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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第七十五夜/海賊盤の女王~

また暫く男声が続いてしまいました……女声はロバン以来だから1廻りぐらい男声ばっかりだったんですね。
久々に伊的熱狂大爆発な感じの方に登場してもらいましょう。

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Elisabetta I (Donizetti "Roberto Devereux")

レイラ・ゲンジェル
(レイラ・ジェンチェル、レイラ・ゲンチェル、
レイラ・ゲンチャー、レイラ・ゲンサー、
レイラ・ジェンサー)

(Leyla Gencer)
1928~2008
Soprano
Turkey

名前の読みが恐ろしく統一されておらず、表記にかなり困ります。比較的少ないですが、ファースト・ネームもライラとなっているものも。また英語版のみに併記されているアイシェ・レイラ・チェイレクギル(読みがこれでいいのかすらわかりませんが)という名前もありますが、これは本名かな?(マリア・カラスのマリア・アンナ・ソフィア・チェチリア・カロゲロプーロスみたいな)ここでは彼女の祖国のことばである土語の読みであるという「ゲンジェル」で統一しますが、ご本人は「ゲンチャー」と言ってるという話もネットでは散見されるので妥当かどうかは微妙なところですが。

さて「海賊盤の女王」と聞いてピンとくる方は、20世紀中葉の伊もののライヴ録音に親しんでいる方だと言っていいでしょう。ライヴで発揮される実力の高さや伊国での人気に反し殆どスタジオ録音が存在せず、或種伝説的な歌手となっています。そして実際、彼女の歌唱を耳にすれば、その伝説が如何に的を射たものであるかを理解できる筈。同時に、何故彼女の正規音源がこれほど少ないのかという思いも強くなる訳ではあります。

素人見解を述べると、声質、実力、持ち味、主要レパートリー、業績等を考えたときに、純粋にカラスと比較し得る唯一の歌手だと思っています。よく比較されるテバルディ、サザランドはいずれも持ち味が大きく違って比較にならないし、再来と言われたスリオティスやチェルクェッティ、シャシュはその売り文句に追われて無理をしてピークが短かったためレパートリーを広げ切れなかった感がある(し、3人とももう少しドラマティックな印象)。強いて言えばスコットは近いけど軽いし、テオドッシウは逆に重たい。
土国のゲンジェルと希国のカラス。歴史的にもいろいろあった両国出身でありながら、同じ教師についたこの2人の名歌手には、つい何かしら因縁めいたものを感じてしまいます。

<演唱の魅力>
一般論ですが同じ声区でも声によって向き・不向きというものが存在します。通常重たい力強い声はドラマティックな表現には向きますが細やかな音符を華麗に歌うのは不向き。ところが世の中には双方を要求される役がいくつかあり、それを実際やってしまうとんでもない歌手が存在するのです!そうした歌手の代表がご存知カラス、そして彼女と東西の横綱を張れるのが今回のゲンジェルと言えます。

その歌声は兎に角強靱。状態の悪い録音の向こう側からでもその凛と張った声はしっかりと聴きとることができます。但し力強い声だと言っても、そこはやはり伊系のしかもベル・カントで鳴らした歌手ですから、例えばビルギット・ニルソンのようなヴァーグナー歌いの鋼のような声とは違い、よりしなやかな響きで技巧的な小回りが利きます。そして歌い口が大変ドラマティック!よくこれだけパワフルに、しかもライヴで歌うことができるものだなあと、調子のいい録音を聴くたびに圧倒されてしまいます。彼女の場合、ドラマティックと言っても単に大声歌唱に終始すると言う訳ではなく、その強い声のまま一気にppに持って行けてしまう、更にそれをしかも最高音域でやってしまうんですね。カヴァティーナの〆などで効果的にそれを入れてくる様は心憎いぐらいで、歌心、歌い手としてのセンスの素晴らしさを感じさせます。加えて彼女の藝風は、ことばひとつひとつの扱いの濃さという面でも特筆すべきものです。ことばへの執着と言いますか表現意欲と言いますか、そうした強い思い入れが、一語一語の凄烈な発音から滲み出ているのです。或種怨念のようなスゴみさえ感じさせる彼女の歌の最中は、多くの録音で水を打ったように劇場が静まり返っています(繰り返しますがライヴにも拘わらず!)。そしてスピーカーでそれを聴く我々もまた、むべなるかなと思わずにはいられないのです。

彼女の業績と言うものに目を向けたときには、やはり殊にドニゼッティの作品でのマイナー作品の発掘を挙げざるを得ません。残念ながらその難易度の高さからか、必ずしも彼女が発掘した作品は今日も親しまれているとは言い難い状況ではあるのですが、彼女を通して隠れた傑作に触れることができるのは、一方で喜ばしいことだと言えるでしょう。そうした作品の中で比較的現在も演奏機会が多いのはエリザベッタ(G.ドニゼッティ『ロベルト・デヴリュー』)だと思いますが、これは特に彼女の入魂の歌唱が遺されていて、未だにこの役のベストではないかと。そうそうこれ以上のものが出るとは思えません。

こうした藝風や業績も含めて、僕はやはり彼女とカラスはつい比較したくなってしまいます。確実に美声なのはゲンジェルの方です。しかしその歌の正確性を取ればカラスに軍配が上がります。このあたりが両者の持ち味の微妙な違い、そしてレパートリーの違いに繋がっているのかもしれません。

<アキレス腱>
ライヴ録音ばかりが俎上に乗せられてしまう人なのでしょうがない部分もあるのですが、彼女の録音にはどうしても疵がつきものです。ブレスの失敗やコントロールの乱れがないと言えば嘘になりますし、大きくずれてしまっている録音もあります(まああれはカットの仕方がまず悪いと言う話なのですが)。ベックメッサーよろしくそうしたところを数えて正の字を書いていけばそれなりの量になってしまう訳ですが、まあ彼女の魅力はそんなところにはないのは、ここまででお分かりかと思います。

また、何せ海賊盤の女王です。音質は或程度諦めるしかないところがあります。

<音源紹介>
・エリザベッタ1世(G.ドニゼッティ『ロベルト・デヴリュー』)
ロッシ指揮/カプッチッリ、ボンディーノ、ロータ共演/ナポリ・サン・カルロ劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音
>不滅の名盤。僕自身この音源を聴くまで、シルズやグルベローヴァ主演の音源を聴いていましたが、この作品は面白いところもあるものの、ドニゼッティの所謂女王三部作の中では一段劣るものだと思っていました。その評価を覆し、傑作だと気づかせて呉れた音源がこれ、何と言ってもここではゲンジェルが凄い!圧倒的に凄いです!登場のアリアからしてエリザベッタの堂々たる姿を想起させるどっしりと貫録のある歌いぶり。この調子で終幕まで持つのかしらと思ってしまいますが、そのままの勢いと完成度で歌い切ってしまいます。ボンディーノやカプッチッリとの重唱もアツいものですが、最大の聴きどころはやはりアリア・フィナーレ!史実のエリザベス1世が憑依したのではないかと感じさせるぐらいの気迫の歌唱で、思わず鳥肌が立ちます。殊この部分については、単なる勢いのみならず、言葉ひとつひとつを丁寧に解釈し、それを自らの藝術として昇華させています。対するカプッチッリがまた力強い公爵をパワフルに演じてその力量を感じさせますし、ボンディーノも太い声でドラマティックに応酬しています。ロータも女性らしさとテンションの高さを感じさせる歌。そしてロッシのダイナミックな指揮!ドニゼッティが書いた中でも指折りの聴き応えのある作品だという、真価を伝える演奏の記録です。

・アントニーナ(G.ドニゼッティ『ベリザリオ』)
ガヴァッツェーニ指揮/タッデイ、ザッカリア、グリッリ、ペチーレ共演/フェニーチェ歌劇場管弦楽団&合唱団/1969年録音
>こちらもまたあまり顧みられることのないドニゼッティの秘作。ゲンジェルは1幕では主人公ベリザリオを追い詰め、3幕ではそのことを後悔する妻の役で、実は2幕にはまったく登場しないにも拘らず、聴衆に強烈な印象を残します。歌唱力と表現力を求められる至難のアリアが2つもありますが、登場してすぐ聴かせる煮えたぎるような恨み節のアリア、後悔に暮れるアリア・フィナーレ(狂乱と言っていいでしょう)のいずれに於いても集中度の高い、稠密な歌で演じています。また1幕フィナーレのストレッタ部をスピード感を持って引っ張って行く部分も聴きどころ。タッデイは何と言っても存在感が巨大。同じドニゼッティであのドゥルカマーラ(『愛の妙薬』)を演じた人が、これほどまでに重厚な悲劇の人を演じられるのか!と嘆息してしまいます。皇帝を演ずるザッカリアも登場場面は少ないものの、脇をしっかり固めています。グリッリとペチーレはいずれも一般的に名前を聞く人ではありませんが、どちらも高い実力を感じさせます。ガヴァッツェーニの指揮なので少なからぬカットは入っていそうですが、それでもこれだけ重量感のある悲劇を構築する彼の手腕は、やはり評価したいところ。超名盤です。

