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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第八十七夜/器用人~

今回は、現在もヴェテラン歌手としてマリインスキーで活躍する名テノールを。

KonstantinPluzhnikov.jpg
Kashchey

コンスタンチン・プルージュニコフ
(Konstantin Pluzhnikov, Константин Ильич Плужников)
1940~
Tenor
Russia

あんまり若いころの録音が出回っていないこともあって、日本では90年代ぐらいから名前を見るようになった印象の人ではありますが、世代的には前回のネステレンコと同じぐらい。本国露国ではTVなどで結構露出があったようで、youtubeを漁ると若いころの映像がたくさん出てきます(そして歌の内容の良さ以上にソヴィエトの映像センスに笑い転げるものも多いですwwや、歌はめちゃくちゃうまいんですけどね!!!)。現在でも大ヴェテラン歌手として、どちらかと言えば脇で舞台を引き締めるような役で活躍しているようです。

ネレップがドラマティックで力強い声の持ち主だったのに対し、プルージュニコフはうんとリリカルな声のテノールです。ひっかかりなく高音までよく伸びるやわらかな響きがまずは魅力かなと。露国でこういうタイプと言うと、やはりレメシェフ(永遠のレンスキー!)のイメージになりますが、彼はもっとキャラクター・テナー的なところも得意としています。リリックな主人公と性格派の脇役とどちらをやらせてもイケると言いますか。同じような器用な歌い手としてぱっと思いつくのは仏国のミシェル・セネシャルでしょうか(彼もいつか登場させたいと思う名手です!)。

若者から狡猾な政治家、老人と言った幅広い人物に化ける、知られざる名テノールの魅力に迫ります。

<演唱の魅力>
何と言ってもまずはこのひと非常に歌が巧い!露流儀な発声ではあっても比較的違和感なく伊ものも聴けてしまうのも、キャリア後半から現在に至るまでキャラクター・テナーとして非常に面白い活躍を繰り広げているのも、全てはその基礎力の高さが根底にあると言っていいと思います。中音域から高音までのムラのない滑らかな歌声は聴いていて実に心地よく、若者の役ではオペラのテノールの醍醐味をあじわうことができます。全曲は聴けていないのですが、余りにも有名なマントヴァ公爵(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)の女心の歌など、これだけ充実した歌もなかなか聴けるものではありません。演奏によっては一般的なカデンツァに更に一捻りを加え、思わずドキッとするような音を出しているものもあります。また。リリカルな露ものの抒情的な旋律ではしなやかなその声を駆使して民俗的な世界を歌いあげることができます。私はオペラ以外のジャンルには疎いので追い切れていませんが、露歌曲の録音を精力的に行っているのもまた、彼のそうした特質からということができるように思われます。

基本的にはリリックな役どころを得意としていた彼ですが、ハリのある声といいますかちょっと声に角があるためか、普通ならより馬力のある歌手が歌った方がいいような役でも栄えます。ヒロイックな歌が用意されているような曲と言った方がより適切かもしれません。重たいテノールになるに従って厳しくなっていく高音は彼の得意中の得意ですしね。全曲を楽しむことができるもので行けば、珍しい作品のキャラクターである王子(А.С.ダルゴムイシスキー『ルサルカ』)がいいです。中でも結構長くて起伏のある難しいアリアがあるのですが、リリカルな前半から力強い後半へとのギアの変化がお見事で、なかなか聴くことのできない作品の魅力を楽しめます。そしてこれは自分はアリアしか聴くことができていませんが、ソビーニン!(М.И.グリンカ『イヴァン・スサーニン』) 勢いのある溌溂とした歌いぶりと、楽に伸びるけれどもしっかりアタックする最高音がまったくお見事です。

とは言え彼の録音の中でも最も手に入りやすく、またその演技功者っぷりが楽しめるのは、彼のキャリアの後半、ヴェテランになってからのキャラクター・テナー的な役どころでしょう。露ものには結構こうした役どころが多くて、例えば有名な『ボリス・ゴドゥノフ』(М.П.ムソルグスキー)はシュイスキー公爵と聖愚者の少なくとも2役、場合によっては偽ジミトリーも含めて3役こうしたタイプの人が演じますし、『イェヴゲニー・オネーギン』(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)にも『イーゴリ公』(А.П.ボロディン)にも『ルスランとリュドミラ』(М.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』)にもこういう役があり、更に言えばН.А.リムスキー=コルサコフは題名役でそうした声を要求していたりもします。然し、実際問題として露語の演目だと言うことがこういうところで大きくて、なかなか担い手がいないんですよね。そんな中で彼は非常に重宝されていて、特にゲルギエフの録音ではこの手の役を一手に引き受けている感があります。先述のとおりまずは兎に角歌がうまいと言うしっかりとした基礎・土台がある上で、ニュアンスの込め方や役の作り込み方が実にうまいです。多くの場合こうした役は必ずしも長くない出番の中で、そのキャラクターをきっちり立てて存在感をしっかりと発揮しなければ、サビ抜きの寿司や唐辛子の効いていないアッラビアータのように演目全体がいまいちピリッとしない印象になってしまう、或意味で責任重大なところな訳ですが、彼が登場するとその辺をぐっと引きしめて呉れるのです。更に、歳を経て声に独特の味が増していることもこうした役での活躍を支えていると言えるように思います。もともと美形の俳優が年齢を重ねるに従って、凄みのある役だとかちょっと狂気を漂わせたような役でぞっとするような説得力を感じさせるようになることがあるじゃないですか。あれに近い、いい感じの歳の累ね方をしているなあと。露国のみならず、世界的にも一級の性格派歌手と言っていいように思います。

<アキレス腱>
手に入る録音を聴く限り、はっきり言ってあまり欠点を感じないと言いますか、むしろ彼の本領を発揮するような演目でしか聴かないなあと思います。
もちろん、もう今回のシリーズでは毎度言ってることではありますが、彼もまた歌のうまさで気になりづらいとは言え露風の発声ではあります。先述した後年の彼の声の一味と言うのも、露的な声の癖とも捉えうる部分でもありますので、好まない人からすると、単なる衰えとも取られてしまうかも。

<音源紹介>
・カシェイ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『不死身のカシェイ』)
ゲルギエフ指揮/シャグチ、ジャチコーヴァ、ゲルガロフ、モロゾフ共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団/1999年録音
>いきなりの超マイナー作品ですがリムスキー=コルサコフの小さな佳品オペラ。我らがプルージュニコフがなんと題名役です笑!この役は恐ろしい悪の権化であり孤独な為政者であり、しかもお伽噺の人物として何処かコミカルと言うか憎めない部分もあるのですが、そういった一切を巧みに描き出しています。ここでは思いっきり露的な発声で、エキセントリックで意地の悪い老人の姿が目に浮かぶようです。もうね、思いっきりイッヒヒヒヒアッヒャヒャヒャヒャ言っていて怖いのなんのってwwいっちゃってる人の感じと言いますか(笑)いい意味での紋切り型で、下手に奇を衒うことなく寓話の世界の人物になりきってのことで、作曲者の意図にピタリとあった演唱ではなかろうかと思うのです。ゲルギエフの色彩的な指揮はじめ共演もいいですが、中でもジャチコーヴァのカシェヴナが出色!

