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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

1日だけの王様、または偽のスタニスラオ

1日だけの王様、または偽のスタニスラオ
Un giorno di regno , o il finto Stanislao
1840年初演
台本:フェリーチェ・ロマーニの台本の改竄

<主要人物>
騎士ベルフィオーレ(Br)…ポーランドの騎士で、国王スタニスラオ1世の影武者。
ケルバル男爵(B/Br)…ポーランドの男爵。娘と姪を政略結婚させようとしている。
ポッジョ伯爵夫人(S)…男爵の姪でベルフィオーレの恋人。
ジュリエッタ(S/Ms)…男爵の娘。
エドアルド・ディ=サンヴァル(T)…財務官の甥の将校。ジュリエッタの恋人。
ガスパロ・アントニオ・デ=ラ=ロッカ(B/Br)…ブリターニュの財務官。エドアルドの叔父で、男爵が娘と結婚させようとしている相手。
イヴレア伯爵(T)…ブレストの軍司令官。男爵が姪と結婚させようとしている相手。

<音楽>
・序曲
○第1幕
・導入、男爵と財務官の2重唱
・ベルフィオーレのカヴァティーナ
・ベルフィオーレとエドアルドの2重唱
・ポッジョのカヴァティーナ
・合唱とジュリエッタのカヴァティーナ
・ジュリエッタ、エドアルド、ポッジョ、ベルフィオーレ、男爵、財務官の6重唱
・ジュリエッタとエドアルド、ベルフィオーレの3重唱
・男爵と財務官の滑稽な2重唱
・フィナーレ

○第2幕
・合唱とエドアルドのアリア
・男爵と財務官の2重唱
・ポッジョとベルフィオーレの2重唱
・ポッジョのアリア
・ジュリエッタとエドアルドの2重唱
・ジュリエッタ、エドアルド、ポッジョ、ベルフィオーレ、男爵、財務官、伯爵の7重唱
・フィナーレ

<ひとこと>
ヴェルディ最初の喜劇ですが、まあ運の無い作品です。
前作『オベルト』の成功を受けて新作を依頼されたヴェルディですが、まずは台本選びの段階で引っかかります。紆余曲折あって漸く決まったこの台本も、ヴェルディの気に入るようなものではなく(ロマーニが書いたことになっていますが、かなりの改竄が入った粗悪なもの)、渋々だったとか。その上私生活でも子供たちと奥さんの死が相次ぎ、とてもとても喜劇と言う気分ではないときに作曲せねばならなかったのだそうです。
こんな状況ですから初演は失敗に終わり、自分は向かないと判断したヴェルディは喜劇を封印。次の喜劇は最後の作品である『ファルスタッフ』まで待たねばなりません。
そんな訳でこの作品は、「喜劇に向かないヴェルディが、自身の人生の最悪の時に嫌々ながら書かされて、案の定できた失敗作」というありがたくないレッテルだらけになってしまった、ちょっと可哀そうな作品なのです。

では実際どうなのか?
後のヴェルディを知っている耳からすると、前作『オベルト』と較べても更にドニゼッティっぽい気はします。台本から想像するようなドタバタ喜劇感のある音楽ではなく、ロッシーニほどの底抜けな明るさはないし、ドニゼッティに似てるにしても根っからの喜劇の音楽と言うよりは例えば『シャモニーのリンダ』とか『ドン・パスクァーレ』のような感じ(や、『パスクァーレ』はげらげら笑う系ですがね笑)。うまく言えないですが、ブッファの台本にセミ・セリアの音楽がついてしまったようなちぐはぐな印象はあります。
さりとてあっさりとこれを失敗作と片付けていいかと言うと、どうしてどうしてこの作品の水準は決して低くありません。うきうきするようなものではないですが、役者さえ揃えば思わずニヤリとさせられるような作品に仕上げっています。

個人的には、ここでのヴェルディの筆は大きなアンサンブルよりもアリアや2重唱などで冴えているように思っていて、それだけに主要な役どころで人を揃える必要があり、上演は結構大変なのではないかと。私が持っている音源は後で挙げる2つですが、どちらも全部満足とは行っていません。
オモシロ要員でいくならまずはやはり男爵と財務官が大事です。冒頭の小さなものを含めると3回このコンビの2重唱があり、そのどれもがコミカルで楽しいドタバタものです。ここは藝達者なひとに歌って欲しいところ。主人公たるベルフィオーレもまたブッファに於けるバリトンですからオモシロ要素は必要な訳ですが、一方でポッジョとの戀の鞘当てもありますし、偽国王だと自覚して行動しているので、この喜劇全体を斜め上から見ているようなポジションに見えなくてはいけないし、と結構な難役でしょう。ポッジョはF.レハール『メリー・ウィドウ』のハンナに似た役で、勘の鋭い色気のある雰囲気が欲しいし、技巧的にも結構大変。技巧と言えば若い戀人たちもベル・カント的な技術の欲しいところ。
少なくない登場人物への要求がいずれも高いことも、この作品がスターダムになりづらい理由かもしれません。

<参考音源>
○アルフレード・シモネット指揮/ベルフィオーレ…レナート・カペッキ/男爵…セスト・ブルスカンティーニ/ポッジョ…リナ・パリューギ/ジュリエッタ…ラウラ・コッジ/エドアルド…フアン・オンシーナ/財務官…クリスティアーノ・ダラマンガス/伯爵…マリオ・カーリン/ミラノ放送管弦楽団&合唱団
>伊国の古い古いレーベルチェトラの録音。ここの録音は、恐らくまだ時間的な制限もいろいろあった時代のようだし、慣用カット当り前の時代の流れの中にあるので、どの音源もカットがかなり入ってます。これもご多分に漏れずと言うところ。ところがこれ、ものすごく楽しいんです。まずは男性低声3人のできが非常にいいと言うところでしょう。我らが性格派カペッキはコミカルなんだけれども男らしくベルフィオーレを演じているし、ブルスカンティーニのけたたましい男爵も笑えます。ここでしか聴いたことのないダラマンガスも声楽的には不安定な箇所もありますが、雰囲気は満点。オンシーナの歌い方は古風でいまどきの力強さはありませんが、柔らかに響く声はタリアヴィーニやヴァレッティを彷彿とさせて、悪くありません。コッジもまずまず。一番の問題は当時の名花パリューギで、高音がやや不安定なのと、声があまりにも細く可憐でポッジョが小娘のように聴こえてしまうのはちょっと…。音質は当時のものとしては悪くないし、シモネットの指揮にも不満はありません。

