かはくの展示から~第1回/フタバスズキリュウ~2012-09-30 Sun 23:24
このblogは国立科学博物館の公式見解ではなくファンの個人ページですので、その点についてはご留意ください。
***************************************** フタバスズキリュウ Futabasaurus suzukii (日本館3階北翼) ![]() かはくの中でももっとも有名なこの展示から始めたいと思います^^ 1968年に双葉層群から、当時高校生だった鈴木直さんが発見したことが名前の由来。 「フタバスズキリュウ」というのはあくまで日本国内でのみ通用する愛称のようなもので、学問的には正式には「フタバサウルス・スズキイ」と言います。 この展示の話をするにあたって、誰もが必ずする話ではありますが、 フタバスズキリュウは恐竜ではありません。 恐竜と同じ時代に生きた爬虫類の仲間ですが、首長竜というグループに含まれます。 なんで恐竜ではないのかというお話は、ここでもおいおいどこかで記事にするかもしれません。 ![]() よく勘違いしている人がいますが、目の穴は一番後ろの穴ではなく、後ろから2番目の穴です。 ![]() 天井から吊られた復元全身骨格の下には産状レプリカ(発見された時の状態の型を取って作った複製)が展示されています。 これを観ると、お腹側から押しつぶされたような形で化石が見つかっていることがわかります。 実際にこの展示を見てみると、実は意外な部分が見つかっていないということがわかりますが、それは行ってのお楽しみ。是非実際に足を運んでみてください^^ ![]() 復元骨格&産状レプリカの左手のガラスケースには、実物化石が展示されています。 この化石は、フタバスズキリュウを新種の生き物とする論文を書くときに使われた標本、言ってみればフタバスズキリュウの“基準”となる標本です。フタバスズキリュウに似た生き物が見つかった時には、“基準”であるこの標本に現れている特徴があるかどうかで、その生き物がフタバスズキリュウなのか、それとも別の生き物なのかを判断します。 こうした標本をタイプ標本と言います。 見えづらいですが白い矢印がついています。ここには隣りのシャーレにあるサメの歯が刺さっていました。 これはフタバスズキリュウとサメがある瞬間同じ場所にいたということが証明できる、非常に貴重な証拠です。 (10.3追記) ちなみに、実物化石の横にある映像展示は、かはくの隠れ名展示と言っていいもの。 短いながら中身のつまったものです^^ <参考> ニッポンの恐竜/笹沢教一/集英社新書/2009 スポンサーサイト
|
オペラなひと♪千夜一夜 ~第四夜/20世紀の証人~2012-09-29 Sat 10:13
前世紀の最高のメゾ・ソプラノです。1910年生れですがこのひとは大変長生きで、亡くなったのはつい最近、100歳を1週間後に控えた2010年5月5日のことです。
20世紀のオペラ史を語るうえで欠かせない彼女は、その後のオペラ界をどう見ていたのか。聞くところによるとあんまり好意的ではなかったようですが、本当のところその変遷をどう考えていたのか、ちょっと興味のあるところではあります。 ![]() Azucena ジュリエッタ・シミオナート (Giulietta Simionato) 1910~2010 Mezzo Soprano Italy コンクールで優勝して注目を集めるも、第2次世界大戦下の伊国ではファシストの息のかかった歌手ばかりが重用されて苦難の日々を送ります。尤もこの時代があったからこそ、戦後あちこちで活躍できた訳ではあるのですが。 戦後C.L.A.トマの『ミニョン』で一躍人気を博すと、瞬く間に世界の頂点に登り詰めて遅咲きの大輪の花を咲かせます。カラスやバスティアニーニをはじめさまざまな歌手との競演に彩られた彼女の藝歴は敢えてここに書くまでもありません。 彼女は考えてみれば自分よりひと世代若い歌手たちとともに歌っていた訳ですが、録音で聴く限り年齢による遜色は全くと言っていいほど感じませんね(^^; とは言っても歌劇界のスーパー・スターとして世界で活躍するというのはやはり大変なことのようで、後年のインタヴューでは、あの時期はあまりに大変で苦しくてあまり覚えていないという趣旨の発言もしています。一方で、イタリア歌劇団として来日した際の日本人の鑑賞態度、熱狂を非常に好意的に回想したインタヴューもあります。多少のリップ・サーヴィスはあるでしょうけども、ちょっと嬉しいですよね^^ <演唱の魅力> やはりそのベルベットのような美声に言及しない訳にはいきません。 低めの、何とも艶のある色っぽい声。こういう魅力はソプラノからは感じられないものですし、メゾのなかでも低めの声を持っているひとに特有のものでしょう。一筋縄ではいかない役をやるにはうってつけです。 幅広いレパートリーに対応できる表現力・演技力にも注目せねばなりません。 例えばG.F.F.ヴェルディ『アイーダ』のアムネリスやG.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』のレオノーラ・ディ=グスマンでは気高く誇り高いなかにも、人間的な弱さを感じられる女性ですし、G.ビゼー『カルメン』の題名役やC.サン=サーンス『サムソンとデリラ』のデリラでは近づいたら火傷をしそうなファム・ファタル。 強調したいのは、最近の歌手はどっちかって言うと舞台の上での演劇としての演技力に傾注している感がありますが(それの是非はひとまず置きますけれども)、シミオナートは歌で、演技し表現することのできる歌手なのです。音源で歌を聴けばすべてがわかる、伝わってくる。そういう人です。 なかでも特におススメしたいのはG.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』での圧倒的なアズチェーナ。この役に関しては僕のなかではこのひとに代わり得るひとは、あとはフェドーラ・バルビエーリぐらいでしょうか。物凄い迫力で存在感抜群。このオペラ筋のなかでもこのアズチェーナが最もつかめない行動をする人物なのですが、そんなことには関係なく説得力のあるキャラクターを打ち出してきます。 <アキレス腱> このひとも何を聴いても素晴らしいです(笑)ってか初回はそういうひとになりますね、どのパートも(^^; より卓越したコロラテューラの技術を持った後の時代の歌手を聴いている耳からすると、 G.ロッシーニの諸役では不満が残ります。この時代としてはロッシーニのブッファでヒロインなども随分やっていたということですが、どうしてもロッシーニ・ルネサンス以降のひとではないので。 <音源紹介> ・アズチェーナ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』) クレヴァ指揮/ベルゴンツィ、ステッラ、バスティアニーニ、ウィルダーマン共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱/1960年録音 >シミオナートはいくつかのセッションでこの役を残していますが、これは特に絶対の自信を持っておススメするライヴ録音です!!スタジオ録音でも彼女の良さというのは十分感じられるのですが、やはりライヴ録音だとその盛り上がり方が違います。スイッチ入っちゃった感じ(笑)同じくスイッチの入っちゃってる他の共演者、そしてクレヴァの熱い指揮もあって伊ものの醍醐味を味わえる録音となっています。特にバスティアニーニとの対決は聴きもの。このひとたちの共演しているライヴのこの演目ですと有名なカラヤンのものがありますが、私見ではあれよりもよほど熱の籠った演奏です。 ・ミニョン (C.L.A.トマ『ミニョン』) ・カルメン(G.ビゼー『カルメン』) (ごめんなさい詳細が分かりません) >ミニョンは全曲もありますが、かなり音が悪くてちょっと鑑賞するのは厳しい代物なので、アリア集に入ってる有名なロマンス“君よ知るや南の国”を聴いてみてください。シミオナートが最も愛したという役だといわれているだけあって、情感を込めて歌いこんでいます。カルメンは来日公演で演じていますが、残念ながら全曲の正規録音はありません。とはいえ、“ハバネラ”を聴くと陽気ながらも油断ならないファム・ファタルという印象を受けます。 ・アムネリス(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』) カラヤン指揮/テバルディ、ベルゴンツィ、マックニール、ヴァン=ミル、コレナ、デ=パルマ共演/WPO&ウィーン楽友協会合唱団/1959年録音 > (2014.3.18追記) と書いていた訳なんですが、どっちかっていうとこの音源そのものがシミオナートを聴くものですね^^;世紀の名盤扱いをされていますが、個人的にはフォン=カラヤンの主張し過ぎで歌手ないがしろな指揮は好きになれませんでした。確かに凱旋の場とかはキンキラキンで格好いいんですが、『ドン・カルロ』などでは比較的成功していた“声楽付交響曲”のような音楽づくりが、ここでは完全に足を引っ張っています。テバルディは明らかに不調、ベルゴンツィはいつもながら端整な歌ですが指揮のせいで印象薄、ヴァン=ミルも個性に乏しく、マックニールは論外と言う中で、コレナとデ=パルマがやたらに巧い。そして、我を通す大指揮者にただ一人楯突いて自らの本分を発揮しているのがシミオナート、という印象です。この人が出てくるとカラヤン何するものぞ、と一気に伊ものの歌の世界が広がりますし、テバルディやベルゴンツィも本調子を取り戻すようです。役作りなども先述のとおりもちろん素晴らしいですし、この人の地力と影響力を或る意味で感じさせる音盤とも言えるのかもしれません。 ・レオノーラ・ディ=グスマン(G.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』) エレーデ指揮/ポッジ、バスティアニーニ、ハインズ共演/フィレンツェ5月音楽祭交響楽団&合唱団/1955年録音 >これは長らく廃盤になっていましたが、『ラ=ファヴォリータ』の名盤のひとつです。この役を得意としたコッソットが若々しい女性として演じていたのとはちょうど対照的に、シミオナートは深い響きのある声を駆使して、より成熟した大人の女性として演じています。姐さん、って言う感じ。ポッジも明るい伊声だし、匂い立つバスティアニーニ、重厚なハインズと共演陣も充実。 ・アダルジーザ(V.ベッリーニ『ノルマ』)2014.3.18追記 ヴォットー指揮/カラス、デル=モナコ、ザッカリア共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1955年録音 >不滅の名盤。音質が悪いと言う世評で聴いてこなかったことを激しく後悔した歴史的超名演。今日的な耳でこれがベッリーニかと言われると違うのでしょうが、小難しいこと抜きに普遍的に楽しめる演奏ではないかと。シミオナートは、濃密な歌声と言い歌唱の集中度の高さと言い録音史上最高のアダルジーザのひとりでしょう。何より情熱的でありながらも、ノルマの前で一歩退くことを知っている理知的で控えめな女性としての役作りが冴え渡っています。カラス、デル=モナコとの重唱での凝集された演奏は、これ以上のものは望めないと思います。そのカラスもデル=モナコも遺された音源の中では最上の出来、ザッカリアの如何にも異教徒の長らしい荒々しさ、そして名匠ヴォットーの音楽づくりも優れています。是非一聴を! ・ネリス(L.ケルビーニ『メデア』)2019.2.17追記 シッパーズ指揮/カラス、ヴィッカーズ、トジーニ、ギャウロフ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1961年 >ほぼほぼ主役のソプラノの独壇場というような作品ですから出番は決して多くはないのですが、全曲聴いてもシミオナートの印象が強く残ります。彼女より遥かに歳下のカラスが既に本調子ではなくなっている(とは言えその範疇では十分に凄まじい歌唱)一方で、艶やかで深みのある声をキープしており、まさに至藝と言うべき円熟した歌を楽しむことができます。ファゴットの物哀しいソロを伴ってのしめやかな嘆きは真に胸を打つもので、こういう芯は強いけれども静かな感情を歌うことにかけては右に出る者がいないでしょう。作品全体が怒りや嫉妬など強烈できつい感情に溢れているので、このもの静かな役を彼女のように力量のある人が歌うのは重要なことだと思います。シッパーズの推進力のある音楽は爽快、カラス以外の共演では若いギャウロフの惚れ惚れするほど立派な声とヴィッカーズのヒールぶりがいいです。 ・ジョヴァンナ・セイモール(G.ドニゼッティ『アンナ・ボレーナ』)2019.10.8追記 ガヴァッツェーニ指揮/カラス、ロッシ=レメーニ、G.ライモンディ、クラバッシ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1957年録音 >カラスとの共演盤は契約の関係で意外にも決して数は多くなく、上述した『ノルマ』や『メデア』そして本作ぐらいしか寡聞にして僕は知りません。音は決してよくありませんが、愛憎入り交じるこのジョヴァンナとアンナを、シミオナートとカラスが歌ったものが遺されていることは、オペラ・ファンにとって僥倖だと言えましょう。彼女たちの直接対決が聴ける2幕冒頭の2重唱は長大な曲ですが、集中力が高く、音楽として美しいと言うよりドラマとして惹き込む音楽になっています。またアリアはやや転がしに苦戦している印象はあるものの、これだけリッチな声で歌われるとベル・カントを得意とする歌手たちがうたうのとはまた違った充実感が得られるように思います。 ・ヴァランティーヌ(G.マイヤベーア『ユグノー教徒』)2019.10.8追記 ガヴァッツェーニ指揮/コレッリ、サザランド、ギャウロフ、コッソット、トッツィ、ガンツァロッリ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1962年録音 >単に演目として珍しいというだけではなく、彼女がソプラノの役を演じたという点でも珍しい記録です。ソプラノのもう1つの主役がヴィルトゥオーゾ的なこともあってドラマティックな人が演じるヴァランティーヌですが、知る限りメゾが演じたのはこの演奏のみだと思います。アリアなどカットしている部分も多いですが流石は高音も得意なシミオナート、全く違和感なく、という次元を超えて充実した歌唱です。意外に共演の少ないコレッリとのデュエットは両者全く引かぬ緊張度の高い歌唱で、熱狂する音楽を作り上げています(マイヤベーアというよりは伊的なものですが、この公演全体がそうしたテイストのものです)。 ・プレツィオシッラ(G.F.F.ヴェルディ『運命の力』)2019.10.8追記 モリナーリ=プラデッリ指揮/デル=モナコ、テバルディ、バスティアニーニ、シエピ、コレナ共演/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団/1955年録音 >もはやあえて細かいことを言う必要のない名盤。鶏を割くに焉んぞの感が無きにしも非ずですが、2つのアリアは名曲ですし彼女の旨みのある歌唱を楽しめるのは嬉しいところです。コミカルだけれどもシニカルで小気味よい口跡は流石のもので、バスティアニーニの真面目なカルロに対していい意味で一枚上手という雰囲気があります。彼女が登場するたびに音楽全体が明るく楽しい空気になり、ヴェルディがこの役を登場させることによって狙った効果を知ることができるように思います(演奏によっては蛇足っぽくなってしまうので苦笑)。 ・ラウラ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)2019.10.8追記 ガヴァッツェーニ指揮/チェルケッティ、デル=モナコ、バスティアニーニ、シエピ、ザッキ共演/フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団&合唱団/1957年録音 >幻のソプラノ・チェルケッティを主役に据えた名演。ここでのシミオナートは先ほどのプレツィオシッラからうって変わって淑やかさを装いながらもうちに情熱的な愛情を秘めた人妻を演じています。アリアでは逸る気持ちと迷いが感じられますし、ジョコンダとの対決も緊張感の高いもの。対するバスティアニーニはこちらでは悪魔的な密偵をドスの効いた声で演じており、『運命の力』での力関係とは全く違うバランスに仕上げてきているのがこの両者の力量の高さを感じさせます。加えてシエピのノーブルですが冷酷な提督が素晴らしく、まさに低音の黄金トリオですね^^ ・エボリ公女(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)2019.10.8追記 フォン=カラヤン指揮/シエピ、フェルナンディ、ユリナッチ、バスティアニーニ、ステファノーニ、ザッカリア共演/VPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1958年録音 >今ひとつフォン=カラヤンの指揮がしっくりこなくて世評ほど優れた演奏だとは思わないのですが、意外にも彼女のエボリの全曲はあまりないのでそう言う意味では非常にありがたい録音。秀逸なのはやはり美貌のアリアでしょう!彼女の高音での切れ味の鋭さと中低音での深みとがいずれも発揮された絶唱。またエリザベッタが昏倒してからの4重唱は、シミオナートはもちろんのこと各歌手が丁寧に言葉のニュアンスを表現しようとしていることが伝わってくる見事なアンサンブルだと思います(バスティアニーニちょっと入りを間違えてますが)。 |
オペラなひと♪千夜一夜 ~第三夜/神に魅入られた男~2012-09-28 Fri 00:54
「史上最も偉大なテノールは?」
この質問にルチアーノ・パヴァロッティはあるときのインタヴューでこう答えています。 「フリッツ・ヴンダーリッヒ。」 ![]() Tamino フリッツ・ヴンダーリッヒ (Fritz Wunderlich) 1930~1966 Tenor Germany パヴァロッティのみならず多くのオペラ関係者が、そしてオペラ・ファンが手放しで絶賛する伝説の名歌手です。 一説には若い頃はパン屋として働いていたもののその卓越した美声から周囲のひとに勧められてテノール歌手になったと言われています。 1歳年上の独国の名バリトン、ヘルマン・プライとは私生活でも親しくしており兄弟のように仲が良かったとか。また同じく独国のこちらも名バリトン、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウは最初に彼の歌を聴いたときの驚嘆を手記に綴っています。 オペラで多大な名声を得、F.シューベルトをはじめとした歌曲にも活躍の場を拡げようとした矢先、悲劇は訪れます。 友人の別荘で休暇を楽しんでいたヴンダーリッヒは2階の階段から転落、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。F.シューベルト『美しき水車小屋の娘』の録音を終え、発売を目前にした悲劇でした。 私には彼の美声とその素晴らしい歌を早く天上にと思った神が、彼を連れ去ってしまったように思えてなりません。それほど素晴らしい、偉大な芸術家です。 <演唱の魅力> このひとの歌はとても清潔感に溢れ、それでいて情熱的で、尚且つとても明るい。本当に好ましい若者の雰囲気があります。 透明で輝かしい美声もさることながら、その表現力の豊かさは筆舌に尽くしがたい。永遠の青年、と評す人もいます。全体にすごく若々しいんですね。そして何というかつい助けたくなってしまう感じ。オペラのテノール役なんて言うのは大体主役なんですが、冷静に考えてみるとろくでもないやつが多いんです。でも、彼が歌うとそんな主人公たちが俄然魅力的になってきます。凄く活き活きとしていて、説得力もあって、こんな声でこんな風に歌われたら主人公に感情移入しちゃうに決まってるじゃないか!という笑。 例えばW.A.モーツァルト『魔笛』の王子タミーノなんていうのは、夜の女王に懇願されてザラストロに攫われた王女パミーナを救いに行くんですが、途中でザラストロにパミーナともども感化されて今度は夜の女王をやっつけに行くと言う、数あるオペラの登場人物のなかでも最も情けない部類に入るのですが、これが本当に素敵な素敵な王子様に聴こえてきます。B.スメタナ『売られた花嫁』のイェーニクという役は、筋の事情もあって、あまりお近づきになりたくない相当問題のある人物だと思うんですが、思わず応援してしまいます。最早ヴンダーリッヒ・マジックとでも言えそうです。 そしてアンサンブルのセンスもあります。親交のあったプライはもちろんフィッシャー=ディースカウやフリックなど、特に男声同士でのアンサンブルが最高に美しい。必ずしも仲間の役ではなく敵役同士のアンサンブルであってもそうです。ヴンダーリッヒが絡む音楽でアンサンブルがおかしいというのは聴いたことがないのは、彼の美声だけではなく、彼のセンスの良さをよく表しているのだと思います。 W.A.モーツァルト、A.ロルツィングなんかの作品では右に出るものはまず居ません。断言できます(笑) <アキレス腱> ギャウロフ、ブランと同じく基本的には何を聴いても素晴らしいです(笑) 古いひとだということもあって伊ものも仏ものも露ものもみんな独語歌唱です。なのでそこへの若干の違和感は拭いがたいものもあります。 部分的には伊語歌唱をしているものもありますが、正直なところあんまり言葉捌きが巧くない……ベストはやっぱり独ものを独語で歌ったものでしょう。 <音源紹介> ・タミーノ(W.A.モーツァルト『魔笛』) ベーム指揮/フィッシャー=ディースカウ、クラス、ピータース、リアー、ホッター共演/BPO&ベルリンRIAS室内合唱団/1964年録音 >彼の最高の当たり役です。この録音がステレオで残されているというだけで、価値がある。フィッシャー=ディースカウとのアンサンブルの美しさと言ったら!まさに“妙なる”ものです。つっころばしてきな部分を持ちながら王子としての気品も欲しいこの役のどちらの面も満たしているというのみならず、+αとして――物凄く意味のある+αです――溢れ出る生命力、若さを感じさせます。ヘフリガーやシュライアー、バロウズなど魅力的なタミーノが他にいない訳では決してないですが、それでも彼のタミーノは別格というべきでしょう。 (2011.9.12追記) リーガー指揮/プライ、ローテンベルガー、コーン、ケート、エンゲン、ヒレブレヒト、ナアフ、マラウニク、グルーバー、フリードマン共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音 >いや~よくこんなものが残っていた!しかもいい音で!最高のタミーノであるヴンダーリッヒと最高のパパゲーノであるプライの共演のライヴ盤だなんて!もちろんベーム盤でヴンダーリッヒと共演しているフィッシャー=ディースカウもショルティ盤でプライと共演しているバロウズも名唱ですが、やはりこのコンビで聴ければ……という思いはどうしてもあった訳で、そういう意味で夢の録音と言うべきもの。ヴンダーリッヒの歌唱の精密さ、品の良さはライヴであっても変わらずうっとりしてしまうような王子ぶりですしぷ来もまた人柄の良さとユーモアが溢れ出ていて余人を以て代え難いです。途中の科白も楽しいですし、3人の侍女も巧いので5重唱が最高です!ここは全曲のハイライトでしょう。ローテンベルガーも予想以上に旨みがありますし、コーンの滋味深い歌唱も特筆すべきもの。他、脇も揃っていますが、夜の女王のケートだけはいっぱいいっぱいの歌唱で精彩を欠きます。しかし、ヴンダーリッヒとプライで全編聴けるなら、アリアだけ歌って引っ込む女王が多少微妙でも問題ないですよ!(暴論) ・セスト(G.F.ヘンデル『エジプトのジュリオ・チェーザレ』)2022.4.20追記 ライトナー指揮/ベリー、ポップ、コーン、C.ルートヴィッヒ、ネッカー、プレーブストル共演/ミュンヒェン交響楽団&バイエルン放送合唱団/1965年録音 >ヴンダーリッヒの歌唱に「外れ」というものは存在しないと思っていましたが、それでも今どき流行らない20世紀風の重たいヘンデルであれば「普通に良い」ぐらいだろうと想像していました。けれどもここでの彼の歌はそのような邪推をくだらないものと一蹴してあまりある見事なものです。ひょっとするとタミーノ以上の彼のベストの歌唱ではないかとすら感じます。本来ソプラノにあてがわれた、あどけなさの残る少年という役柄のみから考えるのであれば、彼のテノールはいかにもしっかりと成熟しすぎていてそぐわないのではあるのですが、古典歌曲としてあまりにも美しく、均整が取れているのです。過剰も不足もない、筋肉質で堂々たる美麗な歌唱は、ギリシャの大理石の彫刻のようですらあります。今でこそイロモノのように思われてしまいますが、指揮も共演も極めて真面目な秀演と言えるでしょう。 ・アルマヴィーヴァ伯爵(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』) ・ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』) ・ロドルフォ(G.プッチーニ『ラ=ボエーム』) アイヒホルン指揮/プライ共演/ミュンヘン放送交響楽団/1960年ごろ録音 >これらはアリア集用に取られた抜粋でそれぞれ有名なテノール&バリトンの重唱を取ってきているもの。いずれも独語。いまヴンダーリッヒの合集はたくさん出ているので、その中から探していただければ。実生活でも親友であったプライとの重唱はいずれもため息が出る。セビリャの重唱はこの年代の、しかも独語歌唱にも拘わらず、なんとロッシーニ的な愉悦に溢れていることでしょう!プライも有名なアバド盤より心なしか元気(笑)だし、ヴンダーリッヒの伯爵の優雅なことと言ったらありません。ドン・カルロの重唱も2人の息があっていて、親友同士の役にはぴったりです。そしてボエームの重唱の響きの美しさ。言語の違いなど乗り越えて、思わず茫然と聴きこんでしまいます。 ・アルマヴィーヴァ伯爵(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)2016.3.8追記 カイルベルト指揮/プライ、ケート、プレープストル、ホッター共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1959年録音 >極めて貴重な映像で、よくぞこれを遺して呉れました!と言うべき代物。個々に見て行けば古めかしい部分の少なくない公演ではありますが(独語歌唱、伯爵の大アリアのカット、レッスンのアリアの差替など)、それらを考慮に入れても一見の価値があります。何と言ってもゴールデン・コンビと言うべきヴンダーリッヒ&プライを映像で楽しむことができるのは大きい。この2人を見ていると本当に仲の良い優れた藝術家同士の、稀有なコンビだったのだなあと改めて感じます。伯爵役は多くのテノールに演じられていますが、ロッシーニ・ルネッサンス以降の名手たちを含めても、これほどまで品格がある歌い口と気品のある佇まいの伯爵はいないと言っていいでしょう(続編で彼が不倫をするなんてとても思えないw)。