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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第八十四夜/波瀾万丈な生き様~

露国特集、まだまだ続きます。
この人は有名なんでご存じの方も多いのでは。

GalinaVishnevskaya.jpg
Tatiana

ガリーナ・ヴィシニェフスカヤ
(ガリーナ・ヴィシネフスカヤ)

(Galina Vishnevskaya, Галина Павловна Вишневская)
1926~2012
Soprano
Russia

パートナーは名チェリストであり名指揮者でもある“スラヴァ”ことムスティスラフ・ロストロポーヴィッチで、この人の指揮での録音が多いです(彼のピアノ伴奏による歌曲の録音もあるのだとか)。夫婦揃って若くしてソヴィエト有数の音楽家として知られ、当局からも高く評価されていました。しかし、彼女も夫もそのまま当局お抱え藝術家でいることのできるタイプではなく、自由な言論・藝術を求めて活動・発言を行い、直接的には体制を批判した作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィンを擁護したことで、演奏活動の停止などの弾圧を受けてしまいます。その後米国へ亡命し演奏活動を行いながら、そこでも社会的な活動を続けています。子供の医療のためのヴィシニェフスカヤ=ロストロポーヴィッチ財団の設立などが有名なところでしょうか。ミハイル・ゴルバチョフ政権下で名誉を回復し、モスクヴァで亡くなっています。ぱっと調べてみたレベルでもこれだけ起伏のある、かなり波瀾万丈な人生ですが、それだけ表現することに拘りがあったのだろうなと思います。彼女はかなり有名な自伝もあって、興味はあるんですがまだ読めてません。ロストロポーヴィッチやソルジェニーツィンはもちろん、夫の師ショスタコーヴィッチや前回登場したネレップ、名指揮者メリク=パシャイェフも登場するという話を聞くだけでも凄い内容っぽいのですが……笑

上記のような経歴のお蔭で、彼女はこの世代の人としては極めて珍しいことに西側諸国でも多くの録音を遺しています。それこそほぼ東側での活動に終始したペトロフやネレップとも、恐らくは西側でしか活動していなかったであろうボニゾッリやマヌグエッラとも録音のある歌手と言うのは彼女ぐらいしかいないのではないでしょうか。また東西問わず手広い録音のいずれでも聴き応えのある力唱を披露しているのも特筆すべき点ではないかと思います。単に露ものの演目を西側でやりましたとか、西欧ものの珍しい露語版以上の演奏が多いんですね。

そんな20世紀を代表する露国のプリマの魅力について、今回は語っていきたいと思います。

<演唱の魅力>
特に亡命後の録音では、この時期の露国の歌手にしては垢ぬけた印象の歌唱を遺しているイメージのある人です。或意味ではそういう風に順応できたから西側でも受け入れられたのかな?とも思ったりします。とはいえ個人的には彼女から凄まじさを感じるのは、そうした西欧めいた顔の時ではなく、むしろその露国魂を見せつけてきたときです。声のピークの問題もあると思うのですが、たとえ露語翻訳版だったとしてもソヴィエトにいたころ彼女が遺した録音の鬼気迫る歌が個人的には一番好きです。また、西側に来てからでの録音でも露ものの作品を演じたときにしみじみいいなあと思わせられます。露ものの良さをここでこそ伝えようと言う気概を感じると言ってもいいかもしれません。

垢ぬけた印象と言いましたが、声を取り出して聴くとやはり露国のソプラノだなあと思わせる響きです。ネレップもそうでしたが西欧的な歌に慣れ親しんだ耳からすると、振り絞るように聴こえる細くて力強く鋭い声。これが彼女の歌に独特のエキゾチシズム、土っぽさを与えていることは間違いありません。だからこそ洗練された空気を纏いつつも、露もので本領を発揮しているとも言えるように思います。
彼女のこうした声の特徴には大きくふたつつの役柄への適性を感じています。まずひとつは娘役。すっきりした軽やかな響きの声は、少女の姿を思わせます。この方面では何と言ってもタチヤーナ!(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)淑やかさを出しつつも、若々しさを通り越してどこかあどけない印象すら与える――しかし決してキャピキャピとした姦しい雰囲気にはならない――絶妙な匙加減が堪りません!彼女以上のタチヤーナを探すのはなかなか難しいなあと毎度思います。もうひとつはその声の鋭利さを活かした狂気を感じる歌や役柄。こちらの方が実は当てはまる役が多いかもしれませんが、カテリーナ(Д.Д.ショスタコーヴィッチ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』)やG.F.F.ヴェルディ『レクイエム』のソプラノ独唱の録音では、いずれもその最右翼と言っていい強烈な歌を楽しむことができます。特にカテリーナはあのタチヤーナと同じ歌手が本当に歌っているんだろうかと唖然とさせられる退廃的で官能的な歌で、彼女の演技達者ぶり、藝の広さを感じさせられるところです。歌っていないようですが、いっそそれこそマクベス夫人(G.F.F.ヴェルディ『マクベス』)なんか歌ったら良かったんじゃないかなあ。

