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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

Dürer's "Rhinocervs"

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デューラーの『犀』
Dürer's "Rhinocervs"

どうやら年内最後の更新になりそうです。この1年も大変お世話になりました。

『犀』は、アルブレヒト・デューラーの非常に有名な木版画。
彼の時代にはインドサイが欧州に既に齎されていましたが、長生きさせることはやはり難しかったらしく、当時は正確ではない姿が広まっていたようです。デューラー自身も生きたサイを観たことはなかったのだそうで、ここに描かれている犀も非常に精緻な筆で描かれている一方で、実際の姿とは異なります。が、それが非常に魅力的。

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実は何年か前にも一度作ってみてはいたのですが、どうも作品としての纏まりがいまいちだったのと、再現度も納得いかなかったので、この冬に思い立って再挑戦!しかし、今回もまあ手こずる手こずるで(苦笑)年末になってどうにかこうにか漸く形になった次第です。
手こずった原因の一つが、実際の犀には存在しない頸の付け根の小さな角。こんなところに角の生えてる奴なんて居やしないんですが、これをちゃんと作ってあげないとデューラーの『犀』にはならないので^^;

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はたまた実際のサイはここまで甲殻類のような鎧を着てはいないのですが、これもまたデューラーがこう描いているんだからやっぱり再現したくてですね。しかもおなかのたっぷり感と同時に肢も結構しっかりしているので、それを両立するのに難渋しました。

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一旦12月半ばぐらいに纏まりはしたのですが、そこまで来た時点でなんだか全体にのっぺりした印象、というかあっさりしすぎてしまった気がして。やはり足の指をちゃんと折りだしてあげないとあの怪獣っぽさが出ないなと気づいたのです。
ところがまあ、この指の折りだしが思った以上に大変だった^^;結局2週間ぐらいこのために試行錯誤を繰り返すことになりました。
最終的には、まあ悪くないんじゃないかな。

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おまけ。
年末にパリ国立自然史博物館で観た、初めて仏王室に献上されたサイの剥製。王室の植物園で飼育され、仏革命も経験したのだとか(相方のお蔭でキャプションもわかって感謝感謝)。剥製は進化の大ギャラリーに、骨格は古生物学と比較解剖学のギャラリーに展示されています。
初めて間近で観た人々にとっては、驚異の生き物だったんだろうなあということがひしひしと伝わってきました。
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深海図

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深海図
Shinkai-zu "Goblin shark"

これも以前からこの形に仕上げ直したかったミツクリザメ。水族館のサメ水槽みたいな感じの密度で群れている様子を目指したんだけど、構図はもうちょっといじれた気もする。

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旧作でも紹介したとおり口を動かせるギミックを仕込んであるので、どちらのやつも泳いでおります。
実際には口をあけていることってあんまりないけど、ここではミツクリ感を出したかったので、口を出したやつ多めです^^;後付けではあるのですが、群れで狩りをしているところならばこういうこともありうるのかな。

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また、以前の記事にも書いた通り長いしっぽを優美に動かしている様はここでも表現したかったところ。
本当に群れるかどうかは、何せ実態のよくわかっていない魚なのでよくわからないと思います。ただ、以前八景島のあたりで14匹生け捕りにされて数日間展示されたという話もあるので、ない話ではないのではないのではないかな。

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結構この飛び出すお口は気に入っているのだけど、他の魚でも活用できないかなあなどとうっすら企んでおります。
とは言え、今は別の新作を研究中なのでいつになるやらですが。
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戟龍図

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戟龍図
Gekiryû-zu (Styracosaurus albertensis)

前回のスティラコサウルスもこの様式で作ってみました。

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スティラコサウルスみたいな角竜がこんな花に囲まれていたかと言うとそんなことはないとは思うのですが、復元画を作っている訳ではないのでどうかお赦しあれ(笑)
渋めの藍の文様で本体を作ることを先に決めていて、それに併せる背景は華やかなものの方がコントラストがつくだろうと考え、これにした次第です。

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その藍染めの紙が予想はしていたけどかなり折りづらかった!^^;
襟飾りの角のところなんてここまで纏まったのが奇蹟に近いですよ笑。

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ただ、苦労しただけあって結構いい顔に仕上がったと思います。
このあたり、「作品を折りやすい紙」と「作品としての仕上がりが良くなる紙」は決してイコールではないので(むしろ背反なことも)、悩むところです。

実際のバランスに較べると顔が恐らく大きめですが、これが顔だけ画面から飛び出しているような(や、実際飛びだしてるんだけどw)効果を出していて、個人的にはアリだなと思っている次第。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百夜/ナポレオンは死んだが、別の男が現れた~

「1,001回やれたらいいな」ぐらいの軽い気持ちで始めた本シリーズですが、そんなの無理だわと気付くのにそんなに時間はかからなかった……ここまで来るのにかなりかかりましたが、ようやっと、本当にようやっと100回を迎えることができました。
いやあ、時間がかかりました。

