Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第三十四夜/語学の天才~

バスやバリトンがテノールよりは好き、と公言している私ですが、当然ながらテノール歌手にも愛してやまない人はたくさんいます。
初回で登場したヴンダーリッヒはじめこのシリーズで取り上げた人ももちろんそうですし、まだ登場していない人ではアルフレード・クラウス、ジャンニ・ライモンディ、最近はチェーザレ・ヴァレッティもいいなと思っています。最近の人ではアントニーノ・シラグーザが舞台も良かった!
そんな中でもこのひとは凄い!と思っている人を。

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Faust (Gounod)

ニコライ・ゲッダ
(ニコライ・イェッダ)

(Nicolai Gedda)
1925~2017
Tenor
Sweden

リリックで柔らかな美声と、エンターテイメント的なサーヴィスを全面に打ち出しながらも決して“テノール馬鹿”にならない知的にコントロールされた歌唱で知られた、20世紀の音楽史に残る瑞典の名テノールです。
彼の歌は大変整ってもいるのですが、それが崩れる寸前ぎりぎりのところで非常に情熱的でもあります。四角四面の箱の中に納まっている訳でも、やり過ぎで歌の本来の美しさが台無しになってしまう訳でもない歌と言うのは、口で言うのは簡単ですが、なかなかできるものではありません。

また、情熱的と書きましたが、それは伊的な或る意味でアツ苦しい情熱――グレービーソースのかかった、アツアツの、1.2kgはあるステーキのようなアツさ――ではなく、もっと理性のある、どこか都会の若者的な情熱を感じさせます。そしてこうした情熱が活きるのは、仏もの!ゲッダと言えば個人的には仏ものテノールの巨人と言うイメージが、私自身にはあり、彼が歌っている仏ものの歌劇であればまずは外れはないかな、と思っています。

しかし彼がまた凄いのは、ベストが仏ものと言っても、それ以外のレパートリーも全く広大だということです。彼は母語である瑞典語、そして仏語のほかに伊、独、露、英語を遣いこなす、まさに語学の天才と言うべき人物で、いずれに於いても大変優れた歌唱を残しています。これだけ遣えれば当然ながらレパートリーは無理なく広げることができます。見方によってはプラシド・ドミンゴ以上のものだと言ってもいいでしょう。ドミンゴは明らかに自分にあっていない役も歌っていますが、ゲッダはそれこそオテロとかマンリーコみたいなあっていない役はあまり歌ってないでしょうから(笑)

なお、瑞典語に即すのであれば、「ゲッダ」ではなく「イェッダ」が正しいようですが、それじゃ誰だかわからないので、ここではゲッダで通すことにします。

<ここがすごい!>
上述のとおりリリカルで柔らかな美声がまずありますが、彼は自分の声を使いこなす方法を、全くよく心得ていると言えるでしょう。その音楽語法の豊かさには、まさに目を見張るものがあります。
ゲッダの歌を特徴づけているのは、ソット・ヴォーチェの巧みさでしょう。弱音で高音に持っていくときに、彼独特の技術が恐らくあるのだと思うのですが、頭声と胸声の端境にあるような非常に柔らかで、繊細な声を出すことができます。糸を引くような、とでも譬えることができましょうか。この表現を、非常に切ない想いをにさせるようなところで、絶妙に遣います。例えばC.F.グノー『ファウスト』の題名役のアリアやG.ビゼー『真珠採り』のナディールのアリア、このあたりのppの高音はまさに絶品!オペラ・ファン、テノール・ファンを語るのであれば絶対に手に入れておきたい音源でしょう。

ハリのある高音を陶然と響かせてほしいところでは、逆に非常に力強い声を聴かせてくれます。彼の声は非常にリリカルではあるのですが、決して軽すぎずあらまほしき重みがあります。加えて、大変広い音域を持っており、特に高音域ではハイF(!!)まで持っています。このハイFは、彼のような重みのあるテノールが録音で残した音でも最も高い部類に入る音でしょう。V.ベッリーニ『清教徒』のアンサンブルで聴くことができます(なお、この曲テノールのパートに実際ハイFが記譜されていることで悪名高い訳ですが、ベッリーニがこれを書いた当時はこうした音を頭声で出すのが当たり前だったので、高い音ではありますが、実はそんなとんでもない音ではなかったわけです。いまのオペラの発声だととんでもない音ですが笑)。

そしてその幅の広いレパートリー。これは本当に普通では考えられない、語学にセンスのあるゲッダならではというところでしょうか。語学の達者な歌手がいない訳では当然ないですが、大まかなオペラの区分と言うべき伊独仏露すべてで言及されるような功績を遺したのは、録音史的には彼だけだと言って良いかもしれない。大体、伊独どちらかしか歌わなかったとか、露ものは手を出してはいるけれどもまあこんなもんだ、とかになってしまう。西欧で活躍したテノールがあまり歌わない露ものが歌えるのは、彼自身がそもそも露系移民の子供だということが大きなメリットになっているのでしょう(ゲッダは母方の姓で、父方の姓はユスティノフ)。
特に仏ものでのギリギリやり過ぎない歌唱の素晴らしさは上述のとおりです。
仏ものの音楽は甘口で耳当たりのいいものですが、伊もののように脂ぎった輝きのある声や表現で歌われてしまうと重た過ぎてしまいます。もちろん若者の役など情熱的であっては欲しい訳ですが、そこにはやり過ぎないように他砂を調整する技量と言うか、繊細さが欲しい。エレガントなんですよね。例を挙げてしまえばウェルテルとアルフレードの違いとでも言いましょうか。そうした繊細さ、力加減、エレガンスを表現することにおいて、ゲッダに並ぶ者はいないと言って良いのではないでしょうか。録音史の仏流テノールでは、アラン・ヴァンゾーと双璧だと思います。

<ここは微妙かも(^^;>
そんな大好きなゲッダくんですが、彼一流の脂のきつ過ぎないエレガントな歌は、個人的にはあまりヴェルディには合っていないような気がしています。実はアリア集でいくつか聴いてみてあんまり嵌っていない気がして聴いていない、というのが私の印象の実態なので、ひょっとしたらものすごくいい録音に触れていないのかもしれませんが、実際調べてみると、やはりあんまり歌っていないようです。
ヴェルディは逆に言えば脂ギトギトの伊ものを象徴するような作品が多いことを考えると、これは実はあんまり意外でもないのかも。仏語版の『ドン・カルロ』や『シチリアの晩禱』の録音の機会があったらひょっとしたら嵌ったかもしれませんが(独語『ドン・カルロ』抜粋もありますが、この人にしてはいまいち)。だからヴェルディ以前のあんまりギトギトしてないベル・カントなんかのほうがむしろいいのではないかと。

<オススメ音源♪>
・ファウスト(C.F.グノー『ファウスト』)
クリュイタンス指揮/クリストフ、デロサンヘレス、ブラン、ゴール共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1958年録音
>不滅の名盤。既にブランの回やクリストフの回でも紹介しているけれども、ここではゲッダもまさにベスト・フォームと言うべき歌唱。開幕すぐのクリストフ演ずるメフィストフェレスとの2重唱もワクワクするような出来だし、その2人にブランのヴァランタンを加えた決闘の3重唱も3人の美声を楽しむことができる上に緊迫したやり取りを聴くことができて素晴らしい。そして何と言っても有名なアリア“この清らかな住まい”の見事さと言ったら筆舌に尽くしがたい!まさに絶品!悪いこと言わないから、是非これは聴いてみてください^^

