Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第六十三夜/匂い立つ香気~

仏国特集続いてはテノール。

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アラン・ヴァンゾ
(Alain Vanzo)
1928~2002
Tenor
France

このシリーズの傾向と言いますか、ご多分に漏れずと言いますかこの人も実力の割に評価されていないと言いますか、知られていない人だと思います。

今でこそ仏人のテノールと言えばロベルト・アラーニャが有名になっていますが、それ以前の代表選手と言えばこの人だったのです。その歌い口やレパートリー等を考えると、ヴァンゾの方がより仏国らしいでしょう。やわらかく気品の漂う口跡と絶妙なファルセット、そして美しい仏語が印象的。仏人以外でこういう歌が歌える人はいないだろうと言う感じがします。

後述もしますが仏ものの中でのレパートリーが非常に広大、というか凡そ仏もののテノール役は全て歌っているんじゃないかという勢いです。演奏機会のあまり無いマイナーな作品にも度々お目見えしているのは嬉しい限り。レアな仏ものを彼ぐらいしっかりこなせる人で聴けるというのはそれだけで録音史の財産ではないかと思います。彼が出ている音源は大体バリトンが前出のマッサールだったり、バスがフォン=カラヤンにも重宝された名手バスタンだったりするんで、そういう意味でも安心して聴けますし^^

<ここがすごい!>
僕自身の印象で行けば、仏人の歌と言うとまずは彼の歌唱が思い浮かびます。歌声、口跡、表現いずれをとってもネアカな伊国の歌や生真面目な独国の歌とは違う、独特のかろみややわらかさを持っています。美声ではありますが、声からしてハリや瑞々しさに富んだものというよりは、ややハスキーでくすんだ色調のもので、天鵞絨のようななめらかな耳触りではないですけれども、心地よい響きです。ことばの扱いも抜群です。あたかも普通に仏語を喋っているうちにそのまま歌になってしまったかのような、自然さです。なんでも仏語と言うのは最も歌唱に向いていない言語だと言われることもあるようですが、仏語でもこんなに自然に歌えるんだよ?とお手本を示して呉れているようですらあります。そしてその表現もやたらに張り上げたりはせず、実に繊細なもの。近年は胸声でのドラマティックで力強い発声が好まれ、どちらかというと頭声は好かれない傾向にあるように思うのですが、彼は恐れずに頭声を使いますし、その使い方がまたこれ以上はないのでは、という巧さ。官能的と言ってもいいかもしれない。
こうした彼の特長は、いずれも仏的な品の良さ、洗練された趣味の良さに繋がると言っていいのではないかと思います。彼の歌唱からはそうした仏流の香気が漂い、匂い立っているのです。そういう意味で、彼はまさに仏国の藝術を体現しているといっても過言ではなく、だからこそ仏人の歌と言うと彼の歌唱がまず想起されるのでしょう。

とまあここまでくればそりゃあそうだろうと言う話ではありますが、彼の持ち味が最も活きるのは、一にも二にも仏もの。グラントペラでは如何にも主人公らしい、颯爽としつつも憂いを帯びた歌を聴かせる一方、オペレッタでは一転鯔背でやんちゃな歌舞伎者の歌を披露します。このようにちょっと聴くと彼の声は、やわらかくて繊細な声は役を選びそうにも聴こえるのですが、実際には様々な役を自分の土俵に持ってきて勝負ができるのです。彼が仏もので膨大な音源を残したことは、そういう意味では当然の結果と言える訳です。個人的には、これまで不当にネグレクトされがちだった様々な仏ものにも焦点が当たるようになってきた今こそ、彼の遺した音源に焦点が当たるべきだと思っています。もちろん新譜もいいですよ?でも、素晴らしい遺産にも光は当てられるべきです。

<ここは微妙かも(^^;>
仏ものでは無敵の彼ですが、脂ぎった歌声が欲しいものではやはり喰い足りないと言いますか、大人し過ぎる印象になってしまいます。具体的に言えばヴェルディ中期以降の伊ものは薄味。というか、折角刺身で食べれば最高に美味しくいただける鮮魚をわざわざカレー粉に漬け込んで揚げてみました、みたいな感じ。いいにはいいんだけど、彼の持ち味が活きるのはそれじゃないだろう、というところ。ドニゼッティとかベッリーニならイケると思うのですが。そういえば伊ものよりは合いそうな独ものは歌ってなさそうですね、独語苦手だったのかな?

<オススメ録音♪>
・ヴィルヘルム・マイスター(C.L.A.トマ『ミニョン』)
デ=アルメイダ指揮/ホーン、ザッカリア、ウェルティング、フォン=シュターデ共演/フィルハーモニア管弦楽団&アンブロジアン・オペラ合唱団/1977年録音
>デ=アルメイダの指揮が仏もののやわらかな雰囲気を出すのには貢献しているもののややもたっとしていて作品自体の間延びを救えていないのが多少とも残念だが、忘れられた名作を今に伝える貴重な全曲盤。比較的インターナショナルなメンバーだが、この中で独り飛び抜けて仏音楽の空気を醸し出しているのが、我らがヴァンゾ。ここでの彼の洗練された歌を聴いてしまうと、生半可なヴィルヘルムでは納得いかなくなってしまう。詩人らしく智の勝った、しかし一方で若さゆえに頼りなくワガママな人物像を良く作り上げていると思う。やわらかで優しい声で物腰柔らかにミニョンに接するんだけど、実のところ結構無責任なこのキャラは、本当に女の敵と言うか悪い奴だと思うんだけど(笑)、ヴァンゾはそういったこの人物の影の部分も含んだ上で、尚且つスタイリッシュで魅力的な歌。普段のイメージからは離れるものの見事なホーンを始め、ザッカリア、ウェルティング、フォン=シュターデと脇までしっかり揃った演奏で、恐らくカットも少なく、この作品の全体像を知るにはいい音源だと思います。

