オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十四夜/主神の品格~2019-01-26 Sat 23:44
これまで私の趣味嗜好の問題でどうしても独もののバス・バリトンと呼ばれる人たちを扱うことができずにきていたこともあり、このシリーズで扱おうと思っていた歌手がいましたが、急遽予定変更することにしました。
というのも今回は独墺系のヴェヒターからスタートしましたし、もう少し時間を置いて勉強してからその人を取り上げようと思っていたのですが、大変残念なことにまたしても訃報が入り、そしてまた亡くなった彼こそこのジャンルの巨人というべき人であったので特集しないわけにはいかないなと。 そんな訳で最高のヴォータンに登場していただきます。 ![]() Wotan テオ・アダム (Theo Adam) 1926〜2019 Bass Baritone Germany 独ものを多く聴くことができてはいないものの、最高のバス・バリトン歌手だと思います。 ドレスデンの出身。勝手なイメージですが独ものというとオペラに限らずクラシック音楽全般で、彼が活躍していた東独の演奏の印象が強いです。音色は清澄で引き締まっていて、生真面目な硬さがありつつ筋肉質な身軽さがある……そしてそういった印象をそのまま歌にすると彼の歌唱にたどり着くように思います。オペラであってもあたかも歌曲を聞いているような、丁寧で濃密な歌唱からは、真摯でストイックな姿勢が伝わってくるようです。 幸いなことに録音が多く、彼が如何にさまざまなレパートリーでその本領を発揮していたのかが良くわかります。もちろん得意としていた独ものでの格調高い歌はいずれも名唱ですし、他方でヴェルディや露ものを扱ったアリア集も光ります。時代柄ほぼ全て独語歌唱ですが、優れた歌手が歌えば原語ではなくてもその音楽の真価を引き出すことができるということを証明してくれるでしょう。 正直なところ、彼のヴァーグナーやR.シュトラウスをあまり聴けていないにもかかわらずこの特集を組むのはいささか気がひけるところもあるのですが、そこはこのシリーズの常、追記で補っていきたいと思います(苦笑)。 <演唱の魅力> 前段のところで既に「格調高い」という語を遣ってしまいましたが、アダムの歌唱を形容するに当たってこれほど適切な言葉はないのではないかと思います。オペラの世界には芝居っ気や外連味で“見せる歌手”がたくさんいて、私自身この特集でそういった人を多く取り上げている通りそういった人たちにも魅力を感じる訳ですが、それでも彼の音楽に対して誠実な歌いぶりはまさに“聴かせる歌手”としてその稀有な才能を記憶されるべきものです。先程来の書きぶりですと「要は楽譜通りに歌っているのでは?」と思われるかもしれませんが、そうではありません。むしろ楽譜なり科白なりを丹念に読み込んだ上で深い洞察を行い、歌唱に魂を込めているといると言いますか、その中に世界を創り上げている感じがします。アリア集を聴いていても歌曲集を聴いているかのような印象を持つのはそういった彼の藝風によるところが大きいのででしょう。同じようなタイプでいけばF=Dやバルトリをここでは上げて来ましたが、F=Dはもっと学者的、バルトリはもっと“見せる歌手”といった中で、アダムには武道家のような印象を持ちます。或いは仁王像のような引き締まった姿と厳しい顔つきを連想することもあります。精悍さと、自らが信じる伝統を担っているというような誇り高さが、彼の歌からは表出しているように思うのです。時としてがなるような崩しが入る時もあるのですが、それが全く不自然ではなくむしろ歌唱の魅力となっているのは、歌の中でそれが違和感のある浮いた表現になってしまっているのではなくあくまでも彼の藝の地平の先に繋がった、言わば“離”の世界として存在するからではないでしょうか。 バス・バリトンとしてご紹介していますから当然ながらかなり低い音域までカヴァーはしている(オックス男爵(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)歌えるぐらいですからね笑)のですが、声質としてはバスと聞いて想像するような深さや暗さを感じさせるというよりは、むしろバリトンらしい明るさや輝きのある響きです。むしろ普通のバリトンでも例えば前回扱ったヘルレアなどの方がうんと重く黒々とした、いわゆるバスっぽい響きに聴こえるでしょう。独ものの低音ではかの国の森を思わせるような漆黒の声が求められる役が多いように思いますが、ではそういった役柄をアダムが歌うとどうかというと、これがびっくりするほど素晴らしい!