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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百八夜/北方の若獅子~

さてまた随分と空いてしまいましたが、ゆっくりと更新を続けていきたいと思います。
前回に引き続き、今注目の若手をご紹介していきましょう

AlexanderVinogradov.jpg
Lancelotto Malatesta

アレクサンドル・ヴィノグラドフ
(アレクサンダー・ヴィノグラドフ、アレクサンドル・ヴィノグラードフ)

(Alexander Vinogradov, Александр Виноградов)
1976~
Bass
Russia

この方については今さら私などが取り上げるまでもなく、お友達のValencienneさんが素晴らしいファンサイトを運営されているところで、正直なところちょっと記事にするのもお恥ずかしいというところではあるのですが……。

世代的には今メトでの活躍が目覚ましいイルダール・アブドラザコフやステファン・コツァーン、それにアーウィン・シュロットなどと同世代で、その中ではやや知名度が落ちるところ、中堅バスとも言うべき立ち位置かもしれません(とはいえ少なからず来日もしているので(実は僕見られてないのですが)、新国立などによく行かれる方の間では名前は通るのかもしれません)。
一方で歌唱面での実力は決して彼らに引けを取らず、どころか先ほど挙げた歌手たちよりも個人的には好きな歌手です。深みのある低音ももちろんですが、個人的にはその輝きのある高音の魅力と端正な歌に得難いものを感じています。もっとその実力に見合った活躍をしてほしいなと思っていたところ、今年(2017年)にはMETとバイエルンでのデビューが決まりましたので、ひょっとするとこれから露出が増えてくるかもしれないですね。ちょっと期待もしています。

ちなみに露国では「ヴィノグラドフ」さんが多いようで、しかも「アレクサンドル」というファーストネームの方も多いので同姓同名の方がたくさん……検索するときには注意されたしです。

<演唱の魅力>
ヴィノグラドフというと、まずは端正な歌の印象が強いです。いや他の最近の方の歌唱が整っていないとかそういうことではないのですが、彼の歌からは彼の楽曲や楽譜に対する姿勢が伝わってくると言いますか、作品に対して誠実に接しているんだろうなと感じさせるような、いい意味での生真面目さのある歌。こうしたアプローチはともすると「綺麗に歌いましたね」で終わってしまいますし、実際彼の若い頃の歌唱にはそういったものも少なくないのですが、そうはならずに聴きごたえのある歌唱を生むことが出来るのが今のヴィノグラドフの凄いところです。むしろ変な色気を出さず、堅実に解釈し、表現することからリアルさを引き出していくことこそに真骨頂があると言えるかもしれません。そうなるとモーツァルトやベルカントなど旋律の美しさが前に出た演目で活きそうな気が一見するのですが、むしろその真価が最も表れているのはラフマニノフでしょう。僕の視聴した範囲で彼の最良のパフォーマンスだと思っているのはランチェオット(С.В.ラフマニノフ『フランチェスカ・ダ=リミニ』)です。この役も演目も決して有名なものではなく、また馴染みやすいとは言い難い作品だと思うのですが、彼の実直なパフォーマンスは、この役に籠められた鬱々とした揺れ動く感情を生々しいまでに克明に描き出しています。ちょっとこれを聴くと、この役のより優れた歌唱に今後出会うことはないのではないかと思ってしまうほど。アレコ(С.В.ラフマニノフ『アレコ』)もまた若々しい力強さと、澄んだ冷たい哀しみを引き出した名唱です。

「若々しい」ということばを遣いましたが、彼のバスとしての声の印象を表現するのにこれほどぴったりな言葉はないと思っています。バスはやはりその重低音に大きな魅力がある人が多く、ヴィノグラドフもまた甘みのある深い低音は素敵なのですが、彼の場合はそれ以上に高音での明るさや輝かしさが印象的です!バスというと伊ものでは年齢のいった役柄のイメージがあり、高齢に聴こえる音色が得をしがちに一見思えるのですが、例えば露ものでは上記のラフマニノフのように枯れていない壮年の魅力が求められる役も少なくありません。仏ものでもメフィスト(C.F.グノー『ファウスト』)やエスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)がおじさんだったら幻滅ですし、もっと言えば伊語でもモーツァルトであればドン・ジョヴァンニ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)やフィガロ(同『フィガロの結婚』)といった役柄があるわけで、こうしたところでは若々しいことは強みになります。そして、実際彼が高い評価を得ているのはこのあたりの役です(但し、ドン・ジョヴァンニはまだ演じていないそうなので、歌うのであればかなり気になるところです!)。彼の声に含まれる爽やかでたくましい若さが、こういった役をより活き活きとさせていることの証左ではないかと思います。
他方で彼も40代に入って、フィリッポ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)などより「老い」を感じさせる役も演じるようになってきました。まだまだ磨いている最中という印象は免れないものの、あの凄まじいランチェオットなどを思うと老いを感じさせつつも枯れていない人物の悲哀というところで、新たな彼の魅力の萌芽は既に聴き取れるように思います。ますますこれからの円熟が楽しみです。

