Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第六十七夜/鍵を握るエレガンス~

仏勢特集、溜まっていた分を順調に消化しています(笑)
今回も、日本ではいまひとつ知名度が低く、もっと評価されて欲しい人です。

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ロジェ・ソワイエ
(Roger Soyer)
1939~
Bass
France

バスタンの時にも言いましたが、仏系のバスはやわらかみとかろみがあり、音色が明るめというのがひとつの特徴だと思います。今回のソワイエもまさにその傾向の歌手で、低い方の音まで出るけれども、役柄としてはバリトンのものでも録音を遺しているくらいです。とは言え、じゃあバリトンかと言われれば、やっぱりバスだと思います。

同じような傾向の声と言ってもバスタンがどちらかと言えば藝達者に、人情味溢れるコミカルな役作りを前に出していたのに対し、ソワイエはシリアスな役どころでの活躍が目立ちます。2人が共演している録音もありますが、そこでも賑やかなバスタンに厳かなソワイエと言う図式が見えてきます。まさに藝風の違い、と言う感じ。それもあってか意外と大きな役での録音も遺していますが、日本の仏歌手無視傾向(米歌手は軽視で済んでるけど仏歌手なんてドゥセとかアラーニャとか出てくるまでは殆ど眼中になかったと言っていいでしょう)のため、いまいち注目されていないですね。。。仏ものでの実にエスプリの効いた歌唱が知られていないのは、非常に残念です。

<ここがすごい!>
ソフトでやわらかな声と、品のある端整な歌い口がソワイエの大きな魅力です。それ故彼のレパートリーの中心となるのも、どちらかと言えば自己主張の強い攻撃的な役どころや派手な起伏のある音楽ではなく、むしろ物腰柔らかで紳士的な人物や優美な旋律の美しさをしっとりと聴かせるような音楽だと言えるでしょう。となるとやはり気になるのは仏もので、録音を遺しているのもほぼほぼこのジャンルかと(バロックやベルカント、現代ものも得意としていたそうで、確かにそうだろうなあ聴いてみたいなあと思うのですが、音源があまり無いんですよね…発掘されないかしら)。

遺された舞台姿もそうなので実演はさぞかし良かっただろうと思うのですが、すらっとしてスマートで身綺麗な雰囲気の伝わってくる歌と声です。そして全般的には非常に落ち着いた印象。ということで熱烈な感情のままに動く主人公と言うよりは、裕福で懐にも気持にも余裕があり地位にも恵まれた人物で、様々な事情から物語の展開の鍵を握る…!みたいなそんなポジションのキャラクターが似合う…ってなんじゃそりゃっていう感じですが(笑)、実際そんな役どころが多いような気がします。例えばそれはチェッリーニの命運を握る教皇クレメンス7世(H.ベルリオーズ『ベンヴェヌート・チェッリーニ』)や、運命の悪戯からウェルテルを自殺へと追い込むことになる善良なアルベール(J.E.F.マスネー『ウェルテル』)あたりが非常にわかりやすいところ。そして或る面ではメフィストフェレス(C.F.グノー『ファウスト』)もそうであると言えると思います。

そう、メフィストフェレス!
上記のイメージとは一見離れるようにも思われますが、実はこれこそ彼の一番の当たり役だと僕は思っています。声で圧倒するパワフルで野卑なアプローチのメフィストは仏国外にたくさんいます。私の愛するギャウロフもそうですし、それ自体はひとつの解釈としてありでしょう。しかしソワイエのメフィストはそうではない。非常にエレガントで誠実であるかのように振舞うのです。まさにこれまで述べてきたソワイエのイメージの延長である、非常に柔和な人物として、ファウストに仕えているようにさえ聴こえるのです。ところが、これが聴かせどころのアリアになると全く違う素顔を見せるのです。最初の金の仔牛ではほんの少し、セレナーデではかなり悪魔的。特にセレナーデではファウストの浅慮とマルガレートの悲劇を心の底から嘲笑う様子がひしひしと伝わって恐ろしいばかりです。もっと恐ろしいのはヴァランタンが現れるとまたそれまでの品のある紳士の歌に戻ること。普段の端正な声と歌に、語りに近いがなり声を入れているだけなのですがそれだけで、全編の殆どで彼が聴かせているエレガントで丁重なキャラクターは、所詮慇懃無礼でしか無いものだということを観客にわからせてしまう。その匙加減には頭が下がります。これぞまさに仏流のメフィスト!
彼の地力は、もっと評価されるべきだと思うのです。

<ここは微妙かも(^^;>
基本的には大人しい色調のものが似合う人なので、強烈なキャラクターの主人公とか派手なところはいまひとつです。『カルメン』(G.ビゼー)でもモラレスは何度かやっていますがエスカミーリョはやっていないというところに、それは端的に顕れているように思います。
すらりとした舞台姿の美しさからか何度かドン・ジョヴァンニ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)で舞台に乗っておりスタジオ録音もありますが、全曲聴いてないですけれども正直今ひとつ。テンポに乗り切れていない感じもあります。

<オススメ録音♪>
・メフィストフェレス(C.F.グノー『ファウスト』)
ベンツィ指揮/ランス、An.エスポージト、マッサール共演/グルート放送管弦楽団&合唱団/1972年録音
>隠れた超名盤。仏ものの中では人気作のため無国籍でグローバルな演奏が多い中で、徹頭徹尾仏国流のキャストを揃え、その流儀で演奏された数少ない録音。これぞエスプリ!と思わせる上品で軽やかながら活き活きとした音楽で、本作の本来の姿を思わせます。そしてかなりの内容上述しましたが、やはり何と言っても彼のメフィストがひとつ大きな目玉になっているでしょう。物腰柔らかで如何にも信頼の置けそうな、そして魅力的な人物の化けの皮が剥がれる様、そしてそれを涼しい顔でひらりと元に戻す様は壮絶で強烈なインパクト!ギャウロフやクリストフの悪魔らしい悪魔や、レイミーの冷徹な悪魔とはまた違うおぞましさがあります。ベンツィの瀟洒な指揮、可憐なエスポージト(特にレアなアリアが秀逸!)、華やかで気品漂うマッサールもお見事です。ランスはやや線が細いのと歌い口が古風なのとでやや好ききらいが別れそうな印象です。これがヴァンゾだったらベストだったんだろうなぁ。とは言え歌自体はやはり仏流の風格あるもの。

・アルベール(J.E.F.マスネー『ウェルテル』)
プレートル指揮/ゲッダ、デロサンヘレス、メスプレ共演/パリ管弦楽団&フランス国立放送児童合唱団/1968-1969年録音
>不滅の名盤。プラッソン、パッパーノとこの録音を聴けばひとまずこの作品の魅力を充分に理解できるのではないかと思います。ここでの彼は実に温和な好人物――品があり実直で誠実な、非の打ちどころのない人物――を、非常に幸せそうに演じています。これはこの作品のひとつのミソだと思うのですが、アルベールが善良であればあるほど、そして幸福であればあるほどウェルテルの苦悩は深くなり作品として面白くなります。この点に於いてソワイエはまさにベストと言うべきで、録音史最高のアルベールと言って過言ではないでしょう。まさに戀は盲目というような、理性では押さえられない愛と情熱を体現するゲッダ、リッチな声で女の情念に満ちたデロサンヘレス、そして小さな役ながら少女らしい能天気さで明るく飛び回るメスプレと共演も無敵。プレートルの指揮も冴えています。

・ニラカンタ(C.P.L.ドリーブ『ラクメ』)
ロンバール指揮/メスプレ、ビュルル、ミレ共演/パリ・オペラ・コミック管弦楽団&合唱団/1970年録音
>ドゥセのところで紹介したプラッソン盤と並ぶ本作の不滅の名盤。これぞまさに仏ものの神髄というべき素晴らしい演奏です!ニラカンタはバラモンの高僧で聖域を犯した英国人を刺し殺そうとする(なんだかザッカリア(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』)みたいな感じですね笑)結構過激な役ではあるのですが、与えられている音楽自体は非常に優美で如何にも仏国的な情緒のものなので、ソワイエのキャラクターにはよく合います。リリックでやわらかな響きの声で、特にアリアは絶品。メスプレのラクメはまさに演奏史に残る歌で仏国のナイチンゲールの面目躍如。ビュルルは比較的脇役での活躍の多いひと(プラッソン盤ではアジを演じている)人ですが、主役をやらせてもこれだけ歌えるんだぞ、という超名唱!僕が聴いた限り最高のジェラールです。ロンバールの指揮も流麗でオケの豊かな響きを楽しめます。

・教皇クレメンス7世(H.ベルリオーズ『ベンヴェヌート・チェッリーニ』)
デイヴィス指揮/ゲッダ、エッダ=ピエール、マッサール、バスタン、ベルビエ、ロイド、ヘリンクス共演/BBC交響楽団&コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団/1972年録音
> 不滅の名盤。これは僕のお気に入りの演奏なのでここのところ繰返し登場していますね(笑)ソワイエが演じるのはチェッリーニの運命を握る藝術好きの教皇で、出番は多くないのですがゆったりとした風格のある存在感が重要となってきます。アクの少ない落ち着いた優しい音色と端整な歌い口は、この高僧に威厳を与えるとともに徳の高さまでも感じさせます。そもそも大物登場と言う感じの音楽がつけられてはいるのですが、それ以上のオーラを感じさせるあたりは流石。共演陣も指揮も極めて優秀で、天才ベルリオーズの隠れた傑作を思う存分楽しめます。

・ナルバール(H.ベルリオーズ『トロイ人』)
デイヴィス指揮/ヴィッカーズ、ヴィージー、リンドホルム、グロソップ共演/ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団&合唱団/1969年録音
>再びベルリオーズ、こちらも不滅の名盤です。演奏規模が巨大過ぎて、100年経ってやっと完全な形で初演された際に制作されたスタジオ録音で、未だに決定盤と言っていい音源だと言います。ここでの彼は後半のカルタゴでのエピソードで登場するディドーの側近(多分ネロに対するセネカのポジションの人)で、情熱的に愛し合うアエネアスとディドーの行く末を案じるという、まあバスのいい人の定番みたいな役回りです。ここではその落ち着いた声で、思慮深い賢者を彷彿とさせる歌で、もう少し歌って欲しいなあと思うぐらい。デイヴィスの理知的な手腕はここでも大変見事で、この超大作を聴かせきりますし、主要な役であるヴィッカーズ、ヴィージー、そしてリンドホルムの歌唱もお見事です!

