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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第七十夜/人知れぬ涙~

さてさてまた切番です。
三“アラ”テノールは一時休憩して、切番恒例の楽器に耳を向けるシリーズをお送りしたいと思います^^
フルート、オーボエ、クラリネットと徐々に音域の低い木管楽器へと移って参りましたが、今回はその殿軍、クラシックの木管アンサンブルを支えるファゴットの登場です。ファゴットまたはバスーンと日本では呼ばれていますが、この両者を同一の種類の楽器と見做すのか、それとも別の楽器と見做すのかは意見の分かれるところのようです。とは言え、ここではそこに踏み込み過ぎると余計に長くなりますので(笑)、ファゴットという呼び方で統一しようと思います。
また、オーボエの時と同様、長くなるので楽器の詳しい説明は敢えてしません。いまいち馴染みの薄い楽器とされがちなのは音量の大きな楽器ではないというのもあってポップな音楽での露出が少ないからですが、映画音楽では独特の味わいを聴かせていることも少なくありません。クラシックでの活躍は目覚ましく、オペラでもしばしば美味しいところを持って行く存在です。
割に一般的にみなさんがご存じの音楽で言うなら、大山のぶ代時代のドラえもんでのび太が怠けているときのBGMですね。或年代以上の方にはこれが一番わかりやすいかと笑!

Fagotto.jpg

・ネリスのアリア“あなたと泣きましょう”(L.ケルビーニ『メデア』)
所謂オペラらしい絡み、声楽パートとのガッツリとした絡みという部分で言うならば、このネリスのアリアをまずは挙げたいと思います。歌手と同等の主役的な扱いですが、ロッシーニの作品で遣われた他の楽器のように技巧的なパートではなく、ゆったりとたゆたうようなもの悲しい旋律を歌います。このようにしてファゴットは深い哀しみを表現するときによく登場する楽器だと思います。それは決して過激で強烈な悲しみではなく、淡々と沈んでいくような重たい哀しみ……これがこの楽器のひとつの魅力です。ここでもファゴットがネリスの想いを、より深々と聴く者に印象づけます。

・ファン=ベット市長のアリア“おお聖なる法よ!”(A.ロルツィング『ロシア皇帝と船大工』)2015.11.19追記
歌とがっぷり絡むものをもうひとつ。ロルツィングは日本でこそあまり知られていませんが、独国におけるドニゼッティのようなポジションの人で、明るくて楽しい作品をたくさん残しています。この作品は彼の代表作で、ファン=ベットはコミカルな役どころ。所謂ABA形式のこのアリアでは、B部分のメロディアスな歌にファゴットが何処かのんきでとぼけた色合いを添えて行きます。ネリスのアリアでは重厚感のある哀しみの表現が得意と述べましたが、こういうのもこの楽器は得意中の得意。ソロを取るときは比較的高い音で出てくることの多いファゴットですが、ここではバスとどっしりした低音の掛け合いを繰り広げ、両者最低音のあたりでは重みのある響きがかえっておかしみを増しています。狂乱の場でのルチアとフルートの掛け合いと或意味似たようなことをしているんですが、その結果の印象が180度違うというのは非常に面白いですね^^

・ネモリーノのアリア“人知れぬ涙“(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)
ファゴットの活躍するアリアとしてより有名なのはこの曲でしょう。ドニゼッティの書いたテノールのアリアの中でも断トツの人気を誇るこの曲でも、ファゴットはイントロから旋律を取り、ネモリーノの気持ちを先どります。ここでのこの役は悲しみに沈んでいる訳ではなく、愛する女性の涙から彼女の自分への想いを確信していくというような内容ですが、ここでは歌詞以上にその音色が雄弁に彼の想いを吐露していると言えるように思います。このアリアの間ずっとネモリーノは不安なのです、本当にアディーナの想いが自分にあるのかどうか。そのもやもやとした考えを、ファゴットの音色は非常によく表現しています。この曲はオペラ全体の中でのポジションも含めて非常によく出来ていて、そこまでのどんちゃん騒ぎ的なブッフォの音楽が、このアリアですっとトーンダウンした内面的な音楽になって緊張感がぐんと増すのです。このあたりドニゼッティ先生の手腕は流石だなあと個人的には思わされるところ。

・レオノーレのアリア“悪漢よ何処へ急ぐ”(L.v.ベートーヴェン『レオノーレ』)
ファゴットはそもそもあんまり細かい動きに向いた楽器ではないと思うのですが(私見。大学の吹奏楽で吹いてた時は16分の連続が出てくると萎えたものです……や、もっとちゃんと練習したら違うんだろうけど)、ヴィルトゥオーゾ的な音楽が用意されることもあります。で、オペラの中でこれは凄いなと思うのがこれ。有名なアリアですが、『フィデリオ』の方ではなくその原型となった『レオノーレ』の方です。ベートーヴェンの書いた唯一のオペラは『フィデリオ』だと言いますが、この『レオノーレ』とは結構音楽が違います。このアリアについても楽聖はかなり手を入れていて、特に後半が大きく異なります。よく言われるとおりベートーヴェンは声楽に疎かったため、かなり無理な要求が多く(僕の先輩はあの交響曲を『第9番叫び付』とよく言ってました)、『フィデリオ』版でもこの曲は充分えっぐいのですが、『レオノーレ』版は更にそのえぐさが度を越しています。前半のドラマティックな歌は同じまま、後半延々とコロラトゥーラを繰り広げるのです!最初聴いたとき、正直アホかと思いましたw(エッダ・モーザーはよく歌っていて感動もしましたが)。話が大分脱線しましたが、実は部分でこそファゴットが活躍します!ここまで歌ってきてそれをやるんかい!と思ってしまうレオノーレと一緒にその猛烈なコロラトゥーラをなぞっているのがファゴット!両者ともに鬼気迫る細かい動きは圧巻です。ファゴットの音色はここまで出てきた哀しげな旋律や不安な旋律では漠然としたやわらかなタッチで雰囲気を作るのですが、こうした細かな動きではぐっと活き活きとした、ヴィヴィッドな印象を受けます。流石にこれはあかんと思ったのか大先生はその後カットする訳ですが、歌も楽器もこれをできたら本当にカッコいいと思います!

