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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

開幕3周年!!!

さて、何だか最近始めたつもりでいましたが、早3周年です!(今年は忘れなかった)

今日までに記事は309件、来場者数は20824名でした。

場末blogですが、今後ともどうぞ生暖かい目で見守ってくださいませ!
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思ったこと。とか | コメント:0 | トラックバック:0 |

オペラなひと♪千夜一夜 ~第九十七夜/公演の隠し味~

前回も言ったとおり、4回に亘って脇役をご紹介していこうと思っております。
本日は2回目。前回は男声だったんで、今回は女声。

StefaniaMalagu.jpg
Alice (Meyerbeer)

ステファニア・マラグー
(Stefania Malagù)
1932~1989
Mezzo Soprano
Italy

女声の脇役は男声の脇役に較べると比較的パートに拘りがないところがあって、ソプラノの人がメゾの役やったり逆もまたあったりなかなか悩むところ。この人の場合も「ソプラノ」とされていることも結構あるものの、まあ声質からいくとメゾかなと思います。

脇役歌手のご多分に漏れず、彼女もかなり広大なレパートリーを誇り、特にある時期の伊系のレパートリーではアンナ・ディ=スタジオと並びかなりよくお目にかかる人です。大きく扱われない小さい役でいくつも出ているので、ディスコグラフィーが調べづらいったら^^;複数の録音が多く残っていて手に入りやすいところでは、フローラ(G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)やベルタ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)あたりが挙げられます。いずれも必ずしも歌うところの多くない役ではありますが、フローラはあらすじ上軽んじられない役柄ですし、ベルタにしてもちょっとエクストリームな主人公たちを横目で見ながら観客に寄り添う役割を鑑みれば、適当な人を宛がうと興を殺ぎかねないところ。こうしたところで隠し味的、品のいいスパイス的に良い仕事をして呉れる人なんですよね、だからこそ多くの録音で起用されています。

あまり写真が出てこないのですが整った顔立ちの一方で、ベルタでの映像などを観ると老け役的なメイクをしても自然に見えます。若い召使から老婆まで様々な役柄で違和感なく馴染めるというのは、歌でも視覚でもハードルの高いところですし、そういう意味でも重宝されたのではないかと思います。

<演唱の魅力>
どんなに僕が頑張ってバスやバリトンの魅力を説こうと、オペラの花形が女声であることは覆りません。多くの演目でヒロインたるソプラノが、ロッシーニなどではメゾが舞台の中心を担っていく訳です。逆にそうだからこそだと思うのですが、女声の脇役と言うのは活躍の場が男声の脇役に較べると際立ちにくいところがあります。前回のヴィンコのオススメ録音の一覧などをご覧いただければわかるとおり、バスなどではあらすじ上そんなに大事ではない役でもアリアや見せ場がついていたりする。一方で女声はどうか。ロッシーニやドニゼッティの時代の作品の息抜きとしてのシャーベット・アリアを歌う役としてはソプラノやメゾが登場することは少なくないにしても、一般にはあまり目立たない。フローラやスズキ(G.プッチーニ『蝶々夫人』)やメルセデス(G.ビゼー『カルメン』)は大事な役であっても歌の見せ所はあまり無い訳です。だってそんな見せ場があったら、プリマ・ドンナの印象と被りかねないですから。だから、割とこの分野の人たちは不遇と言いますか話題になりづらい。でも、そういうパートでも適当にまあ歌えるひとを配しておけばいいというのはやはりちょっと違っていて、その道のプロの人が歌うことでだいぶ役自体の印象が変わってくるし、ひいてはその舞台の印象が変わってくることもあるのです。

そういった意味で行けばマラグーと言う人は実に柔軟に物語の世界を膨らませることのできる歌手だと言っていいのではないかと思います。例えばアバドのライヴでのマルチェリーナ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)では、比較的声質も近いベルガンサが爽やかな少年然としたケルビーノを演じているのに対し、はっきりとオバサンと言う感じの年増らしさを出しています。それも年増は年増なんだけど醜い老婆と言う感じではなく、女性としての魅力はまだもっているというような、この役にちょうどふさわしいぐらいの年齢感を絶妙に醸すのです。ベルタを演じているときはそれよりも更に歳の行った印象になるし、逆にフローラなどを演じる時にはそうしたオバサン感はむしろおくびにも出さず、ヴィオレッタの同業者、友人である華やかで艶めかしい普通の高級娼婦(つまりヴィオレッタのような悩みを抱えない人物)として、主人公たるヴィオレッタというキャラクターを目立たせるのに一役買っています。
そう、言ってしまえばオペラの主人公たちと言うのは、オペラの世界の中でのちょっと異常な人たちなんです。考え方が普通と違ったり境遇が普通と違ったり、その要素はいろいろありますが、ちょっと以上だからこそ主人公になり得るんです。で、脇役と言うのはそれに対し物語世界の中での「普通」を提示することにひとつ大きな意味がある。この世界の中での「普通」がこうだからこそ、主人公は悩み苦しむんですよと観客に納得させるんです。そういう意味でいくと、マラグーはどんな役柄でも実に自然にその「普通」を私たち聴衆の前に用意して見せます。これが不自然だと、一気に公演の作りもの感が増してしまうところを絶妙な塩梅で演じ、舞台を立体的にしていくんです。主役の素材を引き立てるのに、まさにこれ以上はない隠し味であり、多くの録音での起用はその証左と言うことができるのかもしれません。