・カテリーナ・コルナーロ(G.ドニゼッティ『カテリーナ・コルナーロ』)
チラーリオ指揮/アラガル、ブルゾン、クラバッシ共演/聖カルロ・ナポリ劇場管弦楽団&合唱団/1972年録音
>これもマイナーながらかなり楽しめる演奏です。作品としてはソプラノとテノールの出番が軸と言っていいように思うのですが、そこをいずれも正規録音の少ないゲンジェルとアラガルが固めています。カテリーナには前の2作に較べるとより華麗なアリアを与えられていますが、こういう役も彼女はイケますね。華のある存在感がお見事ですし、凛とした声は女王というキャラクターにもふさわしい。アラガルが素晴らしいことは過去に述べましたが、男らしいブルゾンと如何にも憎さげなクラバッシも忘れられません。

・アンナ・ボレーナ(G.ドニゼッティ『アンナ・ボレーナ』)
ガヴァッツェーニ/クラバッシ、シミオナート、ベルトッチ共演/RAIミラノ交響楽団&合唱団/1958年録音
>彼女にしては珍しく放送音源です!それだけでもありがたいところで、彼女の力感漲らう声をいい音質で聴くことができます。この作品では流石にカラスの亡霊を追ってしまうところがあるのですが(カットも同じ)、それでもゲンジェルなりのよりたおやかなアンナを楽しむことができます。ライヴではないので熱狂的なパフォーマンスというところからは或意味で一歩退ってはいますが、一方歌の精緻さは上がっていますし、彼女お得意の高音での“強い弱音”がしっかり収められているのは嬉しい。共演ではカラスとともに歌ったシミオナートがやはりここでも品格ある背筋のいい歌唱を披露しています。また、カラスのライヴではロシュフォールだったクラバッシが独特のややいがらっぽい声で、憎々しいエンリーコを渋くキメているのも印象的。ベルトッチも響きのいい美声。ガヴァッツェーニのドラマティックな指揮は結構好きなのですが、ここまでカットしなくてもなあ、というところ。

・アメーリア・グリマルディ(G.F.F.ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』)
ガヴァッツェーニ指揮/ゴッビ、トッツィ、パネライ、G.ザンピエーリ共演/ウィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1961年録音
>何度か紹介していますが、不滅の名盤。同じく超名盤であるアバド盤が音楽的なのに対し、よりドラマティックに、演劇的にシモンを完成させた演奏と言っていいでしょう。アバド盤のフレーニのような豊潤さこそないものの、切れ味ではゲンジェルが上回ると言ってもいいでしょう。全体に辛口な声、表現で厳しく纏めた感のある演奏なので、彼女の声と歌が非常にバランスよく収まっています。特に高音でのきりっとした響きは心地よく、またアメーリアの高潔な人物をよく表していると言っていいでしょう。共演では何度も書いていますがゴッビ、トッツィ、パネライの藝が素晴らしく、ガヴァッツェーニの峻嶮な指揮もお見事です。

・エリザベッタ・ディ=ヴァロア(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
プレヴィターリ指揮/ギャウロフ、プレヴェーディ、ブルスカンティーニ、コッソット、ローニ、プリエーゼ共演/ローマ歌劇場合唱団&管弦楽団/1968年録音
>これも有名でこそありませんがいい演奏です。彼女が歌った役の中では最も重い部類に入るのではないかと思いますが、装飾のない、旋律そのものがドラマティックで聴き応えのあるこの役でも彼女は実に巧いものです。少し強力すぎて1幕のロマンツァではもうちょっと可憐さが欲しいところではあるものの、カルロと対峙する重唱や、フィリッポとの対決、そして終幕の大アリアでのスケールの大きな歌は替えがたいものがあります。共演もこのメンバーで悪い筈などありませんが、この時期の録音でも出来のいい部類だと思われるギャウロフ、人情味溢れるブルスカンティーニが特に◎

・レオノーラ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)
プレヴィターリ指揮/デル=モナコ、バスティアニーニ、バルビエーリ、クラバッシ共演/RAIミラノ交響楽団&合唱団/1957年録音
>これはかなり若い時の録音ですが、当時の超大物たちと共演させてもらった上で、一歩も引かない歌を披露しています。僕は音だけしか持っていませんが映像もある模様。いつもながら凛と張った声で、楚々としていながらも気の強さも兼ね備えたレオノーラを演じています。これもまたありがたいことに放送音源なので、彼女の魅力をストレス少なく楽しむことができます。特にカヴァティーナの濃密さは絶品。4幕のアリアもカバレッタまで歌えばよかったのに!バスティアニーニとバルビエーリ、クラバッシはいつもながらそれぞれの役では最高の出来、プレヴィターリの指揮も伊ものらしくて悪くないのですが、どうもマンリーコになるとテンション低めのデル=モナコ。ここでもいまいち爆発しきれておらず、そこだけが残念です。

・ノルマ(V.ベッリーニ『ノルマ』)2015.8.18追記
デ=ファブリティース指揮/コッソット、リマリッリ、ヴィンコ共演/ボローニャ市立劇場管弦楽団&合唱団/1966年録音
>不滅の名盤。実はこの記事を書くときに本当は入手しておきたかった録音でしたが、今回視聴して、その予感が的中していたことがよくわかりました。ゲンジェルの録音として、エリザベッタやアントニーダに並ぶ最高のものであるというのみならず、ノルマの録音として、カラスやバルトリに比肩する屈指のものでしょう(尤も、バルトリはかなり方向性が違うけれども^^;)。彼女はこの全曲出ずっぱりの演目で、恐ろしいぐらい集中度の高い歌を、全編に亘って披露しています。登場第一声からアリアに入るまでのレチタティーヴォの部分まででもうその非凡さがはっきりと感じられてしまうのに、そのままのテンションで全て歌ってしまうんです!その表現力の凄まじさたるや!単純に声量で行けば共演しているコッソット(こちらもいつも以上にキレッキレ!)が上回る部分も少なくないのですが、その驚異的な技術力に裏付けされた表現があまりに濃く、あまりに手練手管が見事なので、全く力負けして聴こえないのです。いつもながらどうしてこんなことができるのか不思議なぐらいの隈取りのコロラテューラと、ここぞという場面で聴かせる高音での美しく、芯のあるpp!そして終幕へ向かうに従って、更にその温度を上げて、フィナーレは圧倒的です。もうちょっとね、あまりの演奏にうまく表現できません^^;伊ものファンには是非聴いて欲しいです!先ほど述べたコッソットもただ大きな声を出しているだけではなく、きちんとキャラクターを織り込んでいますし、ヴィンコも名オロヴェーゾ、この役でこれだけ聴かせて呉れる人はそうそうおりますまい。リマリッリは惜しくて、折角声量で他のメンバーに引けを取っていないのに、どうも表現がのっぺりしています。それでもめり込まないだけでも十分に凄いのですが。兎にも角にも必聴のノルマ!

