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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

炎の選択

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炎の選択
Chalizard

ええ、もう、お分かりかと思いますが、リザードンです笑。
昨日でポケモン発売20周年ということだったので作ってみたら結構いい反響だったので、折角ですからこちらでも掲載しておこうかなと。

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何を隠そうblog主はポケモン世代ど真ん中!子供の時にはポケモンを合体させてオリジナルのポケモンを作る絵を随分描いたりしたものなのです。そんな身としてはやっぱり20周年と聞くと何か作りたくなってしまってですね^^;
思い立ったのが当日の朝だったので、自分の得意ジャンルに近くてかっこよく決まりそうなもの、ということでリザードンに。
やはり強弱は別にして炎ポケモンのデザインが一番かっちょええですし、その中でもやはりパッケージに使われていたこいつは別格なのであります。

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いざ作ってみると、大きな翼と上腕との関係性(どっちが上についているのかとか)が結構難しくて、かなり悩みました。いろいろ試した結果、翼の方が腕より下に来ちゃうと格好悪いのはわかったのですが、翼に使いたい大きな角は腕で使う予定の角より最初下の方で四苦八苦^^;;;結局1日仕事になっちゃいました。
この翼や頭のお蔭で、こういう風にするとこういう角が出せるのねという発見もいろいろできたので、意外と勉強になった作品でもあります。

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頭の角は最初期には1本説もあったのですが、アニメも2本だったし、2本ある方が顔が決まるのもあって2本に。
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福寿

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福寿
fukuju

日本画シリーズも櫻枝菖蒲紅葉と四季を巡ってまいりまして、今回は冬。

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冬が見ごろの植物と言うのはあんまりイメージにない気がしていたのですが、落ち着いて考えてみれば梅、水仙、寒葵、蠟梅などなど結構あるんですよね。これまでの作品との色見の関係もあって、黄色がいいなあと思っていたところで、新宿御苑に散策に行き、いろいろ観ましたがやはり定番とも言える福寿草がいいなあという結論に至った次第です。
(蠟梅もいつか作品化したいんだけど、今回はピークが過ぎてたのもあり、春が木、夏が草、秋が木、と来たので冬は草にしたいというのもあり)

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花と葉で印象が違いますが、折り方はほぼ一緒。最後の仕上げの部分がちょっと違う程度です。
色が違うのと紙の質が違う(花の方はかなり薄い和紙を、葉はタントを使っています)ことで結構雰囲気が変わりますね。思ったよりもしっかり区別がついて良かったです^^

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この黄色い紙が折りづらかった。。。^^;
こんっなに折りづらいとは思わなかったけど、薄さ考えてみたら当り前か(笑)
けどお蔭でやわらかな印象になったかなと!
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百三夜/伯爵の復権~

索引を作って改めて思ったことがいくつかあるのですが、その一つに「ロッシーニが好き」と言いながら最初の100夜ではそんなにロッシーニを得意にした人をご紹介できていなかったなあということがあります。
と言う訳で今回はベル・カントもの、特にロッシーニでの活躍で人気を博した名テノールをご紹介。

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Osiride (Rossini "Mosè in Egitto")

ロックウェル・ブレイク
(Rockwell Blake)
1951~
Tenor
America

ロッシーニの演目の再評価が進んだ近年、彼の作品の上演機会も多くなり、そこで必要とされる猛烈なアジリタをこなすことができるテノールも増えてきました。既にご紹介した人で言えば伊的なサーヴィス精神旺盛なシラグーザがいますし、彼以外にもこの領域で圧倒的な存在感を放っているフローレス、バルトリとの共演も多く知的な歌唱が持ち味のオズボーン、黒人らしい艶のある声が個性的なブラウンリーなどなど……とはいえ、現在の彼らの活躍があるのは、20世紀後半のロッシーニ・ルネッサンスの流れがあったからであることは、言を俟ちません。
ロックウェル・ブレイクは、ラウル・ヒメネスやクリス・メリット、グレゴリー・クンデらと共にこの時代を牽引し、新たなテノールの時代の嚆矢となった名手中の名手です。