・王子(А.С.ダルゴムイシスキー『ルサルカ』)
フェドセーイェフ指揮/ミハイロヴァ、ヴェデルニコフ、チェレンチェヴァ、ピサレンコ共演/モスクヴァ放送交響楽団&合唱団/1983年録音
>近年ちょっとずつ演奏機会が増えて来ている模様のダルゴムイシスキーは、グリンカと5人組の間を繋ぐ重要な作曲家。ヴェルディやヴァーグナーと同い年と言う世代感です。この作品はまだまだ後の5人組ほどの土臭さを感じさせるものではありませんが、それでも露国の素朴な風景が見えてきます。ここでは上述のとおり、キャリアも中盤に差し掛かったプルージュニコフがよりヒロイックな音楽を与えられている王子を熱演しています。この話は広い意味で人魚姫のバリエーションのひとつと言っても多分いいんだと思うので、この王子ってかなりどうしようもない奴だと思うんですが音楽は結構カッコ良くて、その明らかにダメなやつなんだけど女性を惑わす魅力のある男っていう、或意味非常に露的なキャラクターをしっかり引き出しています。ちょっと退廃的なイケメンな歌なのです。そのバランスがお見事。この頃ならアナトーリ(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)とかも良かったかもしれません。アクの強いヴェデルニコフともいい塩梅で、粉屋の死の場面のアンサンブルは聴かせます。女声陣はやや知名度が落ちるメンバーですがいずれも悪くなく、この作品の良さを知ることができる録音かと。

・フィン(М.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』)
ゲルギエフ指揮/オグノヴィエンコ、ネトレプコ、ジャチコーヴァ、ベズズベンコフ、ゴルチャコーヴァ、キット共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団/1995年録音
>これもこの作品の名盤です。いまを時めくネトレプコのデヴュー後すぐの録音で、彼女とゲルギエフの指揮への言及が多いですがそれ以外も平均点の極めて高い代物。既にヴェテランになっていた彼がルスランを導く老魔法使いを演じることで、公演を引き締めていると言えます。フィンはアリアで歌う昔話の内容の間が抜けていたり結構アレな役ではあるのですが、彼の歌い口は老獪そのもの。あんな中身を歌っていても酸いも甘いも咬み分けた、尊敬すべき老人に聴こえて来てしまうのですから恐れ入ります(笑)何と言いますか、好々爺然として親しみが持てるんだけども、怒らせたらそれはそれは怖そうなという人物造形の匙加減は流石のもの。彼の入手しやすい音源の中でもおススメです。

・シュイスキー公爵(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
ゲルギエフ指揮/ヴァニェーイェフ、オホトニコフ、ガルージン、ボロディナ、ゲレロ、ニキーチン、アキーモフ共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー・オペラ管弦楽団&合唱団/1997年録音
>ゲルギエフが気合を入れて2つの別バージョンをほぼ同キャストで録音したボリスのいずれでもシュイスキーを任されています(それだけでもゲルギエフの信用の厚さが伺えるというものです)が、活躍するのはこちらのより現行版に近い演奏。慇懃さを装っているけれども狡猾で酷薄な政治家であるシュイスキーを実に巧みに演じています。ボリスを徐々に狂気に追い込んでいく場面など、声の響きは本当にやわらかなのですが、まさに真綿で首を絞めるように徐々に徐々にその狡猾さを見せて行き、とっても嫌な奴(褒めてます)。惜しいのがボリスのヴァニェーイェフがいま一つ冴えないところで、これが別版同様プチーリンだったらなあとちょっと思ってしまいます。
(2022.6.9追記)
ゲルギエフ指揮/アレクサーシキン、А.モロゾフ、マルーシン、ボロディナ、レイフェルクス、オグノヴィエンコ、ガシーイェフ、ジャチコーヴァ、ナイダ、トモフィロフ共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー・オペラ管弦楽団&合唱団/1993年録音
>来日公演での映像を入手しました!舞台や演奏の良さももちろんですが、ランゴーニの活躍が収められていることも含めてこれが手に入りづらいのは実に惜しいという内容です。
音楽のみを聴いていると如何にも嫌なヤツといった風情があったのですけれども、こうして映像で観ると彼はもっと複雑なキャラクターをこの人物に与えていて、どこか寂し気というか人間的苦渋がありつつもボリスに接しているように感じます。「悪魔のように狡猾で酷薄」などと言った紋切り型ではなく、もっと人らしいリアルさのあるシュイスキーですね。相手になるのが「英雄」になりすぎない歌唱のアレクサーシキンなので、相性もとてもよいと思います(CDも別キャストなら彼がよかったな……)。ボロディナが断然素晴らしいほか、レイフェルクスが出ているのも嬉しいですし、マルーシンやモロゾフもベストの歌唱でしょう。

・ボグダン・ソビーニン(М.И.グリンカ『イヴァン・スサーニン』)
詳細不明ドゥダロヴァ指揮/モスクワ国立交響楽団
先述のとおりyoutubeで視聴したもので、恐らくはLPの時代に出ていた彼のアリア集に含まれていたものと思われるためアリア1曲だけですが、アリア集入手しました!CDで出ています!これがずば抜けて素晴らしい!そもそもこのソビーニンのアリア、内容的に続くヴァーニャのアリアと被る上に、ハイCを連発し最高でハイCisまで出てくると言う演奏困難な代物であるため、多くの上演でカットされているもので録音が少なく、ゲッダやメリット、それに往年のロスヴェンゲというようなレベルの人たちが優れた歌唱を僅かに披露している程度なのですが、ここでの彼はそうした名歌手を押さえてベストの出来と言っていいと思います。何と言ってもフレッシュで馬力もあるし、露的なこぶしの効きもエクセレント!アクセントをややきつめにつけた勢いのある歌唱に仕上がっています。ああ彼をソビーニンにした全曲が聴きたい!と思わせる素晴らしいものです。

・トリケ(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)
プレトニョフ指揮/2012年録音
>僕はyoutubeで聴いたものですが、知る限り一番最近の歌唱。演奏会形式での上演なのですが、出てきた瞬間から凄いオーラ(笑)役そのものは舞踏会の場面でちょろっとクプレを歌うコミック・リリーフに過ぎないのですが、非常に滋味深い演唱で人気を攫っています。まさに尊敬されるヴェテランとはかくあるべし、と言ったところ。大胆な表情付けをしていますが厭味にならず面白いですし、高齢ながらppでも美しく響く声には感嘆させられます。