第50回では作曲家いうことでヴェルディをご紹介したのでした。
今回も同じくオペラの大家をご紹介。

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ジョアキーノ・ロッシーニ
(Gioachino Rossini)
1792~1868
Composer
Italy

「ナポレオンは死んだが、別の男が現れた」
スタンダールの『ロッシーニ伝』はこの一文から始まります。

この偉大な作曲家は、ほんの20代のときからその天才を発揮して、欧州をまたにかけて活躍、その名声を恣にします。しかし、僅か38歳で筆を折り、以降はほんの簡単なものしか書かなかったというのは有名な話です。ちょっと変わってはいるけれど人懐っこい魅力のあった人のようで、それ以外にも面白おかしいエピソードは枚挙に暇がありません。おそらくはかなりの割合で尾鰭がついたものだとは思いますが、ヴァーグナーとの音楽談義の逸話など、何度聞いても笑えます。このあたりは詳しく述べている書籍やWebサイトもたくさんありますから、詳細はそちらに譲ります。

作曲したオペラは40近いのですが、その後のロマン派の時代の中でこの天才は一時期殆ど忘れられた作曲家になっていました。そのあたりの事情も他の記述に譲りますが、レパートリーとして命脈を保ち続けていたもの、となるとブッファで行けば『セビリャの理髪師』、『チェネレントラ』、『アルジェのイタリア女』、セリアなら『セミラミデ』、『モゼ』、『グリエルモ・テル(ウィリアム・テル)』ぐらいでしょうか。しかし、長い間演奏が少なかった作品、或いは現在でも決して演奏機会の多くない作品にも、素晴らしいものがたくさん眠っています。

今回は敢えて超有名作ではなく、そのような秘曲の中から個人的な選りすぐりをご紹介したいと思います。何年か前なら『ランスへの旅』を入れたのでしょうが、ちょっともはやベタすぎるのでもう少し違うところを。

・『シャブランのマティルデ、または美女と鉄の心』
フリッツァ指揮/フローレス、マシス、アレヴィ、タッデア、ヴィンコ、レポーレ、デ=シモーネ、キアッリ等/ガリシア管弦楽団&プラハ室内合唱団/2004年
>そんなことを言いながらいきなり一発目にDECCAからきっちり日本語解説付の録音まで出てしまっている作品を出すのもどんなもんかなあとは思わなくもないのですが^^;とはいえ『ランス』のように蘇演後の上演が盛んな訳でもなくまだまだ知名度の低いこの曲を、「秘曲」と謳っていながら取り上げないのはあまりにも片手落ちなので。いくつかの改訂版があるようですが、ここで演奏されているのはナポリ稿と呼ばれているものだそう。兎に角ロッシーニの作曲の技の粋を尽くした超弩級の傑作で、話の展開がわからなくても終始その音楽に身を委ねるだけで、彼一流の愉悦の世界に浸ることができます。ここではフリッツァがさっぱりとした響きで推進力のある音楽を作って呉れていますし、歌唱陣のレベルも高いため、フレッシュで爽快な演奏に仕上がっていて、演目の長さを感じさせません(1幕だけで1時間50分もあるのに!)
歌唱陣では何と言ってもフローレスにとどめを刺します。アリアこそないものの、テノール殺しと言うべき厄介で過酷な高音と転がしの連発。普通に考えたらこんなもん歌えないよ!と歌手が怒りだしそうな楽譜が延々と書かれている訳なのですが、彼はそれをものともしないどころか本当に自然に、何処かに余裕すら感じさせながら歌いきってしまいます。美声ながら硬めで切れ味の鋭い響きが、このエキセントリックな人物にリアリティを与えており天晴な歌いぶりです。対するヒロインのヴェテラン、マシスがまた素晴らしい!仏人の彼女はどちらかというとベルカントより仏ものの方がその良さが出るように思っているのですが、ここではそんな前知識は何処かへ吹っ飛ぶ卓越した歌唱。ゴージャスで華々しい技巧の渦に耳が釘付けになること請け合いです。尚且つ、この人もまたいくつになってもコケティッシュですよね^^かわいらしさもコミカルさも際立っています。厄介なアリアのあるアレヴィはやや硬さもありますが、技巧もしっかりしていますし、このセミ・セリアのセリア的な側面を感じさせるひたむきな歌唱が好印象です。彼女に絡む超絶技巧的なホルンもお見事。マルコ・ヴィンコは名前を聴いたときには叔父さんのイーヴォの七光りかと思いましたが、全く違う軽やかでフットワークの軽い藝風に驚かされますし、侍医としてのちょっと気取った真面目さもアクセントになっています。デ=シモーネはバルトロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)やマニフィコ(同『チェネレントラ』)などよりもよっぽど感心させられる素晴らしい歌唱で、むしろこういう斜に構えた役、同じ『チェネレントラ』でもダンディーニとか或いは詩人(同『イタリアのトルコ人』)、タッデーオ(同『アルジェのイタリア女』)の方が光りそうな気がします。レポーレも軽快なことば捌きでヴィンコ、デ=シモーネともどもアンサンブルを盛り上げていて◎
ロッシーニ上演を語る上で欠かせない録音だと思います。