・序曲(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
細かい動きで活き活きとした印象、と言えばこの有名な序曲の冒頭もですね^^ここでは他のパートとユニゾンではあるのですが、結構細かな動きをこなします。この作品のエネルギーが爆発する直前、卵の殻の中で何かが蠢いているかのようなこの動きの中では、個人的にはファゴットの音色が立つのが理想です。というのは上記のようなヴィヴィッドな感じとともに、この楽器の明るくてとぼけたがこの作品の雰囲気、この「ばかげた一日」の幕開けに相応しいと感じるのです。流石はモーツァルト、他の木管楽器群との絡みも素晴らしく、何度聴いても新鮮な空気を保っているところには頭が下がります。

・第2幕前奏曲(G.ビゼー『カルメン』)
先ほどは序曲でしたが、オケの活躍する部分では結構出番があります。最たるものはこのカルメンの2幕への前奏曲。ここではジョゼがこの幕の中盤で歌う峻嶮な表情の旋律を先取りしてファゴットが奏でます。このあとの第2幕はジプシーの歌、鬪牛士の歌、盗賊団の5重唱…と華やかで豪華な音楽が続くので、そのちょっと手前で箸休めと言う感じの朴訥な音楽です。短いあっさりとした曲ではありますが、この楽器の個性的な音色によって演奏されることによって味わいのあるものとなっており、幕間の休憩が終わって聴衆が舞台にぐっと集中するのにピッタリ。ビゼーの天才が光る部分でしょう。

・悪役のテーマ(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)
個性的な響きのファゴットは、上述のようなあからさまに目立つ部分に限らず、特定のキャラクターに関連付けられる特徴的な音形で使われることも多いです。特にオーボエや低弦とと絡むと独特の怪しげな雰囲気が出るため、インパクトのある性格的な人物や、魔法の匂いがする人物、もっと言えば悪魔のテーマではよく登場します。ここでも4悪役に当てられた付点のリズムが印象的なテーマを、低弦とともに演奏します。このフレーズはたびたび出てくることもあり、かなり耳に残ります。特に近年の楽譜の校訂作業の結果、ダッペルトゥットのダイヤの歌をカットした演奏では、悪役の旋律としてはアリアよりも印象に残るかもしれない。どこかに胡散臭さを感じさせながらも、しかし絶妙にカッコいいんですよね。ニヒルなカッコよさと言いますか。こういう雰囲気を煽るのにファゴットは適役、と言う訳です。

・A.ボーイト『メフィスト―フェレ』
同じくファゴットがキャラクターの雰囲気を引きたてている例としては、この作品を挙げたいです。ここではどのフレーズ、テーマと言うのに拘わらず、悪魔メフィスト―フェレに関わる主題で繰り返しこの楽器が登場します。メフィストの登場、ファウストの前にメフィストが姿を現す場面、地獄の場面などなど。いずれもオーボエはじめ他の木管楽器と絡んでいく中で、西洋の民俗的・土俗的な空気、キリスト教的な神の世界と対置されそうな世界の空気を作りだしています。怪しげで諧謔味の効いたファゴットの音色で、小回りよく動き回る音楽を聴いているだけで、嘲笑気味に舞い遊ぶメフィストの姿が目に浮かぶようです。このあたりボーイトは超有名作曲家として歴史に名を残すほどにはなりませんでしたが、その手腕の確かさを感じさせるところ。個人的にはここでのファゴットの活躍が好きで、大学時代にちょっぴりファゴットを齧ったという経緯があったりします。

・フィリッポと大審問官の2重唱“玉座の前か”(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
最後にファゴットの特殊管、コントラファゴットが印象に残る楽曲を。ヴェルディが書いた奇曲、バッソ・プロフォンド同士の対決の場面です。ここでは当然フィリッポと大審問官の声楽陣も気になるところではありますが、低弦、低管、そしてティンパニ&バスドラムが中心の不気味なオーケストレーションも聴きもの。ここではコントラファゴット物凄い存在感が光ります。ピリピリするぐらいの低音の響きが、このグロテスクな音楽をよりおぞましくするのです。バスドラムと並び、この場面で大審問官の圧倒的なキャラクターを演出する隠し味だと言っていいと思います。

自分が吹いたことのある楽器だということもあって、この切り番シリーズでは一番ごっつりした内容になったようなそうでもないような(笑)
次回以降三“アラ”の残り2人に迫って行きます。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第六十九夜/抒情の歌い手~

仏国編、今回で一区切り。もちろん今後も仏国系の歌手はご紹介しますが!
そして併せて、同好の友人たちの間で「三“アラ”テノール」と呼んでいる人たちを順にご紹介していこうと思います^^

RobertoAlagna.jpg
Roméo (Gounod)

ロベルト・アラーニャ
(Roberto Alagna)
1963~
Tenor
France

いま一番の売れっ子テノールですね。若いな~というイメージがあったんですが、若手のテノールもたくさん出てきていますし、年齢的にもいまやヴェテランと言っていいでしょう。
両親はシチリア島の出身で仏伊両国の国籍を持っているそうですが生まれはパリ郊外ですし、彼の持ち味を考えても仏人と言う方がしっくりきます。

再三繰り返してきたように仏国の歌手を冷遇してきた日本ですが、以前ご紹介したドゥセと同じく、彼については正当な評価がなされており、知名度も高いです。尤も、知名度が高いのは2番目の奥さんだったアンジェラ・ゲオルギウとのテノール&ソプラノ美男美女カップルでの営業が功を奏したとも言えそうですが。ちなみに現在はゲオルギウとは正式に離婚し、アレクサンドラ・クルザックと3度目の結婚をしています。

実のところ私自身、かつてはアラーニャもゲオルギウもふたりでこういう売り出し方をしてるから受けてるんだろうと穿った見方をして、敬遠していた時期もありました。彼らの評判が毀誉褒貶激しいのは、私と同じような見方をしている人も少なくないのではないかと思います。今ではどちらも実力のある人で、真価を発揮する演目なら素晴らしい歌唱をするということを知っていますが(笑)