・ミリオ(V.A.E.ラロ『イスの王』)
デルヴォー指揮/ロード、ギオー、マッサール、バスタン、トー共演/リリック放送管弦楽団&合唱団/1973年録音
>録音の少ない作品だけにこれもよく残して呉れましたというところ。この役はやわらかな響きのオバドが有名ではありますが、勢いのある戦いの歌など他の面も見せる必要があります。ここでのヴァンゾーはその辺の使い分けが流石お見事です。もちろんオバドのリラックスした爽やかなファルセットも耳に心地いいです。主役のロードは録音の少ないひとですが大変立派な歌唱、その他ギオー、マッサール、バスタン、トーと脇役まで仏ものの一流メンバーで揃っています。付録でヴァンゾの歌うオペラ・アリアが入っていて、こちらも流石のもの。

・フリッツ(J.オッフェンバック『ジェロルスタン女大公殿下』)
プラッソン指揮/クレスパン、マッサール、ビュルル、メローニ、ルー、メスプレ共演/トゥールーズ・キャピトール管弦楽団&合唱団/1976年録音
>不滅の名盤。最近何故だか演奏されないもののこれはオッフェンバックの作品の中でも上位に来る名作オペレッタ!ここでは美声年の主人公を彼が歌っている訳ですが、鯔背な歌い口は如何にも仏国のオペレッタと言う感じで、芝居小屋の空気を感じさせる小粋なオーラを纏っています。すらりとしたカッコのいい軍人の姿が目に浮かぶような歌ですが、それでいて歌そのものの崩しは少なく、彼らしいスタイリッシュな歌唱を披露しています。得も言えぬ色気のある女大公を演ずるクレスパンや、絶妙な匙加減で仏もののコミカルを体現するマッサールをはじめ共演も揃い、プラッソンの快活な音楽も決まった素晴らしい演奏です。

・ジャン(J.E.F.マスネー『ノートル・ダムの曲芸師』)
デルヴォー指揮/マッサール、バスタン共演/リリック放送管弦楽団&合唱団/1973年録音
>これもまたマスネーの秘曲ともいうべき作品ですが、仏ものの名手が揃って充実した音楽を楽しむことができます。主人公であるジャンは全編ほぼ出っぱなしで、独りで歌う部分もかなり長く相当に厄介な役だと思いますが、ここでも彼は安定した歌いぶりで、演奏全体を引っ張っています。役作りも冴えていて、ジャンが徐々に聖性を帯びてくる最後の場面での没入ぶりには、暫し息をのみます。ジャンを実質的にサポートするマッサールもいいですし、下手にやると強権的で厭味なだけになってしまう修道院長を持ち前の人間臭さでカバーするバスタンもいつもながらお見事、デルヴォーの指揮も堂に入ったもので、この作品を楽しむのに不足はない音盤です。

・オドゥアルド(G.ビゼー『ドン・プロコーピオ』)
アマドゥッチ指揮/バスタン、マッサール、ギトン、ブラン、メスプレ共演/リリック放送管弦楽団&合唱団/1975年録音
>これもまたビゼーの秘曲中の秘曲。『カルメン』や『真珠採り』とは全く違う明るい喜劇を仏人の巨匠たちが愉快に演奏した最高に楽しい音盤。つっころばし的な役どころのオドゥアルドですが、彼には後に『美しきパースの娘』に転用される抒情的な名セレナーデ(日本では「小さな木の実」として有名)が与えられています。彼が歌うこのセレナーデが本当に絶品!繊細な高音の遣い方など思わずうっとりしてしまいます。彼に対してドタバタ担当の低音陣、ブラン、マッサール、バスタンがまた軽快でお洒落。ここでしか聴いたことのないギトンもいいし、友情出演でのメスプレにはもっと歌って欲しいぐらい。

・ロベール(G.マイヤベーア『悪魔のロベール』)
フルトン指揮/レイミー、アンダーソン、ラグランジュ、ドナーティ共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/1985年録音
>こちらも忘れられた超人気作の超優秀なライヴ。ロベールは題名役の主人公で登場場面は多い役ではありながら、一方でアリアがなかったり意外と不遇な役のようにも思うのですが、ここでのヴァンゾは貫禄ものできっちり印象に残る歌唱です。最盛期を過ぎて若干の衰えはありますが、相変わらずのスタイルのいい歌唱で胸のすく思いがします。この頃はまだ若手だったレイミーやアンダーソンなどに花を持たせつつ、演奏そのものの大黒柱として仏ものの空気を作っている姿は流石のもの。共演陣ではやはり強烈な悪魔の魅力を聴かせるレイミーが秀でています。

・ヴァンサン(C.F.グノー『ミレイユ』)2014.4.14追記
プラッソン指揮/フレーニ、ファン=ダム、バキエ、ロード共演/トゥールーズ・カピトール管弦楽団&合唱団/1979年録音
>グノーの作品の中では『ファウスト』、『ロメオとジュリエット』に続く人気作で、特に各役のアリアは素晴らしい曲ぞろいです。録音そのものはかなり少ないですが、このプラッソン盤とマッサールのところで出てきたエチェヴリー盤はどちらも洗練された仏国の香りのする名盤ですので、これらを聴けば大体満足は行くのかなと。ここでもヴァンゾは如何にも仏ものの優男らしいやわらかで清々しい歌いぶり。肩の力が抜けたスタイリッシュな歌唱は完璧と言っても過言ではないでしょう。結構自由に表現している部分もあるように思うのですが、それらも無理のない、必然を感じるものに思われます。特に終幕のアリアは名唱!ドラマティックで性格的なファン=ダム、田舎の頑固な親父になりきっているバキエ、土俗的な怪しさとキャラクターの優しさを兼ね備えたロードといった脇はばっちり。部分的には文句もあれど、全体には仏もののプラッソンは流石のもの。フレーニのミレイユはこのオール・フレンチ・メンバーの中ではこってりとした声や濃い目の味付けの伊的な表現は浮気味にも思うのですが、純粋に歌のみを評価するのならこういう方向性の表現もありかと。
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『銀河鉄道の夜』