育ちの良さそうなお坊ちゃんっぷりはフィガロに悪智慧を吹き込まれるあたりに説得力を与えていますし、逆にはじけるところではなかなかのやんちゃぶり。プライのフィガロは伊語でもありますが、独語歌唱の方が断然活き活きしています。古風ながらケートも可憐ですし、ホッターは怪演と言うべき存在感、プレープストルはここでしか観たことのない人ですがコミカルな演技が冴えています。 ・グラナダ(A.ララ歌曲) スモラ指揮/SWR Radio 交響楽団/1965年録音 >オペラではないですが、これは超名演!!大体このあたりを聴けば彼の藝風の広さを知ることができると思います。即ち、モーツァルトで感じられる端正な美しさ、ロッシーニで感じられる愉悦、ララで感じられる力強さと言ったところでしょうか。あの優雅なタミーノを歌った同じ人が、これだけパワフルで熱っぽい歌を歌うのかと驚愕せざるを得ません。 ・クロンタール男爵(A.ロルツィング『密猟者』) ヘーガー指揮/プライ、ローテンベルガー、オレンドルフ共演/バイエルン国立管弦楽団&合唱団/1964年録音 >これはほんのチョイ役ではあるのですが、忘れがたい録音。ロルツィングは日本ではあまり知られていませんが、ちょうど伊国でのドニゼッティぐらいの位置にあたる人で、曲想自体はそんなに難しくないものの、優美で独語の美しさが引き立つ歌が多いと個人的には思っています。となるとやっぱりヴンダーリッヒの良さが引き立つわけです(笑) ・イェーニク(B.スメタナ『売られた花嫁』) ケンペ指揮/ローレンガー、フリック共演/バンブルク交響楽団&RIAS室内合唱団/1962年録音 >チェコ語ではなく独語ですが、これはこの作品の超名盤。ヴンダーリッヒの瑞々しい歌声は、この作品のちょっと今では受け入れられない部分(詳しくはあらすじ本等を)をほとんど帳消しにして、この主人公を応援したい気分にさせてくれます。アリアももちろん素晴らしいですが、ここでも光るのはアンサンブルの巧さ。芯の強いヒロインを演ずるローレンガーや、藝達者なフリックとともに繰り広げる重唱は美しいだけではなく本当に愉しい。ケンペの指揮ぶりも見事です。 ・ロイキッポス(R.シュトラウス『ダフネ』)2015.12.3追記 ベーム指揮/ギュ―デン、キング、シェフラー共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1964年録音 >これは凄い録音。何と言ってもヴンダーリッヒとキングの対決なんてものが聴けるのはこの音盤だけでしょうから。ロッシーニはテノール同士が火花を散らす作品は結構書いていますが(『オテロ』、『アルミーダ』、『湖上の美人』などなど)、独もので、しかもシュトラウスでこういうのは非常に珍しい(ドミンゴなんか「シュトラウスはテノールにケチだから嫌いだ!」とか言ってたとか笑)。ここでのヴンダーリッヒは、知る限り彼のあらゆる録音の中でもベストに近い状態で、まことにフレッシュで瑞々しい若者そのもののであります。そして、だからこそ非常に人間味がある。直情的な若者を地で行っているぐらいの(しかしそれでいて良くコントロールされた)歌なのです。そしてこれに対するキングは全く別のキャラクタを創造していて、全く見事な対照。重厚で硬質な輝きに満ちた、正しく神の声と言うべきパワー。この2人の決闘の場面は本当に素晴らしいです。普通ならここが全曲の白眉、と言いたいところなのですが、ベームの豊麗で懐の深い音楽、題名役のギュ―デンのこれ以上ないぐらいかわいらしいダフネ、出番こそ少ないながらも往年の名手として際立った存在感を示すシェフラーとどこをとっても素晴らしいのです。シュトラウス・ファン必聴の音盤です。 ・ナラボート(R.シュトラウス『サロメ』) 2020.4.14追記 コシュラー指揮/シリヤ、シュトルツェ、ヴァルナイ、ヴェヒター、リローヴァ共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1965年録音 >いやこの『サロメ』は凄いです。これだけのメンバーに加えてライヴ!やや病的な狂気とグロテスクな甘美さを非常によく引き出した凄演だと思います。ナラボートはこの演目において冒頭から熱烈なサロメへの慕情を歌うのにわずか30分程度で自決して果ててしまうという、重要なんだかなんなんだかよくわからない役柄だと思っていたのですが、ここでのヴンダーリッヒは弾けんばかりの麗しい美声で、聴く者の心を一瞬にして捉えてしまいます!ああこれだけの魅力に溢れた青年が、これだけ戀い慕うサロメとは一体どんな姫君なのかと思わせる、グッと惹きつけるものを彼の歌が開幕早々に宿しているのです。これでサロメがイマイチだったらバランスを欠いてしまったのでしょうが、シリヤの幼い不安定さと狂気を伴った強烈な演唱が先に来るので、ヴンダーリッヒが最高の前菜になっています。ここに常軌を逸した感のあるシュトルツェ、僅かな出番でも十分不気味な印象を残すヴァルナイ、そしてドライで堅物なヴェヒターが絡んできて悪くなろうはずがありません(笑)。作品の異常さを際立たせた超名盤です。 ・パレストリーナ(H.プフィッツナー『パレストリーナ』) 2021.12.7追記 ヘーガー指揮/フリック、ベリー、シュトルツェ、クレッペル、ヴィーナー、ヴェルター、クライン、カーンズ、ウンガー、ユリナッチ、C.ルートヴィヒ、レッセル=マイダン、ケルツェ、ポップ、ヤノヴィッツ共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音 >歌唱陣は超豪華ながら、馴染みのないジャンルの超大作ということで二の足を踏んでいた作品・録音。ここに来てヴンダーリッヒのまた新たな顔を知ることができたように思います。ここまでの他の録音の感想でも述べている通り、彼の魅力といえば永遠に若さを生み出し続けているかのような、瑞々しい生命力ある歌声であると感じてきました。逆に言うならば若さという魅力を発揮できる青年であれば、役柄の欠点を覆い隠して愛すべき人物にしてしまうというのがヴンダーリッヒの卓越性だと考えていたということができるように思うのですが、ここで演じているのは老境の、悲嘆に暮れた藝術家です。美しい部分はありつつも全体には派手さの少ない、渋い旋律に彼が籠めている悩みの深さには驚かされると共に心を動かされます。もっとヒロイックに歌うこともできるでしょうし、例えばシュライアーならもっと頭脳派らしいアプローチをかけるだろうと思うのですが(それはそれで聴きたい)、ヴンダーリッヒの声と歌は生き生きとしているからこそ、その心の傷の深さや闇のくらさがなまなましく迫ってくるようです。諦観と懊悩を歌うモノローグから、偉大な音楽家たちの影からの励まし、天使たちや亡き妻の幻影に導かれた霊感に包まれる場面こそは、この演奏のハイライトでしょう。また息子へ向けられた優しい眼差しや、終幕の寂寞とした味わいも格別です。個人的な好みはあってもこれだけ歌手が豪華だとただただ圧倒されるのですが、キャラクターテナー好きとしては2幕で活躍するシュトルツェ、クライン、ウンガーの3人の快演(怪演?)は特筆しておきましょう。 |
オペラなひと♪千夜一夜 ~第二夜/忘れられし最高のバリトン~2012-09-27 Thu 23:51
「20世紀中庸の仏国には大した歌手がいない」という言説を、今でもときどき耳にします。
しかし、それは大きな間違いではないでしょうか。 この頃仏国で活躍していた人たちの、特にお国ものの録音を聴くと、その洗練された歌いぶりには感銘を受けます。伊国や独国とは全く違う美学のある仏ものの世界は、むしろこのあたりの人たちの演奏を聴くことで実感できるものです。 今回は、そんな仏ものの世界を代表する名歌手をご紹介します。 ![]() Escamillo エルネスト・ブラン (エルネスト・ブランク) (Ernest Blanc) 1923~2010 Baritone France 日本で名前が出てくるときは大体「エルネスト・ブランク」って表記されているんですが……仏語読みに即すならば「エルネスト・ブラン」です(^^; レコードの時代には日本でもそれなりに知っているひとがいたみたいなのですが、どういう訳だがCDの時代になってあまり取り上げられなくなってしまった感があるようで。少なくともCD世代にはあまり認知されているとは言えないでしょう。 しかし当時は大変な人気があったようで、彼のアリア集のひとつは欧州のレコード芸術で大きな賞をとっているとのこと(詳細が調べきれませんでした……)。残された音源で手に入るものをかき集めて聴いてみると、その豊かな美声、流麗な歌、そして藝術性の高さとどれを取っても一級品であることがわかります。古今東西これほどのバリトン歌手もそうそう多いものではありません。 それでも、今でもやはり彼の歌の素晴らしさをわかっている人は少なからずいるようで、「オペラ・ベスト100」や「オペラ名アリア集」みたいなものに、名だたる歌手と並んでちょこちょこと登場しています。 こういうところから再評価が進むと良いなと思っていた矢先、2010年に残念ながら亡くなってしまいました。 <演唱の魅力> このひとはひとことで言うならば「粋」なのです。 歌い方がとても颯爽としていて素敵!いまどきあまり言わない言葉ではあるのですが鯔背な感じがする。都会の匂いのようなものがあります。出身はパリではないのですが、本当に「粋なパリっ子」というような洗練された空気が彼の歌にはあります。そう、こういう言い方もあれですが歌うまいんですよね(笑)ほんとにひたすらうまくて……G.ロッシーニ『セヴィリャの理髪師』のフィガロの“私は町の何でも屋”なんかを歌ったものはうま過ぎで、笑いをとる歌なのにむしろ感心してしまいます。卓越した歌唱力です 洒落た感じの表現も素晴らしいですし、大変な美声です。太くて分厚い声質は決してごたごたとした田舎臭さを感じさせず、あくまで高貴な雰囲気を漂わせています。 彼の声、表現はそうした高貴な雰囲気や都会的な感じのあるもので大変冴えます。例えばC.サン=サーンス『サムソンとデリラ』のダゴンの大祭司や、J.オッフェンバック『ホフマン物語』のダッペルトゥットのような役を演じれば皮肉のピリリと効いた魅力的な悪人になりますし、C.F.グノー『ファウスト』のヴァランタンやV.ベッリーニ『清教徒』のリッカルド、R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』のヴォルフラム・フォン=エッシェンバハのようなノーブルさを求められる役では気位の高い、それでいて同情を誘う愛すべき人物を描き出します。G.ビゼー『カルメン』のエスカミーリョなどをやればドン・ホセなんかよりずっと魅力的な粋な鬪牛士になってくれます。 特にエスカミーリョは彼の代名詞ともいうべき役です。最近の流行りはバスで重厚に歌うエスカミーリョですが、個人的にはそうした重くて武骨なのは趣味ではありません。というかそれではカルメンはついていかないでしょう笑?その点ブランは粋なバリトンで颯爽と歌いますから全く華やか。カッコいいエスカミーリョ、という点で行くのであれば、彼を超える人は未だに現れていないと思います。 2014.2.19追記 スカルピアは聴けました!…と言ってもトスカのサロッカとカヴァラドッシのルッチョーニがフォーカスされたハイライトだったので、1幕のトスカとのやり取りだけですが^^;かんなり若い頃の録音と言うことで、ちょっと爽やか過ぎかも^^;もう少し円熟してからの、テ=デウムや独白が聴きたいものです。。。 2019.3.11追記 2018.1.19にロドリーゴも聴けました!詳細は後述です^^ <アキレス腱> このひとも惚れ込んでいるひとだけに探しづらいんですが……彼には明らかなキャラ違いがあります(^^; バリトンのひとつの重要なジャンルであるグロテスクな役っていうのが合わないんですよ。例えばG.F.F.ヴェルディ『リゴレット』の題名役や、R.レオンカヴァッロ『道化師』のトニオみたいな醜さを前面に押し出したような役を彼がやってしまうと、ひたすらカッチョ良くなってしまう。綺麗になり過ぎちゃってこれらの役に必要な異様な感じっていうのが出てこない感じになってしまうんですよね……贅沢な悩みですが(苦笑) <音源紹介> ・エスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』) ビーチャム指揮/デロサンヘレス、ゲッダ、ミショー、ドゥプラ共演/フランス国立放送管弦楽団&合唱団/1958-1959年録音 >数ある『カルメン』の中でもキャストの良さでは最高の部類に入るでしょう。ブランの最高のエスカミーリョを、いい音質で聴くことができるという意味で、この音盤の存在価値は大変高い(ちなみにブランのエスカミーリョの全曲音源は3種類ありますが、スタジオ録音はこれのみ)。ビーチャムの外連味溢れる音楽に乗って華々しく登場し、高らかに鬪牛士の歌を歌う場面はこの音源のハイライト、惚れます(笑)ブランはゲッダやデロサンヘレスとの声の相性もいいですし、これでもうちょっと合唱が巧かったと思ってしまいます。 ・ヴァランタン(C.F.グノー『ファウスト』) クリュイタンス指揮/ゲッダ、クリストフ、デロサンヘレス、ゴール共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1958年録音 >今もって最高の『ファウスト』。ここでのブランは決して大きな役ではありませんが、与えられた優美な歌を端正な美声と確かなフォルムとで歌っています。ここまで颯爽としたお兄ちゃんは彼以外だと、あとは同時期仏国のロベール・マッサールぐらいのところでしょうか。アリアももちろん素晴らしいですが、魅力的な声を聴かせるゲッダ、おどろおどろしい悪魔になりきっているクリストフとの勇壮な決鬪の3重唱、そして死の場面も聴き逃せません。もちろんデロサンヘレス、ゴールも悪かろうはずがありません。 ・ズルガ(G.ビゼー『真珠採り』) デルヴォー指揮/ゲッダ、ミショー、マルス共演/パリ・オペラ・コミーク管弦楽団&合唱団/1960年録音 >この音盤ではブランとゲッダの最高のデュエット“神殿の奥深く”を聴くことができます。最近よくオペラの名曲選に入っているのはこの録音からの抜粋。もちろんこの曲自体名曲ですからいろいろな人たちが歌ってますが(すごいのはパヴァロッティ×ギャウロフとかw)、歌にマッチした響きで聴かせているというところをとるのであれば、これ以上のものはないでしょう。 ・ダゴンの大司祭(C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』) プレートル指揮/ヴィッカーズ、ゴール、ディアコフ共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1962年録音 >これも未だにこの作品の録音史に燦然と輝く名盤。ダゴンの大司祭は明確には示されてはいないものの、どちらかというと色仇の部類に入る役なだけに、彼の甘い声がとても活きるし、何とも言えず生臭坊主な感じがして、ペリシテ人の宗教の退廃を思わせます。そしてメゾ・ソプラノのゴールとの名コンビぶりをたっぷり味わうことができるのも嬉しいところです。この2人は声の相性もばっちりですし、絡むと不思議となまめかしい雰囲気が自然に出てきます。主役のヴィッカーズもサムソンの暴力的な英雄の姿を感じさせるものですし、超名盤ですね。 (2023.7.14追記) デルヴォー指揮/ヴィッカーズ、V.コルテス、バスタン共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/1978年録音 >長いことファンをやっているのですが、彼が本領を発揮している映像を観るのはこれが初めてでした。映像も音も相応に劣化、共演もベストとは言えない状態の中で独りブランが気を吐いているといった感があり、彼が登場するとぐっと舞台が引き締まります。なんといっても仏語が身体に根差していることが、大きい。歌っている最中以上に歌が始まるまでの表情、予備動作が非常に的確なのです。感情の昂ぶりが歌に昇華しているということが、観客にも違和感なく伝わってくる演唱と言ってもいいかもしれません。1幕のアリアは短い曲ですが、彼の藝のエッセンスが詰まっているように思います。 ・ダッペルトゥット(J.オッフェンバック『ホフマン物語』) クリュイタンス指揮/ゲッダ、ダンジェロ、シュヴァルツコップフ、デロサンへレス、ギュゼレフ、ロンドン共演/パリ音楽院管弦楽団&ルネ・デュクロ合唱団/1964年録音 >伝統的なこの作品に較べると豪華過ぎ、近年楽譜の見直しがあったりしていまやちょっと古いスタイルという微妙な立ち位置ではありますが、固いことを言わなければ今でも十分に楽しめる音源でしょう。ブランの声はこれ以前の諸役に較べるとちょっといがらっぽい感じがあるんだけど、それがまた役に合っていていい雰囲気を出しています。共演もこれだけ揃えりゃもうそれぞれ素晴らしい歌を聴かせてくれます笑。 ・エロド(J.E.F.マスネー『エロディアード』)2021.5.6追記 ロイド=ジョーンズ指揮/ドゥニーズ、ドゥ=ションヌ、ブラッツィ、ト、フィリップ共演/仏放送管弦楽団及び合唱団 /1974年録音 >書いたつもりで書いていませんでした汗。妻の娘にうつつを抜かして国を傾けてしまうとんでもない王様ですが、いやむしろであるからこそ人間的な魅力がなければ務まらない役でしょう。ここで官能的な輝きを放つブランは、まさにその点を補って余りあるものです。マスネーの書いた甘美な陶酔につつまれた旋律を正攻法でこのうえなくうっとりと聴かせる、妖しくて危ない色気に包まれた名唱です。共演はこの役をスタジオでも遺しているドゥニーズや、仏ものの名脇役として名をはせたトの渋いファニュエルなど悪くありませんが、ドゥ=ションヌのサロメだけはちょっとグラマラス過ぎるように思います。 ・ユメ(G.フォーレ『ペネロープ』)2021.5.11追記 パレ指揮/ギトン、ショーヴェ、タイヨン、ドゥヴォ、マッサール、コマン、コラール共演/ORTF国立管弦楽団&合唱団/1974年録音 >僕は声楽ファンを名乗るにはあまりにもオペラファンなので、フォーレはあまり親しみのある作曲家ではないのですが、これは隠れた名作だと思います。静謐なのだけれども格調高さと広がりを感じさせる音楽です。ここでのブランはユリッス(オデュッセウス)を助ける老羊飼いという役どころで、一見地味な感じがしますが、王の正体に気づく場面やペネロープの求婚者たちを蹴散らす場面などこの演目の中ではなかなかに血の気が多い音楽が充てられています。とはいえそこはフォーレ、仏ものらしい節度や鷹揚さが欲しいですが流石にこういう匙加減はうまいですね!夕靄に包まれたような静かなアリアも滋味深いです。本来どちらかというとバス寄りに書かれた音楽のようですが、彼らしい低めの倍音が活きていて違和感はありません。共演は題名役のギトンはじめ優れていますが、中でもショーヴェがとても神々しく、伝説の英雄にふさわしい歌だと思います。 ・大祭司(E.レイエ『シギュール』)2021.4.30追記 ロザンタール指揮/ショーヴェ、ギオー、マッサール、バスタン、An.エスポージト、シャルレ共演/ORTF管弦楽団&合唱団/1973年録音 >現在では忘れられた過去の作品に甘んじている本作ですが、これはおよそこれ以上は考えられないメンバーによって遺された金字塔的な録音です。2幕にしか登場しない脇役ながら幽玄で怪しげな雰囲気を伴った祈りのアリアを、彼らしいたっぷりした声で歌っています。婚姻の儀式を行う祭司という役柄で、特にそういうからみがあるわけでもないと思うのですが絶妙にエロティックなのは『サムソン』のイメージが強いからでしょうか。いずれにせよこの大作に花を添えているのは間違いありません。 ・ギョーム・テル(G.ロッシーニ『ギョーム・テル(ウィリアム・テル)』)2021.5.1追記 ロンバール指揮/ゲッダ、ギオー共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/1967-8年録音 >抜粋ではありますが、遺っているのが非常に嬉しい演奏。古今東西多くのバリトンがこの役を演じていますが、その雄々しい声の響きと歌の格調の高さとでこれほどまでにテルに似合っている歌手は、ブランをおいて他にいないのではないかと思います。1幕の重唱を、ゲッダはバキエとも遺していてこちらも得難い名演には違いないのですが、声のバランスや愛称という点ではこちらに一日の長があるというのが私の意見です。ドゥプラなりソワイエなりを加えてあの3重唱をやってほしくなかったかと言われればその通りなのですが、この重唱と真に迫ったアリアがあるだけでも十分な価値があるでしょう。願わくばもっと手に入りやすいといいのですが……。 ・シーグフリード(R.シューマン『ゲノフェーファ』)2021.5.11追記 オーバン指揮/モンマール、ジロドー、デムティエ、フルマンティ、ヴェシエール、ロヴァーノ共演/仏放送管弦楽団&合唱団/1956年録音 >シューマンですから本来は独語の作品だと思いますが、こちらは仏語版。とはいえ少なくともこの演奏を聴く限り翻訳版とは思えないほど仏語にマッチしています(正直シューマンはよくわかっていない作曲家で、この演目も敬遠していたのですが、これはかなり気に入っています。独語だとどうなるのかしら……)。ちょっと清廉すぎて抜けてるんじゃないかというシーグフリード伯ですが、30代前半のブランの若々しく純粋な声が大変プラスに働いていて、高潔で寛大な人物であるという印象が強くなります。どこか神性を帯びた感じすらあって、マルグリートの毒が効かないというのもむべなるかな、でしょうか。こちらも共演は恵まれていますがジロドーが出色。邪悪さがあるのだけれどもどこか自信がない不安定な感じをよく出しています。 ・ヘロデ王(H.ベルリオーズ オラトリオ『キリストの幼時』)2019.12.21追記 クリュイタンス指揮/デロサンヘレス、ゲッダ、ソワイエ、ドゥプラ、コレ共演/パリ音楽院管弦楽団&ルネ・デュクロ合唱団/1965-66年録音 >オペラではありませんが、仏ものの大御所たちの揃った素晴らしい演奏です。彼の演じるヘロデは第1部にしか登場しませんが、その第一声のデモーニッシュな迫力からして只者ではありません。パートとしてはバスということになっており、実際バスが歌っているものもあるようですし最低音もかなり低いのですが、彼の厚みのあるバリトンの響きに不足は感じません。むしろ中高音域での色気はブランだからこそ感じられるもので、実にスリリング。彼を起用した慧眼には頭が下がります。共演もこれ以上は考えられません。 ・アルマヴィーヴァ伯爵(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』) ジュリーニ指揮/コレナ、シュヴァルツコップフ、セーデルストレム、ベルガンサ、キュエノー共演/フィルハーモニア管弦楽団&合唱団/1961年録音 >どうしても仏ものばかりになってしまったので、 ・リッカルド・フォルト(V.ベッリーニ『清教徒』)2012.11.27追記 グイ指揮/サザランド、モデスティ、フィラクリディ、シンクレア共演/ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団&グラインドボーン合唱団/1960年録音 >はたとこれを入れてないことに気づいて追記。ブランのノーブルな美声は、やはりこういう役では栄えますね。というかこの役は下卑た声や悪役声でやられてしまうと、本当に単なる嫌な奴になってしまいかねないので、ブランのような上品さは必要ではないかと。多少のカットは入りつつもカバレッタの難所もカットせず余裕を持ってこなしているあたり流石。共演のサザランドは言うにや及ぶ、モデスティの温厚なバスも魅力的で、2幕の重唱も盛り上がりますが、肝腎のアルトゥーロがいただけません。ゲッダに歌って欲しかった。。。 ・ドン・アンドロニコ(G.ビゼー『ドン・プロコーピオ』)2014.5.16追記 アマドゥッチ指揮/バスタン、ヴァンゾ、マッサール、ギトン、メスプレ共演/リリック放送管弦楽団&合唱団/1975年録音 >ビゼーの幻の作品のひとつですが、これが仏国の粋を尽くしたメンバーで聴けるというのは、感謝すべきことでしょう。筋としてはほぼ『ドン・パスクァーレ』(G.ドニゼッティ)ですが、してやられる老人方にバジリオ的な智慧袋キャラであるアンドロニコがいます。誠実な声と歌が売りのブランがこの役はどうかな?とも思う訳ですが、低い方までしっかり出るのでいい感じの悪役ぶりです。彼一流の気品も漂っているので、変に下卑た感じにならないのもいい。結構細かい動きも多いんですが、巧みにこなしています。同じく仏国出身のカヴァリエ・バリトン、マッサールとの共演盤は少なく、尚且つ重唱をしているとなるとこれだけではないかと。バスタン、ヴァンゾ、ギトン、メスプレとその他も鉄壁と言うべきキャストです。 ・ポーザ侯爵ロドリーゴ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)2018.1.19追記 ブランソン指揮/アラガル、カバリエ、ハウエル、コスター、ツェルビーニ共演/ニース歌劇場管弦楽団&合唱団/1976年録音 >同好の方からお譲りいただいたもの。ほとんど幻の音源ですが、どうにかして世に出ないものかと思わせる素晴らしい演奏です。30代後半から40代の録音の多い彼としては珍しく50歳を過ぎてからの記録ですが、往年の豊かな美声は健在ですし、毅然とした歌い口を楽しむことができます。いままで聴いたヴェルディの諸役の中でも彼の藝風に最も合致しているように思います。誠実で麗しく、ここまで王道のロドリーゴは久しぶりに聴いたかもしれません。共演陣はいずれも恵まれており、特にカルロを演ずるアラガルはブランと相性が良いので聴いていてワクワクします。 |
オペラなひと♪千夜一夜 ~第一夜/我が最愛の歌手~2012-09-27 Thu 00:47
誰からこのシリーズを始めたものか……実は結構悩みました。