・マントヴァ公爵(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
詳細不明
>全曲こそありませんが、“女心の歌”はお得意の役だったようで結構たくさん若いころの録音があります。やわらかで自在な美声と卓越したコントロールは特筆すべきもので、露的な声ではあるのですが違和感なくヴェルディの旋律が入ってきます。流石の表現力で公爵の享楽的な人物像がこの短いカンツォーネの中にしっかり織り込まれているところには頭が下がります。

・グァルティエーロ(V.ベッリーニ『海賊』)2015.6.18追記
コロボフ指揮/ツェロバルニク、レイフェルクス、カラセフ、ジャチコーヴァ共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団/1985年録音
>リリックテナーとして活躍しているときの伊ものの録音を仕入れることができました。一応全曲とはなっていたものの、かなりカットがあります。とはいえ、演奏そのものはオケや合唱から80年代の露国とはとても思えない軽さのある優雅なベル・カントものの演奏!コロボフと言う指揮者は初めて聴きましたが、ただものではありません。プルージュニコフがまた思ったよりもうんと優美な歌で、ベル・カントも重要なレパートリーだったんだなあと思わせます。時に痺れるような高音を聴かせて呉れるのもまた堪りません。もちろん露臭さがなくはないけれども、これだけ垢ぬけたスタイリッシュな歌をこのジャンルで聴かせる露人はいまでも多くはないかも。そういう意味では若きレイフェルクスもまた、意外なぐらい心地よく典雅な声を響かせていて、いやこの人こんな歌も歌えたんだなあとビックリさせられます。転がしも巧いのなんの、この音盤では一番巧いし、下手すると往年の大歌手よりも巧いかも。ツェロバルニクはこの2人に較べるとやや個性に欠け、狂乱とか暴れて欲しかった気もしますが、全体にはやわらかくて優しい声が演目にあっていてgood!思いの外かなり楽しめる演奏です。

・メフィストフェレス(С.С.プロコフィエフ『炎の天使』)2016.4.30追記
ゲルギエフ指揮/ゴルチャコヴァ、レイフェルクス、ジャチコーヴァ、ガルージン、アレクサーシキン、オグノヴィエンコ共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団/1993年録音
>不滅の名盤、プロコフィエフ最大の問題作の代表的な演奏です。主役のレナータに圧倒的な重心が置かれた作品ですし、ここでのゴルチャコヴァの出来が素晴らしいことが、この音盤を決定的なものにしていることは言を待たないのですが、レイフェルクスも性格的で良いですし、その他脇役陣も安定感あるゲルギエフの手兵ですから悪いはずもありません。その中でも圧倒的な怪気炎を吐いているのが我らがプルージュニコフで、出番こそ少ないながら今回取りあげた音源でもひときわ強い印象を残します。声自体の衰えは大きく出ているような気もするのですが、それを逆手にとった皮肉な口ぶりと声色の使い方で、絶妙な胡散臭さのある悪魔。不気味な笑いぶりはカシェイ以上かもしれません。同じくヴェテランのアレクサーシキンのファウストとのコンビも見事です。

・プラトーン・カラターエフ(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)2020.4.10追記
ベルティーニ指揮/ガン、グリャコーヴァ、ブルベイカー、マルギータ、ザレンバ、コチェルガ、オブラスツォヴァ、キット、ゲレロ共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/2000年録音
>プロコフィエフの超大作の貴重な映像。プラトーンは原作の後半ででピエールに影響を与える結構印象的な役どころなのですが、この作品での出番はかなり切り詰められているので普段正直あまり記憶に残りません。が、この映像では舞台でプルージュニコフが発揮する存在感が功を奏していて、ピエールにジャガイモを渡す場面の人間くささ、隊列から遅れて銃殺される場面の悲しい達観ぶりが目に焼き付きます。演出の力もあいまって原作に近い重要度をこの役に取り返していると言えそうです。パリで製作されメンバーもグローバルですが、演奏としても映像としてもハイレベルな名盤だと思います。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第八十六夜/荘厳な光輝を湛え~

なんだかんだ言ってもやっぱり私にとっても露国と言えばバスのイメージは強いです。
どうしてどうしてバスのご紹介が多くなりますが、今回は露国のバスの中でもとりわけ有名なこの人に登場していただきましょう。

YevgenyNesterenko.jpg
Zaccaria

イェヴゲニー・ネステレンコ
(Yevgeny Nesterenko, Евгений Евгеньевич Нестеренко)
1938~2021
Bass
Russia

このひとがこの時代の露国でも有名な理由もまた、オブラスツォヴァやヴィシニェフスカヤと同じく西側でも目覚ましい活躍をしていたことにあるでしょう。比較的若い時分から東西いずれでも録音や映像があるため、どちら側の大物歌手とも共演した記録があるのは嬉しいところです。youtube等を見るとTV放送の音源もかなり出てくるし、そういうものもひっくるめるとこの世代としてはかなり記録の多いひとだと言うこともできるのかも。

またざっくりとした印象ですが、その豪快な声や歌いっぷりから来るイメージとは異なり、意外と器用な面があるのも東西どちらでも受け入れられた理由ではないかなと個人的には思っています。露ものを歌う時と西欧ものを歌う時でスタイルの違いを感じさせると言いますか、そのあたりを結構しっかりと分けている印象です。もっと言うと、豪快にごつごつとした歌を演じて欲しい演目と、滔々とカンタービレを聴かせて欲しい演目とを心得ていると言いましょうか。あとでも述べますが、このあたりがボリス(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)でもドゥルカマーラ(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)でも素晴らしい演奏を遺していると言う、普通なら考えられない離れ業を成し遂げて いる所以かもしれません。

何度か来日リサイタルもしており、その時の歌唱を聴いた世代はこぞって彼のことを褒めちぎって(Webで見る限り)おり、日本ではバス歌手としては珍しく、一般に非常に評価の高い人と言えるように思います(大体オペラ歌手特集でバス歌手が1人も出てこないなんてのもよくありますからね苦笑)。

考えてみると綴り的にはニェスチェリェンカ(アクセントがないから「カ」ですね^^;)になるんだろうけど、流石に誰だかわかんなくなってしまうので、ここではネステレンコで通します。

<演唱の魅力>
バスと言うと、それもスラヴのバスと言うと重厚で暗い音色の響きのイメージが強くなります。重心が低くて渋い響きこそに魅力があると言いますか。ところがネステレンコはちょっと違う印象です。深くてどっしりとした声ではあるのですが、その響きはむしろ明るく黄金色に輝いているように思われるのです。もちろん、例えば黄金のトランペットと呼ばれたデル=モナコのようにロブストながら高い響きの声と言う訳ではありません。あちらが美しく磨きぬいた金の美しさならば、ネステレンコの声は例えば古代埃国やインカの装飾品のような、或いは古刹の風格ある大伽藍のような、そうした荘厳な金の美しさを湛えている感じ。キラキラとした生々しい金属の輝きと言うよりは、加工した金属の深みのある輝きなのです。この持ち声だけでも充分に素晴らしい訳ですが、上から下まで澱みなくその声を楽しめるのもまた、彼の大きな長所です。およそ彼の歌を聴いていて音域的な辛さを感じたことはありません。ルスラン(М.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』)のハイトーンから、コンチャク汗の最低音(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)まできっちり出るので、或種のスリルはない代わりに抜群の安定感。バスは下支えになるパートですから、これは大きいです。