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『銀河鉄道の夜』

『注文の多い料理店』に続き、博ふぇす出展予定の賢治もの。
云わずと知れた賢治の代表作が今回のテーマ。

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なにをしているのかというと、『銀河鉄道の夜』の原稿の写しを破いてつなぎ合わせて別の紙に貼りつけて折っています。
なるべく印象的な言葉が見えるようにするため、あらかじめ大凡の形を折ったところで見えなくなる部分に印をつけ、見えるところに貼っていったのですが、紙のサイズに対する字のサイズの制約もあり、最終的にうまくいったかは微妙なところ^^;
とはいえ、写真のとおり先頭部分に題名が来るようには何とかしましたが。

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ここからのショットでも中央あたりに「天気輪」の文字が微妙に見えますw
折ったものは旧作の蒸気機関車で、そこから特に捻りは加えていません。本当はこんなD51みたいなごつい奴じゃないんですが、一般的なイメージから行けばこちらの方が近いのかなと。

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意外と上から見るとSLっぽいww
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禽竜今昔

禽竜今昔
A story of Iguanodon

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これも博ふぇすの展示に向けて制作。旧作の「雷竜今昔」に続き、古生物の復元の変遷を見るものです。
「禽竜」というのは、最初に発見された恐竜として知られるイグアノドンのこと。「イグアナの歯」と言う意味の恐竜が何故に「禽(とり)の竜」なのかというのは良くわからないところですが、「鳥脚類」ということばと関係があるのかも。少なくとも昔の図鑑でよく見た「とり竜」というのはこの言い回し由来でしょう。「かみなり竜」、「けもの竜」、「つの竜」などに対応するものと思われますが、昨今の鳥類は恐竜の仲間という考え方が一般的になってきて、紛らわしいので遣われなくなってきたのではないかと思われます。

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1822年にギデオン・アルジャーノン・マンテル(Gideon Algernon Mantell、1790 - 1852)によって発見された(妻が発見したとの説もありますが)イグアノドンは、その歯の形がイグアナに似ていると言うことで名前がつきました。このときは恐らく歯のイメージが先行したのでしょう、現生のイグアナと似た姿に復元され、この姿が暫く採用され続けました。また、何処につくのかわからなかった尖った化石は、鼻の上にあった角だろうと考えられました。

のちに恐竜が一般に知られるようになってから、ロンドンのクリスタル・パレス(水晶宮)で実物大で古生物の模型を展示するというイベントがありました。展示の直前には、そのイグアノドンの背中の部分を開けてレストランをやっていたのだそうで、そこで会食をしている有名な絵も残されています。クリスタル・パレス自体は失われていますが、模型は現在でも見ることができます。

本作では最初期の復元の如何にも重厚でいかつい雰囲気を出したかったのですが、当初作ったものはフォルムは兎も角変にシュッとしてしまい気に喰わず、ステゴサウルスなどを作った時と同じベースから再度作ったのがこちら。背中で会食をしたエピソードから、背中が開くようにしてあります。

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その後、白国のベルニサールの炭鉱で30体を越える全身骨格が発見され、復元図は大きく変更されます。このとき、謎の尖った骨は前足の親指の骨の先だと言うことが分かり、イグアノドンと言えば尖った親指(実際にはその上に更に爪がつきます)がトレードマークとなりました。

このころなされていた復元は、最初期の復元に較べればだいぶすらりとしましたが、まだまだごつい印象のもので、ゴジラのモデルのひとつになったとか。
本作ではシュッとはしつつもゴジラ的なイメージは出したくて、お腹まわりを張り出した格好にしています。

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そしてこちらが、現在のイメージのイグアノドン。
二足で立ってる復元もありますが、植物を食べる生き物としての内臓の量とかを考えると、やっぱり四足の方が信憑性があるような気がします。それまでの復元のごつさはだいぶ影を潜め、より動物としては自然な造形になっているという見方もあるでしょう。怪獣然とした過去の復元と、現在のすらりとした復元のどちらが好きかというのは、意見の分かれるところだと思います。
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アルツィーラ

アルツィーラ
Alzira
1845年初演
原作:ヴォルテール(フランソワ=マリー・アルエ)
台本:サルヴァトーレ・カンマラーノ

<主要人物>
アルヴァーロ(B)…西国人のペルー総督と言う訳で偉い侵略者なんだけど、開幕いきなり原住民に囚われている何か可哀そうな人。ヴェルディに出てくるお父ちゃんでバスとか言うと見せ場が多そうで俄然テンションが上がるが、ここではほぼ脇役。後年のヴェルディだったらこの役をもう少し拡張して(息子グスマーノと恩人ザモーロと対立していることを嘆くアリアとか、どちらかを説得する重唱とか)、オペラ全体をもう少し立体的にしてそう。
グスマーノ(Br)…アルヴァーロの息子。作中で高齢の父から総督の座を引き継ぐ。オペラには良くあることだが、身分のある人物の癖に捕虜の原住民(=アルツィーラ)に惚れ込む。これだけだと単なる悪役なんだが、終幕でザモーロに刺された後はいきなり名君モードになってアルツィーラとザモーロに恩赦を出し、高潔な人物として讃えられて死んでいく。この作品での彼の最期はやたら唐突だが、後の『仮面舞踏会』のリッカルドの最期が透けて見えないこともない。
ザモーロ(T)…原住民の酋長のひとりで、死んだと思われていたが実は生きていた。冒頭敵のアルヴァーロを解放したりとか懐がでかい感じを漂わせるものの、そのあとはアルツィーラ逢いたさに敵陣に忍び込んでいちゃいちゃしたり、西国との戦いに奮起してみるもののあっさり敗れてたり、アルツィーラがグスマーノと結婚すると聞いてブチ切れて単騎グスマーノ刺しに向かったり…まあよくいるスットコドッコイなテノール役。けど案外いいアリアが与えられているし、この役の出来栄えが作品の印象を左右しそう。
アタリーバ(B)…原住民の酋長のひとりでグスマーノに捕えられている。。ヴェルディに出てくるお父ちゃんでバスとか言うと以下略。アルヴァーロ以上に見せ場がなくて何か可哀そう。ポジション的には『アイーダ』のアモナズロへと繋がって行くのかな、と言う気もするが…まあ脇役だしね^^;
アルツィーラ(S)…アタリーバの娘。ザモーロと愛し合っているが、父親ともどもグスマーノの捕虜になり、その上グスマーノに言い寄られている悲劇のヒロイン。しかし題名役なんだが割と存在感が稀薄で、ザモーロやグスマーノの方が印象に残る気がするのは聴いた録音の問題か^^;でも結構技巧的には難しそうで、アンサンブルなんかでは華々しく活躍している(まあ主役だからそうかw)。
オヴァンド(T)…西国の侯爵。西国人だったら「オバンド」の方が発音的には合ってるのかな。ま、いっか。
ツーマ(Ms)…アルツィーラの召使。捕虜になってるのにちゃんと召使が結構いるなんてアルツィーラはいい身分だ。アイーダなんかアムネリスの召使やってるのに…。あ、意外とこの役はアンサンブルで聴こえます。
オトゥンボ(T)…原住民の兵士。如何にも原住民っぽい、そして脇役っぽい名前がチャーミングである。そして、意外と歌う。

