Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

Ah! Che ne dite? ~バルトロとバジリオの陰謀~

Ah! Che ne dite? 
~バルトロとバジリオの密談~

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オペラの場面を折るシリーズの第2弾。
今回はG.ロッシーニ『セビリャの理髪師』から、悪役コンビの愉快な密談の場面を。

医者のドン・バルトロは自分が後見人となっている姪のロジーナと、財産目当てで結婚しようと画策していますが、アルマヴィーヴァ伯爵が彼女を見初めたことを知り、彼女の音楽の先生であるドン・バジリオに伯爵をセビリャから追い出す相談を持ちかけます。バジリオはバルトロに、伯爵の根も葉もない中傷を町中に広めて彼を追い出そうと提案しますが(有名なアリア“陰口はそよ風のように”)、バルトロは時間のかかる方法は取れないとそっけなく答えます。
と言っても、このバジリオという男、別にバルトロに義理を尽くすような人物ではなく、要は自分が儲かればいいさと言って退場します(ちなみに作品の後半では財布に釣られて退場したり、最後の部分では指輪目当てであっさりバルトロを裏切りますwなんという小悪人!wwwちなみについでですが、彼だけ台本の設定にキャラクターの言及があり、「偽善者」となっています。)。

“陰口はそよ風のように”はそよ風のような小さな中傷がやがて嵐のように大きくなって中傷された人物は叩き潰されてしまうのさ♪と楽しく歌うすさまじい曲で、静かに静かにppで始まり最後はffで終わります。
ここではそのアリアが終わって得意満面で「さあ、如何なもんです?(Ah! Che ne dite?)」と尋ねるバジリオと、彼の大声に閉口し、しりもちをついているバルトロの姿。

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すっかり私のハンドル・ネームとして定着してしまったバジリオは実はこんな感じのキャラなんですね(間違ってもバシロサウルスではないぞ!古生物クラスタよ!笑)
本当はG.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』のフィリッポ2世(こちら参照)やA.ボイトやC.F.グノーの作品で登場するメフィスト(こちら参照)の方が好きなのですが、フィリッポやメフィストのような大物の名前を名乗るのはあまりにも自分は小物だし、せいぜい小悪党な偽善者バジリオぐらいなもんだろうと、半ば消極的に選んだ名前なのですが、いまでは非常に愛着を持っています。
歌う場面自体は実はあまり多くないのですが、意外と公演が面白いかどうかを握っているポジションで、薄味だと面白くない(笑)セビリャは好きなので楽しく聴き比べていますが、やっぱりバジリオはちゃんとした人がやってるやつがいいな、と下手するとロジーナや伯爵やフィガロよりもバジリオで音源をえらんでたりします(笑)

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そんなわけで、そんな愛着のあるキャラを作ってみたくなっちゃったのが今回の始まりです。
マントがどうしても膨らんでしまうので、その補正のため一部だけ糊で固定しています。

この前のファウストと同じ路線で行けるかと思って始めてみたのですが、多くの演出でバジリオが被っている謎の長い帽子と鉤鼻がそれだけだと折りだしづらくて、挫折orz...その後、とりあえずもう帽子と顔だけでも作れればどうにかなるだろうと見切り発射したらこれが意外とうまく行っちゃいました(笑)
陰険さが滲み出るような顔立ちに見えていればベストなんですが、如何でしょうか?

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バジリオを折るならやっぱりセットでバルトロも居なきゃ!ってんで折ったのがこちら。
こちらはなるべく滑稽に見えることを重視、というわけでわかりやすく尻もちをついたポーズ。結構この部分はこういう演出あると思います。

バジリオが細身で顔も三角なので、なるべく肥満体に、そして丸顔に作ってみました。
結構困ったのが髪型で、バジリオは意外と一目見てそうとわかるような恰好(先ほど出てきた長い帽子や、鉤鼻、昔の西欧の家庭教師的な牧師風の衣装)があるのですが、バルトロはそうでもないためいろいろ考えました。結局最終的にはバッハっぽい鬘をかぶった姿になりました。
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雷竜今昔

雷竜今昔
"Brontosaurus" & Apatosaurus

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今回は、私のプロフィールやら名刺やらに登場している旧作を。

長いこと“ブロントザウルス”(bronto=雷、saurus=竜)として知られていた恐竜が、いまはアパトサウルスと呼ばれていることについては、以前こちらで触れましたね^^
ブロントサウルスという学名を再評価する動きも出てきました。詳しくはこちら。(2015.4.9追記)

ここでは両者を並べてみました。

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最初にできたのは“ブロントザウルス”の方。

このどっしりした竜脚類の重量感は、どうにか表現できないかと結構長いこと考えていたもの。この手の竜脚類の作品って“ブロントザウルス”型のものもアパトサウルス型のものも含めて結構あるんですが、実際作ってみると割とぺったんこで、竜脚類一流のあのずっしりとした胴の感じが再現されているものが少ない気がしていたのです。と言っても丸っこい造形と言うのは折り紙に於いては困難極まりないので、結構長いこと投げていました^^;

その後暫くしてafragiさんとお友達になる機会を得て、彼のコティロリンクスに触発されて、コティロリンクスを作ってみたんです(あ、この作品もいずれどこかで^^;)。で、作ってみたら今度はそいつのでっぷりとした腹回りはまさしく作りたかった雷竜のそれに非常に似ていて、頸を延ばしたらそのまま“ブロントザウルス”がいけそうな気がしてきた(笑)そんな感じでできた作品です。

折角なので盛大に古めかしくしてやろうと、ほかにも体の真横に張り出した蟹股状態の脚に、頸も今の復元から見れば脱臼状態と言われるぐらいグネっと曲げてみました。

で、我ながらこのレトロな雰囲気が気に入って、あちこちで使っています^^

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で、そうすると当然パーツは全部揃っている訳ですから、今度は新しい復元のアパトサウルスを作ってみました。
新旧復元とかを作るときって結構違うパーツが必要になったりプロポーションが違ったりで案外そのまんま使いまわせないんですが、これは本当にそのまんま(笑)
身体のでっぷり感はだいぶ落としたものの“ブロントザウルス”からそのまま借用。
ちなみに、これに少し手を加えて応用したのがアマルガサウルス

こうして作ってみて分かったのは、今や古い復元となった“ブロントザウルス”も、現状では新しい復元のアパトサウルスも、どちらも非常に魅力のある姿かたちをしているということ。古生物を折っていて楽しいのはこういう折り較べができるところ^^これ以外にもいくつかの恐竜でできたらな、と思っています。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第四十一夜/希国の彗星~