とりわけ悪役では湧き上がり、煮えたぎり、噴きこぼれるような苦々しい悪の魅力を楽しむことができます。僕がアダムに初めて注目したのがドン・ピツァロ(L.ヴァン=ベートーヴェン『フィデリオ』)だったこともあり、この役のイメージが強いです。他のファンの方々には、なんでまた彼が演じるには単純な悪役をとお叱りを受けそうな気もしますが、作品そのものの問題もあって今ひとつピンと来ていなかったこの役が鮮やかな実在感を伴って立ち現れてきたのが、ベーム盤での彼の歌唱で、いまでもこの役のベストはアダムだなあと思うのです。 そして僕がアダムの素晴らしさを改めて認識することになったのが、ヴォータン(R.ヴァーグナー『ニーベルングの指環』)です。こちらもベームの指揮によるバイロイトでのライヴは、アダムの魅力が凝縮された最高の記録と言って良いでしょう。いかにも彼らしい格調の高さはそのままに、実演らしい白熱した力強い歌い口で豪快な覇気を感じさせ、神の品格と気性の荒々しさを表出した、蓋し絶唱。あまり聴き込めていない作品でこういうことを書くのも難ではあるのですが、個人的にはこれ以上のヴォータンは考えられません。 <アキレス腱> 上述のとおり基本的には明るい音色のエネルギッシュな声なので、いわゆる独国のバスらしい声(例えばフリックやグラインドル、モルのような。バス・バリトンで言えばホッターやベリー)を期待する向きには満足感が得られづらいかもしれません。ネット上では声が軽い、ブレスが浅いと言ったご意見の方もいるようですが、私見では音色の趣味の問題が大きいように思います。 もう一つ、彼の大きなプラスと思う歌曲を思わせる丁寧で丹念な歌い口も、オペラはもっと勢いと新鮮さのものだ!という向きからは好まれなさそうです。あまりにも真面目すぎる、という指摘があるのも、賛否は別にしてわからなくもないところです。 <音源紹介> ・ヴォータン(R.ヴァーグナー『ニーベルングの指環』) ベーム指揮/ヴィントガッセン、ニルソン、キング、リザネク、グラインドル、ナイトリンガー、ヴォールファールト、ブルマイスター、ニーンシュテット、ドヴォルジャコヴァー、ステュアート、ベーメ、タルヴェラ、ソウクポヴァー、シリア共演/バイロイト祝祭劇場管弦楽団&合唱団/1966-67年録音 >不滅の名盤。ヴァーグナーが苦手な僕がこの超大作の素晴らしさを知ることができたのは、小さな役まで万全の人を得たこの録音によるところが大きく、特にここでのアダムの“吼えるヴォータン”に魅了されました。「歌曲のよう」と感じさせる彼の歌唱の中では最もオペラティックなものかもしれません。自分が聴いたことのあるこの役の中では最も明るい音色ではないかと思うのですが、それをプラスにして若々しくて精悍で感情の起伏に富んだキャラクターを作り上げています。4夜のうち1夜を取り上げるのであればやはり活躍の多い『ヴァルキューレ』で、どんな小さなフレーズ1つを取ってもヴォータンそのものがそこに降り立ったような荘厳さに圧倒されます。名高い告別の場面はかなり長いこともあって、正直なところ聴いていて飽きてしまうことも少なくないのですが、愛と哀しみに満ちた堂々たる歌で聴き手を惹き混んでしまいます。これにはもちろんベームの集中力の高い指揮の力も大きいでしょう。共演では神々しいニルソン、アルベリヒでは右に出るもののいないナイトリンガー、最後の夜の悪役としての邪悪な風格に不足のないグラインドルの3人がやはり素晴らしい。ヴィントガッセンはジークフリートは熱唱ながらどこか足りないものがあるような気がしていて(それもかなり高次元の話ですが)、むしろローゲでの想像以上に器用な歌いぶりが見事と思います。 ・ドン・ピツァロ(L.ヴァン=ベートーヴェン『フィデリオ』) ベーム指揮/ジョーンズ、キング、クラス、マティス、シュライアー、タルヴェラ共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ドレスデン国立歌劇場合唱団/1969年録音 (L.ヴァン=ベートーヴェン『レオノーレ』) ブロムシュテット指揮/E.モーザー、キャシリー、リッダーブッシュ、ドナート、ビュヒナー、ポルスター共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ライプツィヒ放送合唱団/1976年録音 >『フィデリオ』はオペラとしては必ずしも評価の高い演目ではないと思うのですが、各役に与えられた音楽が(歌いやすさなどは別にして)非常にかっこよくて好きな演目で、一時期いろいろ聴きくらべていました。その中での個人的なベストがベームのスタジオ録音で、ベームの堅牢で密な音楽とソリストたちの役柄に適した名唱ともども他の追随を許さない名盤だと思っています。