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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第八十九夜/野性味と気品と~

思った以上に長く続いてきた露歌手シリーズですが、前回宣言したとおりここらで一区切りにしようかと思います。
と言う訳で、一段落するのに相応しい華々しいバリトンを。

PavelLisitsian.jpg
Knyaz Yeletsky

パーヴェル・リシツィアン
(パーヴェル・リシチアン)

(Pavel Lisitsian, Павел Герасимович Лисициан)
1911~2004
Baritone
Russia

エネルギッシュな声と懐の広い表現力でボリショイ劇場を魅了したアルメニア系のバリトン。以下で見て行くとおり全曲の録音が必ずしも多くはないので、いまでこそ知る人ぞ知る的な扱いになってしまっていますが、ソヴィエト時代に活躍したバリトンの中でも指折りの実力者だと言っていいと思います。以前プチーリンを紹介したときにもちょろっと触れていますが、分厚くて深みのある声の魅力で勝負するタイプの最右翼だと言っていいでしょう。

1958年には来日コンサートもしているそうですが、いまWebで検索してみても殆どその時のことに触れている人はおらず、個人的にはちょっと寂しいものがあるなあと言いますか、どんな歌を歌ったんだろうと言うのが気になるところです。考えてみればNHKイタリアオペラですら1956年の第1回までしかまだ来ていない、有名なデル=モナコやゴッビの公演(1959年の第2回)よりも前の出来事ですし、スラヴ歌劇公演は更に遅れること幾星霜、1965年のこと。まだまだ日本では露国のオペラ歌手、それもバリトンの単独コンサートなどへの関心は、低かったのかもしれません(近年のフヴォロストフスキーのコンサートですらガラガラですもんね)。
ただ、このまま風化してしまうのはあまりにも勿体ない歌手、オペラを愛する方々には是非一度聴いていただきたい名手なのは間違いありませんし、マイナー歌手の名誉挽回を以て旨とする本blogとしてはどうしても取り上げたい人でした。

彼自身はそこまで音楽に関係なさそうな家の出身だったようですが、娘さんのうち2人はそれぞれソプラノとメゾとして活躍、孫はピアニスト、関係は不明ながらテノールも親族にいて、彼以降すっかり音楽一家の様相を呈しているようです。

<演唱の魅力>
まずやはり魅力的なのはその重量感たっぷりの声でしょう。どっしりとして奥行きがあることに加え、やや荒々しい力感を感じさせる声は何処となくエキゾチックな響きを備えています。そもそも露系の歌手はどことなくそういう雰囲気を感じさせる声なのですが、彼の場合はとりわけそういう印象が強いように個人的には思っています。やっぱりアルメニアと言う出自がこういうところに顕れているのかな?という気もしてきますが、その辺は定かではありません。いずれにせよ或種の野性味を感じさせる、そしてそれが色気になっている歌手だと言うことは言えそうです。

しかしその一方で彼の歌には野蛮さは稀薄で、むしろ「気品」だとか「品格」だとかということばの方がよく似合っています。歌全体が非常に背筋の伸びた、居住いの正しいものなのです。ブランのスタイリッシュな歌なんかとはまたちょっと違うのですが、目鼻立ちの整った男らしい貴公子を思わせます。とは言えありがちな特徴のない二枚目ではなく、彼の場合は抽斗が非常に多い。例えばイェレツキー公爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)のアリアの冒頭は、実に繊細で、夢見るようなやわらかな声でふっと歌いだし、そこだけで聴く者を虜にしてしまいます。一方で常に優しいばかりではなく、その荒味のある声の力を最大限に使ったドラマティックな表現も必要な場面ではきっちりと決めていて、その破壊力にはしばしば思わずハッとさせられます。自身の声の特質を捉えた上で、こうした手練手管を尽くして、若々しく覇気があり、何処か異国情緒と品位をも感じさせてしまうのが、言ってしまえば彼の藝なのでしょう。この絶妙な匙加減は露国の歌手の中でのみならず、オペラ歌手としての際立った個性だと言っていいように思います。