オペラ歌手は、水ものです。

基本的にはマイクを通さずに、オーケストラを飛び越えて、自分の声を劇場中に響き渡らせる。しかも高度な技術を要求されるし、歌として卓越した表現力も求められる。その上、演技もしなければならない。
それを成し遂げるためには飛びぬけた才能も必要ですし、その才能を磨く鍛錬もなくてはなりません。よく言われることではありますが、そういう意味で、彼ら/彼女らは高度なアスリートと言うこともできるでしょう。

しかし、どれほど才能があって、なおかつそれを磨いたとしてもアスリートには選手寿命があります。無茶をすればそれはどうしても短くなる。オペラ歌手に於いてもそれは顕著です。
今回は彗星のように登場し、去っていた大ソプラノを。

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エレナ・スリオティス
(Elena Souliotis, Έλενα Σουλιώτη)
1943~2004
Soprano
Greece

オペラの世界でも最も酷い売り文句だと思うのですが、「○○の再来」ということばがあります。そんな言い方をしても別にそのひとは○○さんではないですし、その藝術は○○さんとは違うものなんで、そのひとに変なプレッシャーを与えるだけで何にもいいことはないのですが。
特に「カラスの再来」ということばの犠牲者はたくさんいます。そして、その不名誉な言葉を冠せられた最初の歌手がこのスリオティスです。カラスと同じく希国の出身、同じようにドラマティックで力強い声、そして同じようにアジリタもできる。20代の若きソプラノ(実はフレーニより8歳も若い!)はカラスの歩んだ道を一気に登らされ、あっという間に破綻を迎えてしまいます。もちろん本人の責任もありますが、罪な話です。
「カラスの再来」だとか「第2のカラス」だとか言われて、「私は第1のスリオティスだ!」と言ったなんて話も残ってるんですから、何とも哀しい話じゃないですか。
とはいえ、我々は破綻へと突き進む彼女のパワフルでドラマティックな声や歌を録音で聴いて痺れているのですから、複雑なものですが^^;

ソプラノとしての声を失ってからはメゾとして活動し、録音こそあまりありませんがそれなりに活躍しているようです。

今世紀の頭に61歳の若さでひっそりと亡くなっています。

<ここがすごい!>
このひともお世辞にも美声とは言い難いでしょう。
けれど、それは彼女にとっては何ら問題ではありません。声楽の面白いところは綺麗な声で綺麗に歌えば素晴らしいものができる、というような単純なものではないところでしょう(尤も、聴くに堪えない悪声は勘弁願いたいですが)。彗星のごとくオペラ界を駆け抜けた人らしく、力に満ち溢れてはいますが、聴きようによってはかなり荒っぽい声です。ただ、そのもうちょっと行ってしまったら破綻してしまうに違いないギリギリのところでの歌声には、独特の緊張感があり、彼女の声によってこそ表現できた世界があります。彼女はしかも、そんな声質で上から下までびしっと声が出る。スリリングな高音も刺激的ですが、私個人としては強烈でパワフルな低音の凄まじさを推したい。例えばガルデッリ盤『ナブッコ』のアビガイッレの登場の場面――この場面は戀人ふたりの場面に横恋慕のアビガイッレが割って入るところですが――の第一声!これは何度聴いても痺れてしまいます。『ナブッコ』は好きな作品なのでいくつも音源は聴いていますが、彼女ほど異様な緊張感を持って現れるアビガイッレは他にはいません。一言で言えば「うっひゃあ、なんかすごいの出てきたwww」と言う感じ。

歌についても美しいことは美しいのですが、どちらかと言えば荒削りな魅力が先に立つようにも思います。アジリタもこなしますが一音一音正確にメカニックに決めていくタイプではなく、ちょっと強引に聴こえたり流れてしまっている部分もあります。しかし、そうした欠点を補って余りある気迫、勢い。異形とも言うべきその歌いぶりは、やはり自己主張の強い猛女に於いてこそ活きます。彼女が正規録音を残した役を挙げてみると、先ほどのアビガイッレ、マクベス夫人の他に、ノルマ、アンナ・ボレーナ、サントゥッツァ。呆れるほど強い女ばかりですが、びしっとハマっています。若くしてこんな重たい役ばかり歌ったから歌手寿命は短かった訳ですけれども、そうは言いながらこれらの音源に抗しがたい魅力があるのもまた厳然たる事実です。

また、意外と科白回しは巧みで、例えばガルデッリ盤『マクベス』でのマクベス夫人のアリアの前の手紙の朗読はものすごくうまい。如何にもな感じではあるんだけど、大見栄切って如何にもをびしっと決められるのは才能でしょう。

<ここは微妙かも(^^;>
この人の場合は上で語ったことですべてと言っていいでしょう。美点と欠点がそのままつながっています。良くも悪くも才能ある若き藝術家の粗削りながらも勢いと力に満ちた演奏、と言う訳です。
だからこの人に対する評価が両極端に真っ二つに割れることは至極当然だと思います。この粗削りを愛せるか否かがストレートに好悪にかかってくる。
私ですか?この人がぴたりとハマった時のゾクゾクするような歌を楽しめることは、私の人生を豊かなものにして呉れていると思っていますよ(笑)

<オススメ録音♪>
・アビガイッレ(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』)
ガルデッリ指揮/ゴッビ、カーヴァ、プレヴェーディ共演/ウィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1965年録音
>超名盤。キレッキレ弩迫力のアビガイッレ。上述のとおり3重唱の登場場面の鬼気迫った声はまさに圧巻の一言で、いきなり徒者でなさを感じることができます。もちろん超難曲のアリアも見事なもの。ゴッビとの重唱はまさに異形対決と言った体で、いい意味で2人の持ち味の違いを楽しめます。そのゴッビをはじめ共演が優れていることは、既にゴッビの記事やナブッコの記事で書いたところですね(^^)

・マクベス夫人(G.F.F.ヴェルディ『マクベス』)
ガルデッリ指揮/フィッシャー=ディースカウ、ギャウロフ、パヴァロッティ共演/LPO&アンブロジアン・オペラ合唱団/1971年録音
>超名盤。カバレッタがちょっとのたっとしたり瑕疵はあるんだけど、個人的にはステレオ録音で聴ける最高のマクベス夫人だと思います。3つの性質の異なるアリアあり、マクベスとのやりとりあり、手紙の朗読ありとかなり様々な表現が必要とされる難役ですが、全編異様な緊張感を以て迫真の演唱をしています。ヴェルディはこの役について「美しい声であってはならない」と言ったと伝えられますが、美しさよりも勢いやパワーに寄った彼女はまさにぴったり。共演も優れていますし、特にフィッシャー=ディースカウの知的な役作りはこれはこれで素晴らしいもの(当初の予定がゴッビだったと聞くと、それはそれで残念なのですが。彼はマクベスは残していないので)。