・『アルミーダ』
シモーネ指揮/ガズディア、メリット、フォード、マッテウッツィ、ワークマン、F.フルラネット等/イ・ソリスティ・ヴェネティ&アンブロジアン・オペラ合唱団/1990年
>こちらはスタジオ録音ですが、国内ではあんまり出回っていないのではないかと。この作品で検索するとフレミングがMETでやったものの情報が殆どであとはカラスの音の悪いライヴ盤の話ですが、私見では演奏そのものはフレミングのものの数段上を行くと思っているのがこちらの録音です(カラスのは少し聞いた限りではあれだけ音が悪いと判断がつかないし、あの時代のテノールには歌いこなせていないです。誤解なきように言いますが、先のフレミングもカラスと共演しているフィリッペスキやジャンニ・ライモンディも優れた歌手だと思っています。単純にこの演目に向いていないと感じるだけ)。我らが山路芳久が出演しているアンダーソン&ブレイク主演のものも大変すばらしい演奏で、こちらをご紹介しようかとも思っていたのですが、肝心のアルミーダのアリア・フィナーレの音が悪すぎるので、迷った挙句こちらにしました。演目としては「え?そこで終わるの?!」とびっくりさせられる数あるオペラの中でも指折りの尻切れ蜻蛉台本だと思う一方、音楽的にはロッシーニの天才を感じさせるもので、とりわけアルミーダとリナルドに充てられている部分は最高!後年『モゼ』や『チェネレントラ』に転用している部分も散見されます。
指揮はロッシーニはお得意のシモーネだけあって安心して聴くことができます。今回ご紹介した中では唯一のスタジオ録音なのでライヴ感はないのですが、音質もいいですし密度の濃い丁寧な音楽で好感が持てます。スピードと歯切れの良さで愉悦を演出するのではなく、書かれている音楽そのものでこれだけ楽しく聴かせるのだからシェフの腕は大したものだと思います。
それを盛り立てているのが卓越した歌唱陣!優れたロッシーニ歌手が沢山出てきている現代においてもこれだけのメンバーはなかなか集められないものです。やはり主役アルミーダのガズディアの凄まじい切れ味の歌唱が記憶に残ります。彼女もまた日本では今一つ評価されていないように思うのですが、十分な重さとドラマティックさを持ちながらフットワーク軽く技巧的な歌いまわしも身につけていた素晴らしいソプラノです。煌びやかな技巧でコンサートで歌われることも多い名アリア“甘い愛の帝国”も非常に見事ですが、なんといっても圧巻はアリア・フィナーレ!前半の気を失うほどの落胆と衝撃からくる茫然自失ぶりからの復讐の怒りに燃えるパワフルなコロラテューラ!!長い曲ではありますが聴き手の我々に息もつかせない凄まじい緊張感です。プリマ・ドンナとはこういうものだということを思い知らされます。そしてそのアルミーダと並ぶ超難役リナルドを演じるのは、ブレイクとフローレスを繋ぐ世代のロッシーニ・テノールの雄メリット!ベル・カント歌手として活躍していた頃の彼の最高の歌唱のひとつではないでしょうか。彼らしい太くずっしりした響きから弾き出される技巧と高音の強烈さは筆舌に尽くしがたいものがあります。ガズディアとの声の相性も良く、両者の重唱は実に美しいです。とはいえ、やはりメリットの実力の高さを強く感じさせるのは、有名なテノール3重唱でしょう。ここではフォードとマッテウッツィというこれまたロッシーニ・テノールの第1人者を従えて、なおかつ主役としての強い個性を発揮しています。カバレッタに入ってからのこちらも火が出そうなコロラテューラは癖になりますし、最後の部分での3人揃ったハイCはオペラ録音指折りの至宝と言ってもいいのでは。主役こそメリットに持って行かれているとはいえ、フォードとマッテウッツィは2人とも1人2役をこなしつつ、リナルドとは全く異なる良さをしっかり打ち出しています。フォードのアリア中間部でのロマンチックな甘さ(復讐に燃える部分なんですが)、マッテウッツィののびやかで決然とした歌い回しいずれもお見事。チョイ役で登場するワークマンとフルラネットも何と贅沢!というかなんでこんな歌うところの少ない役を歌ってるのよフルラネット!!wwお蔭で1幕の4重唱はめり込みなく決まっていますがww
METの映像やカラスの録音で面白くないと思われた向きには、是非聴いていただきたいです。