こうした彼の美質が活きる場面はまずはやはり露もので、先述のイェレツキー公爵がまずは特筆すべきものではないかと思います。役柄としては戀敵以上にそこまで強い個性のあるものではありませんが、彼が演じることで独特の影がさし、より立体的な人物として立ち現われてきますし、そうであるからこそ終幕での出番が引き立ちます。そういう意味ではオネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)が全曲録音されなかったのは痛恨の極みで、アリア集に収録された1幕のアリアひとつとっても彼らしい個性的なオネーギンになったことは間違いないと思います。僅かな出番でもしっかりと人物に味付けのできる人ですから、ヴェネツィアの商人(Н.А.リムスキー=コルサコフ『サトコ』)やナポレオン(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)のような短いけれども作品上重要なパートでぐっと脇を〆るのに貢献していることも多いです(オネーギンと同じ路線で『戦争と平和』ならアンドレイ・ボルコンスキーもやって呉れればという憾みもなくはありません)。
また露国の歌手では割と珍しいように思うのですが、ヴェルディが非常によく似合います。その品格と野性的なパワーの共存とが、力強く流麗な旋律の本流であるヴェルディの世界によくマッチするのです。こちらももっと全曲を入れて欲しかった……!
同じく入れて欲しかったと言うところで言えば、恐らくレパートリーにも入っていなかったと思うのですが、マンドリカ(R.シュトラウス『アラベラ』)は適役だったんじゃないかと言う気がしてなりません。貴族的な品位と辺疆出身であることを感じさせる土俗性とが必要なこの役は、まさに彼の特質そのものではないかと思うのです。残念ながら僕が知る限り、彼の独ものの録音はなく、演目的にも望みは薄いのですが。

<アキレス腱>
素晴らしい歌手なのですが、どうも意外と録音が少ない。また、音がイマイチなものが多いと言うのが残念なところです。露ものでもヴェルディでももっと入れて呉れたらよかったのに!むしろマルチェッロ(G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)とかどうでもいいから!(悪くない演奏ではあるのですが)
このシリーズでは毎度のことになりますが、露語歌唱の録音が多いですので、そこに抵抗のある御仁にはおススメしかねるところもあります。

<音源紹介>
・イェレツキー公爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)
メリク=パシャイェフ指揮/ネレップ、スモレンスカヤ、ヴェルビツカヤ、Ал.イヴァノフ、ボリセンコ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1949-1950年録音
>如何にもソヴィエト時代らしい露的な凄みのある演奏。この作品の一つのベストと言っていいかと思います。この役は最近ではフヴォロストフスキーが迫力ある歌唱を聴かせているのが印象的ですが、その彼のパフォーマンスのある意味で源流にあるような姿がよくパワフルな歌を、ここでのリシツィアンは披露しています。彼のノーブルな藝風が一番よく出た録音でしょう。上述もしましたが、アリアの冒頭のやわらかくてしっとりとした歌い口は、公爵のリーザへの愛と優しさをとりわけ強く印象に残します。ああこの人はリーザを本当に愛してるんだなあとしみじみと歌の魅力に浸らせて呉れるとともに、先の展開を知っている分切なくもなります。また、総合的にみるとその愛情の深さの一方で貴族的な気位の高さや若々しい力強さや色気までもしっかりと感じさせ、この公爵が優れた魅力的な人物である(ゲルマンよりもよっぽど!)ことを明確に伝えています。この点、このオペラの悲劇性を高める上では非常に重要なところだと思っていて、ゲルマンよりダサくてぬるくて面白味のない男だと話が全く盛り上がらない!(笑)昔の歌手然としてこれでもかと高音を伸ばしたりしているところも含めて、オペラ的なカッコよさという意味では完璧と言っていいのではないかと。ネレップのところでも述べたとおり指揮も共演も強力で、もっと広く聴かれて欲しい音源ですが、いま入手困難なんですよね……^^;youtubeで全曲聴くこともできますが。

・ヴェネツィアの商人(Н.А.リムスキー=コルサコフ『サトコ』)
ゴロヴァノフ指揮/ネレップ、シュムスカヤ、ダヴィドヴァ、アントノヴァ、レイゼン、コズロフスキー、クラソフスキー共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1950年録音
>不滅の名盤。この演奏ぐらい露国の意味のわからない熱狂の爆演を如実に伝える演奏はそうそうないと、個人的には思っている凄まじい音盤です。言い方を変えるとゴロヴァノフの怪獣っぷりがよくわかるとも笑。しかし、この作品は綺麗にやるだけではなくてこういう熱量が必要不可欠なのです。ここでのリシツィアンは出番はアリア1個だけと言う名もなき商人の役ですが(この作品そんな人が3人も出てきて、それぞれのアリアが超名曲と言う……コスパの悪さも甚だしいと言いますか、超豪華と言いますか)、このスポット的な歌が実にすばらしい!何と言ってもその粗さのある声と引き締まった力強い歌い回しがまさに海の男!という風情で、渋いカッコ良さがあります。前半の荘重さと後半の華やかさのどちらの魅力も十分に引き出し、ひいては美しき海の街ヴェネツィアをサトコたちにだけでなく我々にも思わせる表現力にはことばもありません。この録音残る2人の外国の商人も露声楽の世界に燦然と輝くレイゼンとコズロフスキー!この3人だけで十分におなかいっぱいになれるメンバーですが彼らはあくまでも脇。ネレップの題名役以下穴のない録音です。

