Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

かはくの展示から~番外/常設展示替えと大恐竜展

このblogは国立科学博物館の公式見解ではなくファンの個人ページですので、その点についてはご留意ください。

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常設展示替えと恐竜展

今回は番外編。タイトルにあるとおりの内容2本立て。

1.常設展示替え
繰り返しになりますが初めに断っておきます。
弊blogは国立科学博物館(以下「かはく」)の公式ではなく、あくまで一介のボランティアが趣味で開設しているものです。この記事についても、その範疇で現時点でかはくが発表している内容をご紹介するものに過ぎません。
ですから私の立場では、以下に挙げる内容についてご質問をいただいても回答できませんし、ご意見をいただいても対応できませんので、ご承知おきください。

さてその上でですが、かはくの公式サイトで常設の展示替えが発表となっています。

詳細 http://www.kahaku.go.jp/userguide/access/openingHours/EarthPavillionRFB.html

ここで紹介されているとおり、地球館の展示のうち以下のものが展示替えになります。同じ階の展示でも以下に該当しない分については、2013/10/28現在では工事期間中も見学できる予定です。
・地球館3階“発見の森”
・地球館2階“身近な科学”
・地球館1階“海洋生物の多様性”
・地球館地下1階“恐竜の謎を探る”
・地球館地下3階“科博の活動”
具体的な工期についてはいまのところ発表になっていませんが、「来年度」とありますので、いまのところ3月いっぱいまでは現在の展示を観ることができるようです。
これらの展示にご興味がある方は、今のうちに足をお運びいただければ。

ちなみに、過去に弊blogでご紹介した展示のうち、今回の展示替えに関係するものも列挙しておきます。
第4回/アパトサウルス
第16回/タヌキ
第19回/アルカエオプテリクス(始祖鳥)
第23回/エウオプロケファルス
第25回/深海

2.大恐竜展
10/26から特別展『大恐竜展~ゴビ砂漠の驚異~』が開催されています。
これは大阪市立自然史博物館で行われた『発掘! モンゴル恐竜化石展』と展示品の多くを同じくしながら、一部足し引きをし、更に大阪の時とは違うストーリーで構成されたものです。

で、はっきり言ってこの恐竜展凄いです。いや、それを通り越して凄まじいです!
恐らく日本で行われた恐竜展史上最高の内容ですし、今後もこれに匹敵する展示は早々観られないと思います。この特別展と今の常設展の両方が設置されている間の上野のかはくは、展示面で言えば世界で最も恐竜・古生物がアツい博物館のひとつと言っても過言ではありません。
いま、恐竜に興味を持っている全ての人に観て欲しい展示です。

と言うことで、弊blogでもこの大恐竜展を勝手に応援企画「かはくの展示から特別編」と称して恐竜展の見どころと、併せて観たい常設展の恐竜・古生物の見どころをバシバシご紹介していこうと思っています!

会期は来年2/23(日)まで!皆さんこれを読んだら是非かはくへ!
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ジョヴァンナ・ダルコ

ジョヴァンナ・ダルコ
Giovanna d'Arco
1845年初演
原作:ヨハン=クリストフ=フリードリッヒ・フォン=シラー
台本:テミストクレ・ソレーラ

<主要人物>
ジョヴァンナ・ダルコ(S)…史実におけるジャンヌ・ダルク。仏国の小村ドン=レミーの農家に生まれるが、森で天使の声を聞き、劣勢であった仏軍に協力、破竹の活躍を見せるあたりは皆様ご存じのとおり。これもまた周知のとおり異端者として火刑になる訳だけれども、この作品では戦死する。えーって感じだけどフォン=シラーの原作からしてそうらしい(ごめん読んでない^^;)。また、カルロとの戀に落ちたことで聖なる務めに反したということになっている。意外なことにこの頃のヴェルディが如何にも書きそうな女丈夫のカバレッタはない。
仏国王カルロ7世(T)…史実でのシャルル7世。登場したときから負けそうな上に、続く展開でもあんまりいいところのないなんか残念な王様。まぁテノールらしい役ではある。夢のお告げによりジャンヌを見出すが、彼女に戀心を抱いてしまう。原作のカールはもっとチョイ役で、ジャンヌと戀に落ちるのは英雄リオネルという人物らしいが、このあたりソレーラは思い切って登場人物を省略している。
ジャコモ・ダルコ(Br)…ジャンヌの父で史実ではジャック、原作のティボー。天使に導かれていた娘を悪魔に導かれているものと勘違いし、さんざっぱら苦慮した上に娘を邪魔するというなんというかこれもあんまりいいとこの無い父ちゃん。しかも自分は仏人だが英国に協力するよ♪っていう娘どうのこうのっていうのと違うんじゃないの?っていう奇行に至る(大体騎士とか貴族とかじゃない農民に協力するよ♪とかって言われても英国軍そんな大歓迎しないでしょうよ^^;)。挙句最後には自分が間違ってましたって悔いるというあんまり一貫性のないキャラクター。ただ、苦悩する表現とかは結構ヴェルディ研究してると思う。
デリル(T)…史実ではジャンヌの戦友として知られるラ=イルことエティエンヌ・ド=ヴィニョルらしい。この人だけでも面白そうな作品にできそうな気もするけど、ここでは特別出演みたいなもんで純然たる脇役。
タルボ(B)…英国の総司令官。百年戦争の話ですから完全に悪役側の人ではありますが、こいつも脇役。けどデリルよりはしっかり歌う場面がある気がする。

<音楽>
・序曲
○プロローグ
・導入の合唱
・カルロのカヴァティーナ
・ジャコモのシェーナ
・ジョヴァンナのカヴァティーナ
・フィナーレ

○第1幕
・導入曲
・ジャコモのアリア
・ジョヴァンナのロマンツァ
・ジョヴァンナとカルロの2重唱

○第2幕
・行進曲
・ジャコモのロマンツァ
・フィナーレ

○第3幕
・ジョヴァンナとジャコモの2重唱
・カルロのロマンツァ
・フィナーレ

<ひとこと>
はっきり言ってヴェルディの作品の中でも1,2を争う面白くない作品というイメージでした、長いことwww今回取り上げた音源を聴き、DVDを観、1つ1つの曲はまあまあなんだけど、全体通すとなんというか締りのない感じの作品だなあと^^;
ところが今回改めて虚心に帰って聴いてみて、あら意外と面白いじゃないと思っている自分がいたりする訳です。と言っても、『ナブッコ』から『エルナーニ』までの勢いや『フォスカリ』で見せた秀逸なスケッチというようなところはないのですが、愚作と切り捨てるほど酷い作品でもないし、ヴェルディ自身ただ流してやった仕事でもなさそうだなと(流してるなと思う部分がない訳ではないですが笑)。
ぐじゃぐじゃ言ってますが、歌手が揃えば存外面白い部分も多い作品だと言うことです。

