ベリー、ツェドニク、クンツ、マクダニエル、エクヴィルツ、ウンガー、ユングヴィルト共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1976年録音
>不滅の名盤。共演のヤノヴィッツやキング、バルツァ、ベリーなどどこにも死角がなく、ベームの指揮も冴えわたっているのですが、何と言ってもグルベロヴァーの一世一代の名演がこうして音盤に残っていることがオペラ聴きにとって大きな幸福と言えるでしょう。その技巧の素晴らしさには一点の曇りもなく、あの難曲のアリアですら聴いていて何ら不安を覚えずに、シュトラウスの書いた美しい旋律に酔うことができます。技術的に完璧に歌えることがあって、それをスリリングに聴かせることがあるのだと思うのですが、その更に向こう側に、私たちの知る由のない天国的でより自由な世界があることを錯覚させるような、天衣無縫で生の喜びに溢れた歌ーーそう、信じられないような繊細で困難な技巧(めくるめく装飾音や気の遠くなるような高音でのppからのクレッシェンド!)を尽くしているにもかかわらず、そこにあるのはなんの衒いも気負いもなくて、純粋に生き生きとした音楽が紡ぎ出されているのです。これがツェルビネッタの享楽的である意味で薄っぺらな、しかし生きることの純粋な魅力を体現するようなキャラクターに大きな説得力を持たせています。グルベロヴァーがどんな歌手か知りたいと尋ねられたら第一に推す録音です。

・コンスタンツェ(W.A.モーツァルト『後宮からの逃走』)
ショルティ指揮/ヴィンベルイ、バトル、ツェドニク、タルヴェラ共演/WPO&ウィーン祝祭合唱団/1985年録音
>この作品も名盤が多いですが、コンスタンツェで聴くのであればローテンベルガーと双璧と言えるのではないでしょうか。至難のアリアが3曲もある役ですが、彼女の自在な歌を聴いていると思わずその難しさを忘れてしまいそうなほど。低い方の音もお手の物です。とりわけ拷問には負けないと高らかに宣言するアリアで最高音を自在にデクレッシェンド、クレッシェンドをかけるところはこの音盤の最大の聴きどころでしょう。何と芯の強いpp!他方で単なる技巧頼みの曲芸大会では決してなくて、全曲を通して凛とした気高いヒロインであることが感じられるのも流石の一言です。共演ではツェドニクの名人芸的歌唱と、蛮勇ぶりにリリカルな美しさを添えたタルヴェラの歌が秀でています。

・夜の女王(W.A.モーツァルト『魔笛』)
アーノンクール指揮/ブロホヴィッツ、ボニー、サルミネン、シャリンガー、E.シュミット、ケラー、ハンプソン、コバーン、ツィーグラー、リポヴシェク、クメント、モーザー共演/チューリッヒ歌劇場管弦楽団&合唱団/1987年録音
>グルべ様といえばこの役!という方も少なからずいらっしゃるでしょう。グルベロヴァーはここまでも書いてきたとおり基本的には可愛らしい感じの声ですが、ここでは重たい声を意識して歌っているようで、ともすると軽くなり過ぎてしまうこの役に相応の貫禄と共に、この役のちょっと異常な感じ、超然とした氷の女王のような美しさをうまく与えています。見目麗しいのだけれどどこか魂が宿っていないような印象を受ける麗人が、感情的に叫んでいるようなエキセントリックさと言いますか、美しいアンビバレントさ、グロテスクさがあるのです。ある意味で彼女のメカニックな魅力が最も出ているということもできるかもしれません。アーノンクール先生は科白を取っ払って全てナレーションにするという奇抜なことをしていますが演奏そのものは小気味のよりモーツァルト、端役に至るまで歌手も揃っていますが、とりわけ素晴らしいのはハンプソンの弁者。古今の名盤で様々な歌手がこの渋い役を歌っていますが、彼ほど優美で雄弁な弁者を僕は他に知りません。