・聖ヨセフ(H.ベルリオーズ オラトリオ『キリストの幼時』)
クリュイタンス指揮/ゲッダ、デロサンヘレス、ブラン、ドゥプラ、コレ共演/パリ音楽院管弦楽団&ルネ・デュクロ合唱団/1965-66年録音
>三度ベルリオーズ(笑)最後はオラトリオですがこれがまた不滅の名盤です。このメンバーで演奏して悪い筈がありませんね!^^ソワイエは非常に穏当な歌い口で、地味ながら穏やかで篤実な人物を描き出しています。この聖ヨセフなら妻である聖母マリアを愛し、その受胎にも理解を示すことができるだろうという優しく控えめで丁寧な歌です。同じ男性低音が3人いますが、ブランが演じるスタイリッシュながらハリと力強さのあるヘロデとも、ドゥプラの優しいけれどもよりどっしりとした懐の大きな家長とも、声でも演じ方でもしっかり違う人物だと伝わってきます。クリュイタンスの優美な棒捌きとオケ&合唱の美しさ、ゲッダのリリックで力のある声、そして瑞々しい若さと落ち着きを兼ね備えたデロサンヘレスも素晴らしく、マイナーな演目ですがうっとりさせられます。
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アジサイ

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アジサイ
Hydrangea macrophylla

ウニに続き瓢箪から駒的に出来た作品。
ウニを弄ったらハプト藻が出来そうな気がしたのですが、そのうちにまさに季節ものが出来ました(笑)
花のセット(本当は花ではなくて萼ですが…)と4枚の葉っぱが1枚の不切正方形からなっています。というとかっこいいですが、花の部分は結構胡麻菓してる^^;けどまあ植物も何もかも綺麗に出来ている訳でもないですから良しとしました笑。

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流石にこれ作るの結構大変で、1個作るのに僕の作品としては異例ですが2時間ぐらいはかかります。。。しかし1個よりもたくさん複数色あった方が絶対映えるので何とか頑張って(笑)

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葉っぱの部分は裏面の色を出す、所謂インサイドアウトで出しているのですが、折角なら緑色にしたいなと思う一方、一面全体に貼れる紙がなかったのとそうすると折るのが大変になるのとで、実際に葉っぱになる四隅の部分にだけ緑の紙を貼りました。これでも結構大変だった^^;

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折角なので乗っけたカタツムリ。
こいつは職場のおいちゃんのリクエストで最近作ったもの。いいタイミングだったので併せてみました♪
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第六十六夜/録音史上最高音~

仏歌手特集、女声が続きます。
この人は録音がかなり限られていて、私自身彼女の唯一の全曲盤は、まだ手に入れられていないのですが…。

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マドレーヌ=マリー・ロバン(マド・ロバン)
(Madeleine Marie Robin / Mado Robin)
1918~1960
Soprano
France

僕自身は声楽の素養が全く無いのできちんと説明はできないのですが、現在の歌手たちは主に胸声を使っていると言います。しかし、過去の歌手たちがみな胸声で歌っていたかと言うとそうではなく、頭声(まあ裏声ですね)を活用した表現を活用していた歌手も少なくありません。テノールで言えばゲッダやタリアヴィーニは多用していますし、パヴァロッティーも『清教徒』で頭声を使ってハイFを出しています。女声で言えばシュヴァルツコップフが頭声を主に用いた歌手として有名です。カラスやサザランドより前の時代には、伊ものでも特に女声では頭声を用い、非常な高音で高度に装飾的な歌唱をする歌手が主流でした。ガリ=クルチやパリューギなどに代表される彼女たちは「白い声」と呼ばれています。

世代的にはやや後になりますが、「白い声」の最後の歌手と思われるのが今回の主役マド・ロバンです。彼女を専ら有名にしているのは、表題にも書いたとおり、オペラ歌手として録音史上最高音、なんと3点B(!)をスタジオで遺しているということ!録音では残していないものの、4点Cも出せたとか…オペラ歌手の勲章ハイCのオクターヴ上、夜の女王の最高音が3点Fと言うことを考えると、思わず口が開いてしまいます^^;(ちなみに同時代のエルナ・ザックも4点Cまで出せたらしい。この時代の人たちは一体何喰ってたんだwww)
ただ、どうもこういうキワモノ的な話題ばかりになってしまうのはどうかなぁとも思うのです。当然ながら声楽的に出されていて、非常に美しい。いまの感覚のオペラとは違えど、その美しさはもう一度評価されてもいいのではないかと。

残念ながら41歳の若さで白血病に斃れてしまいました。彼女の後には彼女の系譜に乗った声でありながらより現代的なマディ・メスプレが、そして更にその先にはより演劇的な表現を開拓していったナタリー・ドゥセが現れて大変な活躍をする訳ではあるのですが、このロバンがもっと長生きしていたらどんな歌を歌っただろうかと。残念なことです。

<ここがすごい!>
「白い声」と言うことばは、基本的には人工的で不自然な響きを揶揄するような言い回し。現在は見向きもされない、と言っても過言でもないと思います。しかし人工的だとは言っても、その陶器のような凛とした声には、やはり独特の魅力があるなぁと個人的には思うのです。或る種様式美的な部分も感じられるように思います。確かに、カラス以降尊ばれるようなドラマを感じる歌ではないですが、それでもこれだけ美しい歌を歌えるのであれば、それはまた別のベクトルのもとして評価されて然るべきではないかと。
そのベクトルの中でも彼女の、その自在でやわらかな歌い回しは特筆すべきものだと思います。コロラトゥーラを得意とする歌手の自由にコントロールの効く転がしにはいつも驚嘆させられますが、ロバンのそれはとりわけお見事。職人が融けた硝子を意のままに操って様々なものの形を作るかのように、無尽蔵に声を紡ぎだして装飾を付けて行きます。しかも、彼女の歌は非常に安定しており、聴いていて不安になることが全くと言っていいほどありません。澄んだ声に身を委ねていれば、至福の時を過ごすことができる歌手と言うのはなかなかいないもので、その一点だけでも彼女が卓越した歌い手であると思うのです。

そうした面があった上での彼女の超高音でしょう!
安定した澱みない転がしの流れの中で、ごくごく自然に超高音域に至ってしまうところが本当に恐ろしいと言いますか、何と言いますか。贅沢な話ですが技巧に間違いが無い分、転がしの部分にはそれほどドキドキしないのですが、その分高音でのスリリングさが歌全体を引き締めていると言えるのではないかと。しかも絶叫にならない!例えるのならばヴァイオリンの最高音でしょうか、非常に音楽的で心地よい響きです。人は、歌としてこういう声を出すことができるのかと。

<ここは微妙かも(^^;>
もうね、ここまででもう既に或る意味彼女の欠点については語り尽くしてしまってる感もあるのですが、「オペラは芝居だ!ドラマだ!」って言う耳や「音楽は至高の藝術でありその思想性が最も尊ばれなければならない」っていう耳、即ちヴェルディやヴァーグナーを聴く耳で聴いてしまうと、表情に乏しく技巧だけの能面歌唱として評価はされないだろうなと思います。そういうベクトルのものではありませんから^^;
煌びやかで高度な装飾も、過多に感じられる向きもあるかもしれません。が、これはベルカント復興以降のオペラを楽しんでいる世代には、逆にそんなに違和感はないのかも。いろんなことを言って否定する向きはあると思うのですが、こうして技巧を聴かせる歌は、間違いなくオペラの歴史の1頁。純粋にそれを楽しむのも、一興ではないでしょうか。

