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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

かはくの展示から~第5回/川下コレクション~

このblogは国立科学博物館の公式見解ではなくファンの個人ページですので、その点についてはご留意ください。

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川下コレクション
Kawashita's ammonites collection
(日本館3階北翼)
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かはくの常設展3大コレクションと呼ばれているもののひとつです。
残り2つがなんなのかは、また後日追ってご紹介しましょう。

まずは簡単にアンモナイトとは何ぞやというところからいくと、貝のような殻を持つイカやタコの仲間です。
というと現生のオウムガイを思い浮かべる方もいらっしゃるかと思いますが、両者は別物です。だから、オウムガイをアンモナイトの生き残りと言うのは間違い、ということになります。このあたり本当は細かくご紹介したいところでもありますが、煩雑になるのでここでは割愛。
アンモナイトについていえばかなりさまざまなバリエーションの貝殻が見つかっていますが、実は殻を除くと顎器(世にいうカラストンビ)や歯舌のような食餌器官程度しか発見されていないため、軟体部分についてはわかっていないことだらけです。単に顔かたちがわからないというようなレベルの問題ではなく、脚が何本あったかとかそういうごくごく基本的なレベルのことから謎だらけ、というのが現状。意外と近くて遠い古生物です。

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このコレクションは川下由太郎氏によって集められ、かはくに寄贈されたもの。
川下氏の本職は北海道の炭鉱マンで、特段自身は専門的な教育を受けたという訳ではない、所謂アマチュアの愛好家でした。収集した人物が専門の教育を受けた研究者ではないという点は3大コレクションのすべてに当てはまることで、これは学術的研究や資料収集のなかでもアマチュアの存在と言うものが決して小さくない役割を果たしていることを、或る面象徴していると言って良いのかもしれません。
ここのキャプションでは、川下氏の文章からの引用もある興味深い内容なので、ここに来たら是非読んでみてください^^

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コレクションのひとつ、有名な異常巻アンモナイトのニッポニテス(Nipponites mirabilis)。これについてはまたどこかで詳しく触れてみたいと思います。
プレートの右下に<川下由太郎コレクション>とありますが、これがついているものが川下コレクションのもの。この展示室には川下コレクション以外にも何名かの方のコレクションがあり、それらはいずれも同じようにここに明記してあります。

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素人目には巨大なものの方が気になるところではあるのですが、アンモナイトの商業的な価値を決めるのは、実はこの複雑な網目のような模様、縫合線です。縫合線とは殻の中の壁と殻の外面から見た外見の部分を繋ぐ部分で、そもそもアンモナイトはオウムガイに較べると断然複雑な縫合線を持っています。
アンモナイトの化石の中では、この縫合線が複雑なというよりは綺麗に出ている(の方が正解のようですね。11/3追記)ものの方が、価値が高いとされているそうです。

<参考>
東大古生物学 ――130年の軌跡――/佐々木猛智・伊藤泰弘 編/山田昭順 写真撮影/東京大学総合研究博物館/2012
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第三十三夜/血の通った超絶技巧~

ようやっと某所からの移築作業が終わったので、このシリーズも書き下ろしを載せて行きましょう^^

CeciliaBartoli2.jpg
Norma

チェチリア・バルトリ
Cecilia Bartoli
1966~
Mezzo Soprano
Italy

ひさびさに現役バリバリで活躍してる人を取り上げます(笑)

或る意味で時代の寵児と呼ぶべき人かもしれません。
20世紀終盤のロッシーニ・ルネサンスの時代に流星のように現れ、瞬く間に人気を獲得。往年のソプラノのプリマ・ドンナを思わせるような録音での活動を見せ、ロッシーニ演奏史の新たな時代を築く一翼を担ってきたことはあまりにも有名です。

その後は多くの先輩メゾたちに倣ってより後の時代の重い音楽へと移行していくのかと思いきや、どちらかと言うと時代を遡るベクトルでの活躍を見せています。またその活動の中心も、歌劇の全曲公演というよりもどちらかと言うとあまり大きくない会場でのリサイタルになっています。結果論的には、これらはいずれも大正解だったというべき活躍を見せていると思います^^

そういった活動が中心だということもあって、サリエリやグルックなどの作品に於いてはパイオニアと言うべき存在にもなっています。いくつかのアリア集を見てみると、世界初録音が殆どを占めていてびっくりしたりすることもしばしば(笑)そしてそうした作品についても、ただマイナー作品を取り上げましたという以上のものを残して呉れているのが嬉しいところです。

<演唱の魅力>
このひとのことを語るのならば、その技巧のことを語らない訳にはいかないでしょう。
アジリタの達者さを俎上に取るのなら、いま世界最高峰は彼女と言って過言ではないと思いますし、それ以上に録音史に於いてもこれだけ巧い人と言うのはいません。それも全然無理をしてなさそうに、まったく軽やかに超絶技巧を繰り広げるのです。聴いていて、もう本当はこれ簡単なんじゃないかと誤解するぐらい楽々歌っちゃうんですよね(笑)
そして、この人は自分の武器をよくわかっています。基本的に無理をしなければならないような音は出さず、その代りに鬼のような技巧で勝負をしてきます。声の力や輝かしい高音で記憶に残るというところで行くのであれば、彼女以上のひとはたくさんいる訳ですが、それでも彼女の歌を聴いた後に爽快な充実感が得られるのは、他の追随を許さないテクニックがあるからでしょう。

では彼女の素晴らしさが、単に技巧的な部分に終始しているのかと言えば、それは大きな間違いです。
彼女の歌を聴くとすぐにわかるのは、ことばの一つひとつに大変な神経を遣い、そのすべてを非常に大事にしているということです。一語一語の繊細な色彩の違いを絶妙に塗り分けていく様は、本当に見事の一言に尽きます。聴いているだけのバルトリの描きたいキャラクター、表情や感情がひしひしと伝わってくるのです。そうした言葉に対するセンスを持った上での超絶技巧ですから、単に技術ひけらかしで終わらず、むしろ技術の方が彼女にとっての抽斗になって行く、そういう練りこまれた歌唱なのです。だから彼女の歌には無駄な技巧は一切ないと言ってもいいのではないでしょうか。
ここで私が想起するのは、以前に記事にもしたフィッシャー=ディースカウの歌です。彼またも言葉を非常に大切にし、丹念に解釈し、知的な歌を歌う人物です。拠って立つ藝術は2人でまるで違いますが、アプローチそのものには近しいものを感じます。本質的に頭がいいんでしょうね、この人たち(笑)

彼女の技巧と言葉へのセンスの両方が最も感じられるのは、やはりG.ロッシーニなのではないかと個人的には思っています。なかでも一番の名唱、最高のはまり役と言うべきなのは『チェネレントラ』のアンジェリーナでしょうか。ここでは彼女のコメディエンヌとしての才能も十二分に活かされていると言って良いでしょう。また、同じロッシーニの作品でもだいぶテイストの違う『イタリアのトルコ人』でもまた彼女の最良の歌が残されています。

(追記:2013.9.11)
と書いていましたが、今の彼女のベストと言うべき録音が発表されました。下にも追記しましたがV.ベッリーニの『ノルマ』です。
この作品の表題役は技巧的にも高度で、また劇的な表現力も必要な難役中の難役とされており、長いことカラスがベストとされてきました。確かに超絶技巧を繰り広げながら劇的に演ずることで『ノルマ』を“復活”させたカラスの業績は評価されるべきですし、カラスの歌そのものも大変見事なのですが、あのヴェルディ以降のような重厚で濃い表現(オケや共演も含め)が本当にベル・カントのスタイルに則っているのかと言われると疑問もありました(これは彼女の他のベル・カントものについても言えることですが)。ただカラスがあまりにも凄過ぎてベル・カント復興の時代になっても、カラスとは異なる本来のベル・カントのスタイルによる秀でた録音というのはこれまでなかったように思います。
今回の録音はついにその状況を覆したと言うべきもの。何と言ってもこの録音を引っ張ったのであろうバルトリの気合の入り方が違います。上述のとおり一語一語丁寧にことばを解釈し、まさに紡ぎだしていくような彼女の演奏スタイルはかなり労力が必要でしんどいと思うのですが、全曲ほぼ出ずっぱりのこのプリマ・ドンナ・オペラに於いても、恐ろしい集中力でそれを成し遂げています。レチタティーヴォひとつとっても弛緩したところがなく、その表現力、表現意欲だけをとってもカラスと互角でしょう。しかもそれをカラスのような或る意味特殊な自分の世界に引きずり込んで表現するのではなく、正統的なベル・カントの世界の中で表現してしまっているのが本当に凄い。ベル・カントの慣習どおり繰り返しのある部分の2回目には必ず装飾を加えていますが、それが決して単なる技術のひけらかしではなく、全て必要な意味のあるものとして聴こえてきます。ここでの彼女の歌は古い藝術の様式の世界に現代的な魂を吹き込んだと言う意味で、この『ノルマ』と言う作品の歴史の新たな金字塔を打ち立てたと言っても過言ではないでしょう。

そしてここに於いて、バルトリは藝術家としての新たな地平に立ったのだと思います。これまでも彼女は自分が本当に歌いたいものに絞った活動をしてきた訳ですが、これからレパートリーを増やすと言うことは殆どしないでしょう。しかしそれは、決して藝術家としての彼女の成長が今後ないということではなく、この『ノルマ』のように一言半句とて隙のない、緻密に計算し磨き上げることが可能なもののみにしか取り組まず、その役に全精力を傾けるだろうということです。
ますます目を離せない歌手になってきました^^

<アキレス腱>
ここまででもさんざっぱら言ってきましたが、彼女は本当によく練りこまれた歌を歌い、知的にコントロールされた表現をする訳ですが、それが却って鼻につく、と言う印象を持つ人も中にはいるかもしれません。ひとことひとこと解釈されたことばを聴いていると疲れる、というのもわからなくはない意見ではあります。

実はよく言われる話ですが、声量はありませんし、発声は必ずしも良くないように思います。なんとなく息が漏れた感じがする声、と言うところでしょうか。声の響きの愉楽を楽しみたい向きには、あまり薦められないかもしれません。声量がないのは基本的にはマイナスな印象を与えるところではありますが、そのために彼女が広くない会場でのリサイタルという場で活躍をしていることを考えると、一概に言えないでしょう。

ただ、私も折角なら全曲聴いてみたいな、というかオペラに戻ってきてよと言う意見には賛同せざるを得ないところ(苦笑)
追記したような活動をしていくだろう人に、こんな文句は言いませんし、言えません(笑)

<音源紹介>
・アンジェリーナ(G.ロッシーニ『チェネレントラ』)
シャイー指揮/マッテウッツィ、ダーラ、コルベッリ、ペルトゥージ共演/ボローニャ歌劇場管弦楽団&合唱団/1992年録音
>不滅の名盤。バルトリの名を世界に知らしめた作品であるとともに、この曲のベスト盤のひとつと言って良いものでしょう。アンジェリーナの微細な心の動きが伝わって来るかのような名演と言って良いでしょう。細かなフレーズにまで行き届いた配慮が感じられます。キャラ的にはロジーナの方が合いそうな気もしますが、アンジェリーナの方がうんといいのがオペラの不思議なところ(笑)このころはまだ出てきた当初で見た目にもかわいらしいですしね^^(カンパネッラ指揮DVDが手っ取り早く映像で見られるかな?)共演陣も充実しており、伊ものファン必携の録音です。

・フィオリッラ(G.ロッシーニ『イタリアのトルコ人』)
シャイー指揮/ペルトゥージ、コルベッリ、バルガス、デ=カンディア、ポルヴェレッリ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1997年録音
>超名盤。録音が少ないこの作品の定番中の定番でしょう。どちらかと言うとアンサンブル・オペラと言って良い作品だと思いますが、まあバルトリの見事なこと。立派にブッファもやりながら、強烈な装飾技巧を聴かせます。中でも素晴らしいのは2幕のアリアの後半部でしょうか。高音もきっちり決めて最高の盛り上がりを見せます。共演もこれ以上は望めない最高のメンバーと言うべきでしょうし、或いはその名声以上の活躍をしていると言ってもいいと思います。

・伯爵夫人アデル(G.ロッシーニ『オリー伯爵』)2023.10.13追記
タン指揮/カマレナ、オルヴェラ、ヴィドマー、ニキテアヌ、グァリアルド共演/チューリッヒ歌劇場管弦楽団&合唱団/2011年録音
>チューリッヒを支える実力者が揃った映像、当然ながらバルトリはカマレナとともに公演の柱となっています。才気煥発で頭の回転の早そうな女性であることの多いロッシーニのヒロインの多いとしては、ちょっとおっとりしていて抜けたところのある人物なので、バルトリが演じるには少々役不足かもしれないとも思いながら観始めたのですが、箱入り娘として育てられ過ぎてしまったがために浮世離れしてしまったといった風情のエキセントリックな魅力をこの役に与えていてお見事です。登場アリアの冒頭こそちょっと堅物で控えめな様子で登場しつつ、カバレッタでは既にイゾリエと関係を持ってしまうというはっちゃけ具合は一周回って爽快ですらあります。もちろん技巧的なパッセージも多いのですが、それ以上にキャラクターを表現する歌のうまさが際立っており、しかもそこが面白さにもつながっているという、彼女の面目躍如たる舞台です。

・アルミーダ(F.J.ハイドン『アルミーダ』)
アーノンクール指揮/プレガルディエン、シェーファー、プティボン、ヴィドマー、ワイアー共演/コンツェントゥス・ムジクス/2000年録音
>これも彼女がパイオニアとなったと言って良い、素晴らしい作品の素晴らしい録音です。これを聴くとハイドンのオペラをもっと集めてみようかなと思ったりもします(笑)有名な魔女アルミ―ダの多角的で複雑なキャラクターをうまいこと歌い分けています。特に2つ目の激昂して歌うアリアは、これだけ細かい動きをしながら、演技面でもこれだけ怒りの表現ができるのかとひたすら驚くばかり。この魅力的な悪役に対し、プレガルディエンはリナルドの内面を感じさせる思い悩む音楽で実力を発揮しているしその他共演も不足なし。

・アミーナ(V.ベッリーニ『夢遊病の女』)
デ=マルキ指揮/フローレス、ダルカンジェロ共演/ラ・シンティッラ管弦楽団&チューリッヒ歌劇場合唱団/2007-2008年録音
>これはちょっと珍盤の部類に入るのかな。個人的には台本が引っ掛かっちゃってなんだか素直に楽しめない作品ではありますが、音楽は大変立派だと思うので、ここでの演唱のように見事な歌唱を前にすると文句の出しようもありません。アミーナはソプラノで慣れ親しんできましたが、ここでのバルトリの歌の見事なこと。超絶技巧などなくても、繊細で優雅な音楽をそのように聴かせる実力を感じさせる出来です。共演のフローレス、ダルカンジェロも含め一番好感の持てる『夢遊病』でしょう笑。

・ノルマ(V.ベッリーニ『ノルマ』)(2013.9.11追記)
アントニーニ指揮/オズボーン、ジョ、ペルトゥージ共演/ラ・シンティッラ管弦楽団/2011年録音
>不滅の名盤。恐れ入ったとはまさにこのことで、上記のとおりカラスをはじめ重厚でドラマティックな演奏が好まれてきた『ノルマ』という作品の録音に、ひとつのターニング・ポイントを齎した録音です。バルトリはこの録音に向けて相当の準備をしてきたことが伺えます。ベルカントの様式をきっちりと守り華やかな装飾を加えながら、尚且つ役に魂を込めた知的な歌唱というウルトラC!新たなベクトルでのノルマを確立したと言えると思いますし、ここに来てまた表現者としてステージアップしています。共演陣も同様の路線できっちりとやっていて、ジョの柔らかで美しい声はバルトリとの相性もいいですし、ペルトゥージも堂々とした力強い歌いぶりで脇を〆ています。またこの録音でバルトリを褒めるのにオズボーンを貶す向きが多いのは納得いきません。この人は美声ではないですが、ひとつひとつの歌詞をきちんと考えて歌うタイプの歌唱で、技術もあります。歌詞の意味を考えたら本来最初のアリアなどはヒロイックに歌われる筈などない訳で、そういうところ非常にちゃんとした人だと思います(もちろんヒロイックなドラマティコで歌われるのが爽快なのもわかるんだけどね、ここでは路線違いでしょう)。デル=モナコ、ラ=スコーラ、オズボーンと聴き比べるとポリオーネという役、及び『ノルマ』という作品の演奏形態の変容が見れて面白いと思います。アントニーニの音楽づくりも非常に清新です。オケが古楽器というのももちろんある訳ですが、こんなにフレッシュな『ノルマ』が存在しようとは!バロック作品の影すら感じさせる音楽で、この作品の格調の高さが際立っているように思います。四の五の言わずに兎に角聴いてみれ!というレベルの名盤です。

・クラリ(J.F.アレヴィ『クラリ』)2014.8.25追記
フィッシャー指揮/オズボーン、ヴィドマー、ショーソン、リーバウ共演/チューリヒ歌劇場スキンティッラ管弦楽団/2008年録音
>彼女らしい珍しい作品の録音。超絶技巧のオンパレードで相当人を得ないと良さが出ない演目なので、確かに埋もれてしまうのもわからなくはないですが、ここでのバルトリを聴いていると、これだけ歌える人がいるならもっとやって欲しいなあと思ったりもしますwアリアなどは転がしのオンパレードで思わず口が開くほど。恐らく彼女の肝煎りで公演が成立したと思われるだけあって、技巧もさることながらいつもながらの彫り込みの深い活き活きとした歌唱^^もともとそんなに人物表現がいる役ではなさそうですが、やはり流石です。つっころばしをやりながらこちらも超絶技巧を繰り広げなければならない公爵役、オズボーンは過去聴いた中で声質的に一番合ってるかも。バルトリの旦那のヴィドマーもコミカルですし、ショーソンも思った以上に立派な声で楽しめます。フィッシャーの軽やかな指揮も流石。客席大爆笑の演出も気になるところです。

・デズデモナ(G.ロッシーニ『オテロ、またはヴェネツィアのムーア人』)2015.12.21追記
タン指揮/オズボーン、カマレナ、ロチャ、カールマン、ニキテアヌ共演/ラ・シンティッラ管弦楽団&チューリッヒ歌劇場合唱団/2012年録音
>ここのところのバルトリの活躍は本当にめざましく、この映像もまた不滅の名盤と言うべき超名演の記録です。演出は多少時代設定と異なっているところはあるものの現代劇的な緊張感が極めて高く、また音楽的にも卓越した演奏。ロッシーニの『オテロ』を知るためにはこれ以上ないディスクと言っていいでしょう。オズボーンはじめ3人のテノールの出来も、カールマンやニキテアヌといった脇の人たちの出来もこれ以上望めないほどいいのですが、2幕のアリアから3幕で完全に彼女が全てを持って行きます(笑)登場してすぐの2重唱ではニキテアヌとともに豊かな声でうっとりするようなアンサンブルを聴かせていますし、同様のしっとりした歌のうまさと言うところであれば、やはり有名な柳の歌!そもそものロッシーニの音楽が素晴らしいこともありますが、その悲痛な歌からオテロとの緊迫したやり取りそして潔い死にざまなど非常にドラマティックで目が離せません。その知的なパフォーマンスで、ノルマの音源でも歌とドラマとを高度に結晶していた彼女だった訳ですが、映像が入るとそれもまたひとしおと思わせる凄みがあります。そういった点で、個人的に最も印象に残ったのが2幕のアリア・フィナーレです。ここでは、まさに彼女の血の通った超絶技巧が冴えわたっていて、強烈なコロラテューラにデズデモナの当惑と落胆が凝縮されています。バルトリの新たな魅力を知ることができる映像が、またしてもこうして現れたことは、我々にとってありがたいことです。

・アルミレーナ(G.F.ヘンデル『リナルド』)2016.3.8追記
ホグウッド指揮/ダニエルズ、オルゴナソヴァ、フィンク、テイラー、フィンリー、メータ共演/エンシェント室内管弦楽団/1999年録音
>バロックには明るくありませんが、そんな自分から聴く限りは見事な演奏だと思います。同じ原作に基づくハイドンの作品ではアルミーダを演じていたバルトリが、ここではリナルドの戀人であるアルミレーナを歌っています。世評では「彼女はアルミーダを演じるべきだった」とする意見が大多数を占めており、その意見もよくわかるのですが、私自身はここでの彼女にはまた別の魅力を感じるように思います。巧みに多彩な声色を使い分ける様には頭が下がりますし、繊細な弱音の表現は抜群にうまいです。最も有名な“私を泣かせてください”は味付けが濃過ぎるという意見もあると思いますが、これはこれで名唱。彼女のお蔭でこのヒロインが表情豊かになった側面はもっと評価されていいように思います。他方アルミーダのオルゴナソヴァも巷間で言われているほど清純過ぎるというような声ではなく、むしろ切れ味の鋭いエッジの立った高音は、この役にエキセントリックな個性を与えているように思います。主演のダニエルズ他、共演も揃っています。

・ドンナ・エルヴィーラ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)2017.4.23追記
アーノンクール指揮/ギルフリー、ポルガール、レイ、サッカ、ニキテアヌ、ヴィドマー、サルミネン共演/チューリッヒ歌劇場管弦楽団&合唱団/1991年録音
>不滅の名盤。彼女はこの演目ならツェルリーナだろうと思いながら観始めたのですが、登場した瞬間にこれはエルヴィーラだ!と考えを改めました。正直申し上げてこの役は今一つその面白みが掴めていなかった部分があったのですが、彼女で観て初めてなるほどと思った次第。普通に聴くとちょっとギョッとするぐらいモーツァルトにはキツい口跡が、嫌味にならずにエルヴィーラのエキセントリックで浮き沈みの激しい性格を引き出しています。2つのアリアのコロラトゥーラの凄まじさはそもそも楽譜に書かれているということ以上に、彼女の歌唱によって鮮烈になっていると言えるでしょう。これなら1,800人を相手にしたドン・ジョヴァンニがたじたじとなるのもよくわかりますwまた、バルトリが録音した順番こそ逆ですが、彼女の歌唱によって、モーツァルトがヘンデルやハイドンの延長線上にあることも感じられました(ひょっとするとロッシーニやモーツァルトにあるそうした部分をたどってどんどん古い時代に戻っていったのかもしれませんが)。この作品を一旦洗い直したようなアーノンクールの指揮と、物語の筋は変えていないながらも現代的なフリムの演出にも溶け込んでいます。共演で最も面白いのはポルガール、確かにドン・ジョヴァンニの従僕ではあるのですがどこかその枠に収まらない、メフィストのような凄みを感じます。ギルフリーはこの中ではかなり正統派のドン・ジョヴァンニながら、バルトリにもポルガールにも負けずにしっかりと存在感を示しています。残るメンバーも実力があり上々。

・フィオルディリージ(W.A.モーツァルト『女はみんなこうしたもの』)2019.11.1追記
アーノンクール指揮/ニキテアヌ、サッカ、ヴィドマー、バルツァ、ショーソン共演/チューリッヒ歌劇場管弦楽団&合唱団/2000年録音
>彼女がソプラノの役に重点を置き始めたころの映像。この演目において女声が3人ともメゾというのはなかなか興味深いですが、この中ならば彼女がソプラノ役をやることがよくわかります。速射砲のような激しいコロラテューラはいつもながら見事で、フィオルディリージに与えられた堂々たるアリアも重くなりすぎず、しかし十分な荘重さ(とバカバカしさ)を以て歌い出してます。彼女が他の役で見せるような過激さこそありませんが、この役の前半のやや潔癖な生真面目さをほんの少しエキセントリックに演じているのがとてもいいです。共演は盤石ですが中でもやはりバルツァのデズピーナが強烈。万全なハッピーエンドに終わらせない演出を含め、オススメできる映像です。
オペラなひと | コメント:5 | トラックバック:0 |

アバド盤『マクベス』~ギャウロフを聴く/その2~

ギャウロフを改めて聴いてみようというシリーズの第2弾。
の、つもりだったんだけど普通に『マクベス』に嵌っていろいろ聴いてしまったww

アバド旧盤『マクベス』。
(なお、この記事を書くにあたって、フィッシャー=ディースカウ主演のガルデッリ旧盤(1971)とカプッチッリ主演のガルデッリ新盤(1986)、タッデイ主演のシッパーズ盤(1964)、ミルンズ主演のムーティ盤(1976)、ウォーレン主演ラインスドルフ盤(1959)、グェルフィ主演のガヴァッツェーニのライヴ盤(1968)、堀内主演のサッカーニのライヴ盤(2009)、ヌッチ主演のシャイー盤(1986)も併せて鑑賞しました。カラスの出ているヴォットー盤は、ちょっと鑑賞以前の音質だなと思ってスルーしました…私はカラス教徒ではないので。)

G.F.F.ヴェルディ『マクベス』(1976)
マクベス/ピエロ・カプッチッリ
マクベス夫人/シャーリー・ヴァ―レット
バンクォー/ニコライ・ギャウロフ
マクダフ/プラシド・ドミンゴ

クラウディオ・アバド指揮
ミラノ・スカラ座合唱団&管弦楽団

ギャウロフが出ている全曲盤は2種類。
今回のガルデッリ旧盤をメインにしようかアバド盤をメインにしようかっていうのは、結構悩むところではあって。ギャウロフについて言えばどちらもいいところがあるし、音源全体としてもそれぞれ趣味に合うところ合わないところがあるし…総合的に判断して、ギャウロフの出来がいい方を。

まずギャウロフについて言えば、ガルデッリ盤の方が若干早い時期だということもあってか、声にゆとりがあるように思います。ギャウロフはキャリア自体も結構長いし、いい録音がたくさんあるのですが、実質的な声のピーク自体はあまり長くないと思っていて、名盤と言われているものには、その圧倒的な表現力、歌の巧さで聴かせている部分が少なからずあると、個人的には捉えています。
録音年にして僅か5年の差ですが、声そのものを俎上に取るならガルデッリです。但し、バンクォーについてはドン・ジョヴァンニのように色気の欲しい役という訳ではないので、声の色艶が多少落ちていると言ってもアバド盤が、ものすごく聴き劣りするという印象はありません。渋さを買うならアバド盤でしょう。
あとは指揮者の趣味か。ガルデッリは結構サクサクとしたテンポ感のイタオペっぽい音楽作り、一方のアバドはゆっくりじっくりテンポを取り、不気味な雰囲気。個人的にはこのアバドの不気味な音楽作りが大変冴えていると思います。その不吉な空気を感じながら、不安に駆られて歌うと言う感じをギャウロフは非常に良く出している。ガルデッリも悪くないんだけど、ちょっと拙速な感じがしてしまうのよね。

いずれについても、この演目ではギャウロフは基本的に脇に徹しているという印象。もちろん結構重要な役どころではありますから、しっかりと存在感は示しているのですが、あまり前に出ることは、敢えてしていません。
アリアでは朗々と歌うというよりは、不吉な予感を訥々と語り出す感じ。ヴェルディ自身はこの部分をアリアとはせず、グラン・シェーナとしている筈なので、アプローチとしてはそういう方が良いのかもしれません。

聴き比べた中では、R.ライモンディ(ムーティ盤)が、特にアリアで不気味な雰囲気をよく出しており、好みでした。場合によってはギャウロフよりも好きかも知れません。レイミー(シャイー盤)はいまいちヴェルディに合わない気がしている歌手ではありますが、独特の品格があり、マクベスに危機感を抱かせるバンクォーという意味ではありなのかも。ハインズ(ラインスドルフ盤)、風格があっていいのですが、もう一つパンチが欲しい。フォイアーニ(シッパーズ盤)、ガエターニ(ガヴァッツェーニ盤)、コヴァーチ(ガルデッリ新盤)は、それぞれいいところはあるものの、もう一声というところ。タノヴィツキ(サッカーニ盤)は魅力薄。
総合するとギャウロフかR.ライモンディか。

当たり障りのなさそうなところから他の役の比較しよう(笑)マクダフのドミンゴ(アバド盤)はとてもいいのですが声がゴージャス過ぎてまるで主役なのが玉に瑕でしょうか(苦笑)や、この声でこの出来で文句を言う方がおかしいのはわかってますが^^;パヴァロッティは、声質的に必ずしもベストな役柄という訳ではなさそうですが、この録音のころの彼は何を歌っても一定以上の感動を与えてくれるぐらいの美声を誇った時期ですから不満はありません。とはいうものの三大テノールでは結局カレーラス(ムーティ盤)が一番適性に合った仕事と言えそうです。ベルゴンツィ(ラインスドルフ盤)はスタイリッシュな歌がたまりません。端正なイタリア・オペラを聴きたければやはりベルゴンツィでしょう。録音の少ない名テノール、プレヴェーディもいい仕事をしています。ヴェルディの旋律にはこういうイケメン声は栄えます。日本では人気のあまりないルケッティ(シャイー盤)やキシュ(サッカーニ盤)、無名と言って良いケレン(ガルデッリ新盤)もそれぞれにいい仕事していますが、カセッラート=ランベルティ(ガヴァッツェーニ盤)は声が軽すぎかなぁ…。
大きくない役だというのもあるでしょうが、マクダフは比較的趣味で選べる感じ。

指揮も結構古今の名匠が振っている感じなので、選べるところではあるのではないかと。イタオペわかってんなぁと思うのはやっぱりムーティやシャイー。アバドは所謂イタオペっぽい演奏だとは思わないんだけど、丁寧な仕事ぶりでこの悲劇を不気味に仕上げていて良い。シッパーズとガヴァッツェーニは演奏自体はカッコいいんだけどカットが多いのが(泣)ラインスドルフは中庸の美、サッカーニは印象薄。ガルデッリは旧盤ではなかなか引き締まったいい仕事なんだけど、新盤はなんかたるんじゃった感じで今一つ。

問題はこっからで、まずは陰の主役たるマクベス夫人。
音楽的に大変厄介な役どころというだけでなく、ただ綺麗に歌ったんじゃ全然つまんなくて、そこに例えば迫力だったり狂気だったりそういう付加価値がつかないといけない。そしてこの役ががっかりだと、全体ががっかりになってしまうという(苦笑)ベストはカラスだという人も多くいるんですが…あの音質ではちょっと判断しかねます。
今回のアバド盤のネックがそこで、個人的にはまずヴァーレットの声が魅力的なものとは思えないし、この役でどうしても欲しい迫力、それも低音域での凄味に不足している気がします。アバド盤が決定盤と言えない理由がここ(^^;シャイー盤も同じくヴァーレットが夫人なのでパス。ニルソン(シッパーズ盤)、リザネク(ラインスドルフ盤)はなんか方向性が違うし、コッソット(ムーティ盤)は意外と迫力がない。大熱演のゲンジェル(ガヴァッツェーニ盤)はかなりいいんだけど後半息切れしているし、ルカーチ(サッカーニ盤)も凄い迫力には瞠目するもののこちらは前半の音程が不安定。シャシュ(ガルデッリ新盤)はそういう意味では総合的に見ていい出来だと思った訳ですが、それよりも頭一つ分前に出ているのが、ガルデッリ旧盤のスリオティス。彼女は一瞬で消えてしまった人ではあるけれど、ここでの夫人は蓋し希代の名演と言うべきもの。若干技術の甘さはあるけれども、これだけの声で、これだけの迫力で歌われれば文句はまずありません。

ガルデッリ旧盤で実は一番ネックになってくるのが、主役のマクベスを歌うフィッシャー=ディースカウ大先生(^^;やー、まーイタオペじゃないんだ、このひと。他のヴェルディ作品だったらちょっとご遠慮願いたいと思うところ。ただこのマクベスという役は、ヴェルディのバリトン役の中でもちょっと異質で、かなり心理劇的役どころということもあり、フィッシャー=ディースカウのちょっと練りすぎなんじゃないかというような歌唱でも納得できるところではあるのです。狂乱の場面や幻影の場面に関しては、或る意味で伊系のバリトンよりも真に迫ったものになっているように思います。ただ、声はまったく伊的でないので、そこの違和感は拭えない(苦笑)
やっぱりいいのはアバド盤及びガルデッリ新盤のカプッチッリです。決定的に伊系の声だし、いかにもヴェルディらしいこの役で彼が悪かろうはずがない、というところ。声自体はやはりアバド盤の方がうんといいですが、キャリアを積んでからのガルデッリ新盤ではより掘り下げた表現を楽しむことができます。特にガルデッリ新盤のアリアの後の凄まじい笑いは、一聴の価値ありです。独白などはどちらもそれぞれの味わいがあります。ただ、意外と狂乱や幻影の場面はちょっと間延びしてしまっている気がして、こちらはフィッシャー=ディースカウの方がむしろ好きだったり。伊系の人たちは何故か全体に狂乱の場面や幻影の場面がいまひとつだったりする。
そういう意味では日本を代表するバリトン堀内(サッカーニ盤)は、かなりいい線行ってると思います。声はフィッシャー=ディースカウよりうんと伊的だし、狂乱や幻影の場面は、伊系のバリトンよりも良い。こういう歌手が日本にいるというのは誇るべきことでしょう。
同じような路線で期待したヌッチ(シャイー盤)は、そういう意味では思ったよりおとなしくてちょっと期待外れ。十分水準以上だし、よく練られた役作りだし、例えば独白なんかは素晴らしいんですが…ライヴが聴いてみたい。ヌッチと近い気がするのはミルンズ(ムーティ盤)。どちらも「気弱なマクベス」として一本筋が通っていて、悪くないですが、個人的には「武将マクベス」という面も欲しいところ。そういう意味では剛毅極まるグェルフィ(ガヴァッツェーニ盤)や、男気あるタッデイ(シッパーズ盤)の方が好みです。特にグェルフィは、狂乱や幻影も良かったしアリアもカッコいいしで、なんで正規録音しなかったんだろうという感じ。ウォーレン(ラインスドルフ盤)はちょっとこの中だと役作りが単調なような気もしなくはないですが、マクベスの悲哀みたいなのは出ていて悪くはありません。特にマクベスの死(通常カットする曲で、あと歌ってるのはアバド盤のカプッチッリのみ)は絶品。なんでアリアの最後をオクターヴ挙げたのか謎ですがwww

以上のように全体を見渡した時に、一番平均点が高いのはガルデッリ旧盤なような気がしますが、ギャウロフに限って見るとアバド盤の方がいいかなと思う訳です(笑)
ギャウロフのファン的には彼の美声と脇に回った魅力が楽しめる録音で、お勧めできます。


(2013.1.14追記)
と、書いていた訳だけれども、ついに私自身としてはベストと思えるマクベスに巡り逢えました!ムーティ指揮ブルゾン、スコット、ロイド、シコフ、ティアーの1981年ロンドンLIVE盤で、総合点はダントツでこれだと思います。もちろん断片的には他盤の凄さを思うところ(ガルデッリ新盤のカプッチッリのアリアとか)もなくはありませんが、これは本当に素晴らしい!あくまで歌うところに徹しながらも緊張感ある表情を見せるブルゾン、鬼気迫るスコット、不吉な雰囲気を醸し出すロイドにちょっと哭き過ぎながらも哀感あるシコフ、勿体ないぐらいのティアーと気合の入ったムーティ。これは大ブラヴィ!!!

(2013.8.29更に追記)
カプッチッリ&ギャウロフが歌っていて、夫人がヴァーレットではないと言うなんとも俺得な音源を入手しました!夫人はディミトローヴァ、マクダフはリマ、マルコムは市原、医者にリドル(!)、シャイー指揮1984年のザルツブルクLIVEです。微妙な欠落があったりLIVEらしい疵もあるのですが、これは楽しめます!
まずギャウロフですが上記2盤より出来がいいと思います。アバド盤よりだいぶ後ですが声の衰えがあまり感じられませんし、表現はもちろん深い。バンクォーは悪役でも不気味キャラでもありませんが、悲劇の人らしい不吉な雰囲気が欲しいところで、そこも文句なし。LIVEらしい脂の乗った歌で素晴らしいです。
リマのマクダフも上記の諸テノールと比べても遜色ない、或いはベストと言ってもいい出来だと思います。力強いけれども重くないスピンとが心地いい。マルコムの市原もリマに負けておらず嬉しいところ。
ディミトローヴァの夫人は欲を言えばきりがないですが個人的には悪くないと思います。もちろんもっとニュアンスをつけて欲しいと思うところはありますが、やはり彼女の持ち味である力強い濁声と隈取りのキャラづくりはこういう異形の人物にはピタッと来ますね^^
カプッチッリのマクベスも彼の中ではベスト、というか僕の聴いたマクベスの中で最高の出来だと思います。これはすごい歌唱!独白での凄まじい迫力はそれぞれ面白かったスタジオの2つを超えるものだし、狂乱、幻影の場面に至ってはスタジオの比ではありません!夫人とのふたつの重唱ではディミトローヴァすら喰ってしまっている強烈な歌唱。対してアリアでの茫然とした雰囲気(ここはガルデッリ新盤とは違うアプローチと思います)、死での直截な表現など出てくるところ全てが聴きどころ。聴きたかったマクベスはこれだ!という感じです。

(2014.11.17またしても追記)
もうなんかギャウロフのことを語る本筋からずれまくっていますが、新たに手に入れた音源から、マクベスでゴッビの話をしないのはあまりにも片手落ちと思いますので(笑)
予想通りと言えば予想どおりなのですが、やはり伊国の演技派の代表とも言うべき人らしく、非常に性格的な役作り。こういうのをやらせると彼の右に出るものはいないと言う感じで、イメージどおりのマクベスを演じて呉れています。何故かアリアがカットされていますが、独白、狂乱、幻影など抜群の満足感。モリナーリ=プラデッリの穏健な指揮、ロビンソンのバンクォー、タープのマクダフ、そしていい感じに汚らしい合唱など平均点は高いです。惜しむらくは夫人のシャードがいまいちなこと。ここが決まればベストになりえるのですが。
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クレンペラー盤『ドン・ジョヴァンニ』~ギャウロフを聴く/その1~

また何の脈絡もなく突然新たなシリーズを始めてみるww
前々から何度も出てきてるんですけど、バスのニコライ・ギャウロフ好きなんですが、長いこと何となく聴いてなかったクレンペラー盤『ドン・ジョヴァンニ』を聴いてみたら、これがまあ良いの良くないのって、こんなに嵌ったのは久々でございました(笑)
で、ちょっとこれを切欠にギャウロフの歌劇の全曲を改めて聴き直そうかなと。
尤も、私はギャウロフのファンですから、バイアスを考慮して、話半分に読んでくださいね笑。

という訳で、初回はその、クレンペラー『ドン・ジョヴァンニ』。
(なお、この記事を書くにあたって、ギャウロフ主演のフォン=カラヤンのライヴ盤(1968)、及びシエピ主演のフルトヴェングラーのライヴ盤(1953)も併せて鑑賞しました。)

W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』 (1966)
ドン・ジョヴァンニ/ニコライ・ギャウロフ
レポレッロ/ヴァルター・ベリー
ドンナ・エルヴィーラ/クリスタ・ルートヴィヒ
ドンナ・アンナ/クレア・ワトソン
ドン・オッターヴィオ/ニコライ・ゲッダ
ツェルリーナ/ミレルラ・フレーニ
マゼット/パオロ・モンタルソロ
騎士長/フランツ・クラス

オットー・クレンペラー指揮
ニュー・フィルハーモニア合唱団&管弦楽団

バスやらバリトンやらが好きだと言いながら、白状すると長らくあまり良さを実感できずにいたのがこの作品。
部分的にはシャンパン・アリアや地獄墜ち、カタログの歌などなど好きな曲はあったものの、どうも総体としてピンと来ていなくて、いくつかの録音――定番と言われるシエピをタイトルロールに据えたものや、大好きなブランが登場しているもの――も聴いてはみたものの、正直うーんという感じだったのです。そもそも最初に聴いた録音がフォン=カラヤン指揮のライヴで、しかも今回紹介するものと同様にギャウロフを主演に据えたものだったのに、なんとなくしっくり来なかったのも、大きかったりする。それもあって、名盤の誉れは高いものの、なんとなく手を出す気がしなかったのです。

で、一念発起した結果。
なんで今まで自分はこれを聴かないできたかと大反省(苦笑)
更に1回気に入った録音がそうしてできてしまうと不思議なもんで、これまでしっくり来なかった他の録音を聴いてもしっかり見通しが立つという…笑。

さて、クレンペラー盤ですが、これはもう、何といってもギャウロフの声が圧倒的に凄い。
これは、声の魅力という意味では、彼の数ある録音の中でも断トツのものでしょう。どちらもそこまで録音年が異なる訳ではありませんが、フォン=カラヤンのライヴ盤の貧弱な録音では掴み切れていなかった彼の声が、こちらでは存分に楽しめます。更に言えば、スタジオ録音にも拘わらずこちらの方がギャウロフ自信がノッている印象です。全編に亘って彼の歌っている部分では、彼の声に耳が行ってしまう。正に痺れてしまう、という表現が相応しいでしょう。
ただし、シャンパン・アリアは圧倒的な勢いのあるフォン=カラヤン盤とほぼ互角、趣味の問題でしょう。

彼の創るジョヴァンニ像は、一言で言うなら豪放磊落。
声の力を最大限に活用して、縦横無尽に暴れまわるジョヴァンニを、荒々しいながらも生命力に溢れた歌で作り上げています。恐らくシエピのジョヴァンニを最良と考えられている方からすれば、ギャウロフのそれはあまりにも粗野で野卑なものと捉えるだろうとは思うのですが、それでもギャウロフには抗いがたい魅力があるのも、また確か。例えて言うのならば、緻密に描かれ、計算されたレンブラントの作品のような印象のシエピと、荒々しいながらも逞しいドラクロワの作品を思わせるギャウロフと言ったところでしょうか。この2人を較べてどちらが勝っているなどということにはあまり意味がなくて、単純にどちらが好きか、というレベルの話なのだと思うのです。改めて聴き比べて、少なくとも今の私にはギャウロフの豪快な表現が好みに合っていました。
もし、私のようにシエピのドン・ジョヴァンニがなんとなくしっくりきていない人がいるのなら、ご一聴をお勧めします。

クレンペラーの指揮は、前評判で聞いてはいたものの、大変ゆったりとしたテンポのものですが、歌手たちの力演もあり、緊張感を失わないもの(尤も、ワトソンは遅いテンポに対応しきれていませんが)。近年では流行らないというデモーニッシュな迫力を重視したものですが、私は大変気に入りました。録音が良好なこともあり、フルトヴェングラーやフォン=カラヤンよりもさらに重厚な印象です。

