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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第六十一夜/パリの伊達男~

目次を見返してみまして、大好きな仏国の歌手や演目をとりあげられていないなと感じております。
これまで扱った人の中で、仏ものでの活躍が目覚ましかった人ってブランとゴール、それにゲッダぐらい……これは流石にちょっとと思うので、ここから少し重点的に仏歌手をご紹介していこうと思っています。
と言う訳で最初はこの方!

Massard.jpg
Valentin

ロベール・マッサール
(Robert Massard)
1925~
Baritone
France

仏国はポーに生まれたバリトン。
独学で歌を学び、地元南仏で研鑽を積んだ後、世界で一番有名な歌劇場のひとつであるパリ・オペラ座を中心にしながら国際的に活躍しました。既にご紹介しているブラン、そして今後登場する予定のバキエと共にオペラ座三大バリトンと言われていたと言う話も。3人の中では録音が多く、現在ではあまり顧みられることがない仏もののマイナーなオペラやオペレッタを含め膨大な音源を遺しています。

とは言っても録音で楽しんでいる我々の世代に於いて彼の最も有名な音盤は何かと言われれば、プレートル盤『カルメン』(G.ビゼー)即ち“カラスのカルメン”でしょう。しかし、この音盤も多くの例に漏れず、カラスが出ているとなった途端ほかの出演者はなかったことにされ彼女のみが称賛されると言う偏った紹介をされがちで、マッサールに言及している記事はあまり見かけません。また同じく彼の代表盤であるボニング盤『ファウスト』(C.F.グノー)でも、サザランドやコレッリ、ギャウロフという残りの超有名メンバーに隠れがちになってしまっています(若きギャウロフは兎も角、必ずしもベスト・フォームとは言い難いサザランドやコレッリの方が話題になるとはこはいかに、と思うのですが)。

そんな訳で、今回は知られざる名歌手マッサールに焦点を当てて行きたいと思います。

<演唱の魅力>
仏音楽には独特の世界があります。軽やかで爽やか、そしてどこか洒落っ気があり、機智に富んでいます。或いは都会的な洗練、磨きがかかっているという言い方もできそうです。それは作曲家個人の人物の如何に拘わらず(ベルリオーズとかお世辞にも洒落た人物じゃないでしょう)、どことなく仏国の作品全体から感じられるものであり、大らかな伊国とも峻嶮な独国とも土臭い露国とも異なる独特の世界だと言えそうです。録音史上、仏国の香気にどっぷり浸かり、その流儀で歌っていた歌手を挙げるなら、既に登場しているブラン、ゴール、それに今回のマッサールは上位に喰い込んできそうです。

颯爽とした口跡も華やかで粋な歌も、如何にも大都会パリで好まれそうな伊達な二枚目です。このあたりブランと共通している部分もかなりありますが、ブランがたっぷりとした深い美声でノーブルで貴族的なキャラクターを感じさせるのに対し、マッサールのくすんだ音色はより人臭い感じを与えます。或る意味で彼の方がコミカルなものからニヒルなものまでいろいろなものに向いているようで、それは残された録音からも伺えます。美男子、道化者、悪役のいずれを演じるにしても、武骨さや或る種のグロテスクさからは離れたすらっとした凛々しい姿に仕上げる彼のスタイルは、パリの流儀を如実に体現したものだと言えるでしょう。時にそれは、現代のリアリズム重視の目にはそぐわないところもあるようで、彼のもっとも有名な録音であるエスカミーリョについても、「軟弱」、「ひよわ」、「力強さが足りない」、「何か勘違いしてイケメンぶってる」なんていう批判がネット上では散見されます。でも僕はそうした批判に対して、エスカミーリョが登場する『カルメン』という作品が生まれ育った時代や環境を誤解してないですか?と問いたい。もちろんリアルな『カルメン』も魅力的だけれども、この作品が醸成された仏流のスタイルには、それはそれで敬意を払うべきだと思うのです。何でもインターナショナルにリアリズムも尊ぶのが一番だ、という今の潮流には納得しかねる部分があります。武骨で野暮ったいというリアルさしかないエスカミーリョなんて勘弁してほしい。“パリで生まれた”エスカミーリョは華麗で気障でなければ。マッサールやブランのエスカミーリョにはそれがあります。

もう上記の文脈を読めば言うまでもないことですが、その良さが最も引き立つのはやはり仏ものでしょう。ブランほど重たい声ではないと言うこともあってか、様々な国の作品を演じたと言うよりは仏ものの中でのレパートリーの広さに目が行きます(と言ってももちろんリゴレット(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)やファーニナル(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)はじめ他国の演目にも登場していますが)。既に何度か触れていますが、それらの中には現在あまり上演されていない作品もかなりありますし、そういう意味でも貴重な録音をたくさん残して呉れているのは嬉しいところです。
あとはそれに、もっと光が当たればいいのですが……。

<アキレス腱>
やっぱり土俵は仏ものなのかな、とは思います。仏流エレガンスに彩られた伊ものも、ぱらぱら聴く限り悪くはないのですが、バスティアニーニやカプッチッリの耳で聴くと脂控えめ低カロリーかも。逆にもちろん彼らの仏ものはエレガンスに欠けると言うことも言えますし。
あと、他国ものをやってもほぼ仏語歌唱です。時代柄あまり驚かないところですが、原語がどうしてもいい!という向きの方はご注意を。

<音源紹介>
・エスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)
プレートル指揮/カラス、ゲッダ、ギオー、ベルビエ、マルス共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団、ルネ・デュクロ合唱団&ジャン・ぺノー児童合唱団/1964年録音
>超名盤。マッサールのベスト・フォームを楽しめる盤であり、一番入手しやすい録音です。上でも述べましたが非常に華麗で気障なエスカミーリョで、特にジョゼとの決闘前後の歌いぶりは見事。この余裕のある雰囲気だけでジョゼ完敗を思わせます。こういうエレガントな伊達男でなければ、カルメンは靡かないだろうなぁとも。色男ぶりで言えばブランと双璧で、闘牛士の歌を暑苦しいと思っている向きには見方が変わるんじゃないでしょうか。プレートルの指揮ぶりは豪快でありながらオケの響きは美しく、こちらも暑苦しくならない爽やかな快演!オケと合唱の巧さも光っています。共演陣で文句なく素晴らしいのはギオーで、やわらかでクリーミーな美声は誠に仏もの向き。淑やかで純真な印象で、大変可憐なミカエラ。もっと評価されていいでしょう。ベルビエ、マルスなど脇の仏勢も自家薬籠中の歌唱で安心して聴けます。ゲッダは立派な演唱なのですが、あんまり合ってない印象。彼ならもっと痺れる歌が聴ける役が他にあるので、まあ無理にジョゼじゃなくても……ヴァンゾーとかでも良かったかも。取り沙汰されるカラスは声の衰えは隠せないものの、歌の巧さ、表現力とことばのセンスは卓越しています。ただ、彼女に合った役かと言うと、どちらかと言えばカラスがカルメンを歌ったことに価値がある感じ。また、演奏全体が仏流の華やかで軽やかな中、独りねっとりこってりなリアリズムで押してくる彼女の歌は良くも悪くも異質で、ゴールやロードあたりに歌ってもらって、仏流の演奏の真髄を残しても良かったような気もします。
ベンツィ指揮/ロード、ランス、ギオー共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音(2018.11.8追記)
>抜粋ですがこれは素晴らしい演奏、というより全ての『カルメン』の録音の中でも最も優れた演奏かもしれません!超名盤です!マッサールの出番はここでは闘牛士の歌しかありませんが、或いはプレートル盤以上に華やかで輝かしい声を聴かせてくれており、まさにベストフォームというべき仮称。ベンツィの彩り豊かな音楽が更にその雰囲気を盛り立てています。このベンツィという人はあまり知られていない人のように思いますが、色彩感あふれる華麗な音楽づくりは只者ではありません。そしてプレートル盤で優れた歌唱ながら異質感のあった主役2役をここではロードとランスがこれ以上を考えづらい見事なパフォーマンス、ミカエラのギオーはここでもばっちりですし、その他共演陣いずれも最高です。返す返すも惜しいのがこの録音が抜粋であること!全曲であれば、この作品の群を抜いた名盤として歴史に残ったのではないでしょうか。オペラファン必聴です!

・ヴァランタン(C.F.グノー『ファウスト』)
ボニング指揮/コレッリ、ギャウロフ、サザランド共演/LSO&アンブロジアン・オペラ合唱団/1966年録音
>上記の盤と同じく彼の録音では比較的手に入りやすい音盤。演奏そのものは割と普通ですが、通常演奏されない部分が収録されていたりして結構面白い録音です(ボニングの趣味でしょうね)。上述のとおり主役級ではサザランドがいまひとつ、コレッリはマッチョ過ぎ、若いギャウロフは流石の迫力で圧倒と言う中で、マッサール独り仏もののエレガンスを聴かせている感があります。スタイリッシュな歌いぶりで、大男で力強い武人と言うよりは小兵ながら俊敏な騎士といった印象を与えます。アリアをはじめとして如何にも騎士道精神を重んじそうな誇り高さがそこはかとなく感じられ、豪放でゴージャスな悪魔を演じるギャウロフとは好対照をなしています。ファウストたちに決闘をしかける場面での怒り方も、気位が高そうで◎彼らしく華やかな存在感があるのも美点でしょう、ヴァランタンは非常にいい歌が与えられているものの出番が必ずしも多い訳ではないですし、地味な歌手がやるといなかったことになりかねないので。物語としてもヴァランタンが弱いとマルグリットの苦悩が目立たなくなっちゃって問題があるし。総合的に考えて、録音で楽しめるヴァランタンの中ではかなり上位に入ってくるのではないかと思います。
ベンツィ指揮/ランス、ソワイエ、An.エスポージト共演/グルート放送管弦楽団&合唱団/1972年録音(2014.6.13追記)
>上記ボニング盤での不満を解消させて呉れる名盤を入手しました!オケと合唱こそ仏国ではありませんが、指揮者と主要4役がみな仏人(ランスは濠州出身ながら仏国籍も持っている)という布陣ですから、これぞ仏流グラントペラというべきエレガンスに満ちた演奏を楽しむことができます。マッサール自体はここでもボニング盤同様の身のこなしの軽い洒落た歌いぶりで颯爽としたヴァランタンを演じています。しかし、仏色の薄いメンバーの中での孤軍奮闘よりも、やはり一段と活き活きと感じられるのは嬉しいところです。ソワイエはギャウロフの強烈な悪魔とは一線を画し、都会的で品のあるメフィスト。そしてだからこそセレナーデでの本性の顕れっぷりが効いていて堪りません。エスポージトは可憐でキャラクターにあった歌唱で、珍しいアリアも歌っていてちょっと嬉しいところ。ランスはやや時代がかった印象で細めな声なのが残念ですが、颯爽とした雰囲気は流石。いまどき聴けないざっつ仏もの!と言う演奏で、『ファウスト』が好きなら必聴でしょう。

・ブン大将(J.オッフェンバック『ジェロルスタン女大公殿下』)
プラッソン指揮/クレスパン、ヴァンゾ、ビュルル、メローニ、ルー、メスプレ共演/トゥールーズ・キャピトール管弦楽団&合唱団/1976年録音
>これ、知名度ないですが不滅の名盤です。浅草オペラ時代に『ブン大将』として親しまれ非常に人気があったにも拘わらず、現在顧みられることもあまり無い演目ですが、全編に亘って楽しい音楽に彩られており、個人的には総合的な完成度では『天国と地獄』より上だと思います。で、その名作を仏国の香気そのままに再現しているのが本盤。ここでのマッサールはコミカルな敵役であるブン大将を演じていますが、小回りの利く歌唱が実に小気味よい!上記の2役のイケメンぶりとは全く異なる愉快な道化役ぶりは大変見事。伊国のブッフォのような大げさな笑いには寸止めでならず、仏国らしいエスプリに富んだ趣味の良い喜劇の世界にしている当たりの匙加減は流石です(もちろん伊国のそこぬけに笑えるブッフォも僕は大好きですが、この演目でそれやっちゃうとちょっと)。敵役だからやっぱり嫌なやつなんだけど、コミカルでどこか憎めない雰囲気が素敵で、陰謀のアンサンブルなんかは同じく仏ものの名手ビュルル、メローニのふたりがまた達者なのもあって、悪役どもの歌なのに愉快でしょうがない!題名役の名花クレスパンが色気たっぷりの歌唱で僕が知る限りこの人のベストの歌唱、ヴァンゾの主人公も爽やかな優男ぶりが堪りません。チョイ役でのメスプレの登板も嬉しいところですし、ルーもいい。やはりプラッソンの軽妙洒脱な音楽づくりがこの音盤の魅力を支えています。

・ウリアス(C.F.グノー『ミレイユ』)
エチェヴリー指揮/ドーリア、セネシャル、ミシェル、ルグロ共演/パリ交響楽団&合唱団/1962年録音
>グノーの歌劇の中では『ファウスト』、『ロメオとジュリエット』に次ぐ佳作です。のどかな田舎町で起きる哀しい悲劇だということもあり、物語の起伏や劇的さからいうともうちょっとではあるし、この内容で5幕もあるんかい!というところもあるんですが、兎に角全曲美しい音楽で彩られた名作です。そんなに音盤は多くないですが、この録音は代表的名盤のひとつと言えるでしょう。ここではマッサールは話を展開させる敵役(と言っても彼も可哀そうな役なのですが)を演じており、若々しく力強く、作品の美観を損なわない範疇で荒々しさも見せた絶妙な歌唱です。比較的良く歌われる登場の歌よりも、決闘のあと後悔に苛まれるアリアの苦みの効いた表現が素晴らしいと思います。物語をより盛り立てるカッコいい敵役ぶりで、彼の面目躍如と言うべきでしょう。可憐なドーリアや演技功者なセネシャルをはじめ共演にも恵まれています。

・ランボー(G.ロッシーニ『オリ伯爵』)
グイ指揮/セネシャル、バラバーシュ、カンネ=マイヤー、アリエ、シンクレア共演/トリノRAI交響楽団&合唱団/1957年録音
>『ランスへの旅』から転用された音楽が母胎となっている作品の、古い時代の名録音。ロッシーニとはいえ仏国向けに書かれた作品を、仏らしい趣味の中で演奏した印象のある音源で、ふわりと軽くやわらかな喜劇に仕上がっています。伯爵の部下であり悪友であるランボーは、出番そのものは必ずしも多くないものの主従のコンビの良さを示したいところですが、セネシャルともども藝達者で愉しいです。そして何より早口アリア!ランボーが自らの冒険を自慢する場面ですが、鼻高々に己惚れ満載で自慢する様は実にコミカルで、ランボーの得意顔が目に浮かぶようです。スタイルの良さも素敵!