○リコ・サッカーニ指揮/ベルフィオーレ…アレッサンドロ・コルベッリ/男爵…エンツォ・ダーラ/ポッジョ…クリスティーナ・ロルバフ/ジュリエッタ…ルチアーナ・ディンティーノ/エドアルド…パオロ・バルバチーニ/財務官…ネルソン・ポルテッラ/伯爵…ロベルト・マッツァレッラ/ヴェローナ野外歌劇場管弦楽団&合唱団
>最近の音源なのでいい音質でカットも少なく聴けるかな、と思って入手したのですが微妙でした^^;正直音質はシモネット盤の方がうんと良く、聴けないものではありませんがライヴとは言え新しい音源でこれはどうなの?という感じ。カットは実際少ないですが、例えばエドアルドのカバレッタなんかは繰り返して欲しかったかな。全体に演奏の質自体は決して低くないし、コルベッリとダーラという名ブッフォ2人はそれなりに面白いのですが、弾けるような楽しさのあるシモネット盤に較べるとやや遜色があります。
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曲竜

130602_0856~01
※写真がいまいちだったんで、変えました(笑)

曲竜
Ankylosauria

先週末に大阪に行ってきました^^
というのも、土曜日にはきしわだ自然資料館で「きしわだ恐竜教室特別版」ということで林昭次さん(大阪市立自然史博物館所属)の曲竜の講演があり、日曜にはtwitterでのふらぎさんのお声掛けで大阪市立自然史博物館のモンゴル恐竜化石展にという夢のように充実した週末のためです♪土曜も日曜も一緒に遊んでくださったみなさん、ありがとうございました(笑)
関西のみなさんにはいつも感謝感謝です。

さて折角曲竜の話を聞きに行くわけだし、モンゴル恐竜化石展ではたくさんの曲竜の上質な化石があると伺っていたので、アイディアだけあっためていたこいつを作ってみました。

130529_2018~02

特徴的な棘棘は思い切って省略し、硬い装甲を前面に打ち出しました。けどもうちょっといじると棘も出せるのかな。
折っているところでふらぎさんに言われたのが、折り紙表現と曲竜の特徴である鎧は相性がいいのではないかと言うこと。使う紙は正方形が基本ですし、洋紙は直線や平面の方が出しやすいので、これは納得できる話。方針が立てばこいつらもそうですし、過去には甲冑魚も作りやすかったです。

いろいろ省略した分シルエットには結構気を遣ったつもりです。

130529_2018~03

下から見るとこんな感じ。曲竜は水平方向に広がった感じの身体の割に脚は体の軸に寄っているイメージがあります。
ちょっといじったらグリプトドンとかもいけるかも。

121-1.png

モンゴル恐竜化石展で展示されている巨大な曲竜のハンマーとぱちり^^
これ、笑っちゃうぐらいでかいですwww普通に大人の男が座れますwww

モンゴル恐竜化石展は6/2(日)まで。お近くの方は是非!
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第三十九夜/麗しき青年~

一口にオペラ歌手と言ってもいろいろな声、いろいろな歌があります。
テノールと言うと力強く男らしい高音を、喇叭の如く高らかに響かせることに心血を注ぐ、所謂「テノール・バカ」のイメージがあるかもしれない。
今回の主役は、しかしそんなイメージを覆す世紀の名テノールです。

AlfredoKraus2.jpg
Werther

アルフレード・クラウス
(アルフレード・クラウス=トゥルヒーヨ)

(Alfredo Kraus, Alfredo Kraus Trujillo)
1927~1999
Tenor
Spain

20世紀中葉から後半にかけて活躍した録音史上屈指のテノーレ・リリコです。
甘い声とも真摯な歌で多くの聴衆を魅了し、没後15年近く経った今でもその歌声は愛され続けています。その歌い口は先に挙げた「テノール・バカ」とは一線を画し、気品に満ちて端正。高音も強くきちんと決めますが、決して張り上げることなく優雅で、爽快です。

自分の声に対して厳しく、声に会った役柄に絞って活動したため、レパートリーが非常に少なかった歌手としても有名です。多くのテノールが主要なレパートリーとしているG.プッチーニ『トスカ』のカヴァラドッシですら、1回だけ歌って自分に合わないと判断し、2度と歌わなかったとか。加えて年間の公演回数も少なかったそうです。
その甲斐あって生涯現役を貫き、72歳で斃れるまで驚異的な美声を維持しています。カラスとの共演からアンダーソンとの共演まで殆ど遜色ない若々しい歌声が聴けると言うのは、本当に信じられないことです。
爽やかな永遠の青年ともいうべき彼の藝術とは裏腹に、それを保つためには想像を絶する恐るべき節制と執念があったに違いありません。

<演唱の魅力>
ここまででも述べてきたとおりクラウスの藝術は、所謂伊的な熱狂、ひたすら温度が高くてギラギラして血沸き肉躍るような世界、デル=モナコやコレッリやボニゾッリのそれとは全く異なります。あくまでも高貴で優美で、力強さよりは格調の高さを感じさせるものです。剛腕でパワフルな英雄ではなく、気位の高い貴族の若々しい青年を思わせる歌唱。

