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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

Coelacanth

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シーラカンス
Coelacanth

博物倶楽部でワークショップを行うため今年も神保町ヴンダーカンマーに出展しました。
そこで展示されていた小田さんのシーラカンスがあまりに素晴らしく、自分も作品にしてみようと思った次第です。

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シーラカンス、実は昔も作ったことがあったので、なんとなくどうにかなるだろうと軽い気持ちで始めたのですが、これが全くまとまらず悪戦苦闘。ヴンダーカンマーの会期中には形にできればと思ったものの結局間に合いませんでした。
自分は飽きっぽいので比較的安易に完成にしてしまうか、そもそも構想を投げてしまうのですが、どうもこいつはいい形に仕上げたくて、珍しく1ヶ月近く試作を重ねて漸くこの形に。頭から第1背鰭までが比較的早く気にいる形のできたので、なんとか粘れたというところです。

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苦労したのは第2背鰭と臀鰭。どちらも同じような位置から同じような長さ・形のヒレが出ているのですが、これがどうも思うようなバランスにならない。魚をよく作る方はこれをいつもやっているのかと思うと正直頭が下がります。これらの折り出し方の目星がある程度ついた時点でとりあえず形の上では下半身もまとまりました。

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あとはその前に試作していた上半身とドッキングするだけと思っていたのですが、これがまたいいバランスにならない(^^;
折り方の上でうまく整合性がついてもやたら身体が長くなってしまったり、うまく臀鰭が折り出せなくなってしまったりと、手札は揃っているのにあがれない苦しい闘いが続きました。。。

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ただ、最終的には苦しんだ甲斐あってプロポーションは気に入っています。鱗の折り出しなど技巧的なところでは及ばないものの、シルエットとしては今の自分のできる範囲ではやりきったかな、と。ひさびさに本当に楽しんで作れたように思います。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第百十九夜/謎に包まれた武勇の人〜

公私ともに繁忙期に入ってしまい、また随分更新が止まってしまいました。また少しずつ進めて行きたいところです。
「大バリトン特集」もいよいよ次回で最終とする予定。今回はとっておきの秘密の歌手をご紹介いたします。

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Knyaz Andrei Bolkonsky

ドゥシャン・ポポヴィッチ
(ドゥシャン・ポポヴィチ)

(Dušan Popović)
1927〜2001
Baritone
Yugoslavia (North Macedonia)

このシリーズではヴェヒターやダン、それに前回のアレクセイ・イヴァノフのように高名な大物歌手をご紹介したいという気持ちももちろんあったのですが、それ以上にあまり知られているとは言えないバリトン、ショーヨム=ナジやヒオルスキ、そしてこのポポヴィッチに光を当てたいという想いが強くて始めたところがあります。日本語はおろか英語で検索をしてもほとんど引っかかることがない上に、ドゥシャンというファーストネームもポポヴィッチという姓も旧ユーゴ諸国では珍しくないこともあって、「謎に包まれた」という言い回しがこれほど当てはまる人もいないのではないかと。決して活躍の少なかった人ではないようで、ベルリンやミュンヘン、モスクヴァ、リヨン、シカゴ、モントリオールなど世界各地で客演していたようですし、その歌声の滑らかな響きや力強く端正な歌の美しさは一度聴けばご納得いただけると思うのですが。。。

録音もまた決して多いとは言えない、というよりも本当に限られたタイミングの録音が運よくまとまって遺されたという方が近いでしょう。Deccaがベオグラードに赴いて録音したいくつかの露ものオペラの全曲音源のなかでは、ポポヴィッチは最も若い世代の歌手ではありますが、その骨太な声と重厚で整った歌い口で強い存在感を示しており、まさに真価を知ることができると言って良いでしょう。(このプロジェクトはダノンやチャンガロヴィッチ、ブガリノヴィッチと言った人たちに支えられた当時のユーゴスラヴィアのクラシックの高いレベルを伝えるとともに、いまでも決して多いとは言えない露ものの録音において優れた記録として価値があると思います)。残念ながらこれらの音源は長い間CD化されておらず、レコードですらそうそう手に入らない幻の録音となっていたのですが、幸いなことに近年Eloquenceシリーズで復刻され、日本でも大手のCD店でかなり容易に入手できるようになってきました。記事を構想しはじめた頃にはこうした状況になることは全く予想していなかったのですが、折角こうした恵まれた環境が訪れている現在、より多くの人に彼の魅力を知ってもらうことができればと強く感じています。もしこの記事を読んで彼に関心を持たれた方は、是非その録音を手にとってみてください。忘れられた藝術家が再び陽の目を見る唯一の方法は、より多くの人がその藝術に触れることにあるのですから。