<演唱の魅力>
ヴァンゾ以来久々の本格仏国派テノール、というのが僕の彼の評価です。最近の歌手の常で幅広なレパートリーを歌っていますが、誰が何と言おうと彼の本領は仏もので最も発揮されていると思います。
まずはその持ち声のリリックさ。大変な美声ですが、伊的なハリや輝きがある訳ではなく、やわらかでクリーミーな印象です。かといって軽いとか鳴っていないとかそういうことはなく腰の据わったふくよかな声で、中低音には男らしい太さがあり、高音はヒロイックに響きます。ゴツい声を張り上げて劇場を盛り上げるのではなく、しっとりとした抒情的な旋律を歌いあげることにこそ向いた声と言ってもいいかもしれません。こうした特徴はいずれもギラギラ・ドロドロ・ハイテンションのヴェルディやプッチーニよりも、優美な仏ものやベル・カントでこそ活きます(と言っても、ヴェルディやプッチーニでも彼の適性に合った役はありますが)。加えて、彼の仏語は非常に耳に心地いいです。僕自身は語学の知識はありませんが、そういう耳からしても非常に自然な音に聴こえ、これがうまい仏語なんだろうなと感じさせます。ネイティヴなんだから当たり前と言えば当たり前なのですが、それをオペラと言う表現の中で美しく聴かせるとなると話は違ってくるわけです。そういう点で彼は極めてセンスのいい歌手だと言えるでしょう。

センスと言いますか持って生まれたものと言うところで行くと、この人整った顔はしてるんですが、非常にダメ男っぽさがあります。こう言うと何だかバカにしてる感じがしますがそうではなくて、オペラのテノールにはダメ男っぷりが出れば出るほどいいような役が結構あるのです。ドン・ジョゼ(G.ビゼー『カルメン』)しかりドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)しかり。それこそ三大テノールのカレーラスが得意とした役で、彼もまたダメ男っぽいテノールでした。声の立派さとか力強さとはまた別の、よく言えば儚げで憂いを帯びて影のある雰囲気、悪く言えば頼りなくて子供っぽい上に根暗な感じが出て欲しい。三大テノールにそのまま乗っかるのであれば、ドミンゴでは頼りがいがあり過ぎるし、パヴァちゃんではノーテンキ過ぎるのですね。こういう部分はもう天性のものと言いますか、持って生まれた素質だと思うのですが、アラーニャはこの路線の役が本当に嵌ります。そしてこういう役はどういう訳か先述のような抒情的な歌でのアプローチがいいことが多いのです笑。そんなわけで、ダメ男系の役を歌わせたら当代随一、と思っています。

<アキレス腱>
彼の好みなのかそういう解釈をしたいのか、或いは歌わせたがる人がたくさんいるのかわかりませんが、あまり彼に合っていないと思われる役もたくさん歌っています。それがアラーニャの第一印象だと、そりゃああんまりよくないって思うかもしれないなと。例を挙げるならマンリーコ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)、ラダメス(同『アイーダ』)あたりは正にそうですし、カヴァラドッシ(G.プッチーニ『トスカ』)もあまりいいと思いませんでした。未聴ながらカラフ(同『トゥーランドット』)も歌っているようですが、推して知るべきという気がします。同じヴェルディでもそもそも仏語で書かれたもの、先述のカルロはすごくいいし、アッリーゴ(『シチリアの晩禱』)はむしろ歌って欲しい気もするのですがないですね……入れて呉れないかなぁ、フリットリ、テジエ、ベロセルスキとかってキャストでパッパーノに振ってもらって。

<音源紹介>
・ロメオ(C.F.グノー『ロメオとジュリエット』)
プラッソン指揮/ゲオルギウ、ヴァン=ダム、キーンリサイド、フォンダリー、M.A.トドロヴィッチ共演/トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団&合唱団/1995年録音
>不滅の名盤。個人的にはロメジュリ最高の音源だと思っています。プラッソンの指揮も仏ものらしい華のある重すぎないものですし、共演陣もしっかり鳴るけども伊ものっぽくバリバリ鳴らす声でも独的な硬質な声でもなく品位のあるスマートな歌が持ち味の面々ですから、仏ものとして質が高いです。ロメオと言う役はいろいろなテノールがいい歌を遺している一方、どれも年齢を感じさせないと言いますか年齢不詳な歌唱が多い中で、ここでのアラーニャは本当に若々しく瑞々しい!歌手歴は兎も角年齢的には三十路を越えているにも拘らず、本当に少年のような雰囲気さえ感じさせます。彼の作る人物像の絶妙な不安定さが最高です。特に有名なアリアの抒情的な味わいと胸を締め付けられるような盛り上がりは本当に素晴らしいです。

・ドン・ジョゼ(G.ビゼー『カルメン』)
プラッソン指揮/ゲオルギウ、ハンプソン、ムーラ、テジエ、ヴィダル、カルス、カヴァリエ、リヴァンク、ブロン共演/トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団&合唱団/2002年録音
>現代の名演と言っていい録音だと思います。プラッソンの仏ものはいつも安心して音楽の世界に浸ることができますね、まさに自家薬籠中。普通は演奏されない秘曲を入れて呉れるところもありがたいですね(歌ってるのがそれぞれゲオルギウとテジエだし!)。一般にかなりドラマティックとされるジョゼですから、流石にアラーニャもかなりキャリアを積んでからの録音で、ロメオの時のような若々しさはありません。しかしこのハマりっぷりは尋常ならざるものがあります!やや体当たり的な歌唱がジョゼのやけくそっぷりと言いますか、ダメ男らしさを本当によく引き出しています。特に終幕の重唱では鬼気迫る歌で、ゲオルギウのカルメンすらちょっと喰っているんじゃなかろうか。対して花の歌でのリリックな歌は耽美的な雰囲気さえ湛えています。これがまた如何にも破滅していきそうな不安定さ!(笑)ゲオルギウは前半こんなもんかなと思いきや後半調子を上げてきます。ちなみに、彼女のソプラノらしい華やかな声だとハバネラよりはビゼー・オリジナルのアリアの方があっている印象。全く期待してなかったハンプソンですが、彼のによけたキャラが自信満々のエスカミーリョに意外なぐらい合致していてかなりいいです。ムーラのヴィブラートがきつくて冴えないのが惜しい。

・ホフマン(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)
ナガノ指揮/ヴァン=ダム、デュボス、ドゥセ、ヴァドヴァ、ジョ、ラゴン、バキエ共演/リヨン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1994-96年録音
>不滅の名盤。新発見の楽譜に基づいた演奏としては、第一に推せるものかと!ナガノの指揮は清新清冽で軽やかなものですし、現代の仏ものならお手のもののメンバー。理窟を捏ね繰り回しそうなホフマンと言う人物とアラーニャは必ずしも一致はしないような気もするのですが、ダメ男的な部分では結構ハマっていて、やけっぱちっぽい酒の歌なんかはすごくいいです。しかもこれだけ仏ものとしてスタイリッシュに歌って呉れれば文句のつけようもありません。登場の瞬間から主役らしい華のある歌声でうっとりさせられます。このオペラは他の作品以上にことばが聞き取れることが大事な演目だと思いますし、そういう意味でも満足いくものではないかと。ヴァン=ダムの品のある悪魔と茶目っ気のあるデュボスのミュゼ、藝のあるラゴンと全幕出演陣がお見事。もちろんドゥセ、ヴァドヴァ、ジョのヒロイン達も素晴らしい。前回悪役をべた褒めしたバキエはここではいい感じでおやじさん(=クレスペル)を演じています。