彼の歌には、無理のない自然な美しさがあります。
それは彼が余力を残して本気で歌っていないという証拠でも、本当の意味でナチュラルに思うがまま自由勝手に歌うある種の天然さんだという証拠でもありません。そこから感じ取るべきはむしろ逆で、持てる力を最大限に使って力みやエゴのない美しい音楽を作っているということです。彼の自然で優美な歌唱は匠の技ともいうべき絶妙なコントロールによって裏打ちされたものであり、自分の声と与えられた役柄、そしてそこにつけられている音楽をよくわかっていなければなしえない、非常に知的な藝術品なのです。

彼がそうした自身のスタイルを確信を持って貫いていたことは、絞りに絞られたレパートリーを見れば一目瞭然でしょう。
まずは何と言っても彼のシグニチャー・ロールであるJ.E.F.マスネー『ウェルテル』を中心とする仏もの。当然ながら仏ものと言ってもこの中にはG.ビゼー『カルメン』のドン・ジョゼやC.サン=サーンス『サムソンとデリラ』のサムソン、G.マイヤベーアの諸作品は含まれません。仏ものテノールのもう一方の路線と言うべきやわらかで優美な旋律が求められる作品では彼の良さが最大限に活かされます。
そしてしっかりとした様式のある音楽であるベル・カントの諸作品。特にG.ドニゼッティでは他を以て替えがたい名唱を残しています。薫り高い気品にはうっとりするばかりです。G.F.F.ヴェルディも熱気の音楽やドラマティックな音楽ではなく、残しているのは優美な旋律のあるマントヴァ公爵(『リゴレット』)とアルフレード・ジェルモン(『椿姫』)。いずれもキャラクターに合っているかどうかを飛び越えてしまう美しさ。
様式がしっかりしていると言えばW.A.モーツァルトも。特に『ドン・ジョヴァンニ』のドン・オッターヴィオでの歌唱は、この役を語る上では外せないでしょう。同じモーツァルトでも独語のものは歌っていません。いかにもベストを尽くせる役を厳選する彼らしい話です。

<アキレス腱>
自分の声にあった役を厳選して厳選して歌うので、残されている録音に外れはほとんどないと言っていいと思いますが、流石にG.ロッシーニ『セビリャの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵はアジリタがきつそうでした……たぶんあのときしか歌っていないのでしょう。私が聴いたのもいかにも掘り出し物という風情でした(ちなみにフィガロがカプッチッリ!という珍盤。内容も本当に珍盤って感じ^^;)。youtubeで探すと何故かヴェルディ『トロヴァトーレ』のカバレッタも歌ってますが、これはまあ余興でしょうね(笑)

あえて言うなら彼のレパートリーには気品に追い付いていない役も少なくありませ……いや、でもテノールの役は割とみんなそうだなw

<音源紹介>
・ウェルテル(J.E.F.マスネー『ウェルテル』)
プラッソン指揮/トロヤノス、マヌグエッラ、バルボー、バスタン共演/ロンドン・フィル/1979年録音
>不滅の名盤。後にも先にも彼以上のウェルテルは現れないと言って良いのではないでしょうか。ウェルテル自体はどうしようもない奴だと思うんだけど、これを彼がやるとまあなんと魅力的になることか!匂い立つ気品、若々しい歌声はまさに永遠の青年たる彼の面目躍如たる録音。“オシアンの歌”も希代の名唱だけれどもシャルロッテが結婚することがわかってからの情熱的なソロの素敵なこと!大人の色気のあるトロヤノス、絶妙な匙加減で堅実な戀敵を演じるマヌグエッラはじめ脇役もしっかりしています。悪いこと言わないからクラウスだけでも聴いて欲しいと思います。

・レーヴェンスウッド卿エドガルド(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
レッシーニョ指揮/グルベローヴァ、ブルゾン、ロイド共演/ロイヤル・フィル&アンブロジアン・オペラ合唱団/1983年録音
>超名盤。エドガルドのみを俎上に取るのならば、或るベクトルで最高の音源だと言って良いのではないでしょうか。もちろんよりドラマティックなエドガルドを望む向きもあるでしょうが、この作品がドニゼッティのベル・カントものだと考えるとこうした優美な姿もまた一つの理想像でしょう。特にフィナーレのアリアは見事と言うほかありません。これほど死に際の美しいエドガルドも他にはないでしょう。ブルゾンはハリのある声も役作りも見事ですがベル・カントだからヴァリアンテ入れて欲しいような気もしたり。ロイドは手堅いもののもうひと押しあればいいのですが。世評の高いグルベローヴァのルチアは他のベル・カントものよりは違和感は少ないものの、伊ものでは彼女の声はやっぱり浮いてしまう気がします。一番問題なのはレッシーニョの指揮で、これがもっときびきびしたものだったら印象変わったんじゃないかと思います。

・アルフレード・ジェルモン(G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)
ギオーネ指揮/カラス、セレーニ共演/サン・カルロス劇場管弦楽団&合唱団/1958年録音
>不滅の名盤。以前に述べたようにカラスは素晴らしいですしセレーニも力演ですが、ここでのクラウスは本当に若々しい!音質は決してよくありませんが、その向こう側から感じられる声の瑞々しさと言ったら!数ある録音の中でも役にふさわしい若い力を感じられるという点では外すことのできない名盤です。

・ファウスト(C.F.グノー『ファウスト』)
エチュアン指揮/スコット、ギャウロフ、サッコマーニ共演/N響&合唱団/1973年録音
>東京で行われた奇跡の演奏の記録です。この作品のファウストはゲーテの原作に較べると随分軽い奴なんですが、彼の気品に満ち溢れた歌唱を聴くとと俄然説得力が増します。映像で見るとまた姿が素敵で(このひとは容姿にも恵まれていた!)、一気に作品にのめり込んでしまいます。終幕で圧巻の歌唱を繰り広げるスコット、魅惑の悪魔を演じるギャウロフとバランスも素晴らしい。