<音楽>
・序曲
○プロローグ「囚われ人」
・導入の合唱
・ザモーロのカヴァティーナ

○第1幕「命には命を」
・導入の合唱
・グスマーノのカヴァティーナ
・アルツィーラのカヴァティーナ
・アルツィーラとザモーロの2重唱
・フィナーレ

○第2幕「原住民の復讐」
・導入の合唱
・アルツィーラとグスマーノの2重唱
・ザモーロのアリア
・グスマーノのアリア・フィナーレ

<ひとこと>
ヴェルディ御大が後年自分の作品を振返って、「これはひどい」と言ったことで有名な作品(笑)興行的にも『1日だけの王様』以来の大コケだったと言うこともあり、ヴェルディの数ある歌劇の中でも最も光の当たらない作品だと言ってもいいかもしれません。名前も『アッティラ』に似ていてよくCD屋でも間違えて置かれてるし…かくいう僕自身が聴いたのも全作品中最後の方、というかその後に聴いた『ジェルザレム』や『アロルド』は改作ですから、そう考えると最後と言ってもいいでしょうね^^;
よく台本が古臭くってダメだったとよく言われますが、あらすじを読んでみると意外とマトモ。むしろヴェルディ先生の作品の中ではまだ筋が通ってる方なんじゃないかと言う気もします。もちろん最後はデウス・エクス・マーキナー的ではあるのだけれど、彼の人気作の超展開っぷりに較べたらだいぶマトモなんじゃないかと。ただ、後述しますが各人物の魅力はやはり足りないと思います。
音楽の方も、とても傑作と言えるようなパンチに富んだものではないものの、歌う人がちゃんとしてればまあ楽しめるレベルではあると思います。集中力は続かないものの、光るところも散見されるのは確か。あと、聴いた音源の歌唱陣のせいかもしれませんが、ベル・カントものですねこれは。そう考えるとヴェルディと言えども直前の偉大な時代の影響から抜け出るのは大変だったんだなぁと。というか、彼もまたベル・カントの時代を生きた作曲家なんですよね。だからベル・カント的な匂いが中期ぐらいまでは漂っている部分がある。どうもこれは無視されがちだと思います。
本作は90分程度とヴェルディのオペラの中でもおそらく最もコンパクトなもののひとつ(カバレッタ繰り返してもこんな程度ですよ!)。作品が長すぎると言うのももちろん考えものなのですが、この作品の場合は本来必要な部分まで殺ぎ落とされちゃっているような感じでちょっと物足りないし、そのせいで特に最後の展開が強引になってしまってるきらいはあるように思います。各人物が魅力薄なのもそこに起因しているようにかんじます。
という訳で欠点は少なくはないし、特段印象に残る訳ではないけど、現在光があたっているヴェルディ初期の他の作品と較べて格段に出来が悪いとは思わないなあという感じ。

全体的に大雑把な人物造形のキャラばかりですが、やはりこの物語を或る意味で推し進める原動力と言っていいグスマーノに説得力を持たせられるかどうかが、まずは大きいような気がします。前半の悪役ぶりと刺されてからいきなり名君になるギャップは如何ともしがたい^^;上にも書いたように、展開的にはのちのリッカルドを思わせる終わり方ではあるのですが、何分そこまでがそこまでだし、しかも直前にあるザモーロのアリアは勢いのある音楽で彼に感情移入してしまうので、最後こいつはいいやつなのか悪いやつなのか良くわからなくなってしまいます。出番が多い割にはその辺の描き方が適当なのが残念。彼につけられた音楽は超名曲とは言わないまでもそれなりに綺麗な旋律なので、バリトンに力量があれば聴きごたえはあるかもと。ベル・カントの作品だとは言いましたが、バリトンにはやはりパワーが求められるという部分はヴェルディらしい特徴が出ていると言えるでしょう。