・ウェルテル(J.マスネー『ウェルテル』)
パッパーノ指揮/ゲオルギウ、ハンプソン、プティボン、クルティス共演/LSO&ティフィン少年合唱団/1998年録音
>個人的にはプラッソン盤、プレートル盤と並ぶ名盤だと思っている録音。気品のクラウス、情熱的なゲッダに対して、或意味で最も等身大なウェルテルを作りだしているのが彼だと思います。若々しさといい相変わらずの頼りなさと言い更に言えばそのウジウジした感じと言い、正に迷える青年そのもの。加えて声の充実ぶりが素晴らしいです。少なくともこの役を演じるに当たってはこの頃が一番声が豊かだったのではないかと思います。この作品、プリモ・ウォーモものだと思っているのですが、その役割をしっかり果たして全編を引っ張って行っています。仏ものらしい情感豊かな歌づくりもお見事です。パッパーノは毎度ながら仏ものでは熱くなり過ぎず、しかし活き活きとした音楽を作ってくれるので好み。ハンプソンは短い場面ながらアルベールの裕福で幸福且つ誠実な印象が伝わってきますし、プティボンとクルティスも悪くありません。ゲオルギウは大健闘なのですが、やっぱりこの役はメゾ向きだなあと思ってしまいます。デロサンヘレスぐらいの情念が出ていればまた別なのですが。

・フィエスク(V.A.E.ラロ『フィエスク』)
アルティノグル指揮/ウリア=モンゾン、フェラーリ、カニッチョーニ、ボウ共演/モンペリエ国立管弦楽団&ラトヴィア放送合唱団/2006年録音
>秘曲中の秘曲、不滅の名盤。シラーの『フィエスコの叛乱』に取材し、なんと2000年代になって初演されたラロの作品。ずうっと埋もれていた訳ですがこれがとんでもない名曲です!個人的には同じラロの有名な『イスの王』よりもよっぽど好きです。2時間行かないぐらいの短い中にドラマティックで緊張感のある魅力的な音楽が並びます。基本的にはこれもプリモ・ウォーモながら各役の活躍の場もあり、重唱も充実しています。どうしてこれほどの作品が埋もれたのか。前置きが長くなりましたが、アラーニャの歌はこの作品の真価を伝えるのには充分過ぎるぐらい立派なもの。どちらかと言うと頼りない役が似合っていると再三書いている彼ですが、ここでは政治力・指導力に長け、人望もあるリーダーを凛々しく演じています。力強く、しかし乱暴にはならない堂々とした存在感で、非常に説得力があります。アラーニャはこの作品やF.アルファーノの『シラノ・ド=ベルジュラック』、J.F.E.マスネーの『ル=シッド』、或いは自分の弟の作品など知られざる演目をたくさん手掛けているといい、ありがたい限りです(『ル=シッド』は正規で録音して欲しい!)。共演陣はいずれも優れていますが、フィエスクの或意味で宿命の相手と言えるヴェリーナを演じるフェラーリが渋い声で好み。特に終幕でのアラーニャとフェラーリの丁々発止のやり取りはこの曲のハイライトでしょう。

・ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
パッパーノ指揮/ヴァン=ダム、マッティラ、ハンプソン、マイヤー、ハーフヴァソン、エリゼー共演/パリ管弦楽団&シャトレ座合唱団/1996年録音
>楽譜の扱いの話もなくはないものの、仏語5幕版としては楽しめる音源。ヴェルディでもこの役ならそもそも仏語台本だし、英雄的ではなく抒情的な歌を求められるダメ男なので、彼の領分だろうと(笑)ただ、カルロはオペラの世界でもまれにみるダメなやつだと個人的には思ってはいますが、その一方で作中謎の人望があって或意味この作品の軸でもあるので、ただ単にダメ男だというだけではなく、それでも魅力的に見えなければならない。それを満たしていると思うのはカレーラスと、このアラーニャだと思うのです(ラボーもいいけどちょっと彼はアプローチが違うんだよね)。なんといいますか聴いてて、何とかしてあげなきゃ!と思う感じ。この感じがあるだけでリアリティが大分違う。雰囲気の話ばかりしましたが、もちろん歌も含めていいカルロです。パッパーノの指揮は上述の同様好みですが、この演奏楽譜の扱いが結構微妙だとか。ヴァン=ダムも仏流グラントペラ的なアプローチながらヴェルディ的な熱も感じられて◎ハーフヴァソンも当たり役だけに不気味でいいですし、マッティラも悪くありません。ハンプソンも仏語版ではこういうのもありかな(伊語版でははっきり言ってイマイチでした。このひとヴェルディっぽくないんですよね、根本的に)。マイヤーは独的な硬い声が明らかに異質な上、年齢的な衰えからかヴィブラートがきつく、加えて言えば技巧的にもいまいちで個人的には全く好みではありません。とは言え、アラーニャの仏語でのカルロを楽しめるという点ではいいディスク。

・エドガール(G.ドニゼッティ『ランマーモールのリュスィ』)
ピド指揮/ドゥセ、テジエ、カヴァリエ、ラオー、セラン共演/リヨン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/2002年録音
>不滅の名盤。この完全に仏流のメンバーだからこそ、この仏語盤は傑出した演奏だと言える、というのはドゥセの回でしつこいぐらいに書きましたね。アラーニャはかなり声が重くなってきてから(ジョゼを歌ったのと同じ年ですからね)というのもあり、この中ではかなりドラマティックな熱唱です。しかしそれは仏語版の範疇でのことであって、伊国の歌手たちのようなギラギラした感じではないのもポイントです。アリアも立派で終幕までしっかり聴かせますが、ドゥセとの重唱で響かせるハイEsもポイント!清らかで鋭いドゥセ、酷薄なテジエ、軽やかな指揮のピドなど共演もいいです。