<アキレス腱>
どんな脇役でも本当に器用に創りあげて行きますし、あまり上述しませんでしたが実際のところ歌もかなりうまく、聴かせどころのある準主役級の役を演じても納得させてしまう実力もあるので、そこまで不満を感じることは殆どないと言っていいでしょう。
敢えて言うのであれば、派手さはやはりないので例えばマッダレーナ(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)みたいな役をやったときには、もう一声パンチが欲しい気はします。

<音源紹介>
・フローラ・ベルヴォア(G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)
クライバー指揮/コトルバシュ、ドミンゴ、ミルンズ共演/バイエルン国立管弦楽団&合唱団/1976-1977年録音
>クライバーの指揮に痺れる1枚。フローラはヴィオレッタの友人の高級娼婦で、歌う場面こそ少ないものの、2幕後半の夜会の主であり、ヴィオレッタとの対比でも重要になった来る役どころです。マラグーにとってはそれなりに年齢が行ってからの録音ではありますが決して姥桜にはなりすぎず、華やかな社交界を生きる普通の女を演じています。短い出番ですが、その中にもヴィオレッタのカウンターパートとしてのキャラクターが籠められていることがわかるパフォーマンスであり、お見事。マゼール盤でもいい仕事をしています。

・ベルタ(G.ロッシーニ『セヴィリャの理髪師』)
ヴァルヴィーゾ指揮/ベルガンサ、ベネッリ、コレナ、ギャウロフ、アウセンシ共演/ナポリ・ロッシーニ劇場交響楽団&合唱団/1964年録音
>こちらは上記に較べてうんとコミカルで、言ってしまえばいい意味でオバチャン感が強い歌唱。騒々しい主人公たちをよそに客席に向かってぶちぶちと愚痴を呟いている様がリアルで楽しいです(笑)キャリアはこれからという若手が歌うことも多いですが、やはり彼女のように脇で鳴らした人が歌うと味わいも一入です(とはいえここでの彼女はまだまだ30代前半だった訳ですが。そうは思えない堂に入った歌いぶり)。一方で例えばバルビエーリのような往年の大御所が歌った録音も面白いのですが、聴かせどころもシャーベット・アリアですし、本来的にはここでの彼女のような歌唱が求められているように思います。同じメゾのベルガンサとの共演ですが、ヒロインとしてフレッシュな歌を聴かせるベルガンサときっちりキャラ分けがなされています。この2人は後にアバド盤でも共演していますが、こちらでもうまく棲み分けしており、この頃にはそれぞれの役の第一人者とされていたのでしょう。

・マルチェリーナ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
アバド指揮/プライ、フレーニ、ヴァン=ダム、マッツカート、ベルガンサ、モンタルソロ、ピッキ、リッチャルディ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1974年録音
>アバドの若さが出た感はあるものの、面子の揃ったライヴ盤。先ほどのベルタから10年後の歌唱にも拘わらず、こちらの方が年増なものの容色の衰えていない女性像を作っていて、懐の深さを感じさせます。ここでもまたベルガンサと共演していますが、両者のキャラクターの違いがより顕著に顕れているように思います。折角彼女のように歌える人を配したのだから、マルチェリーナのアリアも歌えばよかったのに……と思わなくはないです(バジリオも往年のテノール、ピッキを起用したなら、ねえっていう苦笑)とはいえ、女声も男声もそれぞれ声のカラーが違う人たちが登場していて、楽しめる録音です。

・アリーサ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
サンツォーニョ指揮/スコット、ディ=ステファノ、バスティアニーニ、ヴィンコ、リッチャルディ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1959年録音
>メンバーの揃った佳演。何と言っても他にこの作品の録音のないバスティアニーニとヴィンコがいい味を出しています。いつもながらキレッキレのスコット(と言っても必ずしも彼女のベストではないかなと思いますが)に対して、温和で心底ルチアを心配している侍女という風情が感じられます。また、有名な6重唱からフィナーレにかけては意外とバリバリ聴こえて来て欲しいパートなのですが、そこでの声量も十分なもの。名アシストぶりが顕れていると言えるのではないかと。

・ベルシ(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)
サンティーニ指揮/コレッリ、ステッラ、セレーニ、ディ=スタジオ、モンタルソロ、モデスティ、デ=パルマ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>不滅の名盤。主要3人が飛び抜けて素晴らしい上、細々とした場面で活躍して欲しい小さな脇役たちがこれ以上はないぐらい粒ぞろいのメンバーです。さて我らがマラグーもここではそんな脇役のひとつベルシを演じていますが、ここではまたこれまでの他の役とはだいぶ違った人物造形をしていて、抽斗の多さを感じさせます。上品な貴族の娘であるマッダレーナに対して、小憎らしいぐらいのアグレッシヴで軽々しくて蓮っ葉な小娘ぶり。同じく脇役のスペシャリストであるディ=スタジオのマデロンが渋い老婆ぶりで2人とも好サポートですが、逆だったらどうなるかな?というのもちょっと聴きたくなります^^

・アリス(G.マイヤベーア『悪魔のロベール』)
サンツォーニョ指揮/クリストフ、スコット、メリーギ、マンガノッティ共演/フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団&合唱団/1968年録音
>最後に彼女の録音の中では恐らく最も大きな役を。この大作グラントペラの主人公のひとりであるアリスは、しっかりとしたアリアも準備されていれば、題名役のロベールや魅力的な悪役であるベルトランとも絡む場面が多いのですが、このメンバーの中であっても決して聴き劣りしない立派な歌唱を披露しており、その実力の高さを感じさせます。また、この作品のもう一人のヒロインであるイザベルに較べるとより演劇的な部分に重点が置かれていることも、脇役功者の彼女の良さを際立たせているようです。伊語盤でメンバーも伊的にすぎるところはありますが、この娯楽大作のエンターテインメント性と言うところを考えるなら、聴き逃せない録音でしょう。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第九十六夜/気をつけよ!気をつけよ!~

さて100回までラストスパートと言うことですが、前回宣言したとおりここからまたシリーズもの。実はずっとやりたかったんですが名脇役シリーズです!