・『エジプトのモゼ』
アッカルド指揮/スカンディウッツィ、ペルトゥージ、ブレイク、デヴィーア、スカルキ、ディ=チェーザレ共演/ナポリ・サン=カルロ歌劇場管弦楽団&合唱団/1993年
>『モゼ』は成立過程が非常に煩雑な作品で、私の理解では当初伊国の劇場向けに伊語で作曲されたのが『エジプトのモゼ』、その音楽をもとに仏国の劇場向けに大幅に改編を行い仏語にしたのが『モイーズとファラオン』、それを更に伊語に直したのが『モゼ』。『モイーズとファラオン』は恥ずかしながら視聴できていないのですが、『エジプトのモゼ』と『モゼ』について言えば、改作で同じ旋律が登場するとは言え全く別物と言っていいように個人的には思います(ヴェルディの『第1回十字軍のロンバルディア人』と『ジェルザリム』みたいな感じ)。ややこしいことに『エジプトのモゼ』と名乗りながら演奏しているのは『モゼ』と言う録音も複数あるようですが、知る限り『モゼ』の録音が一番多く、この『エジプトのモゼ』は録音・映像ともに少ないです。が、これはその少ない資料の中では信じられないほど素晴らしい内容の映像です!画質音質とも近年のものと較べると残念ながら遜色があるのですが、舞台としてはちょっとこれ以上のものは考えられません。声よし、演奏よし、姿よしと三拍子揃っています。
アッカルドと言う指揮者は知らないと思っていたのだけれども、かなり有名なヴァイオリン奏者だそうですね。器楽奏者になじみがないものでお恥ずかしい限り……どうしても歌の印象が強いのですが、急緩のついた立派な采配だと思います。ロッシーニらしい前進する音楽づくりで、終幕クライマックスのドラマティックな展開はお見事です。一方で2幕の4重唱や有名な祈りも静謐で素晴らしく、オペラらしい“音楽による時間の停止”が実に自然になされています。
そして歌手陣が最高!オジリーデを演ずるロックウェル・ブレイクは非常に自己主張の強いテノールなので、ともすると濃過ぎたりアクが強すぎたりと言うことがあるのですが、この役そのものが、一本気で直情径行、自分の色戀のためには大胆な行動も厭わないという、かなりアグレッシヴな代物なのでピッタリです。アリアこそありませんが、エルチアとの2つの重唱、ファラオーネとの重唱はじめ、高音もあれば技巧も盛りだくさんの難役なので、ロッシーニ・ルネサンスを支えた技巧派である彼の面目躍如たるところ。『モゼ』を含めてもこの役まわりの録音のベストと言っていいでしょう(ややこしいことに『モゼ』では名前がアメノフィスに変わるのですが……しかも『モゼ』ではオジリーデと言う名前の大臣も出てきたり)。ヒロインのエルチアのデヴィーア、個人的には完璧な技巧に反して熱狂を感じさせないイメージのある人なのですが、ここでは興に乗っていたのかかなりアツい歌い口で興奮させられます。アリアの最高音の切れ味などこの人だからこそ出せるものでしょう。ブレイクとの相性も良く2つの重唱が盛り上がるのは実力者2人の相乗効果でしょう。ファラオーネを演じるペルトゥージはこのメンバーの中では最年少、何と28歳の時の録音ですが、貫禄のある歌いぶりで若さを感じさせません。この『エジプトのモゼ』ではアリアもありオジリーデとの重唱もありで『モゼ』より数段大変な役だと思うのですが、いつもながら転がすパッセージもお手の物。何より権力ある王としての厳めしさが強く感じられるのが舞台としては非常に嬉しいところです。アマルテアのスカルキははっきりイマイチな歌の時もあるのですが、ここではコロラテューラもちゃんとしていますし、セコンダ・ドンナの母親役らしい一歩引いた淑やかさが歌にも声にも演技にも出ているのが◎アロンネのディ=チェーザレもこの時はヴェテランだったと思いますが、如何にも頭が切れて口うるさい長老らしい雰囲気を漂わせる一方、素直で耳馴染みのする美声が印象に残ります。そして誰より題名役のスカンディウッツィでしょう。ロッシーニを得意とする他のメンバーの中でひとりより重たくドラマティックな演目を得意とする彼が入ることで、モゼのカリスマ的なイメージが強くなります。どっしりと深いプロフォンドはペルトゥージの切れのある声と好対照をなしており、この2人が絡む場面はタイプの違うバスの魅力を楽しむことができて楽しいです。もちろんただずしずしと重たいだけではなく、彼らしい優美で端整な口跡も大きな魅力ですし、フットワークの軽さも感じさせます。この演目は題名に反してオジリーデとエルチアの印象が強くなりがちですが、彼がしっかりと物語の軸になっているように思います。
この映像もうひとつ素晴らしいのは、画像の粗さはあるものの各役の見た目がばっちり役柄に当てはまっていて美しいこと。昨今オペラ歌手の見た目も随分良くなってきたのはご存じのとおりかと思いますが、それにしてもこれだけ姿も声も歌もしっかりハマっている映像と言うのはそうはないでしょう。特にスカンディウッツィのイケメンぶりには惚れぼれします笑。
伊もの、とりわけベルカントを好まれる向きには是非。