さて、そんな訳でギャウロフとクレンペラーは最高ですが、残念ながら他のキャストには凸凹がある印象。

いい方から言うならば、まずはオッターヴィオのゲッダ。万能型の彼の実力はここでも遺憾なく発揮されていて、その柔らかながらも力強い美声はとても耳に心地いいです。尤もこの役については、今回参考で聴き比べた他の2盤のテナーも素晴らしい。フォン=カラヤン盤のクラウスは、いつもながらノーブルな声と表現で貴族的なオッターヴィオを造形しています。しかし、そんな2人の名歌手を以てしても、これはちょっと敵わないなと思わせるのがフルトヴェングラー盤のデルモータ。まさにモーツァルト・テナーの面目躍如といった感じですが、この役には本当に合っているんだと思います。個人的にはヴンダーリヒやシュライアーと比べてもデルモータに軍配が上がる印象です。まさに当たり役。とはいえ、この3人はみんな一般にはつまらないと言われるこの役を、聴かせて呉れるという点では間違いないです。

それからフレーニのツェルリーナも、流石娘役のスペシャリスト、というべき出来。これはフォン=カラヤン盤でも同様のキャストですし、どちらも上々。フルトヴェングラー盤のベルガーは、フレーニとは全く違う声質で、より可憐なツェルリーナ。敢えて言えばフレーニの方が強かなこのキャラクターに合ってるような気もしますが、これも趣味の問題と言ったところでしょうか。

ベリーのレポレッロは思ったよりシリアスで、ちょっと怖いぐらいの印象ではありますが、クレンペラーの音楽作りがそもそもあまりブッファではないですから、ありかなと。フルトヴェングラー盤のエーデルマンとフォン=カラヤン盤のエヴァンズはどちらも同じような役作りですが、柄の大きさではやはりエーデルマンか。この役に関してはコレナやフルラネットなど他にも優れた歌い手がいますから、もう少し聴きこまなくては、というところです。ちなみに、カタログの歌だけはギャウロフもアリア集で歌ってますが…声は兎も角、まぁキャラ違いww

マゼットのモンタルソロはもっと暴れるかと思いきや意外と普通でしたが、演奏自体はいいですね。フォン=カラヤン盤のパネライはこういう等身大の役には似合いますが、音域がちょっと合ってない感じ。フルトヴェングラー盤ではこちらに回っているベリーも音域がちょっと違うかな。

騎士長のクラスは手堅く仕事をこなしていますが、迫力という点でちょっと物足りないかも。恨みがこもっている感じはかなりしていて、そこはいいwwフォン=カラヤン盤のタルヴェラは声はいいけど、ちょっと凄み過ぎかな。フルトヴェングラー盤のアリエは、もっと評価されていいと思います。彼の弱点として最低音があまり響かないという点はあるのですが、その粘り強い声質で端正に歌われると、下手に極低音が出るとか凄むとかっていうようなひとよりもうんと迫力が出ます。この役の場合、騎士長はこの世の者ではありませんが、悪人ではないため、大審問官が似合う人が似合うとは限らないのですが、この人はどっちもいけますね。ここでは登場していませんがモルやフリックも素敵。存在するならネーリでも聴いてみたいですね^^

残念ながら今一つの印象なのがエルヴィーラのルートヴィヒ。ちゃんと歌ってはいるのですが、メゾ・ソプラノの彼女にピッタリの役とは言えないな、という印象。この役は彼女以外でもメゾがやっているものがありますが、やはりソプラノの方が好ましいと思います。フォン=カラヤン盤のツィリス=ガラは悪くないと思いますが、ここはやはりフルトヴェングラー盤のシュヴァルツコップフでしょう。役者の違いを感じさせる歌唱で、1幕の短いアリアでも貫録を感じさせます。

アンナのワトソンは、前述もしましたがクレンペラーのテンポ設定についていけてない感じで、アリアは正直聴いててしんどい。フォン=カラヤン盤のヤノヴィッツ、フルトヴェングラー盤のグリュンマーともに悪くはないものの、今一つ決め手を欠く感じ。この役はダンコのきりっとした名演が印象的です。

そんな感じですから、全体としてみるとギャウロフが出てこないアンサンブルはちょっと退屈に感じられる――というか曲自体、ジョヴァンニの出てこない部分のアンサンブルが退屈?――に感じられる、という印象です。
しかし、最盛期のギャウロフの圧倒的な声とクレンペラーの迫力ある音楽作りを楽しめるという意味では、これは間違いなく名盤だと言っていってでしょう。

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オペラなひと♪千夜一夜 ~第三十二夜/伊国バスの神髄~

前回に引き続き、長いこと書きたかった人を。

CesareSiepi2.jpg
Don Giovannni

チェーザレ・シエピ
(Cesare Siepi)
1923~2010
Bass
Italy

このひとを以て20世紀最高のバス歌手とするひとも少なくない、名手中の名手。
私の愛するニコライ・ギャウロフに対抗する名歌手であります。

一口にバスと言っても実際にはいろんな区分があって、例えば、お国柄による音色の違いなんて言うものがあります(あくまでイメージですが)。
私の好きなギャウロフやらクリストフやらというのはどちらかというとごわごわとした響きのバルカン系のバス、それからモルやフリックのように黒い森を想起させるダークで深い響きの独系のバス、そしてこのシエピを代表とする、響き自体はものすごく深いんだけれども、音色は明るくあたたかみがあり、やわらかでしなやかな伊系のバスです。彼以前であればピンツァが、彼以降であればルッジェーロ・ライモンディやスカンディウッツィが当てはまるであろう一群です。個人的にはそうした歌手たちの中で最も親しみがあり、録音史上に於いて燦然と輝く存在がシエピだと思っています。
また、そうした歌手の中でも録音の数の多さでは上位に来るでしょう。正規録音はもちろん、ライヴでも録音が多い。

レパートリーはもちろん基本的に伊もの。
ヴェルディやドニゼッティ、ベッリーニはもちろんですが、やっぱり彼の名刺代わりの役と言えばモーツァルトのドン・ジョヴァンニ、ということになるのでしょう。
その端正な伊的な美声と歌い口はもちろんのこと、甘いマスクとすらっとした容姿で大変な人気を得、いまだに理想的なドン・ジョヴァンニと言えば彼の名を挙げる人は尽きません。嬉しいことにその姿は映像にも残っていますし、正規録音が1つとたくさんのライヴ録音でも楽しむことができます。

<演唱の魅力>
好きなバスが誰かと訊かれればギャウロフと答える私でも、美声のバスは誰かと訊かれれば、まっさきに思い浮かぶのはシエピの名前。もう声の美しさをとったら、彼以上の歌手は思いつきません。バス歌手としてあらまほしき深みを湛えながら、暗くも重くもなり過ぎない。明るさ柔らかさがあります。
バスというのは本当に厄介で要求の多いパートで、しかもレパートリーによる制約も多いです。イタオペの音楽で要求される声を考えると、深みや響きの点では優れていてもバルカン・バスではあまりにも暗すぎるという場合もあるし、独バスではなんというか音楽的に生硬さやゴツゴツしたものが感じられてしまってどうも、という場合もままあります。例えば最近大変人気のあるパーペのフィリッポ2世(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)は、私は2回実演も聴きましたが、彼の生硬な歌や声は、本来的にはこの役には合わないと思う。そんななかで、およそ伊もののバスの要求をすべてこなしているのがシエピなのです。また、ヴェルディの諸役について、ギャウロフやクリストフのような強面で陰気な響きのあるバルカン声で聴きなれたあと、シエピの声で聴いてみると、そのスマートで垢抜けた響きに驚くと同時に感動します。まったく整った声!その耳ざわり、質感の良さはバスティアニーニと並ぶまさにベルベット・ヴォイスであり、この2人が同じ時代に活躍し、数々の録音を残したということは、全く幸運だっというほかないでしょう。

そして同時にその歌の美しいこと。
たびたびご覧の方はお分かりかと思いますが、私は基本的に端正な歌に惹かれる傾向にあります。彼の歌唱は基本的には音楽を優先したものであり、音楽上の要求のないところで必要以上に感情を込めて演技や語りに走ったりということのない歌です。ヴェルディ以前の作品に於いて、私はまず歌をしっかり歌うことを優先すべきだと考えていますが、そういう意味でシエピの歌唱はまさに理想的。そして、そういう歌唱を普段する人だからこそ、ライヴ録音などでの感情の迸りが活きるのです。べたべたとたくさん演技をすればいいというものではない。もちろん卓越した演技力で魅せる歌手も私は好きですが、シエピのようなバランスのとり方をする歌手が近年とみに少ないような気がするのは、残念です。

彼を語るうえで絶対に欠かせないのは、前述のとおりW.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』の題名役でしょう。その貴族的な高貴さ、匂い立つダンディズムと言ったら!ドン・ジョヴァンニは多面的で非常に難しく、昔からいろいろな解釈のなされているキャラクターだと思いますが、まず第一条件として数々の女を籠絡させるだけの魅力がなければ務まらない。これはもう、どう歌おうが演出がどうなろうが、本当に残酷なことながら、ご本人の発することのできるオーラ、雰囲気、男性的な魅力によるところになってしまいます。その点、シエピには希代の魅力があるのです。そうした魅力を持った人が丁寧に音楽的に歌うのがまたいいのでしょう。彼の歌うドン・ジョヴァンニには、レンブラントの筆遣いを思わせるような、精緻さがあります(この辺りはギャウロフのドン・ジョヴァンニの話をした回で細かく書きました)。
他に忘れられないものとしては、G.F.F.ヴェルディのフィリッポ2世、修道院長(『運命の力』)、G.ドニゼッティのマリーノ・ファリエーロ(『マリーノ・ファリエーロ』)、ライモンド・ビデベント(『ランメルモールのルチア』)、バルダッサーレ(『ラ=ファヴォリータ』)、そしてA.ボイトのメフィストーフェレ(『メフィストーフェレ』)でしょう。特にメフィストーフェレで聴かせる悪魔の魅力は、嵌ると癖になること請け合いです。ここでも特段迫力を出すことを前面には押し出していないのですが、その深々とした声で蠱惑的でお洒落な悪魔を作り上げています。

<アキレス腱>
もう趣味の問題でしかないのですけれど、彼のアクの少ない美声は非常に若々しく響くので、ヴェルディの諸役についてはその魅力を感じると同時に、ちょっとキャラ違いを感じてしまうこともあります。ヴェルディのバス役は基本的におじいちゃんですから(笑)もう端正な美声という意味では絶対シエピなんだけど、それでも美声好きの私にもかかわらずギャウロフの方が……となってしまうのは、そういうところからなのかもしれません。や、贅沢すぎることを言っている、というかやっぱり趣味の問題でしょうが。

あと、エーリッヒ・クライバー指揮の『フィガロの結婚』(W.A.モーツァルト)の題名役が古くからかなり評価高いですが、個人的には、その歌唱の見事さはもちろん認めるけれど、余りにも高貴な感じがしてしまってですね(^^;伯爵演ずるアルフレート・ペルよりもノーブルなんだもんね(苦笑)いっそ伯爵歌って欲しかった気もする、フルラネットも伯爵歌ってるし。

<音源紹介>
・ドン・ジョヴァンニ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)
フルトヴェングラー指揮/エーデルマン、シュヴァルツコップフ、グリュンマー、デルモータ、ベルガー、ベリー、アリエ共演/VPO&ウィーン国立歌劇場合唱団/1953年録音
>シエピのSignature rollであるこの役は素晴らしいことにスタジオ録音含め結構音源が残っているし、映像でも楽しむことができる。ギャウロフが同じ役をより豪快にパワフルに描いたのに対し、シエピは希代の色事師ではありながらも貴族的な雰囲気を失わない役作りを精緻に行っている感じ。どこまでもダンディなドン・ジョヴァンニは必聴!共演の面々はいずれも他の音源でも共演している“お仲間”と言った感じですが、私の大好きな美声バス・アリエの騎士長との対決が楽しめるのはこれだけ。アリエはごりごりと亡霊っぽさを押し出すわけではなく、淡々と歌うことで騎士長の存在感を増していると思います。この2人に名手中の名手エーデルマンのレポレロが絡む地獄墜ちは、やはりハイライトと言って良いでしょう。

・フィリッポ2世(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
ヴォットー指揮/ロ=フォレーゼ、チェルケッティ、バスティアニーニ、バルビエーリ、ネーリ共演/フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団&合唱団/1956年録音
>棄てがたい部分もありつつ難も多い録音。とはいえシエピは手放しに賞賛できるものです。ギャウロフが老齢の王を思わせるのに対し、シエピの描くフィリッポはより若々しい、壮年の男の苦悩は、私のイメージするフィリッポとは違いますが、これはこれで素晴らしいの一言。“独り寂しく眠ろう”を全編あくまでしっとりと嘆きながら感興を引き出すなんて言うのは、やはり常人のなせる業ではないと思います。そして史上最強の宗教裁判長ネーリとシエピの対決が聴けるというのも大変魅力的!大迫力で思わず聴き入ってしまうこと請け合いです。それからエリザベッタをなじる場面の迫力も、この人がここまで崩すのか、と思わず息を呑む出来。但し、音質はかなり悪いですし、異端者火刑の場がなんだかしらないがやたらアンサンブルが崩壊してます(^^;あとここでのバルビエーリはちょっと期待はずれです。

・メフィストーフェレ(A.ボーイト『メフィストーフェレ』)
セラフィン指揮/デル=モナコ、テバルディ共演/聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団/1958年録音
>これも名盤でしょう。私のお気に入りの悪魔役ですが、必要以上におどろおどろしくするのではないスタイリッシュな悪魔の魅力を打ち出しています。角をつけて翼が生えた悪魔と言うよりは、品位ある紳士のような身なりをしてファウストに近づく悪魔、ということでメフィストにはこういうアプローチもありだと思う訳です。深くて底の見えない声が非常に魅惑的。可憐なテバルディのマルゲリータもいいのですが、個人的にはデル=モナコのファウストは好みではありません。他の曲であればディ=ステファノよりデル=モナコが好きだけど、この曲であれば、当初の予定通りディ=ステファノにファウストをやって欲しかったです……(ディ=ステファノの体調不良で流れたのだとか)。

・修道院長(G.F.F.ヴェルディ『運命の力』)
モリナーリ=プラデッリ指揮/デル=モナコ、テバルディ、バスティアニーニ、シミオナート、シエピ、コレナ共演/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団/1955年録音
>不滅の名盤。彼の灰汁の少ない端正な声は、こうした慈悲深い役どころでも冴えます。声だけではなく歌い口も端正なので、非常に真摯で温かみのある印象になるのがいいのだと思います^^彼とデル=モナコ、テバルディが一緒で指揮がミトロプロスのライヴ録音も熱の籠った素晴らしい録音だとは思いますが、ここではひとまずより聴きやすいこちらを。けど、ミトロプロス盤は必聴です!

・マリーノ・ファリエーロ(G.ドニゼッティ『マリーノ・ファリエーロ』)
ボンコンパーニ指揮/モンテフスコ、チャンネッラ、ガルヴァニー共演/RAIミラノ交響楽団&合唱団/1976年録音
>一般には知られていませんが、ドニゼッティはヴェルディのやったことをほんとはやりたかったんだろうなと思わせるような内容(音楽的にも話の筋も)で、『2人のフォスカリ』や『シモン・ボッカネグラ』を思い出させます。シエピはキャリアも後半になってきたころではないかと思いますが、豊かで格調高い彼の声はここでも健在です。1幕でのモンテフスコとの男らしい重唱では、雄々しく歌われるドニゼッティの旋律美を堪能できますし、アリアも起伏のある素晴らしいもの。共演はいずれも余り現代名の知られている人ではありませんが、演奏の出来自体は文句なしです!

・メフィストフェレス(C.F.グノー『ファウスト』)2014.10.30追記
モントゥー指揮/ピアース、デロサンヘレス、メリル共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>モントゥーの闊達な指揮で楽しめる録音。以外にも彼はスタジオでメフィストを録音していないのですが、これを聴くとその当たり役っぷりが実によくわかります。彼は外国人としては一番仏国らしいアプローチで、豪快でけばけばしい歌ではなく、スタイリッシュでスマートな悪魔。基本紳士的でエレガントなんだけれども見せ場の2つのアリアで下卑た悪の顔が見え隠れする匙加減が誠にお見事。ソワイエとともにこの役作りで最も成功した例と言っていいかもしれません。共演陣も素晴らしい出来。おススメです。

・ザッカリア(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』)2014.10.30追記
シッパーズ指揮/マックニール、リザネク、フェルナンディ、エリアス、ジャイオッティ共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
>この曲はたっぷりと歌うバスの曲が多い割に、意外と伊ものらしいカンタンテでしっかりと歌われた音源が少ないので、そういう意味でも非常に嬉しいところ。堂々たる歌いぶりで冒頭のカヴァティーナから一気に物語に引き込まれます。祈りの静謐な歌、預言での憑依っぷりなど実に聴き応えがあります。マックニールとリザネクがいまひとつな上に楽譜に手が入れられていてエホバを讃える合唱が最後に来ているのもあって殆ど主役といっていい活躍です。

・ライモンド・ビデベント(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)2014.10.30追記
プリッチャード指揮/サザランド、チオーニ、メリル、マクドナルド共演/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団/1969年録音
>サザランドの有名でない方のスタジオ録音。しかしこれもメンバーの良さもあってかなりいい演奏です。シエピは恐らくライモンドのパートを伝統的なカットなく歌った最初の歌手ではないかと思いますが(それでもアリアのカバレッタは繰返しカットしてるけど)、先鞭をつけるのに充分の貫禄の歌いぶり。重厚感のあるアリアには説得力があり、ルチアでなくとも聴くものを承服させる力があります。彼やギャウロフぐらいの歌手が歌うと、この作品の本当のバランス(S,T,Br,Bそれぞれに重点が置かれている)が見えるところで、これが残っていることは本当に嬉しい。サザランドはこちらも素晴らしいですし、メリルの華のある悪役もいい。チオーニはあまり現在は聞かない人ですがこの中で埋もれない実力を感じさせます。

・バルダッサーレ(G.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』)2014.10.30追記
モリナーリ=プラデッリ指揮/クラウス、コルテス、ブルゾン共演/ジェノヴァ市立歌劇場管弦楽団&合唱団/1976年録音
>男声陣が見事な演奏。彼とクラウス、そしてブルゾンがそれぞれ格調高い歌をうたっている聴き応えのあるライヴです。国王ですら恐れる高僧を演じるのには、やはりこれぐらいの存在感が欲しいと思わせます。またライモンドのときはルチアを説得するにしても温かみを感じさせる声と歌だった訳ですけれども、こちらはより厳しさを打ち出したそれになっているあたりは流石。国王に怒りをぶつける部分の、取り繕ってはいるものの怒気が沁み出している様子の恐ろしいこと!ピークは過ぎている筈ですが、そんなことを忘れさせるパフォーマンスです。

・アルヴィーゼ・バドエロ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)2014.10.30追記
ガヴァッツェーニ指揮/チェルケッティ、デル=モナコ、バスティアニーニ、シミオナート共演/フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団&合唱団/1957年録音
>超名盤。綺羅星のような共演陣とガヴァッツェーニの心得た指揮ですから悪い筈もなく^^アルヴィーゼは意外と出番が少ないものの、この物語中の権力者であり或意味黒幕でもありますから、力量のある人にやって欲しいところ。そういう意味でやはりシエピは間違いありません。この品格の高さ!まさしく堂々たる登場の一声からその渋い音色に魅せられますが、やはりここでも嫉妬と侮辱に怒り狂うアリアがBravo!

・アルキバルド(I.モンテメッツィ『三王の戀』)2014.10.30追記
サンティ指揮/モッフォ、ドミンゴ、エルヴィラ、デイヴィース、ベインブリッジ共演/LSO/1976年録音
>これもかなり衰えてからの録音ではあるのですが、息子の妻に横恋慕する盲目の先王という役どころからして、この時期の彼にしか歌えないものだと言っていいのでは。確かにアリアの最後の音など流石にきつくなってきてはいるのですが、その声の持つ品の良さ、歌の柄の良さは健在。最後の部分など彼のスタジオの中ではかなり珍しいぐらいの崩しを入れたり、普段の端正さに加えて演劇的な凄さを感じさせます。珍しいオペラだけにこの人の主演で聴けるのはありがたいところです。指揮と共演陣もレベルが高いですが、特に豊麗なドミンゴが◎

・ドン・バジリオ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)2014.10.30追記
エレーデ指揮/ミスチャーノ、バスティアニーニ、シミオナート、コレナ共演/フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団&合唱団/1956年録音
>世では名盤とされてはいるものの個人的には好きになれない(だってヴェルディの顔でロジーナやフィガロ歌われても……コレナもここではいまひとつノってないし)のですが、バジリオだけは評価できるかと。ここでの歌唱は、殊更狙って出している訳でもないと思うのですが、非常に声の奥行きの深さを感じます。そのためか、大抵はそのこけおどし的なところが面白い訳ですけど、陰口のアリアなんか相当おっかないこと言ってるんですよというのを感じさせるような歌唱になっているように思えます。悪魔的なバジリオと言いますか。

・スパラフチレ(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)2014.10.30追記
エレーデ指揮/プロッティ、デル=モナコ、ギュ―デン、シミオナート、コレナ共演/ローマ聖チェチリア音楽院管弦楽団&合唱団/1954年録音
>こんな小さい役もスタジオ録音で残しているんだあという感じで、如何にも役不足ではあるのですが。とは言え彼はこの役でデビューしていますし(18歳で!)、完成度の高い歌唱を展開しています。何と言ってもそのドスの効いた雰囲気!彼らしいダークな声を最大限活用していると言っていいのでは。ネーリのような破壊力のある路線とはまた違いますが、マフィアのような、殺しの玄人といった風情がたまりません。コレナと声のキャラクターの違いがしっかり出ているのもいい(もちろんコレナもここでは生真面目にセリアを演じています)。平均点は高いですが、やはり生硬なギュ―デンが浮いています。デル=モナコは全くキャラではありませんが、これはこれで面白いからいいと思ってますw

・ドシフェイ(М.П.ムソルグスキー『ホヴァンシナ』)2014.10.30追記
レイコヴィッチ指揮/ギャウロフ、ルケッティ、シュピース、ニムスゲルン、コッソット、スリオティス、シゲーレ共演/RAIローマ管弦楽団&合唱団/1973年録音
>これは完ッ全にイロモノです。なんせ露国の気風の塊のようなこの演目を伊語でローマで上演しているのですから!スタイル的には明らかにおかしいところも多いとはいえ、これだけのメンバーを揃えていますから、結構こういうものとして楽しめるところがあります。バス歌手ファンとしては何と言ってもシエピとギャウロフの対決が楽しめると言うのが、実は最大の聴きどころかもしれません。ギャウロフの演じる荒々しい軍人実力者に対し、彼は非常に静謐で厳かな宗教指導者像を作り上げていて、そのコントラストが素晴らしいです。この2人の対決に更に性格的でもあり力強くもあるルーマニアの名手シュピースが絡んできて、政治的でキナ臭い、緊張感の高い場面を構成しています。また、終幕の祈りでは荘厳で敬虔な雰囲気、この後に展開される殺戮と相対すような静的な空気を湛えていて、こちらもお見事。異端ではありますが、バス歌手好きには是非聴いて欲しい音源です。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第三十一夜/ヴェルディ・バリトンの鑑~

以前宣言したとおり、バスとバリトンに書きたい人があまりにも偏っているので、縛りをかけて書くのやめます(笑)

長いこと書きたかったこの人のことを。

PieroCappuccilli.jpg
Simon Boccanegra

ピエロ・カプッチッリ
(Piero Cappuccilli)
1929~2005
Baritone
Italy

この連載で最初に扱ったニコライ・ギャウロフとともに数々の名録音を残した20世紀後半最高のバリトン歌手の1人です。

後で述べますが、その名声・業績はなんといってもヴェルディでしょう。前々回扱ったフィッシャー=ディースカウが広大なレパートリー、分野で金字塔を打ち立てたのに対し、今回のカプッチッリは、実際にはドニゼッティやベッリーニなどの作品でも舞台に立っていますが、圧倒的にヴェルディの諸役において語られる人物です。それだけ彼のヴェルディが素晴らしいということと同時に、ヴェルディの作品に於いて、バリトンが重要な役どころを占めているということの証左でもありましょう。

ヴェルディを得意とするバリトンは数多くいますが、そんな中でも彼は独特のスター性を持っていると思います。同じように美声でならしたバスティアニーニとも、声はなくとも藝で聴かせるゴッビとも、また現代のバリトンたちのようにより演技で魅せるというのとも違うカプッチッリのユニークな魅力は、或る意味で過渡期だからこそ誕生したものだったのかもしれないとも思う訳ですが、その魅力は、その前後とはまた違った意味で後世に残るものだと言っていいでしょう。

まだまだ歌えるというときに交通事故に遭い、以後は殆ど活動できなくなってしまいました。何とも残念。

<演唱の魅力>
ヴェルディを歌うのには声が必要です。
それも単に美声であればいいということではありません。絶対的に力のある声である必要があります。如何に美しい声であったとしても、例えばモーツァルトやロッシーニを得意として歌っているような人がヴェルディを歌うと物足りないものになってしまうのはそこの部分です。流麗ながらも、骨太で男臭い歌を情熱を持って歌う必要がある。
そういう見地に立った時に、カプッチッリという人の声は、例えばバスティアニーニなどと較べると必ずしも格の違う美声であるとは思わないのですが、ものすごく力強い、逞しい声なのです。力感漲るパワフルな声はまさにヴェルディを歌うために生まれてきたと言って障りなく、彼がヴェルディというジャンルに於いて絶対的な成功を収めたのは、彼の資質から言って当然のことだと言っていいでしょう。

次いで挙げられるのは彼の一種のカリスマ、スター性というところだと思います。先述しましたが例えば前の世代にはよりストレートな声や藝の魅力で聴かせる名手たちがいて、後の世代には演技がうんと達者な人たちがたくさんいる訳ですが、その狭間にあってカプッチッリの輝きが色褪せないのは、その舞台感覚、舞台人としてのある種の勘に於いて非常に秀でているということに負う部分も大変大きい。近年より学究的な歌手や、或いは指揮者、下手をすると演出家の専横の下に、オーケストラの楽器と同じように扱われている歌手が増えている現状の中では、なかなかこの人のようなパフォーマンスを聴くことはできなくなっていて、個人的には非常に残念です。例えば慣例で高音やカデンツァを入れるということを、最近はとみに嫌う傾向にありますが、オペラは本来劇場の中で、演奏者と観衆が両方で変化をさせていくことで醸成してきたという側面は拭えないと思うのです。もちろん原典回帰自体を否定する訳ではないのですが、そういう部分を全部切り捨ててしまうと、それはそれでつまらないと感じてしまいます。話が多少ずれてしまいましたが、カプッチッリについて言えば、観衆を喜ばすことのできるパフォーマンスを創りあげていくことのできる人であり、そのセンスが彼の稀有な部分でもあります。 例を挙げれば枚挙に暇がありませんが、東京での伝説的な『シモン・ボッカネグラ』で“娘よ”というフレーズをpで延々と伸ばした話もそうですし、シノーポリとの『アッティラ』のエツィオのカバレッタの最後のハイBとそのアンコール、シッパーズとの『エルナーニ』の最後の高音などなど。嬉しいことに結構ライヴ録音で手に入れることができます。

更に言えば、そうしたパフォーマンスが可能なのは、逆説的ではありますがそれだけ彼の元々の歌のフォームの確かさ、歌の端正さがあるからだと言えると思います。意図的にものすごく楽譜から逸脱したりという箇所が少なくないにもかかわらず、彼の歌は非常に美しく聴こえ、そして流麗な旋律を無理なく活かしたものに聴こえます。それが何故かと言えば、それだけ彼自身が音楽をよくわかっていて、しかもきちんと歌っているということなのだと思うのです。だからこそ、彼のレパートリーとしてヴェルディの次によく挙げられるのはベッリーニやドニゼッティです。もちろんジョルダーノやプッチーニだって得意な訳ですが、ベッリーニについて言えば『清教徒』、『テンダのベアトリーチェ』を正規録音で残しているし、ライヴ録音ではそして『海賊』まで正規録音があります(『海賊』、正規録音ありましたね^^;)。ドニゼッティは『ルチア』の正規録音が2つもあります。やっぱりこうした旋律の美しさを端正な歌で引き出す必要があるベルカントものは得意な演目なのでしょう。

そうした中でも特筆すべきなのはG.F.F.ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』の題名役でしょう。20世紀後半にこの作品の価値が見直されるきっかけとなったのは、指揮者としてのクラウディオ・アバドの尽力やともに精力的にこの作品を取り上げたニコライ・ギャウロフ&ミレルラ・フレーニ夫妻の活躍もさることながら、やはり題名役で名を成したカプッチッリのなしには語ることはできません。
それほどの当たり役です。

<アキレス腱>
さて、そんなカプッチッリですが、最前述べているようにレパートリーは広くありません。私の持っている録音でも大半が伊もの、あとは僅かに仏ものがありますが、正直仏ものはちょっと……あまりにもアツいんですよね、歌が(^^;全部イタオペに聴こえて来てしまい、ブランとかマッサールみたいなエレガンスはちょっと無理かなあというところ。あと、最初期のモーツァルトは面白くありません(笑)マリア・カラスと共演したA.ポンキエッリ『ジョコンダ』のバルナバに抜擢されたあたりからがこのひとの本領ではないでしょうか。

何故かG.ビゼー『カルメン』のエスカミーリョを正規録音してますが、これも歌は兎も角仏語が今ひとつ。っていうかそんなん録音するだったら『トスカ』(スカルピア男爵)とか『アンドレア・シェニエ』(カルロ・ジェラール)ジェラールは映像があったのでしたとか『マリーノ・ファリエーロ』(イズラエーレ)とか残して呉れればよかったのに、とないものねだりをしてしまいます。

<音源紹介>
・シモン・ボッカネグラ(G.F.F.ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』)
アバド指揮/ギャウロフ、フレーニ、カレーラス、ヴァン=ダム、フォイアーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1977年録音
>不滅の名盤。渋い演目ではありますが、カプッチッリと言えばこの役というべき名刺代わりの役。バリトンとバスを基調としたこのオペラは或る種ダンディズムの極致とも言うべきものです。エネルギッシュでパワフルな藝風から一歩引きつつ、ヴェルディ的なアツさを失わないカプッチッリの技を楽しむことのできる演奏です。この作品を愛したアバドの丁寧な音楽作りに加え、カプッチッリとともにこの曲を世界中で歌ったギャウロフ&フレーニ夫妻の堂に入った演唱、脇にもカレーラスやヴァン=ダムを据え、死角なしといったところ^^
(2020.2.13追記)
アバド指揮/ギャウロフ、フレーニ、ルケッティ、スキアーヴィ、フォイアーニ共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1978年録音
>アバド、ギャウロフ、フレーニという最強チームでの映像ながら画質の悪さは否めません。とはいえ音は思ったほどひどくなく、十分楽しめる範疇です。必ずしもベストの状態とは言いづらいとはいえ、彼のシモンがこうして映像で手に入るというのはなんと幸運なことでしょうか!演技者としては後年のヌッチののりうつったかのような芝居と較べてしまうといささか紋切りな動きで振付感もあるのですが、それが単調に陥るのではなく、むしろある種の様式美としてより高い次元に昇華されている印象さえ持ちます。そのうまさが一番出ているのは何と言っても1幕フィナーレで、この場面の数多くの登場人物を背景にしてしまうようなカリスマ性!パオロなどに取り入られなくてもシモンはそもそも大物であったことが観て取れる、史劇の中での「役の差」を見せつけるパフォーマンスだと言えるでしょう。やはり彼のシモンにはギャウロフのフィエスコ。3幕の和解の場面は感動的です。フレーニやルケッティも完成度が高いですが、スキアーヴィの憎憎しいパオロがこの演目の隠し味になっていることが良くわかると思います。

・マクベス(G.F.F.ヴェルディ『マクベス』)
アバド指揮/ヴァ―レット、ギャウロフ、ドミンゴ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1976年録音
ガルデッリ指揮/シャシュ、コヴァーチ共演/ブダペスト交響楽団&ハンガリー放送合唱団/1986年録音
シャイー指揮/ディミトローヴァ、ギャウロフ、リマ、市原、リドル共演/WPO、ヴィーン国立歌劇場合唱団&ソフィア国立歌劇場合唱団/1984年録音
>一般的にはアバド盤が名盤と呼ばれていて、ガルデッリ盤は影が薄いと思われます(ガルデッリは旧盤がいいですし)。カプッチッリ自身の出来から言えば、時期が全く違うので全然別物としてそれぞれに長短があります。声自体で行くならば当然アバド盤でこちらもしっかり歌っているとは思いますが、ガルデッリ盤の方では声が衰えている分逆に表現が深くなっている感じがしてこれもまた棄てがたい。なんとなくマクベスにも狂気が感じられるのです。夫人の死を聞かされたところの笑いには思わずぞっとさせられます。全体には優秀なアバド盤は、夫人が私の苦手なヴァーレットなので決定盤になれず、というところもあり(苦笑)ガルデッリ盤はシャシュの夫人も悪くないし、コヴァーチュとか洪国の大物が出てきてはいるんですが、如何せんアバド盤のキャストは無敵艦隊だし、ガルデッリの音楽がなんかもたっとしてるんですよ……旧盤ではそんなことはないのですが。
(追記 2013.8.29)
1984年のLIVE盤が手に入りましたが、これは彼のマクベスとしてだけではなく、録音で聴けるマクベス役の歌唱としてベストと言っていいでしょう!スタジオ盤ではいまひとつの感があった狂乱や幻影の場面も掘り込みの深い歌唱で聴き入ってしまいます。夫人との重唱でも夫人を喰う勢い。対してアリアでの茫然とした様子や死の簡潔ながら印象に残る表現も魅力的。夫人のディミトローヴァは望みたいところもあるものの力強い悪声で満足できますし、リマも素晴らしい出来。市原も聴かせます。ギャウロフもいくつかある中でベストの歌唱で、やっぱりLIVEはいいなぁ!と(笑)

・ポーザ侯爵ロドリーゴ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
アバド指揮/ギャウロフ、カレーラス、フレーニ、オブラスツォヴァ、ネステレンコ、ローニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1977年録音
>知る人ぞ知る不滅の名盤。カプッチッリはいくつかロドリーゴを残していますがいずれも素晴らしい記録。アツくパワフルで好感の持てる熱血漢と言う役作りを、ざっつヴェルディと言う感じで演って呉れるので嬉しくなります^^彼の恐らく長年共通の解釈だと思いますが、フィリッポに対し「墓場の平和だ!」と叫ぶ場面は激しく崩していて緊張感が高まります。これは彼だからこそ、と言う感じですね。共演陣もライヴの熱気がアンプ越しに伝わってきそうなアツい演奏。

・エツィオ(G.F.F.ヴェルディ『アッティラ』)
シノーポリ指揮/ギャウロフ、ザンピエリ、ヴィスコンティ共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1980年録音
>超名盤。シノーポリを一気に有名にしたと言われるライヴで、凄まじい熱気が伝わって来ます。ここでのカプッチッリは、この公演の主役になっている印象が強いです。それに対しプロローグの重唱からテンション高くギャウロフに鬪いを挑みに行くし、カバレッタでは輝かしいハイB(!)を出して大喝采を受け、アンコールに応えてもう一発ハイBを出しています。何度聴いてもこれには参ってしまいますね。

・西国王ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』)
デ=ファブリツィース指揮/コレッリ、リガブーエ、R.ライモンディ共演/アレーナ・ディ=ヴェローナ管弦楽団&合唱団/1972年録音
>音質は最悪ではありますが、これもまた貴重な記録。ここでも有名なアリア“若き日の夢よ、幻影よ”の最後は譜面にない高音で〆ており、観衆の大声援を受けています。ちなみに、ヴェルディの作品ではマイナーですが、このアリア私大好きなんですよ^^ 共演もコレッリの濃ゆいエルナーニをはじめ、録音の少ないリガブーエの歌唱も悪くないし、R.ライモンディもこの役には少し若々しすぎるかもしれないですが美声で風格もあっていいと思います。

・ナブッコ(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』)
シノーポリ指揮/ディミトローヴァ、ネステレンコ、ドミンゴ、ヴァレンティーニ=テッラーニ、ポップ共演/ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団&合唱団/1982年録音
>これも超名盤。この役を語る上でもカプッチッリは稀有の存在です。物語の中でかなりの浮き沈みがあり、様々な表情を見せなければならない難役ナブッコを、これだけの美声で風格たっぷりに、その上熱に浮かされたかのようなアツさを以て歌われた日には文句など出るはずもありません。私の中でのベスト・ナブッコはこの人です。シノーポリの指揮も音楽の熱気を伝えているし、ディミトローヴァの豪快でパワー漲る隈取のアビガイッレ、轟然としかし品位を以て高僧ザッカリアを演じるネステレンコの力強さ、脇役に嬉しいドミンゴにヴァレンティーニ=テッラーニにポップ、一度は聴くべき『ナブッコ』でしょう。

・アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
シッパーズ指揮/シルズ、ベルゴンツィ、ディアス共演/LPO&アンブロジアン・オペラ合唱団/1970年録音
>これもかなり優秀な演奏だと思いますが、何故だかいまいち言及されません。カプッチッリのこの役はカラスと共演したデビュー盤が有名ですが、全ての面でそれよりもうんと成熟した演奏。見果てぬ夢ですがこのころの彼とカラスが対決したらさぞかしすごかったんだろうなと感じます(^^;迫力とパワーの溢れる伊国らしい声で序盤のアリアから聴かせますし、ルチアを屈服させる重唱も素晴らしいですが、通例カットになることの多いエドガルドとの決鬪の場面がベルゴンツィのスタイリッシュな歌とともに楽しめるのは嬉しいところです。

・リッカルド・フォルト(V.ベッリーニ『清教徒』)
ボニング指揮/サザランド、パヴァロッティ、ギャウロフ共演/LSO&コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団/1973年録音
>不滅の名盤。ギャウロフのところでもパヴァロッティのところでもべた褒めした録音ではありますが、ここでも改めてべた褒めしたくなる録音(笑)カプッチッリも1幕のカバレッタでこそ今の耳からするとちょっとひやっとするところがありますが、それでも全編これだけドラマティックに、そしてスタイリッシュに歌われるリッカルドにはなかなかお耳にかかれないでしょう。特に2幕終わりのギャウロフとの力強い重唱の素晴らしさは比類なく、未だにこの曲の最高の演唱と思います。ここで出てきた録音全般に言えるがカプッチッリとギャウロフのコンビは無敵ですね(笑)

・レナート(G.ヴェルディ『仮面舞踏会』)2013.1.21追記
ムーティ指揮/ドミンゴ、アローヨ、コッソット、グリスト、ハウウェル、ヴァン=アラン共演/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団&コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団/1975年録音
>不滅の名盤。カプッチッリは登場のアリアからいきなり漢っぷりがよくて、先の悲劇を知っていると思いっきり彼に肩入れして聴いてしまいます(笑)ひたすらダンディでかっこいいからこそ、裏切られたと思ったところでのレナートの怒りにものすごい説得力が感じられる訳です。これでリッカルドがへっぽこだったらよっぽど主役がレナートになってしまうところですが、ドミンゴがまたかっこいい!(^^)彼の最良の録音かもしれません。知性的な歌の虜になります。そしてアローヨのこってりした美声による濃厚なアメーリア、チャーミングであるだけでなく何となく若さゆえの軽薄ささえも感じられる巧すぎるグリスト、脇をびしっと〆るハウウェルとヴァン=アランも素敵だし、ムーティの音楽作りも冴えています。コッソットは迫力は兎も角もっとドロドロしてた方がいいような気もしますが、十分立派。この作品を聴く上で必須の録音でしょう。

・リゴレット(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)2014.7.3追記
パタネ指揮/アラガル、グリエルミ、アリエ、フォイアーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1970年録音
>リゴレットと言う役が彼に合っているのかという問題はさておき、恐らくカプッチッリが遺したこの役では最高の演奏。音質こそひどいのですが、ジュリーニとのスタジオ録音などと較べても圧倒的にのった歌唱を繰り広げています。パワフルで気迫の籠ったパフォーマンスで、アリアはもちろん復讐を叫ぶ重唱の凄まじい勢い!伊ものの楽しみを存分に味わえます。アラガルがまた脂がのっており、こちらもスタジオ録音よりうんといい歌唱。この人もいま一つ大成しなかった感はあるのですが、ここでの歌唱は非常に立派。アリエも渋い存在感で登場の重唱など不気味でいいのですが、オケが鳴り過ぎで嵐の場が楽しみ切れず残念(というかこの録音全般にオケがあまりにも煩いので、カプッチッリを除くと歌唱陣かなり潰されてますね^^;)。グリエルミが不調なのも残念。とはいえ、カプッチッリですよカプッチッリ笑。

・フランチェスコ・フォスカリ(G.F.F.ヴェルディ『2人のフォスカリ』)2014.10.16追記
ガルデッリ指揮/カレーラス、リッチャレッリ、レイミー共演/墺放送交響楽団&合唱団/1976年録音
>この作品を知るためには、まず聴いておきたい名演だと思います。特にカプッチッリの大芝居が素晴らしい。この役は後のシモンに繋がって行く重要なものなので、シモンの再評価に一役買った彼の演唱を聴くことができるのは非常に嬉しいところです。何と言っても終幕のアリア!大見栄切った主役然とした歌いぶりが気持ちいいです。指揮と共演陣も魅力的で、特にカレーラスがいいです。

・フランチェスコ(G.F.F.ヴェルディ『群盗』)2014.10.16追記
ガルデッリ指揮/ベルゴンツィ、カバリエ、R.ライモンディ共演/ニュー・フィルハーモニー管弦楽団 & アンブロジアン・オペラ合唱団/1974年録音
>兎角評判の良くない作品ではありますが、これだけ人が揃うと結構楽しめます。ヴェルディの筆にはまだ甘いところも多いとは言え、後のイァーゴへと繋がって行く悪の権化フランチェスコを、絶妙な歌い口で演じています。たっぷりと歌うところも悪い筈がありませんが、それ以上に乾いた声芝居にこのキャラクターの人間性が垣間見えるあたりが心憎い。演奏全体としては、熱気には欠けるところもありますが、平均点は高いです。