<オススメ録音♪>
・ルチア(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
・ラクメ(C.P.L.ドリーブ『ラクメ』)
・オフェリー(C.L.A.トマ『アムレ』)
・コラリーヌ(A.C.アダン『鬪牛士』)
・ロジーナ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
リュシアン・ラヴァワロット指揮/ヌヴェル・交響楽団
>いずれも彼女のオペラ・アリア集から。恐らく彼女の唯一の全曲録音として『ラクメ』(セバスティアン指揮/デ=ルーカ、ボルテール他共演)もありますが未聴。お恥ずかしながらここに挙げた録音が、私の聴いた彼女の録音のほぼすべてと言うような状況です^^;が、いずれも彼女の歌の凄さを楽しむにはうってつけの役柄かと思います。まずは何と言っても3点Bというとんでもない代物が聴けるルチアでしょう!これは本当に凄い声だと思う。それだけではなく、カットがあるとはいえまるっと狂乱の場を遺して呉れているのは非常にありがたい限りで、かつてのルチア像を彷彿とさせます。ついで仏国の珍曲3つですが、いずれもこれぞヴィルトゥオーゾ!というべきもの。まずラクメですが無尽蔵な声での転がしはまさに圧巻と言うべきもの。何とかして全曲盤を手に入れねばと思わせる歌です。余談ですがメスプレ、ドゥセという後輩たちも歌っており、仏国三大ナイチンゲールの演奏を本領の作品で聴き比べられるのも嬉しいところですね^^今の耳からすれば表情に乏しい能面歌唱という向きもあるだろうとは言いましたが、オフェリーの狂乱では、それが心ここにあらずな雰囲気を出していて、これはまたこれで演技過多になるよりも寧ろいいのではないかとも思います。この非実在感はなかなか捨てたものではないなと。コラリーヌは更に耳にする機会の少ない役ですが、フルートとの超絶技巧合戦が心地よいです。彼女になるとフルートとほぼ同じ音域なんですね、すげえ^^;そしてロジーナ!いまどき聴かないソプラノ超絶技巧アプローチで、時代遅れと言われてしまえばそれまでなんですが、独特のコケティッシュさがあり、これはこれで魅力のある歌です。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第六十五夜/メルセデスならまかせてよ~

どうもここのところやることが多くて滞りがちです^^;準備自体はしているのですが。
仏歌手特集が続きます。

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ジャヌ・ベルビエ
(ジャーヌ・ベルビエ、ジェーヌ・ベルビエ)

(Jane Berbié)
1931~
Mezzo Soprano
France

前回のバスタンと共演の多かった名メゾを。
名前の読みにはかなり表記揺れがあります^^;

彼女は非常に高い歌唱技術もあり、また響きの明るい美声であった人物で、記録を見ると所謂主役として舞台に立ったことも少なくはなかったようです。しかし、いま我々が楽しむことのできる録音に耳を傾けるなら、むしろ脇役の第一人者としての彼女が見えてきます。いずれの役柄においても短い出番の中でもしっかり主張をし、存在感を立たせることができる彼女は、前出のバスタンの他、セネシャル、バルボーなどとともに演奏の質を支える重要な活躍をしています。

その方面での彼女の評価が高かったことを示す事実として、今回のタイトルにも挙げたメルセデス(G.ビゼー『カルメン』)の録音の量があります。
・プレートル盤(1964)
・マゼール盤(1970)
・ショルティ盤(1975)
・フォン=カラヤン盤(1982)
正規のスタジオ録音でぱっと調べられるものでも4つ!同じ役を吹き込んでいる人は2度ぐらいならまあいますが、4度となるとそうはいません。メルセデスはカルメンのロマの友人で、あらすじに関わる役ではないものの、フラスキータとともに結構な頻度で登場し、歌う部分も多いです。それをこれだけ任されるというのは、その実力の高さの証左と言うべきでしょう。

<ここがすごい!>
明るくてとおりの良い音色の美しい声です。明るいと言っても派手な色合いではなく落ち着いた、しっとりとした印象です。強過ぎず出過ぎずだけれども、耳触りのいい歌声。系統としてはベルガンサに近いでしょうか。実際、ベルガンサが得意としたようなロッシーニは、録音こそあまり無いものの人気があったようですし、モーツァルトでは数多くの優れた音源を残しています。モーツァルトとロッシーニを得意としたとなれば当然のことながら、技巧も達者。それも半端な達者ぶりではありません。メルセデスと並ぶ彼女の当たり役のひとつマルチェリーナ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)では複数の録音で、カットされることも多い厄介なアリアをさらりとこなしています。もちろん、単にそつなくこなしているというだけではなく、きっちり聴かせてしまうあたりに手腕の確かさが感じられる訳です。

そういうところを前提として、前回のバスタンもそうですが、彼女も脇役に魂を宿らせるのが本当にうまいなあ、と。僕みたいなみいはあなオペラ聴きだとどうしてもやはり大きなアリアのある主役のキャストが気になってしまう訳ではあるのですが、芝居ですから脇役にきっちりとした存在感がある方が断然面白いんですね。特に人物の多い演目だと特にその傾向は強いように思っていて、となれば彼女のような存在は物凄く貴重。前出のメルセデスやマルチェリーナももちろんですが、デズピーナ(W.A.モーツァルト『女はみんなこうしたモノ』)やアルティエール伯爵夫人などひと癖ふた癖ある個性派の脇役のキャラクターを多くはない出番の中でしっかりと立てて呉れるので、物語に奥行きが出てくるのです。しかも少年からオバタリアンまでこなせる役の幅が広いですから、各所で起用されていたのも納得のいくところです。
そして、僕ら聴く側としても、彼女が出ていればひとつ安心して脇を楽しむことができるとも言えます。

<ここは微妙かも(^^;>
脇で出ていればまず鉄板と言っていいような人ですし、実のところそれ以上の実力の持ち主ですから、殆ど悪いと思わないんですよね^^;ただ、通常はソプラノが歌う役どころを歌っていることもままあるので、そこに違和感を覚えることはあるかもしれません。

<オススメ録音♪>
・メルセデス(G.ビゼー『カルメン』)
プレートル指揮/カラス、ゲッダ、マッサール、ギオー、ソートロー、カレ、マル共演/パリ・オペラ座管弦楽団、ルネ・デュクロ合唱団&ジャン・ぺノー児童合唱団/1964年録音
フォン=カラヤン指揮/バルツァ、カレーラス、ファン=ダム、リッチャレッリ、バルボー、G.キリコ、ツェドニク共演/BPO、パリ・オペラ座合唱団&シェーンベルク少年合唱団/1982年録音
>この人の場合まずは何と言ってもメルセデス!ということで4つも正規録音がありますが、僕がしっかり全部聴いているのはこの2つ。いずれも不滅の名盤の名にふさわしく『カルメン』の話をするときに必ず出てくるものですが、どちらにも登場しているのは彼女だけ、しかも同じ役と言うことで、それだけでもそのスペシャリストっぷりがわかるというものです。メルセデスはカルメンのような魔性の女、運命の女と言ったような凄みこそないものの、フラスキータとともにやはり女性として色気のある歌を与えられている人物です。ベルビエはそのあたり絶妙な匙加減で女声の魅力に満ちた、しかしカルメンには及ばないという役柄を演じています。いずれにおいてもフラスキータとの微妙な個性の違いが感じられるのも素晴らしいです。プレートル盤ではカラスを除きLa 仏流歌劇と言うべきメンバーの中で、フォン=カラヤン盤では脇までよくこれだけ固めたねというメンバーの中で、ぶれずにキャラを出しているあたり流石第一人者という演唱です。

・マルチェリーナ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
フォン=カラヤン指揮/ファン=ダム、コトルバシュ、クラウゼ、トモヴァ=シントヴァ、フォン=シュターデ、バスタン、ツェドニク、エキルス、バルボー、ケレメン共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1978年録音
ショルティ指揮/レイミー、ポップ、アレン、テ=カナワ、フォン=シュターデ、モル、ティアー、ラングリッジ、ケニー、タデオ共演/LSO&ロンドン歌劇合唱団/1981年録音
>この役もまた彼女が得意とした役どころ。この作品の肝は伯爵夫妻、ついでフィガロとスザンナだと個人的には思うのですが、登場人物すべてがひと癖ある人たちであり魅力的な見せ場も与えられていること、加えてアンサンブルをしっかりできる人でなければならないことを考えると、ケルビーノ以下バルトロ、マルチェリーナ、バジリオ、クルツィオ、アントニオ、バルバリーナあたりのキャストも気になるところ。そういう意味では上記両盤とも端役に至るまで拘わりが感じられていて好きな音盤です。ケルビーノと声区が被る訳ですが、ボーイッシュで可愛げのあるケルビーノに対し(いずれもフォン=シュターデと言うのも面白いですが)、ベルビエはちょっと歳の行ったおばさまらしさをはっきり出しています。それもただのおばさんと言う感じではなく、歳こそ取っているけれども若いころには結構美人だったんだろうということを予想させる歌声で、同じく品位のあるバスタンやモルと共にむくつけしい老カップルではなく、品のいい熟年カップル感を出しているところが憎い。重要度に比して異様に難しいアリアもロッシーニで鍛えた技巧で聴かせますし、マルチェリーナの範とすべき歌ではないかと思います。

・デズピーナ(W.A.モーツァルト『女はみんなこうしたモノ』)
ショルティ指揮/ローレンガー、ベルガンサ、デイヴィース、クラウゼ、バキエ共演/LPO&コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団/1973-1974年録音
>普通であればソプラノが演じるデズピーナをメゾの彼女がやっていることには少し驚く向きもあるかと思いますが、これが凄くいいと思います。大きな声では言えませんが僕はこの作品長く苦手にしてきたのですが、この録音でデズピーナとアルフォンソを中心に見ると面白いなあと感じられたもので思い入れがあります笑。彼女の小回りの利く活発な人物造形、ここしかないというタイミングで入れる笑いは、デズピーナを如何にも蓮っ葉な世慣れた小娘にしていて非常に楽しいです。お淑やかで箱入りな空気の漂うローレンガーとベルガンサとも好対照です。このメンバーの中では知名度の落ちるデイヴィースも脇役で鳴らした人だけに歌はちゃんとしていますし、若々しく颯爽とした感じがいい。クラウゼも覇気があります。そしてバキエ!老獪な狸ジジイっぷりはにやけが出てくるぐらいです^^

