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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿夜/渋い大人の魅力〜

毎回切番では普段の歌手紹介とは趣を変えて楽器紹介をしていたわけですが、ここのところなかなか更新もできていない中で別番組を無理に組むのもなあということで、今後は基本的には平常運行にして行こうかなと思います。
そんな訳で今回はずっとやっていた「大バリトン特集」の最終回。今回は大物の登場です。

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Carlo Gérard

マリオ・セレーニ
(Mario Sereni)
1928〜2015
Baritone
Italy

彼の歌唱を知っている人にとっては、誰が何と言おうと彼が伊ものの大物であることには何の疑問もないと思います。しかし、他方で彼が泣く子も黙る派手なスター・バリトンだと言われると、ちょっと違和感を抱くのではないでしょうか。例えば先輩のゴッビやバスティアニーニ、同世代のカプッチッリ、ミルンズ、後輩のヌッチなどと並べた時に、煌びやかな活躍、輝かしい声、外連味のある演技といったところでは、正直申し上げてちょっと地味な印象は免れ得ないかもしれません。かく言う私も、以前よくマリオ・ザナージとこんがらがっていました(声の響きがだいぶ違うので今は混同することはなくなりましたが)。けれども、当然ながら目や耳を奪うような華やかさだけがオペラに必要な訳ではありません。聴き込んでいくとじわじわとその渋さで魅了してしまうのがこのセレーニという人の凄いところ。荒々しさのある美声から繰り出される堅実で真面目な歌唱には、伊ものをレパートリーの中心に据えた人が持つ、滾るような熱気が込められています。

そういう「聴けば聴くほど」の人だからでしょう。彼の名前をネットで検索してみると色々な音盤が出てくるのにもかかわらず、決して広く親しまれているとは言い難い状況だと感じます。非常に残念ながら多くの人にとって彼は、カラスの58年の『椿姫』(G.F.F.ヴェルディ)でジェルモンをやっていた人という程度の認識に留まっているようですし、その音源での歌唱にしても正当に評価はされていないように見受けられます(そもそもバリトンの良さが全面に発揮される役でもありませんしね)。彼は同じヴェルディでももっと若々しいパワーのある色仇でこそ映えますし、意外なまでに器用にコロラトゥーラをこなしなりという技も秘めているのに、勿体無いことこの上ありません。本来ならば記憶されてしかるべき藝術家がこんな事情でスルーされている訳ですから!そして今日あまり日の目を見ていない歌手を重点的にお送りしてきた「大バリトン特集」の最後を飾るのに、この遠くて近い名優セレーニはまさしくふさわしいのではないかと思います。

<演唱の魅力>
オペラで名歌手と言われる人の条件というのは何なのでしょうか——セレーニの記事を書こうとしてそんな疑問が頭の中を巡っています。というのも今回改めて彼の録音をいろいろ聴いてみて感じるのは、繰り返しになりますがひとつには彼の声の地味さです。先述したバリトンたちの中でも特にバスティアニーニやカプッチッリが感じさせるような強烈なスターのオーラはありません。けれども同時にもうひとつ、彼の声の響きには聴くものの心を捉えて離さない力があるのも事実です。例えて言うならば舞台で長いこと活躍してきた役者さんが、何かの機会に映画やドラマに登場することになった時に発揮するただものではない存在感が近いかもしれません。こういう人の持つ渋い鈍色の輝きが恐ろしいのは、華々しく万人にわかりやすい魅力ではない分、一度その美しさに惹きこまれてしまうとその正体を追いかけて更に聴き込み、次第に虜にしてしまうところでしょう(もちろん私もそのひとり)。こう考えて行くと、セレーニは誰もをうっとりさせる響きは持ってはいないけれども、確かに名歌手の声を持っていると思うのです。