・『トルヴァルドとドルリスカ』
ペレス指揮/メリ、タコーヴァ、ペルトゥージ、プラティコ、フィッシャー、アルベルギーニ共演/ボルツァーノ=トレント・ハイドン管弦楽団&プラハ室内合唱団/2006年
>本作は『セビリャの理髪師』の直後に書かれた作品で、ロッシーニ自身もかなり気合を入れて作曲した(転用も殆どないそうです)のにも拘わらず、初演時の評価がいま一つで現在に至るまで殆ど知られていません。では実際この録音を聴いてみてどうかといいますと、なぜこれほどの傑作が日の目を見ることがなかったのか不思議なぐらいの代物。話の筋自体は『フィデリオ』(L.v.ベートーヴェン)を彷彿とさせる、ド定番と言うべき“救出オペラ”ではありますが、『シャブランのマティルデ』同様その音楽的な魅力が台本をはるかに凌駕していると言って過言ではないでしょう。脇役オルモンドの歌うシャーベット・アリアに至るまで緊張感のある密度の高い音楽に溢れており、この公演のように優れたメンバーを揃えれば、圧倒的な印象を与えて呉れます。ここで指揮をしているペレスと言う指揮者も演奏しているオケも寡聞にして私自身は他では聞いたことがないのですが、ロッシーニに欲しいドライヴ感のつまった音楽を、軽い風合いながらも充実した響きで聴かせていて、近年の他の優れたロッシーニ演奏と較べても遜色なく感じました。プラハの合唱もお見事。
歌唱陣はいずれも優れていますが、わけても悪役のオルドウ公爵を演じるペルトゥージが傑出していると言っていいでしょう。セミ・セリアの悪役らしくシリアスで恐ろしい側面とコミカルな側面とがある役ですが、全体にはシリアスに寄りつつもどちらにも不足を感じさせません(作品そのものがどちらかと言えばセリア寄りのセミ・セリアなので、彼の判断は的を射ていると言えます)。いつもの彼らしいシャープな響きながらゾッとさせるようなドスも効いていて、『フィデリオ』のドン・ピツァロ(役柄的にも近い)に欲しいような酷薄さが窺えますが、同時にそこにセクシーな悪の魅力をも醸し出しています。クライマックスの公爵退場のアリアも見事な迫力で、この作品の本来の主役がこの役であることを聴衆に印象付けています(ロッシーニがここに公爵の最大の見せ場であり曲中の白眉とも言えるアリアを持ってきているのに対し、ベートーヴェンがピツァロの退場にはまるで無関心だったことはちょっと面白いところ)。主役のメリは少し声が重くなってきている頃の歌唱のように思いますが、伊ものにありがちなつっころばしではなく深刻で真面目な役どころなのでむしろピッタリ来ています。声そのもののクリーミーな味わいは落ちていませんし、転がしも達者でむしろヒロイックな感興を増していると言ってもいいでしょう。ふたつのアリアも難なくこなしています。もう一人の主役、ヒロインのタコーヴァは実はあまり聴いたことのないソプラノで、ロッシーニを歌うにしては太くて重ための声のように思うのですけれども、それが却って淑やかな風情を出していて魅力があります。重心の低い声であることもあってコロラテューラはところどころぎりぎりでハンドルを切っているような感じもありますが、まずまずクリアしています。それよりも悲劇のヒロインとしての凛とした佇まいが感じられる歌によるプラスの方が大きいと思います。演目的に物凄くコミカルなアリアがある訳ではありませんが、現代を代表する名ブッフォ、プラティコのジョルジョも小気味よく、この役柄に人間的な厚みを加えています。およそオペラ歌手で彼ぐらいそのダミ声で得をしている、或いはそのダミ声を効果的に遣っている人はいないでしょう。彼と前述のペルトゥージ、メリの出来が非常によいお蔭で、ロッシーニの手によるものの中でも強烈な男声3重唱は超快演!彼の妻を演ずるフィッシャーもよく気の回る、優しくて慎み深い女中を等身大で演じる一方、見せ場のアリアでは技巧も聴かせています。目立つ役でこそありませんが、好サポートで嬉しくなります。脇役のオルモンドにアルベルギーニは、今ではちょっともったいないぐらいのキャスティングですね笑。
これを聴かずにロッシーニ・ファンを語る勿れ、という名盤です。