アリアをドカンと歌って注目を浴びまくる主役もオペラの世界には大事なのですが、その音楽や演劇の世界をより豊かに、広くするのは、魅力的な脇役たちです。そこをケチるのと、いい人を持ってこれるのではだいぶ公演全体のイメージが変わってきてしまう。
ここにいい歌手を持ってくるのはもちろん大事なのですが、必ずしも大物を持ってくればいいかと言うと、また違うもの。いや、もちろんカメオ出演的に大物が出てきたりすればそれはそれで流石なパフォーマンスをして呉れることも多いんですけれども、主張が強すぎてしまうこともままあるんですよね。
となると、脇役歌手たちの出番になる訳です。

そんな脇の名優たちをこれから4回に亘ってご紹介していきます。

IvoVinco.jpg
Ferrando (Verdi)

イーヴォ・ヴィンコ
(Ivo Vinco)
1927~2014
Bass
Italy

綺羅星のようなスターが伊ものを彩っていた時代の、数々の名演を陰に日に支えた、脇役バスきっての名手の1人です。脇役脇役と連呼していますが、実際にはフィリッポや宗教裁判長(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)、ザッカリア(同『ナブッコ』)やアルヴィーゼ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)といった主役クラスの役も歌っており、そこでも充分な活躍をしていることからも、その実力は伺えるのではないかと思います。

派手さこそあまりありませんでしたが、風格のある厳めしい美声としっかりした歌で舞台をキリッと引き締める、いかにもヴェテランの名優と言った風情があります。バスはチョイ役であっても年長者の役や権力者の多いものですが、そうした役柄を演じても決して物足りなさは感じさせず、むしろ僅かな出番であってもどっしりとした役柄相応の落ち着きと存在感を示して呉れる人と言えるでしょう。

私生活では烈女フィオレンツァ・コッソットのパートナーとして長く知られており、共演も多いです。今回ご紹介するディスクでもかなりの数一緒に登場していますし、ちょっとほっこりするようなエピソードもあるのですが、晩年に離婚しています。
親族関係だと甥っ子のマルコ・ヴィンコがモーツァルト、ロッシーニ、マイヤベーアなどで現在活躍中、来日もしています。

<演唱の魅力>
ヴィンコを評価しているオペラ聴きに彼のオススメの録音は何かを尋ねたら、多分10人中10人が筆頭に挙げるのがセラフィン盤『イル=トロヴァトーレ』(G.F.F.ヴェルディ)のフェランドでの歌唱ではないかと思います。ここでの歌唱は、本当にもうべらぼうにうまい!この役はギャウロフやトッツィと言った大御所も録音しているのですが彼らを含めても、この役のベストでしょう。そしてそこに、彼の美質と言うのは良く顕れているのではないかと。

『イル=トロヴァトーレ』ではバスが俎上に上ることは殆どありません。歌う量から言っても、主役4役の方が圧倒的に多いですし、彼らに強烈な個性も与えられているからです。しかし一方で、実は開幕第一声(Allerta! Allerta! ―― 気をつけよ!気をつけよ!)を発して観客をオペラの世界にぐっと引きこむのがこの役なら、この異常な物語の背景を伝えるのもこの役で、そういう意味で公演全体の成否を握っているとも言えます。変な話、ここでずっこけてしまうと、その後の主役4人が活かしづらくなってしまう。ヴィンコの声や歌唱には派手さはありませんが、まず緊張感があります。Allerta!の一声で衛兵たちだけではなく、聴衆である我々もまた舞台に気をつけねばならないと感じさせるような力があるのです。次いで口跡の良さがあります。話のうまい人は、その語り口だけでぐっと聴き手を引き寄せてしまいますが、ちょうどそれと同じように、伯爵家の因縁話をぐいぐいと聴かせてしまうのです。そして、歌がうまい。雰囲気だけで誤魔化す訳では決してなく、細かい装飾などをきっちりこなす技術もあり、非常に端正で説得力のある歌。彼のフェランドで聴くことのできるこうした一連の長所を、堅実に安定的にいずれの演奏でも感じさせるのが、ヴィンコの良さであり、プロ根性的なところではないかと思います。チョイ役であってもいい仕事をするんですよね。

伊人にしてはやや硬さのある声なので、流麗なカンタービレを聴かせるタイプではないのですが、他方でそれによって僅かな出番であっても登場人物の威厳や重量感を増している部分もあるように思います。如何にも峻厳な権力者であったり、尊敬を集める年長者という感じ。そういう意味で声もまた彼の得意とした役柄にあっていたと言いますか、或いは知的な彼のことですから、自分の声の特質をよくわかっていたんだろうなという気もします。