・エレーナ公女(G.F.F.ヴェルディ『シチリアの晩禱』)2018.2.1追記
ガヴァッツェーニ指揮/リマリッリ、G.G.グェルフィ、ロッシ=レメーニ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音
>音は悪いですが圧倒的な熱量と集中度でぐいぐい聴かせる名演です。この役は大変な難役と思うのですが、パワーのある声と大胆な表現、そして高度な転がしの技術といったゲンジェルの強みを考えると如何にも彼女向きで、また実際素晴らしい歌唱を繰り広げています。やはり有名なボレロの華やかな技巧には聴き惚れるのですが、第4幕のアリアでの切々たるppが彼女の真骨頂でしょう。聴く側もぐっとのめりこまずにはいられません。共演も見事ですが、ここでは何と言ってもグェルフィです。

・マティルデ(G.ロッシーニ『グリエルモ・テル』)2018.5.26追記
プレヴィターリ指揮/G.G.グェルフィ、G.ライモンディ、ゲンジェル、ロータ、カンピ共演/サン・カルロ歌劇場管弦楽団&合唱団/1965年録音
>如何にもロッシーニ・ルネサンス以前の重々しい演奏ですが、この作品のドラマティックな側面をよく表した名盤です。ゲンジェルはこの人にしては珍しく細かい音が少し流れてしまってはいるものの、鬼気迫る力強さや集中力の高さは流石のもの。切れ味の鋭い響きはライモンディとの相性も良く、重唱は聴きごたえがあります。圧巻はやはりアリアで、強靭な芯を感じさせながら繊細なppで濃厚な味付けに仕上げています。先に挙げたライモンディやグェルフィと共に、いい意味でヴェルディのようなノリで歌っているのが印象的です。豪快で渋みのあるワシントンをはじめ脇役陣も素晴らしい。
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Triceratops・改

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トリケラトプス・改
Triceratops prorsus
revised edition

「改」となってるけど旧作は?と訊かれそうですが、こいつの旧作はかなり昔、もう7,8年前に作ったもの。なまけっとに出展したときに作った『角竜変奏曲』で登場しています^^
久々にこいつに手を入れようと一念発起した次第。

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きっかけはステゴの時と同様アンキロ。
折角だからこいつもヴァージョンアップしてみようと思い立った訳ですが、これが思った以上の大難産。今回も基本的な方針から全面的な改訂も考えたのですが、結局この面構えを活かしたくて、旧作を最大限に活用した形になりました。

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何をそんなに手を入れたかったかというと、やはり今回も指でした。
前足は5本、後足は4本の指があります。こいつらの前肢の付き方には昔から論争がありましたが、現在名古屋大博物館所属の藤原慎一さんが国立科学科学博物館に所蔵されているトリケラトプスの標本通称“レイモンド”の前肢を研究した結果、論争に一定の決着を見ています。この復元ではざっくり言えば中指の先が顔の方向ではなく身体の横方向に伸ばした形になりますが、この結論はトリケラトプスのものと考えられる足跡の化石からも支持されるものなのだそうです。
今回の作品では、上記の研究を参考に足の指をつけてみました。
本当はもうちょっとスマートに纏めたかったのですがね~^^;

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骨盤の丸みや頭と頸の境目も結構気に入っています^^
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第七十四夜/死の淵からの復活~

さて前回まで三”アラ”テノール+1なんて銘打ってやっていた訳ですけど、そろそろ真面目なクラシック・ファンのみなさまから「おい、三“アラ”とかどうでもいいけど三大テノールはどうなってんだ?!」というお叱りを受けそうな気がしてきております。いまのところパヴァちゃんしかご紹介していない訳ですから、僕もそう思わなくはありません。
ただ、うちはやっぱりどちらかというと日本では不当にマイナーな歌手にされてしまっている人たちに光を当てるのを務めとしているところがあるので、いまさらそんな超有名歌手なんて誰も期待してないだろうなと思っている節はあります(言い訳その1)。
また、三大テノールみたいな人たちを固めてやってしまうというのも何となく藝がないなと言いますか、楽しみは分散しておいた方がいいような気もしているのです(言い訳その2)。

まあそうは言っても別に僕はドミンゴやカレーラスが嫌いな訳では毛頭ありませんし(2人とも全盛期は最高!)、これを機会に折角ですからこの人たちのどちらかでも特集してみようと思った次第。

JoseCarreras.jpg
Don José

ホセ・カレーラス
(ジュゼプ・カレーラス=イ=コル)

(José Carreras / Josep Carreras i Coll)
1946~
Tenor
Spain

いろいろ考えたんですが、今回はカレーラスに。
ドミンゴの広大なレパートリーは、まだ拾えていない部分もあります故。

先輩アラガル同様彼もまたカタルーニャはバルセロナの生まれ。一般には圧倒的にカスティーリャ読みのホセ・カレーラスとして知られていますね。

比較的ドラマティックなレパートリーのテノールで、3人の中では歌うジャンルを最も制限している印象です。得意とするのはやはりヴェルディ中期から後期『ドン・カルロ』ごろまでとプッチーニ、そして何と言ってもドン・ジョゼ(G.ビゼー『カルメン』)でしょう。太めの声なのですが泣きの入る歌い方と甘めのルックスが、世の女性ファンの母性本能を刺激しているようです。

歌手としての全盛期に白血病に罹患。90%の確率で助からないと言われた死の淵から生きて帰ってきたことでも有名です。彼はこの時の経験から、白血病患者を支援する様々な活動を行っています。意地の悪いひとたちはこのお涙頂戴的なエピソードで彼は人気が出ているに過ぎないと見ているようですが、どうしてどうしてそんなことは全く無いと思います。もともと出来不出来は結構ある人だし、復帰後の歌は流石に100%ではないと感じることも多いのですが、彼の最盛期の歌は、そのような誹りを受ける謂れのない圧倒的なものです。

ソプラノのカーティア・リッチャレッリとは一時期戀仲だったとか。結局のところこの2人は結婚はしていませんが。

<演唱の魅力>
以前も書いたような気もするのですが、どういう訳だかオペラのテノールというのは、押並べてどうもどれもお間抜けと言いますか、おつむが足りないと言いますか、すっとこどっこいと言いますか、お前さんもう少ししっかりしておくれよ!というようなキャラクターが多いです。それはモーツァルトでもロッシーニでもヴェルディでもヴァーグナーでもいっしょ。シリアスな役どころでも、どうも突っ込みどころ満載なのであります。これを大真面目に演じるに当たっては、すさまじい歌で圧倒して突っ込みを入れさせないとか、緻密に考えて演技で以てその辺の突っ込みどころを埋めて行くとかいろいろな手段があると思うのですが、カレーラスの場合、ご本人の藝としての素のキャラクター(ご本人そのものではないですよ、念のため)、歌そのもの/舞台姿そのものが「もうしょうがないひとねえ」と観客に感じさせてしまうようなところがあるのです。これが比較的良くされる評である「母性本能を擽る」というものだと個人的には理解しているのですが、何やっても本人のせいでダメなのに、何故だか周囲から憎まれず、同情される得な人というのが世の中にはいますよね。ああいうのを少なくとも舞台の上では素で出来てしまう(や、本当はご本人もそうなのかもしれないけど、僕は知らない)のが、この人の凄いところだと思います。

その特徴を際立たせるのが彼の発声の仕方で、声自体は太めでしっかりとした響きのある声なのですが、何処か絞り出しているような、捻り出しているような感じに聴こえます。決して無理のある発声に聴こえるということではないのですが、彼の歌を聴くと私はつい、喉に血反吐見せて狂い啼く杜鵑を思い浮かべてしまいます。この歌い口が、必死な様子を印象付けるのに適しており、戀に追い詰められるテノール役の心理を、実によく表していると言えると思います。

上記のような特色から彼は、変な言い方ですが痛々しい役どころでこそ持ち味を最大限に発揮します。大きな葛藤を抱えている役、精神的な脆さを見せるような役、もっと言えば常軌を逸したような役に一番適性があると言うのが、僕自身の彼の評価です。そういう意味では、実はみいはあな人気とは裏腹に、異形のテノールと言ってもいいのかもしれません。

<アキレス腱>
超有名歌手ですが、結構録音の出来不出来が大きいひとです。多分3大テノールで一番波があって良いものは凄くいいのですが、いまいちなものは果てしなくいまいち。
上記のような特性があるためか、合う役と合わない役の落差も大きい印象です。脆さがあまり出ると説得力が減るような役や幸せいっぱいな役では、どうもしっくり来ません。と考えると、僕自身がそうしようとした訳でもないのにも拘わらず、僕の持っている彼の音源がヴェルディ祭りになったのも何となく納得したりして。