上述のとおり歌での演技が達者だったこともあり、必ずしも上述のふたつの役どころと一致するものでなくても説得力のある歌を披露しています。個人的には露ものの定番ではありますが、マリーナ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)での権力に目を奪われたアリアがお気に入り。実のところ偽ジミトリーに全く戀心がないことをひしひしと感じさせる歌いぶりの小憎らしさがとりわけお見事です。

<アキレス腱>
やっぱりその露風な発声に慣れていないと、居心地の悪い印象を受けるんだろうなと思います。特に西側に来てからの録音で「衰えが……」とおっしゃる方の何割かは、実際の彼女の声の衰えよりもそこがひっかかってるんじゃないかなあと個人的には(だってそんなに言うほど衰えが来てるとはあんまり思えないんだもの)。まあ確かにヒステリックな響きを出しているときもありますが……それはそういう声が必要な役と彼女が判断したものではないかと。

<音源紹介>
・タチヤーナ(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)
ハイキン指揮/ベロフ、レメシェフ、ペトロフ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1956年録音
>この演目と言えばこの演奏を書かすことはできないだろうなあと言う音盤。如何にも露的な演奏で、この作品のエッセンスが詰まっていると言ってもいいように思います。そんな中でのヴィシニェフスカヤだが、正直ちょっとこれ以上の歌唱は考えられないところです。若く瑞々しく淑やか、しかし1幕では何処かあどけなさが残り、世間を知らない田舎のお嬢ちゃんと言う雰囲気が格別です。手紙の場面ではスタジオ録音とは思えない集中力で聴く者をぐいぐいと作品の世界へと引き込んでしまいます。彼女はこの役に若いころからかなり入れ込み、後年夫の指揮でも録音している(私は聴けていないですが)といいますから、特別な思い入れのある名刺代わりの役だったのでしょう。ここにつけるハイキンはソヴィエト時代の巨匠のひとり、これだよこれと思わせる音楽運びです。レメシェフはこの時結構な歳だったようですが、悲壮感のある青年像を創りあげた流石の歌唱、ペトロフの重厚なグレーミンにもただただ頭が下がります。この中でやや地味なベロフではありますが、かったるそうな感じがオネーギンらしくて悪くないと思います。

・カテリーナ・イズマイェロヴァ(Д.Д.ショスタコーヴィッチ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』)
ロストロポーヴィッチ指揮/ゲッダ、ペトコフ、クレン、ティアー、フィンニレ、ムロース、ハウグラン共演/LPO&アンブロジアン・オペラ合唱団/1978年録音
>これはこの演目の決定盤と言ってもいいかもしれない。作曲者の弟子であり友人でもあったロストロポーヴィッチが振り、その妻ヴィシニェフスカヤが歌っている訳ですが、この時のこの2人からは何とかして巨匠のこの傑作を世界に知らしめようという気迫が伝わってくるようです。全幕出ずっぱりのカテリーナ、マクベス夫人と称されてはいますがかなり同情を感じる哀れな役です。彼女はまさに役が乗り移ったかのような歌唱を繰り広げていて、正直ちょっとイッチャってる感じがあります。しかしそれがいい。上記のタチヤーナと同じ人とはちょっととても思えませんが、それぐらい両者は正反対の方向に素晴らしい歌唱です。ゲッダがまた如何にもな遊び人で全然責任感と無縁な感じがgood!ペトコフもドスが効きつつ、エロくてしょうもない舅の人物像をくっきりと印象付けています。クレンの性格的なジノーヴィも出番こそ少ないですが◎その他様々な登場人物に見せ場のある演目ですが、隅々までピッタリはまった人が演じています。

・マルファ・ソバーキナ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『皇帝の花嫁』)
マンソロフ指揮/ヴァライチス、アルヒーポヴァ、アトラントフ、ネステレンコ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1973年録音
>これも珍しい演目の名盤。マルファはこのドラマの中ではいまひとつお人形的で感情移入しづらい役で、彼女の良さが出切らないような気もしますが、聴いてみればこれは全くの杞憂。考えてみれば娘役でもあり狂乱もあるんだから彼女の本領がしっかり出せる訳ですね笑。結構転がしもあるんですが、しっかりと聴かせていてこの方面の才能もあったんだなあと(リュドミラ(М.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』)やればよかったのに!!)。幸せいっぱいな登場のアリアも、陶然とした悲痛な狂乱もお見事です。ここではヴァライチスとアルヒーポヴァの主役2人が何より聴き応えがあります。脇を固めるネステレンコとアトラントフも立派で劇としての厚みが出ています。