・アルティエール伯爵夫人(J.E.F.マスネー『サンドリヨン』)
ルーデル指揮/フォン=シュターデ、ゲッダ、ウェルティング、バスタン共演/フィルハーモニア管弦楽団&アンブロジアン・オペラ合唱団/1978年録音
>隠れ名盤。サンドリヨン(=シンデレラ)を苛める継母ですが、これがまた性格の悪そうな義姉たちとともに終始口喧しいアンサンブルを繰り広げていて、悪役ながら非常に楽しい。共演の多いバスタンの気弱な父さんを完全に尻に敷いた歌いっぷりは見事なものです。ここで声区の被るサンドリヨンを演じるのはまたしてもフォン=シュターデ!ここでも清純派の彼女に対して、ベルビエが癪に障る感じで演じていて好対照と言えます。PTAの鬱陶しいお母さんみたいでね、もう当たり役ですよ笑。

・アスカーニオ(H.ベルリオーズ『ベンヴェヌート・チェッリーニ』)
デイヴィス指揮/ゲッダ、エッダ=ピエール、マッサール、バスタン、ソワイエ、ロイド、ヘリンクス共演/BBC交響楽団&コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団/1972年録音
>不滅の名盤。ここまでの流れとは異なり今度は少年役。きりっとした歌いぶりが耳に心地いいです。シャーベット・アリア的なポジションの歌が与えられていますが、これがまたベルリオーズらしいオケに乗ったかなり難しいもので、並みの歌手なら難渋しそうなのですがさらりとこなしています。彼女ももちろんそうですが、このキャストは仏ものもよくわかっているし、アンサンブルも巧い人たちで非常に完成度が高い、この難曲のまさしく決定盤です。

・コンセプシオン(M.ラヴェル『スペインの時計』)
マゼール指揮/バキエ、セネシャル、ファン=ダム、ジロドー共演/フランス国立放送管弦楽団/1965年録音
>あまり歌劇らしくない作品ではありますが、これはまたこれで異国情緒溢れる魅力的な演目。珍しく彼女が実質的な主人公を演じています。とは言え歌う部分そのものはそんなに多くはないのですが、夫が居ながら若い愛人もいて、言い寄る金持ちもいて、しかも作中では彼らとは別の男と寝てしまうという奔放で魅力的な女声をとても艶っぽく演じています。こういうあたり出番の少ない脇役でもしっかり味を出せる彼女にこそ、かもしれません。男性陣は皆、主役でも脇役でもオールマイティに活躍している人たちなので、これまた思わず唸りが出てしまううまさ。マゼールの棒も冴えていて、ラヴェル好きには堪らない1枚ではないかと。

・ジェニー(F.A.ボワエルデュー『白衣の夫人』)2016.2.16追記
ストル指揮/セネシャル、ローヴェイ、レグロ共演/パリ管弦楽団&合唱団/1962年録音
>ベートーヴェンと同世代で当時大人気を博しながら、今は忘れられた作曲家になってしまっているボワエルデューの名作の代表的な演奏のひとつ。主役のセネシャルはじめややおっとりした感じはあるものの、全体的にエレガントな空気に満ちた佳演です^^全体に主役のテノールの活躍するプリモ・ウォーモ的な作品の中で、小さな役ながら存在感が光っています。特に1幕の白衣の婦人の物語の場面が秀逸!今回挙げた中でも最も若いころの録音と言うこともあって、声も歌い口もフレッシュで可愛らしく、近所の噂好きな若奥さんと言う風情でリアリティがあります。ややこけおどし的な不気味な雰囲気をよく醸し出しているのもgood!もちろん歌そのものも彼女らしい実力を感じさせるものに仕上がっています。
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ウニ

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ウニ
Echinus

ステゴサウルス以降よく使っている原型を少し発展したらどんなんが作れるかなぁと思ってくちくち弄っていたらこんなんできました(笑)
本当はシーラカンス作れないかなぁと思っていたのですが、弄ってるうちにテズルモズルいけるかもと変わり、結局こいつに。こういう瓢箪から駒はよくある話です。
一応イメージとしてはムラサキウニのつもり。

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ちょっと雰囲気で作ってしまったところは否めなくて、見る角度に拠ってあんまりそれっぽくないかな^^;
最初の写真の角度からならばっちりだとは思うのですが。
ただ、意外と気に入ってはいます。ちなみに、これはほぼ実物大になるように作りました。

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一番もう少しどうにかしたかったなと思っているのは、こいつ四角いんですよ。
ウニを含む棘皮動物は五放射相称ですから四角いってことはありえなくて、本来なら五角形になるはずなんですが、うまくいかないもんです。これは実は旧作のウミユリにも言える事なんですが。
ということでそのうちもう少し手心を加えるかもしれない作品です。
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マクベス(初演版)

マクベス(初演版)
Macbeth
1847年初演
原作:ウィリアム・シェイクスピア
台本:フランチェスコ=マリア・ピアーヴェ、アンドレア・マッフェイ

<主要人物>
ダンカン(黙役)…スコットランド国王。史実でのダンカン1世。マクベスに王位を簒奪される。「黙役」となっているものの、登場しない演出もありそう。この作品は伊語なので「ドゥンカーノ」と呼ばれたりしていて、誰それwwwってなります。
マクベス(Br)…蘇国の武将、のちにダンカンを弑逆し国王となる。史実でのマクベタッド・マク・フィンレック(有能な王様だったらしい)。魔女の予言と強烈奥さんに振り回されて、人生がエラいことになってしまった人。ヴェルディ作品の暴君の系譜に入れて考えられることも多いけれど、思い悩むこと甚だしい非常に内面的な役で、あんまり暴君と言う感じではないというか、アッティラ以上にナヨナヨwただ、原作シェイクスピアなのでそのあたり描き込みは格段の差だが。初演版では幻影の場が実質狂乱の場と言うべき大規模かつ歌の求められるもので、ベルカントの素養も必要だろう。一方でより新しいスタイルを模索したと思われる死の場面や独白もあるため、かなりの演技力も求められる。そういう意味では、改訂後より初演版の方が難しいと言えそう。この作品は伊語なので「マクベット」と呼ばれていたりしていて(以下略
マクベス夫人(S)…彼女はマクベスの奥さんである。名前はまだない。というかない。が、原作同様強烈なキャラクターで実質的な主人公と言ってもいい。マクベスが受けた魔女の予言の話を聞いて、本人以上に火がついて手段を選ばずに権力に走って行く恐ろしい女だが、一方で最後には後悔に苛まれ、衰弱して死んでいく。アビガイッレと非常に関係が深い役だということができそう。初演版ではアリアが1つまるまる全く違う音楽で、音程も高く転がしも多いので、よりソプラノ向きでしょう。この改訂前アリアは華やかなベルカント流儀のものなので、ヴェルディの意向を考えればアリアの差替えは納得いくもの。改訂後と比べても役の比重は変わっておらず、超難役。
バンクォー(B)…蘇国の武将。この人も史実の人物だと言う。息子が国王になると魔女に予言されたことが災いし、マクベス夫妻に恐れられ、暗殺される。前半で殺されてしまうため、意外なぐらい登場場面は少ないのだが、マクベス夫妻の恐怖を納得させるだけの風格が欲しい。また、大シェーナでの完成度の高い不安感のある音楽をきっちり再現できねばならず、どことなく不吉な雰囲気を湛えている感じも必要。この作品は伊語なので「バンコ」と呼ばれているが、これはわかりやすい。
マクダフ(T)…蘇国の貴族でファイフの領主。マクベスに妻子を殺される悲劇の人だが、最後には仇を討つ。カッコいいどころの役のような気もするんだが、扱いは軽くて出番も少ない。っていうかアリアのカバレッタなんてマルコムとずっとユニゾンだし^^;原作での出番もそもそも少ないのだが、初演の時のテノールがへっぽこだったからといわれてはいる。けど、後年の大規模な改定含め、ヴェルディはかなりこの作品に手を入れているらしいということを考えると、あんまりこの役を重要視してなかったということがむしろ大きいような気がする。妄想ですが笑。この作品は伊語なので「マクドゥッフォ」と呼ば(以下略)
マルコム(T)…ダンカンの息子。マクダフとともに父の敵を討つ。敵を打つのはいいんだけど、のちにバンクォーの子孫が王になるんだよね?この人どうなるの?マクダフの負担が軽減されている分脇役テノールの割には歌う分量が多い。
医者(B)…夫人の夢遊の場の解説役。スピードワゴンではない。
侍女(Ms)…夫人の夢遊の場の実況役。シュトロハイムではない。
フリーアンス(黙役)…バンクォーの息子。バンクォーのシェーナの後走って逃げる演出も多い。彼の子孫がステュアート朝を開いた

<音楽>
・前奏曲
○第1幕
・魔女の合唱、マクベスとバンクォーの2重唱
・マクベス夫人のカヴァティーナ
・行進曲
・マクベスの独白
・マクベスとマクベス夫人の2重唱
・フィナーレ