彼を語る上で欠かせないエピソードと言えば、『セビリャの理髪師』(G.ロッシーニ)のアルマヴィーヴァ伯爵の大アリアの復活を上げねばならないでしょう。
詳述されているWebサイトも多いので、ここでは簡単に。ロッシーニ演奏が下火であった時代にあっても傑作として演奏され続けていた『セビリャの理髪師』ではありますが、本来作中の山場となっていた2幕終盤の伯爵の大アリアは、演奏困難であることを理由に長い間演奏されていませんでした。ロッシーニ再興時代以前では、スタジオ録音で僅かに2例、1958年のラインスドルフ盤でチェーザレ・ヴァレッティが、1964年のヴァルヴィーゾ盤でウーゴ・ベネッリがそれぞれ歌っているのを除くと実演でも殆ど歌われていなかったと言います。
その復活に貢献したのが誰あろうブレイク。それまでは多くの公演で大アリアは判断の余地なくカットの憂き目に合っていたのだそうですが、彼はこの役を受ける契約にあたっての条件として大アリアを歌うことを盛り込み、世界中の劇場でこの歌を歌ったのだとか。彼のお蔭で我々はこの曲を愉しむことができるようになった訳ですが、一方で「俺はこれ歌うんじゃあ」というブレイクのスターっぷりを感じたりもして、ちょっと微笑ましい。
実際彼がこの曲を歌っている映像を観ると、これでもか!というドヤ顔ぶりが面白かったりもします笑。演劇としてのオペラを考えたときに、あんまり素のドヤ顔が出て来てしまうのはどうかなというのもあるのですが、これだけ爽快な顔をされるとなんと言いますか赦してしまう自分がいます。

<演唱の魅力>
このひとについては、卓越した技術と勢いのある歌いっぷりに魅力が集約されていると思います。何と言ってもあの速射砲のようなスピード感のあるコロラテューラには有無を言わせない強烈なパワーがあります。このパワーはひとつには彼の声が、ロッシーニを得意とするテノールの中では比較的重量感のあるもので、もっと言ってしまえば或種の野太さを持っているところに起因しているように思います。この重さの違いは、例えば先ほどのシラグーザやフローレスの声などと較べていただければ一耳判然ではないかと。そして実はその分、彼の転がしはよく聴くと当世のロッシーニ・テナーよりも強引さや粗さが感じられるものではあるのですが、それが音楽的に不満足な結果を生んでいる訳ではなく、むしろ先ほど述べたようなパワフルさやぐいぐいとドライヴするスピード感といったユニークな魅力に繋がっています(念のため付言しておきますがブレイクに強引さや粗さが感じられると言ってもそれは超高次元の話で、これだけ歌えて粗いというのもどうなのかという気もしますが)。

また、どうしてもその転がしの技術や刺激的な高音に耳が行ってしまうところはあるのですが、彼の強みの一つとしてその息の長さも特筆すべきものだと言えるでしょう。あの凄まじい超絶技巧のいったい何処で呼吸をしているんだろうかと思いながら聴いていると、こちら側がむしろ息が詰まってしまうぐらいブレスが少ないです。アリアの最後などで高音を張る部分なども、唖然とするぐらいのロングブレス!いったいいつまで伸ばすのよ、と途中で笑いがこみあげてくるほどです。とりわけその凄さを感じさせるのは、恥ずかしながら私自身全曲聴くことはできていないのですが『なりゆき泥棒』(G.ロッシーニ)のアルベルト伯爵のアリアです。これ、youtubeに上がっているんで是非ご視聴ください。さんざっぱら超絶技巧を尽くした揚句に最後の音を延々と伸ばし、しかもその音を1回pまでデクレッシェンドした後にクレッシェンドでfまで引き戻して終わるという、にわかには信じがたい藝当をさらりとやってのけています!ブレス・コントロールの訓練の賜物と言うべき圧巻のパフォーマンスで、彼の技術が一朝一夕に作られるものではないことがよくわかります。