例えばジョヴァンナのアリアだけを取ってみても、それまでの作品とは違うものを狙っていることが伺えます。女性の主人公、しかも如何にも勇壮な役柄にも拘わらず、彼女の二つのアリアはいずれも合唱を伴わずカバレッタもないシンプルで短いもの。こうしたところからもわかるとおり、全体に彼女のキャラクターの勇壮な側面よりも、天使と悪魔の声を聞くことができる霊的・夢幻的な側面と、戀する乙女=普通の女性としての側面が強調されています。最たるものはカルロとの重唱の最中に悪魔の合唱が聴こえてくるところなどでしょう。ここは、力量のあるソプラノがやれば、狂乱の場風に結構盛り上がるのではないでしょうか。能天気に愛を語るカルロと錯乱するジョヴァンナの対比が効いていて、後のマクベスの祝宴の場面(マクベスにだけ亡霊が見え、恐れ慄く場面)へと繋がっていくのではないかと。内面的で新しい表現を志向していることが感じられるように思います。ただ、そもそも台本からして突っ込みどころ満載だし(ソレーラに関してはいつものことですが。作品の構成からして、全体に対して長すぎるプロローグとかww途中で飽きちゃうんですかね^^;ただ当たると物凄くインパクトのある場面を書ける人ではあるのですが)、フォスカリの時のようなヴェルディ自身が強い共感があったかというとそうではないでしょうし、或る意味苦労を感じるところも。

ジャコモについても、苦悩している部分の表現などは如何にもヴェルディらしい悩める父像が楽しめます。3幕のジョヴァンナとの重唱はフォスカリの義父娘の重唱より出来が良いように思いますし、4幕のロマンツァも見事なものだと思います(というか後でも述べますが、パネライの歌唱にすっかり痺れてしまったということもありますが笑)。娘を想う父の等身大の嘆きと言う点でみれば、このロマンツァは他のヴェルディ・バリトンの名曲に引けを取らないものです。とはいうものの、既に述べたとおり全体にはちょっとここまで一貫性のないというか不自然な登場人物もなかなかいないと言う部分は否めないですね^^;思っていることとやっていることの因果関係が繋がっていないということも考えると、一貫性のなさは『エルナーニ』のカルロより酷いです。1幕のアリアなんかは流麗なヴェルディ節を聴くためだけのものになってしまっています。

カルロはもう本当によくいるテノールの役ですw頭の中は自分の戀のことばっかりで、国民のことも国のことも政治のことも考えている気配がありません^^;史実のシャルル7世は権謀術策に彩られた生涯だったようですから、かなりの落差があります。とはいうものの、彼が能天気で頭ん中お花畑である方がよりジョヴァンナの苦しみも際立つので、これはこれでいいのでしょうが。そういう意味では『椿姫』のアルフレードの原型を見ることもできるかもしれません。また、曲としては登場のカヴァティーナはカルロの夢のお告げの話に群衆の合唱がかなり絡むものとなっており、よく作り込まれたものです。

そして合唱!この作品は彼らの存在が大きいです。群衆として登場する部分もありますが、それ以上に印象的なのはジョヴァンナには聞こえる(見える)霊的な存在、天使と悪魔として登場する部分です。ジョヴァンナのバックに天使の合唱と悪魔の合唱が聞こえる部分で狙われている立体的な構成は、必ずしも巧く行っているとは言えないかもしれませんが、面白いことは確かです。個人的にはA.ボーイトの『メフィトーフェレ』を思い出します。むしろこのあたりの路線を拡大してファウスト的な話にした方が、中途半端大河ドラマより楽しめる作品になったのではないかと思います。惜しむらくは全体に悪魔に当てられた音楽があっけらかんとした明るいもので、迫力を欠くところでしょう。これがもっとデモーニッシュな雰囲気の音楽だったら、ぐんと聴き栄えがするのですが。

<参考音源>
○アルフレード・シモネット指揮/ジョヴァンナ・ダルコ…レナータ・テバルディ/カルロ7世…カルロ・ベルゴンツィ/ジャコモ…ローランド・パネライ/デリル…ジュリオ・スカリンチ/タルボ…アントニオ・マッサリア/RAIミラノ管弦楽団&合唱団
>音は悪いですがこれはいい演奏だと思います。何より音楽全体に、この時期のヴェルディには欲しい熱気がありますし、主役の歌手たちに圧倒的なパワーがあります。作品そのものの欠点が少なくないだけにそれを吹っ飛ばすエネルギーが感じられるのは重要なことです。特に素晴らしいのはテバルディ!円熟してからの果てしなく美しい声とはまた違う、若くて馬力のある声を楽しむことができます。一方で終幕ジョヴァンナの死の場面では後年の美麗な歌唱の片鱗を聴いて取れます。カルロを歌うベルゴンツィがまたいつもながらの折り目正しい歌唱に加えて力強さがあって聴き応えのある歌唱。アリアよりもむしろアンサンブルの途中で派手に見栄を切っているところのカッコよさには唸らされます。このふたりの重唱はまさに声の競演と言うべきもので、その迫力たるや凄まじいものがあります。そしてパネライ。このひとは永遠のマルチェッロというべき人だと思っていたのですが、これだけパワフルなヴェルディを歌えるとは恥ずかしながら思っていませんでした。娘のみが頼りであったのにと嘆く父親のロマンツァの充実ぶりには圧倒されました。この作品でまさかこんなに感動するとは、というぐらい立派な歌です。ロマンツァの話ばかりになってしまいましたが、他の部分でも力に満ちた歌唱を展開しています。残念ながら印象的な陰の合唱は聴きとりづらいです。とはいえ或る程度ライヴ録音慣れしている人で、この作品がダメだと思ってらっしゃる方はご一聴いただきたい音源です。

○ジェームズ・レヴァイン指揮/ジョヴァンナ・ダルコ…モンセラット・カバリエ/カルロ7世…プラシド・ドミンゴ/ジャコモ…シェリル・ミルンズ/デリル…ジュリオ・/タルボ…ロバート・ロイド/LSO&アンブロジアン・オペラ合唱団
>スタジオ録音ですから上記のものに較べてこちらの方が圧倒的に聴きやすく、またカットも少ないです。熱気こそシモネット盤より劣りますが、非常に丁寧に美しく演奏されており、初めて聴かれる方にはおススメできる内容だと思います。カバリエは実演では絶対やらないだろうなと思うし、キャラもちょっと違うとは思うのですが、丁寧な歌唱で好感が持てます。いつもながら彼女の絹糸ppは堪らないですが、それがジョヴァンナの死の場面で非常に活きています。ドミンゴも一番声が充実していたころでしょうか、しっかりとした中身のある声を楽しめます。普段のシミンゴっぷりはどこへやら、カバレッタの最後にはびっくりするような高音を付加しています。ミルンズも脂が乗っていた時期でたっぷりとした歌声に聴き惚れますし、いつもながら堅実な歌いぶりです。合唱がくっきり聴こえるのが嬉しい。この作品での合唱の重要性がよくわかります。
Viva! VERDI! | コメント:0 | トラックバック:0 |