・ナディール(G.ビゼー『真珠採り』)
デルヴォー指揮/ブラン、ミショー、マルス共演/パリ・オペラ・コミーク管弦楽団&合唱団/1960年録音
>こちらもブランのところでもご紹介した名盤中の名盤。ブランの美声と溶け合う有名な重唱“神殿の奥深く”は今もってこの曲のベストと言うべき録音。2人の声の相性も息もぴったりで思わず息を呑んで聴き入ってしまう出来。そして真珠採りのタンゴの元ネタの曲としても知られるアリアがこれまた絶品。これだけppの高音の表情付けが巧かったテノールも録音史上そういないのではないでしょうか。

・ライデンのジャン(G.マイヤベーア『預言者』)
ルイス指揮/ホーン、リナルディ、ジャコモッティ、エル=ハーゲ共演/トリノRAI管弦楽団&合唱団/1970年録音
>いまではすっかり演奏されなくなってしまったマイヤベーアの大ヒット作。ジャン役は最初はお仕着せながら、話が進むにしたがってだんだんと本当に預言者然としてくるので或る種のカリスマの必要な役だが、ゲッダは輝かしい声とスタイリッシュな歌を兼ね備えていて、それらの要求を見事に満たしている。教団を率いて歌う歌は実に勇壮。逆に戀人を失って最後にやけっぱちで歌う場面では明るい旋律ながら悲哀が伝わってきて非常に良い。スタジオ録音にも参加しているジャンの母フィデス役のホーンはここでも貫録十分の歌唱を繰り広げているし、その他の配役も所謂有名キャストではないものの聴き応えがある。

・ジョルジュ・ブラウン(F.A.ボワエルデュー『白衣の婦人』)
フルネ指揮/シュポーレンベルク、ヘッケマン、ヴローンス、ファン=サンテ、アーデン共演/ヒルヴェルシェム放送交響楽団&合唱団/1964年録音
>こちらも最近はめっきり影の薄いボワエルデューのヒット作。共演陣も無名ながら健闘してるし、フルネの指揮も整ってると思うんだけど、このライヴは殆どゲッダの独り舞台と言ってもいいんじゃないかと言う出来。もともと出番が多いのもあるんだけど、ゲッダが自由にのびのびと歌っているのが本当に魅力的で、客席の反応もかくやというところ。

・アルノール(G.ロッシーニ『ギョーム・テル(ウィリアム・テル)』)
ガルデッリ指揮/バキエ、カバリエ、コヴァーチ、メスプレ、ハウウェル共演/ロイヤルフィル管弦楽団&アンブロジアンオペラ合唱団/1973年録音
>不滅の名盤。仏語版。序曲だけは有名ながら、超大作過ぎてなかなか全曲となるとスタジオ録音でも珍しい作品ですが、これは伊語のシャイー盤とともにオペラ・ファンなら家に置いておきたい録音。何といってもゲッダの瑞々しい声が大変魅力的。終幕のアリア“涙誘う沈黙の家”は、パヴァロッティを伊語版の横綱とするなら仏語版の横綱と言うべき素晴らしい出来。バキエの知的な役作りも優れているし、必ずしも録音の多くない洪国の名バス・コヴァーチの美声もあって3重唱も聴き応えある演奏となっています。カバリエは、実は個人的にはあまりピンと来ていない歌手ですが、ここでの歌は称賛されるべきもの。ゲッダとの重唱は美声コンビで楽しめます。チョイ役にもメスプレやハウウェルなどまあ豪華なこと。ガルデッリも手堅い指揮。

・ドン・オッターヴィオ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)
クレンペラー指揮/ギャウロフ、クラス、ベリー、ルートヴィヒ、フレーニ、モンタルソロ、ワトソン共演/ニュー・フィルハーモニア交響楽団&合唱団/1966年録音
>不滅の名盤。オッターヴィオは影が薄い役ながら2つもアリアがあったりして、どっちかっていうと演出的にも話の流れ的にももう少し出番削っちゃってもいいんじゃないの?って扱いをよく受ける役ではありますが、ここでのゲッダみたいな歌が聴けるのであれば、オペラ聴きにとって文句は何もありません(笑)ギャウロフのところでも紹介しましたが、ゲッダやギャウロフを筆頭に男声陣が最高に楽しめる録音です。

・アルトゥーロ・タルボ(V.ベッリーニ『清教徒』)
ルーデル指揮/シルズ、L.キリコ、プリシュカ、ベッグ共演/LPO&アンブロジアン・オペラ合唱団/1972年録音
>これも名盤でしょうね。とにかく取り沙汰されるのは、まずはゲッダがハイFを出していることで、これは確かに凄い声。一聴の価値はあるし、好きな人は嵌ると思う(僕は割と嵌ったwネットを見ると結構趣味は分かれるみたい)。ただそれ以上に聴くべきは、ゲッダの創る旋律線の美しさじゃないかと思う。こんだけ美しい旋律線を描いて、しかも適度に力強い表現をしているところへきてのハイFというおまけがつくから凄いんで、出せりゃ何でもいいということではない。シルズはそんなに好きでもないんだけど、ここでの歌唱は見事だと思うし、あんまり似合ってない役のディスクで有名になっちゃって評価が芳しくない父キリコもここではその柔らかく響く声を活かして本領を発揮してると思う。プリシュカも流石に手堅い。

・ベルモンテ(W.A.モーツァルト『後宮からの逃走』)
ロスバウド指揮/シュティッヒ=ランダル、アリエ、セネシャル、プリエット共演/パリ音楽院管弦楽団&エリザベス・ブラッサー合唱団/1954年録音
>これは隠れ名盤だと思っています。ゲッダはモーツァルトの旋律線を優美に描くことについて伊語のみならず独語でも変わらぬ巧さで、独語も達者なんだなぁと感心してしまう。おんなじような当たりの声だと思うクラウスは独語は歌わなかったし、ヴンダーリッヒの伊語はお世辞にも達者ではなかったし(^^;ロスバウドの指揮も立派だが、共演陣が凄い。モーツァルトを歌うソプラノとして個人的にはとてもすきなシュティッヒ=ランダルももちろん見事だし、キャラクター・テナーとしても一級の活躍を見せたセネシャルも流石。アリエは有名なアリアの最低音が出ていないのが残念だけど、豪快なオスミンで大活躍している。プリエットと言う人は知らないけれどもこの人も巧い。

・ボグダン・ソビーニン(М.И.グリンカ『皇帝に捧げし命』)
マルケヴィチ指揮/クリストフ、シュティッヒ=ランダル、ブガリノヴィチ共演/コンセール・ラムルー管弦楽団&ベオグラード歌劇場合唱団/1957年録音
>超名盤。なんといっても長いこと封印されていた難度の高いアリアを復活させたゲッダの素晴らしい歌唱。所謂A-B-A形式のAの部分には早いパッセージでハイCが連発するし、Bの部分にはハイCisも入ってくる。加えて当然ながら露語なので、歌える人は本当に限られる訳だけれども(古くはラウリッツ・メルヒオールの独語歌唱なんてのもありますが^^;)、そこは露語もお得意のゲッダ。まったく圧倒的な演奏です。クリストフの題名役に、脇を固める側に回ったシュティッヒ=ランダル、そしてあまり録音のないブガリノヴィチもなかなか聴かせます。

