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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十八夜/曲者は朗らに歌う〜

「大バリトン特集」と銘打って、露国の歌手を取り上げない訳には参りません。まだ取り上げていない人がたくさんいますので誰にしようか非常に悩ましいところではありましたが、今回は性格派として知られるこの人に白羽の矢を立てました。

AlexeyIvanov.jpg
Kiril Petrovich Troekurov

アレクセイ・イヴァノフ
(Alexey Ivanov, Алексей Петрович Иванов)
1904〜1982
Baritone
Russia

以前確かプチーリンの回でも触れたように思いますが、20世紀前半の露国にはイヴァノフというバリトンが2人います。1人は分厚くて豊かな声のアンドレイ・イヴァノフで、英雄やパワフルな役どころでその力を発揮していました。これに対して今回の主役のアレクセイ・イヴァノフは、アンドレイに比べると明るくて薄めの声質ながらその藝達者な歌い口で主役から脇役まで幅広いレパートリーをこなし、数々の録音を遺しています。例えば露ものだけを取り出して見てもムソルグスキーやチャイコフスキー、リムスキー=コルサコフといった有名作曲家の作品にとどまらず、ルピンシテインやナプラヴニク、そしてシャポーリンといったほとんどお目にかかることのないような作品の音源に登場しているのは注目すべきことでしょう。一つにはそれだけ露国で当時親しまれていた歌劇のレパートリーが、今の私たちが想像するよりもずっと多様性に富んでいたということの証左と言えますし、もう一つにはその中で如何にアレクセイが重宝されていたのかということをうかがい知ることができるからです。そしていずれの録音でもその存在感の貴重さをこれ以上なく示していると言えると思います。

一言で言ってしまえば曲者の似合う藝風で、方向性は必ずしも完全に一致しませんが、ゴッビとは近いイメージと言えるのではないでしょうか。脇役であったとしても彼が登場するとそのアクの強さは記憶に残り、演奏全体のアクセントになります。リムスキー=コルサコフの作品などは1場面にしか登場しない名もない役柄に突然名アリアが与えられていたりするので、彼のような人が起用されると歌を聴く愉しみも緊張感も増して大変嬉しいところ。もちろん大きな役でも主役、悪役、狂言回しとどんな人物でもキャラクターを立たせて、しかも毎度おなじみにならない器用さがあります。出る以上は仕事とをしたと思ってもらえるような仕事をする、と言ってもいいのかもしれません。前述の通り遺しているのは露ものがメインなのですが、そう思うと例えば伊もののイァーゴ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』)、ナブッコ(同『ナブッコ』)、マクベス(同『マクベス』)、スカルピア(G.プッチーニ『トスカ』)、それにバルナバ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)、アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)あたりを遺してくれたら面白かったのかもしれません(アリア集では遺しているものもあるようです)。

そんな訳で、今夜はソヴィエト時代の大立者にご登場いただきましょう。

<演唱の魅力>
アレクセイ・ペトロヴィッチ・イヴァノフの声と歌が正統派のヒーロー役ーー物語上の正義のために鬪い、勝利や愛を手にするーーに適しているか、と問われることがあるのであれば、素直に肯んずることはできないというのが私の意見です。声の響きは張りと輝きがあってドラマティックでまさにオペラに向いた声、ではあるんですが色気ですとか甘みからは遠い印象を持ちます。パワーはあるけれどやや甲高い響き、稠密ではあるものの乾燥したヴィブラートが感じられる彼の声から感じられるのはドライで理知的、感情よりは理屈に寄った人物です。役柄によっては狡猾で酷薄な色合いすら引き出してくる、はっきり言ってしまえば悪役声なのです。それも勢いだけで悪事を働くような単純な悪役ではなく、ニヒリスティックで隙のない「知能犯」という3文字がよく似合います。ですからもちろんおぞましい敵役を演ずる時の彼の魅力は圧倒的で、ドン・ピツァロ(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)はとても終幕であっさりと退陣させれてしまうとは思えない憎々しい迫力がありますし、この方面で最高なのはトロエクロフ (E.ナプラヴニク『ドゥブロフスキー』)でしょう。意外にも纏まったアリアのない役で出番もそこまで多くはないのですが、横暴に振る舞う権勢家として強烈なインパクトがあり、もしスカルピア男爵が物語の最後まで生きながらえ恣に過ごしていたらこんな感じだったろうなと思います。アレクセイのアクの強い声に加えて押し出しの強い歌いっぷりが、権力にこだわる強欲ジジイをリアルに作り上げています。

