Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第九十一夜/激情の詩人~

オブラスツォヴァの訃報以来暫く露国シリーズを続けていて、当初準備していたけれども繰り延べになってしまっていた人をようやっと。
おそらくは、多くの人にとっては露歌手特集よりもこっちが先だろう!と怒られそうな案件な気もする…wそれぐらい、人気実力とも確かな歌手です。
女声が暫く出てきてないぞって感じなのに再びテノールですが…^^;

Shicoff.jpg

ニール・シコフ
(Neil Shicoff)
1949~
Tenor
America

一転して伊もの、仏ものを中心に活躍している人です。
とはいえシコフは、このジャンルを歌う人にともすれば良く見られる、あっけらかんとしたテノールとは一線を画す印象です。私自身彼の顔を拝見してぱっと思うのは、「わ、神経質そうなオジサマ!」(いや、大変失礼なことを申し上げている自覚はあるのですが^^;、ご自身もやっぱり神経質な人らしい。。。)このジャンルの人にしては珍しいタイプの暗さ、湿度(瑞々しさとは違う)があるという言い方もできるかもしれません。

NY生まれの露系のユダヤ人という、何と言うか或意味で人種の坩堝米国のひとつのパターンを切り取ったかのような出自。とはいえ、ここまで出生から米国らしい複雑さを感じさせる歌手も多くはないような気がします。更に言えば代々のユダヤ教のカントール(祈文独唱者)の家系に生まれていると言うことで、カンツォーネとオペラ・アリアを子守歌に聴いて育った伊人などとはやっぱり音楽経験が大分違うのかなあとか、それが彼のユニークな歌唱へと繋がっているのかななどと、なんとなく妄想を働かせてみたり。ただ確実に言えるのは、時にMETで活躍している歌手に感じるような、端整だけれども無国籍な印象は、彼の歌からは受けないと言うことです。さりとてそれが伊風や仏風のそれかと言われると?がつきますし、彼のルーツである露国の風情かと問われるとそれもまた首を肯じかねるところがあります。

シコフはシコフの歌い方をしているというのが正解なのかもしれません。それもその道を凄まじい勢いで猛進していきます。この、見ようによっては唯我独尊な歌いぶりは、好まない方にはとことん好まれないでしょう。しかし、ピンとくる人には堪らないに違いありません。またハマらない役にはとことんハマらない。しかし、ハマる役にはこれ以上のものはありません。なんだかコレッリの時にもこんなことを言ったような覚えがありますが、コレッリとシコフでは歌のベクトルが120度ぐらい違います(笑)

我らが愛すべき個性派テノールを、今回はご紹介していきます。

<ここがすごい!>
先ほども述べましたが伊仏系をレパートリーの中心に活躍している歌手の中では、かなり声の色調の暗い方だと思います。重い軽いではなく、暗い。例えばデル=モナコとパヴァロッティは声の重さでいけば全く対照的ですが明るさから言えばどちらも明るいのに対し、シコフはデル=モナコほど重くもパヴァロッティほど軽くもありませんが、トーンそのものが暗いと言えば伝わるでしょうか。
しかし、これは決してマイナスのことではありません。パヴァちゃんを思い出していただければわかると思いますが、明るい声は時に演じられたキャラクターを非常に能天気で前向きな人物にします。けれど、オペラの役柄はもっと思慮に富んでいたり、思い悩んでいたり、それが行きすぎてちょっと神経にキていたり、もっと言っちゃえばネクラな役もたくさんあるんですよね。で、そうした役にはシコフのような暗い声は実はすごくよく合う(あんまりそうは見えませんがとっても褒めてます!笑)。

