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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

菖蒲

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菖蒲
Ayame

今回も日本画を意識したシリーズ。
櫻枝で春を描いたのに続き、今回は夏の花としてハナショウブを主題にしました。

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ディテールです。銘が曲がっちゃった^^;

夏の花もいろいろな候補はあったのですが、初夏に久々に訪れた堀切菖蒲園で色とりどり様々な品種の菖蒲に感動したことに加え、根津美術館で光琳の「燕子花図屏風」を観たこともあって、こうなりました。
元々は横長の画面の中に収めるつもりだったのですが、菖蒲園の広がりを表現するのに画面を飛び出したくなって、こんな形に。やや邪道かな?

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ディテール残り半分。

葉は賢治の連作のうちのひとつ『グスコーブドリの伝記』を転用しています。ただ、花や画面のバランスに対して、長さはともかくもう少し細かった方が良かったかもと思っています。ややうるさめだなあと^^;

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花の部分は古典の名作「菖蒲」を底に置きながら、もう少し違うことをしたいと工夫しました。実際のハナショウブは形のバリエーションもかなりあるのですが、それをやると限られた画面の中では統一感がなくなってしまう気がしたので、形は2つに。

ひとつがこちらで、現在よく見られるゴージャスに花弁が広がった品種を意識しました。詳しくはわからないのですが、伝承の菖蒲を思い出すとこういうかたちの品種は江戸時代にはあまり無かったのかもしれないな、などと思ったり。

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もうひとつはほぼ伝承どおりなのですが、実物を観ると花弁が根元のところでぐっと細くくびれていることや、上方向に伸びている花弁の背が高いことなどを意識して少し手を加えました。

いずれの花も本当は上の写真のように、実際の花と同じように3枚になるようにして当初作っていたのですが、最終的に画面に貼ることを考えた際に、4枚作って1ヶ所を糊代に使う方が合理的だなと思い、今回は却下。
立体の作品を作るときに使っていきたいと考えています。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第九十四夜/再興の立役者~

再び女声に戻ります。
訃報によりヴィッカーズを挟みましたが、露国シリーズで重量級が続いたこともあり、スウェンソンに続き軽量級の女声歌手をご紹介したいと考えていたのでした。軽やかな音楽と言えばやはりロッシーニ!と言うことで、彼の曲を得意とした女声歌手を。

当シリーズ、ロッシーニ歌手の登場頻度が少ないように思っていたのですが、振り返ってみるとホーン、ベルガンサ、ラーモア、バルトリ、ガランチャと、女声は結構出てきてるんですね。今日の主人公は、彼女たちに較べると何故だか録音も少なく、今では地味な存在になってしまっているものの、ホーンとベルガンサの後、所謂ロッシーニ・ルネサンスの時期で重要な活躍をした名メゾ・ソプラノ歌手です。

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Malcolm Groeme

ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニ
(Lucia Valentini-Terrani)
1946~1998
Alto, Mezzo Soprano
Italy

1970年代後半から1980年代のロッシーニは、彼女抜きには考えられないと言っても過言ではないでしょう。それぐらいの活躍ぶり、まさに破竹の勢いだったと言えるのではないかと。この時期の録音ではバルツァがメゾのパートを受け持っているものも一定数ありますが、やはりよりドラマティックな演目を本領としていた彼女だとちょっと重たい。充分な深い響きを持ちつつも、軽やかですっきりとした歌い口で、しかも超絶技巧をこなせた彼女は、なるべくしてロッシーニ復興の旗手になった感があります。

とは言いつつも、一方で彼女はまた80年代後半ごろからより重たい役柄、具体的に言えばヴェルディに挑んで行こうとしたような節が垣間見えます。が、こちらではなかなか大成しませんでした。現在ならいざ知らず、まだそれこそバルツァは絶好調、コッソットも健在という中にあっては、彼女の軽めのタッチでのヴェルディというのは受け入れられなかったのでしょう。