・ドン・カルロ・ディ=ヴァルガス(G.F.F.ヴェルディ『運命の力』)2014.10.16追記
パタネ指揮/カレーラス、カバリエ、ギャウロフ、ナーヴェ、ブルスカンティーニ、デ=パルマ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1978年録音
>よくこんなものの記録が残っていたなあと唸りたくなる名盤。僕は録音を聴いただけですが、映像も残っています。カプッチッリはスタジオ録音も別にあるのですが、やはりライヴの人。熱血ということばがピタリとはまるパワフルな歌唱で、聴衆を虜にしています。この時代のライヴなのに通常カットされる第1の決闘もちゃんと演奏して呉れているのがまた嬉しいところで、カレーラスとカプッチッリの強烈な対決を楽しむことができます。“天使のような”カバリエの美声、重厚感あるギャウロフに、ブルスカンティーニはじめ優秀な脇役陣をパタネが巧く統率し、ミトロプロス指揮の演奏と並ぶ『運命の力』の名ライヴになっています。

・ノッティンガム公爵(G.ドニゼッティ『ロベルト・デヴリュー』)2014.10.16追記
ロッシ指揮/ゲンジェル、ボンディーノ、ロータ共演/ナポリ・サン・カルロ劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音
>カットこそ多いものの本作の随一の演奏、伊ものの至宝のひとつと言うべき超名盤でしょう。カプッチッリは第一声から堂々たる歌声!それだけで並みの歌手との格の違いを感じさせる貫禄があるのですが、続くアリアがまた立派なものです。優美なのですがいまどきのドニゼッティの演奏にはないドラマティックでヴェルディ的な、骨太の歌。ベル・カントとしては現代の方が正しいのでしょうが、こうした歌手の力瘤を感じるような歌唱もまた刺激的でいいなあと思います。彼の藝風のためかレナート(G.F.F.ヴェルディ『仮面舞踏会』)を思い出したりもしました。ロッシの力強く盛り上げる棒や、ボンディーノの粗削りながらロブストな歌唱も見事ですが、何よりかによりゲンジェルです!これは海賊盤の女王最高の名演のひとつと言っていいと思います。カプッチッリと彼女の直接対決は、まさに伊的熱狂の音楽で、伊ものファンなら絶対聴き逃せない代物です。

・イァーゴ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』)2015.12.18追記
C.クライバー指揮/ドミンゴ、フレーニ、チャンネッラ、ローニ、ラッファンティ、ジョーリ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1976年録音
>言わずと知れた不滅の名盤。指揮者以下全ての出演者が上演に没入し、完全燃焼した凄まじい公演。イァーゴといえばゴッビやカペッキのイメージが強かったのですが、ここでのカプッチッリは彼らをも凌ぐと言っていい、圧倒的な迫力。ギラギラするぐらいの悪の魅力にノックアウトされてしまうこと請け合いです。有名な信条は最早悪魔そのものと言っていいような強烈な歌ですし、夢の歌などの静かなところでも表情豊かな弱音を聴かせていて実に憎々しい!逆にエネルギッシュになり過ぎて声が割れている箇所も少なからずなのですが、それすらむしろリアルに感じられるほどの鬼気迫る歌。そしてあの2幕の重唱の〆をオクターヴ上げ、何とドミンゴと同じ音で聴かせてしまっています!あなおそろしや(笑)ドミンゴも数あるオテロの中でも最高の、ほれぼれするような歌いぶりですし、フレーニは歌がうま過ぎるぐらいでデズデモナにはスケールが小さいのではなんて杞憂でした。各脇役陣もこれ以上はなかなか考えられない出来。そしてカルロス・クライバー!!指揮よりも歌でオペラを聴きがちな私ですら、これは凄まじいと思います!何と言う熱狂!何と言う壮麗!ヴェルディ・ファンならば座右に置きたい最高の『オテロ』のひとつです。

・グイード・ディ=モンフォルテ(G.F.F.ヴェルディ『シチリアの晩禱』)2019.9.26追記
ガヴァッツェーニ指揮/スコット、G.ライモンディ 、R.ライモンディ 共演/ミラノ・スカラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/1970年録音
>何故かここで取り上げるのを忘れているのに気づきました!モンフォルテもシモンやナブッコなどと同じく権力者と父親というカプッチッリお得意の2面性のある役ですから、いかにも彼らしい力演を楽しむことができます。パワフルで険しく乾いた歌はまさに圧政者のそれで実に憎々しい一方、アリアで聴かせる深い情愛はまさにヴェルディ歌いの面目躍如といったところ。ジャンニ・ライモンディの輝かしい声とのデュエットには目が醒める思いがします(何故か拍手が少ないですが)。スタジオ録音でも名演を遺しているルッジェーロ・ライモンディはここでも風格ある声でカプッチッリと4つに組んでいますし、ガヴァッツェーニの揚雄たる指揮もお見事ですが、ここでの白眉はスコット!これ以上切れ味のあるエレナはなかなか望めないでしょう。

・アモナスロ(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)2019.11.29追記
アバド指揮/アローヨ、ドミンゴ、コッソット、ギャウロフ、ローニ、デ=パルマ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1972年録音
>ムーティ指揮によるほぼ同じキャストのスタジオ録音も素晴らしいのですが、ことカプッチッリについてはこちらのライヴ盤を推したいです。役の有名さの割にはアリアがあるわけでもなく、2つの幕にしか登場しないにもかかわらず、ヴェルディのバリトンをたっぷり楽しんだ、という気分にさせてくれる圧倒的な歌唱に酔わされます。とりわけ3幕でアイーダに対してラダメスから情報を引き出すように脅す場面の凄まじさ!単なる力押しではなく、弱音にも気迫を漂わせる名演です。

・カルロ・ジェラール(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)2020.7.27追記
サンティ指揮/ドミンゴ、ベニャチコヴァー=チャポヴァー、バルビエーリ、ツェドニク、ヤチミ、ヘルム、シュラメク、山路共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1981年録音
>この記事を書いた頃には存じ上げなかったのですが、カプッチッリはジェラールについては録音こそないものの、映像は少なくとも2本あるようで、比較的手に入りやすいものがこちら。40年前の映像ですから演出こそいささか古めかしいものの、このころ脂の乗っていた20世紀の名手をこうして映像で観ることが出来るのはありがたい限りです。カバリエは開幕いきなりのアリエッタから出力全開の歌唱で吼えていて、あまりにも豪華な前菜に瞠目します。彼は例えばバスティアニーニなどと比べるといい意味で親父くさい感じというか、現場で叩き上げてきた感じの泥臭さがあるのですが、それがこの役の実務家・革命家としての優秀さと人としての不器用さとの合間での葛藤をリアルに出していて、とても哀しい空気を出しているのが素晴らしいです(もちろんマッダレーナへの愛をぶつけてしまう場面もそうですが、1幕で革命を望んでもいない父親のことを“憐れんで”蜂起するところなど、ここだけで別のオペラにできてしまうのではないかというぐらい哀しい)。反対にうまく時代を泳ぐ密偵を演じるこれまた巧みすぎるツェドニクとの皮肉なやり取りの後のアリアはまさしく絶唱。自分が生きて抱いてきた“人としての正しさ”や“理想”とはなんだったのかというようなショッキングな経験をしたことのある人ならば、涙を流さずにいられないのではないでしょうか。ヴィーンの圧倒的なブラヴォーも頷けます(あまりに喝采が長すぎてカプ様が途中で飽きてるのが面白いですがw)。ドミンゴのシェニエは力押しになりすぎず知的で、詩人であることを意識させてくれますし、ベニャチコヴァーも芯の強い女性を演じていて惹きつけられます。脇役も正直知らない人に至るまで歌が異常にうまいんですが(1幕の修道僧の山路の透き通った歌!)、とりわけマデロンのバルビエーリが強烈。彼女のこの歌で民衆が高揚するのがよくわかります。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第三十夜/妙なる笛の音~

キリ番第十回では“合唱”、第廿回では“黙役”という風に、普段と違う中身でお送りした訳ですが、今回も同じくちょっと違った趣向で、フルートの活躍するオペラの名曲をご紹介しましょう。

Flute.jpg


オペラというと注目されるのは歌手だったり指揮者だったり演出家だったりで、楽器はいまひとつ語られませんが、重要な役割を担っています。

・タミーノのアリア“妙なる笛の音”(W.A.モーツァルト『魔笛』)

まずはフルートと言えばこの演目は外せないでしょう笑。
尤も、フルートがそのものずばり題名に入っている割には、このオペラの中での魔笛の扱いはかなり微妙ですが(^^;そうは言っても、この場面をはじめとして、いくつかの場面で王子タミーノの身を守り、また鳥刺し男パパゲーノとの連絡のために掛け合いに登場するのですから、地味な存在ではないです。
この場面ではタミーノがゲットしたアイテム“魔笛”が、真価を発揮し、猛獣を手名づけます。後半ではパパゲーノの笛(ピッコロ)が登場し、主従はお互いに笛で連絡を取り合います。

フルートはかなり出自の古い楽器ですし、やはり小さいことなどが影響してか、実は『魔笛』以外の作品でも重要なアイテムとして活躍しています。

・3重唱“ああ、聞いてよお母さん!”(A.C.アダン『鬪牛士』)

これ、ちょっと変わり種の曲で、モーツァルトのきらきら星変奏曲をベースに違う曲に仕立て直しています。この『鬪牛士』というオペラは題名からは考えられないぐらいコンパクトでお洒落な作品で、ヒロインのオペラ歌手役のソプラノとその愛人のフルート吹きのテノール、ヒロインの夫の退職した鬪牛士のバリトンの3人の喜劇です。テノール役はフルート吹きなので、テノールのアリアの途中でフルートが結構遊んでたりします^^劇中ではフルートを吹くテノールや、コントラバスの真似をするバリトンが手三味線で入る愉快な3重唱になります。
実際フルート吹けないテノールはここでの吹き真似は結構練習しないといけないでしょうね。

続いて登場するのは、楽譜上はフルートは合いの手なんだと思うのですが、主役と同等といってもいいような活躍ぶりを聴かせる曲です。

・シドニー卿のアリア“空しくも心から矢を引き抜かんとするが”(G.ロッシーニ『ランスへの旅』)

ロッシーニの作品では結構管楽器が重要なソロを取って歌と絡んでいくものが多いものの、そのなかでもこれはピカイチです。『ランスへの旅』自体は歌合戦的な作品で殆ど話の中身はありませんが、フルートの激しいながらも物憂い旋律がシドニー卿の戀の想いを悔しいぐらいにうまく表現しているのが浮き彫りになります。ある演出ではフルート奏者がシドニー卿に絡んでいくものもありましたが、歌それ自体と同様にこのフルートはシドニー卿そのものだし、だからこそここでのフルート奏者がシドニー卿の影として振舞うことの意味があるのでしょう。

他にもフルートは、その細くてどこか不安定な響きが登場人物の精神的に錯乱した人を表すのにうってつけなのか、所謂狂乱の場でもよくソロで登場します。極めつけがこちら。

・ルチアの狂乱の場“香炉はくゆり”(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)

ここでフルートが入ってくるとぐっとルチアがこの世ならぬ感じになってきていいところではあるんですが、実はここの部分にはいろいろ裏話が。
ドニゼッティはそもそもこの部分フルートではなく、グラスハーモニカを使いたかったらしいのです。ところが、実際問題として、当時のグラスハーモニカの音では小さすぎて劇場での演奏に適せず、フルートにしたのだとか。最近ではグラスハーモニカでの演奏の録音も増えてきました。私自身実演で接しましたが、確かにルチアの狂った感じはフルート以上に出てる気がします。音程も不安定ですし。
またここでの一番の聴きどころとされるソプラノとフルートの掛け合い、そもそもドニゼッティの書いた楽譜にはなく、劇場とプリマドンナたちの手によって築かれてきた慣例だということです。こういうの、純音楽の人たちからするとものすごく気に喰わないところなのかもしれませんが、一方でそれがオペラというものだし、こういう慣例を全部が全部無くしてしまった演奏というのも、それはそれで寂しいものがあるのもまた事実なんですよね(^^;

最後に一つ、ソロで入る訳ではないけれども、刺身のつま的に効果を上げているものを。

・騎士長の場“ドン・ジョヴァンニよ、晩餐に招かれたので参った”(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)

クレンペラー盤を聴くとよくわかると思います。モーツァルトの傑作であるこの作品の中でもハイライトというべき大詰めの場面、ドン・ジョヴァンニが刺殺した騎士長の亡霊が、彼の晩餐にやってくるところ。最後には、さしものジョヴァンニも地獄に引きずり込まれるのだけれども、まさにその地獄に堕ちる部分、急き立てるようなフルートの細かな動きが入ってきます。クレンペラー指揮の演奏では、特にこの部分を目立たせて、事態の切迫感を出していて、聴いていてぞくぞくするほどです。ソロ楽器としてのイメージの強いフルートですが、オペラのなかでは結構こういった地味な形でも舞台を盛り立てていっている、という一例です。

さて、フルートが出てくるオペラの曲をとりあえず紹介しましたってだけになってしまった感も否めないですが(^^;、とりあえず今日はこんなところで。
次回からはバリバリバスバリを紹介していこうと思います。

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オペラなひと♪千夜一夜 ~第廿九夜/録音時代の巨匠~

再びシリーズから外れ……と書き始めましたが、バスとバリトンに書きたい人があまりにも偏っているので、もうこの縛りをかけるのやめようと思います^^;
これからは、好きに書く!

さて、そういう訳で、今回は、先ごろ亡くなったこの人のことを書かずにはいられない訳です。

DietrichFischerDieskau2.jpg
Il Conte di Almaviva (Mozart)

ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ
(Dietrich Fischer-Dieskau)
1925~2012
Baritone
Germany

録音史上、彼ほど歌劇、歌曲、宗教曲その他諸々の分野を横断して数々の名声を残し、また名録音を残した人物もいないでしょう。その事実はたとえ“アンチ”であったとしても、認めざるを得ないと思います。同じ声楽と言っても、例えば宗教曲と歌劇と両方で名声を残すというのは、やはり表現方法が大きく異なるため難しいようで、どちらかでは有名だけど、どちらかはあまり精力的に活動していない、或いはほとんど歌っていないなんて人もたくさんいるのです。
中でも取分けドイツ・リートが、彼の最も本領を発揮したジャンルだということで、例えばF.シューベルトの“冬の旅”はリート・ファンからすると、彼なしには語ることができないと言います。が、そこはこの企画、注目するのはもちろん歌劇です(というか僕は、哀しいかな語れるほど歌曲は聴けておりません苦笑)。

歌劇でも、あとで触れますが彼は驚くほど守備範囲が広く、ちょっと信じられないようなものまで録音しています。ただ、自身の本来の領分というのは良くわかっていたようで、実際に舞台で全曲歌ったものというのは、かなり少ないというのが実情のようです。これなんかは実際に舞台でやって欲しかったな、というものも少なくありません(一方で、なんでこれをやっちゃったよ……というのもなくはない笑)

ちなみに奥さまはソプラノのユリア・ヴァラディ。

フィッシャー=ディースカウは、声楽に親しんでいる人なら大なり小なり耳には必ず入ってくる、というような、いわば20世紀声楽界の巨匠だったのです。
その彼が、87歳の誕生日を10日後に控えた去る5月18日、バイエルンで亡くなりました。まさに巨星墜つの感があり、私も曲がりなりにも追悼記事を書こうと思ったのです。

<演唱の魅力>
基本的に私は美声が好きだというのもあって、ここでもまず彼の美声から書き始めざるを得ないでしょう。ただ、どちらかと言えば私が好む、割と重厚なバリトンの響きというのは、彼には乏しくて(と言っても、ちゃんとドスも効きますがね^^;)、本来の声としては柔らかめのハイ・バリトンだと思います。或る意味で彼の声のリソースは、ヴェルディとは対極にあるように個人的には思っています。ハリの強い光沢のあるいかにも伊国っぽい声ではなく、まさに独国らしい、非常に柔和な声。
そういう彼の適性を考えた時には、やっぱり一番嵌っているのはモーツァルトを含めた独墺系の作曲家の歌劇の役柄であろうと思います。特に彼の独語は、独語が実際わからない私が効いてもわかるくらい、とても綺麗な発音ですから、それはもう鬼に金棒と言っていい。実演では歌わなかった(!)ということですが、W.A.モーツァルト『魔笛』のパパゲーノなどは、確かにその自由な感じから考えれば同年代のヘルマン・プライでしょうが、彼の良さがとてもよく表れているものだと言えるでしょう。

しかし、彼はその自分のリソース以上のことができてしまう人なのです。
さっくり言ってしまえば、このひとは本当に頭がいいんだと思います。これまでも何度かいろんなひとのところで知的だとか頭の良さそうなというようなことを言ったように思うのですが、彼はもう別格です。テキストをかなりじっくり読み込んで、どういう表現をすべきかというのを真剣に検討して、そして計算高く歌う結果、本来の彼の財産からは遠いものであっても、納得させてしまうようなものが作れてしまう。また歌も飛び切り巧いのです。彼ぐらいの歌の技術があった上でさまざまなアプローチが可能になっているのでしょう。G.F.F.ヴェルディ『マクベス』題名役や、G.プッチーニ『トスカ』のスカルピア男爵などがこれに当てはまります。所謂こうした役の姿とはちょっと違いますが、マクベスの病んでる感じやスカルピアの変態っぷりはなかなかのもの。あと意外どころではG.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』の陰険なお兄ちゃん(一癖ある役ばっかりですが……笑)

そういった要素が噛み合った彼の当たり役中の当たり役こそが、W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』のアルマヴィーヴァ伯爵でしょう。この役もいろんな人がいろんなアプローチをしていて、それぞれに納得できるものやお気に入りはあったりはしますが、ベストが誰かと言えば、フィッシャー=ディースカウを置いて他にはいない。この状況は現在でも揺らいでいないと思います。またあの難しい歌を簡単そうに歌ってしまうんです。

<アキレス腱>
さてではそんな私が諸手を挙げてフィッシャー=ディースカウ礼賛かというと、そこはちょっと違う。
先ほども述べたとおり、本来的には伊国とは全く異質の声だと思うのです。言葉の繊細なニュアンスは卓越したものはありつつ、ヴェルディの熱量の必要な場面(例えばリゴレットが2幕フィナーレで怒りを爆発させるところなど)は個人的には趣味から外れます。伊国ものを中心としてやっているメンバーの中に入ったりすると、どうしても違和感は拭えません(尤も、例えばロドリーゴ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)など、独語で独国メンバーだと妙に納得できたりもするのですが。)

あと、どれもあまりに練りに練って注意深く歌うものですから、イタオペにありがちな、シリアスな顔はしているけれども、実際にはすっとこどっこいで頭悪いとしか思えないような役に嵌らない。やたら知的で説教くさい感じになってしまって、全然嵌ってないじゃん!と感じることも間々あります。とはいえ勢いに流されないのが、やっぱり巨匠は違うなと思う訳ですが。

<音源紹介>
・アルマヴィーヴァ伯爵(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
ベーム指揮/ヤノヴィッツ、プライ、マティス、トロヤノス、ラッガー、ジョンソン、ヴォールファールト共演/ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団&合唱団/1968年録音
>これも不滅の名盤でしょう。彼の当たり役中の当たり役。彼以上の人が今後現れるとは、正直なところ思えません。歌の巧さと言い、言葉の扱いといい、非常に良く練られています。キャラクターとしてはしょうもない人だなあと思わざるを得ないところなのですが彼の歌は実にカッコよく、スタイリッシュ。共演もベームの指揮ぶりも大変素晴らしいですが、なかでもプライは古今のフィガロの中でもベストと言うべき歌唱です。

・パパゲーノ、弁者(W.A.モーツァルト『魔笛』)
(パパゲーノ)ベーム指揮/ヴンダーリヒ、リアー、ピータース、クラス、ホッター共演/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団&ベルリンRIAS室内合唱団/1964年録音
(弁者)ショルティ指揮/バロウズ、ローレンガー、プライ、ドイテコム、タルヴェラ共演/WPO&ウィーン国立歌劇場合唱団/1969年録音
>いずれも大変優秀な演奏ですが、いずれも決定盤と言うべきかは留保がいるかしら。彼がパパゲーノを歌っている録音は、タミーノが以前紹介したヴンダーリヒであるというのもあって、少なくともこの2人に関しては何の心配もいりません。もう、楽しむだけです笑。ただ、前述のとおりパパゲーノのキャラかと言われれば、ちょっとかなり違うのですが……趣味の問題でしょう。特に1幕の5重唱“ム、ム、ム”のハーモニーの美しさと言ったら!共演も悪くありませんがピータースの夜の女王はもうちょっと。弁者を歌っている方は、このチョイ役に流石の存在感。共演ではプライのパパゲーノという古今無双の当たり役を楽しめる他優れていますが、やっぱりタミーノはヴンダーリヒがいいなぁ(^^;

・マクベス(G.F.F.ヴェルディ『マクベス』)
ガルデッリ指揮/スリオティス、ギャウロフ、パヴァロッティ共演/LPO&アンブロジアン・オペラ合唱団/1971年録音
>これも名盤。基本的にこのひとにはヴェルディはあっていないと思うのですが、この役については彼の役者ぶりが非常に冴えて、というかこの役に嵌っていて、これもありかなと感じます。特に狂乱の場面は流石の一言。ひょっとするとシモン・ボッカネグラなんかありだったのかもしれないという気もします。共演は切れ味抜群で個人的には録音史上最高のマクベス夫人だと思うスリオティス、後年よりも若々しい声と表現を楽しめるギャウロフ、このころは何を歌っても最高のパヴァロッティとかなり満足のいくものです。

・ジョルジョ・ジェルモン(G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)2020.5.29追記
マゼール指揮/ローレンガー、アラガル、マラグー共演/ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団&合唱団/1968年録音
>彼のヴェルディはその表現の巧みさに対してしっくり来ないという印象が強かったのですが改めて聴き直して認識を新たにしたのがこちら。マクベスもそうですが、朗々とした伊国のバリトンが美声を聴かせる路線では感銘度が低い役だということも言えそうで、だからこそFDの緻密な歌唱が活きているようです。ヴェルディが創造したバリトンの役、父親像の中でも群を抜いて嫌な人物、旧世代の善悪観や因習を押しつける老人を多面的に演じています。それは例えばヴィオレッタに会いに来た場面での高圧的な振る舞い、若者たちに寄り添うようでいて実のところ反抗を許さない偽善的な猫撫で声の説得、怒りに任せてヴィオレッタを侮辱したアルフレードに対する、自分のことを棚に上げた激昂など非常に説得力のある一本の筋が通っています。指揮や共演を含めて、手垢のついた本作に新たな光を当てている名盤です。

・フロイラ(F.シューベルト『アルフォンソとエストレッラ』)
スウィトナー指揮/シュライアー、マティス、プライ、アダム/ベルリン国立歌劇場管弦楽団&ベルリン放送合唱団/1978年録音
>マイナー作品ではありますが、歌曲王の付けた音楽を、これまた歌曲でも名声を博した人たちが録音したものですから悪いはずがありません。台本はいまひとつですが音楽は秀逸です。このころの東独の録音には優れたものが少なくありませんが、その最右翼に置くべきものでしょう。フィッシャー=ディースカウ演じる追われる王の役を、ときに悲哀を以て、ときに父性を以て歌っているのが印象的です。

・アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
フリッチャイ指揮/シュターダー、ヘフリガー、シュロット、ヴァーグナー共演/RIAS交響楽団&室内合唱団/1953年録音
>これは珍盤!!どうしてバッハやるメンバーでドニゼッティ演っちゃったよっていうwwもちろん独語なので、私の持っているこの音盤には“Lucia von Lammermoor”って書いてあります(笑)演奏は割り切ってしまえば結構楽しめるもの。フィッシャー=ディースカウのエンリーコ(ハインリヒだなw)はかなり厭な奴っぽい役作りが嵌っています^^かなり陰険で強権的なエンリーコで、伊語版の下手な歌手よりうんといいと思います。この時代なのにカバレッタちゃんと繰り返しているのも◎

・スカルピア男爵(G.プッチーニ『トスカ』)2013.9.24追記
マゼール指揮/ニルソン、コレッリ、デ=パルマ共演/ローマ聖チェチリア音楽院管弦楽団&合唱団/1966年録音
>世間的には異色盤らしいけど私的には超名盤(ロストロポーヴィッチ盤と並ぶお気に入り。しかし、世の中的にはあれも異色盤らしいなぁ^^;)。このトスカはプッチーニ嫌いの私にとっても相当面白いです!特にフィッシャー=ディースカウのスカルピアは物凄い知能犯ぶりを発揮していて、実に厭らしくて気持ち悪い(褒めてます)数あるこの役の演奏の中でもここまでとんでもないキレ者ぶりを感じさせるものはないです。聖堂の中でトスカに声をかける時の善人ぶりとその前後の悪人ぶりの落差は大変強力。いやぁ、演技派です。ニルソンも情感が……と言われますがかなりしっかり演技していると思いますし、アリアでのたおやかな歌も素敵、もちろん強烈な声の力も魅力的です。コレッリはいつもながら濃ゆいんですけれども、周囲の異様さの中では目立たなくなってしまっているのがすごい笑。マゼールは鮮やかな指揮ぶり、色彩的な管楽器や個性的なテンポ取りでぐいぐい聴かせます。

・ヴォルフラム・フォン=エッシェンバッハ(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』)2014.1.14追記
コンヴィチュニー指揮/ホップ、グリュンマー、シェヒ、フリック、ヴンダーリッヒ共演/ベルリン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
>不滅の名盤。サヴァリッシュの怒濤のライヴ盤とは全く別のベクトルで、コンヴィチュニーの悠然とした指揮は堂々たる大伽藍を構築していると思います。ヴォルフラムは非常に理知的で、良くも悪くも優等生的な人物として描かれているため、彼の知的な歌い回し、と言いますか率直に言ってしまえば説教臭い感じが非常にあっています(笑)一方夕星の歌は非常に繊細であたたかみの感じられる、しかも端整な名唱。彼の良さを存分に味わえる役どころと言えるでしょう。ホップはヴィントガッセンのような華やかさはないもののの、ヒロイックで力強い声であり、僕は結構好きです。グリュンマーも予想以上のドラマティックさで緊張感のある歌ですし、シェヒはちょっとハスキーでエロチックさがたまりません。そして、なぜかヴァルターをヴンダーリッヒ!蕩けるような甘い美声と活力ある歌声は絶品。フリックはちょっとドスが利きすぎてキャラ違いではあるのですが、声自体は立派。1幕フィナーレのアンサンブルは各人の個性が引き立っており、立体的で素晴らしい演奏だと思います。

・マンドリカ(R.シュトラウス『アラベラ』)2020.9.26追記
カイルベルト指揮/デラ=カーザ、ローテンベルガー、パスクーダ、コーン、マラウニク、ウール共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>何故かこの録音に触れていなかったことに気づいたので追記。彼のマンドリカは、例えばヴァイクルやロンドンなどと較べるとこの役の野性味よりも貴族的な側面を前に出しているように感じます。しかし田舎臭い感じがない訳ではなく、田舎の人間だからこそ貴族の血筋であることや勇敢な伯父がいたことに強い誇りを抱いている風とでも言いましょうか。登場の歌での雄弁な口上や2幕後半で怒りまくる場面ではこの巨匠にしては珍しいぐらいの豪快な歌に酔うことができます。他方でFDだからこその精妙な味わいが出るのは、例えば亡妻のことをアラベラに話す場面。優しく、哀しく、けれどもいま幸せの萌芽を見ている歌曲的な素朴な旋律がこれだけ美しく歌われると、アラベラだけでなくスピーカー越しに聴いている私達も心を動かされてしまいます。彼の藝の幅広さを感じられる名盤でしょう。

・カルロ・ボロメーオ(H.プフィッツナー『パレストリーナ』) 2021.12.25追記
クーベリック指揮/ゲッダ、リッダーブッシュ、シュタインバッハ、ヴァイクル、プライ、ドナート、ファスベンダー、ニーンシュテット、フォン=ハーレム、メーフェン、マツーラ共演/バイエルン放送交響楽団&合唱団/1973年録音
>数ある彼のレパートリーの中でも最大の当たり役の一つではないかと思います。パレストリーナの音楽の理解者らしい知性的で趣味の良さを感じさせる歌唱ですが、彼はこの人物をそうした一面的な善玉にはしていません。パレストリーナへの懇願は三顧の礼を尽くしているというよりは高圧的で強引さすら感じさせ、「力で説得はできない」と言いながらもやっていることはノヴァジェリオのそそのかしとさして変わらず、対してそのノヴァジェリオに対しては非常に穏やかで穏健な表情を見せていて、この人物に役人らしい世俗のいやらしさを与えているのです。これにより3幕での改悛が非常に大きな意味を帯びてきます。この場面でボロメーオは、真に天才に感服するのです。この人物造形の鋭さ・的確さはやはりフィッシャー=ディースカウでこそのものでしょう。共演はいずれも優れていますが、全体にバリトンの出来がよく、これ以上はちょっと想像できません。

・ペーター(E.フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』)2022.7.4追記
アイヒホルン指揮/ドナート、モッフォ、ベルトルト、C.ルートヴィヒ、オジェー、ポップ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&テルツ少年合唱団/1971年録音
>初めてこのキャスティングを見た時には「そりゃあFDなら巧いだろうけどウキウキで酔っ払って帰ってくるイメージじゃないよなあ」などと思ってしまったのですが、実際に聴いて浅はかな勘繰りだったなと大変反省しました。もちろん例えば思いの外の収入で気持ちよく呑んで帰ってくる陽気さや能天気さに限って見てしまうと、天衣無縫なプライには一歩譲るところはあります。しかし一方で、終幕の祷りの音楽をはじめとしてこの役に託された生真面目さ、清廉さと言ったところを大仰にならずにごくさりげなく出してしまうところなどは流石の一言です。更に言えば、そういった美徳を宿しているのが「父親」であること、子どもたちを森に遣わせた母親に対して暴力的な怒りで自らの真正さを主張するところなど、ほのぼのとした童話のオペラ化でありながら、ひっそりととても父権的な作品であることすらも、彼の力強い整った歌から引き出されているように思います。共演はいずれも抜群ですが、アイヒホルンの華麗で重厚ながら軽やかさを失わない音楽が最大の聴きどころかもしれません。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第廿八夜/永遠のファム=ファタル~

さて、現在「評価が分かれるひと」というシリーズで進めてましたが、今回はちょっと予定変更。
この1月に亡くなった、大好きな歌手の追悼記事を。

RitaGorr.jpg
Dalila

リタ・ゴール
(Rita Gorr)
1926~2012
Mezzo Soprano
Belgium

白国が誇る世界的メゾ・ソプラノです。
どういう訳だか日本ではいまいち実力どおりの評価をされていないような気がしますが……知ってる人は知っている止まりになってしまっている感があるのは大変惜しい。商業録音も数多く残しているのに、何故だか廃盤・入手困難なものが多いし。
私見ではシミオナートやコッソットと同様、もっと多くの人に語られるべき偉大な歌手だと思います。

このひとの力量が最も発揮されるのは仏国もの。
それも所謂ファム=ファタルと呼ばれるような、男の人生を狂わせる運命の女の雰囲気を持った人。得意とした役はデリラ、オルトルート、アムネリス……とメゾの大役がずらり。

このシリーズでも以前に扱ったエルネス・ブランとの共演が多く、私自身彼の録音を集めていくうちに彼女の録音に触れ、ファンになった部分があります。『ローエングリン』や『ルイーズ』での名夫婦(?)っぷりは見事なもんですし、『サムソンとデリラ』でもこのふたりで絡んでるとやたら色っぽい感じになるんです^^

<演唱の魅力>
古今東西いろいろな声の人がいますが、セクシーという形容が最も似合うのはこの人の声だと思います。ま、言ってみれば史上最強のセクシーヴォイスです笑。
「ベルベットのような」という言い回しが、美しくて深々した柔らかい声にはよくなされ、この人はそういった要素がすべて当てはまるとは思うんだけれど、或る意味もっといい意味で粘着質な声です。その何とも言えぬ湿り気が、独特の色気を醸し出しています。でまた、低い方の声が響くんですよね、いい意味でドスが効く。電話かけた相手がこんな声だったらドキッとしてしまうでしょう。

一方でゴールは、その色気たっぷりの声で甘く艶っぽく歌うことは、敢えてしていません。歌い口自体は、どちらかと言えばものすごく淡々としていて、絶叫したりするようなことはありませんし、過剰に演劇的になったりすることもありません。ゴールのファン仲間のお友達は「不感症っぽい」と以前表現していましたが、本当にそんな感じ。
普通であればもっと表情付けをして欲しいと考えるところですが、この人の場合はこれが成功しています。というのも、彼女ほど色っぽい素材の声で、がっつりしっかり表情付けをされてしまうと、おそらくものすごくくどくなる。確かに魅力的な歌だけれども、そんなにされてしまったら何度も聴くのは正直しんどくなってしまうと思います。
その意味で、この人は自分の持ち味をしっかりわかって歌っているように感じます。

最高なのはC.サン=サーンス『サムソンとデリラ』のデリラ!ヴィッカーズ、ブランという最強の布陣で楽しめるプレートル盤が手に入りやすいですし、彼女の魅力を余すことなく楽しめるものです。
それ以外では、ファム=ファタルだったり色っぽい敵役だったりというようなところがやっぱり魅力的なので、G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』のアムネリス、R.ヴァーグナー『ローエングリン』のオルトルート、アリア集でしか聴いていませんがF.チレーア『アドリア―ナ・ルクヴルール』のブイヨン公妃やG.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』のエボリ公女も最高です。艶役ではありませんが、G.シャルパンティエ『ルイーズ』の母も良かったです。
惜しいことに『カルメン』は全曲の録音がありません……。

<アキレス腱>
微妙……というかやっぱり艶っぽさの求められていない役には合ってないような気がします。G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』のアズチェーナなんかは迫力もあって全然ダメとは言わないんだけど、なんかちょっと違うような。
あと、この人の場合は悪役の方が断然映えます。

<音源紹介>
・デリラ(C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』)
プレートル指揮/ヴィッカーズ、ブラン、ディアコフ共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1962年録音
>不滅の名盤。ゴール最大の当たり役で、敵役メゾの面目躍如ともいうべき名唱が楽しめます。仏音楽が好きな人、サン=サーンスが好きな人にとってこれは必須アイテムでしょう。ヴィッカーズの英雄然としたサムソン、ブランのどこか生臭い感じのする素敵なダゴンの大司祭と、ファム=ファタルを演じさせたら右に出るもののないゴールの掛け合いは、まさに稀有と言うべきもの。特に有名なアリア“君が声に心は開く”の官能的な雰囲気の盛り上がりの素晴らしさは筆舌に尽くしがたいものがあり、熟した果実のような陶然とした響きがあります。

・アムネリス(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
ショルティ指揮/L.プライス、ヴィッカーズ、メリル、トッツィ、クラバッシ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1961年録音
>これは名盤だとは思いますが、ちょっと不思議な感じで、アイーダっぽくないアイーダ。その範疇の中で、ゴールが独特なアムネリスをやっていると言う感じでしょうか。コッソットみたいな或る意味エネルギッシュな解釈とはまた全然違うアプローチですが、こういう粘着質なアムネリスもいいなと思います。表面的にはすごく大人なんだけど、内面的にはドロドロしてそうなお局様タイプとでも言いましょうか。実際こういう人が近くに居たらお友達にはなりたくないですが笑。

・オルトルート(R.ヴァーグナー『ローエングリン』)
マタチッチ指揮/コンヤ、グリュンマー、ブラン、クラス、ヴェヒター共演/バイロイト祝祭歌劇場管弦楽団&合唱団/1959年録音
>同じく最大の当たり役のひとつです。もうこういう魔女とかやらせたら怖い怖い^^;ヴァーグナーは苦手であまり聴いておりませんが、ブランのドラマティックなテルラムントと合わさると、おそらく悪役夫婦としてはかなり上位に食い込んでくる演奏なのではないかと思っています。個人的には白雪姫をオペラ化するなら、王妃は絶対この人だと思います笑。

・ブイヨン公妃(F.チレーア『アドリア―ナ・ルクヴルール』)
・エボリ公女(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
ダウンズ指揮/パリ音楽院管弦楽団/年代不明
>どちらもアリア集に収められたもので全曲聴けてませんが、たぶんピッタリな役だと思いますね、キャラ的に笑。いずれもアリア単体でも貴族的なねちっこい感じで彼女の魅力がよく引き出されています。『ドン・カルロ』のあったらいいな名盤を考えていて、エボリ:ゴール、フィリッポ:マルス、カルロ:ゲッダ、ロドリーゴ;ブラン、エリザベッタ:クレスパン、宗教裁判長:クリストフ、修道士:ソワイエ、クリュイタンス指揮パリ管オペラ座合唱団仏語全曲盤なんてあったら素敵ですよね〜。

・マルガレート(V.A.E.ラロ『イスの王』)2014.3.19追記
クリュイタンス指揮/ミショー、ルゲイ、ボルテール、マルス共演/フランス国立放送管弦楽団&合唱団/1957年録音
>マイナーですが、意外といい音源がある作品です。何と言ってもゴールのマルガレートが魅力的。このひとはアムネリス何かでもそうでしたが女の嫉妬や情念を描かせると大変達者で、ここでも物語を動かしていく颱風の目として音楽面でも演劇面でも素晴らしいパフォーマンスを繰り広げています。ルゲイの仏国らしいリラックスした高音、録音の少ないボルテールの演劇的な歌唱、脇ながら堂々たるマルスなど共演も見事。クリュイタンスの指揮は言わずもがな。

・シャルロット(J.E.F.マスネー『ウェルテル』)2017.6.15追記
エチェヴリー指揮/ランス、バキエ、メスプレ、ジョヴァニネッティ、マル共演/仏放送管弦楽団&合唱団/1964年録音
>ずっと気になっていながら視聴できていなかったものを漸っと。ゴールの落ち着いた音色の声がしとやかなヒロインを作り上げています。ソプラノでも素晴らしいシャルロットを遺している歌手はたくさんいますが、この役の持つ二面性――貞淑な人妻と情念に燃える女性――をよりリアルに描けるのはメゾなのかなと改めて納得させられる歌唱です。有名なアリアも当然素晴らしいのですが、それ以上にウェルテルとの重唱の緊迫したやりとりにハッとさせられます。そのウェルテルを歌うランスがまた大変お見事!この役こそがこの演目の軸であることをはっきり感じさせる情熱的で優美な歌です。アルベールのバキエもまた立派で巧いんですが、この役にしてはちょっと迫力がありすぎな印象。メスプレはここでも心の底から陽気なソフィーで華を添えています。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第廿七夜/黄金のトランペット~

このひとを「評価が分かれるひと」だというと物凄く怒る人たくさんいる気もしますが、一方でいまはアンチもかなり多いように思います。
ま、私は曲によっては大好きですが笑。

MarioDelMonaco.jpg
Otello (Verdi)

マリオ・デル=モナコ
(Mario Del Monaco)
1915~1982
Tenore
Italy

年配のオペラ・ファンがカラスと同様に(時としてカラス以上に)愛好し、ほとんど崇拝していることもある20世紀中盤を代表する名テナーです。

特に年配のファンが多いことは理由のないことではなく、NHKがかつて数回に亘って主催した「イタリアオペラ公演」で当時は本当に欧州から遥かかなただった日本にやってきて、その全盛期の歌声を響かせたということがあります。もちろん、彼以外にもここでかつて紹介したテバルディやシミオナートをはじめさまざまな名手がこの企画で来日している訳ですが、彼は或る種このイベントのシンボル的な存在として扱われることが多いように思います。
いまの海外劇場の引っ越し公演とは訳が違いますし、持っている声がとんでもない代物ですから、当時からのファンが夢中になるのも十分納得できるのです。しかもファンへの心遣いというかサーヴィス精神が旺盛でさまざまな逸話を残しています(尤も、一方で気難しさや気の小ささを伝える逸話も多いのですが笑)。
例えばこんな話。
飛行機嫌いのデル=モナコは来日の際にも船を使い(喉を守るためだったという説もある)、その情報を聴きつけたファンたちは港に集まっていたのだそうです。待ちに待ったデル=モナコの乗船した船が近づいてくると、船の方から何か声が聴こえます。耳を澄ましてみるとそれはG.F.F.ヴェルディ『オテロ』の有名な一節“喜べ!傲慢な回教徒どもは海の藻屑と消えた!”ではありませんか!デル=モナコは船が港に着くのに合わせてこの歌を歌っていたのです!こんなパフォーマンスをしてくれたらファンが夢中になるのもわかるというものです(喉を大切にしたと言うデル=モナコが本当にこんなことをしたのかということには一定の留保がいりそうな気もしますが。)

<演唱の魅力>
彼に関しては言うことはありません!圧倒的な声の威力!声!声!声!
録音史上、もっと巧い歌や精緻な表現を聴かせるドラマティコのテノールはたくさんいるでしょうが、これほど威力のある、輝かしい、見事な声を聴かせる歌手はなかなかいないでしょう。彼が「黄金のトランペット」と呼ばれる所以です。まさに空前絶後の声。特に全盛期の声は素晴らしく、その図太く煌びやかな響きだけで脳髄がピリピリしてくるように思えます。
オテロなどは彼の後に様々な名手が歌っていて、いい録音もたくさんありますが、登場の場面での“喜べ!”だけでこれだけ聴衆を引っ張り込める人はいません。というか、私自身は最初に録音で聴いたオテロが彼だったというのもあってか、ああいう威力がないと「喜べ!」は聴けないですね(^^;
録音で聴いてこれなんですから、実際に彼の声を聴いた人たちの感動は如何ばかりか。

そしてそのヒロイックな声に見合った甘いマスク。英雄の役が多いテノールでは、この点も大きな美質でしょう(全身映ると結構顔がデカくて脚が短いんだけどね笑)。近年オペラ歌手もヴィジュアルが意識される時代になった、と言って見た目ばっかりいい歌手が跋扈していますが、こうした声を持った時代の歌手にも見目麗しい人はたくさんいたのです!彼とバスティアニーニ、それにテバルディやシエピが舞台に一緒に立っていたら、目にも耳にも大変な贅沢だったに違いありません。

最大の当たり役としていたG.F.F.ヴェルディ『オテロ』の題名役や、同『アイーダ』のラダメス、同『エルナーニ』題名役、G.プッチーニ『トゥーランドット』のカラフ、R.レオンカヴァッロ『道化師』のカニオ、それにU.ジョルダーニ『アンドレア・シェニエ』の題名役などドラマティコの諸役においては、彼に触れることなくして語れることはできないでしょう。

<アキレス腱>
一方で、ちょっと声の力一本槍だという側面もあります。
情緒的に歌って欲しい部分で余りにも剛直すぎて、一本調子に聴こえることも多々。だからカバレッタはとてもいいんだけどカヴァティーナはいまいちなんてことも結構あったりして、例えばG.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』のマンリーコのカバレッタ“見よ、恐ろしい炎が”は唸らされるところひとかたならないのですが、“ああ、あなたこそ私の戀人”はもう少し叙情が欲しい。
割と残してる録音でもドラマティコな声はそれほど必要ないけどリリックに、抒情的に歌って欲しいと思うような役に契約の関係で起用されていたりして、「あ、これはあってない」と思ったりするものもあったりします(^^;

あと、ライヴの爆発的な演唱を買ってる人も多いんですが、ちょっと濃過ぎというか……崩し過ぎに感じる時もあります。個人的には比較的端正に歌っているスタジオ録音の方が好きですね。

<音源紹介>
・オテロ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』)
エレーデ指揮/デル=モナコ、トゥッチ共演/N響&合唱団/1959年録音
>超名盤!伝説のイタリアオペラ公演、こんな物凄いものを東京でやっていたのかと衝撃を覚える1枚です。!デル=モナコとゴッビはそれぞれ別のレコード会社と契約していた関係で、お互い最高の当たり役とされたオテロとイァーゴでコンビを組んで正規の録音を残すことができなかったので、このNHKの映像は奇跡と言われています。また、これとは別の日のものだという音源もあります。登場場面の輝かしい美声もそうですが、復讐を誓うオテロと姦計を巡らすイァーゴの2重唱の凄まじさと言ったら!!