<音源紹介>
・ドン・ジョゼ(G.ビゼー『カルメン』)
フォン=カラヤン指揮/バルツァ、ヴァン=ダム、リッチャレッリ、バルボー、ベルビエ、G.キリコ、ツェドニク共演/BPO、パリ・オペラ座合唱団&シェーネベルク少年合唱団/1982年録音
>諸々の問題はさておき、主役2人の歌唱で選ぶのであれば未だに決定的な名盤と言っていいでしょう。個人的にはカレーラスと言えばジョゼ、ジョゼと言えばカレーラスと言うくらい、この役での彼は卓越していると思います。まさに名刺代わりの役でしょう。この役は意外と重たい声が求められてはいるものの、英雄的ではなく、うじうじと思い悩み、追い詰められた末に殺人を犯すような人物であり、彼のいい意味での不安定さや痛々しさがぴったりとはまります。まさに振り回される男、という風情。もちろんキャラクターに合っていると言うだけではなく歌唱も一級品であり、何と言っても花の歌での〆の最高音ppデクレッシェンドの品の良さ、美しさ。実は彼の歌い方が楽譜の指示通りなのですが、むしろ張って出してしまう人が多いのがその難しさを裏付けるところで、これを聴くといつも、ああカレーラスすごいなあと思ってしまいますす。エキゾチックな声と歌を聴かせるバルツァはもちろんのこと、可憐なリッチャレッリ、藝達者な脇役の方々など聴くべきところの多い演奏です。フォン=カラヤンの“帝国主義”とそれに伴う重たすぎるヴァン=ダムの好み次第でしょうか。

・ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
アバド指揮/ギャウロフ、フレーニ、カプッチッリ、オブラスツォヴァ、ネステレンコ、ローニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1977年録音
>カルロもまたカレーラスを代表する役柄です。個人的には、カルロのベストと言っても過言ではありません。ヴェルディの書いたテノール役の中でも最もメンタルの弱そうな、或意味でおつむの悪そうな役がこの役だと思うのですが、それがまたカレーラスの頼りない、必死な形相の歌にしっくりくるのです(念のため言っておきますが、最大限の褒め言葉です)。これがパヴァロッティだとやっぱりどこか根明になってしまうし、ドミンゴでは知的すぎる。カレーラスの根暗さと余裕のなさが、非常にリアルなのです。これはアバドのほぼ完全版の演奏で長いですが、この指揮者らしい歌心を感じさせるもの。そして共演陣の素晴らしさ!ライヴでこれだけの人が集められるとは!総体としては自分の中ではこの作品のベストの演奏だと思っています。
(2022.9.9追記)
フォン=カラヤン指揮/ギャウロフ、フレーニ、コッソット、カプッチッリ、バスタン、ヴァン=ダム、グルベローヴァ、トモワ=シントウ共演/WPO、ヴィーン国立歌劇場合唱団&ヴィーン楽友協会合唱団/1976年録音
>2年後に収録された有名なスタジオ録音と同じ指揮者、ほぼ同じキャストでヴィーンで行ったライヴです。あちらは名盤とされるだけあって立派な演奏ではあるものの轟然たるオケに声がかき消されてしまっていた恨みがありましたが、こちらはオケの雄渾な表現があった上でに更にしっかりと歌を楽しむことができ、個人的にはより好みに合っています。カレーラスは時期が近いこともあって、まさにそのスタジオ録音のときと近い熱唱を、より明瞭にはっきりと楽しむことができるのが嬉しいところです。しかもやや若いためか声の響きがより豊潤で、開幕の短いアリアから主役のオーラが漲っています(この演目では珍しいことでしょう笑)。そして声の近い録音で聴くと改めて、綺羅星のような共演陣、特にカプッチッリとの相性の良さを感じることができます。正規音源として出てきてほしいものです。

・ウェルテル(J.E.F.マスネ『ウェルテル』)2023.5.8追記
C.デイヴィス指揮/フォン=シュターデ、アレン、ブキャナン、ロイド共演/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団/1980年録音
>もう1つ内向的な悩みの強い役柄を(と言いつつ恥ずかしながら仏ものっぽくないメンバーだという非常に安直な理由で、最近ようやく視聴したのですが苦笑)。クラウスのような気品をまとった役作りとは全く違う、パワフルで猛進する歌唱に最初は驚いたのですが、ウェルテルが熱情に浮かされた自己破滅的な若者であることを考えれば極めて説得力の高い方針だなと考えを新たにしました。そういう意味では名高いオシアンの歌よりも、2幕始まってすぐのアリアでこそ真価が感じられそうです。これで逆に指揮や共演が仏風のリリカルなスタイルですと浮いてしまうのですが、デイヴィスの棒はオケの豊かさを十分に引き出したものですし、フォン=シュターデやアレンもドラマとして納得感のある歌唱でバランスが取れています。ある意味で、仏ものの固定概念を拭い去った名演ということができるでしょう。

・ドン・アルヴァーロ(G.F.F.ヴェルディ『運命の力』)
パタネ指揮/カバリエ、カプッチッリ、ギャウロフ、ナーヴェ、ブルスカンティーニ、デ=パルマ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1978年録音
>これもまた上述のカルロと同様、奇跡のライヴ演奏と言うべきもの。巷間言われているとおり、彼はシノーポリの指揮でスタジオ録音もしているのですが、その演奏を凌ぐ濃密で充実した歌唱。特にアリアでの凝集された集中力の高い歌いぶりはたまりません。また、ライヴにも拘わらず慣例的なカットの少ない演奏で、カルロとの決闘が2回あります。即ちアルヴァーロとカルロの重唱が都合3回ある訳ですが、このカプッチッリがまた大熱演で、ふたりの手に汗握る掛け合いを思い切り楽しむことができます。こういうのを聴くと、やっぱり最初の決闘はちゃんと演奏してほしいなあと思うのですが……綺羅星のような共演陣はまさしくお見事。

・エンツォ・グリマルド(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)2018.1.7追記
ロペス=コボス指揮/カバリエ、マヌグエッラ、ナーヴェ、ジャイオッティ、ペイン共演/スイス・ロマンド管弦楽団&ジェノヴァ大歌劇場合唱団/1979年録音
>彼の録音の中でもかなり上位に来ると言っていいものなのですが、追記しそびれていました^^;ひょっとすると一番脂が乗っていた頃かもしれません、全編に亘って熱情が滴るような歌唱を楽しむことが出来ます。上記3役でもそうですが、その全力投球歌唱からちょっと脆さや危うさが感じられるのがこの役でもプラスに働いていて、感情の赴くままに驀進してしまう熱血漢を見事に作り上げています。オテロばりの登場場面で大見得を切りつつ、アリアでここまでリリカルな歌唱ができてしまうのは本当にすごいと思います。カバリエはスタジオ録音の方が優れている点もあるものの個人的にはこちらの歌唱の方が好み、マヌグエッラの粘着質な悪役ぶり、ナーヴェの予想以上の熱唱、堂々たるジャイオッティなど共演も優れています。

・ポリウート(G.ドニゼッティ『ポリウート』)
カエターニ指揮/リッチャレッリ、J.ポンス、ポルガール、ガヴァネッリ共演/WSO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1986年録音
>名作でありながら意外といい録音がない作品で、この録音についても楽譜の扱いが?だったり(ポリウートのカヴァティーナをカットしてるなんて!)共演もベストでなかったりと惜しいところもあるのですが、殊カレーラスに限って聴くのであれば、発病の前年とはとても思えない馬力のある歌で惹きこまれます。あまりベル・カントらしくはないものの、引き締まったスタイリッシュな歌は魅力的で、全盛期にはこうした英雄然とした役柄もいけたんだなあという天晴な歌いぶり。リッチャレッリもやわらかな美声が耳に心地いいです。ポンスははっきり言って今ひとつなのですが、悪役のポルガールが彼らしい知的で品のある歌で良いアクセントになっています。

・レーヴェンスウッド卿エドガルド(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)2023.1.17追記
ガルデッリ指揮/リッチャレッリ、カレーラス、ボガート、ディッキー、ヴィンザー、ロレンツィ共演/WPO&合唱団/1982年録音
>入手が難しいのが残念なのですが、熱量の高い伊ものが好きな方にはたまらない音源でしょう。ガルデッリの舞台の盛り上がりをよくよく心得た指揮と、ノルマンノ役のロレンツィに至るまでの歌唱陣の熱演で、字幕がなくてものめり込んで楽しめてしまう舞台になっています。カレーラスはやはりこういうコミュニケーションの不足からブチ切れてしまうような役柄にはぴったりですね!(褒めてます!笑)ルチアのように狂乱はしないけれども、精神的には不安定な人物であることがきちんと提示される感じがします。実を言うと正直な話視覚的には演技はそれほどしていない、というか延々と仏頂面なのですが、聴覚的な表現力の高さが尋常ではなく、ほとんどこれ以上が考えられないほどです(ヴェルディ節過ぎはしますが)。声の鳴りは登場の瞬間から圧倒的で、彼が登場するまでにヌッチ、ボガート、リッチャレッリの声の素晴らしさに十分に酔っているはずなのですが、それでも「うわ、カレーラスすげぇな」と思わず嘆息させてしまう。しかも声に甘えるのではなく非常に濃やかな表現をしているのです。必要なことは全て歌に書かれている、と言う感じでしょうか。