・ウェルテル(J.E.F.マスネー『ウェルテル』)2014.7.3追記
プレートル指揮/ゲッダ、デロサンヘレス、メスプレ共演/パリ管弦楽団&フランス国立放送児童合唱団/1968-1969年録音
>不滅の名盤。ウェルテルと言えばクラウス、と思っていた自分にとってここでのゲッダとパッパーノ盤でのアライサは非常に新鮮な魅力がありました。若さゆえの情熱と煩悶の凝縮された声!みっちり詰まった美声と溢れる力感が圧倒的で、これなら確かにピストル自殺の暴挙にも出ようと(笑)このプリモ・ウォーモ作品を渾身の歌唱で牽引しています。女の情念の感じられるデロサンヘレス、非の打ちどころのないソワイエ、脇には勿体ないメスプレと並び、プレートルのケレンミのある指揮。素晴らしい演奏です。

・アナトーリ・クラーギン(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)2015.2.13追記
ロストロポーヴィッチ指揮/ミレル、ヴィシニェフスカヤ、オフマン、トツカヤ、ギュゼレフ、セネシャル、ペトコフ、トゥマジャン共演/仏国立管弦楽団&仏放送合唱団/1987年録音
>珍しい演目の名盤!あまりにも登場人物が多いところなど欠点もあるのですが、プロコフィエフがライフワークとした作品だけあって非常に壮大。これをロストロポーヴィッチが丹念に演奏していて、露的では必ずしもないものの聴き応えのあるものになっています。ここでのゲッダは誘惑者クラーギン。重要な役とは言え出番は多くないしアリアらしい部分もないのですが、これがまた滴るような美声!官能的でクラクラさせられてしまいます。そりゃあこれだけ色気のある男だったらナターシャも思わず傾くだろうと言う納得の歌唱です。

・セルゲイ(Д.Д.ショスタコーヴィッチ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』)2015.3.4追記
ロストロポーヴィッチ指揮/ヴィシニェフスカヤ、ペトコフ、クレン、ティアー、フィンニレ、ムロース、ハウグラン共演/LPO&アンブロジアン・オペラ合唱団/1978年録音
>この作品の決定盤と言っていいでしょう。ここでゲッダが演じるのはアナトーリに続き再びダメ男wけどこのダメ男っぷりがこれ以上ハマるひとが他にいるだろうかと思えるぐらい、享楽的な雰囲気を垂れ流しています。誰からどう見ても女癖が悪くてしまりのない最低な男なんだけど、それでも異性を惹きつけてやまない甘い魅力に溢れている…こういう役をやらせても右に出るものは居ませんね^^主演のヴィシニェフスカヤが絶唱している他、ペトコフのスケベ親父ぶりもお見事でその他細かい共演陣も◎ロストロポーヴィッチも渾身の指揮です。

・フラ・ディアヴォロ(D.F.E.オーベール『フラ・ディアヴォロ』)2016.2.9追記
ソウストロー指揮/メスプレ、ドラン、バスタン、ベルビエ、コラッツァ、トランポン共演/モンテ・カルロ交響楽団&ジャン・ラフォージ合唱団/1983-1984年録音
>名盤。本作の代表的録音ですが、漸く聴くことができました^^;浅草オペラとして親しまれていたにも拘わらず、今日日本で聴くことは殆どありませんが、確かに大上段に構えた思想性や深みのある音楽ではないものの、親しみやすく愛らしい旋律に溢れた娯楽にはもってこいの曲ですし、こういう作品をもっと大事にした方がいいような気が個人的にはしております。そんなことはさて置きこの録音、我らがゲッダの快演を思う存分堪能できる代物です。力強く伸びやかで尚且つ甘みがあってエレガントな歌唱で、男ぶりの良い怪傑を創りあげています。仏ものらしい優雅な歌を披露するのみならず、マシンガンのような早口をこなしたりコミカルなファルセットを織り交ぜたり実に器用な歌いぶりで、録音だけでも思わずにまにましてきてしまいます。ここでご紹介している録音ではどちらかと言えばシリアスどころが多いですが、ここでは名コメディアンぶりも遺憾なく発揮していると言えるでしょう。同じくテノールの役どころであるロレンツォを歌うドランもゲッダとはまた違った引き締まった歌いぶりが凛々しいですし、歌いどころの多いヒロインのメスプレも爽やかで耳に心地いいです^^脇はバスタン、ベルビエ、コラッツァ、トランポンと揃っていますから文句なし。
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グスコーブドリ考

そろそろほとぼりが冷めたころだろう、というかネタバレをしてもいい時期だろうと思うので、簡単にこの夏公開された映画『グスコーブドリの伝記』について。

先に断わっておくと、私自身この作品をどう評価していいかどうか、悩んでいる部分が非常にあります。
ただ、確実に言えることは、少なくともこの映画が“宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』”ではありえないということだと思います。

映画全体を通してみて感じるのは、この作品を作ったひとたちは少なくとも賢治の作品をよく読み込んでいる、或いはよく知っている人だということです。賢治ファンなら思わず反応するようなフレーズや科白があちこちにちりばめられていますし、仕掛けとしても組み込まれています。
私が気付いて覚えている範囲だと、
1)序盤のグスコーナドリの科白中「とんびの染物屋が~~」は童話『林の底』
2)先生が学校の授業で朗読している詩は所謂『雨ニモマケズ』
3)途中でブドリが見る夢(というより迷い込む幻想世界?)の世界は『グスコーブドリの伝記』の原型と言われる童話『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』の世界。
4)ブドリの夢の世界のひとつで流れている詩は『青森挽歌』
5)ブドリの夢の世界の裁判の場面で鞭を鳴らす人物は童話『どんぐりと山猫』の馬車別当。加えて、この裁判を仕切っている人物は猫(ただし、この映画の登場人物はすべて猫である)。
あたりでしょうか。こうした部分は賢治への或る種のオマージュと捉えることができるかなと。