加えて言えば彼の藝風(容貌やら歌い口やら演技やらを全部ひっくるめて)が、思索的なキャラクターとの親和性が非常に高い。端的に言ってしまえば大変にインテリっぽいんですね。と言っても、兎に角頭の回転が速くて立て板に水の如く持論を説き続けることのできるような動的な頭の良さではなく、ある問題について丹念に真剣にじっくりと思念するタイプの静的な頭の良さを感じます。同時にそのように精妙に考える人が得てしてそうであるように、繊細さ、脆さみたいなものも匂わせています。更に言えば、ここまで述べてきたような人物像はどちらかと言えば田舎にはあまり見られないものだからでしょう、何となく近現代の都会的な雰囲気を漂わせているのです。
こうした特徴はもちろん弱音の表現の豊かさみたいなところからも汲み取れる部分ではあるのですけれども、実はそれ以上に情熱的に気持ちを吐露するところでこそ強く感じられるように、私個人は思っています。シコフは乗ってくると、普段大人しく見えるけれども一旦想いに火がつくとだれにも止められないような凄まじい勢いで感情が昂る、そんな人物をこれ以上はないリアリティで描いて呉れるのです。ありったけの感情を叩きつけるような熱唱を、このインテリ風の男がすることによって、彼の演ずる役が本来隠している炎をまざまざと見せつけられるかのように思います。そうした知的な部分と情的な部分の交錯した絶妙な不安定さがピタリと来るのは、役柄としては詩人や文学青年、過激な思想の持ち主でしょう。そして演目としては、様式のかっちりとしたものよりも、仏ものだったりG.プッチーニだったりでしょう。特に個人的には彼が最も力を発揮できる演目はプッチーニではないかと思っています。ご存じのとおり(?)僕はプッチーニの作品自体は好きではないのですが、思い悩みがちな都会暮らしの繊細な青年が、思いのたけを情熱の迸るままにぶちまけるというような彼の持ち味が、近現代的なパッションに満ちたプッチーニの音楽に於いて力を発揮すると言うのは、否定しようのない事実であるように感じられます。とは言え残念ながら意外なぐらい、シコフのプッチーニの正規録音は少ないのですけれども。。。サントリー・ホールでの『トスカ』をそれこそソフト化して呉れたらなあと思うのですが。

とはいえニール・シコフの名がこれからもオペラファンの間で語り継がれるようになるとすれば、それはエレアザール(J.アレヴィ『ユダヤの女』)によってでしょう。このキャラクターは行き過ぎるぐらい真面目で、狂信的と言ってもいいようなユダヤの人物であり、その心は娘として育てた女を思いやる気持ちと復讐との間の葛藤で悶え苦しんでいます。こうした役柄そのものが、そもそも彼向きの内向的で思索的なものですが、加えて彼自身の出自もまたユダヤであると言うこと。その共感によってどれだけ役の奥行きが深くなるかと。
グラントペラ自体への評価の低下に伴って忘れられていたこのアレヴィの傑作に、再度火を付けた彼の絶唱は、オペラファンならやはり必聴のものでしょう。

<ここは微妙かも(^^;>
上述もしましたが、彼の歌は役柄の熱情をそのままぶつけて行くような、情熱的で威力の強いものです。それは決して歌のフォルムを崩すようなものではないのですが、「歌う」と言うよりは「演じる」に重点を置いた彼のパフォーマンスは、私自身の印象としては、ヴェルディ以前の様式を大事にするような種類のものとは、いまひとつ折り合いが悪いように感じています。悪くはないのですが、ちょっと過剰に哭きが入るのがバランスを崩してしまう感じがするのです。
同様に、非常に世評は高いのですが、彼のレンスキー(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)も好きになれません。確かにインテリっぽくて思い悩む詩人、というキャラクターそのものは如何にも彼に似合いそうなのですが、パッションを叩きつける歌い口ではどうしても露ものの寂漠感が失われてしまうように思います。いつもながらの熱唱なんだけど、熱唱なんだけども……ここじゃない、という^^;