<アキレス腱>
上述もしましたが、実力はあるけれども派手さはありません。また安定感のある実直な歌唱と言うことを裏返すと、大冒険をするタイプではないということにもなります(というか、脇を中心にしている歌手にとってはそうしたことは必ずしも必要ないことですよね)。ドン・バジリオ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)のように大袈裟にやった方が面白い役などでは、やや食い足りなさを感じるときもあります。

<音源紹介>
・フェランド(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)
セラフィン指揮/ベルゴンツィ、ステッラ、バスティアニーニ、コッソット共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1962年録音
>好みはあれど不滅の名盤でしょう。この盤の魅力は既にあちこちで語られていますし、ヴィンコの良さについても上述している訳ではありますが、声の豊かさの面でも最も充実した時期のものですし録音もgood!渋いながらも筋肉質な美声には、如何にも伯爵麾下の老軍人といった風情があります。バスティアニーニとの声の相性もいいですね、物凄くうまくて存在感もあるんですが、決して主役を喰わない絶妙な匙加減です(これがギャウロフやトッツィだと伯爵より強くなってしまう……というか彼らが出てる音盤の伯爵役がどちらも弱過ぎるという説はありますが)。声量もかなりあるので、アズチェーナがひっ立てられるところの裏でのバスティアニーニとの掛け合いも聴き応えバッチリです!フェランドを聴くなら(という聴き方も酔狂だけど)、まずはこれを!

・スパラフチレ(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
ガヴァッツェーニ指揮/バスティアニーニ、クラウス、スコット、コッソット共演/フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団&合唱団/1960年録音
>筋肉質と上述しましたが、そういうところが活きているのはこちらも。ネーリのような凄みの効いた声の殺し屋ももちろん恐ろしいですが、ヴィンコの場合は精悍でドスが効いた迫力よりも職人気質的なリアリティがあります。渋みのある声は低い音域でもしっかり響き、リゴレットの気持ちを煽るのには充分過ぎるほど。ここでもバスティアニーニやコッソットとの相性は◎です(ただ、彼らがこの役に合っているかと言うと微妙なところはありますが^^;)

・宗教裁判長(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
サンティーニ指揮/クリストフ、ラボー、ステッラ、バスティアニーニ、コッソット、マッダレーナ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1961年録音
>スカラ座不滅の名盤ですね。彼の演じているものの中では主役級の役どころのひとつでしょう。彼の厳しい声が役柄と非常に合致していて、派手なことをしている訳ではないのですが非常に説得力がある演奏になっています。ネーリやタルヴェラと言ったこの役であたりを取った人たちはかなり力で押していく人が多いように思いますが、むしろここで聴かれる彼の歌で印象に残るのは、その歌唱の丁寧さや正確さで、装飾なども実にきっちりと歌っています。ヴェルディが書いたとおりに歌うことで得られる効果を知ることができる点でも貴重でしょう。かなりエモーショナルに歌うクリストフとも好対照です。その他のメンバーもこの作品の一つの範足りうる見事な歌唱!必携の録音でしょう。

・オロヴェーゾ(V.ベッリーニ『ノルマ』)
デ=ファブリティース指揮/ゲンジェル、コッソット、リマリッリ共演/ボローニャ市立劇場管弦楽団&合唱団/1966年録音
>これはメジャーではないですが、数あるノルマの中でも指折りの超名演と言っていいと思います!ここでも雰囲気作りの達人ヴィンコが冒頭から威厳たっぷりの堂々たる歌唱で盛り上げています。またライヴと言うこともあってか、長老としてのどっしりとした存在感に加えてやや荒々しい表情付けになっているのですが、これがローマ帝国に虐げられた異教徒の長という感じを実によく引き出しています。この演奏、このあと出てくるゲンジェル、コッソット、リマリッリの3人もやや異常なテンションの高さで切り結んでいくのですが、そうした熱演の下地を作っていると言ってもいいのではないかと。大推薦盤です!

・ザッカリア(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』)
バルトレッティ指揮/バスティアニーニ、パルット、オットリーニ、ロータ共演/フィレンツェ五月祭管弦楽団&合唱団/1961年録音
>これもまた彼にしては大きな役ですが、その実力を遺憾なく発揮しているものではないかと。重心の低い力強い声が、民衆を導く宗教的指導者と言う役柄にも似合っていますし、異教の王への怒りをかなり直截に荒々しく表現する一方で、静謐な祈りは敬虔でストイックな空気に満たされていて、彼のいろいろな芝居を楽しめる代物でもあります。共演は必ずしもベストではない印象で、中でもパルットがいまいちなのが痛い。バスティアニーニの男らしいナブッコは魅力的ですが、ライヴ的な瑕はやや多いか。ないものねだりですが、円熟を迎えてからの歌唱があったらどれだけ素晴らしかっただろうと思ってしまいます。アリアのない役ですがイズマエーレのオットリーニがハリのある美声で聴かせます。

・バルダッサーレ(G.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』)
グラチス指揮/コッソット、アラガル、コルツァーニ共演/トリノ王立歌劇場管弦楽団&合唱団/1968年録音
>こちらも名演。彼の辛口の声と歌い回しが、息子に、王に、王の妾にと各方面に怒りまくっているこの権力者の姿をよく表していて、特に2幕フィナーレの衆人の目の前で王の態度をなじるところなど鳥肌が立つような迫力があります。最低音域のパートでもあり、実際の権勢を握っている役柄でもある訳ですが、そこをしっかり決めて呉れているので演奏そのものも引き締まった感じがします。若いパワーに溢れたコッソットと瑞々しいアラガルに、録音の少ない名手コルツァーニと共演も聴き逃せません。