・ノルマ(V.ベッリーニ『ノルマ』)
ヴァルヴィーゾ指揮/デル=モナコ、コッソット、カーヴァ共演/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団/1967年録音
>これも名盤は名盤でしょう。ノルマというとどうしてもカラスのイメージが強い役どころではありますが、スリオティスの歌唱も素晴らしいもの。実にスケールが大きいし、上記2つに比べるとなんだか声も綺麗に聴こえる(笑)そして同じくパワフル美声路線(?)のコッソットがまた切れ味抜群で聴きごたえがあります(ちょっとアダルジーザには気が強すぎるけどもw)デル=モナコは事故後と言うことで衰えてるような気もするけどまずまず悪くないし、カーヴァはここでも渋く決めています。ヴァルヴィーゾの指揮も清新で上々。最大の問題はものすごく多くのカットがあり、全曲の3/4ぐらいに端折られてしまっていることで、これは残念。これが全曲だったら間違いなく一押しなのですが。

・アンナ・ボレーナ(G.ドニゼッティ『アンナ・ボレーナ』)
ヴァルヴィーゾ指揮/ギャウロフ、ホーン、アレグザンダー、コスター、ディーン、デ=パルマ共演/ヴィーン国立交響楽団&合唱団/1968-69年録音
>いろいろなご意見あるでしょうが敢えて言いましょう、不滅の名盤だと。スリオティスの歌唱は必ずしも完璧とは言えない部分もありますし、“Giudici ad Anna!”はカラス教徒ではない僕でも流石にカラスを想起し、その亡霊を追ってしまいます。しかし、それでもここでスリオティスは彼女なりのアンナ像を打ち出しているように思いますし、何度聴いてもその気魄には圧倒されてしまいます。スタイルの面ではやや疑問符も付くものの、圧倒的なスケールと馬力で冷酷な国王エンリーコ8世を演じるギャウロフは、このころが声の面で最盛期でしょう。ジョヴァンナは日本では嫌われ者のホーンですが、技術的にも表現としても素晴らしいもので、こちらも強い女です。リッカルドのアレグザンダーは面白くない歌に終始することもあるテノールですがここではこの役のベストの歌唱と言ってもいいきりっとした歌。つまり主役陣はちょっとワケアリ的な部分もあるのでそこの好き嫌いは出るかと思うのですが、それでもなおこの作品のベストと言い得る高水準な内容だと言うのが私の意見です。加えてヴァルヴィーゾの指揮はここでも冴えたもので序曲から聴かせます(アレグザンダーがかなりよく聴こえるのは彼の指揮の力もあるでしょう)し、しかもこちらはノルマと違ってカットがほとんど無い。デ=パルマ筆頭にコスター、ディーンの脇役もよければ録音だって聴きやすい。総合的には、不滅の名盤には違いないけれどもかなり聴きづらくカットも相当量あるカラス主演のガヴァッツェーニ盤や、録音はいいけれども指揮に文句もあるし主演のサザランドもアンナには合っていない気のするボニング盤よりも、一般に楽しめる名盤だと思います。が、いま廃盤なんだよね、これ。。。

・トロイアのエレナ(A.ボーイト『メフィストーフェレ』)
サンツォーニョ指揮/ギャウロフ、クラウス、テバルディ、デ=パルマ共演/シカゴ・リリック・オペラ管弦楽団&合唱団/1965年録音
>このblogでは何度も登場してお馴染みになっている裏・不滅の名盤。この役は言ってしまえば第2ソプラノで、4幕にしか出てこない出番の少ない役だけれども存在感から行けばこの濃ゆいメンバーの中でも引けを取らないです。実はものすごく劇的なアリアがあるものの、なかなか良い歌唱にはめぐり合えない(そういう意味ではG.プッチーニ『ラ=ボエーム』のムゼッタと近いかも)のですが、ここでは非常に立派であり印象的。ギャウロフやクラウス、テバルディも圧倒的な歌唱を聴かせているのは以前書いたとおり。本当に音だけもう少し良かったらなぁ…
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かはくの展示から~第19回/アルカエオプテリクス(始祖鳥)~

このblogは国立科学博物館の公式見解ではなくファンの個人ページですので、その点についてはご留意ください。

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アルカエオプテリクス(始祖鳥)
Archaeopteryx lithographica
(地球館地下1階)

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写真悪くて恐縮ですが、この真ん中に吊ってあるのが有名な始祖鳥、学名ではアルカエオプテリクスです。
え?立体なの?と思われた方もいらっしゃるかもしれません。というのは、始祖鳥はすべて独国のゾルンホーフェン周辺で発見されているのですが、いずれもべたっとつぶれた、言わば“えびせんべい”状態で発見されているからです。
実はこれは、押しつぶされた実物標本をもとに、作られた当初世界で初めて立体で作られた始祖鳥の全身骨格なのです。もう15年ほど前になりますが当時は本当に快挙でしたし、いまでも珍しいものに変わりはないでしょう。始祖鳥と言うとベルリン標本のレプリカが置かれている場所は少なくないですから。
小さくて地味な展示ではありますが、是非ご覧いただきたいもののひとつです。

※と言っても流石に少し古いものなので、新たな発見で変わっている部分もあります(博物館の展示ではよくあることですが)。一番わかりやすいのは足の親指の位置です。この全身骨格では普通の鳥と同様に3本指に対して反対向きに親指がついていますが、サーモポリス標本の再発見(米国の個人が所有していたものが世に出た)により、親指は3本指と同じ方向についていたことがわかっています。

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フクロウの全身骨格。
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バンビラプトルの全身骨格。