或いはもっと長く歌うことができたなら、彼女のヴェルディも新たな境地を開いたのかもしれません。しかし、それは永遠にわからなくなってしまいます。歌手としての脂も最も乗っていたであろう時期に白血病を発症、カレーラスと同じ病院で同様の治療を受けましたが、残念ながら51歳の若さでこの世を去りました。
或いは彼女は、ロッシーニ再興のために遣わされた人だったのかもしれません。

<演唱の魅力>
まずは天鵞絨のような質感のしっとりとした美声を取り上げねばなりますまい。私自身は未聴なのですが、ヘンデルや仏ものでも評価を得ていたのが肯ける、やわらかさと深さのある声。これまで登場している歌手と較べるのなら、ラーモアに比較的近いかもしれませんね。そういえばこのふたりはレパートリーも似ています。敢えて言うならラーモアの方がより深い声でおっとりとした歌い回しで、ヴァレンティーニ=テッラーニの方がより明るい声で鋭角的なイメージでしょうか。そのあたりの微妙な持ち味の違いは、当然ながら同じキャラクターを演じたときの人物造形の違いにも繋がってくる訳で、このあたりは聴き比べの醍醐味であります。

声質ももちろんですが、やはり彼女がロッシーニを一手に引き受けるようになったのは、その卓越したコロラテューラの技術からであるということは言を俟ちません。その転がしの軽やかで華麗なこと!彼女の歌はゴージャスなんだけれども決して仰々しくなり過ぎず、春の澄んだ川の水が流れるように全く自然に心地よく耳の中を駆け抜けて行きます。ひとつにはそれが肩肘張った技量の見せつけまで絶妙なラインで行かない趣味の良さがあるんですね。かなりヴァリアンテを入れていても私ってこんなにできるのよ!って言う感じのゴテゴテしさは感じない。言うなれば、非常にリラックスした歌なんです。でも、少し聴けばそれが並大抵のことではなくて、高度な技術と弛みない研鑽に裏打ちされたものだということは自ずとわかってきます。このあたりの、本当に凄いことをさらっとやってしまうところは、彼女の歌を聴くごとに唸らされる部分です。

もうひとつ、ちょっと中性的な雰囲気があるのも彼女の歌に独特の魅力を与えています。ロッシーニのメゾ役はヒロインだったりズボン役、即ち男役だったりでどちらの性別の人物もできる或意味で美味しい声区だと思うのですが、その中でもこの人はどちらっぽいっていうのはあって、例えばベルガンサやラーモアやバルトリは、もちろん男性役でも素晴らしいパフォーマンスを遺していますが女性的な印象。対してホーンは、ロジーナ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)なんかも歌っているものの、どちらかと言えばアルサーチェ(同『セミラミデ』)やタンクレディ(同『タンクレディ』)のイメージが強いです。ヴァレンティーニ=テッラーニの場合、それをあまり感じず、本当に中性的な不思議な雰囲気の人物を作れてしまうんです。若武者にも姫君にもすっと自然体でなってしまう。こういう役作りができる人って実は貴重で、強いて言えばあとはガランチャぐらいしか思いつきません。そしてこの不思議な空気感が、ハマると癖になります。マルコム(同『湖上の美人』)などはそれが非常に効果的に発揮された例だと言えるでしょう。

<アキレス腱>
或意味上述の長所のいくつかが、場合によっては短所になってしまうこともありうるのかなあといいますか。たぶん、そのまま彼女のヴェルディが当時受けなかったところに繋がっているような気がしています。柔らかみのある声と趣味の良過ぎる表現は時としてインパクト不足に繋がったのでしょうし、中性的な雰囲気も、例えば女の情念や或種の凄みを見せて欲しい役では押しの弱さに感じられてしまうのかなとも。或いは爽やかに心地よく耳を通り過ぎて行く彼女の歌は、「人の心に衝撃を与え、動かすものでなければ音楽ではない、BGMに過ぎない」と思ってらっしゃる真面目な音楽ファンの方々にとっては、味気ない代物に聴こえるのやもしれません。
実力もあるし、決して地味な人ではないのですが。