・アルヴィーゼ・バドエロ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)
ヴォットー指揮/カラス、フェラーロ、カプッチッリ、コッソット共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1959年録音
>カラスの新しい方のジョコンダですが、こちらもまた役者が揃っています。ここでも権力者ではあるものの、思いどおりにならない男の憤懣やるかたなさみたいな感じが顕わになっていて秀逸。頑固で冷酷な人物をよく描いていて、妻の死体の横でいけしゃあしゃあと華やかな宴を開いてしまうところなどもリアルに感じられます。カラスがここでもまたドラマティックな歌唱を披露している他、若きカプッチッリののびやかな美声が見事なバルナバ、キレッキレなコッソットなど聴きどころには事欠きません。これまた録音の少ないフェラーロも程よくリリカル程よくロブストでこの役柄にあった理想的な歌唱。名盤です。

・ライモンド・ビデベント(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
サンツォーニョ指揮/スコット、ディ=ステファノ、バスティアニーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1959年録音
>慣習的なカットはあるものの、個人的には低音陣に魅力を感じる音盤です。いやスコットもディ=ステファノもいいんですが、彼女らについてはもっと出来のいい別の音源があるし、というところ。ここまでのところはどちらかというと怒り狂っているようなレパートリーが並んでいましたが笑、こうした優しい役でも滋味のある歌唱を遺しています。この役はギャウロフやシエピ、レイミーと言った大物が演じても説得力のある所ではあるのですが、ヴィンコが演じると或意味でフェランドなどと同じように、控えめながら言うべきことはしっかり言う忠臣というような人物像が見えてきます。2部2幕のフィナーレの仲裁には説得力がありますし、ルチアの発狂を嘆く場面も強く訴えかけるもの。そして彼が仕えるのがここでもまたバスティアニーニ!おそらく数あるエンリーコの中でも最も気品ある貴族的なものでしょう。嫌な奴なんですが、兎に角カッコいい!

・コッリーネ(G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)
フォン=カラヤン指揮/フレーニ、G.ライモンディ、パネライ、ギューデン、タッデイ共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>こちらもまた名脇役ヴィンコの持ち味に合った役だと言えるでしょう。見せ場の小さなアリアが印象的で有名な役ではあるのですが、実演では若者たちのアンサンブルでの出番が中心になってきます。主役の面々を立てつつ、出過ぎず埋もれず自分の仕事を自分の流儀できっちりやるというのは、アンサンブルが多い演目では重要ではありますが、一方で難しくもあります。ここでの彼はそういう匙加減が絶妙です。共演陣も理想的!(何度聴いてもショーナルにタッデイにはびっくりしますが)

・バルトロ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
ジュリーニ指揮/タッデイ、モッフォ、ヴェヒター、シュヴァルツコップフ、コッソット、カプッチッリ共演/フィルハーモニア管弦楽団&合唱団/1959年録音
>最後に毛色の違うものをひとつ。伊ものの重たい演目でのバイプレーヤーというイメージが強い彼ですが、こんなものも遺しています。そしてこれがまた面白い!コレナのような如何にもブッフォでもなければ、モルのようなモーツァルト流儀と言う訳でもないんですけれども、絶妙に人間臭いバルトロ。フィガロへの復讐を熱く語れば語るほど、「うまくいきませーんよー」というオーラが漂ってきます笑。それでも不思議と嫌みのない、飽きの来ない、そんな人物に仕上がっています。こちらも共演が豪華ですがベストは伯爵夫人でしょう。カプッチッリのアントニオはやたら声が輝かしくて笑えますww
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欧巴賓蠍図

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欧巴賓蠍図
Ôhahinkatsu-zu (Opabinia regalis)

最近人気が出てきたカンブリア紀の生き物たち、前回は有名なアノマロカリスを作品にしましたし、個人的には一番押していたのはその名も「幻」という意味のハルキゲニアでした。

しかし、いま科博で行われている生命大躍進展に凄まじい保存状態の化石がありまして、それ以来一気にオパビニアに気持ちが傾きましたw
という訳で、ここ暫くずっと作りたかったものです。

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実はオパビニアはかつて作った作品があります。ただこの時も書いていますが、ほとんど5つ眼を作るのでほぼいっぱいいっぱいでして^^;頭から伸びているノズルとかは割といい加減だったのです(これ口じゃないのよ。アノマロカリスの頭から生えているのと同様、付属肢といいます)。

しかし、今回の化石を見て実は一番気に入っちゃったのがそのノズル笑。「象の鼻のよう」という喩はしばしば聞いていましたが、実際の化石を見ると、あたかも日本画の象のようなやわらかな曲がりよう。その先にかなりしっかりハサミがあるっていうんです。どうにか形にできないか試行錯誤をして、なんとか纏まったのがこれ。実物とは曲がり方こそだいぶ違うけれども、それでも象を彷彿とさせるようなかたちにしてみたつもりです。
顔だけでパーツが多いんで、本当に難渋しました^^;