・マリーナ・ムニシェク(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
カラヤン指揮/ギャウロフ、タルヴェラ、シューピース、マスレンニコフ、ケレメン、ディアコフ共演/WPO、ヴィーン・シュターツオパー合唱団&ソフィア・ラジオ合唱団/1970年録音
>これもまた超名盤ですね。ただ、よく言われるとおり独的に美しくなり過ぎな感もなくはありませんが。それを露側に引っ張り戻しているのが彼女とマスレンニコフでしょう。マリーナはメゾがたっぷりと色気を含ませて歌うことが多いので、彼女が歌うと軽やかな感じにはなるのですが、上述のとおりその分を演技力でカバーして大変底意地の悪い感じに仕上げています。「私の皇太子、私のヂミトリ―」と歌うところの戀心の感じられなさ!(笑)共演は実は意外と全体に東寄りの録音の少ない人たちで貴重だったりします。歌もみなさんしっかりしたものですし。しかしやっぱりギャウロフがいいよギャウロフ(溺愛)。

・ナターシャ・ロストヴァ(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)
ロストロポーヴィッチ指揮/ミレル、オフマン、トツカヤ、ゲッダ、ギュゼレフ、セネシャル、ペトコフ、トゥマジャン共演/仏国立管弦楽団&仏放送合唱団/1987年録音
>ここでもソヴィエト時代の露国の巨匠のライフワークだった大作を、夫妻がともに全力投球で創りあげています。とは言え如何に彼女贔屓の僕でも、流石にここでは衰えを感じる部分もあるのですが、それをむしろプラスにして運命に翻弄される不安定なヒロインになりきってしまうところなど、彼女の地力の高さだなあと驚嘆するばかり。しかも、一方でちゃんと娘に聴こえるんですよね笑。このあたり本当に凄いなあと思います。ロストロポーヴィッチの雄渾で、まさに大河ドラマ的な音楽も圧巻ですし、凄まじい数の独唱陣にも凹みがない。特に退廃的ながら甘い魅力のあるゲッダと、堂々とした貫禄ある歌いぶりでドラマに重みを与えているギュゼレフがお気に入り。

・アイーダ(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
メリク=パシャイェフ指揮/アンジャパリゼ、アルヒーポヴァ、リシツィアン、ペトロフ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1961年録音
>西欧ものの露語歌唱。この『アイーダ』は何度かご紹介してきましたが、イロモノかと思わせておいて素晴らしい演奏。こういう役を演じると彼女の演技のうまさが実に良いですね。特に2つのアリアの出来が天晴。“勝ちて帰れ”での愛と故国とに引き裂かれて悶える女性の葛藤をこれだけ聴かせて呉れる録音は伊語歌唱でもあまり多くないでしょうし、“おお我が祖国”では露的な発声で郷愁と望郷の念とをひしひしと感じさせます。共演陣も◎特にアンジャパリゼのラダメスは拾い物。

・レオノーレ(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)
メリク=パシャイェフ指揮/ネレップ、シェゴリコフ、Ал.イヴァノフ、ネチパイロ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1957年録音
>もういっちょ西欧もの露語歌唱。ネレップの回でも登場しましたがこれもまた彼女のうまさを感じさせる演唱になっています。この役をやるにはやや声が軽いように思うのですが、決然とした凛々しい歌いぶりで集中力の高いパフォーマンスを披露していて、遜色を感じさせません。重たい声ではなくても女武者は演じられるんだなあと。

・トスカ(G.プッチーニ『トスカ』)
ロストロポーヴィッチ指揮/ボニゾッリ、マヌグエッラ共演/仏国立管弦楽団&合唱団/1976年録音
>これは原語版笑。一般的にはユニークな音源とされているようですが、個人的にはマゼール盤と並ぶこの演目のお気に入りです。彼女はやはり露的な声と言うことがあって、伊的な抜けやビロードのようなたっぷりとした感じには乏しいのですが、その鋭くてエッジの効いた響きで独特なトスカ像を築いています。ナターシャの時もそうでしたが、いい意味で不安定な感じがあって、この役の起伏の激しさをよく引き出しているなあと。その彼女のちょっと変わったアプローチに対して、我らがテノール馬鹿ボニゾッリがいつもどおりの剛腕直球でマイペースに歌っているのですが、この対比が実に面白い!意外なぐらい相性がいいんですよこれが笑。加えてマヌグエッラがまた全然別のベクトルで、彼らしいねっとりとした、非常に性格的なスカルピアを演じています。そもそも彼自身が声がでかいのもあると思うのですが、殊更でかい声を出さず、知的にことばをコントロールした歌唱。でまたこれが先ほどの2人と意外なぐらいに相性がいいんですよwwそんな個性的な彼らをロストロポーヴィッチの重厚で推進力のある音楽(オケの響きも見事!)が包み込み、ぐいぐいとドラマを進めていきます。ギリギリのところのバランスなのでしょう、緊張感が高く癖になります。