・エレットラ(W.A.モーツァルト『イドメネオ』)
プリッチャード指揮/パヴァロッティ、バルツァ、ポップ、ヌッチ、ストロジェフ、山路共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1983年録音
>既にこのblogでは何度か登場していますが、モーツァルトのオペラの中では決して取り上げられることの多くない作品ながら万全のキャストを揃えた超名盤。全体としては敵として描かれたこの役に盛り込まれたありったけの技巧と感情とにグルベ様が果敢に挑んでいます。特筆すべきはやはり退場時に歌われる、負の感情渦巻く強烈なアリアでしょう。モーツァルトでここまで「鬼気迫る」という言葉がふさわしく感じられる歌唱は、夜の女王の復讐のアリアですらそうはありません。上述の通り可憐な娘役を演じるポップとの間には、声区も同じなら声質も比較的近いものが感じられるのに、見事なコントラストがきいています。こちらも彼女のファンならば必携の全曲盤ですね^^

・グレーテル(E.フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』)2021.2.5追記
ショルティ指揮/B.ファスペンダー、プライ、デルネシュ、ユリナッチ共演/VPO&ヴィーン少年合唱団/1981年録音
>オペラを知らない人でも楽しめるオペラ映画ではないでしょうか。グルべ様は開幕からある種のスターオーラというか貫禄というかがあって少女らしくはないのですが、表情は愛らしいので違和感なく観ることができます(その点ファスペンダーは本当に少年っぽい。ケルビーノやオクタヴィアンよりもヘンゼルがはまっているように思いました)。さておきファスペンダーとの声の相性が抜群にいいのと、見事な安定感があって、子どものお遊戯のような冒頭のアンサンブルでさえも完成度の高い作品であることがよく伝わってきます。同じことは音楽教室のCMで使われた2幕冒頭のグレーテルの歌にも言えるでしょう。また、彼女たちの眠りの前の祈りの静かな美しさは何ものにも代えがたいものです。彼女たちを取り巻く大人たち(プライ、デルネシュ、ユリナッチ)も決して多くない出番でそれぞれ主役のような歌を披露しており、物語の世界を豊かにしていると思います。

・ルチア(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
メータ指揮/ラ=スコーラ、フロンターリ、コロンバーラ、ベルティ共演/フィレンツェ・フェニーチェ歌劇場管弦楽団&合唱団/1996年録音
>彼女はベル・カントの女王ではないと思う、という話をさんざっぱら上でしましたが、他方でそれは彼女が自らの持ち味と魅力でベル・カントの諸作品に新たな息吹を吹き込んだことを否定するものではありません。ルチアというとクラウスやブルゾンと演じたレッシーニョ盤が有名なのですが、この来日公演の記録はそれよりも断然素晴らしいものです。舞台上の彼女の集中した空気が画面の向こうからでもビリビリするほど伝わってきて、息を詰めて凝視してしまうほど。とりわけ狂乱の場は圧巻で、壮絶な美しさに思わず涙がこぼれます(いや初めてこの映像を観た時、久々にこの場面で泣きました……)。メータのドライな音楽づくりは、下手するとベタベタしてしまうこの作品にはハマっているように思いますし、共演もスタイリッシュで気分がいいです(ちょっとフロンターリが平板ですが)。中でもラ=スコーラは絶唱で彼の記録の中でもトップクラスでしょう。

・ノルマ(V.ベッリーニ『ノルマ』)
ハイダー指揮/マチャード、ガランチャ、マイルズ共演/ラインラント=プファルツ州立交響楽団&ヴォーカル・アンサンブル・ラシュタット/2004年録音
>グルベロヴァーが引退を賭けてでも歌いたいと語ったという話があるこの役、録音が出た時にはかなり話題になったように記憶しています。初めて聴いた時、最初はグロッケンのようなグルベロヴァーの声はノルマには愛らしすぎるような気がしたのですが、満を持しての練り込まれた歌唱は研ぎ澄まされたものであるとともに堂々たる貫禄が感じられ、全曲聴きこんだ後には非常に感銘を覚えました。カラス以降最近までもてはやされた重たいノルマとも、バルトリの革新的な軽いノルマとも違う、華麗で凝集された魅力のある彼女のノルマはとてもユニークであり、この時のグルベロヴァーだからこそ歌えた歌だと思います。共演ではまだ若いガランチャがうんと深くて暗い声でアダルジーザを演じているのが素晴らしい……NIGHTINGALE最大の成果かもしれません。いつもながらジェントルな美声を聴かせるマイルズもお見事、マチャードが平板なのが残念です。