Giraffatitan (Brachiosaurus)

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ギラッファティタン(ブラキオサウルス)
Giraffatitan brancai (Brachiosaurus brancai)

なまけっとに向けて大きくて見栄えのするものを、と思って作成したもの。

長いことブランカイ種と呼ばれていた、タンザニアで見つかった方のブラキオサウルスは実はブラキオサウルス属ではなく別の属であるという説が有力になってきているようで、提唱されたのがギラッファティタンと言う名前(このあたりの属だの種だのと言う話については、詳しくはこちら)。
ちなみに「ブラキオサウルス」という名前はその腕の長さに由来し「腕の龍」という意味なのに対し、「ギラッファティタン」は「キリンの巨人」ぐらいの意味で、こちらも腕が長くキリンに似た姿勢に由来したもの。

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顔も両者は結構違うのだそう。
で、ここまででも何となく感じられることだとは思うのですが、これまでのブラキオサウルス像はどちらかというと米国で見つかったアルティソラックス種よりはブランカイ種、即ち今でいうギラッファティタンのイメージなのです。だからブランカイがブラキオサウルスじゃないですよ、と言われると何とも言えずもにょる自分がいます…^^;
という訳で、この作品も二枚看板(笑)

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ちなみに、実際腕の方が長いプロポーションだったのは間違いないらしいですが、ベルリンにある世界一有名なこいつの標本は老若男女入り乱れた化石を使っていたのだとか。なので、昔の恐竜図鑑に出ていたイメージだと本物の姿とはだいぶ隔たりがありそうです。
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Nigersaurus

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ニジェールサウルス
Nigersaurus taqueti

カルノタウルス以来久しぶりに恐竜です(笑)
名前のとおり阿州はニジェールで発見され、恐竜の生きていた時代を大きく3つに分けたときの最後の時代である白亜紀に生息していました。
ご覧のとおり、所謂“ブロントザウルス”の仲間で、全体にはそれほど特徴はないですが、頭が非常に変わっていることで有名です。

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所謂“ブロントザウルス”の仲間の多くは鉛筆のような歯を櫛のように並べた細長い口を持っていたのですが、彼らは違います。口の先は大きく横に広がり、そこに細かい歯がたくさん生えています。どちらかというと掃除機のヘッドのような容貌です。こうした幅広の口は、下草を食べる生き物(例えばシロサイ)によく見られます。
復元された頭をみると赤塚不二夫の漫画のキャラクターのような愛嬌のある顔で、憎めません^^

今回は雷竜今昔をベースにあの特徴的な顔をつけてみようと思って作ったもの。
意外なくらい“らしい”顔になってちょっと嬉しい(笑)

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顔を強調した写真が多いのでわかりづらいですが、こいつの特徴として頸が割と短い割に尾はそれなりに長いので、そこも再現はしてみています。
下草を食べていたのなら、ということで顔は地面に近いところにしてみました。

この作品もなまけっとに持っていく予定です。
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【なまけっと出展】折り紙工房せびりあ

自分の日常ほどつまらないことなどないし、そんな見るに堪えないものをここでつらつら書くのもあれなので普段は書きませんが、偶には告知を。

11/2(土)10:00~17:00に東京卸商センター(最寄駅:浅草橋)で生物系創作イベント「生き物マーケット」(通称なまけっと)に出展します(詳細はこちら)。

ブースNo.13
折り紙工房せびりあ

【概要】
古生物を中心とした創作折り紙の作品を展示したギャラリー。折り紙の実演も行う予定です。
なお物販なしのカンパ制ギャラリーですが、100円以上カンパしてくださった方から抽選で作品をプレゼントします!(モノは選べません…ごめんね:_;)

<100円以上カンパ抽選プレゼント/ルール>
※参加希望の方は必ずご確認ください。

(1)100円以上カンパを入れたら抽選券を受け取り、大切に保管してください。紛失の場合対応しかねます。
(2)入れられるのは1人1回です。
(3)カンパをたくさん入れてくださるのは大歓迎ですが(笑)、100円より多く入れてもお渡しする抽選券は1人1枚<です。
(4)当選者の発表は15:00です。30分経っても当選者が現れない場合は、追加抽選を行います。

【出展作品】
こちらのページに出ているリストから数点、出ていないものからも何点か出展する予定です。

【関連ページ】
なまけっと出展者紹介
なまけっとDM

お引き立てのほど、どうぞよろしくお願いいたします。
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Gerrothorax

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ゲロトラックス
Gerrothorax pulcherrimus

ディプロカウルスに続きちょっと両棲類ばんでいます(笑)
こいつは瑞典の三畳紀の地層で見つかった両棲類で、またまたかなり個性派な容貌をしています。恐竜図鑑の恐竜じゃない項目をよく見てる人だったら、多分覚えているかとw

ディプロカウルスに較べて更に扁平なイメージで身体を作っています。

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眼窩が大きいため大きな眼で復元されることが多いです。ただ、造形作家のafragiさんは現生の眼窩の大きな両棲類がみな大きな眼を持っている訳ではないことなどから、眼の小さい復元を試みています(詳しくはこちら)。
afragiさんの見解は非常に的確だと思う一方で、折り紙でこいつを作った時に眼を小さくしてしまったときに誰もこれをゲロトラックスだと思って呉れないな(というかウーパールーパーだなw)というところで、でっかい眼を作ることにしました。
あと、眼もなんですが鰓も結構こいつのポイントだと思っていたので、ちまちま作っています。というか鰓が結構大変でした、地味ですがw

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最初はこれもオーロラ紙で作ろうかと思っていたのですが、鰓の折込が細かくなっちゃってあの反発の強い紙で折るのは不可能だなと思ったので、全然違う路線の紙に。
織物美術家の龍村平蔵(初代から三代)の美術展に行ったときに買った彼ら親子三代の作品をあしらった折り紙から、初代の天平彩管錦のものを使いました。もともとのデザインが非常に優れたものであり主張が強いので、複雑すぎるものを作るとデザインが死んでしまうし、つまらないものを作ると折ったものが負けてしまうので、どこで使おうかと考えあぐねていたものですが、今回はいけそうな気がしたので。
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シュモクザメ

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シュモクザメ
Sphyrna zygaena

ヘリコプリオンミツクリザメ、それに旧作のホホジロザメなどを作れたのなら、技術的にこれも可能だろうと作ってみました。
ということで頭をちょっとヴァリエーションしただけです^^;

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頭の先っちょはちょっとカーブしているので、そこはちゃんと再現しました。
本当は細い下顎も作ってあげたかったんですが、ちょっとうまく行かず、上から見るのみのものになってしまってます。手を入れるならここからでしょうね。
ちなみにこの一見ちょっと異常な形の頭は舵を切るために使っているのだとか。