・エレアザール(J.F.アレヴィ『ユダヤの女』)
デ=アルメイダ指揮/ヴァラディ、F.フルラネット、ゴンザレス、アンダーソン共演/フィルハーモニア管弦楽団&アンブロジアン・オペラ合唱団/1986-1989年録音
>これも病を得る前後の録音ではありますが、調子が良かったのか聴き応えのある歌に仕上がっています。そもそもこの作品の音源があまり無い中、シコフというエレアザール歌いが登場した現在に於いても、未だに価値のある録音と言っていいでしょう。ここでのカレーラスは、彼の他の当たり役のようななよなよ感はあまりなく、頑固で狂信的な雰囲気をよく出しています。異形なこの役を、彼一流の不安定さで表現していると言う感じ。有名なアリアはじっくりと聴かせる重厚な仕上がり。この作品を得意としたと言うデ=アルメイダの端整な音楽と強力な共演陣も魅力です。

・スティッフェリオ(G.F.F.ヴェルディ『スティッフェリオ』)
ガルデッリ指揮/シャシュ、マヌグエッラ、ガンツァロッリ共演/墺放送交響楽団&合唱団/1979年録音
>こちらも名作でありながらあまり録音がありませんが、この録音は完成度が高く、もろ手を挙げて推薦できるもの。妻の不倫の影に信仰が揺らぐ聖職者という心理戦的な役どころですから、ここでも彼のどこか追い詰められたような歌い口がGood!特に滔々とアリアを歌う最中、妻の指に結婚指環がないことに気づいて色を失うところなど絶品で、この人でなければ出せない悲痛さが堪りません。ガルデッリのがっちりとした音楽と実力のある共演陣もおススメできます。

・マリオ・カヴァラドッシ(G.プッチーニ『トスカ』)
フォン=カラヤン指揮/リッチャレッリ、R.ライモンディ、ホーニク共演/BPO、ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団&シェーネベルク少年合唱団/1979年録音
>フォン=カラヤンの交響曲のような音楽づくりのオペラ録音の中では一番成功していると思います。痛々しいのが売りのカレーラスは幸せいっぱいの1幕よりも、やはり捕えられて拷問される2幕、そして獄中で刑を待つ悲壮な第3幕と徐々に良くなってきます。“星は光りぬ”は名唱!リッチャレッリは流石にトスカには声が細いように思いますが、ライモンディの性格俳優的なスカルピアが魅力的。如何にもな悪役ぶりではなく、一見上品で尊敬すべき人物に見えるが実は……という計算された役作りは流石です。

・ガブリエーレ・アドルノ(G.F.F.ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』)
アバド指揮/カプッチッリ、ギャウロフ、フレーニ、ヴァン=ダム共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1976年録音
>今さら言を俟たない超名盤。しかしアバドが引っ提げてあちこちで公演したライヴよりも未だにこのスタジオ音源が選ばれるのは、カレーラスの力が大きいと思います。それはなにも彼が単にビッグ・ネームだからということではなく、この役が彼の特性に合っていると言うことではないかと。他の登場人物のドラマがあまりにも深いために見過ごされがちですが、ガブリエーレはガブリエーレで大きな葛藤を抱え、作中で悩み、追い詰められているのです。その想いが爆発するのが2幕のアリアな訳ですが、これが胸が締め付けられるような絶唱。これこそカレーラスの持ち味です。例えば三大テノールの他の2人ではこうはいかないところ。

・マクダフ(G.F.F.ヴェルディ『マクベス』)
ムーティ指揮/ミルンズ、コッソット、R.ライモンディ共演/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団&アンブロジアン・オペラ合唱団/1976年録音
>この役は初演歌手がしょぼかったせいで小さくなってしまったと言うので有名な役ではありますが、しっかりした歌手が歌えば大きな感動を生むことがわかる歌唱です。権力者に妻子を殺された悲劇の武将の哀れさを、彼の歌は等身大の人物の悲しみとしてしっとりと感じさせます。いい意味で堂々としすぎない、しょぼくれた感じが、憐憫を誘うのです。もちろん或る意味でよりオペラ的な立派な歌は他にもたくさんあるかと思いますが、総合的には彼がいちばんぴたりとはまっているように思います。

・ヤーコポ・フォスカリ(G.F.F.ヴェルディ『2人のフォスカリ』)
ガルデッリ指揮/カプッチッリ、リッチャレッリ、レイミー共演/墺放送交響楽団&合唱団/1976年録音
>マイナーな作品ですが、これは名演です。謂れのない罪で投獄され、家族と離別させられ、死んでいく人物、となればやはり彼の独壇場と言ってもいい。救いのない境遇の中でじわじわと弱って行く様を実によく表現しています。特に幻影に怯える2幕冒頭のアリアは鬼気迫る表情で、鳥肌が立つようなおぞましさ。残る2つのアリアは結構性格の違う曲で大変だと思うのですが、流石に見事に歌いきっています。彼と同様に薄倖さを感じさせるリッチャレッリもいいですが、ここでの主役は大芝居で聴かせるカプッチッリでしょうね。

・コッラード(G.F.F.ヴェルディ『海賊』)
ガルデッリ指揮/カバリエ、ノーマン、マストロメイ共演/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団&アンブロジアン・オペラ合唱団/1975年録音
>ヴェルディの作品の中では最も人気のない演目の一つではあるものの、これも歌う人が歌えばオペラとして結構楽しめると言うことをよく伝える録音。彼の全盛期の男ぶりのいい歌い口が、コッラードのヒロイックなキャラクターによく合っていて、特に登場アリアは実にカッコいい!先の展開での海賊の首領にあるまじき容量の悪さも、何となく彼のイメージに近かったりして(笑)カバリエとノーマンはどちらもよく歌っていますが逆の方が良さそう。スカルピア(G.プッチーニ『トスカ』)などで来日もしているのに録音が少なく知名度も低いマストロメイは、ここでは力強い歌いぶりで◎ガルデッリも流石第一人者ですね^^

・歌手(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)
デ=ワールト指揮/リアー、バスタン、フォン=シュターデ、ウェルティング、ハモンド=ストラウド共演/ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団&ネーデルラント・オペラ合唱団/1976年録音
>言及されることは多くないですが、すっきりとした演奏でこの作品の別の面を見せて呉れる佳演です。ここでのカレーラス、ひょっとするとスタジオでの彼の録音の中で一番の熱唱かもしれませんwここまでやるか!という物凄く味付けの濃ゆぅい歌いぶりで聴いていてびっくりするぐらいです笑。こってこての伊ものの歌を全力で歌っていて、清々しいぐらい。シュトラウスが伊ものを茶化した場面だから、これぐらいやってしまうのもありなのかなぁ……なんにしても立派な歌であることに違いはなく、カレーラスのファンなら是非聴いてほしいものです!

・オテロ(G.ロッシーニ『オテロ、またはヴェネツィアのムーア人』)
ロペス=コボス指揮/フォン=シュターデ、フィジケッラ、パスティーネ、コンド、レイミー共演/フィルハーモニア管弦楽団&アンブロジアン・オペラ合唱団/1978年録音
>最後はちょっとイロモノを。全体としては良くも悪くも過渡期のロッシーニというべきもので、ルネッサンス後を知っている耳には厳しい部分も少なくないのです。題名役を演じるカレーラスとて例外ではなく、スタイルの古さは感じます。しかし、しかしなのです。ここでのカレーラスの歌いぶり、歌への攻めの姿勢が堪らなくカッコいいのです!彼の重厚な、壮麗な輝きのある声での精いっぱいのアジリタには、たどたどしさも感じるのですが、それでも耳に心地よいのです。これはこれでカレーラスの全盛期の記録として、愛すべき録音だと思います。