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で、また顔が決まってから身体を作るのもまた結構大変でして。。。つくりそのものは難しくないんだけど、顔のパーツを作るんで紙が分厚くなるせいで重なったところが破けちゃうんですよ。これもいくつか試作して、最終的にこの本折りでまた新しい方針で作るという賭けに出た結果こうなりました(いやあ、この賭け失敗したらどうしようかと冷や冷やしましたがな笑)
肢は作れそうでもあったんですが、あんまり美しくならなさそうだったのと、どうせ体の下で見えないしっていうんで諦め^^;

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尾はこれまでの日本画ものの中でもひときわ立体的な仕上げになっています。
併せて身体のラインもちょっと捻って全体に動きをつけました。ここまでうねるかは…自信ないけど、ま、いいかなって笑。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第九十五夜/歌心あふれるGiapponese~

いよいよ四捨五入すると100回と言うエリアまで入ってきました!
思えば遠くへ来たものだ、などと我ながら暢気な驚きを隠せません。そして、こんな中身の記事でもきちんと読んでくださっている方がいらっしゃるのですからありがたい話です。
ちなみに、次回から4回はまたちょっとシリーズものを準備しています。

ここまで様々な国の歌手をご紹介してきましたが、どうしてもオペラの生まれた西欧文化圏の人たちが多くなります。これはまあ致し方ないことではあるのですが、一方で昨今のグローバルな流れの中で、東洋人も活躍する機会を徐々に掴めるようになってきています。コロラテューラの名手ジョ・スミを輩出した韓国、近年各地で活躍する歌手が登場している中国、そして我らが日本に於いても国際的に活躍する歌手が登場しています。
100回を前にしてそうした我が国の名手の1人を、今回はご紹介しましょう。

HoriuchiYasuo.jpg
Macbeth

堀内 康雄
(Horiuchi Yasuo)
1965~
Baritone
Japan

現在日本で実力のあるオペラ歌手を考えたときに筆頭に挙がるひとの1人でしょう。
伊もの、特にヴェルディでの彼の歌の見事さは衆目一致するところではないかと思います。

私が彼の歌を初めて聴いたのは実はオペラではなくて、もう10年ほど前になるでしょうか、池袋芸術劇場での『カルミナ・ブラーナ』(C.オルフ)のバリトン独唱でした。輪郭のくっきりした美声と力強いカンタンテは強く印象に残り、ああ日本にもこんなに素晴らしいバリトンがいるんだと感動したのを覚えています。とはいえ恥ずかしながら当時は日本人歌手の知識は殆どなく、『カルミナ』なんてバリトンのオイシい楽曲で、しかもたまたま知人の伝手で1階の前から数列目という非常にいい席で鑑賞できたにもかかわらず、今思うとかなり勿体ない聴き方をしていたような気がするのですが^^;

最初の印象が『カルミナ』だったので、独もの中心に活躍されていると暫く勝手に思っていたのですが、その後暫くして確かNHKのニューイヤーでヴェルディを聴いてその本領を知って惚れなおしました。実演にも何度か足を運び、毎度その力演に感服しています。正直なところ無名のバリトンを海外から招聘するんだったら、彼に歌ってもらった方が良かったんじゃないのと思った公演も少なからず……それぐらいの実力者です。

個人的には音源が少ないのが寂しいです。全曲の吹き込みとまではなかなかいかないにしても、せめてアリア集でも出していただけたら勇んで買いに行くのですが。

<演唱の魅力>
聴くたびに思うのは、その持ち声の素晴らしさでしょう。響きが非常に豊かで甘みのある美声。日本人歌手としてと言う話ではなく、オペラ歌手全体でみてもかなり恵まれた声と言っていいのではないかと思います。やわらかでしっかりと実の詰まった声は流麗な旋律によく栄えます。年末には第9も歌っていますし私が最初に聴いたオルフも良かった訳ですが、そうは言ってもやはり歌心に溢れた伊ものを歌っているときがいちばんでしょう。まさに水を得た魚と言うべき堂に入った歌いぶりを楽しむことができます。

そう、先ほど「歌心」ということばを遣いましたが、彼の歌には本当にこれが籠っているように思います。類稀な声そのものに頼って歌うのではなくて、楽譜や歌詞をきちんと掘り下げて、更に役柄に共感して歌っているのが音声のみからでもひしひしと感じられるのです。歌心というと感情の赴くままにというイメージを持たれる方もいらっしゃるかと思いますが、私自身は知的な分析と組み立てがあって初めて成り立つものだと考えています。もちろんその分析と組み立てはあくまで骨組みで、それだけポンと出されても説明臭くなってしまう。その下地ができてからがセンスの出番で、そこから裏付けられる、この人物ならどうかと言うものの蓄積が、説得力のある歌心を作るのではないかと。つまり、そこにたどり着くまでには入念で知的なアプローチと卓越した表現のセンスとが重要なファクターになると思うのです。堀内の歌は決して説明的ではないですが、そもそもののセンスがあった上で、こうしたしっかりとした“仕事”がなされていることがひしひしと感じられます。基本的には彼の歌は非常に端正で、時たま声を荒げるなどの芝居を最小限で加えるというスタイルだと思っていますが、そうした裏の部分が垣間見えるからこそ、ただ綺麗に歌っただけという印象には絶対にならない。むしろそうして考えた末に、整った歌い口に行きついているんだということがわかる歌唱と言えるのではないかと。
内外問わずこうした歌を聴かせる歌手はほんの一握りですし、蓋し日本が誇る世界第一線の藝術家と思っています。