ただし、だからと言って彼が悪役専門であったわけではないのは上述の通りで、実に多様な役柄で見事な演奏を遺しています。例えば彼の演じた重要な脇役としては、トムスキー伯爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)を挙げることができるでしょう。典型的な狂言回しと言えるこの役は、あらすじにしてしまうと説明しづらいのですが全幕に登場し、ゲルマンに秘密のカードの逸話を伝えるという物語のひとつの核を担っており、どういう歌手が演じるかによってだいぶ印象が変わってきます。レイフェルクスが歌えば世慣れた社交人となり、プチーリンが歌えばフェランド(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)のような武骨な軍人の昔話色が強くなる。では我らがイヴァノフの癖のある歌と声ではどうなるかというと、途端に腹に一物あるいかがわしい雰囲気になります。カードの歌にしても本当かなあと思わせるところがどこかにありつつ、しかし怪談の信憑性に必須な不気味な迫力は絶対失わない。これを聴くと自らの持ち味をよく引き出すことが出来ることがわかると思います。

或る意味でもっと面白いのが主役での歌唱でしょう。彼の場合主役と言っても普通の主役といいますか物語の中で素直に共感しやすいような役はあまり演じておらず、異形と言ってよいようなものが多いと思います。イーゴリ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)なども遺してはいるようですが、不器用ながら祖国に忠義を果たしたりするような歌唱が想像できず正直なところどうもピンときません(憂国の策士ならわかるのですが)。むしろ横暴で嫌悪感すら抱かせる面がある一方で、どこかしらに人間くさくて思わず共感してしまうような面が同居しているような役柄ですと、彼らしいアクや癖が昇華されて本領が発揮されるように感じます。こう述べてきたときに頭に浮かぶのは、悪魔(А.Г.ルビンシテイン『悪魔』)でしょう。大変情熱的でうっとりさせるような愛情と目的のためには残虐な行動も厭わない冷酷さとが、時にギラギラするほどパワフルに時にぎこちなくロマンティックに歌われ、この隠れた名作の醍醐味を知ることができます。

悪役然とした声と藝風を多面的に活かすことのできた名優、と思います。

<アキレス腱>
性格的な歌唱を味わえる名歌手ではあるのですが、ちょっと力でゴリゴリと押してくるところがあるので、くどくて好きになれないという方は一定数いるのではないかと思います。繊細で柔らかな歌唱をよしとする向きには脂っこすぎる、癖が強すぎると言われても仕方がないところはありそうです。
またバリトンとしては高めの響きの声も好き嫌いが出るかもしれません。