敢えて声を大にして言いますが、最近中国などでの化石の発見により、「始祖鳥は鳥なのか恐竜なのか」という話をよく目にしますが、学術的にはそれは大した問題ではありません。
何が鳥であって何が恐竜であるかと言う定義づけは、所詮はヒトが生物の世界を把握するにあたってわかりやすいように便宜的に行っているだけで、特にその境界に位置するものについて目くじらを立てて議論するのは、自然科学に於いて本質的な問題ではないからです。
むしろ重要なのは、始祖鳥そのものがどのような生き物だったのかと言うことや、そこから進化の流れの中でどのような立ち位置にあると考えられるかということです。
上にフクロウの写真とバンビラプトルの写真を並べました。展示室ではこれらとより原始的なヘレラサウルスが並べて展示されており、少し行けばティラノサウルスもいるので、それらを是非現地で見較べてみてください。純粋に骨格だけの始祖鳥はあなたの目には鳥らしく映るでしょうか?それとも恐竜らしく映るでしょうか?
ひとつだけポイントを書いておくと、胸の骨はフクロウとそれ以外の生き物では大きく違います。鳥の胸の骨は羽ばたくための筋肉をつけるため、大きくせり出しています(竜骨突起と言います)。これがない始祖鳥は恐らく羽ばたくことはできなかったと考えられています。近年では、始祖鳥は羽の軸の太さが現生の鳥の1/3以下しかなく、強度的には樹上からのパラシュート的な滑空しかできなかったという学説が出てきています。

さて、上で述べたような話からすると「始祖鳥」という言葉はいまの考え方からいけば、もはやそぐわない言葉になってしまっていると言わざるを得ません。今回敢えて「始祖鳥」という言葉を使ったのは、偏にこの言葉を訳した先人への敬意からです。
学名の「アルカエオプテリクス」を直接訳すのであれば「古代の翼」です。もしこれに忠実に訳し「古代翼」だとか或いは「始祖翼」やら「古代鳥」だったとしたらどうでしょう?おそらくこれほど始祖鳥が日本に於いて一般的なものにはならなかったのではないでしょうか。訳者の言葉のセンスには脱帽せざるを得ません。
そういう意味で先人のセンスなり努力なりが生み出した魅力的であり普及もしている言葉ですから、「科学的に正しくない」の一点張りで廃してしまうというのもちょっと狭量かなと思うので、「これね~実際はちっと違うんだけどね~いい言葉だよね~あはは」っていうぐらいのゆとりを持って今後も遣っていけたらいいな、というのが私のスタンスです。

<参考>
恐竜博2011/国立科学博物館/2011
かはく | コメント:2 | トラックバック:0 |

オペラなひと♪千夜一夜 ~第四十夜/おお、我が祖国よ~

第三十夜のフルートに続き歌劇で楽器が活躍する名曲を。
今回はオーボエ(コーラングレ含む)です。

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フルートよりは知名度が無いんで楽器の説明を…途中まで書きましたがめんどくさくなったんでやめましたwや、今の世の中google大先生でなんとなくどんな感じかはわかるし、youtube大先生を使えば演奏も聴ける訳で、私のへたくそな解説をここで述べるまでもないでしょう、ということです(^^;
敢えて言うならチャルメラの類です(雑)

さてそんなこんなでフルートに比べると知名度では劣るものの、クラシックの曲の中ではひょっとするとフルート以上にオイシいところを受け持っています。有名なところで言うとП.И.チャイコフスキーのバレエ『白鳥の湖』の情景(ちゃ~ららららちゃ~らちゃ~らっていうあれ)、コーラングレならA.ドヴォルジャークの交響曲第9番『新世界より』の第2楽章Largo(と~おき~や~まに~ひ~はお~ちて~♪っていうあれ)あたりでしょうか。器楽曲における存在感は抜群です。オペラに於ける器楽曲、となるとまずパッと思い浮かぶのは序曲や前奏曲ではないでしょうか。

・序曲(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』)

独特の哀感のある音色は、郷愁や望郷といった想いに訴えかけるところが大きいのか、それこそドヴォルジャークの楽曲などではよく使われています。オペラの世界でそうした感情を表した名曲としては、何といっても『ナブッコ』の合唱“行け、我が想いよ金色の翼に乗って”ですが、この名旋律は序曲でも登場しています。そして、もうお分かりかと思いますが、ここでその音楽を受け持っている楽器こそオーボエであります。
郷里を想うヘブライの人々の歌を奏でるにはまさにうってつけ。序曲から作品の肝の部分を垣間見ることができます。

・韃靼人の踊り(ポロヴェツ人の踊り)(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)
・バッカナール(C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』)

哀愁漂う雰囲気とはまた別の側面として、エキゾチックな空気を掻き立てる面もあります。上記2曲はいずれも非常にエキゾチックであり、なおかつオーボエ及びコーラングレが奏でる音楽としては最も有名なものです。
前者は囚われの身となったイーゴリ公をもてなすためにポロヴェツ人(慣例的に“韃靼人”と呼ばれてきましたが、韃靼はタタールなので厳密には別の民族。まあ曲名の方はわかりやすく慣例に従った方がいいかなと)の長であるコンチャク汗が人々に踊らせる場面の音楽で、欧州とも露国とも違う東洋的な彩のあるバレエ音楽。冒頭の旋律はうっとりするほど魅力的で、CMなどでもあちこちで引用されています(カップヌードルのCMでチーズ星人が歌ってましたが…もうでもあれも10年ぐらい前か^^;)この部分は合唱を伴うオーボエとコーラングレの聴かせどころです。や、これが吹けるのは羨ましいですよ笑。
後者は旧約聖書の物語。サムソンを倒したペリシテ人たちがどんちゃんやる場面(どうでもいいですがダゴンの大祭司がペリシテ人たちの宗教的リーダーなのになんでバッカスを讃えるバッカナールなんだろ^^;)のこちらもバレエ音楽です。これは地方としてのエキゾチックさを感じると言うより、むしろ原初的で呪術的な力強さを感じると言う方がより正しいかもしれません。冒頭のオーボエ・ソロは何とも妖しげで、サン=サーンスさん、楽器の使い方よくわかってるなぁという感じ。

・ドン・ジョゼの花の歌“お前が投げたこの花は”(G.ビゼー『カルメン』)

この楽器の持つ音色の雰囲気としてもうひとつ、どことなく気だるく悩ましげな感じがあります。花の歌(本来はカルメンとの2重唱の一部)はそうした空気を醸し出す音楽の最右翼と言っていいでしょう。前奏のコーラングレのソロは何とも物憂げで、律儀な自分と奔放なカルメンの間で揺れながらも、それでも彼女への慕情に憑かれているジョゼのもやもやとした感情をよく表しています。そしてこの旋律は作中に繰り返し現れるカルメンの運命の主題ですから、非常に強い印象を残します。

・アイーダのロマンツァ“おお、我が祖国よ”(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)