<オススメ録音♪>
・エレアザール(J.F.アレヴィ『ユダヤの女』)
ヤング指揮/イソコスキ、マイルズ、トドロヴィッチ、シェルク共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1998年録音
>シコフを聴くための音盤であり、そのためだけに長く聴かれ続けて行って欲しい名演です。全曲に亘って渾身の力を振り絞って演じる彼の歌唱は誠に感動的で、声の好き嫌いとか歌づくりの好き嫌いとかそういったものを超越したものになっており、圧倒的です。ノッている時の彼はいつも或種の気迫を漂わせていますが、ここではいつにも増して物凄い迫力とリアリティ。暗さと悲痛さとドラマティックさとが合わさって、まさしくエレアザールというユダヤの老人にシコフが同化していると言える演唱でしょう。特に有名な“ラシェルよ、主の恵みにより”は単独でもよく取り上げられるアリアで多くの歌手が吹きこんでいますが、ちょっとこれ以上のものは考えられない。カレーラスが遺した正規録音も、それはそれで価値のあるものですが、やはりこの役はシコフを聴いて欲しい。贔屓にしている英国のバス、マイルズもいつもながら優雅でジェントルな美声を響かせて呉れているのを覗くと、共演がいまひとつな感じがするのは、豪華な作品であるだけにちょっと残念ではあります(マイルズも対決の部分の凄みと言う点ではもう少し、と思う)。とは言えそうは言っても、このシコフのためだけにこの音盤は入手する価値があると思います。

・マリオ・カヴァラドッシ(G.プッチーニ『トスカ』)
ルイゾッティ指揮/ディミトリウ、ブルゾン、成田共演/東京交響楽団、藤原歌劇団合唱部&東京少年少女合唱隊/2004年録音
>これはサントリー・ホール・オペラの記録をNHKが放映したもので、残念ながら調べてみるかぎり販売等はされていないようです。かくいう私も随分前に観た記憶を頼りに書いているのですが、ここでのシコフは凄かった!いや、シコフって凄いテノールだと思ったのはこれ(と、サッバッティーニと今は亡きラ=スコーラの3人がルイゾッティの指揮でやったガラコン)がきっかけだったのです。めいっぱいのテンポでめいっぱい歌う、或意味昔ながらのやややり過ぎのオペラ歌手的な歌だったという声もネットでは散見され、それはそれで納得もするんですけれども、こういうちょっとやりすぎ感のある歌の方がプッチーニは栄えるし、何より彼の入魂ぶりが伝わってきた点を個人的には評価したいです。カヴァラドッシとしては藝術家肌でちょっと小うるさい感じの印象でしたが、政治的活動もしている画家ということを思うとこういうのもありかな、と。“星は光りぬ”は絶唱です。ブルゾンは既にかなりいい歳だったはずなのに、そんなことは微塵も感じさせない若々しさと押し出しのある声で強く印象に残っていますし、ルイゾッティの音楽もホットなものでした。残念ながら当時売り出し中だったディミトリウはあまり記憶に残っていません^^;

・ホフマン(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)
カンブルラン指揮/セッラ、プロウライト、ノーマン、ファン=ダム、マレー、ティアー、タイヨン、リドル共演/ブリュッセル王立モネ劇場管弦楽団&合唱団/1986年録音
>これもまた彼最大の当たり役。エレアザールもそうですけどこういう複雑な設定の、屈曲した役柄は彼はうまいなあと思わず溜息が漏れます。ちょっとしょぼくれて根暗で、はっきり言ってしまえばダサくてしかも躁鬱気味なんだけど、その芯の部分には確かな芸術の煌めきがあって、情熱的な火が燃えて人を惹きつけてやまない、そんなキャラクターを地で言ってしまうところがあるのが、凄いところだと思います(や、ご本人はお洒落そうだけどね笑)。ホフマンと言えばアラーニャも繊細さと奔放さを兼ね備えた名唱を遺していますが、彼がどちらかと言えば天然っぽいと言うか、本能の赴くままに生きる詩人像みたいなものを作っているのとは対照的に、シコフのそれは理窟を捏ねくり返して悶々と自分の世界の中で格闘しているように感じられます。この方向での役作りとしてはベストなんじゃないかなあ、ことばの扱いも丁寧で、声も多分一番脂が乗っていた時期だし。指揮と共演は多少凸凹がありますが、全体には上々。良い方として4悪役のファン=ダムのいつもながら上品な風格ある歌(ここでは補遺でダイヤの歌も歌っている)と、リラックスした高音と転がしの魅力的なセッラを挙げておきます。