<音源紹介>
・キリル・ペトロヴィチ・トロエクロフ (E.ナプラヴニク『ドゥブロフスキー』)
スラヴィンスキー指揮/レメシェフ、クドリャフスカ、ドゥダーレフ共演/スタニスラフスキー&ネミローヴィチ=ダンチェンコ記念国立モスクワ音楽劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
>どの役がアレクセイの藝風にあっていたかと思うと、どうしてもこれが真っ先に浮かんできます笑。欲の皮の突っ張った悪党、しかも制度上は“合法的”に私服を肥やしていくという悪辣極まりないこの老人を、アレクセイ以上に説得力を持って演じることはなかなかできないだろうなと思わせるハマりっぷり。力づくで横柄な登場場面は何度聴いてもゾクゾクさせられますし、実の娘に対しても容赦の全くない態度を示す聴かせどころの重唱も総毛立つばかりの完成度。余裕綽々で入れてくる笑い声もいかにも憎々しいですし、見得を切るところなどでは彼らしい強力な高音を挟んできていて大変なインパクト。或る意味では一面的な役柄なのですが、それでもここまで堂に入った歌唱は、そうはできないとおもいます。どちらかというとネレップなどの方が似合いそうな役ながらレメシェフも流石に美しい喉を披露していますし、クドリャフスカもドゥダーレフも悪くないのですがちょっとオケが非力で肝心なところが揃わないのが残念。しかし、この名指揮者の秘作を楽しむことはできると思います。

・悪魔(А.Г.ルビンシテイン『悪魔』)
メリク=パシャイェフ指揮/タラハーゼ、コズロフスキー、クラソフスキー、グリボヴァ、ガブリショフ共演/ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1950年録音
>時代柄音の悪さは否めないものの、知られざる傑作を楽しめる名盤と思います。悪魔のアリアはフヴォロストフスキーのようにバリトンが遺しているものもあるものの、バスが歌っているイメージが強い中で甲高い響きの声のアレクセイが歌うとどうなんだろうと思って聴き始めるのですが、不足や違和感はありません。むしろその力強く、時に強引にすら聴こえる歌い口が、このキャラクターを超自然的な存在として引き立てるとともに、戀愛感情への不器用さを際立たせているように思います。実は最もよく歌われる3幕のアリアは意外とさらっと歌っているのですが、むしろそのあとのタマーラとのやりとりや天使との対決などは迫力満点で聴きごたえがあります。また2幕の2つのロマンツァも名唱で、ここはさながらリサイタルのようでもあります(笑)共演陣はいずれも立派で、タラハーゼは澄んだ若々しい声が好印象。名手コズロフスキーはいい歌はもらっているとはいえ出番も多くない損な役回りで登板していて贅沢な気分です。クラソフスキーの重厚なバスも素敵で、いつもながらこういう役で力を発揮しています。

・トムスキー伯爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)
メリク=パシャイェフ指揮/ネレップ、スモレンスカヤ、ヴェルビツカヤ、リシツィアン、ボリセンコ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1949-1950年録音
>本作の歴史的名盤。この当時のボリショイの看板役者たちが揃っていると言えるでしょう。彼一流の一筋縄では行かなさそうな歌い口によってこの人物のいかがわしさが増していて、ゲルマンの“悪い友達”という風情が漂っています。上述のとおり3枚のカードの歌は怪談調の不気味さに全体が包み込まれた名唱で、計算された忍び足のppから強靭で逞しいffまでその表現の持ち駒の多彩さを惜しげも無く披露しています。他方で終幕の賭場での歌では、伯爵にはグループのリーダー格になるようなちょっとしたカリスマが備わっているように感じられる牽引力のある朗らかな歌いっぷりです。メリク=パシャイェフの指揮はこれしかない!と思わせるような絶妙な間合いですし、何と言ってもネレップのゲルマン!!後半のやけっぱちなのにどこか堂々とした歌唱はオペラファン必聴でしょう。

・コンラドチイ・フョードロヴィッチ・リレーエフ(Ю.А.シャポーリン『十二月党員たち』)
メリク=パシャイェフ指揮/ネレップ、ピロゴフ、ペトロフ、セリヴァノフ、ヴォロヴォフ、イヴァノフスキー、ポクロフスカヤ、ヴェルビツカヤ、オグニフツェフ共演/ボリショイ劇場管弦楽団&合唱団/1953年録音
>これもまた現在ほとんど聞くことのないシャポーリンの名作。やや多すぎる登場人物に話の筋が散ってしまっているような感じですとかもう少し盛り上がり切らない部分もあるのですが、それでも各役に魅力的な歌が配されていて美しい旋律に魅了されます。リレーエフはアレクセイの演ずる役の中では比較的癖のない主役と言っていい役ではないかと思いますが、他方で当時の過激派である十二月党を率いた人物の1人でもありますので、その腹の底の見えなさと言いますか理知的な賢しさが引き出されているように思います。いい意味で政治家っぽいドライな賢さが役のリアリティを生んでいるということもできるかもしれません。アリアも多いですが、計画実行を前にした愛国的な嘆きの抑えた表現が個人的には気に入っています。この音源は何度か登場していますが、今回改めて聴いてみてこれだけの人が集まったことに改めて驚嘆しました。