ネステレンコと他の露勢の歌手を較べて聴いて思うのは、上述もしていますがその歌い分けの巧みさ。今の歌手でも露国の歌手のローカル色は良くも悪くも残っているし、逆に国際的に活躍している人は西欧流の或種グローバルな歌い口になっているように思います。これはいずれもいい面と悪い面があるように思っていて、伊独などのメジャーな演目では土臭さや田舎くささのあるローカルさが足を引っ張る部分があり、逆に露ものや東欧もののような泥臭さが欲しい演目ではグローバル過ぎちゃうとつまらない。となったときに、ネステレンコと言う人が凄いなあと思うのは、微妙にその歌を使い分けるところ。伊ものなどでは洗練された流麗な歌を披露する一方で、露ものではずっしりゴツゴツとした歌い方をして見せるんです。だから、露人では割と珍しいと思うのですが、先述したとおりドゥルカマーラやドン・パスクァーレ(G.ドニゼッティ『ドン・パスクァーレ』)と言うような役でも魅力的な録音を遺すことができてしまう。これって結構凄い話でこの辺の役ってベルカント流儀に歌えるだけではなく、フットワークの軽さも備えているっていうことで、スラヴのバスでこれは珍しいです。そりゃあクリストフやギャウロフだってベル・カントものは歌っていますが、こういうブッフォ的な身軽さが欲しいところは流石に遺していませんが、一方でその彼らが得意としていた重厚な歴史悲劇みたいなところでも実績を遺している訳です。如何にコレナやダーラと言ったブッフォの大家みたいな人たちがドゥルカマーラでは名演を披露していても、ボリスやフィリッポ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)、果ては宗教裁判長(同作)なんてあたりは歌えない訳です。
そういう意味でこのネステレンコと言う人は実に侮れない。恐るべき器用さを持っていると言えるでしょう。

器用さと被る部分でもありますが、その歌い回しの知的さも忘れてはなりません。露ものなどを手掛けても、徒に豪放磊落に何でも歌い飛ばす訳ではなく、それぞれの場面をよく考え、ことばを大切にして歌っているなあと言うことは強く感じます。そのバランス感覚の巧みさは露国のみならずバス歌手全体を見渡しても一級品でしょう。
ペトロフと並び、露国のバスの魅力が破壊力だけではないと言うことをよく伝えるひとと言えます。

<アキレス腱>
非常に正統派の歌を歌う人だと思うのですが、その崩し方なども含めてときにややお手本通り過ぎるきらいもなくはありません。充分なパンチのある声でパンチのある表現をしているのに、もう少しインパクトが弱いと言いますか。むしろ彼ならもっとできるはずだと思って聴いてしまうところがあるのかも。
世評の高いボリスはやや演技過多になって他の部分とのバランスを欠くように感じられ、実は僕が聴いた音盤では必ずしも全体にベストとは思えませんでした。死の場面なんかはもちろんとてもいいのですが。彼の実力を感じられる映像を手に入れましたので、この評は撤回します。

<音源紹介>
・ルスラン(М.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』)
シモノフ指揮/ルデンコ、シニャフスカヤ、モロゾフ、フォミーナ、マスレンニコフ、アルヒ―ポフ、ボリソヴァ、ヤロスラフツェフ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1978-1979年録音
>余り全曲録音のないルスランの快演と言っていいと思います。と言いますかこの作品の場合恵まれているなあと思うのは、代表的な演奏が3つしかない(本盤、コンドラシン盤、ゲルギエフ盤)のにいずれも素晴らしい演奏だと言うこと。この音盤はシモノフの華やかな音楽づくりはじめ魅力満載ですが、とりわけ素晴らしいのがネステレンコ演ずるルスラン!彼の金色に輝く声の魅力が最も発揮されている演奏だと思います。輪郭のしっかりとしたハリのある声で、堂々とした英雄の姿を描いています。西欧ものではバスと言うと高齢の人物に割り当てられていることが多いですが、ここでの彼の歌声を聴くと必ずしもそうでなければいけない訳ではなくて、若々しい力に満ちた人物をも表現し得るのだと 言うことを感じることができます。シモノフは比較的ゆったりとテンポを取っていますが、それでも音楽全体に勢いを感じられるのは、彼の歌唱の持つ推進力が大きいと思います。共演陣はマスレンニコフを除くとあまり知名度こそありませんが、みなかなりの実力者。この曲の序曲だけではない魅力を是非お楽しみいただきたく!

・ザッカリア(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』)
シノーポリ指揮/カプッチッリ、ディミトローヴァ、ドミンゴ、ヴァレンティーニ=テッラーニ、ポップ共演/ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団&合唱団/1982年録音
>この作品を語る上で外すことのできない名盤!個人的には最初にネステレンコを聴いたのがこの音盤と言うこともあり、彼と言えばこの録音のイメージです。重厚で堂々とした声と或種の鷹揚さすら感じるゆったりとした歌には非常に貫禄があり、ユダヤの人々の精神的支柱であるこの役の説得力を増しています。カプッチッリの千両役者的なナブッコや、ディミトローヴァの烈女っぷりとも充分に亘り合うザッカリアで大変お見事。特に預言のアリアのちょっと何かが降りてしまった感じ(預言だからその通りではありますが)は、シノーポリの音楽設計の良さもあって非常にカッコいい。そのシノーポリの音楽は伊的熱狂を感じさせるとともに緻密に計算された面もあるものですし、前出の2人に加え独唱陣も隙がなく(何故アンナにポップ?!)楽しめること請け合いです。

・アッティラ(G.F.F.ヴェルディ『アッティラ』)
ガルデッリ指揮/シャシュ、ミレル、ナジ共演/洪国立管弦楽団&放送合唱団/1987年録音
>これは彼を聴くための演奏と言ってもいいんじゃないかと思います。シャシュ、ミレル、ナジともに健闘しており、それぞれ聴きごたえはあるのですが、ネステレンコのタイトル・ロールが一段抜けて良いです。ここまでの記述のとおり彼は露ものをやれば露ものっぽい土臭さが出せるし、伊ものを歌えば流麗にできるのですが、この強烈な異民族の役ではちょうどその間ぐらいをうまく突いているように感じます。まだベル・カントの匂いのする時代のヴェルディをやりつつも、随所で野性味を感じさせる表現は容易にできるものではありません。独唱陣は先述のとおり悪くないのですが、ガルデッリがちょっともたもたし過ぎで今ひとつ。旧盤の方がうんと良かったのですが……。