<ここがすごい!>
前回のアレクセイ・イヴァノフは悪人、曲者、屈折した人物といった、作品の世界を彩る個性的な役どころでこそ真価を発揮する藝風でした。確かにバリトンにとってそういったある種の“異常人”が重要なレパートリーであることは言を俟ちませんが、テノールともバスとも異なる太く輝きのある声だからこそ求められるヒロイックな役どころも忘れることはできないでしょう。ポポヴィッチはまさにそうした英雄的な魅力が求められる役で、目覚ましい力を発揮する見事な声を持った歌手です。どっしりとした重心の低い声は深く暗い力に溢れてドラマティックでバス・バリトンと言ってもいいような気もしますが決して生硬で剛直過ぎず、むしろなめらかで雄弁なカンタービレを得意とするやわらかさも兼ね備えています。自分はよく引き締まった精悍で堅い響きの声に「筋肉質」という印象を持つのですが、彼の声からはそれとはまた別の、希国彫刻のような堂々たる肉体美を想起させられます。この辺り、そのレパートリーに伊ものが多かったというのは非常に得心のいくところでもあり、スラヴらしい剛の者感と地中海的な流麗さとが高次に共存しているということもできそうです(ただし、残念ながら伊ものの録音は見当たらないので、想像で補うしかない部分もあるのですが……)。

彼はまたその声の特質をよく活かして、歌そのもので勝負しています。堂々とした声を惜しげもなく使って紡ぎ出す、滔々と流れる河のような豊潤でスケールの大きな歌にこそ、ポポヴィッチの美質が詰まっていると言えるでしょう。「演じる」ことや「語る」ことで惹きつける歌手も多いバリトンという声区ではある意味では最も衒いのない王道を突き進んでいる訳ですが、それによって何番煎じと言うような没個性な退屈さに陥ることなく、むしろ大河ロマンの主役の魁偉な風貌を聴き手にありありと思い描かせてくれるのです。英雄譚の世界の人物が纏っているような雄々しくオーラが、声からも歌からも感じられるということもできそうです。またそこには、現代の我々からすると時に不器用に感じられることもあるような古風な生真面目さやまっすぐさも同時にあって、だからこそよりリアルなのではないかと思います。

そうしたポポヴィッチの良さがストレートに楽しめるものを挙げるのであれば、イーゴリ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)やアンドレイ公爵(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)あたりがまず思い浮かびます。不吉な兆しや周囲の説得をはねのけて出陣したりコンチャク汗の懐柔も断固として受け入れなかったりと、迷いはあれど何かと頑なに自らの信じた道を行く古武士イーゴリには、スマートに理詰めで損得を考えるような現代的な感覚はどうしてもそぐわず、神話的、昔話的な人物として造形した方がむしろリアリティを得られるように個人的には思っているのですが、そういう意味で彼の歌唱はまさに理想的です。アンドレイはイーゴリよりもうんとくだった時代の人物ですが、その仕事の面での有能さと戀愛感情の不器用さ(アナトーリはアンドレイと好対照なんですね、こう考えると)は通底しています。しかもこの役に欲しい若々しい力強さという観点でポポヴィッチは卓越しています。『戦争と平和』の録音は意外とたくさんあるのですが、フヴォロストフスキーと並ぶ最高のアンドレイです。直球ではないものとしてはシャクロヴィートゥイ(М.П.ムソルグスキー『ホヴァンシチナ』)やオネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)も忘れることはできません。どちらの役も上述していたような不器用なまでの誠実さという観点からはちょっと外れるようですが、自らの愛の対象への歌には裏表のない直裁な感情がにじみ出ます。他方でシャクロヴィートゥイであればダークヒーロー的な一筋縄ではいかない政治家を、オネーギンであれば(特に2幕までに)暖かなようでいて空虚でニヒルな若い男をしっかりと表現していて、その藝の幅の広さに唸らされます。この路線の屈折した愛情を表現できる役の録音が更に残っていれば、もっと知られていたかもしれません。

<ここは微妙かも(^^;>
視聴できる音源がほとんど一時期のものに限られる上、いずれも十八番と言えるようなものばかりですから、取り立ててここが良くないという点を挙げるのは難しいですが……敢えて言うとやはりたっぷりとした豊穣な声と歌を売りにしている人ではあるので、歌う場面が少ない中で尖った個性を出さなければいけない役だとちょっと良さが出づらい印象です。ある意味では前回のイヴァノフの対極にあるとも言えそうですね。