・グリゴリー・グリゴリイェヴィチ・グリャズノイ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『皇帝の花嫁』)2021.5.23追記
スヴェトラーノフ指揮/ボリセンコ、シュムスカヤ、ソコロフ、ヴェデルニコフ、チェキン、ゲレーヴァ、トゥガリノヴァ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1953年録音
>実はこの記事を書いた時から彼にはぴったりだったに違いない!と聴くのを楽しみにしていた録音。この時代のソヴェトのライヴということもあって音も悪ければノイズも多く、序盤は今ひとつ噛み合っていない粗さもあるのですが、徐々に噛み合ってくると異常な熱量を帯びてきます。イヴァノフはライヴ録音に接してみるとその凄まじい声量に改めて気付かされるのですが、それがこの自らの欲望の虜になって破滅に突き進むグリャズノイに恐ろしいほどの説得力を与えています。そういう意味でも自分の策謀が乗ってくる3幕あたりの迫力たるや。そしてその分4幕の良心の呵責も現実味を帯びていると言えるでしょう。ボリセンコの情のふかそうなリュバーシャはじめ共演も揃っていて、荒っぽい演奏ではあるもののスヴェトラーノフもお見事です。リムスキー=コルサコフの作品に欲しい常軌を逸したテンションにのめり込んだ佳演だと思います。

・シェルカロフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
メリク=パシャイェフ指揮/ペトロフ、レシェチン、イヴァノフスキー、アルヒーポヴァ、シュルピン、キプカーロ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1962年録音
>これも当時のスターキャストを集めた録音。ちょっともったいないぐらい出番が短いのですが、官僚的な役に甘さが少なく峻険で引き締まった口跡でよく似合っています。むしろ小さい役だからこそ彼のような個性の強い名手が歌うことによって作品の幅が広がるなあと思わせてくれるパフォーマンスとも言えるかも知れません。キプカーロも同じようにハイバリ系ではありますが、湿り気のある妖しい声ではっきりと個性の違いが出ています。共演ではやはりペトロフの題名役やアルヒーポヴァのマリーナがいいですが、レシェチンの演ずる渋いピーメンも忘れ難いものです。

・使者(Н.А.リムスキー=コルサコフ『皇帝サルタンとその息子栄えある逞しい息子グヴィドン・サルタノヴィッチ、美しい白鳥の王女の物語』)
ネボリシン指揮/ペトロフ、イヴァノフスキー、スモレンスカヤ、オレイニチェンコ、ヴェルビツカヤ、シュムスカヤ、レシェチン共演/ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>こちらはさらに小さい役(というかリムスキー=コルサコフはどうしてこう固有名詞がないような小さい役に突然アリアをつけるのか笑)ではありますが、これまでにあげた作品とは一線を画すコミカルな音楽をイヴァノフが巧みに歌っていて興味深いです。ちょっと間延びした呑気な雰囲気をまといながらのびのびとユーモラスに歌っていて、彼にはこんな抽斗もあったのかとちょっとびっくりさせられます。普段の彼からは想像がつきませんが、こういう道化役的なものも向いていたんだなということがよくわかり、性格派の面目躍如というところでしょう。こちらも音は良くないもののおなじみの名手たちが揃っており、“熊蜂”だけではないこの作品の魅力を知ることができます。