・フィリッポ2世(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
アバド指揮/ドミンゴ、M.プライス、オブラスツォヴァ、ブルゾン、ローニ、フォイアーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1977年録音
モリナーリ=プラデッリ指揮/ルケッティ、ヴァラディ、ファスベンダー、マズロク、モル共演/ミュンヒェン歌劇場管弦楽団&合唱団/1980年録音
>いずれもあんまりメジャーな録音ではないものの、フィリッポが彼の当たり役であったことをよく伝える録音だと言うことができると思います。前者はアバドとフォン=カラヤンの因縁の事件があった際の録音ですが、これが裏キャスト(+応援キャスト)のものとは思えない豪華なメンバーによる纏まったライヴ録音。ネステレンコは宗教裁判長からスライドだったのですが、元来の本キャストのギャウロフとはまた違う人間的な弱さや哀愁を感じさせるフィリッポ。“独り寂しく眠ろう”は非常に完成度が高いです。また、アバドの肝煎りでロドリーゴの死のあとにあるレクイエムを歌っているのも嬉しいところ(相手はドミンゴですしね!)共演陣もしっとりとした味わいを聴かせるプライスや端整なブルゾンはじめ満足度が高いです。これに対してモリナーリ=プラデッリ盤はアバドほどの意欲的な音楽ではないものの、伝統的で正統派な曲作り。ここでの彼はアバド盤から3年経ち、より成熟したパフォーマンスになっています。特にフィリッポの人物の多面性と言う部分では、こちらの方がより表現されているように感じます。ここではアリアももちろんですが、モルの重厚な宗教裁判長との対決が最大の聴きどころと言ってもいいでしょう。これだけ凄まじい馬力のある2人がこの場面を作ると、やはり緊張感が全然違います。その他共演ではまずファスベンダーが非常に良い出来、ルケッティも完成度の高いカッコいい歌唱を披露している一方、ヴァラディは個人的にはいまひとつ。マズロクはかなりの曲者らしいロドリーゴで、普通に行ったら上記のブルゾンの方がうんといいと言う話になると思いますが、フィリッポと交渉し、カルロの剣を取り上げるこのキャラクターの政治的な一面を考えるとこれもありかも。ランゴーニかシャクロヴィートゥイのようなロドリーゴで興味深いです(笑)

・宗教裁判長(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
アバド指揮/カレーラス、ギャウロフ、フレーニ、カプッチッリ、オブラスツォヴァ、ローニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1977年録音
>上記のアバド盤のAキャスト、既にこのブログでも何度もご紹介している、この作品の或意味での決定盤ですね^^ここでは宗教裁判長に回ったネステレンコ、流石にギャウロフに較べると良くも悪くも若々しさを感じられる部分がありますが、やはりこのハリとパワーはこの役に於いては非常に大きいです。ギャウロフの力加減のうまさもあるのですが、ネステレンコに圧倒的な声があるからこそ、宗教裁判長がフィリッポを無理矢理従わせる構図がしっかり成り立つからです。また、彼の声の荘厳さが、“ありがたい”宗教権力の感じを引き出すのにも貢献しています。

・ヴァシーリー・ステパノヴィッチ・ソバーキン(Н.А.リムスキー=コルサコフ『皇帝の花嫁』)
マンソロフ指揮/ヴァライチス、アルヒーポヴァ、ヴィシニェフスカヤ、アトラントフ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1973年録音
>露国のヴェリズモ作品と言うべき本作の名盤のひとつです。ヒロインであるマルファの父親ソバーキンは、娘が絶世の美人でさえなかったらこんな目に遭わなかったのにという悲劇の人。或意味でこの演目の主要キャストのうちで一番「普通の人」なのですが、そこに彼のような重量級の歌手が来ると、全体がキリッと締まります。聴きどころはやはり4幕冒頭のアリア。寂々とした哀しみをしみじみと歌いあげており、ああこれぞ露ものの世界だなあと感じさせて呉れます。共演陣がまた当時のボリショイを代表するメンバーであり、渋く険しい音楽を存分に味わうことができます。

・メフィストフェレス(C.F.グノー『ファウスト』)
デイヴィス指揮/アライサ、テ=カナワ、A.シュミット、コバーン、リポヴシェク共演/バイエルン放送交響楽団&合唱団/1986年録音
>意外と名盤の多い本作の録音の中では比較的地味な部類に入るように思うのですが、ネステレンコの輝き溢れるバスを楽しむ上では外せないもの。仏もの特集のところでさんざっぱら言ったような仏的洗練とは全く異なる世界の、クリストフやギャウロフと同じような路線を継承した豪放磊落な悪魔像を築いています。デイヴィスも共演陣も仏人ではなく、演奏も割と無国籍な印象の中で、彼のエッジの効いた悪魔の表現が功を奏していると思います。中でも金の仔牛のロンドは絶品!蕩けるようなアライサとの掛け合いにもうっとりさせられます。

・ドゥルカマーラ(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)
ヴァルベルク指揮/ポップ、P.ドヴォルスキー、ヴァイクル共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1981年録音
>はい、来ました珍盤です笑。とはいえこの演奏音楽的なレヴェルは相当高いと思います。愛の妙薬もいろいろ聴きましたが、彼のドゥルカマーラは或意味で限界への挑戦と言いますか、最重量級だということは間違いありません。それこそこっち系で手を出していそうなレイミーすらやってないですからね(笑)しかしその堂々たる重厚で高級な声でのイカサマ師ぶりが実に面白い。これだけ破壊力のあるドゥルカマーラは他にはないと思いますし、一方で意外なぐらいフットワークも軽い。歌が流麗な上に喋りも達者で、この人の器用さに改めて舌を巻いてしまいます。同じく真面目系のヴァイクルのすっとぼけた軍曹もまた、彼のやわらかな声が良く出た名唱ですし、ポップの生命力溢れるアディーナも最高!ドヴォルスキーの好き嫌いは出そうな気がしますが、痛々しいぐらいの若さはこの役にはプラスではないかと。ヴァルベルクの音楽づくりも個性的ながら楽しくて◎

・ドン・パスクァーレ(G.ドニゼッティ『ドン・パスクァーレ』)
ヴァルベルク指揮/ポップ、アライサ、ヴァイクル共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1979年録音
>同じく異色盤ですが、ここでもヴァルベルクの音楽が非常に楽しく、伊的なバカバカしさとは違う価値観でもこの作品は面白く作れるんだなあと思います。ネステレンコはここでもメガトン級の声で軽妙にブッフォをしていて、そのうまさに圧倒されます。1幕のロンドなど、あの重々しい悲劇を歌う人と同じとはとても思えないぐらいの目じりが下がって鼻の下が伸びた歌いぶり(物凄く褒めています!)でほとほと感心してしまいます。ここではポップ、アライサ、ヴァイクルの各メンバーとそれぞれ大きな重唱があり、彼らそれぞれとのコンビの良さ、アンサンブルの美しさが堪りません!中でもヴァイクルとの有名な重唱は、テンポ的には必ずしも速くもないし、おふざけも少なめなんですけれどもしっかりと品の良い笑いを生みだしている点は本当に藝のなせる技だなあと^^