○第2幕
・マクベス夫人のアリア
・暗殺者の合唱
・バンクォーの大シェーナ
・マクベス夫人の乾杯の歌と祝宴の場

○第3幕
・魔女の合唱
・マクベスの幻影の場

○第4幕
・合唱
・マクダフのアリア、マクダフとマルコムの2重唱
・マクベス夫人の夢遊の場
・マクベスのアリア
・戦いの音楽
・マクベスの死

<ひとこと>
ヴェルディ自身が最も愛着を持っていたという作品で、長きに亘り手を入れていたと言います。現在は後にオペラ座での公演用に改訂した版が専ら演奏されますが、ここでは初演版。
はっきり言えるのは、この初演版はもっと上演が増えて然るべき、非常に充実した作品だということです。前作の『アッティラ』もこの時期では比較的出来のいい部類の音楽がついているようには思いますが、比べ物になりません。

改訂後の話は改訂版でなるべくしたいとは思いますが、改訂版は有名作ですし、どうしてもそこを較べた話が多くなってしまいますが、まず言えるのは改訂版の重心がかなり夫人寄りなのに対し、この初演版ではマクベスと夫人の両者、或いはむしろマクベスの方に重心が載った作品だということが言えると思います。恐らくはスタイルの問題はもちろんのこと、改訂版初演の地パリの趣味の問題やヴェルディの興味の対象がやはり夫人の異常性にあったということでしょう。ヴェルディの後年の志向から行けば、むしろ最後はあっけらかんとした合唱ではなくマクベスの死を選びそうなところをわざわざ改訂しているというのは、そういうことなんじゃないかと思っています。
スタイルということばを遣いましたが、初演版はまさに過渡期の作品ということばがふさわしいでしょう。ベルカント作品を引きずっているところがかなり見られます。それは例えばマクベスの幻影の場面や、2幕の夫人のアリアあたりに顕著ですが、2重唱の後半の展開部にもそうした傾向が見えます。面白いのは改訂版ではこのあたりのはっきりベルカント流儀の部分をバッサリ直しているところですが、そのあたりは改訂版の折にでも。一方でかなりモダンで後の作品を予感させる部分もあって、その最たるはマクベスの独白でしょう。旋律的と言うよりはとぎれとぎれの語りというべき風情で、糸を張ったような緊張感があります。リゴレットの独白や、更に先のファルスタッフをも感じ得るところでしょう。

初演版のマクベスは、ヴェルディ屈指の難役だと思います。改訂版よりも劇中の比重が大きいということに留まらず、過渡期の作品らしく伝統的な音楽から意欲的な音楽までさまざまなスタイルのエッセンスが垣間見られるからです。改訂版のマクベスもヴェルディ作品では異色な要求のある役ではあるのですが、それに加えてベルカントも必要というのはかなり過酷でしょう。最もベルカント的なのは、後の改訂で大きく変更される幻影の場でしょう。ここは例えばアッスール(G.ロッシーニ『セミラミデ』)やタッソー(G.ドニゼッティ『トルクァート・タッソー』)の狂乱の場と関係の深い音楽だと思います。前作アッティラのアリアも同じような傾向にあります。そういう意味では伝統的なスタイルだとは思うのですが、ここの部分の完成度は関連するこうした作品に劣らない、極めて高いものと言っていいと思います。特に完全にカットされているカバレッタは暗いドラマティックな迫力があり、ヴェルディが低音陣に書いたカバレッタの中でもトップクラスの出来ではないでしょうか。また、同じく改訂版でカットされる死の場面は、これとは逆にうんとモダンで簡潔な音楽です。改訂版でのカットはちょっと先に行きすぎた?ということなのでしょうか。ここの部分はむしろこちらの版の方が作品全体の雰囲気にも合致していると思います。この2か所を聴くためだけでもこの初演版を聴いて損はありません。独白の先進性は既に上述したとおりですが、この時期に朗々とした歌ではなくドラマティックな語りに仕上げているというのは特筆に値するでしょう。有名なアリアは比較的伝統的なスタイルで書かれたカヴァティーナですが、カバレッタを伴わず、このあたりにもヴェルディの苦心が見てとれるようです。作曲家らしい流麗な旋律を聴かせる歌で、名旋律と言うところではマクベスの最大の見せ場でしょう。こうして見るとベルカントを心得て流麗に歌わなくてはいけない一方、演劇的な表現力をも問われる先進的な音楽表現もしなければいけない、初演版のマクベスの難しさが見えてきます。

対して夫人は初演版でも改訂版でも同じような難しさを持っている役だと言えるように思います。上述のとおりアビガイッレの延長線上にあるというべき野望の女で、突っ込んだところは改訂版のところで書こうと思いますが、力強い迫力のある声で超絶技巧をこなさなければいけない超難役です。性格的に改訂版と異なるのは、差し替えられた2幕冒頭のアリアで、こちらではより音程の高い華やかでベルカントの香りが漂う音楽になっています。技術的には相当難しいもので、聴き映えはします。ただ、マクベス夫人のキャラクターと合っているかと言うとちょっとなあという感じ。これは雲泥の差で改訂版の不気味なアリアの出来が勝っています。それ以外のマクベスとの重唱などでもちらほらベルカントの素養が要求される一方、ベルカント音楽が生み出した狂乱の場をより演劇的に発展させたとも言える夢遊の場を歌わねばならないし、手紙の読みまである(これはヴェルディの作品では異色だし、当時としては珍しい手法だったのではないかと思いますがどうなんでしょう)と考えると、この版でのマクベスを歌うのと同様の難しさがあるとも言えるでしょう。

バンクォーは役そのものは大きいとは言い難いものの、存在感のあるバスがやらなければ面白味が減ってしまうところで、実際録音などでは軒並み有名歌手が演じています。バンクォーは悪人ではありませんが、堂々とした重々しい存在感とともに、不吉な雰囲気を感じさせる人でなければ、名曲である大シェーナが活きません。この大シェーナもまた、ヴェルディが新しい表現を意欲的に試みた結晶とも言うべきものです。同時期に作曲されているアッティラのアリアのカヴァティーナ部分との関連は間違いなく強く、ここでも嘘ら寒いどことなく不安な予感に苛まれる様子が見事に表現されています。劇的に終わる構成も、アリアやカヴァティーナではなく敢えて「大シェーナ」としたヴェルディの意図を強く感じます。

上記の役に較べるとマクダフは普通のテノール役で、特段意欲的な音楽はつけられていません。これは上述のとおり初演の歌手の非力さに起因するというのがよく言われる話ではありますが、やっぱりヴェルディの関心が低かったように私には感じられます。とはいえ彼のアリアは伝統的でありながら、非常に悲痛で聴く者に訴えかけるものです。この時期の他のテノールのアリアなどと比べても(例えば次回作『群盗』の主人公であるカルロなどよりずっと)、ずっと見事な曲なのは、やはりヴェルディの本作への思い入れでしょうか。

マルコムはマクダフの補強用の役と言う程度だとは思います(カバレッタ部で延々ユニゾンとかどんだけ期待されてないんだよって感じですねw)が、清潔感と若さのあるテノールが期待されるでしょう。

合唱もマクダフのアリアの前の曲がまるっと変わるのをはじめ、改訂でかなり手直しされますが、全体的に改訂後の方があやしげでドラマティックな雰囲気が増しているように思います。この作品では特に女声合唱、魔女の合唱の出来が作品全体の雰囲気を左右します。この作品に登場する人々、マクベス夫人でさえ手玉に取っているのは、彼女たちだからです。ヴェルディは夫人を醜くて汚い声の歌手が歌うべきだということに拘ったと言いますが、魔女たちについても同じことが言えると思います。整然と綺麗に統率された合唱で魔女たち、と言われて納得がいくでしょうか。合唱各人の声のエッジが立たせたような、別の言い方をすればめいめいが勝手に歌っているような猥雑さが欲しいところです。

<参考音源>
○ジョン・マテソン指揮/マクベス…ピーター・グロソップ/マクベス夫人…リタ・ハンター/バンクォー…ジョン・トムリンソン/マクダフ…ケネス・コリンズ/マルコム…リチャード・グレーガー/BBCコンサート管弦楽団&合唱団
>ちょっと意外なメンバーによる演奏ですが、この時期BBCはヴェルディの有名作品の初演版とか埋もれた版を演奏するのに凝っていたらしく、『シモン』の初演版も遺していますし、『ドン・カルロ』に至っては恐らくはそれまで演奏されたことがあるのかすらわからない超原典版の録音もしています。で、この演奏ですが、個人的にはかなり好き。正直オケも合唱もあんまり巧いとは思わないんですが(祝宴の場面とかクラが派手にリードミスしてるしw)、それがこの欧州の辺疆の古びた雰囲気に包まれた世界に逆に非常に合ってるんです。魔女の合唱なんかも程よくへたくそ(笑)一方でソリストたちはそれぞれにレベルの高い歌唱で、いいバランスを保っています。何と言ってもマクベスのグロソップが立派。意外と音源が少ない人なので、ここでの登場は嬉しい限り。荒々しい声と堂々とした存在感で、聴き応えがありますし、モダンな独白もベルカントな幻影の場も過不足ない表現で満足できます。僕自身は未聴ですがリゴレットで鳴らしたというのもよくわかる表現力、演技力です。ハンターは如何にもこの役にあった棘のある声ですし、転がしも悪くありません。附加的な高音をつけたりしていてそれなりにカッコいい。けど、もうちょい迫力が欲しいかなあ。グロソップが立派なだけにもう少し味付けの濃い歌唱の方が暴走する夫人らしさが出てくると思うのです。バンクォーは有名な割にあまり私には縁が無いトムリンソンですが、ここではグロソップに負けず劣らず重厚かつ不吉な雰囲気で◎ただ、大シェーナはソット・ヴォーチェやクレッシェンドを意識し過ぎたのか、声の飛びがよくない個所があります。コリンズはやや線が細い気もしますが、ハリと金属光沢のある声で、この役らしい若々しさを感じさせて呉れます。マクベスの初演版を聴いてみようと思う好事家には、望外の充実した歌を楽しむことができることもあり、おススメできます。