・ソプラノ独唱(G.F.F.ヴェルディ『レクイエム』)
メリク=パシャイェフ指揮/アルヒーポヴァ、イヴァノフスキー、ペトロフ共演/サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団&グリンカ・アカデミー合唱団/1960年録音
>いろいろ紹介してきましたが、実はここでの歌が彼女の最高のものではないかと思っています。またそれだけではなく、この作品のソプラノ独唱の数ある録音の中でもこれは最も完成度が高いと言っていいでしょう。名匠メリク=パシャイェフの前進するタクト、それに物凄い集中力でついていくオケと合唱、そしてソリストたちの格調高い歌とが圧巻の音楽を築いていて、そこまででも充分名盤足りうるのに、最後に彼女が歌うLibera meが全てを持って行ってしまいます。何者かに憑かれたように猛然と突き進む歌に、思わずスピーカーを通して聴いている我々すら背筋が冷える思いがします。大抵の狂乱の場でもこんな思いをさせられることはありません。しかし、そこにあるのは狂気ではなく禱り……これをこうして聴くことができるのは、全く幸運と言う他ないでしょう。必聴です。
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Tyrannosaurus

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ティラノサウルス
Tyrannosaurus rex

ひょっとすると意外に思われるかもしれませんが、人生で初めてティラノサウルスを作品化しました。
しかし、むしろ本音は逆で、この生き物を作品化できる日が来るとは思っていなかったんです。

何と言っても泣く子も黙る超有名恐竜。知名度も高ければファンも圧倒的に多いですし、書籍やWebサイトでも少なからぬ情報が手に入りますし、題材にしている作品も数多あります。そういう意味で手垢が付きまくっているものなので、自分なりに表現できるかというと難しいかなと思っていた部分があります。

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一方で、あまりにも大型肉食恐竜即ちティラノサウルスというイメージが強すぎて、そんなにそれっぽくないのに「ティラノサウルス」という名で語られているものも多くあります。糅てて加えて折り紙にしようとしたときに、肉食恐竜の中でのティラノらしい特徴、ティラノをティラノだと認識させるような特徴は、結構表現しづらい。例えばトリケラトプスやステゴサウルスなら極端な話多少いい加減でも「それだ!」とわかる訳ですが、ティラノはいい加減にしちゃうとアロサウルスだか怪獣だかわからなくなってしまうようなところがあるんです。ちょっとでも恐竜を知っている人はそういう点に敏感ですし、僕自身はっきりティラノだとわかるようにしたかった。

こういういろいろを考えたときに作品化の難しさを感じていたのですが、このほどなんとか固まった次第。

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最近作った諸々と同様に、全体に立体感を持たせて重量感を出すことを意識しました。ティラノの仲間って肉食恐竜の中でもかなり骨太でどっしりしたイメージなので、ふっくらした感じをうまく表現したいというのはありました(逆にアロなんかは引き締まったイメージ。こいつもまた改めて作りたいなあ)。また頭の造形も、前方から見ると鼻先はシュっと、後ろの方はごっつくて立体視ができると言う特徴を盛り込みつつ、全体には重厚な仕上がりを目指しています(お蔭で上半身が重たくて立たせるのが大変なんだけどね笑)。

ティラノの折り紙と言うと歯を折り出している作品も多くて、またそれをやりたくなるのもわかるのですが、個人的にはそこにはあまり拘りませんでした。技量の問題もありますが、生きていたときにあれが口から見えるようにはあんまり思えなくて(^^;

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あと最近話題になった羽毛の話ですが、こちらも敢えて拘るのを辞めました。比較的鳥に近いので羽毛があったと言う意見も代謝の関係であんなでかい動物に羽毛はないだろうという意見も、いずれも反論の余地はたくさんありそうだし、そこで議論できるほど詳しくきちんとこのあたりわかっている訳でもないので^^;それにこちらもサイズのことを考えると、羽毛があったとしてそれが僕の作品レベルのシルエットで判別できるかは、正直疑問かなと(大型哺乳類の毛の1本1本まで折らないのと同じ理窟)。
そんなわけでこの作品は、羽毛については考えていません。これが或意味折り紙のいい部分だと思うんですが、そのあたりどっちと解釈して観ていただいても、というところ^^