・ボリス・ゴドゥノフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
エルムレル指揮/バビーキン、アトラントフ、オブラスツォヴァ、リソフスキー、マズロク、マスレンニコフ、エイゼン、ヴォロシロ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1985年録音
>ネステレンコと言えば、やはり世間的にはこの役だと思います。そしてここでも充分に水準以上の歌なのですが、個人的にはちょっと良さも悪さも出てしまったかなと思っている録音です。全体的に圧巻の大熱演なのですが、物語中盤の独白からシュイスキーとの会話、そして錯乱にいたるまでのあたりの演技が私自身の耳には過剰に感じられて、全体の音楽の流れから浮いてしまっている気がしたのが残念なところ。とは言え戴冠の場面での第一声のとりわけ見事なこと、ああ主役が出てきたというのはこういうことなんだなあと思わせる登場の素晴らしさは替えがたいものですし、何と言っても死の場面での大立ち回りはそこまでの不満を吹き飛ばす集中度の高い名演です。そういった良い部分を考えると、やはりネステレンコを紹介するにあたってボリスを無視する訳にはいかないよなあと思うのです。共演陣はみな圧倒的な声の持ち主で楽しませて呉れますが、バビーキンの節度の効いた渋いピーメン、怪僧ぶりにニヤリとさせられるマズロク、そして何と言っても数ある録音の中でもベストと言うべき豪壮快傑っぷりが見事なエイゼンのヴァルラーム!!名盤目白押しのボリスですが、聴いて損のない演奏かと思います^^
ラザレフ指揮/ヴェデルニコフ、ピアフコ、シニャフスカヤ、クドリャショフ、フェディン、エイゼン、マズロク共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1987年録音(2022.1.1追記)
>年末年始このボリスにすっかり魅了されてしまいました。音盤ではもう少しと上記の録音では思っていたのですが、この映像を見ずにネステレンコのボリスを語るなかれ、でした。単に歌唱としてではなく、演者としての彼の比類のなさを記録した超名盤だと思います。もちろん登場した瞬間からの悠揚たる立居振る舞いも見事なのですが、子供たちに見せる「良い父親」ぶりがあってからの為政者としての孤高さ、続くシュイスキーの場面での追い込まれ方と見どころは枚挙にいとまがありません。ボリスの目にはジミトリーが完全に"見えている”、そう思わせるだけの説得力があり、それでもなお皇帝としての自らに執着しようとする姿には、古語で言うところの「すさまじきもの」を感じさせます。今どき流行らないボリショイ盤の音楽と映像ですが、どうしてこれが長い間愛され、演じられてきたのかがよくわかる壮絶さと緊張感を持った名演です。

・ドシフェイ(М.П.ムソルグスキー『ホヴァンシナ』)2015.5.27追記
エルムレル指揮/エイゼン、オブラスツォヴァ、ライコフ、シェルバコフ、Ю.グリゴリイェフ、アルヒーポフ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1988年録音
>ソヴィエト時代の名演。エルムレルは銃兵隊の合唱やペルシャの踊り、プレオプラジェンスキー行進曲では彼らしい爆演を披露する一方、前奏曲やマルファの戀の歌では寂寞とした雰囲気をきっちり出していて、この露的な作品を盛り立てています。ネステレンコの声の巨大さをここまで感じられる録音はひょっとすると他にないかもしれません。或意味で音源でしかないのにもかかわらず、地鳴りがするようなと言いますか、空間全体が鳴っているような響き。ドシフェイは必ずしも迫力押しが必要な役ではないし、そういう意味ではどうかなと思わなくもないのですが、これだけ力感漲らう声の魅力を前にするとただただ首を垂れざるを得ません。歌そのものは露的端正さのある目鼻立ちの整ったもので、同じく圧倒的な声で豪放磊落な父ホヴァンスキーを作っているエイゼンとはきっちりとキャラクターを分けています。そのエイゼンがここではまた大変素晴らしい!私が聴いた父ホヴァンスキーの中では、ギャウロフのスケールの大きな藝まで考慮に入れてもぶっちぎりのベストの歌唱と言えると思います。まさに、役柄そのもの。オブラスツォヴァも物凄い迫力で恐らく史上最強のマルファ(笑)その他主役級のひとたちはネームバリューこそ落ちますが、いずれも優れた歌唱で、古い版の録音ではありますが、かなり楽しめる内容です。

・老囚人(Д.Д.ショスタコーヴィッチ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』)2020.4.26追記
アニシモフ指揮/セクンデ、ヴェントリス、コチェルガ 、ヴァス、クラーク、スルグラーゼ、コティライネン、ミハイロフ共演/リセウ大歌劇場管弦楽団&合唱団/2002年録音
>本作の貴重な映像でもあり、ネステレンコのキャリア最晩期の記録としても重要でしょう。かつての彼であれば演じたであろう第1バスのボリスではなく、最終幕にしか登場しない老囚人なのですが、演出もあって凄まじい存在感。第一声から恐らくこの映像の全キャストの中でも最も巨大な声で釘付けにされます。セクンデやコチェルガなど第一流の人たちを含めても、ああ圧倒的に楽器が違う、という感じです。演出として人生の下の下まで転げ落ちていくカテリーナの最後の観察者、傍観者ということなのでしょう、じっと立ち尽くして彼女を見ているという場面がほぼ全てなのですが、その佇まいの見事さ、立っているだけで芝居になるというプロの藝を楽しむことができます。いや、ネステレンコって凄い舞台人だったんだなあと。映像全体として見ると、細かい脇役の見事さやそこに当てたショスタコーヴィッチの音楽のすごさに唸らされます。先ほどはネステレンコと較べてしまいましたが主要キャストではコチェルガの大怪演が凄まじくて、前半は彼がリードしてると言えるのでは。クラークの貧農、コティライネンの署長、そしてミハイロフの司祭の3役はいずれも老囚人と同様に決して大きな役ではないのですが、普通のオペラだったら主役になってしまうほどの強い印象を与える狂気を宿していて必見。とりわけコティライネンがヤバいです笑。スルグラーゼも蓮っ葉な感じがよく出ていますし、見た目が小悪魔っぽいのもこの役には良いのでしょう(ただどうもこの人あまり好きではないのよね)。セクンデは熱演だし最後の場面とかいいんですがちょっと声の衰えが……必ずしも綺麗な声で歌って欲しい役ではないんだけどいささか耳に触るように思いました。ヴェントリスとヴァスは悪くないのですが……ただ他の脇の人たちが強烈なんで印象が薄くなっちゃった感じはあります。映像としてはもう一つな出来のカテリーナとセリョージャの場面が結構あるので、ちょっとだれる部分が出てしまっているのが惜しいのですが、脇の人たちはいずれも必見、という不思議な映像です^^;