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割とマイナーな魚のイメージがあったのですが、やはりこの特徴的な頭には一定数のファンがいるようで、結構作品にもなっているようです。
サメのヴァリエーションもいつか作りたいなぁ~
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ミツクリザメ

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ミツクリザメ
Mitsukurina owstoni

深海に生息しているサメの仲間。
東大の臨界実習施設の初代所長であった箕作佳吉にちなんで和名・学名ともにつけられています。ちなみに箕作はかなり尊敬されていたらしく、これ以外にもミツクリエナガチョウチンアンコウにも名前を残しています。
種名は発見者のA.オーストンからつけられたのだとか。

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サメはそもそも顎が頭から外れて若干飛び出るようにできる特徴がありますが、このサメの場合はそれ以上に派手に飛び出すような格好になっているのが一番の特徴。怪異な容貌から別名はテングザメ、英名はgobrin sharkと言います。

今回はこの飛び出す口が作りたかったのでした。もちろんこの口は仕舞うこともできるようになっています^^

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本当はもっとサメっぽくないフォルムなんですが、ちょっとサメに寄りすぎちゃった気も^^;
尻尾なんかも少し長いんだよね。。。もうちょっと研究しなきゃ。

紙は和紙を使いました。その方がこの魚の持つどこか非実在的な雰囲気が出るかなと思ったので。
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Diplocaulus

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ディプロカウルス
Diplocaulus salamandroides

古生代ペルム紀に生息していた両棲類。
恐竜以外の古生物というと一般にはどうしてもなじみが薄くて、ましてや化石両棲類となると殆ど知られていないのが現状かと思いますが、長いこと最初に陸に上がった脊椎動物と言われ続けたイクチオステガとともに、そのユニークな外見から比較的認知度が高い生き物ではないかと。このブーメランみたいな形の頭は一度見たら忘れないインパクトですよね^^結構昔から子供向けの古生物図鑑でも常連です。
頭がどういう風に使われたのかは諸説ありますが、はっきりしているのは、子供の時にはこの突起は発達していないということ。となるとやっぱり二次性徴なのかな?

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恐竜以外の古生物の中では、ディメトロドンと並び折り紙ネタとしても割と一般的なようで、画像検索すると結構出てきます。ただ、意外とのっぺらぼうが多かったり、頭のブーメランの角度が完全に水平だったりというものが多かったので、今回は少なくとも眼を作ることと、頭の角度をもう少しつけることを目標に作成しました。
この2点をめざしてこちょこちょやっていたら思いがけずいい位置にいい感じに口ができたのでそちらも(口はブーメランのように広がっていなくて、いわゆる顔っぽい範疇に収まってます)。
実物は頭はもう少し前後方向に厚みがある三角形の組み合わせだと思うのですが、眼の位置とのバランスと、折り紙として見たときのインパクトからこの形に落ち着きました。

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頭が命の生き物を作るとついつい身体がお留守になりがちですが、折角なのでしっかり作ってみたつもりです。実物は扁平だし真っ平らでもよかったんですがそれだとちょっと生き物っぽくないし、サンショウウオみたいなイメージでちょっと膨らみを持たせてみました。

両棲類のぬめっと感と光沢を出したくてオーロラ紙を使いましたが、この紙はやっぱり難しいですね^^;折筋自体は昔のものに較べると結構しっかりつくようになったと思いますが、折り重ねていくとかなり膨らみが出てきてしまいます。固定のために1箇所だけ糊を使い、数箇所“奥義洗濯ばさみ”を使いました笑。
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2人のフォスカリ

そろそろ今年中に全作品聴ききることを諦めました(笑)

2人のフォスカリ
I due Foscari
1844年初演
原作:ジョージ=ゴードン・バイロン
台本:フランチェスコ=マリア・ピアーヴェ

<主要人物>
フランチェスコ・フォスカリ(Br)…ヴェネツィア総督。本作の主人公。息子を死に追いやる周りの状況をひたすら嘆くがいかんともできない可哀そうな人。ただ、この作品ではそういう面が強調されてるけど、あれだけロレダーノに恨まれていると言うことは、多分相当のことしてますよこのジジイ。全体にはそんなに劇的な役ではないが、アリア・フィナーレは感情が爆発して聴きごたえある重厚な音楽。
ヤーコポ・フォスカリ(T)…フランチェスコの息子。ヴェネツィア十人委員会の陰謀で、無実の罪(と言うことに本作ではなっている)で流刑に処されて死んでしまうという悲劇的な状況をひたすら嘆くけれども(以下略)。悲劇の人になっているものの、あれだけロレダーノに恨まれていると言うことは(以下略)。短いながらも狂乱アリアがあったり結構力量の試される難しい役だと思う。
ルクレツィア・フォスカリ(S)…ヤーコポの妻。夫や義父に起こる悲劇をひたすら嘆(以下略)。アリアも重唱もそれなりにあって見せ場は多いんだが、主役父子に較べるとどうもいま一つな扱いをされている気がする。当てられている音楽そのものは結構難しいと思う。
ヤーコポ・ロレダーノ(Bs)…フォスカリ家の政敵で彼らを仇として憎み、ヤーコポを流刑にしフランチェスコを失脚に追い込んだ張本人。なんだかこういうと大悪役みたいだが、はっきり言って端役。後年のヴェルディなら拡張したんだろうなとも思う一方、このときのヴェルディが描きたかったのは結局総督だと思うので、まあこんなもんなのかな。
バルバリーゴ(T)…ロレダーノの腹心だが、後半で情に傾き、総督のもとに赴く(ただ、展開は余計悲劇的になる)。出番は少ないけどデ=パルマみたいな演技功者にやって欲しい。
ピサーナ(S)…ルクレツィアの侍女らしいけど全く記憶にないwww