偉大な作曲家としてヴェルディも考えましたし、20世紀のオペラ史に燦然と輝くカラスももちろん、世界のスーパースターになったパヴァロッティも良いと思いました。 けれど結局やっぱり1番自分の好きなひとから書き始めるのが良い気がしてきたので、このひとから始めることにしましょう。 ![]() Mefistofele (Boito) ニコライ・ギャウロフ (Nicolai Ghiaurov, Николай Георгиев Гяуров) 1929~2004 Bass Bulgaria 20世紀最大のバス歌手。パートナーはソプラノのミレッラ・フレーニ。 二次大戦に向かっていく時代の小国の貧しい寒村の出身で大戦後も共産圏の国家でしたから、若い頃はたいそう苦労したそうです。そうしたなかでもヴァイオリンやピアノ、それにクラリネットを学び、教会でボーイ・ソプラノとして少年合唱に参加したりもしていたようです。 そんな若き日のギャウロフの運命を変えたエピソードがあります。 あるとき彼はオーケストラで合唱や独唱者のついた大規模な曲の指揮を振ることになりました。ところがこの独唱者がへっぽこで何度言っても彼の言うとおりに歌ってくれません。いい加減頭にきた彼は 「いいか!こうやって歌うんだ!」 と独唱者の代わりにオケに合わせて歌ってやりました。 すると合唱もオケもみんな呆然としてしまいました。 訝る彼に独唱者は言いました。 「君が歌うべきだよ」 それほど彼の歌が素晴らしかったのです。 <演唱の魅力> もちろんまずもって大変な美声。これは大前提としてあります。 ただ、彼の場合所謂一般的な美声の概念に当てはまるかというと、ちょっと違う気が個人的にしています。彼の声は深くて太く独特の色合いを帯びており、ほんのわずか聴いただけでわかります。間違いなく言えるのは、温かみのあるビロードのような伊系の声でも、底知れぬ暗い闇を思わせるような独系の声でもない、スラヴの響きであること。凄く広がりがあって、雄大さを感じさせます。声の響きだけとっても、国王、悪魔、高僧などなど重厚な役にはまさにうってつけ。 しかもその素晴らしい声に加えて、彼はどんな役にも存在感を与えるだけの卓越した表現力を兼ね備えています。 それは例えばG.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』のフェランドや同『リゴレット』のスパラフチレ、同『アイーダ』のランフィス、G.プッチーニ『トゥーランドット』のティムールのような脇役をやったときでも遺憾なく発揮されます。これらの役は所謂名曲を歌う訳ではありませんが、ちゃんとした人がやらないと公演全体が、或いは録音全体が締まらないものになってしまいます。オペラは音楽であると同時に演劇でもありますから音楽的に重要でなくても演劇的には記憶に残ってもらわないと困ることもあります。その点ギャウロフは例えばフェランドなんかは最初にアリアがあって聴衆をオペラの世界に引き込むという重要な役割をじゅうぶんすぎるぐらいに果たしているし、物語の鍵を握る割に音楽的に美味しくないスパラフチレも彼がやると非常に強烈な印象を残して呉れます。憎まれどころの高僧ランフィスも哀れなティムールも然り。 一方でその劇的な表現力はG.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』のフィリッポ2世や同『ナブッコ』のザッカリア、同『シモン・ボッカネグラ』のフィエスコ、C.F.グノー『ファウスト』のメフィストフェレス、A.ボーイト『メフィストーフェレ』の題名役、М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』の題名役などをやったときにはより一層強い感動を与えます。彼は基本的には音楽を大事にするというスタンスをとっていたひとですが、時と場合によっては楽譜の領域をはみ出したかなり大胆な表現もとっています。そしてそれらは少なくとも僕の聴いた限りではいずれも功を奏しています。悲嘆にくれ怒りに戦慄くフィリッポも、本当に悪魔が降りたようなメフィストも、気の違っていくボリスも音楽的美しさと演技的表現との非常に精妙なバランス。いずれも大変感銘度の高い、というか感動せずにはいられないような記録をたくさん残しています。いろいろな歌手を聴きましたが、やはりこうした役では彼はひとつの頂点にいるひとでしょう。 また、あまり主要なレパートリーに据えてはいないものの、意外とコミカルな役どころでも、味のあるキャラクターを創りだしています。一例を挙げるなら、G.ロッシーニ『セヴィリャの理髪師』のドン・バジリオ。私の知る限り全曲録音が3つに映像が1つありますが、いずれも強烈(笑)特に、2幕の5重唱の「ぶお~~~~~~~~~~~なせぇぇぇぇら♪」は圧巻ですwwwまったく、fを何個つけるとこういう声が出せるんでしょうか? <アキレス腱> これだけ惚れこんでる歌手だと微妙な点っていうのも探しづらいんですが(苦笑) ひとつ言えるのは勃国出身で伊、仏、露の各国語に通じ、それらの言語による作品では多くの業績を残していますが、独語だけは苦手だったそうで、例えばR.ヴァーグナーやR.シュトラウスなんかはもちろん、たぶん第九(まあこれはオペラじゃないですが)の録音もないと思います。そこは欠点といえば欠点でしょうか。 あとはこれもまあ趣味の問題だと思いますが、彼の声は非常に雄大で力強く、どちらかと言うと年長者や権力者の役、あとはそれこそ悪魔とかの方が合っているように思います。従者みたいな役は違う。まあ本人もそう思っていたのかそうした役での全曲録音はたぶんあまりありません。W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』のレポレロなんかは有名なアリア“カタログの歌”だけ残していますが、うまいもののキャラ違い。モスクワでのコンサートで歌ってる“カタログの歌”は、彼自身がまだ若かったこともあるのでしょうが、このひとにしては本当に珍しく、巧くないです。 王の役がらでも個人的にはどちらかと言うと壮年のイメージのG.F.F.ヴェルディ『アッティラ』題名役などは、R.ライモンディやフルラネットの方がキャラに合っていたように思います。 <音源紹介> ・メフィストーフェレ( A.ボーイト『メフィストーフェレ』) サンツォーニョ指揮/クラウス、テバルディ、スリオティス、デ=パルマ共演/シカゴ・リリック・オペラ管弦楽団&合唱団/1965年録音 >これは絶対オススメ!ライヴ録音で音質は非常に良くないですが、この曲のベストのひとつだと思います。まだ30代のギャウロフのここでの演唱はまさに悪魔が降り立ったが如く!まさに鳥肌もので、パヴァロッティ共演のスタジオ録音より段違いにいいです。そして若々しくて清新なクラウスの見事なこと!テバルディは流石に衰えを感じなくはありませんが情感のある歌ですし、スター街道に向かって驀進していたスリオティスの掘り込みの深い歌唱も素晴らしい。音の悪さを考慮しても、持っていて損のない1枚です。 (2015.10.7追記) ヴァルヴィーゾ指揮/Fr.タリアヴィーニ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1966年録音 >ライヴ録音としてはいくつかある内で上記のものが最高だと思う一方、3つあるスタジオ録音の中ではこれがベストではないかと思います(但しこのヴァルヴィーゾ盤とバーンスタイン盤は抜粋。全曲盤はデ=ファブリティース盤のみ)。ドン・ジョヴァンニやエンリーコ8世を録音していた、声としては最良の時期の録音で、たっぷりとした美声を惜しげもなく使ったパワフルな表現に圧倒されます。もちろん後の録音で老境に至ってからの彼の巧さを楽しめる歌もいいのですが、神に喧嘩を売る悪魔という役どころを考えるとこれぐらい豪快な方がときめくように個人的には笑。相手役のフランコ・タリアヴィーニ(フェルッチョとは関係ないそうな)も明るくて力のある声ですし、何と言ってもヴァルヴィーゾのうまみと緊張感のある音楽がいい。ぐいぐい聴かせます^^むしろこの時全曲録音して呉れていたら、この作品の決定盤になったのでは……と思うぐらいです。 (2022.12.28追記) クァドリ指揮/ブゼア、キアーラ、林共演/ヴィーン放送交響楽団&合唱団/1974年録音 >ギャウロフの声、表現、音の良さ、曲がりなりにも全曲盤(ややカットが多いんですよね。彼の出番はほぼすべて押さえられていますが)といった要素を総合的に見てベストの演奏ではないかと思います。上記の2つの録音で聴かせたような悪魔的で強大な力をまとった勢いはないのですが、声の響きのうまみはたっぷり感じられますし、歌は円熟してより壮大なスケールを帯びてカリスマティックです。しかもこれ、放送音源のようなんですが元の演奏はライヴなので、客席を前にしているからこその外連味ですとか劇場の熱量みたいなものもあるんですよね。録音が多いこともあって指揮や共演ではもっと優れたものもありますが、クァドリの音楽には歌心がありますし、ブゼアの暗めの声はファウスト向き、キアーラの切れ味や林の丁寧さも推せるものでしょう。これで手に入りやすくさえあれば、彼のメフィストを知る上での最初の1枚としておススメできるのですが……。 ・フィリッポ2世 (G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』) アバド指揮/カレーラス、フレーニ、カプッチッリ、オブラスツォヴァ、ネステレンコ、ローニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1977年録音 >“独り寂しく眠ろう”は私見では彼の歌唱が最高で、仄暗い寝室での権力者の嘆きの孤独さが想起され、胸を打ちます。数あるギャウロフのフィリッポの中でも、彼自身の出来も共演者の出来も一番いいのはこの録音ではないかと。アバドがいろいろなものを発掘していた時期のものなので、普通は聴けない様々な場面が聴けるのも魅力。ギャウロフがラクリモサのフィナーレを歌ってる録音は殆どないはずです。ネステレンコやカプッチッリとの丁々発止のやり取りは聴きものです!ライヴならではの臨場感もありつつ、音質がなかなかいいのも嬉しいところ。 (2020.9.9追記) レヴァイン指揮/ドミンゴ、フレーニ、L.キリコ、バンブリー、フルラネット、ロビンズ共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/1983年録音 >ギャウロフのファンだとこれだけ公言しながらなかなか手の出せる価格のものがなくて観られていなかった映像。5幕版なので登場は遅めですが、その重厚な存在感で否応なく記憶に刻まれます。決して今風の濃やかな芝居をしているわけではないのですが、フィリッポがどういう人物なのかが現実味を持って立ち現れてくる絶妙な演技が見ものです。人前、公人としての王はとても事務的、手続き的であくまでも淡々としているのが、例えば異端者火刑の場の鋭角的な歌い口や宗教裁判長とのやりとり前半のカルロへの処遇を記す場面などではよくわかるのですが、それが綻ぶ瞬間も見事に表現しています。こちらも例に出すのであれば、ロドリーゴに決定的な科白を言われた後やカルロの反抗を前にしたところなど。そして私、個人としてのフィリッポがあのアリアを頂点にして宗教裁判長とのやりとりの後半、エリザベッタとの口論、4重唱ではよりはっきりと、克明に活写されているのです。改めて最高のフィリッポだと思いました。指揮、演出、共演とも抜群(キリコの評判が芳しくないですが、どうしてどうして実演でこのレベルのパフォーマンスをされれば喝采ものと感じます)で、本作のスタンダードな映像といえるでしょう。 (2022.9.9追記) フォン=カラヤン指揮/カレーラス、フレーニ、コッソット、カプッチッリ、バスタン、ヴァン=ダム、グルベローヴァ、トモワ=シントウ共演/WPO、ヴィーン国立歌劇場合唱団&ヴィーン楽友協会合唱団/1976年録音 >ありがたいことに彼のフィリッポはライヴを含めると非常に潤沢に音源も映像も遺されており、且つ時期としても若いころから晩年に至るまで歌っていることで、その時々での歌唱を享受することができます(各時点での解釈はもちろんですが、彼は自分の声に併せて歌い方を変えていった歌手でもあるので、その面でも楽しめます)。ですから上記2つの録音もまたかけがえのないものなのですが、声の魅力や歌の美しさ、オケや共演とのバランス、録音の良さといったさまざまな要素を鑑みると、この演奏がベストではないかと今は思っています。この役の肝と言える後半のアリア以降の内面の葛藤の表現ももちろんですが、火刑の場面までの冷厳とした圧政者の顔には巨大な声が必要なところも強烈です。オケの違いもあってかスタジオ録音ではかき消されがちだった共演たちも脂の乗り切った歌唱ですし、さりとてフォン=カラヤンも手抜きのない重厚な音楽を作り上げています。 ・ヤーコポ・フィエスコ (G.F.F.ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』) アバド指揮/カプッチッリ、フレーニ、カレーラス、ヴァン=ダム共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1976年録音 >これも彼の名刺代わりの役のひとつで、アバド、カプッチッリ、フレーニと組んでこの当時あちこちで(東京でも!)演っています。特にカプッチッリとの滋味溢れる2つの重唱は、聴けば聴くほど味が出る名演です。終幕の和解の場面の情感!またプロローグの有名なアリアは未だに彼以上の歌唱は存在しないのではないかと思っています。決して派手な音楽ではありませんが、彼の渋い魅力が楽しめます。 (2020.2.13追記) アバド指揮/カプッチッリ、フレーニ、ルケッティ、スキアーヴィ、フォイアーニ共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1978年録音 >観たい観たいと思っていた映像を漸く視聴。聞きしに勝る画質の悪さでしたが、音の方は思ったほど凄惨ではありませんでした^^;そしてその粗い映像を飛び越えて伝わってくる舞台の美しさ、音楽の雄弁さに圧倒されます。ギャウロフのフィエスコは最早或る種のブランド感すらある当たり役中の当たり役で、有名なアバドの録音も繰り返し聴いていますが、こうして映像で観ることでその真価を知ることができたようです。声の雄大さ、歌の立派さは元よりその高邁で堂々とした立ち振る舞いは、完璧に頑迷な老貴族そのもの。演技としては、例えばフルラネットやスカンディウッツィの名演の方がリアリティは高いでしょうが、その苦難の歴史を伝える壁画のような説得力は、彼にしか出せないもののように思います。カプッチッリとの3幕の重唱は他の追随を許さない重厚な味わい。フレーニのしなやかな歌い口も魅力的です。ルケッティ、スキアーヴィはそれぞれCDに較べると一段落ちるキャストとされそうですが、いずれもライヴらしいノリを味方につけて集中度の高さを維持していると言えるでしょう。 ・メフィストフェレス(C.F.グノー『ファウスト』) プレートル指揮/ドミンゴ、フレーニ、アレン共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1978年録音 >輝かしくて豪華な音楽を聴きたいならこの1枚。ここでのギャウロフはメフィストーフェレの時とはまた違った、外連味たっぷりの悪魔を演じています。若き日の共演者たちとの素晴らしい声の饗宴も楽しめます。 (2014.10.29追記) エチュアン指揮/スコット、クラウス、サッコマーニ、ディ=スタジオ共演/N響&合唱団/1973年録音 >スタジオなら上記の録音でもライヴなら圧倒的にこちら。奇蹟の名演と言って良い上演の記録です。ギャウロフは上記の音源では、それでもマイクの前で歌っている感じがありましたが、ここでは非常にドラマティックに、お洒落な、しかし下卑た悪魔を怪演していて夢中になります!品位を以て端正に歌うクラウスも大変な聴きものです。そして終幕の重唱でのスコットは、確実に何かが降りてきています笑。 (2016.2.5追記) プレートル指揮/フレーニ、G.ライモンディ、マッサール、アルヴァ、ディ=スタジオ、ジャコモッティ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1967年録音 >と上述していましたが、ギャウロフ個人の出来で言うとそれを更に上回ると思う録音を入手しました!彼は藝歴が長いですし、有名な録音は70年代から80年代前半のイメージがありますが、私見では声のピークは60年代後半で、それ以降は歌のうまさと藝の深さで勝負をしているように思っています。そういう意味で声の状態が最高だった時期だということに加え、調子も良かったのでしょう。出てきた瞬間から圧倒的な美声を聴かせます。もう聴かせどころであろうとなかろうと、一節彼が歌っていると自然とそこに耳が行ってしまいます。声の魅力を楽しめると言う意味ではクレンペラーのドン・ジョヴァンニと並ぶ最良のものです。そしてこの当時の彼らしい豪快でエネルギッシュな表現!仏流のエレガントな悪魔ではありませんが、この悪の魅力溢れる造形には抗いがたいものがあります。蓋し誘惑者! ・ボリス・ゴドゥノフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』) フォン=カラヤン指揮/タルヴェラ、ヴィシニェフスカヤ、シューピース、マスレンニコフ、ケレメン、ディアコフ共演/WPO、ヴィーン・シュターツオパー合唱団&ソフィア・ラジオ合唱団/1970年録音 >いまどきあまり見ないリムスキー=コルサコフ版だし、カラヤンの音楽作りは全く土臭くないし、文句もない訳ではありませんが、やはり名盤だと思います。ここでのギャウロフは想像以上に端正。しかしその端正さから、権力者の悲哀が感じられます。 (2015.5.8追記) ハイキン指揮/レシェチン、バルダーニ、シューピース、ボドゥロフ、ディアコフ、ヴェデルニコフ、А.グリゴリイェフ共演/ローマ・イタリア放送交響楽団&合唱団/1972年録音 ・ピーメン ナイデノフ指揮/ブランバロフ、ウズノフ共演/1959年録音 >ライヴ盤。ギャウロフの表現は、やはりライヴの方がうんと冴えますね^^上記のスタジオで見せたような端整な歌いぶりに軸を置きながら、その枠を大きく突き破るパワフルな演唱で聴く者を圧倒します。あくまでも音楽的に歌うことは大事にしているのですが、そこに執着し過ぎることなく、役柄の感情を叩きつけるように表現し、演じる様の真に迫ってくることと言ったら!ちょっとこれ以上のボリスは望みようがないのではないかと!これ以上はない渋さのレシェチン、ドラマティックさと不安定さを兼ね備えたシューピース、豪快に歌いとばすヴェデルニコフ、悪魔的なディアコフに明るい声が却って痛々しさを増すグリゴリイェフといった共演は概ねお見事で、全体には聴き応えがありますが、マリーナのバルダーニとオケ、合唱は伊的過ぎていただけない。特にオケはこれが露国のオケだったらなあとは思います。 また、この音源の美味しいところは余白になんとギャウロフ30歳の時のピーメンの録音が入っていること!抜粋且つ恐らく勃語版ですが出番はほぼすべて収録されています^^思った以上に老成した声と表現で、この老け役でも違和感はあまりありません。もちろんレシェチンの枯淡の境地のようなピーメンには敵わないものの、脂の乗った声には思わず聴き惚れます。ウズノフもパワーのあるテノールでグレゴリーを熱演しており、両者の絡む場面は緊迫感があります。また、ほぼひと声ではありますが、ギャウロフの師匠であるクリスト・ブランバロフの声を聴けると言うのもポイントが高いです(笑)とは言え、ブランバロフはここだけでは判断しかねるのですが^^; (2023.8.8追記) フォン=カラヤン指揮/ギュゼレフ、シュトルツェ、ユリナッチ、ウズノフ、マスレンニコフ、ヘルレア、ヴェヒター、ディアコフ共演/WPO、ザグレブ国立歌劇場合唱団&ザルツブルク音楽祭室内合唱団/1965年録音 >もう1つボリスです。ギャウロフのボリスはアリア集を含めるとかなりの数の録音があり、当然ながら何度も聴いてきたのですが、個人的には本盤がベストの歌唱だと思います。フォン=カラヤンとのスタジオ録音での折り目正しい歌唱ももちろん立派なのですが、5年の差でより若々しくパワフルな響きの声が楽しめることに加え、スタイリッシュさを維持しながらライヴならではのノリがあることが、ここでの歌唱の館名を高めているようです。荒々しい発音や息遣いといった体当たりの表現が上滑りすることなく、苦しむボリスに直接つながっている様は、まさに圧巻です。ある意味であまりにもオペラっぽいスタイルという気はしていて、それが果たしてムソルグスキーの作品の取り組み方として正解なのかという話はあろうとは思うのですけれども、そのオペラの歌唱として自分にとってはまさにストライクの演奏で、ようやく彼のボリスを聴くことができたと幸せに感じています。フォン=カラヤンのカットはかなり恣意的ですが音楽は聴きごたえがありますし、共演陣もギャウロフと同様にオペラに振り切った表現が心地よいです。いやほんとにこんな素晴らしい演奏がどうして入手困難なのか…… ・ザッカリア(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』) ムーティ指揮/マヌグエッラ、スコット、ルケッティ、オブラスツォヴァ共演/ロンドン・フィル&アンブロジアン・オペラ合唱団/1977-1978年録音 >これは超名盤。ギャウロフの溢れ出んばかりの美声は、こうしたヴェルディ初期の輝かしい旋律を歌うと非常に栄えます。ザッカリアは大事な役である一方、説得力を持たせるのが難しいところだと思うのですが、こういう声、歌なら言うことはありません。ムーティの指揮もきびきびしていて気分がいいし、マヌグエッラも力演、なによりスコットの物凄い迫力歌唱は必聴。 ・ドン・ジョヴァンニ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』) クレンペラー指揮/クラス、ベリー、ルートヴィヒ、ゲッダ、フレーニ、モンタルソロ、ワトソン共演/ニュー・フィルハーモニア交響楽団&合唱団/1966年録音 >これも超名盤。ギャウロフの声が一番光り輝いて聴こえるのは、この音盤だと思います。彼が歌っている間中彼の声に耳が向いてしまうぐらいの存在感。美声ももちろんですが、ドラクロワの勢いのある筆致を思わせるような豪快でパワフルな役作りも素晴らしい!シエピのドン・ジョヴァンニとは全く違う美学の中で成り立っている演奏だと思います。共演者も、特に男性陣が充実。クレンペラーの重厚な音楽への志向は、最近のドン・ジョヴァンニの作品観とは異なるのかもしれませんが、これはこれでありだと思います。 ・エンリーコ8世(G.ドニゼッティ『アンナ・ボレーナ』) ヴァルヴィーゾ指揮/スリオティス、ホーン、アレグザンダー、コスター、ディーン、デ=パルマ共演/ヴィーン国立交響楽団&合唱団/1968-69年録音 >声の輝きという意味ではこれも忘れられません。その深みのある美声で、冷酷な国王を歌い上げています。ちょっとドニゼッティというよりはヴェルディっぽくなっちゃってる気もしますが、その辺はご愛嬌(^^;何よりこの役に必要な横柄さ、おっかなさって言うのを強く感じられる音盤です。カットも少ないので、この役に与えられた美しくも横暴な旋律をしっかり楽しむことができます。競演陣もそれぞれに熱演しているし、ヴァルヴィーゾの伊ものらしい音楽作りもいい。 ・バルダッサーレ(G.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』) ボニング指揮/コッソット、パヴァロッティ、バキエ、コトルバシュ共演/テアトロ・コムナーレ・ディ・ボローニャ交響楽団&合唱団/1974-1977年録音 >ボニングの指揮やコッソットの歌唱に多少の疵はあるものの超名盤。ギャウロフは光り輝く声とはまた違う、厳かで権威を感じる声。『ドン・カルロ』の宗教裁判長と同様に、国王よりも実際は力を持っている僧院のボスですから、やっぱりこういう声でないと(笑)ドスの効いた深みのある声で作品全体をびしっと〆ています。 ・ライモンド・ビデベント(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』) 2014.7.3追記 ボニング指揮/サザランド、パヴァロッティ、ミルンズ、R.デイヴィス、トゥーランジョー共演/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団/1971年録音 >やはりこの録音にも触れることにしました。不滅の名盤。声楽各人の充実しまくりの歌唱に加え、カットもほぼないことでこの作品の真の姿を楽しむことができます。ライモンドは大抵カットされまくりの役なのですが、ここでのギャウロフの重厚なバッソ・プロフォンドによる演唱を耳にすると、やっぱりこの役には相応のキャストを置き、きっちり歌って欲しいなあと。ルチアを説得する場面や決鬪を仲裁する場面の説得力が違います。 ・ジョルジョ・ヴァルトン(V.ベッリーニ『清教徒』)2014.7.3追記 ボニング指揮/パヴァロッティ、サザランド、カプッチッリ共演/LSO&コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団/1973年録音 >不滅の名盤。まさに20世紀のプリター二・クァルテットと言える圧倒的な歌唱。どっしりとした重みのある存在感は貫禄充分で、色戀に迷う若者たちを見守る年長者の落ち着きが感じられます(まあ実際には割と意味不明な言動もする役ですが^^;)しっとりと歌うロマンツァは模範的名唱です。そして何よりカプッチッリとの重唱の勇壮なこと!堂々とした行進曲調に、思わず胸が躍ります。 ・アルヴィーゼ・バドエロ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)2014.7.3追記 バルトレッティ指揮/カバリエ、パヴァロッティ、バルツァ、ミルンズ、ホジソン共演/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団&ロンドン・オペラ・コーラス/1980年録音 >声の饗宴を楽しむ録音。アルヴィーゼは必ずしも登場場面の多い役ではありませんが、敵役としてきっちりとキャラを立てて欲しいところ。ここでも横柄で妻の浮気など許さぬという高慢な人物を、迫力ある歌唱でつくりあげています。これなら本気で貴族の名誉のために人を殺しそうな勢いで、ばっちりハマっています。 ・教皇クレメンス7世(H.ベルリオーズ『ベンヴェヌート・チェッリーニ』)2014.7.3追記 ガーディナー指揮/クンデ、タイギ、ニキテアヌ、ムフ、モア共演/チューリッヒ歌劇場交響楽団&マルティン・ツィセット合唱団/2002年録音 >晩年の貴重な録音。登場場面は少ないものの、ベンヴェヌートの運命を握る重要なキャラクターを演じています。ここでの彼はもう存在感があるとか重厚な人物像を出しているとかそういうレベルではなく、本当に“ありがたい”人が出てきた感じで頭が下がります。穏やかで飾りのない旋律を、悠々と歌うその雄大さ、壮麗さ!ガーディナーは古楽のイメージでしたが、ここでの指揮ぶりもお見事。クンデのヒーローぶりも胸のすくものです。 ・グァルティエーロ・フュルスト(G.ロッシーニ『グリエルモ・テル(ウィリアム・テル)』)2014.7.3追記 シャイー指揮/ミルンズ、パヴァロッティ、フレーニ、コンネル、D.ジョーンズ、トムリンソン、デ=パルマ共演/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団&アンブロジアン歌劇合唱団/1978-1979年録音 >不滅の名盤。この役は超名曲の3重唱に絡んでくる以外にはほぼ出番が無いので、場合によると殆ど印象に残らなかったりするのですが、ここでもギャウロフは存在感と説得力のある演唱。当然ながらその重唱は圧倒的な名演ですが、それのみならずテルと並ぶ実力と人望を備え、アルノルドを諭す年長の英雄のイメージをここだけでしっかりとつけてしまう手並みの確かさにも唸らされます。 ・ドン・キショット(J.F.E.マスネー『ドン・キショット』)2014.7.10追記 コルト指揮/バキエ、クレスパン共演/スイス・ロマンド管弦楽団&合唱団/1978年録音 >珍しい作品の優れた録音で、セルバンテスの『ドン・キホーテ』の物語。