・ピキーヨ(J.オッフェンバック『ペリコール』)2022.2.15追記
プラッソン指揮/ベルガンサ、バキエ、セネシャル、トランポン、コマン共演/トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団&合唱団/1982年録音
>もう1つイロモノ。カレーラスがオッフェンバックのオペレッタを歌うと聞いて驚かないオペラ聴きがいるでしょうか!人によってはその「驚き」は半ば忌避感に近いものですらあるのか、試みにネットを手繰ってみるとこの音盤の評は必ずしも好意的なものばかりではなく、生真面目な彼が精一杯戯けてみせているのを「痛々しい」と綴っているものすらあるほどです。しかし僕自身はこの音盤を聴いて、単純な話題作りと足蹴にすることはできないという印象を持ちました。これがフリッツやパリスだったら違和感はあったのだと思うのですが、他ならぬペルーを舞台にしたこの作品で、西語を母語とした脂っこい声のカレーラスがこの役を歌う意味は大きいと思うのです。しかもピキーヨは単につっころばしと言ってしまうにはあまりにも沸点が低く、しかも怒り方も大胆です。この生真面目だからこその感情の大暴走は自然とドン・ジョゼを想起させますし、であればこそのカレーラスなのです。名カルメンでもあったベルガンサと名エスカミーリョでもあったバキエがここに並ぶことによって、この西国風の演目は『カルメン』のパロディとしての空気も纏っているのではないでしょうか。個別の歌をとってみても、繰り返される重唱での「エスパニョ、ニョニョニョニョニョニョル」のところは彼の重すぎて機動力のない声で歌われることによって、あたかもトロンボーンで小刻みな動きをしているような面白さを生み出しています。カレーラスにオペレッタの、喜劇の特性があったとは思いませんが、それでも十分に笑いを招べることに気づかせてくれる名盤ではないでしょうか。
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Stegosaurus・改

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ステゴサウルス・改
Stegosaurus stenops
revised edition

旧作に手を入れたもの。
実は全面改定も考えたのですが、肢が巧く纏まらず断念。元々気に入っていた旧作を改良することにしました。

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「改良」ですからベースラインは一緒で、特に腰の高い体型はここでも意識しています。ちょっと頭を下げ過ぎな気もしなくはないのですが、背鰭との関係でこの位置に。このあたりもう少しやれそうな気もしています。
その背鰭、旧作では全て同じ大きさでしたが、そこがやはり今ひとつリアルさを殺いでいたように思うので、調整して大きさに変化をつけています。化石を見ると身体の後方に行くに従って背鰭が5角形になるので、それを折り出そうかどうかも迷ったのですが、肉に埋まっている部分があることを考えるとどうもあの形がそのまままるっと生えているイメージが持てず。下の部分が隠れて3角形になっているのでは?と思って作っています。実際どうだかはわかんないんですけどね^^;

背鰭をずらしたことで肢もズレるので、普通は調整して揃えるのですが、敢えて折りを変えて動きをつけようとしてみました。写真でみるとあんまわかんないから微妙かな。

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旧作同様、尾のスパイクは横に伸ばす形にしました。前回上げた作品よりもやわらかい紙を使っているので、派手に膨らまなくていい感じ♪

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なまじアンキロサウルスで僕にしては完成度の高い作品ができてしまったので、これまでの作品もレベルを上げ用と思いまして、まずはこいつの指を折り出そうと。
ステゴの足を見ると結構個性的で、後ろ足は3本指で内側に向かって順に長くなり、前足は内側から2本以外はかなり小さくなっています。ですので後ろは形のまま折り出し、前は目立つ2本の指のみしっかり作って残りは一体となったような形にしてみました。
今回はここを一番やりたかったのですが、如何でしょうか?
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開幕2周年…でした!

忙しさにかまけてすっかり忘れておりましたが、9/26付で本blog立ち上げ2周年でした!(笑)

結構前になってしまったんで正確なところはよくわかりませんが、この2年目までに書いた記事は262件、来場者数は2013年1月あたりからのカウント伯爵で約14200アクセス。
記事数自体はそこまで変わりませんが、アクセス数がぐーんと伸びました^^十中八九博物ふぇすのお蔭ですね(笑)
博物ふぇすの話題以外にもいろいろちまちまやっているのでご覧いただければ幸いです。

折り紙の記事がかなり増えてきましたが、オペラの記事も書いていく予定です!
これからもよろしくお願いいたします。
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Spinosaurus 2014-2

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スピノサウルス 2014-2
Spinosaurus aegyptiacus
version 2014-2

懲りないばじりおはまたしてもスピノサウルスを作ってしまいました^^;

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前作よりも後肢を短くするのが最大の目標で、依然と別の角から肢を作ってみたりもして、それはそれでこの恐竜の新復元らしくはなったんだけど、あまりにも作品としてディメトロドンの二番煎じ臭が漂ってしまい、却下。やっぱりその実在を信じるかはひとまず措くとして、足鰭を目立たせた方が今回のスピノっぽくなるよなと。
或意味でむりくり前回の作品の後肢を短くしたので、折りとしてはしんどい感じがあるのですが、一方で立体的な仕上がりになった気もしていて、それはそれで良かったのかもしれない。こいつを作った段階で前肢は既に立体的に仕上げていた訳ですしますのすし。

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うーん、でも改めて写真を見るともっと短くしあげたくなるなあ^^;>後肢
腰周りがちょっとごつくなり過ぎなのもあるのかな。

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また、併せて頸のあたりをふっくら仕上げることを意識しました。
その方が生き物っぽいなというのがひとつ、もうひとつがワニの頸のたぷたぷ感みたいなのをこいつが持っていてもおかしくないような気もしたので。とはいえ、何かこれという証拠がある訳ではなく、完全に妄想の世界ですが^^;
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群盗

群盗
I masnadieri
1847年初演
原作:フリードリッヒ・フォン=シラー
台本:アンドレア・マッフェイ

<主要人物>
モール伯爵マッシミリアーノ(B)…カルロとフランチェスコの父親でモールの領主。可愛がっていた上の息子のカルロは悪いお友達ができちゃってうちから離れて行くし、下の息子のフランチェスコは兄貴へのコンプレックスで拗けた性格に育っちゃったし、はあ~俺子供の育て方間違っちゃったかなあ…な人。挙句フランチェスコの姦計により幽閉されてしまう。下の3人に較べるとあらすじ的にも音楽的にも負担の軽い役だが、死んだと思っていたが生きていたという場面などを考えるとそれなりの風格とドスの利いた声が欲しい役だろう。
カルロ(T)…マッシミリアーノの長男。父に溺愛されて育つが、長じて悪友との放蕩の生活を送る。父との和解を望んでいたところ弟の謀略に陥り、群盗へと身を窶すことになる。主人公なんだけど現代の目からするとなんだかやたら身勝手なやつやなあと^^;原作だともう少し違うようですが。初期ヴェルディらしい熱気の籠った音楽が当てられており、馬力のあるテノールが歌えば聴き栄えのいい役。とはいえかなり歌わなくてはならない役なので、全曲で馬力を発揮するのは結構ハード。
フランチェスコ(Br)…マッシミリアーノの次男。父が兄を猫かわいがりするせいで性格がひねくれてしまったひたすら邪悪な人物。情報操作で父と兄の間に行き違いを起こさせ、父を幽閉、兄も亡き者にして権力を恣にし、兄の戀人をも自分の手に入れようとするが、罪の意識から最後の審判の夢に魘される。如何にもヴェルディが好みそうな性格的なバリトンの役どころで、後のイァーゴが透けて見える。また夢の場面などは同時期に書かれたマクベス夫人とも関係が深そう。後のヴェルディならもう少し違う音楽をつけて呉れそうだが、書かないかな~この出来の悪い台本だと^^;
アマーリア(S)…カルロの戀人。伊ものらしい激しい性格のヒロインで、フランチェスコから逃げる時には自ら剣を取りもするし、お近づきになったら割と厄介そうな気がするw一方で戀人を追放した直接的な人物であるマッシミリアーノには敬意を抱いて接するなど徳が高い(?)一面もある。全体として強い声が必要な役になってきている一方、この役が一番ベル・カントの音楽の延長にいる感じでもある。
アルミーニオ(T)…モールの伯爵家の家令。当初フランチェスコに力を貸すが、早々に後悔し、アマーリアに全てを話し、マッシミリアーノには密かに食料を運ぶ。物語の要所要所で主人公たちを繋ぐ重要な脇役テノールで、出番もこの手の役の中ではかなり多い。特に1幕のフィナーレは第1テノールのカルロが不在なので、主役陣に混ざってアンサンブルを展開する。
モーゼル司祭(B)…フランチェスコが懺悔するために呼ぶ司祭。罪はあまりにも重く、人の力で懺悔を受け入れることはできないと彼を突っぱねる。出番は終幕のフランチェスコとの重唱だけだが、物語の展開としては相当重要な役で、できれば力量のある歌手、少なくとも存在感のある歌手に演じてもらいたいところ。派手に延々と歌ったりする場面がある訳ではないが、オーケストレーションでも後の宗教裁判長の登場を予見すると言っていい興味深い役。
ロッラ(Br)…カルロと徒党を組む悪友の1人。意外と面白い役が多いこの演目の中では最も存在感の薄いひと。