・ネモリーノ(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)
ヴィオッティ指揮/デヴィーア、スパニョーリ、プラティコ、プロヴィッショナート共演/イギリス室内管弦楽団&タリス室内合唱団/1992年録音
>若き日のアラーニャを楽しめる演奏。超名盤と言う感じではないものの、あまり録音のない歌手たちの揃った、牧歌的な雰囲気の纏まった演奏だと思います。この時のアラーニャは本当にまだ新進気鋭と言いますか、明るくて軽い声で驚かされます。もちろんこのころから大変な美声で、特に登場のカヴァティーナが朗らかでいい。全編通して純朴で素直な青年を演じていて、これなら確かにアディーナも落とせそう。そのアディーナはデヴィーア、この頃からテクニック的には流石と言う他ありませんが、何かもうちょっと僕には面白くないんですよね。スパニョーリもやや控えめな気もするが陽気な軍曹を演じています。プラティコのドゥルカマーラが聴けるのは嬉しいところです。あのダミ声で元気いっぱいなイカサマ薬売り、その上登場のアリアの最後をオクターヴ上げるなんて藝当まで見せていて、あっと言わせます。

・ロドルフォ(G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)
パッパーノ指揮/ヴァドヴァ、ハンプソン、スウェンソン、キーンリサイド、レイミー、フィゾーレ共演/フィルハーモニア管弦楽団&ロンドン・ヴォイセズ/1995年録音
>当時ときめいていた若々しいメンバーによるフレッシュな演奏。実は、一番等身大の若者の物語っぽくて好きな音盤かもしれません。プッチーニはどうかなと言ったものの、頼りない若者ロドルフォならアラーニャの雰囲気にも合います(笑)不安定な感じ、というか優柔不断な感じがいかにも未来を考えていないボヘミアン(←褒めてます)。ネモリーノよりややあと、ロメオと同時期の彼だけあってその声の明るさと軽やかさはピカイチです。例のアリアのハイCなどももったいぶる感じもなくすっきり聴かせていて非常に好ましいです。もっと活躍してほしかったヴァドヴァも可憐ですし、スウェンソンも色気と華とを備えていてお見事。ハンプソンもアラーニャとのバランスも良くていいですし、キーンリサイドは勿体ないぐらいなショーナール。レイミーは立派すぎる気もしますが歌自体は流石のもの。パッパーノ、ここでも重ったるくならない爽やかな指揮ぶりでいいですね^^

・マクダフ(G.F.F.ヴェルディ『マクベス』)2023.4.8追記
ムーティ指揮/ブルゾン、グレギーナ、コロンバーラ、サルトリ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1997年録音
>最近視聴したのですが、なぜこれほどの演奏が記録されていながら音盤になっていないのでしょうか。推進力と緊張感に満ちたムーティの統率、大ヴェテランのブルゾンの堂に入ったマクベスを中心に当時最も勢いのあった若手歌手たちを配した超名演だと思います。ここでのアラーニャの声の明るさ、輝かしさは特筆に値するでしょう。そして初期ヴェルディに欠かせないスタイリッシュさ!こうして聴くと仏ものでの卓越とはまた別に、彼はまた伊国に縁のある歌手なのだということがよくわかりますね。個人的にはマクダフのベストと言っても差し支えないと思います。かなり巨漢ですがマルコムのサルトリも気持ちの良い美声と端正な歌で相性が良く、勢いだけで終わりがちなカバレッタでも音楽の美しさを感じられます。

・ドン・ロドリーグ(J.E.F.マスネー『ル=シッド』)2016.3.29追記
ラコンブ指揮/ウリア=モンゾン、エッレロ=ダルテーニャ、マクラーレン、ポンポーニ、フレモー共演/マルセイユ歌劇場管弦楽団&合唱団/2011年録音
>長いこと聴いてみたかった録音でしたが、これはまた素晴らしい。名作にも拘わらず録音の多くない本作では代表的な名盤になりうるもので、きちんとしたレーベルからの発売を強く望みます。何と言ってもアラーニャ演じる題名役がお見事!出だしこそやや不安定ですが、1幕フィナーレあたりからの鬼気迫る歌唱は手に汗握るもの。彼の持ち味であるリリックさを保ちながらも、歳をとってドラマティックな貫禄がうまく出てきた感があり、仏もののこうしたレパートリーを代表する歌手になってきたと言ってもいいのではないかと。もちろんあの有名なアリアも感動的な名唱ですが、ウリア=モンゾンとエッレロ=ダルテーニャの熱唱(彼らのベストパフォーマンスと言っていいでしょう!)もあって彼らとの重唱こそこの音盤の聴きどころと思います。そのほか脇の人たちも、主役に対して凹まないどころか堂々と対抗した歌唱です。

・サムソン(C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』)2018.11.29追記
エルダー指揮/ガランチャ、ナウリ、ベロセルスキー共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/2018年録音
>こちらはまだ音盤化されておらずMETのライヴ・ヴューイングで鑑賞したのですが、これまでのアラーニャの印象をいい意味で覆す素晴らしい公演で、是非今後発売してほしいと思うものでした。サムソンというとかなり重量級の印象のある役ですが、そこにリリックな彼の藝風を自然に注ぎ込みながら、より清新な歌にしていたと思います。彼の声そのものが重くなってきた今だからこそできる歌唱だったのではないでしょうか。同じくよりスケールの大きくなったガランチャと、枯淡の味わいを感じさせるナウリとで、この演目の新たな世界を切り拓いたと言って良いのではないでしょうか。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第六十八夜/老獪な舞台人~

仏国シリーズ、ひとまず次回で一区切りにしようかなと思っています。

GabrielBacquier.jpg
Docteur Miracle

ガブリエル・バキエ
(Gabriel Bacquier)
1924~2020
Baritone
France

ロベール・マッサールの回でもちらりと触れましたが、日本でこそあまり有名ではないものの、パリ・オペラ座の三大バリトンと呼ばれた歌手たちがいます。マッサールと、本blogでも以前ご紹介したエルネスト・ブラン、そして最後の1人が今回の主役ガブリエル・バキエです。ひょっとするとこのメンバーの中では一番有名かもしれません。とは言え、この人も名前は知っているけど詳しくは知らない、というような扱いを受けていそうな気もします。今回の特集を通して言ってきましたが、本当に日本は仏国の歌手に対する扱いが軽い。すごい人たくさん居たんですよ?というのは強く主張していきたいところです。