残る2人の主役については更に人物造形が粗くなるように思います。
上にも書きましたが、ザモーロは登場した最初の場面こそ酋長らしい判断をして見せますが、それ以降は上述のとおり自らの愛以外は何も見えないすっとこどっこいテノールの王道を行ってしまいます。逆に言えばその登場の場面は彼の別の面、酋長としての彼を示せる唯一の場面ですから、そこで堂々と説得力あるパフォーマンスができれば、そんな彼が夢中になる女性としてアルツィーラを持ち上げることもできるでしょうし、或いはいっそ二重人格的な人物にすることもできるかもしれない。また、彼に与えられている音楽は結構立派で、ふたつあるアリアはどちらも大規模且つ華やかなものですから、ここを聴かせられるかどうかは、作品全体の印象にも繋がるように思います。しっかり歌えばそれなりの聴き栄えはあるかな、と。
題名役のアルツィーラは、恐らくはヒロインの心情の変化の描き込みの足りなさやキャラクターとしての主張の弱さに加え、グスマーノやザモーロのようなちょっと呆気にとられる極端な方向転換もないので、実は主役の中で一番印象が薄いように思います。アンサンブルでは結構聴かせる動きもあるのですが、アリアはいまひとつですし。グスマーノの要求を嫌々飲む場面を、むしろ迷い落胆しながらも不承不承それを認めるアルツィーラのアリア(『ルイザ・ミラー』でルイザがヴルムに手紙を書かされる場面のような)にすれば良かったのかなぁなどと岡目八目。

最後にヴェルディの作品の人物とは思えないぐらい存在感のない父親2人。このあたりにヴェルディがまだ題材を選べない余裕のなさを見るか、それともヴェルディのやる気のなさを見るかは鑑賞者次第でしょうか。とは言え、アタリバはかなり存在感が薄いもののアルヴァーロはアンサンブルの中で何箇所か光る場面があります。グスマーノを止める場面などは暗い迫力があり、もうちょっとこの役を拡大しても良かったんじゃない?という気も。まあその前に主役3役の洗練が来るのでしょうが^^;

<参考音源>
○ランベルト・ガルデッリ指揮/アルツィーラ…イレアナ・コトルバシュ/ザモーロ…フランシスコ・アライサ/グスマーノ…レナート・ブルゾン/アルヴァーロ…ヤン=ヘンドリク・ローテリング/アタリバ…ダニエル・ボニッラ/ミュンヘン放送交響楽団 & バイエルン放送合唱団
>このあまり有名でない作品の、割と古くから知られている演奏。所謂ヴェルディらしいメンバーではないとは思うのですが、水準は高くこの作品を楽しむのに不足は感じませんでした。ガルデッリは流石に初期ヴェルディを制覇していることもあり、快活で熱気がに満ちた、前に進む音楽を展開しています。後年の彼は変にテンポがまったりしちゃうこともあるんですがここではそんなこともありません。この作品のベル・カント的な面が際立っているのは、アライサの存在でしょう。まだ重くなる前の爽やかな美声を響かせ、マイナーな音楽の魅力を引き出しています。役として深みがある訳でもないですし、聴いていて心地よい演奏をして呉れるというところで◎でしょう。同じくコトルバシュも軽量級ですからベル・カント風の空気をいや増します。影のある可憐な声で、非常に「らしい」。主役の中でヴェルディ的な風を吹き入れているのはやはりブルゾン。いつもながら立派な声と端整な歌唱で、淡々と歌っているようでありながら、説得力のある充実した歌で、この演奏の大黒柱となっています。チョイ役には勿体ないローテリングも印象に残ります。

○マウリツィオ・リナルディ指揮/アルツィーラ…アンヘレス・グリン/ザモーロ…ジャン=フランコ・チェッケレ/グスマーノ…マリオ・セレーニ/アルヴァーロ…フェルッチョ・マッツォーリ/アタリバ…マリオ・リナウド/トリノRAI交響楽団 & 合唱団
(2015.9.9追記)
>参考音源にあまりヴェルディらしくない演奏を上げていた訳ですが、このほどよりそれっぽい演奏を手に入れたので比較のために。『エルナーニ』の時にカレッラのスマートすっきりベル・カント演奏と、サンツォーニョ盤やミトロプロス盤のアツアツ脂身ヴェルディ演奏とをご紹介しましたが、ここでも同じような対比を感じます。上記で紹介したスッキリした演奏に対して、このリナルディ盤はかなりの熱血演奏で、ベクトルは違うもののどちらも優れたものだと思います。また、主役3人はいずれも実力者ながら音源の少ない人たちなので、その面でも嬉しい^^個人的にこちらの方が好きだったのはグリンのアルツィーラ。かなり荒っぽい歌だとも思うし、瑕もあるのですが、声のスケール感に対して転がしのフットワークの軽さがあってスリリングな歌唱です。このぐらい主張があるとアルツィーラに自然と耳が行きます。ザモーロのチェッケレは歌唱そのものは丁寧なものだと思いますが、アライサと大きく異なりかなりロブストな声なので、それだけで雰囲気がぐっと変わります。特に2幕のアリアなどは切迫感があって集中度の高いアツい歌。セレーニがまた素晴らしいです。幾分硬さのある渋い美声ながら見事なカンタービレを聴かせていて天晴。この世代のバリトンらしいパワーと勢いがあり、豪快な歌いっぷりが心地いい一方で、終幕の名君モードになるところでは繊細な表現をしていてぐっときます。出番こそ少ないですがマッツォーリの深々としたバスも◎そう多くはないこの演目の音源としては、上記のものと並び優秀ではないかと^^
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『注文の多い料理店』

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『注文の多い料理店』

今年8/9&10で開催される博ふぇすに向け作成。

博ふぇすでは普段どおり動物をはじめとする生き物の小品とは別にいくつか作品を持っていくつもりでいて、そのうちのひとつが連作で構想している『宮澤賢治の世界(仮題)』です。本作はその第1作として作成。
このシリーズでは事細かに賢治の描いた世界を作ることは目指さず、象徴的な一点物でそれを表現できたらと考えています。というのも、賢治の世界を具体的に作るとなるとどっかしらで襤褸が出てくるし、何よりもあの幻想的で色彩感にとんだ世界を内容通りに再現すると、それぞれの人が作品を読んで持っているイメージの“マチ”の部分を侵略しそうな気がするということにもあります。目で見ることによってそのイメージがついてしまうと言いますか。逆にそれが自分のイメージと違うというお叱りも受けそうですし^^;

