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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十五夜/吟声魁偉~

このblogではもちろん有名歌手を自分の観点で語りたいという面もあるにはあるのですが、どちらかと言うと日本語では本でもネットでもあまり言及のない名手や秘密のお気に入り歌手の良さをアピールしたい!と言う思いでやっているところがあります。なので今実施している大バリトン特集でも半分は比較的名前が挙がる人、もう半分はなかなかまとまった情報のない人を扱いたいと考えています。
前回は予定外ながら大御所をご紹介したところですから、今回はちょっとコアなところをついて行きたいと思います!

SolyomNagySandor.jpg
Gara Miklós

ショーヨム=ナジ・シャンドール
(Sólyom-Nagy Sándor)
1941〜2020
Baritone
Hungary

オペラと言えばまずは伊独、ついで仏が来て露が来てと言うのは現在のメジャー度合いから行けば頷けるところでしょう(もちろん作品ごとに見ていけば『カルメン』のようなおばけもあるわけですが)。しかし当然ながらそれ以外の国にもオペラはあって、例えばスメタナやドヴォルジャーク、ヤナーチェックを生んだ捷国、ブリテンやヴォーン=ウィリアムズ、サリヴァンのいる英国は小さいながらも1ジャンル、準オペラ先進国と言ってもいいでしょう。
洪国もまたそうした準オペラ先進国のひとつであり、それぞれ1作ずつながら『青髭公の城』と言う渋い名作を書いたバルトークと朗らかな喜劇『ハーリ・ヤーノシュ』の作者コダーイがいますし、国際的な知名度は落ちるものの充実した内容のオペラを作曲しているエルケルもいますし、銀の時代のオペレッタの名手レハールもまたかの国の出身です。クラシック・レーベルでは独特の存在感を放つHUNGAROTONがあり、お国ものはもちろんのこと、ヴェルディやR.シュトラウスの初期作品、ボーイト、レスピーギ、サリエリ、パイジェッロ、ハイドンなど意欲的な録音を数々遺しています。これらの録音ではシャーシュやマルトン、セーケイのような洪国を代表する歌手だけではなく、カプッチッリやネステレンコ、スコット、イェルザレムにガルデッリといった国外の一流の音楽家も加わっており、非常に面白いところ。

今夜の主役ショーヨム=ナジは、そのHUNGAROTONで大変活躍したバリトンです。野性味に溢れた歌い口は力強く、独特のエキゾティックな魅力があります。これが洪ものの雰囲気にピタリと決まっていて、よくぞ彼の歌でこの役を遺してくれました!と思うものが少なからず。詳しくは追ってご紹介しますが、実はこの国のオペラには主役につけ悪役につけ性格的なバリトンが欲しい演目が多いものですから、彼のようにエッジの効いた個性がある人が出てくると演奏自体がグッと締まるのです。必ずしも有名でない作品を満喫できるのは、何と言っても彼の力によるところが大きいでしょう。HUNGAROTONは本当に良い歌手を得たものだと思います。

一方で本音をいうともっと国際的に活躍をして、メジャーどころの録音もして欲しかった実力の持ち主でしょう。荒々しさとパワーのある声はヴェルディの諸作品、マクベスやナブッコ、エツィオ(『アッティラ』)、アモナズロ(『アイーダ』)あたりは如何にも似合いそうですが、アリア集も出しているヴァーグナーの方にどちらかと言うと軸足を置いていたようです。国際的な活躍がもう少し欲しかったとは言いましたがこの時代のバイロイトにも招聘されており、シュタイン指揮ヴァイクル主演の『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(R.ヴァーグナー)の映像ではヘルマン・オルテルを演じています(プライも出ていて気になっていますが未視聴)。

今宵は日本ではあまり光の当たらない洪もののオペラの雄に注目し、このジャンルの魅力についても語って行きたいと思います。
(ちなみに洪国は日本や中国などと同様「姓・名」の順に名前を書くため、本blogでもその表記に倣います。また、HUNGAROTONのCDについている日本語の解説書では1934年生まれとして紹介されることが多いのですが、洪語版のWikipediaでも1941年生まれとなっているのでひとまずこちらを採用しています)。