・ファウスト( A.ボーイト『メフィストーフェレ』)
サンツォーニョ指揮/ギャウロフ、テバルディ、スリオティス、デ=パルマ共演/シカゴ・リリック・オペラ管弦楽団&合唱団/1965年録音
>不滅の名盤。同じくファウストながら彼としては珍しいレパートリーであるように思いますが、ここでの歌唱はこの役のベストと言っていいものだと思います。上品で知的な彼の雰囲気ともピタッと来ると言う意味でも珍しい役かもしれません(笑)特に終幕のロマンツァは絶品。本物が憑依したのではないかと言う迫力のギャウロフ、情感豊かなテバルディ、絶唱を繰り広げるスリオティスと共演も見事。ここでも登場するデ=パルマ、藝歴長いなぁ。

・フェルナンド(G.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』)
モリナーリ=プラデッリ指揮/コルテス、ブルゾン、シエピ共演/ジェノヴァ市立歌劇場管弦楽団&合唱団/1976年録音
>フェルナンドもまた彼の得意中の得意の役。やはり身分のある役を演じるのであれば、ある程度は気品が欲しいもので、聴いていてあまり下卑た騎士が出てきたりするとそれだけでがっかりする訳ですが、彼の歌唱であればそれは絶対にないですね(笑)終幕のアリアは絶品です。ブルゾンとシエピはまた品格の上でも歌唱の上でもそれぞれ見事な声で聴かせてくれるのですが、今一つ煮え切らない指揮とあまり魅力のないコルテスが残念。せめてヒロインがもっと別の人だったら太鼓判を押すのですが。

・マサニエッロ(D.F.E.オーベール『ポルティチの物言わぬ娘』)
フルトン指揮/アンダーソン、エイラー、ラフォン共演/モンテ・カルロ・フィルハーモニー管弦楽団&ジャン・ラフォルジュ合唱団/1987年録音
>超名盤。いまでは殆ど演奏されることのなくなってしまったオーベールの代表作ですが、埋もれさせてしまうにはあまりにも勿体ない作品(だいたい今の世の中グラントペラを馬鹿にし過ぎだ)。主役であるマサニエッロ役のテノールが歌う場面がかなり多いので、この役にある種のカリスマが必要な訳ですが、クラウスはもう流石のひとことで、終始全体をリードしています。残るソリストもみな立派な歌唱で、忘れられた超人気作を楽しむことができます。

・トニオ(G.ドニゼッティ『連隊の娘』)
カンパネッラ指揮/アンダーソン、トランポン、テザン共演/パリ国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1986年録音(この録音でした!2014.7.1追記)
ごめんなさい、僕がもってるやつの詳細が分からず、加えて全曲聴けていません(汗)が、彼を語るうえでは欠かせないでしょう。全曲聴きました!
悪名高いHigh-Cなんて楽しそうと言うかなんとものびのびと歌っていて、全然大変そうに聴こえてこないという……そのスタイリッシュさには惚れ惚れしてしまいます。
全曲聴いた上で付言するとクラウス御大なんと59歳!とんでもない若々しさでアンダーソンと互角に歌っています!リラックスした高音も魅力的で、有名なアリアだけではなく終盤のロマンスの美しさ、気高さ!最後の高音には痺れます。アンダーソンも役柄にあった歌でコメディへの適性を感じさせる一方、ややシリアスなアリアもバッチリこなしています。トランポンとテザンのヴェテランらしいおじさんおばさんぶりもお見事で、特にテザンのオバタリアンっぷりはかなり笑えます。

・ホフマン(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)2013.12.30追記
ギンガル指揮/ギュゼレフ、ウェルティング、オミリアン、ヘンドリクス、ツィリオ共演/エミーリア・ロマーニャ・アルトゥーロ・トスカニーニ交響楽団&パルマ王立合唱団/1988年録音
>映像そのものがかなり暗かったり、演出や楽譜の扱いが古臭かったりといろいろなくはないのですが、ここでのクラウスは凄まじいの一言!これがテノールだ!とでも言わんばかりの勢いで終始圧倒しますが、中でも登場後すぐの“クラインザックのバラード”の最後の高音の息の長さには瞠目します。ここまでパンチの効いた歌唱をされると他のいろいろなことがどうでもよくなってしまうという、いろいろな意味で古きよきオペラを体感できます笑。共演ではウェルティングのオランピアが歌もですがストップ・モーションがお見事。悪役のギュゼレフは流石に凄味がありますが、高い音の多いダッペルトゥットはちょっとしんどそう^^;

・マントヴァ公爵(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
ショルティ指揮/メリル、モッフォ、フラジェッロ、エリアス、ウォード、ディ=スタジオ共演/RCAイタリア・オペラ管弦楽団&合唱団/1963年録音
>ちょっと毛色の違うものを。や、正直クラウスには全くに合ってないと思うのですよ。爽やか過ぎで素敵すぎでwこれは暑苦しいパヴァちゃんが稀有だとは思うのです、公爵だけどあんまり気品があってカッチョ良いとイメージ違うし。だがしかし、だがしかしこの歌唱は本当にことばもないぐらい歌としての完成度が高くて、特にカバレッタの最後のHigh-Dは圧巻のひとこと。歌手クラウスの底力を感じる録音。メリルの力強いリゴレットはじめ共演もしっかりしていて楽しめます^^