以前ご紹介したネコはこの作品に向けての習作でした。
『注文の多い料理店』の“店主”に、あの世界は基本的に支配されていて、「風がどうと吹いて」あの世界に一歩入った瞬間から2人の紳士は見張られているのだ、ということで目を作りました。そういう意図なので、ここにひいて来ている一文は世界のはざまにある文を持ってきています。当初は青い紙に黄色いインクでと思っていたのですがうまくいかず、試行錯誤の末、白い紙に青い色と黄色で印刷した文字を貼っています。フォントや字の並びから不安感が出ればと思っているのですが。

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裏地に金紙を貼ることで形はしっかりと固定されています。これにより紙そのものが丈夫になったので、ネコで口に使っていた部分をそのままひっくり返して台座にしました。あの口があると愛嬌が出てしまうので^^;
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第六十二夜/奇跡の方針転換~

「フランス特集しよう!」とか前回意気込んだけど、結構聴いときたい音源を持ってないことに気付いたぞ(汗)いやあご紹介したい人はたくさんいるんですよ…ただ結構音源が手に入らんのよね^^;
加えていつも鬼籍に入ったような人ばっかりって言うのも難だなぁというのも常々…ということで、ちょっと当初考えてた人と違う人を先にご紹介しましょう笑。

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ナタリー・ドゥセ
(ナタリー・デッセー、ナタリー・デセイ)

(Natalie Dessay)
1965~
Soprano
France

方針転換してこの人、と言ったら世界中のオペラファンの総スカンを喰らいそうですが、そもそもこの人も人生の大きな方針転換をしなかったら、オペラ界・クラシック界は随分寂しくなっていただろうと思うので、方針転換は大事なのです!(なんじゃそりゃ笑)
有名な話ですから長々とは書きませんが、この人はもともと女優でした。少女時代に女優ナタリー・ウッドへの憧れから、本名のNathalieから読まないhを落として今の綴りでやっていると言う話もあります。彼女の演技を観ればそれも肯けるというもので、美しい容姿も相俟って「オペラ歌手=巨体で演技ベタ」という印象を覆して呉れます。近年の歌手は演技が巧い人が多いですが、その中でも一頭地抜いた感を見せます。

もともと何処まで音楽教育を受けていたのかは僕はわかりませんが、女優から方針転換して歌手になったと言うのが信じられないぐらい技巧的な部分が達者です。独ものや伊ものでも存在感のある歌唱を聴かせて呉れますが、声質や転がし方などを聴いていると、やはり本領は仏ものではないかと思います。と言う訳で、勢いここでのご紹介も仏ものの話が中心になるかと^^

ちなみに、綴りをそのまま読んで「デッセー」とか「デセイ」とかって言う呼び方で日本では定着していますが、「ドゥセ」という読みが近いのだとか。ということでここではひとまず「ドゥセ」で通そうかと。
ちなみについでに、夫君はバリトンのロラン・ナウリ。

<ここがすごい!>
上述のとおりそもそもが女優スタートですから演技はピカイチですし、美人ですから何をやっても様になります(最近流石に年齢が目立つようになってきましたが^^;)笑ったり泣いたり怒ったり狂乱したり(笑)、実に表情豊かで、観ている側もどんどん感情移入してしまいます。悲劇をやれば本当にかわいそうなヒロインぶりを発揮しますが、個人的には演技者としての彼女の良さは喜劇でより現れる印象です。綺麗な人なんですけどコミカルな動きが非常に嵌るんですね。お茶目で悪戯好きそうだけれどもどこか憎めない…そんな役作りが映えるように思います。

このそもそも演劇畑だと言うことが、歌にも良く反映されているように感じます。
この人の歌を取り上げるなら、まず言うべきはその卓越した技巧で、細かい動きを正確にこなす様はあたかも機械仕掛けのようで、まさにオランピア(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)を思わせます。しかし彼女は、淡々とメカニックに細かい音符を追って行くだけではありません。人物の性格や感情を汲み取った上で、それを難易度の高いフレーズに乗せて絶妙に表現していきます。このあたりことばに対するセンスが優れていることの証左と言えるでしょう。また、以前バルトリが同じようにことばの意味をきちんと解釈した上で高度な技巧を披露できる人だとご紹介しましたが、彼女とはベクトルの方向が違っていて、バルトリが音楽に拠った、或る意味で歌曲的と言いますかもっと言えば朗読的なアプローチを取っている印象なのに対して、ドゥセのそれはやはりより演劇的に感じられます。これはバルトリが演技をしていないと言う意味ではなく(G.ロッシーニ『チェネレントラ』などを観ればそれは明白)、ドゥセが言ってしまえば現代劇的なのです。それは映像で観るとより分かりやすいですが、歌のみからでも感じ得る部分だと思います。ドゥセはときにはドキッとするぐらい汚い声を出したりなんてことも2人とも同様に技巧派であり且つ知的な歌唱を売りとする現代の歌姫ですが、はっきりと個性の違いを感じます。

声質は彼女以前の仏コロラトゥーラ・ソプラノであるマディ・メスプレやマド・ロバン(この2人も扱いたいんだけどメスプレは膨大なオペレッタが聴けてないし、ロバンはそもそもの音源が少ないしでちょっと考え中)の系譜を引くといっていい、すっきりとした味わいのものです。脂身の少ない爽やかな響きなので独ものにも合うと思いますが、よりまろみと色気のある声ですから、やはり仏ものの方がお似合いかなぁという気はします。歌い口も仏人らしいエスプリを感じるものですし、優美で柔らかな旋律で一番実力を発揮していると思います。