<アキレス腱>
歌も素晴らしければ舞台姿も凛々しいのですが、惜しむらくは演技はうまい方ではありません。動きのパターンが同じようなものに固まってしまいがちなのは、映像で観るときにはどうしても気になってくるところです。
また、先述のとおり単に綺麗な歌になってしまっているときもあります。この傾向はどうしても特に若い頃のものに見られる他、老け役で持ち前の若々しさが仇になっているときにも同様の印象を与えがちです。

<音源紹介>
・ランチェオット・マラテスタ(С.В.ラフマニノフ『フランチェスカ・ダ=リミニ』)
カルデロン指揮/ガスカローヴァ、リベルマン、グニディ、マクストフ共演/ナンシー・リリック交響楽団&ロレーヌ国立歌劇場合唱団/2015年録音
>超名演ですがソフト化されておらず、youtubeで全曲を映像で視聴することが出来ます。上述のとおり知っている範囲ではヴィノグラドフのベストと言っていい公演ではないかと思います。変則的な作品で全体の3分の1ほどにあたる真ん中の20分ほどは延々とランチェオットの独り舞台なのですが、凄まじい集中力で観る側をぐんぐん惹きこみ、一切飽きさせません。最後に笑い声を入れている他は、崩しも少なく余計なことをしない彼らしい歌唱なのですが、あまりの迫力に思わずゾッとするほど。若さの輝きのある声と端正な歌、そして甘いマスクが、却ってこの役が不具であることとその歪んだ嫉妬心を際立たせているように感じます。ペトロフやレイフェルクスを聴いてもいまいち摑めなかったこの役の魅力、どす黒く悶々とした情念を、ここで初めて知ることが出来たように思います。残念ながら共演は万全ではないのですが、個人的には下のアレコとともに商品化を強く望んでいます。

・アレコ(С.В.ラフマニノフ『アレコ』)
カルデロン指揮/ガスカローヴァ、セベスティエン、マクストフ共演/ナンシー・リリック交響楽団&ロレーヌ国立歌劇場合唱団/2015年録音
>こちらもyoutubeで視聴することが出来ます。こちらは特にアリア“月は高く”が有名で、多くのバスやバリトンが録音をしていますが、ベストのひとつではないかと思います。重心の低いどっしりとしたバスの響きを持ちつつも、鋼のような渋い輝きを持つ声が、未だに若々しいパワーを保っているにもかかわらず、愛する人の心は若者に向かってしまうという壮年の哀しみを見事に表現しています。アリアではもう感情はいっぱいで、あとひとつ何かが起きたら涙が零れてしまうぎりぎりの様子が伝わってきて胸を打ちます。オケや共演は露的風情としてはもう少しですが、バスのセベスティエンは滋味のある歌唱で印象に残ります。

・ルネ王(П.И.チャイコフスキー『イオランタ』)
キタエンコ指揮/ゴロフネヴァ、ポポフ、ボンダレンコ、スリムスキ共演/ケルン・ゲルツェニヒ管弦楽団&ケルン歌劇場合唱団/2014年録音
>その知名度の割に名盤に恵まれている本作ですがこちらも素晴らしい演奏ですし、一般に販売されている音源の中ではいちばんヴィノグラドフの実力の良く出た音盤と言えるかと思います。彼の端正で格調高い歌いぶりは、こうした品位のある役ではやはり際立って聴こえます。最大の見せ場であるアリアは冒頭ではかなり高い音が、終結部ではうんと低い音が求められる結構大変な曲だと思うのですが、どの音域でもどっしりとした充実した響きで、王の親の思いと哀しみを引き出しています。共演も◎ですが、ここではチャイコの冷たく澄んだ音楽を美しく響かせるキタエンコの手腕が印象に残ります。