<オススメ録音♪>
・イーゴリ公(А.П.ボロディン『イーゴリ公』)
ダノン指揮/ヘイバローヴァ、Ž.ツヴェイッチ、ジュネッチ、ブガリノヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>長い間幻だったこの演奏が手に入りやすくなったのは非常に嬉しいところですが、とりわけポポヴィッチのイーゴリを楽しめると言うのが大きなポイントでしょう!重厚でズシンと響く太い声ながらバリトンらしい輝きもあり、終始他を圧倒するパワーを感じさせるものです。とは言えその歌は決して力任せで乱暴なものではなく、スタイリッシュな美観を保っており、この役柄の高貴さが見事に表現されているように思います。勇壮な出征の場面や感動的な再会などのアンサンブルも素晴らしいですが、やはりここでの聴きどころは彼らしい堂々とした歌と声を楽しめるアリア。剛毅で渋い魅力を湛えた壮年の英雄というべき理想的な歌唱でしょう。共演ではヴラジーミルを演じるジュネッチのロブストで影のある声と、コンチャコヴナのブガリノヴィッチの深みのあるメゾが優れています。特にジュネッチはここでしか聴けないのがもったいなく、ゲルマン(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)やサトコ(Н.А.リムスキー=コルサコフ『サトコ』)あたりをやったらかなりはまりそう。ダノンは大好きな指揮者で、序曲や韃靼人の踊りなどは胸のすくような快演なのですがオヴルールが出てくる場面やコミカルな場面がちょっとのたっとしてしまっているのが残念です。

・イェヴゲニー・オネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)
ダノン指揮/ヘイバローヴァ、B.ツヴェイッチ、スタルツ、チャンガロヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>複数回CDになっており、ポポヴィッチの音源の中でも一番手に入りやすい演奏でしょう。どちらかと言うと叙事詩的な役柄を得意としている(と言うかそう言うものが多く残っている)彼の録音の中では数少ない叙情的な演目で、彼の異なる魅力を発見できるように思います。1幕のアリアは柔らかく響く低音が心地よく、非常に立派で美しいながらも仰々しい感じが、オネーギンに見せかけだけの思慮深さや空疎さを与えているようです。2幕の決闘で聴かせる迷いや哀しみを除くとずっとどこか人を喰った人物で居続けつつ(3幕冒頭の乾いた独白!)、3幕で自らのタチヤーナへの戀心に気づいてからは一気に情熱に溢れる表情となり、漸く彼にも人間的な感情が宿ったことを感じさせる手腕は素晴らしいです。ヘイバローヴァはこの録音の時には既に声のピークを過ぎているようで、薹が立って感じられるところもなくはないのですが、表現力で納得させるタチヤーナ。特に終幕のこの2人の重唱は白眉でしょう。小さい役ながら名アリアを聴かせてくれるチャンガロヴィッチをはじめ共演も揃っていますし、ダノンの指揮も彼の録音の中でも指折りの完成度と感じます。

・アンドレイ公爵(С.С.プロコフィエフ『戦争と平和』)
ヤンセン指揮/ヴァソヴィッチ=ボカセヴィッチ、B.ツヴェイッチ、マリンコヴィッチ、スタルツ、N.ツヴェイッチ、Ž.ツヴェイッチ、ジョルジェヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団、ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1958年録音
>米国の指揮者、ユーゴの独唱陣、ユーゴとヴィーンの混成オケ、ヴィーンの合唱団という不思議な組合せで、例のDeccaのベオグラード遠征とは全く別に録音されたと思われる謎の音源です。かなり多くのカットがあり、結果として群像劇というよりはアンドレイとナターシャに焦点が絞られています。一連の遠征録音の3年後の録音ですが、声はますます艶やかに力強くなっており(というかこの時ですら31歳ですから他の多くの録音は28歳ごろのものということ!なんという早熟ぶり!!)、このさまざまな理想に敗れて死んでいく若々しい軍人を強い説得力を持って演じています。やわらかな春の空気を伴った優しい歌を聴かせる冒頭部分もうっとりさせてくれますし、2幕頭の愛の回顧の苦々しさも聴く者の心を掴みますが、圧巻は死の床の場面でしょう。朦朧とする意識の中で様々な想い出や感情が去来するこの狂乱的な場面の持つ毒のある美しさを引き出した名演です。ナターシャへの愛、ロシアへの愛を朗々と歌ったかと思えば、無意味なピチピチという音を強迫的に無感情に呟く落差が生む異様な緊張感!ナターシャのヴァソヴィッチ=ボカセヴィッチはややおとなしめですが柔らかな響きのある声で悪くはありません。クトゥーゾフ将軍のジョルジェヴィッチがやや落ちるのが惜しいです。ヤンセンは露国の指揮者たちとは違うところを強調するなど聴きなれずに驚く場面はあるものの大河ドラマらしいスケールの大きさがあって結構好きです。序曲の爆演っぷりなどは本国顔負けかもしれません。この演奏はmp3では手に入れやすくなったものの、残念ながらCDやレコードでは手に入れづらい状態が続いています。