渋いと繰返し言いましたが、その渋さはいい味を出すおじちゃんといったような脇の存在に留まるようなものではなく、むしろうんとカッコいい硬派な渋さです。妙な言い方ですが、物語のヒロインは絶対なびかないだろうけれども、戀のライバルとして登場した時にこそ冴え冴えとした魅力を発揮するように思います。より具体的には、主人公のカウンターパートとして望まれる要素が備わっていると言ってもいいかもしれません。テノールが演じる主人公に与えられている不安定なまでの若さや直情径行な戀心、不幸な身の上、戦いへの天才的な才能に対して、セレーニの作り上げる仇役は、年齢による経験により培ってきた如才なさや政治的な才能、恵まれた身分、努力をしてきた秀才の持つ堅実な人物としての好ましさとマキァヴェリスト的な感じの悪さとを備えているように思われます。そう、現実世界であれば勝ち抜いていく能力とかっこよさがあることをを十分に感じさせるような役作りだからこそ、どんなにとんでもない悪役でも彼の演ずる役に私たち聴衆は惹かれてしまうのです。もちろん憎々しいですがそこになんの魅力的な要素もなければ、主人公に対抗することはできませんから。

こうした痺れるぐらいスタイリッシュな大人の渋さを持つセレーニの魅力が非常によく発揮されているのはジェラール(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)でしょう。彼の丹念に練り上げられた歌唱は、物語の中では仇になってしまうこの人物が本来は真面目で実直な人柄で、決して短絡的な悪役に堕しえない多面的な性格を有していることを明晰に描き出しています。ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』)も素晴らしいです。あらすじ的には荒唐無稽な振舞いの多いのですが、彼の歌の湛える腹に一物ありそうな雰囲気が役柄により説得力を増しているように感じます。そしてもう一つ、セレーニの持ち味が予想外に活きていると思うのはベルコーレ(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)。言ってしまえばスッカラカンな色男気取りの人物に彼のような重量級のイケメン歌唱の人を配役したことで生まれるギャップがとても愉しい!(そしてコロラトゥーラがうまい!)まさに配役の妙を楽しめると言えるものでしょう。

<アキレス腱>
冒頭からずっと述べていますが、ともすると地味さが強くなってしまうのがこの人の惜しいところでしょうか。これも冒頭で取り上げたカラスとの『椿姫』は巧みな歌唱だと思うのですが、そうした地味さが出てしまった感は否めないように思います。カラスの『椿姫』ではバスティアニーニのような派手な人がジェルモンを演じた音源もあるので、そうした印象が際立ってしまっているところもあるかもしれません(とはいえバスティアニーニがジェルモン向きとも思えないのですが)。

<音源紹介>
・カルロ・ジェラール(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)
サンティーニ指揮/コレッリ、ステッラ、ディ=スタジオ、マラグー、モンタルソロ、モデスティ、デ=パルマ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>何故だかあまり話題になることがないように思いますが、ガヴァッツェーニ盤と東西の横綱を張ることのできる名盤中の名盤です。セレーニは、この役の理想を目指して懸命に生きる人物としてのカッコよさを巧みに引き出しており、聴くものの胸を打ちます。甘いマスクのスマートで立派すぎるキャラクターではなく、泥くさく苦悩する等身大の男ジェラールです。他方で伊ものに欲しい煮えたぎるような熱情も歌唱の隅々までほとばしっていて、コレッリやステッラとがっぷり組んでテンションの高い世界を作り上げています。開幕のアリアからスタジオ録音とは思えないぐらいかっ飛ばしていますが、やはり“国を裏切る者”の絶唱が記憶に残ります。コレッリはドラマティックなだけではなく繊細な表現もできる人なのでこの詩人にはうってつけ、ステッラも彼女らしい力演ですし、脇役でもそれぞれスペシャリストと言える人が完成度の高い歌唱を繰り広げています。