マスネがシャリャピンのために書いた作品、ということでうわあいろいろすげえと思う訳ですが(笑)ここでの彼もまた大変スケールの大きな歌で、まさに堂々たる主役。瘦せ馬ロシナンテに乗ったしょぼくれた騎士と言うよりは、老いて衰え、嘲笑を受けてもなお誇り高い老人という風情で偉大さすら感じます。バキエのサンチョ・パンサがまたイメージどおりの軽快さで素晴らしい!クレスパンはもう少しかな?と言うところですが、波国の指揮者コルトの采配はなかなかお見事です。 ・インドラ(J.F.E.マスネー『ラオールの王』)2014.7.10追記 ボニング指揮/リマ、サザランド、ミルンズ、モリス、トゥーランジョー共演/ナショナル・フィル管弦楽団&合唱団/1979年録音 >これもまた珍しい作品で、マスネーの出世作。ここでもチョイ役なのですが、何と一度死んだ主人公を復活させる神様!ぶっ飛んだ設定の多いオペラではありますが、流石になかなかこれはないですねwと言う訳で出番自体はまた短いのですが、それこそ本当に深々とした神々しい声で、全曲をピリッと〆ています。教皇やグァルティエーロもそうですが、こうした役の記録が残っているのも嬉しいところですね^^煌びやかな共演陣もお見事。 ・修道院長(G.F.F.ヴェルディ『運命の力』)2014.10.16追記 パタネ指揮/カレーラス、カバリエ、カプッチッリ、ナーヴェ、ブルスカンティーニ、デ=パルマ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1978年録音 >まさに綺羅星のようなメンバーのライヴ録音。これ観た人いるんだよなあ、と思わず嘆息する素晴らしい記録。ギャウロフは声が衰えて来てからの録音ではあるものの、却って枯淡の味わいが出ているとも言うべき滋味深い歌唱。この役自体が派手に歌う動的なキャラクターというよりは、レオノーラの入る修道院そのものを体現するかのような静的で落ち着いた人物(もちろん人間臭い側面もありますが)なので、彼の渋い存在感が光ります。特にカバリエとの重唱は、彼女の天国的な歌声と相俟って素晴らしい。ライヴで燃えるカレーラスとカプッチッリの2度の対決や老練ブルスカンティーニ&デ=パルマなどなど聴きどころの多い名盤。 ・イヴァン・ホヴァンスキー(М.П.ムソルグスキー『ホヴァンシナ』)2015.10.10追記 アバド指揮/ブルチュラーゼ、マルーシン、コチェルガ、アトラントフ、セムチュク、ツェドニク共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団、スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団、ヴィーン少年合唱団/1989年録音 >彼がホヴァンスキーを演じたものは伊語版を含めて録音映像何種類かありますが、この映像が最も完成度が高いです。このあまり親しみやすくはない3時間もの演目があっという間に感じられます。声の衰えもあり、演技も今の目から見れば型通りではありますが、そんなことを吹っ飛ばすぐらいの存在感で舞台を牽引していく様は圧巻です。荒々しくも大物らしいオーラを漂わせた舞台姿は必見。映像で観ると、彼が多くの名バスが演じているドシフェイは演じず、イヴァンばかり何度も録音していた理由がわかるような気がする一方で、この役はこのレベルの歌手が演じることで初めて良さが出るんだなとも思います。共演も強力且つ見た目の説得力もありますし、若きアバドの音楽もお見事。 ・グレーミン公爵(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)2018.11.18追記 ショルティ指揮/ヴァイクル、クビアク、バロウズ、ハマリ、セネシャル共演/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団/1974年録音 >自分でも「まさか!」だったのですが、この音盤への言及をしていませんでした。国際的なチームでの録音なので露ものらしさは薄いものの音楽的な完成度は高い演奏で、ギャウロフもまた非常に端正な、美しい楷書体の歌唱を披露しています。グレーミンは大きい役ではないとは言え演目終盤の要役ということもあり、彼の堂々とした重量感は得難いもの。彼の声の豊かさの中にある険しさがこの役の老軍人としての背景を思わせ、説得力を増しているように思います。 ・クレオンテ(L.ケルビーニ『メデア』)2019.2.17追記 シッパーズ指揮/カラス、ヴィッカーズ、トジーニ、シミオナート共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1961年 >知る限りカラスとの共演盤はこれだけではないでしょうか。残念ながら彼女はキャリアのピークを過ぎておりベストフォームではなさそうですが、それでも十人並みのソプラノとは訳が違いますし、20世紀歌劇界最大の大立者との絡みが聴けるのはファンとしては嬉しいところです。ギャウロフ先生御歳32歳のときの録音ということですから最も若いころの歌唱ということで、何と言ってもまあ声が凄い。奥行きがあるとか重みがあるとかそういう表現では飽き足らない、全方位に響きわたるような巨大な声であることが録音からでも十分に伝わってきます。彼がいかに良い楽器を持っていたのかを知らしめるものでしょう。これだけ声が立派だともうそれだけでこの高圧的な王の姿も伝わってくるというもの。共演ではシミオナートが圧巻。彼女も出番は多くないですが、その嘆き節は真に迫っています。他の音源を持っていないのでなんとも言えませんが、カラスに関してはもっといい録音がある気はするものの流石の声芝居で独り舞台の長いこの作品を牽引しています。ヴィッカーズも彼らしいくすんではいるものの力強い声が見事で、特にカラスとの絡みはドラマティックな迫力があります。トジーニは他に聴いていませんがまずまず。名匠シッパーズの緊迫感ある音楽もお見事。 ・モゼ(G.ロッシーニ『モゼ』)2015.12.1追記 サヴァリッシュ指揮/ペトリ、ツィリス=ガラ、ガラヴェンタ、ヴァーレット、コッラーディ共演/ローマ・イタリア放送管弦楽団&合唱団/1968録音 >マイナーですがロッシーニの名作。伊語で書かれた『エジプトのモゼ』の仏語改訂版『モイーズとファラオン』の伊語版と言う何だか訳のわからない版ですが、実は多分この形での演奏が一番多いように思います。ギャウロフはロッシーニは意外と歌っていませんが、ここでは流石貫禄の名唱です。一頭地抜けた存在感と重厚でたっぷりとした声で、カリスマのある宗教指導者を演じています。確かにこれだけ圧倒的なリーダーシップを感じさせる人物がいたらファラオも危機感を覚えるでしょうね、という説得力ある演唱。ファラオーネのペトリはそれなりにいい声なんですがどうもいまいち決定力に欠けるバスで、ここでももうひとつ影が薄いのは残念です。悪くはないのですが。ガラヴェンタとツィリス=ガラはいずれも日本ではあまり知名度のない歌手ですが、ここでは「ロッシーニ・ルネサンス以前の歌唱として」という但し書き付きで、結構聴かせます。ヴァーレット、コッラーディもまずまず。サヴァリッシュがロッシーニを振っていること自体が割と驚きですが、ここではスケールの大きな音楽を作っていて◎ ・マルセル(G.マイヤベーア『ユグノー教徒』)2019.9.30追記 ガヴァッツェーニ指揮/コレッリ、シミオナート、サザランド、コッソット、トッツィ、ガンツァロッリ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1962年録音 >最近復権の兆しのあるマイヤベーアが20世紀中葉のスターキャストによって演じられた名盤(伊語歌唱というだけでなく全体にかなりイタリアンですけどね笑)。こちらもまたギャウロフ先生全盛期の録音ですから、ライヴっぽいぼけた音の向こうからでもその強力な声がよくわかります。これは彼には珍しい従者の役ではありますが、ちょっと狂信的と言ってもいいような頑固なユグノーの役柄ですからこれぐらい迫力がある方がリアルだと思います。神懸った厳粛な旋律はもちろんですがコミカルな場面もフットワーク軽くこなしていてお見事。音も悪ければカットも多いですが、この演目の豪華さがよく伝わってくるという点ではおススメできるかとおもいます。 ・ドン・バジリオ (G.ロッシーニ『セヴィリャの理髪師』) ヴァルヴィーゾ指揮/ベルガンサ、ベネッリ、コレナ、アウセンシ、マラグー共演/ナポリ・ロッシーニ劇場交響楽団&合唱団/1964年録音 >このギャウロフがまたすごい、というのは前述のとおり。ロッシーニでは普通使わないようなぶっとくて深い声を豪快にぶっぱなすのが逆に面白みを増すというタイプのバジリオでは一番成功してるんではないかと。そしてこちらも名バッソ・ブッフォ、コレナの極めつけのバルトロと相俟って二人のやりとりは、まさに抱腹絶倒。重唱があってほしいぐらいです笑。きりっとしたベルガンサのロジーナも、優美なベネッリの伯爵もよく、ヴァルヴィーゾの愉悦に溢れたスリリングな指揮も最高な1枚!ただし、フィガロのアウセンシが足を引っ張っていて、画竜点睛を欠くの感がありますが……これがミルンズとかだったら決定盤になったかもしれません。 以下修道院長まで2020.1.29追記。 ・ランフィス(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』) アバド指揮/アローヨ、ドミンゴ、コッソット、カプッチッリ、ローニ、デ=パルマ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1972年録音 ムーティ指揮/カバリエ、ドミンゴ、コッソット、カプッチッリ、ローニ、マルティヌッチ共演/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団&合唱団/1974年録音 >いずれも甲乙つけがたい超名演です。ギャウロフらしい声の迫力やライヴらしい張り詰めた緊張感を楽しみたいのであれば、上の演奏でしょう。開幕から一筋縄ではいかない政治家としての高僧を思わせるズシリとした響きの声に痺れます。アイーダやラダメス、そして最後にはアムネリスまでも圧倒する「権力」を感じさせる歌唱です。これに対してムーティ盤ではもちろんその豊かで巨大な声は健在ではあるものの、より音楽的に均整のとれた歌唱という印象(少なからずムーティの采配によるところでしょう。そしてここではそれが成功しています!)。祝祭的な2幕終盤でのランフィスのパートの重要さが良くわかる見事な演奏です。 ・フェランド(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』) ボニング指揮/パヴァロッティ、サザランド、ホーン、ヴィクセル共演/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団&ロンドン歌劇場合唱団/1977年録音 >残念ながら主役はいずれも私見ではミス・キャストで、敢えて言えばパヴァロッティのスタイルのいい歌がいいかなというぐらい、指揮ももう一つというところで、本来ならば脇に回る役であるはずのフェランドを演ずるギャウロフが異様に輝くという結果になっている演奏です。最大の見せ場である開幕すぐの昔語りは、ボニングのせいもあって若干のどかな印象になってしまっているところもありますが、これだけたっぷりとした美声とニュアンスに富んだ貫禄のある歌唱を楽しむことができる録音は他にはないでしょう。彼の独特の音色もあって、2幕フィナーレや3幕の3重唱でフェランドのパートが果たしている重要な役割を最もしっかり聴き取ることができるものでもあります。 ・バンクォー(G.F.F.ヴェルディ『マクベス』) シャイー指揮/カプッチッリ、ディミトローヴァ、リマ、市原、リドル共演/WPO、ヴィーン国立歌劇場合唱団&ソフィア国立歌劇場合唱団/1984年録音 >ギャウロフがバンクォーを歌ったスタジオ録音としてはカプッチッリらと共演したアバド盤、フィッシャー=ディースカウらと歌ったガルデッリ盤があり、いずれも劣らぬ名盤ではありますが、敢えてこちらを。声の豊かさでいけば特にガルデッリ盤の時と比べるとかなり衰えているのですが、乾いた峻険な響きは枯淡な味わいを加えていて、幾たびも戦を重ねてきたスコットランドの武将の風格を感じられるものになっていると思います。ダンカン王の死を宣言するところの有無を言わせぬ貫禄!カプッチッリともども歌唱の彫り込みの深さも素晴らしく、音楽として雄弁なアバド盤(この音盤の翳のあるオケは稀有!)と聴き比べるとライヴということもあってより演劇的に楽しめるパフォーマンスです。 ・ドン・ルイ=ゴメス・デ=シルヴァ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』) ヴォットー指揮/ドミンゴ、カバイヴァンスカ、メリチアーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1969年録音 >ギャウロフ、ドミンゴが出ている本演目といえばなんと言ってもムーティ盤が有名且つ不滅の名演ですが、彼らの声の充実度ならばこちらの方が優れています(ギャウロフ先生落ちてるところもありますが; あまり指摘されませんが彼は結構落ちている演奏があります)。ムーティと比べるとヴォットーの指揮はちょっと緩いですが、その分彼らの個性が出ていると思える部分もあり、好き好きでしょう。声のハリがあるので老いた感じはあまりありませんが、格調高い堂々たる歌唱で、シルヴァが貴族としての矜持に満ちた力強い人物であることが伝わってきます。アリアは模範的名唱。ムーティ指揮の演奏では歌っていない追加カバレッタも、盛大にカットは入っていますが豪快な荒々しさがあり、お見事です。 ・コンチャク汗(А.П.ボロディン『イーゴリ公』) チャカロフ指揮/マルティノヴィチ、エフシュタティエーヴァ、ギュゼレフ、ミルチェヴァ、カルードフ共演/ソフィア国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1987年録音 >チャカロフが勃国のメンバーを中心に露ものを集中的に取り上げていた際の一連の録音のひとつで、他の作品同様やや個性に乏しいのが惜しいところですが、丁寧で堅実な演奏だとは思います。ギャウロフにとってはキャリアも後半になってからの演奏ですから瑞々しい声という訳にはいかないものの、藝の円熟を感じさせるスケールの大きな歌は魅力的です。敵将ながらも英雄という以上に、勝者の余裕を感じさせる演唱はヴェテランならではの風格でしょうか、若々しい力のあるマルティノヴィチといい意味で対照しています。彼らに対しもう一人のバス、ギュゼレフもアクはありつつ品位のある歌で、バスの競演を味わえるのは嬉しいところです。 ・アッティラ(G.F.F.ヴェルディ『アッティラ』) シノーポリ指揮/カプッチッリ、ザンピエリ、ヴィスコンティ共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1980年録音 >壮絶なライヴの記録。爆発的な歌唱を披露しているカプッチッリがどうしても気になってしまいますが、改めて聴き直すとド派手な活躍でこそないものの滋味深い歌唱の如何にも彼らしい巨大な存在感を示しており、やはりこの役を語る上で欠かせない演奏です。ライモンディやフルラネットが演じたような血気盛んな壮年の王というよりはむしろ「偉大なるアッティラ大王」、先のコンチャク汗と同じような異世界の英雄という風情で、カプッチッリ演じるエツィオとの対決やカバレッタなど勢いのある場面は圧倒されます。他方でアリアやレオーネとの対峙の場面は、不安定な精神状態を表現する歌唱も多い中で、楷書体の品格ある歌唱で勢いにばかり振り回されるのではない彼の実力の高さが垣間見えるでしょう。 ・スパラフチレ(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』) ジュリーニ指揮/カプッチッリ、ドミンゴ、コトルバシュ、オブラスツォヴァ、モル、シュヴァルツ共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1979年録音 >歌唱陣を見てパワフルなを期待するとジュリーニのゆったりとした指揮に肩透かしを食らいますが、丁寧で音楽的な演奏だと思います。ギャウロフのスパラフチレは知るかぎり2つのスタジオ録音がありますがこの時の方が声も豊かですし、とりわけ見せ場の3重唱の完成度はマッダレーナがオブラスツォヴァである分こちらの方が総合的に高いと思います。ここで強烈な声で怒鳴りあうスラヴコンビは痺れるような迫力がありますし、コトルバシュも娘らしさはありつつしっかり対抗しています。また、こういうところはジュリーニの棒も流石で、地味ながらヴェルディの書いた重唱の中でもかなり意欲的なこの曲の真価を知ることができるもの。ギャウロフに戻りますと第一声でのリゴレットへの呼びかけの不気味さ!底の知れない低音でいたって柔らかに、派手にならずに、しかし記憶に残るように歌う手腕は見事なものです。 ・ロドルフォ伯爵(V.ベッリーニ『夢遊病の女』) ボニング指揮/サザランド、パヴァロッティ、D.ジョーンズ、トムリンソン、ブキャナン、デ=パルマ共演/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団&ロンドン・オペラ合唱団/1980年録音 >実はあまり好きな演目ではありませんが、役者の揃った非常に充実した演奏だと思います。ここでの彼はその重厚な声で驚くほど流麗に、この役のベル・カントらしいアリアを深々と歌っていて引き込まれます。しかもカバレッタを余裕たっぷりにフットワーク軽く歌っていること!まさに圧巻です。しかもこの役は通常だとそのアリア以外には目立つ出番はそんなにないのですが、彼のどっしりしたリッチな声は全編に亘ってよく響いていて、大規模なアンサンブルの中でこの役がどういった動きをしているのかよくわかります。共演ではパヴァロッティの厚みのある美声が心地いいです。 ・宗教裁判長(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』) アバド指揮/R.ライモンディ、ドミンゴ、リッチャレッリ、ヌッチ、ヴァレンティーニ=テッラーニ、ストロジェフ、オジェー、マレイ、ラッファッリ、サヴァスターノ、コルベッリ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1983-84年録音 >フィリッポを得意としたギャウロフが、おそらくは唯一残した宗教裁判長での録音(舞台では何度か演じているようです)。出番は少ないながらも他の主役に匹敵する存在感が必要なこの役は、若手の登竜門的なキャスティングも良く目にするものの、どちらかと言えば大ヴェテランがどっしりと押さえてくれる方が好ましいと思っているのですが、まさにその溜飲を下げる録音と言えるでしょう。ライモンディとはカラヤン盤では逆の役回りで録音を残しており、あちらが伊語版こちらが仏語版ということも含めて較べてみると面白いのですが、ライモンディが宗教裁判長をやっているものでは声の若々しさを歌唱の陰湿な不気味さで補っているのに対し、こちらのギャウロフは楽器そのものの巨大さで直球に勝負している感じ。この巨大さはうまく言葉にしづらく、ピークはだいぶ過ぎているので単純に声量や声の湯響きの豊かさとは一致しないと思います。兎に角一声でスケールが大きい。出てきた瞬間に、「あ、敵わない」と感じさせるような底知れなさがあります。この音盤はアバドが色々と凝って補遺をたくさん入れてくれているので、宗教裁判長のために書かれた珍しいフレーズを彼の声で楽しむことができるのは嬉しいところです。個人的には長い間、この録音が仏語版であることやこの時点ではかなり軽量級だったキャストで揃えていることに違和感を持っていたのですが、改めて聴いてみると、普段この演目の各役に持っているイメージよりも若い設定が斬新でもあり、アバドの音楽作りの妙もあり、これはこれで一興と感じるようになりました。 ・コッリーネ (G.プッチーニ『ラ=ボエーム』) フォン=カラヤン指揮/パヴァロッティ、フレーニ、パネライ、ハーウッド、マッフェオ、セネシャル共演/BPO&ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団/1972年録音 >プッチーニはあまり聴きませんが、これは見事な演奏だと思います。ギャウロフの声はかなり迫力がありこのしょぼくれた哲学者の卵には立派過ぎに聞こえる場面もあるのですが、やはりアンサンブルのうまさは格別のもの(これは他の共演陣も同様の印象です)。兎に角ボヘミアンたちが揃う場面はわいわいがやがや賑やかで楽しそうなのです!ブノワを叩き出す場面やモミュスでの騒動の最低音をコミカルに支えています。ここまで陽気なギャウロフはあとはバジリオぐらいでしか聴くことはできないかも知れません。4幕で死の間際のミミが登場してからは一転、やわらかな歌声で噛みしめるように静かに哀しみを吐露するところは感動的。このアリア、何故唐突にコッリーネに与えられているのか(マルチェッロにすらアリアがないのに!)不思議な気もするのですが、彼ぐらいしっかりしたバスで歌われると、プッチーニはバスの重い声で喪の雰囲気を出したかったのかなとも思います。共演ではもちろんパヴァちゃんもいいわけですが、ここは極め付けのフレーニとパネライでしょう。マッフェオやセネシャルも優れていますが、ハーウッドは今ひとつ。 ・アレクサンドル・ペトロヴィチ・ゴリャンチコフ(L.ヤナーチェク『死者の家から』) アバド指揮/シュミトカ、マッコーリー、ラングリッジ、ツェドニク、ペテルソン、ニコロフ、ノヴァーク共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1992年録音 >正直なところ音源で聴いたところでは今ひとつ良くわからず、あらすじを引きながらyoutubeで映像を観て漸く何となく様子がわかってきたようなところで、この作品自体を語る力は今の私にはありません。主役ではあるもののギャウロフが演じた中でもここまで歌の出番が少ないものも珍しいかもしれません。その辺りも音源では当惑したところではあるのですが、囚人たちが入れ替わり立ち替わり自らの過去を物語るこの作品において、主張をしすぎることなく全体に軸を通すには、彼ぐらいの大物をこの役に据えるしかないのかなと思います。演技も歌も決して多くはないものの、舞台に立っているだけで彼にいかに巨大な存在感があるかが良くわかる映像でしょう。アバドは入れ込みようの伝わってくる指揮ですし、共演陣もレベルは高いと思いますが、演出は現代の公演であればもっと切り込んでくるような気がします。 ・アルケル(C.ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』) アバド指揮/フォン=シュターデ、オルマン、ブレッヘラー、リノス、パーチェ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1986年録音 >この一種独特の繊細で曖昧な音楽を如何にもオペラ歌いというメンバーで演奏しているのが新鮮でもあり、人によってはやはりちょっとオペラっぽ過ぎると感じる向きもありそうな音盤。我らがギャウロフも御多分に洩れず声に存在感がありすぎて異質な印象がある一方で、後年の彼らしいニュアンスに富んだ歌唱は特筆に値するものです。まさに寂寞という言葉がピタリときます。登場場面は決して多くはなく主役でもありませんが孤高の老王の気品と貫禄は強い印象を与え、この演奏の世界を下支えしていると言えるでしょう。 ・ティムール(G.プッチーニ『トゥーランドット』) メータ指揮/サザランド、パヴァロッティ、カバリエ、ピアーズ、クラウゼ、ポーリ、デ=パルマ共演/LPO&ジョン・オールディス合唱団/1972年録音 >プッチーニらしくないメンバーですが、全体の完成度という側面から考えると個人的にはベストだと思っている録音です。ティムールは不安や哀しみなどのウェットで仄暗い感情がうまく出せる人ならば十分に役割を果たせてしまう役ではあるのですが、彼が重厚な声で丹念に歌うことによって過去に別の国の王であった人物としての深みや奥行きといったものが表現されるように感じます。とりわけリューの死を嘆く場面は胸に迫るもので、ピン・ポン・パンたちが彼女の死を嗤えなくなることにリアリティを与えていると言えるのではないかと。主役3人はイメージを遥かに上回る決定的名演、クラウゼの馬力のあるピンやピアーズの厳かな皇帝などいずれのキャラクターも紋切型を飛び越えた歌唱ですし、メータの采配も鮮やか。 ・盲人(P.マスカーニ『イリス』) ジェルメッティ指揮/デッシー、クーラ、セルヴィレ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1996年録音 >あまり演奏こそされませんが、日本が西欧にとって幻想の国だった時代に作られたことのよくわかる佳作(台本ははちゃめちゃですが)。ギャウロフの録音の中でも後半のものということもあって明確に枯れた響きの声になっているのですが、この時の彼の声だからこそ表現できた物悲しい美しさがあります(個人的には盆栽でいう神や舎利を思い浮かべます)。そのなかば掠れた声によって、娘のイリスに異常なまでに執着する老人の哀れさや背筋の凍るような迫力が際立たっているようです。共演では兎に角主演のデッシーが出色、ギャウロフをはじめイリスを取り巻く酷い男たちがそれぞれの魅力で彼女を支えているという印象です。この作品の魅力を知るにはもってこいの音盤と言えるでしょう。 ・修道院長(J.E.F.マスネー『聖母の曲芸師』) ジェルメッティ指揮/ジョルダーノ、ガリアルド共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/2000年録音 >最晩年の貴重な録音、どうやら映像もあるようです。最初から最後まで活躍するジャンや、彼を寛容に導くボニファースと較べると、この役は固定観念にこだわる教会の権威の代表といった感じで正直なところあまり美味しくはないのですが、いかにも彼らしい深みを感じさせる歌唱で、下手な人がやると薄っぺらになってしまいそうな人物を立体的にしています。より詳しくみるならば前半での堅苦しい教会のあり方を示すところでは巨大な壁としてジャンに立ちはだかりますし、後半では一転荘厳な声で神秘劇を盛り上げていると言えるでしょう。ジョルダーノはかなり頑張っていると思います。ガリアルドもいい感じなんですが見せ場がちょっと安定しないのが惜しい。 ・セネカ(C.モンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』)2020.8.21追記 ルーデル指揮/G.ジョーンズ、ヴィッカーズ、C.ルートヴィヒ、スティルウェル、マスターソン、タイヨン、セネシャル 、ビュルル共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1978年録音 >ギャウロフ先生の全曲映像・録音がある作品のうち、通して観ていなかったものをついに手に入れました。本来ならズボン役やカウンターテナーが受け持つところをテノールやバリトンに移していたりかなりカットを加えていたり、或いは音楽そのものもだいぶドラマティックだったりで、モンテヴェルディのファンの方に言わせればこんなのバロックじゃないやいという時代がかった演奏だとは思うのですが、女声ばかりの歌が延々と続くのが苦手な自分としては、白状するとかなり楽しく視聴できました。主役の方々は皆さん素晴らしいんですが、圧倒されたのはギャウロフの声の素晴らしさ!70年代も後半の映像ですから決して声としてはピークではなかったはずなのですが、地鳴りのような豊かな低音の動きに魅了されます。コロラテューラを得意としたバスではないので、細かい動きはかなり端折ってはいると思われるもののそれでも十分に美しく聴かせてしまう技量がありますし、派手な動きがないところを退屈させずむしろセネカの瞑想的な人物像をリアルにしているのは天晴れです(動きの少ない演出なのもかえって功を奏しているように感じます)。友人たちが引き止める中で毅然として死を選ぶ場面も感動的で、この場面だけでも観る価値があるでしょう。僕が観た映像は極めて画質が悪く、また音もマスターテープが傷んでいると思しき部分があるのですが、どうも過去にレコードが出ていたこともあるようで、こちらのCD化を期待してしまいます。 |