<音楽>
・前奏曲
○第1幕
・導入の合唱
・ヤーコポのアリア
・合唱とルクレツィアのカヴァティーナ
・合唱
・総督のロマンツァ
・総督とルクレツィアの2重唱

○第2幕
・ヤーコポのアリア
・ヤーコポとルクレツィアの2重唱
・総督、ヤーコポ、ルクレツィアの3重唱とロレダーノを加えての4重唱
・フィナーレ

○第3幕
・導入曲
・ヤーコポのアリア
・ルクレツィアのアリア
・総督のアリア・フィナーレ

<ひとこと>
数あるヴェルディの作品の中でも最もコンパクトな作品で、本当にあっという間に聴き終わってしまいます。物語の筋としては役柄紹介のところでも見て取れるとおりひたすら悲劇的な状況を主役たちが嘆きまくって破滅を迎えると言うもので、率直に言って展開は起伏に乏しく、それが歌劇としての華やかさを殺いでいる面は否めません。
ですが、かと言ってこの作品が取るに足らない愚作なのかと考えると、それはちょっとちょっと違うかなと。『一日だけの王様』の直前に子供を失った悲しみはこの時点でもなお彼の心を苛んでおり、ここでの総督の嘆きにヴェルディは非常に共感していたことが作品全体から伺えます。と言うよりむしろこの作品は、軸である総督の悲しみのみをクローズ・アップし、他のストーリーやキャラクターをほぼ捨象している点ではトルソーだと言うこともできると思います。父として権力者としての苦悩は既に『ナブッコ』のときに現れている訳ですが(ナブッコとアビガイッレ、フェネーナ)、この作品に於いて内面性はより深みを増し、ヴェルディの生涯のテーマの一つとして明確なものとなっていきます。総督ものの作品としては、先駆者G.ドニゼッティの『マリーノ・ファリエーロ』に端を発し、ヴェルディの後の傑作『シモン・ボッカネグラ』へと繋がっていく重要な作品です。
そのように考えた時、当然この作品そのものは若書きではなくこれ自体でしっかりと完結した作品ではありますが、最終的にそれらの作品での権力者を描いていく布石、或いはスケッチ的な役割を果たしたと言えるのかもしれません。
また楽器の扱いについても興味深く、キャラクターの明確なモティーフ(総督の登場に伴って現れるチェロの動きやヤーコポと共に現れるクラリネットの動きなど)が出てくるところです。こうした印象的な主題の利用は、この後『ルイザ・ミラー』などでも現れてきます。

そうした位置づけを考えると、やはり最も重要なのは総督フランチェスコです。ナブッコに続き、後のフィリッポ、シモンへと繋がっていく父であり王である人物として、ヴェルディの描いたキャラクターの中でも重要だと思います。ヤーコポと親子の重唱こそないものの、作中では常に息子への感情のベクトルが示されていますし、義娘であるルクレツィアとは共にヤーコポの安否を思う重唱があります。ただ、この重唱(というかこの作品の重唱全般に言えると思うのですが)は過渡期的な感じで、例えばナブッコとアビガイッレの重唱やシモンとアメーリアの重唱などに較べると印象が薄いです。より耳に残るのは、2つの独唱曲でしょう。訥々と哀しみを語る登場のロマンツァは最低限の低音の伴奏を添えたもの。このころのヴェルディはザッカリアの祈りやドン・カルロ(『エルナーニ』)のアリア、そしてこの曲と同じような形でいずれも見事な独唱を書いています。手法的には近いけれども、それぞれ全く違うシチュエーションというのも興味深いです。
音楽的に素晴らしい、全曲の白眉と言えるのはアリア・フィナーレでしょう。無実の息子が流刑に処され怒りを顕わにするところ、そしてそれを傲然と拒絶し総督に退位を迫るロレダーノたちと十人委員会(このあたりの十人委員会と総督の関係を本当はきちんと書くべきなのでしょうが、私にはその力はないのでここでは割愛します>_<)とのアンサンブルは非常に聴き応えがあります。ここでの息子を返せという総督の懇願には、ヴェルディの魂が宿っています。この姿には娘を返せと迫るリゴレットが透けて見えますし、ここでの大芝居はシモンに通じるものを感じます。声楽的にも演劇的にも力量のあるバリトンに演じて欲しい役です。

これに較べると残りの役は主役2人を含めて書割的です。このあたりが、この作品がトルソー的な印象を与える原因なのでしょう。
とは言っても、ヤーコポは種類の違うアリアが各幕1つずつある結構大変な役です。開幕してすぐのアリアはカヴァティーナ・カバレッタ様式に則ったスタイリッシュなもので、彼が誠実な人間であることを伺わせ、先の無情な展開を際立たせています。2幕冒頭は一種の狂乱アリアで、物語的には何であるのかよくわかりませんが(敢えて言うなら彼の精神の耗弱っぷりを表すというところでしょうか)、音楽としても演劇としてもドラマティックな場面で歌手の力量が試されます。3幕のアリアはルクレツィアやロレダーノ、それに合唱も積極的に絡んでくるのでアリア感はあまりありませんが、劇的ではあります。ここでは父への思いも口にされ、この作品が家族の悲劇であることを感じさせます。何もできずに流刑に処されてしまうなよっとした役どころではありますが、テノールの役としては奇跡的なぐらいまともなキャラクターかもしれませんw
ルクレツィアは夫に較べるとまだもう少し物語的に活躍する部分もあって、陳情を出したり夫の死を義父に伝えたりなんてところはなかなか劇的です。アリアは2つあって悲惨な運命を嘆くものと夫の死に復讐を誓うもので、いずれもドラマティックだとは思うのですが、これもまたちょっと過渡期的な印象で、聴きごたえはあるけれども耳には残りにくいかなぁ^^;というかですね、この作品構成としてこの夫婦のアリアがちょっと多すぎる感じなんですよね。3幕のルクレツィアのアリアなんてもう1回総督との重唱にしても良かったんじゃないかと言う気もしますし。ただ、歌うのはこの役もかなり技巧的で大変だと思います。また、ルクレツィアは最後に血の復讐を求めていますが、『シモン』のアメーリアはそこで和平を求めており、この緊密な2つの作品間でのキャラクターの意味付けの変容は大きいように思います。

敵役のロレダーノは上述のとおり作品としては出番も少ない小さな役。ただ、その短い登場の範疇で冷酷非道な復讐の喜びに歪んだ人格を示さなくてはいけないので、そういう意味では難しいかもしれません。ただ、総督を描きたかったこのときのヴェルディにとって見るとこのぐらいの扱いでも十分だったのかもしれませんが、こうした歪んだ人物像にのちのイァーゴやパオロ、ヴルム、或いはここでもリゴレットの影を見ることはできるように思います。また、男性合唱はロレダーノ側として登場しますが、これまでの作品と比べてもかなり性格的で不気味な雰囲気が漂っており、彼らは一体となってフォスカリ家を追いつめていきます。そういう意味ではかなり印象的な“悪役”としてこの合唱がいるとも取れるでしょう。
そんな中で本当に端役で筋書き的には殆ど装置と言ってもいいように思いますが、バルバリーゴは結構重要ではないかと思います。結果的には悲劇をより深めるものとなったものの、彼のみが最後に総督に憐憫をかける訳で、上記の他の悪役とは明らかに立位置が違います。脇役テノールでも巧い人にやってもらわないと現実味のない「書割」になってしまいますが、なかなか難しいですね^^;