・ドン・ピツァロ(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)
メリク=パシャイェフ指揮/ヴィシニェフスカヤ、ネレップ、シェゴリコフ、ネチパイロ共演/モスクヴァ・ボリショイ歌劇場管弦楽団&合唱団/1957年録音
>こちらはかなり変わり種でカットも多い演奏ではあるのですが、コレクター的な意味での「興味深さ」を超えた演奏と思います。この悪徳典獄に与えられた苛烈な音楽と、アレクセイのきつめの歌い口の親和性はやはり非常に高く、露語の訳詩で歌われていることを忘れてしまうほどです。その口跡にメリク=パシェイェフのアップテンポの指揮も相まって、サディスティックでエキセントリックな魅惑の悪党ぶりだと言えるのではないかと。シェゴリコフがやや籠もった声で、田舎っぽい純朴さのあるロッコを演じているのとは好対照でしょう。ヴィシニェフスカヤが鋭利な声で歌うレオノーレも、ドラマティックなパワーのほとばしるネレップのフロレスタンも、いずれも露風ではありますが見事で、風変わりながら名盤でしょう。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十七夜/白銀の冬の空気をまとい〜

前回のダンがそれなりに知名度がありましたから、再びマイナーとされている歌手に光を当てたいと思います。
とはいえ彼はマイナー・ジャンルの界隈ではそれなりに有名人らしく(形容矛盾の感が否めませんがご容赦!)、検索で当たってみると意外と多くの方が記事にしていてびっくりしたりもします。少なくとも前々回のショーヨム=ナジに比べたら名前を見る機会は多いでしょう(もちろん、決してショーヨム=ナジが劣っている訳ではありませんが)

AndrzejHiolski.jpg
Miecznik

アンジェイ・ヒオルスキ
(Andrzej Hiolski)
1922〜2000
Baritone
Poland

波国のバリトンと言えば近年ではマリウシュ・クヴィエチェンの活躍が目立っていて、ネトレプコとMETなどで共演もしていますし、日本でも『ドン・ジョヴァンニ』(W.A.モーツァルト)を歌って人気を博しています。グローバルなクヴィエチェンの活躍とは対照的に、今回の主役アンジェイ・ヒオルスキは自国のオペラ上演を背負って立っていた人物というイメージです。彼の長いキャリアに比して多いとは言えない録音の中で、かなりの割合がお国ものの作品であることからもその印象は裏付けられるように思います。ご承知のとおり波国の歌劇の上演は国外では稀ですからそれらの録音は存在しているだけでも充分な価値がある訳ですが、いずれも資料的な価値を超えた作品の質の高さを伝えるもので、かの国にはショパン以外にもクラシックの宝と言うべき音楽が存在することを明確に示しています。驚くべきことは、これらの録音がヒオルスキにとって決して最盛期に収録されたものではなくむしろかなり歳をとってから、普通ならば声の衰えが顕著になっていたり、そうでなくとも年齢を累ねた声になっていて然るべき年代に録られているにもかかわらず、高い音域までよく伸びる若々しい声を維持している点です。若い時に残しているアリア集と比べますと流石に音色のアクや籠りは増すのですが、それでも年齢を感じるというほどではありません。白状しますとかく言う僕自身、共演の多いテノールのヴィエスワフ・オフマンやソプラノのソプラノのバルバラ・ザゴルザンカと同じぐらいの年齢だろうと思っていたのですが、今回記事にしようと調べてみて、彼らより実に15歳も年上ということに気づいてびっくりした次第です。堅実な歌いぶりから察するに、ひょっとするとご本人は節制の人だったのかもしれませんね。

そんな彼が波国の声楽作品を考える上で欠かすことのできない重要な存在になっていることは間違いないでしょう。国民楽派の祖であるモニューシュコ 、20世紀に入ってからのシマノフスキやもっと現代のペンデレツキに興味がある人ならば必ず出逢う藝術家です(尤も、僕自身はディスコグラフィー上でしかペンデレツキは知らないのですが……)。世に知られていない豊穣なジャンルを支える名歌手の魅力に、今夜は迫りたいと思います。