<音源紹介>
・マルコム・グレーム(G.ロッシーニ『湖上の美人』)
ポリーニ指揮/リッチャレッリ、ゴンザレス、ラッファンティ、レイミー共演/ ヨーロッパ室内管弦楽団&プラハ・コーロ・フィラモニカ/1983年録音
>超有名演目でこそありませんが、彼女の独特の魅力を一番楽しめる1枚ではないかと思います。ロッシーニの秘曲の名盤でもあり、ピアニストのポリーニがタクトを取っていることでも興味深いものです。ここでの彼女の歌唱は、本作のヒーローである重要な役どころマルコムの真価を伝えているといっていいでしょう。彼女の例の中性的な雰囲気が、やはりこういう男役を演じるととても効果的で、或意味で宝塚的/リボンの騎士的な魅力を楽しむことができます。もちろん、いつもどおりコロラテューラは正確ですし、歌にもうまみがあります。この演目に限りませんが、リッチャレッリとの声の相性がいいのもまた嬉しいところです。男声陣3人も当時としては納得のメンバーでしょう(テノールはいまではより達者な人たちがいる訳ですが)。作品を知る上で、特にマルコム役を知る上では欠かせないものかと。

・メリベーア侯爵夫人(G.ロッシーニ『ランスへの旅』)
アバド指揮/ガズディア、クベッリ、リッチャレッリ、アライサ、E.ヒメネス、ヌッチ、ダーラ、レイミー、R.ライモンディ、スルヤン、ガヴァッツィ、マッテウッツィ共演/ヨーロッパ室内管弦楽団&プラハ・フィルハーモニー合唱団/1984年録音
>不滅の名盤。アバドが最も拘ったロッシーニの作品と言ってもいいかもしれない本作の、現代蘇演です。目も眩むばかりの素晴らしいメンバーに、我らがVTも加わっています。話の中身があまり無い演目とは言え、テノールとバリトンから言い寄られているという美味しい役どころで、ここではあの中性的な感じが何とも言えない色気になって役柄を引き立てています。一番の見せ場はやはり素敵すぎる二枚目のアライサとの重唱でしょう。パワーと張りもありながらやわらかなアライサに深みと転がしのテクニックで応酬するこの場面は聴いていて心が躍ります。また、本作最大の聴かせどころである14声大コンチェルタートでもしっかり活躍しています。絶対の自信を持つアバドが率いるこの無敵艦隊に、死角はありません(笑)全てのオペラファン必携の音盤です。メンバーの若干違う別録音も素晴らしいのでおススメ。こちらもアライサの変わりに登板したマッテウッツィのハイFが飛び出すなど聴きどころ満載です。

・ロジーナ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
アバド指揮/アライサ、ヌッチ、ダーラ、フルラネット共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1981年録音
>これもまた不滅の名盤。何度かすでに登場している伝説のNHKホールの演奏です正規盤で早く出して欲しいものです。VTはここではまた打って変わって戀する乙女を演じている訳ですが、これまたただの可愛いお嬢さんとは一味違った仕上がりになっています。あの深い声と切れ味のいい転がしとが合わさって、或種独特のスゴみを生みだしていると言いますか笑。有名なアリアの後半の「裏切ったら蛇になって……」からの部分に異様な説得力がありますがw、かと言ってそれが怖くなり過ぎず、軽やかで爽やかな空気を未だ保っているのが彼女の差配の見事なところ。繰返しになりますが指揮も共演も大変見事で、音だけ聴いていても抱腹絶倒もの。セビリャのひとつの金字塔だと思っています。