・ナポレオン・ボナパルト(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)
メリク=パシャイェフ指揮/キプカーロ、ヴィシニェフスカヤ、В.ペトロフ、アルヒーポヴァ、マスレンニコフ、クリフチェーニャ、ヴェデルニコフ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1961年録音
>これもまた当時の露国のボリショイの実力者を集めた録音。出番はほんの1場ですが、原作同様重要な人物ですし、更に言えばこの作品の100を越えるキャラクターの中でも最も有名な歴史的人物でもあるので、存在感のある人にやってもらいたいところ。とは言え流石にそこまでメジャーな人がやっていることは少ない中、ここでの彼の起用は非常にありがたいです。期待に違わず録音で聴ける最高のナポレオンではないかと。彼らしい男らしいエネルギーが感じられ、野心的な人物像を作っています。一方で――それがどこに起因するのかはわからないのですが――何故かどこかだるそうなと言いますか、倦怠のようなものが伺えて、それが権力者の憂鬱と言いますか、破竹の勢いで進んできていたはずの皇帝の命運に影が差してきていることを絶妙に引き出しています。

・ロベルト公爵(П.И.チャイコフスキー『イオランタ』)2022.12.24追記
ハイキン指揮/オレイニチェンコ、アンジャパリゼ、ペトロフ、ヴァライチス、ヤロスラフツェフ共演/ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>旧ソ連時代に作られた映画版で少なからぬカットがあったり芝居は別の役者さんを立てていたりと言ったことがあるものの、映像としての完成度が極めて高く、導入としてオススメできる映像です。ロベルトはあらすじだけ見るとなんで登場するのかよくわからないのですけれども、リシツィアンの気高く堂々とした歌唱があると、この作品に騎士道物語的な華を添えていることがよくわかります。特に後半、許嫁ではなくマティルデを選ぶことを高らかに宣誓するところは、彼ぐらいかっこよく歌い上げてくれて初めて場面として生きてくるものでしょう。もちろんヴォデモンの戀情を先取りする力強いアリエッタも生命力に溢れた名唱です。これだけ素敵なロベルトを横に置いても、そしてカヴァティーナが一つカットになっていてもヒーローとしての説得力を十分に発揮しているアンジャパリゼ、彼と感動的な重唱を繰り広げるオレイニチェンコをはじめ共演のレベルも極めて高いです。

・アモナズロ(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
メリク=パシャイェフ指揮/ヴィシニェフスカヤ、アンジャパリゼ、アルヒーポヴァ、ペトロフ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1961年録音
>本blogで度々登場している、ゲテモノっぽい気がするのに超名演の露語版『アイーダ』にもリシツィアンは登場しています(笑)知る限り彼が歌うヴェルディの全曲が遺されているのはこれだけなのですが、これがまた実にドラマティックで聴き応えがある!彼の場合ここまで述べてきたとおり品格と野性味との双方のバランスが非常によくて、全体に「品格>野性味」でうまく纏めていることが多いのですが、ここでは確実に「品格<野性味」です。確実に狙ってやっていますね。そのあたりの器用さもあることがわかる点でも非常に面白いですし、もちろんヴィシニェフスカヤとのドラマティックな掛け合いにも惹きこまれるものがあります。惜しむらくはアモナズロは意外と出番がない……もっと歌うヴェルディ・バリトンの役柄が遺っていれば……!しかし演奏はピカイチです!

・イェヴゲニー・オネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)
・西国王ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』)
・レナート(G.F.F.ヴェルディ『仮面舞踏会』)
詳細不明
>いずれも詳細はよくわからないのですがアリア集やリサイタルで録音されているもの。そしていずれもできれば全曲が聴きたかった……!とバリトン好きならば地団太を踏みたくなる秀逸な歌唱。まずはオネーギンですが、ここではいつもながらの若者らしい力強さとともにナポレオンで感じられたような倦怠感が潜んでいます。オネーギンを演じるに当たってこの倦怠感は必須だと思うのですが、それらを併せた上で更に投げやりな感じが加わっていてこれが個性的ながらすごくいい。もうだるい以上になってしまって力を持て余しているオネーギンというのは、かなり気になるところです。次いでドン・カルロは3幕フィナーレのアリアをピアノ伴奏で歌っているのですが、ここにも国王の野心家的な顔が見え隠れしつつ、非常にドラマティック。この歌は結構好きなので数々のヴェルディ・バリトンが歌っている者を聴いていますが、これだけ力感があってアタックもありながらしかものびのびと歌っているのはあまり例がありません。特に高音には痺れます。最後にレナートですが、これがまたとびきり素晴らしい!あの有名なアリアはヴェルディの中でもとりわけ内面的で複雑な感情表現が必要な難しい場面だと思うのですが、伊語でもこれだけ訴える歌唱を出来ている人はなかなかいないでしょう。特に後半の主題が出て来てアメーリアとの楽しかった日々を振り返る部分になってからの哀切極まる節回しはたまりません。何度聴いても涙を誘われます。
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青蛙