・『オテロ、またはヴェネツィアのムーア人』
タン指揮/オズボーン、バルトリ、カマレナ、ロチャ、カールマン、ニキテアヌ共演/ラ・シンティッラ管弦楽団&チューリッヒ歌劇場合唱団/2012年録音
>『オテロ』というとやはり有名なのはヴェルディの作品だとは思いますが、ロッシーニも書いています。台本がシェイクスピアからかけ離れていて酷いという評が昔からあるのですが、この作品が作られた時代にはシェイクスピアの『オセロー』は伊国では普及しておらず、基本的なプロットは一緒だけれども全く別物と思った方がいいのだとか。加えて本作ではオテロよりもむしろデズデモナに焦点が当てられていて、ヴェルディのオテロの死を想定して観ると最後があっけなく感じられる一方で、柳の歌からデズデモナの死までの充実した音楽は特筆すべきものがあります。デズデモナを除くと主要な役は3役もテノールで、先ほどの『アルミーダ』を思わせる編成です。
この映像では全体に時代を移した演出になっており、全体的にセットも衣装も近代的でな雰囲気ではありますが、過激なことをしている訳ではないので或意味で安心して観ることができます。他方で昔ながらの棒立ち演出かと言うとそんなこともなくて、むしろ現代劇のような張りつめた緊張感を孕むとともに、各人の動きに説得力を持たせていて素晴らしい舞台です。音楽的にもぐいぐい聴かせる求心力があります。タンの指揮そのものは立ち上がりもう一つかなと思っていたのですが、歌唱陣のテンションに引っ張られてか進むに従ってどんどんよくなります。正直なところ、私自身この映像でこの作品を再評価したような次第です。映像も録音もそんなにたくさんある作品でもありませんから、こういう優れたものが1本あることは非常にありがたいところ。
歌唱陣はいずれも現時点でこれ以上はなかなか考えられないメンバーと思います。いずれのどの場面でも覇気のある圧倒的な歌で、2幕途中までは3つのテノール2重唱にいたく感動していたのですが、2幕のアリア・フィナーレから終幕までバルトリが凄過ぎて全部持って行ってしまいました(笑)デズデモナは技巧を魅せる部分だけではなく、1幕のエミーリアとの重唱や所謂“柳の歌”のようにしっとりと歌の美しさを聴かせる部分の比重がかなり大きいのですが、そもそも大前提として彼女は非常に歌がうまいので、抜群のパフォーマンス。特にニキテアヌがまた美声なので1幕の重唱は、哀しい響きではありながらも本当に美しい音楽に仕上がっています。一方で1幕フィナーレや2幕でテノール対決に分け入るところ、そして刺殺の場面のような激しくドラマティックな場面では、強烈なコロラテューラを伴った劇的な歌唱が印象に残ります。そして歌とともに演技がまた天晴なもの。というか彼女の場合、歌とことばと演技とが三位一体となっていると言ってもいいかもしれません。歌が凄いところは演技もことば捌きも凄いのです。そうした意味で、個人的には全編亘って最も気に入ったのは2幕のアリア・フィナーレ。オペラにおける迫真のパフォーマンスとは、まさにこういうもののことをいうんだと思います。題名役のオズボーンも見事な歌唱です。高音まできっちり決まる一方でここでのテノールの中では比較的太め重め。重心の低い声からのパワフルな歌い口は猛将オテロのイメージに沿いますし、彼もまたことばの繊細な扱いが達者。アリア以上に重唱での冴えがお見事。ロドリーゴのカマレナはオズボーンとは好対照をなす軽やかで伸びやかな声の、技巧の達者なテノール。その技術の確かさはひょっとするとフローレス以上かもしれません。アリアも重唱もキレッキレです。歌唱技術も見事ながらむしろ演技で光ったのがイァーゴのロチャ。パット見いい人そうで(普通にヒーロー役でも行けそう)実際そういった体を装いつつも邪悪な顔をちらつかせるあたりは心憎いばかり。それでいて重唱の途中で超高音を噛ませてきたりしていて、アリアはないながらに裏の主役と言ってもよい活躍。カールマンはレイミーを思わせる重心の低いしっかりした声ながら転がしも行けるし、先述のとおりニキテアヌも美しい声で善戦。
ロッシーニの隠れた傑作、伊もの好き必聴の1枚。