・ドン・ジョゼ(G.ビゼー『カルメン』)
小澤指揮/ノーマン、エステス、フレーニ、ラフォン共演/仏国立管弦楽団、仏放送合唱団&仏放送少年合唱団/1988年録音
>シコフは仏ものが得意とは言えこの役は合うのか?と思いながら聴き始めましたがとんでもない、個人的にはこの録音の最大の聴きどころになっていると思います。やや頭の弱そうな感じのするジョゼと言う役とインテリのシコフが折り合いが悪そうに一見思われるのですが、知的ではあるんだけどちょっと不安定な面のある真面目な兵士の人生が、カルメンの登場によって転落していくと見たときに、彼の堕ちた男っぷりが、これ以上はないと言うぐらい様になっているのです。序盤から哭きがかなり入るのですが、ここに既に狂気の萌芽が垣間見えるのもまたお見事だし、一方で逆に花の歌は淡々と歌っていてバランス感覚の良さを思わせます。小澤の指揮はこの演目にしてはスッキリしていますが清潔感があってこれはこれで好み。フレーニは歳をとってはいますが流石の藝、エステスは声は立派なもののエスカミーリョにはもうちょっとエレガンスが欲しい。ノーマンは嫌いではないのですが、ここでの歌唱にはくどさを感じてあまり好きになれません。

・マントヴァ公爵(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
シノーポリ指揮/ブルゾン、グルベロヴァー、ロイド、B.ファスベンダー、リドル共演/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団/1984年録音
>ヴェルディ向きではないと思うのに何故かヴェルディの録音の多いシコフですが、この演奏は如何にもなヴェルディらしさと無縁であるためか非常に彼の個性がうまく活かされたものになっているように思います。慣例のカデンツァや高音が全てカットされて本来の楽譜通りに歌うことは、特にこの演目でのテノールにとっては普通に考えれば大きなマイナスになりそうなものですが、ここでの彼の歌は強く印象に残ります。本来公爵に充てられた歌の比重がわかると言いますか。一例を挙げるなら“女心の歌”が如何にちょっとした、軽い存在、あくまで公爵の人の浅さを伝えるためだけのBGMといいますか装置のような形で用意されたものかがよくわかるところなど。しかしこれを十分に伝えきるのは、偏に彼の歌がしっかりしているからでしょう(下手な歌手だったら単に面白くないだけになってしまう)。また、彼の声の響きで尚且つドラマティックに歌われることで、この役の暴君的な要素やこの演目の悲劇的な色調が際立っていると言う意味でも興味深い音盤です。シノーポリはミクロに作っていくタイプの人なので失敗する時は結構残念な出来になるのですが、ここではそれが功を奏しています。そしてまたしてもブルゾン!端整な歌で朴訥な表現ながら、そこから哀れな道化の悲劇を惹き出してしまう歌唱には頭が下がります。グルベロヴァー以下この演目向き、ヴェルディ向きではない人たちが並んでいますが、いずれもシノーポリの方針に合致していて、手垢を剥いだスッキリとした演奏として楽しむことができます。

・マクダフ(G.F.F.ヴェルディ『マクベス』)
ムーティ指揮/ブルゾン、スコット、ロイド、ティアー共演/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団/1981年録音
>ヴェルディはそんなにと言いながらもういっちょヴェルディを(だって録音多いんだもーん笑)これはこの作品の隠れた超名盤の一つだと思っていて、それぞれの役がまさにイメージどおりの歌を聴かせて呉れるお宝盤です^^シコフはここでは、やや哭き過ぎなきらいがこの役では感じられるのですが、それでも彼らしい暗色のドラマティックな響きは悲劇の人マクダフにピッタリ来ます。マルコムと決起を誓う場面で勇壮では、まあ言ってしまえばノーテンキな音楽とは裏腹に、マクダフ自身の心には哀しみが宿っていることを感じさせてくれます。強烈過ぎるスコットに堅実に歌いながらマクベスをしっかり造形するブルゾン、不吉な空気を纏うロイドに、マルコムには勿体ないぐらいのティアーが入って、この時期のムーティの血気盛んな音楽。『マクベス』ファンなら聴いておきたいところです。