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青蛙
Sei-a

久々の折り紙記事です。
と、言っても折ってなかった訳ではなく、少しゆっくりとモノを仕上げたいなあと思っていてですね^^

を作ったときに最後にちょろっと書きましたが、日本画や日本美術的な間、リズム感が感じられる作品を作りたいと言うことを考えておりまして、その第一号です。いろいろと構想しているものはあるのですが、まずは前回古典に拘って作った蛙をもとにするのが収まりがいいように思いましたので。

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なるべくシンプルに抽象的に、そして平面的にということを意識しつつも、折り紙らしい起伏も大事にしたいなあと言う匙加減。このあたりが研究しがいがあるなと。色紙の色は絵の具を薄く伸ばしつつ調整しています。これは結構いい手ごたえ。
折り紙そのものの紙は今回イメージに合うものが見つかったので特にいじっていませんが、今後は例えば裏打ちとか染めとか考えつつかなと。

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蛙そのものは前回の作品とほぼ同じですが、指の長さのバランスが前回は変だった(中指を中心に左右対称だった)ので、その点のみ修正を加えています。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第八十八夜/凍てつく大地の歌~

どうも90回を前にこのところ忙しくて更新が滞っています。ネタ自体はある程度用意してはいるのですが、なかなか書き上がらない(^^;その代わりと言っては難ですが、最近思い付きで始めた似顔絵の方はちまちま描いていて、出来が今ひとつなものを更新しています。

露歌手シリーズはまだまだ行けるのですが、持ち球をあまりにも使ってしまうのも難ですので次回で一区切りの予定です。

SergeiAlexashkin.jpg
Vasily Kochubey

セルゲイ・アレクサーシキン
(Sergei Aleksashkin, Сергей Николаевич Алексашкин)
1952~
Bass
Russia

本当はそろそろ女声を取り上げた方がいいとは思ってもいるんですが、どうしてもこの国の特集だとバスが多くなります(いつもそうだという話もありますが)。
プチーリン、プルージュニコフと続いて来て再びゲルギエフの手兵として活躍しているマリインスキーの名歌手です。

このシリーズでは久々ですが、僕も実演で見たことがあります(笑)ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場引越公演の『イーゴリ公』チケットが、当時所属していた吹奏楽団体のコーチの伝手で当日に手に入ったときのコンチャク汗が彼でした(あの節はどうもありがとうございました。脱線ですが韃靼人の踊り(ポロヴェツ人の踊り)の素晴らしかったこと!!)。声は全盛期を過ぎていたように思うのですが、その堂々たる巨躯と立ち居振舞は圧倒的で、イーゴリの前に立ちはだかる敵であると同時に偉大な英雄でもあるこの役を演じるのにまさにうってつけの強烈な存在感がありました。
また、僕がオペラにハマるきっかけとなった『イーゴリ公』(またしても!)の映像ではガーリチ公ヴラジーミルを演じていて実に憎々しい悪漢ぶりで印象に残っています。スタートがこの演奏だったこともあり、それからゲルギエフ指揮マリインスキー劇場の露ものをいろいろ聴きましたから、彼の登場する他の録音にもお世話になりました。
そんなこんなで、個人的にはこのひとは因縁のと言いますか、なんとなしに浅からぬ縁を勝手に感じている歌手です。

露国の歌手も最近では例えばイリダール・アブドラザコフのように洗練されたグローバルなスタイルで歌う人が増えていますが、そんな中でも彼は少し先輩のアナトーリ・コチェルガ(彼は露人でなく烏人だけど)とともに比較的古き佳きローカルな露風の声と歌を聴かせて呉れる人だと言っていいと思います。が、歌手としての評価は必ずしもローカルに留まらず、METではフヴォロストフスキーやフレミング、バルガスを向こうに回してのグレーミン公爵(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)で招聘されていますし、オペラ以外でもショスタコーヴィチの交響曲のソリストを一時期一手に引き受けていたようです。