・イヴァン・スサーニン(М.И.グリンカ『イヴァン・スサーニン』)2020.5.26追記
ラザレフ指揮/メシェリアコーヴァ、ザレンバ、ロモノソフ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1992年録音
>かなりレトロな舞台で演出らしい演出もありませんが、時代を考えるとソ連時代のオペラの舞台を垣間見えるという意味で貴重な映像かもしれません(更に言えばこちらこのタイミングで『皇帝に捧げし命』という別題を採用した公演ですからそういう意味でも記念碑的なのかも)。さておき歌唱陣はこの時期のモスクヴァのトップレベルの人たちを集めており、演奏としては非常に強力です。その中でもネステレンコはいかにも彼らしい三次元的に鳴り響くズッシリとした声で舞台を包み込んでおり、一介の農夫に過ぎない人物に対して主役としての重みを与えることに成功しているように思います。もちろん一番の見せ場であるアリアの訥々とした内面的な歌唱や毅然とした死の場、ヴァーニャとの微笑ましい2重唱など主要な場面は見事なのですが、その舞台人としてのうまさを一番感じたのは突然やって来た波軍の兵士たちの道案内を引き受けるところ。演技というほどの演技をしている訳ではないにもかかわらず、表面的には人の良さそうな、考えのない雰囲気を装っていることが、観る側によく伝わってくるのです。彼の引き出しの多さを知ることのできるものでしょう。女声2人も歌唱として見事且つ見目麗しいのですが、ここでしか観たことのないロモノソフが抜群の歌唱とパフォーマンスで一気にファンになります。他に音源がないものか……

・アレコ(С.В.ラフマニノフ『アレコ』)2021.9.17追記
キタエンコ指揮/ヴォルコヴァ、マトーリン、フェディン共演/モスクヴァ交響楽団&ソビエト放送大合唱団/1987年録音
>多少凸凹がないわけではないですが、キタエンコの推進力と緻密さを兼ね備えた指揮やヴォルコヴァの熱演も含めて総合的にはこの作品のベスト盤の一つではないかと思います。そこまでに登場しているマトーリンの暗めな音色もあって、ネステレンコは第一声ほとんどバリトンのように聴こえるほどの甲高さのある明るさでちょっとびっくりさせられるものの、鮮やかな対比が決まっています。そして以降の歌唱で感じさせる若々しい破壊力!(歌い口もあってちょっとアダムのヴォータン(R.ヴァーグナー『ニーベルンクの指環』)を思い出します)もちろんネステレンコ自身50歳を前にした録音ですから決して若い頃の歌ではないのですが、声に力が漲っているのです。壮年の役柄ながらこの声ならば、まだまだ自分は何も変わっていないのに、という悲哀がスッと入ってきます。ただ、いたずらに拳を振り回しているわけではなく、歌そのものはとても丁寧なのがキタエンコの音楽とも合致していると言えるでしょう。
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新発見!『異朝奇獣逸矢鼻歩』&『奇獣鼻歩折形』

新年度早々これはとんでもないニュースが飛び込んできました!
鼻行類の研究史と文化史が大きく塗り替えられそうです。
しかもそのホットスポットは、日本です。

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4/1付発行の英国の科学雑誌Matureに掲載された論文『江戸期に来日した彷徨えるオランダ人の記録――鼻行類発見史における新たな知見 The archives of the flying Dutchman who visited Japan in the Edo period -- The new knowledge of the history of Rhinogradentology (大洞、鷽尾、ダーラント)』では、新たに米国で発見された幕末期の日本の資料等の研究から、人類の鼻行類の発見はこれまで考えられていた1941年を100年近く溯る19世紀中葉とする結論が出されています。

鼻行類は南太平洋のハイアイアイ群島に固有な哺乳類の1グループで、鼻を特殊な形に進化させ(種によってはいくつもの鼻を持っています)、捕食や歩行などに用いる奇妙な生態で知られています。また、大陸から遠く切り離されたことでこの島には新しい哺乳類のグループが進出してこなかったため、あたかもオーストラリアの有袋類やガラパゴス諸島のフィンチ、タンガニーカ湖などのシクリッドのように様々な形態に進化していった、適応放散の代表例でもあります。

これまで科学史的には、1941年に瑞典の探検家エイナール・ペテルスン・シェムトクヴィストによって南太平洋のハイアイアイ群島で発見されたとされてきました。しかし文化史的には、この発見に先立つ1905年に発表された独国の詩人クリスティアン・モルゲンシュテルンの詩『ナゾベーム』の中で彼らの姿が描かれており、モルゲンシュテルンがどのようにして鼻行類のことを知ったのかと言うことは、研究史及び文化史に於ける大きな謎とされてきました。
この問題について、フレドリック・ブレートコープはモルゲンシュテルンと親交のあった貿易船の船長アルブレヒト・イェンス・ミースポットから鼻行類の存在を聞いたとしています。しかし、決定的な証拠はなく、またその場合そもそもミースポットが何故鼻行類を知っていたのかと言う問題も指摘されていました。

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今回の論文のきっかけとなった資料である『異朝奇獣逸矢鼻歩(いちょうのきじゅうはややのほなたた)』及び『奇獣鼻歩折形(きじゅうほおなたたおりがた)』は2012年、米国の資産家エイプリル・バッカー女史が自宅を整理していたときに発見されたもの。彼女の先祖ドゥーガル・レオ・バッカーは明治期に商売のため何度か来日し、その際趣味で古文書を大量に集めており、その中にあったそうです。
この発見を受けて日本から京都国立虚構博物館の大洞富貴夫(江戸時代専門)、国立架空博物館の鷽尾月弥(哺乳類専門)らが派遣され、合同チームでの研究が始まりました。

『異朝奇獣逸矢鼻歩』は幕末の蘭学者原戸周藤軒(はらと・しゅうとうけん)が、長崎に来訪した蘭国商人ヨゼフ・ファン=ダムから聞いたハイアイアイ群島と鼻行類の詳細な記録について著述したものです。出版がなされる間際に原戸が安政の大獄により永蟄居となり、今回発見された草稿のみが遺されました。また『奇獣鼻歩折形』は、原戸と交流のあった戯作者の栗栖庵明星(くりすあん・めいせい)の手によるもので、鼻行類の折り紙の展開図が掲載されています。こちらも原戸の入獄で立ち消えとなったようで、草稿の一部のみが遺されています。

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これらの資料から、恐らく1850年頃に日本を目指していた蘭国商人のファン=ダムが遭難の末ハイアイアイ群島に漂着しそこで数年を過ごしたこと、その後ファン=ダムはモルゲンシュテルンオオナゾベームほか数種類の鼻行類の生体ともに長崎を訪れ原戸と交流があったこと、そして1858年にファン=ダムが日本を出立したことがわかってきました。即ち、江戸末期に何と鼻行類が日本に齎されていたのです!