・シャクロヴィートゥイ(М.П.ムソルグスキー『ホヴァーンシナ』)
バラノヴィッチ指揮/N.ツヴェイッチ、チャンガロヴィッチ、マリンコヴィッチ、スタルツ、ブガリノヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1954年録音
>こちらも近年漸く手に入りやすくなった録音で、チャンガロヴィッチやブガリノヴィッチはじめ役者が揃っています。バラノヴィッチの指揮は前奏曲などハッとするほどの美しさがありますが、全体にはややだれ気味なのが惜しい。シャクロヴィートゥイ最大の聴き処であるアリアをポポヴィッチはいつもながら厚みのある立派な声で歌っていますが、朗々とではなく祈るような哀切極まる声で訥々と絞り出すように歌っているのが非常に印象的ですし、だからこそ最後の感極まったかのようなffがぐっと胸に刺さります。これに対し、代書屋やホヴァンスキーとの場面ではドライな歌い口で、この政治家の閉ざした心を表現しています。

・イェレツキー公爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)
バラノヴィッチ指揮/マリンコヴィッチ、ヘイバローヴァ、グリゴリイェヴィッチ、ブガリノヴィッチ、B.ツヴェイッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>バラノヴィッチが指揮した一連の録音のなかではこの演奏が一番良いと思います。彼が演じる公爵は終幕ではゲルマンと対決し、有名なアリアもある割には登場場面が少ないのですが、それでも丁寧な歌い口でしっかり存在感を示しているのは流石です。こちらではリーザへの深い愛情をなんら恥ずかしげもなく情感を込めて歌い上げているのが潔く、とても好感が持てる人物を作り上げています。他方対決の部分で、少ない口数でゲルマンの敗北を宣言する決然としたところもいい。共演ではマリンコヴィッチのゲルマンが最高!やや細いキャラクタリスティックな声ながら、後半は清々しいまでに堂々とした賭け狂いっぷり、とりわけ最後のアリオーソは圧巻です。

・ミズギル(Н.А.リムスキー=コルサコフ『雪娘』)
バラノヴィッチ指揮/ヤンコヴィッチ、B.ツヴェイッチ、チャンガロヴィッチ、ミラディノヴィッチ、ヘイバローヴァ、アンドラシェヴィッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1955年録音
>録音そのものも少ないリムスキー=コルサコフの佳品の貴重な現役盤です。かなり多くの歌手を揃えねばならない作品ですが、ここでも当時のユーゴの層の厚さを感じることができます。ミズギルは長く連れ添って結婚を誓った戀人クパヴァが居ながら雪娘に一目惚れしてしまい、クパヴァを捨てて彼女に猛アタックをするというちょっと残念なやつなのだけれども役としては起伏に富んでいて、演じ甲斐があるところだと思います。いまいちな人が歌うと情けないだけで雪娘が最終的に靡くのに説得力がなくなってしまうのですが、そこは我らがポポヴィッチ、憂いをも感じさせる男っぷりの良い歌唱で真実味を持たせています。短いアリオーソもバラノヴィッチが遅めのテンポを取っていることもあって、彼のしんみりとした歌い口をじっくり楽しむことができます。共演も本当に少女のようなヤンコヴィッチをはじめ好きがありませんが、クパヴァを演じるヘイバローヴァの熱唱は特筆すべきものでしょう。上述のとおり必ずしも全盛ではないと思うのですが、ここではその実力が遺憾なく発揮されているように思います。

・シェルカロフ(М.П.ムソルグスキー『ボリス・ゴドゥノフ』)
ミラディノヴィッチ指揮/チャンガロヴィッチ、ジョルジェヴィッチ、パウリック、ボドゥロフ、カレフ、Ž.ツヴェイッチ共演/ベオグラード国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1967年録音
>実はベオグラードでの一連の録音でも同役で登場しているのですが、ここでは珍しいショスタコーヴィチ版のライヴ音源をご紹介します。これまで述べてきた録音から10年あまり過ぎ、ちょうど40歳のときのものです。若い頃よりも更に沈んだ暗い色調に変わってはいますが、その野性味と言っても良いようなパワーとやわらかな歌い口は健在です。惜しむらくはこのころの録音がもう少しあれば……というところでしょうか、この役はあまりにも小さすぎますから(せめてランゴーニをやって欲しかった)。
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