・カニオ(R.レオンカヴァッロ『道化師』)
モリナーリ=プラデッリ指揮/トゥッチ、マックニール、デ=パルマ、カペッキ共演/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団/1959年録音
>私の初デル=モナコは、いまでも覚えていますがNHKが保存していたカニオの映像でした。その輝かしい声の威力はもちろん、ぎょろりと引ん剥かれた目や泣きの演技でTVに釘づけにされました。これもイタリアオペラ公演。生で、しかも東京で観た人たちがいるなんて! ここでは手に入りやすいこの音盤を。共演に難はあるものの、やっぱりこの役はこの人で聴きたいと言う向きには、聴いて損のない1枚。特にアリア“衣裳をつけろ”のドラマティックな表現は、他の追随を許しません。

・ラダメス(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
エレーデ指揮/テバルディ、スティニャーニ、プロッティ、カセッリ、コレナ共演/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団/1952年録音
>オテロやカニオに比べると言及されることの少ないラダメスですが、私は彼の声に最も適しているのはこの役ではないかと思っています。ライヴ盤での濃ゆい演奏、爆発的な威力のある演奏も魅力的なのですが、ここではスタジオ録音を。しかし、これ、私のベスト・ラダメスです。端正に歌っているところがすごくいい!このひとでもパワーで押していくだけではなくて、こういう美麗なフォルムの歌が歌えたのかと(←失礼) 、改めて感心してしまいました笑。共演もこのメンバーで悪くなりようがありません。

・カラフ(G.プッチーニ『トゥーランドット』)
エレーデ指揮/テバルディ、ボルク、ザッカリア、コレナ共演/サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団&合唱団/1955年録音
>何となく歌い方が想像がついて長いこと聴いてなかったんですが、聴いてみてあまりにいいんで反省しました^^;以前パヴァロッティを褒めましたが、やっぱり本来的にはこういう重量メガトン級の人に歌ってもらった方が緊張感が出ます。ここでもやっぱりラダメスと同様、崩し過ぎず、スタイリッシュな歌を繰り広げているところが大変好印象。共演は……ボルクの好き嫌いによって変わって来るように思います。

・エルナーニ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』)
(ごめんなさい詳細わかりません)全曲持ってました(^^;寝ぼけて書くもんじゃないね苦笑。
ミトロプーロス指揮/バスティアニーニ、クリストフ、チェルケッティ共演/フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団&合唱団/1957年録音
>上記に較べるとマイナー演目ですが、この曲は素敵♪マンリーコほどカヴァティーナで抒情性を求められないのがいいんだと思いますね笑。悠々と、朗々と歌っているさまが本当に耳に嬉しい。これは全曲盤がいくつかあるんで、そのうち仕入れようかと画策中。全編に熱い血の滾っているような演奏で、これもざっついたおぺ!っていう感じの力強い音楽に仕上がっています。録音の少ないチェルケッティや重厚なクリストフも素晴らしいですが、ここではミトロプーロスの豪快な指揮ぶりと男伊達なバスティアニーニの魅力が秀逸。

・アンドレア・シェニエ(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)
ガヴァッツェーニ指揮/バスティアニーニ、テバルディ共演/サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団&合唱団/1959年録音
>伊ものオペラの醍醐味を味わえる音盤。全編が滾るような熱い伊国の血でできていると言って良いような演奏で、聴いていてスカッとします(笑)デル=モナコ演ずるシェニエにはたくさんのアリアが用意されていますが、いずれをとっても素晴らしい出来だと思います。もうね、カッチョいい!って言う言葉しか出てこないぐらい(笑)伊もののファンを名乗るなら、絶対に聴くべき一枚ではないかと思っています。

・ポリオーネ(V.ベッリーニ『ノルマ』)(2014.3.18追記)
ヴォットー指揮/カラス、シミオナート、ザッカリア共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1955年録音
>不滅の名盤。良いと言われているものは素直に聴くもんですね(笑)現代のベッリーニ演奏からすれば彼の歌唱はあまりにもヴェルディ的ではありますし、ライヴらしい疵も無きにしも非ずなのですが、そういったことを帳消しにしてしまうぐらい覇気のある歌唱。力感漲る黄金のトランペットの炸裂は、思わず手に汗握るものです。特にカラス、シミオナートとの3重唱は物凄く集中度の高い歌唱で、折り返し地点でこんなにやっちゃって大丈夫なの?というぐらい。実際には各人そのあともそのままの勢いで行くのですからとんでもない話です(笑)ヴォットーの指揮も共演陣もこれ以上はないと言う仕上がりで、まさに圧巻の演奏記録です。

・ロリス・イパノフ(U.ジョルダーノ『フェドーラ』)(2015.7.3追記)
ガルデッリ指揮/オリヴェロ、ゴッビ、カッペルリーノ、マイオニカ、デ=パルマ共演/モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1969年録音
>録音の少ない作品の代表的な録音。あらすじがいまひとつという意見もありますが、短い中にも伊的な熱狂の世界が繰り広げられる作品で、人さえそろえばかなり楽しめるのではないかと思います。ここでのデル=モナコは作中最も有名なアリアを歌う2枚目役。年齢的にはそろそろ衰えが出てきそうなところですが調子も良かったのか、情熱的で体当たりな歌唱がジョルダーノのアツい音楽を更に盛り立てます!しかしその一方で、2幕でのピアノ伴奏をバックに据えた重唱では意外なほど抒情的な歌唱を披露しています。ゴッビの喰えない外交官も素敵ですが、ここではやはり幻の名歌手オリヴェロが素晴らしい!この出ずっぱりで大変な役どころを実に見事にこなしています。
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かはくの展示から~第4回/アパトサウルス~

このblogは国立科学博物館の公式見解ではなくファンの個人ページですので、その点についてはご留意ください。

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アパトサウルス・アジャックス
Apatosaurus ajax
(地球館地下1階)
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※本来ならラテン語読みに即した「アパトサウルス・アヤクス」か英語読みに即した「アパトソーラス・アジャックス」かにすべきところですが、かはくの展示での表記に倣い、慣例表現としました。

全長18m。
かはくの常設展の展示物の中でも最大級のものです。しかし、この全身骨格の凄いところは単純に大きさだけではなく、その保存状態の良いことにあります。
通常博物館や恐竜展に展示されている恐竜の全身骨格は、多くの場合レプリカ(複製)や復元骨格であり、本物の化石が組まれていることは余りありません。本物が組み込まれているものでもその本物の割合は、言ってしまえばぴんからきりまでで、3~4割でも本物の化石が組まれていれば御の字と言って良いでしょう。
そんな中この全身骨格はなんと全体の8割が本物の化石で組まれています!
世界中の博物館を観てもこれほどのものが常設展に展示されているのは珍しいものです。

ただ、ここで改めて強調しておきたいのは、それだけ化石を発見するのは難しいし、それ以上に生き物が化石になるのは難しいということです。我々が見ている古生物の化石は、ほんの一部の生き物の身体のほんの一部分の化石です。私たちは、古生物についてほんの不確かな情報しか持ち合わせていないのです。
また、レプリカ等の重要性については、デイノテリウムの回でお話ししましたね^^

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それだけのものだということもあり、写真のとおりしっかり鉄骨が組まれています。
研究者ではない私たちが、全身骨格が本物の化石かどうかを見分ける一番簡単なポイントは実はここだったりします。本物の化石は当然ながら一点ものですし、非常に重たいですから、安全性を考えると鉄骨を組まない展示は基本的にはありません。
なお、このアパトサウルスの鉄骨は特別仕様で、研究のために骨1つ1つを取り外しできるようになっています。

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これはアパトサウルスの足許にあるカマラサウルスの頭蓋骨です。
実は19世紀にいたマーシュという大変有名な古生物学者は、このカマラサウルスの頭蓋骨をアパトサウルスの身体にくっつけてブロントサウルスと言う名前で呼んでいました。そう、アパトサウルスと言う名前は聞きなれないかもしれませんが、実はブロントサウルスのことなのです。そういった事情があり且つアパトサウルスの名前が先についていたこともあり、ブロントサウルスと言う名前は非常に有名ではありますが、現在では使われていません。
今は使われていないこの名前は、実は20世紀初頭の段階(!)で無効とする論文が出ていたにも拘らず無視され、どういう訳だか世界中でかなりの市民権を持ってしまっています(響きがカッコいいしね^^;)。日本語の「雷竜」「かみなり竜」もこれを語源とするもの(「ブロント」は雷、「サウルス」は竜・蜥蜴)。宮沢賢治の傑作『楢ノ木大学士の野宿』にも雷竜は登場します。

2015年4月、アパトサウルスを含むグループを再整理する論文が発表されました。
これによってかなりいろいろな変動があったのですが、中でも一般向けに大きな話題となるのは、使用されなくなっていた「ブロントサウルス」という学名を復活させている点!ブロントサウルスと名づけられていた標本を再度精査した結果、別属とすべきという結論になったようです。もちろん、これはあくまでひとつの論文が発表されたというレベルの話なので、今後どういう議論がなされるのか、注目したいところです。(2015.4.9追記)

ちなみに、アパトサウルスやカマラサウルスを含む体が大きくて頸や尾の長いタイプの恐竜(竜脚類と言います)は、頭と首を繋ぐ関節が脆く、死ぬとすぐ取れてしまったと考えられ、頭が見つかるということは極めて稀です。かはくのアパトサウルスも、実は頭はレプリカです。今回は写真用意していませんが、アパトサウルスとカマラサウルスでは、かなり顔が違います。是非、展示室に足をお運びいただき、ご確認いただければ。

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<参考>
世界恐竜発見史 ――恐竜像の変遷そして最前線――/ダレン・ネイシュ著/伊藤恵夫監修/株式会社ネコ・パブリッシング/2010
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第廿六夜/The American Baritone~

評価の分かれる歌手その2はバリトンのこの人です。

SherrillMines.jpg
Lord Enrico Ashton

シェリル・ミルンズ
(Sherrill Milnes)
1935~
Baritone
America

豊かな声量、輝かしい高音、舞台映えする容姿で知られた往年のアメリカのバリトンです。「豊穣」ということばのよく似合う声でたっぷりと歌われた全盛期の録音には、一種独特の魅力があります。

同じぐらいの世代のカプッチッリがどちらかといえば専らヴェルディを歌い、録音もほとんどヴェルディ1本であったのに対し(彼についてはそのうちまたご紹介したいと思いますがこれは惜しいこと。スカルピアなんかをもっと残していて呉れたら!)、ミルンズはかなり広範にさまざまなレパートリーを持ち、録音も残しています。このため後の世代の我々は彼の様々な歌を楽しむことができます。
一方でそのことで、彼が或る意味で小器用なだけの歌手だと思われてしまっているようにも思うのです。

<演唱の魅力>
まずはこの人も声そのものの魅力について述べなければならないでしょう。
全盛期には本当に深々と響く豊かな声をしています。「演技力」であるとか「容姿」に現在では注目が集まりがちですが、声の魅力はやはりオペラ歌手の根幹に関わるものであり、この点だけでも歌手としての地力が違うように思います(もちろん「演技力」や「容姿」が大事でない訳ではないのですが)。
バリトンらしい低音域はもちろん、スリリングな高音まで豊かな響きと声量を伴っています。どの音域でも余裕がある感じがあるんですよね、バリトンとしては信じられないぐらいの高音出してたりするんですが(例えばG.F.F.ヴェルディ『リゴレット』の録音で出しているHigh Hとか)。そういった高音をスカーンと当ててくれるところもまことに気持ちがいい(笑)オペラ歌手としてのエンターテイナーとしての側面を前面に打ち出している人なのでしょう。

また、歌い口や言葉捌きの巧さというのもこの人の美点だと言っていいでしょう。特に伊ものや仏ものでその良さは強く感じられるように思います。旋律の美しさをバリトンらしい力強さを以て引き出すことのできる人だと思います。

加えてこの人を特徴づけているのは、舞台姿も含めた或種の「伊達さ」といいますか、漠然としたイメージですがアメリカンな感じだと言えるように思います。何を演じてもカッコいいんです、悪役、お父ちゃん、ヒーロー…そしてどれにも共通して感じるのは古き良きアメリカ映画に出てきそうなキャラクターづくり。何となくやりそうなことは読めて、或る意味で紋切り型なんだけど、それを逆に魅力にしてしまっているというか。歌唱の様式感とかそういうものとはまた全然別の次元のもので、そこにマンネリズムみたいなものを指摘してどの曲でもみんな一緒じゃんと言ってしまうのは容易なんだけれども、それだけでは切って捨てがたいところがあるんですよね笑。うーん、うまく彼の魅力を言語化できないんだけど、手堅いというか安心して聴いていられる部分があるんですよね(^^;
個人的にはG.F.F.ヴェルディ『ルイザ・ミラー』のミラー、G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』のエンリーコ、G.プッチーニ『トスカ』のスカルピア、それにA.ポンキエッリ『ジョコンダ』のバルナバ、G.ロッシーニ『グリエルモ・テル』題名役あたりはお気に入りです。

<アキレス腱>
その手堅さというか、ヌッチみたいな猛烈な感動を呼ぶ歌唱をするタイプじゃなく或る意味で紋切とも言えるところが、「空虚だ」とか「迫ってくるものがない」とか「大味」という批判に繋がっているのも事実なんだろうなと思うところはあります。実際、もうひとつふたつ屈折したキャラづくりをして欲しいと思う役があるのも事実。しかも冒頭で述べたように当時としてはかなり手広くいろいろな役の録音を残していますから、「なんでもかんでもおんなじようにやってて面白くない人」みたいな印象が特に日本人には強いのかな。

ただ、私は個人的には何でもかんでもオペラ限らず音楽に難しい理窟やややこしい解釈をひっぱりこんで頭使って苦悩して感動を得ようっていう姿勢には共感できないので、まあ何が言いたいかというと私はミルンズ好きですね笑。

<音源紹介>
・アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
ボニング指揮/サザランド、パヴァロッティ、ギャウロフ、R.デイヴィス、トゥーランジョー共演/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団/1971年録音
>超名盤。ベル・カント作品の至宝。いろいろ歌っている彼ですが、ベストの歌唱だと思うのはこれです。特に開幕直後のアリアでは滴るような美声、そしてカバレッタの最後の高音はちょっと癖になる代物です。またルチアに結婚を迫る場面やレーウェンスウッド卿エドガルドとの決鬪の場面の重唱も、貫録十分な悪役で非常に聴きごたえがあります。共演陣もこれで文句があろうかと言う豪華メンバー。パヴァロッティの本領はベル・カントだと思うし、ギャウロフもライモンド・ビデベントという役を再認識させるのに十二分な歌唱。サザランドに至っては最高のルチアでしょう(カラスのそれとはベクトルの方角が違うし、ベル・カント作品として考えるならやはりサザランド)。しかもほとんどカットされていないのも魅力的。2幕のフィナーレの素晴らしさを存分に味わえます。

・ミラー(G.F.F.ヴェルディ『ルイザ・ミラー』)
マーク指揮/カバリエ、パヴァロッティ、ジャイオッティ、ヴァン=アラン、レイノルズ共演/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団&ロンドン・オペラ・コーラス/1975年録音
>どちらかと言うと地味な作品かもしれませんが、これも素晴らしい作品の素晴らしい録音。そしてここでのミルンズもベスト・フォームと言うべき出来だと思います。こちらもアリアの出来、特にカバレッタの出来が最高です。お得意の高音も痺れる出来。共演もまずまずで特にジャイオッティ、ヴァン=アランのバス2人がいい味を出してると思います。パヴァロッティは当たり役だと思いますがライヴ盤の方が好き、カバリエは可憐ですが……この役は誰が歌っても難しいなと思ってしまうところです。

・リゴレット(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
ボニング指揮/パヴァロッティ、サザランド、トゥーランジョー、タルヴェラ共演/LSO&アンブロジアン・オペラ合唱団/1971年録音
>ここでも円熟した声が楽しめますが、中でも凄いのは全曲の最後!「呪いだ!」とリゴレットが叫ぶ場面でのハイH!!これは私の知る限りバリトンが録音した音の中で最も高い音(笑)こうした楽譜にないことに対して近年は冷たい目線を送る傾向にあるようですが、オペラは一方で娯楽な訳だし、複雑なことを考えず、こういうチャレンジには声援を送りたいです。 

・アムレート(C.L.A.トマ『アムレート』)
ボニング指揮/サザランド、モリス、コンラッド、ヴァンベルイ、トムリンソン共演/ウェールズ国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1983年録音
>仏語読みになっていますが要はハムレット。ここ数年再評価され、メトなどでも取り上げられている作品ですが、これは暫く唯一の全曲盤となっていた録音。主役アムレートがバリトンであるため、さまざまな歌を要求される役ですが、ミルンズはここでも堂々たる主役ぶりを発揮していると思います(あまり思い悩むハムレットに聴こえない気もしますが^^;)。特に乾杯の歌はこのひとの声にあった曲ですし、或る意味で安心して聴けます(笑)サザランドは結構歳行ってたはずですが流石、その他モリス、ヴァンベルイなどもあまり歌うことのない役だったのではないかと思いますが、なかなか聴かせます。

・スカルピア男爵(G.プッチーニ『トスカ』)
レッショーニョ指揮/フレーニ、パヴァロッティ、ヴァン=アラン、ターヨ、セネシャル共演/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団&ロンドン・オペラ・コーラス/1978年録音
>お馴染みの人たちとの録音ですが、主役2人より断然悪役のこの人の方がカッコいいのですよ、音で聴いて笑。やっぱり悪役が魅力がないと作品は生きないと思っている私としては、こういう或る意味ステレオタイプかもしれないけれども堂に入った悪役ぶりは嬉しいところです。基本的に声がデカいのでテ=デウムは聴きごたえがあります。冒頭であんなことを言いましたが、フレーニ、パヴァロッティとも盤石な歌だと思います。ただ役に合ってるかというと、どちらも疑問符はつくかもしれない。むしろターヨの堂守が流石。

・グリエルモ・テル(G.ロッシーニ『グリエルモ・テル(ウィリアム・テル)』)
シャイー指揮/パヴァロッティ、フレーニ、ギャウロフ、コンネル、D.ジョーンズ、トムリンソン、デ=パルマ共演/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団&アンブロジアン歌劇合唱団/1978-1979年録音
>いくつかあるこの作品の録音の中でも最良のもののひとつ。超名盤。ミラーもそうですがこのひとはこういうお父ちゃん役を演るとなんだかやたら嵌りますね笑。有名なアリアもしっとりと聴かせてもちろんいいですが(最後はまた音を上げている!)、何といっても聴きどころはパヴァロッティ、ギャウロフを交えての3重唱でしょう。3人の偉大な歌手たちのアンサンブルによる、至福のひとときを過ごすこと請け合いです。もちろんフレーニも流石の出来栄え。

・ジョルジョ・ジェルモン(G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)
クライバー指揮/コトルバシュ、ドミンゴ共演/バイエルン国立管弦楽団&合唱団/1976-1977年録音
>ミラー、テルに引き続きお父ちゃん役でいい味を出すミルンズ、ここでも本領(?)発揮です。個人的にはカバレッタをカットしていないのも好感が持てるし、ヴィオレッタとの重唱も素敵。ドミンゴもこの頃は最高にいい声ですし(カバレッタのハイDは別録って言うのをみんなでけちょんけちょんにいうけど、スタジオだったら別録なんて当たり前でないの?)、指揮のことはちゃんとわからないですがクライバーのきびきびした音楽は好きです。肝腎の主役ヴィオレッタのコトルバシュが好きか嫌いかで全体の評価が大きく変わりそうなところ。こういう可憐なヴィオレッタも悪くないと思いますが、個人的にはもうちょっと太めの、うまみのある声で聴きたい気がします。

・フィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
レヴァイン指揮/ゲッダ、シルズ、カペッキ、ライモンディ、バルビエーリ共演/ロンドン交響楽団&ジョン・オールディス合唱団/1975年録音
>ミルンズは必ずしもフィガロを当たり役にはしていなかったように思いますが、かなりなりきっていて大好きな録音です。ロッシーニっぽいかっていうとちょっと考えてしまうところではあるのですが、陽気で頼もしくて好感が持てるがちょっと軽薄な感じのするフィガロと言う役に、彼のキャラクターがとても合っているということがいえそうな気がします。何でも屋のアリアの愉快なことと言ったら!共演陣も――シルズは好き嫌いがはっきり分かれそうですが――全体に好演しており、かなり愉しい音盤になっています。

・バルナバ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)
バルトレッティ指揮/カバリエ、パヴァロッティ、バルツァ、ギャウロフ、ホジソン共演/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団&ロンドン・オペラ・コーラス/1980年録音
>この役も彼には合っている役だと思います。普通に巧いし(笑)、ボリュームのある声でやっぱり歌って欲しい役だし。“信条”的なアリア、豊麗な声を存分に使った舟歌も素敵ですが、パヴァロッティとの声の対比を楽しめる重唱が気に入っています。ただ、パヴァちゃんがエンツォと言う役に合ってるかと言うと……?ギャウロフの権力者はいつもながら嵌ってるし、バルツァも悪くない。カバリエはちょっとキャラ違いな気がします。

・レナート(G.F.F.ヴェルディ『仮面舞踏会』)2013.1.21追記
バルトレッティ指揮/パヴァロッティ、テバルディ、レズニク、ドナート共演/ローマ聖チェチーリア管弦楽団&合唱団/1970年録音
>ひょっとすると彼の残したヴェルディの録音のベストと言ってもいいかもしれない、素晴らしい歌唱。カプッチッリのようなパワフルで渋みの効いた漢っぷりを聴かせるというのとはまた別の、非常に知的なアプローチに成功していると思います。特にアリアでの抑えた歌いぶりは、こらえながらも静かに涙を流す男の姿を彷彿とさせる出来。そしてそこからガラッと気持ちを切り替えて復讐を誓う場面の決然とした様、いずれも思わず引き込まれてしまいます。パヴァロッティ、テバルディ、レズニクもそれぞれに力を発揮しています。

・グイード・ディ=モンフォルテ(G.F.F.ヴェルディ『シチリアの晩禱』)2019.9.26追記
レヴァイン指揮/ドミンゴ、アローヨ、R.ライモンディ 共演/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団&ジョン・オールディス合唱団/1974年録音
>ヴェルディの中では比較的演奏されない演目だとは思いますが、脂の乗った時期の作品ですからメンバーを揃えればかなり楽しめると思います。ここでのミルンズはなんと言ってもたっぷりとした声と余裕のある歌唱が魅力的です。モンフォルテは人間的な深い悩みはあるものの、シチリアの総督であり生活そのものは安定していてゆとりのある生活をしている人物ですから、あまりに切羽詰まった苦しい歌唱はそぐわないと思います。そうした面での匙加減が実に見事。貴族的なやわらかみのある歌い口は絶品と言えるでしょう。共演のライモンディやドミンゴ、アローヨもそれぞれ声に一番うまみのある時期の歌唱で、声の競演を楽しめます。

・ルーナ伯爵(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)2021.1.17追記
メータ指揮/コッソット、ドミンゴ、L.プライス、ジャイオッティ共演/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団&アンブロジアン・オペラ合唱団/1970年録音
>Twitterでコメントをいただいて言及していないことに今更気づき、我ながらびっくりした次第です(苦笑/他にもいくつか言及せねばな役があることに気づきましたがおいおい……)。このころがピークと思われるプライスを中心に、当時の若手指揮者と歌唱陣で固められた覇気のある名盤です。ミルンズの伯爵は、端正ながら暗くてハードボイルドなバスティアニーニとも、こちらもハンサムながら偏執狂的な異常さを感じさせるフヴォロストフスキーとも違う、もっとうんと甘みのある、ロマンティックな優男。この3人で較べるのなら実は一番艶っぽいのは彼かもしれません。ベル・カントの影響がまだまだ顕著で細かい動きも多い役だと思うのですが流石の器用さで全く不安はないですし、楽器の巨大さもあって3幕1場の3重唱での怒鳴り合いなども迫力満点です(ここはまたコッソットとジャイオッティが立派な楽器なのも嬉しいですね)。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第廿五夜/おぞましき声~

さて、いよいよ新たなクールに入りました!本当にいよいよですね汗。
今回は「評価の分かれる?名歌手たち」をテーマにお送りしていこうと思いますが、例によって盛大な中断を挟む可能性高く……まあ適当に(笑)
非常に優れた演唱をするにも拘わらず、批評家筋からもオペラ・ファンからもあまり評価がよくなかったり、極端に評価が分かれる歌手がいます。今クールはそんな人たちを見ていきたいと思います。
ま、結局は「私この人好きなのに何で評価低いネン!」大会になりそうな気がしますが……

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例によって例のごとくバスから。

BorisChristoff.jpg
Bertram

ボリス・クリストフ
(Boris Christoff, Борис Кирилов Христов)
1914~1993
Bass
Bulgaria

勃国は小さい国なのに、どういうわけだか20世紀を代表する名歌手をたくさん輩出していて、特にバスにはかつてご紹介したニコライ・ギャウロフをはじめラファエル・アリエ、ニコラ・ギュゼレフ、ディミタル・ペトコフなどなど国際的な活躍をした人たちが多くいます。
そういったひとたちの草分けとなるのがこの人ボリス・クリストフです。

独特のヴィブラートのかかった暗い色彩の声は大変印象的。
まったく伊的でも独的でもない、スラヴにしかありえない音色ですが、その響きは空前絶後と言ってもいいような、ある意味で不気味な力に満ちています(そして顔が怖い笑)。

ただこの人歌手としての素晴らしさとは別に、人間的に相当問題のあったようで……マリア・カラスと衝突したり、ギャウロフが共産党に追従していると発言してスカラ座から契約を打ち切られたり、フランコ・コレッリに小道具の剣を突き付けたり……枚挙に暇がありません(^^;ま、歌手が大スターだった時代の人なんだと思います。
なお、以前ご紹介したティート・ゴッビとは義兄弟。ちょっとここは意外。

脳腫瘍を患って引退や復帰を繰り返したりしていたこともあり、必ずしも実際的な活動時間は長くはありませんが、数々の印象的な録音を残しています。

キリル文字の“Х”なので、「フリストフ」という読み方も稀にありますが(「フルシチョフ」と「クルシチョフ」のようなもの)、ここは一般的な「クリストフ」で統一します。

<演唱の魅力>
まずは上述のとおりそのメガトン級の声について語らなければならないでしょう。本当にごっついスラヴの声。露国や東欧にも名歌手と言われる人はたくさんいますし、スラヴの声の特徴のひとつは或る種の迫力ではないかと思っているのですが、彼の声を聴いてしまうと、その迫力で対抗できる人はほとんど数えるほどしかいないでしょう。
逆に言えば、単純に響きだけを俎上にとるなら伊国や独国的な洗練からはほど遠い土臭い声なので、例えばチェーザレ・シエピやクルト・モルのような心地よく美しい声を至上とする向きには受けは良くないのかもしれません。けれど、この土臭い、アクの強い響きでこそ生きる役というのもたくさんあるし、そうした声だからこそできる表現、そこから生まれる感動というのもある訳で、オペラというのはやはり一筋縄ではいかない世界だと思うのであります。

彼は、その持前のごつい声を駆使してかなり濃厚な表情付けを役にしていきます。考えようによってはコテコテもいいところなんだとは思うんだけど、それが生きる役で最大限に発揮されると、他の追随を許さない。やっぱり王道こそ最強なのだと思わせてくれます。特にМ.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』はイサイ・ドブロヴェンとアンドレ・クリュイタンスの指揮で録音していますが、いずれも素晴らしい。何がすごいってどちらの録音でも題名役である皇帝ボリスのみならず、ボリスに敵対する老僧ピーメン、破戒僧ヴァルラームという全く違った個性を持つ3つの役(!)を1人でこなしているということ。そしてそのいずれにおいても完成度の高い演唱で唸らされます。他にもC.F.グノー『ファウスト』の破壊力満点のメフィストフェレスはあの役のひとつの金字塔だと思いますし、G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』の悲哀を滲ませたフィリッポ2世もこの役を語るうえで忘れられないでしょう。

もうひとつ、このひとを映像で見たことは実はあまりないのですが、この魁偉な容貌、もっと平たく言ってしまえばおっかない顔(笑)が大きな魅力になっていることは厳然たる事実であるかと思います。ここまでに列記した役名を見ればわかるとおり、バスは基本的に王様とか悪魔とか僧侶とかそういった役が多いのです。そこに持ってきてどこか頼りないとか、どこか弱そうだったりすると見ていて非常にがっかりする訳です。こんな強面にこんなことをこんな声で言われたらそりゃぁ……みたいな部分がどうしても必要になってくる。彼はその面で言っても全く問題なく、或る意味で天から二物を貰っていると言っていいのかもしれません。

<アキレス腱>
……と、かなりべた褒めな感じで書いてきましたが、この人の好き嫌いは結構別れます。ネット上で見ても私みたいなべた褒めな人がいる一方で、全然ダメという評も散見されます。この違いは一体どこからくるのか。

ひとつには声と演唱を合わせた時のコテコテ感やおどろおどろしさがあまりにも……という向きはあるのでしょう。近年のより演劇的なオペラを志向する向きからすれば、あまりにも大時代的で大仰な表現が多いというのは、わかる気がします。実際時々表情過多でイラッとすることがないかと言えば嘘になる訳です。

あと薄味なぐらいがちょうどいい役っていうのもある気がしていて、そういう役にはちょっと……例えばG.プッチーニ『ラ=ボエーム』のコッリーネはアリアの録音がありますが、それだけで割とご馳走様でした(^^;

<音源紹介>
・ボリス・ゴドゥノフ、ピーメン、ヴァルラーム(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
ドブロヴェン指揮/ゲッダ、ザレスカ、ボルイ、ビェレツキ共演/フランス国立放送管弦楽団&パリ・ロシア合唱団/1952年録音
>超名盤。なんとクリストフ一人三役(ボリス、ピーメン、ヴァルラーム)ですwwwそしてこの3つを聴くだけで、彼の藝の懐の深さも知れるというもの。特にボリスの死は絶品!ムソルグスキーはやっぱり歌というよりは芝居に近い部分があり、そう考えるとこの人は歌も芝居も達者だったんだな、と思う訳です。彼の一人三役でのこの作品の録音は他にクリュイタンス指揮のものもあるのですが、こちらのがより露風情が感じられる演奏だということ、若々しいゲッダや録音のあまりないボルイなどの共演陣の良さから考えるとこちらかなと思います。

・メフィストフェレス(C.F.グノー『ファウスト』)
クリュイタンス指揮/ゲッダ、デロサンへレス、ブラン、ゴール共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1958年録音
>超名盤。もうこの声で悪魔なんかやられたらたまらんですよね(笑)電気風呂のような刺激と書いていた人がいますが良くわかります。まさに悪魔声、悪魔役といった感じ、そしてその表現力の闊達さ、豪快さ。加えて共演陣も美声揃いで、ゲッダ&ブランとの3重唱はこの音盤のハイライトのひとつです。ファウストとヴァランタンを手玉にとって上機嫌のメフィストフェレスが目に見えるよう。クリュイタンスの洒脱な棒も見事なもの。

・フィリッポ2世(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
サンティーニ指揮/ラボー、ステッラ、バスティアニーニ、コッソット、ヴィンコ、マッダレーナ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1961年録音
サンティーニ指揮/フィリッペスキ、ステッラ、ゴッビ、ニコライ、ネーリ、クラバッシ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1954年録音
>一転してこちらは愛されないものの悲哀を歌います。黒田恭一氏が昔「悲劇の声」と言っていたのがよくわかる録音。どちらの録音もクリストフの圧倒的な存在感と表現に感服させられます。あとは共演者の趣味でしょうか。全体には61年盤のが良いのですが、ゴッビ、ネーリ、クラバッシって言う男声低音は54年盤も魅力的なんですよね(笑)

・イヴァン・スサーニン(М.И.グリンカ『皇帝に捧げし命』)
マルケヴィチ指揮/ゲッダ、シュティッヒ=ランダル、ブガリノヴィチ共演/コンセール・ラムルー管弦楽団&ベオグラード歌劇場合唱団/1957年録音
>マイナーな作品なので録音があるのがありがたいです^^こういうのを聴くと、やっぱり彼の声が生きるのは露ものなんだな、と思うのです。ここでも味のある歌唱と強烈な存在感で、特に有名なアリアの部分は哀感が良く出ていて素晴らしい。シュティッヒ=ランダルの露語はどうなのかよくわかりませんが歌は清楚で良いし、ブガリノヴィチもあまり聴かない人ですがかなり聴かせます。ゲッダは数ある録音の中でも指折りの録音と言ってもよく、特に難しくて長らくカットするのが当たり前だったアリアが素晴らしいです。

・ベルトラン(G.マイヤベーア『悪魔のロベール』)
サンツォーニョ指揮/スコット、メリーギ、マラグー、マンガノッティ共演/フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団&合唱団/1968年録音
>ここでのクリストフもまた見事なものだと思います。重たいと言う意見があるのもわからなくはないですが、主人公を悪に導くキャラクターとしてこれぐらい強烈な隈取の表現もありなのではないかと。仏流のスマートで気取った悪魔ではなく、貫録たっぷりの地獄の遣いです。前出ですが希代の名唱を聴かせるスコットやスタイリッシュなメリーギなど聴きどころの多い音源。

・ドン・ルイ=ゴメス・デ=シルヴァ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』) 2014.10.31追記
ミトロプーロス指揮/デル=モナコ、バスティアニーニ、チェルケッティ共演/フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団&合唱団/1957年録音
>超名演の録音ですが、惜しむらくは音がいまいち。とはいえこれだけのライヴを聴けることだけでも素晴らしいです。いまどき聴くことのできない超熱血ヴェルディで、異様な空気が漂っています。この異常な熱気の中で異常な役を演じられるのは、やっぱり異常なひとクリストフなんでしょう(笑)ビリビリするような巨大な声!恨みつらみの籠った歌唱で復讐の鬼となって行く老人を熱演しています。特に終幕の3重唱での登場は、殆ど怨霊登場です。ミトロプーロスの指揮と共演3人も熱気を通り越して狂気に近い爆発っぷり!これは是非!