・アンジェリーナ(G.ロッシーニ『チェネレントラ』)
フェッロ指揮/アライサ、ダーラ、トリマルキ、コルベッリ共演/カペラ・コロニエンシス&西ドイツ放送合唱団/1980年録音
>名盤の多いこの演目、主役3人をとればこの演奏もまた忘れられません。ロジーナでは才気煥発で怖いぐらいのところも垣間見せた彼女も、このシンデレラではぐっと抑えた淑やかなレディぶりがぐっときます。まさにエレガントと言うことばが相応しいでしょう。全体に比較的色調が穏やかでまろやかな音楽づくりの演奏なのですが、それが彼女の持ち味に合致していると思います。ここでも相手方のアライサ、いくつかある録音の中ではこれが一番活き活きした王子で◎ダーラもオモシロ要員としての仕事をしっかりとしていて好ましいですが、シャイー盤の方がぶっ飛んでいて個人的には好きです。この演目でドン・マニフィコ、ダンディーニのみならずアリドーロまで演じた歌手はコルベッリ1人ではないでしょうか。そういう意味では非常に興味深いところですが、この役はもっとしっかりとしたバスが演じる方がスリリングですね。彼はこの中ではダンディーニに一番向いていると思います。

・タンクレディ(G.ロッシーニ『タンクレディ』)
・アルサーチェ(G.ロッシーニ『セミラミデ』)
ゼッダ指揮/トリノ伊国放送交響楽団/1980-81年録音
>彼女の正規のアリア集としては恐らく唯一のものだと思われます。その上指揮は神様ゼッダ!そんなに多くの曲が収められこそいないものの、ロッシーニの魅力満載の1枚となっています。もちろん女性の役柄でもいつもながら聴き応えのある歌唱ですが、ここでは何度も繰り返している彼女の中性的な雰囲気を味わえるこの2つの役柄を。タンクレディは英雄のイメージがあるので、ホーンやカサロヴァと言った女傑系のメゾの如何にも強そうな歌声をつい思い出しますが、宝塚っぽいすらりとした優男を思わせるVTもまた独自の路線を打ち立てています。そういう意味ではアルサーチェは全くイメージどおりのもの!彼女の正規のこの役柄の全曲録音がないのは非常に残念です。大変素晴らしい全曲録音を遺しているホーンとラーモアを凌ぐものに、或いはなり得たのではないかと強く感じます。

・フェネーナ(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』)
シノーポリ指揮/カプッチッリ、ディミトローヴァ、ネステレンコ、ドミンゴ、ポップ共演/ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団&合唱団/1982年録音
>ヴェルディも1つだけ。シノーポリの指揮の下、強力なメンバーによる火を噴くヴェルディが展開されていますが、そんな中であの有名な合唱“行け、我が想いよ金色の翼に乗って”とともに彼女の祈りの歌が一服の安定剤として非常に効いています。こうして装飾の少ないストレートな旋律を歌うと、また一段と彼女の歌のうまさも感じられます。こっちの路線でももっと録音を遺して欲しかったなあ。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第九十三夜/苦悩する勇者~

女声を続けるつもりだったのですが、またしても名歌手の訃報。
この人も独特の英雄的な雰囲気があって好きだったのですが……残念です。

JonVickers.jpg
Samson

ジョン・ヴィッカーズ
(Jon Vickers)
1926~2006
Tenor
Canada

好きなテノールと言いながら、お恥ずかしながら彼についても一部のレパートリーしか聴くことができておらず……特にヴァーグナーやブリテン、それにオテロ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』)あたりを視聴できていないのに記事にするのは些か気が引けるところもあるのですが、まあFDやオブラスツォヴァの時もそうだったように少しずつ追記します。

ファンの方にとっては、これらの役を除いてどんなイメージ持ってるのよ?というところかと思います。僕にとっては、仏ものドラマティック系の人という印象が一番強いです。信仰心が非常に厚く、舞台についても宗教的な独自の考え方を持っていたようです。タンホイザー(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』)は宗教的信条に合わないという理由で歌わなかったそうですし。自分の長丁場の最中に咳をした観客を怒鳴りつけたという有名な逸話もあります。結構つきあいづらい人だったんでしょうね^^;