ただ、このオマージュが果たしてうまく行っているかと言われると、ちょっと困ってしまいます。
例えば上に上げたもののうち、1)は非常に軽微なもので、あればクスリだけどなくても別にどっちでもいいかなと言う感じ。2)は賢治の非常に重要な思想であり、原作の大テーマだと言って良いと思う自己犠牲を示している部分があるので、有効な改変だと言って良いでしょう。問題は3)と4)です。
3)については、『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』を知っていると、非常に興味深く見ることができるのは確かです。ネネムの伝記はブドリの伝記の原型と言われており、最後を除き基本的な話の流れは一緒ですが、その実両者はかなり異なっています。ネネムは化け物世界を舞台として書かれ、序盤で人さらい(化け物さらい?)に連れて行かれた妹を後半にサーカスで発見する場面があります。映画をご覧になった方はピンとくると思いますが、ブドリの夢の中の街の住人がすべて奇怪な姿で描かれているのは、明らかにネネムの影響です。加えて、映画のブドリは夢の中のサーカスで妹ネリを見つけますし、別の夢で裁判にかけられているのもそうでしょう(ネネムは化け物世界の最高裁判長になります)。今回の映画のひとつのツボは、ブドリの夢と言う形を取ることで、映画『グスコーブドリの伝記』の中に前身作であるネネムの伝記を重ね合わせていることと言えるでしょう。これは両者を知っている人にとっては非常に興味深い構成でしょう。ほぼ同じプロットながら世界観の全く違う物語を、夢で糊付けして重ね合わせてみることができるというのは、趣向としては面白い。ただ、これがネネムの伝記を知らない人、更に言えばブドリの伝記すら読んだことがなくて、初見だというような人に伝わるかと言うと、かなり厳しいと思います。ネネムの夢、幻想と言うことはわかったとしても、それでなんでブドリの世界の猫の姿の住人達とは違う、気味の悪い姿をした人たちの世界に入って来るのかちっともわからないと言われても、文句は言えないでしょう。そういう意味でこの仕掛けは、面白いことは面白いけれども、かなり高次元な内輪ネタに過ぎないとも言えるように思います。
4)についてはさらに厄介だと言えます。『青森挽歌』の具体的に言えば「ギルちゃんが~~」の件のあたりが繰り返される中、ブドリが化け物の街を彷徨う場面です。そもそもこの映画の制作側は、ブドリと賢治をかなり意識して重ね合わせている感があります。そのためにブドリがネリと出会わないという重要な原作からの改編もなされている訳ですが、それについては後述します。『青森挽歌』は、亡くなった妹トシに賢治が捧げた挽歌のひとつであるわけで、そういう前知識があれば、化け物の街の中でブドリが妹のネリを探す場面でこれを引用している意味が分かります。ただ、これを普通に映画を楽しみに来た人に求めるのは、正直酷でしょう。相当賢治について知っていなければ、ここでのこの詩の意味はわからない。
5)についても同様です。裁判の主題自体はネネムのもの。その主題に合わせて山猫の馬車別当が登場しています。ここでは『どんぐりと山猫』の馬車別当のコミカルさはだいぶ薄れ、むしろ気味の悪さ・恐ろしさに力点を置いた描き方をしています。

ここまで見ていくと、要するにこの映画は、賢治をよく読み込んでいる制作側が、賢治に畏敬の念を込めて、さまざまな仕掛けを放り込んだものの、少しやり過ぎでわかりづらくなってしまった、賢治作品への愛ゆえの失敗と言う風に見ることもできますが、なかなかどうしてことはそう単純にはいかないようです。
というのも、この映画作品は、原作の芯ともいうべき重要なポイントをいろいろと変更してしまっており、結果としてこれを“賢治の『グスコーブドリの伝記』”というには抵抗があるレベルにしてしまっているのも、また事実だからです。

まずはブドリの人物像ですが、原作でのブドリは実直で素直ではありますが、自分で物事を考え、行動する才能ある人物であり、その結果として周囲から信頼もされる、というようなキャラクターづけがなされていますが、映画の中での彼の科白はほとんど「はい」であり、確かに実直で信頼はされる人物には映りますが、自分で考えて行動するという要素の面では随分と後退しているように思えます。加えて、原作に較べると彼の活躍が少ない。原作を読むとブドリの有能さはクーボー大博士の授業のところでもよく顕れていますが、そこからさき研究所でのペンネンナーム技師(明らかにペンネンネンネンネン・ネネムと関わりのある名前ですね)の火山局での活躍ぶりがやっぱり目立ちます。火山局にいるのは、技師とブドリの2人だけであり、ブドリがその有能さと努力で結果をいろいろ出していくように原作では見えるのですが、映画ではモブとしてたくさん先輩技師が出てくるし、どちらかというと経験値の高いペンネン技師や先輩たちの方が前に出て、ブドリはその組織の歯車の1個のように見えます。原作と映画を較べれば、当然映画の方が仕事内容的にも現実味がある訳ですが、これではブドリのキャラクターが弱くなってしまう。更に言ってしまえば、原作ではブドリは最終的にクーボー大博士やペンネン技師を説得して自分がカルボナード島に突っ込んでいくわけですが、その大事な場面でも、彼は2人を説得できず、何故かコトリの力でカルボナードに向かったかのように演出されています。これだとブドリの自己犠牲という主題が全然生きません(尤も、最後の場面がスペクタクルにならなかったのは良かったと思います。小田和正の歌だけは、好き嫌い別にして余計な感じがしましたが)。

更に、ブドリの重要な場面がカットになっているのもいただけません。
ひとつはブドリが小村でリンチに遭う場面、もうひとつは妹ネリとの再会の場面です。
恐らく理窟としては、前述のとおりこの映画ではブドリを賢治と重ね合わせているので、賢治がトシと死別したことを、ブドリがネリと結局再会できないということでリンクさせたいというところがあり、結果、ネリとの再会のあしがかりとなる小村でリンチされるという一コマもカットされたということなのでしょう。このリンチの場面の前提としてある、彼が火山を使って空から肥料を降らせて豊作となったという、彼の功績も如何にも賢治らしい壮大なものではありますが、ちょっと現実味がないという部分もあるのかもしれません。
しかし、これをカットしてしまうとブドリの業績はサンムトリの場面ぐらいしかなくなってしまい、ブドリが優秀な人物であり、彼の業績が農村の人たちの生活に直結するという、大事な要素が欠けてしまいます。また、ネリとの再会も、これは現実の世界では叶わない妹トシとの再会を作品世界に仮託したと考えると、ここも賢治の意図を尊重するのであればカットすることのできない場面だと思います。

前述もしましたが、何より原作の主題は自己犠牲なのです。これはどう足掻いたって変わりません。
才能に溢れ、世間からも認められ、離れてしまった妹とも再会し、恩のある人物には恩を返した、未来のある若者が、そのすべてをかなぐり捨てて、人々の幸せのため、“ほんたうのさいわひ”のために命を捨てる。
これが良くも悪くも原作『グスコーブドリの伝記』の核になっている部分だし、賢治作品の多くの重要な主題なのです。だから、賢治の作品、特にこの作品は好き嫌いがはっきり分かれて然るべきで、拒絶反応を起こす人も絶対にいる、ただそれと同じぐらいこれが素晴らしいと思う人たちもいる、と言う種類の作品なのです。

今回の映画ではその賢治の作品として大事な部分を大幅に殺ぎ落としてしまっていると思います。
それ以外にもいろいろと改変はあります。テグス工場の場面をブドリの夢にしてしまったり、コトリのキャラクターを大きく拡張したり、このあたりは原作と大きく異なる部分ではありますが、前述のそれに較べれば大した問題ではありません(個人的には不必要で意図のわからない改変に思えますが)。
こうなってしまうと、話の展開が原作通りかどうかと言う問題以前に“宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』”とは全く異なった、別の作品として考えるのが妥当なのだろうと思います。
ただ一方で、先に述べたようにやや過剰なまでの賢治作品へのリスペクトも感じられる内容でもあります。