・フィエラモスカ(H.ベルリオーズ『ベンヴェヌート・チェッリーニ』)
デイヴィス指揮/ゲッダ、エッダ=ピエール、バスタン、ベルビエ、ソワイエ、ロイド、ヘリンクス共演/BBC交響楽団&コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団/1972年録音
>不滅の名盤。演奏機会こそ多くないですが、ベルリオーズの傑作だと思います。荘厳な音楽の大伽藍が、デイヴィスの手により精緻に組み上げられており、普通のオペラを聴いた時とは違う快感を得ることができます。シリアスな敵役、藝術家であり、コミカルな役どころでもあると言う複雑なキャラクターを、持ち前の仏的なエスプリで知的に表現しています。登場人物の多い作品ではありますが、その中でも鍵になってくる存在であることをしっかり印象付ける優れた歌唱だと言えるでしょう。ゲッダに対しても格落ちしません。仏ものを良く心得た共演陣は鉄壁で、最高のキャスティングと言えるのではないかと。

・ドン・エルネスト(G.ビゼー『ドン・プロコーピオ』)
アマドゥッチ指揮/バスタン、ヴァンゾ、ギトン、ブラン、メスプレ共演/リリック放送管弦楽団&合唱団/1975年録音
>ビゼーの若き日の秀作。後の『カルメン』とはだいぶ異なる軽い喜劇で、物語的にはG.ドニゼッティ『ドン・パスクァ―レ』とよく似たものですが、明るい雰囲気は共通なれどドニゼッティの世界観とは異なります。マッサールはここではマラテスタ医師的な味方側の智慧袋役。ここでも小回りが利くことがプラスに働いていて、非常に頭の回転の良さそうな人物造形になっています。アリアでは甘い頭声と力のある胸声を巧みに使いわけて聴き手を魅了しますが、バスタン、ブランと共に仏国を代表する低声3人で歌う快速3重唱が見事な快演!それ以外の部分でもヴァンゾはじめ仏ものを代表する名歌手らによる優美な演奏を楽しめます。

・カルナック(V.A.E.ラロ『イスの王』)
デルヴォー指揮/ロード、ギオー、ヴァンゾ、バスタン、トー共演/リリック放送管弦楽団&合唱団/1973年録音
>今日演奏される唯一のラロの歌劇で壮大な悲劇もの。これも余り音源がない中では優秀な演奏。カルナックは話の筋上非常に損な役回りの上、出番が多い割にはいい音楽も当てられていないと言うなんだか可哀そうな役ではあるのですが、ここではマッサールはむしろ演技力で以てその存在感を示しています。ロードとともに陰謀を企てる場面でのやり取りの緊迫感はなかなかのもの。仏ものとして恵まれたメンバーでの演奏ですが、中でも主役と言うべきロードの出来が優れていると思います。

・ボニファース(J.E.F.マスネー『聖母の曲芸師』)
デルヴォー指揮/ヴァンゾ、バスタン共演/リリック放送管弦楽団&合唱団/1973年録音
>女声を好んだマスネーが何を考えたか残した男声のみが登場する静謐な佳作。甘さを抑えた穏やかな音楽は神秘的であり、この人にこんな顔もあったかと思わせる作品です。マッサール演じるボニファースはジャンを実質的に導く、珍しくいい人役です(笑)慈愛に満ちた優しい歌は、非常に印象的。奇跡の主人公を演じるヴァンゾーのスタイリッシュな歌と、脇を〆るバスタンもお見事。

・ダゴンの大祭司(C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』)2015.1.5追記
プレートル指揮/ショーヴェ、コッソット、バスタン、ルロー共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/1975年録音
>長いこと探していたマッサールの大祭司を聴くことができました。いつもながらエレガントでノーブルですが、ここで感じられるノーブルさは高貴というよりも気位の高い感じで、傲慢な空気を纏った異教という風情が感じられるのが実によいです。また、陰謀の場面での策士ぶりも優れており、性格俳優の面目躍如といったところ。プレートルはスタジオ録音の方がいいようですが、思いのほか出来のいいコッソット、デル=モナコのような輝きとハリのある響きとリリックな歌い回しが見事なショーヴェと共演も揃っています。脇も不穏なムードをよく出しているルローや立派な声が勿体ないぐらいのバスタンと秀逸。

・リッカルド・フォルト(V.ベッリーニ『清教徒』)2015.3.5追記
リヴォーリ指揮/クラウス、エダ=ピエール、トー、デュパイ共演/マルセイユ歌劇場管弦楽団&合唱団/1974年録音
>所謂ベルカントなメンバーではなく、クラウスと仏国の愉快な仲間たちと言った趣のキャストですがこれが大変素晴らしい!やはり仏国の洗練された歌い口はベルカントものとの親和性が高いんだなあと思わせる演奏です。マッサールはここでは色仇リッカルド、貴族的な品格の高さをしっかりと感じさせてくれる歌です。やわらかな響きがベッリーニの優美な旋律にもしっくり来ますし、一方2幕フィナーレのようなパワフルな場面でも力強さはそのままに目鼻立ちの整った歌を聴かせています。エダ=ピエール、トーともに仏国勢の力量を感じさせる歌唱。ただ、この演奏全体では主役はクラウスでしょう。特に終幕は圧倒的!

・アタナエル(J.E.F.マスネー『タイス』)2016.9.1追記
エチェヴリー指揮/ドーリア、セネシャル、セルコワイヤン共演/パリ国立音楽院管弦楽団&合唱団/1961年録音
>瞑想曲はたぶんマスネーの作品の中でも最も有名にも関わらず、全曲演奏は珍しい本作、仏国勢で固めた録音があるのは嬉しいところ。アタナエルは頑なな聖職者だったはずが、気づけば愛に惑う男になっていくという変化が大きい役ですが、マッサールは見事に演じています。序盤での怒りの滲む歌い口は融通の効かない若い修道士の姿を彷彿とさせるものですし、豊かな声でロマンティックな表現もお見事です。出番は少ないながらきらびやかなセネシャルと安定感あるセルコワイヤンも素晴らしい。題名役のドーリアの調子がいまひとつなのが惜しいです。

・グンテール(E.レイエ『シギュール』)2021.4.30追記
ロザンタール指揮/ショーヴェ、ギオー、バスタン、ブラン、An.エスポージト、シャルレ共演/ORTF管弦楽団&合唱団/1973年録音
>R.ヴァーグナーの『神々の黄昏』とほぼ同じ筋書きに全く違う音楽をレイエがつけた大作オペラ。壮大すぎるためか演奏は多くありませんが、今でもキャストが揃えば楽しめるものだと思いますし、この録音はまた素晴らしい顔ぶれです!このグンテール(『黄昏』のグンターですね)はカルナックと同様、出番が多い割に聴かせどころがまとまってある訳ではない、歌手にとっては演技力や存在感が必要になってくる役ですが、彼独特のあのくすんだ音色と癇の強そうな歌い口が功を奏していて印象に残ります(滔々と歌うブランとは好対照ですね!)。ショーヴェやギオーとの重唱部分も声の相性が良くて◎です。

・ダッペルトゥット(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)2021.5.1追記
エチェヴリー指揮/ランス、メスプレ、サロッカ、ギオー、セルコワイヤン、ジョヴァネッティ、バキエ、ジロドー、ミシェル、ビソン、ソワイエ共演/管弦楽団&合唱団不明/1968年録音
>悪役にもヒロインにも道化にも別の歌手を割当て、しかも素晴らしいメンバーを集めていながら抜粋。ほぼ歌合戦ですが、コンパクトにホフマンを楽しみたい時にはちょうどいいとも言えるでしょう。時代柄歌っているのはダイヤモンドの歌と7重唱という今は採用されないナンバーばかりですが、それでも彼のような華やかな色気と一筋ではいかなさそうなクセのあるバリトンが歌うと十分に素敵だということがよくわかります。ああまさに甘美なダイヤモンドの歌にほんのりと感じられる、絶妙なほろ苦さ!手に入りづらいのがもったいない代物です。
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『あまちゃん』と宮澤賢治

そろそろほとぼりも冷めて「じぇじぇじぇ!」の氾濫も収まってきたところなので、ちょっと書いてみます。

昨年放送されていたNHK朝ドラ『あまちゃん』は、宮藤官九郎の独特のセンスのある世界が盛大に展開された朝ドラらしからぬ作品であったが故、好き嫌いが大きく分かれるものだったように思います。僕は非常にこれ好きで、毎朝楽しみで観ていました(とは言え東京編の地下アイドル時代のあたりは観ていない部分も多いのですが^^;)。クドカンさんの筆は全編冴え渡っていて、作品としても作品の中の仕掛けとしても凄いなあと思う面は枚挙に暇がないのですが、僕としてはやはりこの作品と賢治との関係が非常に気になっています。ところが、ネットを見てみてもあまりそこを深く言及している人はいない模様(多分僕の探し方が悪いんですが^^;)。なので、これについて僕が考えていることを徒然なるままに。

(1)『あまちゃん』と賢治の無関係性
上で関係性と言っているのに、いきなりのっけから「無関係性」の話で何じゃらほいと言いますか、言ってること違うじゃないかと思われるかもしれませんが、暫しご堪忍を。そもそもの部分で勘違いをされている方がかなりいらっしゃるようですので。。。

「『あまちゃん』の舞台は岩手県だから、同じ県の偉人もカメオ出演させちゃえ!」というような発想で関係している、というほど単純な話ではないと思います。ひとつには、後述しますが賢治を絡めている手法があまり直接的でないこと。そしてもうひとつ重要なのが、『あまちゃん』の舞台のモデルとなった久慈と賢治が中心に活動した花巻や盛岡がかなり離れていると言うことです。地図でご確認いただければと思いますが、久慈花巻間は直線距離で言えば東京から水戸ぐらいの距離感があります。また、震災後の交通の遮断による影響もありますが、花巻から久慈まで例えば電車で行こうとすると4時間以上かかります!水口の科白にもあるとおり、岩手は広いのです!ちょっとこれだけの距離感のものを、作品同士はあまり関係ないけど同じ県内だからという理由だけで単純に繋げるのは、やや唐突な印象を否めません。
これで賢治が久慈で長期滞在した記録があったり、逆にアキやユイが花巻で長期ライヴをやる話があったりすればまだなんとなくわかる訳ですが、いずれもありません。

(2)音楽から示唆される賢治
『あまちゃん』が賢治と関係すると言われるのは、その音楽からです。
むしろ、全編通して、明確に賢治を意識していることを指示しているのは、BGMしかありません。不勉強で申し訳ないのですが、脚本と音楽がドラマに於いてどのぐらい関わりがあり、どのように仕事をするのかわかっていません^^;が、中身と照らし合わせて行く限り、少なくとも今回の場合はがっぷりと一緒に仕事していないとこうはならないような気がしています(今回は言及しませんが『いつでも夢を』と夏のエピソードなどもそれを感じられる例)。