・『オリー伯爵』
グイ指揮/セネシャル、バラバーシュ、カンネ=マイヤー、アリエ、マッサール、シンクレア共演/トリノRAI交響楽団&合唱団/1957年
>最後に敢えてちょっと毛色の違うものを。録音年代を見れば一目瞭然ですが、ロッシーニ・ルネサンス以前のレトロな上演で、今の歌手だったらこういう歌い方はしないだろうなあと思う部分は多々ありつつも、全体に仏流のエレガンスを感じさせる捨てがたい魅力があるのです。殆どの音楽が『ランスへの旅』からの転用とはいえ(基本的にはロッシーニは、『ランスへの旅』を機会ものの作品と捉えており、再演をあまり前提としていなかったようです)、仏語の作品として作られた本作が、セネシャルやマッサールのような仏もののスペシャリストたちによって歌われるのを聴くことができるのは非常に嬉しいところ。他のメンバーは意外とグローバルなのですが、非常に仏ものっぽい演奏になっています。
ヴィットリオ・グイは伊人の指揮者ですし、オケも合唱も伊国のものではありますが、軽やかな音楽に仕上がっています。グイは近代での蘇演にも深く関わった人物と言うことで、当時この演目については権威と言ってよい人だったのかもしれません。なんにしても洒脱な仕上がりが心地いいです。超名曲の第1幕フィナーレのアンサンブルも彼の手腕があってこそのものでしょう(余談ですが、この曲のもととなった『ランスへの旅』の14重唱(!)の大コンチェルタートは、個人的にはロッシーニの最高傑作の1つだと思っています)。
歌唱陣では上述のとおり、何と言っても生粋の仏勢セネシャルとマッサール!題名役を演じるセネシャルはいい意味で肩の力が抜けた歌で、やわらかく優美でありながらもこの役らしい軽薄さといい加減さを実によく体現していて、この全く褒めるべきところのない主人公をとても魅力的に演じてみせています。転がしもうまいし、高音もピシっと出せるのですが、一番うっとりさせられるのはその官能的な裏声かもしれません。いまどき頭声をこうやって使う人はほとんどいませんが、効果的に使えば歌唱の表現として素晴らしい抽斗になりうると納得させて呉れます。マッサールもまた高音の頭声がお見事。柔らかい響きのバリトンが出すこういう音には得も言えぬ色気があります。そしてことば捌きがとりわけ巧みで、酒を見つけてきたことを自慢するアリアも余裕綽々、自惚れたランボーの姿が容易に想像できます。一方で彼らしい上品で洒落た歌い口は健在で、とてもオモシロオカシク歌っているんだけれどもやり過ぎて伊流のブッフォになったりはしないあたり流石の匙加減。家庭教師を演じるアリエは仏勢ではありませんが、この役は彼本来の魅力であるしなやかで深みのある声の響きが最大限に活かされる役だということがよくわかります。同時に、重厚でどっしりした響きの声でありながら転がしも達者で、彼がベルカント復興期に生まれていたらさぞかし活躍したに違いないのになどとつい思ってしまうくらい。彼もまたアリアの高音を絶妙な裏声を駆使して表現していてgood!男声陣に較べると女声陣はややマイナーなメンバーではありますが、いずれも聴きおとりしません。伯爵夫人を演じる洪国の名花バラバーシュは、やや歌い口が独っぽいと言いますか、オペレッタみたいな感じが無きにしも非ずですが、軽やかな歌い口で愛らしいヒロインを演じており不満はありません。カンネ=マイヤー演じるイゾリエは、台本上の活躍ぶりに反して歌としてはおいしい部分が少なめですが、存在感があります。また、この役のヒーローになりきらないコミカルな部分も充分に感じられると言っていいでしょう。彼女たちとセネシャルの相性がいいので終盤の重唱も盛り上がります。大きくはない役ですがラゴンドのシンクレアもいい味を出しています。
過去のロッシーニ演奏にも面白いものがあることを再認識させられる録音です。
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Styracosaurus・改

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スティラコサウルス・改
Styracosaurus albertensis
revised edition

個別に記事にしていませんが旧作はこちら
旧作を作ったのも10年近く前になるんだなあと。これをベースにいろいろなモノを作っていき今に至るので、ちょっと感慨深いです。

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トリケラトプスの三訂版
を作った際に襟飾りに紙の余裕があったので、これをうまく使えばスティラコの複雑な頭も表現できるのではないかと思ったのでした。とはいえ旧作も気に入っていたので、それを越える作品にしなければとちょっと意気込み過ぎ、思った以上に纏めるのに時間がかかってしまいました^^;

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同じ角竜と言ってもトリケラトプスとはかなり顔の中でのパーツのバランスが違うので、そのままやるとおかしなことになってしまうんですよね^^;ダメにした紙も数知れず……
実は本折りをする段になってから、「あれ?どの方針だったけ?」と途中でわからなくなってしまって更に1枚ダメにしましたw

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トップクラスの知名度の恐竜ではないものの、魅力的な面構えのためか多くの作家が作品にしています。並み居る強豪の中では有名な襟飾りの角がやや短め・地味めな出来だなあと我ながら思うのですが、他方顔の本体部分の長さや凹凸など比較的蔑ろにされがちな部分をむしろしっかり表現できたかなと思っています。