○マルコ・グィダリーニ指揮/マクベス…イェヴゲニー・デメルジェフ/マクベス夫人…イアーノ・タマール/バンクォー…アンドレア・パピ/マクダフ…アンドレア・ラ=ローザ/マルコム…エミール・アレクペロフ/伊国際管弦楽団&ブラティスラヴァ室内合唱団
>最近の演奏ですがこれも楽しめます!恐らく更新日現在存在する2つしか無い録音が、両方とも作品の良さがわかる音源だというのは、嬉しいところです^^グィダリーニの采配によるところだと思いますが、この時期のヴェルディらしい熱気はこちらの演奏の方があります(ライヴだからって言うのもあるでしょうね)。全体に前に進む音楽で気分がいいです。合唱はちょっと綺麗すぎるかも。マテソンより巧いとは思うのですが、やはり汚らしさが欲しい。オケは上記のBBCより巧いと思いますが、生っぽい汚い音も入っていて綺麗すぎなくて程よい匙加減笑。マクベスのデメルジェフは勃国のバリトンだそうで、ここでしか聴いたことはないですが、結構な実力者だと思います。暗い音色の厚みのあるバリトンで役にもあっていますし、終幕のアリアの表情付けなど知的なコントロールを感じます。独白も劇的で見事ですし、幻影の場も引き込まれます。タマールはセミラミデがいまいちだったので期待してなかったのですが、こちらの方がうんと好演。技術的な部分はや附加的な高音などはハンターに譲るものの、狂気に満ちた隈取りな雰囲気など全体的には彼女の方が出来がいいと思います。これならアビガイッレやオダベッラを歌っても良さそうです。パピは何度か来日しているバスでありながら諸々の事情でスルーしていたんですが、いくつかの録音を聴いて聴くべき人だった…と痛く反省しています。深々とした重厚な響きのある声で、何処かシエピを思わせるようなところがあってかなり好みです(シエピよりはかなり粗っぽい歌になるところもあるのですが)。ここでもどっしりとしたバンクォーを演じていて公演を支えています。ラ=ローザは頑張ってはいますが、コリンズより細い声でちょっと流石に^^;有名キャストではないものの、全体にはこちらも十二分におススメできるものです。
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Dimetrodon

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ディメトロドン
Dimetrodon limbatus

予言どおり、ディメトロドンを作ってみました^^

恐竜ではないながら、昔は恐竜グッズの定番キャラのひとつで、こいつがいたからスピノのグッズは少なかったとも言えます。ところがJPIIIにスピノが登場して以降、スピノの人気が急上昇、煽りを食らってこいつの関係商品は殆ど見なくなってしまいました。子どものころはスピノさんのが欲しかったけど、今考えるとディメさんのグッズの方がうんと欲しいなぁ←あまのじゃく

恐竜ではないなら何なの?というと、単弓類というグループの生き物になります。
こういう言い方をすると分岐分類の方に怒られそうですが、ざっくりいうと単弓類というのは両生類から進化し、我々哺乳類へと進化した生き物の一群。昔は「哺乳類型爬虫類」という言い方だった連中が、今は爬虫類とは別個のグループと考えるのが一般的になってるんですね^^
本blogでは過去にもエステメノスクスをご紹介しています。

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今回こだわったのは帆の厚みと体の厚みの落差。
帆はあくまでも背骨の突起ですから、横から見ると派手なんですが前から見ると薄いんですね。に対して体には内臓なんかが入っていてでっぷりしてる筈。折り紙だとここの部分って結構考えないで横から見る作品が多い(少なくとも私が過去創った帆かけ恐竜アマルガデイノケイルスアクロカント、スピノはみんなそう^^;)ので、敢えてそこをちょっと折りだしたいなと。

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尻尾は結構長めです。
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アッティラ

アッティラ
Attila
1846年初演
原作:ツァハリウス・ヴェルナー
台本:テミストクレ・ソレーラ、フランチェスコ=マリア・ピアーヴェ

<主要人物>
アッティラ(B)…史実上のフン族の大王アッティラ。史実では欧州を席巻して当時住んでいたゲルマン民族の大移動を引き起こし「神の鞭」と恐れられた人物。フン族の子孫とされる洪人の間では未だに人気があり「アッティラ」は一般的なファースト・ネームとなっている。が、この作品の中では台本上はなよなよくよくよしていてなんだかなぁと言う感じ^^;アリアでは幻影に魘され、その後のフィナーレで恐れ慄くところはそれはそれでいいと思うし作品中出来のいい部分だとは思うんだけど、折角ならもう少し暴君ぶりを発揮して呉れても良かったんじゃないかしら。とはいえ、音楽面では主役らしい堂々たる楽曲が当てられており、バスとしては一度はやってみたい役かも。特に上述した不安に苛まれるアリアから豪快なカバレッタ、或種の狂乱場面と言ってもいいフィナーレの当たりなんかは表現力のあるバスに演じて欲しいところ。また、同じ王でもフィリッポのように老年の貫禄を感じさせるよりは豪快な若々しさがある方が個人的にはいいと思う。
オダベッラ(S)…アクイレイアの領主の娘。主要人物の中では数少ない史実にはない人物で、原作ではヒルデグンテという思いっきりゲルマンな感じのお名前。ヴェルナーはゲルマン大移動を意識した設定なんでしょうが、この作品の初演はヴェネツィアですから、そこはやっぱりサービスして伊女にしているんでしょうね。戀人に対して情熱的な愛を注ぐ一方で、父を殺したアッティラに復讐を誓う男勝りな猛女として描かれる。アッティラの求婚を受けながらも、最後には彼を刺殺する(一般的にはアッティラは急病で死んだとされるが、妻に殺されたという説もある)。音楽的にはアビガイッレの流れを汲みマクベス夫人へと繋がる役であり、ドラマティコで上から下までゴリゴリ転がしを入れて行かなくてはいけない超難役。
エツィオ(Br)…ローマの将軍であり、アッティラとは旧知の仲でもある英雄。史実では「最後のローマ人」と称されたフラウィウス・アエティウス(伊語ではアエティウスがエツィオとなる)で、カタラウムヌの戦いでアッティラを潰走させた。彼の有名なカバレッタの中には「最後のローマ人の死に、全伊国が涙するだろう」という歌詞があるあたりは当然狙っているし、アッティラと交渉する重唱の中で「全世界をそなたにそなたに委ねよう、しかし伊国だけは私に残して欲しい」なんていう歌詞なんかも含めるとリソルジメントに燃えていた当時の伊人の熱狂をもろに狙っている。こういうあたりソレーラの手腕はかなり見るべきものがあるように思う。途中で仕事投げたけど。実際今日の耳からしてもこの役に与えられている音楽は骨太でカッコいいものばかりであり、声量のあるヴェルディ・バリトンにこそ歌って欲しい役。とはいえ、カッコいいことをカッコいい音楽に乗って歌う割には、実際の台本上の決めどころはオダベッラに持って行かれてしまっている感はあるのだが…。
フォレスト(T)…オダベッラの戀人。原作のヒルデグンテの戀人はアッティラとの戦いにより既にこの世にいないことになっているが、歌劇的な効果を考えて登場しているオリジナル・キャラ。とは言えこの人単なるオリジナルではなくアッティラの侵攻から逃れアドリア海にヴェネツィアを築いたという伝説から取られた人物で、彼と伊人に設定し直したヒロインを戀仲にするあたり初演の地ヴェネツィアの人々の心を擽る工夫をしっかりしていてソレーラの手腕は以下略。途中で仕事以下略。ただ、台本上はあんまりカッコいい見せ場がある訳ではない所謂フツーのテノール役で、正直オダベッラの尻に敷かれそう。与えられている音楽もそれなりにカッコいいんだけど、対決する英雄たちや隈取りのヒロインと較べちゃうと分が悪い。
レオーネ(B)…ローマ在住の謎のおじいちゃん。アッティラの夢に現れたのち、現実でも登場して彼を怯えさせる。この作品だけ見てると何故このおじいちゃんがこんなに不吉でおぞましいのか皆目わからないが、実は彼の正体は史実でアッティラと会談し和平を結んだ教皇レオ1世。当時は聖職者を舞台に登場させられなかったりとかっていうことがあったんで、こんなことになるんですね^^;登場場面はその預言の部分だけで、印象的なフレーズも1ヶ所だけなんだけど、そこが作品の中で超重要なところなので、しっかりとした厚みと迫力のあるバスにやって欲しいところ。そういう意味じゃモンテローネ伯爵や修道士と同系統ですね。けど、実際ないものねだりよねー。
ウルディーノ(T)…アッティラの忠臣。と思いきや伊人たちと繋がっていて、アッティラに毒を盛ろうとする。が、オダベッラに阻まれる。劇作品的にはこういう人は舞台装置みたいな役割になってしまうが、現実にはこういう人がいるのは大事っていう、まあなんというか美味しくない役回りの人ですよね。あ、でも結構歌うし目立つよ!