マグロ漁で世界中をめぐっている忠兵衛が最初に登場するエピソードで初登場するのが、賢治が作詞作曲したことで知られている『星めぐりの歌』です。忠兵衛がアキに世界中のさまざまな風物を見て回るのは、北三陸を出たことがない夏にここが一番だと教えるためだと語る場面で初めて流され、その後このテーマは重要な場面で繰り返し登場しています。

音楽として賢治に関わりそうなのはもうひとつ、これも繰り返し登場する大事なテーマですが、ゴダイゴの『銀河鉄道999』。北鉄と関わる場面で何度か登場する重要なテーマです。

『星めぐりの歌』は、賢治ファンが聴けばすぐ「あ!あれだ!」とわかるような代物ではあります。が、一般的な知名度がそこまであるかと言うと恐らくそうではないでしょう。“岩手と言ったら賢治”ということを押し出すにしては、随分控えめな印象です。『999』なんかはもっと単純に言えなくて、賢治に関係すると簡単に大見栄切って言うと怒られそうです^^;これは賢治の『銀河鉄道の夜』にインスピレーションを得た松本零士の同名の漫画のマンガのテーマであり、賢治の作品そのものにちなんだものではないからです。ここでも“岩手と言ったら賢治”にしては押しの弱い主張です。
これはどちらもこの弱い押しから何となく岩手っぽい賢治っぽい雰囲気が醸されればいいや~という次元で一部の人向けに発せられたスパイス程度のもの、中華風だからごま油使ってみましたみたいな次元のものなのでしょうか。

個人的にはそれにしちゃどちらも重たく扱われてないかい?と思うのです。

(3)『双子の星』と『銀河鉄道の夜』
『星めぐりの歌』は賢治にとっては思い入れのある作品だったようです。単独の作品であるのみならず、賢治の有名な童話『双子の星』と『銀河鉄道の夜』というふたつの作品で登場しています。更に、『双子の星』のエピソードにも『銀河鉄道の夜』の中で言及があります。これらは非常に緊密な関係のある作品です。

賢治には、大変仲の良い妹トシがいたことは、ご存じの方も多いのではないでしょうか。賢治は彼女を大変可愛がっていましたが、彼が26歳の時に病死してしまいます。彼女の存在や彼女の死は作家にとって大きなものであり、『永訣の朝』や『ひかりの素足』など多くの作品にその影響を見ることもできます。『双子の星』と『銀河鉄道の夜』もその例に漏れません。『双子の星』の主役である天の野原で笛を奏でる双子の星チュンセ童子とポウセ童子、『銀河鉄道の夜』の主役として空を旅する軽便鉄道に乗るジョバンニと最後には別れてしまう友カンパネルラは、いずれも賢治とトシがモデルとなっているとされています。この2人の主役というのが、『あまちゃん』との関わりの大きなミソです。

『あまちゃん』の主人公はアキということになっていますが、実際には群像劇とも言うべき作品で、たくさんの主役を見出すことができると思います。少なく見積もっても夏、春子、ひろ美、そしてユイは主人公と見なすことができるでしょう。

アキとユイ。『あまちゃん』の世界をひっかきまわしていく2人の主役は、『双子の星』と『銀河鉄道の夜』での2人の主役と重ねてみることができるのではないでしょうか。

『あまちゃん』のひとつの軸になるのが、アイドルを目指す2人の奮闘譚です。アイドルは北三陸市のような地方にとっては、華やかな存在。地元を賑わすご当地アイドルは、まさに地元の2人のスターです。「スター=星」即ち「歌や踊りを披露する2人のスター」は「笛を吹く双子の星」の姿にそのまま繋がっていきます。更に、「2人で東京でアイドルになる!」と言って出発するも結局は東京にたどり着くことができないユイという設定も、「どこまでもどこまでも一緒に行こう」と言いながら旅を続けることなくジョバンニの前を去るカンパネルラと重なって見えてきます。
この2人の主役を、クドカンはもっと捻った形で変奏していきます。「2人でアイドルを目指し、夢を叶えたアキと挫折したユイ」というテーマとまずダブってくるのは岩手から芸能界を目指した2人、アキの母春子とひろ美です。歌と言う才能を持ちながら開花できなかった春子と、あまりの音痴ぶりに春子の歌と運で以て成功を掴んだひろ美。成功を掴んだものと掴めなかったものと言う両者の関係性は、アキとユイの関係に繋がります。この2人はいずれもアキたちとは異なり、本来的にはスターとして必要な条件を欠いており、欠いているからこそ2人はセットの主役だと言えます。もっと言うのであれば、その春子の両親である夏と忠兵衛にも、アキとユイの姿を見ることができます。北三陸を出たことがないユイのためにあちこち渡り歩いて、ここが一番だと教えてあげると言うアキのことばは、物語の序盤で夏のために世界を渡り歩くと言った忠兵衛のことばから繋がってくるものです。そして、この忠兵衛の語りの場面で初めて『星めぐりの歌』がかかっています。世界をめぐる忠兵衛・アキの姿と星めぐりが重なってきます。これらが無意味になされているとは思えません。
「3代前からマーメイド」とひろ美が歌ったとおり、夏・春子・アキにはそれぞれセットとなる忠兵衛・ひろ美・ユイがおり、彼らは3代の“双子の星”なのです。

アキとユイが東京を目指すのに用いようとした手段は、バスを試したこともありましたが結局は北鉄でした。その北鉄に乗って行ったアキと乗って行けなかったユイがジョバンニとカンパネルラであることについては既に言及しましたが、そう考えると北鉄が銀河鉄道であると言うことも見えてきます。本編から離れますが『999』のテーマについては賢治との関係だけではなくいろいろな要素が絡んでいて、楽曲そのものが1979年の作品であり春子の青春時代と現代を繋ぐものであると言うこと、歌詞と復興のイメージのリンク(北鉄運転再開の際に流れる)など考えられることはたくさんあります(恥ずかしながらマンガを読んでいないのですが、その内容とも無関係ではなさそう)。北鉄とともに『999』がかかるのは、単に鉄道をモチーフにした楽曲であることやその曲調からではなく、物語上の必然なのです。
やや穿ち過ぎかもしれませんがそうして見て行くと、北鉄周りには銀河鉄道めいたものもちょこちょこ存在しています。菅原のジオラマと黒曜石でできた地図、小田の琥珀採掘場とプリオシン海岸、ウニを捕る海女たちと鳥を捕る人、震災でユイと大吉が乗った車輛の止まったトンネルと石炭袋などなど。

(4)まとめ
以上のように考えて行くと、やはりクドカンはかなり意識して『双子の星』と『銀河鉄道の夜』の主題を織り込んでいるようです。それもおおっぴらにはならないように意識して。2人の主役が密接に関係する『双子の星』と『銀河鉄道の夜』を前面に出すことなく両作に関わりのある『星めぐりの歌』で匂わせたり、『銀河鉄道999』という別作家の作品をクッションとして間に挟んだり、というのはいずれもかなり手の込んだことです。花巻さんの科白を借りるなら「わかるやつだけわかればいい」ということになるのでしょうが、それにしても何故ここまでして北三陸こと久慈とは直接の関わりのない賢治を本作に絡めたのか(「わかるやつだけわかればいい」というのがまた“花巻”さんだというのも何となく示唆的です)。

クドカンはインタビューで、本作の最後1ヶ月は“岩手讃歌”だというような趣旨の発言をしているそうですが、シーズン通して観てみても本作はやはり“岩手讃歌”、“地元讃歌”だと言えると思います。しかしこの物語の枠で語られているのは、結局は広い岩手県のほんの一部、久慈の復興エピソードです。普通にやっても充分面白いドラマになり得るとは思いますが、もっとコンパクトな印象になったのではないかと思うのです。ここからもっと拡げて、この物語が岩手の物語であるということを主張したいと考えたときに、隠し味として賢治の童話を組み込んだのではないかなぁ、というのが僕自身の解釈です。結果としてこの作品の持つ汎用性は上がったような気がしますし、キャラクターにもエピソードにも広がりができています。

今回は僕の興味の対象である賢治という観点のみから『あまちゃん』というドラマを見てみた訳ですが、クドカンは恐らくこうした仕掛けをもっとこの作品に用意しているように思います。脚本家の本気が垣間見える本作は、単なる流行りのドラマで片付けるには勿体ない作品だと言えるでしょう。表面的な小ネタ部分だけではなく(もちろんそれもこの作品の魅力ではありますが笑)、根幹の部分で凝りに凝った作品なのですから。
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かはくの展示から・恐竜展特別編~第18回/まとめ

このblogは国立科学博物館の公式見解ではなくファンの個人ページですので、その点についてはご留意ください。

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今回は本当に一鑑賞者の個人的な感想です。ですから、全く科学的でもなく公平でもないですが、まあそういうときがあってもいいでしょう笑。

11月の頭から始まって4か月もの間国立科学博物館で開催されていた「大恐竜展 ゴビ砂漠の脅威」ですが、遂に昨日2/23(日)大盛況のうちに幕を降ろしました。直前の特別展がNHKがダイオウイカの特番を組んで話題となった「深海」だったこと、いろいろな事情で宣伝が直前になったことや、晩秋からの開催であったことなど、極上の内容に反して必ずしもいい条件ではないところから始まった特別展で、特に会期の前半はガラガラだったこともありましたが、終わってみればかなり多くの方にご覧いただけたのではないかと思います。古株のボランティアの方に伺っても、会期を2日残して図録が完売し、郵送販売になってしまったという今回の事態は前代未聞とのこと。大きいものがたくさんあった分「深海」のように混雑しなかったものの、最終的な来館者数で言えばかなりの数になっていたようです。

僕がいまかはくでボランティアをやっている理由を考えていくとたどり着くのは、そもそも僕自身が恐竜が好きだということ、そして身近で恐竜が観れる科博に小さいころからお世話になっていたということです。大好きなテーマ、行きなれた場所で行われた特別展の中でも、今回は特別な経験であり、未だかつてない思い入れのあるものだったと思っています。

afragiさんから大阪ですごい恐竜展をやっているという話を聞き、時間やお金をなんとかやりくりして大阪市立博物館の「発掘!モンゴル恐竜化石展」を観に行ったのが昨年の5月。話には聞いていたものの、林原自然史博物館の持つ圧倒的なゴビ砂漠恐竜化石のコレクションの物量の多さ、保存状態・クリーニングの良さといった総合的な質の高さに度肝を抜かれ、こんな恐竜展は二度と観ることはできないだろうと思ったのを今でも覚えています。それがどうやらかはくにやってくるらしいと聞いたときの嬉しさと言ったら!小躍りしたい気持ちというのは、まさにああいう気持ちを云うのでしょう。

待ちに待った開催初日。僕は活動に入っていましたし夕方用事があったこともあり、活動開始時間の前にざらっと目だけ通すことにしました。だいたい大阪で観ていたということもありましたから、まあ何処に何があるかと、東京での目玉だというオピストコエリカウディアだけ押さえておけばと思っていたんですね。そうしたら大阪の時には展示していなかったとんでもないもの、デイノケイルスやガリミムス、ホマロケファレのホロタイプ、テリジノサウルスの実骨などが整然と並んでたんですね。これにはもう圧倒されて言葉も出ませんでした。よく覚えていますが、最初ふっと観たらデイノケイルスとテリジノサウルスが展示されていたんです。デイノケイルスは大阪のときもレプリカがあったものですから、「うわあテリジノの実骨だあ!」と喜んで近づいて行ったんですね。状態の素晴らしいのに感動しつつもふと横を見てみたら、デイノケイルスも実骨、即ち30年以上に亘り世界で唯一のデイノケイルスの標本として知られていた、あの腕だったんです!あの感動は、忘れられません。そのときは夕方の用事を遅らせて、1時間しっかり見る時間を取ったのでした。
今回の恐竜展に来ていたデイノケイルスやオピストコエリカウディア、テリジノサウルスは、僕の子供のころから恐竜図鑑に載っていた恐竜です。しかし、デイノケイルスについては腕が一揃い見つかっているだけ、オピストコエリカウディアも1体の首なし標本しかない、テリジノサウルスも殆ど化石がないですよ、という記述も一緒に載っていました。子どもの僕が読んだってそんなものが自分の目に入る機会なんておそらくは来ないだろうとわかりました。どんなに観たくても本の世界にしかいない生き物だと思っていたんです。それらがまさか一堂に会すなんて!もちろんそれ以外の標本にしたって大阪の時に来たものも追加になったものもとんでもなく質が高かった。これは、多くの人に観てもらわねば!そう誓ったのでした。

このブログでも特集を組み、twitterで見学ツアーを募り、TASでも1回分恐竜デーを作りました。個人的な話になりますが、4月の異動後は時間も作れたし、職場が近かったこともあって、時間の許す限り自分自身も楽しむことにしました。結局のところ20回以上足を運んだようです。我ながら、運も良かった。ここまで入れ込んだ恐竜展は、おそらくこれが初めてでしょうし、今後これだけ楽しめるものが開催されるかは、ちょっと自信がないぐらいです。

会期が終わったら“恐竜展ロス”になってしまうかなぁとちょっと思っていたのですが、いま心は満足感で横溢しています。しみじみと楽しかった、いい特別展だったと清々しい思いに浸っています。今回特別展の企画に関係されたすべての皆さんに、感謝の気持ちでいっぱいです。お蔭さまで本当に充実した、一生思い出に残る4か月を過ごすことが出来ました。次は名古屋市科学館での開催ということで、休まる間もないかもしれませんが、どうぞ頑張ってください。

本当にありがとうございました!