バキエはブランやマッサールとちょっとレパートリーの傾向が違います。残る2人がどちらかと言えば二枚目どころのカヴァリエ・バリトンとも言うべき役をやっていることが多いのに対し、バキエはより性格的な役どころや従者を演じていることが多いです。もちろん二枚目を演じさせても格好いいのですが、彼の歌い口はより個性の強いものの方が似合っている感じ。以前ご紹介したレナート・カペッキと同じような特性のある歌手だと個人的には思っています。尤も、主要なレパートリーはあまり重なりませんが。傾向と言いますか物語の中での性格付けが近いものを演じているように思います。
即ち、彼もまたブッファ系と悪役系の大きく2つのグループを得意としているのです。

<演唱の魅力>
やはりそのエッジの効いた人物造形が、大きな魅力だと言えるでしょう。実に藝の幅が広い!
コミカルな表現力が求められるブッファの役では、その豪快さと闊達さ、そして身軽さが実に印象に残ります。身軽さと言っても、例えば若々しいフィガロに求められるような類の機敏さと言うよりは、すごく動きは速いんだけど何処かドタバタバタバタした感じ。何とも言えぬおっちゃんっぽさが歌から漂っているんですよね笑。更に、お小言をいうような場面での口ぶりが厭らしいぐらいねちっこくて、これがまた絶妙におっちゃんっぽさに拍車をかけています(←褒めてますよ!笑)以上のようなおっちゃんぶりが、決して陰湿なものではなく実に陽気。本当にちょっとした歌い口や間の取り方なのだと思うのですが、毎度毎度笑わせてもらっています。このあたりの感じは先日ご紹介したバスタンとも近いような印象です。

一方で悪役を演じさせれば、そのダークな役作りは並々ならぬものです。何よりことばの扱いに長けているんだと思います。殊更に悪役ぶることなく、ともすると一歩間違えば上述したようなコミカルな演技にすら繋がりそうなのに、めちゃくちゃ怖いです。仏人らしいやわらかでしなやかな歌い口で囁くpは、聴く者の心の隙間に入り込んでくるような心地よさがあります。一方で豪放な笑い声からは他を圧するやや狂気じみたすさまじさも感じさせます。総体として彼の演ずる悪役は、心の奥底の見えない不気味な雰囲気を湛えていると言っていいのではないかと。

どういう訳だか役者っぷりを感じさせるようなバリトンでは、逆に声の力不足を感じさせる人が少なくないのですが、彼の場合はそこも全く問題ありません。場合によってはバスの役も演じられるような深みのある声で、うっとりさせられることもしばしば。歌い回しも非常に器用で、裏声の遣い方も絶妙。兎に角表現の引き出しの多彩なひとで、毎度その老獪さに舌を巻きます。エスプリの効いたキャラクターを披露する、仏国ならではのバリトンと言うことができそうです。

<アキレス腱>
大変藝達者でまたお洒落でもあるのですが、上述のとおりおっちゃんっぽいところがあります。なので、そのおっちゃんっぽさが巧く活きない役だと逆にそれがマイナスな印象になってしまっていることもあります。実力があるだけに残念な話ではありますが。

<音源紹介>
・4悪役(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)
ボニング指揮/ドミンゴ、サザランド、トゥーランジョー、キュエノー、プリシュカ、リロヴァ共演/スイス・ロマンド管弦楽団&合唱団/1971年録音
>楽譜の新発見後の現在ではいろいろ言いたいこともあるものの全体の演奏そのものは割合楽しめるという感じの音盤だと思うのですが、このバキエを聴くために手に入れて損はないと思います。圧倒的な存在感で、個人的にはホフマンの悪役たちのベスト。4人のキャラクターを絶妙に描き分け、しかもどれでも堂に入った歌唱をして見せるというのはなかなかどうして簡単にできるものではないですが、ここでの彼は完璧と言っても過言ではないと思います。気位が高そうなランドルフ、凄みもありながらコミカルなコッペリウス、裏社会の住人らしいダッペルトゥットといずれも似合っていますが、一番はおぞましいミラクルでしょう。アントニアの母の登場する3重唱は、まさに悪魔そのものというべき活躍を聴かせ、最後には高らかに邪悪な笑いを響かせます。ドミンゴはいくつかある録音の中では声が最も若々しいです。サザランドはやや意外ですがアントニアが一番いいでしょう。その他めり込みの少ないキャストですがキュエノーのピティキナッチョはちとキャラが立ち過ぎか。

・イァーゴ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』)
ショルティ指揮/コッスッタ、M.プライス、P.ドヴォルスキー、モル、ベルビエ共演/WPO、ウィーン国立歌劇場合唱団&ウィーン少年合唱団/1977年録音
>超名盤。実はこの録音を聴いて初めて『オテロ』の真価を知りました。バキエは轟然と声を鳴らすヴェルディ・バリトン的なタイプでない分、声芝居がまさに絶品!特に夢の歌や信条の弱音部のやわらかさ。これが優しいのですが実に悪魔的なのです。オテロの心の隙間に入り込み、真綿で首を締めるように徐々に追い詰める様はまさに圧巻です。悲劇を感じさせる暗い響きのコッスッタ、逆にひたすら静謐で純白の絹を思わせるM.プライス、充実の脇役陣にショルティの引き締まった指揮ぶりもお見事です。

・サンチョ・パンサ(J.F.E.マスネー『ドン・キショット』)
コルト指揮/ギャウロフ、クレスパン共演/スイス・ロマンド管弦楽団&合唱団/1978年録音
>珍しい曲ですがなかなかいい演奏。何を隠そう僕自身が、初めてバキエがいいなと思った音源なので思い入れもあります。ここでの彼は元気いっぱい!非常に小回りがよく、口うるさく文句を言いながらも主人のために尽くすサンチョの姿が目に浮かぶようです。キショットのギャウロフとのとぼけたやりとりは実に楽しく、それだけに主人をバカにした人々に喰ってかかる場面や、終幕の死の場面は実に感動的。ギャウロフの歌唱は立派ですしコルトの采配もいいと思いますが、クレスパンよりはベルガンサとかの方が良かったかも。

・ギョーム・テル(G.ロッシーニ『ギョーム・テル(ウィリアム・テル)』)
ガルデッリ指揮/ゲッダ、カバリエ、コヴァーチ、メスプレ、ハウウェル共演/ロイヤルフィル管弦楽団&アンブロジアンオペラ合唱団/1973年録音
>不滅の名盤。仏語盤のこの演目なら、まずはこの録音でしょう。バキエはここでは打って変わって英雄的な役どころですが、ヒロイックというよりは非常に人間的な面の際立つ歌唱だと思います。個人としてのテルの苦悩を感じさせるのですが、一方でその人間臭さが故に人々に慕われていると言いますか、非常に懐の深い人物像を創りあげており、秀逸な歌唱です。ゲッダやコヴァーチとの声の相性も良く、アンサンブルも充実しています。カバリエも美しく脇役もお見事、ガルデッリのかっちりとした采配も聴いていて心地よいです。