以上のように考えたときに、非常に中途半端なものに終わってしまった感が否めないです。賢治へのオマージュとするのか、それとも賢治とは全く別の世界を生み出すのか、どちらかにバットを振り切って呉れてさえいれば、まだ評価できるところを、どっちつかずのまま提供されてしまったように感じます。
賢治作品をよく知っている人が観てももやもやが残るし、かといって賢治を全く知らない人が見て楽しめるかと言うと、おそらくそれもないでしょう。

良く作りこんであると思いますし、映像も大変美しい場面や印象的な場面もある。
見るべきところは少なくないが、腑に落ちない部分も沢山ある。
駄作とは言わないが、決して傑作とも言えず…となると成功してはいないから、やっぱり失敗作なのかしら。
未だに考えあぐねています。
宮沢賢治 | コメント:0 | トラックバック:0 |

かはくの展示から~第7回/ヤクスギ~

このblogは国立科学博物館の公式見解ではなくファンの個人ページですので、その点についてはご留意ください。

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ヤクスギ
Cryptomeria japonica
(日本館3階南翼)
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実はあまり知られていないかもしれませんが、日本館には見学順路があります。まずは3階に上がり南翼、鉱物室、北翼、2階南翼、北翼、1階南翼と見ていくことで、ひとつのストーリーとしてみることができるようになっているのです。
そのストーリーの1番最初、3階南翼の入り口に置かれているのがこのヤクスギの切り株です。ヤクスギはいまでは保護の対象になっており、伐ることはできません。こうした展示があるのは、かはくがそうした規制のできる前から存在する、ある程度古い博物館であるということの証左でもあります。

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この「ヤクスギ」、スギの中の1つの種だと思っている方も結構いらっしゃるかと思うのですが、実は違います。
学名を見るとCryptomeria japonicaとありますが、これは日本に普通に自生しているスギの学名。つまり、ヤクスギと言うのはスギの種類ではないのです。ざっくりと言ってしまえばヤクスギは屋久島の標高500m以上のところに自生しているスギ、より狭義にはその中でも樹齢1,000年を超えるものを言います。
この標高500mと言うのが実は面白いところでもあります。

みなさん、スギのような針葉樹が生えていると言えばどんな風景を想像されるでしょう?
例えば白神山地のような風景を思い出す方もいらっしゃるかもしれませんし、秋田杉なんてものもある。モミなんかを思いつかれた方がいれば、おそらくクリスマスツリーを思い浮かべているでしょう。
共通しているのは何か。寒いところです。
基本的にスギなんていうものは寒い地方のものなんですね。じゃあ屋久島は?というと、ご存じのとおり鹿児島県の南にあります。普通に考えたら、屋久島に杉なんてものが生えている筈がない。ところが実際には生えているのは、その標高差がミソになっているのです。屋久島は小さい島ではありますが大変な標高差があるため、日本の気候帯すべてが含まれます。スギが生えているのは、屋久島の中の亜寒帯ですから、生えていても全然おかしくない訳です。

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ちなみに日本館のヤクスギは樹齢1,600年以上。
芽が出たのは古墳時代ごろ!だそうです。

<参考>
国立科学博物館日本館3階南翼キャプション
かはく | コメント:0 | トラックバック:0 |

【目次】ギャウロフを聴く

ニコライ・ギャウロフの様々なレパートリーの音源を聴いて行こうというシリーズ。
ここでは「目次」と書いたものの、年代順に並べることにする。

1964 G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』(サンティーニ指揮)

1965 G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』(ヴァルヴィーゾ指揮)

1966 W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』(クレンペラー指揮)

1968 W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』(フォン=カラヤン指揮)

1971 G.F.F.ヴェルディ『マクベス』(ガルデッリ指揮)

1976 G.F.F.ヴェルディ『マクベス』(アバド指揮)

1984 G.F.F.ヴェルディ『マクベス』(シャイー指揮)

2003 G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』(ヴィオッティ指揮)
【目次】その他 | コメント:0 | トラックバック:0 |

【目次】かはくの展示から

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第1回/フタバスズキリュウ

第2回/デイノテリウム

第3回/ルリカケス

第4回/アパトサウルス

第5回/川下コレクション

第6回/マッコウクジラ

第7回/ヤクスギ

第8回/ツチブタ

第9回/アロデスムス

第10回/サイガ

第11回/日本のキノコ

第12回/ラブカ

第13回/水晶

第14回/アンビュロケトゥス

第15回/ホウボウ

第16回/タヌキ

第17回/サイエンス・ラボ終了

第18回/モシリュウ

第19回/アルカエオプテリクス(始祖鳥)

第20回/オオバタグルミ

第21回/カナダオオヤマネコ

第22回/イネ

第23回/スコロサウルス 第23回/エウオプロケファルス⇒属名変更

第24回/ガイド・ツアー終了

第25回/深海

第26回/シロナガスクジラ

**************************

<恐竜展特別編>

第1回/プロトケラトプス

第2回/ヴェロキラプトル

第3回/デイノケイルス

第4回/オヴィラプトルの仲間

第5回/おススメのお土産

第6回/ガリミムス

第7回/オピストコエリカウディア

第8回/セグノサウルス

第9回/ホマロケファレ

第10回/テリジノサウルス

第11回/オルニソミモサウルス類

第12回/サイカニア

第13回/トロオドン類

第14回/サウロロフス

第15回/ピナコサウルス

第16回/コリストデラ類

第17回/タルボサウルス

第18回/まとめ

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番外/常設展示替えと大恐竜展
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【目次】オペラなひと♪千夜一夜