まずはやはりヴェルディで聴きたいと思う人ではありますが、ドラマティックな歌唱が要求されるより時代の下った作曲家の作品にも合っています。特にジェラール(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)やスカルピア(G.プッチーニ『トスカ』)は、僕自身聴けているのはいずれもNHKニューイヤーのガラでの歌唱だけですが、いずれも絶品です。全曲も是非とも聴いてみたいですね。

<アキレス腱>
伊ものが最高だと述べてきましたが、やはりヴェルディを歌うようなバリトンなので、転がしの多い役などはちょっと違うかなと言う印象です。一度フィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)の実演を観たときには、その主役としての抜群の存在感は傑出している一方で、どうしてもロッシーニ対しては重たいという感じは否めませんでした。カプッチッリやバスティアニーニのフィガロを聴いたときに持った感触に近いです。

あとは繰返しになりますが録音が少ない……どうやら西国のレーベルで『リゴレット』と『ナブッコ』(いずれもG.F.F.ヴェルディ)を入れたものがあるようなのですが、入手はかなり困難な模様。それなりに頑張って探しているのですが。

<音源紹介>
・マクベス(G.F.F.ヴェルディ『マクベス』)
サッカーニ指揮/ルカーチ、キシュ、タノヴィツキ共演/ ブダペスト交響楽団&合唱団/2009年録音
>現在のところ手に入るオペラの音盤としては唯一のもの。終幕の合唱に欠損があったりバンクォーのタノヴィツキが非力だったり残念なところもあるものの、彼の得意とするヴェルディ、しかもいろいろと要求の多い役であるマクベスを全曲堪能できるという意味ではこれは非常にありがたいです。果たして期待どおりの名唱!伊的なやわらかでたっぷりとした声に加えて、彼一流の知的な役作りが冴えています。この役はカンタービレを聴かせる伊国の歌手では狂乱や幻影の場面の表現がのっぺりしがちな一方、そういった場面では秀逸な歌唱を聴かせるフィッシャー=ディースカウなどでは流麗さや伊ものに欲しい声のふくよかさに欠けたりして意外と納得のいく演奏が少ないなかで、その渇を癒すのに十分なパフォーマンスではないでしょうか。王にまで登りつめるふてぶてしい武将としての顔と罪の意識に苛まれる気弱な男としての顔といずれも感じさせる多面的な演唱はまったくお見事です。彼に対してもう一人の主役と言うべきルカーチも、立ち上がりこそ不安定なものの、パワーのある声をフルに使って隈取りのマクベス夫人を作っています。この作品はこの2人の出来次第でかなり印象が左右されるので、彼らの出来がいいのは大変嬉しい!洪国の名テノール、キシュもまたいい仕事をしています。まずは堀内の魅力を知るためにはいい演奏ではないかと。

・ポーザ侯爵ロドリーグ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
佐藤指揮/コロンバーラ、佐野、浜田、小山、妻屋、ハオ、ゴーティエ共演/ザ・オペラ・バンド&武蔵野音楽大学(合唱)/2014年録音
>これは実演(コンサート形式)を観に行きました。仏語版日本初演と言うことでしたが、単に仏語5幕版と言うだけではなく部分的に初演の音楽を取り入れた演奏で、熱狂的なヴェルディに酔ったというよりは、より学究的に面白い公演だったと思います。登場人物の印象も伊語版と仏語盤ではかなり異なっていて、伊語版ロドリーゴでは熱気のある政治活動家という空気のある一方、仏語版のロドリーグではより知的な思想家的な雰囲気を纏っている訳ですが、しっかりとこの人物造形の違いを感じさせるアプローチでした。馬力のある声とアツい表現で押していくというよりは、丁寧に練り上げた品のある優美な歌いぶりで、この誰からも頼られる人物を真摯に描き出しているという感じ。見せ場である死の場面も華々しく散る訳ではなく、しみじみと哀しみを感じさせるような歌唱でした。

・リゴレット(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
詳細不明
>これは残念ながらyoutubeにあがっていた“悪魔め鬼め”しか聴くことができていませんが、それだけでもまさしく絶唱と言うべきもの。しかも、それが性格的な演技や或意味で仰々しい歌いぶりから齎されたものではなく、丹念に整った歌を磨き上げた結果に出来上がっている点が、尚のこと凄いことだと思います。その声の質も含めてブルゾンと比較している人もいましたが、それはこれを聴くと納得がいきます。しかしこれを聴くと、入手困難な全曲盤をどうしても手に入れたくなるという……笑。

・バルナバ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)
菊池指揮/マトス、イグン、カッシアン、彭、鳥木共演/東京フィルハーモニー交響楽団
合唱、藤原歌劇団合唱部&多摩ファミリーシンガーズ/2009年録音
>これは全曲がTV収録されたものがあるそうなので全曲観たいのですが、部分的にしか観られていないです(マトスがそれはそれは凄かったらしい……アルヴィーゼの彭がダメダメだったというからそれはちょっとアレなんだけど)。この役はイァーゴへと繋がる癖の強い悪の権化ですが(本作の台本を書いたのは、後に『オテロ』の台本を手掛けるボーイト)、堀内はいつもながら整った歌から多面的なキャラクターを創りあげています。舟歌でののびやかで明るい高音も華がある一方、独白で漂わせるどす黒い空気もまた悪の魅力を感じさせます。伊ものを得意とする彼の面目躍如と言ったところではないかと。

・カルロ・ジェラール(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)
飯森指揮/東京フィルハーモニー交響楽団、新国立劇場合唱団、二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部/2009年録音
>残る2つは上述のとおりNHKニューイヤー・オペラ・ガラで視聴したものです。歌われたのは当然アリアですが、これがまた秀逸!革命の成功で栄華を得ながらも、齎された結果が理想とは乖離してしまったジェラールの想いを、苦々しいダンディズムで活写しています。魂を抉るような彫り込みの深い歌唱で、客席の大ブラヴォーも納得のもの。歴代あまねく名バリトンたちがこの歌をうたってきていますが、その中でも指折りのものではないかと!