<演唱の魅力>
ショーヨム=ナジのことを考えるとまず思い浮かぶのが、そのユニークな音色の声です。「美声」といって間違いないと思いますが、雪の日の太陽のようなちょっとくすみがかかった輝きのある響き。こう言うとスラヴっぽい声なのでは?と思われるかもしれませんが、重量感はあるものの深い響きというのともまた違いますしあまり似た声の人が思い浮かびません。どちらかというと若々しい戀仇よりも、苦悩する王や壮年の英雄を思わせる渋さと迫力のある声です。低い方もよく鳴るのですが安定感のある高音の煌びやかさはまた一入。歌い口もまたそうした声質にまた良くあったエネルギッシュなもので、荒事のように豪快な押し出しの強さや智に働いた強かな雄弁さでグイグイと聴かせていきます。こういった藝風ですから、その声を流麗に聴かせる役ではなく、個性が際立っている役柄でこそ真価を発揮する人でしょう。

上述もしましたが、偶然か必然か彼が少なからぬ録音を遺している洪国お国ものの作品では性格的で魅力的な音楽がつけられたバリトンの役が数多く存在します。何と言っても有名なのは愛すべきホラ吹き親父ハーリ・ヤーノシュ (コダーイ Z.『ハーリ・ヤーノシュ 』)でしょう。おじさんの都合の良い昔語りのようでありつつ或る種の英雄譚でもあるこのお話の主人公には、ユーモラスな雰囲気はもちろん、爽快な剛毅さもロマンスを歌う哀愁も必要であり歌手の力量が試される訳ですが、ショーヨム=ナジの活き活きとした歌唱はそういった複雑な人物を実に魅力的に描き出します。かの国の国民楽派の祖と言われるエルケルの作品も忘れられません。『フニャディ・ラースロー』のガラ提督は娘の幸せよりも自らの権力欲を高らかに歌う悪辣な役柄で、ここでは彼の歌唱は輝かしい憎々しさを伴っており、魅惑的ですらあります。他方『バーンク・バーン』では横暴な王妃とその弟への反乱を主人公にけしかけるペトゥール・バーンを演じ、味方ではあるものの腹に一物ある政治家を感じさせる演唱で、1幕でいなくなってしまうのがもったいないぐらい。思うに彼のパフォーマンスは非常に賢い人物を感じさせるのですが、それがwiseに近いような思慮深い知的さというよりも、もっと世俗的で権謀術策や肚芸を得意とするcleverさに近いのです。こうした彼の持ち味は作中の人物に、或る意味での親近感を与え、リアリティをもたらしているように思います。

こういった彼の特長を総合していくと、声のタイプこそ違いますが強いて言えばカプッチッリに似た印象が浮かび上がって来ます。輝かしく強靭な声を生み出す喉、渋みがあり重厚で個性的な存在感、多彩で複雑な役柄に説得力にを与える言葉のうまさ……こういったことを分析的に述べることは容易ですが、より端的に申し上げれば、「かっこいいおじさんが似合う」の一言に集約できるかもしれません(笑)

<アキレス腱>
お国ものに限らず独ものでも伊ものでも、彼の豪快さは子音やアクセントを立てて歌うところから来ている部分が多いように思うので、滑らかで美しい旋律を楽しみたいという方にとってはちょっとゴリゴリと押しすぎというか、力み過ぎに感じられるかもしれません。でももしこれがなくなってしまったら彼の歌の良さはだいぶ減じてしまうので、諸刃の剣とも言えそうです。
例によって例のごとく原語で歌っていないものも多いので、その点もご注意を。

<音源紹介>
・ガラ・ミクローシュ(エルケル F.『フニャディ・ラースロー』)
コヴァーチ指揮/モルナール、シャシュ、カルマール、グリャーシュ、ガーティ、グレゴル共演/洪国立歌劇場管弦楽団&合唱団、洪軍男声合唱団/1985年録音
>エルケルという作曲者すら知らなかった自分にとって開眼の1枚で、今でも多くの人に聴いてほしい超名盤だと思っています。ショーヨム=ナジの豪快且つ算高さを感じさせる歌唱は、この悪役のギラギラするような権勢への執着を明らかにし、これまでも多くの人物を追い落として来たであろう老獪さをも引き出しています。彼の歌い口は決してこそこそしたものではなく、堂々として自身たっぷりなので、全曲中の白眉であるアリア(これはガラの権力讃歌であり、イァーゴのような信条告白ですね)は強烈で印象的です。ドラマの後半、王を籠絡して主人公を結婚式から断頭台へと送り込んでいく様は悪魔的ですらあります。彼の長所が最もよくでた録音と言えるかもしれません。コヴァーチの指揮はドラマティックで、メジャーとは言えないこの作品を十分に楽しむことができます。共演は高音が厳しいカルマールを除いて全体に優れていますが、出色はフニャディの母親を演じる名花シャシュでしょう。「カラスの再来」などと言われなければ、彼女はもっと活躍したのではないかと思うと、残念でもあります。