“王の御前か”2012-09-26 Wed 23:02
聴き比べ企画その2。
同じく『ドン・カルロ』より大審問官とフィリッポの2重唱。 前回に較べるとほんのちょっとしかありません(^^; そして今回は情報少なめ…書くのが大変なだけじゃなくて、ほんとに情報がない人もいるんで(汗) こちらは音源が残ってるのか謎なギャウロフ×クリストフなんて聴いてみたいww っていうかクリストフの大審問官はないものか。。。 妻屋×シヴェクを追加!51音源に! (2014.12.7現在) 大審問官×フィリッポ(言語/聴いた録音の数) 1.アスカル・アブドラザコフ×クリストフォロス・スタンボリス(伊/1) 一発目からなんかいまひとつ緊迫感に乏しい…(苦笑)最初の組は評が辛くなるにしてもどうなんでしょうか。なんとなくふたりとも声が似てる気がして、この2役のコントラストがいまいち。兄ドラザコフの方が格が明らかに歌手としてのかなり上っぽいのは、いいやら悪いやら。そりゃ最後に圧倒するのは大審問官ですが、一応フィリッポさん、国王なんすよ(苦笑) 2.アナトーリ・コチェルガ×フェルッチョ・フルラネット(伊/1) 1つめが不安で先行きが若干心配になりましたが、これは佳演だと思う。 コチェルガの世評は高くないけど、言うほど悪いものには思えない。確かにちょっと軽めの声質なので、所謂大審問官のイメージとはちょっと違うが、声量もあるし、腹黒そうな雰囲気で補ってる。もっとガッカリな大審問官は、名盤と言われるやつにもたくさんいる。そしてフルラネットの力演も目を見張るものがあり、全体として緊張感溢れるものになっている。 3.アレクサンデル・アニシモフ×サミュエル・レイミー(伊/1) 名盤の謂れ高いが、割とガッカリだと思ってるのがこれ。 まずは個人的ガッカリ大審問官の代表アニシモフ…ヴィブラートのきつい意地悪声で凄むんだが、どうにも全然凄みがない。この役は、もっと圧倒的な力を見せないと。どう考えてもレイミーのがうんと強そう。 レイミーのヴェルディは個人的には苦手。悪魔役やロッシーニは古今無双だと思うけれど、どうも声が無機質で、血沸き肉躍る感じのヴェルディではない。アッティラと大審問官ぐらいでしか納得いってないな(っていうかなんだこの組合せ)。 4.イーヴォ・ヴィンコ×ボリス・クリストフ(伊/1) ヴィンコって結構重要な脇役を手堅くかっちりとやってるイメージなんだけれども、それだけヴェルディをよくわかっていて、或る種中庸の美だと思う。 彼の硬質な声と、やり過ぎない歌唱がここではかなり生きていて、大審問官の冷酷さが際立つ名演。よく考えてみるとこれと言った激しい表現をしている訳ではないのだけれども、しっかり味がある。フィリッポが何を言おうと、梃子でも動かない雰囲気が出ている。これに対して、いつもどおりクリストフが逆に濃い目に味つける歌唱だから、いろんな意味で絶妙なコントラストがついているように思う。 5.イェヴゲニー・ネステレンコ×ニコライ・ギャウロフ(伊/1) これだけしっかりしたバッソ・プロフォンド同士だと聴き栄えがとてもよい。若いころのネステレンコなので、声の輝きもあるし、高い音もすっきり出る。一番良いのが、低音域での凄味で、貫禄で勝るギャウロフに対して、歌唱面でも演技面でもまったく力負けしておらず、ともすれば出番が少なく存在感が薄くなりがちなこの役を聴く側にしっかり印象付けてくれる。ギャウロフもこれにドラマティックに応戦しているので、張りつめたような緊張感が生まれている。個人的にはかなり気に入っている部類の演奏。 6.ヴィタリ・コヴァリョフ×オルリン・アナスタソフ(伊/1) 2人ともかなり若いころの演奏だと思うのだけれども、迫力ある声を持っている東欧コンビがよく頑張っていて、緊張感のある力演になっている。ただ、欲を言うとふたりとも役が求めてる声よりちょっと若々し過ぎるきらいがある。コヴァリョフに贅沢な注文を敢えて付けるとするならば、艶のあるその美声が、必ずしもこの役にあってるとは言えないのではないか、というか設定上九十翁の大審問官にしては元気かつ健康的すぎる、というところだろうか。アナスタソフはヴェルディの音楽をよくつかんでいる感じでよい。 7.エリック・ハーフヴァーソン×ヨセ・ヴァン=ダム(仏/1) ハーフヴァーソンは、声自体にも表現にもこれといった凄味はないものの、幽霊のようなそら恐ろしさを感じさせる大審問官で、これはこれでありか。大審問官は棺桶に片足突っ込んでいるような役だし、こういうかたちでこの世ならぬ印象を与えるということで、ひとつの興味深い事例だろう。問題はヴァン=ダムで、大熱演は買えるし、このCDに収められた公演をよい方に引っ張り上げてくれてる感じがするんですが、いくら仏語版でもヴェルディでそこまで語りにしてしまって良いかは一考の余地あり。いやなひとは結構居そう。 8.サミュエル・レイミー×ジェームズ・モリス(伊/1) レイミーの玲瓏な声は、やはりこちらの方が似合う。恐ろしく冷酷で、厳しい大審問官。自分の主張が絶対的に正しいという、或る意味悟ったような強烈な歌い口が役に合っているのかな。欲を言えばそのハリのある声は、ちと設定より若く聴こえるか。モリスはヴァーグナー歌手のイメージが強くて縁がなかったが、最近意外とヴェルディをはじめとするイタオペにも適性があったのではないかと思う。ちょっと彼がフィリッポの全曲が聴いてみたい。 9.サミュエル・レイミー×フェルッチョ・フルラネット(伊/1) 名前だけ聴くとなんかすごい現代の名演を期待してしまうのだけど、なんか全体に不完全燃焼名観が否めない。レイミーはこの前のモリスとの共演の方が乗っていた感じ。こちらの方がなんとなく淡々とやっているような印象で、まあこの役だからそういう解釈もありっちゃありなんだけど…。加えてこのころのフルラネットのヴェルディは、どうももう一声欲しい感が否めず、喰い足りない印象。 10.ジェロム・ハインズ×クレイグ・ハート(伊/1) なんと言っても御歳八十歳のハインズが凄まじい!多分一番実年齢に近い大審問官だろうwwwちなみに、これが引退コンサートだったらしい。流石にリズム感は悪くなってしまっているようで、ところどころ乗り切れていないが、そんなことはどうでもいいと感じさせてしまう圧倒的迫力たるや!とてもではないが、八十翁のなせる業ではないといった感じ。何度聴いても恐れ入る。並の歌手では足許にも及ばない。つまりハートの印象は皆無wwwこのハートって人は名前聞かないけどハインズの弟子だったんだろうか。 11.ジェロム・ハインズ×ポール・プリシュカ(伊/1) メトのスター・バス同士の競演。ハインズは録音史上指折りの大審問官だと言って良いだろう。フィリッポを歌うときは、大迫力ながらも若干大芝居になりすぎな感があり、好き嫌いの分かれそうな印象だったが、大審問官ではむしろ行きすぎない演唱をしていて好ましい。そしてハインズと対決するならやはりプリシュカぐらいの人が出てきた方がうんと愉しい。演技に力が入ると、ちょっとがなりに傾くのが残念ではあるが、この場面はそもそもドラマティックだし、非難されるものではないだろう。 12.サイモン・ヤン×アラスタイアー・マイルズ(仏/1) 演出のこともあるのだろうが、ヤンはよく考えて歌っている印象(ヴィーンで、ペーター・コンヴィチュニーが演出したあれ)。ただ、その反面覇気というか熱気がもう少し欲しい感がなくもない。後半で気持ちの悪い笑いが入るんだけど、これは蛇足(演出家の指示かもしれないが)。この場面は、そういう意味での余分なことはしない方が説得力がある。マイルズは、普段のレパートリーと違うところだというのを意識し過ぎたのか(それとも演出家の指示か)ちょっとがなりすぎ。私は彼のスタイリッシュなベル・カントものが好きなのでちょっと残念。もっと普通にグラントペラ的なアプローチの方がこの人の良さが出たのでは。 13.ジャック・マルス×グザヴィエ・ドゥプラ(仏/1) グラントペラとしてこの演目をやりました、という感じで、仏流の洗練を感じる一方、ヴェルディをやってますって言う迫力には乏しい。二人とももう一つ声に重みがあると良いのだが。マルスは大審問官の嫌らしさは立っているがもう少し迫力が欲しい。むしろフィリッポでやってたぐらいヴェルディしても良かったか。ドゥプラももう少し踏み込んでいい気がする。王族としての気品みたいなものは感じられるんだけど、如何せんちと弱そうww 14.ジュリオ・ネーリ×チェーザレ・シエピ(伊/1) いよいよ真打登場。やはりネーリは大審問官役の金字塔。もうその圧倒的な声の威力には言葉もない。深みとか重みとか暗さとかそういうのとはまた全然違う、凄い声。シエピも彼の普段のスタイリッシュな歌唱からかなり逸脱して、ドラマティックに応酬する(このひとが楽譜から逸脱するときは、もう物凄いのだけれども)が、それすら圧殺する存在感。もうこういう大審問官は聴けないんだろうか。演奏と直接関係ないが最後のブラヴォは早すぎ。シエピまだ延ばしてるし。音楽楽しめ。 15.ジュリオ・ネーリ×ニコラ・ロッシ=レメーニ(伊/1) ネーリと名バス三番勝負の二番目。知的な歌で知られたロッシ=レメーニも、その名声のとおりよく練られた歌い回しでフィリッポを好演しているが、やはりここでも強烈なのはネーリ。そんなに器用な歌を歌う方ではないんだけれども、逆にそこから鷹揚な印象を作り出していて、カルロばかりかフィリッポの企てすら児戯に等しいと言わんばかり。この役に不可欠な抗いがたい不気味な迫力を、ここまで引き出している歌手は、私の知る限り他にはいないと思う。 16.ジュリオ・ネーリ×ボリス・クリストフ(伊/1) クリストフは魅力的ではあるけれどかなり強力なフィリッポなので、彼に拮抗し、彼が膝を屈する大審問官を選ぶのはかなり大変だったろうと思う。この厄介な問いに対して、前述のヴィンコや後で出てくるアリエは冷徹さで対峙するという解を出した訳だが、恐らく力でクリストフを組伏せたのはネーリだけだろう。当時、彼がいなくなったら大審問官をできるバスが居なくなるとまで言われたそうだけれども、このクリストフとの対決を聴いてると、そう思った当時の人たちの言に納得してしまう。そんな訳で名バス3人を以てしても怪バス、ジュリオ・ネーリに軍配。 17.ジョヴァンニ・フォイアーニ×ルッジェーロ・ライモンディ(伊/1) フォイアーニはヴィンコとかと同じぐらいに脇役で活躍したバスなんだけれども、どういう訳か英語でも日本でも殆ど情報が見当たらないものの、結構重要な役を手堅くきっちりやって呉れるんで安心して聴ける。ここでもドラマティックの迫力や卓越した美声という訳ではないけれども、なかなか腹の黒そうな大審問官をやっていて、結構満足いく出来。若き日のライモンディはアリアはいま一つだったけれども、こちらではなかなかの好演。 18.ディミタル・ペトコフ×ニコライ・ギャウロフ(伊/1) ペトコフ、この役をやるのにはやや声の響きが明るいような気もしなくはないが、デカ声でこれだけギャウロフと張り合って呉れるとやはり聴き応えがある。大審問官は意外と低音だけではなく、かなり高い音も出てくるので、全音域でこれだけ鳴るというのは、それだけで価値があるし、この人の場合、ただ声がデカいだけ、という印象でなく、ちゃんとニュアンスも伝わってくる。この役に限らず、もっと録音の欲しかったバスだ。これに対しギャウロフも、この演奏では割と演劇的。こうなってくると聴いてるだけで手に汗を握るような心持になる。 19.ニコラ・モスコーナ×ジェロム・ハインズ(伊/1) モスコーナって確かトスカニーニに気に入られてた歌手のはずで、かの名指揮者の録音をはじめいろいろ出てるんだけど、あんまいいと思わない。というか印象に残ったためしがない(^^;どうもいまひとつ脇役感が強いんだよな。。。しかもここでは役に比して声軽いから、いまいちインパクトが。荒ぶるハインズと逆のがよかったような気もするし、彼の気の抜けたフィリッポなんぞ聴きたくないというような気もする。 20.ニコライ・ギャウロフ×ルッジェーロ・ライモンディ(仏/1) フィリッポでの録音が多いギャウロフの数少ない大審問官というだけで、思わず期待してしまう。実際の演奏もその獅子のような歌声はまさに猊下、という感じでもっと歌って欲しくすらなる。けどもっと歌うなら役としてはフィリッポになっちゃうのか(苦笑)仏語の大審問官では恐らく最強でしょう。圧倒されます。ライモンディの知的な歌い回しもここでは活きていて、ともすれば知的に走り過ぎて小さくなる彼の歌をよりダイナミックに引き出しているように思う。最大の問題は何故仏語かということ。これが伊語だったらたいそうな名盤になったのにと思うと、ちょっと悔やんでも悔やみきれない。ギャウロフの大審問官も、より強烈なものになったに相違ない。 21.パータ・ブルチュラーゼ×ロベルト・スカンディウッツィ(伊/1) ブルチュラーゼはまずデカい声だが、それ以上に抹香臭い音色の声なので、旧教の権化大審問官では非常にしっくり来る。デカ声が持ち味だからそれだけの人に見られがちだが、スパラフチレなんかでも聴かせていたけれども、意外とppで囁くような表現のも得意だし、現役では一番理想的な大審問官か。何故か日本では評価する人があまりいないスカンディウッツィはフルラネットと並ぶ当代きってのヴェルディ歌いで、ここでもその面目躍如たるところ。どうしてシエピが好きな人がたくさんいるのに、このひとは評価されないんだか理解に苦しむ。ともあれ、現代の名演でしょう。 22.ハンス・ホッター×ジェロム・ハインズ(伊/1) 意外にもこういうぶちギレ大審問官てあまりいない気がする。序盤はふたりともおとなしい感じだから、割とソフトな感じで進むのかと思いきや、大審問官が進言するあたりから、だんだんと怒りのボルテージがあがって、終いにはぶちキレるさまは、いとをかし。ホッターもヴァーグナーのイメージが強くてあまり聴かないんだけれども、こういうテンションの高い歌唱を聴くと、いろいろ集めたくなる。当然ながらハインズもぶちキレる(笑)ので、エラい騒ぎになってるwwまあ爆演というべきものでしょうか。 23.フォードル・ヤーノシュ×セーケイ・ミーハイ(洪/1) まず洪語っていうのが(笑)ま、この時代はその国の言語に訳しているのが普通だから、意外と洪語のイタオペ録音とかってあるんだがwそして歌手が、ではなく全体に音程が謎…なんだこの音は( ̄▽ ̄;)録音のせいかフォードルはだいぶ軽く聴こえるが、本来の声はもっと太そう。もっとまともな録音だったら、うんと評価が上がっていそうな気もするのでちょっと残念。何故か唐突にぶっ飛ぶ高音出してるwwこの時期のヴェルディの作品でそれはないでしょうwwwなんとなく通して聴いて、セーケイの声の方が全体に貫禄がある印象。セーケイも、もっと録音を残して欲しかったバスだなぁ…。 24.ヘルマン・ウーデ×ジョルジョ・トッツィ(伊/1) ウーデは声はともかく音程は悪いし最低音は出してないし、そのくせヴェルディの旋律を盛大に恣意的に崩してるし最悪。ここまでで最悪だったアニシモフにすらかなり水をあけられている勢いで、もはや歌えてないレヴェル。ヴァーグナーで評価高いっていう話を聞くんだけど、ほんまかいなと耳を疑ってしまう。トッツィは演劇面で優れたフィリッポを作り出していて、良いだけに非常に残念。 25.マッティ・サルミネン×ヤアッコ・リュハネン(伊/1) サルミネンはやはりフィリッポよりもうんと大審問官向き。この役はアクの強いデカ声で歌って、フィリッポを圧倒して欲しいのでぴったりである。ただ、コンサートということもあってか、割とおとなしい感じがしていて、もう少し踏み込むことができればもっと良かったか。尤も、リュハネンもかなりぶっとくてデカくてアクのある声なので、フィリッポというよりは大審問官がふたりいるみたいwww或る意味でかなりの贅沢www 26.マルコ・ステファノ―ニ×チェーザレ・シエピ(伊/1) 一応ちゃんと歌ってはいるが…ステファノーニ、それじゃシエピには勝てない(苦笑)なんとなくおじいさんぽい声はわざと出してるの?それはそれである意味でリアリティだけど…この役に必要な絶対的な迫力に欠ける。となると、この場面で絶対に必要な圧倒的な緊張感は生まれんのです。。。なんでまたシエピの相手に彼が起用されたよ。折角だからそれこそクリストフとか起用したら、希代の名演になったかもしれないのに!(まあ、クリストフが了承するまいか(^^;) 27.マルッティ・タルヴェラ×ニコライ・ギャウロフ(伊/3) なんとこれに限っては3組持ってます!と言うか、このコンビでの録音多いんですよ(笑)タルヴェラは、ホッターほどではないにしても、意外とぶちギレ系。いずれの録音でも底の見えない太い声でキレまくるので、迫力には事欠かない。見た目も熊みたいだから、実際の舞台だったらさぞかし悍ましい大審問官だったんだろうという感じ。ホッターと違って、解釈としては、最初から苛立ちを隠せない様子を見せている。これに対してギャウロフは、当然ながらかなりドラマティックに応戦する。このひと、歌自体、表現自体は結構端正だと思うんだけど、声そのものの響きが豪快な感じがするんだよね。そんな2人の対決の、その緊張感たるや。もうね、なんか熊vs獅子のようなというか怪獣映画みたいな感じすらするwww←褒めてます 28.ヨーゼフ・ヘルマン×ヨーゼフ・グラインドル(独/1) ヘルマンの声はどう聴いてもバリトンで、普通に考えるとその時点でアウト、大審問官が合う筈がない、と斬ってしてまうが、これがなかなか聴かせる。歌が良いのか解釈が良いのかはたまた独語だから良いのかなかなか意地の悪い大審問官を作ってて見事。尤も、フリックとかに歌って欲しかった気もするんだけど(^^;グラインドルも不足なし。あんまりたくさん聞いている訳ではないが、この人の重厚な低音も、私は好きだ。前半のやり取りpでやってるんだけど、独語の語感と相俟って、全く違う音楽のように聴こえる。 29.ラッファエーレ・アリエ×ボリス・クリストフ(伊/1) 端正なアリエの大審問官とアクの強いクリストフのフィリッポ。キャラ的には逆のが良いような気もするが、そうは行かないのがオペラの面白いところで、これはなかなかの名演。アリエの端正な声と歌振りが、大審問官の正当性を強調しているような感じがする。心情の問題を切り捨てて、理窟で勝負すると絶対に勝てないであろうという、ある面優等生的冷酷さが感じられる。それに対して、クリストフがアクの強い声で盛大に唸ると、それがまたアリエの大審問官と好対照をなして、非常に人間くさく聴こえるのがまたとても良い。もちろんパートが逆でも聴いてみたい気はするが、これはこれで聴く価値のある録音だと思う。 30.リチャード・ヴァン=アラン×ジョゼフ・ルロー(仏/1) ヴァン=アランはかなり声をあらげていて、ちょっと意外なぐらい。けれどもそれがマイナスには決して働いていない。声も必ずしも全盛という訳でもないように思うんだが、それが却って大審問官の老醜ぶりをよく示していて見事。ヴルムみたいな重要な脇役に回ることの多いヴァン=アランらしい、手堅い仕事だと思う。ルローは悪役声で、役を選びそうなところがありそうだが、ここでのフィリッポでは自分の思いどおりいかない感じが出ていて良い。 31.ルイージ・ローニ×ニコライ・ギャウロフ(伊/1) 安定の名脇役ローニの登場。ここでは迫力という点では物足りないところもあるけど、深い美声だし、歌も芝居も手堅くて安心して聴ける。大スターではないにしても、こういうひとがきちっと脇を締めることで、出来上がってきてる名盤はたくさんあると思う(ローニで言うならムーティ盤『アイーダ』のエジプト王はとても素敵だ)。ここでのギャウロフは、他の録音に較べるとやや表現はおとなしめか。それでも十分すぎるぐらいなんだけど笑。 32.ルッジェーロ・ライモンディ×ニコライ・ギャウロフ(伊/1) ライモンディの大審問官は、昔は求められている声よりも音色がうんと高くて軽くていただけないと思っていたが、いま聴くと声の分の弱点を練り込んだ歌唱で補っていて、これはこれで見事。この人はやっぱり頭のいい歌い手だし、この頃の声の張りは捨てがたい。ギャウロフは、ここでは既に年齢的にはピークは過ぎてるようにも思うんだけど、役をしっかり薬籠中に収めてる感じがある。貫録十分な国王。ギャウロフが出てる他の音源に較べると、或る意味一番芝居くさくない、シンフォニックな感じの演奏(まあフォン=カラヤンだし)。 33.妻屋秀和×ヴィタリ・コヴァリョフ(伊/1) 妻屋がデカ声でしかもねちねちとした味付けで熱演していて、結構おっかないwwこの役に必要な圧倒的な迫力は持っている上に、かなり陰湿な大審問官の個性を打ち出しているあたり、日本人にもこういう歌手居るんだなあと唸らされる。けど、フィリッポはあんまり似合わないんだろうなぁ(笑)コヴァリョフは大審問官やった時と同様、ちと若々しい気がしないでもないけど、これはこれで悪くない。もうちょっとキャリアを積んで、どういう味を出していくのかが、とても楽しみ。 34.ロバート・ロイド×ロベルト・スカンディウッツィ(伊/1) ロイドは重心の低い、深い声でどっしりとした風格のある大審問官像を構築しているように思う。荒っぽい歌い崩しや派手な芝居をしないでその路線に照準を合わせており、しっかりとヴェルディの旋律を打ち出しているように思う。この人出来不出来は結構あるんだけれども、この演奏は良い。スカンディウッツィはここでも伝統あるイタリアン・バッソという感じで、品格は崩さないながらも情熱の籠った歌唱である。全体に非常に上品に仕上がってはいるんだけど、決して単にそれだけではない、味のある録音だ。 35.ジェロム・ハインズ×チェーザレ・シエピ(伊/1) 声が若々しい…と思ったら2人とも30代手前?!という衝撃。ハインズ29歳、シエピ27歳だってwwwなんでその歳でこの成熟…信じられないwwハインズは後年と類似した解釈が垣間見え、どっしりとした重厚な声もこのときからしっかり形作られている。ついでにテンポをミスってるのも晩年の演奏と一緒w意外とテンポ感がこの人のアキレス腱だったんだろうか…。シエピのダンディズムもこの時点で完成されている。ただ、やっぱり若いのは若いので、どっちかっていうとドン=ジョヴァンニのにおいがする。 36.フェルッチョ・フルラネット×ニコライ・ギャウロフ(伊/1) フルラネットは若い時だから、正直あんまり期待してなかったんだけど、思ったよりずっと良かった♪響きとしてはギャウロフよりも高めな気はするんだけど、致命的ではないし、丁寧に歌ってる。低音でもう少し凄めると大審問官としては迫力が出るんだけど、このひとは結局フィリッポ歌いになったからね。ここまで聴いてギャウロフは、もちろん年齢やそれによる解釈の違いも出てきてるんだろうけど、相手にかなり合わせてそれによって表現を大きく変えているような印象を受ける。共演回数もあるのかもしれないが、タルヴェラと一緒の時が一番演劇的で、荒々しい。 37.マイケル・ラングドン×ボリス・クリストフ(伊/1) ラングドンは表現自体は結構端正で、丁寧に歌っているんだけど、声自体にちょっとアクがあるので、一種独特の存在感がある。このため、クリストフがここでは他の録音と比べても演劇的な表現が多く、結構声を荒げたりしてるのだけれども、意外とラングドンが喰われすぎてない。むしろ結構2人のバランスがよく取れていて、これはこれでなかなかの佳演だと思う。ただ、圧倒的なド迫力対決、とまでは行っていないので、そういう意味ではちょっと物足りないと思う人もいるかもしれない。 38.ジョルジェ・クラスナル×ニコライ・ギャウロフ(伊/1) これは申し訳ないけどクラスナルは分が悪いなぁ…持ってる楽器のレヴェルが全然違う。クラスナルの声は単に高めなだけじゃなくて、かなり響きが薄いから音域的に声は出るんだけれども、ギャウロフには全く勝てない(^^;相手がまだギャウロフじゃなければどうにかなったような気もするんだが、さりとて誰になら勝てるかというと(苦笑) 39.パーヴェル・マノロフ×ニコライ・ギャウロフ(勃・伊/1) 珍盤さん来ちゃったよ…ギャウロフは伊語だけどマノロフはたぶん勃語wwwかつての欧州では自国語上演当たり前だからね…可能性としてはなくもないし、そういう全曲盤ナブッコも見たことありますが(^^;しかしマノロフ、歌自体は至ってまとも。ちゃんと声も持ってるし、表現だって悪くない。ギャウロフも、相手が違う言語で来てもきっちりやってて素敵。尤も、フル回転ではなさそうですが(^^; 40.ヤアッコ・リュハネン×ロバート・ロイド(伊/1) リュハネンは往年のタルヴェラを思い出すものすごく深くてぶっとい声なんだけれども、こうして聴くと意外と声自体は若々しい気もする。そして味付けは割と普通で、先輩タルヴェラのように盛大にぶちギレたりはしていない。ロイド、ここでの表現も手堅いは手堅いが、可もなく不可もなくといったところか。アリアがよかったのでちょっと期待し過ぎたかも。総じて悪くはないものの、近年ありがちな、演奏としては素晴らしいもののなんとなく冷たいものの流れているヴェルディといったところ。この作品の場合は、それもありだとは思うんだけどね。 41.ゲルハルト・フレイ×テーオ・アダム(独/1) この宗教裁判長、ダークホースでした(笑)フランツ・クラスを悪役っぽくしたような深くてぶっとい声で、タルヴェラみたいな感じのブチギレ系の演唱を展開していくんですが、まあこれが凄い迫力。ちょっとあくどすぎる気もしなくもないですが、ゾクゾクするような出来。対するアダムは性格的な役であたりを取ったのが良くわかる、人間的な表現のフィリッポ。その前のアリアのリート的な雰囲気すら漂う端正さとは対照的に、宗教裁判長への怒りを荒々しく表現していて、大変魅力的。ちょっと期待以上の満足感を得られる演唱でした。 42.ヴァレリー・ヤロスラフツェフ×イヴァン・ペトロフ(露/1) 2人ともいかにも露国らし力強いバスで、音域の広い役をこなしています。