<参考>
かはくの展示から・恐竜展特別編目次
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一休の説話より「屏風の虎」

一休の説話より「屏風の虎」
The tiger living in the folding screen from the stories of Ikkyu

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7,8年前に折った虎を応用してちょっと変わったものを作ってみようと思ったのが本作。
実際のところ博物ふぇす用に構想している作品の雛形と言いますか、習作として作ったつもりだったんですが、思いの外うまく行ったのでそのままこれも独立した作品にしてしまうことにしたのでした。

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発想は非常に単純で、一休が「屏風から出してみろ」と言った虎を実際に屏風から出してみましたって言うだけ笑。
如何にも出てきました感を出したかったので、屏風から今現在出てきている腰のあたりはひゅっと細くすることでそれっぽさをだしたつもりです。

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後ろから見るとこんな感じ。意外とこの方が雰囲気出てる?

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これが旧作の虎。
折り目を使って縞模様をどう出すかなと考えた作品。
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イネ

イネ
Oryza sativa

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植物はパーツが多くて苦手。葉っぱとかたくさん作るのは大変だし、茎の細いのとかを作るのもしんどいし^^;
ただそうはいってもその一方で、動物やら菌やらは作るのに植物だけ作らないのもなんだかなぁと思っていたところはあって。

そこへもってきて博物ふぇすを構想していくうちに、イネを作りたいということになりまして、やっとこ折ってみたのがこれです。

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あんまり細かくリアルに折ることには限界があるだろうと思ったので、あのまっすぐの葉っぱとたっぷり実った稲穂があればそれっぽいのでは、というところでやや見切り発車。結果としては悪くはないのかなと。茎が見えちゃうと太いのが
バレバレなので、なるべくあんまり目立たないようにしています。

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実は稲穂の部分は紙の裏面が出ています。両面違う色の紙でおれば覿面ですが、今回は実りの時期のイネっぽさを出したかったということもあり、敢えてそこにはこだわらずに作りました。
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ネコ

ネコ
Cat

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折り紙の記事ですがいきなり宣伝をぶちかましますと、2014年8月9日&10日に科学技術館で開催される「博物ふぇすてぃばる!」に出展します!
今回はオール・ジャンルでの出展ということで、普段折っているような古動物&動物だけではなく、違うジャンルの作品も作れればいいかなぁと思っています。まだまだ予定なので今後変更の可能性はありますが、現在のところ2つの特集「宮澤賢治の世界」と「復元今昔」、そしていくつかの小品をお持ちする予定です。

ブースNo.7
折り紙工房せびりや


よろしくお願いします。

で、それに向けてちょっと違うテイストの作品を作ってみたいなと思っていて、作ったのがこいつ。
デフォルメしてややコミカルな雰囲気で不機嫌な猫の顔。

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結構苦労したのが目。ネコ独特の細い目をどうするかなぁと思いまして。
全体には平面的な作品なんだけど、敢えて目を立体的に抓みあげて処理することで、観た瞬間に目になんとなく関心が行くようにしてみたつもり。

どう使うかは今のところ検討中ですが、こういうモノも出せたらいいな。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第六十夜/星は光りぬ~

前回の切番は50回と言う大きな節目だったのでヴェルディをご紹介しましたが、今回はそれ以前の例に倣ってまたオペラで活躍する楽器に焦点を当てて行きたいと思います。
フルート、オーボエ&コール・アングレと木管楽器のパートで上から順に下がってきているので、今回はクラリネット。有名な楽器ですしどんな楽器かと言う話は今回も割愛します。

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オケの定番として活躍する木管楽器としては最も若い楽器として知られ、楽器の特性を最初に引きだしたのはW.A.モーツァルトだと言われています。彼はクラリネットやバセット・ホルン(古楽器。現在はアルト・クラリネットで代用するのが一般的になっている)の音色を愛したことで知られ、数々の名曲を残しています。ご多分に漏れず歌劇の中でもクラリネットが活躍するものが少なからずありますが、中でも有名なのはこの曲でしょうか。

・セストのアリア“私は行くが、君は平和に”(W.A.モーツァルト『皇帝ティートの慈悲』)

恥ずかしながらこの作品はまだ全部聴けていないのですが、この曲は名曲だと思います(ベーム盤は我らがベルガンサがセストを演じていると言うし、仕入れねば)。聴きました。彼の超有名作程のキャッチーさはないものの、やはり素晴らしい名曲!(追記2014.4.8)
何と言うか空恐ろしいのは、この曲にはこのあとご紹介する作品で聴かれるようなクラリネットの使い方のエッセンスが既に全て入っているようにすら聴こえるところで、流石は神童モーツァルト、といった感があります。クラリネットの場合は音域が広いと言うこともあり、印象的なテーマで旋律となる登場人物の独唱に絡んで行くことが多いように思います。主人公の第2の心象風景を表していると言っていいものなのでしょう。このセストのアリアではそういった部分がよく出ています。

・ヴィッテリアのロンド“花の鎖を編むために”(W.A.モーツァルト『皇帝ティートの慈悲』)

全曲を聴いて、どうしてももうひとつ追記せねばと思ったのがこのロンド。これを聴くと確かにモーツァルトはバセットホルンと言う楽器を殊更愛していたんだなぁということがよくわかります。その華麗で豊かな心象の表現は、上記のセストのアリアと同等或いはそれ以上と言ってもいいかもしれない。ヴィッテリアを演じるソプラノとバセットホルン奏者のふたりが揃えば、オペラ聴きとしての極上の一時を味わえること請け合いです(2014.4.8追記)。

・ロドリーゴのアリア“ああ、どうして私の苦悩を”(G.ロッシーニ『オテロ、またはヴェネツィアのムーア人』)

これに対し、よりクラリネットが前に出てヴィルトゥオーゾ的な妙技を披露するのは、やはりロッシーニ。これももちろん主人公の心象風景としての効果と言う部分はあり、千々に乱れるロドリーゴの想いを描きだすのに一役買っていると思います。ただ、それ以上に秀でたクラリネット奏者の腕の見せ所的な意味合いが強いかもしれません。こうした細やかで華麗な管楽器のソロを伴う楽曲はロッシーニには少なくなく、フルートのところでご紹介したシドニー卿のアリア(『ランスへの旅』)などと同じような系列にある作品と言ってもいいでしょう。

・ドン・アルヴァーロのアリア“天使のようなレオノーラ”(G.F.F.ヴェルディ『運命の力』)

ロッシーニではないですが、実際に優れたクラリネット奏者のためにソロを書いた人物もいます。ちょっと意外な気もしますが、誰あろうヴェルディです。このアリア、歌の出てくる本体も長いのですが、アリアの前奏としてはかなり長いクラリネットのソロがあります。この部分は、初演を行ったマリインスキー劇場の第1奏者だったエルネスト・カヴァリーニが彼の学生時代の友人であったことから作曲されたと言われています。アリア本体に入ってからもアルヴァーロと積極的に絡み、喪失と虚無に包まれた彼の想いを良く表しています。ロッシーニほど技巧的ではなくゆったりと聴かせる部分が多いため、逆に言えば奏者の歌心がよく出る音楽だと言えるかもしれません。

・ロドルフォのアリア“星の明るい夕べ”(G.F.F.ヴェルディ『ルイザ・ミラー』)

より伴奏的にクラリネットが活躍する曲も結構ありますが、代表例と言うべきなのがこれでしょうか。3連符でアルペジオを淡々と刻むのですが、他のパートがゆったりとした音楽を奏でているのでかなり印象的。というか音楽全体を実質的に動かしていく原動力がクラリネットに与えられていると言っていいかもしれません。

・第1幕フィナーレ(G.F.F.ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』)

ヴェルディはクラリネットだけではなくバス・クラリネットの見せ場も結構作っています。中でも印象的なのは、このシモンがパオロにパオロ自身を呪うように強いる場面でしょう。遠回しに怒りと恨みを込めてことばを繋ぐシモンと、自らの罪の露顕に恐れ慄くパオロの、一見平静を装ったしかし不安な会話の背景に、バス・クラリネットが剣呑な空気を作り出しています。派手なソロと言う訳ではありませんが、この場面の緊張感を生み出しているのは実は歌手ではなくてこの楽器なので、是非とも巧い人にやってもらいたい部分です。

・リュドミラのアリア“愛する人から遠く離れた”(Г.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』)

何だか伊ものばかりなのもあれなので、ちょっと別のものも。不安な雰囲気を良く表していると言えばここでのクラリネットも忘れてはならないでしょう。ここではどちらかと言うとアルヴァーロのアリアでも見られたような雰囲気作り的なところでの貢献が大きいのかな。囚われの身のリュドミラの不安でしょうがなく、悲嘆にくれた姿が目に浮かぶような音楽です。西欧の垢ぬけた雰囲気ではなく、土俗的な如何にも国民楽派という風情は、先述の作品にはない魅力でしょう。この作品では他にも3幕フィナーレなどクラリネットがいい味を出している部分があります。大方序曲しか聴かれない曲ですけど、もっと評価されていい傑作です。

・フェヴローニャの歌“おお森よ、私の森よ”(Н.А.リムスキー=コルサコフ『見えざる都キーテジと乙女フェヴローニャの物語』)

これはまたちょっと違うかたちでクラリネットが登場してきます。この歌に限らず前奏曲から繋がりこの場面全体に、クラリネットはカッコウの鳴き声を、フルートとピッコロが小鳥の鳴き声を描写していています。こういう楽器の使い方は他の楽曲でも結構聴かれるものだとは思うのですが、そこはオーケストラの魔術師リムスキー=コルサコフ、神秘的な森を描く音楽を彩るスパイスとして強く印象に残ります。

・マリオ・カヴァラドッシのアリア“星は光りぬ”(G.プッチーニ『トスカ』)

さてこうして様々なところで(と言っても僕の聴く音楽の偏差の影響で伊ものと露ものしか紹介してないけど^^;もちろん独もの・仏ものでもクラリネットは重要な楽器ですよ!)活躍している訳ですが、オペラのクラリネットの中でも最も印象的で有名なソロと言えばこのアリアでのソロでしょう。獄中で楽しかったトスカとの愛を思い出すカヴァラドッシの悲壮感に満ちた空気を、このソロが如何によく表していることか!このクラリネットの前奏があることで、聴衆は彼が歌い出す前からその苦悶を共感することができるのです。プッチーニが書いた音楽の中のみならず、全てのテノールのアリアの中でも最も魅力的なこの曲の効果は、クラリネットの導入によってより向上していると言っていいと思います。
ちなみに、クラリネットにはToscaというブランドがあります。そうした由来になるのもさもありなんというところです。

ちょっとアリアの伴奏に焦点を当て過ぎたかな?もちろん他の部分でもクラリネットは大活躍している楽器なので、是非ぜひ注目していただければ^^

今夜はこんなところで。次回からはまた様々な歌手をご紹介していきます。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第五十九夜/ド演歌オペラ歌手~

今夜は思いっきりテノール歌手!というイメージの人を笑。
もういまさら私のblogなんぞで扱わなくてもたくさんの情報がネットにもあるかとは思う人ですが。

FrancoCorelli.jpg
Calaf

フランコ・コレッリ
(フランコ・コレルリ)

(Franco Corelli)
1921~2003
Tenor
Italy

デル=モナコ、ディ=ステファノディ=ステファノとは同い年でした2014.2.13よりも少し下、ベルゴンツィやG.ライモンディなどと同世代の偉大なテノールです。テノールにしては高身長の美形で舞台姿でも観衆を酔わせたそうですが、それ以上に声と歌い口のインパクトは、綺羅星のようなスター・テノールが群雄割拠していたこの時代に於いても筆頭に挙げるべきもの。一言で言うなら、「濃い」をはるか遠くに通り越して「濃っゆぅい」です笑。パワフルということばでは言い尽くせない破壊力があります。ただそれだけに好悪がはっきり分かれる歌手ですし、肯定派の中でもこの演目はちょっと……という選好みが出やすい人だと言えるでしょう。