・ぺトゥール・バーン(エルケル F.『バーンク・バーン』)
パル指揮/キッシュ、ロシュト、コヴァーチ、マルトン、グリャーシュ、ミレル共演/洪国千年紀管弦楽団、洪国立合唱団&ホンヴェード男声合唱団/2001 年録音
>こちらもまたエルケルの代表作。彼の演じるペトゥールは、ガラ提督が味方になったらこんな感じかもしれないと思わせるような一筋縄でいかない雰囲気を纏っていて、バーンクを陰謀に誘うところなど大変スリリングな空気を作り上げています。また開幕すぐの酒の歌は野性味溢れていて実にパワフルで、けだしご機嫌な歌唱。エルケルは基本的には伊ものの音楽の作りをベースにしながらこうした部分洪国らしい土臭くてもの悲しい旋律を絶妙に融合しているのですが、いい意味で癖のあるショーヨム=ナジの声と歌にはぴったりだなあと何度聴いても思うところです。結構歳をとってからの録音ですが、活き活きしたパフォーマンスには年齢は感じません。彼をはじめ往年の名歌手たちが脇を支え、主役の2人キッシュとロシュトは若い世代ということになりますが、彼らが大変素晴らしい歌唱。キッシュは思ったよりもうんと力強い声と歌で悲劇の英雄を作り上げていますし、ロシュトの軽やかな美声はこの薄幸のヒロインにぴったりで、狂乱の場は圧巻。

・ハーリ・ヤーノシュ(コダーイ Z.『ハーリ・ヤーノシュ』)
フェレンチク指揮/タカーチ、シュドリク、ポーカ、メーセイ、グレゴル、バルチョー共演/洪国立歌劇場管弦楽団&合唱団、洪放送児童合唱団/1979〜81年録音
>洪国歌劇の傑作の超名盤です。芝居の部分はカットして歌だけですが、組曲でしか本作をご存じない方には是非聴いてほしいと思います。ハーリは上記の役に較べるともっと屈託のない法螺吹きおじさんではありますが、そのホラ話の中での大活躍やロマンスを魅力的にできるのは歌手の力量。もちろんここでの彼の歌唱は十分水準を越えた、という以上の見事なものです。上記2作品のアリアとも似ている血湧き肉躍る募兵の歌ももちろん楽しいですが、タカーチとの重唱や赤い林檎の歌など民謡っぽいところがやはり抜群にうまくて、聴けば聴くほど味わいが出てくるようです。

・ソロモン王(ゴルトマルク K.『シバの女王』)
フィッシャー指揮/タカーチ、イェルザレム、グレゴル、キンチェシュ、ミレル、カルマール、ポルガール共演/洪国立歌劇場管弦楽団&合唱団、ジュネス・ミュージカル合唱団、洪軍男声合唱団/1980年録音
>こちらもまた忘れられてしまった名作の優れた録音で、当時の洪国を代表する歌手陣に加えてヴァーグナーで有名なジークフリート・イェルザレムが登場しています。この作品はここまで紹介してきた作品に較べるとうんとロマンティックな色彩が強いもので、ヴァーグナーでも活躍していたショーヨム=ナジの藝の幅の広さを感じることができます。荒々しい豪放さは影をひそめ、優秀な実務家・政治家としての側面がより伝わってくると言いますか。2つのアリアはいずれも預言者のような崇高さがありますし、イェルザレムやタカーチとの重唱での丁々発止のやりとりも聴きごたえがあります。が、とりわけ大きなアンサンブルでの貫禄、押し出しの強さは格別ですね。フィッシャーの豪奢な音楽も素敵ですし、こちらも共演がまた素晴らしい!特にここでは怪しい雰囲気を漂わせながら小回りも効くタカーチの女王が魅力的だと思います。