ヤロスラフツェフは、この役には少し声が輝かしすぎるぐらいですが、ペトロフを譲歩させるにはこれぐらいのパワーがないとままならない気もします。ペトロフはアリアもそうでしたが鍛え抜かれた逞しい声で、頑固で傲慢そうな国王。これもまた手に汗握る演奏です。惜しむらくは、声質が結構似ていてコントラストがあまりついていないところでしょうか。ヴェデルニコフやエイゼンの宗教裁判長でも面白かったかも。 43.クルト・モル×イェヴゲニー・ネステレンコ(伊/1) こりゃあ凄い対決!モルはいつもの独国の黒い森を思わせるダークな低音を地響きのように鳴らして圧倒的!この人はそもそもの声質が重厚だから最低音の力強さたるや凄まじいものがある。彼なら絶対に超強力な宗教裁判長をやって呉れると思っていたので聴けて本当に嬉しいし、しかも予想を超える大迫力で感激雨霰ですよ(笑)対するネステレンコも互角に応酬、ピークにあると思われる充実した声が千両役者と言って差支えない演技力が乗っかって、強烈なことと言ったら!歌唱的にも文句なし!最後の低いDの長い長い伸ばしは圧巻! 44.ニコラ・ザッカリア×ヴァルター・クレッペル(伊/1) ザッカリアは手堅い印象だけどもうちょっと頑張って呉れるかなとも思ってたりはした。それでも自らの言い分を頑に主張する感じはこの役らしくていい。クレッペルはこれの前のアリアが良かったからちょっと期待したけどまあまあかな~とは言ってもアリアも全体おしなべると平均的な印象だった気もするし、こんなもんかも。あ、でも決して悪い演奏じゃありませんよ!(←フォローになってない) 45.ジョヴァンニ・フォイアーニ×イーヴォ・ヴィンコ(伊/1) なんだこの謎の脇役バス対決はw世の中探してみるとこういう不思議なカードの録音が残ってたりするから音源漁りはやめられない!で、まあ中堅バス同士の対決だからまあこんなもんかなと思って聴き始めたらとんでもない大空中戦をやってのけててビツクリ!www何が凄いってのっけからふたりとも喧嘩腰という新しい展開wwwあんたたち最初から口論になるの見越してあってたでしょ?っていう勢いで、結局あまり和解した感じもないwお話し的にはどうなのかなとも思わなくはないけど、これはこれで面白かったです。 46.ジェームズ・モリス×ニコライ・ギャウロフ(伊/1) 第一印象同様ヴォータン対フィリッポ(笑)や、いい演奏だと思います。モリスも何処か抹香臭さのある声だからこの役は似合いますなwwそういえば『ラオールの王』での坊さんなんかも良かったのを思い出したり^^最低音出ないのは残念ですが、彼の音域だとしょうがないかな。ギャウロフの声は音色に衰えは感じるものの相変わらず威力は絶大。何より名手ふたりのやり取りが如何にも丁々発止で緊張感があります。 47.パータ・ブルチュラーゼ×ドミトリ・ベロセルスキ(伊/1) 大型歌手同士の対決で期待したんだけど、まあまあかな。意外と序盤穏やかで驚いたが、先に進むに従ってアクセルがかかっていく。ブルチュラーゼの声には強い芯を感じ、較べるとベロセルスキはちょっとぼけちゃってるかな。ベロセルスキについては最近の方がいいかもしれない。ブルチュラーゼは最近あまり聞かないけどまだ活躍してるんだよね?ちょっと聴いてみたいんだが。 48、マルッティ・タルヴェラ×ヨーゼフ・グラインドル(独/1) タルヴェラの声がかなり若々しく笑えますwっていうか独語のせいかもしれませんが普段そんなこと思わないんですけどがちょっと軽めに聴こえる。但し声そのものは圧倒的なもの。対するグラインドルは流石に全盛期は過ぎている感じですが藝で聴かせる出来。この曲を独語でもこれだけ自然に聴かせられる人はあまりいないのでは(事実タルヴェラには若干違和感がw)。全面対決の部分は思った以上に盛り上がって結構楽しめる音源だと思います。 49.マッティ・サルミネン×ルッジェーロ・ライモンディ(伊/1) いやちょっとこのサルミネンはすごい。録音で聴いても圧倒的な声の巨大さと邪悪さで耳がぴりぴりする心地。当たり役にしただけあってことばの捌きもお見事。コンサートでの歌唱とは較べものにならない強烈な大審問官。これに対してライモンディがまた全盛期でうまみのあるたっぷりとした美声に加えて役者っぷりを聴かせています。彼のフィリッポのベストだと言っていい歌唱。重量級同士の丁々発止の対決で、おもわず聴き入ってしまいます。 50.リチャード・ヴァン=アラン×ジョン・トムリンソン(英/1) 英語版ですよwwヴァン=アラン、録音の関係かこんな声だったかな?というぐらい声が軽い気がする。低音までしっかり出してはいるんだけど、もう少し凄味があったような…トムリンソンはかなり声を荒げていて迫真。ただ、ここまでやるとどうかな、という話はある。そしてヴァン=アランの声やトムリンソンの表現で英語で歌ってしまうとなんだかとってもミュージカルっぽいw折角二人とも実力者だし、普通に伊語で聴きたかったような気も^^; 51.妻屋秀和×ラファウ・シヴェク(伊/1) 妻屋、やや声量が落ちた気もしなくもないが重厚な声と存在感は素晴らしい。力業ではなく不気味な雰囲気でフィリッポを黙らせる迫力が見事。シヴェクがノーブルな空気を持っているところともよくバランスが取れている。最後の低音のロングトーンはお見事!ふたりとも声量もありいい勝負! |
“独り寂しく眠ろう”2012-09-26 Wed 22:55
G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』よりスペイン国王フィリッポ2世のアリア“独り寂しく眠ろう(Ella giammai m'amo)”の聴き比べ(2012.3ごろから実施)
161番目はキーロフの重鎮、ミンジルキーイェフ。 (2019.8.20現在/ミンジルキーイェフを追加) 聴いてみたい歌手はまだたくさん! <凡例>・歌手名(出身国/生没年/歌唱言語/聴いた録音の数) ・アーウィン・シュロット(宇/1972~/仏語/1) デビュー・アルバムだからかもしれないが、声も表現もフィリッポには若過ぎ。悲劇の老王という雰囲気がしない。なんというか、少なくともこの時点では、ヴェルディの諸役にはあまりあっていないような印象を受ける。 ・アスカル・アブドラザコフ(露/1969~/伊語/1) 録音が悪いのでちょっと判断しづらいところもあるのだけれど、全体にしっとりとした雰囲気を出していてなかなか悪くないと思う。凄んで欲しいところはきちっと凄んでいるし、彼がフィリッポを歌うというのであれば、聴きに行きたい。予想以上に満足。 ・アドリアン・ルグロ(仏/1903~/仏語/1) 仏もので活躍したこの人らしい丁寧な歌。ドラマ性はあまり感じさせないので食い足りなさはあるものの、不満足な内容かというと、楽譜に対してとても真摯で好印象。思ったよりもどっしりとした深みのある声もよくあっていると思う。 ・アナトーリ・コチェルガ(烏/1947~/伊語/1) 若いころの声だということもあってか、ちょっとバリトンっぽい。この歌はやっぱりしっかりしたバスで歌って欲しい曲なので、むしろ今の歌を聴きたい。スカラ座で来日して歌った宗教裁判長などは、声全体の迫力がうんと増していた。 ・アラスタイアー・マイルズ(英/不詳/仏語/1) グラントペラとしての『ドン・カルロ』を考えるなら、こういうアプローチになるのかな、という感じ。全体にしっとりと柔らかく作っていて、がなり立てるのよりはずっと良いが、もう少し濃い味付けをしてもよいのでは?この人の適性はやっぱりロッシーニとか柔らかいものにある気がする。 ・アルテューン・コチニアン(アルメニア/不詳/伊語/1) 東欧っぽい厚みのある声でありながら、癖やアクが少ない感じ。この深みは耳に心地よい。歌作りもとても端正かつ芝居をいい具合に挟んでいて、ふつふつと哀しみがこみ上げる感じがして◎方向性はすごくいい気がするので、もう少しこれでパンチが効けば…というのは望みすぎ? ・アレクサンドル・ヴィノグラドフ(露/1976~/伊語/2) 声の熟成をじっくり待っていた甲斐があってか、響きが大変心地よい^^歌には彼らしい知的なコントロールと計算が感じられ、端正でことばの扱いも見事なもの。後半に向けてしっかり盛り上がるペース配分もよい。敢えて言えばもう一声ドラマティックさが欲しいが、これからの歌いこみで開拓されそう。実力の割にこれまで大きな話題になっていないが、今後が益々楽しみ! (追記2015.10.2) もういっちょ仕入れました。先に聴いた演奏でも初役とは思えない充実度だったが、更に攻めた演奏と言っていいのではないだろうか。見えを切る場面での溜めや僅かな崩しなど全体に演劇的な方に表現のアクセルを入れているようだ。ものの数回でこれだけ彫り込むというのは、やはりこの人ただものではない。 ・アレクサンドル・ヴェデルニコフ(露/1927~/露語/1) 露勢の中でもとりわけ癖のある御仁が露語で歌っているということもあり、まあ大方の予想通りほぼボリスです(笑)dormiro solo...は声こそ落としておますが力強さを感じ、落胆しているというよりは毅然とした印象。見栄の切り方とかは流石に堂の入った格好よさで、とりわけ最後の苦々しさは味わい深いものがあります。 ・アレクサンドル・ピロゴフ(露/1899~1964/露語/1) ボリスで鳴らした人だし露語歌唱と言うわけでボリス的な大芝居な歌かと思いきや、物凄く訥々と哀しみを歌い出していて実にいい!寂莫感がじわじわと沁み出ていて、愛されぬ権力者の孤独を感じる。流石は露バスきっての演技派、派手なことをしないでもこういう風にできるとは。ヴェルディっぽくはないが、歌として素晴らしいもの。 ・アンドレア・シルヴェストレッリ(伊/不詳/仏語/1) 伊人なので伊語かと思ったら仏語ですた。しっかしこれはまたアクの強い声だなぁ(^_^;)アッティラとかならありだと思うけどフィリッポはちょっと…野性味ありすぎと言いますか。歌そのものは演技も含めて普通かな~。 ・アントン・ディアコフ(勃/1934~/伊語/1) ボリスのヴァルラームとかサムソンの老ヘブライ人とか、脇に回っていい味出してるイメージが強い人だったのですが、これがなかなかの出来。芝居と歌とのバランスが巧く取れていて、どちらを重視しても不満のない出来に仕上がっていると思う。これが行き過ぎると品がなくなっちゃうんだと思うんだけど、巧く寸止めしている。もっとこのひと重視されてもいいかもしれない。 ・イーヴォ・ヴィンコ(伊/1927~/伊語/1) このひとも名脇役で、フェランド(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)を歌わせたら右に出るものはいない人。渋みのあるいい声で結構好きなんだが、このフィリッポはちょっとべったり歌いすぎな印象。もう少しメリハリつけられるひとの筈なんだが、大きい役でちょっと気張りすぎたかな。とはいえフィリッポの頑迷な感じは出ていて、そこはいいと思う。 ・イヴァン・ペトロフ(露/1920~2003/伊語・露語/4) この人らしい格調高い、端正な歌づくりで大変好ましいと思う。しっとりとした声色で欲しいところ、激しい嘆き節で欲しいところ、怒りを顕わにしたところなどそれぞれうまく表現している。ただ、露語歌唱だからかもしれないけど、ボリスみたいに聴こえてくるのは…笑 追記:伊語歌唱手に入れました♪この人らしいきちっとした歌づくりはやはりここでも生きているけれども、やはりこの歌は伊語で歌われるのがよいと実感笑。 更に追記:全曲盤(露語)を手に入れました。全体の流れの中で聴くと“権力者の悲哀”というよりは“悲劇的状況下でも傲岸な権力者”というような印象。非常に力強くてしめやかに嘆いてる感じではないんですね、むしろいまに見ておれよ、というような(笑) ・イェヴゲニー・ニキーチン(露/1973~/伊語/1) ひさびさに若い人(笑)味のあるいい声で真摯に歌ってる感じは好感が持てる。特に“Dormiro solo”からはじっくり歌っていて悪くない。ただ所謂聴かせ処でない場所でちまちま盛大に外すのは…ちょっといただけない^^;もうちょい歌い込んだあとのを聴いてみたいところ。 ・イェヴゲニー・ネステレンコ(露/1938~/伊語/2) ペトロフ同様感情表現豊かに歌っていながら、あまり崩すことなくフィリッポの複雑な思いを表出していて大変見事。特にこの歌で最も有名な“Se il serto regal…”から一気に音楽的にも、演技としても盛り上げていっていて、聴く者をぐっと惹きつけるところはとても良い。 追記:新たな音源を入手!先に聴いていたもの以上かもしれない。彼が如何に優れた歌手かがわかる名唱で、王の悲哀と怒りと迷いが入り交じった複雑な感情が表現されている。演劇的になるところはより粗っぽくなってるんだけど、そこはまたそこでいい!聴衆が熱狂するのもよくわかる! ・イタロ・ターヨ(伊/1915~1993/伊語/1) 演技巧者らしく声色を使い分けたり、役になりきろうとしている感じはすごくあるんだが、ちょっと芝居し過ぎか。声を揺らしたり荒げたりといった部分が、ここではやや狙い過ぎな感がある。巧いとは思うんだが、もっと素直にヴェルディの旋律を歌った方がいい箇所がちらほら。 ・イルジー・オスタピウク(波/1936〜2018/波語/1 ) ここに来て知らない言語で歌っているものに出っくわすとは笑。スラヴらしい渋みのある響きがお国ものや露もので活きる人なので期待して聴いたのだけど、ちょっと無難な歌に終始してしまっている感じ。綺麗に歌っているのだけれども淡白なのよね……自国語に変えていてもグラインドルとかベルマンみたいに歌っているものもあるのでちょっと残念賞かな。 ・イルダール・アブドラザコフ(露/1976~/伊語/1) アスカルの弟。若い声・若い表現だし、それ故もう一歩踏み込んでほしいと思うところもあるんだが、狙っているところは悪くないかと。この歌は非常に難儀なものではあるが、やはりバスは彼みたいな深みのある低音が出せるだけで、ちょと印象が違う。 ・ヴァルター・クレッペル(独/1923~2003/伊語/1) モーツァルトやヴァーグナーなど独ものの縁の下の力持ちイメージの強い人でしたが、丁寧な歌い口とこちらも味のある声で好感が持てます。全体的にはまあ普通の歌唱ですが、この曲のミソのひとつである、最後に繰り返す冒頭と同じフレーズの処理を強弱表現ばちっと決めて呉れていて高感度UP! ・ヴィタリ・コヴァリョフ(烏/1968~/伊語/1) 大変立派な声で、丁寧に、そしてよく歌っている。ただ、それだけでは十分に満たされないのがこの歌の、そしてこの役の厄介なところ。少なくとももっとダイナミクスがつくだけで印象が変わると思う。 ・エツィオ・ピンツァ(伊/1892~1957/伊語/1) 往年の名バス。よく録音が残っていたと思う(笑)後の伊国のバスに引き継がれていく部分だと思うんだけど、旋律線を大事にして演技を挟み込み過ぎない非常にスタイリッシュな歌には好感が持てる。ただ、フィリッポには声質が必ずしも合っていないような気がする。 ・エツィオ・フラジェッロ(伊/1931~2009/伊語/2) なかなかいい声だし、崩し過ぎずにきちんと歌ってるようには思うんだけど、中盤のじっくり歌って欲しいところがちょっと拙速すぎな印象…これはでも指揮のせいもあるのかな…とも思ったんだけど、明らかにフラジェッロ走ってるもんな(^^; 追記:別録音を手に入れたら、あらあらこちらのが音質はいいし出来自体もこっちの方がうんといいじゃない(笑)彼も米国で活躍した人ではある訳だけれども、ここでは変にドラマティックには流れず、きっちりと歌っている感じで非常に好感が持てる。上記と違ってじっくり歌って欲しいとこもちゃんとじっくりやって呉れてるし笑。 ・大橋国一(日/1931~1974/伊語/1) 国際的に活躍したものの、42歳で夭逝した昭和のバス歌手。初めて聴きましたが穏やかな声で丁寧に歌っていて好感。崩しも少ないし、非常に気に入りました^^ただ、一方でちょっとこれだとフィリッポがあまりにも穏やかなひとになってしまう気がしていて、こんなにできたやつじゃないよと(笑)ヴェルディで言うならどっちかっていうと『運命の力』の修道院長とかのが向いてるかも。録音探してみようかな。 ・岡山廣幸(日/1948~/伊語/1) なんとなく声がくぐもった感じなのが気になるな、歌そのものは結構丁寧に歌ってるんだけど。あともう一息起伏がつけばちょっと印象が変わる気もするんだが、なんとなく平板な印象になってしまっている気がする。 ・オルリン・アナスタソフ(勃/1976~/伊語/1) 初来日の際にバスなのにすごく話題になっただけあって、非凡な才能を感じさせる。深々とした声も耳に心地よいし、狙いどころもきちっとしている。ただ、彼が狙っている路線で行くには、まだ彼は若さを感じるところがあって、今後の歌を聴いてみたいところ。 ・カール・リッダーブッシュ(独/1932~1997/伊語/1) 立派な声でしっかり歌っているし、熱演だとも思うんだけど、なんかしっくりこないという非常に不思議な印象。彼のレパートリーから言えばものすごく歌いこんでる歌でもないと思うし、やっぱりどこか勘所にうまく嵌っていない感じを受ける。 ・カルロ・コロンバーラ(伊/不詳/伊語・仏語/2) 思い入れたっぷりに歌っているし、ピンツァ以来脈々と繋がるイタリアン・バスらしい端正な歌いぶりだとは思うんだけど、思うんだけど…なんというか若々しすぎるんだよね(苦笑)なんかルーナ伯爵とかだったら全然問題ないんだけど(音域違うけどね。) (追記)2014.9.7 実演仏語で聴きました。しっとりとした哀しみの空気を出していて悪くはなかったのだけれども、思ったよりぐっとは来なかったかなあ。たぶん伊語のが良かったのは確か。でも〆方は流石にうまくて、引き込まれた。 ・カルロ・ザルド(伊/不詳/伊語/1) 伊声では全然ないのだけれど、ちょっとスラヴっぽい声の深みがあってなかなか美声。ただし、ヴィブラートきつ過ぎと言う意見もありそう^^;ちょっと芝居が多い気がしていて、もうすこしすっと歌った方がこの歌の魅力が出るような。声質もあってなんかボリスみたいなんだよね、伊人のくせにwww ・カルロ・レポーレ(伊/1964~/伊語/1) ブッフォのイメージが強い人だけど、深みと味わいのある声で結構手堅く纏めている印象。もっと藝達者に演技を挟んでいくかとも思ったんだけど、かなり整った丁寧な歌。ただ、アリア集で歌ったよっていうところからは出てないかなあ。ライヴとかだったら一皮剥けるんじゃないかという地力は感じるんだが。 ・カレル・ベルマン(捷/1919~1995/捷語/1) このひとの声が捷語にピッタリと合っていて、思っていたほどの違和感がない。どころか、意外なぐらいその捷語歌唱がヴェルディの旋律にしっくりきていて、大変いい味を出していると思う。これはなかなかの掘り出し物ではなかろうか。 ・キム・ボルイ(芬/1919~2000/伊語/1) 芬国のバスの草分け的存在のこの人も、歌づくりが実直でなかなか好き。結構芝居してるなと思うところもあるんだけど、それがいちいち的確で嫌味にならない。割とバリトンっぽい響きのある声ではあるんだけど、それでも老年の印象をちゃんと与える。 ・グウィン・ハウエル(英/1938~/伊語/1) 英系(ウェールズですね)のバスによくあるちょっと籠った響きの声で、好き嫌いは別れそう。とは言え自分としては堂々とした威厳を感じさせて好みではある。ただこの歌ではやや立派すぎて尊大な感じが前に出てしまい、悲哀が引っ込んでしまってる印象。哀しみは伝わってくるのだけれど。 ・グザヴィエ・ドゥプラ(仏/1926~1994/仏語/1) 仏流グラントペラとして歌ったらこの歌はこうなる、というお手本のような歌唱。深いけれども柔らか味のある音色の声が耳にとても心地よいし、歌い方も丁寧で好感が持てるけど…まったくヴェルディっぽく聴こえないというのはちょっとどうかとも思う笑。 ・ 久保田真澄(日/不明/伊語/1) 以前実演を聴いたとき(ロッシーニのバルトロだったかな)にあまり良くなかったので期待値低かったのですが、これが期待以上の熱演。といっても、崩し過ぎて下品になることなく、いいバランスを保っている。声も若々しく枯れきっていないフィリッポと言う感じ。 ・クリストフォロス・スタンボリス(希/不詳/伊語/1) ここまで聴いてきた他の歌手に比べるとネーム・バリューがガクンと落ちてしまうのも頷ける感じで、出来が悪いとかどうとかっていう前に凡庸な印象。ただ、最後のしっとりと歌って欲しいところとかはごくごく丁寧に扱っていて、そこはとても良かった。 ・クルト・モル(独/1938~/独語/1) 底知れない深さを持つ、独特の美声がまずはやはりこの曲の良さを引き出しているのは間違いない。しかしそれ以上に数々のオペラで主役から脇役までさまざまな役の第一人者として認められているひとだけあってその表現力たるや。完全に自分の世界の音楽に引き込んでいる。 ・クルト・リドル(独/1947~/伊語/1) 独人が伊語で歌ったものの中ではダントツに良い出来だと思う。100を超えるレパートリーがあると言う芸達者な歌手だけあって、ヴェルディの諸作品の勘所もきっちり押さえてるんだろうな、という印象。ここまで聴いてきた中では結構気に入っている方。 ・コヴァーチュ・コロシュ(洪/不詳/伊語/1) 洪国を代表するバスだけあっていい声だとは思うんだけど、なんか音楽全体がのっぺりとした印象。これは単にテンポが間延びしてるというだけじゃなく、歌自体が淡々としていることに由来しているように思う。アリア集からなので、本気歌唱を聴いてみたい。 ・ゴットロープ・フリック(独/1906~1994/独語/1) この人のドスの効いた声はフィリッポの威厳を表すのに適していると思う。数々の悪役や道化役をこなした芸達者な彼らしく、その表現は並々ならぬもの。よい意味で大変恰幅の良い歌唱。ただ、彼が敵わないような宗教裁判長があまり思いつかないのが、欠点と言えば欠点か(笑) ・斉木健詞(日/不明/伊語/1) この人も期待以上の良い歌唱!いい意味で粗っぽい感じのある美声で情感豊かに歌う。基本的には崩しを入れたりはそんなにしていないのだが、フィリッポの怒りや葛藤がじんわりと伝わってきて味わい深い歌唱。下手な外人勢よりもいいと思う。 ・サイモン・エステス(米/1938~/伊語/1) なかなかいい声だし、ちゃんと歌っているとは思う。が、これは表現のせいかどうかよくわからないんだけど、なんか凄く悪役の歌っぽく聴こえるのは私だけだろうか(^^;フィリッポはすごく嫌な奴だとは思うんだけど、決して単純な悪役ではないので、これはちょっと疑問。 ・サミュエル・レイミー(米/1942~/伊語/1) 米国を代表する歌手としてさまざまな役で高評価を得ていて、私も大好きな歌手なんだけど、ここでのこの歌はどうなんだろう?えらい無難すぎる気がする。ものすごく朗々と歌ってはいるんだけど、フィリッポの複雑な性格をここからはあまり感じさせないような気がする。もっと悲哀が欲しい。 ・ジェームズ・モリス(米/1947~/伊語/1) このひとの歌は良かった!もっと大味で、悪い意味でアメリカンな味付けの歌唱が来るのを予想していたが、弱音を巧みに用いて繊細な歌唱をしているので驚いた。実はこのひとってネーム・バリューの割にあんまりピンと来ていない歌手の一人だったんだけど、これでかなり見直した。苦手なヴァーグナーをレパートリーの中心に据えている人だけど、今後ちょっと集めてみようかと思う。 ・ジェロム・ハインズ(米/1921~2003/伊語/2) どちらの録音もライヴだということもあって大熱演。“Se dorme il prence…”のところでドラマティックに声を荒げる歌唱は多いものの、全体に怒りを前面に押し出している解釈はあるようで意外と少ないと思う。もちろん嘆き節がないわけではなく、盛大に嘆いてもいる訳だけれども笑。日本ではこの人どういう訳だか無名だけど、もっと人気が出ていい歌手だと思う。 ・シモーネ・アライモ(伊/1950/伊語/1) 彼もベルカント系のひとだけにバスながら高音までのびやかに出るなぁという印象。そこはいいんだが全体に声質がかなり軽めなので、この役に欲しいドスであるとか老いであるとか言った要素には不足しているような気がする。歌そのものはかなり巧いと思うのだけれど。たぶん全曲は歌っていないんだろうな。 ・ジャコモ・プレスティア(伊/不詳/仏語/1) ハインズがかなり動的な熱演であるのに対して、こちらプレスティアはぐっと静的な演奏。そのうえ仏語、というとグラントペラ的でヴェルディの影が見えない演奏のようだけれどもそうではなくて、さまざまな感情を抑えつつ、それでも嘆かずにはいられないフィリッポの姿を感じる。きっちりヴェルディしてるわけです笑。 ・ジャック・マルス(仏/1926~2003/仏語/1) 仏人の仏語による演奏というとグラントペラ的なアプローチをしそうだし、このひとの宗教裁判長も割とそういう演奏だったので、そういうイメージで聴いたらこれが大違い。えらいしっかりしたヴェルディ(仏語だけど)をしていて、大変興味深かった。 ・ジュール・バスタン(白/1933~1996/伊語/1) 予想外に伊語歌唱ですが、彼は伊語も巧いからね。やわらかで軽い声を活かしてウェットな表現をしていて、しみじみとした哀しみが伝わってくる歌唱。ただ、やや気が弱いと言うか本当はそんな悪いひとじゃないんだよね?って言う感じが前に出過ぎなのはどうかな。フィリッポはもっと押しの強い傲慢な人物ではないかと思うのです。 ・ジョルジョ・トッツィ(米/1923~2003/伊語/2) ライヴ盤だというのもあるんだと思うんだけれども、かなりドラマティックに歌っている感じ。非常に演劇的な歌なので、ちょっと好みはわかれるかも。ヴェリズモじゃなくてヴェルディなんだからもっと旋律を大事にしてほしいという気もする。けど迫真の大芝居だし、これにはこれでいいところがあるとも思う。 ・ジョゼフ・ルロー(加/1929~/仏語/2) このひともヴェルディの作品ではなく仏国の、グラントペラのひとつとしての『ドン・カルロ』って言うのを考えた時には、理想的な歌唱なんだろうとは思う。悪役っぽい声だけど、哀れな感じも十分に出しているし。ただ、もうひとつパンチが欲しいような気もする。 (追記)2014.7.20 アリア集を入手。同じく仏語歌唱。全体の印象は大きく変わらないが、こちらの方が芝居をしているような。改めて聴いてみると、仏語ながらに結構ヴェルディらしい歌を歌ってますね^^ ・ジョン・トムリンソン(英/1946~/英語/1) まさかの英語版www冒頭からいきなりShe has no love for me...!でずっこけるけど、歌自体は流石にしっかり歌っていて、何故伊語や仏語でやらなかったよと^^;しっとりした雰囲気はよく出していて、どっちかっていうと仏語版的グラントペラ風アプローチで歌っているような印象。ただ実演だとむちゃくちゃ声量あるらしいけど、録音だと乗りづらいのか声の輪郭がぼけちゃってるのが残念。 ・ジョン・ハオ(中/不明/伊語/1) 良く考えて、良く練って歌っている印象。ただ、何というか声の響きに流されてしまっているような感じのところがあるような気がする。切った後に自分の声の響きに酔っているというか、もう少し切る部分の音の処理がうまく行けばよいのだが。 ・ステファン・エレンコフ(勃/1937~1997/伊語/1) バスにしては明るめの、しかりしっかりとした美声だとは思うのだけれども、どうも全体に表現がのぺっとし過ぎているように思う。