ただ一方でそういう人ですから物凄く真面目に真摯に音楽に向き合った人だということも言えます。で、そのやや常軌を逸したような生真面目さが確かに歌唱からも感じられます。こうした雰囲気が合うのはやはり悲劇。そして彼の持ち声そのものもまた、そうしたオーラに相応しい、悲劇的な色彩を帯びているのです。彼ぐらい悲劇的な声と言うと……声区こそ違いますが、ボリス・クリストフぐらいかもしれません。それぐらい、或種異様な雰囲気を纏っています。でも、それがカッコイイ!

ちなみに、私もよく間違うのですが、彼のファーストネームは“John”ではなく“Jon”です。本名が“Jonathan”なので、その略なのだとか。

<演唱の魅力>
はっきり言ってしまいましょう、ファンには怒られるかもしれませんがこのひとは美声ではないと思います。むしろ独特のアクやクセを感じるしわがれた声。だからあんまり声の美しさや優美な旋律を聴かせることで勝負するタイプの役柄には向いておらず、実際あまり歌っていません(まあポリオーネ(V.ベッリーニ『ノルマ』)みたいな例外もあるようですが、あの役は重たい声で勝負するものとされていた時期があるので、同じ土俵には置きづらいでしょう)。一方で非常にタフでパワフル。確かにヴァーグナーの諸役を得意としたのもわかる強烈な馬力があります。とはいえ彼が所謂典型的なヘルデン・テノールかと言われると、ヴァーグナーをあまり聴かない自分も若干の違和感を覚えます。ドラマティックで力強い声は確かに如何にもヴァーグナーなのですが、そんなに独的な匂いがしないと言いますか。その暗いくすんだ声と求道者のような歌い口もなんとなく違うように思えます。彼の声はあまりにも苦悩が深く、神性を帯びたヘルデンと言うには余りにも人間的過ぎるような気がするのです。もちろん、そのイメージがむしろ合う役もあるでしょうが(似合いそうな気がしてちらっと聴いたジークムント(R.ヴァーグナー『ニーベルンクの指環』)は予想通りバッチリでした笑。まだ聴けていませんが、これは全曲を探さねば)。
力強い声だからこそ勇者や英雄と言ったイメージが来る一方で、その言ってしまえば汚い声からは深い深い憂悶や苦痛を、人間の心の苦しみを感じさせる。ヴィッカーズはそういう歌手です。ロックやポップスなど他のジャンルのみならず、オペラに於いても、美声であることばかりが音楽をよいものにする訳ではなく、悪声であるからこそむしろ感動的な歌を歌うことができることを示す見本のような人、とも言えるでしょう。

苦悩する勇者の登場する作品は伊独仏露を問わず沢山ありそうな気がするのですが、どういうわけだか自分が良く接してきた中では断然仏もののイメージです。特に印象に残っているのは、その圧倒的なサムソン(C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』)!この役ばかりは何としても彼の歌唱を聴いていただきたいです。仏もの以外であれば僕が聴いた中ではフロレスタン(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)が大変素晴らしかった!暗い牢獄の中で絶望し、煩悶する偉大な人物を非常にリアルに描いていて、確かに彼の救出のためなら危険を冒してレオノーレが向かうだろうなと。

この路線で実力を発揮するのですから、そりゃあオテロやジークムントがいい訳ですし、ご本人さえ認めて呉れたらタンホイザーをやって欲しかったというないものねだりをついしてしまいます。