・アルトゥーロ・タルボ(V.ベッリーニ『清教徒』)2015.3.4追記
リヴォーリ指揮/エダ=ピエール、マッサール、トー、デュパイ共演/マルセイユ歌劇場管弦楽団&合唱団/1974年録音
>これはマイナーながら超名盤!何と言ってもクラウス様が最高でございます!^^ひたすら圧倒的ですが、特に3幕の完成度が高く、全曲彼のイメージになってしまうぐらい(笑)どこまでも伸びやかで中身がしっかり詰まっていて、その上しっかりと軽い美声に終始ひきつけられてしまいます。とりわけ3幕の2重唱は素晴らしく、この音源の白眉。ムーティのスタジオでの歌の比ではありませんwエダ=ピエールは伊的ではないもののやわらかで清潔なエルヴィーラ、マッサールとトーもノーブルで引き締まった歌唱でお見事です^^

・ジェンナーロ(G.ドニゼッティ『ルクレツィア・ボルジア』)2018.10.15追記
ペルレア指揮/カバリエ、フラジェッロ、ヴァーレット、エル=ハーゲ共演/RCAイタリアオペラ管弦楽団&合唱団/1966年録音
>随分前に聴いていたものを改めて視聴して、内容の素晴らしさに驚嘆したもの。不惑前のクラウスの爽やかで明快な美声と、キリッと背筋の通ったスタイリッシュな歌い口がたまりません。毒婦と呼ばれたルクレツィアや冷酷なその夫アルフォンソを前にしても毅然として自分の筋を通すまっすぐな若者を、大変好演しています。とりわけ1幕フィナーレの3重唱から2重唱はお見事。この役が運命の役となったカバリエは最高の歌唱で良い音で残してくれたことを嬉しく思いますし、フラジェッロも深みのある低音で渋く決めていて◎ヴァーレットは好きではない歌手なのですが、ここでの歌唱は称賛できるものでしょう。

・アンリ・スミス(G.ビゼー『美しきパースの娘』)2021.7.29追記
プレートル指揮/アンダーソン、G.キリコ、ヴァン=ダム、ジマーマン、バキエ共演/フランス放送新フィルハーモニー管弦楽団&合唱団/1985年録音
>実は初めて聴いた時には今ひとつピンとこなかったのですが、最近改めてじっくり接してみたところ、ビゼーの才能が発揮された良作であることがよくわかりました。クラウス先生は還暦前だったはずですが終始絶好調で、開幕の合唱との絡みでいきなり聴衆の心を鷲掴みにするハイノートを繰り出してくるほど(あんまり構えないでスッと出すのでちょっとびっくりします笑)。もちろん彼一流の繊細な歌によるあの有名なセレナーデも見事なのですが、それ以上にアンサンブルに心奪われるように思います。ちょっと意外なんですがヴァン=ダムとは共演があまりないのですが、決闘の重唱を聴くといずれも油気の強すぎない声の相性がよく、彼らでファウストやホフマンをやってくれたらと思うぐらいです。パースの娘のアンダーソン以下いずれもハマっていますし、何より華やかなメンバーですよね^^名盤だと思います。
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かはくの展示から~第18回/モシリュウ~

このblogは国立科学博物館の公式見解ではなくファンの個人ページですので、その点についてはご留意ください。

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モシリュウ
Moshi-ryu
(日本館3階北翼)

今回の主役はなかなか目立たない小さな展示です。

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ココですよココ!この横たわっている1個の岩です(笑)
うっかりすると見過ごしてしまいそうな地味な岩ですが、ただの岩ではありません。
何といっても日本国内で最初に発見された恐竜化石なのですから。
フタバスズキリュウ発見から遅れること10年、1978年に東北の茂師という場所で発見されたことからモシリュウという愛称がついています。

それではご尊顔(?)を拝してみましょう。
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はい、ぼろぼろですね(^^;
ここまでぼろぼろだと新種なのかどうかはもとより一体何サウルスと一緒なのかもわからないということで、愛称以上の名称をつけるのは難しいようです。これが例えば化石がたくさん見つかる北米とかモンゴルだったら顧みられることのなかった化石だったかもしれません。そういった地域と較べると保存状態のいい大型の生き物の出づらい日本の、しかも恐竜化石第1号でなければ、こうして展示されることはないものと言ってもいいでしょう。

しかしこうした保存状態であったとしても、この化石の重要性は全く薄れません。
科学博物館にとってはもちろん研究に於いて意義深い「資料」も大事ですが、研究史に於いて意義のある「史料」もまた重要であるからです。どんなにぼろぼろであったとしても、モシリュウが日本産恐竜第1号であるという厳然たる事実に変わりはありません。この標本がなければ、その後の日本での恐竜の発掘や研究は、或いはなかったかもしれない。そういう意味ではやはり重要な標本です。
だからこそ、この標本を発掘し、保存し、そして研究していくために多くの人が尽力しているのです。

エピソードも沢山ありますが、有名なのはその発掘の時のもの。
発見された段階で非常に脆くなっていたモシリュウを掘り出すのはかなり難しく、発掘を行った発見者の加瀬友喜はかなりの苦心をします。人手もものもない状況である一方、放っておけば化石はすぐに風化して崩れてしまうかもしれない状況。何とか早く化石を固めて掘り出さねばならないということで、行ける範囲の文房具屋(と言ってもバスで2時間かかるようなところまで向かったとか)の接着剤を買占めて発掘を続け、どうにか事なきを得たと言います。まさに涙ぐましい努力です。
※保存状態が悪く、そのまま発掘すると化石がぼろぼろになってしまう場合には、接着剤を使ってひとまず化石そのものを固定することは珍しくありません。

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ものとしては頸と尾が長くて体が大きいアパトサウルスの仲間の上腕骨だと考えられています。
その中での位置づけについても、現在かはくに所属している真鍋真先生はじめさまざまな方の努力によって1991年に論文が発表されています。

モシリュウ発見から35年が経った今日、日本でも各地から恐竜が発見されています。2013年5月20日現在日本で発見されて名前がついた恐竜は4種類、いずれも福井産です。
またこの国は意外とアパトサウルスの仲間に縁があるのか、兵庫県の篠山層群からは彼らの仲間のタンバリュウが発見されており、研究が続けられています。タンバリュウは国内で発見された恐竜としてはかなりの保存状態で、脳の入っていた部分の骨や頸の骨の一部も出てきています。今はまだ愛称だけですが、直に正式な名前もつくと思います
※タンバリュウの研究風景は兵庫県立人と自然の博物館の恐竜ラボや丹波竜化石工房で見ることができます。