・フィエスコ(G.F.F.ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』)2014.10.31追記
サンティーニ指揮/ゴッビ、デロサンヘレス、カンポーラ、モナケージ共演/ローマ歌劇場管弦楽団/合唱団/1957年録音
>アバド盤の存在で陰に隠れてしまっている感もありますが、名盤と言っていいでしょう。主人公シモンの因縁の相手として存在感のある演唱を繰り広げています。いつもながらかなりアクの強い歌ではありますが、シモンを演じるゴッビもまた個性が強い歌い手であるため、バランスが取れていると言えそうです。登場した瞬間に悲劇的な空気を作り出せる手並みは流石のもの。モナケージは悪くはないのですが、この2人のキャラクターに霞んでしまっている感があります。要役だけにここが締まると本当はよかったのですが。他ではデロサンヘレスの活きのいい歌声が格別です。

・イヴァン雷帝(Н.А.リムスキー=コルサコフ『プスコフの娘』)2014.10.31追記
フバット指揮/バコセヴィチ、コスマ、ガエターニ、ボッタ共演/トリエステ・ヴェルディ歌劇場管弦楽団&合唱団/1968年録音
>伊語盤ではありますが、露ものを積極的に西側諸国でも取り上げた彼の業績のひとつ。このマイナーながら面白い演目を楽しめる貴重な音源でもあります。露史に於ける代表的な暴君の1人と言っていいイヴァン雷帝を、クリストフが隈取りで演じています。怒りを顕わにするところなどまさにド迫力で、こんなん出てきたら確かにみんな委縮してしまうだろうなという圧倒的な演唱。残念なことに指揮や共演がいまひとつなので作品の真価を伝えているとは言い難いのですが、彼の歌は非常に印象的です。

・アンリ8世(C.サン=サーンス『アンリ8世』)2014.10.31追記
アルフレード・シモネット指揮/RAI管弦楽団/1960年録音
>アリア集から。サン=サーンスの珍しいオペラのアリアですが、これがまた隠れた名作と言っていいものです。ボリス、フィリッポ、イヴァンと暴君に定評のある彼ですから、ここでも悲哀と憤怒の入り混じったお見事な歌唱。異常人ヘンリー8世のやや狂気じみた不吉なオーラをよく醸し出しています。知る限り唯一の全曲盤もいい演奏なのですが、折角なら彼の横綱芝居で全曲を聴いてみたかったと思わせる録音です。(ちなみにエルネスト・ブランも同じアリアを遺していて、いつもながらエレガントな歌唱!こちらはライヴ録音のようなので、全曲出てこないかなあと思っていたりします。)

・ファイト・ポーグナー(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)2014.10.31追記
マタチッチ指揮/タッデイ、カペッキ、インファンティーノ、リッツォーリ共演/トリノRAI交響楽団&合唱団/1962年録音
>伊語歌唱による異色盤ですが、かなり楽しめる演奏です(まあ僕がヴァグネリアンじゃないからかもしれませんが笑)。マタチッチの豪快かつ伸びやかな指揮がニュルンベルクの人たちを闊達に描く中、千両役者と言うべきタッデイとカペッキのやり取りが実に愉快痛快!そして彼らより歌うところは少ないとはいえ、この人がまた恰幅のいい歌で非常に印象に残ります。ちとドスが効き過ぎな気もするのですが、職人の親方ですからこれぐらいコワモテでもいいのかもしれません。或意味最重量級のポーグナーと言えるでしょう。

・歌曲集『死の歌と踊り』(М.П.ムソルグスキー)
(ごめんなさい詳細わかりません)
>死神の独白を主にした4編の歌からなる歌曲集。男声女声問わずいろんな人が歌っていますが、これもこの人の歌にとどめを刺すといったところで、特に司令官は名唱でしょう。ムソルグスキーのある意味でグロテスクな音楽と、この人の悪魔的な声は相性がいいんだなと、変なところで思わず納得してしまったりします。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第廿四夜/偉大なる対抗馬~

ようやっと今回のシリーズ『カラスの時代に』も最後の人にたどり着きました。
カラスとの共演は恐らくないと思いますが、その時代、そしてそれ以降ずっとライヴァルと目されていた偉大な歌手の登場です。

RenataTebaldi2.jpg
Floria Tosca

レナータ・テバルディ
(Renata Tebaldi)
1922~2004
Soprano
Italy

カラスの時代には人気を二分したと言われ、現在でもアンチ・カラスの人たちの中には彼女のファンが多いのではないでしょうか。私自身、演目にもよりますがカラスよりも彼女のほうがいいと思うものも少なくありません。

録音に大変恵まれているというのも、現在の我々にとっては大変ありがたいです。入手もしやすく音質の面でも気軽に楽しめるディスクが数多くあります。カラスの場合はスタジオ録音そのものがあまり多くありませんし、演奏としてはライヴのがずっとよいもののやはり人を選びます。 また歌唱の面においても、テバルディは確かに美声で歌も巧いが、カラスに比べると演技が木偶の坊で真に迫っていない、カラスは真に迫った表現力があり技術もしっかりしているが、テバルディに比べると悪声で耳になじみづらいというような比較をされます。

このようによく対照的に語られる2人。しかし、本当にそれは適切なのでしょうか。
少なくとも私には、単純な対照論は的を射たものには思えません。カラスについては以前既に取り上げてますから、ここではテバルディについて。

<演唱の魅力>
カラスより圧倒的に美声だという部分はまず間違いはないと思います。
最盛期の声は古今の録音上の歌手の中でも魅力のあるものですし、特に中音域あたりの充実した響きは類例を見ないもの。艶やかで何度聞いても惚れ惚れします。

そうした美声で紡ぎだされる歌もまた、非常に情感豊かなもの。
歌だけでこれだけの情感を出せる点のみを取っても、木偶の坊という評はお門違いであるということを示せるのではないでしょうか。オペラはもちろん演劇としての側面も持っていますが、本来的には音楽である筈です。その意味で、演技で観衆を感動させることは当然重要なことではありますけれども、それ以前の問題として歌にどれだけのものを込められるかというのが重要になってくると思います。そもそもオペラに出演する人たちのことを、“役者”ではなく“歌手”という呼び方をすることからもそれは明らかではないでしょうか。
そう考えると、テバルディがオペラの表現者として木偶の坊である筈がないのです。

更に言えば、テバルディは演技面でも決して大根役者ではないでしょう。
確かに現代のより演劇的なオペラからすれば大仰であったり洗練されていない面もあるでしょうが、そもそも時代が違うのですからそれは公平とは言い難い。ここにカラスを持ってきて非難するのもやはり的外れで、彼女はそういった演劇的な方面でのオペラという部分からいけばやはり或る種“鬼っ子”であり、その方面で歴史を変えた存在ですから、比較の対象に持ってくるにはあまりにも極端であまり意味がない(同様にカラスが美声でないというためにテバルディを持ってくるのもあまり意味がありません)。
テバルディが演技が今一つという評は、基本的にはスタジオ録音のみから判断しているのではないかと思います。ライヴ録音を聴くと、ここまでやるのか!と逆にびっくりするような激しい表現も結構しています。彼女は彼女で音楽と演劇を超高度な次元で結びつけた稀有の藝術家であることは間違いありません。

<アキレス腱>
この人の最大の弱点は高音が出ないということ。
テノールでもプラシド・ドミンゴは高音が苦手なことで有名ですが、彼女もまたそうした弱点があるのはよく知られていることでしょう。特にピークを過ぎた頃の録音では、高い音域をものすごく苦しそうに出していて、聴いているこっちが苦しくなる時があります(^^;

また、本来的にこの人はヴェルディの中後期のようなドラマティックな役どころが最もしっくりくるようなタイプなので、当然と言えば当然ですがアジリタのような技巧は持っていません。となるとやはり、真価を発揮できる役柄は限られる部分があります。

<音源紹介>
・レオノーラ・ディ=ヴァルガス(G.F.F.ヴェルディ『運命の力』)
モリナーリ=プラデッリ指揮/デル=モナコ、バスティアニーニ、シミオナート、シエピ、コレナ共演/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団/1955年録音
>まさに不滅の名盤。未だにヴェルディ歌唱の範として多くの愛好家に愛されている録音でしょう。私自身テバルディと言えばこの役のイメージです。超高音も超絶技巧もいりませんが、歌の力が試される非常な難役。アリアなんてへたくそな人が歌えば果てしなく長くなってしまいかねませんが、緊張感を持ってぐっと聴かせます。これを聴くと改めて彼女が声も歌心も持った素晴らしい歌手だったことがわかるのではないかと。修道院長との2重唱は、シエピの美声も相俟ってオペラ界の偉大な財宝というべきものに仕上がっています。

・アイーダ(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
エレーデ指揮/デル=モナコ、スティニャーニ、プロッティ、カセッリ、コレナ共演/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団/1952年録音
>この役も個人的にはカラスよりもテバルディで聴きたい役です(カラスの火のつくようなメキシコ・ライヴは、あれはあれですごいですけどね笑)。こってりとしたうまみのある声質はこういうドラマティックな役どころにはぴったりです。共演者もみな素晴らしく、特にスティニャーニのアムネリスは彼女を評価していない方にも是非聴いていただきたい。この女声2役がしっかりした人であることがこの演目の成功の鍵だということがよくわかります。加えてデル=モナコのラダメスが最高。ライヴのように爆発すると言うことはありませんが、その分大変折り目正しい端正な歌唱で、声のパワーと歌の美しさとが両立しています。

・エリザベッタ・ディ=ヴァロア(G.F.F.ヴェルディ『ドン=カルロ』)
ショルティ指揮/ギャウロフ、ベルゴンツィ、バンブリー、フィッシャー=ディースカウ、タルヴェラ共演/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団/1965年録音
>もう少し若いころの録音が聴きたいという気持ちもわかりますが、それでもやはり価値のある録音でしょう。全盛期の歌唱ではないので声の衰えもあるし、これはもうこの人のアキレス腱ですがやっぱり高音は厳しい。でも、それであってもこの気品のある歌を正規の形で聴くことができるというのはやはり幸せなことではないかと思います。共演陣も優秀で特にバンブリーは見事。ギャウロフVSタルヴェラの強烈な対決にも手に汗握ります。ただ、ここでのフィッシャー=ディースカウはやはり趣味が出そうです。

・フローリア・トスカ(G.プッチーニ『トスカ』)
ガヴァッツェーニ指揮/ディ=ステファノ、バスティアニーニ、ザッカリア共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1958年録音
>個人的にはこの役はカラスのほうが好きですが、テバルディはテバルディで1つの理想像を打ち立てているといっていいでしょう。特にこのライヴ盤は強烈で、テバルディがまさかここまで強い表現をするとは、と言うぐらいの代物。おなじくブチ切れを繰り出すディ=ステファノに、ダンディなバスティアニーニも最高です。音は良くないですが『トスカ』好きを語るなら聴き逃せない録音といえます。

・マッダレーナ・ディ=コワニー(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)
ガヴァッツェーニ指揮/デル=モナコ、バスティアニーニ共演/サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団&合唱団/1959年録音
>超名盤。伊オペ録音の金字塔と言ってもいいのではないでしょうか。力強いデル=モナコに若々しいバスティアニーニがこの作品の聴きどころですが、テバルディの掘り込みの深い歌もまた忘れてはなりません。特に終幕での重厚で悲劇的な重唱では、デル=モナコとともにスタジオなのに120%出力と思える気迫。

・マルゲリータ( A.ボーイト『メフィストーフェレ』)
サンツォーニョ指揮/クラウス、テバルディ、スリオティス、デ=パルマ共演/シカゴ・リリック・オペラ管弦楽団&合唱団/1965年録音
>ライヴのマイナーものですし声も流石に衰えが来ていますが、ここでの鬼気迫る演奏を聴かないのは全く損。この演目のマルゲリータはこのひとが一頭地を抜いていると思います。何かが取りついたかのようなギャウロフに格調高いクラウス、それに気合の入りまくったスリオティスと、音が悪いことを除くと音楽的にはかなり楽しめる作品です。

・アメーリア(G.F.F.ヴェルディ『仮面舞踏会』)2013.1.21追記
バルトレッティ指揮/パヴァロッティ、ミルンズ、レズニク、ドナート共演/ローマ聖チェチーリア管弦楽団&合唱団/1970年録音
>名盤。テバルディ最後の録音だとかで、声の衰えばっかり指摘する向きがありますがとんでもない!確かに往時の声の輝きは失われていますが、こんなにもドラマティックで力強いソプラノの歌は、いまどきなかなかお耳にかかれません。何よりそのとき歌える全力の歌を手練手管を尽くして歌っていることがよくわかります。パヴァロッティとミルンズは若い時の録音と言うのもあって2人ともいい声ですし、表現力も見事なもの。チョイ役ながら不気味な存在感を放つレズニクも忘れられません。

・ジョコンダ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)2013.12.6追記
ガルデッリ指揮/ベルゴンツィ、ホーン、メリル、ギュゼレフ、ドミンゲス指揮/ローマ聖チェチーリア管弦楽団&合唱団/1967年録音
>不滅の名盤!何故これが長らく廃盤なのかと声を大にして言いたい素晴らしい演奏。テバルディはここでも衰えは来ているのですが、それをドラマティックな表現でカヴァーしていて、パワフルなジョコンダ像を作ることに成功しています。往年の天使の歌声ではないものの、その鬼気迫る表現力に固唾を呑んで聴き入ってしまいます。姥桜と言ってしまえばそうなのですが、これだけ立派な桜はなかなか拝めないでしょう。共演陣では、スタジオとは思えないほどノっているベルゴンツィはエンツォのベストと言うべきもの。柔らかな声ながらスタミナを感じさせるホーン、性格的な役作りで特に前半まるで主役のようなメリル、若いころだけに破壊力のある声で圧倒するギュゼレフに、盲女をドミンゲスがやっているというのも非常に美味しい。私見ではジョコンダ最高の演奏だと思います。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第廿三夜/迫力満点~

カラスの時代の名手について取り上げてきた本シリーズ。
今回はカラスとの共演も多く、声を聴くだけでもド迫力の名メゾに焦点を当てていきたいと思います。

FedoraBarbieri.jpg
Ulrica

フェドーラ・バルビエーリ
(Fedora Barbieri)
1920~2003
Mezzo Soprano
Italy

既出のジュリエッタ・シミオナートや、エベ・スティニャーニとは同時代の歌手であり、特にシミオナートとは激しいライバル関係にあったと言います。当時は厳格だった契約の関係か、カラスは実はシミオナートとの共演録音はあんまりないのですが、このバルビエーリとは結構よく共演しています。
またアルトゥーロ・トスカニーニ指揮のG.ヴェルディ『レクイエム』のメゾ独唱者としても知られています。

声が衰えて主役を張れなくなった後も、その優れた演技力と存在感の強さでさまざまな脇役をこなしています。そういう意味ではバスのイタロ・ターヨと同じような経歴を歩んだひとと言っていいかもしれません。

<演唱の魅力>
もの凄く力強い声を持った歌手です。
特にその低音の逞しさは、群を抜いているように思います。それこそときとして、シミオナート以上のもの。美しいかどうかとはまた別の軸としての、パワーで以て聴く者の心を捉えてしまうタイプの声だと言って良いでしょう。

そしてその凄い声を惜しげもなく使って体当たり的な表現をしていくものですから、その印象たるや強烈。歌詞の一語一語の意味を歌いしめて行くかのような、或る意味でかなりねっとりとした歌唱と言っても良いかもしれません。頭が良い人だと思います。ひとによってはその歌い方が濃過ぎて好きではないということをおっしゃるかも知れませんが、ハマってしまうと癖になる。そういう演唱をするひとです。そう見ていくと、テノールのフランコ・コレルリと通底するところがあるようにも感じます。

加えて言えば演技がかなり達者。単純にねちっこく歌っていくだけではなく、その役の個性というのを最大限に表出して行くという点でも傑出しているでしょう。そういった力があるからこそキャリアの後半での数々の脇役の評価が高いのではないかと思います。G.ロッシーニ『セヴィリャの理髪師』での不満たっぷりのおばさんベルタは衰えは度外視で非常に楽しめますし、私は寡聞にして未聴ですがG.F.F.ヴェルディ『リゴレット』のジョヴァンナや同『ファルスタッフ』のクィックリー夫人の世評も大変高いです。ジョヴァンナなんてチョイ役過ぎて普通は評判とかそういうこととほぼ縁がないような役なんですけどね(笑)

と、こういった藝風のひとなので、全盛期のものとして光るのはやっぱり強烈な個性を放つ役。G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』のアズチェーナであるとか同『仮面舞踏会』のウルリカ、F.チレーア『アドリアーナ・ルクヴルール』のブイヨン公妃なんかも素敵です。
一方意外と(?)G.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』のレオノーラ・ディ=グスマンとか同『ドン=セバスティアーノ』のザイーダみたいな役でも聴かせて呉れます。

<アキレス腱>
私はこういう癖のあるひとは大好きなんですが、前述の通りアクが強くてやだという方は居るかもしれません。かなり力押しで表現する藝風ではありますしね(^^;決して悪いとは言いませんがG.ビゼー『カルメン』題名役や、C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』のデリラなんかはもはや魅惑のファム=ファタールを通り越して怖すぎかも……趣味の分かれるところです。

全盛期でもあまり高音に強くなく、結構ぶら下がってしまうのも弱点でしょうか。ライヴを聴くと最高音を避けているものも少なくありません。

G.ロッシーニもののアジリタの精度についてはシミオナート同様、今日の耳からすれば聴き劣りしますが、この点について強く非難するのは時代的に鑑みて必ずしも公平ではないでしょう。

<音源紹介>
・アズチェーナ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)
カラヤン指揮/カラス、ディ=ステファノ、パネライ、ザッカリア共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1956年録音
>彼女の藝を最もよく知ることのできる役だと言っていいでしょう。バルビエーリを取るかシミオナートを取るかは殆ど趣味の問題と言って良い。ここでも迫真の歌唱を繰り広げており、ゾクゾクするような音楽になっています。ひたすらバルビエーリ渾身のアズチェーナが見事。そのほかではザッカリアのフェランドがいつもながら手堅く、聴いていて心地よいです。あとはいまいちかな……この録音は、多くの“カラス教徒”の方々が「カラスを聴くためだけにある音源」何て言っていますが、少なくとも私にとってはこれは「バルビエーリを聴くためだけにある音源」。レオノーラがカラスに合っているとは思えません。ディ=ステファノもパネライも頑張ってるけどそれぞれ柄に合わない役を頑張って歌ってるっていうぐらいの感じ。カラヤンはこういう熱気が大事な曲ではのろまな感じがして好きじゃないです。

・ウルリカ(G.F.F.ヴェルディ 『仮面舞踏会』)
・ブイヨン公妃(F.チレーア『アドリアーナ・ルクヴルール』)
(ごめんなさい詳細が分かりません)
>どちらもアリア集から。全曲もたぶんあると思うんだけど……。ウルリカの情報はコメントにいただいています。が、まだ聴けていません。。。2020.10.7ウルリカは話全体から見ると登場場面は少ないのですが、主人公リッカルド(またはグスターヴォ)の暗殺を予言する重要な役であり、短い間に存在感を主張しなくてはならない難しい役だと思います。こうした役ではやはり彼女の迫力満点歌唱が活きます。ブイヨン公妃もメゾの代名詞的な役ですが、憎々しい役を演じさせてもうまいですね(^^)見た目もにも華があり、凄味もある悪役ぶりが思い浮かびます。

・レオノーラ・ディ=グスマン(G.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』)
クエスタ指揮/G.ライモンディ、ネーリ、タリアブーエ共演/トリノ・イタリア放送響&合唱団/1955年録音
>ここではうって変わってその深い声を響かせて魅力的なヒロインを演じています。演技派の面目躍如たるところでしょう。迫力、と言うのが今回のキーワードではありますが、ここでは迫力とは無縁のしっとりとした雰囲気を作っています(笑)共演陣も魅力的で、圧倒的な美声で聴かせるG.ライモンディ、頑として動かなさそうな宗教権威の力を感じさせるネーリは、今でもベストのひとつと言って良いのではないでしょうか。

・マデロン(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)2020.7.27追記
サンティ指揮/ドミンゴ、ベニャチコヴァー=チャポヴァー、カプッチッリ、ツェドニク、ヤチミ、ヘルム、シュラメク、山路共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1981年録音
>恥ずかしながら彼女を映像で観ているのはこれだけながら、その舞台での他の追随を許さない強いインパクトをよく伝える記録だと思います。この役は小さなアリアが1つあるだけながら、その歌を受けて民衆が高揚していくという作劇上の重要な装置でもあって、つまらない人が歌ってさらっと流されてしまうとちょっと残念な感じになってしまうところ、孫に手を引かれて現れたバルビエーリには、ただならぬ決意をした人物の気迫というか、ある種の殺気のようなものすら感じられて、観ていて打ちのめされるほどです。私自身は映画版のナウシカの大婆様をふと思い出してしまいました。主役3役も一番いい時期の映像ですからもちろん凄まじい歌唱を繰り広げているのですが、その中でも決して霞むことなく強烈な存在感を楔のように我々の脳髄に打ち込んでいく彼女の藝の凄まじさ。何は無くともこれは観ていただきたいパフォーマンスです。

・旅籠の女将(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)2023.5.16追記
アバド指揮/ギャウロフ、ギュゼレフ、ラングリッジ、スヴェトレフ、ヴァレンティーニ=テッラーニ、シャーリー=カーク、R.ライモンディ共演/ミラノ・スカラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/1979年録音
>まさに「こんな役まで歌っていたのか!」という録音ですね。リトアニア国境の場にしか登場しない小さな役ですが、これまで聴いたどの音源よりも存在感が強いのは、単に巨大な声によるところだけではなく(それにしても凄い声!)、わずかな出番であっても口数の減らない庶民のおばちゃんという感じがはっきり感じられるから、もっと言うと作り上げているキャラクターがリアルだからでしょう。彼女のお蔭で舞台の世界に奥行きが増しており、キャリアの終盤に至るまでさまざまな傍役で重宝された理由もよくわかります。

・ベルタ(G.ロッシーニ『セヴィリャの理髪師』)
レヴァイン指揮/ゲッダ、ミルンズ、シルズ、カペッキ、ライモンディ共演/ロンドン交響楽団&ジョン・オールディス合唱団/1975年録音
>所謂シャーベット・アリアぐらいしか見せ場のない端役ではありますが、グチグチと不満を独り言するオバタリアンな感じがもの凄く良く出ていて、思わずゲラゲラ笑ってしまいます。ああ、こういうオバサンいるいると言う感じ笑。共演、というか主演の皆さんも間違いのないメンバーで非常に愉しい音盤になっています(ロッシーニかって言うとちょっと違う気もするけど^^;)。特にカペッキのケチ臭くてねちっこいバルトロは、コレナやダーラと並ぶ最高の出来!
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第廿二夜/彼こそ大スター!~

※本来なら今回もカラスと同世代の歌手に焦点を当てる回なのですが、2010年12月6日にこのひとのあまりにも素晴らしい実演に接することができたので、予定変更したもの…というかこの回はこのシリーズの体裁を借りたコンサート・レビューになっています。

LeoNucci2.jpg
Rigoletto

レオ・ヌッチ
(Leo Nucci)
1942~
Baritone
Italy

現代オペラ界の最大の重鎮です。
バスティアニーニやゴッビ、カプッチッリに繋がる伊国バリトンの系譜をたどっていくと、現在の彼に行きつくと言って良いでしょう。

当時御歳68歳ということでもうすぐ古稀も見えてこようかというところなので、見た目にはもうイタリアの何処にでもいそうなじいさんでした。

けれどこのじいさんはそんじょそこらのじいさんではありません!
世界に冠たるスーパースターなのです!

<演唱の魅力>
今回は、コンサートの様子を交えてここで書いていこうと思います。

これまで数は少ないなりにも何度か劇場に足を運びいろいろな歌手を見てきましたが、一昨日のヌッチは本当に別格でした。単に往年の人気歌手の持っているオーラというようなレベルをうんと飛び越して、紛れもなく世界一の藝術家としての存在感を、なんら無理することなく示して呉れたのです。

まずはその声量に度肝を抜かれました。
これまで見てきたのは当然ながらもっと若い歌手の公演だったのですが、彼の声はいままで聴いてきた誰よりも大きく、強靭でした。
そしてただ単に声が大きいだけではなく、その声を持っているテクニックでもの凄く巧みにコントロールしていました。音程、声色、強弱…その巧さもダントツだったと言わざるを得ません。難曲ばかりだったのですが、全て自家薬籠中、余裕綽々と言う感じでした。高音も早口も自由自在。
もちろんライヴですし恐らく細かく聴き返せばどこそこの音程がどうだとか出てくるんだとも思うのですが、それを補って余りあるカリスマ!
68歳でこんなことができるなんていうのは、本当に奇蹟的と言っていいのではないでしょうか!
その68年という歳月は、彼にとって少しもマイナスになっているものではなく、むしろ数々の舞台で養ってきたさまざまな表現の抽斗の源になっているようにさえ思えます。

ひとたび歌が始まると空気が全く変わってしまうのです!
まずは肩慣らしといった感じで普通歌われる最初の歌曲でさえもそうなんです。一昨日はF.P.トスティ、G.F.F.ヴェルディ、そしてR.レオンカヴァッロの歌曲を取り上げたのですが、そこでさえ歌っているヌッチは全て別人。特にヴェルディの「乾杯」での堂に入ったヨッパライぶりは最高でした。

ベル・カントオペラの最右翼と言うべきV.ベッリーニ『清教徒』のアリアで気品のある騎士リッカルドになったかと思えば、ピアノ・ソロを挟んで(ここでは余談になってしまいますがこのピアノ弾きもたいそう腕のある方でした!弾きながら鼻歌歌ってたwww)G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』の有名なフィガロのアリアでは、軽妙な演技と達者な早口で闊達なフィガロになりきっていました。普通の歌手ならちょっと気合を入れ直して歌う一番の早口の部分もさらっと歌ってしまって、唖然としてる間に終わってしまいました(笑)それぐらいの余裕綽々っぷり(笑)

休憩後はひたすらヴェルディの難曲オンパレード。死に行くロドリーゴ(『ドン・カルロ』)も復讐に燃えるレナート(『仮面舞踏会』)も懺悔するナブッコも説得力溢れるジェルモン(『椿姫』)も、いずれをとっても美しい旋律を聴かせるだけでは話にならない曲ばかりですが、それぞれ役になりきっていて、ピアノ伴奏で格好こそ燕尾服でしたが、彼が歌うだけでもうオペラの登場人物がそこにいる、オペラの世界が広がってくるのです!
極めつけはリゴレット!この役は彼の十八番中の十八番で、今回のプログラムのなかでも白眉でした…もうことばもありません。涙が流れるばかり。

更に、彼がプロ中のプロ、超一流の藝術家であるということは、その人柄からも滲み出ていました。これだけのプログラムをこなした後に、何と拍手に答えてアンコールを4曲も披露して呉れたのです!1曲目はモンフォルテ(G.F.F.ヴェルディ『シチリアの晩禱』)、2曲目はE.デ=クルティスの歌曲、そして3曲目にはなんとジェラール!(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』/アンコールまで含めるとこれが1番の出来だったかもしれない!)こんだけ歌ってこんな大曲ばかりまだ歌えるのか、という感じですが、4曲目のサービス精神がまた素晴らしかった!有名な“オー・ソーレ・ミーオ”を歌ったのですが、なんと会場に向かって「一緒に歌いましょう!」という動作!もちろんクラシックのコンサートでこんなのは初めて!!かくしてヌッチ率いる大合唱が終わると満場のスタンディング・オベーションと万雷の拍手で熱狂の一夜は…まだ閉じないのが彼のプロ根性というべきところで、このあと100人近いファンのサインと握手、そして写真にも応えて呉れたと言う懐の大きさ!相当お疲れだったに違いないのに、我々には厭な顔見せず終始ニコニコ…本当の大スターというのは彼みたいなひとのことを言うに違いない…ということで完全にレビューになってしまった(^^;

<アキレス腱>
そんな訳で微妙ポイントを挙げるのも憚られるのですが(苦笑)、演技が興に乗ってくるとやたら音程が上ずるときがあって……音源聴くとあれ?ってこともあります(実は私は昔その点であんまりこの人好きじゃなかったw)
でも実演観るとそんなのは瑣末なことだなあ、と。

<音源紹介>
・リゴレット(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
シャイー指揮/パヴァロッティ、アンダーソン、ギャウロフ、ヴァ―レット共演/ボローニャ市立歌劇場&合唱団/1989年録音
>当代最高、史上有数のリゴレット歌いですから、もう多少演出がどうだろうと共演者がどうだろうと彼のリゴレットは絶対観るべきです!この哀感にはもう、ただただ涙…。迷ったんですが、ここでは彼の若々しい声が、豪華な共演者(除くヴァ―レット)とともに聴ける音盤を。ただ、彼のこの役であれば、もっと歳を取ってからのものはまた全然違う魅力を楽しむことができるので、あまり躊躇せずに聴いてみるのがいいと思います^^チューリヒでのベチャーワ等との共演のDVDあたりが手に入りやすいのかな?

・ミラー(G.F.F.ヴェルディ『ルイザ・ミラー』)
・西国王ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』)
アームストロング指揮/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団/1982年録音
>どちらも彼の『ヴェルディ・アリア集』で聴くことができます(『エルナーニ』はボニング盤で全曲ありますが私は未聴)。ミラーは本当に素晴らしくて、彼の声質とまさにピッタリの役です!流麗なカンタービレと感情の爆発するカバレッタ!まさにイタオペの醍醐味と言うべきもの。youtubeに昔ずっと後年2000年代後半の同曲の録音がありましたが、これがまた若いころと変わらぬ気迫の演唱で鳥肌が立ちます。ドン・カルロもまた優美で風格ある旋律を朗々と歌い上げていて見事。このアリア集は全体に質の高い音楽を楽しめるのでおススメです。
(2013.10.9追記)
レンツェッティ指・ミラー(G.F.F.ヴェルディ『ルイザ・ミラー』)
揮/チェドリンス、M.アルバレス、スルヤン、フランキ、シヴェク共演/パルマ歌劇場管弦楽団&合唱団/2007年録音
>『ルイザ・ミラー』入手しました!音質が悪いもののこれは本当に素晴らしい演奏で、個人的にはこの演目のベストの録音のひとつではないかと思います。上記のとおりヌッチは若いころと違わぬ声を響かせている上に、年齢によって彫り込みが深くなっているように感じられます。アリアはまさに鬼気迫る出来ですし、娘との重唱でも流石の風格です。M.アルバレスはいつもどおりやや粘り気のある声ですが、情熱的でアツい歌唱を繰り広げ、文句ないヴェルディ!チェドリンスは立ち上がりはイマイチなものの後半に行くにつれ調子を上げ、2幕のアリアはスコットに迫り圧巻。正直こんなに凄い歌手だと思っていませんでした。脇役もいいし、レンツェッティの生き生きした指揮も気持ちいいですが、唯一スルヤンがな…めり込みはしないけどやっぱりいつものスルヤン。とはいえ全体に熱気が横溢した演奏で、どっぷり伊ものの世界に浸かれます。
(追記2017.3.14)
>この演奏の映像が登場しました!録音だけを聴いていた時も素晴らしいと思っていたわけですが、映像があってみるとこれはまさに稀代の名盤と言っていいように思います。ヌッチの熱唱ぶりは上で申し上げていた通り、しかしこの役に入り込んだ表情、これ以上は考えられない絶妙な演技、映像としてこれ以上のミラーが今後現れることはあるのだろうかと思ってしまいます。特にやはり1幕のアリアは圧巻です。激しいアリアを急ピッチで歌い越え、最後に高らかな高音を加えた後の、まるで神を冒涜してしまった宗教者が見せるような戸惑いと恐れの入り混じった顔には否応なく作品世界に引き込む力があります。伯爵に引っ立てられそうになる場面でも毅然とした威厳のある演技がお見事。この作品の当時には珍しい娘の意志を尊重する父親としての説得力を強いものにしています。アルバレスは見た目は肥りすぎなものの気迫の籠った熱唱で大ブラヴォーな他、チェドリンス、シヴェク、フランキと見た目も歌唱も最高です。スルヤンも映像で見ると演技が上手くて悪くありません。

・ナブッコ(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』)
ルイージ指揮/グレギーナ、プレスティア、M.ドヴォルスキー、ドマシェンコ共演/VPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/2001年録音
>私にとってのヌッチ開眼となった作品。雷に打たれた後の狂気のナブッコをこれだけ真に迫って表現しているのはあとはカプッチッリとゴッビぐらいのものではなかろうかと思います。特にここではその狂乱ぶりが映像で楽しめるのがありがたいところ。これで演出がもっとスタンダードなものだったら、と思わなくはないですが、ヌッチのお蔭でヴェルディを楽しんだ気分になれるのは幸せなことです。
(2023.3.14追記)
オーレン指揮/グレギーナ、コロンバーラ、サルトリ、スルグラーゼ共演/アレーナ・ディ・ヴェローナ管弦楽団&合唱団/2007年録音
>ヌッチとグレギーナのコンビでの『ナブッコ』が映像で2種類も遺されているというのは大変嬉しいことです。ハコが大きすぎることもあって演技の細やかさは上述の演奏(この記事を最初に書いたころには演出が不満だったのですが、いま見ると実によく考えられていると思います!)に譲るものの、2人ともコンディションがこちらの方がよかったのか、歌唱面とそれによって引き出される熱気はこちらの方が優れている印象です。とりわけ3幕冒頭の2重唱は、錯乱をしつつもアビガイッレを娘として招き入れることだけは決してしない冷たいヌッチと、武弁一辺倒ではない、弱さのあるアビガイッレを熱演しているグレギーナがまさしくオペラとして観たい場面を作り上げており、本演奏のハイライトといえるでしょう。もちろん1人の場面でも、小兵ながらヌッチは巨大な舞台を支配しています。とりわけ1幕最後のストレッタや2幕での怒りに満ちた登場など人々を屈服させる場面では、カリスマティックな暴君ぶりで総身が粟立つ思いがします。アリアでも懺悔は感じられる一方で、暴力性はどこかに宿しているような気配があり、彼らしい複雑な役作りが功を奏しているようです。共演ではもう1人、ザッカリアを演ずるコロンバーラが、比較的淡々とした役作りの多い彼にしては珍しいほどの熱演で楽しめます。

・レナート(G.F.F.ヴェルディ『仮面舞踏会』)
カラヤン指揮/ドミンゴ、バーストウ、クィヴァー、ジョ共演/VPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1989年録音
>有名なアリア“お前こそ心を穢すもの”が大変見事で、レナートの燃えるような怒りと切ない愛情をこれだけ立派に歌いこなせるひとも少ないでしょう。 暫し、思わず聴き入ってしまいます。クィヴァーとジョは脇をしっかり固めています。ドミンゴは結構嵌っていて悪くないですが、アバド盤の方がノッてたかな……バーストウはあんまり感心しないですが、カラヤンの音楽作りがさらに感心できません。。。なんだか重ったるくて生命力に乏しい気がします。

・フランチェスコ・フォスカリ(G.F.F.ヴェルディ『2人のフォスカリ』)(2012.10.17追記)
サンティ指揮/ヌッチ、ペンダチャンスカ共演/ナポリ・サン・カルロ劇場管弦楽団&合唱団/2000年録音
>マイナーだし作品として盛り上がらない内容ではあるのだけれども、ここでのヌッチの歌唱はまさに感動的なものです。特に息子の死を知ってからの最後のアリアとフィナーレは凄演というべきもので、これをヌッチの映像で見られるというのは非常にありがたい。ラ=スコーラが良いのは前述のとおり、サンティの手腕も見事なもの。

・フィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
ヴァイケルト指揮/ブレイク、バトル、ダーラ、フルラネット共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/1989年録音
>伊国の気の良いにいちゃんそのまま笑!活力に溢れ勢いのある姿はフィガロそのものと言っても過言ではないでしょう^^軽妙洒脱な歌いっぷりはこの頃からですね。伯爵の重要性が増してもフィガロのキャラクターが薄まらないというのは、今日の上演に於いて重要な課題だと思いますが、彼ならそんな心配は毛頭ありませんね(笑)大アリアを復活させたブレイクは演技面でもコミカルで楽しいし、フルラネットの小心者っぽいバジリオも笑わせます。極めつけはダーラのバルトロで、このころはこの人のコメディ・センスにかなう人はいなかったのではwwwバトルはあんまり好きではないですが、ここではまずまず。見た目もかわいいし。でもラーモアとかヴァレンティーニ=テッラーニにやって欲しかったな。
(2014.8.13追記)
アバド指揮/アライサ、ヴァレンティーニ=テッラーニ、ダーラ、フルラネット共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1981年録音
>伝説の来日公演です。ライヴの音源ですし、残念なことにアライサが大アリアを歌えるのに歌っていないなど惜しいところもありますが、全体にロッシーニの愉悦に溢れた素晴らしい演奏です。ヌッチのフィガロは実に快活でパワフル、にやけ具合も最高です。ちゃきちゃきでべらんめえな、義賊っぽい感じのフィガロとでも言いましょうか。フットワークの軽い歌で、殆ど素で演じているのではないかと思わせるほど。よほど演技が面白いのか客席の爆笑も録音されており、映像がないものかと歯痒さを感じるぐらいです(笑)他のメンバー?これで悪かろうはずがありますまい!

・西国王アルフォンソ11世(G.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』)
・リッカルド・フォルス(V.ベッリーニ『清教徒』)
マジーニ指揮/イギリス室内管弦楽団/1989年録音
>こちらは『ベル・カント・アリア集』に収められているもの。いずれも全曲で聴けないものばかりですが、全曲で聴きたくなります(笑)キャリア後半のヴェルディのイメージの強い人ではありますが、考えてみればフィガロをやってたぐらいだからこの辺のベル・カントものでも素晴らしい歌唱を披露して呉れるのは当たり前と言えば当たり前か。どちらの役も色仇ですが、まあ惚れ惚れするほどカッコいいこと。アシュトン卿エンリーコがないのだけが残念です。映像を手に入れましたので後述します。

・アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)2023.1.17追記
ガルデッリ指揮/リッチャレッリ、カレーラス、ボガート、ディッキー、ヴィンザー、ロレンツィ共演/WPO&合唱団/1982年録音
>メンバーを眺めるだけで期待値が高まる演奏ですが、入手が難しくて今回ようやく手に入れました。果たしてドニゼッティかと問われればヴェルディですねと言いたくなるようなスタイルですし、ライヴっぽいミスや古めかしさもあるものの、そうした一才を些事として切り捨ててしまっても構わない迫力と美しさに溢れた演奏で、2時間半があっという間に過ぎてしまいます。エンリーコは性格的な悪役として作り込むこともできるのでいかにもヌッチが得意としていそうですが、意外にもほとんど録音がないので、この映像の存在はとてもありがたいです。果てして、渇を癒してあまりある熱唱。冒頭のアリアだけを聴いても、この時期の彼らしいみっちりと身の詰まった美声と気迫に加え、朗々とした高音を付加するサービスっぷりで、良いオペラを観ることができたという満足感を得ることができるでしょう。個人技としてではなく面白いのはやはり2幕で、リッチャレッリとの重唱は彼女との相性の良さもあってかつてのこの兄妹の関係性が偲ばれますし、6重唱の後悔の言葉も唐突感なく受けとめられます。そしてちょっとした芝居がとてもいい。アルトゥーロへの傅き方ひとつとってもエンリーコの立場や思いが表れています。また、演出上エドガルドの死の場面に立ち会っているのですが、科白が全くなくとも悔恨の様が見て取れ、あたかもルーナ伯爵(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)のように感じられます。脂の乗った時期の彼の持ち味を堪能できる演奏です。

・シモン・ボッカネグラ(G.F.F.ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』)2012.11.27追記
ショルティ指揮/ブルチュラーゼ、テ=カナワ、アラガル、コーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1988年録音
>シモンと言えばカプッチッリではあるものの、本盤やゴッビ主演のガヴァッツェーニ盤などなど実は結構名盤があったりします。ここでのヌッチは若い声ながらも性格的な表現がつけられていて、非常に堂々とした総督ぶりを示しています。ブルチュラーゼの迫力ある歌声やアラガルの清潔な声も素晴らしいが、コーニはもう一歩踏み込んでも良かった気がする。テ=カナワは個人的には趣味じゃないものの大過なくといったところか。
(2013.10.9追記)
カッレガーリ指揮/スカンディウッツィ、イヴェーリ、メーリ、ピアッツォラ、ペッキオーリ共演/パルマ歌劇場管弦楽団&合唱団/2010年録音
>いやこれは凄い映像が出ました。私自身はアバドやカプッチッリの舞台は画としては見れていませんので確実なことは言えませんが、手に入りやすい映像としては最高のシモンではないでしょうか。ヌッチのシモンは上記のショルティ盤を遥かに上回る、役と同化した感動的な出来栄えで、アメーリアが娘だと気づく場面やフィエスコとの和解は涙なくして観ることはできません。そして堂々たる演説!見栄の切り方と言い歌い口と言いカッコいいんだぁこれが!やっぱりシモンは役者が必要な演目です。対するスカンディウッツィのフィエスコもまた大変な力演!世界中で何十年もこの役を第一線で歌ってきたことがよくわかる深みのある歌唱です。声といい歌と言い端正な彼ですが、ここではアリアで声を荒げるなどスリリング(もちろんそれがバッチリ決まってるからですが)。ヌッチのシモンと対峙し得る数少ない大物でしょう(あとはF.フルラネットかな?)。イヴェーリは昔実演で観たときにそれほどでもない印象だったのですが、ここではびっくりするぐらい見事。歌も立派ですが演技もしっかりしていて、ヌッチと並んでも遜色ありません。メーリはこの役には声が軽いとは思うのですが、絶好調らしくうっとりするような高音を聴かせます。ベル・カントを得意としているだけあって歌心もありますし、衣装も髭も似合っています(笑)要役のパオロのピアッツォラは初めて聴くバリトンで、老けメイクはしているもののまだ若そうでしたが、こちらも充分立派な歌唱。実に憎々しい、そして脆い部分の見えるパオロでした。ピエトロのペッキオーリも存在感があり、良かったです。カッレガーリの指揮はいつも感心しますが、ここではいつもの清新さに加えて作品に見合った重厚さもあってブラヴォ!蓋し、新時代の名演と言えるのではないでしょうか。

・アルバーチェ(W.A.モーツァルト『イドメネオ』) 2013.11.29追記
プリッチャード指揮/パヴァロッティ、グルベロヴァー、バルツァ、ポップ、ストロジェフ、山路共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1983年録音
>不滅の名盤。普段のヌッチのイメージとは全く違うレパートリーですが、ここでの歌唱は素晴らしいものだと思います。主役のパヴァロッティもそうなのですが、伊ものでの脂っこい表現はここでは影を潜め、爽やかで清々しい古典の世界の演奏。特に最初のアリアは音域が非常に高いのにもかかわらず気持ちよく歌いきってます(と言うかこの役そもそもテノールらしいんです…ちょっと良く判らなかったんですが、ひょっとして、移調してない?!)。プリッチャードの格調高い音楽づくりと超強力な共演陣に言葉もありません。チョイ役ですが夭逝した山路が参加しているのも嬉しいです^^

・ジャンニ・スキッキ(G.ドニゼッティ『ジャンニ・スキッキ』)2015.6.27追記
ヴァイケルト指揮/シラグーザ、ピッツェリダー共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団/2003年録音
>リサイタルが良かったので全曲を仕入れてみて、改めてこれはまた実にヌッチにぴったりな役だなあと思わせる快演です!大きな目立つアリアこそないものの、曲中ほぼ出ずっぱりで演奏を牽引している様子がとても頼もしいです^^演技派の彼らしく、やや屈折した雰囲気と言いますか、いかにも喰えない人物を演じていますが、それが滑っていないあたり当然と言えば当然ですが立派なものです。それでいて憎めない風情を湛えているのも好印象。まさに千両役者的な藝とでもいいましょうか。共演ではシラグーザのなりきったリヌッチョとヴァイケルトの指揮がいいです。肝心のラウレッタのピッツェリダーがはっきり落ちるのが残念。

・ポーサ侯爵ロドリーゴ(G.F.F.ヴェルディ)2015.6.27追記
フェッロ指揮/ヴァン=ダム、ラ=スコーラ、テオドッシウ、コムローシ、ヴァニェーイェフ、シニョリーニ共演/ナポリ・サン=カルロ歌劇場管弦楽団&合唱団/2001年録音
>ヌッチ・ファンの溜飲を下げる映像!アバド版で全曲入れているものの、仏語のためかいまひとつ燃焼度が低く感銘が少なかったのですが、ここでは伊語ですし、ライヴ!既にそれなりのお歳だったと思うのですが、信じられないぐらい輝かしい声で歌っていてはっとさせられます。特に死の場面は入魂の歌唱というべきでしょう、演出の問題で演技そのものは少ないのですが、その分を歌でしっかり補っていて、涙なしには聴けないし、パワフルで身の詰まった高音は刺激的です。共演の面々もほぼほぼ好調というべきパフォーマンスを披露しているので、少なくない彼の登場する重唱では非常に良いケミストリーが働いているように思います。特にラ=スコーラとの相性は心地いいですね^^彼と同じく大ヴェテランのヴァン=ダムがまた全体を引き締める声量とダンディな存在感もまた特筆すべきもの。コムローシ、ヴァニェーイェフも立派なもの。テオドッシウも素晴らしいのですが、彼女ならもうちょっとを望んでしまいます。ほとんど何もしていない演出は僕は割と気にしませんが、フェッロ先生の指揮がここではどうももたっとした感じになってしまっていて惜しいです。

・コッラード・ヴァルドルフ(G.ドニゼッティ『ルーデンツのマリア』)2015.9.25追記
インバル指揮/リッチャレッリ、クピード共演/フェニーチェ劇場管弦楽団&合唱団/1981年録音
>ドニゼッティの秘作の名盤。インバルが振っているというのがちょっと面白いところでもあります^^ヌッチは声そのものが一番脂の乗っていた時期で、徐々にヴェルディへと移行していくことが感じられるドラマティックな歌唱が、このドニゼッティの中でもドラマティックな作品にピッタリと来ています。暗く激しい性格のキャラクターを、美しいながらも彫り込みの深いカンタービレでつくりあげています。リッチャレッリは個人的にはあまりぱっとしたイメージがない人なんですがここでは上々のヒロイン。あまり録音のないクピードもやや軽めながらも硬質な輝きのある声で力演しており、ヌッチとの重唱はベル・カント好きにはたまらないもの。伊ものファンなら是非持っておきたい演奏です。

・スカルピア男爵(G.プッチーニ『トスカ』)2023.1.17追記
ムーティ指揮/グレギーナ、リチトラ、マリオッティ、パローディ、ガヴァッツィ共演/ミラノ・スカラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/2000年録音
>オペラを観始めた頃から実家にあったため、かえってあまりしっかり観た印象がなかった演奏だったのですが、ムーティの統率のもとそれでもはっきりと自分のキャラクターを出せる歌手たちが揃った名演だと思います。スカルピア男爵はローマ中を震え上がらせる警察権力者として、そして貴族として、尊大で巨大に演じられることもできますし、また実際そういう演奏も多いと思うのですが、ヌッチはもっとうんと小兵で引き締まった警察官僚といった趣があります。象徴的なのは教会に登場する瞬間の迫力の少なさで、あの仰々しい主題とともに堂々と登場するというよりはスッと入ってきてしまう。この場面、最初はちょっと肩透かしを食らった気分になったのですが、そこから先の静かな考察やトスカに見せる慇懃さとさりげなさなどを考えるとむしろ一貫していてリアルな感じがします。ついこの演目はカヴァラドッシの側に立ってしまうのですが、ヌッチを観ていると教会での調査のくだりは推理ものっぽい緊張感があるんだなあと再発見することができました。また再発見というところでいくと、2幕がこんなに面白いと思えたのもこれが初めてかもしれません。追い詰めていくヌッチと追い詰められるグレギーナの心理描写の巧みさと相性の良さによるように思います。もろもろの要素を考えると、初めてのオペラとして勧められるディスクではないでしょうか。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第廿一夜/かけがえなき相棒~

カラスを語るうえで欠かすことのできないテノールと言えばやはりこのひとでしょう。

GiuseppeDiStefano2.jpg
Mario Cavaradossi

ジュゼッペ・ディ=ステファノ
(Giuseppe di Stefano)
1921~2008
Tenor
Italy

キャリアのなかでの共演の回数はダントツではないでしょうか?
カラスの伝説的ライヴ録音と言うとほぼ確実に登場するひとです。軽く上品な声質ながら馬力もあり、見栄えのする舞台姿も相俟って非常に人気がありました。

カラスと公私に亘る付き合いというのはゴッビと同様ですが、こちらは甘いロマンスがあった方のひと(笑)

と言ってもそれはカラスもディ=ステファノもキャリアの末期の話。
当然ながら声域が違ってもスター同士はライヴァルですから、お互いの黄金時代には火花の散った話もあります。
カルロ・マリア・ジュリーニの指揮によるG.F.F.ヴェルディ『椿姫』の舞台はカラス、ディ=ステファノに加えジョルジョ・ジェルモン役にバスティアニーニを得た火を噴くような名演(何と録音が残っている!)ですが、取材がカラスに集中して頭にきたディ=ステファノは翌日から降りてしまったというエピソードでも有名です。

最後の舞台はG.プッチーニ『トゥーランドット』の皇帝。この役は完全に脇役ですが、その存在感たるや完全に主役を喰ってしまっていたと言います。

晩年はケニアで暮らしていましたが、強盗に襲われ妻を庇うも頭に重傷を負い、3年半の昏睡状態からついに目覚めることなく帰らぬひととなってしまいました。

<演唱の魅力>
このひとは、前述の通り本来非常に明るく上品な声質です。
しかしその藝風は品の良さの殻のなかに納まることなく、大変ドラマティック(声質ではないですよ、念のため)なもの。
本当に調子が良いときには、殆ど喉が割れるのではないかと思うような激烈な表現を繰り広げます。特にライヴ録音での演唱は、聴衆の熱狂もなるほどと頷ける見事なものがたくさんあります。

また、私は伊語を勉強していないのできちんとわかる訳ではないのですが、ことば捌きの巧さは格別のものがあったと言います。確かにG.プッチーニ『トスカ』のカヴァラドッシやG.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』のエドガルドのような役でのしっとり表現するところと叫ぶように訴えかけるところの使い分けは並の歌手ではとてもできないものだと思います。

伊国ものの比較的軽めの声を必要とされるようなオペラ・アリアについてはもちろん、ナポリターナやカンツォーネなどでも未だに最高の歌手だとおっしゃる方がたくさんいます。絶好調のときの録音を聴く限り、その評価は支持できるものでしょう。

彼の声質にぴたりと合った役、例えば先述のカヴァラドッシやエドガルド、『椿姫』のアルフレード・ジェルモンあたりを語るうえでは外せないでしょう。C.L.A.トマ『ミニョン』のヴィルヘルム役も、伊語版でアリアを聴く分には大変素晴らしい!