もうひとつ、彼の歌を聴いていてとても愉しいのは、彼自身が非常に自信満々に、如何にも楽しそうに自分の技術を披露しているところです。良くも悪くもかつての「テノール馬鹿」的な気質を引き継いでいると言ってもいいかもしれません。自分が目立つためにアンサンブルをぶち壊すような真似こそしませんが、自分が目立てる部分では徹底的に自分をアピールし、それを楽しむタイプの歌手。うまくない人にこれをやられるとアイタタタタな話になりますが、彼ぐらい実力があると、むしろアスリートの名演技を見ているかのような爽快感すらあります。このごろはこういう意味での主張のある人が少なくなっている気がしていて、それはそれで残念にも思えます。

<アキレス腱>
卓越した技術とパワーが魅力のブレイクですが、声そのものは所謂美声ではありません。現在のベル・カントの名手たちのような明るくて軽い、透明感のある声では全くなく、むしろ音色としてはやや暗めで硬さのある響きで、これが独特の力感を生んでいる一方、悪声と感じて受け付けない人もいるでしょう。また、上述のとおりやや強引さのあるコロラテューラも好き嫌いの出そうなところです。

あと、先ほど申し上げた「テノール馬鹿」的なドヤ顔歌唱はきらい!という向きにはおススメはできかねます。

<音源紹介>
・アルマヴィーヴァ伯爵(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
ヴァイケルト指揮/ヌッチ、ダーラ、フルラネット、バトル共演/メトロポリタン・オペラ管弦楽団&合唱団/1989年録音
>数多ある本作の録音・映像の中でも最高峰のもののひとつと言っていいのではないかと思います。何と言っても男声陣が最強!軽妙なヌッチに面白過ぎるダーラ、重厚ながらもコミカルなフルラネットと揃っています。とりわけ伯爵のオーソリティとして世界中で大アリアを披露していたころのブレイクを、こうして音質画質とも良好な形で観ることができるのは本当にありがたいところ。ライヴと言うこともあって勢いのある表現で、荒削りながら力強い伯爵像を築き上げています。やはり大アリアはもう文句なく素晴らしい!失われた超絶技巧に期待を膨らませていた客席の熱狂も納得です。登場のカヴァティーナから情熱的でスタイリッシュな魅力がありますし、酔っ払いや音楽教師に化けて出てくるところもコミカル。彼の例の自信満々なドヤ顔っぷりが喜劇としての面白さも生んでいますし、同時に自分の運命を切り拓くこの役にリアリティを与えてもいます。この役を知るためには、一度は観ておきたい映像ではないかと思います。

・オジリーデ(G.ロッシーニ『エジプトのモゼ』)
アッカルド指揮/スカンディウッツィ、ペルトゥージ、デヴィーア、スカルキ、ディ=チェーザレ共演/ナポリ・サン=カルロ歌劇場管弦楽団&合唱団/1993年録音
>これもよくぞ映像を遺して呉れました!と言う代物。音質は鑑賞には問題ないレヴェルですし、年代を考えると必ずしも画質はよくはありませんがまあ許容できますし各役ともルックスもイメージに合っています。ブレイクはヘブライの女と戀に落ちる埃国の王子と言う役どころで、あらすじ上全体に直情的で過激な行動が目立つ人物なのですが、これが彼の個性に凄くよく合っていて、強烈なインパクトがあります。アリアこそないものの技巧的に厄介な重唱がいくつもあって、しかも物語を進めて行くのは彼なのでかなりの難役だと思うのですが、歌唱上転がしも高音も圧倒的ですし、見た目としてもまさに役と一体化していると言っていいぐらい。シリアスものをやってもカッコよく決まる人だということがよくわかります。