その「濃っゆぅい」印象が先に立つのか様々な伝説があります。
例えば当たり役のカラフ(G.プッチーニ『トゥーランドット』)を歌ったときに、トゥーランドット役のビルギット・ニルソンと対決した話がいくつもあります。2幕で一緒に歌う高音があるのですが、ニルソンはこれを延々と張り上げコレッリに勝負を挑みました。彼はこの勝負に乗るも競り負け、「もう帰る!」とごねたとか。3幕の話はいくつかパターンがあって、ニルソンが彼を挑発し「我が栄光は終わった!」と歌うところを替え歌して「お前の栄光は終わった!」と当てつけたものの、コレッリは「いいや、これから始まるのだ!」と元のままの歌詞で歌って切りかえしたとか、逆に歌詞通り「我が栄光は終わった!」と歌ったニルソンに対して、コレッリが「そう、これで終わったのだ!」と歌ったとか。なかなか楽しいコンビですw他にもG.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』で共演したボリス・クリストフと対決したとか、G.ビゼー『カルメン』で指揮者のファビアン・セヴィツキーを降ろしたとか。

凛々しい見た目や強烈な歌、それに上記のような猛者伝説の一方で大変な舞台恐怖症だったという逸話も多く、引退が早かったのもそのためだったとか。嘘か真か指揮者だか奥様だかにつっ飛ばされて舞台に出て行った、なんて話も残っています。

愛すべきテノール馬鹿とでも言えましょうか。

<演唱の魅力>
大前提を先に言っとかないと誤解されそうなので初めに言っておくと、この人はやはり美声だと思います。非常に力感の漲らう、雄々しい声。太い声というのとはまた違う、逞しい声なんですね。まさに英雄的という表現がしっくりくる声だと言えるでしょう。
そうした前提があった上で、なのですがその口跡にはかなりの癖があります。ことばを発音するに当たって独特の粘っこさがあり、節回しにも特徴的な“ため”があります。彼の歌を聴いていると思い出されるのが演歌の“こぶし”。ことばの扱いと言い、“ため”といい本当に演歌歌手、それもバリバリのド演歌歌手のそれとの表現手法の近さを感じるんですよね。『天城越え』とか歌ったら物凄い絶唱を披露して呉れたんじゃなかろうか笑。歌劇と演歌いずれも大衆藝術であることを考えると、この一見奇妙な相似形は意外と納得できるものなのかもしれません。
その濃い味のイメージから強烈なfの印象が強いように思うのですが、彼のド演歌歌唱のキーになってきているのはpの使い方、メリハリのつけ方ではないかという気がします。力押しで延々と行く訳ではなく、ぐっと引くポイントを彼は意識的に作っているように思いますし、そのセンスがハマれば凄まじいものがある。例えば、ラダメス(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)のアリアの最後の高音でのppへの持って行き方など心憎いくらいです。
こういう言い方をするとコレッリのファンの方には怒られるかもしれませんが、彼の歌唱には鮒寿司やゴルゴンゾーラのようなところがあって、非常に強い個性を気に入ってしまえば病みつきになり、その個性こそが最大の魅力になる。仮にコレッリがしれっとスマートに歌ったりしたら、面白味は半減してしまうでしょう。

こういう味の濃い、脂のきつい声と歌が持ち味のひとがその本領を最も発揮するのは、伊ものの中でもカロリーの高い演目、即ちヴェルディとプッチーニの一部になるのかなと思います。その中でもヒロイックなキャラクター、前出のラダメス、マンリーコ(G.F.F.ヴェルディ『イル・トロヴァトーレ』)、エルナーニ(同『エルナーニ』)、カラフ(G.プッチーニ『トゥーランドット』)、カヴァラドッシ(同『トスカ』)あたりは彼抜きには語れないでしょう。スタイル的にはどうかなと思うものでも、英雄的なキャラクターで聴かせきってしまうものもしばしば。

<アキレス腱>
鮒寿司やゴルゴンゾーラのようなというのは、裏返せば嫌いな人は大っ嫌いでしょうね、ということです。あんまりネット上でも大見栄切って「嫌い!」と宣言している人はいないような気もするんですが、アクが強すぎて…という人は意外に多いんじゃないかなぁ。僕自身は結構好きなんですが、正直なところベル・カント演目なんかは濃すぎて鬱陶しいと思うことがしばしば。凄い声、凄い歌なのですが。

あと、結構この人適当ですwwwライヴ盤なんか聴くと相当な勢いで落ちてたり歌詞飛んでたりで、最早笑えてくるレベル。共演の人たちはさぞかし困ったでしょうね。独特の歌い回しで伊語以外の演目にも乗っているので、仏語なんかはあまり綺麗には聴こえない、というか伊語にしか聴こえないぞ!なんてことも。映像をガッツリ観たことはないんですが、演技もいまいちだったという話ですが……何となく納得できたりします。

それでも偉大なテノールの名に恥じぬ、卓越した歌手だったことに変わりはありませんが。

<音源紹介>
・マンリーコ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)
シッパーズ指揮/トゥッチ、メリル、シミオナート、マッツォーリ共演/ローマ国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1965年録音
>不滅の名盤。スタジオ録音にも拘わらず指揮及び歌唱陣は何かがとり憑いたかのような熱演を繰り広げ、スピーカーを通して唾が飛んできそうな強烈なヴェルディを聴かせて呉れる超強力盤。中でも圧巻なのがコレッリのマンリーコで、その骨太な歌いぶりを好む人にはこれ以上はないと思わせるだろう歌唱です。ド演歌歌唱の最たるものと言っていいかもしれない笑。一番の聴かせどころであるカバレッタの破壊力は、古今東西様々な名歌手が遺してきた数々の名演の中でも最右翼に置くべきものであり、力強いハイCには心を奪われます。或る意味それ以上に盛り上がるのが1幕フィナーレで、メリルのたっぷりとしたバリトン、トゥッチのドラマティックな歌声、そしてシッパーズの外連味溢れる指揮ぶりと相俟って、オペラ録音史上のひとつの事件とも言うべき凄演です。ベルゴンツィとは違った意味で歴史に残るマンリーコでしょう。メリル、トゥッチ、シッパーズはそれ以外のところでも力演ですし、シミオナートのおどろおどろしいアズチェーナは圧倒的と言う他ありません。マッツォーリも渋く固めていて、不足なし。この作品を語る上では欠かせない録音だと言っていいでしょう。

・カラフ(G.プッチーニ『トゥーランドット』)
モリナーリ=プラデッリ指揮/ニルソン、スコット、ジャイオッティ、デ=パルマ共演/ローマ国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1965年録音
>こちらも不滅の名盤と言っていいでしょう。コレッリとニルソン因縁の対決をよくスタジオ録音で残して呉れました!その知名度から今でこそコンサート・ピースのようにして様々な歌手が歌うようになり、器楽のみの演奏もしばしばある“誰も寝てはならぬ”ですが、コレッリの歌を聴くと、本来こうした特別な声を持っている人のみが歌うことを許される音楽なのだということを再認識させられます。堂々たる主役の声であり、彼の猛然とした歌は、この猪突猛進気味の主人公によく合っていると思います。対するニルソンの声の切れ味の良さも抜群。彼女の鋭い声はトゥーランドットの冷たさを非常によく表現しており、評判に違わぬものです。スコットの切々としたリューに滋味溢れるジャイオッティのティムールも良く、スタンダードな演奏として楽しむことができるものだと言えるでしょう。

・ラダメス(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
メータ指揮/ニルソン、バンブリー、セレーニ、ジャイオッティ、マッツォーリ、デ=パルマ共演/ローマ国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1967年録音
>超名盤。コレッリにはもうひとつ、以前既にご紹介したG.G.グェルフィやネーリと共演した若き日の歌唱もありそちらも優れているのですが、キャリアを積んだ後のこちらの歌唱は完璧と言うべきもの。例えば冒頭の有名なアリアの最後のハイCは張る人が圧倒的に多いのですが、記譜上はpな上にデクレッシェンドをかけて行くというかなり大変なもので、彼はそれを実現しています。しかも非常に印象深い歌唱!パワータイプのイメージのあるコレッリですが、その技術の高さも伺える演奏なのです。バンブリーのアムネリスについては既出ですがその女らしさと気高さは忘れがたいもの。荒々しさが心地いいセレーニや、ここでも渋さの光るジャイオッティ、うま過ぎるデ=パルマも素晴らしいですが、マッツォーリの王と肝腎のニルソンのアイーダがいまひとつ。メータはこういう演目では僕は嫌いじゃないんですが、世評低いですね^^;

・エルナーニ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』)
デ=ファブリツィース指揮/リガブーエ、カプッチッリ、R.ライモンディ共演/アレーナ・ディ=ヴェローナ管弦楽団&合唱団/1972年録音
>音質さえもっと良ければもっと評価が高かったに違いない爆演。ヴェルディの作品では古い時代のものであり、歌舞伎的で芝居がかったキャラクターであるエルナーニは、コレッリの藝風にはぴたりとはまるものだと言えるでしょう。開幕のアリアから火のつくような歌唱が堪りません。悪く言えば大時代的なのでしょうが、様式美的な世界に込められた熱に酔えるというのは、やはり評価したい。輝かしい高音を響かせるカプッチッリがまた見事で、アリアの最後のAなどは圧倒的。リガブーエとライモンディには望みたいところも無くはないですが、それは贅沢と言うべきで水準を遥かに超えた立派な歌唱。観衆の熱狂も肯けます。

・ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
アドラー指揮/トッツィ、リザネク、デイリス、ヘルレア、ウーデ共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音
>正直この役にはコレッリはヒロイック過ぎだし、アンサンブルで盛大に落ちたりとかミスを探せばたくさんあるのですが、それでもこの人ってすっごい歌手だなぁと思わせる演奏。別の言い方をすれば彼のテノール馬鹿っぷりを存分に味わえる演奏。この作品、実はカルロは比較的影が薄いんですが、コレッリの歌い口が濃すぎて或る意味ちゃんと主役しているという意味でいいのかもしれません笑。特にヘルレアとの友情の2重唱、ヘルレアが可哀そうになるぐらいコレッリはミス連発なのに、最後の最後でオクターヴ上げるという暴挙に出て観衆の支持を得ているところなんて、大歌手とはかくあるべきと思わせます。そのヘルレアは知名度は低いもののこの公演のMVPでしょう。深みがあり力感に溢れたロドリーゴはバスティアニーニをも思わせるもので、この役のベストのひとつとも言いうると思います。メトの名バスであるトッツィの芝居っ気のあるフィリッポ、情熱的なデイリスのエボリなど米勢大健闘。リザネクもコレッリ同様かなり濃いため好き嫌いは出そう^^;

・エンリーコ(G.スポンティーニ『ホーエンシュタウフェンのアニェーゼ』)
グイ指揮/ウドヴィッチ、G.G.グェルフィ、ドウ、アルバネーゼ、マスケリーニ、コルツァーニ共演/フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団&合唱団/1954年録音
>珍しい演目を知る人ぞ知るメンバーで楽しめる録音。作品の時代や性格的には必ずしも彼には合っていないといいますか、もっと軽やかな音楽なのだろうとは思うのですが、全編に亘ってヒーローとして公演を引っ張っている彼はやはり魅力的。対立する皇帝がまた豪快なグェルフィだということもあってかなりの熱血演奏になっており、これはまたこれでいいのかもしれないと思わせてしまうような圧倒的な演奏です。

・ラウル・ド=ナンジ(G.マイヤベーア『ユグノー教徒』)
ガヴァッツェーニ指揮/サザランド、シミオナート、ギャウロフ、コッソット、トッツィ、ガンツァロッリ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1962年録音
>これもまた本来的にはコレッリじゃないんだろうけど、そのヒロイックな存在感で聴かせてしまう演奏。ゲッダの優雅なテノールによる歌唱はそれはそれで魅惑的なのですが、宗教対立で鬪う男と考えると彼の鬪魂歌唱も役作りとしては考え得る気もします。まあ伊語歌唱だということもありますし、ありかなと笑。綺羅星のような共演がまた伊的なのですが非常に魅力ある演奏。煌びやかなサザランド、力強いギャウロフ、藝達者なトッツィに端役に勿体ないコッソットも見事ですが、ソプラノ役を演じるシミオナートがなかなか面白いです。

・ポリオーネ(V.ベッリーニ『ノルマ』)
セラフィン指揮/カラス、C.ルートヴィヒ、ザッカリア共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1960年録音
>これもね~未だに超名盤・決定盤扱いされることの多い録音で確かに素晴らしいのですが、ベル・カント復興のこのご時世で持て囃すのはどうかなという気もしています。と文句を言いつつコレッリは確かにローマの将軍然とした力感漲るパフォーマンスでワクワクさせて呉れます。ヴェルディ演目全盛時代に演じられたポリオーネを、高い水準で楽しめるという意味ではうってつけかなと。衰えてはいるもののカラスも当たり役中の当たり役だけに練り込まれた歌唱、ザッカリアもいつもながら脇を固めて呉れて嬉しいところ。セラフィンの采配もこの時代の演奏として見事だと思いますが、今だったらこういう演目をこうは振らないんじゃないだろうか。あとはルートヴィヒの独的な歌い方をどこまで許容できるかでしょう。