・マリア・ステュアルダ(G.ドニゼッティ『マリア・ステュアルダ』)
パタネ指揮/バルツァ、アライサ、ダルテーニャ、アライモ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1989年録音
>ドラマティックな演奏が好まれた時代からベル・カントらしい技巧が嗜好される時代へのいい意味での過渡期の歌手を揃えた古典的な名盤。グルベロヴァーは細めの声とppを駆使することで、マリアをひたすらに強い女性にするのではなく、聴き手にとって共感を覚える薄幸の麗人として描いています。死を前にした祈りの繊細な美しさ!他方でこの人物のプライドの高さや気の短さというものも十分に感じられ、本作の肝であるエリザベッタとの対立の場面の不穏な説得力と緊張感を盛り立てています。対するバルツァも算高さと人間的な葛藤を兼ね備えた名演で、どちらにも思わず感情移入してしまうほどです。作品上男性陣は添え物になりがちですが、優柔不断ながらロマンティックなかっこよさのあるアライサ、穏やかで深い悲しみを湛えたダルテーニャ、そして理知的で冷酷な政治家をドライに演じるアライモと3人ともこれ以上ない適役で、考えうる限り最高のメンバーでしょう。是非、ご一聴を。

・エリザベッタ1世(G.ドニゼッティ『ロベルト・デヴリュー』)
フェッロ指揮/ラ=スコーラ、アレン、チョロミラ共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1990年録音
>そのグロベロヴァーが今度はエリザベッタを歌っているのがこちら。キャリアの最後ごろに彼女はこの役をあちこちで歌っていますが、年代的には歌い出したころの記録でしょうか。ゲンジェルのように強烈な迫力で押して行かずとも絶対的な女王としての貫禄を引き出すとともに色戀の絡んだ人間くささをも表現しているのは流石の一言です。怒り狂って振り絞るようなフィナーレのカバレッタにはゾクゾクさせられます。彼女のベル・カント録音の中では共演が優れているのもこの演奏のいいところで、切れ味鋭く居住まいの整ったラ=スコーラ 、イングリッシュ・ジェントルマンらしい品の良さと暗い迫力を伴ったアレンと丁々発止の切り結びを聴かせています。

・セミラミデ(G.ロッシーニ『セミラミデ』)
パンニ指揮/マンカ=ディ=ニッサ、ダルカンジェロ、フローレス、コンスタンティノフ共演/ウィーン放送交響楽団&ウィーナー・コンツェルトコール/1998年録音
>女王の貫禄という意味でもう一つ忘れられないのがこちら(こうして見ていくと彼女は実に多くの女王役を演じていますね!)。サザランドやステューダーの録音と較べて、全体に彼女の得意な高音域に寄せていっている気はするものの、それでもこの煌びやかなコロラテューラの洪水は抗い難いです。彼女の声はあまりベル・カントという感じがしないということを何度か述べましたが、そのことによってむしろセミラミデにこの世ならぬ存在感と言いますか、浮世離れした恐ろしさを与えているようにも思います。アルサーチェを演じるマンカ=ディ=ニッサは、当代一流の技巧派たちの中で転がしがへたり気味なのが惜しくはあるのですが、一方でグルべ様との声の溶け合い方は抜群で、この作品の一種独特な倒錯的官能を盛り立てていると言えるのではないかと。男声陣は折角このメンバーなのでもっと主張してもよかったような気もしますが、まあセミラミデが中心ですからこのぐらいのバランスでもいいのでしょう(と言ってもいずれもその技術力に舌を巻く歌唱です)。