・リナルド(G.ロッシーニ『アルミーダ』)
マジーニ指揮/アンダーソン、R.ヒメネス、山路、スルヤン共演/エクサン・プロヴァンス音楽祭管弦楽団&合唱団/1988年録音
>よくこんなものが残っていたなあと思わされる物凄い演奏です。音質こそ冴えませんが、そんなことを言っては罰が当たります(笑)この役もアリアがないとはいえ演奏困難な重唱が目白押しで歌える人はかなり限られますが、彼の歌唱には余裕すら感じられます。やや癖のある声は、ここではリナルドに英雄然とした雰囲気を齎すのにも一役買っています。その重さのある声での迫力のあるアジリタ!特に有名なテノール3重唱での歌いぶりは目覚ましく、固唾を飲んで聴きいってしまいます。その3重唱で絡んでくる2人がまた凄い。優美な声で気品を感じさせるラウル・ヒメネスも見事ですし、夭逝した日本の名テノール山路の格調高いスタイリッシュな歌がこうして全曲で聴けるのは大変ありがたいところ。そしてこの2人はいずれも1人2役で臨んでいます!ブレイクが1951年生まれ、ヒメネスと山路がそれぞれ1950年生まれと、この世代の層の厚さを感じさせます。

・ジャコモ5世(G.ロッシーニ『湖上の美人』)
ムーティ指揮/アンダーソン、デュパイ、メリット、スルヤン共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1992年録音
>ポリーニ盤と並ぶ本作の東西の横綱と言うべき名盤!ムーティのきびきびとした指揮の下、特にこの時代を代表するロッシーニ・テノール2人の対決をきちんとした音質で聴くことができるのは非常に嬉しいところです。あの有名なロマンティックなカヴァティーナがやはり印象に残ります。これはどちらかと言えば彼の得意とする勢いのある歌というよりも、全体にはゆったりとした中に超絶技巧を散りばめたようなもの。ゆったりしているからこそ却って聴かせるのは難しい歌だと思うのですが、堂々とした貫禄を感じさせる歌いぶりで文句ない名唱です。対するメリットはいつもながらの野太い声でブレイク以上にスリリングな転がしを繰り広げていて、こちらも絶唱!アンダーソンも切れ味の鋭い技巧を聴かせますし、デュパイも高水準です。

・アルベルト伯爵(G.ロッシーニ『なりゆき泥棒』)
詳細不明
>上述のとおりごめんなさい、これは全曲でちゃんと聴けていなくて、youtubeに落ちていたアリアを1曲聴いただけですが、彼の技術の確かさをわかりやすく感じられるものなのでご紹介します。大前提として元がファルサの曲と言うこともあってか、彼の明るいキャラクターが非常に活きています。映像は何種類か観られるのですが、いずれにおいても意気揚々と楽しげに余裕を持って歌っているのが微笑ましいです(実際には信じられないような超絶技巧を繰り広げているのですが笑)繰返しになりますがあの速射砲のようなコロラテューラからの最後の高音ロングトーンをデクレッシェンドした後にクレッシェンドしてfでフィニッシュ!!!(何を書いてるのか自分でもよくわからなくなるww)は何度聴いても感動させられます。

・フェルナンド・ファリエーロ(G.ドニゼッティ『マリーノ・ファリエーロ』)
ダントーネ指揮/ペルトゥージ、セルヴィレ、デヴィーア共演/パルマ国立歌劇場管弦楽団&合唱団/2002年録音
>どうしてもロッシーニばかりが並びますが、それ以外の演目でももちろん卓越した歌唱を遺しています。この作品はドニゼッティがよりドラマティックな音楽を志向して書いた作品で、舞台を考えても“ドニゼッティの『シモン・ボッカネグラ』”といってもいいと思います。そういう意味でより力強い重たい声が要求される一方、まだこの時代らしい華やかな転がしや刺激的な超高音も求められるというこれまた歌唱面では相当にきつい役ですが、キャリアも後半になってからであるにも拘わらず卓越した歌を聴かせています。アリアでの高音はやや構えて出す感じこそありますが十二分の鳴りですし、決鬪に向かう場面の切迫感も堪りません。共演陣はいずれもベル・カントの名手と言うこともあって聴き応え充分!