全体にダイナミクスに乏しく、淡々と歌っているような印象を受けるのは、アリア集用に録音したからだろうか。 ・スピロ・マラス(米/1933~/伊語/1) 割と脇を固める中堅のイメージの強い人だったんだけれども、なんのなんの立派な歌唱。勘所をよくとらえた、うまみのある演唱だと思う。正規の録音にあまり恵まれず、シュルピスやオローエあたりしかないのはちょっともったいない気がする。このフィリッポも音の悪いピアノ伴奏ではない録音が聴いてみたい。 ・セーケイ・ミーハイ(洪/1901~1963/洪語/2) これもレアな言語で歌ってはいるものの、アリアとしての聴かせ方をよく心得た立派なもの。哀感を感じさせる声質からしてフィリッポへの適性を感じるし、しっとりとした歌いぶりも見事。クリストフの代役に選ばれただけの実力が窺える(結局そのあとシエピになったわけだけれども)ただ、ベルマンとは逆にこの人の場合は伊語での歌を聴いてみたかったと思う。このひとも録音が少ないのが大変残念。 ・セルゲイ・アレクサーシキン(露/不詳/伊語/1) いかにもスラヴっぽいふっとい声がまずは大変良い。そして歌自体もドラマティックだし、盛り上がりにも事欠かず、嫌いではない。ただ、声にしても歌にしても露色が非常に強い。露語で歌ってるペトロフよりもボリスっぽく聴こえるところがあるww良くも悪くも露流儀と言ったところか。 ・高橋啓三(日/1946~/伊語/1) かなりヴィブラートのきつい声で私の好みからは外れる…結構盛大に演技を入れてるんだけど、そのヴィブラートと相俟ってなんとも。もっと美しい歌のラインを作って呉れたらまだ印象が違うのだけれども。 ・タンクレディ・パゼロ(伊/1893~1983/伊語/1) このひとも良く録音が残っていたなという古の大歌手。ピンツァよりも声質的にはフィリッポに合っているような気がするが、なんか意外とサクサク音楽が進むので、もうちょっとゆったり歌って欲しい(まあレコードで音が録れる時間の制限があったんだろうけどね)。最初平板な印象を持ったんだけど、もう1回聴いたらそうでもなかったww ・チェーザレ・シエピ(伊/1923~2010/伊語/3) 決して大芝居はせず、むしろ終始徹底してpでしっとりと、そしてじっくり歌ってる。それだけでフィリッポの底知れぬ孤独と哀しみを表現してしまう凄まじさは、まさに特筆すべきもの。普通の歌手がこれをやったら淡々と歌っているだけの演奏になってしまうけれども、そこにヴェルディらしい熱さと力強いドラマが込められている。昔は声質自体はフィリッポに必ずしも合ってないような気がしていたが、そんなこと全然ないねwww ・妻屋秀和(日/不明/伊語/2) もっとでっかい声の力押しでくるのかと思ったが、意外と柔らかく歌っていてちょっとびっくりした笑。しっとりと美しく歌っているが、改めてフィリッポを聴いてみるとやや響きがぼわっとして焦点が合わない感じで、ヴェルディ向きじゃないような気も。だから逆に言うと宗教裁判長なんか似合うのかもww何はさておき立派に歌う日本人がいるのは嬉しい^^全曲公演とかやらないかな…演奏会形式でもいいからw 追記:若い時のを聴いてみたが立派なもの。ちょっともこもこするのがこの人の欠点なんだけど、ここではもたつくこともなく、じっくりと聴かせて呉れて◎ ・ディミテル・ペトコフ(伊/1938~/伊語/1) おそらく彼の伊或いはヴェローナデビューとなった公演の録音でかなり若いころのもの。そのせいもあってか、ちょっと緊張気味のようで、頑張っているのはわかるし、勘所を外しているようには思わないのだけれど、なんというかとても無難に聴こえる。彼ももうちょっと歳行ってからの録音を聴いてみたい。 ・テーオ・アダム(独/1926~/独語/2) 独国を代表するバス・バリトンらしく、あたかもドイツ・リートのような端正さを以て歌われた録音。非常に真摯に、丁寧に歌われており、純粋に音楽として、歌として優れたものであるのは間違いないと思う。ただ、これをヴェルディかと言われると…ヴェルディではないwwヴェルディに欲しいある種の熱っぽさからはほど遠い。それでもこれだけいい音楽になるのか、という意味で面白い。 (2012.12.30追記:ライヴ録音を入手。流石にここではよりオペラティックな表現になっているけど、基本的には同じような路線かな。もっと悪役っぽくなるかと思ったら、意外と人間味を感じる歌でした。相変わらずヴェルディっぽくはないけど…笑) ・ドナルド・グラム(米/1927~1983/仏語/1) 仏語だが、良くも悪くも外国人が仏語で歌ったらこうなるよって言うような感じ。言い換えるならばエレガントな感じはやや落ちるがヴェルディ的な色合いは強いといったところか。全体には大感動はしないが悪くない。ある意味教科書的スタンダードさではあるのだが、うーん、もう一声かな。 ・ドミトリ・ベロセルスキ(烏/生年不詳/伊語/2) 声からはスラヴの新星という雰囲気が出ている。声量もかなりありそうだし、非常に深い声で、歌い出しを聴いてワクワクするぐらい。ただ、現状歌い回しがそこまで巧くない、というか単調な部分も見られるので、これからに期待か。いや、かなり期待できると思う! 追記:もう1個仕入れたが、このひとはやっぱり大器だ!深くて幅のある美声はかつてのギャウロフやクリストフのようなスケールの大きさを感じさせるし、最初の音源よりもぐんと表現が深い!これは楽しみな人が出てきた♪ ・トム・クラウゼ(芬/1934~/伊語/1) バスではなくバス・バリトンなので、実はあんまり期待しないで聴いたんだけど、結構切々とした表現で悪くない。と言うか考えてみればヴァン=ダムもそうか。音色が暗めなのが幸いしているのかも。もうちょっとドラマティックに歌って呉れてもいい気はするけれども。 ・戸山俊樹(日/不明/伊語/1) 結構深めの声で丁寧に歌ってるんだけど、それ以上にこれといった特徴がないような^^;端正なのは好感が持てるのだけれども。この人ももう少し起伏があった方がいいと思う。 ・中村邦男(日/不明/伊語/1) 結構あくの強い声で好き嫌いは別れるかも。正統派の美声と言うよりはバルカンや露国の人のような声。歌自体も丁寧ではあるが、穏やかで音楽的な大橋と較べるとうんと演劇的で、同じ日本人でもだいぶ違うなと言う印象。フィリッポのキャラクターを考えると、実演だったら結構いいのではないかと。 ・ナッザレーノ・デ=アンジェリス(伊/1881~1962/伊語/1) 彼もまた古の大バス。メフィストやモゼみたいな役を当たり役にしていた人だけあってものすごく役に入り込んだ演唱。見方を変えればものすごい大芝居(笑)かなりアッついヴェルディをやってるとは思うんだけれど、この大芝居をくさいと思ってしまうと鬱陶しいかもしれない。 ・ニキータ・ストロジェフ(露/生年不詳/伊語/1) 重厚ないい声。普通割と静かに始める歌い出しを勢いよく歌っていて、これはこれで堰を切ったように想いを吐露しているように聴こえるという効果があるなと。全体にはまあ平均点なんだけれども、立派な歌唱ではあると思う。 ・ニコラ・ギュゼレフ(勃/1936~/伊語/3) 勃国を代表するバスで、いい録音もたくさんあるんだけど、何故か私の持っているふたつのこの曲の録音はいま一つ。全体になんとなくのっぺりとしてしまっていて、一本調子に聴こえる。表現にしてもダイナミクスにしてももっとメリハリがつけられるはずの人なんだが。。。 追記:新たに御年69歳の時の録音を入手!あら、若い時のアリア集の時より全然いいじゃないwwもう少しダイナミックな方が好みではあるけれど、この歌が本来持ってる筈の起伏をしっかりとつけられている。 ・ニコラ・ザッカリア(希/1923~2007/伊語/2) 「カラスの共演者」で片づけられてしまうことの多い人ではあるのだが、なかなかどうしてこの録音はとても良い。もともとちょっと独特な美声を持っていながら、結構スタンダードな表現をする人だと思うんだけれども、そのスタンダードな表現をする人の範疇で言えばかなり上位に来ると言ってよいのでは。もっと注目されてよい。 ・ニコラ・テステ(仏/1970~/仏語/1) ダムラウの旦那さんですね。母国語の仏語歌唱で、力みのないいかにもな優美な歌唱。一方でこういうタイプの声は仏人には割と珍しい印象。どっちかっていうとスラヴっぽい倍音のある美声にうっとり。ただもう一歩踏み込みが足りない感じもあるのが歯痒くもあるのだけど。。。 ・ニコラ・ロッシ=レメーニ(伊/1920~1991/伊語/3) この人も評価が必ずしも高くない人ではあるんだけれども、勘所もしっかり押さえているし、技術も高い。ちょっと技術を見せすぎで音楽が止まりそうな箇所もあるものの、息の長さとppの巧さは特筆すべき。対してfはかなりドラマティックでコントラストも効いてる。エンターテインメント的な歌唱だということもできるのかもしれない。あざといと思う人もいるだろうけど、個人的には結構好き。 ・ニコライ・オホトニコフ(露/不明/伊語/1) 露国っぽいけれどもいい声で、きちんと歌ってはいる。ただ、キーロフの他の歌手たちとの合同アリア集だからなのかなんなのか、ちょっと歌い飛ばしているような感じがするのが残念。全曲ライヴとかだともっといいんじゃなかろうか。。。 ・ニコライ・ギャウロフ(勃/1929~2004/伊語/11) 私が最も好きな歌手だということはもちろんあるんだろうけれども、やっぱりこのひとが一番しっくり来る。類い稀な美声、決して誇張し過ぎず旋律を描きながら、単なる譜面に堕さず、悲劇の老王の孤独を表現する技量…どこをとってもこのひとが一番フィリッポになりきっていたように思う。演技や力みの入るところも絶妙で、恣意的にならない。このひと以上のひとは今後出るんだろうか… 追記:更にいくつか音源を入手。改めて聴いてみると、このひとのこの歌は、時代を追ってかなり魅力が変わっているように思う。若い時は豊かな声で、年を経てからはその歌の巧さで聴かせる。どちらが好きかと言われれば…どっちも好きだなぁww ・ノーマン・トレイグル(米/1927~1975/伊語/1) ギャウロフの後だと分が悪いとはいえ…ちょっとぐずり過ぎて芝居が臭すぎる。おまけにテンポもぐずぐずになっているところがあるので、これはちょっといただけない(^^;いい声ではあるんでメフィストとかは素敵なんだけれどもね、この人も。 ・パータ・ブルチュラーゼ(グルジア/1955~/伊語/1) とんでもなく深い美声。いい声なの間違いないですが、何しろ非常にでかい声wwwただその兎に角でかい声をもう少しうまいこと使ってダイナミクスの変化をつけたり、嘆いてくれたりしてもいいと思うんだけど、そこがちょっと単調。ま、デビュー・アルバムに近いから、もうちょっと年取ってからの録音があったら観てみたいところ。 ・パウル・シェフラー(独/1897~1977/伊語/1) アルマヴィーヴァ伯爵やドン・ピツァロみたいな役をやることの多いバリトンの歌手ではあるんだけど、思ったより違和感はない。改めて音域の広い、というかバスには音の高い曲なんだなと思う。この人の歌唱についてはまあ無難なところという感じ…やっぱりバリトンのひとがちょっと歌ってみました、って感じではある。 ・パオロ・ペッキオーリ(伊/不詳/伊語/1) 『チェネレントラ』のアリドーロが良かったイメージだからもっと軽い声が来るものと思って聞いたら意外と深みとコクのあるしっかりした声。特に変わったことをしている訳でも芝居を多用している訳でもなく、さらに言えばフィリッポには明るい声なんだけど、しみじみうまいなあと思わせる歌心のある演奏。間の取り方とかにセンスがあるんだと思う。 ・パオロ・ワシントン(伊/1933~2008/伊語/3) このひとも中堅どころのイメージのあるひとだったんで、そんなに期待してなかったんですが、予想よりずっと良かったです!やっぱり中堅で長いこといろいろな役をこなしているひとというのは、歌の勘所というか狙いどころがよくわかってるんだな、と。もう少し録音を集めてみたくなりました♪ 追記:新たな録音を聴いてみましたが、ここでも印象は変わらず。安定のバランス感覚で楽しめました! ・バルセク・トゥマニャン(アルメニア/1958~/伊語/1) 独特な声の響きで好き嫌いは分かれそう。アクの強い役では割と活きていると思うので、どうかとも思ったんだけど、これに関しては割と普通な歌づくり。どこ取り上げて悪いというわけではないんだが、もう少し踏み込んでもよかったのではないかと思う。 ・ハンス・ホッター(独/1909~2003/独語/1) 声の印象としてはシェフラーと近いんだけど、もっとバス。ヴァーグナーのイメージが強い人だから正直どうかなと思ってたんだけど、これは全くの杞憂。考えてみればヴォータンだってフィリッポだってどちらも「王(それも身勝手で人間臭いw)」なんですよね。ただイイんだけど、アリア集用に歌ってる感じは拭えないので、このひともライヴを聴きたい… ・フェルッチョ・フルラネット(伊/1949~/伊語/2) 若いときのと最近のとふたつ聴いたけど、このひとぐらい断然歌がよくなったひともいないのでは?という印象。カラヤン指揮の録音では声はいいんだけど表現としてはいま一つの感が否めなかったが、最近の録音では美感の崩れる限界で孤独な国王の苦しみを表現している。いま、一番聴きたいフィリッポ! ・フョードル・シャリャピン(露/1873~1938/伊語/1) ピンツァやパゼロと同様に録音が残っているのが奇蹟ともいえるような録音。ボリスでの大芝居で知られた人なんで、そういう感じかな、と思ったらやっぱり予想通りのボリス風大芝居フィリッポ。もちろんボリスとフィリッポでは全然音楽が違うので、そこはもちろん彼的には雰囲気を改めてますが…ま、彼の藝風だからねぇ(^^; ・ブラト・ミンジルキーイェフ(露/1940~1997/伊語/1) 第一声から立派な声でおお!と思わされます。流石はキーロフでゲルギエフに繰返し起用された名手、厚みのある響きが魅力的です。が、ちょっと歌が一本調子かな……というか声の破壊力がありすぎて微細なニュアンスが出づらいのかも。むしろ宗教裁判長の方がいけるかもしれません。伊語は普通にうまいと思う。 ・フランチェスコ=エッレロ・ダルテーニャ(伊/不明/仏語/1) このひとも長いとこどちらかと言えば中堅どころのような扱いを受けている気がする。ここでも手堅い歌唱とゆったりとした美声でなかなか聴かせるな、という印象。欲を言えばもうひと押し深い声の方が好みではあるけれども、ピンツァ以来のイタリアン・バッソの伝統に、このひとも乗ってるなと思う。仏語やけどww ・フランツ・クラス(独/1928~2012/伊語/1) 東独の人だし独語だろうしまあこんな感じだろうと思って聴いたら、意外や意外伊語で歌ってるし、しかもそれが様になってるwwwどちらかというとしっとりと嘆く歌唱で、“Dormiro solo”の出だしなんかはものすごくウェットな感じ。けど“Se il serto regal”のあたりからは感情を乗せてパワフルに歌っていて、巧く対照がついている。そういう部分での音楽的な感覚がいい感じ。これはこのひとの全曲とか聴いてみたい気がする。 ・フランツ・ハヴラータ(独/1963~/伊語/1) この人もバスというよりバス・バリトン。芝居も結構いいし歌も巧いんだけど、ちょっと明るめの声質なので、必ずしも適役ではないのかなと思う。あと、なんか狡猾そうに聴こえるのはなんでなんだろうwwシャクロヴィートゥイとかランゴーニとかそういう匂いがするw ・プリニオ・クラバッシ(伊/1920~1984/伊語/1) 数々の録音を下支えしている隠れ名歌手。脇に回っていることが多いけれども、大役を聴けて非常に嬉しい♪滋味溢れる声で訥々と哀しみを歌いだしていて非常に好感が持てる。若干テンポに乗り切れていないところが残念だけれども、いかにもオペラをよくわかっている人らしい味のある歌い回しは嬉しいところ。 ・ベルナルト・ワディシュ(波/1922〜/伊語/1) いい感じの錆と甘みのある声が素敵で、低音には凄みも感じられる。アリア集だけど淡々と歌っているわけではなくきちんと演じている感じがするのがとてもいいです。スラヴの人にありがちな振りかぶりすぎた感じではなく、歌としても美しいし。カラスと共演したルチアでしか名前を聞かなかったけど普通に伊ものよかったんじゃないかこの人? ・ポール・プリシュカ(米/1941~/伊語/2) ここまで聴いて、全体の傾向としてメトの歌手は演技によりがちだと思っていて、この人も他の演唱を観る限り、そういうもんが来るんだろうと思っていたら、意外と歌に寄ったもので、これが良かった!この歌は感情をちゃんと乗せないといけないんだと思うんだけど、やり過ぎるとよくないので、これぐらいちゃんと歌わないと。もう一声感はあるんだけどね(^^; 追記:アリア集でもう1個見つけて聴いてみましたが、あんまり印象は変わらないかな^^;意外なくらい折り目正しくて好感が持てるのも既出のものと同じ印象。 ・ボナルド・ジャイオッティ(伊/1932~/伊語/2) このひとはいつ聴いても手堅い。間違いがない。大感動をさせるような歌を歌う訳ではないんだけれども、舞台にひとりは欲しい、脇を締める存在感を感じさせるひと。滋味溢れた、味わい深い歌唱。尤も、フィリッポだとそこからもう一歩踏み出したものを求めたくなってしまう気もするんですが笑。 追記:もう1個仕入れた^^前出のものと同じく手堅い印象は変わらないけど、こちらのほうがご本人乗っているのか、ぐっと引き込まれるような歌唱。1個目での不満がきっちり解消される歌唱で、こういうのを期待してますよ!という出来。 ・ボリス・クリストフ(勃/1914~1993/伊語/4) クリストフはまずは声だと思う。やっぱり一声でこれだけ不吉な、悲劇の雰囲気を作れる歌手もそうはいない。元来悪魔っぽい声で、ここではアリア以外の部分については聴いていないものの、凄く威圧的に見せる場面もある。その一方でこの歌ではソット・ヴォーチェを駆使してフィリッポの哀れっぽさを表現し、二面性を描いていて大変見事。ちょっと宗教裁判長もやって欲しかった気もしなくはないのだが…笑。 ・ボリス・マルティノヴィチ(勃/1956~/伊語/1) いい声なんだけどなんというか…全体的にのんべんだらりとした感じなんだよね(^^;ずっと一本調子なんだよね、ダイナミクスにしても感情表現にしても。全曲盤の『イーゴリ公』での題名役とかではもっとずっとしっかり役に入り込んだ歌唱をしていたので、できなくはないんだと思うんだけど。。。 ・ポルガール・ラースロー(洪/1947~2010/伊語/1) この人の常として、音源で聴いても声量はそんなにないのかなという感じなんです。が、この人はそれを補って余りある知的な歌い回しを持っているのが魅力で、ここでもそれが当たって大変素敵。全曲聴いたらいろんな場面での歌い分けが楽しかっただろうなと思う。どっちかって言うと中ぐらいの役の録音が多いんですが、こういうのももっと残して欲しかったな。 ・ポンペイウ・ハラステアヌ(羅/不明/伊語/1) 声も悪くないし、ちゃんと歌ってるように思うんだけど…なんというか凡庸というか、いまひとつ特徴がない感じ。ネームバリューにばかり振り回される必要はないと思うんだが、こういうところにやっぱり出ちゃうのかな、とも思わなくない。 ・マッティ・サルミネン(芬/1945~/伊語/1) 宗教裁判長やハーゲンを得意とするだけあって流石の悪役声。っていうか表現までなんか悪役になりきっちゃいないかい?(^^;フィリッポはエボリ以外のどのキャラともいろんな意味で対立関係にあるけど、単純な悪役ではありえないし、この歌では悲哀だとか哀愁だとかを感じさせて欲しいところ。異端者火刑の場でこういう感じならいいんだろうけど。。。 ・マルク・レイゼン(露/1895~1992/伊語/1) ソヴィエトでの録音だしシャリャピンと世代的にも近い人だから、もっと露色大爆発というか、ボリス風大芝居フィリッポが来るんだろうと思っていたら、これが意外にもしっかりとヴェルディしてる。崩し過ぎずに旋律を大事にしているのがいいんだろうね。露語で歌ってたらボリスっぽくなっちゃってたんだろうけど笑 ・マルッティ・タルヴェラ(芬/1935~1989/伊語/1) このひとも割としっかり表情をつけようとしているのはわかるんだけれども、どういう訳だか孤独な境遇の老王の悲哀みたいなものをあまり感じない(^^;声にドスが効き過ぎなのかな…でもそれだけでもないような。ギャウロフに対する宗教裁判長で数多くの録音を残しているのを、却って納得してしまった。 ・ミケーレ・ペルトゥージ(伊/1965~/伊語/2) ここまでの数々のコメントでお分かりのとおり、私自身はフィリッポのイメージはやはり老王で、あまりにもフレッシュな感じの歌や表現だと醒めてしまうのだけれども、ここでのペルトゥージはいい意味でそれを覆してる。自分はまだ枯れ木のように年老いた男ではなく、色気を残した壮年であるということを主張するかのようなフィリッポ。こういういい意味での若々しさのある歌唱っていうのは、アリだと思う(単純に俺がペルトゥージが好きだって言う説もある)。 追記:別録音を聴いて、やっぱりこのひとは旋律のラインを大事にする歌い手だと再実感。極端なことは何もしていないのにじんわりと響く歌唱は、最近では少なくなっているような。 ・ヤアッコ・リュハネン(芬/1953~/伊語/1) おそらくは最重量級のフィリッポ。タルヴェラやサルミネンと較べて決して海外での知名度はないけれど、これについては彼らよりも悲壮感が感じられてよい。とはいえやはり宗教裁判長みたい笑。芬国は重量級のバスが多いということを図らずも認識してしまった(^^;或る意味一番軽いのはボルイ?なのかな? ・ヨーゼフ・グラインドル(独/1912~1993/独語/2) 歌としても演技としても十二分に納得のいくもの…なんだけど…なんなんだこの最初から独語で作られましたって感じてしまうほどのしっくり感は(笑)グラインドル自身が独語の歌としてこの曲をしっかり歌いこんでいる感じがする。この印象は、チェコ語でやってたベルマンとも共通する部分がある。ヴェルディではないけどww 追記:以前に聴いた録音では堂々たる風格の王様という印象だったのだけれども、今回の音源はより人間的な味わいがあるように思う。声そのものは前より衰えているのだけれども、より熟成された歌唱で結構好き。 ・ヨセ・ヴァン=ダム(白/1940~/仏語・伊語/2) 意外とどっちも歌ってる人は少ない。だからどっちも納得させてくれる人なんてもっと少ない訳ですが、どっちでもいい歌を聴かせてくれるのが器用人ヴァン=ダムの凄いところ。特に軽い風合いになりがちな仏語でもしっかりヴェルディしてほかの共演者を引っ張っているパッパーノ盤での歌唱が個人的には好き。 ・ラッファエーレ・アリエ(勃/1920~1988/伊語/2) 2つの録音のうちのひとつは、いかにもアリア集用でサクサク進んでしまっていて残念だったが、もうひとつはなかなかの名唱。彼ぐらい粘りのある美声でじっくりと歌われると元の美しい旋律が際立つ。決してきつい表現はしていないが、フィリッポの孤独がじんわりと伝わるという点ではシエピと共通する。一方で東欧らしい、錆びた深い音色で、彼の全曲も聴いてみたい。宗教裁判長はあるんだけど…。 ・ラファウ・シヴェク(波/不詳/伊語/1 ) 声の立派さから言ったら間違えなく大器。太く強靭で威力があり、最近の歌手だとベロセルスキーと並ぶぐらい。やや朗々と歌いすぎている感は否めないので、もう一息悲哀を描き出せれば文句ないのだが。将来性に期待、と言ったところでしょうか。 ・リッカルド・ザネッラート(伊/不詳/伊語/1) もっと軽い響きのイメージだったが深々と鳴っていて、まだ枯れていないフィリッポとしては悪くない出来だと思います。ただ流石にロールデビューのときのもののようなのでもう少し個性が欲しい気はします。何より録音がよろしくなくてかなり声が遠いのが残念で、ここがよければもう少し印象も変わりそうです。。 ・リハルト・ノヴァーク(捷/1931~/伊語/1) スライドらしい硬くゴツゴツした声と歌い口で最初は今一つかなと思ったものの、dormiro solo...をものすごくしっとりと情感豊かに歌い出してから先、後半の表情づけが実に素晴らしい!やわらかさと硬さをうまく使い分けている。 ・ルイス・スガッロ(米/1920~1985/伊語/1) ちょっとこれは崩し過ぎでしょうwwwアリア集用だとか表現がなんだとかそういう問題以前にヴェルディの書いた旋律線をもっと大事にして欲しい。伴奏とあまりにずれてるもんだから、最初録音がうまく行ってないのかと思ってしまったぐらい(^^; ・ルッジェーロ・ライモンディ(伊/1941~/伊語・仏語/3) 私の大好きなバスの一人だけど、この役については正規録音に恵まれていないと思う。ジュリーニ盤では余りにも若すぎるし、アバド盤は仏語じゃなく伊語だったら名唱だったかもしれない、と思わされてしまう。結局のところ、聴いてからではかなり歳をとってからのガラでの歌唱が一番気に入った。声そのものは衰えは隠せないんだけど、この役は若々しすぎる声でやられちゃうとがっかりなので、必ずしもマイナスにはならない。 (追記)2014.7.16 来ましたよ、待ってましたよ待望の録音が!(笑)フォン=カラヤンとのライヴで、彼が一番脂の乗っていた時期の伊語での全曲盤がリリースされました。声はフルパワーでありながらも、かつ枯れた雰囲気をしっかり出した歌で彼のこの役でのベスト。伊バスの系譜にしっかり乗りながら頭の回転の良さを伺わせる演唱で、現代的名演と言っていいのでは。 ・ルネ・パーペ(独/1964~/伊語/1) 実演も2回聴いて、ここでも聴いてみてやっぱり思うのは、声があまりにも独国っぽい生硬な声だということ。表現もちょっと生真面目過ぎで、ヴェルディっぽくもグラントペラっぽくもないかなぁ…声も立派なら表現力もあるとは思う。強いてどこかがすごく悪いとは思わないんだけど、決してすごくよくもない。 ・レオナルト・アンジェジ・ムローズ(波/不詳/伊語/1) 波国の出身らしく、北国の空を思わせる冷厳な声で孤独なフィリッポにはよく合うと思う。表現としては一般的な感じではあるんだが、聴いていて安心感も満足感もある。知る限り録音の多くない人なんだが(セムコフ盤の『ボリス』ぐらい。しかも持ってないw)、ちょっと集めてみようかな。 ・ロジェ・ソワイエ(仏/1939~/伊語/1) 完全に仏語でグラントペラ風の歌唱が来るもんだと思って聴いてみたら伊語歌唱でびっくりw歌い方にしても表現にしても決して悪いもんではないとは思うんだけど、伊語でやってる割にどっちかって言うとグラントペラ流儀。もっとヴェルディして欲しい。あと、もう少し響きが厚いと良いのでは。 ・ロバート・ロイド(英/1940~/伊語・仏語/2) 割と無難な歌に終始することもあるロイドなんですが、ここではなかなかの力演。しっかり踏み込んで、きっちりとヴェルディをやっていると思う。ちょっと神経病んじゃってるんじゃないかって言うか如何にも疲れ切っているような雰囲気もあって、これはこれで全曲を聴いてみたい、と感じさせる。 追記:仏語版も聴いてみたが、これもなかなかしっかりしたもので、割と平坦になりがちな仏語ながらしっかり踏み込んで表現している。ロイドってこの役に適性あるのかもしれない。 ・ロベルト・スカンディウッツィ(伊/1958~/伊語/1) ピンツァ、シエピ、ライモンディと引き継がれてきたイタリアン・バスのフィリッポ像を正統に継いでる感じ。実にしっとりと歌っているんだけれども、でもそこだけには留まらない。静かな中にもヴェルディの熱い血がしっかり流れている。彼の実演も聴いてみたい。 |