<参考音源>
○カルロ=マリア・ジュリーニ指揮/フランチェスコ・フォスカリ…ジャン=ジャコモ・グェルフィ/ヤーコポ・フォスカリ…カルロ・ベルゴンツィ/ルクレツィア・フォスカリ…マリア・ヴィターレ/ヤーコポ・ロレダーノ…パスクァーレ・ランバルド/バルバリーゴ…マリオ・ベルジエーリ/RAIミラノ管弦楽団&合唱団
>1951年と古いライヴ録音ですが、当時20代だったいずれも1924年生まれの名手たちの共演を楽しむことができます(今の若者公演みたいな感じだったんですかね^^)。比較的手に入りやすいものの中で、ライヴらしい熱気を楽しみたいならこれが一番かと。グェルフィは押し出しのいい声で貫禄ある総督を演じています。力強さが持ち味の彼ではありますが、アリア・フィナーレではちょっと抑え目にすることで、息子を返して欲しいと言う思いが却って切々と伝わってきます。蓋し大熱演でしょう。知ってる人は知っているヴィターレもドラマティックな歌声を駆使してスリリングな歌唱。かなり重たい声ですが、意外なぐらい機動力もあって感心します。そしてベルゴンツィ!ここではライヴでの彼の良さを発揮していて、いつもの堅実で整った歌唱にアツいパッションが乗っかって素晴らしいです。2幕の狂乱ぶりなどとても見事。ベルゴンツィ優等生歌唱信仰のある方には是非聴いていただきたいですね(笑)カットもあってロレダーノは殆ど出番なしですが、まあ別にどうでもいい感じ。バルバリーゴも魅力薄。と言う訳でやはり主役3人を聴くものでしょう。ジュリーニの指揮も後年のようなのたのたした感じはなく、聴ける範囲では悪くないかな。音はお世辞にもよくありませんが、歌手の声は近いですし、ライヴ録音を聴きなれている人なら十分に楽しめるかと思います。

○ランベルト・ガルデッリ指揮/フランチェスコ・フォスカリ…ピエロ・カプッチッリ/ヤーコポ・フォスカリ…ホセ・カレーラス/ルクレツィア・フォスカリ…カーティア・リッチャレッリ/ヤーコポ・ロレダーノ…サミュエル・レイミー/バルバリーゴ…ヴィンチェンツォ・ベッロ/墺放送交響楽団&合唱団
>一般に一番勧められるのはこれでしょうね、カットも殆どなさそうですし^^全てが揃った音源と言っていいと思います。圧巻はカプッチッリでしょう。シモンで一時代を築いた彼らしい、大物感のある総督です。彼一流の渋みの効いた演唱には痺れます。音がいい分ロマンツァも楽しめますし、やはりここでもアリア・フィナーレが見事。カレーラスは一番いい時期だったんでしょう、彼のヴェルディの中ではドン・カルロと並びベストの出来と言っていいと思います。また、彼の如何にも幸薄そうな雰囲気が役柄にもぴったりです(褒めてます)。なよなよめそめそしたイメージの強いリッチャレッリもこのあたりの作品にもっと軸足を据えていればよかったんじゃないかなと感じさせる名演です。ヴィターレほどではないものの意外なほどパワフルに聴かせています。レイミーはヴェルディじゃないと何度かこのブログでは書いていますが、流石にここでは不満無し…っていうかはっきり言って役不足じゃない^^;ベッロは聴いた限りでは一番いいですが、もっと巧く歌える人もいるんでないかな?という気もします。と言っても不満と言うほどのものではないです。ガルデッリはいつも通りの堅実なもので、オケも合唱もなかなかの水準だと思います。普通に愉しむ上でも充分ですし、まずは曲を知りたいという向きにもお勧めできるものでしょう。

○ネッロ・サンティ指揮/フランチェスコ・フォスカリ…レオ・ヌッチ/ヤーコポ・フォスカリ…ヴィンチェンツォ・ラ=スコーラ/ルクレツィア・フォスカリ…アレクサンドリーナ・ペンダチャンスカ/ヤーコポ・ロレダーノ…ダニロ・リゴーザ/バルバリーゴ…レオポルト・ロ=シウト/ナポリ・サン=カルロ歌劇場管弦楽団&合唱団
>本作を映像で楽しむ上では手に入りやすく、演出も穏当なもので悪くないものです。ただ録音に難があって歌手たちの声の響きが些かきつくなってしまっているのが残念ではありますが。ヌッチのこの役を映像で楽しむことができるのは、財産と言ってもいいでしょう。いかなグェルフィとカプッチッリが素晴らしくても、彼らは映像では残っていませんし、ヴェルディ・バリトンの歴史の中でも演技功者として知られるヌッチは、やっぱり映像で観たい。そしてその期待通りの活躍ぶりで楽しませて呉れます。この作品だとどうしてもアリア・フィナーレに注目してしまう訳ですが、息子の死を知らされてから自らが死ぬまでの演唱は非常に素晴らしく、息をするのも忘れて見入ってしまいます。ラ=スコーラは声が大分重くなってしまった後のものではあるのですが、ここでもスタイリッシュで端正な歌作りに好感が持てます。こういう感じだとあらぬ疑いをかけられた無罪の人らしさがあって、無理がありません。ペンダチャンスカはいまいちで、東欧系のヴィブラートがあるのですが、一度気になってしまうと結構気になりますし、転がしもちょっともたついてる(サンティは確かに速めではあるのですが)。ヌッチと並ぶと同じ棒立ち演出でも演技力の差が見えてしまいます。リゴーザは歌や容貌、演技も含めて憎々しい悪役を好演しており、カットが残念なぐらい。対してロ=シウトは緊張があったのか指揮ばかり見ていて、かなり違和感があります。オケや合唱の音もきつめになっていますが、サンティの指揮は伊的で結構好きです。テンポ取りが結構サクサクしていて、上記の音源の重厚路線を聴いてからだとびっくりしますが、初期ヴェルディとしてはこれもいいんじゃないかなと。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第四十八夜/この世ならざる者~

バスの役の定番と言えば坊さんと悪魔、それに加えて時々王様というところですが、今回はその坊さんと悪魔を究極の当たり役とし、圧倒的な存在感を誇りながらも早世した怪優を。

Neri.jpg
Il Grande Inquisitore

ジュリオ・ネーリ
(Giulio Neri)
1909~1958
Bass
Italy

バスにもいろいろ種類はあるのです。
分け方はいろいろあるのですが、例えば比較的高めの音域まであって流麗な歌を求められるバッソ・カンタンテ、コミカルな演唱を要求されるバッソ・ブッフォ、そして底知れぬ深さのある重厚な低音が求められるバッソ・プロフォンド。それぞれ例を挙げるならカンタンテは後々ご紹介したいと思っているR.ライモンディ、ブッフォは以前ご紹介したコレナが有名どころ、そしてネーリはと言えばプロフォンドの代表選手です。

そしてプロフォンドの声が求められる役こそ、僧侶と悪魔と言ったところ。その中でもネーリの声の強烈さは、群を抜いています。彼の声はかなり独特で、古今東西見渡しても彼と同じような音色の歌手はいないと思います。非常に暗くてドラマティックで、黒い声(と言っても独国の黒い森を思わせるモルやフリックとはまた違うのですが)。名は体を表すとはよく言ったもので、“neri”というのは伊語で“黒”を意味します。彼の声の特徴が最も活き、最大の当たり役とされたのが宗教裁判長(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)とメフィストーフェレ(A.ボーイト『メフィストーフェレ』)。まさにプロフォンドの鑑ですね(笑)必ずしも録音の多い人ではありませんが、これらについては複数の音源が存在します。特に宗教裁判長は「彼が居なくなったらこの役をできる人がいなくなる」とまで言われていたそうです。