<アキレス腱>
ただ私個人が好きかと言えば正直微妙(苦笑)出来にもかなりムラがある気がしています……

明るくて軽めの声質なんですが、いまひとつ高音が抜けきらない感じがあるんですよね。もちろんちゃんとハイCとか出すんですけど、どうもスカッとしきらない……彼の声質で行けば確かにぴったりであるG.F.F.ヴェルディ『リゴレット』のマントヴァ公爵はその点でどうもしっくりこないし、V.ベッリーニ『清教徒』のアルトゥーロなんかは音下げてやっていますし。そもそも声楽的に言うと発声がよくない、という話とこの当たりは絡んでくるところなのかもしれない。

ドラマティックな表現力という部分で言っても声質の面で言っても、同世代の同じようなタイプの歌手で行くなら、一部の曲を除けばジャンニ・ライモンディの方がずっと好きです。

<音源紹介>
・マリオ・カヴァラドッシ (G.プッチーニ『トスカ』)
デ=サバタ指揮/カラス、ゴッビ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1953年録音
>不滅の名盤。こういう役になると彼の美質が活きます。特に有名なアリア“星は光りぬ”は素晴らしい出来。しっとりとした歌い出し、叫ぶような劇的な終結部。あまり好きな歌手ではないと言いましたが、このひとのカヴァラドッシの、特にこのアリアは格別なものだと思います。イタリア・オペラ聴いたなぁって言う気分にさせて呉れる録音です(笑)カラス、ゴッビ、デ=サバタが素晴らしいのは言及済み。

・レーヴェンスウッド卿エドガルド (G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
カラヤン指揮/カラス、パネライ、ザッカリア共演/ベルリンRIAS交響楽団&合唱団/1955年録音
>これもまた素晴らしい録音。と言うかこの時代のライヴなのにこの音質って言うのは一体何が起きたの?!(笑)ディ=ステファノはその高貴な声が、逆にヒステリックな感じに聴こえるのが面白いところで、2幕フィナーレのストレッタの前の呪いの言葉なんかはかなりの迫力。終幕のアリアは打って変わって歌の巧さで勝負していて、特に後半の繰返し1回目と2回目の色付けの違い(途中で剣で自分の身を刺すことになっている)など唸らされます。絶頂期のカラスが悪いはずもなく、勢いのあるパネライの力演、滋味溢れるザッカリア、そしてこの頃は独的になり過ぎなくて心地よいカラヤンの指揮と総じて出来の良い録音です。

・アルフレード・ジェルモン(G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)
ジュリーニ指揮/カラス、バスティアニーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団/1955年録音
>ディ=ステファノの激情的なアルフレードは、ややキツさを感じることもあるが、まぁこの役もヒステリーだしこれもまた一理ありか、というところ。ちょっと力み過ぎなところもありますが、勢いがあるのはこの役にはいいことでしょう。芳醇なカラスのヴィオレッタと男の魅力で聴かせるバスティアニーニも揃って、あとは音質がもっと良ければ……(泣)

・ヴィルヘルム・マイスター(C.L.A.トマ『ミニョン』)
エレーデ指揮/スタジオ・オーケストラ/1947年録音
>このご時世原語で歌っていないと言うのはいただけないと言う方もおられましょうが、これはこれで彼の適役かと。若いころの彼の声の魅力が楽しめるのはなんといっても嬉しいし、伊語で歌えば口跡の良さが光るところ。シミオナート、シエピ共演の全曲ライヴもありますが音がねえ……(苦笑)

・エンツォ・グリマルド(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)
プレヴィターリ指揮/ミラノフ、ウォーレン、エリアス、クラバッシ共演/ローマ聖チェチリア音楽院管弦楽団&合唱団/1957年録音
実は、個人的には、彼の最大のはまり役且つベストの録音ではないかと思っているのがこれです。更新されました笑(2021.8.6)エンツォと言うのは厄介な役で、有名なアリアはリリックなものだけれども力強い声のいる場面もあり、数々の名テノールが挑戦していますが、私の中ではディ=ステファノが一番しっくり来ています。デル=モナコはリリカルな部分は得意じゃないしキャラにも合わないし、パヴァロッティじゃ軽すぎるし(^^;共演もメトで活躍した名花ミラノフを中心に据え、癖のある雰囲気のウォーレン、風格あるエリアス、融通の利かなさそうなクラバッシとキャラクターに合った人たちで、個人的には気に入っている音盤です。

・テノール独唱(G.F.F.ヴェルディ『レクイエム』)デ=サバタ指揮/シュヴァルツコップフ、ドミンゲス、シエピ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1954年録音
>超名盤。これはうえのエンツォと同様ディ=ステファノの最高の録音と言って良いでしょう。特にIngemisucoの見事なことと言ったら!もともとオペラのような作品ですけれども、オペラ的な歌い方をしながらも不必要に崩すことなく見事なフォルムで歌っています。他の独唱者も見事で、この作品を語るうえで外すことのできない演奏でしょう。

・ロドルフォ(G.F.F.ヴェルディ『ルイザ・ミラー』)2021.8.6追記
サンツォーニョ指揮/ステッラ、マックニール、アリエ、カンピ、ドミンゲス共演/パレルモ・マッシモ劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>何と記事を書き漏らしていたのですが、この2年で僕の中でのディ=ステファノの録音のベストはこちらに変わりました。録音としては上述のものと較べて一番年齢が行ってからの歌唱ということになりますが、全く高音に移るときの引っ掛かりを感じさせず、ああ調子のいい時の彼の歌はこういうものだったんだなあとしみじみ感動します(内容としてはしみじみからは程遠い熱狂的なものですが笑)。彼らしい哭きも混じった凄まじい熱唱ですが、決してヴェリズモ的な歌い崩しには堕さず、ベル・カントの延長にあるこの作品のスタイルにきっちりハマっています。このバランスという点で、ディ=ステファノの最高の歌唱だと思うのです。共演のステッラやアリエ、マックニールと言った人々も彼の熱量に引っ張られてか火の玉のようなパワーを感じさせます。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第廿夜/沈黙は金~

今回は記念すべき第20回目の切り番なので、またちょっと普段と違うことを。

“Opera”を日本語に訳すと一般的には「歌劇」になります。
これは要するに役者が演技のみならず音楽、多くの場合歌によってその役の心境であるとか情景であるとかを表現するからです。

ところが、これが必ずしも正しいかというとそうではない。

世の中にはオペラに登場するにもかかわらず、歌わないと言う役もたくさんあるのです。

Chernomor.jpg
Chernomor

そもそもオペラと十把一絡げに言ってしまっていますが、そのなかにはいろいろなものが含まれています。
オペラ・セリア、オペラ・セミ・セリア、オペラ・ブッファ、グラントペラ、オペラ・コミーク、ジングシュピール、楽劇、ヴェリズモ・オペラ、それにより広く捉えるならサルスエラ、オペレッタ、或いはミュージカルと呼ばれるものも場合によってはオペラと呼んでしまっても良いかもしれない。これらはさまざまな基準で切り分けられているので、こうやって並べるのは必ずしも正しいかどうかは微妙ですが。。。

さておきこれらのなかには科白全てに歌が付いているものももちろんありますが、心境を吐露したりするアリアや愛を語らう2重唱といった部分にこそ音楽は付いているものの、具体的に物語を展開させていくような会話の部分は科白だというものも珍しくありません。
例えばジングシュピールやオペラ・コミークなどはそうですし、オペレッタやミュージカルになるともっとそういうものが多い。

そんななかでも重要な役ならば大抵歌のひとつもついているものなのですが、例外も実はたくさんいるのです。
そういった役は多く本業の役者さんがやったりバレエ・ダンサーがやったり、或いは子役がやったりします。
今回は、そんな役をちょっとご紹介。

W.A.モーツァルトのジングシュピール『後宮からの逃走』に登場するトルコの太守セリムもそんな役柄のひとつ。
『後宮からの逃走』のあらすじ自体はちょっと検索すれば出てくるので見ていただければと思うのですが、主要な登場人物は6人居て、彼もその1人として物語の展開で重要な役割を果たします。
なのに、なのに、です。
このひとだけ一切歌がない(^^;
報われないコンスタンツェへの愛を嘆く一節があったりしても良いようなものなのに!
しかもこの物語の決着をつけるのは実は彼なんですが…何とも報われない(笑)
しかし、彼の登場のときにかかる音楽というのはあります。
言ってしまえば彼のテーマ、モティーフなんですが、彼の、というよりはひょっとすると彼の居る後宮の、と言った方が正しいかもしれません。

* * * * *


一方で歌わないうえに特にテーマ音楽もなく、そのうえあらすじ上は全然重要じゃないけれども、もの凄く印象的で、或る意味その夜の出来を象徴するのはその人かもしれない何ていう役もあります。
J.シュトラウスⅡ世のオペレッタ『蝙蝠』に登場する看守のフロッシュです。
上のセリムとは違ってホントにあらすじしか書いていない本にはたぶん出てこないでしょう(^^;第3幕の牢獄の場面で酔っ払って登場し、一発喋りをぶっ放して終わると言うただそれだけの役。
でも、それがやたらオカしい(笑)
恐らく独語ができればもっと面白いのだろうとは思うのですが、巧いひとがやれば日本語訳で見てるだけでも面白い!

* * * * *

さてここまでは歌わないものの科白はあるよ、という役達でした。
に対して今度は一切歌いもしませんよ、という役。
まずはD.F.E.オーベールのグラントペラ『ポルティチの物言わぬ娘』のフェネッラです。
もう題名見てビックリですよね、オペラの主人公、題名役が物言わぬ娘……ってそれじゃ歌えないじゃない!!っていう。
そう、このフェネッラという役、なんと主役なのにものが喋れないという設定で、結局物語の最後まで一言も発しません。CDの録音では必要なくなっちゃうんですね(^^;
ちなみにこの作品いまでこそマイナー作品の地位に甘んじていますが、グラントペラが流行った時代のパリではダントツの上演回数を誇ったとか。実際聞いてみるとかなりいい曲です。

* * * * *

もうひとつ、今度は悪役なのに全く科白がないという役です。
これは序曲が大変有名なМ.И.グリンカの『ルスランとリュドミラ』に登場するチェルノモールです。
この役、オペラの最初でキエフ大公の娘であるリュドミラをいきなり魔法で攫うというとんでもなく美味しい登場をし、4幕では子分たちを引き連れて怪しげな行進曲で登場、そのうえその子分達の踊る豪勢なバレエを眺めると言う贅沢なことをしておきながら、ルスランが登場すると一言も発することなくあっさりやられてしまいます。なんじゃらほい(^^;
ちなみにオペラ自体は5幕まであります……まぁ、G.ロッシーニ『グリエルモ・テル(ウィリアム・テル)』の悪役ゲッスレルに並ぶ添え物と言えます……

* * * * *

どうです?意外とあるもんでしょう?
こういう役が力を発揮できるのも、或る意味ではオペラの総合芸術性を示しているのかもしれません。
今夜はこれぐらいで……

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オペラなひと♪千夜一夜 ~第十九夜/歌役者~

カラスの時代にということで、共演の多さから言いますとひょっとするとローランド・パネライを取り上げた方が良いのかもしれませんが、公私に亘ってカラスとつき合いが深かったと言うことで、やはりこのひとを紹介したいと思います。

TitoGobbi.jpg
Il Barone Scarpia

ティート・ゴッビ
(Tito Gobbi)
1913~1984
Baritone
Italy

カラスと公私に亘って……と言いましたが、寡聞の私の知る限りは飽くまで良き友人であり、甘いロマンスはなかったようです(笑)
とは言えそういったことを抜きにして2人は非常に良い友人であったのは間違いないようで、カラスの生前並びに没後もさまざまな場面で彼女の人柄や芸術性を伝える様々なコメントを残しています。

他の歌手との関係で行けばバスのボリス・クリストフとは義兄弟。そのためか彼との共演も割と多いですね。しかしカラスにしろクリストフにしろ随分とあくの強い友人をたくさん持ったものです…ま、そもそもゴッビもあくは強そうですが笑。

と、他の歌手たちと関係した話をここまでつらつら書いていきましたが、ゴッビは別にわざわざそんな話なんて出さなくても良いぐらいの藝術家、と言うより――単純比較はできませんけど――私個人で言えばカラスよりもよっぽど好きな歌手です(笑)カラスがほにゃほにゃを歌っているからこの録音を仕入れようと思うことは僕はほぼありませんが、ゴッビが歌っているならこの録音を聴いてみようというのならいくらでもあります。

<演唱の魅力>
しかし、しかしながらここまでこのシリーズで扱ってきた他の歌手と異なるのはゴッビは決して美声ではないと言うことです。例えば前のバリトン編でご紹介したエットレ・バスティアニーニなどは、私の文章の力などを遥かに凌駕した大変な美声で、一声聴いただけで不世出のものを持っていることがわかるというような、それはそれは素晴らしい声でした。それに対して今回ご紹介するゴッビは単純に声だけを聴くのであれば聴き劣りすること甚だしいと思う方も多いかもしれません。

けれど、けれどです。ゴッビにはその声の面での弱さを補って余りある卓越した表現力があるのです。オペラで説得力のある演技を最大の魅力とする歌手たちのことを「歌役者」などと言うことがありますが、ゴッビはまさにその表現にふさわしい人です。いや、場合によっては録音で聴けるバリトンでは今なお最高の歌役者かもしれません。映像なしで音声だけで聴いていても彼の表現力の凄さは実感することができます。特にライヴの録音などを聴くと思わず釣り込まれてしまう。

特に有名なのはG.プッチーニ『トスカ』のスカルピア男爵、同『ジャンニ・スキッキ』題名役、G.F.F.ヴェルディ『オテロ』のイァーゴ、同『シモン・ボッカネグラ』の題名役、同『リゴレット』題名役、同『ファルスタッフ』題名役など。悪役でも道化役でも人間的に大きな翳を抱えた役でも、演技力を要される役になればなるほど彼の演唱には磨きがかかるように思えます。

古い時代の日本のオペラファンにとっては東京で行われた『オテロ』での、マリオ・デル=モナコのこちらも火を噴きそうなオテロと共演したイァーゴのイメージが強いでしょう。これはボロボロですが映像が残っており、何度見ても強烈な印象を受けます。

また『トスカ』のスカルピア男爵は最高の当たり役とされ、「ゴッビのスカルピアか、スカルピアのゴッビか」とまで言われたそうです。悪辣な警視総監が乗り移ったかのようなスカルピア男爵は、聴いていて寒々としたものを感じるほどです。「行け、トスカ!」そう命ずる彼の声には美声によるパワフルな聴きごたえこそないかもしれませんが、ひょっとすると近くにいるかもしれない怪物的な悪党のリアリティがあります。ちなみに実際にスカルピアが憑依していたかのようなというこんな逸話があります。或る時共演者にも恵まれた非常な名演を終えた後、父親と夕食を食べに行ったそうです。彼としても渾身の舞台だったようで、レストランでもまだ役が抜けきらず、指を鳴らして給仕係を呼ぶなんていう高慢甚だしい行為にごく自然に及んでしまいます。蒼くなった父親は彼に言ったそうです「ティート、正気に戻って呉れ」

彼自身は『シモン・ボッカネグラ』を殊更愛していたそうで「この役が歌えるのなら、その仕事を最優先にして世界のどこにでも行く」と言っていたとか。一般的にこの作品が正当な評価を得ていったのはそれよりずっと後のことですから名優の炯眼畏るべし、と言ったところでしょうか。

<アキレス腱>
やはり美声ではないので朗々たるベルベットのような声で歌って欲しい、と言うような役になってしまうとどうしてもバスティアニーニなどと較べてもうひとつな印象になってしまう部分があります。本人もそのあたりは良くわかっていたのか、これほどの大歌手なのに例えばG.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』のルーナ伯爵のアリアは音源としては残っていないようです(実際は多少歌ったかもしれませんが)。そしてこの役では、以前も書きましたがバスティアニーニが最高の歌唱を残しています。

またときにやや恣意的な性格表現に走り過ぎている、と言われるような役があるのも事実です。全曲聴きとおせてはいませんがW.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』題名役はモーツァルトから逸脱したヴェリズモ感が、興を削いでしまっています。

<音源紹介>
・スカルピア男爵(G.プッチーニ『トスカ』)
デ=サバタ指揮/カラス、ディ=ステファノ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1953年録音
>カラスの回でも登場しましたが、これは名盤中の名盤。この役にはアリアはないけれどこれぐらい存在感を示して呉れないと、このオペラ全然面白くないんです。2幕で殺されてしまうとは言え、ある意味でこの役が主役だと言っても過言ではないですから。それを彼ほどのキャラクターで打って出てくれれば、もう文句なんて出ようはずもありません(笑)「ゴッビのスカルピアか、スカルピアのゴッビか」と言われた彼の演唱、是非楽しんでほしいところです。

・イァーゴ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』)
エレーデ指揮/デル=モナコ、トゥッチ共演/N響&合唱団/1959年録音
>超名盤。残ったという事実が奇蹟と言って良いかもしれない、伝説の東京公演のもの。デル=モナコの狂わんばかりのオテロもさることながら、オテロをだんだんと嫉妬の虜にしていくゴッビのイァーゴがやはり素晴らしい!何と言う醜さ、厭らしさ!復讐を誓う重唱も禍々しい感じがばっちり出ていてばっちりだと思うし、信条の圧倒的な迫力!声量もある方ではありませんが、それらが二次的な問題に思えてくる卓越した演技力。

・シモン・ボッカネグラ(G.F.F.ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』)
ガヴァッツェーニ指揮/トッツィ、ゲンジェル、G.ザンピエーリ、パネライ共演/ウィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1961年録音
>名盤中の名盤と言われるクラウディオ・アバド指揮カプッチッリ、ギャウロフ、フレーニ他の音源とはまた違ったこの作品の魅力を引き出しています。裏名盤とでもいうべき代物。ゴッビの圧倒的な迫力はここでも活きていて、演説の場面などは痺れる歌唱。一方で、父親としての側面も巧く表現しており、ゲンジェルとの重唱は耽美な美し差をたたえています。演技派のトッツィ、そしてパネライとの丁々発止のやり取りには息を飲みます。アバド盤で満足してる人は、是非この録音も聴いてみて欲しいです!

・リゴレット(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
セラフィン指揮/デ=ステファノ、カラス、ザッカリア、ラッザーニ、クラバッシ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1955年録音
>シモンやリゴレットのような複雑な役でこそゴッビが最大限に活きるということがこの音源を聴くとよくわかる気がします。醜悪で嫌われ者の道化としての側面と娘への愛情だけ生きがいの父親としての側面、双方がこのようにきちんと描けるひと出なければこの役は務まりません。その演技の秀逸さと言ったら!耳で聴くだけでリゴレットの魅力が浮彫になってくる気もします。ドラマ性は認めるものの、カラスはちょっと柄が大きいですし、ディ=ステファノは……どうも個人的にはいまいちな感じがしてしまっています。

・ナブッコ(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』)
ガルデッリ指揮/スリオティス、カーヴァ、プレヴェーディ共演/ウィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1965年録音
>こういうドラマティックで力強いバリトンが似合わないはずはありません。しかもこの役には狂乱の場面まである訳ですから、ゴッビのためにあると言ってもいい役でしょう。傲岸不遜な暴君、狂乱、そして我に返った祈りのアリアと勇壮なカバレッタ……とまさに演じ分けの妙を楽しめる音盤です。スリオティスの豪快なアビガイッレ、力強く民衆を引っ張るザッカリアを演じるカーヴァ、脇ながらもヒロイックな魅力で聴かせるプレヴェーディと共演も魅力的。名盤。

・アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
セラフィン指揮/カラス、ディ=ステファノ、アリエ共演/フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団&合唱団/1953年録音
>ベル・カントの作品なので基本的に悪声のゴッビが歌うというのは、ちょっと意外な感じがしますが悪役エンリーコには、彼のような性格的なアプローチもありだろうと^^ルチアに結婚を強いる場面は、カラスと2人でかなりドラマティックな雰囲気を作っています。美声ながらあまり録音のないアリエ、そこそこのディ=ステファノ、セラフィンの流石の音楽作りも相俟って聴きどころの多い名盤です。

・ジョルジョ・ジェルモン(G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)2013.1.11追記
セラフィン指揮/ステッラ、ディ=ステファノ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1955年録音
>ゴッビの声芝居の巧さに唸らされる1枚。どちらかというと憎々しい悪役などで力を発揮したイメージのある彼ですが、ここではそんなイメージが彼の藝の一面を照らしているのに過ぎないことを思い知らされます。ソット・ヴォーチェで優しく諭す表現の巧みなこと。特に朗々と歌われない“プロヴァンスの海と陸”は一聴の価値があると思います。ディ=ステファノも流石に全盛期の録音と言う感じで旨みがあります。ステッラを貶す(特に契約の関係でカラスにならなかったことを惜しむ人たちの間で顕著なのかもしれません)向きが結構強いように思うのですが、これはこれで立派なヴィオレッタだと思います。

・マクベス(G.F.F.ヴェルディ『マクベス』)2014.11.17追記
モリナーリ=プラデッリ指揮/シャード、ロビンソン、タープ共演/コヴェント・ガーデン歌劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
>存在しないと思っていた音源が手に入ることほど嬉しいことはありません。これを入手してまさに欣喜雀躍、聴き進めてその藝の深さに唸らされた次第です。伊国を代表する性格派バリトンとして、望み得る最高のマクベスを演じていると思います。登場第一声から堂々たる存在感で、曲者らしい人物造形。鬼気迫る独白はこの作品のモダンさを非常に強く印象付けますし、酒宴の場及び魔女の場での狂乱の見事さ!これらの部分は音の悪さを補ってこの役柄のベストとしても過言ではないでしょう。惜しむらくは何故か終幕のアリアがカットでマクベスの死もないこと、そして夫人のシャードがかなりおちることですが、男声陣は実力の高さを感じさせますし、是非聴いて欲しい音盤です!

・デ=シリュウ(U.ジョルダーノ『フェドーラ』)2015.7.3追記
ガルデッリ指揮/オリヴェロ、デル=モナコ、カッペルリーノ、マイオニカ、デ=パルマ共演/モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1969年録音
>あまり演奏されることのない作品ですが、こうして人が揃うとコンパクトながらかなり楽しめることがよくわかります^^何と言っても録音の少ないドラマティック・ソプラノのオリヴェロが体当たりのパワフルさと、神経の行き届いた繊細さを兼ね備えた素晴らしい主役ぶり。そして相手役のデル=モナコも強烈なパワーでぐいぐいと聴かせる熱狂的な歌。作品的にもこの2人の印象が強くなる訳ですが、ここでは決して大きい役ではないながらもゴッビが実にいい味をだし、忘れがたい存在感を発揮しています。彼が演ずるのは仏人の外交官で社交界の事情通。全曲何処にでも現れるし、様々な情報も掴んでいるという非常に喰えないキャラクターを作り上げています。終幕のフェドーラに決定的な情報を渡すのが彼なのも実に納得がいくところ。台本にいささか無理のある本作を、立体的にしているのは彼の好演によるところが大きいと思います。

・ポーザ侯爵ロドリーゴ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)2020.8.9追記
サンティーニ指揮/クリストフ、フィリッペスキ、ステッラ、ニコライ、ネーリ、クラバッシ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1954年録音
>個性的な歌手を揃えた名盤。異形の歌手ゴッビのロドリーゴというと、この役の政治家的な側面が際立って一筋縄で行かなさそうな予感がしますが、意外なほどにソット・ヴォーチェを駆使して寄り添う義兄弟を演じています。もともとバスティアニーニのようなパワフルな声ではないこともあって、友情の2重唱は対等な親友というよりも陰に立ってカルロを支えているという風情です(或意味黒幕っぽくあるかもしれない)。また死の場面などは見せ場としての大芝居ではなく、本当にこの人のどこからこんな声が出るのだろうというような優しい、遠くから語りかけるような声で、あたかも歌曲のような味わいを引き出しています。イァーゴであれだけの奸臣を演じた同じ人が、こんな忠臣にも姿を変えることができるのかと思うと驚異的にも思えます。ジェルモンと並んで、邪悪なゴッビしか知らない方にはぜひお聴きいただきたいところです。
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かはくの展示から~第3回/ルリカケス~

このblogは国立科学博物館の公式見解ではなくファンの個人ページですので、その点についてはご留意ください。

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前回まで2回もそうでしたが、この企画、たぶん私の話のできる古生物の話が中心になるような気はしています(^^;
ただ、折角いろいろな展示があるので、できる限りで古生物学の展示以外もご紹介できればと思っています。
そんな訳で第3回。

ルリカケス
Garrulus lidthi
(日本館3階南翼、地球館1階、日本館2階南翼(10/21追記…忘れてました汗))
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「瑠璃」と名前についていますが、体色はかなり鮮やかな紫です。胴体は鞍をかけるように臙脂の模様が入っています。上記の写真だと臙脂の部分がかなり多く見えますが、本物を見るともっと紫のイメージの強い鳥です。この鮮やかなコントラストに嘴の白さや、羽の細かな模様もあって、数多い日本の鳥の中でも最も美しいものの一つと言って良い見た目になっています。なお、生きたものが観たい方はお隣、上野動物園へ。
こんな色をしていますが、カラスの仲間です。
カラスと言うと真っ黒なイメージの方が大多数なのではないかと思いますが、なかなかどうしてそうではありません。日本で見られるカラスの仲間でも、この鳥をはじめ、オナガ、カケス、カササギなど鮮やかな種類も少なくありませんし、実は都会で見られるハシボソガラスなども、よく見てみると本当に真っ黒、と言う訳ではありません。

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この鳥は2か所で展示されていますが、1羽は日本館3階南翼の日本の気候帯、亜熱帯の動植物の展示の中。
是非ここに写っているものに限らず、周囲の生き物と合わせてご覧いただけると良いと思います。同じ日本であっても、亜熱帯と言われるエリアは、普段見慣れた生き物と随分違うものが多いことが見て取れるでしょう。
ルリカケスは、亜熱帯地域の中でも奄美大島と加計呂麻島にのみ棲息している非常に貴重な野鳥で、天然記念物に指定されています。こうした特定の島、地域などにのみ生息している生物のことを固有種と言います。
日本館2階南翼の展示をご覧いただければと思いますが、日本はこの固有種がかなり多い環境だと言って良いでしょう。

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こちらは地球館1階系統広場にいる方のルリカケス。
日本館では環境の構成員と言う視点から展示されていた訳ですが、こちらは生物分類の中で何処に位置づけるかと言う視点から展示されています。

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日本館のルリカケスの近くにはこんな展示もあります。
これは仮剥製といいます。それに対し、先ほどのルリカケスのような生きているときの姿と同じようなポーズを取らせ、硝子等で眼を入れたものを本剥製と言います。
実は博物館で収蔵されている剥製の多くは仮剥製の状態になっています。これは、本剥製はかなりのスペースを必要とするため大量の標本の収蔵に向かないことや、ポーズをとるために固定してしまうと研究のために利用することが難しいことなどに拠ります。

いま、かはくでは、山階鳥類研究所などと組んで企画展「鳥類の多様性」を開催しておりますが、興味を持たれたら是非ぜひ常設展の方もご覧になってくださいね!^^

※なお、今回の企画展は標本1体からしか存在が確認できない幻の鳥ミヤコショウビンの仮剥製や、世界で3体しか標本の残っていないこちらも幻の鳥カンムリツクシガモのつがい(!)の剥製、有名な割にほとんど標本のないドードーの実骨など、鳥好き狂喜乱舞の内容ですので、お見逃しなく!

<参考>
国立科学博物館日本館3階南翼キャプション
かはく | コメント:0 | トラックバック:0 |

オペラなひと♪千夜一夜 ~第十八夜/カラスの発見者~

前回のクールはカラスで終わりました。
そこでも述べた通りカラスを芸術家として余りにも“神聖視”することには個人的には反対なのですが、やはりカラスというのは一種独特の存在ですし、あるひとつの時代を象徴する人物であると言うのは紛うことなき事実。
ということで今回は「カラスの時代に」をテーマにさまざまな歌手を取り上げてみていきたいと思います。

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いつもながらバスからスタートします。
ちゃんと調べた訳ではありませんが現在市場に出回っている録音を観る限りカラスと最も多く共演したバスはニコラ・ザッカリアではないかと思います。しかし今日はザッカリアではなく、カラスのキャリアを語るうえで欠くことのできないこのひとをご紹介しましょう。

NicolaRossiLemeni2.jpg
Don Basilio (Rossini)

ニコラ・ロッシ=レメーニ
(Nicola Rossi-Lemeni)
1920~1991
Bass
Italy(Russia,Turky)

国籍を書くのに非常に困るひとです(^^;
伊国の将軍を父に、露国の女性を母に持ち、生まれは土国イスタンブール……超国際人です。彼のレパートリーの中心は伊歌劇でしたからここでは伊国を先頭に持って来てみましたが、まああんまり拘っても意味のないことですね。

声は早くに衰えてしまいましたが、知的な歌い回しと巧みな演技で一時期は世界で最も尊敬を集めた歌手の一人でした。I.ピッツィエッティは彼を主演にした『大聖堂の殺人』というオペラを書いています。ちょっと独特なヴィブラートのかかった声で僕自身は非常にかっこいいと思うのですが、スタイルの面で少し古風なせいか近年の評価は高いとは言えません。単なるカラスの共演者の一人程度として認識されているのが個人的には残念です。優れた詩人、画家としても知られ、パートナーはソプラノのヴィルジニア・ゼアーニ。

さて彼が何故カラスを語るうえで欠かせないかと言えば、共演が多いことももちろんですが、何より彼がカラスの躍進のきっかけを作った人物だからです。

当時まだ新人だったカラスはシカゴでG.プッチーニの『トゥーランドット』の公演に参加する予定でしたが、興行主が倒産してしまってこの公演はお釈迦になってしまいます。
しかしこの公演の練習中に彼女が知り合ったのが誰あろうロッシ=レメーニでした。このとき既に世界で名の知られていた彼はカラスを、米国で優秀な歌手を探していたヴェローナ・オペラ・フェスティヴァルの芸術監督ジョヴァンニ・ザナテッロに紹介します。
そしてカラスの人生はここから開いていくのです。

言ってみればロッシ=レメーニは、カラスを発掘した人物とも言えるでしょう。

<演唱の魅力>
上述しましたがロッシ=レメーニの声は独特のヴィブラートのかかったちょっと変わった感じの声です。少しゴワゴワした感じ、と言っても良いかもしれません。個人的にはそれがなんとも言えずバスの主要な役どころである年長者や悪魔にピタッとハマっているように思います。この独特の声はやはり純粋な伊国のひとではなく、東欧の血が混ざっていることにひょっとしたら起因しているのかもしれません。嘆く役であっても悪事の中心にある役であっても一声発すると劇全体を悲劇的な空気で包み込むことができる存在感が、録音媒体からも感じられます。

そして――これは彼が現役の時代から言われていたことではありますが――歌い回しが非常に知的。fで大見栄きって凄む部分とソット・ヴォーチェで囁くように歌う部分と大変よく考えて歌っているように思います。そうした彼のセンスを僕個人が最も感じるのは、やはりG.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』のフィリッポ2世です(『ドン・カルロ』日本初演の際のフィリッポはまさに彼)。いくつか録音を残している“独り寂しく眠ろう”はいずれも表現が絶妙ですし、息の長さにも感嘆します。またC.F.グノー『ファウスト』のメフィストフェレスのようなおどろおどろしい役を演れば彼一流の諧謔交じりの不気味な雰囲気を現出します。

悲劇の空気を作る声と述べはしましたが、一方で喜劇的な役柄でも水準以上の歌を聴かせてしまうのが彼の凄いところです。ブッフォのバス役に必要とされるような早口歌唱も彼はまた達者にこなします。単に口の回りが速いだけではなく、何と言うか聴いていて思わずニコニコしたくなってきてしまうような巧みさがあります。G.ロッシーニ『セビリヤの理髪師』のドン・バジリオももちろん良いですが、同じくロッシーニ『イタリアのトルコ人』のセリムやG.ドニゼッティ『愛の妙薬』のドゥルカマーラまで楽しくこなしてしまい、これがあのフィリッポやメフィストを歌う歌手と同じ人物かと唸らされます。

<アキレス腱>
これも前述の通り近年の評価は必ずしも高くありません。ひとつにはその独特の声が近年評価されるような発声法とは必ずしも合致しないところがあるからであるような気もしますし、彼の表現が現在の目線から見ればやや古風であると言うこともあると思います。ベル・カントの研究が進んだ現在では、残念ながら通用しないものもあると言わざるを得ないところもあります。

<音源紹介>
・フィリッポ2世(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
プレヴィターリ指揮/ピッキ、カニーリャ、シルヴェーリ、スティニャーニ、ネーリ共演/ローマ・イタリア放送交響楽団&合唱団/1951年録音
>恐らく史上初の全曲録音(そして実は日本初演の際のフィリッポも彼)。その息の長さやソット・ヴォーチェで嘆く部分の巧さはやはり群を抜いています。日本初演の映像も残っていますが、ちょっとやり過ぎ(しかし技術はすごい)な部分もあるので、今はこっちのが好き。そして最高の宗教裁判長ネーリとの対決はまさに全曲中の白眉、手に汗握ります。残念なのが共演陣で、ピッキとカニーリャの歌唱はかなり消化不良だし、スティニャーニはピークを過ぎています。シルヴェーリは悪くないのですが、もっと軽い役のがあっているように思います。

・オロヴェーゾ(V.ベッリーニ『ノルマ』)
セラフィン指揮/カラス、フィリッペスキ、ステニャーニ、共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1954年録音
>小さいながらもこれは彼の最高の当たり役のひとつです。やや力み過ぎな感もありますが「ギリシャ彫刻のように均整の取れた」と言われて非常に評価されましたのもよくわかる、剛毅でパワフルな表現は一聴に値します。ローマから見た異民族の代表としてのこの役を考えたときに、やっぱりキャラが立っていた方がいい。もう少し歌って欲しい気もしてきます(笑)

・セリム(G.ロッシーニ『イタリアのトルコ人』)
ガヴァッツェーニ指揮/カラス、ゲッダ、カラブレーゼ、デ=パルマ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1954年録音
>ロッシーニ=ルネッサンス以降の音楽を知ってしまっている我々の耳には既に一時代前の音楽になってしまっている感は否めませんが、さりとて古臭くて聴けやしない、とならないのが不思議なところ。ここでの彼の若々しく勢いのあるセリムはやはり魅力です。特にカラブレーゼととの超高速歌唱の対決は、今聴いても見事なものでウキウキしてきます。カラスやゲッダは音楽に必ずしもあった声だとは思いませんが、いずれも聴かせてしまうのが大家の大家たる所以ですね(笑)

・モゼ(G.ロッシーニ『モゼ』)
セラフィン指揮/タッデイ、フィリッペスキ、マンチーニ、デ=パルマ、クラバッシ共演/ナポリ・サン・カルロ劇場管弦楽団&合唱団/1956年録音
>こういうの聴いちゃうと、やっぱりこの人はシリアスな方があっているような気がしてきます。大仰な役ではありますが、彼のようにスケールの大きな人が見得切って登場してくると如何にもな感じがしてきてワクワクします^^もちろん聴かせるところはきっちり聴かせていて、例えば有名なアンサンブル“天の玉座より”の冒頭の歌唱などは貫録ものでしょう。共演もタッデイ&フィリッペスキも、現在のロッシーニの名手に較べると遜色はどうしても出て来ますが、この時代ならではの声の充実はやはり簡単には捨てがたいものです。

・ジョルジョ・ヴァルトン(V.ベッリーニ『清教徒』)
セラフィン指揮/カラス、ディ=ステファノ、パネライ共演/ミラノ・スカラ座劇場管弦楽団&合唱団/1953年録音
>ここでの叔父様も堂に入ったもの。切々と歌い上げられる有名なロマンツァは、この曲のベストの歌唱のひとつと言ってもいいものでしょう。また、パネライとともに歌う勇壮な重唱も迫力があり、この音盤のハイライト。ギャウロフと並ぶこの役の規範と言って良いのではないでしょうか。カラスは世評は高いですが、この役は声が綺麗じゃないのがマイナスになってしまう。表現意欲は凄いんだけど。ディ=ステファノもいいんだけど、高音がなんかひっかかるのが好きになれないんですよね(^^;セラフィンは流石、パネライは勢いのある歌唱は好感が持てます(難しいとこだいぶカットしてるけどw)。

・ドン・バジリオ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)2013.1.7追記
セラフィン指揮/モンティ、ベキ、デロサンヘレス、ルイーゼ共演/ミラノ・スカラ座劇場管弦楽団&合唱団/1952年録音
>デ=サバタ指揮でメンバーの似通ったライヴもありますが、音質のいい方を。まー大暴れしてますww人によっては悪乗りだと思うかもしれませんが、バジリオがこのぐらいキャラが立って呉れると、このバカバカしいお話がより一層バカバカしくなって楽しいです(笑)アリアも十分面白いですが、アンサンブルでの目立ち方が笑えます。かなり粗っぽいながらもパワフルで活力あふれるベキのフィガロ、歌の巧さに唸らされるデロサンヘレスのロジーナ、カットが残念なぐらい達者なルイーゼのバルトロに名匠の指揮ですから立派なもんです。モンティの伯爵はいい声だけどちょっと今の耳には技術のなさが引っ掛かるところ。

・メフィストフェレス(C.F.グノー『ファウスト』)2014.10.30追記
ラ=ローザ=パローディ指揮/フェルナンディ、スコット、G.G.グェルフィ共演/RAIトリノ管弦楽団&合唱団/1959年録音
>伊語盤のライヴなので必ずしもこの作品を楽しむベストとは言い難いのですが、結構いい演奏です^^ここでの彼は、恐らく古今東西のメフィストの中でも迫力ある役作りとしてはクリストフと並ぶ出来でしょう。豪放磊落でパワフルな演唱は底知れぬ魔力のある強大な悪の力を感じさせ、例えばソワイエやシエピで聴かれるようなエレガントな悪魔とは正反対の位置にあるもの。これもまた魅力的だなあと思わせる代物です。或意味で歌舞伎的な、見栄を切った歌とでも言えましょうか、様式美に近いものを感じます。指揮はぬるめですがフェルナンディが思ったより良い他、グェルフィも熱演(こんな剛毅なヴァランタンは初めてw)。スコットもいいですが、このひとはやはり仏語での東京ライヴでしょう。

・悪魔(А.Г.ルビンシテイン『悪魔』)2022.8.22追記
アレーナ指揮/ゼアーニ、ラッザーリ、リナウド、ミラルディ共演/RAIミラノ管弦楽団&合唱団/1971年録音
>悪魔繋がりでこちらの作品も。伊語版なので必ずしも作品の本来の持ち味を伝えているものではないような気はするのですが、それでもルビンシテインの雄渾で荘厳な世界をアレーナが熱気のある音楽に仕上げ、ロッシ=レメーニが巨大な声で吠えることで、『メフィストーフェレ』(A.ボーイト)の天上の場面で得られるような感動があるのは確かです。ロッシ=レメーニはキャリアも後半になって、ますます滑らかさよりも無骨さが勝ってきているものの、はっきりとした個性のある声だからこそこの役が似合うように思います。強大な魔力を持ってはいても愛に近づいていくことのできない存在なのです。パートナーのゼアーニと共演した録音は意外と少ないようですが、これは彼女にとってもベストの出来でしょう。あっさり死んでしまう役ですがラッザーリも儲けもののテノールですし、リナウドの重厚な声も◎、ミラルディはこの中では個性が弱めなのが惜しいですが、穴にはなっていません。実はバスが演じているこの演目の全曲では一番推せるものかもしれないです。