そしてここまでの3つの側面の全てを体現していると言っていいと思うのがこの曲。
故郷エチオピアと愛するエジプト人との間で揺れるアイーダ…もう郷愁もエキゾチシズムも愛の憂いもテンコ盛りです(笑)数あるオペラの楽曲の中でもこれだけオーボエの持ち味をフルに活かした楽曲もそうそうないと思います。ゆらゆらと揺らめくようなオーボエが、アイーダの揺れ動くこころを非常によくあらわしており、苦しい状況に悩むアイーダの姿が凝縮されています。といってアリアですからオーボエが主になってしまうのではなく、絶妙なバランスで歌と絡んでいきます。個人的には有名なもう一つのロマンツァ“勝ちて帰れ”よりも完成度高いんじゃないかと感じています。

・フロレスタンのアリア“神よ、何という暗さだ!”(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)

最後にもうひとつ、オーボエの活躍する曲を。
これはここまで出てきたオーボエの魅力とはまた違う、音楽としては非常に健康的に歌うオーボエです。今回はどちらかというと憂愁のメロディで活躍する部分に焦点を当てた訳ですが、W.A.モーツァルトやG.ロッシーニ、オペラ以外ではJ.S.バッハ御大の楽曲では明るく華やかな旋律を受け持つことも多く、ここでもそうした傾向の旋律(最高音を含む超難曲らしい)を奏でています。ただ、この曲ではフレーズの華やかさとは裏腹に獄中のフロレスタンが妻の幻影を見る場面ですから、真に明るい場面の描写と言うよりはフロレスタンの朦朧とする意識の中での優しき妻レオノーラの姿を表現していると考えた方がよさそうです。

意外とオーボエは器楽での活躍に比べて声楽との絡みではたくさんは出てきませんね^^;
こんなところで今回はおしまい。
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第1回TAS定例会活動報告

折角blogを立ち上げたので、ここでも簡単にやったことをまとめておきます。

TAS(たす)は、公式には“Tokyo Academic Society”、正式には“Totemo Ayashii Shudan”、場合によっては“Tittomo Ayashikunai Shudan”と名乗っておりますが、要するにtwitter等で集まった古生物、生物を中心とする博物学関係に興味のある方たちのオフ会であります。ここ2年ほどの間に5,6回の定例会があり、博物館の見学や意見交換、懇親会等を行っています。

これまでは名無しの権兵衛だったのですが、今回から漸くTASという名称もつきまして、再出発していこうかと言うところです(ま、中身は変わらんけど笑)。

と言う訳で、簡単に今回どんな感じだったかを。

10:00 東京駅丸ノ内中央口(地上)集合
広すぎず狭すぎず適度な広さと言うことでここにしたのだけれど、地下に行っちゃったりIMTに近い南にいっちゃったりと言う人も居て、必ずしも正解ではなかったかなと言う印象。

10:25 東京大学INTERMEDIATHEQUEの入っているJPタワー着
開館時刻が11:00だったことに気付く。イージーミスで済みませんでしたwwけどだれか突っ込んでよwww
時間ができたので1階ホールで輪になって自己紹介。

11:00 IMT見学
三々五々散り散りに見学。写真撮影ができないので様子がupできませんが、ものを見つければ詳しい人が解説し、謎があればわからない人が質問し、と言う感じで知ってる人が説明するいい流れができたように思います^^

13:00 IMT出発
2時間じゃ足りないですw

14:00 意見交換会場着。食事をしつつ意見交換。
今回はヌマ所長さん(ハイアイアイ臨海実験所所属)によるフジツボの話(フジツボと周辺の連中は一体なんぞやとか具体的な研究の話とか)及びJura_Kさんによる欧米史と進化論(進化論が欧米社会に広まっていった過程や現状など)の2つの話題提供をいただきました。話題提供の最中にも活発に質問が入るなど活発な意見交換ができ、非常に理想的な形でやれたのではないかと思います。

18:00 意見交換会場出発。

18:30~21:15 夜の部
たのしく、のめました。

(まとめ)
今回は最大25名程度とかなりの大所帯になりました(おそらく史上最多)
ちょっと第2会場が手狭になるぐらいだったので、少し考えなきゃなとは思うのですが、多くの方に楽しんでいただき、また活発な意見交換をしていただき本当に良かったと感じています。
次回、いつになるかわかりませんが、お楽しみに^^
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ナブッコ(ナブコドノゾール)

ナブッコ(ナブコドノゾール)
Nabucco (Nabucodonosor)
1842年初演
原作:旧約聖書を題材としたオギュスト・アニセ=ブルジョアとフランシス・コルニュ合作の戯曲
台本:テミストクレ・ソレーラ

<主要人物>
ナブッコ(Br)…バビロニア王ナブコドノゾールで、ナブッコは通称。史実での新バビロニア王ネブカドネザル2世だが、作中でのバビロニアとアッシリアの扱いはかなりいい加減なので、まああまり気にしなくても多分大丈夫。
アビガイッレ(S)…ナブッコの上の娘。勇猛だが実は母親は奴隷であり、ナブッコは王位を継がせるつもりはない。正気の沙汰とは思えない難曲が用意されている大変な役。
フェネーナ(Ms)…ナブッコの下の娘。おそらく正妻の娘で、父親に溺愛されている。イズマエーレと恋仲で、密かに改宗している。
イズマエーレ(T)…エルサレム王ゼデキヤの甥で、フェネーナと恋仲。
ザッカリア(B)…ヘブライの大祭司であり指導者。彼らの代表として異教徒であるナブッコと対立し、神のことばを受ける。この人無視してるあらすじが結構あるけど、ナブッコ、アビガイッレと並ぶ作中の最重要キャラの1人。
アンナ(S)…ザッカリアの姉妹。姉だか妹だかよくわからんけどイメージ的には妹。
アブダッロ(T)…ナブッコの家臣。古くから仕えており忠実(多分)。
ベルの大祭司(B)…バビロニア人たちの宗教指導者で、ザッカリアと同じぐらい異教徒嫌い。何でこの人だけ名前がないのか謎。