・ジョルジュ・ブラウン(F.A.ボワエルデュー『白衣の婦人』)
ミンコフスキ指揮/マシス、ナウリ共演/パリ管アンサンブル&仏放送合唱団/1996年録音
>ロッシーニを中心に活躍した後、彼は活動の中心を仏ものへと移していきます。その時代の代表的な録音と言えるのがこちら。ゲッダやセネシャルがそれぞれの魅力を引き出したながらも技巧的にはかなり端折って歌っているのに対し、ブレイクは彼お得意の転がしをあらんかぎりに披露しています(楽譜を見ていないのでどちらが本来のあり方なのかはわかりませんが、ロッシーニより少し前と言うことで技巧が好まれる時代の作品なのは確かだと思います)。仏ものの優雅さよりはメカニックな技巧と推進力の方が勝っている感じはありますが、これはこれで実に爽快な歌唱^^ヒロインのマシスも華があって魅力的ですし、悪役のナウリも歌う場面は短いながら適度に下卑た人間臭さが感じられていい味出してます。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百二夜/知られざる実力者~

100回を迎えたことですし、ちょっと最初の頃のように各パート1人ずつご紹介するスタイルに戻ってみようかなと思います。
前回はソプラノでしたので、今回はメゾをご紹介しましょう。

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Ratmir

ラリッサ・ジャチコーヴァ
(ラリッサ・ディアドコーヴァ、ラリッサ・ジャジコ―ヴァ)

(Larissa Diadkova, Лариса Ивановна Дядькова)
1954~
Alto, Mezzo Soprano
Russia

再び露国の名手を。
彼女もまたゲルギエフの手兵として長くマリインスキーを支えてきた大ヴェテランです。以前ご紹介した範囲からだと、プチーリンやアレクサーシキン、それにプルージュニコフといった面々との録音が多いですね。ネトレプコとの共演もあります。
マリインスキーで活躍したメンバーの中では比較的西欧での録音も多く、アバドやパッパーノの指揮で伊ものにも登場しており、いずれも高い評価を得ています。サン・カルロ劇場の引越公演で一緒に来日した際には、迫力ある声でアズチェーナ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)を演じて話題になったようです(あのころはまだ金欠学生だったからなあ……金欠はいまも変わりませんが)。

とは言え後輩のボロディナなどに較べるとまだ国際的な活躍は少ないですし、アリア集などを出している訳でもないので、知名度が高い歌手とは言えないかなと思います。彼女ぐらい実力があれば、今だったらライヴ・ヴューイングに出演したりして話題になっただろうという気がします。美人とは言いませんが、独特の中性的な顔つきで舞台上での存在感もありますし。

名前の日本語表記の安定しないオペラ歌手と言えば以前ご紹介した土国のプリマ・ドンナ、ゲンジェルが代表選手ですが、このジャチコーヴァも負けず劣らずで、見る資料見る資料名前が違うんじゃないの?と思うくらいです^^;困ったことに彼女の出演する録音を数多く出しているPHILIPSの日本盤でも音源によって表記がまちまちで、混乱に拍車をかけています。英語の綴りを見ると確かに「ディアドコーヴァ」に読めてしまうのですが、露語の標記的には「ジャチコーヴァ」と読むのが一番よいように思います。

<演唱の魅力>
露国のメゾはいい人がたくさんいて、このシリーズでもこれまでにアルヒーポヴァ、オブラスツォヴァ、それにドマシェンコをご紹介してきました。それぞれ個性のある声の人たちではありますが、いずれも重厚で深みのある、ちょっとアクを感じさせる響きの声でした。それがざっくり言えばアルヒーポヴァなら土臭さに、オブラスツォヴァなら迫力に、ドマシェンコなら色気に繋がっていた訳です。
ジャチコーヴァもまた深くて豊かな響きの声です。アルトと言ってもいいでしょう。しかし、彼女の声にはアクをそれほど感じません。むしろすっきりとした、クリアな響きにこそ魅力があるということができるように思います。水の澄んだ、しかし底が見えないぐらい深い淵のような、透明感のある真っ直ぐな深さ、とでもいいましょうか。そしてその声質のまま低い方からかなりの高い音までスカッと声を飛ばすことができます。広い音域を均質な美しい響きで鳴らすことができる、というのは基本的なことのように思われますが、実現するのは難しいことで、その点からだけでも彼女の実力の高さが窺えます。