・マリオ・カヴァラドッシ(G.プッチーニ『トスカ』)2014.11.20追記
マゼール指揮/ニルソン、フィッシャー=ディースカウ、デ=パルマ共演/ローマ聖チェチリア音楽院管弦楽団&合唱団/1966年録音
>世間的には異色盤なのでしょうが個人的にはロストロポーヴィッチ盤と並ぶ超お気に入りの演奏。コレッリはいつもながらの馬力のある歌唱と濃い歌い回しで、熱血漢カヴァラドッシのキャラクターを創りあげています。この無鉄砲で勢いで生きているようなキャラクターには彼のドラマティックな歌唱はよく合います。ただ、そんな彼の歌唱が浮かないのがこの音盤の凄いところで、破壊力はそのまま意外なほどたおやかなニルソン、変質漢的役作りが巧過ぎて気持ち悪さが最高のフィッシャー=ディースカウ、そしてスパイスの効いたマゼールの指揮と、みんな方向性が揃っているとは思えないのだけれども全体として非常に纏まっています。不思議な化学反応を起こした、聴き応えある1枚です。

・ロメオ(C.F.グノー『ロメオとジュリエット』)2014.11.20追記
ロンバール指揮/フレーニ、ドゥプラ、グイ、カレ、ルブラン、ヴィルマ、トー共演/仏国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1968年録音
>これも異色盤でしょうね、何より他のメンバーの作る仏的雰囲気の中に伊的大スター2人を主役としてぶち込んじゃったような演奏ですから笑。何よりコレッリのキャラ違いが半端ないだろうなと思っていざ聴いてみましたが、予想外によくてびっくり。もちろん仏的な歌唱ではまったくないのですが、そのエネルギッシュな歌いぶりはそれはそれとしていい音楽に仕上がっています。特に終幕のアリアが非常にいい!フレーニも流石娘役をやらせたら鉄板の人。多少転がしのぎこちなさはあるにしても、立派な歌唱です。折角なら薬を飲む前のアリアも歌えばよかったのに。共演は皆仏もののスペシャリストですが、特にドゥプラの落ち着いた神父と性格的なグイ、天国的にすら聴こえるルブランが秀逸。

・アンドレア・シェニエ(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)2015.6.18追記
サンティーニ指揮/ステッラ、セレーニ、ディ=スタジオ、マラグー、モンタルソロ、モデスティ、デ=パルマ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>何故これを取り上げ忘れていたのでしょうと言う不滅の名盤!デル=モナコ、テバルディ&バスティアニーニのガヴァッツェーニ盤と双璧をなすこの演目の代表的演奏で、スタジオ録音とは思えないぐらいの伊的熱狂を楽しむことのできる録音です。ここでのコレッリは超重量級のドラマティックな声を聴かせていると同時にリリックな風情も湛えており、詩人と言うキャラクターにも合致しているように思います。また、最前述べてきたようなこの人独特の粘っこさやアクの強さがここでは比較的抑えられていて、ストレートな声の魅力が前面に押し出されているように感じられます。或いはひょっとすると彼のスタジオ録音のベストと言ってもいいかもしれない。ステッラもまた多くの歌唱を遺している中でも最も素晴らしい部類で、重厚感ある骨太な歌を、しかも美しく聴かせています。渋みのあるバリトン、セレーニがまた実にいい。仕事はできるが人間は不器用なこのキャラクターを、非常に我々に近しく表現していて親近感が持てます。この苦々しさが堪らない。そしてこれ以上はない名脇役たちが揃っているのも聴き逃せません!サンティーニもジューシーで華麗な音楽づくり、ピリッとした緊張感もあります。伊もの好きなら絶対に押さえておきたい録音です。
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Stegosaurus

ステゴサウルス
Stegosaurus sp.

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もう今さら何の説明もいらないでしょう、最も人気のある恐竜のひとつステゴサウルスです^^
いろいろな種が記載されているのですが、個々の区別に私は明るくないのでひとまずsp.(1種)ということで笑。
一応創作ですが背中の板は米人のジョン・モントロール氏のアイディアを参考にしています。

ステゴサウルスというと背中の板のイメージに引っ張られるのか何なのか前肢と後肢の間ぐらいに高さのピークを持ってきている造形が結構多いように思うのですがむしろ腰の方がはっきり高いので、それを意識して作りました。

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板の話ばかりで忘れられていることもありますが、尾の先にはスパイクがあります。
これのつき方も諸説あるのですが、個人的には武器として使うと考えると横向きについていた説がもっともらしいなと。
ステゴを作るなら絶対ここは外せないと思ったので拘って作った部分です。

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昔読んだ折り紙の本で、「創作をやる者なら、ゾウが作れたら一人前だ」みたいなフレーズがあったのですが、僕自身は同じようなことをこのステゴサウルスに感じていて、どうにかいつか作ってみたい!と思っていたのでした。
今回曲がりなりにも形にできて、実はかなり嬉しいですw
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TAS-blog立ち上げ

という訳で?TASの活動の認知度が上がってきたこともあり、このblogと別にTASの情報をご紹介するblogを立ち上げました!

TAS-blog
http://tokyoacademicsociety.blog.fc2.com/

引くぐらいストレートなタイトルですねw
これからもどうぞよろしくお願いします!
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かはくの展示から・恐竜展特別編~第17回/タルボサウルス

このblogは国立科学博物館の公式見解ではなくファンの個人ページですので、その点についてはご留意ください。

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タルボサウルス
Tarbosaurus bataar
特別展

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特別展のご紹介もいよいよ大詰めです。まだまだたくさん凄い展示はありますが(信じられないぐらい保存状態のいい植物食恐竜もあるし、ホロタイプも紹介しきれてない)、特別展の展示物の紹介は今回で一段落。

特別展のトリを務めるのは、アジア最大の肉食恐竜タルボサウルスです(鳥に近い方の恐竜だけに笑)。
前肢が小さいことで有名なティラノサウルスの仲間ですが、その中でもとりわけ小さいです。是非これを見た後で常設展のティラノサウルスと較べてみて下さい。

この全身骨格は福井県立恐竜博物館にレプリカが展示されているものの、原標本です。
かなりの部分がきちんと残っており頭も出ていますが、この子もこの全身骨格ではレプリカをつけています(頭の話はこちら参照)。で、この頭がどこにあるかと言うと、特別展の最後に控えています。

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この1番上のやつですね^^
今回は上の写真のとおりタルボサウルスの成長が、実骨で追える展示になっています。
プロトケラトプスでも同様の展示がなされているのは以前の記事でもご紹介していますが、タルボサウルスでこれが観られるというのは、本当に極めて珍しいことです!この3枚の写真では1番上が1番成長したもので、下に行くに従って若返ります(笑)プロポーションが大分変わりますね。
上から2番目の子はティラノサウルス類の顔立ち中ではかなりのイケメン!歪みも少なく、素晴らしい状態です。会場にはこの上から2番目の子と1番下の子の間にもう1頭中間段階の子がおり、その子も非常にいい状態。
1番下の子は今回の目玉の一つで図録の表紙を飾っているこどものタルボサウルスです!

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こどもの肉食恐竜の化石、それもティラノサウルス類の化石というのは非常に珍しいです。こどもの化石は小さくて脆いということもあるのでしょう、単純に数が少ないです。この標本について言えば、保存状態が大変いいことに加え、発見時には繋がった状態でした(1番上の写真は発見時のレプリカ。繋がった状態の価値についてはこちら)。
まさに稀有な化石なのです。

発見時は海老反りになっていますが、鳥に近い系統の恐竜はこういう状態で発見されることが多いです。今回観られるハルピミムスも本来はそうした状態で見つかったのでしょう。何故か組み立てちゃったんでテンション高いやつみたいになってますがww有名どころだと始祖鳥のベルリン標本などもこの陽気なポーズを取っています。何でこんなけったいな姿勢になるかと言いますと、背中の腱が発達しており死後硬直でこうした格好になるのだと考えられています。但し普通の陸上環境だとこうなる前に腐ってしまうのだそうで、恐らくは水の中に死体が沈むと腐敗速度が落ちるためこの姿勢になるのだろうとされています(ニワトリの死体を水につけるというなかなか豪快且つ明快な実験をもとにした研究の結果、同じ姿勢になったのだそうです)。

上から2番目の写真は彼の尾の骨に当たる部分の写真ですが、赤い矢印のところに隙間があります。ヒトのこどもでもそうですが、こどもの時から骨は完成している訳ではなくこうした隙間があり、成長していくと隙間が埋まります。つまりこれこそが、彼がこどもであることの証拠のひとつなのです。

前肢もこどもの時からいっちょまえに2本指です。成長した個体では2本の指の長さがほぼ同じですが、彼の指はご覧のとおり長さに違いがあるので、これは成長によって変化するところだったのでしょう。また、長い指の横に爪楊枝のはしきれのような小さな骨がありますが、これは3本目の指の名残。大人のティラノサウルス類の全身骨格にもあります。

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再び大人の骨格ですが今度は後肢。
オルニソミモサウルス類のところでもご紹介した速く走るために進化したと考えられる、足の甲の真ん中の骨がシュッと細くなる特徴をここでも観ることができます^^
上から2番目の写真、これ実骨ですよ実骨!紛い物じゃないんですよ!なんという保存状態!!!

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これはタルボサウルスと見られる恐竜の足跡化石です。
「化石」と言うと骨や貝殻など生物の固い部分が残ったもののイメージが強いですが、実際には化石の定義は「基本的には10,000年以上前から発見された生物の痕跡」です。即ちこのような足跡や、サウロロフスのところで出てきた齧った痕と言うのも化石と言うことができます。こうした生物が活動をした結果できた化石を、生痕化石と言います。生痕化石は骨格などと較べると地味ですが、骨などから知ることは難しい古生物の行動や生態を知るためには欠かせない、極めて重要な研究材料です。

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これは最後の方にしれっと置かれているので、見逃している方もいるかも。
タルボサウルスの脚の骨なんですが真ん中に方解石が成長しています。これはタルボサウルスの特徴ではなく、骨の真ん中の髄が通っていた部分が腐敗などで無くなって空間が開いたところに結晶が成長したもの。骨など化石もまた岩石であることが分かりますね^^

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特別展の最後に座っているこの子、実は昔かはくの入口で来館者を出迎えていたあの子の組み直し。鎖骨と腹肋骨は足してありますが、なんとなく懐かしい気分になります^^

<参考>
・「大恐竜展 ゴビ砂漠の脅威」図録/国立科学博物館/2013
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キヌガサタケ

キヌガサタケ
Phallus indusiatus

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最近折ったキノコさんシリーズ第3弾。
Smips打ち上げのときに切り紙のいわたまいこさんとアドリブで共作したキヌガサタケですが、完成度を上げてもう一度!と言う気持ちとは別に、純粋に折り紙だけで表現できないかなぁと思って作ったのが本作。と言っても基本的な方針はあまり変わっていませんが、細かい部分の纏め方などを整理しました^^

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あのあみあみを折り紙で再現するのは限界があるので、段折りで飾りをつけてみました。もちろんリアルではないけれども、こういうのも悪くないかと。胞子をつくる頭の部分(グレバ)も網目模様になっているので、その部分も前回より手心を加えています。

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柄の部分は本当は白いんですが、ここは構造上うまいこと行きませんでした…まあ見えないので、許せ(笑)
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かはくの展示から・恐竜展特別編~第16回/コリストデラ類

このblogは国立科学博物館の公式見解ではなくファンの個人ページですので、その点についてはご留意ください。

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コリストデラ類
Choristodera
特別展

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今回の恐竜展は大阪での『発掘! モンゴル恐竜化石展』と較べると恐竜以外の生き物の化石はかなり減っています。代わりにデイノケイルスオピストコエリカウディアテリジノサウルスがあたりが来ているので全く以て文句は言えませんが、ちょっと残念ではあります(>_<)
そんな中で、むしろものが増えているのがコリストデラ類。彼らは恐竜絶滅後も生き残った爬虫類の仲間ですが、現代に至るまでに絶滅しています。今回展示されているコリストデラ類はいずれも実骨標本です。上の写真は組立骨格で、これはまた非常に珍しいもの。
先日行われた恐竜展のイベントで、神奈川県生命の星・地球博物館の松本涼子先生のお話を伺うことができたため、今日の記事はそこでのお話を中心に。

一見するとワニのようですが、ワニではありません。グループとしては非常に小さく現在のところ11属(属についてはこちら)しか発見されていませんが、外見の大きく異なる3つの括りに分けることができます。ひとつが上の写真にあるようなワニに似たもの、ひとつがトカゲに似たもの、もうひとつがトカゲに似ているのですが頸が長いものです。

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上記の写真はチョイリアの頭。
グループ共通の特徴としては、大きく後方に張り出したハート形の頭蓋骨が挙げられます。ワニやトカゲはこのような頭はしていません。何故このようなけったいな頭をしているかがやはり興味深いところ。水中の魚を追う時には水平方向で頭を移動させることが大事になりますが、その際頭の高さを低くした方が抵抗が少なく有利です。しかし、頭の高さを低くするとその分噛むための筋肉をつける場所が一般的には小さくなってしまいます。このため、コリストデラの仲間は頭を後方に張り出して顎の筋肉をつける場所を確保したのではないかと考えられるのだそうです。
とは言え化石のみから生態を推定することは非常にリスキーなので、松本先生たちは、コリストデラたちの頸の化石を入念に観察するとともに、現生で比較的近いフォルムを取っているワニの仲間であるインドガヴィアルの子供のCTなどの研究を重ね、彼らが頸の骨の真ん中から後ろの部分を使って頸を横に振るのに適していただろうと結論付けています。

彼らの口蓋(上あごの裏側あたり)には普通の歯と別に、歯が並んでいます。これはそのものずばり口蓋歯といい、原始的な爬虫類に観られる特徴です。コリストデラ類の場合には飲み込む力がさほど強くなかったと思われるので、獲物を逃さないために使っていたのではないかということです。このあたりも非常に興味深いところ。

ちなみにチョイリアの名前は発掘地の最寄駅チョイリに因んだものなのだそうですが、チョイリ駅から発掘現場までは自動車で4時間かかるのだとか。。。おおごとwww

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フレンドゥフサウルスはそもそも発見が少ないらしいのですが、今回の標本はその中でも選りすぐりの保存状態のもの。
コリストデラ類は特にワニと競合関係にあったようですが、大体の時代・地域で種数も大きさもワニに軍配が上がるのだとか。但し東アジアは白亜紀前期に、寒冷化によりワニが分布しなかった時代があり、そのときコリストデラ類の多様性が最大だったと考えられています。上述の3つの括り、即ちワニ型の仲間もトカゲ型の仲間も首長の仲間も存在していた唯一の時期・地域でもあります。そういう意味で東アジアはコリストデラ類を研究するに当たっては重要なキーストーンだと言えます。

<参考>
・「大恐竜展 ゴビ砂漠の脅威」図録/国立科学博物館/2013
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第3回TAS定例会活動報告

一昨日2/1(土)に第3回TAS定例会を行いました!