<演唱の魅力>
非常に主観的な印象だという自覚はあるのですが、人の声質には温度があるような気がしています。同じバリトンで言うのであれば、例えばカプッチッリは夏の海を思わせるカラッとした熱さのある声、フィッシャー=ディースカウは近代建築のような精緻な美しさのある冷たさのある声というように……これらはもちろん彼らの藝風とも密接に関わっているとは思うのですが、その声だからこその藝風という側面もあるでしょうから一概にどちらが鶏とも卵ともいうことはできないでしょう。さておきそれではヒオルスキの声はどんな温度に感じるかと言いますと、これはもう確実に冷たい声、硬質な美しさのある声です。キリリと引き締まった冬の空気をまとったかのような彼の声は、しかし決して暗い響きなのではなく、むしろ月夜の雪化粧を連想させる冴えざえとした明るさを湛えています。露国の粗野な力強さともまた一線を画していて、まさに白銀の北国のイメージにふさわしいと言えるのではないでしょうか。

その魅力を余すところなく体験できるのは、やはり波ものでしょう。個人的には彼の印象は、特にスタニスワフ・モニューシュコの作品と切っても切り離せません。この作曲家は作品はおろかその名前すらよく知られているとは言いがたい人ではありますが、民謡を取り入れたメロディアスで表情豊かな音楽は、露ものの泥臭い世界とはまた違ってユニークで愛らしいもの。ヒオルスキの北国の声はその独特な魅力を引き出すのに、まさしく好適と感じます。波語がわかるわけではないですし、かの国の音楽に詳しいわけでもないのですが、その声と音楽と言葉とが一体となっているように思われるのです。残念ながら私は『幽霊屋敷』と『ハルカ』をそれぞれ一つの音源で知っているに留まるのですが、『パーリア』も録っているようですし、『ハルカ』は2度録音していますから彼の藝術の中でもメインと言ってよいでしょう。私が聴いた2つの作品のうち、より彼の魅力を味わえるのは、出番も多いミェチニク(『幽霊屋敷』)と思います。この役は長々と訓示を垂れたかと思うとノスタルジックに歌ったり、「幽霊屋敷」の種明かしをしたりといろいろな顔を見せなければならないと思うのですが、彼の歌唱はいずれの場面でも歌として美しく、また強い説得力をも感じさせます。

他方で、その声質のみに引っ張られて限られた役に縛られるような人ではありません。遺された録音は多いとは言えませんが、それらを耳にしてわかるのは彼の歌の表現の豊かさでしょう。比較的若いときにアリアを遺しているエスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)やフィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)はいずれも派手で華々しい歌があり、硬質で冷たい音色のヒオルスキにはちょっと馴染まないように思えるのですが、いざ聴いてみると実にのびやかで活き活きとした歌唱で胸のすくような楽しさがあります。他方でランゴーニとシェルカロフの1人2役をこなしている『ボリス・ゴドゥノフ』(М.П.ムソルグスキー)では、同じ演奏の中で全く違う顔を披露しており驚かされます。ランゴーニには宗教者という以上の妖しさがありますし、シェルカロフでは峻険で打って変わってドライな印象です。この器用さはお国ものに立ち戻ると改めて強く感じられるもので、彼の個性的な“楽器”の良さとあいまって、聴くものに忘れがたい印象を与えるのに一役買っていると思います。

<アキレス腱>
彼の冷たい質感の声にはスラヴ的なアクと言いますか荒々しさも感じられますので、そこがお好みでないという方はいらっしゃるかもしれません。また基本的に声は衰え知らずとは言え、流石に90年代に入ると少し籠った印象は強くなります(そこまで歌っているのがむしろびっくりなんですけどね、テバルディやバスティアニーニと同い年ですから)。この時代の歌手をご紹介するときにはよくある話ではありますが母語歌唱のものも少なからずありますので気になる方はいるかも。