そういった響きの声だからでしょう。彼女のレパートリーを見てみると確かに露ものらしいものなのですが、露もののメゾと言ってぱっと思いつくような情念の塊をどろどろと描くようなものとはちょっと傾向が違います。その適性がよく発揮されているのは、特にラトミール(М.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』) やニェジャータ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『サトコ』)といったズボン役だと思います。寡聞にして未だ鑑賞していないのですが、『ボリス・ゴドゥノフ』(М.П.ムソルグスキー)の映像で、後輩のボロディナが貴族の娘マリーナを演じているのに対し、彼女が皇太子フョードルとして共演しているものがあることなどは、ひとつ象徴的な例だということができるかもしれません。端正で凛々しい、若い騎士を思わせるような声と、スタイリッシュでべたべたし過ぎないきりっとした歌い口。そう考えて改めて聴いてみると、演目こそ全く違えど例えばホーンやラーモアのような男役で定評のあるメゾたちとどこか似た印象を受けるように思います。個人的にはヴァーニャ(М.И.グリンカ『イヴァン・スサーニン』) は最高なんじゃないかと思うのですが、残念ながら録音はないようです。

ただ、だからと言って女の情念みたいなものを歌いあげるのは苦手かと言えばそんなことはないのが、彼女の凄いところでもあります。お国もので行くならば、マイナーながらカシェヴナ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『不死身のカシェイ』)では色気のあるエキゾチックな歌が印象に残ります。変にべたべたした表現にしていないことで、むしろ若い女性の活き活きとしたキャラクターが感じられるのです。そして――実はこれこそが彼女の代表盤になるかもしれませんが――、パッパーノ盤でのアズチェーナ!(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)ここではいつもながらのクリアで音域の広さを感じさせるスッキリとした声でありながらも、伊的なパッションと迫力を感じさせて演奏に彩りを添えています。この演奏そのものが現代的でフレッシュなものだからこそ彼女が活きているということは言えると思いますが、これはこれで見事なもの。この演奏での世界観を維持しつつ、真の主役が誰なのかをわからせて呉れるパフォーマンスになっており、彼女の知的なセンスを感じさせます。

<アキレス腱>
声もよし、歌もよし、舞台センスもあるとどの録音を聴いても悪いところのおよそない人なんで、微妙どころを述べるのも難しいです。
ただ、常に平均以上のパフォーマンスをしてくれるし非常によく頭を使った歌唱をしている一方で、ものすごく強烈な個性を押しだしたり熱狂的な表現をするタイプではないので、人によるとちょっと醒めた印象と言うか、優等生的だなあと思われる方もいるかもしれません。上述のとおり、それこそが彼女の持ち味でもあるので、如何ともしがたいところではありますが。

<音源紹介>
・ラトミール(М.И.グリンカ『ルスランとリュドミラ』)
ゲルギエフ指揮/オグノヴィエンコ、ネトレプコ、ベズズベンコフ、ゴルチャコーヴァ、プルージュニコフ、キット共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団/1995年録音
>超名盤。彼女の録音で印象的なものを1つ選べと言われたら、僕はこれかなと思います。ゲルギエフの指揮も、ネトレプコやオグノヴィエンコといった共演も非常に優れていますし、彼女の美質もとてもよく出た演奏です。硬質ですっきりとした、しかし響きの豊かな美声は、リュドミラを救いに向かう騎士の1人に相応しい凛々しい印象です。特に1幕フィナーレのアンサンブルでの勢いのある歌いぶりはお見事。もちろん3幕の大きなアリアでのロマンティックな歌い口も素晴らしいです。この役かなり出番が多いのですが、全曲に亘ってしっかりとした存在感を感じさせる歌唱で、もしこれでルスランがしょぼい人だったらどっちが主役だかわからなくなりそうなくらいです笑。実際にはオグノヴィエンコが、往年のペトロフやネステレンコに負けない充実した歌唱なので、当初はルスランと対立し、やがて友情を育む頼りになる友人としての、説得力のある人物像を築き上げています。