<ここは微妙かも(^^;>
技術は達者だし高い方も余裕綽々だし美声ではあるのですが、先述のとおりすっきりした低カロリーな声なので、歌える役はある程度限られるかなと思います。即ち、独ものなら違和感ないのですが、伊ものでは声の響き的にちょっと喰い足りないように感じるのです。椿姫なんかもやってはいるし、巧いのは巧いように思うのですが…ドゥセならもっといい歌聴ける役があるからそっちにしたいなと。あと、僕自身は声楽をやっていないので詳しくわからないのですが、同じコロラトゥーラと言っても仏ものと伊ものでは違う理窟で旋律ができているような気がしていて、どちらでも文句ない歌唱をしている人は居ないんじゃないかなあ。ご多分に漏れずドゥセも仏ものであれだけ輝かしい転がしを聴かせますが、伊ものは思ったほどではないことが多いように思います。
や、十分水準以上なんですがね。

あと、ちょっと無理のある歌い方だったのかまだ40代後半ですが、声の荒れが最近散見されるように感じているのは私だけでしょうか。

<オススメ録音♪>
・オランピア(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)
ナガノ指揮/アラーニャ、ファン=ダム、デュボス、ヴァドヴァ、ジョ、ラゴン、バキエ共演/リヨン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1994-96年録音
>不滅の名盤。新発見の楽譜を加えた演奏の中では最もスタンダードなもののひとつではないかと思います。ここではヒロインが分業されているため出番こそ多くはありませんが、彼女の最大の当たり役のひとつと言っていいオランピアを、全盛期の歌声で楽しむことができます。高い音にも全く揺らぎがありませんし、仏ものでのコロラトゥーラの安定感は卓越しています。まさに自由自在と言ったところ。このキャラクターに必要な何処かメカニックな雰囲気もありながら、あたたかみとコケットリーもあるオランピアで、個人的にはこの役のベストだと思います。ここでは音源をご紹介しましたが、いくつか出ている映像を観ていただくと、彼女のコミカルな役へのセンスも感じることができます。アラーニャやファン=ダムは仏ものですから文句なく素晴らしいですし、残るヒロインを演じるヴァドヴァとジョも理想的な歌唱。特にジョのジュリエッタは新発見のアリアで火花のようなコロラトゥーラを聴かせるとともに、怪しげな色気も表現していて必聴です。要役のデュボスも存在感がありますし、ラゴンやバキエなど脇役も締まっています。ナガノの指揮も見事なもの。

・ユリディス(J.オッフェンバック『地獄のオルフェ』)
ミンコフスキ指揮/ブロン、ナウリ、フシェクール、プティボン、ジャンス、ポドレス共演/グルノーブル室内管弦楽団、リヨン歌劇場管弦楽団&合唱団/1997年録音
>オッフェンバックが続きますがこちらもまた不滅の名盤。猥雑な仏オペレッタを現代的な世界の中で再現してしまった強烈な録音。未見ですがライヴの映像もあり、そちらは更に強烈なようですが、ドゥセの役者ぶりは音声だけでも十二分に伝わってきます。地の科白のところで思いっきり汚い声を出したと思ったら、そのあと瑞々しく伸びやかなコロラトゥーラで超高音に駆けあがったりまあよくやるもんです(笑)こういうことしてたから最近声が荒れてきたんだよとも思わなくはないですが、まあそんなことは忘れて彼女のコメディエンヌっぷりを思いっきり楽しめばいいでしょう。作中の旦那役のブロンも軽々しくて笑えますし、現実の旦那のナウリは渋い感じですがチョイ悪な雰囲気がいい。蠅の2重唱とか悪乗りっぷりが楽しいです。脇もプティボンやらジャンスやら良く揃えたなぁという感じですが、特にポドレスのドスの利いた世論は最高ですwwミンコフスキの要を得たいい意味で軽薄な指揮も魅力的で、このひとがこの音源の屋台骨でしょう。

・ラクメ(C.P.L.ドリーブ『ラクメ』)
プラッソン指揮/クンデ、ファン=ダム、ビュルル、プティボン、エイデン共演/トゥールーズ・キャピタル管弦楽団&合唱団/1997年録音
>これも不滅の名盤。ロンバール盤と並ぶこの作品の双璧と言うべき録音です。鐘の歌や花の重唱のみが取り上げられがちなこの作品ですが、主役次第でよりポテンシャルを示せると言うことがよくわかります。技巧はここでも変幻自在ですが、それ以上に煌びやかな輝きを放ち生命力に溢れた歌声が圧倒的です。鐘の歌では、物語の筋書きとはまた別に、歌うのが楽しくて仕方がないと言うような喜び、ある種の法悦に溢れた歌で、これだけでも聴く価値があります。ファン=ダムの滋味あふれる歌唱も魅力的。彼はやはり仏ものでこそ本領を発揮し、舞台全体を引きしめて呉れるように思います。クンデは好きなテノールですがこの役にはちょっと軽過ぎ。それよりもロンバール盤でジェラールを歌っていたビュルルがアジをやっていることに驚きます。プラッソンの仏ものは心得たもので安心して聴けます。

・オフェリー(C.L.A.トマ『アムレ』)
プラッソン指揮/ハンプソン、ファン=ダム、ド=ユン、ラオー共演/トゥールーズ・キャピタル管弦楽団&合唱団/2000年録音
>最近METでキーンリサイドを主役に据え、ドゥセをオフェリーにした公演が行われ話題となりましたが、それよりもちょっと昔の公演。ここでのドゥセは喜劇で登場する時のキャピキャピ感は全くなく、清楚で淑やかなレディです。それだけにだんだんおかしくなってくるアムレを心配する彼女には観ている方ものめり込めます。狂乱の場面の美しいこと!演出も相俟ってキーンリサイドのアムレが強烈なイメージとなってしまって最近話題になりませんが、当時は評価の高かったハンプソン。僕も彼はヴェルディやヴァーグナーなんか歌うよりよっぽどこっちの方が声の重さの面でも、知的でクールなキャラづくり的にも合ってると思っていて、好きです。ここでも脇を固めるファン=ダム、憎々しい王様ぶりでお見事。ラオーの兄貴もいい。プラッソンもいいですが、ちょっともてあまし気味な部分もあったような。