<音楽>
・前奏曲
○プロローグ
・導入の合唱
・オダベッラのカヴァティーナ
・アッティラとエツィオの2重唱
・フォレストのカヴァティーナ

○第1幕
・オダベッラのロマンツァ
・オダベッラとフォレストの2重唱
・アッティラのアリア
・フィナーレ

○第2幕
・エツィオのアリア
・フィナーレ

○第3幕
・フォレストのロマンツァ
・オダベッラ、フォレストとエツィオの3重唱
・アッティラ、オダベッラ、フォレストとエツィオの4重唱フィナーレ

<ひとこと>
仕事としては依頼されたものですが題材としてはヴェルディ自身がやりたいと言って出来た初期のもの。何故だか理由はよくわかりませんが、近年人気が出てきていてあちこちでかかっているようです。
よく言われているように、台本を当初ヴェルディはピアーヴェと検討しますが途中でソレーラに依頼します。ソレーラとはナブッコでも仕事をしていますし、題材に合うと思ったのかもしれません。ところがソレーラが途中で仕事を投げて愛人と国外へ行ってしまいました。仕方がないので慌てて残りをピアーヴェに任せたので、曲目リストを見るだけでもその竜頭蛇尾っぷりがよくわかる残念な感じになってしまいました^^;これを以てこの台本やソレーラやピアーヴェは非難をよく浴びているし、その気持ちは僕も良くわかります。特にソレーラはあれだけ壮大に始めたんだから、壮大に完結させて欲しかった。
とは言え、ソレーラがやった部分の仕事を純粋にみると、このひと全体の一貫性は兎も角舞台の盛り上げ方をよく知ってるなあと玄人っぽさを感じるのも事実です。特に上述したようなリソルジメントが活発となっていた時代のヴェネツィアで初演と言うことを考えたキャラの改編や科白などは本当にいいところを狙っているなと。まあだからこそ完結しろよ、という気分にもなる訳ですが^^;一方、ソレーラとは持ち味が大分違うのに、彼が拡げるだけ広げた大風呂敷の回収を命ぜられたピアーヴェも気の毒な気がします。

このやっつけ台本につけられたヴェルディの音楽は、全体的には初期ヴェルディの中にありながらも、いろいろなことを試している感じがします。そして作品を通して見たときには、台本がああですからまあしょうがない気はしますが、やはり前半の方が勢いがある充実した音楽で、2幕後半から急激に失速する印象は否めません(とか言いながら、個人的には3幕フィナーレの4重唱は結構好きだったりするんですが。終わりがあっけなさすぎるけど)。

題名役の蛮王アッティラの人物像が、全体としてぱっとしないと言いますか弱々しいものになってしまっているのがこの作品の最も残念な点だと思います。豪快な英雄らしさに溢れているのがプロローグぐらいになってしまっているのは誠に勿体ない。個人的には1幕の不安なアリア、一転して豪放なカバレッタ、独り震えて別のパートを歌うアンサンブルというあたりの出来は凄くいいと思っていて、これでそれ以外の場面で暴君ぶりが発揮されていれば、多面的な人物になって凄く良かったのではないかと思うのです。当のアリアからアンサンブルまでの流れは気持ちの変化が激しい部分なので、歌手にはかなりの表現力が求められるところです。アリアはこの後『マクベス』でのバンクォーの大シェーナに繋がる音楽であり、漠然とした不吉な気配を恐れる様子をしっかり出して欲しいし、台本上の展開はやや唐突な感じはあるものの、そのあとローマに侵攻することを考えると、カバレッタは一転して勢いを以て決然とした豪快な歌を求めたいところ(古い録音だと時々カバレッタがカットされていますが、これは流れを考えるとあった方がいいと思う)。その後のアンサンブルはやはり恐れ慄いていますが、ここでは予知夢が的中した恐ろしさですから、アリアとは区別をつけなければならない、となるとやはりこのあたり要求が多いですね。また、全体にキャラクターがなよっとしてしまっているので、数少ないパワフルさが見せられる場所としてプロローグの重唱では堂々たる歌唱が期待されます。ここでのアッティラとエツィオの会話は、А.П.ボロディン『イーゴリ公』のイーゴリ公とコンチャク汗の会話と並ぶオペラでの英雄の対決ですから、序盤ではありますがぶっ飛ばして欲しいですね^^もうひとつ、キャラの弱さを補うために、逆説的ではありますが立派な声の堂々たるバスが演じるのが好ましいと思います。並みの歌手ではなよなよへろへろっぷりが強調されてしまいますから(苦笑)加えて言うなら、この役はフィリッポのような或る面枯れた人物ではないので、若々しい声の人の方が合うように、個人的には思います。

オダベッラは久々の強烈な女声キャラでまさに女傑という言葉がふさわしい人物造形で、アビガイッレの延長線上にあると言っていいでしょう。実際本編の主人公は彼女でしょう。とは言えこのひとも描き込みが非常にしっかりしているとは言い難い部分があって、祖国の敵である以上に父の敵であるアッティラが憎い、というところまではいいと思うのですが、そこからどうしても我が手で殺したい、というところにはちょっと隔たりが大きいような。どう考えてもフォレストの毒杯で殺してしまう方が正常な判断で、このあたりが彼女をエキセントリックにしていると言いますか、悪く言えば現実味に乏しい人物にしてしまっている気がします。フォレストはこんな女性が戀人では長生きできないんではないかと余計なことが心配になってしまうレベルです^^;が、彼にはぞっこんっぽいのでそのあたりの二面性をうまく織り込めるひとでないと厳しいのかなと。音楽的にはアビガイッレ、マクベス夫人と並ぶ厄介なもので、上から下まで鳴るドラマティックな声と転がしの技巧が要求されています。開幕早々のカヴァティーナはテンポも速く溌溂としたもので、カバレッタが2個続くようなもの。2幕のロマンツァは一転して静かでロマンティックですが、これも芯の強い声の方が栄えるでしょう。

フォレストは他のキャラクターに較べると言いますか相方が隈取り異常人のオダベッラですから存在感が薄い気がしますが、そうは言っても彼女との絡みが2回もありますし独唱も2つもありますから、力量のある人にやって欲しいところです。テノールにはありがちな戀人のことで一喜一憂させられる人物ではあるものの、彼の場合は武人としてやることはやっている気がしますし、何より相手があのオダベッラですからまあ振り回されても仕方ないですね笑。後のヴェネツィアを興した人物のカメオ出演でもありますし、ロブストな歌手の方が個人的にはキャラクターにあっているように思います。一方で、当てられている音楽はやはりまだベル・カントの匂いのするものなので、様式感はしっかり出して欲しいです。

アッティラと対峙するもう一方の英雄エツィオは、話の筋上は美味しいところをオダベッラに持って行かれてしまっている感はあるものの、力強い声のヴェルディ・バリトンにやって欲しい役です。史実ではアッティラをカタラウヌムで撃破した人物でもあり、プロローグでは互いに認める人物として彼と語り合う訳ですから、堂々たる存在感がなければ務まりません。当然ながら大前提として歌が確かである必要はあって、この役もまた様式感が欲しいところです。音楽的にはベル・カントの匂いのする、ややあっけらかんとした嫌いはあるものの、アッティラよりむしろ豪傑然としたもので、主な見せ場であるアッティラとの重唱もアリアも聴き応えがあります。楽曲としてはそうした派手な見せ場がある割に台本としては活躍も少なく一面的な人物になってしまっている感も否めないので、ソレーラが実際後半をどうするつもりだったのかはわかりませんが、想像するに多分彼が仕事を投げたせいで一番割を喰ってしまったキャラクターではないかと思います。アッティラやオダベッラとの絡みがもう少しあったらもっと面白い役になったのではないかという気がしますし、愛国者的な面とは違う一面を見せる内面的なアリアがあったら深みが増したような。とは言え作品自体がリソルジメントものですし、そういうキャラですから(笑)、ちょっと厳しかったのもわからなくはなく…ただちょっと勿体ない気はしていたりします。

レオーネは脇役ではありますがキーロールでしょう。上述のとおりモンテローネ伯や修道士を彷彿とさせます。迫力と深みのあるバスに演じて欲しいところですが、なかなかそこまで手の回っている録音はありません。近年の上演では史実に即して教皇の姿で登場させる演出もあるようですが、個人的にはもう史実なんて全然関係ない台本ですし、敢えて元設定に戻さないで謎のおじいちゃんの方が迫力があるように思います。

<参考音源>
バスが主役なので(笑)、知名度の割にいろいろ聴いてますw今回は取り上げませんでしたが、アッティラなら異民族らしい迫力のあるガルデッリ新盤のネステレンコ、エツィオならいくつか音源のある荒ぶる猛将G.G.グェルフィ、フォレストならパタネ盤のロブストなルケッティもそれぞれおススメです。オダベッラはなかなかいい歌唱に出会えないなぁという印象ですが、ムーティ盤のステューダーは声のリッチさと色合い、迫力、技術等すべてひっくるめた上でベストの歌唱と言ってもいいかもしれません。是非に。