日本の恐竜研究の原点と言える標本です。
そうした背景に思いを馳せて、是非本物を観に足をお運びください^^

<参考>
ニッポンの恐竜/笹沢教一/集英社新書/2009
丹波竜 太古から未来へ/兵庫県立人と自然の博物館監修/神戸新聞総合出版センター編/2010
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Tarbosaurus

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タルボサウルス
Tarbosaurus bataar

ティラノサウルスではなくてタルボサウルスですw

タルボサウルスと言うのは、ティラノサウルスに大変近縁だと言われているアジアの肉食恐竜です(ティラノは北米。ちなみに同じぐらいの時期に北米とアジアには結構似通った恐竜の仲間が見つかっていて、ベーリング海峡が繋がっていた根拠とされています)。実際両者は同じだという見方もあるのですが、観てみると結構印象が違っているように個人的には思っていて、ティラノのあの全身の骨から感じられる濃ゆさがタルボは薄いというか、ソース顔な印象のティラノに対して醤油顔のタルボというか。さりとて素人の私めが違いをきちんと指摘できるかと言うと困難を極めるのですが(^^;
いずれにせよ茫漠としたイメージでしかないものの、ティラノではなくてタルボの印象に近くなるよう意識して作ってみました。

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さて、そもそもなんでティラノじゃなくてタルボなのかと言うと、友人のH氏の協力により、現在大阪市立自然史博物館で行われているモンゴル恐竜化石展の公式フィギュアを手に入れたからです笑(H氏ありがとう!)
安直なのですが、ふらぎさん作成のこのフィギュアは実に良くできていてウキウキするぐらいで、出来のいい作品を見ると自分でも同じものに取り組んでみたくなる、というのはヒトの性なのかもしれませんね←大袈裟
きちんと2足で自立する重心の持って行き方にも頭が下がります。

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私自身はこの作品、敢えて少し古めかしい姿勢で仕上げてみました。
これには訳があって、実はふらぎさんの作品の底本にもなっている、昔かはくの入り口に展示されていたタルボサウルスのポーズと同じポーズを狙ってみました。当時は入ってすぐこの姿勢のタルボの全身骨格とマイアサウラの全身骨格が展示されていました。そこには「ああ博物館に来たんだ」と思わせる存在感があり、入ってすぐに来館者の心を掴み、圧倒する展示だったのです。
ご多分に漏れず、子供時代の私にも非常に鮮烈な記憶として残っており、作りながら懐かしい想いになりました。あの展示を知ってる人たちにもそう想ってもらえたら嬉しいな、なんて思います^^

ちなみに、モンゴル恐竜化石展とタルボフィギュアについてはふらぎさんのこの記事もどうぞ。
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【目次】Viva! VERDI!

ヴェルディ生誕200年を記念して、ヴェルディの作品を全部聴いてみようと意気込んで始めてみました^^

終わるんかいな。終わらんなぁ^^;2013年中に聴くのは諦めましたw

オベルト、サン=ボニファーチョの伯爵

1日だけの王様、または偽のスタニスラオ

ナブッコ(ナブコドノゾール)

第1回十字軍のロンバルディア人

エルナーニ

2人のフォスカリ

ジョヴァンナ・ダルコ

アルツィーラ

アッティラ

マクベス(初演版)

群盗
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オベルト、サン=ボニファーチョの伯爵

既にしてシリーズものが飽和しつつあるこの状況下で更にシリーズを増やすのは愚策なような気もするけどw、これはどうしてもやりたいので。

2013年はヴェルディ及びヴァーグナーの生誕200年ということで世界中のオペラファンが湧いています♪
私自身はヴァーグナーはどうでもいいのですが(←こら)、ヴェルディの生誕200年はやはり祝わねばならない!ということで、ヴェルディの歌劇作品+1を頭から順に追って聴いてみよう!という無謀なことを始めました。本当は今年の頭からやるつもりだったんだけど、積ン聴が溜まりすぎてやっと始められるというこのグダグダさwwwたぶん年内に終わんないけど、気長におつき合い下さい(笑)

基本情報は頑張って書くつもりですが、このご時世ヴェルディなら粗筋はちょっと探せばマイナー作でも結構簡単に見つかるんで許して(笑)

* * * * *

オベルト、サン=ボニファーチョの伯爵
Oberto, Conte di San Bonifacio
1839年初演
台本:アントニオ・ピアッツァ&テミストクレ・ソレーラ

<主要人物>
オベルト(Bs)…サン=ボニファーチョの伯爵だが今は落ちぶれている。
レオノーラ(S)…オベルトの娘。リッカルドと相思相愛だったが捨てられる。
リッカルド(T)…サリングェルラの伯爵でオベルトの政敵。クニーザの婚約者。
クニーザ(Ms)…ヴェローナの領主でオベルトの政敵であるエッツォーリーノの妹。

<音楽>
・序曲
○第1幕
・導入の合唱
・リッカルドのアリア
・レオノーラのアリア
・レオノーラとオベルトの2重唱
・合唱
・クニーザとリッカルドの2重唱
・レオノーラとクニーザ、オベルトの3重唱
・フィナーレ

○第2幕
・クニーザのアリア
・合唱
・オベルトのアリア
・レオノーラ、クニーザ、リッカルド及びオベルトの4重唱
・騎士の合唱
・リッカルドのロマンツァ
・レオノーラのロンド・フィナーレ