<アキレス腱>
もう既に述べたことの繰り返しになるような気もしますが、悪声ではあるので声そのものが嫌いと言う人はいそうな気がします。また、そのごつごつとした歌い口と振り絞るような発声は効果的に響くときもありますが、やはり流麗さが欲しいところなどでは厳しい。ヴァーグナーを歌うヘルデンとしてはあまり評価していないという向きの人がいるのも、このあたりに原因があるのでしょう。
総じて、好き嫌いがかなりストレートに出る人だと言えるように思います。

<音源紹介>
・サムソン(C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』)
プレートル指揮/ゴール、ブラン、ディアコフ共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1962年録音
>不滅の名盤。何はなくともヴィッカーズと言えばサムソン、サムソンと言えばヴィッカーズだと個人的には思っています。聖書の中でも群を抜いた腕力のある英雄である一方、かなり粗暴でトホホでしかも色仕掛けで屈してしまうような一面もあり、けれどもそこから悔恨して内面的に思い悩み、神の意志を遂げるという複雑な役どころ。もちろん輝かしくて神性を帯びたテナーが有無を言わせない調子でやって呉れるのもそれはそれで痛快なのですが、ここではやはり彼の人間臭い苦悩に塗れた、汚れた声が欲しい。腕っ節の強さはあるけれども、何処かに付け入られる弱さが感じられるような、そういう歌と声を実現しているという点で行けば、やはりヴィッカーズこそが最高のサムソンだなあと思うのです。第1幕での英雄的な振舞い、第2幕でデリラに籠絡される弱さ、そして第3幕冒頭のアリアで感じられる身を切るような悔恨と、どれをとっても素晴らしい出来。そして彼に絡むデリラ役は、こちらも不世出のファム=ファタル歌手ゴール!ヴィッカーズの歌唱から感じる人間サムソンに足りないものを、ゴールのデリラは全て持っているように感じられるからこそ、その心の隙間に入り込んでいくところに説得力が増します。黒幕の大司祭を演じるブランがまたノーブルな色気のあるバリトンで堪りません。表立って描かれてはいないけれども、デリラと大司祭の関係を十二分に感じさせます。脇を〆るディアコフも重厚なバスで◎プレートルの指揮も要を得たもので、この演目を語るにあたって外せない演奏と言っていいでしょう。

・フロレスタン(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)
フォン=カラヤン指揮/デルネシュ、ケレメン、リッダーブッシュ、ドナート、ラウベンタール、ヴァン=ダム共演/BPO&ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団/1970年録音
>これも素晴らしい演奏。この作品自体は堅いだのつまらないだの言われ放題な印象がありますが、音楽そのものは聴くべきところが多いと思いますし、しかも名盤が多いのが嬉しいところであります。ヴァーグナーをちゃんと聴いていないので不用意なことは言えませんが、個人的には彼の独ものの中では一番いいんじゃないかなあと思っています。何と言っても幽閉の深い苦しみをストレートに感じさせるしわがれた声と内面的な歌いぶり!2幕冒頭で彼が歌い出した瞬間に現在起きている悲劇がどれだけ深く、苦々しいものかを感じさせる歌は特筆に値するものではないかと。捕えられた英雄の獅子吼とも言うべきキングのフロレスタンと双璧と言うべきものでしょう。歌唱陣も重厚で達者な人が揃い踏み。特に早世した洪国のケレメンの歌唱が聴けるのは嬉しいところ。
(2022.11.5追記)
フォン=カラヤン指揮/C.ルートヴィヒ、ベリー、クレッペル、ヤノヴィッツ、クメント、ヴェヒター、パスカリス、パンチェフ共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1962年録音
>スタジオ録音では内面的でブロンズのような格調高い歌を聴かせていましたが、こちらはライヴということもあってうんと生々しい演唱です。2幕からしか登場しないにもかかわらず、歌はもちろん語りの部分でもほとんど血反吐を吐かんばかり。残念ながら音声のみしか残されていませんが、フロレスタンが置かれた過酷な状況にここまで肉薄した表現はそうそうないのではないでしょうか。そしてだからこそフィナーレの歓喜の歌に華やかである以上の重たい意味が与えられていると思います。ここではルートヴィヒもまた持てる全てを賭けた歌を聴かせていて圧巻です(というかこの人よくこのテンションでずっと歌えるなあ……)。指揮や共演を含めて卓越した名演と言えるでしょう。