・ジョヴァンニ・ダ=プローチダ(G.F.F.ヴェルディ『シチリアの晩禱』)2018.2.1追記
ガヴァッツェーニ指揮/リマリッリ、ゲンジェル、G.G.グェルフィ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音
>音質はお世辞にもよくありませんが、この作品の音源の中でも上位に来る素晴らしい演奏だと思います。彼のプローチダはR.ライモンディと双璧といってもいいのではないでしょうか。ライモンディが知的で眉目の整った雰囲気を感じさせる一方で、ロッシ=レメーニはこの役が抱えている強い怒りの感情をパワフルに表現しているように思います。骨太で荒々しい革命家。特に後半で聴かせるドスの効いた歌いまわしは印象的です。一方で祖国を思うアリア(カバレッタは繰返し付き!)や重唱では抒情的な想いを感じさせ、この役を多面的にしていると感じました。共演もみな優れていますが、とりわけグェルフィはこの役のベストと感じました。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第十七夜/マリア・カラス~

歴史に残る名ソプラノと言えばこのひとで異論はないでしょう。

MariaCallas.jpg
Violetta Valery

マリア・カラス
(Maria Callas, Μαρία Κάλλας)
1923~1977
Soprano
America

最早説明は要りませんね(^^;多くのひとが20世紀最高の歌手として筆頭に挙げる大プリマ・ドンナです。
彼女の場合単に非常に優れた芸術家であったと言うだけではなく、「オペラ」という芸術に変革を齎した人物として評価されています。前世紀だけではなく今日に至るまで「カラス以前」、「カラス以後」という言葉を使うひとが大勢いるというのは、好き嫌いは別にしてやはり凄いことでしょう。また特に埋もれていたベル・カントの諸作品を発掘したことでも知られ、彼女のお蔭でV.ベッリーニ『ノルマ』やG.ドニゼッティ『アンナ・ボレーナ』などは現在日の目を見ていると言っても過言ではありません。一方で自らの芸術に余りにも拘ることでかなりトラブルの多いひとであったと言うのもまた事実。まあそういうひとだと色々な逸話がある訳です。

『ノルマ』の公演が絶不調で途中でやめて勝手に帰ってしまったとか、逆にスカラ座で演じた『椿姫』があまりにも名演過ぎてしまいそれから数十年スカラ座で他のプロダクションの『椿姫』ができなかったとか……とにかくたくさんあります。

あるとき『ランメルモールのルチア』でフォン=カラヤンと共演したとき、カラスの意に反してフォン=カラヤンが有名な6重唱のアンコールを行いました。カラスは激怒。その後『ルチア』最大の見せ場“狂乱の場”をカラスはフォン=カラヤンからは見えづらい舞台の後ろの方の位置で、しかも客席に背を向けて歌ったそうで……ソプラノのソロがかなり暴れる曲ですから指揮者側としてはたまったもんじゃないですね(^^;
ちなみにこのときフォン=カラヤンはそれでもバッチリカラスに合わせたそうで後日和解したときにカラスがこのことを尋ねると、彼は「簡単だよ、息継ぎで肩が動くのを見て合わせたんだ」と答えたとか。プロの演奏家の世界は怖いですね……

<演唱の魅力>
カラスは決して美声ではありません。
いまも昔もカラスよりずっと綺麗な声をしている歌手はたくさんいます(オペラを初めて聴く人向けのオムニバスにカラスのベストでない演奏がたくさん入っているのを見ると、オペラ・ファンを減らしたいのかと思ってしまいます。個人的には)。但し美声だからいいかというとそうではないのがオペラのみならず音楽の厄介なところで、美声ではないのですが類い稀な声であることは間違いない。あくまで全盛期に限った話ではありますが、カラスほど重さもあるのに高い方も抜けてしかもコロラテューラに長けているひとというのは、確かに後にも先にもなかなかいるものではありません。

しかし何にも増してカラスが凄いと言われるのは完璧なテクニックによる表現力によるものでしょう。
分けてもV.ベッリーニやG.ドニゼッティに代表されるベル・カント作品をそれまでとは全く違うアプローチで表現して行ったことが、一般的にカラスの評価を高めています。それまでこうした作品を歌っていた歌手たちはどちらかというと歌合戦、のど自慢的に自らの歌唱技術をひけらかすことが中心で、ドラマとしてのオペラや真に迫ったリアリズムとは縁遠いものであったとか。またその発声法も――僕も細かくはわからないのですが――どちらかというと頭声に抜ける(?)ようなものだったそうです(“白い声”と呼ばれます)。その代表選手だった晩年のトティ・ダル=モンテがカラスの『ルチア』を観て涙を流し、舞台裏にカラスを訪ね「私たち“白い声”の時代は終わりました」と言ったと言うのも有名な話です。

僕個人としてもカラスの演唱でやっぱり優れていると思うのはことばの扱い方、ニュアンスのつけ方です。非常に劇的でリアル、そしてスリリング。録音を聴いているだけでも演劇としてのオペラを強く感じさせます。特にその彼女の美質はスタジオ録音ではなく数々のライヴ録音で発揮されています。客席を相手にしたときの熱気でより高い実力を出すタイプの方だったのでしょう。もちろん彼女を語るのに欠かせないベル・カントの『ノルマ』や『アンナ・ボレーナ』などでもそうしたことは感じられますが、僕としてはG.F.F.ヴェルディ『椿姫』のヴィオレッタが最高だと思います。それ以外ではG.プッチーニ『トスカ』、A.ポンキエッリ『ジョコンダ』、L.ケルビーニ『メデア』の各題名役、G.F.F.ヴェルディ『マクベス』のマクベス夫人などは非常に魅力的。いまはソプラノで演るのは流行りませんがG.ロッシーニ『セビリヤの理髪師』のロジーナも技術の面で驚嘆させられます。

<アキレス腱>
現在に至るまで彼女は日本で多大な評価、というか最早異様な評価を受けています。もちろんいままで書いてきたように彼女は実際魅力的な芸術家であることは間違いありませんが、個人的には所謂音楽評論家と言うようなひとたちも有象無象のオペラ・ファンも「褒め過ぎでは…?」と思ってしまいます。

まず彼女の芸術家としてのピークは大変短く、本当に良いと言えるものはそう多くはないように思います。何度も述べてきた通り彼女は美声とは言い難く、特にピークを抜けたあとの録音にはとても聴けたものではないものがたくさんあるのもまた事実です。更に言えば彼女のひとつのライフ・ワークであったベル・カントの諸作品についても接するのには一定の留保が必要だと感じます。美声でないことを濃密で劇的な表現で補った彼女の取り組み方は、確かに“マリア・カラスの芸術”としては大きな感銘を受けるものですが、それが“ベル・カントの芸術”とイコールで繋がるとは言えないように思うのです。例えば再三挙がっている『ランメルモールのルチア』などはやっぱりカラスではなくジョーン・サザランドの方がベル・カントの歌唱だと思います。

或いは言い方を変えてカラスを褒め過ぎなのではなく、全ての基準をカラスに置いてしまっていることが問題、と言うべきなのかもしれませんね。カラスは優れた芸術家ではありますが、いろいろな面から見て余りにも特殊です。そういう意味では何でも“パヴァロッティ”になってしまうと言うのに近いのかも。

<音源紹介>
・ヴィオレッタ・ヴァレリー (G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)
ギオーネ指揮/クラウス、セレーニ共演/サン・カルロス劇場管弦楽団&合唱団/1958年録音
ジュリーニ指揮/ディ=ステファノ、バスティアニーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団/1955年録音
>基本的に僕はカラスよりも以前ご紹介したレナータ・スコットの方が好きなのですが、ヴィオレッタだけは別格。特にヴィンテージ・イヤーと言われるこの2つの音源は、本当に感動的です。カラスの表現力にまさに息を呑みます。長調のカバレッタの何と哀しく響くことか!58年のものでは若々しいクラウスが、55年のものではバスティアニーニが最高♪ふたつめのアリアは割とさばさばとしたテンポで歌われることも多い(僕の持っているスコットの録音がそうなんですよね(^^;)のですが、彼女のようにじっくり歌って呉れる方が好みです。伝統的カットで繰り返しがないのがちょっと残念ですが。

・ノルマ(V.ベッリーニ『ノルマ』)
セラフィン指揮/フィリッペスキ、ステニャーニ、ロッシ=レメーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1954年録音
>ノルマはカラスが最も得意とした役であるばかりではなく、数々の逸話を生んだ因縁の演目。ベル・カントの演目と言われるし実際そうだろうとも思うんだけど、要求されていることが普通のベル・カントとは個人的には違う気がしていて、例えばいまのベル・カントの第一人者たるエディタ・グルベローヴァ何かよりもカラスのがぐっと向いている。気がする笑。2013.9.11追記:バルトリを聴いてこのあたりの認識が変わりました^^;とはいえカラスがこの作品に於いて今でも特別な歌手であることは間違いなく、カラスの藝術としてのノルマ、その格調高く憑かれたようなノルマの素晴らしさを忘れる訳にはいかないでしょう。
一般にはアリアが有名ですが(昔空耳アワーにすら出てきましたね笑)、僕としては1幕フィナーレの3重唱の方が劇的で好身です。フィリッペスキは一時代前の世代で歌い回しが大仰だというのでいまは(特にこの録音では)評価が低いのですが、その部分をしょっ引いて考えれば立派な歌唱。スティニャーニは良いのですが、もうちょっと迫力のある役の方が向いてるかな……ここではもうお歳も感じてしまいます。ロッシ=レメーニは当たり役とされただけに流石。こういう曲でセラフィンに文句をつけられるほど指揮はわかりません^^;
(2014.3.18追記)
ヴォットー指揮/シミオナート、デル=モナコ、ザッカリア共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1955年録音
>不滅の名盤。音質の悪さで長くネグレクトしていた自分の不明を恥じました……確かに間違いなくこの役でのカラスのベストはこの録音でしょう。スタジオ録音とは気迫が違うと思います。歌手としての調子もベストだったときなのでしょう。ことばの解釈、役作りと言ったようなところの練り込みも素晴らしいのですが、もうそういう細かいところを越えて極めて稠密で濃厚な表現力には、相応しいことばが思いつきません。共演のシミオナート、デル=モナコ、ザッカリアにも一分の隙もなく、いずれも非常に濃い歌唱。ヴォットーの指揮も伊ものを心得た見事なものです。

・フローリア・トスカ(G.プッチーニ『トスカ』)
デ=サバタ指揮/ディ=ステファノ、ゴッビ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1953年録音
>僕はプッチーニは好きではないのですがこれは超名盤。有名なアリアは非常に多くの歌手が歌いたがる名曲ではあるものの、技術的な問題ではなく聴かせるのが難しい歌なんだろうなと思うのですが、ここでのカラスは抑制された中に芯の通った名唱中の名唱。ここでは最高のはまり役スカルピアを演じるゴッビも憎々しくて素晴らしいし、ディ=ステファノじゃなくてG.ライモンディならと思わなくもないですがここでは伊語の口跡もよくて素敵。デ=サバタにはもっとオペラ録音して欲しかったなぁ……。

・アンナ・ボレーナ(G.ドニゼッティ『アンナ・ボレーナ』)
ガヴァッツェーニ指揮/ロッシ=レメーニ、G.ライモンディ、シミオナート、クラバッシ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1957年録音
>有名なアン・ブーリン(=アンナ・ボレーナ)の処刑の話。僕個人は好きな作品ですが、あんまり一般受けはしないのかなぁ(苦笑)この作品の伝説的な蘇演の録音ですがカットが多いです……とはいえカラスは見事で特に1幕フィナーレの「このアンナを裁くのか!」というところの迫力は未だにこれ以上のものを聴いたことがないです。

・ジョコンダ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)
ヴォットー指揮/フェラーロ、カプッチッリ、コッソット、ヴィンコ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1959年録音
ヴォットー指揮/ポッジ、シルヴェーリ、バルビエーリ、ネーリ共演/トリノRAI交響楽団&チェトラ合唱団/1952年録音
>器楽が好きなひとたちからすれば『ジョコンダ』と言えば“時の踊り”だとは思いますがなかなかどうして良い歌がたくさんあるオペラ。いきなり「自殺…!」って叫ぶような曲だとやっぱりカラスは良いです(笑)指揮はいずれもヴォットー。若き日のカプッチッリとコッソット、滋味溢れるヴィンコに、幻の名歌手フェラーロが楽しめる59年盤、知る人ぞ知る大物歌手たちとの録音である52年盤(これでキャストが良くない、というのはモノを知らない)、これはどちらを取るかは趣味の問題かな~。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第十六夜/映像の時代に~

いろいろな時代を代表するような歌手を特集してきた今回のクール、今日はこれからを背負って立つであろう人をご紹介します。

ElinaGaranca.jpg
Angelina

エリーナ・ガランチャ
(Elīna Garanča)
1976~
Mezzo Soprano
Latvia

オペラは音楽ですから当然ながら歌で感動させられることが大事です。
だからこそ20世紀に於いては実演と同様に録音が重視されてきました。
そして容易に映像が手に入る時代になったいま、単に歌唱力が優れているだけではなく、より容姿や演技にシフトが移っていると言うことが言えます。
更に言えば今は演出の時代、となればその傾向がより強まっているのは言うまでもありません。

そういったなかで、エリーナ・ガランチャは完璧な歌唱テクニックに加えて恵まれた容姿とチャーミングな演技により、この映像の時代を代表する歌手として、近年では世界中の観衆を魅了しています。

<演唱の魅力>
ここ数年北欧や東欧、そして露国は魅惑的な低い響きを持ったメゾを数多く輩出していますが、ガランチャはその中でも最右翼に据えられるべき存在です。非常に深くふくよかな美声で、しっとりとした適度な湿り気を帯びています。これぞまさしくベル・カント!といったところ。

そう、その豊かな声がいまのところ最も本領を発揮していると言えるのがG.ロッシーニ、V.ベッリーニ、G.ドニゼッティなどの所謂ベル・カントの作品群でしょう。美声だけではなく細かいパッセージをこなすアジリタの技法も抜群です。いまや世界の歌姫となったネトレプコとの共演も多いですが、アジリタに関してはガランチャの方が数段上手だと言っていいでしょう。

また独特の上品な雰囲気を持っているひとなので、仏ものの作品を歌えばベル・カントのそれとはまた違う洗練された味わいのある歌唱を楽しませて呉れます。C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』のデリラやJ.オッフェンバック『ジェロルスタン女大公殿下(ブン大将)』の女大公殿下、あるいはJ.E.F.マスネー『ウェルテル』のシャルロッテなどもとても素敵。

美人ですし、何と言っても非常に演技がチャーミング♪
男役をやってもすらっとして格好いいんですが(あたかも宝塚!笑)、個人的には最初に映像で観たのがG.ロッシーニ『チェネレントラ(シンデレラ)』のアンジェリーナだったこともあってその印象が強いです。かわいらしい演技がとても魅力的。過度になることなく作品の持つ楽しい世界を表現できるのは彼女の才能だと思います。アンジェリーナは、ことによるとそのいい子ちゃんキャラが鼻についてしまったりと言うことがありそうな役ではありますが、ここでの彼女はそんなことは微塵も感じさせません。ほとんど素なんじゃないかと言ういうような、ある種の純粋さを強く感じさせるような演技になっています。そういう意味ではやっぱり歌とともに演技を、舞台を見たいひと。

また先日のMETライヴ・ヴューイングの『サムソンとデリラ』を観て彼女に対する認識はプラスの方向に大きく変わったところです。この記事を最初に書いてからの数年で、彼女はその美質を活かしながらドラマティックな方向にかなり大きく藝術性を高めたように思います。未だにアズチェーナやウルリカと言われてしまうと?がつくものの、既にロール・デビューしているエボリ公女(『ドン・カルロ』)は断片を拝見しましたが圧巻の歌唱でしたし、これから歌うであろうアムネリス(『アイーダ』)では歴史に残る名演を遺してくれるのではないでしょうか。21世紀のヴェルディ歌唱を語る上で欠かせない人になってく予感がしています(2018.11.29追記)。

<アキレス腱>
演技もうまいし、とても可愛らしいひとなので世界の劇場で引っ張りだこになっている訳ですが、個人的にはこのひとは声のパワーで思いっきり押していくタイプの人ではないと思っています。そういう意味では役を選ぶ部分があるのかなと。例えばG.F.F.ヴェルディの諸作品に出てくるメゾ役はいずれも彼女の声にはドラマティックに過ぎるのではないかと思います。そもそも『イル=トロヴァトーレ』のアズチェーナや『仮面舞踏会』のウルリーカをやるのには容姿が可愛すぎ(^^;可愛らしいアズチェーナやウルリーカは観たくないですし、それ以上に汚らしくしているガランチャも見たくないですしね(笑)

仏ものでもG.ビゼー『カルメン』の題名役は結構世評は高いようですが、個人的にはこれは前にご紹介したドマシェンコの方が良い気がします。何と言うかここまでに何度も述べてきた通りガランチャはひととして非常に洗練された、上品な感じを受ける人なのでカルメンとなったときに欲しい蓮っ葉な感じや暗い迫力何ていう部分には不足しているように思うのです。まあそれでも何故か一方でデリラでは納得させられてしまうのですが…。

<音源紹介>
・アンジェリーナ(G.ロッシーニ『チェネレントラ(シンデレラ)』)
ベニーニ指揮/ブラウンリー、コルベッリ、アルベルギーニ、レリエ共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/2009年録音
>前述の通り僕のなかでのガランチャのイメージはこの役です。お話自体はシンデレラですから下手なひとがやると何とも主役のアンジェリーナがクサくて嘘っぽいウザい感じになってしまうと思うのですが、ここでのガランチャは嫌味な感じを感じさせることなく、そして歌唱的にも完璧にこの難役をこなしています。コルベッリをはじめ共演陣のブッファっぷり(特にアルベルギーニが王子になりきってブラウンリーを邪険にするとことか、レリエが正体を現すとことか)も笑えますし、みんな歌も演技も巧い。映像的には最高のチェネレントラのひとつではないでしょうか。

・ロメオ(V.ベッリーニ『カプレーティとモンテッキ』)
・エリザベッタ1世(G.ドニゼッティ『マリア・ステュアルダ』)
R.アバド指揮/ボローニャ市立歌劇場管弦楽団/2008年録音
>いずれもアリア集『ベル・カント』で聴くことができます。『カプレーティとモンテッキ』、要は『ロミオとジュリエット』ですが、こちらはネトレプコ共演の全曲盤もあります(未聴)。ここではロミオはメゾ・ソプラノが男装して演ずる所謂ズボン役。凄く嵌るなぁ…と思ったら顔立ちも宝塚ッぽい笑。『マリア・ステュアルだ』は、英国史では有名なエリザベス1世(エリザベッタ)とメアリ・ステュアート(マリア・ステュアルダ)の対立を描いたオペラ。エリザベッタに扮するメゾとマリア役のソプラノの強烈な対決場面が作品の白眉ですが、ここではエリザベッタのアリアのみ。これを聴くと全曲録音してくれないかなと思ってしまいます。そういえば最近ネトレプコ主演のアンナ・ボレーナにも出ていたし、そちらも聴きたいところ。観ました。後述します。
(2012.10.17追記)
ルイージ指揮/ネトレプコ、カレヤ共演/WPO&ヴィーン・ジング・アカデミー/2008年録音
>『カプレーティとモンテッキ』の全曲、聴きました。感想としては、これを聴かないのはあまりにももったいない、超名盤です。ガランチャのロメオの凛々しいことと言ったら!彼女は美人ですが中性的な顔立ちなので、このロメオは舞台で見たらさぞや、と思います。ネトレプコとのアンサンブルも美しく、天国的。しのごの言わずにとりあえずまずは聴いてほしい名盤です。

・ジェロルスタン女大公殿下(J.オッフェンバック『ジェロルスタン女大公殿下(ブン大将)』)
ルイージ指揮/ドレスデン国立管弦楽団/2006年録音
>アリア集『アリア・カンティレーナ』に収録。日本では『ブン大将』として浅草オペラ時代から親しまれた作品で、音楽的には非常に充実してますが何故か最近は人気がないのが残念です。ガランチャはマイナーながらもちょっとお洒落な隠れたこの名曲を、実に洒脱に歌っています。これも全曲入れて欲しいところ。

・デリラ (C.サンサーンス『サムソンとデリラ』)
アルミリアート指揮/SWR南西ドイツ放送交響楽団/2007年録音
>こちらはコンサートの録音『ジ・オペラ・ガラ~ライヴ・フロム・バーデン・バーデン』に収録。このコンサートはバルガス、ネトレプコ、テジエ共演と言う大変豪華なもの。この曲のしっとりとした雰囲気に彼女の美声が非常にマッチしています。とは言えあんまりこの役に必要な悪女めいた空気を彼女は持っていないように思うので全曲聴くとまたちょっと違うのかもしれません。
エルダー指揮/アラーニャ、ナウリ、ベロセルスキー共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/2018年録音(2018.11.29追記)
>こちらはDisc化はされておらずライヴ・ヴューイングで視聴したものですが、大変素晴らしい公演でした。METには是非これを製品化して欲しい!あのアンジェリーナを演じていた人が僅か10年足らずでここまで深い、熟成された声で歌うようになるのかと刮目させられました。インタビューでも答えていましたがデリラを過度に悪女にするのではなく、より人間的に描きこんだパフォーマンスでぐっと惹き込まれます。アラーニャ、ナウリも含めて2幕の完成度の高さ!本作の映像として屈指のものと思います。

・ジョヴァンナ・セイモール(G.ドニゼッティ『アンナ・ボレーナ』)2018.8.10追記
ピドー指揮/ネトレプコ、ダルカンジェロ、メーリ、クルマン共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/2011年録音
>映像で楽しむことのできるこの作品のディスクとしては最高のものでしょう。ジョヴァンナは戀敵の役ではあるものの、夫を奪う悪女としてではなくエンリーコに振り回される悔悟する女性として優しく魅力的に描かれていると思うのですが、ガランチャはそのイメージをそのまま具現化しているかのような素晴らしい演唱。立ち姿や所作にも気品があります。とりわけネトレプコとの重唱の場面はこの公演のハイライトでしょう。もちろんそのネトレプコも悪役のダルカンジェロも、目にも耳にもぴったり。オペラファン必携の映像でしょう。

・アダルジーザ(V.ベッリーニ『ノルマ』)2020.7.15追記
ハイダー指揮/グルベローヴァ、マチャード、マイルズ共演/ラインラント=プファルツ州立交響楽団&ヴォーカル・アンサンブル・ラシュタット/2004年録音
>今のように多くの人に知られる前に彼女が遺した得難い記録と言うべきでしょう。確かこのノルマはグルベローヴァが自分の声を賭して歌うと言うので当時話題になったものでしたが、この時にどれだけの人が共演にまで気を遣ったか、或いは共演にまで注目したか……恥ずかしながら若い頃の自分にはそこまでの見識はなく、グルべローヴァの小鳥のような声に対して深く、暗く、力のあるメゾがついたなあと思った程度だったのですが、今改めてこの録音を聴くと、後出しジャンケン的ながらガランチャとグルベローヴァの声の対比によって作られる美観に強く心を打たれます。とりわけ彼女たちによる2幕冒頭の重唱は白眉と言うべきで、この時に遺しておくことができたことを嬉しく思います。マイルズのオロヴェーゾの背筋の通った歌も気分がいいので、これでポリオーネさえもう少しいい人がつければと考えるとちょっと残念です。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第十五夜/The King of High C~

オペラ史としての一時代を代表する歌手を特集している今回のクール、今日はテノール編です。歴史的テナーと言えばやはりエンリコ・カルーソーの名前が最初に上がるのかなとは思いますが、ここではより新しい時代を代表するこのひとを紹介しましょう。

LucianoPavarotti.jpg

Il Duca di Mantova

ルチアーノ・パヴァロッティ
(Luciano Pavarotti)
1935~2007
Tenor
Italy

このひとについて説明することはもうないかもしれませんね(笑)
20世紀後半を代表する世界的なスター歌手です。オペラの世界はもちろん、さまざまなジャンルで活動する多くのひとびとと親交を持っており、スティングをはじめポップスの世界のひとたちと共同でCDを出したりもしています。また故ダイアナ妃とも親しく、彼女の葬儀に際して歌うように求められたときには「非常に悲しくて歌うことはできない」と言ったというエピソードも有名です。

テレビ出演が多かったことでも知られており、そういった映像媒体で演奏会や舞台を伝えると言う形式が一般的になっていったのは彼の功績のひとつと言えるかもしれません。後年にはマイクを使って野外やアリーナのような広い場所でより多くの聴衆を相手にコンサートをすることを目指しました。プラシド・ドミンゴやホセ・カレーラスとともに3大テノールとして活動していた時期の方が、ひょっとすると日本人にとってはより馴染み深いかもしれません。(尤も、これは後述しますが、こうした後年の幅広い活動が必ずしも多くのオペラ・ファンに受け入れられたものではないと言うことも注記せねばならないことではあると思いますが)

ソプラノのミレッラ・フレーニとは同い年で同郷、しかも同じ保育所で育てられたと言うのもまた有名な逸話。更に言うとフレーニの夫は初回にご紹介したバスのニコライ・ギャウロフ。当然この3人の共演回数はかなり多いですが、何と狭い世界と言いますか。

<演唱の魅力>
パヴァロッティと言えば、非常に充実した彼独特の高音域について第一に述べざるを得ないでしょう。彼は本来はリリコ・レジェーロ(リリックで軽い)と呼ばれるような声質で太さや重さを求められるような役には不適なのですが、そうしたマイナスを補って余りあるような独特の声でした。テノールの歌手にとって勲章ともいうべきハイCの1音上のハイDまで、何というか非常に密度の濃い艶やかな美声で歌いあげることができたため、元来の彼の声質以上にさまざまなレパートリーを持っています。そしてその声から「キング・オヴ・ハイC」の異名もとりました。

とは言えやはり彼の声質を最も活かすことができるのはベル・カントの諸役やG.F.F.ヴェルディの作品のなかでも比較的前半のもの、G.プッチーニ『ラ=ボエーム』のロドルフォと言った一部の役柄でしょう。彼の声は何処までも明るい色調の伊国声なので、伊国のこうした作品に与えられた美しい旋律と合わさることで、他の追随を許さない魅力を発揮しています。これらの多くは70年代から80年代前半あたりに残されたもので、彼の芸術家としてのキャリアのピークは前述のように活動を拡大する以前のものです。彼の真価を知るためには、まずこの時期のものを聴く必要があるでしょう。

個人的なイメージでは特に彼のキャラクターに合致した役としてG.F.F.ヴェルディ『リゴレット』のマントヴァの公爵を挙げない訳にはいけません。マントヴァ公は最も有名なテノールの悪役で、非常な好色漢ですが作品のなかでは結局何の制裁も受けないというなかなかとんでもないやつです(笑)しかし彼には全てのオペラのなかでも有数の優美で魅力的な旋律が与えられています。パヴァロッティの何処までも明るい美声はそうした旋律をより魅力的なものにしているだけではなく、マントヴァ公の享楽的な性格を端的に表現しています。そんなことはある筈がないのですが、マントヴァ公はパヴァロッティのために書かれたのではないかと思うこともよくあります。それほどの当たり役。

<アキレス腱>
前述の通りさまざまな活動をしていたパヴァロッティですが、80年代後半からは年齢的に声が衰えてきます。そして歌唱がだんだん適当になってきます(^^;そもそも「楽譜が読めない」説が出たりするぐらい天性の感覚で歌っている感じのする人ではあるのですが(や、実際は読めますよ絶対笑)、それがもっとひどくなった感じでしょうか……3大テノールのときにはもうだいぶひどいです。それから彼の声の魅力で以て歌われる彼の本来のレパートリー外の重い役柄ではアクセントを強調し過ぎたりしていて、これも評価の分かれるところ。

また何度も書いた通り彼の声はかなり独特なのでそれぞれの役よりもどちらかと言うと“パヴァロッティ”になってしまうのも難点でしょう。もちろん歌唱としては素晴らしいのですが、例えばラダメスと言うよりはパヴァロッティ、ファウストと言うよりはパヴァロッティになってしまう。

少々先述しましたが彼の後年の野外やアリーナでの活動についても評価の割れる部分です。オペラは歌手の生の声が劇場に響き渡ることに真価があるものですから、その許容量を超えた会場でマイクを使って行うマンモス・コンサートを評価しない向きがあるのもまた仕方がないでしょう。

<音源紹介>
・マントヴァ公爵(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
シャイー指揮/ヌッチ、アンダーソン、ギャウロフ、ヴァ―レット共演/ボローニャ市立歌劇場&合唱団/1989年録音
>1番のオススメは最後の女心の歌。『リゴレット』全曲のなかでも最も有名な音楽ですし、恐らくベストの歌唱といえるでしょう。もちろんしっとりと歌われるアリアも見事ですし、カバレッタの最高音は慣例でオクターヴ挙げられて轟くようなハイDで歌われています。そしていい加減で好色そうな雰囲気の良く出た登場の場面……何処をとっても最高のマントヴァ公爵です(まあ、マントヴァ公爵は嫌な奴ですが)。ヌッチのリゴレットは後年ほどの掘り込みの深さはないもののやはり当たり役、ギャウロフも健在で男声陣は文句なし。女性陣は趣味の分かれるところでしょう(個人的にはイマイチ)。

・アルノルド(G.ロッシーニ『グリエルモ・テル(ウィリアム・テル)』)
シャイー指揮/ミルンズ、コンネル、ジョーンズ、フレーニ、ギャウロフ、トムリンソン、デ=パルマ共演/NPO&アンブロジアン・オペラ合唱団/1978-1979年録音
>超名盤。パヴァロッティは所謂ロッシーニ・テノールではなかったのでこれはかなり例外的な録音。しかしここでの歌唱は彼のベストのひとつと言うべきものでしょう。ミルンズ、ギャウロフとの3重唱、そしてフレーニとの2重唱はまさに美声の饗宴と言うべきもので、聴いていて陶然としてしまいます。そして大詰めの大アリアで大見得切ってハイCを連発するところは全く見事。圧倒されます。

・トニオ(G.ドニゼッティ『連隊の娘』)
ボニング指揮/サザランド、マラス、シンクレア共演/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団/1967年録音
>世界にパヴァロッティの名声を知らしめたのがこの役。なんとハイCが9連発と言う殆ど正気の沙汰ではない部分を含んでいます。昔は下げて歌われるのが一般的だったそうですが、最初に彼がこの曲で舞台に上がるとき原調でやってみたらできちゃったんだとか(笑)ここでは若々しいパヴァロッティの声を最大限に楽しむことができます(仏語には聴こえない、という難点はあるようですが)。

・レーヴェンスウッド卿エドガルド(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』) 2019.10.13追記
ボニング指揮/サザランド、ミルンズ、ギャウロフ、R.デイヴィス、トゥーランジョー共演/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団/1971年録音
>20世紀後半のベル・カント録音において忘れることのできない名盤。エドガルドはドニゼッティのテノール役の中では最もドラマティックな役柄で、あまり優美すぎるテノールでも食い足りない一方、やはりベル・カントらしい澄んだ明るさも欲しいという実はさじ加減の難しいところだと思います。その点軽めの声質でありながらも、稠密でこってりした響きの持ち主でもあるパヴァロッティにはピッタリと言えます。終幕のアリアも格調高く素晴らしいですが、この演奏では嵐の場面が歌われており、ここでのミルンズとのアンサンブルがお見事!

・アルトゥーロ・タルボ(V.ベッリーニ『清教徒』)
ボニング指揮/サザランド、カプッチッリ、ギャウロフ共演/ロンドン交響楽団&コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団/1973年録音
>これも超高音を要求される難役中の難役です。パヴァロッティはハイDまでは完璧に出るもののそれ以上は出なかったので、悪名高いハイFなどは録音では頭声で処理していますが、そんなことは全然問題ではない、最高のベル・カントを楽しむことができます。共演陣も最高で、まさに20世紀のプリターニ・クァルテットと言うべきもの(残念ながら皆さん亡くなられましたが)。超名盤。

・フェルナンド(G.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』)
ボニング指揮/コッソット、バキエ、ギャウロフ、コトルバシュ共演/テアトロ・コムナーレ・ディ・ボローニャ交響楽団&合唱団/1974-1977年録音
>これぞベル・カントの神髄と言うべき名曲。多くの場合カットされるハイC連発のアリアも歌っています。彼の能天気そうなキャラクターと、あんまり何も考えていなさそうなフェルナンドは良く合っているように思います(褒めてます笑)。共演陣も美声揃いで重唱も楽しめます。

・カラフ(G.プッチーニ『トゥーランドット』)
メータ指揮/サザランド、カバリエ、ギャウロフ、ピアーズ共演/LPO&ジョン・オールディス合唱団/1972年録音
>有名なアリア“誰も寝てはならぬ”は、彼のテーマソングのように言われた曲ですし、彼の最後のパフォーマンスとなったトリノ五輪開会式で歌われた曲でもあります。と言っても彼の本来のリリコ・レジェーロの声質に合うものではなく、どちらかというとカラフではなく“パヴァロッティ”になってしまう曲というイメージでいたのですが、ここでの演唱は詰まらない理窟抜きに楽しめるもの。共演のサザランドもキャラ違いだろうと敬遠していたのですが、トンデモない。これはサザランドの最高の歌唱のひとつと言ってもいいし、最高のトゥーランドットのひとつと言ってもいい。カバリエ、ギャウロフも勿体ないぐらい。

・ボストン総督リッカルド(G.F.F.ヴェルディ『仮面舞踏会』)2013.1.21追記
バルトレッティ指揮/テバルディ、ミルンズ、レズニク、ドナート共演/ローマ聖チェチーリア管弦楽団&合唱団/1970年録音
>これ評判良くないけど名盤ですよ!一節歌った瞬間から主役としての存在感を発揮する若き日のパヴァロッティの全く見事なこと!その瑞々しい声の威力は、細かいことを気にしないで楽しめるものだし、デヴュー当初だということもあってか非常に真摯に歌を歌っているのがまた非常に好感が持てます。特に後半の有名なアリアでは、表現力のあるところを聴かせています。ミルンズのレナートも、カプッチッリのような渋い漢っぷりとはまた全く違う情緒的な役作りで聴かせますし、レズニクは歌以上にドロドロとした不気味な存在感が素晴らしい。バルトレッティも金管や打楽器の鳴らし方が痛快。テバルディは巷間衰えばかりが指摘されていますがちゃんと聴いてますか?確かに声は衰えてはいるものの、これほどドラマティックで力強い歌はそうは聴けませんよ!ドナートがちょっと女の子っぽすぎるのがあえて言えば玉に瑕。

・イドメネオ(W.A.モーツァルト『イドメネオ』) 2013.11.29追記
プリッチャード指揮/グルベローヴァ、バルツァ、ポップ、ヌッチ、ストロジェフ、山路共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1983年録音
>不滅の名盤。これは彼が残した全曲盤の中でも最高のもののひとつではないでしょうか?普段のいかにもな伊ものでの歌唱とは全く違う、脂身を削ぎ落とした知的な歌い口で、格調高い古典の世界を見事に歌いあげています。既によく知っていると思っていた彼の、全く違う面をまざまざと見せられた気分で、恐れ入りました、の一言。三大テノール時代のイメージで彼を毛嫌いしている向きには是非聴いていただきたいと思います。その品位のある音楽世界を築いているプリッチャードの指揮もさることながら、強力な共演陣もお見事。結構長さのある作品なのですが、それを全く感じさせません!素晴らしい演奏!

・テバルド(V.ベッリーニ『カプレーティとモンテッキ』)2014.9.12追記
アバド指揮/スコット、アラガル、フェリン、モナケージ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1968年録音
>アバドの溌溂とした指揮と3人の主役の声の競演を楽しむ音盤。若き日のライヴということで音程が甘い部分があったり瑕疵を探せばないこともないのですが、期待の新星だったパヴァちゃんのベル・カントに惹きこまれます。声はいくらでも出る感じだし歌のフォルムは端整だし、何より真摯に、いい意味で一生懸命歌っている感じが、このテバルドと言うキャラクターに合っていて良いと思います^^ここでは本来メゾのロメオをテノールのアラガルが歌っているため、ロメオとテバルドの重唱がテノール2本の重唱になる訳ですが、これがまた素晴らしい!当時新鋭だった2人の直接対決と言う非常に貴重な記録でもあります。スコットも鬼気迫る歌唱でブラヴィッシマ!

・オロンテ(G.F.F.ヴェルディ『第1回十字軍のロンバルディア人』)2015.9.9追記
ガヴァッツェーニ指揮/ライモンディ、スコット、グリッリ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1969年録音
>歳をとってからのアンダーソンやレイミーとのスタジオ録音もありますが、こちらの方が圧倒的にいいです。もっと言えばこの役の歌唱としても、ちょっとこれ以上のものは考えられないぐらいの天晴な歌唱。この頃はいくらでも声が出たのではないかと思うゆったりたっぷりとした余裕のあるパヴァちゃんの声が、この役に与えられた優美な旋律にドンピシャでハマっています。この時期のライヴにしては珍しくカバレッタを繰返している上、2度目の高音の豊かなこと!死の場面の声での演技も巧みです。知的な歌唱で全体を引っ張るライモンディ、迫力あるスコット、脇ながら充実したグリッリという強力なメンバーにガヴァッツェーニがアツい音楽を付けています。この演目ではいちばんのおススメ!