ピツァロという役にはそもそもかなり悪人然とした険しい音楽がつけられていますが、アダムの歌唱はその力を最大限にひきだしてるように感じます。筋肉質でスピード感があり、エネルギッシュな華がある彼の歌は、まさにダークヒーローそのもの。終幕でのあっさりした退場がちょっともったいなくなってしまうぐらい。そして非常にありがたいのは彼が『レオノーレ』の方の全曲盤にも参加してくれていることです。ベーム盤から7年越しの歌唱ではありますが、声の衰えを全く感じさせず、純粋にピツァロにつけられている音楽を比較することができます。もちろんこちらもまたギラギラした悪役ぶりがお見事。モーザーはじめ共演陣の質も高く、資料的に面白い以上に質の高い音楽を楽しむことができる名盤です。 ・ペーター(E.フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』) スウィットナー指揮/シュプリンガー、ホフ、シュレーダー、シュライアー、クライマー共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ドレスデン聖十字架合唱団/1969年録音 >これほどメルヒェンの世界を表した音楽と演奏はないのではないかと思います!子供たちの可愛らしい世界の中に、魔女の棲む森の不気味さと飢えや貧しさという現実の苦難とをこれほど高次で融合した当時の東独の人々には畏敬の念を覚えます。ここでは唯一の男性低音のアダムは、この作品をどっしりと支える要役として抜群の存在感です。子どもたち(=女性歌手)の場面の印象が多い作品ですが、魔女の恐ろしい伝承を物語り、最後の祈りをリードするなど実は重要な出番が多いペーターを真摯に演じていてとても好感が持てます。となると酔っ払いの歌は面白みが少ないのかなと思われるかもしれませんが、ここでは彼らしいたっぷりした明るい美声が活きていて高い完成度。スウィットナーの渋い音楽はやはりこの作品にはしっくりきますし、子どもを演じても違和感のないシュプリンガーとホフもいい。シュレーダーもこの作品の現実的な深刻さを感じさせる名演。そしてシュライアーの強烈な魔女!あの端正なリリック・テナーがここまでやるか!という怪演です。歌が上手いのがタチが悪い(とても褒めています)。 ・アドルフォ(F.シューベルト『アルフォンソとエストレッラ』) スウィットナー指揮/シュライアー、マティス、フィッシャー=ディースカウ、プライ共演/シュターツカペレ・ベルリン&ベルリン放送合唱団/1978年録音 >こちらも当時の東独の雄が結集した感のある超名盤です。この指揮者、このメンバーであまり有名とは言えないオペラがこうして遺されたことは、我々オペラ・ファンにとっても、シューベルトのファンの方々にとっても喜ばしいことですし、おそらくこれから先これ以上の録音が出ることはないかもしれません。この作品の持つ歌曲的な旋律の美しさと独語の響きの小気味良さが遺憾無く発揮されています。アダムはここでも悪役ですが、そのスタイリッシュな歌い口のうまさが引き立っているという意味では彼の録音の中でも屈指のものでしょう。一番の見せ場はアリアなのでしょうが、整然と美しい合唱とのアンサンブルは掛け値なしでかっこいい!歌曲的な優美さとオペラ的な盛り上がりとを楽しむことができる、一口で二度美味しい名演です。 ・弁者(W.A,モーツァルト『魔笛』) サヴァリッシュ指揮/シュライアー、ローテンベルガー、ベリー、E.モーザー、モル、ミリャコヴィッチ、ブロックマイヤー共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1972年録音 >ヴンダーリッヒがタミーノではなくてもプライがパパゲーノではなくても、『魔笛』最高の名盤はこの演奏でしょう!彼がザラストロを演じている音源もありそれもまた彼の風格ある歌いぶりが際立つ名唱なのですが、高尚な内容を滔々と歌うよりも曖昧な謎かけでタミーノの考えを揺るがす弁者の方が、アダムの知的な個性に合っているように思います。シュライアーがまた行動の先に立つ若々しさのある歌で、好対照。旋律的ではない、語りと歌の合間のような晦渋な音楽を楽しめるのは彼らの美声と力量の賜物でしょう。全てのキャストが役柄にはまっていますが、特に怒りを歌に昇華した切れ味の鋭いモーザー、重厚な美声と整った歌い口が徳の高さに繋がっているモルはそれぞれ最高の夜の女王とザラストロとして記憶されるべきものでしょう。 ・カスパール(C.M.フォン=ヴェーバー『魔弾の射手』) C.