<音源紹介>
・ミェチニク(S.モニューシュコ『幽霊屋敷』)
クレンツ指揮/オフマン、ムロース、ベトレイ=シエラツカ、バニエヴィッツ、ニコデム、イマルスカ、サチウク共演/波国立放送管弦楽団&合唱団/1986年録音
>本作の数少ない全曲録音のひとつ。オフマンやムローズといった、知ってる人は知っている波国の名歌手たちを集めた録音で、クレンツの華やかで緩急のメリハリのある指揮もあってオペラ好きには楽しめるものでしょう。ミェチニクは巷で「幽霊屋敷」と噂される館の主人で、ヒロインたちの父親というバリトンらしい年長者の役どころで、登場人物の多いこの演目に於いては歌う場面の多い重要なパートです。上述の通り様々な表現が求められる役だと思うのですが、2つの全く性格の異なるアリア(舞曲を思わせる華やかで堂々したものと、哀愁を感じさせるロマンチックなもの)はいずれも彼らしい豊かな声が楽しめる名唱ですし、引き締まった歌い口でアンサンブルも牽引しています。全体でパワフルで筋肉質な印象は、この喜劇の人物の裏に愛国的な軍人の姿をちらつかせているようにも思われます。是非多くの人に知られてほしい音源です。

・ヤヌシュ(S.モニューシュコ『ハルカ』)
サタノフスキ指揮/ザゴルザンカ、オフマン、オスタピウク、ラセヴィッツ共演/ヴィエルキ歌劇場管弦楽団&合唱団/1986年録音
>こちらもモニューシュコの代表作。ヤヌシュは物語冒頭からヒロインのハルカを裏切って突き放す、G.ヴェルディ『リゴレット』のマントヴァ公爵のような非道い男で、こういう役を演じるとヒオルスキの声の冷たさや荒々しさ、険しい歌いぶりは際立ちます。自分の欲望に忠実でギラリとした酷薄さのある悪役がよくハマっており、出番は決して多くはないながらもこの作品に悪の魅力を添えていると言えるでしょう。けだし、当たり役と思います。『幽霊屋敷』でも共演していたオフマンも素晴らしい歌唱(しかしモニューシュコはテノールにいいアリアを書ける人です)ですし、オスタピウクやラセヴィッツもしっかり脇を固めていますが、何と言っても題名役のザゴルザンカの可憐な歌声と悲痛な歌がたまりません。この作曲家の作品を知るためには最適な演奏です。

・ヤクブ(S.モニューシュコ『筏乗り』)2022.2.2追記
グジニスキ指揮/スウォニツカ、パプロツキ、ワディシュ、マイェク、ニコデム共演/ヴァルシャヴァ・フィルハーモニー管弦楽団&合唱団/1962年録音
>他愛のない筋書きのごく短い作品ですが、モニューシュコが『ハルカ』を書いた前後の音楽だけあってのどかながら充実した音楽です。ヒオルスキが演じるヤクブは何がしたいのかよくわからないというか、そんなにあっさり大団円で君は満足なのかしらというところはあるのですが、民謡調の魅力的なアリアが2つもあり、主役と言ってもいいでしょう。彼らしい器用さが心地よく、筋での納得のいかなさを忘れさせてくれる気持ちの良い歌です。ちょっとロッシーニのフィガロのような軽やかさがある、とでも言いましょうか。他方でパプロツキのかなり重たいテノールに対しても力負けをしておらず、最後のかけあいなどとても楽しいです。スウォニツカやワディシュもいいですし、モニューシュコを全然聴いたことがない人が気軽に彼の音楽を知るのにはとてもよい音源だと思います。