・スカルピア男爵(G.プッチーニ『トスカ』)
下野指揮/東京フィルハーモニー交響楽団、新国立劇場合唱団、二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部/2012年録音
>ここでのテ=デウムがまた大変な名唱!屈折した性格的な役作りに重きを置くのではなく、貴族的で品位があってむしろ優雅なぐらいの歌い口にも拘わらず、何処をとっても噎せかえるような悪の匂いを纏った演唱です。非常に大物感のある、スケールの大きな悪役ぶりで、刺されてもそう簡単には死ななさそう(笑)。これだけラスボス感のある、堂々たるスカルピアはなかなか聴くことができません。彼に合わせるなら相当気の強いトスカと立派なカヴァラドッシがいなければ位負けしてしまうでしょう。
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奇蝦相対図

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奇蝦相対図
Kika-aitaisu-zu (The duel of Anomalocaris canadensis)

日本画風折り紙×古生物ということで、『昆卡獵龍図』に続く第2作目。
こちらも旧作のアノマロカリス・カナデンシスをもとに制作しました。このお題にうまくはまりそうな古生物の候補は頭の中にいくつか候補があるのですが、ひとまずはこれ向けの作品を頭から作るよりも、旧作に準拠していくつか実験して感覚を摑んでいくのがいいかなと思っている次第です。

とは言えアノマロカリスと言えば、今やコンカヴェナトール何て較べものにならない有名古生物ですし、下手なもん作れないよなあというプレッシャーはあってですね^^;どういう作品にするかは結構悩みました。
元の作品では折角特徴的な口の部分も折っていますからお腹側を見せたいなと思う一方で、尾や背面の造形も見せたいというところがありまして、でもそういう慾張りを考えるとアノマロ1匹じゃどうやって平面に落とし込めない訳です。

それでじゃあ、2匹にしましょうとなって、どういう絵が自然かなと考えました。2匹をただ図鑑のように並べたのでは、今回のような様式に落とし込んだことが全然活きないし、何らかの物語を添えることで、アノマロカリスたちを生きたものにしたい。と思ったときに、そういえば日本画には龍虎図みたいな対決の構図があったな。よしこれだ!と考えたのです。

ちょっと意外だったと言いますか、そういえばそうだねと思ったのは、アノマロカリスって大体「カンブリア紀の最強生物」みたいな触れこみで三葉虫やらピカイアやらを襲っている復元画は良く見るんですが、アノマロ同士で鬪っている図って言うのは寡聞にして聞いたことがない。で、調べてみてもあんまり出てこないんです。その時点で改めてこれは面白いテーマかもと感じたので、ちょっと考えてみました(とは言え、論文などに当たった訳ではない妄想ですのであしからず)。
アノマロカリスぐらい進化した生き物同士が鬪うとして、いきなりお互いを傷つけるような真似はしないんじゃないかなという気がするんです。同種の動物の争いって、現生の連中で知る限り、まずは自分の身体の大きさだったり角だったり羽だったりと言ったものを見せ合ってアピールをします。そうした儀式を或程度やった段で決着がつかなかったところで初めて、肉弾戦になる。そうするとアノマロカリスもそんなことをしていたのかもしれない。お誂え向きに頭には大きな付属肢が2つもついているし!ということで、お互いに身体を大きく反らせて付属肢を高く上げる儀式がまずはあったのではないかという想像をもとに構図を取りました。

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まずは背面側の子ですが、これ旧作を作ったときには「背中はつるっとしていた説」を参考につるっと作ったんですが、今回は段々入れました。
作品的に背中の段々があった方がカッコよく仕上がりそうかなと思ったのと、いまかはくでやっている生命大躍進展の標本を観てあの体節がはっきりしていたのがメカニックな感じで単純にカッコよく感じたのとで(笑)まあミーハーではありますが、この方がこの形にしっかり固定できるだろうというのも思ったところです。

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で、腹面側の子。
これおんなじものの腹側を見せているかと言うと、実は違います!というのも、この作品非常に単純な構造で、言っちゃえば観音の基本形をやや細かく折ったのに過ぎないもののため、背中かお腹かどちらかの真ん中に割れ目ができてしまうんです。この割れ目が出ちゃうとどうしてもカッコ悪くなってしまうため、今回の作品用にお腹側が割れないバージョンを新たに作成しました。更に、海老反りになったものを腹側から観たときに、しかもそれを貼り付けたときに、どうやったら自然に見えるかと言うのでいろいろと試行錯誤。
意外とここが結構大変でした。

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ご参考までに腹面側の子を背中から見た図。真ん中に妙な割れ目ができているんですが……ちょっとこれだと見づらいかな^^;

最終的には諸々思っていたことをほぼほぼ実現できたと思います。
今回使った紙は結構褪色していくものなんですが、それがまた味わいになって呉れればいいななどと思っています。
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