・ドン・ジョゼ(G.ビゼー『カルメン』)
フリューベック・デ=ブルゴス指揮/バンブリー、フレーニ、パスカリス共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団、パリ木の十字架合唱団/1969-1970年録音
>どうもあまり評価がよろしくない演奏なんですが、僕自身は大好きなカルメン!デ=ブルゴスの色彩的な音楽づくりのお蔭で非常にエキゾチックな香りの高い演奏になっていると思います。彼のジョゼに関していろいろな意見があるのは納得のいくところで、例えばカレーラスやアラーニャのような堕ちっぷりを期待すると全く違うので、抵抗がある人はいるかもしれません。ヴィッカーズは最初から最後まで或意味剛直で真面目であり続けます。しかし、ジョゼ自身は結構頑固で愚直で、それが故に非常に不器用な人物なんですよね、執着するし。と思うと彼のようなアプローチもまたありなんじゃないかなあと思ったりいする訳です。ジョゼの生真面目さや不器用さをここまで体現した歌唱もあまり無いのではないかと。しかも不器用なキャラクターを押しだしている一方で歌唱的にはかなり高度なことをやっていて、例えば花の歌の最後の高音を譜面どおりppに持って行っているのは知る限り彼とカレーラスだけ。カレーラスは繊細で神経質な役作りを更に研ぎ澄ますような印象になった訳ですが、ヴィッカーズは他が剛直なだけに却ってジョゼの脆さがぐっと見えてくると言いますか、非常に色気がある。この花の歌だけでも聴く価値のあるもの。バンブリーのカルメンは変にべたべたせずさっぱりとした小気味よさがあり、個性的ながら◎フレーニのミカエラは、この役としてこれ以上のものはないように思います。パスカリスのエスカミーリョは評判が悪かったんで期待していなかったんですが何の何の勇ましい鬪牛士で、やや粗さはあるものの悪くありません。脇役陣もgood!

・エネー(H.ベルリオーズ『トロイ人』)
デイヴィス指揮/ヴィージー、リンドホルム、グロソップ、ソワイエ共演/ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団&合唱団/1969年録音
>ベルリオーズの超大作の初の全曲録音。複雑で巨大な作品がデイヴィスの構成力のある指揮でダイナミックでありながら見通しの効く音楽になっており、その手腕に圧倒されます。どちらかというとディドーやカサンドラに焦点がありがちな演目ではありますが、全曲を通した主役としてこのエネー役は非常に活躍も多く、一方で負担の大きな役どころ。この大役をヴィッカーズは見事に果たしています。エネーはまた多くの苦悩に満ちた勇者ですから、彼がハマらない筈がない訳ですが、それでもやはりその重厚で堂々とした歌唱からは、神話世界の英雄の姿が強く感じられます。伊ものの、例えばマンリーコ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)とはまた違うのですが、或種の熱気を感じさせる馬力のあるパフォーマンスです。アリアで1ヶ所だけ声が割れるところがありますが、小さな瑕疵ですし、未だに範とするべき堂々たる演唱ではないかと。ヴィージーやリンドホルムはじめ共演陣にも恵まれています。

・ラダメス(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
ショルティ指揮/L.プライス、ゴール、メリル、トッツィ、クラバッシ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1961年録音
>またまた登場しました『アイーダ』っぽくないのに見事な演奏の『アイーダ』(笑)恐らくこれが通常の演奏っぽくない大きな理由を作り出しているのが、彼のラダメスのような気がします。確かに彼もまた堂々たる勇者ぶりではあるのですが、それが伊もので通常求められるような明るい輝きを帯びた流麗なものではないんですよね。彼らしいアクの強いくすんだ声によるがっちりとしたラダメス。これはかなり個性的ですが、聴いてみると意外とありなんです。普段おいおい大丈夫かいと思うラダメス君がむしろ憂国の士のように聴こえて来たりして(笑)共演陣もショルティの指揮もかなり個性的ですが、聴いて損のない演奏です。