・ポーザ侯爵ロドリーグ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)2023.4.8追記
フェヒティンク指揮/アリエ、ラ=モレナ、サロッカ、ルビオ、エリン共演/スイス・ロマンド管弦楽団&ジュネーヴ大劇場合唱団/1962年録音
>バキエのこの役の録音が伊語でいくつかあるのは知っているのですが、仏語のこの録音を超えるということはあまり想像できません。やはり言葉の美しさが傑出していますし(とりわけ死の場面)、しばしばこの演目の仏語版で感じるような食い足りなさ、主張の弱さが全くありません。彼らしい分厚く、力強い声による実に立派なヴェルディです。全く聴いたことのなかったラ=モレナというテノールも輝かしい声なので友情の2重唱も満足感があるのですが、アリエとの対決はその上をいくと思います。共演のあまりない2人ですが、まろやかながら雄渾な美声、スタイリッシュな歌、そして仏語のうまさと美点が重なって素晴らしい相乗効果を挙げています。もう1人、エボリを演じるルビオも同じような強みを持った見事なメゾで、この3人がこの演奏の基調を築いているようです。大幅なカット(火刑の場など全くありません!)が大変残念ではあるのですが、聴き逃せない演奏と思います。

・アガメムノン(J.オッフェンバック『美しきエレーヌ』)2022.2.3追記
プラッソン指揮/ノーマン、エイラー、ビュルル、ラフォン、アリオ=リュガ、ロロー共演/トゥールーズ・カピトール管弦楽団&合唱団/1985年録音
>上記のテルと是非併せて聴いてほしい抱腹絶倒間違いない名盤。優れている点はたくさんあるのですが、我らがバキエ先生の語りのうまさが冴えわたっています。堂々たる威厳のある声にもかかわらず、1幕のクイズ大会の司会をするところなど市場のおっちゃんのような勢いのある多弁ぶりで、仏語が分からなくても思わず頬がゆるんでしまいます。サンチョでもそうなのですがこの人はコミカルな役だとアドリブでいろんな科白を結構挟んできて、それが浮かずにむしろキャラクターにしっくりハマってしまう。これぞ舞台人という貫禄です。そしてテルと併せて面白いのはなんと言っても終幕の3重唱、ロッシーニの重厚で悲痛な3重唱をオッフェンバックがバカバカしく魔改造した部分。あんなに真面目に愛国賛歌を歌った同じ人が、こんなに批判の笑みを添えて歌えるのかと藝の幅に頭が下がります。ビュルルやラフォンといった仏ものの達人はもちろん、主役を演じるノーマンとエイラーの米人コンビも見事にオペレッタをしており、この作品の音盤の中でもおススメです。

・ドン・アンドレス・ド=リベイラ(J.オッフェンバック『ペリコール』)2022.2.15追記
プラッソン指揮/ベルガンサ、カレーラス、セネシャル、トランポン、コマン共演/トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団&合唱団/1982年録音
>ベルガンサとカレーラスというオペレッタとしては異例のメンバーが、それぞれ明確な狙いを持ってキャスティングされている中で、それでもあくまでこの演目のオペレッタとしての個性を維持しているのはバキエ御大の力と言っても差し支えないでしょう。別の言い方をするならばどんなに主役2人が自分の土俵を使いながら役を表現しても、滑らずにオペレッタの笑いが失われないのは、彼ならではの安定感があるからだと言えるのではないかと。オッフェンバックのこうした役では珍しくしっかりクープレがありつつも(ジュピターにもアガメムノンにもクープレはないですからね!)1歩引いているのも、バランス感覚に秀でた彼ならではでしょう。

・ラモン(C.F.グノー『ミレイユ』)
プラッソン指揮/フレーニ、ヴァンゾ、ヴァン=ダム、ロード共演/トゥールーズ・カピトール管弦楽団&合唱団/1979年録音
>こちらも仏国の薫りのする秀演。ここでは娘の貧しい男との戀に反対する典型的父親役。これがまた匙加減が絶妙で、本来的には悪いひとではないんだけれども、古い考えに縛られており、頑固に自分の意見を通そうとする田舎の親父を、見事に演じています。本当はそんなに悪いひとではない感じが出ることで、先の悲劇的な展開が際立つ訳で、流石良くわかってらっしゃるという演奏。プラッソンの洒脱な指揮と強力なキャストで、このマイナーな演目が楽しめるのは嬉しい限り。

・ラミーロ(M.ラヴェル『スペインの時計』)
マゼール指揮/ベルビエ、セネシャル、ヴァン=ダム、ジロードー共演/フランス国立放送管弦楽団/1965年録音
>ラヴェルらしい現代的で独特の浮遊感と異国情緒のある名曲を、これもまた仏ものを良く心得たメンバー(脇の名手が揃ってますね)と、先ごろ亡くなったマゼールの指揮で楽しめる名盤。オペラらしからぬ曲ではあるものの、ラヴェルの歌曲も得意にしたバキエですからセンスのいい歌唱です。実質的には一番舞台に登場しているんじゃないかな?とぼけた存在感がたまりません。

・シモン・グロヴェ(G.ビゼー『美しきパースの娘』)
プレートル指揮/アンダーソン、クラウス、G.キリコ、ヴァン=ダム、ジマーマン共演/フランス放送新フィルハーモニー管弦楽団&合唱団/1985年録音
>題名だけはよく知られたビゼーの歌劇の数少ない全曲録音。作品自体にムラがあるものの、演奏メンバーが優れているのでそれなりに楽しく聴くことができます。最近聴きなおしてなんのなんの十分以上に楽しめる作品じゃないの、と思いました(やや詰め込みすぎですが/2021.7.29追記)。ここでのバキエは陽気な父親役で、登場場面こそさほど多くはありませんが、めり込まずアンサンブルをきりっと〆ています。ほろ酔い気分のシャンソンから1幕フィナーレのたたみかけるような調子はお見事。珍しくさほどアクの強くない役ですが、こういう役でも彼は巧いですね。共演では品のあるクラウスと、声に力のあるヴァン=ダム(彼はバキエと結構共演していますね)が印象に残ります。