Basilio大学士の旅宿(その3)2012-09-26 Wed 22:28
ところがどうだ名高い楢ノ木大学士が
釘付けにされたように立ちどまった。 その眼は空しく大きく開き その膝は堅くなってやがてふるえ出し 煙草もいつか泥に落ちた。 青ぞらの下、向うの泥の浜の上に その足跡の持ち主の 途方もない途方もない… (『楢ノ木大学士の野宿』より) 【旅宿第五日】 旅館ということでいつもよりかなり多めの朝ごはんをゆったりと食べ、も一度温泉に入ってからバスで出発。さあ、最終日。 …と言ってもこの日は完全に行き当たりばったりに、そういえば行ってないやというところをめぐったのですが笑。 花巻駅の近くのベンチには、かえるくんたちのブロンズが。 何とも言えず絶妙な表情なので撮っちゃった笑。 あるとき、三十疋のあまがえるが、一諸に面白く仕事をやって居りました。 (『カイロ団長』より) で、今日の目的地は高村光太郎の手をもとにした賢治の詩碑。 これが駅から3㎞って書いてあるんだけど、遠い遠い…途中で薬局のおばちゃんはじめ地元の人とかと絡みながら言ったというのもあるんだけど…それにしても遠かった(^^; 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル (通称『雨ニモ負ケズ』より) こうしてあちこち回ってからここにやってくると、なんというか達成感。 僕自身は賢治の詩については苦手だけれども、こうして有名なフレーズに触れると、旅に円環性が出てくるような気がしてくる。 しかし、、、光太郎さんいろいろ間違えすぎじゃね?誤植がww この碑が立っているところが、三日目に行った羅須地人協会の建物がもともとあった場所なのだそう。 そりゃあ、ほんまもんの「下の畑」を観に行きたいと思う訳です笑。 そしてどれも、低い幅のせまい土手でくぎられ、人は馬を使ってそれを 掘り起こしたりかき回したりしてはたらいていました。 (『グスコーブドリの伝記』より) 思った以上に小さな土地です。 ここで賢治は理想の農村を目指して活動し、やがて挫折していくことになる…賢治の人生の中でも大きな位置を占める土地に立つことができ、感慨も一入でした。 ちなみにこの下の畑ですが、結構協会からきょりがありますww 花巻のランドマーク、マルカンデパートの食堂でちょっと腹ごしらえ。 名物14段ソフトクリーム。懐かしい、昔の、ちょっと重たいソフトクリームで、私はとても好きでした^^ 賢治の墓所にもご挨拶に伺いました。 こうしてここまで賢治の世界にどっぷりと漬かるとは…自分でも夢にも思いませんでした。 そして、近くにあった『風の又三郎』の群像を観に。花巻市文化会館のお庭、というか公園に立っています。 三郎はまるであわてて、何かに足をひっぱられるようにして淵ふちから とびあがって、一目散にみんなのところに走って来て、がたがた ふるえながら、 「いま叫んだのはおまえらだちかい。」とききました。 「そでない、そでない。」みんないっしょに叫びました。 (『風の又三郎』より) この花巻市文化会館は、賢治の勤めていた花巻農学校の跡地なのだそうです。 当時の俤を知ることはできませんが、碑なども立っています。 花巻最後の食事は、ちょっとこじゃれた洋食屋ポパイ。 ここでは岩手名物の白金豚をいただきました。この旅行、魚料理が多かったので、ちょっと久々の肉料理。味はここも上々でした♪ 税務署長がまた見掛けの太ったざっくばらんらしい男でいかにも正直らしく みんなが怒るかも知れないなんといふことは気にもとめずどんどん云ひたい ことを云ひました。 (『税務署長の冒険』より) 駅への道の途上で税務署を見かけたので、ちょっとこのマイナーな作品を思い出したりしました笑。ちょっと毛色の違う作品なので、未読の方にはおススメ。 そんなこんなで私の珍道中も、今回はひとまず終わった訳です。 イーハトーブにはゆっくりとした時間が流れています。 せこせことあちこち予定通りに見たいとか、電車の時間をばっちり調べてとか、そういう旅とは無縁の世界があるように思います。 足を運ぶ際には、どかんと時間を取って、ゆったりと過ごしたい。 そういう場所でした。 今回は尋ねられていない場所がたくさんあります。 それこそ盛岡近辺にはまったく行っていないし、賢治の愛した山にもほとんど入っていません。 次に行くときには、そのあたりを回ってみたいと思います。 この長々とした旅行記を読んでくださった皆さんに、感謝を込めて。 「帰れ、帰れ、もう来るな。」 「先生、困ります。あんまりです。」 とうとう貝の火兄弟商会の 赤鼻の支配人は帰って行き 大学士は葉巻を横にくわえ 雲母紙を張った天井を 斜めに見ながらにやっと笑う。 |
Basilio大学士の旅宿(その2)2012-09-26 Wed 22:18
わが親愛な楢ノ木大学士は
例の長い外套を着て 夕陽をせ中に一杯浴びて すっかりくたびれたらしく 度々空気に噛みつくような 大きな欠伸をやりながら 平らな熊出街道を すたすた歩いて行ったのだ。 (『楢ノ木大学士の野宿』より) 【旅宿第三日】 一緒の宿に居た3歳ぐらいの男の子が、すっごくかわいい子どもだったんだけれども、朝食とかで同じ部屋にいたり玄関で会ったりしたおねえさんばかりにひたすらハイテンションで話しかけていて、某春日部の英雄を思いだしました(笑) 私が洗面所で髭をあたっていたらそんな彼が全力で近寄ってきたので、何かと思ったら、 「○○くんは、○○くんは、さっきもいったんだけど、またお、お、おしっこにいきたくなったんです!」 !!!!! ええええええええええええええ俺に言わないで俺に言わないでいま口の周りまっちろけだしとかってばたばたしていたら後ろからお父さん現る。 「これこれ君は誰に何を言っているの?(汗」 私の腹筋は、朝から早々に崩壊したのでした(笑) 前の日がハードだったんで、この日は予定少なめ。 しかも朝出遅れティアヌスだったんで、まずは初日に行きそびれたポラーノの広場とイーハトーヴ館を拾うことに。 ポラーノの広場と呼ばれているのは、賢治が設計した花壇のある広場。賢治の多彩な才能には唸らされます。 実は花巻には何か所か賢治設計の花壇があるようですが、この日時計のある花壇はその中でも最も有名なもの。 このときはご覧のとおりどの花も咲いていてとても見事でした。 そう言えば、花巻ではたくさんのつめくさを見ましたが、これは水仙やらコブシやらとは違って自生でしょうね。肝腎のポラーノの広場のそばでは見ませんでしたが、露が当たって白く光っていました。 「ポラーノの広場? はてな、聞いたことがあるようだなあ。 何だったろうねえ、ポラーノの広場。」 (『ポラーノの広場』より) けだし音楽を図形に直すことは自由であるし、おれはそこへ花で Beethoven の Fantasy を描くこともできる。さう考へた。 (『花壇工作』より) もう1個花壇があったんだけど、斜面がきつくて遠目で見て辞めちゃったw そのあとはイーハトーブ館へ。 ここはある種のアーカイヴ的な施設。常設ではなさそうな展示も行ってました。 入り口には「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」笑。 賢治が使ったものかどうかはわかりませんが、同じころのレコードもありました。 賢治は大変なレコード・マニアで、当時の岩手でそのころの最前線の音楽だったR.シュトラウスの新譜を持っていたとか。。。 ここで結構稀覯本を売っていた(税率3%のやつとか)のでドカンと購入♪ 本当はもっと買いたかったんだけど、厳選して、ボランティアガイドの勉強になりそうな奴だけ。しかし積読がたまった。。。 ついでに買った『銀河鉄道の夜』のDVDが2番目に高かったって言うね。もはやついでじゃない(^^; 予定少なめと言いながらこのあと電車でちょっと距離のある羅須地人協会@花巻農業高校へ。 お昼がまだだったので入ったのが花巻空港近くの遠藤という蕎麦屋さん。 ここのお蕎麦がまた大変美味しかった! 薄味の出汁に潰した梅と薬味でいただいて、蕎麦を食べた後の出汁にそばつゆと別の薬味を入れて汁物みたいな感じで飲むという代物。 花巻空港駅からまっすぐです。あの辺に行く方は是非ぜひ^^ 花巻農業高校に行く途中で花巻空港を通ります。ってか真上を普通に飛行機が飛ぶ道を通るって言うww 途中でヒバリと3mぐらいの距離で遭遇しました!写真が撮りたかったんだけど、柵の向こうでかなり難しくて断念…そういえばイーハトーブにはヒバリもたくさんいましたよ~ さて、羅須地人協会@花巻農業高校です。 羅須地人協会に関する詳しい説明はここでは省きますが、さっくり言ってしまえば、賢治が理想とした農村での生活を実現し広めていくことを目的とした集い、と言ったところでしょうか。この建物自体は元々賢治の実家にあった離れで、ここを発信基地に活動が進められました。 いろいろな事情から現在では花巻農業高校同窓会が管理しているため、この建物自体も、現在では学校の敷地内にあります。 たまたま行った日には、建物の中では地元の有志?の方が賢治の映画を撮っていました。 非常に有名な仮病エピソードの場面のようでした。いずれにせよ、悪いんであんまりじっくりは見られませんでしたが(^^; 賢治の使ったマント、通称又三郎のマントもここに。 どっどど、どどうど、どどうど、どどう (『風の又三郎』より) そして再び花巻へ。 駅前のホテルの横にあったのは軽便鉄道の碑。 『銀河鉄道の夜』の汽車を巨大な機関車だと思っている人も結構いるようですが、本来は軽便鉄道なので、そんなに大きなイメージではないはずなんですよね。 モデルはここを通っていた汽車だったんでしょうか…。 ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈のならんだ 車室に、窓から外を見ながら座っていたのです。 (『銀河鉄道の夜』より) ちょっと通りを進んで林風舎へ。 賢治のご親戚の方がやってらっしゃる喫茶店&雑貨屋さんです。 シックな佇まいがとても素敵♪展示はしていませんでしたが、所謂雨ニモ負ケズ手帳などもここで管理しているのだとか。ここも美味しかったです。 列車のダイヤの都合とかで思ったより早くこの日の予定が片付いちゃったんで、今回訪問する予定のなかった賢治の生家の場所も探すことに(ファンなんだかファンじゃないんだかww) しかし、ここで予想外のハプニング。 今回の旅程を書き込んだ地図を列車に落としたorzこれはちょっとがっくしきました…尤も、一番必要だったのは2日目だったし、駅前の観光案内用の地図を貰ってどうにか対処することに。 暫く行くと宮沢商会という事務所が。 なんとこの会社、賢治の母方のご親戚の方がご自分の土地でやってらっしゃるとのことで、ここには賢治が産湯をつかった井戸があるそうです。 そんな素敵な寄り道をしながら賢治の生家へ。 何度も改築されたため当時の面影がないというばかりでなく、ここは賢治の弟の清六さんのご家族が現在もお住まいで、見学はお断りということで、写真は控えました。 駅に戻ると、ちょうどよく見たかったからくり時計が動き出しました^^ 一見してモチーフが『銀河鉄道の夜』。 結構ちゃんとしてるので、花巻に行ったら観てみてね♪ この日に入った居酒屋よねしろは、蕎麦のやぶ屋の隣りですが、これがまた非常に美味しかった! やっぱり地方に来たら土地のものが食べられる店に入らないとだめですね。 【旅宿第四日】 この日はこれまで泊まっていた宿を撤退し、別の宿に行くということもあってバタバタして、再び出遅れティアヌスでした。 釜石線はとっくに出てしまっていたのですが、あんまり悠長する時間もなかったので、諦めてタクシーを拾い、本日一番の目的地へ。 夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名を つけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに 行った処がありました。 (『イギリス海岸』より) 川上の方を見ると、すすきのいっぱいに生えている崖の下に、白い岩が、 まるで運動場のように平らに川に沿って出ているのでした。 (『銀河鉄道の夜』より) 有名なイギリス海岸へ。 賢治は教師をしていた時にここの露頭で日本では初めての発見となるオオバタグルミの化石や、ウシの仲間の大量の足跡化石を発見しています。このときのエピソードがそのまま使われているのが『イギリス海岸』。『銀河鉄道の夜』に出てくるプリオシン海岸のエピソードはこの影響です。 …が、この露頭が見られるのは渇水期のみということで、普通に河原でピクニックになってしまったw けど、探してみれば露頭も結構ありました。いくつか小石を収集。 化石ではないものの割れたクルミがたくさんありました。 これ、結構あったんだけど何が食べてるんだろう…と思っていたら、つれが思いもかけぬ瞬間を目撃!なんとカラスがクルミを空中から叩き落として割って食べてるではありませんか!いまはこういうカラス、普通なんですかね?結構感動したんですが(笑)。 イギリス海岸のバス停に行くと…白鳥の停車場がありますww 観光案内みたいなのにも出ていて結構有名ですが、地元のおじさんが町興しで造られたもの。写真撮ったりしていたら、ご本人が現れていろいろとお話ししてくださり、また、資料もいただきました(本当にありがとうございます!) …二人は丁度白鳥停車場の、大きな時計の前に来てとまりました。 さわやかな秋の時計の盤面には、青く灼かれたはがねの二本の針が、 くっきり十一時を指しました。みんなは、一ぺんに下りて、車室の中は がらんとなってしまいました。 〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。 (『銀河鉄道の夜』より) なお、これも凝り方に愛が感じられますww そのおじさまに教えていただいたのがバス停の向かいの八幡さん。 『銀河鉄道の夜』にも登場する『双子の星』のモデルはこのお宮さんなのではないかとのこと。確かに可愛いお宮さんが二つあります♪ 天の川の西の岸にすぎなの胞子ほどの小さな二つの星が見えます。あれは チュンセ童子とポウセ童子という双子のお星さまの住んでいる小さな水精の お宮です。 (『双子の星』より) お昼をいただいたかみさんというお食事処は、お料理ももちろんなんだけど、ご飯がとても美味でした!夜また来たいところでしたが、この日の宿は食事が出るので、泣く泣く昼のお酌で我慢しましたww 最終日くらいはいい思いをしようと佳松園という温泉旅館へ。 ここがもう、食事もお風呂もサービスも抜群に良かった!雰囲気も抜群だったし、たまにはこういうところに泊まるのもいいもんですね笑。 さて、実はここの裏手には実は名所がありまして。 「何処さ行ぐのす。」さうだ、釜淵まで行くといふのを知らないものも あるんだな。〔釜淵まで、一寸ちょっと三十分ばかり。〕 (『台川』より) この作品の舞台となった釜淵の滝です。 これも私は小さいころから大好きだった作品なので、思わず感興に浸ってしまいまして、あちこち撮りまくってしまいました笑。ああ、ここを賢治と生徒たちが昇って行ったのかと思うと、多少なりとも観光地的になっていようとも、こみあげてくるものがあります。 遊んでたらお風呂遅くなってしまって、遅刻気味で夕食。。。という情けない事態に(苦笑)もったいないのでもちろんもう一度お湯をいただきましたが。 (続く) |
Basilio大学士の旅宿2012-09-26 Wed 21:41
これは某所に以前挙げたものを、ちょっといじってます。
ほんとは写真沢山挙げてたんだけど、リサイズすんのが大変なので、ひとまず文だけ笑。 ******************************** 楢ノ木大学士は宝石学の専門だ。 ある晩大学士の小さな家へ、 「貝の火兄弟商会」の、 赤鼻の支配人がやって来た。 … 次の日諸君のうちの誰かは、 きっと上野の停車場で、 途方もない長い外套を着、 変な灰色の袋のような背嚢をしょい、 七キログラムもありそうな、 素敵な大きなかなづちを、 持った紳士を見ただろう。 それは楢の木大学士だ。 宝石を探しに出掛けたのだ。 … (『楢ノ木大学士の野宿』より) 私の賢治好きは何度かいろいろなところで触れてきましたが、いよいよこのGWで念願の花巻に足を運ぶことができました。 簡単にその報告、というか記録を。 ※なお、Basilioも一応Buchelorは取りましたので、一応は大学士かと笑。 【旅宿第一日】 上野ではなく東京の停車場から出発したのはいいものの、バカな話で自由席券しか持っておらず、一方で乗る予定だった新幹線は全席指定席(苦笑) 仕方がないので、2本ぐらい待ってのろのろ後の列車で…まぁ、急ぐ旅でもなければ予定もかっちりとは立てていないゆるゆる旅行ですから、1時間やそこら狂ったぐらいでは痛くも痒くもありません^^ そしてようやっと13時ごろ、新花巻に到着♪ 意外と予想より暖か。そして予想より遥かに小さな駅…だって新幹線が止まるのに、新幹線と釜石線しか止まらないんだよ…しかも改札2つしかないんだよ…ww で、この時点で既になんとなく予想はついたんだけど、周りはどこまでもどこまでも家と畑と田圃(^^;一応新幹線止まる駅だから、周りは多少ビルがあって…なんて思っていたわけですが、イーハトーヴの幻想は、そんな幻想を遥かに凌駕していたのでした。 駅を降りてすぐ我々を迎えてくれるのがコブシの花。 やはり賢治の町だけあって、ここには賢治の愛した(或いは賢治にとって宗教的な意味があったと言ってもいいかもしれない)コブシやモクレン(いずれも属名がMagnoria)の木がいたるところに植えられているのが印象的でした。 諒安は眼を疑いました。そのいちめんの山谷の刻みにいちめんまっ白に マグノリアの木の花が咲いているのでした。 (『マグノリアの木』より) また、駅を降りてすぐのところにはゴーシュのモニュメントがあります。 これは有名だということもあったし、最初はハイテンションでこの手のものみんな写真に撮ってたんだけど、途中でキリがないことに気づいて辞めちゃったw 近づくと『トロイメライ』が流れます。 (賢治みたいな博学な人が、ロベルト・シューマンのファーストネームを間違えると思えないのですが…何か意味があるのだろうと、個人的には思っています) 「トロメライ、ロマチックシューマン作曲。」 猫は口を拭ふいて済まして云いました。 (『セロ弾きのゴーシュ』より) そんなこんなでとりあえず駅を出たので、荷物を宿に預けて…と思ったんですが、それらしきものが…あれ?ない?!ww一本道だったはずなのに!といってうろうろ…それらしき建物をみつけて近寄ってみたら違う、なんてコントを一通りしたうえでなんとかケンジの宿へ。 おばちゃんたちがとても気さくで愉しかった♪ あと、ヒバのお風呂がよかったです(^^) さて荷物を預けたら、まずは徒歩圏内の賢治施設へ。 賢治記念館、童話村、イーハトーブ館、ポラーノの広場、山猫軒は隣接しており、いずれも宿からも新花巻からも遠くないのです。 ただ、賢治記念館があるのは勾配のきつい山の上で15分くらい歩くからと童話村の警備のおばちゃんに言われ、童話村から無料のシャトルバス(といっても普通のバスでしたwちなみにいつも運航してる訳ではないようです)に乗っていきました。 賢治記念館。 まずはやはりここから行くのが筋だろう、ということでここに。残念ながら写真撮影はできず。 内容としては賢治概論的な部分が強く、賢治の一生、宗教の話、科学の話、農業技術者としての話などなどさまざまな面についてひととおりの説明をしている、といったところ。賢治愛用のチェロも展示されています。 どうでもいいですが玄米四合は展示せんでもいいような気もww 流石、庭にはやまなしが植えられていましたww ただ、まだ冬芽しかなかったので植物に疎い私にはちょっと詳しいことはわからず(泣) なお、賢治の描いたやまなしには諸説あるとのこと。 なるほど、そこらの月あかりの水の中は、やまなしのいい匂いでいっぱいでした。 (『やまなし』より) この日は時間もあまりなかったので、回ったのはもう1か所――童話村。 童話村はもっと家族連れとか向けの体験型の施設でした。 時間もなかったのでちょっと駆け足。 後半では人形展をやっていました。 この時点でもう17時過ぎと結構いい時間だったので、近くにあったお蕎麦屋さんなめとこ山庵で早めの夕餉。 山菜の天麩羅がとっても美味しかったです♪(というか花巻で一番凄いのは、行く店行く店一軒たりとて外れの店がなかったこと) 夜は21時過ぎごろから、期待していた星空を観に行きました。 尤も、私のカメラの腕ではさっぱり収められませんでしたが(苦笑) しかし見える見える。ちょっと鬱陶しいぐらいに明るい上弦の月があっても、かなり暗い星まで肉眼で見ることができました。 有名だけれども必ずしも東京では見やすくはないからす座やらかんむり座やら、ヘラクレス座やらといった星座を見ることができて個人的には大満足でありました。 今度は夏、おそらく『銀河鉄道の夜』の舞台となっている時期に足を運ぶことができたらと思っています。 いきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の火を 一ぺんに化石させて、そら中に沈しずめたという工合、またダイアモンド 会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫れないふりをして、 かくして置いた金剛石を、誰れかがいきなりひっくりかえして、 ばら撒まいたという風に、眼の前がさあっと明るくなって… (『銀河鉄道の夜』より) 【旅宿第二日】 この日はこの旅のメイン・イベントである石鳥谷での散策をしました。 朝、宿を出るときにおばちゃんの一人に今日はどこにと訊かれて、「石鳥谷に、葛丸川を見に」と言ったら、東京の人は何を考えているのかわからんねえという表情をされてしまいましたが、そういう場所です笑。 なんでまたそんなところに行こうと思ったかと言えば、ここが僕の大好きな『楢ノ木大学士の野宿』の舞台だから。 例の楢ノ木大学士が 「ふん、この川筋があやしいぞ。たしかにこの川筋があやしいぞ」 とひとりぶつぶつ言いながら、 からだを深く折り曲げて 眼一杯いっぱいにみひらいて、 足もとの砂利をねめまわしながら、 兎のようにひょいひょいと、 葛丸川の西岸の 大きな河原をのぼって行った。 (『楢ノ木大学士の野宿』より) 今回はぜひこの川筋と思われる場所に立ってみたかった。 そして、この野宿第一夜に登場する重要な登場人物たちにも“会って”みたかったのです。 向うの黒い四つの峯は、 四人兄弟の岩頸で、 だんだん地面からせり上って来た。 楢ノ木大学士の喜びようはひどいもんだ。 「ははあ、こいつらはラクシャンの四人兄弟だな。よくわかった。 ラクシャンの四人兄弟だ。よしよし。」 (『楢ノ木大学士野宿』より) ここで登場するラクシャンの四人兄弟、即ち4つ並んだ山の峰に“会って”みたかった。という訳で、この一日ハイキングを旅程に入れたのです。 石鳥谷の駅から西へひたすら歩きます…どこまでもどこまでも。ずうっと一緒に行こうね。 道中…えんえんと電信柱が続くどこまでもどこまでもまっすぐな道… ちょうどこんな感じ笑。 「ドッテテドッテテ、ドッテテド、 でんしんばしらのぐんたいは はやさせかいにたぐいなし ドッテテドッテテ、ドッテテド でんしんばしらのぐんたいは きりつせかいにならびなし。」 (『月夜のでんしんばしら』より) 町のあちこちで水仙も咲いていました。 この冬の話の舞台が水仙月というのにも当然意味があるはずですが。。。 さあしつかりやつてお呉れ。今日はここらは水仙月の四日だよ。 (『水仙月の四日』より) しかし、暫く行くと遠くに待望のラクシャンの四人兄弟!感動! 岩頸というにはかなりなだらかではあるんですが、何はともあれ四人兄弟です! この四人兄弟、四人が四人してかなりキャラクターの立った人たちで、一度読むと忘れられない存在感があるのですが、お昼ということもあって、静かにしておられました(笑)どんなやつらかはどうぞ『楢ノ木大学士の野宿』をお読みになってください。 で、この時感動して写真大量に撮ったんですが、気づいてなかっただけで結構実は遠くから見えておりました(^^; (ちなみに、このときはこれが観れて舞い上がってたんですが、ラクシャンのモデルも諸説あり、あくまでその一つを取ると、というものです。) 残すは葛丸川! そこからまた暫く歩いて行くと葛丸川渓谷に近づいてきました。 僕の当初の予想では、そのあたりからも四兄弟が見えるのではないかと思っていたのですが、これが山に隠れて全く見えない(苦笑)あの四兄弟が見えなければあの話は成立しないのと、葛丸川渓谷までの山道がまだまだありそうだったこともあり、早々に予定を変更して葛丸川沿いに下っていくことにしました。 と言ってもこの時点ではまだ葛丸川と平行した道を通っており、葛丸川に合流していなかったので、まずはそちらへ。しかし。。。 意外と広い&意外と護岸されちゃってる(泣) ダムやなんかがあるので当時と景観が違うとは聞いてましたが、あすこまでがっちり護岸されちゃってるとぐうの音も出ません(>_<) しかも護岸されていないところの近くは逆に全く道らしい道がなくて、道沿いに行けないという…ちょっとがっくしでした。。。 けど、“声はすれども姿は見えず”の代表格のウグイスさんと3mぐらいの距離で会うことができました!あまりの藪の中で写真は撮れませんでしたが、これはワクワクしたww できるかぎりで川沿いに歩いていると…あった!あったーーー!!! 葛丸川の河畔から、結構距離はありますが、あれはまごうことなき四兄弟!! 楢ノ木大学士が歩いたと思われる、葛丸川から四兄弟がよく見える場所はちゃんとあったんです! やー、これは嬉しかった!思わずにこにこしてしまいました(笑) もちろんここ以外にも同じような場所はあるかもしれませんが、ひとまずそういった場所が実在することを、自分の脚で確認することができたのが、何より嬉しかったです。 今回の旅のハイライト的な瞬間でした。 尤も、このあとかなりへばってしまって(たぶん脱水)、ひいひい言いつつもつれに助けられて、この日の最終目的地の酒匠館までたどり着いたわけなのですが(苦笑) 本編とは外れますが、ここはいろいろ呑めるし酒造りの文化にも触れられるみたいだしいろいろ呑めるしつまみもあるしいろいろ呑めるしおススメです笑。 この後は花巻の駅前の呑み屋で一献やって(カジキとエンガワの刺身が絶品でした!)、帰った宿で盛大な日焼けを指摘されつつばたんきゅーでした。 (続く) |
序2012-09-26 Wed 00:14
世人のすなるblogといふものを、おいらもしてみむとてするなり。
いつまで続くかわかりませんが、とりあえずいってみよう、やってみよう(笑) 中身的にはオペラの話、古生物の話、折り紙の話、賢治の話あたりが中心になるのかしら。 ま、予定は未定なので、適当におつき合い下さいませ。 とりあえず暫くは過去に別の場所に書いた内容をこっちにせっせと移すんだと思うw |
| ホーム |
|