・ジャゾーネ(L.ケルビーニ『メデア』)2019.2.17追記
シッパーズ指揮/カラス、トジーニ、シミオナート、ギャウロフ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1961年
>正直なところこの作品はメデアにかなり焦点を当てた描き方をしていることもあって、この役そのものの魅力がどれだけあるかというと難しいところではあります。しかし、一度愛して異国まで連れてきた女を邪険にし、王の娘と結婚しようというヒドい男のイメージにヴィッカーズの暗い音色は実によくあっているように思うのです。曲がりなりにも英雄ですからドラマティックな迫力は欲しいところで、その点でも十二分。イアソンは神話ではこのお話以前に英雄としての活躍があってこのメデアのくだりでなんというか堕落してしまうようなイメージがあるのですが、彼の“悪声”はそういった作品の背景事情までも感じさせるようです。とりわけカラスとの重唱の部分はお互い負けず劣らずで吠えあっていてグッと惹き込まれます。カラスが全盛でないのは惜しいもののそれでも強力な隈取の演唱はお見事ですし、指揮や共演までよくメンバーの揃った音盤と思います。

・ネロ(C.モンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』)2020.8.21追記
ルーデル指揮/G.ジョーンズ、ギャウロフ、C.ルートヴィヒ、スティルウェル、マスターソン、タイヨン、セネシャル 、ビュルル共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1978年録音
>今だったらこんな風には絶対演奏しないであろう、ドラマティックなキャストによる“古色蒼然”たる映像です……が、えも言われぬ魅力があります。主役のネロからして本来ならカウンターテナーやメゾが歌うところを重厚な響きのヴィッカーズが歌っているのも好まない方がいらっしゃるであろうことは承知の上で、それでも彼がすごい。彼は比較的真面目な歌のイメージだったんですが、これは大怪演です。何度かあるポッペアとのロマンティックな重唱は、こちらも重量級のジョーンズとともにエロティシズムを感じさせる歌でモンテヴェルディのモダンさを顕にしています。が、それ以上にドゥルジッラをひったてる時やセネカと口論になる時のヒステリックさですとか、セネカの死後に廷臣と酒を呑んで乱痴気騒ぎをする場面でのどこか病んでいるとしか思えない異常な陽気さのインパクトは凄まじいものがあります。まさに「怪気炎」と呼ぶべきもので、ちょっとこれと同じようなカタルシスを与えてくれるネロは想像がつきません。サムソンやフロレスタンのイメージが強い人にこそ観ていただきたい映像でしょう。

・ポリオーネ(V.ベッリーニ『ノルマ』)2021.3.17追記
パタネ指揮/カバリエ、ヴィージー、フェリン共演/トリノ王立管弦楽団&合唱団/1974年録音
>或る意味で“悪声”の歌手の代表例のような、しかも重量級の声のヴィッカーズがどのようにこの役を歌うのか、吉と出るのか凶と出るのかが気になっていましたが、パタネがドラマティックな音楽を作っていることもあって意外にもかなりハマっています。登場のアリアからして結構カットしていますし、慣例的に入れる高い音も端折っていますが、これだけ暗い声でパワフルに歌われると独特の凄みがあり、身勝手な大国の軍人をリアルな存在にしています。全曲の白眉というべきは2幕のカバリエとの重唱です。意外とサラッと聴き流せてしまう演奏も多いのですが、ここでは持ち声に力のある歌手がまさに激突していて、グッと惹き込まれる凄い歌。全体に重たい演奏ですが、カバリエはもちろん共演も優秀です。
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