・ウェルテル(J.E.F.マスネー『ウェルテル』)
詳細不明
>これは全曲聴いていなくて、アリア集「LIVE」に入っていたもの。しかしこれも確実に彼の似合う役ですね(笑)詩人そのものでこそありませんが、ウェルテルは繊細でナイーヴな心の持ち主であり、詩を読んで想いを吐露する文学青年。実質的には詩人と言ってしまってもいいかもしれません。アリアの悲痛な表現は実に見事で、アラーニャとは別のウェルテル像を打ち立てていることが、全曲を聴かなくてもひしひしと感じられます。このアリア集、シコフの様々な歌の魅力を楽しむことができるものであり、おススメです^^
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第九十夜/ああ、何故、何故死は~

どうにかこうにかよろめきまどいつようやっとここまでやって参りました。
今回も切り番回ですので恒例の楽器を聴く大会!な訳ですが、だいぶこのシリーズも進んで参りまして、え、もうそんっなに手数ない?!弦とか、いまいち聴き分けられてない?!やばい?!などと思いつつ(^^;
ひとまず今回も金管楽器です。

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見た目の美しさから意外といろいろなところでデザインに使われているホルン(フレンチ・ホルン)が今回の主役!かたつむりのような愛らしい見た目と角笛のような勇壮な音が印象的な金管楽器です^^
そう、この楽器のテーマは「角笛」でしょう。

・ジークフリートの角笛の主題(R.ヴァーグナー『ニーベルンクの指環』)

角笛、とくればこのジークフリートの主題がやはり印象に残ります。ロマンチックなゲルマン神話の世界で英雄の訪れを示すファンファーレは、もちろん煌びやかなトランペットによって奏でられることもありますが、ホルンのふくよかな音こそ相応しい。凛々しく逞しい英雄の姿を想像させる、威風堂々たる旋律です。角笛は、日本で言えばさしづめ合戦前の法螺貝のようなイメージでしょうか。オペラの中でのホルンはその角笛を思わせる音色から、狩りや戦争の場面と関係して出てくることの多い楽器です。ヴァーグナーの大作『ニーベルンクの指環』ではさまざまな戦いや戦士が出てくるためか、ホルンの奏でる主題はこのジークフリートの角笛以外にもかなりたくさん登場します。このジークフリートの角笛と並びとりわけ有名なのは、コッポラの映画でも使われた“ヴァルキューレの騎行“でしょう。弦の描く荒れる黒雲をバックに、天馬に跨った戦の女神ヴァルキューレたちの登場と行進を勇壮に、轟然と表現するホルンのカッコいいこと!いい演奏だとこのあたりでヴァーグナーの毒に当てられる訳です(笑)

・5幕版第1幕前奏(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)

この作品は版の問題がややこしく、1幕が版によって変わってくる訳ですが、ここでは5幕版。前奏と言っても独立したナンバーというよりは開幕の合唱にそのまま繋がっていく訳ですが、その冒頭部分こそまさにホルンが狩りの音楽を表現しているところ。上記の“ヴァルキューレの騎行”でもそうですが、ホルンは1本での活躍よりも1stから4thまでの4本が揃ったアンサンブルに魅力のある所であり、この部分は正にそうした魅力に満ちていると言えます。ちなみに4幕版の第1幕前奏も頭からホルンが重要な主題を奏でますが、こちらは狩りの場面の音楽ではなく、後述するような史悲劇の始まりを告げる荘厳で幽玄とした音楽。低弦やティンパニの仄暗く不穏な世界の中でホルンが浮きたちます。ここでもアンサンブルの力が発揮されるところです。

・レオノーレのアリア“悪漢よ、何処へ急ぐ”(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)

ファゴットのところでも出てきたレオノーレのアリア、ホルンも大活躍です!といいますか、改訂後『フィデリオ』として知られる作品ではファゴットの超絶なヴィルトゥオーゾはカットされているので、むしろホルンの活躍がメインに来ていると言うべきでしょうね^^;フィデリオという仮面を被った英雄的なレオノーレの心の強さと女性的なやわらかみ、しなやかさを引き出すのに、この楽器が一役買っているように感じます。前半のゆったりと絡んでいく部分もとびきり素敵な音楽だと思いますが、やはり後半の鬨の声のように決然としたファンファーレ以降がカッコいい!面目躍如たる部分と言えるでしょう。

・序曲(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)