<ひとこと>
一応公式にヴェルディの処女作とされている作品(本当は『ロチェステル』という作品をほぼ完成に近い状態まで持って行っていたらしいのですが、それは破棄されたとか転用されてこのオベルトになったとか。いずれにせよこうして全曲楽しむことのできるものとしては現存する最古のもの)。何度か改訂や差替えも行っており、上記の曲の流れの中では2幕の4重唱は後に書かれたもののようです。
上演されることは余りありませんが、20世紀後半からのマイナー作品発掘の機運に乗って実は意外と録音されているようで、パネライ主演ベルゴンツィ、ディミトローヴァの豪華なガルデッリ盤やレイミー主演のマリナー盤、エステス主演のものに、弟アブドラザコフ主演の映像もあります。どれも持ってないけど^^;

どこでも述べられていることですが実際に聴いてみると、ロッシーニやドニゼッティ、ベッリーニ、メルカダンテといった先輩たちの影響が顕著に表れています。個人的にはドニゼッティやメルカダンテっぽいな~と思うところが多かったかな。ロッシーニほど技巧的でなく、ベッリーニよりは力強く。
そう思って見てみると、全体の構成だけでもこの作品がヴェルディの諸作の中ではやはり古い形を残しているように思います。彼の作品で1幕あたりが長い2幕で書かれているのは、この『オベルト』と次作『一日だけの王様』だけです。一般的な傾向として、聴衆の志向が同じ長大な作品でも休憩の少ない2幕ものより、多いものへと変化していたと言われているので、そういう意味ではこの特徴はいかにも古めかしい。また、これは意外なことですが、ヴェルディの作品のなかで、技巧的なソプラノのロンド・フィナーレで終わるのはこれだけです。また、主役がバスであることから後のヴェルディのバリトン志向が述べられることが多く、確かにテーマ的にはそうした側面も無きにしも非ずとは思いましたが、音楽を聴いてみるとバスのオベルトの扱いが必ずしも大きいとは言えず、どちらかといえばまだ古いプリマ・ドンナ・オペラ的な匂いを感じました。初演された1839年の段階で言えば、ドニゼッティは既に『サン=ドミンゴ島の狂人』(1833)、『トルクァート・タッソー』(1833)、『マリーノ・ファリエーロ』(1835)、『ランメルモールのルチア』(1835)、『ベリザリオ』(1836)などバリトンやバスの比重のより大きい優れた作品を発表しており、この内容から進取の精神を見て取るのはやや厳しいように思いました(というかこうして並べてみると、ドニゼッティはヴェルディがやったことをやりたかったんだろうな、などとも思う訳ですが)。

さてそうしてみると先輩たちの影響は色濃いわ、ヴェルディの個性はまだそこまで出ていないわであまり面白くなさそうな印象を持たれる方もいるかもしれませんが、ベル・カントの作品として聴いたとき、この作品は決して聴き劣りしない、立派なものだと思います。4人の主役が入れ代わり立ち代わり優美で技巧的な歌を歌い、歌手さえきちんとした人が揃えば楽しめること請け合いです。ただし、この作品に於いて歌手に求められるのは、上述した内容からいけば当然ですが、ドラマティックな迫力ではなく細やかな音をこなしていく技術であり美しい発声ですから、所謂ヴェルディの作品とはちょっと趣が異なるかと思います。

<参考音源>
○ダニエレ・カッレガーリ指揮/オベルト…ミケーレ・ペルトゥージ/レオノーラ…ジョヴァンナ・デ=リーゾ/リッカルド…ファビオ・サルトリ/クニーザ…ガブリエラ・コレッキア/マルキジャーナ・フィル管弦楽団/ヴィンチェンツォ・ベッリーニ・マルキジャーノ歌劇合唱団
>上記のようにベル・カントの作品として聴くと、この録音は大変優秀なものだと思います(というかこの録音を聴いて上記のようにこの作品を捉えた訳でそういう意味ではいささかトートロジカルではあるのですが)。カッレガーリの音楽は軽やかで、作品に良く合っています(こういうので重ったるくやられたりオケをばかすか鳴らされたりすると本当に興ざめですからね^^;)歌手ではやはりペルトゥージの存在感がお見事。ベル・カント的にやっていながら復讐に燃えるところで感じさせる凄味など、まさにこのジャンルの第一人者と言うべきところ。次いでサルトリの優美な歌が大変結構です。『アンナ・ボレーナ』のペルシがいまいちだったので正直期待していなかったのですが、役に合った声も見事ですし、折り目正しく歌っているのにも好感が持てます。プリマのデ=リーゾはやや癖のある声が気になりますが、飛んだり跳ねたり技巧的で厄介なこの役をこれだけ軽やかにこなして呉れれば文句はありません。コレッキアも淑やかな感じのする声でデ=リーゾと区別もしっかりつきますし、難しいパッセージも良く歌っています。作品を理解するためにも、楽しむためにも水準以上の佳盤と言えるでしょう。
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冬虫夏草

冬虫夏草

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折角blogを立ち上げたので、旧作のうち気に入っているものも少しずつご紹介。
冬虫夏草というのは、昆虫や蜘蛛などの蟲に寄生し、終いには蟲そのものを殺して子実体を延ばすキノコの仲間です。冬に虫だったものが夏には草になっているというので、こう呼びます(もちろんキノコは実際には植物ではありませんが笑。詳しくはこちら。)

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この仲間も実は様々な種類があって、アリタケ、クモタケ、ヤンマタケ(トンボにつく)などなど、専門の図鑑があるぐらいたくさんあります。ここでは、一番メジャーなセミタケを意識しました。
が、実際こんなに子実体伸びたら菌糸で蟲の姿はほとんど見えないような気がするw
ちなみに、同じセミにつくキノコでもツクツクホウシタケとかセミタケに限らず種類があります。

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こういう作品では洋紙の硬い線よりも和紙のやわらかい線の方がそれっぽい雰囲気が出ます^^
本当はもっと毛羽立ってるような紙を使うと菌糸っぽくていい感じになるような気もしていますが、折りづらそうでまだ試してない^^;
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イーハトーヴ交響曲