・ジルダ(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
シノーポリ指揮/ブルゾン、シコフ、ロイド、B.ファスベンダー、リドル共演/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団/1984年録音
>ヴェルディ異色の名盤もご紹介しておきましょう。ブルゾンを除くとあまりヴェルディの熱狂的な世界とは縁のなさそうなメンバーですがそれもそのはず、シノーポリが慣例的な高音を避けて楽譜に書かれた音楽をじっくり丹念に表現しようとした演奏なのです。なのでグルべ様が起用されていながらアリアでも意外なところで音を下げたりしているんですが、これが大成功。「ヴェルディ」と聞いて思い浮かぶ溢れんばかりの情熱から距離をとった音楽でジルダが歌われるのに彼女以上の人はいなかったでしょう。ある意味で純音楽的な演奏の中でグルベロヴァーの器楽的な歌唱が活きること!シコフのやや陰気な公爵はじめ共演も揃っていますが、やはりここではブルゾンが秀逸でしょう。ヴェルディがテンションだけのものではないということがわかる優れた演奏です。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿四夜/陰翳は濃いほどに慎ましく〜

女声を暫く続けます。
……と、言い続けないとまたすぐバスやバリトンに戻りたくなってしまうので、改めて宣言しておきます(笑)
同じメゾながら前回のロードとは全く異なる個性を持ったこの人に登場してもらいましょう。

ElanaZaremba.jpg
Marfa (Khovanshchina)

イェレーナ・ザレンバ
(Elena Zaremba, Елена Арнольдовна Заремба)
1957〜
Mezzo Soprano, Alto
Russia

ロードの声は紅の薔薇のような明るさのある音色だと思うのですが、ザレンバはと言うとそれよりうんと深く、暗く、けれども艶やかさでも決して引けを取らない重厚で高級感のある声です。同じように花に例えるならば黒いビオラのようで、際立つ個性を感じさせながらも慎ましやかな印象も持っています。言い方を変えるのであれば、現在活躍している歌手の中でも最も暗い声の持ち主と言っても過言ではありません。また、その低音の響きの豊かさを考慮に入れればアルトといっても差し支えないでしょう。このシリーズで扱ってきた歌手でアルトというとホーンやラーモアですから、最重量級のアルトという言い方もできそうです。

その低い迫力のあるけれどもやわらかな声に加えて、極めて舞台栄えする容姿が、彼女の舞台での存在感を更に引き立てています。単に美しいというところに留まらず、かっこいいのです。妙な言い方ですが堅気の女性ではないような凄みがあるといいますか、「姐御」という言葉がしっくりくるといいますか(笑)。いずれにせよ普通の意味での、捻りのないヒロインを演じて貰うのにはちょっとかえってもったいなくて、もっとエッジの効いた人物、キャラクターの立った役を演じて欲しいと雰囲気を醸し出しています。

ただ、彼女の録音・映像は思いのほか乏しいものがあります。いや、より正確な言い方をするのであれば、それなりの数の録音にも映像にも参加しているのですが、「え、その役なの?」というような小さな役であったり、わずかな出番に甘んじてしまっているところがありまして……贅沢な起用という点では嬉しいものもありつつ、率直に申し上げると役不足で残念になってしまっているものが少なからず(尤も、だからこそ実力相応の大きな役を演じている時の彼女により大きな魅力を見出すこともできるのではありますが)。

そんなわけで今夜は歌姫というよりは個性派歌手という言葉がしっくりくるザレンバを主役に語っていきたいと思います。

<演唱の魅力>
低い方の倍音が豊かで、ダークな音色の個性派メゾ……というここまでの文章を読んで、例えばシミオナートのような狂気をはらんだ熱量のある歌や、先輩のオブラスツォヴァのような馬力のある豪腕な歌唱を想像された方もいらっしゃると思いますが、ザレンバの藝風はそういった熱気や豪快さといったところからは一線を画したものです。むしろ虚心坦懐に彼女の歌を聴けば、そこに感じられるのは耳目を驚かせるような強烈さではなく、捉えようによっては安全運転に終始した地味な演奏にすら思われるような慎ましさではないでしょうか。おそらくですがその実力を以ってすれば、そうした“荒事”めいた歌で劇場を湧かせることも不可能ではないように思いますが、彼女はそれはしない……この燃え上がらない、どこかに冷たいものを宿しているという点が、一風変わった魅力を築いているように考えます。