そんなところから見ると、このご時世絶滅危惧な人なのかもしれません。

<演唱の魅力>
上述もしましたが、この人はいつ聴いてもこのご時世に本当に露流儀の人だなあと思います。西欧流の滑らかな歌とは一線を画すゴツゴツとした感触は紛れもなく露国や東欧の藝風。
例えば大先輩である先日のネステレンコの方が圧倒的に洗練された歌いぶりです(尤もネステレンコの場合はそこの使い分けができるのが凄い訳ですが)。しかし、彼の場合にはその荒々しく武骨な演唱が或種素朴な味わいになっており、役柄の人物像や感情をリアルに削り出しているような印象を受けるのです。そういう面で行けば、先日ご紹介した同世代のバリトンであるプチーリンとの相性がよく、共演も多いことは非常に納得いきます。
別の言い方をするのであれば、太い筆で大胆に描かれた水墨画のようなコントラストのはっきりしたパワーのある表現ということばもしっくりくるのかもしれません。こういうとヴァルラーム(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)のような豪快で粗野なキャラクターで真価を発揮しそうな感じがするかもしれませんが、個人的にはそれ以上に、悲劇の人物の不器用な哀しみでこそ、と思っています。彼の表現する慟哭や激しい怒りは、心のどこかを抉り取られるような鋭くさや強さを備えており、聴く者に大きな感動を与えます。こうした彼の美質は、録音であれば例えばコチュベイ(П.И.チャイコフスキー『マゼッパ』)やルネ王(П.И.チャイコフスキー『イオランタ』)それにサリエリ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『モーツァルトとサリエリ』)、クトゥーゾフ(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)で楽しむことができます。

こうした彼の表現の方向性により大きな説得力を齎しているのは、彼の声質です。派手さこそないけれども暗い色調で奥行きがあり、ずっしりと重たく耳に響くボリューミーな歌声で、かなりの聴き応えがあります。個人的には彼の声を聴くと、大きくて立派な鈍色の方鉛鉱を思い浮かべます。伊系の歌手のようななめらかさや豊かさ、独系の緻密で硬質な瑞々しさ、仏系のかろみとエスプリといった世界とは全く異なる美観の、まさに露系でしかあり得ない剛毅で渋い声。華やかな色彩を感じさせる色気ではなく、シンプルでモノクロームなパワーが籠っています。これでこそ彼らしい土臭い演唱が活きてきますし、自分のそうした特質をわかった上でベクトルを定めているとも言えるでしょう。

彼の歌を聴くといつも、荒涼として冷厳な北方の風景を心象に感じます。レイミーなんかも冷たいイメージを感じさせる歌と声ですが彼のような冷やりとした磨いた玉のような冷たさではなく、北国の冬場の寒々とした凍てつく大地の歌。
もちろん華やかな南方のスピリットの歌も素晴らしいですが、彼の冬将軍のような歌を、時たま無性に聴きたくなるのです。

<アキレス腱>
これぞ露風!という歌いぶりではありますが、往年の大歌手に較べると楽譜に忠実な部分もあるので、渋みが強く幾分地味な印象を受ける人はいるかもしれません。本当は、その渋さがいいのですが。
また、若干音程が甘いかなあと思うことも時々。

<音源紹介>
・ヴァシーリー・コチュベイ(П.И.チャイコフスキー『マゼッパ』)
ゲルギエフ指揮/プチーリン、ジャチコーヴァ、ロスクトーヴァ、ルツィウク共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー・オペラ管弦楽団&合唱団/1996年録音
>彼が最も本領を発揮した録音と言ってもいいかもしれません。題名役のプチーリンともどもこの渋い作品(ヴェルディの『シモン・ボッカネグラ』を思い出させる)を良く盛り上げています。友人だと思っていた男に娘を奪われた上に、地位までも脅かされて刑場に連れて行かれる悲劇を直截に、掘り上げるように歌いこんでいます。言ってしまえば終始怒り、嘆いている役ではあるのですが、それらをずっと同じように表現していては単調で深みがなくなってしまいますし、しかも聴かせどころはマゼッパ以上にあるので、重要かつ難しい役だと思うのですが、そのあたり実によく心得たパフォーマンスが素晴らしいです。まさに自家薬籠中といったところで、特に2幕冒頭の自分の処遇を嘆くアリアはお見事。対するプチーリンのマゼッパもまた武骨で露風な表現をする人なので、全体的に絵巻物を見ているような気分にさせれます(もちろんチャイコフスキーらしい旋律美も感じさせるのですが)。ゲルギエフもここでは燃え上がる音楽を作っていて、マゼッパへの蜂起を誓う合唱やポルタヴァの戦いの場面など血沸き肉踊る名演。共演もgoodですがとりわけヴェテランのジャチコーヴァがいいです。