クライバー指揮/シュライアー、ヤノヴィッツ、マティス、ヴァイクル、フォーゲル、クラス共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ライプツィヒ放送合唱団/1973年録音 >実は恥ずかしながらあまり得意ではない作品だったのですが、今回改めて聴き直してこの悪魔に魂を売った狩人の荒々しい歌は彼の個性にぴったりだなあとしみじみ感じた次第です。闇を思わせるようなドスこそありませんが、キビキビしたフットワークの軽い歌いまわしとドライな声色には尋常ならざる魔力、目が据わっているような毒気が漂っています。酒の歌はクライバーの煽るテンポにもバッチリ乗っていてスリリングですし、続くアリアでの迫力ある歌はまさに圧巻で、この録音の一番の聴き処でしょう(それだけに後半の幕でカスパールの歌での出番が少ないのが残念ではあるのですが……狼谷の場は科白でここでは別の人があてていますし)。息子クライバーがこの作品というのはちょっと意外な印象ですが彼らしいホットな指揮はやはり魅力的ですし、情熱的なシュライアーをはじめ共演陣も楽しめます。 ・フィリッポ2世(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』) コンヴィチュニー指揮/リッツマン、ドヴォルジャコヴァー、ミュラー=ビュトウ、R.イェドリチカ、フレイ共演/ベルリン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音 >比較的最近になって登場した音源ですが隠し球的な名演で、初めて聴いた時にかなり驚くとともに感動しました。独語ということもあってアダムの歌はヴェルディらしいというよりはやはり歌曲を思わせるものですが、全く別のアプローチから光を当てることでこの役の新たな魅力に気づかせてくれるようです。“独り寂しく眠ろう”はこの部分だけ単体で取り出してもフィリッポという役柄の持つ世界がしっかりと打ち出された精緻で知性的な歌唱で脱帽させられます。またフレイの演じる恐ろしくて破壊力のある宗教裁判長との重唱は、2人の音色と持ち味の違いが実にリアルで演劇的な面白さがあります。正直なところドヴォルジャコヴァーを『指環』で少し聴いたことがあることを除くと全く知らないメンバーなのですが、それぞれの個性が役に合致しており素晴らしく、聴き慣れた本作を新たな耳で楽しむことができます。 ・オックス男爵(R.シュトラウス『薔薇の騎士』) ・ペナイオス(R.シュトラウス『ダフネ』) スウィットナー指揮/シュレーター共演/シュターツカペレ・ドレスデン/1969年録音 >残念ながらこの記事の投稿時点では彼のシュトラウスは聴きとおせていないのですが、この『R.シュトラウス名場面集』が比較的手に入りやすいのは嬉しいところです。図々しくて品がない、コミカルな役であるオックスと生真面目なアダムの藝風は反りが合わなさそうな感じがしますが、彼の明るい声はこうした役にもマッチしていますし、非常に柔軟で器用な歌い口には舌を巻きます。明るい声なので意外ではありますがあの最低音もきっちり鳴っていて、彼の声域の広さの証左と言えるでしょう。若さが必ずしもプラスに働く役ではありませんが、パワーがあってまだまだ枯れてないという自負があるのにも納得感があります。『ダフネ』はシュトラウスの作品の中でとりわけ目立った存在ではないと思いますが、ここでの彼の雄大な歌唱は合唱を伴ってスケールの大きな風景を想起させるもので、一聴に値します。この役も作中唯一低音を受け持つパートですから、もし実演であれば頼り甲斐がある低音を聴かせてくれるに違いないだろうなと想像できます。どちらも全曲を聴いてみたいと思わせるのに十分な歌唱です。 ・ケツァール(B.スメタナ『売られた花嫁』) ・メフィストフェレス(C.F.グノー『ファウスト』) スウィットナー指揮/シュライアー共演/シュターツカペレ・ドレスデン/1973年録音 >ここまでの音盤紹介でも繰り返し登場しているシュライアーとは重唱集を遺しています。このアルバムは全て独語歌唱ではありますがかなり多彩なプログラムで、彼らがあまり歌わなかっただろうものも楽しめる点で貴重なものですが、ここでは2つご紹介しましょう。まず独語での録音も多い『売られた花嫁』のケツァールは、速いテンポでの口数が多い部分では小回りの効いた口跡が気分良く、中間部では恰幅のいい伸びやかな歌で美声にうっとりさせられます。メフィストは全曲遺していないのが全く惜しいぐらいで、ピツァロやカスパールで聴かせたような魔術的な魅力がここでも存分に出てきています。そしていずれもシュライアーの若々しい活力の漲る声と歌と相性が抜群。