好きな歌手、気になる歌手を勝手気ままにご紹介するシリーズの目次。

(追記2016.1.23)
目次だけではあまりにも不便だなあと思いまして、索引も作りました。

第一夜/我が最愛の歌手 ニコライ・ギャウロフ

第二夜/忘れられし最高のバリトン エルネスト・ブラン

第三夜/神に魅入られた男 フリッツ・ヴンダーリッヒ

第四夜/20世紀の証人 ジュリエッタ・シミオナート

第五夜/“アウラ”のある女 レナータ・スコット

第六夜/現代最高のフィリッポ フェルッチョ・フルラネット

第七夜/この役を演じるために生まれてきた ドミトリ・フヴォロストフスキー

第八夜/燻し銀の味わい ミケーレ・ペルトゥージ

第九夜/シチリア・熱く燃える太陽 ヴィンチェンツォ・ラ=スコーラ

第十夜/偉大なる縁の下 合唱

第十一夜/新世代のカルメン マリーナ・ドマシェンコ

第十二夜/今世紀最初の名花 アンナ・ネトレプコ

第十三夜/“歌う俳優”の伝説 フョードル・シャリャピン

第十四夜/高貴さに包まれた暗い情熱 エットレ・バスティアニーニ

第十五夜/The King of High C ルチアーノ・パヴァロッティ

第十六夜/映像の時代に エリーナ・ガランチャ

第十七夜/マリア・カラス マリア・カラス

第十八夜/カラスの発見者 ニコラ・ロッシ=レメーニ

第十九夜/歌役者 ティート・ゴッビ

第廿夜/沈黙は金 歌わない役たち

第廿一夜/かけがえなき相棒 ジュゼッペ・ディ=ステファノ

第廿二夜/彼こそ大スター! レオ・ヌッチ

第廿三夜/迫力満点 フェドーラ・バルビエーリ

第廿四夜/偉大なる対抗馬 レナータ・テバルディ

第廿五夜/おぞましき声 ボリス・クリストフ

第廿六夜/The American Baritone シェリル・ミルンズ

第廿七夜/黄金のトランペット マリオ・デル=モナコ

第廿八夜/永遠のファム=ファタル リタ・ゴール

第廿九夜/録音時代の巨匠 ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ

第三十夜/妙なる笛の音 フルート

第三十一夜/ヴェルディ・バリトンの鑑 ピエロ・カプッチッリ

第三十二夜/伊国バスの神髄 チェーザレ・シエピ

第三十三夜/血の通った超絶技巧 チェチリア・バルトリ

第三十四夜/語学の天才 ニコライ・ゲッダ

第三十五夜/生まれあわせが良かったら ラファエル・アリエ

第三十六夜/La stupenda ジョーン・サザランド

第三十七夜/カーテンの向こうの巨人 イヴァン・ペトロフ

第三十八夜/隠れた性格俳優 レナート・カペッキ

第三十九夜/麗しき青年 アルフレード・クラウス

第四十夜/おお、我が祖国よ オーボエ&コーラングレ

第四十一夜/希国の彗星 エレナ・スリオティス

第四十二夜/愛すべきエンターテイナー アントニーノ・シラグーザ

第四十三夜/ブッフォの王様 フェルナンド・コレナ

第四十四夜/烈女 フィオレンツァ・コッソット

第四十五夜/機械仕掛けの悪魔 サミュエル・レイミー

第四十六夜/正統派は彼だ カルロ・ベルゴンツィ

第四十七夜/剛毅なる武人 ジャン=ジャコモ・グェルフィ

第四十八夜/この世ならざる者 ジュリオ・ネーリ

第四十九夜/魔性の天鵞絨 グレース・バンブリー

第五十夜/歌劇王 ジュゼッペ・ヴェルディ

第五十一夜/Mr.Ms マリリン・ホーン

第五十二夜/生命の息吹 ルチア・ポップ

第五十三夜/ローカルな藝術 イリーナ・アルヒーポヴァ

第五十四夜/失われた歌声を求めて ミロスラフ・チャンガロヴィッチ

第五十五夜/その輝きは稲妻のように ジャンニ・ライモンディ

第五十六夜/風格ある名優 ルッジェーロ・ライモンディ

第五十七夜/市井の好人物 ローランド・パネライ

第五十八夜/響きも鋭く アグネス・バルツァ

第五十九夜/ド演歌オペラ歌手 フランコ・コレッリ

第六十夜/星は光りぬ クラリネット

第六十一夜/パリの伊達男 ロベール・マッサール

第六十二夜/奇跡の方針転換 ナタリー・ドゥセ

第六十三夜/匂い立つ香気 アラン・ヴァンゾ

第六十四夜/人間的な脇の名手 ジュール・バスタン

第六十五夜/メルセデスならまかせてよ ジャヌ・ベルビエ

第六十六夜/録音史上最高音 マド・ロバン

第六十七夜/鍵を握るエレガンス ロジェ・ソワイエ

第六十八夜/老獪な舞台人 ガブリエル・バキエ

第六十九夜/抒情の歌い手 ロベルト・アラーニャ

第七十夜/人知れぬ涙 ファゴット

第七十一夜/ベル・カントの貴公子 フランシスコ・アライサ

第七十二夜/最後の刺客 ハイメ・アラガル

第七十三夜/軽量級選手 シモーネ・アライモ

第七十四夜/死の淵からの復活 ホセ・カレーラス

第七十五夜/海賊盤の女王 レイラ・ゲンジェル

第七十六夜/イベリアの薔薇 テレサ・ベルガンサ

第七十七夜/The dandy ロバート・メリル

第七十八夜/格調高い美の世界 ジェニファー・ラーモア

第七十九夜/Metを支えた演技派 ジョルジョ・トッツィ

第八十夜/凱旋行進曲 トランペット

第八十一夜/北の国の豪快なメゾ イェレーナ・オブラスツォヴァ

第八十二夜/皇帝の威容 アレクサンドル・ピロゴフ

第八十三夜/赤い時代の英雄 ゲオルギー・ネレップ

第八十四夜/波瀾万丈な生き様 ガリーナ・ヴィシニェフスカヤ

第八十五夜/マリインスキーの武者 ニコライ・プチーリン

第八十六夜/荘厳な光輝を湛え イェヴゲニー・ネステレンコ

第八十七夜/器用人 コンスタンチン・プルージュニコフ

第八十八夜/凍てつく大地の歌 セルゲイ・アレクサーシキン

第八十九夜/野性味と気品と パーヴェル・リシツィアン

第九十夜/ああ、何故、何故死は ホルン

第九十一夜/激情の詩人 ニール・シコフ

第九十二夜/華ある歌姫 ルース=アン・スウェンソン

第九十三夜/苦悩する勇者 ジョン・ヴィッカーズ

第九十四夜/再興の立役者 ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニ

第九十五夜/歌心あふれるGiapponese 堀内 康雄

第九十六夜/気をつけよ!気をつけよ! イーヴォ・ヴィンコ

第九十七夜/公演の隠し味 ステファニア・マラグー

第九十八夜/第3の低音 プリニオ・クラバッシ

第九十九夜/最強の脇役 ピエロ・デ=パルマ

第百夜/ナポレオンは死んだが、別の男が現れた ジョアキーノ・ロッシーニ

第百一夜/私の名はミレッラ ミレッラ・フレーニ

第百二夜/知られざる実力者 ラリッサ・ジャチコーヴァ

第百三夜/伯爵の復権 ロックウェル・ブレイク

第百四夜/パ・パ・パ ヘルマン・プライ

第百五夜/真夏の夜の色 グザヴィエ・ドゥプラ

第百六夜/憎めないドットーレ エンツォ・ダーラ

第百七夜/仏国流実悪 ブライアン・イーメル
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ヴァルヴィーゾ盤『セビリャの理髪師』~ギャウロフを聴く/その3~

ギャウロフを聴くシリーズの第3弾(っていうかいろいろシリーズ作ってるけど、むしろそろそろそれぞれの目次がいるんじゃないかと言う気もしてきたぞ汗)

今回はヴァルヴィーゾ盤の『セビリャの理髪師』。
で、いろいろと聴き比べもしてみたんだけど、聴き過ぎて全部書き出すとエラい騒ぎになるのでやめます(^^;
一応ちまちま比較では出しますが。

G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』(1965)
アルマヴィーヴァ伯爵/ウーゴ・ベネッリ
フィガロ/マヌエル・アウセンシ
ロジーナ/テレサ・ベルガンサ
ドン・バルトロ/フェルナンド・コレナ
ドン・バジリオ/ニコライ・ギャウロフ
ベルタ/ステファニア・マラグー

シルヴィオ・ヴァルヴィーゾ指揮
ナポリ・ロッシーニ合唱団&管弦楽団

ギャウロフが出ているものは私が把握している範囲で音源が3種と映像が1種ですが、私が今回聴いたのはいずれも音源で、大体同じぐらいの時期であるサンティーニ指揮のライヴ盤(1964)と最晩年のヴィオッティ指揮のこれもライヴ盤(2003)。
最晩年のものは流石に声の衰えが感じられるし(って言ってもトンデモナイ存在感だけど笑)、サンティーニ盤はライヴの良さもあるものの、ちょっと時代がかっているので今回はヴァルヴィーゾ盤を中心に。