<音楽>
・序曲
○第1部「イェルサレム」
・合唱
・ザッカリアのカヴァティーナ
・イズマエーレ、フェネーナ、アビガイッレの3重唱
・フィナーレ

○第2部「不敬な輩」
・アビガイッレのアリア
・ザッカリアの祈り
・イズマエーレのソロと合唱
・カノン
・ナブッコの譫妄

○第3部「予言」
・合唱
・ナブッコとアビガイッレの2重唱
・合唱
・ザッカリアの予言

○第4部「偶像破壊」
・ナブッコのアリア
・葬送行進曲
・フェネーナの祈り
・合唱
・アビガイッレの死

<ひとこと>
ヴェルディの第3作にして出世作。
内容は正直なところシッチャカメッチャカではありますが、一種異様な熱気に満ちており、ヒットしたのもよくわかる作品。あらすじに突っ込み出したら突っ込むところはものすごく多いし、台本だけ読んでみてもどのキャラクターもいまいち共感しがたい(というか理解しがたい言動が多いw)のですが、その熱気を孕んだ音楽と共にあるとものすごい説得力があり、一気に聴けてしまう。そして、その異様な熱気がこのあとの彼の作風を最も特徴づけるポイントとなっていると思っていて、基本的に彼の作品はテンションが非常に高い(というかテンションの低い、冷たい物の流れてるヴェルディなんて聴きたくない笑)。そういう意味で、如何にそれ以前の2作が打ち捨てるには勿体ない佳作だったとしても、ヴェルディの出発点、彼の原点は?と問われればやはりこの作品と断じて問題ないでしょう。全体の構成を見てもよく言われるとおりこの作品は特に合唱の力に負うところの大きい作品で、合唱が全く絡まない曲の方が少ないです。一方でソリストの活躍がないかと言えばそんなことはなく、アリア或いはアリア相当の音楽が多いです。逆に、ちょっと意外ですが重唱は第1部フィナーレのような大規模なアンサンブルを除くと2重唱と3重唱はそれぞれ1つずつしかありません。また、1幕あたりがながい2幕構成だった前2作に対し、そこまで長くない幕(この作品では部と呼んでますが))が4つという格好になっているのは聴衆の嗜好の変化の影響でしょうか。

爆発的なエネルギーに満ちた高カロリーな音楽が並ぶ中で、静かに望郷の念を歌う“行け、我が想いよ金色の翼に乗って”が一番有名なのは、ちょっと興味深いところです。これにまつわるエピソードはいろいろあります。公私ともに失意のどん底にあって作曲意欲が全く無かったヴェルディが自宅で台本を放り投げると、たまたまこの合唱のページが開き、その詩に感銘を受けて一気に作曲したとか、初演の際にこの合唱が熱狂的に受け入れられ、何度もアンコールがあり、一夜にしてヴェルディは人気作曲家の仲間入りをしたとか。どちらも非常に有名なエピソードで、伝記などでもよく取り上げられていますが、個人的にはちょっとどうにも伝説めいているような気がしています。直接文献にあたって調べた訳ではないので、あくまで私の妄想ですが、この曲が有名になってから作られた話のように思えます。もちろんリソルジメントの影響が全くなかったと言えば嘘になるでしょうが、だいぶ尾鰭がついているような。
歌劇全体の中で一段ぐっとトーンを落として、この曲が訥々と歌われることで、作品全体がきりっと引き締まって聴こえるその効果、素直に共感を呼ぶ内容の詩、そして穏やかながらも芯の通った力のあるヴェルディの旋律の美しさといった曲そのものの魅力については、言を待ちません。むしろ、こうしたエピソードは、その曲の魅力によって生み出されたものだと考える方が自然なのではないでしょうか。

“行け、わが想いよ”のみならず、合唱のナンバーはいずれも個性的で素晴らしいもの。冒頭の合唱からして力強く、またヘブライ人たちの混乱を良く表現したものですし、アッシリアを称える華やかな曲や、独唱者たちが絡みオラトリオのように響く4部のものも聴きごたえがあります。合唱団の力量が試される作品でしょう。

タイトル・ロールのナブッコは、ヴェルディの父親役、そして暴君役の源流と言うべきドラマティックで様々な表現が必要とされる役柄。作中ではいろいろな顔を見せなければなりません。登場から雷に打たれるまでは荒々しく横暴な侵略者ですし、アビガイッレとの重唱やアリアは1人の父親であり悔い改めた男、カバレッタでは軍人然とした表情を見せます。更に、雷に打たれてからの場面はナンバーとしては2部フィナーレの一部となっていますが、実質ナブッコの狂乱アリアと言っていいでしょう(ザッカリアとアビガイッレが一節ずつ最後に歌いますが)。非常にごつごつした印象の、粗削りな描写で描かれてはいるものの、上記のようなキャラクターの特徴は、後の作品に通ずる部分が非常に多く、後のヴェルディのバリトンのプロトタイプとでも言うべき存在です。逆にいえばプロトタイプとしての難しさもあって、声に頼り過ぎれば多面的な顔が描けず一本調子になってしまいますし、表現や演技力に頼り過ぎれば作品そのものが持つ熱情が薄まってしまいます。もちろん溢れ出る熱情だけに乗っかってはこの時代の作品の様式感からは外れてしまう。加えて、もともとこの台本でナブッコが改宗するのがかなり不自然ですので、それを何とか納得させるためには、なんらかのプラスワンがないと。要するにこの役はかなりの難役だということが言えるでしょう。

長女アビガイッレもまた大変な難役。終始怒りに満ちたこの女性を表現するために、ヴェルディは超高音から低音までドラマティックに響かせ、なおかつあらん限りのコロラトゥーラをゴリゴリと突っ込むと言うとんでもない音楽をつけています。この役もナブッコと同じようなディレンマを抱えていて、コロラトゥーラの得意な軽い声ではまるで小娘になってしまいますし、ドラマティックな重い声では逆に技巧がもたついてしまう。そしてさらに言えば、怒りと同時に父からも愛する男性からも愛されない者の哀しみが表現されなければ、技巧を見せるだけの浅いキャラクターになりかねません。登場の場面の低音ではその哀しみを羨望や恨みとして見せるべきですし、2重唱でのナブッコへの勝利宣言も嬉しそうになってはならない。父親への複雑な感情が表現されなければ、この作品はドラマとして薄くなってしまいます。また全曲のフィナーレは、今度は実質アビガイッレのアリア(最後にまたしてもザッカリアがちょろっと歌いますが笑)ですが、ここでの彼女の懺悔もまたナブッコの改宗と同じくやや不自然なので、そこを感じさせないようなプラスワンが必要でしょう。

ヘブライの代表たるザッカリアは、音楽的にはこの作品の主役とも言うべき扱いを受けています。タイプの違うアリアが3つも用意されている他、要所要所でドラマを展開させ、最後の最後も彼の高らかなナブッコへの称賛で終わります。この役にこれだけの見せ場が用意されている理由としては、初演の名バスであるニコラス=プロスペア・デリヴィスの力量に負うところも多いでしょうが、やはり物語上のこの役の重要性抜きには考えられないと思います。軍事力でバビロニアに敗れても、ヘブライの人々を信仰の道に導く予言者という役どころを考えれば、当然カリスマがないと務まらないですし、もっと言ってしまえば、この作品に於いて彼こそが、彼らと彼らの宗教そのものを象徴していると言っていいかもしれません。宗教劇のとしてのこの作品の出来がいいかどうかはまた別として、この作品の宗教劇としての側面はやはり重要です。ナブッコはそのために譫妄し改宗する訳ですし、アビガイッレは懺悔して死んでいくのですから。ナブッコやアビガイッレほどの難しい表現が必要な役ではありませんが、作品の要石として重要なキャラクターであり、彼がイマイチだと全体がしまりのない印象になってしまいます。