ホルンはまたそのゆったりとした響きから、スケールの大きな旋律をたっぷりと歌うことにも長けた楽器だと言えるようにも思います。悠然とした大河の流れや、荘重な大伽藍、それに壮大な歴史劇の世界。こうしたものを描く名曲はオペラの中にもたくさんあるのですが、個人的なお気に入りはこれ。かなり後年になって作曲された4分程度のもので、このトルストイ原作の大作の序曲としては短いかなと思って聴きだすのですが、雄渾でどっしりとした音楽で聴き終わってなるほどここから始まるのねと得心のいく音楽。格調高いファンファーレも、作品の中でも繰り返し登場する露国の主題もホルンがリードしていきますが、この安定感はあの恰幅のいい音色以外には考えられないでしょう。

・ミカエラのアリア“何を恐れることがありましょう”(G.ビゼー『カルメン』)

一転、もちろんより内面的な世界を引き出している場面もあります。このアリアの前奏部分はそうした例のひとつと言っていいでしょう。ホルンの輪郭の淡い音がアンサンブルすることによって曖昧で複雑な色合いの入り混じった心の世界が伝わってきます。アリアに入るまでの音楽だけでミカエラがことばとは裏腹に非常に悩み、解けない蟠りを抱えているのがよくわかるのです(そしてだからこそ中盤での決然とした旋律が活きてきます)。また、その優しい音色からは穏やかな夜の風景が浮かび上がるようです。そういう意味では心象のみならず情景も表していると言ってもいいのかもしれません。ビゼーの手腕の良くわかる部分ですね^^

・前奏曲(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)

何だか前奏や序曲ばっかりになってしまっていますが^^;ここではまた全く違う表現がなされています。ホルンは冒頭一発目から生命力に満ち溢れた咆哮をし、弦楽器がうっとりとしてそれを追いかけます。そこからは諸々の楽器が複雑に絡み合い、度々ホルンがまた咆えて……と続いていく訳ですが、この前奏曲が終わって幕が開くとすぐ元帥夫人とオクタヴィアンの朝のベッドの場面。つまりは、そういうことです。この曲は数多のクラシック音楽でも最も官能的な世界が展開されるものとして知られていますが、そこにホルンが大きく貢献していることは、一度耳にすれば疑いようもないことです。R.シュトラウスは『アラベラ』の第3幕への前奏曲でも同じようなエロティックな音楽を書いています。

・エドアルド・ロペスのアリア“ああ、何故、何故死は”(G.ロッシーニ『シャブランのマティルデ』)

さて、いろいろな楽曲をご紹介してきましたが、ジークフリートの角笛を除くとここまでは殆どホルン・パートとしての活躍が聴けるものでした。ホルンと言う楽器はコントロールが難しいのだそうで、細かい動きとかはかなりしんどいし、ヴィルトゥオーゾ的な作品はないのかなとついつい思ってしまいますが、流石はロッシーニ、凄いのを書いています(笑)超絶技巧的なソロでメゾと絡み、第2の主役として八面六臂の活躍をしています。かつて一度だけヴェッセリーナ・カサロヴァのリサイタルでこの曲の実演に触れましたが、その高度な技巧に或いは歌以上の喝采が贈られていたのをよく覚えています(このときはカサロヴァも実に良かったですが^^)。もちろん、以前ご紹介したフルートの活躍するシドニー卿のアリア(同『ランスへの旅』)やクラリネットの活躍するロドリーゴのアリア(同『オテロ』)同様、単に超絶技巧と言うのみならず、それがエドアルドと言うキャラクターの煩悶や気持ちの昂ぶりと言ったところにリンクしているのがロッシーニの手腕の特筆すべきところ。ちなみにこの曲は初演では1stホルンが急病のため、上演が危ぶまれたとか(そりゃあここまで書いてあったらそうだ^^;)この急場を救ったのはパガニーニ。同じく倒れた指揮者兼コンマスの代わりに弾き振りし、ホルン・ソロまでヴィオラで代演したと言うのだからとんでもない話です。尤も、ヴィオラとホルンでは大分音楽のイメージが変わってしまったとは思われますが。

さてさてこんなところで今回の切り番回もおしまい。
次回は用意していると言いながらご紹介が遅れていた人にしたいと思います^^
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