オペラで歌手の魅力というのはとても複雑な要素が組み合わさって成り立っているもので、楽器=声が卓越していれば感動を呼び起こすわけでもなければ歌が見事であれば良いわけでもなく、さりとて言葉のあつかいや演技が全てでももちろんありません。歌手の持ち味によって効果のある表現は大きく異なります。そして彼ら/彼女らの組み合わせ。居並ぶ名手がお役所仕事のように退屈な駄演に終始することもあれば、凡百な歌手たちが個々人の実力を遥かに凌駕する名演を繰り広げることもあります。全ては微妙なバランスで成り立っているわけです。そうした中でザレンバは、他を圧倒する強い声を持ちながらいたずらにその楽器の強みに頼ることなく、アンサンブルで求められる役割を念頭に置いた歌をうたっているように思います。だから彼女はどんな役を演じても決して悪目立ちすることなく、どんな役でも埋没してしまうことはありません(なにせ歌はとびきりうまいのです!)。こうした芸当ができる知的さ、クールさ、これこそが彼女の冷たい魅力の根源なのではないでしょうか。

そうした無闇に我を張ることのない歌唱が、彼女の舞台での振る舞いや立ち姿のエレガントさとも実に見事に調和しています。声、歌、姿、動作が絶妙な均衡を保っていることで、演じている役そのもののリアリティがぐっと高まるのです。意外なほど小さな役での登場が多いということは先ほど述べましたが、逆に言うとそんな役でもザレンバだからこそ忘れ得ない存在感を聴衆の脳裏に焼き付けることができると言うことなのかもしれません。エレン(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)やウルリカ(G.F.F.ヴェルディ『仮面舞踏会』)の影が薄かったらあまりにも公演として寂しいですから……。

<アキレス腱>
再三述べてきた通り、歌だけを取り出したときには非常に丁寧ながらおとなしすぎるという印象になってしまうこともあります。その強力な声の響きがあるにしても、外連味に溢れたパフォーマンスが好みという方であれば、食い足りないという感想を持たれても致し方ないかなとは思います。
小さな役であってもその実力を発揮する人ではありますが、手に入りやすい音源や映像では流石に小さすぎる役であることも多く、ちょっともったいない思いをすることも(これは決して彼女自身の実力に由来するマイナスポイントではありませんが)。

<音源紹介>
・マルファ(М.П.ムソルグスキー『ホヴァンシナ』)
ボーダー指揮/オグノヴィエンコ、プチーリン、ヴァネーイェフ、ガルージン、ブルベイカー、クラーク、チムチェンコ共演/リセウ大歌劇場管弦楽団&合唱団/2007年録音
>比較的手に入りやすいディスクの中で、彼女の高い実力が最もよく発揮されているのがこの映像でしょう。露国大河ドラマである本作で或る意味最も叙情的な色合いが強いのがこの役ですが、どうしてもアンドレイに振り回される可哀想な女性といっためそめそした役柄に見えやすい一方で、歌としてはオブラスツォヴァのような剛力歌唱をされがちで何となく感情移入しづらいところ、ザレンバは卓越したバランス感覚で説得力のある人物を描き出しています。時代設定を動かしたモダンな演出も相まって、賢くて美しく、そして情深く……と並べられる形容詞はたくさんあるんですが集約するなら兎に角かっこいい!本当にマルファってこんなにかっこよかったんだと圧倒されるほど(笑)。ここでの彼女の演唱を観て軍人や政治家、権威ある聖職者が割拠するこの演目に一本の筋を通しているのはマルファだったんだと認識を新たにした次第です。とはいえ共演男声陣の平均点も高く、とりわけ鷹揚で人間味のある旧時代な独裁者然としたオグノヴィエンコのイヴァンと、メフィストフェレスのような風貌で暗躍するプチーリンのシャクロヴィートゥイは出色。この演目の現代的な名演として手元においておきたいものです。