<音楽>
・前奏曲
○第1幕
・カルロのカヴァティーナ
・フランチェスコのアリア
・アマーリアのカヴァティーナ
・アマーリアとマッシミリアーノの小2重唱
・アマーリア、アルミーニオ、フランチェスコ、マッシミリアーノの4重唱

○第2幕
・アマーリアのアリア
・アマーリアとフランチェスコの2重唱
・カルロのロマンツァとフィナーレ

○第3幕
・アマーリアとカルロの2重唱
・群盗の合唱
・マッシミリアーノの物語
・カルロの誓い

○第4幕
・フランチェスコの夢
・フランチェスコとモーゼルの2重唱
・カルロとマッシミリアーノの小2重唱
・フィナーレ

<ひとこと>
マクベスと同じ時期にロンドン上演に向けて準備された作品。良いテノールが用意できそうだということで、テノールを主役に据えた、或意味オペラらしいオペラです。初期のヴェルディらしいドラマティック且つ流麗な音楽がやはり魅力的で、こうして聴いてくるとだんだんと熱気の籠った音楽が多くなってきているような印象を受けます。とは言えイマイチ人気がないのは、巷間言われる台本の拙さからでしょうが、ここでは改めてそこに踏み込むことはしません(細かいところまで目を通せてないし^^;)
ただ一概につまらない作品かというとそんなことはないと思います。その良さを充分に活かしきれているとは言えない台本になってしまっているとは言え、フォン=シラーの原作をヴェルディが選んだ理由はわかる気がします(ちなみに何だかんだ言ってヴェルディの作品はフォン=シラーが原作となっているものが多いですよね。既に登場している『ジョヴァンナ・ダルコ』然り、この後登場する『ルイザ・ミラー』然り、伊ものの最高傑作である『ドン・カルロ』然り)。主役は当然ながらテノールであり、その魅力をたっぷりと味わえる音楽をつけていますが、ヴェルディが一番興味深く目を向けているのはバリトンの演ずるフランチェスコだと思います。まだそれほどではないですが、彼一流のグロテスクな人物への関心とそれを通して描かれる人間の内面の表現への意欲が感じられるのです。そういう意味では、意外とスルーできない作品なのではないかと。

そのフランチェスコ、これはやはり難しい役です。原作ほどではないにしろ悪の権化であり、最後の場面は狂乱の場の延長と言ってもいいでしょう(とは言え原作での描かれるフランチェスコの自殺はオペラでは存在しないので、最終的に彼がどうなるのかは実はうやむやになってしまっているのですが…実際のところどうかはわかりませんが、検閲のせいかなと何となく思っています)。権力を欲して悪の限りを尽くし、罪の意識から精神を病む…この設定何処かで見ませんでした?そう、前作のマクベス夫人。完成度的にはやはりマクベス夫人の夢遊の場が秀でているように思いますが、フランチェスコの夢の場も同じような狂乱の場の発展形と言ってもいいのかもしれません。また、恐ろしい悪夢を人に語るという状況は前々作のアッティラのアリアとも類似しているようです。このあたり簡単にそうだ、と決めつけることはできませんが、この時期のヴェルディが特に関心を抱いていたのかもしれません。この悪人の系譜はこの作品の後ヴルム、パオロへと繋がり最終的には伊歌劇史最大の怪物イァーゴへと進化していきます。よく言われることではありますが、登場アリアの前奏、そしてフランチェスコが自らの恨みつらみを吐露するレチタティーヴォでは、既にそのイァーゴの気配が漂っています。これに較べるとアリア本体は伝統的な形式に則った流麗過ぎる歌に彩られており、勢いが後退してしまっている感がありますが、この時期の彼らしいたっぷりとした旋律はそれはそれで魅力的なものです。1幕フィナーレでの悪への讃歌も後年ならばより強烈な音楽をつけていそうですがまあまあでしょうか。リゴレットもヴィオレッタもアズチェーナもフィリッポも生み出していないこの時点で、作曲家にこれ以上を求めるのもちょっと酷な気はします(^^;朗々とした歌もあるので声のある所謂ヴェルディ・バリトンに歌って欲しいなとも思うのですが、それ以上に屈折した人物を表現する演劇的な巧みさがないと、特に夢の場は務まりません。ゴッビが遺して呉れていたら結構面白かったかもしれない。

音楽的にも台本的にも主役のカルロ、これもまたえっらい難役です。何せ登場場面が多いし、どれも声楽的な負荷が非常に高い。ヴェルディ個人の興味や描き込みとは別に、はっきり言って公演の出来を大きく左右するのはこの役です。ブンチャッチャ調の勇壮でメロディアスな音楽が与えられているロブストなテノールの役で、かなりパワフルに歌って欲しいところ。これまでの役はそうは言ってもベル・カントの匂いが強かったように思うのですが、このカルロあたりから様子が変わってくるのかなという感じがします。この役の中にマンリーコの原型を見るのはそんなに難しい話でも荒唐無稽なことでもないでしょうし(少なくともこの作品そのものや『イル・トロヴァトーレ』のあらすじほどには荒唐無稽ではないと思いますw)、この役をベル・カント流儀で優美に優雅に歌われてもちょっとなあという感じ。また流石にマンリーコ程の完成度には至っておらず、誰が歌っても音楽の魅力を感じ得るといった役ではないので(と言ったけどヴァルター・フラッカーロのマンリーコはガ鳴るだけで本当に酷かった…あいつはもう二度と聴かない)、巧く歌える以上になにかひとつプラスがないと面白くない役かもしれません。それはやはりヴェルディの場合は熱気と言いますか、テノールバカっぽさなのかなあなどと思っています。役柄としての破れかぶれ感が増した方が演劇としてもリアルな気もします。逆にそういうところがあれば作品のイメージをガラッと変えて呉れるかも。或意味では歌で必死になって結果を出せばそれっぽくなるという、非常にオペラっぽい役と言えるかもしれません。

歌というところで行くのであれば、わかりやすくかなり難しいのがもう一人の主役アマーリアで、2つのアリアでも重唱でも技巧のテンコ盛りです。これを歌いこなすのはかなり難しいでしょう。そしてこちらもカルロ同様出番が非常に多い。ただ、その割には上記2人に較べてあんまり面白くないかなあと言うのが正直な感想です。あらすじ的にはこれといった派手な見せ場がある訳でもないのに、音楽的な見せ場を突っ込まれてしまってなんとなく中だるみしてしまった感じと言いますか。ヴェルディが手を抜いているとかっていうよりは、やはり台本の拙さが出てしまっているような気がします。2幕のアリアと重唱が逆の順番ならどちらももう少しグレード上がる仕上がりになったのではないだろうかなどとまた岡目八目。そういう意味では逆にこれを聴かせなくてはならない歌手の側は結構しんどいものがあるように思います。参考音源のサザランドとカバリエは、こう考えて行くとやはり凄い歌手だなと。このクラスの歌手が妙技を尽くせば俄然聴きごたえが出て面白くなってくるんですが、なかなか歌って呉れないでしょうね^^;

準主役ぐらいの扱いのマッシミリアーノですが、実はカルロよりもアマーリアよりもこの人に当てられている物語の方が出来がいいのではないかと(我ながらバス贔屓、バリトン贔屓のため、テノールやソプラノに対してより圧倒的にこちらに重心を置いた、偏った聴き方をしている自覚はあるのですがw)。重唱はまあこんなもんかなぐらいの扱いではあるのですが、彼の物語は実に不気味な趣のある音楽で、全曲の白眉と言ってもいいかもしれません。この時期のヴェルディはアッティラやバンクォーでも仄暗い不吉な音楽を作るのに成功しており、これらの曲は深く関係しているように思われます。役としては後半の耄碌してしまっている部分及び嘆き節をしっかりやれるひとならばそんなに難しくはないのではないかと思いますが、この物語で死んだ筈の老人のおぞましい語りだという感じを出すためには、重厚で暗い音色の迫力ある声と舞台上での存在感が欲しい。それこそネーリあたりがやっていて呉れたらかなり良かったのではないかという気がします(フランチェスコにゴッビ、マッシミリアーノにネーリってかなりインパクトがありますね…このメンバーなら相当どぎついカルロじゃないと。となるとデル=モナコかな?)