○ジュゼッペ・シノ―ポリ指揮/アッティラ…ニコライ・ギャウロフ/オダベッラ…マーラ・ザンピエリ/エツィオ…ピエロ・カプッチッリ/フォレスト…ピエロ・ヴィスコンティ/レオーネ…アルフレード・シュラメク/ウルディーノ…ヨーゼフ・ホプファヴァイザー/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団 & 合唱団
>『アッティラ』と言えばこれ!という不滅の名盤。切れば血が出るのではないかと言う熱く滾った凄演だということで、このblogでも繰り返しご紹介してきました。今回改めて聴いてみて、何と言ってもやはりカプッチッリを聴くための録音だと再認識しました。入りがずれたりとかライヴらしい疵がないかと言えば嘘になりますが、これが劇場でのヴェルディだ!と言わんばかりの熱血歌唱で、これで興奮しないならヴェルディに関心がないかバリトンに関心がないかのどちらかだと思います(笑)カバレッタでのハイBと喝采に応えてのBisが取り沙汰されますが、格調高いカヴァティーナやギャウロフとの丁々発止のやり取りも必聴です。そのギャウロフは声に衰えがあり、圧倒的な迫力で押してくる演奏を期待するとちょっと拍子抜けしてしまうかもしれません。しかしその歌のスケールの大きさは稀有のもので、台本上のずっこけぶりを忘れさせてくれる史上の英雄らしい力強いキャラクターを感じさせます。いつもながら表現力に秀でており、一番の見せ場であるアリアから1幕フィナーレまでも天晴な歌唱。懐の深さ、老獪さで行けば一番でしょう。シノーポリの采配もお見事で、ハイテンションな演奏ながら、テンションだけの演奏ではない理知的な印象も受けます。ウルディーノに脇の名手ホプファヴァイザーも嬉しいところ。一方でザンピエリとヴィスコンティについてはあまり褒めちぎったことは書けないなと思いました。ザンピエリは声質がやや可愛らしいのには目を瞑るにしても迫力がもう一声で、この役の強烈さが表現できていないと思います。また、細かい音符が流れてしまっているのもいただけません。ヴィスコンティはちゃんと歌ってはいると思うのですが、ちょっと線が細い印象なのとちょっとなよなよし過ぎな感じ。シュラメクは自分の仕事はしていると思いますが、如何せん他の低音陣が強すぎて印象が薄い(^^;

○ランベルト・ガルデッリ指揮/アッティラ…ルッジェーロ・ライモンディ/オダベッラ…クリスティーナ・ドイテコム/エツィオ…シェリル・ミルンズ/フォレスト…カルロ・ベルゴンツィ/レオーネ…ジュール・バスタン/ウルディーノ…リッカルド・カッシネッリ/ロイヤル・フィルハモニー管弦楽団 & アンブロジアン・オペラ合唱団
>非常に平均点の高い演奏で、アッティラがどういう演目なのかを知るにはこちらの方がいいかもしれません。後年のガルデッリはテンポがたるみがちになったり、緊張感がいまひとつな演奏が多くなりますが、このころはまだベスト・フォームではないでしょうか。初期ヴェルディをよくわかった実直な指揮ぶりだと思います。全盛期のライモンディの若々しい声が大変素晴らしいです。スケール感や野性味こそ他よりも劣るかもしれませんが、精悍で雄弁な歌いぶりは実にスタイリッシュで、耳に心地いいです。野蛮な異民族の王と言うよりは、誇り高い君主と言うイメージです。他のキャストとの声のバランスもあらまほしきもので、音楽的な歌唱と言う意味では最も範とすべき演奏だと思います。スタイリッシュと言う点で行けばベルゴンツィもまた、彼らしい真摯な歌唱。声は衰えたかなとも思わなくはないですが、格調の高さで行けばベストのフォレストと言っていいでしょう。特に登場のカヴァティーナでのpを多用した繊細な表現にはうっとりします。前述のとおりこの役はロブストな声の方がいいとは思うのですが、こういう絶妙な味付けもできればなおよしです。ま、ベルゴンツィだからできるという説もありますが…笑。ミルンズもいつもながらたっぷりとした豊麗なバリトンで恰幅のいい将軍です。彼の藝風はより理知的な印象を与える歌唱ですから、燃える闘将という風情だったカプッチッリやパワフルなG.G.グェルフィに較べるとよりクールな雰囲気です。エツィオのキャラクターを考えるとこういうのもありかと。そしていつも思いますが、彼の声はライモンディと非常に相性がいいですね!このコンビで歌っているときは実に気分がいいです。で、オダベッラのドイテコムなんですが、この人がね~好き嫌いが分かれるかなと思うんです。技術的には全く問題ありませんし、迫力と言う面でも充分かなとは思います。ただ、ジゼルダの時もそうでしたが彼女の硬質で澄んだ声質がこの熱気の初期ヴェルディに合うのかと言われると、躊躇するところがあります。例えて言うなら、赤い色が欲しいところに黄色を塗ってしまって、それもまあ悪くはないんだけどなんとなくちぐはぐな感じと言いますか。純粋に歌唱技術でいったらピカイチなのですが。バスタンは藝の幅が広くて私自身大好きなバスなのですが、レオーネには流石に声が明る過ぎ・軽過ぎ。珍しくこの役にしては大物起用なんですけどね^^;

○ブルーノ・レンツェッティ指揮/アッティラ…フェルッチョ・フルラネット/オダベッラ…ディミトラ・テオドッシュウ/エツィオ…アルベルト・ガザーレ/フォレスト…カルロ・ヴェントレ/レオーネ…ダニエル・トニーニ/ウルディーノ…アレッサンドロ・コンセンティーノ/トリエステ・ヴェルディ歌劇場管弦楽団 & 合唱団
>比較的最近の演奏です。レンツェッティの指揮は多少の粗っぽさを感じなくもないですが、勢いがあり快活で悪くないで。初期ヴェルディの熱っぽさがよく出てる。とは言え一番の聴きものは野性味溢れるフルラネットでしょう!かなり大胆に荒々しさを前面に出した歌唱なので乱暴さが気になる向きもあるかと思うのですが、だからこそ異民族の猛者らしさが余すところなく表現されていて、スラヴ系の歌手たちよりもむしろそれっぽさを感じます笑。近年の彼のヴェルディに感じるところですが、崩しの絶妙さが功を奏していると言えそうです。これだけ荒ぶって呉れれば暴君的側面も際立ち、台本の弱さも補われるように思います。ついでテオドッシュウのド迫力歌唱が印象に残ります。やや転がしがもたつくところもあるものの、これだけパワフルな声でこれだけ歌って呉れれば文句なしと言うところで、オダベッラのちょっと異常なキャラクターが際立つ理想的な歌でしょう。まさに気迫の歌唱です。この2人の大迫力大相撲歌唱に較べるとガザーレ、ヴェントレは丁寧な歌唱ではあるものの印象が薄いです。ヴェントレはまあ悪くない一方、ガザーレは声自体は立派だと思うのですがどうものぺっとした歌い口でちと残念。フルラネットとの対決では完全に力負けしています。
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Spinosaurus

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スピノサウルス
Spinosaurus aegyptiacus

懲りずにアクロカントさんを更に改訂しようと思っていたら、また別の恐竜が出来てしまいました。
っていうか普通はこいつを先に作ろうと思うよねw
JPIIIに登場したことで一気に市民権を得たやつですね。昔はこいつを知ってたりこいつのグッズ持ってたりするとちょっと通な感じがあってかなり好きだったんですが、最近はすっかり大スターになってしまってそんなに萌えなくなってしまい、創るのがかなり後半になってしまいました←
カルノタウルスの時もそんなこと言ってましたね^^;

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あとは背中の特徴的な背鰭もなんとなく鶴の背でどうにかできてしまいそうだったのも、気が進まなかった理由だったのですが、アクロカントをいじっているうちにこの背鰭を結構作りこんだスピノがやれそうだぞと気が付きまして。そうなると俄然やる気が湧いてきたりしてw
スピノが有名になった反動ですっかり地味になってしまったディメトロドンもこれでやれそう。ちょっとやってみようかな。

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非常に有名な恐竜ではあるのですが、かつては化石が非常に少なく、全体像のわからない謎の恐竜として知られていました。
というのも埃国でこいつを発見した古生物学者エルンスト・シュトローマー・フォン=ライヒェンバッハ男爵はもう見ればわかるとおり独人で、そのホロタイプは第二次大戦の空襲で博物館ごと焼失してしまったのです!このため長いこと特徴的な背鰭のある巨大な肉食恐竜(現在のところ史上最長の肉食恐竜)という情報ばかりが独り歩きして、実体はさっぱり研究が進んでいないという有様だったのです。実際私が子供のころの恐竜図鑑を見るとアロサウルスのような普通の肉食恐竜っぽい頭がついていて、同じく背鰭のあるアクロカントやアルティスピナクス(この名前も懐かしい!)などから進化したという、いまでは考えられない説明がなされています。
近年の再発見で顔はむしろ魚を食べていたバリオニクスなどに近い、ワニを思わせる面長のものであることがわかっています。2009年の幕張の恐竜博では成体の巨大な復元全身組立骨格が話題となりましたが、個人的にあの時大感動したのはむしろ亜成体の全身骨格!だって幻と言われたスピノサウルスの実骨だったんですよ!あれがむしろ目玉だろうよ~、と思ったものです。
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