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ボディ・プランはトリケラトプスからそれほど変更していませんが、頭周りの紙の使い方が違うので、首周りの塩梅も変わってきています。ちょっと肩のあたりが厚くなり過ぎてしまうのは、今後の課題ですね。
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蕈図

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蕈図
Kinoko-zu (Mushrooms)

今回は日本画風のシリーズを始めた当初から作ってみたかったキノコをテーマにしたものです^^
意外とキノコを主題とした日本画はあまり見ないように思いますし(知らないだけかも^^;)、他方でポップでかわいらしいものが作れそうな気がしていたんですよね。

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新作を使っても良かったんですが、旧作の出来の良いものの組み合わせをまずは試してみようと思い、こういった形に纏まりました。日本画風のモノを作るにあたっては、結構新たに手を加えて改良するのですが、今回はそれも殆どありません。
旧作を最大限生かすことを考えました。

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上からのショットを撮りそびれてますが、構造上かなり立体的になっています。

今回は全体の仕上がりとしての面白さを優先したので、実際にはこうして並んで生えていることがあり得ない種類が一堂に会していますが、そこはご愛嬌と言うことで笑。

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キヌガサタケ
リンク先の記事で紹介した後で作った、より折り目の細かいバージョンを採用しています。

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セミタケ
今回は毛羽立ちやすい楮紙を使ったので、菌糸が出ている感じがより強く出せたように思います^^

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ベニテングタケ
こちらも後日作ったより折の細かいバージョンを採用。やはりキノコと言えばこいつらのイメージが強くなるぐらいチャーミングな種類ですし、大きく作ってみました。

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ツチグリ
こちらもセミタケと同じ紙を使っています。ちょっと意図した以上にリアルになってビビったw

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クロハツについたヤグラタケ(一番右)。
ちょっと動きを大きめにつけ、ユーモラスな感じに仕上げてみました。
キノコ系では一番最近作った作品ですが、個人的には一番気に入っていたりします^^
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妙歯海龍図

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妙歯海龍図
Myôshikairyû-zu (Atopodentatus unicus)

再び古生物の作品で、中国の三畳紀の地層から発見されたアトポデンタトゥス。
またしても中国語表記がわからなかったので(中国産なのに……)、妙歯海龍という名称は私の創作です^^;学名アトポデンタトゥスというのはラテン語で「一風変わった歯」ぐらいの意味あいになるのだそう。
尤も、その顔は「一風変わった」どころではなくて、古今東西およそ人類が遭遇した生き物の中でも最もケッタイな代物だと思います。

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実物の写真や復元図は専門書やネット検索にお任せしますが、種名のとおり実に「ユニーク」なご面相です。極端に曲がった上顎は二股に分かれ、内側にも外側にも細かい歯がびっしりと生えています。下顎は割れてこそいませんが、その上顎を受ける形で歪んでおり、こちらも同じように細かい歯がたくさん並んでいます。かなり珍妙ですが、しっかり化石が出ているので間違いなくこういうかたちはしています^^;
Homo sapiens目線の意見を敢えて言わせていただくと、「お前さん、どうしてそんな顔になってしまったんだい?」

細かい歯がびっしりというところで想像のついた方もいらっしゃるかと思いますが、濾過食だった可能性が指摘されています。即ち海底の泥を漁り、この奇妙な口を笊のように使って獲物を濾して捕えたのではないかというのです。

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で、どうしてもそのヘンテコリンな顔に注目が集まって、復元図なども勢い顔を大きく描いているものが多いのですが、骨格の写真なんかを見るとプロポーション的にはかなり小顔なんですよね。気持ち的には顔を作り込みたくなっちゃうんだけど、あんまり懲りすぎると全体のバランスがおかしくなってしまう。
首長竜に近い生き物で、どうやら泳いでいたらしいとなると身体はつるっと作りたいですし、そうなると余計なんかアンバランスになりかねないという……結構悩んだところです。

最初は僕もよっぽどその「一風変わった歯」を折り出せないかと思ったのですが、最終的には辞めました。サイズ感を考えるとあの細かい歯がいちいち見えることはないだろうし、いくら爬虫類でも骨見たイメージで思うほど生きているときに歯は露出していないだろうと考えたからです。
もちろん、やろうと思ってできたかって言うと私の実力ではかなり厳しいものがありそうですがw

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紙は城西大学の大石化石ギャラリーで販売されていた化石折り紙を使用しました。多少癖はあるものの、折りやすかったかな。むしろ接着剤との相性が悪くて苦労しましたが^^;接着剤との相性は土台の和紙ともあんまり宜しくなかったのでこちらも難儀しました。
全体に整ってはいるけど、もっと遊んだほうが良かったかなという気もしています。

<参考文献>
・『三畳紀の生物』/土屋健著/群馬県立自然史博物館監修/技術評論社/2015年
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