(追記)2015.2.26
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その後イラストレーターの山本聖士さんとツイッターで少しお話して、顔をほんの少し修正しました。

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具体的には鼻面の長さをちょっと余分に取った上で、向きを少し下に修正。これだけでだいぶティラノ感が増したように思います。

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立体視もよりそれらしく。
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Therizinosaurus 2015.2.6

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テリジノサウルス 2015.2.6
Therizinosaurus cheloniformis
2015.2.6 edition

三度テリジノサウルスを作りました(前作はこちら)。
もうね、新とか改とかつけるのやめた訳わかんなくなるからw

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また完全に新しい方針から作って行ってみました。なので、過去の作品とは全く印象の違う作品になっていると思います。
今回最も拘ったのは立体感です。前作ではおなかなど張り出した形にはなっていますが、厚みはなくぺったんこだったんですね。こいつらの仲間は骨盤大きく左右に広いし、大量の植物を消化するための太鼓腹だったと言うことなので、全体に胴に膨らみを持たせたいと言うのが、課題でした。
胴周りのふくよかさは割と出せたようなきがしていて、悪くはないかなと^^

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腰についてもこんな感じで横に広がった感じが出せたのではないかと思っています。
これまでの作品の中では最もテリジノっぽくなったかなと。

ただ課題はまだいくつかあって、まず前肢が背中寄りについているように見えてしまっていること。これはもっと胸よりだと思います(まあこいつみたいに見つかってる部分が少ないやつで骨格のことにどれだけ気を遣うかっていうのはあるんだけども)。それからこいつらも鳥に近いことがわかっているので羽毛をつけたかったのですが、これも今回は断念。羽毛は鬼門ですね、難しい^^;
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第八十三夜/赤い時代の英雄~

引き続き露国の名歌手を。今回はテノールです。

GeorgiNelepp.jpg
Sadko

ゲオルギー・ネレップ
(Georgii Nelepp, Георгий Михайлович Нэлепп)
1904~1957
Tenor
Russia

露国と言うとバス、バリトン、そしてメゾと、男女問わず低音域の歌手に光が当たることが多いように思います。かく言うこのシリーズで取り上げた歌手を振り返っても、シャリャピンと前回のピロゴフ、そしてペトロフがバス、フヴォロストフスキーがバリトン、ドマシェンコとアルヒーポヴァ、それにオブラスツォヴァがメゾで、高音域の歌手は僅かにソプラノのネトレプコを取り上げているに過ぎません。しかし、それでは露国にいいソプラノやテノールがいないかと言えばそうではありません。むしろ20世紀中葉から終わりにかけてのモスクヴァ・ボリショイ歌劇場の黄金時代では多くの高音の名歌手が輩出されています。こうした歌手たちが取り沙汰されない理由としては、ひとつには当然冷戦があり物理的に東西の歌手の行き来が困難だったことが挙げられるでしょう。が、私がそれ以上に大きなポイントだと思っているのは、西欧と露国の発声の違いです。僕自身は声楽を勉強している訳ではない素人ですけれども、そんな僕でもこれははっきり違うと断言できるぐらい両者の聴こえ方は大きく異なっており、尚且つその違いは高音域でより顕著になると思います。このため西欧のスタンダードな演目で露国の歌手が登場してもなかなか良さが発揮されないんですね。そして逆もまた真なりで、露ものの土臭い旋律を西欧の洗練された歌い方で歌われちゃうと、癖のない芋焼酎を呑まされているような微妙な心持になってしまいます。最近の露国の歌手はそういう意味ではだいぶ西欧的な歌い方をするようになっていて、国際的な活躍をする人が増えているなあと思う反面、個人的にはあの臭みのある歌がよかったんだけどなあ、地域性が無くなってしまってつまんないなあと思ったりもしています。

前置きが長くなってしまいましたがじゃあネレップがどういう歌手だったの?と言えばもうこれは思いっきり露風の歌い方、露国のドラマティック・テノールの第一人者と言うことになります。西欧の歌手とは全く違う力強く張りつめた高音の魅力を味わいたいならば、古い人ではありますが、まずは是非この人を聴いていただきたいです^^また数多くの名録音に参加していることもあり、露ものの様々な作品を楽しむ上では彼の存在は大きいと言えるでしょう。

素晴らしい録音を遺しており歌手としては偉大なネレップですが、スターリン時代にはいろいろと悪辣なこともやっていたようです。時の権力者とどう付き合うのかと言うことについては、各国各人様々な事情がありますね。若くして亡くなっているのはそのためかと一瞬思いますが、心臓発作によるものなのだとか。