・ベルコーレ軍曹(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)
モリナーリ=プラデッリ指揮/フレーニ、ゲッダ、カペッキ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1966年録音
>こちらもあまり言及されませんが見事な演奏だと思います。「え、あのセレーニが?」とびっくりしますが、聴いてみるとなるほど堅実な仕事をしそうな立派な見てくれにもかかわらず実のところ中身のないすっとこどっこいというあらまほしき喜劇の人物になっています。これがもう少し重厚路線に行ってしまうと過度に暑苦しくなってしまったり、おっかない人が無理やり喜劇を演じているような感じがしてしまったりして収まりがつかなくなってしまうのですが、まさに絶妙なバランス。加えて意外なぐらいに器用な転がしのテクニックも注目に値するでしょう。登場のアリアは意外と軽妙な転がしが要求されますが、しっかり歌いこなしています。この辺りの喜劇的なセンスや歌唱技術は、彼の時代のバリトンたちの中では稀有なものと言ってよいでしょう。共演ではカペッキのドゥルカマーラが最高!フレーニとゲッダはいずれもやや真面目過ぎる感じはあるものの整った美しい歌唱です。

・西国王ドン・カルロ(G.F.F.ヴェルディ『エルナーニ』)
シッパース指揮/ベルゴンツィ、L.プライス、フラジェッロ、ハマリ共演/RCAイタリア・オペラ管弦楽団&合唱団/1967年録音
>やはり彼の堂々としたややくすみのある声はヴェルディの敵役にはよくハマりますが、その中でも音質が良く比較的手に入れやすいのはこの『エルナーニ』でしょう。ロマンティックな時代劇に登場する厄介な王様を、たっぷりとした声で颯爽と演じています。シルヴァの懇願をにべもなく断るドライさや、エルナーニとの決闘も辞さない血気、玉座に座る野心といった人間的な側面を表現しながらも決して気品を失わない歌い口は実に見事なものです。かなり高い音まで求められる上にパワフルな役ですが余裕すら感じさせ、しかもそれがカルロのキャラクターの鷹揚さにも繋がっているように思います。共演はフラジェッロの勇猛なシルヴァを始め平均点は高いのですが、ここでのベルゴンツィはちょっと整いすぎな気がしていて、全体のトーンが落ち着いてしまっているのがちょっと残念です。

・アシュトン卿エンリーコ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
プレートル指揮/モッフォ、ベルゴンツィ、フラジェッロ、デュヴァル共演/RCAイタリア・オペラ管弦楽団&合唱団/1965年録音
>ベルコーレに続きベル・カントものへの彼の適性をよく示した歌唱だと思います。何と言ってもこれだけ迫力がある声に加えてコロラテューラの技術もありますから、最初のアリアもカットなしで一切ダレずに威勢良く歌い切りますし、ルチアに婚約を迫る場面の剣幕も凄まじいもの。しかもありがたいことにこの演奏はほぼノーカットなので、エドガルドとの嵐の場面も収録されています!セレーニの重厚な声と歌はこの場面で一番発揮されているように思いますし、先ほどのエルナーニではちょっと整いすぎていると言ったベルゴンツィもこちらではスタジオとは思えない気迫で応戦していますから、この部分はこの音盤の中でも白眉と言えるでしょう。モッフォの泣きの多い歌唱への好き嫌いはあるでしょうが、看過できない名盤です。

・アモナズロ(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
メータ指揮/ニルソン、コレッリ、バンブリー、ジャイオッティ、マッツォーリ、デ=パルマ共演/ローマ国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1967年録音
>この役は意外と歌う場面が少ないのでヴェルディの書いたバリトン役にもかかわらず下手をすると影が薄くなってしまうのですが、彼一流の苦み走った歌唱で強い存在感を発揮しています。武将というよりは政治家という印象の歌唱で、例えば2幕フィナーレでアイーダの父だという場面の声のトーンの使い分けなどひとまずこの場面を切り抜けて再起を図ろうというしたたかさが前に出てきているようです。対するジャイオッティの演じる冷淡なランフィスも秀逸で、メータの作る祝祭的で絢爛な音楽に駆け引き的な緊張感を加えています。コレッリのラダメスはこれがベストだと思いますし、バンブリーのアムネリスも彼女らしい奥行きのある歌唱が魅力的なんですが、ニルソンのアイーダが声の面でも歌の面でも強すぎてしまうのが惜しい。