これら3役に比べると戀人たち、即ちフェネーナとイズマエーレは個性の少ない役で、どちらかと言えば「道具立て」という感じがします。ナブッコの愛の対象でありアビガイッレの憎しみの対象であるフェネーナと、アビガイッレの愛の対象であり物語を進展させる事件を起こすイズマエーレという役割以上には、あまり大きな意味付けはなされていないと言っていいでしょう。フェネーナには魅力的なアリアが与えられていますが、小さなものですし、フェネーナのキャラクター付けに貢献していると言うよりは展開のうえでの必要があって入れられている感じがします。イズマエーレに至っては、合唱と絡むソロはあるもののアリアもありません。これがのちのヴェルディだったら同胞を裏切ったことへの後悔とフェネーナへの愛の間で苦悩するアリアのひとつもあるのではないかと思いますが、彼の後悔は起こした事件の大きさに対し非常にさらっと扱われています。このあたりヴェルディが彼らをあまり重視していないことが伺えます。

総じてかなり要求の多い演目です。演奏は困難を極めるでしょう。
ですが、だからこそこの演目は非常に面白い作品だと思います。

<参考音源>
○ランベルト・ガルデッリ指揮/ナブッコ…ティート・ゴッビ/アビガイッレ…エレナ・スリオーティス/フェネーナ…ドーラ・カラル/イズマエーレ…ブルーノ・プレヴェーディ/ザッカリア…カルロ・カーヴァ/ベルの大祭司…ジョヴァンニ・フォイアーニ/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団
>まずはゴッビの藝をステレオで楽しめるというのが非常にありがたいところ。声自体は最盛期はないですし発声にも癖があるように思いますが、それがまた却ってナブッコというキャラクターの異形さを際立たせているように感じます。各場面の演じ分けも見事の一言、特に圧巻は譫妄の場面とアビガイッレとの対決で彼らしい解釈の深さが感じられます。マクベスも残して欲しかった…(苦笑)そしてスリオーティスのアビガイッレ、これも良く残してくれましたというところ。フェネーナとイズマエーレのやり取りに割っている登場の場面から迫力ある声でゾクゾクさせられます。重量感ある声で転がしもきちっとやってくれますし、おそらくこれは彼女のベストの録音のひとつと言っていいでしょう。ザッカリアのカーヴァはこの時期の中堅バスでもうちょっとと思う録音も少なくないのですが、ここではいい仕事をしています。力強い声の流麗な歌い回しで、どちらかというと人間臭い感じのする人物造形です。プレヴェーディもイケメン声でカッコいいですし、カラルも清楚な感じで素敵。ヴィーン国立はオケも合唱も非常に澄んだ音色で、この暴力的な音楽にはちょっと美しすぎる感もありますが、まあそれは高次元な贅沢でしょう。ガルデッリは流石に初期ヴェルディがよくわかっている感じ。この作品でも熱情に流され過ぎず、派手にドライヴこそしませんが、きっちり音楽を積み上げている印象です。

○ジュゼッペ・シノ―ポリ指揮/ナブッコ…ピエロ・カプッチッリ/アビガイッレ…ゲーナ・ディミトローヴァ/フェネーナ…ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニ/イズマエーレ…プラシド・ドミンゴ/ザッカリア…イェヴゲニー・ネステレンコ/アンナ…ルチア・ポップ/ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団&合唱団
>録音史上最高のナブッコはカプッチッリだと思います。これは譲れない。先述のゴッビや後述のマヌグエッラ、それに現代ならヌッチも素晴らしいナブッコですが、総合点ではやはりこの人がベスト。さまざまな顔を描かなければいけない役どころですがいずれをとっても圧巻の表現力。そしてその声!単純に美しいとか聴き栄えがするという部分もありますが、まさにこうした時代物にうってつけの主役の声であります。そしてディミトローヴァのアビガイッレも大変素晴らしい。美声ではないけれども力強い声としっかりした技術でいかにもな感じの隈取のキャラクターを作っています。基本的に声がデカいんですが、絞るところはぐっと絞っていたり剛直一本槍だけではない部分もあって、世評ほど大根ではないと思います。ネステレンコのザッカリアもびちっと決まってます。このひとはパワフルな低音のイメージが強いですが、そのパワフルさを維持しつつ高音がまた輝かしく、意外と高い音も沢山出てくるこの役では持ち味が活きます。カーヴァより峻険な感じの印象もこれはこれで不屈の大祭司には合っているように思います。ヴァレンティーニ=テッラーニの淑やかな声は清純派のフェネーナに合ってますが、イズマエーレにドミンゴはちともったいなさすぎやしないかい^^;そしてそれよりも勿体ないのはポップがアンナって誰の趣味だよwww凄くいいけどこれはちょっと役不足すぎるでしょうwwwベルリンのオケと合唱も丁寧でいいですがそれを更に印象付けているのはやはりシノーポリの指揮でしょうな。このひとも熱気だけに流されず様々な動きを見せて呉れていい仕事してると思います。