しかし、そうした名声に彩られた彼の歌手人生は唐突に終わりを告げます。49歳の誕生日を1ヶ月後に控えた或る日、突然の心臓発作で帰らぬ人となってしまいました。彼の時代は必ずしも長く歌う人ばかりではなかった訳ですが、それでも50代からバスはまた歌える歌が変わってくるというのに、残念でなりません。天に召される前にもっとたくさん地上でその圧倒的な声を聴かせ、残して欲しかった。尤も、演じた役を考えると、「天に召される」と言うことばが彼ほど似合わない歌手もいないのですが。

<ここがすごい!>
ここまででも何度か述べましたが、前回のグェルフィとはまた違う意味で強烈な声です。
太さや深さというのはもちろんなんですが、それ以上に独特の音色の暗さと凄みがあります。ああこの人に逆らってはいけない感じと言いますか、もっと下世話な言い方をするとラスボス感が半端ない感じで、完全に悪役声ですねwしかもライヴ音源を聴くとかなりの声量があったことがわかります。轟然と響きわたる声には、まさ対立するものを圧殺するという言葉が相応しい。その上、伊人だと言うのに2mを超える巨漢だったと言いますから舞台姿はさぞかし恐ろしかったに違いありません。そう思って残された音源を見てみると、上述した2役の他にランフィス(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)、アルヴィーゼ(A.ポンキエッリ『ラ=ジョコンダ』)、ドン・ジョヴァンニ・デ=シルヴァ(G.ドニゼッティ『ドン・セバスチャン』)とまあ見事に悪役ばっかりですwww必ずしも悪役ではなくてもオペラ界で最も有名な殺し屋スパラフチレ(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)なんかもやっています。彼の個性を窺い知るには充分でしょう。実際にそれらを聴いてみると、非常に強大で、非常に憎らしい、けれども大変魅力的。ダークな声と歌から悪の魅力が迸る、まさにあらまほしき悪役ぶりです。

加えて言えば彼の個性は、単なる悪役よりも更にもう一歩進んで、人間離れした役になればなるほど活きてきます。その理由は上記のような音色の問題ももちろんですが、歌い口にあるように思います。変な言い方になりますが、彼の歌は流麗で美しいフォルムという世界とは一線を画したものです。より剛直で直線的、大胆で大づくりな歌唱と言っていいでしょう。ただ、そのストレートな歌唱が彼の並みならぬ力を持った声でなされると、抗いがたいパワーを持って迫ってくるのです。この世ならぬオーラを持った巨大で異様な存在感を聴く者に印象付けるのです。だからこそ彼きっての当たり役は、宗教裁判長とメフィストーフェレという、伊ものの作品の中でも特異なキャラクター、どちらもおよそ人間性と言うところから遠く、不気味で、物語の中でも最もおぞましい役柄(宗教裁判長はまあ一応人間なんですが、もう殆ど人間じゃないというのは衆目一致するところではないかとw)なのだと言えます。

特に宗教裁判長は、『ドン・カルロ』の録音史に於いて最強と言っても過言ではないのでしょうか(何が強いのかよく判りませんが聴くとそんな感じがしますww)。僕が知る限りの音源ではネーリは宗教裁判長として、シエピ、クリストフ、ロッシ=レメーニといういずれ劣らぬ当時のトップ・レベルのバス歌手のフィリッポと対決していますが、全て力で組み伏せると言うとんでもないことを成し遂げています(物語的には宗教裁判長がフィリッポを屈服させるのですが、音源を聴くと必ずしも力づくではなく様々なアプローチで演じられています。結果的にフィリッポの方が強そうだったりというのも珍しくありません^^;)。ネーリを聴かずして宗教裁判長を語る勿れ、です。

<ここは微妙かも(^^;>
ただ、上記のようにあまり器用な歌い方をする方ではないので、キャラが違う役になるとちょっとどうかな?と思うところがあるのも事実です。アリア集に出ていた範疇で言えばバジリオ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)の陰口アリアなんかは思ったよりもインパクトの薄い歌でしたし、コッリーネ(G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)の外套アリアもあんまり哀しくなくてうーんっていう(^^;あと、ちょっともごもごした感じはあるので早口は得意ではなさそう。
もうちょっと長生きしたらここもちょっとは違ったんでしょうか。

<オススメ録音♪>
・宗教裁判長(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
プレヴィターリ指揮/ロッシ=レメーニ、ピッキ、カニーリア、スティニャーニ、シルヴェーリ共演/ローマ・イタリア放送交響楽団&合唱団/1951年録音
サンティーニ指揮/クリストフ、フィリッペスキ、ステッラ、ニコライ、ゴッビ、クラバッシ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1954年録音
ヴォットー指揮/シエピ、ロ=フォレーゼ、チェルケッティ、バルビエーリ、バスティアニーニ、ワシントン共演/フィレンツェ5月祭音楽祭管弦楽団&合唱団/1956年録音
>いずれも他のキャストの凸凹はあるものの、ネーリと名バスのスリリングな対決を楽しむことのできる録音。手に入りやすいのはサンティーニ盤か。彼のこの役へのアプローチは或る意味しっかり固まったもので、どれで聴いてもその圧倒的な力でフィリッポを圧倒してしまう感じ。老人にはあまり聴こえないかもしれないが、間違いなく怪物的(褒めてます)で、これは逆らえないなと思わせます。クリストフを力技で組み伏せたのは後にも先にも多分彼だけだと思いますwヴォットー盤のみライヴで、予想以上にドラマティックな演唱を聴かせるシエピも聴きもの。プレヴィターリ盤は他が落ちるのが残念ではあるけれど、ロッシ=レメーニとの勝負は圧巻。彼が居なくなったらこの演目はできないとまで言われた、空前絶後の当たり役っぷりを楽しめます。

・メフィストーフェレ(A.ボーイト『メフィストーフェレ』)
クエスタ指揮/タリアヴィーニ、ポッベ、ティコッツィ/トリノ放送管弦楽団&合唱団/1954年録音
>隠れ名盤でしょう。宗教裁判長と並ぶネーリの最大の当たり役を全曲聴けるのは非常にありがたい。録音を通しても彼の声の巨大さが伝わってきます。彼の演じるメフィストは尊大で大仰、まさに地獄の王者たる風格たっぷりで、彼こそこの物語の主役であることを第一声から感じさせます。ギャウロフの悪魔然とした悪魔やシエピ、レイミーの魅惑の悪魔とはまた一味違う、超然たる悪魔像を構築しており、聴き比べると非常に面白いです。ファウストをタリアヴィーニが歌っているのも嬉しいところで、彼一流の優雅で繊細な部分と力強い部分のメリハリがピリッと効いた歌唱がまた心憎いです。ポッベも悪くないですし、古いながらも効いて損の無い録音です。