・ルネ王(П.И.チャイコフスキー『イオランタ』)
ゲルギエフ指揮/ゴルチャコーヴァ、グレゴリヤン、プチーリン、フヴォロストフスキー、ジャチコーヴァ共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー・オペラ管弦楽団&合唱団/1994年録音
>ネトレプコ主演ヴィヨーム指揮という西欧風の新たな超名盤が出てきた現在に於いても、マリインスキーのスターを揃えた露的な演奏として重要な価値のある音盤。この役では、娘への愛情と不安、心配を感じさせる歌手が多いですが、彼は更にそこから来る王の孤独な哀しみをも感じさせるパフォーマンスで大変お見事です。アリアでは憔悴した様子も感じられ、胸が締め付けられるような切ない歌唱。一方でヴォデモンたちに対しては堂々とした威厳ある王として接しているあたりの描きわけも流石のものです。共演の歌唱陣はいずれも見事な歌いぶりでそれぞれの役のスタンダードな演奏として楽しめます。一方でゲルギエフのテンポ取りはどうもしっくりこず、後半特に変にせかせかしてしまってあまり感動的でないのが残念。

・海王(Н.А.リムスキー=コルサコフ『サトコ』)
ゲルギエフ指揮/ガルージン、ツィディポヴァ、タラソヴァ、ミンジルキーイェフ、グレゴリヤン、ゲルガロフ、プチーリン共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー・オペラ管弦楽団&合唱団/1994年録音
>リムスキー=コルサコフの管弦楽の魅力を好む人がこの作品のを知るためにはいい録音。と言って別に歌唱陣が悪い訳ではなく、往年の録音の異様な熱気に違和感がある人には、音もこちらの方がいいし悪くないと言う感じです。出番はそこまで多くはないですがやはり彼ぐらいスケールが大きいと説得力がうんと増します。或種の野性味といいますか荒っぽさが、海の世界の広大さやダイナミックな嵐の姿を想起させる一方で、やんちゃが過ぎて老巡礼に一喝される少々軽率な部分でも説得力を持たせています。体格のいい巨漢ですから舞台で見たらさぞかし、というところ。歌唱陣は優秀なのですが、出番の多いガルージンにカリスマがないのがやや残念です。

・グリゴリー・ルキヤーノヴィチ・マリュータ=スクラートフ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『皇帝の花嫁』)2021.5.25追記
ゲルギエフ指揮/フヴォロストフスキー、ボロディナ、シャグッチ、ベズズベンコフ、アキーモフ、ガシーイェフ共演/キーロフ歌劇場管弦楽団&合唱団/1998年録音
>この当時のマリインスキーのベスト・メンバーのよる録音でしょう。アレクサーシキンがファースト・バスのソバーキンを歌うこと当然あったでしょうが、ここではその座を個性的な声のベズズベンコフに譲り、セカンドながら物語の要となる人物を歌っています。イヴァン雷帝の親衛隊長として権勢を振るった人物らしく(恥ずかしながら露史に疎いのですがかなり悪名高い人物だそうです)、アレクサーシキンの硬く重々しい声がハマります。なんといってもやはり3幕フィナーレ、マルファが妃に選ばれた場面での陰鬱な絶望感は見事で(褒めてます!)、これは逆に人くさいベズズベンコフには出せない味です、非常によいバランスと感じます。

・ガーリチ公ヴラジーミル(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)
ゲルギエフ指揮/プチーリン、ヴァニェーイェフ、ゴルチャコーヴァ、アキーモフ、ボロディナ共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー・オペラ管弦楽団&合唱団/1998年録音
・コンチャク汗(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)
・イーゴリ・スヴャトスラヴィチ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)
ロジェストヴェンスキー指揮/フィルハーモニア管弦楽団&アンブロジアン・オペラ合唱団/1997年録音
>最初に挙げた映像は僕が最初に自分から観たオペラの映像なので、非常に愛着があります。役としては途中までしか登場しないものの、役者ぶりが見事で印象に残ります。特にプロローグの出陣の場面での誠実な対応(と見せかけつつ腹に一物ありそうな表情)に対し、3幕プチヴリの場面では豪放に享楽に溺れる悪漢ぶりを見せるその落差は天晴なもの。本当に心底悪いやっちゃなあという感じがいいですね、味方側なのに(笑)やや特殊な版での演奏ですがドラマとしては一番纏まっている気がしますし、全体にも高水準でこの演目の映像としては悪くないんじゃないかなと。欲を言えばヴァニェーイェフが見た目はバッチリなんですが、調子が悪かったのか鳴りきっていない感じがするのが、要役なだけに残念ではあります。
CHANDOSから出ているアリア集ではこの役のアリアとともにコンチャク汗と、なんとバリトンのイーゴリ公の歌まで収録しています!コンチャクのアリアは勢いのある名唱で、この部分だけでも舞台での巨大な存在感を思い出させてくれます。この人物が劇中、イーゴリとともに称賛される英雄であると言うことを納得させるような柄の大きい優れた歌で、アリア集でのペトロフやエルムレル盤でのヴェデルニコフと並ぶ演奏だと言っていいでしょう。対してイーゴリ公のアリアの方も予想以上に素晴らしいです。本来バリトンの役ですからバスにしてはかなり高い音まで出てくるのですが、彼のゴツゴツした歌いぶりから想像できないぐらい違和感なくスッと出してしまいます。上述もしましたがそのゴツゴツ感が武将らしい不器用さみたいなものも感じさせていて大変お見事。コンチャクでもイーゴリでも全曲残して欲しかったぐらいです。