・サリエリ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『モーツァルトとサリエリ』)2020.3.31追記
ブリバエフ指揮/マクナマラ共演/アイルランド国立交響楽団&合唱団/2012年録音
>これもまたマイナーな演目ですがラフマニノフの2役に並ぶ極めて完成度の高い歌唱。ヴィノグラドフはこうした露語での語りを主体としたような演目でこそその真価をフルに発揮するように思います。もっと劇的にも歌えそうな役ながら少なくともここでの彼はいつもの端正なスタイルで理知的なサリエリを作り上げています。が、他方でその理知の中でコントロールできない衝動に満ち満ちているようないい意味での目一杯さが感じられるのです。そしてそれが溢れ出るのが最後にモーツァルトに別れを告げた後のモノローグ。ここを聴くためにこの作品のここまでのお膳立てがあるんだなと納得できるような、激しい、しかし派手にはならない感情の発露が感じられます。指揮のブリバエフも高水準で、これでモーツァルトがもう少しよければ言うことなしなのですがちょっと声が暗くて重いのが残念です。とわいえ、この作品の魅力を知ることはできるでしょう。

・ヴァルテル伯爵(G.F.F.ヴェルディ『ルイザ・ミラー』)
ザネッティ指揮/マルティネス、バルガス、ドバー、ユン、モンティエル共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/2008年録音
>この作品はあまり歌っている訳ではないそうなのですが、録音にもなっていればMETでのライヴ・ヴューイングもこの役ということで、結構重要なタイミングで歌っていると言えるのかもしれません。市販されているもの(ベニーニの指揮、サッバティーニら共演)は彼の丁寧な歌いぶりがよく出ており、またコチニアンのヴルムとの重唱など聴きごたえがある部分は少なくなく全曲盤としてはこちらより優れているとは思います。が、敢えてこちらを上げるのは、ヴィノグラドフ自身の完成度はこちらの方がうんと高いと感じるからです。その整った歌い口に加えて、より渋い味わいが増しており、より広がりのあるキャラクターを作り上げています。この伯爵はお世辞にもいいやつではないものの、彼なりの在り方で息子の行く末を気にかけ、苦渋の思いを抱いていることがひしひしと伝わってきます。
ド=ビリー指揮/ヨンチェヴァ、ベチャーワ、ドミンゴ、ベロセルスキー、ペトロヴァ共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/2018年録音(2018.11.30追記)
>ライヴ・ヴューイングを観てからの感想を書いていませんでした。結論としてはこの作品の映像として極めて質の高いものだったと思います(これもまたDVD化を望みたいですね)。ヴィノグラドフ自身のこの役に対する解釈や役作りは基本的には変わっていないと思いますが、10年を経て声の熟成と歌の表現力が大きく向上したように感じます。映像で見ると更に、嫌なやつながらノーブルでもあり父としての想いもあるという複雑な人物像を組み上げていることがよく分かります。あのドミンゴに対しても決して力負けしない存在感を示していたのは素晴らしいです。ベロセルスキーとはキャラクターの棲み分けがはっきりとできており、しかも2人とも高水準で嬉しくなりましたし、ペトロヴァも見事でこの脇の面々の充実ぶりが記憶に残りました。ベチャーワ、ヨンチェヴァも好演していますし、音だけで聴くとネックだったドミンゴのバリトン役も映像で見ると大ベテランとして舞台にいることで舞台を引き締めていることがよく分かりました。

・枢機卿(А.С.アレンスキー『ラファエロ』)
オルベリアン指揮/ドマシェンコ、パヴロフスカヤ、グリヴノフ共演/フィルハーモニア・オブ・ロシア&ロシア精霊復活合唱団/2004年録音
>おそらくこれしか録音のないレアな作品。入手しづらくはなっていますが、こちらも彼の良さが出ていると思います。全体にはチャイコフスキーやリムスキー=コルサコフの歌曲のような香りのする作品ですが彼の見せ場は堂々としたオペラティックな音楽で、生真面目な歌いぶりが高位聖職者の頑なさを際立たせています。15年ほど前の録音ということもあって声の輝きもひとしおです。フューチャーされているドマシェンコをはじめ、この珍しい作品を十分に楽しむことのできる演奏と思います。

・スパラフチレ(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
レンツェッティ指揮/チェッコーニ、フェオーラ、プレッティ、ベルトラミ共演/トリノ王立歌劇場管弦楽団&合唱団/2013年録音
>歌唱陣には所謂スーパースターはいないものの、近年聴いたリゴレットの中で実は一番気に入っているかもしれません。それぐらい個々の歌手の仕上がりとアンサンブルが素晴らしいです。スパラフチレはドスの効いた深いバスがやることが多く、その分迫力は出るものの何となく結構歳が行った感じになりがちなのですが、ここでのヴィノグラドフは彼らしい若々しさを発揮していて、清新な印象です。非常に筋肉質で引き締まった、「仕事人」的な殺し屋を想起させるような歌唱。彼の仕事やマッダレーナとの年齢関係を考えればこうしたアプローチは充分に考えられるし、説得力もあります。嵐の3重唱もかっこいいですが、序盤のリゴレットとのやりとりの不気味な空気感が気に入っています。
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