・ドン・バジリオ(G.パイジェッロ『セビリャの理髪師』)
フィッシャー指揮/ラキ、グリャーシュ、ガーティ、グレゴル共演/洪国立管弦楽団&洪放送合唱団/1985年録音
>ロッシーニではなくパイジェッロの方で録音が少ないため、代表盤と言っていいかと思います。このバジリオはバスということになっていますからクラバッシやペトリと言った人たちも残していますが、キャラクターの個性の強さという意味ではここでの彼の起用は大成功と言えるかと。作品が作品なので荒々しさは控えめなのですが何より勢が圧倒的で、突風のように駆け抜けていくアリアは痛快そのもの。またバジリオがひょっこり現れて大混乱になるアンサンブルでもまさに台風の目というべき活躍ぶりで、性格派バリトンの面目躍如といったところでしょう。更に他の作品でも共演しているグレゴルのバルトロが抱腹絶倒の歌唱を繰り広げていて、比較的おとなしい主役たちに対してキャラの立った悪役たちが目立つ構図になっています。フィッシャーの指揮もキビキビしていて個人的にはベスト。

・ファラオ(G.ロッシーニ『モゼ』)
ガルデッリ指揮/グレゴル、カルマール、ナジ、ハマリ共演/洪国立管弦楽団&洪放送合唱団/1981年録音
>HUNGAROTONは本当に見識があるなあと思うのが、ロッシーニでも『セビリャの理髪師』とか『チェネレントラ』みたいな人気作ではなくてこういうのを録音してるんですよね、それも持てる最高の人たちを集めて。当時のディレクターには頭が下がります。本作の版の問題は極めて複雑なので詳細は別の本やサイトに譲りますが、この演奏で使われている版のファラオは大規模アンサンブル以外にあまり歌のパートはなくて比較的地味なんですけれども、レチタティーヴォでの言葉捌きから尊大な王の風情がよく出ています。息子のテノールの方が目立つ役でもありより大物の歌手がやることもあるのですが、やはり少ない出番であっても十分な存在感を引き出せる彼のような人がやった方が全体が締まりますね^^喜劇での活躍で記憶に残るグレゴルはこうした大真面目な役も立派に果たせることをよく示した名演、ハマリも意外なレパートリーを堅実にこなしています。他方、ナジとカルマールはいまのロッシーニの歌唱を知ってしまうとちょっと辛いところがあります。

・総督バジリオ(O.レスピーギ『炎』)2019.2.28追記
ガルデッリ指揮/トコディ、ケレン、タカーチ、コヴァーチ共演/洪国立管弦楽団&洪放送合唱団/1986年録音
>レスピーギの歌劇というのはあまり聞きませんが実は9作もあって、本作はその最後のもの。プッチーニやヴェリズモ作品などと前後した作品で重厚な管弦楽を楽しめますが印象は全く異なっていて、ロマンチックな甘いメロディや現代ドラマのような生々しさとは別の世界の作品なので、オペラ好きからの受けは悪そうですが辛口で起伏の富んだ名作だと思います。総督は歌う場面は長くないもののあらすじの上では重要で、魔女の企みで妻と結ばれたものの今は妻を愛してる(しかし裏切られて死ぬ)というバリトンらしい役どころ。基本的に無骨な音楽が当てられており、彼の藝風によくあっています。妻シルヴァーナへの歌の途中で一瞬、ほんの少しだけロマンティックになる瞬間があって、そこが老総督の不器用な愛情を感じさせて、レスピーギとショーヨム=ナジ双方の手腕の確かさを思わざるを得ません。主役のトコディの熱唱、ガルデッリの立派な音楽もあって、この珍しい作品の秀演と思います。

・イァーゴ(G.ヴェルディ『オテロ』)
・アルフィオ(P.マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』)
詳細不明
>アリアでの名唱を集めたもの(恐らく放送音源)から2つ、いずれも洪語歌唱です。本当は彼はヴェルディならシモン(『シモン・ボッカネグラ』)が一番ハマるんじゃないかなと思っているのですが、このイァーゴの歌唱も黒々とした悪の魅力が存分に発揮されていて、他に得難いもの。つくづく語りがうまいなあというのを再認識させられます。対してアルフィオではこれまで繰返し述べてきた、彼のスピード感に満ちた豪放磊落な持ち味が凝縮されています。この役はおとなしく丁寧に淡々と歌ったのでは面白くないので、いい意味で歌い飛ばしてくれるのが本当に爽快です!いずれもアリアのみならず全曲であれば……という妄想が膨らむ快演(笑)
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