・エレン・ベズウーホヴァ(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)
ベルティーニ指揮/ガン、グリャコーヴァ、ブルベイカー、マルギータ、コチェルガ、オブラスツォヴァ、キット、ゲレロ、プルージュニコフ共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/2000年録音
>この超大作の中では比較的手に入りやすい映像。あまり露ものっぽくはないですが上記の『ホヴァンシナ』と重なるキャストも多く、完成度の高い演奏と思います。『戦争と平和』の原作を読まれた方ならばエレンは非常に印象に残る蠱惑的な人物として記憶されているかと思いますが、このオペラでは前半の数場にしか登場せず、まとまった歌もないため意外と素通りしてしまいがちです。これに対してここでのザレンバのパフォーマンスは、そんなこの役を最大限に活かしたものだと言えるでしょう。舞台に現れた瞬間から、歌にも姿にもその場の耳目を集める華があるのです。それも健康な美しさを誇る満開の華というよりも、いよいよ散り始める間近というようなもっと爛熟した頽廃的な華の魅力です。まさにトルストイの描いたエレンがそこに居る感じで、知る限りこの役のベストだと思います。主役であるガン、グリャコーヴァ、ブルベイカーもイメージ通りですし、マルギータの軽薄なアナトーリやコチェルガのクトゥーゾフもイメージぴったりです。そして超大物オブラスツォヴァが演じるアフロシーモヴァも作品の世界の立体感を際立たせています。

・コンチャコヴナ(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)
ハイティンク指揮/レイフェルクス、トモヴァ=シントヴァ、ブルチュラーゼ、ギュゼレフ、ステブリアンコ共演/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団/1990年録音
>本作の代表的な名盤の一つとして知られていると思うのですが、なんとLDかVHSしかないという衝撃的な状況。やや歌舞伎調ながらそれがしっかりとハマる演技ができるメンバーが、卓越した喉を披露している極上の内容ですからDVDかBlu-rayでの復活が熱望されるところです。このころのザレンバは後年と較べると演技の比重こそ軽いものの、所作の美しさもあってその舞台栄えする容貌が目を惹きます。また何と言っても声が素晴らしい!彼女の数ある録音の中でもその声のヴェルヴェットのような高級感ある風合いが最もよく出ているものと言えるかもしれません。視覚的にも聴覚的にもうっとりとした雰囲気が秀逸なのはもちろんのこと、3幕での必死の説得から決然とした行動に移っていくあたりの凛々しさも観ていて気分がいいです(なんでヴラジーミルがいいんだろうか、とは思ってしまいますが笑)。

・ヴァーニャ(М.И.グリンカ『イヴァン・スサーニン』)
ラザレフ指揮/ネステレンコ、メシェリアコーヴァ、ロモノソフ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1992年録音
>こちらもまたかなり古い映像で、演出全盛の現代からみるとあまりにも素朴な舞台ではありますが、演奏のレベルは極めて高く楽しめるものです。ザレンバの声はここでも充実しており、柔らかに響く低音の中に艶やかさや若々しさが感じられ、少年として物語の世界にしっかりと溶け込んでいます。この役では後半に登場する勇壮なアリア(これは単独でもっと歌われてもいいものだと思います)やスサーニンとの長大な重唱が目立つのですが、特に彼女が素晴らしかったのは終幕スサーニンの死を悼む重唱の中でのソロ。派手な嘆き節ではなく禱りにも似た静謐な歌が紡ぎ出され、「スサーニンの愛国的英雄譚」がよくも悪くも本来のテーマであるはずの本作のフィナーレに、家族の哀しみという別の文脈の感情を挟み込むことに成功しているようです。共演ではネステレンコやメシェリアコーヴァもお見事ですが、ソビーニンを演じるロモノソフが圧巻。彼の音源が他に見つからないのは実に残念です。

・オルガ(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)
ゲルギエフ指揮/フヴォロストフスキー、フレミング、バルガス、アレクサーシキン、フシェクール共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/2007年録音
>METのライヴ・ヴューイングにもなった公演で、夭逝したフヴォロストフスキーが当たり役を演じたものですから、彼女の登場しているディスクの中では実は一番手に入りやすいものかもしれません。物語の序盤で活躍し、しかも2幕では意図せず悲しい決闘の撃鉄となってしまうにもかかわらずあまり言及されない人物ですが、小さい役を引き立たせる名手ザレンバの本領が発揮されていると言えるでしょう。キビキビと活発で小気味よい、大変チャーミングなオルガです。レンスキーの詩に対しては正直興味がなさそうで、あからさまに花より団子といった態度でいるのですが、それが嫌味にならない。自然にこうした印象を作っているのですが、これは結構難しいことをこなしていると思います。フレミングのタチヤーナとのコントラストも明確です。