<演唱の魅力>
やはり露国らしい発声でのパワフルでスリルのある歌声が、まずは大きな魅力でしょう。西欧の洗練された発声に馴染んだ耳で聴くと、引き絞るように出される彼の歌声は少しショッキングかもしれません。ぐっと押し出すような声とも言えるでしょうか。いずれにせよ伊国のベル・カントとも、独国の歌曲のような端整でスッキリとした歌い口とも全く違う印象であるのは確かです。しかしそれが無理くり出された感じがするかと言うと、そうではない。むしろ瑞々しく輝かしい魅力のある響きです。詳しいことはわからないですが、民謡・民俗音楽の発声に近いのかもしれません。更にネレップの特徴を絞って行くと、露国のテノールの中でもひときわドラマティックな声をしている点が挙げられるでしょう。ドラマティックと言っても、例えば後輩のアトラントフのような暗さはなく、もっと明るく抜ける声をしています。そのためかこの国らしい、ソリストも合唱も個性が強いアンサンブルの中でもはっきりと彼のパートを聴きとることができます。
歌自体は露的で土臭さを感じさせるところこそままあれ、それでもかなり崩しの少ない端整な部類に入ると思います。がっちりとした骨太で堅実な歌づくり。しかし、聴いてより印象に残るのはその整った歌い口以上に、歌に込められたホットな感情、熱情です。彼の歌を聴いていると、まるで度数の高いアルコールを呑んだときのように、何かアツいものが身体の中を通って行くような思いにさせられます。まさにヴォトカのような歌!上述のような彼の土俗的な声が、そこに更に火を注ぎ、凄まじい威力で人を興奮させるのです。伊系ではデル=モナコが、独系ではヴィントガッセンが同じように人を興奮させて呉れるのですが、この麻薬的な力はネレップ独特のもののように思います。

上記のような彼の持ち味から若者を演じている場面が多いように思っています。とは言え同じ若者でもそれこそ例えば伊もので言うなら、ネモリーノ(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)やロドルフォ(G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)のような優男とは無縁です。得意のお国ものの定番の役柄の中でも、レンスキー(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)を歌っていないのは、或意味で象徴的なことだと言えるかもしれません。むしろ若いながらもパワーがある英雄的な人物がやはりお似合い。武将であったり、自分の運命に向かって突き進んでいくような役柄とでも言いましょうか。ソビーニン(М.И.グリンカ『イヴァン・スサーニン』)やトゥーチャ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『プスコフの娘』)はそうした彼の魅力を味わうにはもってこいでしょう。年齢不詳系ではありますがフロレスタン(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)もこうした部類にいれられるかもしれません。
また一方で、演技力が求められる性格的な役どころと言うのも彼が得意としているところでしょう。露ものには結構キャラクターの立ったテノール役が多いのですが、そうした役についても非常に器用に人物像を築いています。フィン(М.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』)のような役は下手な人がやるとうわついた感じになってしまいかねないと思うのですが、格調高い威厳のある歌唱で、テノールでも充分に堂々とした老人が演じられるもんなんだなあと唸らされます。
こうした中でも特に彼が光っていると感じるのは、偽ジミトリー(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』) と、極めつけのサトコ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『サトコ』)!偽ジミトリーは様々な顔を見せなければいけない複雑な役ですが、大胆な計略を実行する力強さ、反面人間的な弱さ脆さとどちらもしっかりと感じさせる歌唱で模範的なものと言えるでしょう。サトコについてはたくさんの音源がある演目ではありませんが、彼の歌を聴いてしまうとちょっとこれ以上のものは考えられない圧巻な歌唱です。全曲出ずっぱりで歌い続けなくてはいけない難役ですが、時にはヒロイックに時には抒情的に、圧倒的なうまさで全曲をリードしていきます。個人的には彼のこの歌を聴かずに露国のテノールを語る勿れと思う、随一の歌唱です。また私自身未聴なのですが、彼が得意にしたのがゲルマン(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)!そのロブストな歌と憑かれたような演技が秀逸なのは想像に難くありません(なんとかして聴かねば!)ゲルマン、聴くことができました!詳細は音源紹介で。

<アキレス腱>
もう何度も言ったんでわかりますよね?笑
露国独特の、聴きようによっては締めつけるように聴こえる発声が好みでなければダメでしょうね。芋焼酎がお嫌いな方に如何に芋臭さの素晴らしさを伝えても仕方ないという話です。
言語の問題もありますが、本当にこれに尽きるように思います。