・ロジェ王(K.シマノフスキ『ロジェ王』)
ストリージャ指揮/オフマン、ザゴルザンカ、グリチニク、ムロース共演/ポーランド国立フィルハーモニー管弦楽団&合唱団、クラクフ・フィルハーモニー少年合唱団/1990年録音
>この難解な作品は恥ずかしながら自分の中で消化し切れているとはとても言えないのですが、ヒオルスキを取り上げるにあたって本作に触れないのは片手落ちの感を免れえないので。古稀を目前にしているとは思えない立派な声の力にまずは圧倒されます。妻のロクサーナを始め人びとが羊飼い(実はバッカス)に心を寄せていってしまう中で、独り頑なであるがために苦悩する国王を力演しており、彼の歌唱の集大成でしょう。とりわけ終幕のモノローグは陶酔感があって感動的です。ここでも共演しているザゴルザンカやムロースといった人たちはいずれも見事な歌唱と思いますが、特筆すべきはオフマンの圧倒的な輝かしさ!円熟を迎えていた彼の、ベストの歌唱ではないかと。

・ランゴーニ、シェルカロフ(2役)(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
セムコフ指揮/タルヴェラ、ゲッダ、ムロース、キナシュ、ハウグランド、パプロツキ、ラプティス共演/ポーランド国立放送交響楽団、クラクフ・ポーランド放送合唱団&クラクフ・フィルハーモニー少年合唱団/1976年録音
>この演目が北欧や東欧のメンバーのみで演奏されている録音はあまりないのではないかと思います。露国の人々によって固められた演奏よりも静謐で、西欧の指揮者の演奏よりも質素で、あたかも冬の朝のような清澄さのある名盤です。ここでは2役を演じているヒオルスキ、上に述べたとおりそれぞれまったく別の表情を見せていますが、個人的にどちらが好きかと問われればランゴーニです。マリーナに策略を授ける様子には、魔術師のように恐ろしく不気味な、しかし蠱惑的な力を感じます。意外と妖しい色気の欲しいバリトンの役柄というのは珍しいせいか、この役の魅力を引き出し切れていると思える演奏は少ないのですが、彼の個性にはゾクゾクするほど合致していると思います。一方のシェルカロフは無駄な色気は捨て去ったドライで辛口な歌で、感情を吐露するのにも淡々とした役人の姿をリアルに想起させるものです。タルヴェラは思いのほかリリカルな声と歌でボリスの新境地を拓いていますし、ゲッダはいくつかあるこの役での録音と較べても絶好調。ムロースの渋いが端整なピーメンほかあまり聞かないメンバーが多い共演はいずれも完成度の高い歌唱で、もっと注目されるべき名盤です。

・イェヴゲニー・オネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)
・フィガロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)
・エスカミーリョ(G.ビゼー『カルメン』)
ヴォディチコ指揮/ヴァルシャヴァ歌劇場管弦楽団/1963年録音
>若い頃のアリア集の録音からいくつか。むしろメジャーな役はここでしか聴くことができなかったりするので貴重でもあります。この中で最もいいのはオネーギン!彼らしい冷たい質感の声がこの役の分別を装った冷淡さと良く合っていますし、アンニュイな雰囲気も最高です。この声で決闘の場面や最終場の拒絶を受けたあたりが聴けたらどれだけ良かったでしょう!全曲がないのが本当に惜しまれます。代わってフィガロは若い時の録音とは言え、こんなに軽妙に歌えるのに驚きです。慣習的な高音を一部カットしたり早口もそこまで速くなかったり、現代の歌手と較べてご不満を述べる向きもあるでしょうが、それでもこれだけのびのびと勢い良く、自然に歌われるフィガロは評価したいです。エスカミーリョは波語の歌唱で最初ちょっとびっくりしますが、非常に快活で若々しいながらもマッチョになりすぎない絶妙なバランスが心地よいです。フィガロともども華がある場の主役の登場をはっきりと聴衆に知らしめる快演でしょう。
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