※ TAS(たす)は、公式には“Tokyo Academic Society”、正式には“Tottemo Ayashii Shudan”、場合によっては“Tittomo Ayashikunai Shudan”と名乗っておりますが、要するにtwitter等で集まった古生物、生物を中心とする博物学関係に興味のある方たちのオフ会であります。博物館の見学や意見交換、懇親会等を行っています。詳細はこちら

今回は盛りだくさんの内容でした!

8:30 JR上野駅上野公園口集合
…の筈が、弁当作りに手間取ったり電車の乗り継ぎが悪かったりで、主催者が10分遅れ(ビリ)という非常に残念な事態に。。。みなさん大変失礼しました^^;

9:00 『大恐竜展~ゴビ砂漠の驚異~』へ突入
前回はホストだし!と思って気合を入れてご案内をしたのですが、今回は本当に初心者の方向けに大まかに全体の流れを説明し、適宜散って見学してもらうことにしました。たすも大所帯化が進行しているので、見学の時には固まりすぎないように今後とも工夫がいるかなとも思っています。まあどうせ固まるんだけどね笑。
たまたま前日にあった神奈川県博の松本先生のコリストデラのお話についても話題にのぼり、恐竜よりもそちらの話の方がひょっとすると盛り上がったかも?!たすならではですw

11:00ごろ 常設展見学
今回は意外と恐竜展はみなさんさくっと満足したみたいだったので、適宜常設展を見学。これもかなり散ってもらいました。

13:00 かはく出発

14:00 意見交換会場(今回も会場の提供は博士のシェアハウスさん。本当にありがとうございます!)で昼食を摂りつつ自己紹介タイム

14:30 意見交換会
今回の話題提供は2本立てでいずれも女性。これまで男声しか話題提供をしていないのは結構気になっていたので、これで弾みをつけて女性陣にももっと喋っていただけたらいいなと思っています^^
まずは名古屋でウミユリをやっている松本さんから、ウミユリがそもそもどんな動物なのかとフィールドでのお話。ついで『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』などで知られる翻訳家の矢野さんから、翻訳書のできるまでのさまざまなお話。どちらも怒濤の勢いで質問が出てきて、これまでで一番活発な議論がなされた会になりました。
その後、前回同様宣伝タイム。

19:30 夜の部
たのしく、のめました。

(まとめ)
今回は前回に比べると人数的には少なかったのですが、東京以外にも千葉、茨城、愛知、大阪と日本各地から多くの方にご参加いただきました。遠路はるばるご参加いただき、本当にありがとうございます!twitterを見る限りご満足いただけていたようなので、ほっとしています。
今回の見学はかなり参加者のみなさんの自由意思に任せたかたちだったのですが、如何でしたでしょうか?あそこまで放任主義だとみんなで集まっていく意味が逆にないのかな、とちょっと正直ちょっと悩んでいるところでもあります。逆にみんな野に放って自分の気になったものを発表してもらう企画とかもやってもいいのかも。
毎度思うのですが、参加いただいている皆さんが本当にヴァイタリティの高い方ばかりなので、非常に助かっています。特に意見交換会場の設営等で、今回は多くの方にご協力いただきまして、本当にありがとうございます。私自身の運営は本当に笊なので、ご協力感謝感謝ですmm

次回の日程は未定ですが、今年はいろいろなことをやっていきたいと思っておりますので、どうぞみなさま奮ってご参加くださいませ!

(おまけ?)
今回参加いただいた森本さんにたすのマークを作っていただきました!
tokyo academic society-01
どうです?すっごく可愛くないですか?^^森本さん本当にありがとうございます!
※たすではこのマークを公式に使っていこうと思っていますが、無断利用・転用は絶対になさらないでください。よろしくお願いします。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第五十八夜/響きも鋭く~

男声を続けたのでまた女声に戻そうかな。

というかこのblogは僕の趣味の偏りをかなり如実に反映していて、男声>女声という記事の数もさることながら、登場する人が古い人ばっかりなんですよね……読む側としてはこれでいいんだろうか。でも最近の歌手のレビューをする人はネットにはたくさんいるし、まあいいのか笑。

AgnesBaltsa.jpg
Der Komponist

アグネス・バルツァ
(Agnes Baltsa, Aγνή Mπάλτσα)
1944~
Mezzo Soprano
Greece

コッソット以降の伊系メゾの中でも最も重要な人物と言っていいでしょう。
路線としてはシミオナートのような低音に凄みのあるタイプではなく、明るくてシャープな感じの声。どちらかと言えばコッソットの方が近いんだと思いますが、彼女よりギラギラとした脂身が薄く、もっとすっきりとした印象の声だと言っていいでしょう。伊ものと言うところで見るならヴェルディを歌うにも充分な重さで様々な録音を残していますが、他方でロッシーニ・ルネサンス及びベル・カント再興の時代に人気の出た作品にもチャレンジしており、こののち現れるより軽量級の歌手たちとの先駆となっているということもできるかもしれません。そう考えると或る意味で過渡期の人だということもできるでしょう。

伊系のメゾと書きましたが、レパートリーは実際伊系に限らず独もの仏ものなどなどかなり広いです。というか彼女の最大の当たり役とされるのはカルメン(G.ビゼー『カルメン』)ですから、ひょっとするとその他の役よりも仏ものを歌っているイメージの方があるのかな?中性的で整ったエキゾチックな顔立ちなので、独特の魅力のあるカルメンになっています。

その広大なレパートリーの多くを録音で楽しむことができるのも嬉しいところです。一回り年上の歌手たちと共に残しているものから始まって、若い世代とのものまで本当にたくさん残して呉れているので、ファンとしてはありがたい限りでしょう。2014年で古希を迎える訳ですが、いまのところ引退の話は聞いていません。

<演唱の魅力>
カルメン歌いのイメージが鮮烈で、オススメ録音でもカルメンの話からスタートしますし、それについては多くの他の場所でも語られていますから、ちょっと別のサイドから。バルツァについては、先述したとおり僕自身は過渡期の歌手だと捉えています。「過渡期」と言うと一般的にはマイナス・イメージで語られることが多いように思うのですが、殊彼女に関してはそれはむしろプラスに働いたのではないかと言う気がするのです。即ち、過渡期に居たからこそ現在知られているような広範なレパートリーの歌唱を残すことができたのかなと。彼女以前の時代に於いては、伊ものの花形と言えばヴェルディを於いて他になく、ロッシーニにしてもベル・カントにしてもごく僅かな演目しか命脈を保っていませんでした。だからそうした演目の古い音源を聴くと、ヴェルディに適した重厚な声の人たちが無理くりやっているような印象を受けます。これはここで取り上げてきたような大歌手、シミオナートにしてもバルビエーリにしてもコッソットにしても感じられることです。或いはホーンのようにロッシーニとベル・カントに力点はあってヴェルディはいまいちというパターンの人もいました。で、そこに来てバルツァがどうだったかと言うと、新しい時代のメゾとしてヴェルディの路線にもロッシーニの路線にも対応できる人だったのだと僕は解釈しています。ざっくり言ってしまえばどちらも歌える人でなければ商売にならなくなってきた世代の走りだと思うのですね(ちなみに現代はこの傾向が更に進んでいる気がしますが、ひとまず措きます)。上記の流れはわかりやすく伊ものについてのみ見ている訳ですが、実際にはこうした動きはもっと複雑に起きているように感じています(彼女のスタートはモーツァルトや独ものですし)。いずれにしてもスペシャリストと言うよりはジェネラリストが求められる時代こそが、結果的に彼女の広大なレパートリーを作ったのかなと。
ドミンゴなど同様のことが言える歌手は何人かいると思いますが、そうした時代に於いて様々な要求を受けながらも、一定水準以上の歌唱を残すことができた点で、やはりバルツァは非凡な藝術家と言えるでしょう。

彼女の声はシミオナートなどよりも軽い一方で、非常に鋭く響きます。と言ってもそれは絶叫調ではなく、無理のないうまみのある声でありながら、ハッとさせられるような鋭利さがあるのです。これは彼女に独特のもので、しっかりとした甘みもありつつピリッと酸味も立ったトマトを思わせます。転がしの技術もありますし、重すぎない声なので、どちらかと言えば老け役ではなく若い女性の役で本領を発揮する印象。そうした中でのカルメンかな、と。他にもそうした路線での彼女の重要な当たり役としては、エボリ公女(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)やエリザベッタ1世(G.ドニゼッティ『マリア・ステュアルダ』)あたりが挙げられるでしょう。やや柄は大きいながらロジー ナ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)も悪くない。
ズボン役も忘れてはいけないでしょう。これは彼女の中性的な容貌によるところも大きいように思いますが、或る意味で脂っこさが少ない声なのでスッキリと若者を演じられるのかなと。作曲家(R.シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』)ケルビーノ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)、オクタヴィアン(R.シュトラウス『ばらの騎士』)、僕は未聴なのですがロメオ(V.ベッリーニ『カプレーティとモンテッキ』)は特に重要なもの。

<アキレス腱>
キャリア後半の演奏になってくると、いろんなものを歌い過ぎたか声を荒らしたな~と思われる部分が散見されるようになります。旨味が減って雑味が増えたと言いますか、声の響きは鋭いものの錆が来たと言いますか。やはりそのあたりいろんなものを歌うということはリスキーな両刃の剣なんだなぁと思ったりします。調子が悪い時は明らかに声が割れていることもありますしね。

<音源紹介>
・カルメン(G.ビゼー『カルメン』)
フォン=カラヤン指揮/カレーラス、ヴァン=ダム、リッチャレッリ、バルボー、ベルビエ、G.キリコ、ツェドニク共演/BPO、パリ・オペラ座合唱団&シェーネベルク少年合唱団/1982年録音
>いろいろツッコミも無きにしも非ずですが、不滅の名盤でしょう。何と言っても随一の当たり役と言うべきバルツァが圧倒的に素晴らしい!彼女の歌声の独特の鋭い響きは、登場人物の若々しさや性格のきつさを引き出す場合が多いように思うのですが、ここではそれ以上にエキゾチックで土臭いロマの空気をよく引き出しています。歌いぶりも達者で実に妖艶。正にファム=ファタル!仏人が作ってきたカルメン像とはまた違う、野性味のあるカルメンです。彼女のこの役がセンセーショナルだったのがよくわかる、刺激的かつリアルな人物造形だと言っていいでしょう。これに対しジョゼのカレーラスは、ぐじゅぐじゅしたマザコンっぽい感じがよく出ています(とっても褒めてます)。役作りもそうですが、有名な花の歌の最後のppは絶品!この2人に較べると影が薄いですがリッチャレッリも可憐で悪くありませんが、ヴァン=ダムはフォン=カラヤンのテンポ設定の遅さもあって、重厚と言うよりは鈍重な印象になってしまってイマイチ。そのフォン=カラヤンの指揮ぶりも堂々とした豪華なものではあるのですが、テンポ設定や楽器の鳴らし方などやや豪華過ぎるきらいもあるように思います。科白の読みを違う人がやっているのは賛否両論ありますが、まあ趣味の問題でしょう。