<音源紹介>
・サトコ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『サトコ』)
ゴロヴァノフ指揮/シュムスカヤ、ダヴィドヴァ、アントノヴァ、レイゼン、コズロフスキー、リシツィアン、クラソフスキー共演/ボリショイ劇場管弦楽団&合唱団/1950年録音
>不滅の名盤。単にこの作品の最高の音源と言うことに留まらず、露音楽の、そしてオペラの歴史に残る演奏と言ってもいいと思います。そしてこの音楽を引っ張って行っているのは、ひとつにはゴロヴァノフの燃えに燃えた指揮で、全曲を異様な緊張感と興奮のうちにぐいぐいと引っ張っています。そしてもうひとつの要因が我らがネレップの題名役。船乗りらしいヒロイックな荒々しさと戀を歌う情熱的な想いの吐露と、そして人々に慕われる主人公としてのカリスマと、この役に求められる全ての要素をここまで表現しきった歌唱はそうそう現れないでしょう。作品が長い一方で民話的で散漫な印象を与えかねない部分があったり、役そのものも様々な面を見せねばならない割に印象的なアリアは端役(テノールならインドの商人の歌でしょうね)にあったりして印象に残りづらかったりビハインドも多いのですが、この録音でのネレップはそんなことをものともしません。彼がいて、ゴロヴァノフの指揮があってこそなりたった凄演でしょう。そして共演陣もそんな彼らをビチッとサポートしています。シュムスカヤとダヴィドヴァの2人のヒロインは哀切極まる旋律を露的な発声で魂を込めて歌っていますし、ネジャータのアントノヴァもうんとエキゾチック!3人の商人は露国を代表する名歌手揃い踏みですし、海王や巡礼といった要役もこれ以上ないもの。
露ものファンを語るのであれば、聴いておかねばならない名演中の名演です!

・グレゴリー/偽ジミトリー(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
ゴロヴァノフ指揮/ピロゴフ、ミハイロフ、コズロフスキー、ハナーイェフ、マクサコヴァ、ルベンツォフ共演/ボリショイ劇場管弦楽団&合唱団/1948年録音
>これも古き良き露国の香りのする演奏。ゴロヴァノフの剛毅な指揮ぶりと重厚で味わい深いピロゴフを中心に、ボリショイの名手たちが八面六臂の活躍をしています。バスが注目されがちなこの演目、実は性格的なテノールの役が3つもあるのですがここではそれぞれに個性的な歌手を配しています。偽ジミトリーも物語の中でどんどんとその様相を変えて行く難役で、野望に燃える若者、逃亡者、戀する男といった顔を持つ男。ネレップは彼を英雄的に、しかし不安定で精神的な脆さをも感じさせる優れた歌唱で巧みに表現しています。例えばゲッダなんかもこの役では定評のある音源を残してはいる訳ですけれども、もっと辛口で毒のある歌。ややエキセントリックな雰囲気もあって、この複雑な歴史劇を立体的なものにするのに一役買っています。

・フィン(М.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』)
コンドラシン指揮/ペトロフ、フィルソヴァ、ポクロフスカヤ、ヴェルビツカヤ、クリフチェーニャ、レメシェフ、ガヴリショフ、コルニェヴァ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1950年録音
>こちらもまた不滅の名盤。コンドラシンの見事な采配の下、ペトロフ(この歌唱は本当に恰幅のいい見事な英雄ぶり!)をはじめとした力のある歌唱陣の競演を楽しめる演奏であり、今もってなおこの演目の模範的な演奏だと個人的には思っています。露ものでもテノールがこういう威厳のあるおじいちゃんを演じると言うのはあまり無いところで、どちらかと言えば例えばマスレニコフやプルージュニコフのようなリリックな性格派の人たちが演技で聴かせるイメージのある役ですが、ここでよりドラマティックなネレップが歌うことでどっしりとした落ち着きが出ているように思います。と言いつつも彼もまた演技派ですから、ことば数が多い難曲のアリアも小回りの効いた歌唱で胸の空くような歌唱。最初の場面のリリックなレメシェフのバヤンともしっかり対比が効いています。

・ミハイル・トゥーチャ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『プスコフの娘』)
サハロフ指揮/ピロゴフ、シュミロヴァ、シェゴリコフ共演/ボリショイ劇場管弦楽団&合唱団/1947年録音
>こちらも名盤でしょう。この思いっきり露国くさい音源をこれだけ露国くさいメンバーでやって呉れたと言う意味では今後もこれ以上の演奏は出ないかもしれない演奏。至上の泥臭さとでも言いましょうか。彼が演じるのはイヴァン雷帝に対抗するプスコフの侯の息子であり、ヒロインと戀仲という如何にもテノールらしい設定の役で、若い水気のある響きがたまりません。しかしラヴ・シーンよりもむしろその硬質でパワーのある声で人々に結束を呼び掛ける場面の勢いのある歌が民俗的な合唱とアンサンブルしていくところのほうがむしろ印象に残るように思います。ここではシェゴリコフのずっしりとしたバスの絡みも実にカッコいい。もちろん主役のピロゴフやシュミロヴァもお見事ですが、この2人がしっかりと脇を固めていることで、演奏全体が支えられているように思います。