・宗教裁判長ドン・ジョヴァンニ・デ=シルヴァ(G.ドニゼッティ『ドン・セバスチャン、葡国王』)
ジュリーニ指揮/バルビエーリ、ポッジ、ドンディ、マスケリーニ共演/フィレンツェ五月祭管弦楽団&合唱団/1955年録音
>マイナー作品で台本は突っ込みどころが多いものの、音楽自体はドニゼッティの円熟期のもので好きな人は聴き逃せないところかと^^いろんな作品に出てくるキャラクターの名前をみんな足しちゃったみたいな名前の役ですがw、葡国併合を目論む西国の生臭坊主でかなりインパクトのある悪役です。こういう役どころで彼が栄えるのは言うまでもなく、その見事な悪役ぶりには惚れ惚れします。肝心の主役のポッジはやや落ちますが、ヒロインのザイーダを演じるバルビエーリや、いまでは殆どカラスとの共演でしか知られていないマスケリーニとドンディもいい味を出しています。

・ランフィス(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
クエスタ指揮/カーティス=ヴァーナ、コレッリ、ピラッツィーニ、G.G.グェルフィ、ツェルビーニ共演/RAIトリノ管弦楽団&合唱/1956年録音
>必ずしも出番の多い役ではないものの、ちゃんとした人がやらないと締まらない重要な役どころのランフィスですが、ここでもネーリのキャラクターが活きています。頑固で理に走った、心を表に出さない政治家を不気味に演じていて、作品の世界をより立体的にしていると言っていいのではないでしょうか。グェルフィのところでも述べましたが男性陣に聴き応えのある録音。

・バルダッサーレ(G.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』)
クエスタ指揮/バルビエーリ、G.ライモンディ、タリアブーエ共演/トリノ・イタリア放送響&合唱団/1955年録音
>これも名盤だと思います。バルダッサーレは単純な悪役ではありませんが、西国王を糾弾し従わせる宗教権威ですから、それなりのパワーは必要です。ここでのネーリの歌唱はそういう意味では非常に説得力がある。特に怒りまくって王の許に現れる場面での恨みの籠った歌唱は必聴でしょう!G.ライモンディの清々しい美声とバルビエーリの悩める女も立派なもの。タリアブーエがタッデイだったら超名盤なのですが。。。

・アルヴィーゼ・バドエロ(A.ポンキエッリ『ラ=ジョコンダ』)
ヴォットー指揮/カラス、ポッジ、シルヴェーリ、バルビエーリ共演/トリノRAI交響楽団&チェトラ合唱団/1952年録音
>カラスのジョコンダの地味な方(笑)アルヴィーゼもバルダッサーレと同様単純な悪役ではありませんが、自らと家名の名誉のためには殺人すら辞さない男(そう言えばこいつも宗教裁判長www)。重要な役どころの割には出番は必ずしも多くありませんが、彼ぐらいバリっとキャラクターを出して呉れると物語的には断然面白くなります。カラスはじめ共演も良く、世間で言われているような駄盤ではないと思います。

・スパラフチレ(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
クエスタ指揮/タッデイ、タリアヴィーニ、パリューギ共演/トリノRAI管弦楽団&合唱団/1954年録音
実はまだ全曲聴けていませんが、知る限り名盤と思います。聴きました、予想どおり名盤!(2013.10.15)オペラで最も有名な殺し屋スパラフチレも、意外と小物のバスにやられることが多いですが、ネーリならば心配ありません!一語一語の凄みが違います。嵐の音楽でもその声量は圧巻の一言(ちょっと小回り効かない感じはありますが^^;)。リゴレット相手に凄むところなんてそれこそ殺さんばかりですw藝達者なタッデイのリゴレットは言うに及ばず、あまりキャラにはあって無さそうなタリアヴィーニの公爵も、その甘い歌の魅力には抗しがたいものがあります。女声陣はちょっと時代がかってるかな。クエスタはオペラの呼吸を良く判った指揮ぶりで、テンポ感も素晴らしいし、楽器の浮かし方とかも巧み!
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象の行進曲 March "Proboscidae"

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象の行進曲
March "Proboscidae"


再びなまけっとで展示予定の作品。


この夏のマンモスYUKA展を観に行ってゾウの仲間のヴァリエーションが非常に面白かったので、作ってみた作品。
一応大まかに新しい時代のものの方が先頭にいます。

『子象の行進』から取って『象の行進曲』と銘打ち、文中でもゾウ、ゾウと言ってしまいますが、ゾウの仲間である長鼻目はかなり多様化したグループなので、絶滅したものには亜目や科単位で現生のゾウとは異なる連中がかなりいます。ここでもステゴドン以下はどれもゾウ科ではありません。
なので英題ではelephantではなく、長鼻目を意味するproboscidaeを採用しました^^

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No.1 アフリカゾウ Loxodonta africana
アフリカに現生するゾウ。サバンナで生活している。耳が大きく、これで体温調節する。ゾウの仲間でもかなり大型。

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No.2 アジアゾウ Elephas maximus
アジアに現生するゾウ。熱帯雨林の中で生活する。アフリカゾウより大人しく、タイなどでは家畜にしている。

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No.3 ケナガマンモス Mammuthus primigenius
絶滅種。マンモスにもいろいろ種類があるが、体毛の長さや立派な牙から誰もが連想する種。意外とあまり大きくない。

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No.4 ナウマンゾウ Palaeoloxodon naumanni
絶滅種。日本から化石が多く見つかり、お雇い外国人のH.E.ナウマン(1854-1927)が研究した。牙は立派だが小柄。

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No.5 ステゴドン Stegodon ganesha
絶滅種。15を超える種があり、日本国内では小型のアケボノゾウが有名。本作では大型の種のイメージ。ゾウ科ではなくステゴドン科。

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No.6 アメリカマストドン Mammut americanum
絶滅種。マストドン自体が学名のようだが学名はマムートで、マムート科。ゾウの仲間の中では種の寿命が長かった。ちなみに山岳メーカーのマムートのロゴはどう見てもこいつではなくケナガマンモス。

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No.7 ゴンフォテリウム Gomphotherium sp.
絶滅種。これもゾウ科ではない。4本牙のグループの中では古い方。既に長い鼻があったとされる。

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No.8 プラディベロドン Platybelodon grangeri
絶滅種。こちらもゴンフォテリウムの仲間で、4本歯ゾウの仲間でもかなり変わり者。下顎の牙はシャベル状で、湿地の水草を食べたという。

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No.9 デイノテリウム Deinotherium giganteum
絶滅種。ゾウの仲間の中でもかなり原始的なところで分かれた妙な生き物。胸側に曲がった牙の役割は謎だが、木の皮を剥がしたとも。ディノテリウム、ダイノテリウムは誤り。

<参考>
新版絶滅哺乳類図鑑/冨田幸光:文/伊藤丙雄・岡本泰子:イラスト/丸善株式会社/2011
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