アルミーニオもこの手の役としては珍しいぐらい歌う場面が多く、アンサンブルでもしっかり絡んで来なければいけない役です。特に上述のとおり1幕フィナーレにはカルロが居ない代わりに彼が登場し、テノール・パートを補っているので、それなりに通る声でしっかり歌える人でなければ務まらないでしょう。フランチェスコの命令に従ったり、アマーリアに真実を伝えたり、マッシミリアーノに秘密で食事を運んだり、そのあとカルロにどやされるなど主人公同士を繋げる役回りとしても重要であり、そこそこに演技力も欲しい。今回参考にした音源ではどちらもまあまあでしたが、それこそデ=パルマあたりがやって呉れたらなあと。

そしてもう1人、異様な脇役としてモーゼル司祭が居ます。彼の出番は終幕のほんの5分程度ですが、その印象はとても強いです。彼は、そこまで悪事の限りを尽くしてきたフランチェスコの懺悔を冷淡に拒絶し、直接的に追いこんでいく人物だからです。ヴェルディの作品に親しんでいる耳で聴けば、彼の登場のファンファーレを聴いてすぐピンと来るはず。そう、フィリッポを追い詰める宗教裁判長です。こちらも完成度的には未熟な部分が多いものの、その旋律的でない単調な動きで威圧していく様はやはり恐ろしい。雛形としては非常に興味深いです。僅かな出番に対して大物を連れてくるのはなかなか難しいとは思うのですけれども、出来れば存在感のあるひとに歌って欲しい。往年の名歌手を起用があったら嬉しいな^^

合唱。この作品ではもう殆ど単なる盛り上げ隊ですね^^;3幕の合唱も愉快だけど冴えないですね~『マクベス』のバンクォー暗殺団の合唱もやたら愉快でしたが、この時期ヴェルディは男声合唱を愉快にしたかったのでしょうか笑。

出来としてはまだまだ望めるところがありながら、マンリーコやイアーゴ、宗教裁判長の原型を楽しむことができる作品です。破れかぶれな感じもありますが、これはこれでその不完全さが或意味で魅力的。あらかたヴェルディの有名作を聴いて、別のものを更にという方にはおススメです。

<参考音源>
○ランベルト・ガルデッリ指揮/カルロ…カルロ・ベルゴンツィ/アマーリア…モンセラート・カバリエ/フランチェスコ…ピエロ・カプッチッリ/マッシミリアーノ…ルッジェーロ・ライモンディ/アルミーニオ…ジョン・サンダー/モーゼル…マウリツィオ・マッツィエッリ/ニュー・フィルハーモニー管弦楽団 & アンブロジアン・オペラ合唱団
>キャストも揃っていますし、全体的に整った演奏だと言っていいと思います。まずはこの演奏を聴けば、なんとなく『群盗』という作品の全体像も見えてきますし、音質的にも聴きやすい^^私見では白眉はフランチェスコを演ずるカプッチッリ。こういう性格的な役どころは流石に巧いし、声もしっかりヴェルディ・バリトンですから、流麗に歌うところも不足はありません。彼ぐらい声が立派なら、音楽的にはもうちょっとのところもしっかり聴きものになる、という証左とも言えるかもしれません。この中では演技にも熱が入っており、夢の場はお見事。1幕フィナーレでの「死んだ!Morto!」という叫びの乾ききった喜びをはじめ、全体に楽曲を喰う出来ではないかと。声楽的に素晴らしいのはカバリエです。メカニカルで細かい動きに時に難の出る彼女ですが、ここでは巧くこなしています。全編に亘って瑞々しい美声を聴かせていますが、何と言っても彼女のトレードマークである高音のppにもの天国的な美しさ!特に2幕のアリアはピカイチと言っていいでしょう。ライモンディも身の詰まったカンタンテでしっかりと聴かせて呉れます。優れた歌手である彼の場合しばしばある、もっと聴きたくなるぐらいの歌。また、終幕での耄碌気味の部分では、声こそ立派ですけれどもその疲れ切った感じと言いますか、マッシミリアーノが最早単に命があるに過ぎない人物になってしまっている感じがよく出ています。このあたり役柄をしっかり表現しようとする彼らしい知的さが大きなプラスになっています。ベルゴンツィも彼らしい整った歌でたっぷりと聴かせて呉れて◎です。特に冒頭のアリアの若々しい力強さに満ちており、ヴェルディを聴くならまずはやっぱり彼だという印象を強く受けます。ただ彼のマンリーコには不足を感じない私も、この役ではやや熱っぽさが足りないと言いますか、カルロの持っている破れかぶれな感じがいまひとつに感じます(とは言えこれは恐らくボニング盤での強烈なボニゾッリと比較してしまっているからで、普通はこれだけ歌えれば十二分だとも思うのですが)。サンダーとマッツィエッリはまあまあでしょうか。ガルデッリの指揮はドラマティックで悪くないのですが、なんとなくこの演目を分析的というか学究的に振っている感じで、ベルゴンツィより更に熱っぽさが薄いように感じます。このメンバーなので多少粗っぽくなってももっとガツガツと演奏しても良かったんじゃないかなあ。という訳で惜しい点もあるのですが、まずは推薦盤でしょう。

○リチャード・ボニング指揮/カルロ…フランコ・ボニゾッリ/アマーリア…ジョーン・サザランド/フランチェスコ…マッテオ・マヌグエッラ/マッシミリアーノ…サミュエル・レイミー/アルミーニオ…アーサー・デイヴィス/モーゼル…シモーネ・アライモ/ウェールズ国立歌劇場管弦楽団&合唱団
>基本的にはガルデッリ盤を聴いていただければいいような気がするのですが、カルロという役についてより良く体現しているのは、この盤のボニゾッリでしょう。彼の藝風らしいものすごいテノール・バカ歌唱ですが、それが役柄とぴたりと合って恐ろしいほどの効果を上げています。如何にもこの人らしくあちこちに荒々しいことこの上ないハイCを挟んでくる様の凄まじさと言ったら!作品の疾風怒濤感の良く伝わる気迫の歌で、ボニゾッリのスタジオ録音でのベストの出来ではないでしょうか。こういう歌唱を品がないとかグロテスクとかといった言葉で切り捨てる方ももちろんいらっしゃるでしょうが、こういう歌唱もまたオペラの世界のひとつの側面として認めて欲しいなあというのが僕の意見で、少なくともここでの彼の歌唱は或る見方からすれば最良の部類に入るものでしょう(もうひとつ付言するなら、彼の歌い口が気に喰わないときは、もちろん僕にもあります)。これを聴いてしまうと、上記のベルゴンツィがいささか端正過ぎて聴こえてしまうのです。マヌグエッラもカプッチッリと較べてしまうと遜色がないとは言いませんが、悪くありません。というかこのひとも余り正当な評価を得ていないように思うのですが、厚みのある豊かな声と知的にコントロールされた性格的な歌い回しでヴェルディの諸役を巧みに演じており、なかなかどうして隅には置けないバリトンです。ここでも重厚な存在感を見せつつポンポン付加的な高音を挟んでいたりして、聴き応え十分。特に夢の場とモーゼルとの重唱がいい。サザランドは姥桜の感はどうしても否めないし、役柄的にはあんまり合ってはいないなあとも思えるのですが、それでも高音をヴァリアンテで加えたりして彼女なりに消化し、聴かせる歌にしているあたり流石。エルヴィーラ(『エルナーニ』)よりも後の録音ですがむしろこちらの方がいい出来ではないかと。レイミーのヴェルディは相変わらずあまり好きではないですし、どうしてもライモンディと較べるとそちらの方がいいのですが、ここではまずまず。何よりあの物語は彼の深い声で歌われるとやはり迫力が出ます。アルミーニオ役はここでもまあまあですが、モーゼルを演ずる若き日のアライモは天晴な歌いぶり。重低音が響く方ではない(むしろそれならガルデッリ盤のマッツィエッリの方が鳴る)のですが、にべもない冷厳な拒絶が決まっています。ボニングの指揮はコケコケに言われることが多いですが、ここではガルデッリとどっこいどっこいかな。金管を煌びやかに鳴らしていたりするところはむしろ僕は好みです。ただ、どちらももう少し煽った方がこの作品はいいんじゃないかなぁ。
ガルデッリ盤よりも凸凹を感じますが、まずはボニゾッリを楽しむ音源と思うとかなり楽しめます。
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