いずれの録音でも共通して言える部分であり、かつ私の好みに合っていると感じるのは、ギャウロフのバジリオの役作り。いやぁこれぐらいオーバーにやってくれる方がバジリオはやっぱり面白いよねww
超有名なアリアがあったりするのでつい誤解してしまうのだけれども、バジリオの登場場面って実は意外と多くないんですよね(^^;ただ、そこで彼の影が薄くなってしまうとこのオペラ自体の面白みも少なからず減退してしまう。というかこの話自体、主要な5人が拮抗していないといけない演目だと思うのですよ。劇としての基本的な構造として、必死の自分の問題に立ち向かう伯爵&ロジーナvsバルトロの対立があり、そこから一歩退いた言わば第三者として自分が儲けることを考えて策を弄するフィガロとバジリオという格好だと思うので、バジリオが力量不足で印象に残らないと、相対的にフィガロの印象も弱まってしまうと思うのです。
となると、その少ない登場場面でもフィガロと対立しうるぐらいのインパクトが欲しい。
一つの解決法がギャウロフのような、超大袈裟なバジリオではないかと。

ご存じのとおりそもそもギャウロフはアジリタや早口を駆使するロッシーニの諸役で名を成した人ではないし、バジリオの楽譜自体もそういう楽譜ではない(バルトロとは違う)。だから、彼がバジリオ役でものすごくオーバーにしているのは強弱です。特にfの指定があるところには、あんたいったいどれだけfつければ気が済むのよというような大声量でぶちかまして呉れます。これがまぁ、痛快なんだわ(笑)嵌まると他のバジリオはなんだかちょっとお上品に聴こえたり、パンチ不足に聴こえたりする。それぐらいの豪快さです。
だから、或る意味その役作りのエッセンスはバジリオ最大の見せ場であるアリア“陰口はそよ風のように”に凝縮されてると言って良いかもしれません。ここでのアリアは本当に素晴らしい!
加えて言葉の扱いの巧さ。これはドン・ジョヴァンニでも同じようなことを感じましたが、レチタティーヴォ一つとってみてもバジリオの表情がにじみ出てくるかのようです。こういうところを聴くと、意外とこの人、もっと喜劇をやってもよかったんじゃないかと言う気もしてきます(笑)
今回取り上げる録音は、流石に声が非常に若々しい!
第1回で述べたあのドン・ジョヴァンニよりも更に1年前の録音だからさもありなん、というところではありますが(笑)オーバーな演技に腹を抱え、一方で滴るような美声には感服してしまいます。総合的に見ると、彼のバジリオ録音の中でも最も出来がいいものではないかと思います。
サンティーニのライヴ盤。声は若々しいしライヴのノリもあるんだけど、如何せんちょっと音楽が古めかしい。見せ場のアリアの調も変えてあるし、最低音は避けてるし。けれど、2幕の5重唱は本当に凄まじいので、セビリャ好きとギャウロフ・ファンには一聴の価値ありです。こんなとんでもない「ぶぉおおおおおおなせええええら!」は、今回取り上げた録音もそうですし、他でも聴いたことがありません。これを聴くためにあると言ってもいい(笑)
ヴィオッティのライヴ盤はやはり最晩年の記録(彼は2004年になくなっていますが、これは2003年の録音)としての貴重さが一番に来るのかな。声自体は流石にだいぶ衰えていて、上記2つの録音と較べると声の魅力・瑞々しさは望めませんが、その老獪ともいえる存在感は、逆に上記いずれの録音とも異なる魅力と言えるでしょう。特筆すべきは声量。マイクの位置もあるのかもしれませんが、出演者で一番デカい声で、バジリオの動きがとてもよくわかりますwww考えてみればバジリオは、彼のデビューの役でもあるので、彼が一番長い間歌った役とも言えそうですね。

ギャウロフ以外のバジリオもいろいろ聴きましたが、印象に残っているのはまずはレイミー(ロペス=コボス盤)。やっぱりロッシーニ・ルネサンスで大活躍した彼だけあって、歌はバチッと決まるし、彼のちょっと冷たい感じが、なんともいえずバジリオの存在感に繋がっていていい。役作りで言えば定評あるモンタルソロ(アバド旧盤)がやはり秀逸で、如何にもせせこましくてけち臭い感じのバジリオは、或る意味定番っちゃ定番なんだけど、これだけ大見得切って定番ができるのは才能でしょうね^^役作りのコミカルさで行くと米国の名バス、ジョルジョ・トッツィ(ラインスドルフ盤)、F.フルラネット(アバド東京LIVE盤)も楽しくて素敵です。ギャウロフと同じくオーバー路線が成功してるシグムントソン(マルティネス盤)、ブルチュラーゼ(パタネ盤)も良かった。特にブルチュラーゼは予想外の超高音が出てきて思わず笑ってしまいます。
(以下2013.1.10追記)ロッシ=レメーニ(セラフィン盤及びデ=サバタ盤)も同様のオーバー路線、というかひたすら悪乗りのような気もしてきますが、キャラが立っていて個人的にはありだと思います(笑)盛大に暴れているものの、音楽自体をぶっ壊してはいないしね^^

総合してこの盤を押したくなるのは、共演の良さにもあります。

特にバルトロのコレナ!これはまさに秀逸の一言です!
ギャウロフの出ているほかの録音ではいずれもバルトロが弱くて、サンティーニでのバディオーリは歌えてないレベルだし、ヴィオッティでのデ=シモーネは全くバルトロらしくない若々しくて軽い声でげんなりします。私は前述のようにこの作品を見ているので、バルトロが弱いのはバジリオやフィガロが弱い以上に大問題です。
そこに行くとスペシャリストともいうべきコレナがやっているという時点で大花丸がついてしまうところですが、そのコレナのいくつかある録音の中でも、このヴァルヴィーゾ盤はベストと言うべきでしょう。音だけ聴いていても面白いことこの上なし。アリアでの抱腹絶倒の早口もそうですし、ギャウロフのオーバー・バジリオとのレチタティーヴォでのからみもひたすら面白いです(笑)
バルトロはいまいちその重要性を認識していない公演が多いようで、聴いてガッカリするのも多いですが、コレナ以外だとイタリアの陽気なおっさんそのものと言うべきダーラ(アバド旧盤)と、けち臭くてヒステリックながら声の魅力もあるカペッキ(レヴァイン盤)が素晴らしい。この3人はが個人的にはバルトロ御三家です(笑)あとはくそまじめにやるのが逆におもしろいコルベッリ(ロペス=コボス盤)、濁声でコミカルにガ鳴るプラティコ(ジェルメッティ盤)などブッファのスペシャリストがやはり記憶に残りますが、意外にいいのがアバド新盤のガッロでしょうか。アバド新盤はバトルとドミンゴが決定的にだめなのだけどうにかしてほしかった。。。