・アルフォンソ11世(G.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』)
ボニング指揮/コッソット、パヴァロッティ、ギャウロフ、コトルバシュ共演/テアトロ・コムナーレ・ディ・ボローニャ交響楽団&合唱団/1974-1977年録音
>疵はあるものの名盤。このキャストでアルフォンソがカプッチッリやミルンズじゃなくバキエだというのが結構面白いところ(尤も、彼らでも名盤になったと思いますが)。バキエは、彼らほどたっぷりとした声ではない分ここでも表現で聴かせていて、アルフォンソを単なる戀敵として描かず、板挟みになった王の悲哀を醸し出しています。立派になり過ぎないアクセルの踏み加減は流石のものです。

・メリトーネ兄(G.F.F.ヴェルディ『運命の力』)
レヴァイン指揮/L.プライス、ドミンゴ、ミルンズ、ジャイオッティ、コッソット共演/LPO&ジョン・オールディス合唱団/1976年録音
>良く纏まっていてこの作品を知るのにはいい演奏だと思います。ここでもまた良く動く小うるさいおっちゃんながらどこか憎めない、等身大のメリトーネ。作品自体がブッファではないのでひたすら面白くなっちゃうのもどうかなと言うところではあるのですが、そういう意味で適度なオモシロオカシサでちょうどいい塩梅のコメディ・リリーフです。個人的にはカペッキと併せてメリトーネの双璧だと思います(コレナも巧いけど、それこそ面白過ぎちゃうw)。

・ドン・パスクァーレ(G.ドニゼッティ『ドン・パスクァーレ』)
フェッロ指揮/G.キリコ、ヘンドリクス、カノーニチ共演/リヨン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1990年録音
>小うるさい爺さんっぷりが見事に嵌っているのはこのパスクァーレも!この演目の成否はパスクァーレのキャラが立つかどうかにかかっていると思っているのですが、ドタバタと楽しく動き回るバキエはひときわ面白いです。90年の録音ですから声の衰えは流石にあるのですが、その分老獪な芝居に磨きがかかっていると思います。若々しくこの時期旬だった面々と楽しそうに演じているのが微笑ましいです^^

・アルマヴィーヴァ伯爵(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
クレンペラー指揮/エヴァンズ、グリスト、セーデルストレム、ベルガンサ、ラングドン、ホルヴェーク、ブルマイスター、グラント、M.プライス共演/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団&ジョン・オールディス合唱団/1970年録音
>毀誉褒貶の激しい演奏で、僕自身も両手離しで評価はしないのですが、面白いところも多い演奏。バキエの伯爵はユニークで、彼ならもっとすっとぼけた雰囲気でやりそうなところですが、予想に反してかなり強権的な伯爵。上述のとおり彼は強面の役どころも巧いですから、迫力のあるキャラづくりで演奏全体を引き締めています。クレンペラーのスローテンポにも巧いこと対応しています。これで夫人やフィガロが強力であれば相当面白かっただろうと思うのですが……。
(2019.4.28追記)
ショルティ指揮/ヴァン=ダム、ポップ、ヤノヴィッツ、フォン=シュターデ、モル、ベルビエ、セネシャル、ロロー、バスタン、ペリエ共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1980年録音
>当時のパリ・オペラ座の贅を尽くしたスター揃い踏み公演の映像です!バキエは映像で観るとその強権的な役作りが更に感じられます。面構え、居住まい含めてすっかり「悪代官」という感じ笑。アリアの後半の快速部分などはちょっと苦労している感じがありますが、彼らしい迫力のある歌いぶりはやはり魅力的で大きな拍手も頷けるものです。ポップちゃんの最高に可愛らしいスザンナやヴァン=ダムの表情豊かなフィガロにはじまり、バスタンの愛嬌のあるアントーニオにいたるまで鉄壁で、この演目のスタンダードな1枚と思います。

・ドン・アルフォンソ(W.A.モーツァルト『女はみんなこうしたもの』)
ショルティ指揮/ローレンガー、ベルガンサ、デイヴィース、クラウゼ、ベルビエ共演/LPO&コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団/1973-1974年録音
>苦手だったコジを面白いかも、と思わせて呉れた1枚。何と言っても以前ご紹介したベルビエのデズピーナとこのバキエのアルフォンソの2人が、喜劇を斜めに見ているのが非常に面白かったのです。この役は人によるととんでもないいやなやつになってしまう気がするのですが、彼は愛すべき狸親父っぷりで聴くものの支持を得てしまう歌。いやはや藝達者です。若者たちを演ずる人々も美声揃いで楽しめます。

・レポレロ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)2020.12.12追記
ショルティ指揮/ヴァイクル、シャシュ、M.プライス、バロウズ、ポップ、スラメク、モル共演/LSO&ロンドン歌劇合唱団/1978年録音
>なんでこの録音を書き忘れていたのかよくわからない、という代物です^^;演技巧者なバキエらしい非常に多弁で多面的なレポレロだと思います。ともするとそのコミカルな道化としての側面が目立ちがちなこの役で、その面白おかしさは活かしながらも現実主義的でちょっとシニカルな味わいを引き立てるなどという芸当は、彼のような名手だからこそできるものでしょう。彼が仕えるジョヴァンニは甘美な美声を引っさげて上品な物腰を保ちつつも、どこかに世の中を舐め腐った印象を隠し持ったヴァイクルで、凸凹コンビながらうまく鞘に収まっている感じがあります(そういえばいずれもバリトンというのは珍しいかもしれません。あとはジュリーニ盤でのヴェヒター&タッデイぐらいでしょうか)。周囲の人びとは悪戯好きそうなポップを除くと生真面目な印象なので意外と喜劇的な側面が際立った演奏と言えるかもしれません。あまり歌われない重唱をポップと披露しているのも高ポイント。

・ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵(レハール F.『メリー・ウィドウ』)
ブラロー指揮/詳細不明
>詳細は分からないもののかなり若い時の録音で、このほかにもいくつかのオペレッタから聴きどころを抜粋しているものからこの演目を。いやこの録音全部仏語なんですが、いずれも全曲残して欲しかったと思わせる愉しい歌唱で、若々しい伸びやかな声でありつつ裏声や科白回しのセンスの良さなど、後年の老獪さの垣間見える器用さがまたたまりません。この演目からは“唇は黙して”でも“マキシムの歌”でも“女!女!女!”でもなく1幕フィナーレの“メリー・ウィドウ・ワルツ”を歌っているのですが、華やかで品があって優雅!男ぶりのいいダニロにうっとりさせられます。
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博物ふぇすてぃばる!のお話 その5

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