・エルヴィーノ(V.ベッリーニ『夢遊病の女』)2019.12.27追記
ボニング指揮/サザランド、ギャウロフ、D.ジョーンズ、トムリンソン、ブキャナン、デ=パルマ共演/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団&ロンドン・オペラ合唱団/1980年録音
>演目自体そんなに好みでないこともあり、最初に聴いた時にはそこまでいいと感じなかったのですが、最近改めて聴きこんでみて彼のベルカント歌手としての持ち味がよく活きている演奏だと思いました。この役を歌うのに充分な軽さがありつつ、ずっしりと中身の詰まった響きには抗しがたい魅力があり、とりわけ2幕冒頭のアリアは名唱でしょう。サザランドもいつもながら本領を発揮していますが、ここで優れているのはギャウロフで、重厚なバスで驚くほど優雅にやわらかく、そしてフットワーク軽く歌っています。カバレッタは特筆すべきものでしょう。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第十四夜/高貴さに包まれた暗い情熱~

今回はヴェルディを歌うために生まれ、僅か44年の生涯を駆け抜けた不世出のバリトンの話をしましょう。

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Il Conte di Luna

エットレ・バスティアニーニ
(Ettore Bastianini)
1922~1967
Baritone
Italy

間違いなく伊国が生んだ最も偉大な歌手のひとりでしょう。
分厚くて力強い声質、優れた歌唱力、恵まれた容姿と三拍子揃った藝術家である彼が、伊国本国はもとより世界中で絶大な人気を誇ったのは言うまでもありません。死後40年以上経った今日でも「バスティアニーニこそ最高のバリトンである」というひとは後を絶ちませんし、私自身もいくつかの役については実際にそう思います。

もともとはバス歌手としてキャリアをスタートしましたが、途中でバリトンに転向。結果としてこれが功を奏し、彼はたちまち引く手あまたの人気者になります。マリオ・デル=モナコやレナータ・テバルディを初めとする多くの名歌手と競演を重ね、後生の我々にとって非常に幸福なことに、たくさんの録音も残しました。

しかしバリトンとしてはまさにこれからが円熟期という40代に入って咽頭癌に。歌手として命より大事な声を守るために彼は外科的治療ではなく、当時最高の技術だった放射線療法を選びます。しかしその努力も虚しく、声の輝きを少しずつ失って、40代半ばで事実上の引退。亡くなったのはその2年後のことでした。

<演唱の魅力>
彼は非常に立派な声を持っていました。
まずはこのことが非常に重要です。分厚くて豊かで、天鵞絨のようになめらかな声。いかにも伊国的な非常に抜けの良い声。そしてどこか高貴な気品を感じさせる声。彼の声への讃辞はここではとても書き尽くすことができないでしょう。

但し、個人的には彼の声は非常に高貴でヒロイックではあるけれど、決して明るい声ではないと思います。
むしろ高貴なのに明るい声でないということが大事なのです。

オペラにはたくさんの貴族、そして場合によっては国王が登場します。そうした役柄を演ずるためには当然ながら然るべき高貴な雰囲気が大事になってきます。「~~公爵」とか「~~王」とか言っているのに、雰囲気がいかにも下衆な感じだったりすると観ている方、聴いている方としては非常にがっかりするわけです。しかしそうは言いながら、あんまりお行儀が良すぎるのも困りもの。と言うのも、オペラのなかのドラマをより面白く、求心力を持って進めていくためには登場人物たちの少なからぬ感情の吐露が必要で、それがいまひとつでも聴衆としてはつまらない。特にバリトンという役はドラマ全体の狂言回しになっていることが多い。何か陰謀や策をさまざまな理由で弄している役回り。そしてその裏には人知れぬ情熱が息づいている…こうした役を演じて行くにあたってバスティアニーニの声は最適なものであるといえると思うのです。

再三述べているとおり彼の声は素晴らしく高貴です。貴族の役回りで登場してきて全く聴覚的にも、そして視覚的にも全く文句がない。非常にびしっと決まっていて格好良いし、その圧倒的な声量も大変な魅力になっている。けれどもそうした高貴さでくるまれているけれども、彼の声の暗さは、その裏側に渦巻いているさまざまな想い、それこそ執拗なまでの情熱を感じさせるのです。こうした雰囲気は明るいだけの美声では絶対に出すことができないでしょう。何とも言えない見事な陰翳に富んだ彼の声だからこそ出せる味わいだと思います。

そしてそのことは彼のレパートリーの中心がG.F.F.ヴェルディの諸作品であるということからも伺えます。彼の演技と言うことについては優れていたという意見とそうでもなかったという意見と真っ二つに別れていますが、それでも彼が卓越したヴェルディ歌いであることを否定するひとは殆どいないでしょう。そのことは少なからず彼の声質にかかることであると僕は考えています。

声のことが中心になってしまいましたが、彼の歌の美しさもまた特筆に値します。完璧なフレージング、流麗な歌い回し、声色の使い分けなど絶品です。うえで述べてきたような「素材」を見事に一級品に仕上げて我々の前に出してくる腕を、彼は持っていました。もちろん、だからこそ死後これだけ経っても彼の名声が衰えていないのです。

<アキレス腱>
さて述べてきたように歌唱も見た目もものすごくかっこいいバスティアニーニですが、ここで個人的にはブランの時に似た問題を抱いてしまうのです。つまりかっこよくない役回りを歌ったときの違和感がどうしても拭えないんですよね(^^;このあたり演技については意見が分かれているという話と繋がってくるのかもしれません。歌唱そのものは立派なものだと思うんですけどね…

あと、G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』のフィガロの録音も残してるんだけど…“私は町の何でも屋”だけをコンサート・ピースとして聴く分には悪くないですが、全曲で聴くとかなりの違和感。ヴェルディに適した油気の多い声で軽やかなロッシーニっていうのは、特にロッシーニ・ルネサンス以降を知っているとツラいものがあります。頑張っておどけて見せるんだけど、むしろ怖い……『暫』の隈取で太郎冠者やられてる感じといったら伝わりますでしょうか(笑)

<音源紹介>
・ルーナ伯爵(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)
クレヴァ指揮/ベルゴンツィ、ステッラ、シミオナート、ウィルダーマン共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱/1960年録音
>バスティアニーニと言えば、この極めつけのルーナ伯爵を上げない訳にはいかないでしょう!これは全てのこの曲の録音の中でも最良です。絶対のオススメ。ヴェルディ作品随一の色仇の抑えきれない暗い情熱を、伯爵の貴族としての高貴さを決して失うことなく表現しています!特にこの録音はライヴならではの超ハイ・テンション歌唱が楽しめます(笑)シミオナートのところでも言いましたが、ここでの2人の対決は聴きもの。折り目正しいベルゴンツィも吠えていて、火傷するようなアッついヴェルディです。

・ドン・カルロ・ディ=ヴァルガス(G.F.F.ヴェルディ『運命の力』)
モリナーリ=プラデッリ指揮/デル=モナコ、テバルディ、シエピ、シミオナート、コレナ、デ=パルマ共演/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団/1955年録音
>不滅の名盤。ここまでのキャストはもう集めることはできないでしょうね(^^;これも貴族としてのふるまいの中に包まれたカルロの復讐への妄執を見事に歌い上げています。こういう端正なようでいて異常な執念に燃えているような役になるとバスティアニーニは嵌りますね、やはり。特にデル=モナコとの決鬪の場面は手に汗握るもの。

・レナート(G.F.F.ヴェルディ『仮面舞踏会』)
ガヴァッツェーニ指揮/ポッジ、ステッラ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1960年録音
>ここでは妄執ではなく信じていたものからの裏切りに心が歪んでいくひとりの男の悲哀を感じます。特に有名なアリア“お前こそ心を穢すもの”は絶品。ドラマティックに怒りを爆発させる前半と、朗々とした歌声の中で、静かに静かに泣いている後半の対比が見事。ステッラの品のある雰囲気も素敵だし、ポッジの明るい声も魅力。

・ポーサ侯爵ロドリーゴ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
サンティーニ指揮/ラボー、ステッラ、クリストフ、コッソット、ヴィンコ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1961年録音
>これもまた不滅の名盤。大スター揃い踏み、しかも大変乗っているという素晴らしいスタジオ録音。ロドリーゴは悪玉ではありませんが、実はかなりの策士ですから、バスティアニーニのキャラクターにはやはりあっています。そしてここでの死に様は本当に感動的。ラボーとの声の相性もばっちりで、友情の2重唱は、いくつかある彼の同役の録音の中でも最良のものだと言っていいでしょう。現在入手困難なのが残念。

・バルナバ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)
ガヴァッツェーニ指揮/チェルケッティ、デル=モナコ、シミオナート、シエピ共演/フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団&合唱団/1957年録音
>これも難役ですが流石、というところ。役柄としては密偵なので、下卑た感じの人がやってしまうと物凄く下卑たキャラクターになってしまいますが、与えられた歌が立派なので、彼のような声の人が演じると、また違ったバルナバ像が見えてくるようにも思います。比較的マイナーな演目ではありますがこの作品は名盤が多く、これも伊ものが好きなら必聴の音盤と言えるでしょう。

・カルロ・ジェラール(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)
ガヴァッツェーニ指揮/デル=モナコ、テバルディ共演/サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団&合唱団/1959年録音
>この役もバスティアニーニなくしては語れません。ジェラールの場合は貴族ではなく仏革命で成り上がっていくキャラクターなのですが、その役柄の中の悲哀を良く出していると思います。声の威力は全く圧倒的で、彼の渋い魅力にいちころになること請け合いな録音です。伊ものの脂っこい音楽を思いっきり聴きたいときには、全力でおススメできます。

・スカルピア男爵(G.プッチーニ『トスカ』)
ガヴァッツェーニ指揮/テバルディ、ディ=ステファノ、ザッカリア共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1958年録音
>ここでもトスカを狙う男爵の凄まじいまでの執念が伝わってきます。個人的にはこの役はゴッビの鬼のような演技が最高だとは思うのですが、彼は彼で全く別のスカルピア――ダンディな貴族としての容貌の下に暗い情熱を潜ませた悪役のイメージを打ち出していますね。テバルディ、ディ=ステファノもここではライヴらしいブチ切れた演唱で楽しませて呉れます(笑)

・アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
サンツォーニョ指揮/スコット、ディ=ステファノ、ヴィンコ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1959年録音
>バスティアニーニは思いっきりヴェルディ声ではありますが、実は結構ドニゼッティでもいい録音を残しています。やっぱりドニゼッティはヴェルディ以前ではバリトンに重きを置いていた人ですしね笑。本当にエンリーコは最悪な奴だと思うのですが、それを彼一流の気品とどす黒さを以て演じています。カッコいいんだわ、これが笑。

・アルフォンソ11世(G.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』) 2014.10.31追記
エレーデ指揮/シミオナート、ポッジ、ハインズ共演/フィレンツェ5月音楽祭交響楽団&合唱団/1955年録音
>何故だか暫く廃盤だった名録音。気位の高い王様の役とくれば、やはり彼を抜きに語ることはできません。品格のある佇まいで色仇をダンディに演じており、背筋の伸びた歌唱が堪らないです。その2枚目ぶりは数あるこの役の録音の中でもベストと言っていいのでは。同じく格調高いシミオナート、堂々たるハインズ、伊国らしいポッジなど共演陣も◎

・ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』) 2014.10.31追記
ミトロプーロス指揮/デル=モナコ、クリストフ、チェルケッティ共演/フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団&合唱団/1957年録音
>ミトロプーロスの指揮が火を噴き、強烈な歌唱陣がテンションの高い歌を披露した爆演!バスティアニーニは実にスタイリッシュにこのトンデモな王様を演じています。高貴な空気を漂わせながら異常なテンションの高さをも感じさせるこの歌唱は、まさにヴェルディ・バリトンの鑑と言ってもいい凄演と言うべきものでしょう。特にあの名アリアはまさしく至藝!デル=モナコ、クリストフ、チェルケッティもまた完全燃焼していて、音の悪さなど気にならなくなってしまう凄まじい記録です。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第十三夜/“歌う俳優”の伝説~

さて、漸く次のクールです(^^;
今回はひとつの時代を代表するような歌手を特集していきたいと思います。炎上しないと良いな……というか書けるのかな(笑)

*********************

このテーマに沿うようなバス歌手と言えば、やはりこのひとでしょう。

FeodorChaliapin.jpg
Boris Godunov

フョードル・シャリャピン
(Feodor Chaliapin, Фёдор Иванович Шаляпин)
1873~1938
Bass
Russia

はい、ほぼ100年前のひとですね(^^;
ちょっと大昔過ぎて俎上にあげるのはどうかという意見もありそうですが……やはりオペラを語るうえでは欠かせないと思いますので。
当たり前ですがラフマニノフとかマスネー、或いはプッチーニなどは同時代人です(笑)

М.П.ムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』や『ホヴァンシナ』、Н.А.リムスキー=コルサコフ『プスコフの娘(イヴァン雷帝)』などの露ものがいまに至るまでレパートリーとなっているのは彼の功績です。また『タイス』の“瞑想曲”で有名なJ.E.F.マスネーは彼のために『ドン・キショット(ドン・キホーテ)』という作品を書いてますし、同じ『ドン・キホーテ』を題材にした映画にも主演しています。

それほどのひとなので殆ど伝説的な逸話もたくさん残っています。
例えば彼は100年も前の人なのにかなりの量の録音が残っているのですが、一方で録音を嫌ったと言われています。というのも、録音をすることによって歌手の命である声を失うと言う迷信が当時はまだ汎く知られており、彼もそれを信じていたと言うのです。だから彼は必ず十字を切ってからでないと録音をしなかったとか。

多くの方にとって見ると「シャリャピン・ステーキ」とか「~~のシャリャピン風」という料理の名前のイメージの方が強いかもしれませんが、これは日本でしか通じません(^^;というのも来日した時に入れ歯の不具合(このへんが割といろんな情報が飛び交っていて虫歯とか歯槽膿漏なんていう説もあります)のために当時の帝国ホテルの料理長が考案したのが一般に「シャリャピン・ステーキ」といま日本で言われているものだからです。

<演唱の魅力>
さて100年もたった今も彼が素晴らしい歌手として認識されているのは何故でしょう。伝え聞くところによれば彼はもちろん卓越した美声を持っていたそうです。しかし流石に今現在残っている録音を聴く範囲では、その真価を知ることは難しいように思います。

しかし100年前の録音を聴いても我々が彼の演唱で感動をするのは間違いないことでしょう。それは恐らく彼のもうひとつの特色“歌う俳優”とまで言われた卓越した演技力に拠るものだと言えるのではないでしょうか。録音を聴いているだけでもその演劇的な表現力には圧倒されます。あたかも我々の目の前にボリスやドン・キショット、或いはメフィストフェレがいるのではないかと感じさせるような演唱。それはときに楽譜に書かれていることから大きく逸脱しているように思います。言ってしまえばそれは禁じ手な訳ですが、それでも妙に納得させられてしまう。それがやはりこのひとの凄いところなのかなと。

完全に「演技派」としての部分に重点を置いた紹介になってしまいましたが、もちろんそれは彼の秀でた歌唱技術を下敷きにしたうえでのものです。やっぱり息も凄く長いし、フレージングなんかも絶妙。これほど歌えるひとが敢えて崩して演技をしていく、そのギリギリの匙加減が多くの人を感動させていくのでしょう。

彼の亜流みたいな歌手はたくさんいますが、彼だからこそできることをを真似したところで何となる、と思うことしばしばです。

<アキレス腱>
前提条件として録音は良いとは言えませんので、それに耐えられないと先に進めません(苦笑)

次いでここまでも書いている通りかなり歌い崩したような表現をするので、それがその曲を表現するうえで本当に適切なのかは――それを聴いて感動するかどうかとは全く別口の問題として――考えてみなければいけない問題なのではないかと思います。マリオ・デル=モナコのスタイルを良かれとするひとと時代遅れとするひとたちがよく喧嘩になりますが、ある時代に良いとされた在り方が永久に不滅であると言うことはあり得ない筈ですから、彼の記録についても冷静に捉えることが必要でしょう。

<音源紹介>
・ボリス・ゴドゥノフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
・ドン・バジリオ(G.ロッシーニ『セビリヤの理髪師』)
・メフィストフェレス(C.F.グノー『ファウスト』)
・ファルラーフ(М.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』)
・ガーリチ公爵ヴラジーミル・ヤロスラヴィチ(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)
>ヒストリカルな時代の人ではありますが、意外と録音は残っています。と言っても、全曲はありませんが(^^;探すと結構アリア集とかも出ていますが、一通りの彼の藝を楽しめるという意味では『フョードル・シャリアピンの芸術』というCDで上記のすべてが聴けるのでおススメです。彼の“歌役者”としての本領を間違いなく最も発揮しているボリス、本当にこのひと録音怖がったのか疑いたくなるぐらい楽しく歌っているバジリオ、諧謔味たっぷりのメフィストに、余裕綽々で難曲を歌いこなすファルラーフ、豪快なガーリチ公と聴き較べて楽しむにはもってこいの1枚です♪
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第十二夜/今世紀最初の名花~

さていま注目の歌手を紹介してきた第2クール、最後はいまのオペラ界を語るうえでは欠かすことのできないひとに登場していただきましょう。

AnnaNetrebko.jpg
Lyudmila

アンナ・ネトレプコ
(Anna Netrebko, Анна Юрьевна Нетребко)
1971~
Soprano
Russia

もともとはロシアのマリインスキー劇場で下働きをしながら歌の勉強をしていたとか。
聴けばわかりますが下働きにはもったいない歌唱力を持ってますし、見ればわかりますが下働きにはもったいない容姿も持ってます。最初のころは「(声の)線が細くてオペラは無理」なんてことも言われていたそうです。
いまや世界中で活躍している彼女を見て、これを言ったひとはどう思っているのでしょうか…

高名なヴァレリー・ゲルギエフがМ.И.グリンカの『ルスランとリュドミラ』を演奏するにあたって、当時既に有名だったガリーナ・ゴルチャコーヴァを押さえてリュドミラ役に大抜擢を受けたのが基本的にはこのひとのキャリアの転換期でしょうか。

その後はW.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』のドンナ・アンナ役で一時期名を馳せ、「アンナはアンナ」なんて言われた時期を挟み、いまはベル・カントものやヴェルディにも進出しています。

<演唱の魅力>
このひとも前回のドマシェンコ同様綺麗なひとなのでまず舞台映えは抜群、露的な暗めの美声も第一級のものだと思うし、歌唱力も抜群だとは思います。が、彼女がいま世界で引っ張りだこなのはそれらの諸条件よりなによりその演技力によるところなのかな、と言う風に個人的には思っています。

例えばV.ベッリーニ『清教徒』のエルヴィーラ。ネトレプコの場合必ずしもこの役に合っている声だとは思わないのですが、この作品のハイライトと言える最大の見せ場(そして最大の難所)、“狂乱の場”での体を張った表現には思わず惹きこまれました。焦点の定まらない虚ろな目で舞台上を彷徨い、オーケストラピットに髪をたらし寝転がり…なかなかあそこまでやってくれるひとはいないと思います。そしてノッているときには寝転がるようなとんでもない姿勢でも崩れることなくきちんと歌いきる、その歌唱力にはたと気づくと、そこについても我々は改めて感嘆するのです。演技の話を先に出してしまいましたが、大前提として彼女は本当に歌心のある歌手であり、緻密で美しい歌をうたうことができる人です。技巧ではなくて、歌がうまいという印象。

音源で聴く、ということを考えればやはり彼女のお国の露ものをオススメしたいと思います。露国の作曲家のマイナーなオペラって実は(?)かなり名曲が含まれていると同時に相当難しいパッセージを含んでいたりするんです。かつての西側の名手たちは主に言葉の問題でそうした難しいマイナーな曲には取り組めていない部分もあるし、逆に東側の名手の録音は今の我々の手には入りづらかったりするので、そういう意味でも彼女の存在は貴重。暗めの声で情感たっぷりの露的抒情を歌われるとぐぅっと来ます。

<アキレス腱>
その卓越した演技力(と容姿)でいろいろなものをカヴァーしながら最近は伊もののさまざまな作品で活躍を続けている彼女ではあるのですが、個人的には彼女の本質はやはり露国の作品にあると私は個人的には考えています。先程挙げたエルヴィーラのように、確かに大変見事だと思わせるものもある一方で、伊ものでは正直微妙だなというものもあります。やはり満遍なく感心するのは露もの。本来的には伊ものに求められているような明るい声質ではなく、より陰影に富んだ露ものっぽい声だからでしょう。

また最近は役として魅力的なのはわかるけどテクニックのうえでもう少し研鑽の必要を感じることもありますね(苦笑)
ちょっと前に大当たりを取ったのですがG.F.F.ヴェルディ『椿姫』のヴィオレッタは共演のロランド・ヴィリャソンやトーマス・ハンプソン、そして演出ともども私としては「なんでこれがこんなに当たったのかわからない」というような出来でした。暗い声質がやっぱり引っかかるしアジリタ(細かい音符で書かれた装飾的な歌唱)も甘かったと思うし。
嗜好というのは変わるもので、この記事を最初に勝てから幾星霜、ようやっとこの公演の良さをわかるようになってきました。ある種の心象世界として優れた舞台だと今は思います(とはいえ、ネトコさんのアジリタはやはりいまいちなのですが/2020.7.4追記)

<音源紹介>
・リュドミラ(М.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』)
ゲルギエフ指揮/オグノヴィエンコ、ジャチコーヴァ、ベズズベンコフ、ゴルチャコーヴァ、プルージュニコフ、キット共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団/1995年録音
>彼女が最初に当たりを取った役ですね。ベラ・ルデンコやヴェーラ・フィルソヴァのような伝統的なリュドミラ役に求めらてきた声から比べると重いのは確かですが、僕個人としてはこのぐらいの声でやった方がこの役に関してはより淑やかな感じが出ているような気がして好きです。心なしかここでのアジリタの方が伊ものでのそれよりも達者に聴こえますし(楽譜が簡単なのかな…大曲揃いではあるけど^^;)序曲のみが有名で全体にあまり演奏されない曲目ではありますが、いざ聴いてみると素晴らしい音楽が次から次に飛び出します(長いのは確かですが笑)。勇壮なオグノヴィエンコ、超高難度のロンドを猛烈な勢いで歌うベズズベンコフ、豊かなアルトを響かせるジャチコーヴァはじめ共演も揃っていますし、ゲルギエフのトップスピードでの序曲も楽しめます。名盤。

・エルヴィーラ(V.ベッリーニ『清教徒』)
サマーズ指揮/カトラー、ヴァッサーロ、レリエ共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/2007年録音
>これは全曲観れてるわけではありませんが、上述の通りこの役の狂乱の場は彼女が歌った伊もののなかでは最良の部類に含まれるものだと思います。演技が秀逸!歌唱については、この人はコロラテューラの技術がいまひとつなので、もっと頑張ってほしいとも思うのですが、意外と狂乱の場の映像は、演技がいまいちなものが多いように思うので、そういう意味ではこういう楽しみ方ができるのは貴重だったりも。

・ナターシャ・ロストヴァ(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)
・白鳥の王女(Н.А.リムスキー=コルサコフ『皇帝サルタンとその息子栄えある逞しい息子グヴィドン・サルタノヴィッチ、美しい白鳥の王女の物語』)
・イオランタ(П.И.チャイコフスキー『イオランタ』)
ゲルギエフ指揮//サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団/2006年録音
>あまり歌って呉れていないのですが、基本的にはこのひとは露ものの方がいいかなと思っています。そういう意味ではこれら露ものの超マイナーなナンバーが収められている『ロシアン・アルバム』はおススメ。ナターシャは万人受けする曲ではないと思いますが、何とも言えないこの頽廃した感じによく声が合っていると思います。 熊蜂の飛行でのみ有名なサルタンからのアリアもなかなか聴くことのできないレアものを、ネトレプコの歌で聴けるのは有難いです。そしてイオランタがとっても素敵なんですよ!チャイコフスキーの抒情的な旋律をゆったりと歌いあげています。
(2015.5.1追記)
・イオランタ(П.И.チャイコフスキー『イオランタ』)
ヴィヨーム指揮/スコロホドフ、コヴァリョフ、マルコフ、メアヒム共演/スロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団&スロヴェニア放送合唱団/2012年録音
>待ちに待ったネトレプコの『イオランタ』全曲です!先のアリア集では清新な印象を残す名演を残している彼女ですが、ここではキャリアを重ねて更に充実した声と表現力で全編非常に集中力の高い歌を披露しています。冒頭から彼女のアリアまでの僅か10分程度の間だけで、オペラの醍醐味をフルに味わったような満足感を与えてしまう力量にはただただ圧倒されますし、そのテンションのまま全曲聴かせてしまうのですから大したものです。前述のアリアも素晴らしいですが、ヴィヨームの指揮も相俟ってイオランタが手術を決意する場面の決然とした歌いぶりが実に感動的です(平均点の高いゲルギエフ盤ですがここはさらっと流してしまっていて、実はあまり印象に残っていませんでした^^;)。指揮者や共演陣は必ずしも有名どころではないのですが、いずれも大変素晴らしいです!男声陣の適度な重みのある声と役柄にあった演唱もお見事ですが、特筆すべきはヴィヨームの指揮。全く露的でこそありませんが、チャイコフスキーの西欧的な面が非常に強く感じられ、全体に洗練された雰囲気を湛えています。不滅の名盤。
・ナターシャ・ロストヴァ(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)2015.7.13追記
ゲルギエフ指揮/フヴォロストフスキー、グレゴリヤン、バラショフ、リヴィングッド、レイミー、ゲレロ、オブラスツォヴァ、オグノヴィエンコ共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/2002年録音
>こちらもようやっと聴きました!随分と若いころの歌唱です。ごく最近のイオランタでの濃厚な声に比べるとかなり軽い声。しかし、ナターシャの魅力的でありながら若い娘らしい移り気で不安定でどこか落ち着きのない儚さ(そしてそれは彼女の魅力と表裏一体なのです!)を考えるとこれ以上のものはないように思います。かなりのカットのあるオペラではナターシャの酷い女っぷりが増してしまっているのですが、それがネトレプコが歌うとマイナスにならない。実に魅力的に聴こえてしまうんですね。まさにナターシャそのものと言ってもいいのでは。そして彼女に相対するのがフヴォロストフスキーの極め付きのアンドレイ!悲哀と虚脱感を纏いつつも有能で情熱的な人物を、ほとんど素で演じています。グレゴリヤン他無敵艦隊ですが、特にゲルギエフ率いるオケと合唱は出色。大河ロマンの世界を体感させてくれます。

・ルサルカ(A.ドヴォルジャーク『ルサルカ』)
・ムゼッタ(G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)
ノセダ指揮/WPO/2003年録音
>これらもアリア集『宝石の歌~ヤング・オペラ・ヒロイン』で1曲ずつしか聴けない役ですが、彼女の適性に良くあっていると思います。どちらかというと現代のプリマ・ドンナ的な良くも悪くもスターっぽい振る舞いが注目されがちな彼女ですが、意外とルサルカのような役をしっとりと歌いこむ方が得意なのではないかと思います。また、近年はミミをよく歌っているようですが、本当は彼女みたいな人がムゼッタを歌ったら理想のムゼッタを聴くことができるのかもしれないと思わせるワルツをここでは披露して呉れています。全曲歌って呉れないかなぁ…。

・ジュリエッタ(V.ベッリーニ『カプレーティとモンテッキ』)(2012.10.17追記)
ルイージ指揮/ガランチャ、カレヤ共演/WPO&ヴィーン・ジング・アカデミー/2008年録音
>女声ばっかりだもんで敬遠してたんですが聴いてみてものすごく反省しました。これは世の中に稀にある、「とりあえずいいから黙って聴いてみろ」というレベルの超名盤です。ネトレプコの声はジュリエッタには芳醇すぎるきらいもありますが、しっとりした魅力を出すのに一役買っています。そしてこういう技巧ではなく純粋で歌を聴かせるものになるとやっぱりこの人は凄い歌手なんだなと思わされます。瑕疵はあるものの、ベッリーニの紡ぎ出した旋律美を十分に表現しています。

・アンナ・ボレーナ(G.ドニゼッティ『アンナ・ボレーナ』)2018.8.10追記
ピドー指揮/ガランチャ、ダルカンジェロ、メーリ、クルマン共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/2011年録音
>こちらも漸く観ることのできた映像。今楽しむことのできるこの作品の映像ディスクの中では最良のものではないかと思います。何度か述べている通り彼女は超絶技巧の人ではないので、音だけ取り出すと転がしには不満が出そうな気もしつつも、アンナがあらぬ罪をかけられる1幕フィナーレ以降のパフォーマンスは驚異的な集中力で、ぐいぐいと引きつけられます。他方で徒らにドラマティック路線というわけではなくppですっと延ばす高音など実に美しく、思わず陶然と聴いてしまうところ。狂乱での多面的な表現も見事ですが、白眉はガランチャとの重唱でしょう。この2人はそもそも相性のいい歌手ですが、ここでの緊迫感のあるやり取りは最高。ダルカンジェロは見た目も歌も素晴らしいのですが、この公演ではカットが多く美味しい部分がだいぶ削られてしまっているのが残念です(この演目ではよくあるのですが)。メーリほか脇の面々も◎。この演目に最初に触れるのにいいディスクかもしれません。

・レオノーラ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)
・エリザベッタ・ディ=ヴァロア(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)(2015.4.20追記)
ノセダ指揮/ビリャソン共演/トリノ王立歌劇場管弦楽団/2012年録音
>いよいよ彼女がこの領域に乗り出したか!という感じですね^^満を持して発表されたヴェルディ・アリア集、大変完成度が高く濃密で充実した歌が最高です。本来技巧はそこまででもなく、むしろその歌心の確かさで勝負するのこそが本領の彼女が、これまでむしろ苦手そうなベル・カントを中心にレパートリーを形成していたのは、声の熟成を待っていたからなんだろうなあとしみじみ思います。中でも素晴らしいのがこのふたつ。レオノーラはやっぱりカバレッタはややしんどそうなんだけれども、結構聴かせるのが難しいカヴァティーナが物凄くいい!こってりとした味わいのある響きが堪りません。そして、アリア集などを含めて彼女が歌ってきた中でも最も重たいレパートリーであろうエリザベッタ!肉厚でしっとりした響きの声であの長いアリアを一気に聴かせてしまう力量は流石です。いまエリザベッタを実演でやっている人たちよりもヘタするとよっぽどいいかもしれません(や、フリットリがいるか笑)。『ドン・カルロ』は是非全曲入れて欲しいし、これなら『運命の力』もいけるのでは!そんな期待の膨らむアリア集です^^
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かはくの展示から~第2回/デイノテリウム~

このblogは国立科学博物館の公式見解ではなくファンの個人ページですので、その点についてはご留意ください。

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デイノテリウム
Deinotherium sp.
(地球館地下2階)
121008_1623~01

2回目はちょっとマニアックな展示物を。
地下2階の絶滅哺乳類の展示の中の、絶滅したゾウの仲間(長鼻目)のゾーンにいる、かなり変わった生き物です。
ちなみに「ディノテリウム」や「ダイノテリウム」という表記も目にしますが、これは誤り。

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何と言っても風変わりなのは、その容貌でしょう。
下顎の牙はかなり異様で、何に使ったのか議論の出るところ。胸の側に反り返っているという形状の点でも十分不思議ですが、実は他のゾウの仲間の牙はどの種類も上顎に生えており、その点でも一風変わっています。
かはくの解説では、樹木の皮を剥がすのに使ったという説を採用しています。

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ゾウの仲間と言いながら、その顔は牙以外の部分を取ってみても、随分と現生のゾウとはかけ離れたもの。気になる方は、是非実際展示に赴いて、近くにあるコロンビアマンモス(所謂ゾウ顔です)と較べてみてください。よくこれで近い仲間と分かったもんだと思われるかもしれません。これだけ骨が違うと、今我々がイメージするゾウとは全く異なる顔をしていたと考えて間違いないでしょう。
但し、鼻の穴が高い位置にあることからゾウ同様長い鼻を持っていたのではないかと考えられています。

121008_1625~01

マンモスなどと較べると、歯もかなり原始的です。

かはくに展示してある標本は独国シュトゥットガルトの博物館で展示されている標本のレプリカです。
レプリカというのは簡単に言ってしまえば複製で、本物の標本から型を取って作り、色も本物と同じになるように塗ります。化石に限らず本物の資料は数が限られる貴重なものなので、研究のため、そして博物館に於いては展示のためにこうしたレプリカを作成します。
きちんとした記録のある標本のきちんとしたレプリカには、本物の標本と同様の研究的価値があります。
つまり、いつどこで誰が見つけたなんという生き物の標本をもとに、いつどこで誰が云々という契約で作成したレプリカを使って研究すれば、それは実物を使って研究したのと同等と見做されるのです。
このデイノテリウムの標本は、かはくの先生がかなりの苦労をされて作ることのできたレプリカだと伺っており、世界を探しても何体もないものです。

かはくに来た際には、是非足をお運びください。

<参考>
新版絶滅哺乳類図鑑/冨田幸光:文/伊藤丙雄・岡本泰子:イラスト/丸善株式会社/2011
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第十一夜/新世代のカルメン~

メゾは最近良いひとが多くて実際どのひとを今回紹介しようかかなり真剣に悩みました(^^;
ボロディナやザージックも良いし、新しいひとだとガランチャなんかも素晴らしい…で、結局のところ今回はこのひとにしてみました。

MarinaDomashenko2.jpg
Carmen

マリーナ・ドマシェンコ
(Marina Domashenko, Марина Владимировна Домашенко)
1979〜
Mezzo Soprano
Russia

生年は公開していないようですが、凄く若い世代のひとであることは確かかと思います。 最近になってWikipedia等で確認できるようになりましたね。

大変な露国美女です。オペラは総合芸術ですから、視覚的に美しいと言うことはそれだけでも大特典です。特にいまは映像ソフトが出回る時代ですからこの部分は非常に大きい。

そして、もちろんそれだけではございません。

<演唱の魅力>
その美貌から想像するよりも遥かに太い豊かなメゾ、というよりもほぼアルト声です。それはもう、こんな綺麗なひとがこんなドスの効いた低音質の声が出るのかと驚かざるを得ません。露国や東欧に特有のビロードのような耳触りの非常にしっとりとした声質。上から下まで十分に響く声、均一な声に聴こえるというのも魅力です。

で、そうするとどんな役で人気が出るかと言えば、やっぱりファム=ファタール(宿命の女)といった感じの役回り。そもそもメゾと言うのはそう言った役が多いので、そうなるとこれからは彼女の独壇場とでも言うべき活躍が期待できる訳です。例を挙げるならばやっぱりG.ビゼー『カルメン』の題名役、そしてC.サン=サーンス『サムソンとデリラ』のデリラ役あたりが最初にあがってくるでしょう。20世紀にアグネス・バルツァやリタ・ゴールあたりが輝かしい業績を残していった分野に、21世紀は彼女が新たな金字塔を打ち立てて呉れるのを、個人的には期待しています。
特にカルメンは素晴らしい。歌唱のみを取り出した時にはまだ伸びしろがあるようにも思えますが、その雰囲気、仕草と言った部分を総合的に見たときに、彼女のカルメンはベストというべきものではないかと考えています。

何度も述べている通り綺麗なひとなので可哀想な役でもかなり魅せて呉れます。G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』のフェネーナなどは、映像が出たときにかなり話題になりました(ここではアビガイッレを歌うこれも露国のソプラノ烏国の方でした、マリア・グレギーナと好対照をなしたと言うことも言えるかも)。お国もののМ.П.ムソルグスキー『ホヴァーシナ』のマリーナやН.А.リムスキー=コルサコフ『皇帝の花嫁』のリュバーシャなどでももちろん充実した演唱です。

<アキレス腱>
これからはわかりませんがまだ迫力で押していくような役、例えば『イル=トロヴァトーレ』のアズチェーナ、同『仮面舞踏会』のウルリーカ、同『ドン=カルロ』のエボリ公女といったようなG.F.F.ヴェルディの諸役などでは不満が残るかと。『アイーダ』のアムネリスなどはそろそろ歌ってみてもらいたい気もしますが。

G.ロッシーニの作品などでは達者なコロラトゥーラを見せて呉れていますが、抱腹絶倒のあの世界を表現するには至っていないようには思います。と言ってこちらの方向に別に無理して進むこともないようにも思います。

<音源紹介>
・カルメン(G.ビゼー『カルメン』)
ロンバール指揮/ベルティ、アチェット、ダシュク共演/アレーナ・ディ・ヴェローナ管弦楽団&合唱団/2003年録音
>何と言ってもまずこのひとの真価がわかるのはカルメンだと言うべきでしょう。バルツァとはまた違うカルメン像を打ち出していますが、まだまだこれからの発展も期待できるのではないかと思います。こんな目で見られたらたまんないですね。ただこの映像はドマシェンコ以外の歌がもう一つなのが残念。これの他に全曲盤のCDもあって、共演もずっと格上なんだけど、どうにもジョゼがあのひとだからな…というので手を出せずにいるところがあります^^;

・デリラ(C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』)
オルベリアン指揮/ロシア・フィル/2001年録音
このひとを語るうえでは外すことのできないファム=ファタールの役だと思います。色々な歌手がチャレンジしていますが、こういうビロードみたいな声でやることで本来の良さを引き出せる役であって、このひと以外ですとゴールやバンブリーあたりが本命でしょうか。これは現状だとアリア集で楽しむことができますが、このアリア集では彼女の藝の広さを窺うことができます。当然露物も最高。

・フェネーナ(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』)
ルイージ指揮/ヌッチ、グレギーナ、プレスティア、M.ドヴォルスキー共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/2001年録音
>かなりハマってます。駆け出しのころにやっていた役ですから最近ではやってくれないでしょうが、これだけヴィジュアル的にも歌的にも優れたフェネーナもなかなか聴けないかなと。演技も巧くて、単純に可哀そうなだけではなく、一癖ある感じもあってとても好きです。この演奏はグレギーナの最高音が出ないのを除けば大変楽しめます。

・ラファエロ(А.С.アレンスキー『ラファエロ』)2016.1.8追記
オルベリアン指揮/ヴィノグラドフ、パヴロフスカヤ、グリヴノフ共演/フィルハーモニア・オブ・ロシア&ロシア精霊復活合唱団/2004年録音
>30分程度と大変短いオペラですが、露的な旋律の美しさを感じられる作品。薄雪のような繊細な美観のある歌を、彼女が濃厚な美声で実にやわらかに歌っています。ズボン役という感じはあまり受けないのですが、ラファエロが精妙なセンスを持った藝術家であることがひしひしと伝わってきます。珍しい作品ということもあり、録音の少ない彼女の魅力を楽しむのには欠かせない1枚と言えるでしょう。共演では若きヴィノグラドフと情熱的なグリヴノフの美声が印象に残ります。付録で彼女が歌うアレンスキーの歌曲が入っているのも嬉しい^^
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第十夜/偉大なる縁の下~

いきあたりばったりにのらりくらりと書いてきたこの企画もついに第十夜に突入しました。折角の切り番なので今回はちょっと趣向を変えて。
ということで書いていたこの記事なのですが、そもそもが10年以上も前に書いたものということもあってどうにもこうにも完成度が高くない内容だったので、全面的に書き直すことにしました。かといってこの新しい内容がハイレベルかというと、そんなこともないとはおもうのですが……。(2019.10.30)

僕自身そうなのですが、どうしてもオペラと言うと目立つアリアやアンサンブルのある大きな役に目が行きます。しかし一方でなかなかどうして大切なのが合唱。素人考えだと「話の流れからすればその他大勢ではないか」とも思ってしまいがちなのですが、このひとたちが演奏面はもちろんのことながら演技の面でもしっかりして呉れないと、公演全体が締りのないものになってしまいます。そういう意味でオペラには脇役はいないと言うことができるのかもしれません。

Chorus.jpg
Gli ebrei

と大風呂敷を広げておいて、ほんとならここでオススメの合唱団とかをご紹介できればカッコいいのでしょうが、残念ながら僕自身は合唱経験も知識も持ち合わせておりませんので、オペラの中での合唱の扱われ方、とりわけ主役として扱われれている合唱を見て行きたいなと思っています。

オペラはそもそもどんなところからスタートしたかと言えば、希国の古典悲劇の復活を意図して始まったという歴史があります。そういう意味で古典悲劇における合唱がどんなものかと言いますと、登場人物が語り得ないものや物語の進行を担うコロスと呼ばれるものでした(もちろんこの言葉がchorusの語源)。こうした役割ですから古い時代のオペラにおいては合唱はどちらかというと無性格なものであり、場面を盛り上げたりする以上の役目を与えられているとは言い難いかと思います。それは例えばW.A.モーツァルトの有名オペラを眺めても、合唱が強い個性を発揮しているものが多くないことを考えても納得できるのではないでしょうか。敢えて言えば『ドン・ジョヴァンニ』の地獄堕ちはあげられますね。

さて伊国において聴きごたえのある音楽と言いますと、G.ロッシーニあたりから漸く登場するイメージでしょうか。それは例えば『モゼ』の祈り“天の玉座から” であったり、『グリエルモ・テル』のフィナーレ“ここではすべてが成長し”であったりといった作品です。ただしどちらも合唱の名曲として取り上げられますが、お聴きになるとお分かりの通りソリストたちに続いて合唱が登場するかたちで、実は純粋に合唱が主役と言う感じではないですね。どちらかというと大アンサンブル。合唱自体が曲の終わりをダイナミックにしていくために入ると言う趣のもので、過去の合唱の役柄としての扱われ方とそう多くは違わないようです。そういう意味では後輩のG.ドニゼッティやV.ベッリーニもあまり大きく変わらないでしょう。
そんな作品が多かった伊国のオペラの合唱でもついに合唱という役柄に個性が与えられた名曲が生まれます。
G.F.F.ヴェルディの『ナブッコ』です。

ここでの合唱は状況説明的な歌詞以上に、民衆としての個性が感じられます。不信心な異国の王に襲われた混乱、裏切り者の同胞への呪いの言葉、神への静謐な祈りなど非常に人間的な感情を持った集団、民衆、大衆というべきもので、6人目の主役と言ってもいいでしょう。とりわけ有名なのは、ヘブライ人の合唱“行け、わが想いよ金色の翼に乗って”です。喪われた祖国への思慕を歌ったこの曲は、ほとんどアリアと言ってもいいような内容だと思います。ちなみに余り知られていませんがこのあとでヘブライの大祭司ザッカリアが登場して歌うアリア“未来の暗闇の中に”でも合唱はソリストとかなり緊密に絡んで再興を誓います。“行け、わが想いよ”に隠れてしまいがちですがこちらも大変な名曲であり、そしてなおかつ難曲。この2曲はカヴァティーナ=カバレッタと捉えることもできるように思います。
“行け、わが想いよ”は、都市ごとに分裂しさまざまな国から攻撃されていた伊国のひとたちと劇中のヘブライ人たちを重ね合わせて大きな共感を呼んだと一般的には言われており、伊国統一運動においても象徴的に使われましたし、今でも彼の国の第2の国歌として(むしろ国歌よりも)慕われているそうです。『ナブッコ』自体は若き日のヴェルディのパワー(と、そしてもろもろの事情)が生み出した非常にエネルギッシュな曲なのですが、そのなかで最も静謐に歌われるこの曲が全曲中の白眉として多くの人々に受け入れられたと言うのはオペラ史のなかでも興味深い出来事として取り扱っていいと思います。

もちろんヴェルディも書き割り的だったりその他大勢的だったりする合唱も書いてはいますが、総じて役柄としての合唱の扱いは興味深いものです。また、『リゴレット』の嵐の音楽では歌詞のない男声合唱によって不気味な場面を盛り立てると言ったようなこともしています。この辺り、後の世代のG.プッチーニなどよりも合唱の扱いは実験的で面白いことをしているように思います。後輩世代で面白いと言えばA.ボーイト『メフィストーフェレ』のプロローグでしょうか。ここでは合唱は天使として登場しますが、部分的には神の声そのものをも歌っています。バスによるソロである悪魔メフィストーフェレに対峙する神が、様々な人々の声の集積である合唱というのは非常に面白いところです。

さて伊国の話ばかりをしてきましたが、少し別の国の作品のお話を。
まずは独ものですがこちらは実のところあまり詳しく存じ上げず……ただR.ヴァーグナーやR.シュトラウスを含めても意外と合唱をキャラクターとして、或いは音楽の面で伊国のように面白く扱っているものは少ないような気がします。もちろんヴァーグナーも『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』での入場行進曲や、『ローエングリン』での婚礼の合唱など有名曲は書いていますし、C.M.フォン=ヴェーバーも『オイリアンテ』のなかで美しい合唱曲を書いてはいるのですが、あくまで僕の知っている範疇でのことですけれども、そこまで役柄としての個性のある合唱はないように思います。敢えて言えばG.フォン=アイネム『ダントンの死』の合唱は、革命に踊らされてコロコロと言うことの変わる大衆というキャラクターを見事に表出しており、印象に残ります。

しかし、この大衆という性格づけを最もうまく合唱に施しているのは仏オペレッタの大家J.オッフェンバックでしょう。彼の作品に登場する合唱は、いずれの作品でもうわべばかり上品に取り繕って、それでいて品性は下卑ている、軽薄な大衆の姿を明確に表しています。『地獄のオルフェ(天国と地獄)』に出てくる神々や『ジェロルスタン女大公殿下』の軍隊のバカバカしい集団っぷりは最高ですが、とりわけ『ホフマン物語』のオランピアの幕やジュリエッタの幕に登場するグロテスクな合唱は忘れられません。明るく軽やかな長調の音楽に乗って、大衆の醜悪な嗜好をものの見事に表現しています。仏ものではG.ビゼー『カルメン』のエキゾチックなロマたちや、『ナブッコ』を思い出させるようなC.サン=サーンス『サムソンとデリラ』のヘブライ人たちなどもそれぞれに個性を感じる合唱ではあるものの、このオッフェンバックの活き活きとした俗世の人びとはそれらを凌駕するインパクトがあると思います。

そして忘れてはならないのが露国です!
露もののオペラの隠れた主役は合唱だと言って憚りません。まずは何と言ってもМ.П.ムソルグスキー!『ボリス・ゴドゥノフ』の冒頭で訳の分からぬままボリスへの賛辞を矯正され、終盤では僭称者に率いられて去っていく農民たちは、混迷の時代の露国を象徴する重要な役割を担っています。この傾向は彼の未完の大作『ホヴァンシナ』ではより顕著です。『ボリス』と比べても明確な主役のいない群像劇であるこの作品では銃兵隊や分離派教徒たちが実に活き活きと描かれており、ホヴァンスキー父子やゴリーツィン公など物語としては重要な人物たちよりも音楽的に魅力があると言ってもいいでしょう。ムソルグスキーはこの作品では、露国を動かそうとした人物たちよりも、それによって混乱に陥った人々にこそスポットを当てたかったのではないでしょうか。先ほどのフォン=アイネムやオッフェンバックが注目したのが大衆ならば、ムソルグスキーは民衆というキャラクターを描いたと言えるかと思います。同じ五人組のメンバーではたくさんのオペラを遺しているН.А.リムスキー=コルサコフの『金鶏』も同じように権力者に振り回される民衆を描いていますし、後輩たちの世代でも、20世紀に入ってから活躍したプロコフィエフなどは超大作『戦争と平和』で合唱に民衆という重要な役割を与えています。

合唱はその他大勢などではなく、作品によってはむしろ主役よりも強い主張のあるパートになりうることが少しでも伝われば嬉しいと思います。
さてさて今回はこのあたりでおしまい。
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