・リュボフィ(П.И.チャイコフスキー『マゼッパ』)
ゲルギエフ指揮/プチーリン、アレクサーシキン、ロスクトーヴァ、ルツィウク共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー・オペラ管弦楽団&合唱団/1996年録音
>こちらもまた超名盤。特にプチーリン、アレクサーシキン、そしてジャチコーヴァのヴェテラン3人のうまさが光ります。彼女はこの録音の他にレイフェルクスやコチェルガと共演した父ヤルヴィ指揮の音盤でもこの役を演じており、エキスパートの感があります。派手な出番がある訳ではありませんが、脇役以上の存在感を与えているのは彼女の手腕でしょう。彼女の声の響きが、ここでは年配の女性らしい落ち着いた雰囲気を伴っていてしっくりくる一方、娘を奪われ夫を殺される悲劇の人物としての感情の動きも、動的にしっかり描いていて素晴らしいです。

・カシェヴナ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『不死身のカシェイ』)
ゲルギエフ指揮/プルージュニコフ、シャグチ、ゲルガロフ、モロゾフ共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団&合唱団/1999年録音
>リムスキー=コルサコフの小さいながらも興味深い作品をゲルギエフが素晴らしい手腕で仕上げた名盤です。歌唱陣も平均点の高い出来ですが、とりわけ題名役のプルージュニコフと彼女のカシェヴナが出色です。この役は、当初は父の命でいつものとおりに殺そうとした王子に惚れてしまい、しかし王子には拒絶され……とオペラ的なオイシさてんこ盛りな影の主役であり、要役としての難しさもありますが、抜群の表現力で思わず感情移入して聴いてしまいます。他の露国のメゾだったら物凄く濃い歌唱と演技で味付けをしていきそうな役柄なのですが、ジャチコーヴァの表現は上述のとおりむしろもっとクールに感じられるもので、最初に登場したときの殺人を厭わない魔王の冷酷な娘という雰囲気がとてもリアル。もちろんその先ほだされて行く部分もいいですし、アリアでのエキゾチックな香りも秀逸です。彼女の藝の広さを感じとることができる演奏と言えるでしょう。

・ニェジャータ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『サトコ』)
ゲルギエフ指揮/ガルージン、ツィディポヴァ、タラソヴァ、アレクサーシキン、ミンジルキーイェフ、グレゴリヤン、ゲルガロフ、プチーリン共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー・オペラ管弦楽団&合唱団/1994年録音
>露的熱狂と言うところで行くともうひとつふたつな感はあるのですが(ゲルギエフの指揮とガルージンでしょうね問題は)、この作品を知るのに悪くはないものと思います。この役も露節の炸裂したゴロヴァーノフの強烈な録音では、アントノーヴァがまた土臭さ満点の民謡節で演じていた印象が強いのですが、ジャチコーヴァはここでもまた彼女らしいえぐみの少ない表現で、別の魅力を引き出しているように思います。もちろんどちらがいいという訳ではなく、アントノーヴァが持っていた露的で異様な熱気が少ない代わりに、与えられた旋律本来の美しさをストレートに引き出していると言えるのではないかと。或意味でロマンティックな吟遊詩人の風情をジャチコーヴァの方に感じる人も多いかもしれないと思います。彼女が得意とするズボン役ですし、おススメできます。