その後のファン=ダムについては両資料からは当然不明でこれらの内容をもとに、大洞らは本来なら、モルゲンシュテルンの没後100年に当たる昨年、この記念すべき論文を発表する予定だったそうなのですが、直前に独国で帰欧後の彼に関する記述が当時の新聞に見られることが共同研究をしていた独人博物学者ゼンタ・ダーラントによって発見されました。
これによると、彼はその後不遇な人生を歩んだようです。帰路で再び遭難し、鼻行類の生体を含む全ての資料は失われました。辛くも生きていたファン=ダムはこのとき独人航海士ゲルト・ミースポットによって助けられ、欧州の土を踏みます。彼は再三ハイアイアイ群島と鼻行類のことを伝えようと努力したようですが、狂人として相手にされず、1861年に失意のうちに没しています。
注目すべきは彼を救ったゲルト・ミースポットです。当時の戸籍によってこのゲルトは、モルゲンシュテルンに鼻行類の存在を伝えたかもしれないと言われているもう一人のミースポット、アルブレヒトと親戚関係にあることがわかってきたのです!(ああ何と言う奇跡的ご都合主義!!!)

今回の一連の発見と研究は、これからの鼻行類の発見史、研究史、文化史に纏わる研究の世界で、大きな議論を巻き起こしていくに違いありません!今年一番の大注目研究です。

【略年表】
※( )内は推測。
(1850頃 蘭人ヨゼフ・ファン=ダム、日本への航海中に遭難し、ハイアイアイ群島ハイダダフィ島に漂着。フアハ=ハチ族と交流し、鼻行類を発見。)
1857 ファン=ダム、モルゲンシュテルンオオナゾベームほか数種類の鼻行類の生体とともに長崎に来訪し、鳴滝塾で学んだ蘭学者の原戸周藤軒と交流。
1858 ファン=ダム、日本を出立。
    原戸、安政の大獄により永蟄居となり、著作『異朝奇獣逸矢鼻歩』頓挫。今回発見された草稿のみが遺される。原戸と親交のあった戯作者の栗栖庵明星も折紙本『奇獣鼻歩折形』を著していたが、これを受けて発刊せず。こちらの草稿の断片も今回発見される。
1859 ファン=ダム、帰欧の途上に再度遭難し、鼻行類の生体を含む資料が失われる。ゲルト・ミースポット、ファン=ダムを救出。
1860 ファン=ダムとゲルト、帰欧。ファン=ダムは繰返し鼻行類の存在を周囲に伝えたようだが、狂人として相手にされず。
    (アルブレヒトはこのときに鼻行類の話を耳にしたか。)
1861 失意のうちにファン=ダム没。
1870頃 米人商人ドゥーガル・レオ・バッカー、来日時に原戸や栗栖の資料及び書簡を入手。しかし他の膨大な資料とともに埋没。
1871 クリスティアン・モルゲンシュテルン生。
(1890頃 モルゲンシュテルン、アルブレヒトと親交を結ぶ。)
1894 アルブレヒト没。
1905 モルゲンシュテルン、詩『ナゾベーム』を発表。
1941 エイナール・ペテルスン=シェムトクヴィスト、鼻行類再発見。
1961 『鼻行類』上梓。
2012 ドゥーガルの子孫エイプリル・バッカー、原戸や栗栖の資料を物置で発見。
    京都国立虚構博物館の大洞富貴夫(江戸時代専門)、国立架空博物館の鷽尾月弥(哺乳類専門)らの合同チームが調査に乗り出す。
2014 大洞と共同で研究を進めていたゼンタ・ダーラントが、帰欧後のファン=ダムの資料を独国で発見。
2015.4.1 英国の科学雑誌Matureに『江戸期に来日した彷徨えるオランダ人の記録――鼻行類発見史における新たな知見 The archives of the flying Dutchman who visited Japan in the Edo period -- The new knowledge of the history of Rhinogradentology (大洞、鷽尾、ダーラント)』が掲載される。

さて今回の資料や、そこに掲載されていた折り図をもとに作られた栗栖庵の作品が4/1(日)まで国立架空博物館で展示されているというので観てきました!写真がOKだった折り紙だけこちらに載せたいと思います。

1. 鼻歩(ホオナタタ)
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4本の鼻で悠然と歩く姿はまさしくイメージの中のハナアルキ!
鼻行類の中でも最も有名なモルゲンシュテルンオオナゾベーム Nasobema lyricum によく似ていますが、尾が短いこと、後肢がしっかりとした形に表現されていることから、恐らく近縁でやや原始的なコビトナゾベーム Nasobema pygmaea ではないかと鷽尾は指摘しています。大洞の指摘で面白いのは、今回の資料中では若干の表記の揺れがありますが、ホオナタタ、ホナタタなどと記されているということです。他の鼻行類も同じくフアハ=ハチのことばが書かれていることから、ファン=ダムは「ナゾベーム」という表現を遣っていなかったと推察されます。現在のところ「ナゾベーム」と言う語が遣われる最古の記録は相変わらずモルゲンシュテルンの詩であり、この呼称がどの段階から遣われていたのかには謎が残っています。

2. 鼻鳥(ンボルハダナキア)
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極端に広がった耳や長い鼻から空を飛ぶ仲間であるダンボハナアルキ Opteryx volitans であろうと考えられています。耳と鼻が極端に誇張され、身体がぐっと小さいデザインは折り紙ならではのデフォルメのようにすら思えますが、実際にほぼこういうバランス。

3. 鼻蜈蚣(モオスタダダザビマ)
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たくさんの鼻で歩き、様々な音楽を奏でることができ、しかも高度な知能があったと言う記録のある、鼻行類の中でも最も不思議な形態をした動物。独国の博物学者ハラルト・シュテュンプケの名著『鼻行類――新しく発見された哺乳類の構造と生活』によれば、シェムトクヴィストによって島に齎された疾病で絶滅してしまったと言われています。この仲間は2種しかいなかったとされていますが、鷽尾によれば今回の資料に描かれたハナムカデからはそのいずれとも異なる特徴が見てとれるため、未記載の新種である可能性があるそうです。

4. 花擬(ドナキモハ)
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長い尾で直立し、花に擬態した6本の鼻で虫などを捕食する生き物です。これも鷽尾によると恐らくはハナモドキ Cephalanthus 属の1種だということですが、この属に含まれる種は同定がかなり難しいため、今回の資料だけでは判然としないとのこと。かなり尾が太く、オブトハナモドキ Cephalanthus giganteus のような感じにも見えますね。

<参考文献>
・Mature 2015/04/01 『江戸期に来日した彷徨えるオランダ人の記録――鼻行類発見史における新たな知見 The archives of the flying Dutchman who visited Japan in the Edo period -- The new knowledge of the history of Rhinogradentology (大洞、鷽尾、ダーラント)』
・『鼻行類 新しく発見された哺乳類の構造と生活』/ハラルト・シュテュンプケ著/日高敏隆・羽田節子訳/思索社/1987
・『ナゾベームの問題』/フレデリック・ブレートコープ/1945
・『エイプリルフール万歳!』/バジリオ・ディ=セヴィーリャ/2015
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