・ディノラ(G.マイヤベーア『ディノーラ、またはプレールメルの巡礼』)
フルリニエ指揮/モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団/1996年録音
>これは彼女の『鐘の歌 フランス・オペラ・アリア集』に入っているもので、全曲こそないものの魅力満載です。狂乱の場ですが、少女らしい軽やかさで明るい雰囲気で歌っています。仏もののコロラトゥーラの良さをこれだけ出せる人はなかなかいないと思いますし、できたらそれこそナウリをオエルに据えて全曲残して欲しかったなぁ。

・リュスィ(G.ドニゼッティ『ランマーモールのリュスィ』)
ピド指揮/アラーニャ、テジエ、カヴァリエ、ラオー、セラン共演/リヨン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/2002年録音
>超名盤。ドゥセなら伊語盤の『ルチア』でも充分歌えると思いますが、絶対この仏語盤の方がぴったり来ていると思います。この作品の場合単なる仏語訳版と言う領域を越えて、違う作品と言うべき要素もたくさんありますし、実際ドゥセの装飾の入れ方を聴けばそれは一耳瞭然です。ドゥセの仏語の表現の見事さは類を見ませんし、そのすっきりした切れ味のいい声で不安定な主人公になりきっています。個人的にはその声で『ルチア』をやったら脂の少ない薄味な印象を持ってしまう気がしていて、だからこそこの『リュスィ』を遺して呉れたことに大感謝です。アラーニャやテジエにも同様のことが言えると思っていて、彼らもエドガルドやエンリーコではなんとなく冷めた演奏に聴こえそうです。とはいえアラーニャはエドガールとしてこの演奏本当に気合を入れて歌っていて、ドゥセとの重唱ではハイEsもこなしていますし、終幕のアリアも感動的。テジエも冷酷で、目的のためには手段を選ばないおぞましい兄貴ぶり。このゾッとするような冷たさは、アンリでこそ活きると言う感じです。カヴァリエ、ラオー(この人もドゥセとの共演でしっかりサイドを守って呉れますね)もしっかりしていますし、仏語版でのみ重要な人物として登場するジルベールを演じるセランもお見事。ピドのアプローチも伊ものの『ルチア』とはきっちり区別していることが伺える演奏で、人を揃えればこの『リュスィ』も非常に楽しめる作品だと言うことを示して呉れています。ジャケットのドゥセも美しいし(笑)、これは手許に置きたい音源。

・マリー(G.ドニゼッティ『連帯の娘』)2017.6.15追記
カンパネッラ指揮/フローレス、コルベッリ、パーマー共演/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団/2007年録音
>こちらもチェックはしていながら視聴していなかったDVDでしたが、お腹を抱えて楽しめる代物。全編ドゥセの堂に入ったコメディエンヌぶりが堪能できます!いたずらっ子のようにちょこまかと動き回りボクサーのような激しい動きで飛び回る前半は、何故こんなに動いて声が全然揺れないんだろうかと思わせるほど。一転後半のお仕着せのお嬢様生活ではあたかもオランピアのようなぎこちない動きで笑わせてくれます。彼女の魅力を最大限に引き出している映像のひとつと言ってもいいでしょう。彼女に較べるといささか紋切りの動きっぽいところもあるものの、フローレスも当然ながら高水準。例のハイC連発アリアも全く不安なく聴いていてとても気持ちいい。手塚治虫のヒゲオヤジのようなコルベッリや英国の大ヴェテランであるパーマー他脇の面々もしっかりと脇を支えています。
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日本を代表するあの大怪獣

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日本を代表するあの大怪獣
The Japanese typical monster

もう説明はあんまいりませんよね、ゴジラです笑。
先日作ったステゴサウルスからいけそうな気がしたのと、上司にちょっと作ってみいと言われたのでやってみました。
(ちなみにあのステゴサウルスは隣に座っていた方の息子さん向けに作ったもの)。

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作りたかったのはこの背中。
このたくさんの板がある重厚な背中が作りたかったのです!

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ゴジラを愛してやまない友人(この前のヤツメウナギの監修を頼んだ彼)に監修を頼みました。作り始めたものの、僕はそんなに詳しくないもんで、非常にありがたかったです。感謝。
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ツチグリ

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ツチグリ
Astraeus sp.

きのこ折り紙シリーズ。
折り紙にするときにはやはり特徴のつかみやすいものがやりやすいので、こういうインパクト系と言いますか、ちょっと見た目の変ったものがどうしても多くなりますね^^;

若いものではこのまわりのひれひれが真ん中の丸い部分を包んでいます。それが熟して(という言い方でいいのか?w)くるとあたかも蜜柑の皮を剥くように放射状に広がります。真ん中の丸い部分には胞子が詰まっており、この状態までくればつつくと胞子が出てきます。ぽふぽふして結構楽しい^^

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本当はこのまわりのひれひれはこんなに綺麗には分かれないと思うのですが、敢えて綺麗に作ってみました。
これはもう非常にわかりやすいあれなんですが、先日東博で『人間国宝展』に出展されていた作品のデザイン性、何より作品のリズム感に痛く感動しまして、そこで思ったことがそのまんま出ています。真ん中に崩しが入る分周囲は淡々と規則的に作ってコントラストを出すことを意識しました。
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ヤツメウナギ

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ヤツメウナギ
Lamprey

今回は非常に大雑把なタイトルがついてますが、まあヤツメウナギの仲間ということで(笑)

昔なじみの友人で脊椎動物の顎の発生をやっているやつがいて、彼が試料にしているヤツメウナギを作ってくれともう随分前に頼まれていたもの。1回以前作りはしたんだが、いまいちなところがあったんでお蔵入りになってたののリベンジを果たそうと(笑)

今回も彼に監修を頼み、全体像としてお互い納得のいく姿に^^

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前回何処があれだったかって口の部分。

彼らは丸い口はあるけど顎はない「円口類」という生き物だもんで、その口がうまくいかず難渋していたのでした。
ばっちし円形とは言わないけれど、少なくともそれを彷彿とさせるものにはなったんじゃないかと!
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