彼らは録音史に残る名コンビと言ってよいでしょう。 ・ボリス・ゴドゥノフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』) ・イーゴリ・スヴャトスラヴィチ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』) ・イァーゴ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』) マズア指揮/シュターツカペレ・ベルリン/1968年録音 >最後はちょっとだけイロモノで、露ものとヴェルディを集めたアリア集からです。いずれもそもそも独語の歌であったかのように違和感がありません。ボリスは彼の良さが一番活きそうな独白が収録されていますが、これはちょっとびっくりするぐらいの名唱です。ボリスの焦燥と後悔をちりばめながら、こんなにも神々しく荘厳に、そして端正な表現ができるのかと聴くたびに頭が下がります。彼はヴォータンにしろフィリッポにしろ権力者の胸の内の表現に秀でていると言えるのかもしれません。続くイーゴリ公はそもそもバリトン向けに書かれた役ながらバスが歌うことが多いこともあって、或意味バス・バリトン向きなのでしょう。高音から低音までよく響くアダムの美声に思わず聞き惚れてしまいます。囚われたイーゴリの苦渋の表情が思い浮かぶようです。そしてイァーゴのゾクゾクするような悪への讃歌もまた稀代の名演!どうしてこうも悪を魅力的に描けるものかと嘆息させるもので、下手に伊語で歌われたものよりもよっぽど優れた歌唱でしょう。これらも全曲が欲しくなりますが、できれば敢えて独語で聴きたいですね^^ スポンサーサイト
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滄龍図2019-01-19 Sat 23:04
![]() 滄龍図 Sōryū-zu (Mosasaurus hoffmannii) blog主は博物倶楽部というボランティア団体で科学をテーマにしたワークショップをしていますが、その中できしわだ自然資料館さんと協力して作った「折り紙モササウルス」という企画があります。 ここで作っているモササウルスをもう少しリアルに形にしたいとはずっと思っていたのですが、漸く。 ![]() ワークショップでは甘口、中辛、辛口の3種類を用意しているのですが、こちらはそれよりももう一段階厄介^^; 頭のサイズを調整するために全身のバランスをいじっているので、最初の寸法を取るところがしんどい。。。 目はインサイドアウトにしてあります。 ![]() もう一つのテーマは遠近法。 こうして折ったものを紙に貼るとどうしても画面の中の遠近感が出しづらく、どうにかならないかなと思っています。サイズ違いのものを並べて貼っただけでは単純に大きいのと小さいのが並んでるようにしか見え図、親子で作ったの?と訊かれるのが関の山です。また背景として月や山といったものがぼんやり描きこまれた日本画のような味わいが出したいという思いもあります。 今回は糊が透過するぐらい薄い紙を重ねることで遠くにいる個体と近くにいる個体を表現しようとしてみました。ただ、白という色が予想以上にきつく、奥のものがかなりぼけてしまいました。水中の視界の悪さがある意味では出たのですが、ちょっと使う紙の色を調整したり、重ねる紙を染めたりしないと思ったような効果は出づらいかも。。。実験としては面白かったですが、改良が必要そうです。 |
猪の頭/亥2019-01-08 Tue 08:48
![]() 猪の頭 A skull of boar この年末は忙しすぎて年賀状を断念。 とはいえ年賀状そのものは来るし、今年の干支のイノシシはモチーフとしては好きだしということで折角だからとお正月はちみちみ創作していました。 ![]() この時期は干支の折り紙はどうしたって増えるので普通に作ってもいいんだけど、どうせならちょっと違うものをということで本当に久々に頭蓋骨シリーズ。16等分ベースでやったはず......と2年前の記憶を頼りに折ってみると意外とすっとまとまりました。 ![]() ![]() 一応噛み合わせはそれなりに気にしていて、上顎と下顎の犬歯は組合わさるような位置にしています。 ![]() ばらすとこんな感じ。このシリーズはこれまで頭蓋だけだったし、当初これで行くつもりだったんですが、妻の実家でお披露目したところ下顎も是非ということで改めて作り増したのでした。 ![]() 紙が足りなくなってしまって後ろがちゃちい(^-^; 頭蓋との関係からいけば本当はひとまわり大きい紙の方がベターかも。 ![]() 亥 INOSHISHI (Sus scrofa) もちろん年賀メール用に普通のも作りました(笑) が、久々の創作で圧倒的に苦戦したのは実はこっち。 元旦に作ったものが気に食わず、結局作り直してこちらの形に。 ![]() 面構えはかなり気に入っています。 ![]() 地味なこだわりとしては副蹄の折り出し。ここをきちんと作るとだいぶ偶蹄類らしくなります。 |
オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十三夜/重厚かつしなやかに~2019-01-01 Tue 15:52
あけましておめでとうございます。
本当は2018年中にと思っていたのですが、バタバタしているうちに年を越してしまいました^^; 本年も気長にやっていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。 大バリトン特集、第2回目ですが早速大穴と言うべき人です。 ![]() Rodrigo, Marchese di Posa ニコラエ・ヘルレア (Nicolae Herlea) 1927〜2014 Baritone Romania ブカレストに生まれた名バリトン。 現在日本では知名度が高いとはとてもいえませんが、実は来日もしていれば時の人にもなっています。キャリア後半になったカラスがディ=ステファノとともに『トスカ』を日本で公演することになった際、スカルピア役として指名されたのが誰あろうヘルレア(但しカラスは結局キャンセルして代打はカバリエ)。公演の直後から爆発的人気となったらしいのですが、やはりその録音の手に入らなさからか、今やまさに知る人ぞ知る、という感じになってしまっています(ちなみに未見ですがこの時の映像が残っているようなので、手に入れたいと思っています)。 実のところ録音が取り立てて少ないということではないのですが、羅国のローカル・レーベルで地元の歌手たちと遺しているものが多いのがその手に入りづらさを生んでしまっているようです。 録音に実際触れてみるとわかりますが、日本ですぐ圧倒的人気が出たのも宜なるかな。バスティアニーニを少しエキゾチックにしたような肉厚で力強い輪郭のはっきりした美声と、熱量の高い、しかし優美なカンタービレは伊もののオペラ、とりわけヴェルディを愛する人であればお気に召すこと間違いなしでしょう。正直なところここでご紹介しているマイナーな歌手は、私自身の趣味による偏りが少なからずあると思っているのですが、こと彼に関しては多くの人にその良さが伝わるのではないかと思っています。 今回は、この知られざる伊ものの名手に光を当てていきます。 <演唱の魅力> 後で改めて詳しくご紹介しますが、僕がヘルレアを最初に聴いたのはトッツィやコレッリとMETで共演した『ドン・カルロ』(G.F.F.ヴェルディ)のロドリーゴでした。この時の関心は専らフィリッポを演ずるトッツィで、エボリのアイリーン・デイリス(彼女もいずれ記事にしたいですね)とロドリーゴのヘルレアは全然知らない人だしまあどっちでもいいかなという程度の認識でした。しかし聴き終わって一変、両者ともその歌唱の見事さに圧倒されたのでした。コレッリはカルロとしては最重量級と言ってもいい歌手ですが、彼と組んでも全く不足を感じさせない馬力が、まずはヘルレアの武器だと言っていいでしょう。バスティアニーニの名前を先に上げましたが更に一段重い声で、G.G.グェルフィを思わせる瞬間も少なからずあります。ここまで重い声だと過度におどろおどろしい印象になりかねないのですが、あくまでも歌い口は正統派で、いたずらに凄んだり力んだりすることなくスマートにまとめていく手腕には大変好感が持てます。どんな役を演じてもグロテスクになり過ぎず、剛毅な声と表現の中にも気品が漂っているのです。先の『ドン・カルロ』でも超重量級の歌手とがっぷり四つに組みながらも、ノーブルで若々しい活力をも感じさせます。 重さばかりに焦点を当ててしまいましたが、やはりその声の音色は賞賛すべきもの。黒檀を思わせる重厚な輝きのあるヘルレアの声の響きには、メタリックな煌めきとはまた違った暖かみがあります。よく伸びる高音からは胸のすくような力強さが鮮やかに感じられ、声区こそ違いますがドラマティコのテノールを聴いているような爽快感を受けることもしばしば。レパートリーの中心が伊ものであるのも、こう言った声だからこそでしょう。声量の必要なドラマティックな役柄ではその真価が遺憾なく発揮されています。 