・男爵(С.В.ラフマニノフ『吝嗇な騎士』)
N.ヤルヴィ指揮/ラリン、チェルノフ、カレイ、コチェルガ共演/エーテボリ交響楽団/1996年録音
>珍しくゲルギエフではなく父ヤルヴィの指揮での録音。彼が題名役を演じているのもこれだけかも。ラリンやチェルノフと言った名のある露系歌手との共演ですが、シャリャピンも覚えきれなかったという長い独白を演じ切っているのもあって、ほぼ彼の印象しか残りません(笑)ここまで堂々たる史劇の大人物と言うべき役柄で多く紹介してきましたが、ここでは金にひたすら執着する或意味で卑小な人間、しかし別の目から見れば人間の心の奥底に潜むどす黒く巨大な悪を感じさせる役を見事に造形しています。バリトンのセルゲイ・レイフェルクスの映像が見た目の凄まじさもあって世評が高いのは一方で納得するのですが、個人的にはこの役ではむしろアレクサーシキンの深く暗いバスの方が、その闇に渦巻く想念を表現している感じがして好み。ヤルヴィの指揮ともども、確かにややお行儀がよすぎると言うのもわからなくはないのですが、ムソルグスキーではなくラフマニノフなのだし、このぐらいの力加減の方がいいのではと思います。

・アントニオ・サリエリ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『モーツァルトとサリエリ』)
ロジェストヴェンスキー指揮/フィルハーモニア管弦楽団&アンブロジアン・オペラ合唱団/1997年録音
>こちらもCHANDOSのアリア集で聴けるものですが、主要な見せ場が全て収録されているようです(実はこの演目は気になっていながら全曲聴けていないのですが……)。しかしここだけでもこの役にボリス的な性格表現と演技力が必要とされる難役であることもわかりますし、同時にここで聴ける彼の歌唱が秀でたものであることもよくわかります。天才モーツァルトの才能への愛情、羨望、嫉妬、そして憎悪と言ったものがひしひしと伝わってきます。或いはプルージュニコフあたりと全曲遺して呉れたら、上述の諸録音以上のものになったかもしれないと思わせる、凄演です。

・ミハイル・クトゥーゾフ将軍(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)2015.8.31追記
ゲルギエフ指揮/フヴォロストフスキー、マタエヴァ、グレゴリヤン、ヴィトマン、バラショフ、シェフチェンコ、モジャーエフ、クズネツォフ、ニキーチン共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー・オペラ管弦楽団&合唱団/2003年録音
>演奏的にも視覚的にも見事なNHKライヴ。時代劇の似合う彼ですし、堂々としたこの役には如何にも似合っていそうなのに、意外とこれ以外に録音も映像もないようで。出番そのものは決して多くはありませんが、出てきた瞬間から尊敬される偉大な人物が出てきたことをしっかりと感じさせる風格と貫禄です。彼らしい堅めのやや寒々とした精悍な声が、決然とした理知的な将軍の姿をよく表現しているように思います。一方で見せ場のアリア、将軍が心情を吐露するほぼ唯一のこの場面では、非常にエモーショナル!この歌が、この作品の軸の一つであることを強く感じさせます。主役3人はじめ視覚的イメージもぴったりですし、指揮や演出もいい。これが東京で演奏されたのかと思うと、溜息が出ます。

・グレーミン公爵(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)2017.12.3追記
ゲルギエフ指揮/フヴォロストフスキー、フレミング、バルガス、ザレンバ、フシェクール共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/2007年録音
>漸く観ましたが、これは映像におけるオネーギンの定番となっていくものだと思います。ゲルギエフの指揮も特に後半の集中度が高いですし、カーセンの演出も実に美しい。グレーミン公爵は出番の多い役ではなく、言ってしまえばアリアを歌うだけの脇役ではあるのですが、アレクサーシキンらしい堂々たる恰幅の良い歌唱と華々しい舞台姿が物語を引き締めます。オネーギンとくっきり対照となるためにも、彼は幸せの絶頂であり、堂々としていなければならないと思うのですが、まさにというところ。錆の効いた甘みの少ない声からは色戀への器用さは感じないけれども、その分まっすぐ衒いなくタチヤーナを愛していることが伝わってきます。そのオネーギンは惜しくも亡くなったフヴォロストフスキー……!この2人のやり取りの場面はとても絵になります。