Eテレで放送され話題となっていたのですが、当日は旅行中で観られなかったので今日音源を聴いてみました。ネット評を見る限り音源でというよりは映像で楽しむべきものであるようなので、飽くまで音を聴いた感想と思っていただければ。また、初音ミクという媒体をこうしたライヴの演奏に組み込むことと言うのは非常に高度な技術が必要なことということで、それ自体は想像に難くないことですが、私自身はそこについては具体的な知識が皆無なので、そこの部分はここでは触れません。ほとんどまっさらの状態で聴いてみた感想だと考えていただければ。

全体を通して何度か聴いてみて、正直申し上げて感動には程遠かったです。
賢治の世界を表現すべく、優秀な人材と最新鋭の技術を投じた壮大なプロジェクトを挙行したけれども、看板倒れになってしまったな、というのが率直な感想です。

賢治の話となると一にも二にもまずは壮大な幻想世界のイメージがあるようで、音楽に限らずさまざまな表現媒体で彼を本歌どるとそうした作品を志向する傾向があります。個人的にはそのことの是非は何処かで問わねばならないような気がしています。確かに幻想の中で遊ぶ部分というのは賢治の中で非常に大きいですが、作品の背景にあるのは当時としてかなり高度な科学の知識であったり、或いは非常に強烈な宗教思想だったりという部分があります。どうもこうした部分には拘らず非常に安直に幻想的雰囲気を醸すことに終始する作品が多いように思うのです。話が逸れましたが何が言いたいかと言えば、音楽で以て賢治を題材に幻想的な雰囲気を醸し出す作品は既にたくさん存在するし、この作品もその域を出ない印象だったということです。手法としては、話題となっている初音ミクなどびっくりするようなものも用いているけれども、できた結果としてはなんだか普通の作品。特に「雨にもまけず」などは賢治をベースとした作品として新規性がないと思う以上に、あまりにもありきたりな現代音楽の合唱で、合唱コンクールに行けば似たような曲はいくらでも聴けるでしょう。

聴きとれる範囲での各作品やことばの扱いもどうなんだろうという感じ。飽くまで私個人の読み方に合わないと言うことなのだと思うのですが…。
例えば『風の又三郎』など比較的明るい作品だと思うのですが、不安感を煽るような音楽になっています。逆にもっと凄味の欲しい『注文の多い料理店』は皮肉めいた雰囲気は悪くないにしても背筋が寒くなるような恐ろしさが感じられない。全編どこかしらそういう賢治の作品からの印象との不一致があって、なんだか素直に楽しめないのです。間違いなくしっくり来るのは原体剣舞連の打楽器と星めぐりの歌ですが、剣舞連は詩の扱いがなんだかなぁと思うし星めぐりの歌はそもそも賢治が作曲してますからね(^^;
ことばの扱いというところでいくと、元来の賢治の作品から感じられるリズム感が活きていないと思います。“どっどどどどうど”にしても“dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah”にしてもなんだか間延びしてしまっていて痒くなります。また、子供たちが「カンパネルラー!」「ジョバンニー!」と叫ぶところもなんだか全く切迫感がなくて、正直ずっこけました。「さわやか3組」みたいなノリで明るく楽しくわらわらと言われても(苦笑)これはアニメ映画での田中真弓の「カンパネルラぁぁッ!!!」が脳裏に焼き付く凄演だけに余計に稚拙に響きました。

それから取り沙汰される初音ミクですが、試みとしては面白いしインタビューなんか見ると作曲者の意図もわからなくはないですが、ちょっと自己主張し過ぎで賢治の世界から浮いてしまっている感じ。「イーハトーヴ交響曲」と銘打ってるのにいきなり「わたしは初音ミク~♪」はないんじゃないの^^;作曲者が“彼女”を起用したのはvocaloidという存在の面白さやら特性やらからだというのは納得するけど、これじゃただキャラソン作っただけですよ。「注文の多い料理店」の読み替えというのも理窟を聞けばふーんと思うけど、初音ミクは賢治の創作物ではないですし、前知識なくあの歌詞がいきなり出てきたら意味不明ですよ。

と言う訳で私自身にとってはアニメ映画「グスコーブドリの伝記」、NHK「80年目の賢治」に続きガッカリでした。媒体が異なる訳ですから、全てを賢治の原作どおりにする必要はなく、意味のある改変はあってしかるべきだとは思うのですが、なかなか難しいですね。他に音楽で言えば久石の作品もありましたがあれもいまいちでしたし。じゃあ自分に何が作れるかって言ったら手が止まってるんですけどね(苦笑)
宮沢賢治 | コメント:0 | トラックバック:0 |

ウミユリ

ウミユリ
Crinoidea
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以前一度作った主題ですが、柄が短くてちょっと満足いってなかったので。
この写真のように何個かつくるとより見栄えが^^

脚がいっぱいあって非常に複雑な格好に見えますが、基本の形は割と単純。
折鶴の途中でできる真四角の部分がありますが、ほぼあれです。

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ただ、これ意外と何個も作るのは結構大変です^^;
上から見るとこんな感じですが、要するに同じ形の繰り返し。これは厭きますwww
ま、そう言いながらできると嬉しいもんだし、冒頭に挙げたように何個か作った方が見栄えがするもんだから頑張ってしまうのが折り紙する人間の業みたいなもんなんでしょうが笑。

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中ぐらいのやつは実は花柄の千代紙です。
千代紙は主張するガラがあるので、割と使いどころを考えるところがあって、例えばあまりにもややっこしいものを折るとガラと作品が喧嘩しちゃうこともあります。ここではウミユリのしわしわ感を出すのに一役買って呉れそうかな、と思っての登板。
折り紙 | コメント:0 | トラックバック:0 |
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