そんな中でフィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)を当たり役にしているのもびっくりしますが、聴いてみると意外なほどフットワークが軽く洒脱に歌いこなしているのがわかります(それこそ彼よりは声質そのものは軽いと思うカプッチッリやバスティアニーニがフィガロを演じた時の重々しさったら!)。言葉さばきも巧みですし、柔軟で器用なところもまた彼の持ち味です。言われなければひょっとすると伊国出身と勘違いする人もいるのではないかと思わせるほど伊ものに適したしなやかで熱の籠った歌い回しは、今でこそたくさんいる東欧出身の歌手たちと較べても垢抜けたものです。 偉大な先駆者として再び注目が集まることを願ってやみません。 <アキレス腱> フットワーク軽い歌もうたえるのは確かなのですが、どうしても重たい声の人の常としてちょっともこもことした感じに聴こえてしまう時もあるので、気になる人は気になるかもしれません(僕は気になりません笑)。 あとはバスティアニーニやブランの時にも同じようなことを書きましたが、基本的には端正な雰囲気のある歌ですので、下卑た人物を歌うとしっくりこない感じはあります。 <音源紹介> ・ポーザ侯爵ロドリーゴ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』) アドラー指揮/コレッリ、リザネク、デイリス、ヘルレア、ウーデ共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音 >現在最も手に入りやすいのはこの録音でしょう。明らかなバリトンながら宗教裁判長を歌っているウーデ(そして成功していない)を除けば、数ある本作の音源の中でも最重量級のキャストによる演奏ではないかと思いますが、力負けしないどころかむしろ抜群の存在感で、これがMETデビューだったのだというのですから肝が据わっています。気力横溢した声と情熱的な歌い回しからは、ロドリーゴに欲しい理想に燃えたパワフルで若々しい輝きが感じられまさに当たり役。死の場面ももちろん聴かせますが、トッツィやデイリスとの丁々発止のやり取りや落ちまくるコレッリを好サポート(?)する場面など全編にわたって彼の魅力の詰まっています。アドラーのキビキビとした指揮も気分がいいですし、繰り返しになりますがトッツィとデイリスは素晴らしい出来。コレッリとリザネクは凄い声ですが好き嫌いが別れそうです。 ・アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』) ヴァルヴィーゾ指揮/サザランド、コンヤ、ジャイオッティ共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音 >こちらも同じ年のMETでのライヴ。ベルカントとは言えドラマティックにも演じられてきましたし、豊かなな旋律をたっぷりと歌い上げる悪役なので、ヘルレアの良さがとてもよく出ていると思います。冒頭のアリアは客席をドラマの世界にグッと引き込む要の曲ですが、緊張感の高いスタイリッシュな歌唱でお見事。高音も気分良く飛ばしています。ルチアとの重唱の冒頭では多くの歌手のように強権的な力技で行くのではなく、朴訥に宥めすかすような抑えた表情をつけていて、エンリーコの新たな一面を引き出しているように思います。こういうところのセンスの良さや器用さは彼の大きな美質でしょう。コンヤもまた同じような方針の力感溢れるエドガルドだったので、本当は3幕の重唱も欲しかったところです(6重唱ももちろん素敵なのですが)。カットは多いですがヴァルヴィーゾはいつもながらフレッシュな音楽、共演陣も優れた隠れ名盤です ・リゴレット(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』) ボベスク指揮/イアンクレスク、ブゼア、ラファエル、パラーデ共演/ブカレスト・ルーマニア歌劇場管弦楽団&合唱団/1965年録音 >羅国の地方レーベルでの録音ですが、侮るなかれなかなかの名演です。ヘルレアはリゴレットにはちょっと整いすぎているという意見も出そうですが、迫力のある声によるスケールの大きな歌唱にはやはり得難い魅力があります。娘をさらわれた後に平静を装って鼻歌しながら入ってくるところだとか2幕のジルダとの重唱だとかは、結構しっかり演技を入れつつそれがくどくならない匙加減が流石。それだけに悪魔め鬼めや復讐を叫ぶ部分での爆発がかなり際立っています(2幕フィナーレの見事なこと!)。他の人は全く知らなかったのですが、イアンクレスクの古風ながら薄幸な乙女を感じさせるジルダ、ブゼアの重ためながらキリッとしたスタイルのいい公爵はじめ全体にかなり楽しめます。ボベスクの指揮も個性的で悪くない。 ・スカルピア男爵(G.プッチーニ『トスカ』) オラリウ指揮/ゼアーニ、ファナテアヌ、クラスナル、アンドレエスク、ハラステアヌ共演/ブカレスト・ルーマニア歌劇場管弦楽団&合唱団/1977年録音 >随分前に入手した時、実はヘルレア以外あまりピンとこなくてMDに録った後CD本体は売っぱらってしまったのですが、今回聴き直してなかなかどうしてかなり立派な演奏で手放したのを後悔しています……なかなか手に入らないし^^;さておきヘルレアは登場時点から巨大な声で強烈なスカルピアを印象付けます。これだけ声量があるとテ=デウムも素晴らしい聴きばえ。柔剛よく取り混ぜてというよりはかなりマッシヴで高圧的な役作りで、暑苦しいのがとても良いですね(笑)とりわけ2幕でトスカやカヴァラドッシを詰問するところなどは、結構退屈してしまう場面だったりするのですが、サディスティックな雰囲気がハマっていてグイグイ聴かせます。ゼアーニはややヴィブラートきつめですが熱唱ですし、ファナテアヌはびっくりするぐらいごついドラマティコでお好きな方にはたまらないのではないかと。オラリウの指揮も◎で、堂守と子どもたちが大騒ぎする賑やかな場面などこんなに楽しかったけというほど雰囲気を出しています。 ・フィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』) ・西国王ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』) ・レナート(G.F.F.ヴェルディ『仮面舞踏会』) ・カルロ・ジェラール(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』) ボベスク指揮/ルーマニア放送交響楽団/1962年録音 >お得意の伊ものを中心に取り上げたアリア集なのですがここでは指揮のボベスクがちょっとかったるいのと、強すぎて違和感のあるエコーが足を引っ張っているのが残念です。とは言え彼自身の歌は上質なもの。ここでは4役とりあげます。まずは当たり役として知られるフィガロの縦横無尽な歌いぶりが聴けるのが嬉しいです。早口でも着実な言葉さばきや声色の使い分けをしながらの堂々たる歌を楽しむことができます。打って変わって西国王カルロでは国王に選ばれる人物らしい恰幅の良さや若さからくる思索的な側面をよく引き出しています(まあ全編見るとこの役すっとこどっこいなところがあるんですが)。前半の内面的な語りと後半の悟りを得たかのように朗々と大志を抱く部分の対比も鮮やかです。レナートでは苦悩に苛まれる渋い男ぶりがたまりません!主部に入り込むまでのレチタティーヴォが抜群にうまいですし、あの強烈な前奏の中でどちらかというと淡々と歌うことで、怒りの言葉を口にしながらも心ここにないことが伝わってきます。そしてだからこそ後半のアメーリアへの愛情を歌う場面の熱唱が切々と胸に迫ってきて、これは全曲がないものかと。最後はジェラールですが、シェニエの処遇を冗談めかして独白するところから苦渋の面持ち、その中でも迷いや愛などさまざまな表情がひしひしと伝わってくるこちらも名演。レナートもそうですが、明らかな善玉悪玉よりもこういう変化のある役の方がひょっとするとよかったのかも……音源はないものか……。 ・ランゴーニ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)2023.8.8追記 フォン=カラヤン指揮/ギャウロフ、ギュゼレフ、シュトルツェ、ユリナッチ、ウズノフ、マスレンニコフ、ヴェヒター、ディアコフ共演/WPO、ザグレブ国立歌劇場合唱団&ザルツブルク音楽祭室内合唱団/1965年録音 >レパートリーの中心が伊ものにあった彼には珍しい露ものの録音。どちらかというとレイフェルクスのような明るくて甲高い響きのバリトンが性格的に演じることの多いランゴーニを、重厚で剛毅な声の彼がどう演じるのだろうと入手したのですが、改めてその器用さに驚きました。先に挙げたようなタイプの歌手では非常に雄弁に歌われる印象なのですが、ヘルレアの声でそれをやるとヴェルディっぽくなってしまって役に欲しい妖しさを欠いてしまいそうなところ、非常に落ち着いた調子で歌っています。これでむしろミステリアスに聴こえるんですね。それだけ強い声を持っていることもそうですし、そこで自分の持ち味の聴かせ方をわきまえているのには頭が下がります。全体にはとてもオペラティックな愉しみに満ちたボリスで、とりわけギャウロフの歌唱が卓越しています。 |
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