・アヴラ(А.Н.セロフ『ユディーフィ』)
チスチャコフ指揮/ウダロヴァ、クルチコフ、ヴァシリイェフ、バビーキン共演/ボリショイ歌劇場管弦楽団&ソヴィエト・ロシア・アカデミー合唱団/1991年録音
>恐らく全曲盤はこれしかないと思われる、露国のヴァグネリアン・セロフの聖書オペラ。やや地味な気もしますが、東洋風で陰鬱な味わいはユニークですし、ユディーフィ(ユディト)やオロフェルン(ホロフォルネス)といった主役にも際立った個性がありますから、もう少し演奏されて欲しいところです。ザレンバが演じるのはユディーフィの奴隷で、主人の身を案じながらも協力をするという役どころ。アリアでは作中でも最もエキゾチックであるとともに華やかで楽しい旋律を割り当てられていますが、深々とした独特な声の響きで妖しい陰影のある歌となっています。ウダロヴァとは声のコントラストの面でもアンサンブルの面でもぴったり。珍し演目ですので彼女のような力量のある歌手がうたっているのは嬉しいところ。

・ウルリカ(G.F.F.ヴェルディ『仮面舞踏会』)
リッツィ指揮/リーチ、チェルノフ、クライダー、バーヨ、ローズ、ハウエル共演/ウェールズ国立歌劇場楽団&合唱団/1995年録音
>露もの以外での登場もいくつか……と思ったのですが意外とそうなるとヴェルディがならびます。所謂「超名盤のヴェルディ」に比べると軽量級なイメージではありますが、リッツィの勢いのある指揮のもと重厚すぎない声の人たちが歌い上げた、手垢のついていない清新で明快な演奏です。この傾向はザレンバにもはっきりと顕れていて、迫力で押されがちな予言のアリアをはじめ大仰な力みはない一方で、声そのものの翳のある響きで怪しさを感じさせます。これによりウルリカにおいてアズチェーナのような妖婆という印象は薄まり、むしろ超常的な能力を持つミステリアスな人物としての側面が際立っているようです。ある意味でこれも出番の限られたワンポイントの役で彼女が手腕を発揮している一例と言えそうです。

・フェネーナ(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』)
オーレン指揮/ブルゾン、グレギーナ、フルラネット、アルミリアート共演/東京交響楽団&オペラ・シンガーズ/1998年録音
>エネルギッシュな名盤。こんなナブッコが東京で演奏されたのかと思うと、この時分子供だったのが残念でなりません。異形のヒロインを火の玉のようなパワーで演じるグレギーナに対し、ザレンバは落ち着いた色調の奇を衒わない歌で、動と静の対比がくっきりとついています。しかしかと言ってそれで記憶に残らないような人物には堕しておらず、4幕での祈りは短いながらも感動を呼ぶものです。

・カルメン(G.ビゼー『カルメン』)
・レオノーラ・ディ=グスマン(G.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』)
・盲女(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)
シャンバダル指揮/ベルリン交響楽団/2001年録音
>彼女の魅力が凝縮されたアリア集から。幅広い役柄が収録されていますので選ぶのも忍びないのですが3つ挙げておきます。一つめのカルメンはシコフとともに東京で歌ったのだそうですが(これも観られていない!泣)、ここまでと同じくいい意味でさっぱりとした役作り。そしてだからこそハバネラやセギディーリャよりも、カルタの歌での沈鬱な低音が聴きどころ。占いの結果への得体の知れない恐怖を垣間見ることができるようです。レオノーラは彼女にとっては数少ないベル・カントものの録音ですが、改めて歌のうまさ、美しい旋律を描き出す技術の高さを窺えます。また王の妾であるヒロインの影のある感じがとてもよく合っていて、全曲歌って欲しかったところ。そしてジョコンダの母の盲女。彼女の実力があればもちろんより大きな役であるラウラでも十分説得力のあるパフォーマンスをできたでしょうが、ある種の軽さ・明るさのあるあの戀仇よりも、悲劇を予感させるような暗さのあるこの役の方が、たとえ小さくてもザレンバの持ち味が活きるだろうなと率直に思わせる名唱です。
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