・アズチェーナ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)
パッパーノ指揮/アラーニャ、ゲオルギウ、ハンプソン、ダルカンジェロ共演/LSO&ロンドン・ヴォイセズ/2001年録音
>これは異色の名盤と言っていいと思います。この演目が長い上演の歴史で培ってきたような、重厚で力感溢れる伊的熱狂の粋をつくした味付けの濃ゆい演奏から一旦離れて、現代的で引き締まったフレッシュな魅力を再構築したパフォーマンスです。まずは偏にパッパーノの力だと思いますし、一見ミス・キャストに思えるゲオルギウ、ハンプソン、ダルカンジェロの3人がそれぞれ脂身の少ない声と歌唱で、ユニークなうまみを引き出しています。とはいえそれだけだとドライで味気なくなってしまいそうなところに、全体をぶち壊さない範囲で効果的に伊国の風を吹き込んでいるのが、アラーニャと(惜しいことにアプローチとしては凄く納得いくのですが、彼の声の美質が活きていなくて残念)、そして意外にもジャチコーヴァなのです。ここでの彼女はいつものように透明感のある艶やかな美声を巧みに使いながら、熱気の感じられる歌唱を繰り広げています。高音も気分よく抜けますし、低音のドスも凄まじい。でも、単なる迫力押しではないのです。むしろ歌唱スタイルそのものから行けばゲオルギウたちと同じような現代的でさっぱりとした感じですらありながらも、伊ものらしいトロッとしたアツさを強く感じさせるという点で、彼女が一番ユニークかもしれません。こんなアズチェーナもあるのか、と思わせられること請け合いです。

・イェジババ(A.ドヴォルジャーク『ルサルカ』)2022.11.2追記
コンロン指揮/フレミング、ラリン、ハヴラタ、ウルバノヴァー共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/2002年録音
>露ものではないものをもう一つ。ドヴォルジャークのオペラとしては唯一の有名作ながら、フレミングがよく取り上げていたためか、比較的映像も音源も手に入りやすくなっています。カーセンの舞台は現代的なセットや衣装も取り入れながら、シンプルで非常に美しく、この作品を初めて知るのにも適したものになっていると思います。イェジババも所謂人魚姫の魔女ですからディズニーのようにもっと恐怖感をあおることもできそうなところを、過剰さを殺いですっきりとさせることでむしろ謎めいた恐ろしさを際立たせ、ジャチコーヴァの藝風に合ったものになっています。明らかに近寄るのが危険な雰囲気ではなくて、何となく好意を覚えて寄って行ってしまいそうな空気感がたたずまいにも、心地よい深いアルトの響きにも感じられます。フレミングをはじめ共演陣もこの演出にぴったりとハマる声・歌・姿ですし、コンロンの知的な指揮も詩的な世界を作っています。

・乳母(С.С.プロコフィエフ『修道院での結婚』)2017.9.11追記
ゲルギエフ指揮/ガシーエフ、アレクサーシキン、ネトレプコ、アキーモフ、タラソヴァ、ゲルガロフ、ヴァニェーイェフ共演/マリインスキー歌劇場管弦楽団&合唱団/1997年録音
>僕がジャチコーヴァを最初に観たのはラトミールで、そこでのクールな印象がずっと頭にあって、ここまで紹介してきたものもそうしたイメージに乗ってくるものだっただけに、この映像のインパクトはすごかったです笑。何といっても出てきた瞬間からのコメディエンヌっぷり!どたどたと品なく歩き回り、狙いに狙って変顔を入れてくるその演技に衝撃を受けました笑。それがまたこの役の遠慮のなさや即物的な現実主義に実にピッタリ来ています。一方でいつもながらのしっとりした美声は健在。若き日のネトレプコや美女のタラソヴァが出ていますが、完全に主役はジャチコーヴァと神経質な父親を演じるガシーエフです笑。もう1人の主役アレクサーシキンは容貌は雰囲気たっぷりなのですが、どうも頑張って喜劇をやってますという感じがしてしまって、シリアスなものの方が合っているように思いました。アキーモフとゲルガロフは上々です。
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