・グスマーノ(G.F.F.ヴェルディ『アルツィーラ』)
リナルディ指揮/グリン、チェッケレ、マッツォーリ、リナウド共演/トリノRAI交響楽団 & 合唱団/1973年録音
>切れば血が出るようなライヴ盤もご紹介しましょう。本作は人気のない作品でなかなか音盤もありませんが、人さえ揃えば初期ヴェルディらしい勢いのある音楽を楽しめるということをよく示してくれる演奏です。グスマーノは『エルナーニ』のカルロ以上に整合性はないながらもこの作品を動かしていく原動力になる人物で、セレーニはその役目を十分に果たす入魂の歌唱。登場アリアでの血の気の多い歌はヴェルディのご機嫌な音楽が好きな人にはたまならないものでしょうし、終幕の赦しの場面でのやわらかで丁寧な口跡も美しいです。しかもグリンやチェッケレといった録音そのものが少ない名歌手がいずれも熱唱しているのも嬉しいところ。メジャーになることはない作品でしょうが、聴いて損のない熱演だと思います。
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Deinocheirus 2019

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デイノケイルス 2019
Deinocheirus mirificus
version 2019

デイノケイルスについては過去に何度か作ってみていて、そのあたりの変遷は過去のこの記事に貼ったリンクなどを見ていただければ。
この夏に科博で開催されている恐竜博では、ついにその全身の復元が日本で初公開されています。とはいえ色々な事情でここ数年恐竜に対するモチベーションも下がってきていたところ、ものの良さは認識しつつもあまり期待しないで今回は観に伺ったのですが、いざ実物の化石や復元全身骨格を前にしてみるとやはり感動するもので……旧作はあるけれども、どうしても改めて作ってみたくなってしまったのでした。

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いざ組まれたものを前にしてみると、過去に作ったものが如何に極端な誇張を随所に加えていたかということを痛感いたしまして(大きすぎる背鰭や前肢、鴨のようにしすぎた顔、おざなりな後肢などなど)、兎にも角にもそういった誇張を是正してなるべく自然な姿にしたいというのが今回の作成の一番強い想いでした。実のところ基本的な構造は旧作とほとんど変わっていないのですが、尖りすぎていたところや直線的すぎたところなどかなり手を入れているので、全体の印象はかなり良くなったのではないかと思います。

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当初発見されていた前肢のイメージがどうしても強かったものですから全身を最初に作った際にはつい前肢を大きくしてしまったのですが、全体のバランスから見るとそこまででもないので、当初前肢に使っていたパーツと後肢に使っていたパーツを逆にしました。かといって前肢の指を省略はしたくなかったのでなんとか折り出せるように苦心しまして、今回いちばん悩んだところかもしれません。また最初は風切羽も表現することを考えたのですが、それよりも腕の長さをしっかりと出したいという結論にいたり、最終的には省略しています。

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前肢とパーツを交換した後肢ですが、こちらは足の裏にパッドのようなものがあったということで普通の肉食恐竜を作るときとは違う表現にしたいと考えまして、ここも試行錯誤しました。最終的にできた形は結構気にいっていて、今後エドモントサウルスを作るときなどに活用できそうに思っています。

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思った以上に肢がうまくいったので、最後の最後まで苦しんだのは顔の処理。あまり残っていないパーツを使って、どれだけ大きさを担保しつつあの大きな頭を作ったものかと。こうして考えて見ると、今回はかなり生みの苦しみがあったんだなあと思います^^;

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苦労した甲斐があって最終的な出来栄えには満足しています。この夏はシーラカンスんしろこいつにしろ随分1つ1つ悩ませられましたが、お蔭で久々に楽しい創作の時間を過ごせたようです。
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