・デリラ(C.C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』)2023.5.8追記
ドラコート指揮/ドミンゴ、フォンダリー共演/リセウ大劇場管弦楽団&合唱団/1989年録音
>仏ものつながりでもう一つ。有名な作品の割に映像が少なく、この映像も正規のものではないのですが、非常に質の高い公演の記録だと思います(正直なところドミンゴの正規の映像より、演奏も演出も優れています)。繰り返し述べている通りバルツァは透明感のある、鋭い響きなので、ゴールやガランチャのような低めのまろやかな声と較べると随分若い印象ですが、若いからこそ激しさの感じられる、ある意味でオペラティックなデリラになっていると思います。そうした視点で最もハマっているのは2幕の冒頭のアリアでしょうね。この歌は1幕では見せなかったデリラの内心の吐露、闘いの宣言ですので、バルツァから感じる気性の激しさがぴったり合致しています。ドミンゴはこの時期輝かしさがひとしお、フォンダリーも知的で色気があるというところで彼らとの重唱も聴きごたえ満点です。入手しづらいことに加えて、西語字幕しかついていないのがハードルの高いところ……。

・エボリ公女(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
フォン=カラヤン指揮/ギャウロフ、カレーラス、フレーニ、カプッチッリ、R.ライモンディ、ヴァン=ダム、グルベローヴァ、ヘンドリクス共演/BPO&ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団/1978年録音
>フォン=カラヤンがお好きならば、という留保のつく不滅の名盤。彼女のエボリは当たり役なのに、意外とこの音源と近いキャストの映像以外ではあまり聴けないような。彼女の声の響きはここでも若々しさと同時に独特のエキゾチックさを出すことに貢献していて、ああこの作品は西国の物語なんだなぁと思わせるものがあります。そういう意味ではヴェールの歌なんか雰囲気たっぷりで、この異国の物語を彼女以上に活き活き歌った人を寡聞にして知りません。一方でドラマティックな迫力にも事欠かず、カルロとエリザベッタとの関係を知って激昂する場面も強烈だし、何と言っても“呪われし美貌”が圧巻でしょう。ここでも登場したなよなよ男カレーラスも、如何にもヘタレで不安定であまり賢くなく幼稚なカルロと言う男にぴったりの歌唱!(むちゃんこ褒めてます)その他も重厚で渋い味のあるギャウロフ、漢気溢れるカプッチッリ、スケールの大きなフレーニ、爬虫類的な不気味さのあるライモンディなどなど隅々に至るまでうまい人をキャスティングしていて、歌手的には盤石の布陣です。聴いて損のない1枚でしょう。

・エリザベッタ1世(G.ドニゼッティ『マリア・ステュアルダ』)
パタネ指揮/グルベローヴァ、アライサ、ダルテーニャ、アライモ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1989年録音
>多少のカットはあれど、今なおこの作品の規範的な演奏になっていると言える超名盤。プリマ・ドンナが2人必要であり、演奏史に於いては上演中に2人のプリマが本気の大喧嘩を始めたという伝説まである作品ですが、ここではバルツァとグルベローヴァと言う偉大な女声歌手を据え、聴き応え満点の演奏が繰り広げられています。バルツァの声はこちらではエキゾチシズムというよりは、エリザベッタの気性の荒さ、人物の鋭さを良く表しているように思います。しかし女王としての気品は失わず、それが却って悪役ぶりをよく出しているようです。もちろんこの役はただ単純な悪役ではなく、国政と人情と戀愛と様々なしがらみに囚われ、女王という厄介な重責を背負わされた一人間の苦悩を表現しなければならない役ですが、彼女はそのあたりも実によく表現しており流石の歌唱です。彼女と対決するグルベローヴァのベル・カントものは、個人的には声の響きがあっていないように思うのですが、この役はあってる気がする。高度な技術と歌心にも抗いがたい魅力があります。この演目では男声は脇ではあるのですが、絶頂期のアライサの豊麗な歌声、ダルテーニャの深々とした低音、精悍で酷薄そうなアライモなど大変魅力的。

・ロジーナ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
マリナー指揮/アライサ、アレン、トリマルキ、ロイド共演/アカデミー室内管弦楽団&アンブロジアン・オペラ合唱団/1982年録音
>現代的な演奏としてはいいもののひとつだと思います。彼女はこの役を演じるにはやや声がリッチ過ぎて重たい感はあるのですが、歌い口は見事なもの。頭の回転の速い、機転の利くヒロインですから、理知的な彼女のキャラクターに合っているというのもあるのかな、と。アライサの伯爵は多分録音史上最高のもの、アレンもバルツァと同様柄が大き過ぎな感じはあるものの小回りの利いたフィガロ、ロイドのバジリオも重厚感があって悪くないですが、トリマルキがなぁ……つまらんバルトロっていうのはA級戦犯ですよ。。。マリナーの指揮は悪くないですが、この作品にしては暗い色調の音楽です。

・ケルビーノ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
マリナー指揮/ヴァン=ダム、ヘンドリクス、ポップ、R.ライモンディ、ロイド、パーマー、バルディン、ジェンキンス共演/アカデミー管弦楽団&アンブロジアン・オペラ合唱団/1985年録音
>数あるこの演目の音源の中でもトップレベルの物のひとつでしょう。バルツァはモーツァルトで世に出てきた人らしく、板に付いた歌唱。1幕のアリアなどかなりマリナーは煽るのですが、バッチシ歌いきっています^^録音で聴ける彼女のモーツァルトでは一番いいような。ポップやライモンディのところでもご紹介したとおり、 共演についても安定していますし、マリナーの指揮もいい。

・デズピーナ(W.A.モーツァルト『女はみんなこうしたもの』)2019.11.2追記
アーノンクール指揮/バルトリ、ニキテアヌ、サッカ、ヴィドマー、ショーソン共演/チューリッヒ歌劇場管弦楽団&合唱団/2000年録音
>女声3役をメゾが演じている異色盤ですが、男女ともに歌もうまければ演技も良く、素晴らしい記録だと思います。とりわけこの公演の軸になっているように思うのが、大ヴェテランとして部隊を引き締めている我らがバルツァです。バルトリもニキテアヌもいい意味でマイペースに振れ幅の激しい姉妹を演じているのですが、彼女たちを掌で転がす貫禄があります(変装は抱腹絶倒もの!)。これは歌とか演技とかを超えて、舞台での彼女そのものから感じられると言ってもいいでしょう。流石に全盛期とは言えないものの声の響きもここではいい意味で齢を累ねた感じで心地よいです。

・ビアンカ(S.メルカダンテ『誓い』)
アルブレヒト指揮/ドミンゴ、M.ザンピエーリ、カーンズ共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1979年録音
>忘れられた作曲家メルカダンテの代表作の代表盤として扱われており、このメンバーでこの作品が聴けるのも嬉しいし演奏そのものも立派なのですが、カットにかなり疑問の残る録音。カバレッタの2回目がないぐらいならまだいいんですが、いくつかの部分は場面ごとカットになってしまっています!カーンズなんか結構頑張ってるのに一番の見せ場の大アリアをまるっとカットされてしまっていて実に残念。と言う訳でこの作品の真の姿を伝えているとは言い難い音源なのですが、そうしたことを飛び越えてバルツァがいい。ベル・カントたけなわの時代の作品なので、技術的にはかなり難しい細かい動きもたくさん出てきますが、バルツァはそのあたりは相変わらず巧い。ドニゼッティともベッリーニとも違うメルカダンテの旋律の良さを情感豊かによく引き出していると思います。一聴の価値ありです。共演ではドミンゴが高音を端折ってる部分はあるにせよ、名歌手の名に恥じぬ懐の深さを感じます。

・ラウラ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)
バルトレッティ指揮/カバリエ、パヴァロッティ、ミルンズ、ギャウロフ、ホジソン共演/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団&ロンドン・オペラ・コーラス/1980年録音
>指揮がへぼいとかカバリエがキャラ違いとかいろいろ言われますが、これだけのメンバーを揃えたら、声の競演と言う面ではやっぱり欠かせない名盤。ここではアルヴィーゼを歌うギャウロフが重厚で年長に、ラウラのバルツァは逆に若々しく聴こえるため、彼女がエンツォへと傾いていく流れに非常に説得力があります。情熱的な歌い口ですから、終幕エンツォと駆け落ちしてしまうという展開にも真実味があり、この役としては理想的な歌唱ではないかと。
実は『誓い』と原作は同じ(V.ユゴー『パドヴァの暴君アンジェロ』)で、彼女の役回りも上の盤と一緒。両者とも結構改変があるので違っている部分も多いですが、聴き比べてみるのも面白いと思います。 

・オクタヴィアン(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)2020.11.17追記
フォン=カラヤン指揮/トモワ=シントウ、モル、ペリー、ホーニク、ツェドニク、リップ、コール共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1982年録音
>改めて聴き直して、これは書かねばと思った次第です。この役は意外と纏まったアリアはないのですが、だからこそかえって重唱のうまさが際立っているのではないでしょうか。冒頭朝のベッドの場面から声の甘やかなこと……トモワ=シントウとの官能に満ちた頽廃的なやりとりは、この作品の醍醐味を余すところなく引き出しているように思います。薔薇の騎士の到着の場面でペリーと歌い上げる一目惚れの陶酔もまた掛け値なく美しいです。ここに絡んでくるモルも、野卑になりすぎない風格をたたえながらなおかつ人間的なコミカルさを感じさせる名調子を披露していますし、ホーニク以下脇に至るまで隙のない布陣は、フォン=カラヤンだからこその集められたものでしょうか。とまれ次に挙げる作曲家ともども彼女のズボン役の魅力が結集された演奏です。

・ヘロディアス(R.シュトラウス『サロメ』)2021.5.23追記
フォン=カラヤン指揮/ベーレンス、ベーム、ヴァン=ダム、オフマン共演/WPO/1977-78年録音
>最近改めて聴き直して良さがわかった録音(昔接したものほどこういうものが多いですね……)。この演目を舞台で観ていないのでなんとも言えないところもありますが、ヘロディアスという役もまた意外にまとまった歌もないし、そもそも出番が少なくて、力のない歌手が歌ったらほとんど空気になってしまうなという感じもするのですけれども、その点ここでのバルツァは却ってその力量を思い知らされます。実にヒステリックで妖艶な悪女。ただひたすら怖いとかエキセントリックだとかにとどまるんではなくて、ちゃんと美しい感じがするんですね。笑いのけたたましさなどゾッとします。これでヘロデがよかったらと思うのですが、ベームは可もなく不可もなく、お陰でむしろバルツァが際立ってしまった感じはあります。ヴァン=ダムは彼らしいしんねりむっつりした感じがこの預言者にはぴったり来ますし(こちらもちゃんと色気がある)、ベーレンスのサロメが素晴らしい!(ブリュンヒルデなどよりこちらの方が似合っています)。

・作曲家(R.シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』)2014.7.17追記
レヴァイン指揮/トモワ=シントウ、バトル、レイクス、プライ、ツェドニク、シェンク、マルンベルク、プロチュカ、リドル、アップショウ、ボニー共演/WPO/1986年録音
>不滅の名盤。恥ずかしながら最近初めて聴きまして、こんな素敵な作品だったとは!と目から鱗を10枚ぐらい落とした音源です。ここでのバルツァは凄い。本当に凄まじいです。声が全盛期でこぼれんばかりの美声である上に、この作曲家と言う情熱的で神経質な人物にピッタリと合っています。幕前劇で何が起こっていても、つい耳が彼女に向いてしまうぐらい魅力的で、これはおススメです。フォン=カラヤンが起用しそうな端々までのゴールデン・キャストでは、特にトモワ=シントウのアリアドネが素晴らしいです。また、プライとツェドニクも巧いうまい。バトルは相変わらずの無国籍歌唱で趣味ではありませんが、技術は優れています。レイクスが薄味なのが弱点。しかし、バルツァのために聴いて損のない1枚です。
(2015.2.5追記)
ベーム指揮/ヤノヴィッツ、グルベローヴァ、キング、ベリー、ツェドニク、クンツ、マクダニエル、エクヴィルツ、ウンガー、ユングヴィルト共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1976年録音
>上記の演奏を凌ぐ最高の名盤!この演奏がライヴでなされたなんて!と感動する素晴らしい内容です。これだけのキャストでみんなベスト・パフォーマンス!バルツァは上記の録音と同様何処までも青臭い理想主義の若者を等身大に演じていて、その溢れんばかりの表現力には脱帽せざるを得ません。スタジオよりも10年若い分その若々しさが更に前面に押し出され、その上ライヴらしい熱気が宿っています。あれだけ素晴らしいと思ったスタジオでの作曲家が霞んでしまうぐらいの見事な歌唱。共演はグルベローヴァについて述べる人が大多数かと思いますが、誰がと言うのではなく全員が傑出した歌唱。これを聴かずしてアリアドネを語る勿れ、という演奏です。
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