そしてベルガンサのロジーナ。これもおそらくロジーナ役のベストでしょう。
艶やかなメゾ声ながら重くなり過ぎないし、技巧もこの時代とは思えないぐらいしっかりしています。何より明るくて奔放なキャラクターが感じられ、とても健康的な感じなのが素晴らしい!コケティシュな魅力にも事欠きません。気は強そうだけれど、ドロドロしていない、勝ち気でカラッとした女性の魅力が満載であります。
サンティーニでのコッソットは怖すぎwwヴィオッティのポルヴェレッリはちょっと力負けしてる感じ。
ベルガンサと同じような路線でいくとラーモア(ロペス=コボス盤)も素敵女子だし、更に知恵が立ってそうなバルトリ(パタネ盤)も魅力的。期待のガランチャ(マルティネス盤)はちょっとお淑やか過ぎちゃうし、バルツァ(マリナー盤)はちょっと立派過ぎる。ソプラノ・アプローチは悪くないものもあるけど、基本的にはメゾに歌って欲しいな。

そして指揮の老練ヴァルヴィーゾの軽妙な音楽作り!
これだけ軽やかにドライヴしたロッシーニは、この時代に於いては他にはないんじゃなかろうか。もちろんロッシーニ・ルネサンス以降のふんわり軽やかっぷりからすればまだあれなんだけど、それでもこれだけ全編ロッシーニの愉悦に溢れたセビリャは、僕は他では聴いたことがない。聴いてゲラゲラ笑いたいと思ったら、まずこの録音を出してきてしまうのは、彼の手腕によるところが大きいと思う。
ヴィオッティは流石に最近の人だし軽快♪サンティーニはちょっと音楽が重たい…。
フンブルクも同様に愉悦に溢れていてgood!アバドはちょっと丁寧過ぎる気もするけどこういう楷書体も悪くないのかな。ロペス=コボスはなんかのたっとしていて好きでないなぁ…キャストはいいんだけど。

伯爵のベネッリは軽やかでいい声。まさにテノーレ・ディ=グラツィアの系譜に乗った感じのスタイリッシュな歌で好感が持てるし、当時としては異例ながら大アリアも歌ってる!それだけでも評価してあげたいところです。ただ、ロッシーニ・ルネサンス以降の力強い超絶技巧を歌うテノールを知っていると、もう一声と思ってしまうのも正直なところ。う~ん、大変ですね(苦笑)
サンティーニ盤のアルヴァも当時のスペシャリストですから流石の歌を聴かせますが、ギャウロフ出演の3つの録音の中でもダントツ、かつ録音史上最強の伯爵と言うべきなのはヴィオッティ盤のシラグーザでしょう!声の優雅さ、気品、力強さ、コメディセンスいずれをとっても伯爵そのもの!
シラグーザとは別の意味で最強の伯爵と言うべきはアライサ(マリナー盤)でしょう。もうそのとろけるような美声と切れ味鋭い技巧と言ったら!匂い立つような気品のあるR.ヒメネス(ロペス=コボス盤)、古風ながらこちらも凛々しい力強さのあるヴァレッティ(ラインスドルフ盤)、明るくて透明な美声で聴かせるバルガス(フンブルク盤)などなど、伯爵の現代的演奏では結構趣味でいろいろ聴くことができますね^^大アリアを歌っていないものでは、伯爵最重量級のゲッダ(レヴァイン盤)も彼のにやけたキャラと合っていて別の魅力があります(笑)

ヴァルヴィーゾ盤最大のアキレス腱、というか唯一にして最大の汚点と言うべきはアウセンシのフィガロ。
これはもう圧倒的に弱い…なんでこんな人起用したかね(^^;声はあるけど、歌が巧くない。この一言に尽きてしまう…声があるだけめり込まないけど…これが別の人だったら、と思わざるを得ない(泣)
サンティーニでのブルスカンティーニは歌のスタイルは古いけれども、キャラクターにあった歌唱でなかなか。ヴィオッティのシュレーダーも悪くはないけど、彼はセリア向きかな。
キャラの良さと歌と双方で聴かせるのはミルンズ(レヴァイン盤)とヌッチ(パタネ盤)。このふたりはキャラの明るさ、にやけ具合、歌とどれをとってもフィガロそのものと言って良いのではないでしょうか^^プライはキャラクターには良く合ってるんだけど、技術的にはもう一声か。意外とフィガロ役はこれ、という録音がないんですよね。
カペッキがまだ聴けてないから、何とも言えないが。カペッキ(バルトレッティ盤)聴きました!これはいいですね♪バルトロもねちねちしてて面白かったけど、エネルギーがあって明るくて良い^^と言う訳で個人的なお気に入りはヌッチ、ミルンズ、カペッキでしょうか。
(2013.1.10追記)あんまり期待しないで聴いたベッキ(セラフィン盤及びデ=サバタ盤)が予想以上に良くて、非常に気に入りました!粗削りな感じはあるんだけれども、それがキャラづくりにプラスに働いてるのが素敵です♪

全体には、フィガロにだけ目を瞑ればこのヴァルヴィーゾ盤が個人的にはベストではないかと。
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かはくの展示から~第6回/マッコウクジラ~

このblogは国立科学博物館の公式見解ではなくファンの個人ページですので、その点についてはご留意ください。

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マッコウクジラ
Physeter macrocephalus
(地球館1階)
121109_1843~01
系統広場の脇に吊られている、地球館1階の目玉の一つです。
骨からはちょっと想像がつきませんが、生きているときには四角くて巨大な頭を持っています。
そう、クジラと言ったときに多くの人が連想する、あのクジラです(笑)
生体で頭が四角いのはこの頭蓋骨の上に油の塊が入っているからです。
ハクジラ一般に言えることではありますが、基本的に視力は大変悪く、嗅覚に至っては殆どありません。それを補うために大変優れた聴覚を持っています。頭の骨の上に乗っている油の塊から超音波を出すこともできますし、逆に超音波を拾うこともできます。
ただ、それにしてもマッコウクジラは巨大な油の塊を持っているので、それがいったい何に使われているのかは、論争の的になっています。かつては潜水や浮遊の役に立てている(彼らは最大で2時間程度も浸水する能力があります)などとも言われましたが、近縁の化石種が恐らく浅海性だったと思われることなどから今は流行っていませんね。超音波を出すのと同じ要領で衝撃波を出すことができる、なんていう説もあります。

121109_1843~02
手前にはアジアゾウの全身骨格もあるので、海の生き物と陸の生き物の骨を較べることもできます。
この較べる、と言うことはとても大事です。生き物の解剖を知り、どこが同じでどこが違うのかを較べて、理解することは形態学の基本であります。
この写真では両者の前肢を写してみました。随分違う形に見えますが、よく見るとパーツの数なんかはそんなに違いません。是非近くで見て、較べてください。

121109_1844~02
前肢に対して何とも小さな後肢で、泳ぐのには不要なので退化したなんて言われますが、実は彼らこれ生殖器支えるのに使っています。
「進化」は合目的的に語られがちな概念ですが、実はなかなかどうしてそうでもありません。

121109_1844~01
この骨格の下は歩くことができます。是非、実際歩いてその大きさを体感してください!

<参考>
完璧版 クジラとイルカの図鑑 オールカラー世界のすべての鯨類/マーク・カーワディン著/前畑政善日本語版監修/日本ヴォーグ社/2003(第4刷)
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