・ピョートル・カホフスキー(Ю.А.シャポーリン『十二月党員たち』)
メリク=パシャイェフ指揮/Ал.イヴァノフ、ピロゴフ、ペトロフ、セリヴァノフ、ヴォロヴォフ、イヴァノフスキー、ポクロフスカヤ、ヴェルビツカヤ、オグニフツェフ共演/ボリショイ劇場管弦楽団&合唱団/1953年録音
>前回に引き続き登場の珍しい演目の名盤。群像劇的な作品ですが、ここでも彼の歌唱も強く印象に残ります。何と言ってもカホフスキーは史実では皇帝の暗殺まで企てた十二月党員の中でも過激な人物である訳で、彼のようなパワーのあるテノールが歌うと実に説得力がある。加えて、偽ディミトリーのところでも感じられたような或種のエキセントリックさと不安定さがここでも感じられます。なかなか演じられる役ではないからこそ彼のようにまさに適任と言う人が歌った記録が残っているのはありがたいことです(年代的にはひょっとするとシャポーリンが彼のために書いたのかもしれないとちょっと思ったりもしますが、詳しくわかりません)。

・ボグダン・ソビーニン(М.И.グリンカ『イヴァン・スサーニン』)
メリク=パシャイェフ指揮/ミハイロフ、スピラー、アントノヴァ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1950年録音
>こちらもまたグリンカの偉大な作品の偉大な録音です。トゥーチャと同様血の気の多い若者を熱演していて好感が持てます。同時にここでは抒情的な場面でもほれぼれするような美しい響き(もちろんその土臭さを伴って!)を聴かせていて、露国のテノールの神髄を見る気分です。同じく非常に土臭いドスのあるミハイロフやスピラーとの1幕のフィナーレのアンサンブルは大変聴き応えがあります。唯一残念と言うか勿体ないのが、大きな見せ場である難曲のアリアがカットになっていること!彼なら歌えたはずだよなあと思うと惜しいです。どっかで歌ってないかなあ。

・フロレスタン(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)
メリク=パシャイェフ指揮/ヴィシニェフスカヤ、シェゴリコフ、Ал.イヴァノフ、ネチパイロ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1957年録音
>西側の演目も1つだけ。ヴィシニェフスカヤがネレップとの想い出として語っているのはこれかしら……詳細がわかりません。もちろんいつもの土俗的な歌唱ではありますが、ここでの彼のヒロイックな魅力にはやはり抗しがたいものがあります。2幕冒頭で登場したときの如何にも主役然とした歌声には痺れます。共演ではヴィシニェフスカヤもドラマティックな歌声ですし、シェゴリコフもまたここでもいい仕事をしていますが、アレクセイ・イヴァノフの実に憎々しいピツァロが個人的にはお気に入り。こういう役をやらせたら一級品でしょう。

・ゲルマン(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)2015.5.12追記
メリク=パシャイェフ指揮/スモレンスカヤ、リシツィアン、ヴェルビツカヤ、Ал.イヴァノフ、ボリセンコ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1949-1950年録音
>コメントもいただいていてどうしても聴きたかった音源をようやっと聴きました。期待に違わぬ超名演!何と言ってもゲルマンを演ずるネレップが聴き応え満点です。いつもどおりのドラマティックでパワーのある歌がやはり魅力ですが、ここではそれに加えて感じられる絶妙な不安定さがこの役の狂気を感じさせます。しかも全編に亘ってその不安定さを保地ながら最終場に至って突然開き直ったかのような堂々とした自信満々な歌になるところ、これが非常に説得力がある。何か憑いてしまった、一線を越えてしまった風情が良く出ています。サトコとともにネレップと言う歌手の一番の当たり役と言っていいのではないかと。リーザのスモレンスカヤがまた非常に見事な歌唱で、いくつか音源を聴いてきた中で初めてこんなにこの役って面白いんだと思わせてくれますし、戀敵の公爵を演じるリシツィアンが朗々としてゆとりのある正統派のイケメンぶりでgood!声だけ取ると若い気もするヴェルビツカヤも芝居は非常に巧みでリアルですし、イヴァノフは性格派バリトンの面目躍如たる名唱でどっしりとした重みのある高音も凛々しい。そしてこれらを率いるメリク=パシャイェフの指揮!この寒々とした悲劇をさまざまなアプローチで1個のものに構成していく手腕はただものではありません。彼の録音の中でも随一のものと言っていいと思います。
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