・ボリス・ゴドゥノフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)2022.6.9追記
ゲルギエフ指揮/А.モロゾフ、マルーシン、ボロディナ、レイフェルクス、プルージュニコフ、オグノヴィエンコ、ガシーイェフ、ジャチコーヴァ、ナイダ、トモフィロフ共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー・オペラ管弦楽団&合唱団/1993年録音
>どうしてもキャストが多くなるためか、ランゴーニがしっかり活躍する映像は意外と少ない中、当時のキーロフのオールスターキャストでなされたこの公演の記録は大変貴重なものと言えるでしょう。また、アレクサーシキンにとってもボリスは主要なレパートリーだったはずながら少なくともスタジオ録音はしていませんからその意味でも得難い代物です。響きが豊かで柔らかな深みのあるネステレンコやギャウロフのような人が歌うと、悲劇の主人公としてのキャラクターが際立つのに対し、彼の硬質で引き締まった声では、もっとリアルな、理想化されていないボリスを知ることができるように思います。とりわけ独白の寂寞とした雰囲気は圧巻です。
他方でいい意味での歌舞伎調の大芝居は健在で、シュイスキーとのヒリヒリするようなせめぎあいもいいですし、なんと言ってもやはり死の場面、壮絶な斃れこみには息を呑みます。ボロディナ、レイフェルクス、マルーシンといった活躍の多い人たちもベストの歌唱で、手に入りづらいのが残念です。
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蛙 ――古典の主題による小品――

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蛙 ――古典の主題による小品――
KAWAZU

折り紙には古典作品と言われているものがあります。というより、多くの人にとって折り紙とは古典作品のイメージの方が強いかもしれませんね^^
誰が最初に考案したかはわからないぐらい古いけれども、ずっと折り継がれている作品、伝承作品とも言われます。例えば折り鶴だったり奴さんだったり、或いは帆掛け船だったりがこの一群に当たります。

そうした古典はやはり長い年月折られ続けているということもあり、比較的簡単に折ることができるとともに、リアルかどうかということを超えた完成した姿の美しさが魅力になっています(折り鶴の後ろの尖がりが実際の鶴の一体なんだというのでしょう!)。今折られている高度な創作よりも、ひょっとしたら作品としての力はあるかもしれない。そんな気さえさせるものなのです。

とはいえ一方で、そこに少し手心を加えて何かしら発展させてみたい、新たな表現をしてみたいとかよりリアルにしてみたいとかということを思わないかと言えば、それもまた嘘になります(笑)
今回は古典作品の「蛙」に手を入れてみました。

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左がその古典の「蛙」なのですが、個人的にはあまたのカエル作品の中でもぴか一ならば、古典の中でも屈指の名作だと思っています。4本の長い脚のある決してパーツの少なくない生き物を思い切って単純化し、最低限の表現でしかししっかりとアマガエルだと見るものを納得させてしまう説得力も素晴らしいですし、何より作品として非常に纏まっていて美しい。特に後肢やお尻の部分などは、単純化されているのにもかかわらずしっかりとリアルな蛙の姿を想起させるんですよね。本当に深い作品だと思います。

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手を入れるとは言っても、元の作品の質の高い美しさはなるべくそのままにしたいと考えました。ですから、本来ならば当然カエルの背中には幾何学的な模様が入っていたりはしないのですが、そこを含めて古典の形を活かす格好にしました。
また、先ほどのお尻の部分はこの作品の肝なので、そのまま使っています。

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これだけ元の作品の骨格がきちんとしていると、アレンジを加えると言っても思いつくのは指を折りこむぐらいしか自分には考え付かず、蛇腹を仕込むことにしました。あまりたくさん仕込むと折りづらくなり、紙が重なる部分の処理にも困る上にあまり美しくならないだろうと見込み、本当に最低限だけ。とは言え、折角指を折りこんでリアルの要素を入れるので、実際のカエルのとおり指の数は前足4本後足5本に何とかしてあります。

それでも重なる部分の処理に結構困りました。ここが納得いくまでが一番の山場だった(^^;
最終的には重なった部分をうまく開いて顔を作れたので、比較的きれいに纏まったかなと思っています(見えない部分の折り合いは苦しい部分もありますが)。

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少し別の話ですがここのところ日本画をいろいろと観る機会がありました。そこで、以前日本の工芸品を観たときにも思ったのですが、日本の美術はリズム感と間、それにコントラストだなあと痛感させられまして、そこいくと自分の折ってるものはまだまだだなあと。リアルなものと抽象的なものの間でもっと美しく、リズムを感じて纏めて行かねばならないなあと強く感じています。見せ方含めてまだまだ研究が必要です。
本当は今回の作品も投稿するのを辞めようかなとも思ったのですが、この気持ちを含めて書き残しておくことにしました。
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