○リッカルド・ムーティ指揮/ナブッコ…マッテオ・マヌグエッラ/アビガイッレ…レナータ・スコット/フェネーナ…イェレーナ・オブラスツォヴァ/イズマエーレ…ヴェリアーノ・ルケッティ/ザッカリア…ニコライ・ギャウロフ/ベルの大祭司…ロバート・ロイド/フィルハーモニア交響楽団&アンブロジアン・オペラ合唱団
>マヌグエッラのナブッコはうえの二人に較べるとだいぶ普通ではあるのですが、立派にヴェルディを歌う声があることと、そして何より彼の知的な歌い回しは魅力的です。アリアのようにドカンと歌うところももちろんですがレチタティーヴォも巧いし、譫妄も悪くない。スコットのアビガイッレは配役だけ聞くとミスキャストに思えるんですが、これが一世一代の大熱唱。声質的にはスリオーティスやディミトローヴァよりも明らかに軽いのですが、その迫力たるや圧倒的で、この3人の中で実は一番烈女系かもしれない。声的にも歌的にもほとんど破綻寸前なんだけれども本当に紙一重的バランスで、ゾクゾクさせられます。そしてギャウロフの貫録のザッカリア。声自体は全盛期の豊かな響きではないのですが、兎に角スケールが大きい。そのスケールの大きさがそのまま役の説得力に繋がっていて、そりゃこのひとだったら負け戦であったとしてもヘブライ人たちも彼を支持するだろうね、と言う感じ。これだけ存在感があれば要石としての存在感は十二分です。ルケッティは日本ではいまいち人気がないテノールですがここではプレヴェーディと同様なかなかにヒロイックで爽快。オブラスツォヴァのフェネーナは歌の内容的には文句はないのですがちょっとキャラが強烈すぎやしないかと思わなくもない^^;オケ・合唱はともに伊国の団体ではないですがそれでもかなり良く聴こえるのはムーティの手腕でしょうね。このころのムーティは伊ものだと本当に豪快でスカッとして気分がいいですね。特にこの演目ではこのアプローチがあっているように思うし。かと言って全箇所かっ飛ばしてるだけってわけでもなく、例えば最後の最後のザッカリアの賛辞とかは逆にどっしりとしたテンポで作品の座りをよくしています。や、ものすごい熱情に駆り立てられたような演奏だけれどこれはすご~く計算されてると思いますよ。恐るべきムーティ。最近のは好きじゃないけど(笑)
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ホウボウ・改

ホウボウ・改
Chelidonichthys spinosus
revised version

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ホウボウはこの前作ったんだけど、そこでも書いた通りいまひとつ納得いっていない部分があって改作。
具体的には胸鰭まわりをちょっといじりました。

このショットで見える部分で言うと、胸鰭が変化した足の部分のアプローチを少し変えてます。
改作前だと、苦労した割に細いことを意識し過ぎて足の存在感が埋もれがちだったのですが、折角折りだしているのだし、折り紙的に少し目出せた方がいいかなと。

130610_2311~01

一番大きく変えたのは胸鰭の本体部分。
改作前だとこの部分が身体にくっついているように見える部分が長くて、それがホウボウっぽさをあまり感じさせない原因になっていたので、少し捻りを入れて胸鰭と身体の接着部分が少なく見えるようにしました。

130610_2310~02

前から見るとこんな感じ。こっちのが胸鰭を変えたのがわかりやすいかな?
ちょっといじるとカスザメとかもできそうなフォルムになった気がする。
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ダイオウグソクムシ

ダイオウグソクムシ
Bathynomus giganteus

130607_2122~02

折り紙の記事が続きます^^

隣りの席に座ってる係長からのリクエスト。
今旬のものだからっていうのもあって結構気軽に受けたんだけど、これが結構難産(苦笑)
手を変え品を変えいろいろな方針を試し、ようやくこの形に。
本当はもう少し顔を作りこみたい気もするんだけど^^;

130607_2123~01

腹側はこんな感じ。

本当は歩脚7対に遊泳脚1対なんだけど、歩脚が1対少なくなっちったwww
だって触覚作りたかったんだもんwww

130607_2122~01

後ろから。
作品としては『ダイオウグソクムシ』という題名なんだけど、多分これだとオオグソクムシのサイズ笑。
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Top, è già fatto! ~メフィストーフェレと契約するファウスト~

Top, è già fatto!
~メフィストーフェレと契約するファウスト~

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古生物だとか動物だとかの作品が、私の折り紙の基本的なレパートリーではありますが、一方で予てより僕の大好きなオペラの場面を折り紙で作ってみたいという思いはありました。
と言って元々の畑が違うので、そうそう簡単にその思いを実現するのは難しく、長いこと保留にしていました。
一念発起して今回作ったのがこの作品です。

主題となっているのはJ.W.v.ゲーテの『ファウスト』を原作としたA.ボーイトのオペラ『メフィストーフェレ』の世界です。
僕自身が今のようにオペラを聴くきっかけになった作品はいくつかあるのですが、そうした中で『メフィストーフェレ』を外す訳にはいきません。ラ=スコーラのファンだった母が買ってきたムーティ盤で圧倒的な存在感を示しているレイミーのメフィストの格好良さに痺れ、セラフィン盤のシエピの美声に酔い、クエスタ盤のネリの怪演も強烈でした。そして決定的だったのがサンツォーニョ盤のギャウロフの圧倒的な歌唱!これを聴いていなかったらいまほどギャウロフの音源を集めていなかっただろうし、そもそもこんなにオペラ漬けではなかったかもしれない。
そういう意味では結構大事にしている作品で、マイナー作品ですがそれなりに音盤は持っています(笑)

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副題にもあるように、これはファウストがメフィストと契約をする場面。
契約書にサインをして陶然とするファウストと、契約書を握り意気揚々とファウストをいざなうメフィスト。いろいろな意味で両者のコントラストを狙っています。
なお、羽ペンと契約書は本体とは別に作っています。

“Top, è già fatto!”とは「さあ、これでできましたぜ!」ぐらいの意味で契約を結んだメフィストが叫ぶ科白。オペラはここから活力に満ちた2重唱に進んでいきます。僕自身は書斎のファウストのアリアからメフィストの自己紹介のアリア、そしてこの契約の重唱のあたりがこの作品で一番好きな部分なので、どうしてもこの場面が作りたかった。エピローグのファウストのロマンツァや、ヴァルプルギスの夜のメフィストフェレスと迷わなかった問えば嘘になりますが(笑)ちなみに、より有名なC.F.グノーの『ファウスト』の契約の場面の重唱も魅力的な音楽です。

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ファウスト。
どちらかと言えばシンプルな立ち姿ですが、これを作るのには時間がかかりました^^;
最初に作ろうと思ったときからテーマとしては4,5年ぐらいあたためて、何度か作って挫折して放り投げ…今回何とかひとつの形にはなりました。そもそも、僕自身はこれまで人物の作品が形になったためしはないので、人物作品第1号。それらしく見えればいいのですが…。

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メフィストーフェレ。
実はこれ、4,5年前の作品です。というかこの作品ができたのでなんとかファウストの情景を作りたくなったというのが本音です。自分の作ったものの中では数少ない、どこに持って行っても大丈夫な作品だと思っています。
本当はゲーテの原作でもボーイトやグノーのオペラの台本でも、最初にファウストのところに登場するメフィストは騎士の姿であって、こんな思いっきり悪魔の姿ではない(そもそもこういう格好の悪魔は格が下の方だったような)のですが、私がインスピレーションを受けたボーイトの音楽と、折り紙作品として作った時の見栄えとでそのままこちらの姿を採用しました。


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