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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿三夜/朗らかな等身大のヒロイン〜

意図せずシュライアーの記事が挟まりましたが、暫く男声ばかりだったので少し女声を続けようと思っています。
今回の主役も、その実力に反して何故かいまや忘れられつつある名歌手です。

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Hélène


ジャヌ・ロード
(ジャーヌ・ロード、ジェーン・ローズ)

(Jane Rhodes)
1929〜2011
Mezzo Soprano
France

彼女もまた名前の表記が安定しません……厄介なことにニュージーランドのバリトンTeddy Tahu Rhodesは、同じ綴りでテディ=タフ・ローズと読むので、彼女もまたその流れで「ローズ」と読みたくなってしまうのもわからなくはありません。が、パリ生まれの彼女のことを、わざわざ英語読みで呼ぶ道理はありませんから、「ロード」とここでは表記します。

この世代の仏ものを得意とするメゾとしては、やや歳上のリタ・ゴールと双璧と言ってよいと思います。いずれも柔らくて深みのある低い方に豊かな響きが魅力です。しかしながらゴールが完全にメゾとしてキャリアを全うしたのに対し、ロードは例えばトスカ(G.プッチーニ『トスカ』)などソプラノの役にも挑戦していることからもわかる通り、彼女たちの持ち味は全く同じ方向性というわけではありません(まあ当たり前ではありますが笑)。より暗く重みのあるゴールはヴェルディやヴァーグナーをレパートリーに入れている一方で、明るくて小回りが効くロードはオッフェンバックや現代ものを遺しています。とりわけオッフェンバックについては、特出しでアリア集にしているぐらいですからロード自身にとっても大事な作曲家だったのでしょう。ただ、彼女の得意としたジャンルこそが彼女を忘れられた人にしてしまったのかもしれません。20世紀の一時期のオペラはモーツァルトを除くと、ヴェルディやヴァーグナー、プッチーニ、R.シュトラウスあたりの重厚な作品が重要視され、仏もので演奏されるのは限られた演目(オッフェンバックは『ホフマン物語』に尽きる)になってしまっていた感があります。加えてレコードの録音時間の制約とマーケティングの関係か当時の仏国では非常にハイライト盤が多く、しかもこれがCDにあまりなっていません(これらが全曲盤になっていたらと思うと大変残念なことです)。私が彼女の名前を最初に知ったのは2005年ごろだったかと思いますが、その頃は殆どデルヴォー指揮の『イスの王』(V.A.E.ラロ)ぐらいでしか彼女を聴くことはできなかったように記憶しています(そこでのマルガレートの素晴らしかったこと!)。そんな訳でロードのことを知っているのは仏ものに関心があって集めている人か、レコードも蒐集している方に限られていた時期があるといっていいでしょう。

しかし、21世紀も20年目に入って状況は徐々に変わってきています。オッフェンバックの作品はミンコフスキやペリー、ブロンといった人々の活躍によって息を吹き返しつつあります。J.F.アレヴィの『ユダヤの女』やC.L.A.トマ『アムレート』、J.マイヤベーアの『悪魔のロベール』、そして隠れた大オペラ作曲家であるJ.E.F.マスネーの作品も、パリのみならずヴィーンやMET、ロンドンなど大きな劇場で取り上げられることで再発見され、しかもそれらの映像が手に入るようになってきています。CD化の進まなかった仏国のハイライト盤はmp3で手に入るようになってきました。こうした流れの中で、20世紀の仏ものを支えた名手の或る種の古典として、今一度ロードが脚光を浴びる日を願ってやみません。中でもアリア集を含めると3度も残しているエレーヌ(J.オッフェンバック『美しきエレーヌ』)や、残念ながらハイライトですが知る限り最高の演奏と信じて疑わないカルメン(G.ビゼー『カルメン』)は彼女の遺した大きな業績としてもっと光の当たって欲しいものです。

<演唱の魅力>
アルトがあまり活躍することのないオペラにおいてメゾ・ソプラノは、単に役柄の問題だけではなくソプラノと対抗する存在です。このジャンルで彼女たちに与えられた役柄は音が高いことも多く、男声とは違ってどちらかと言えば音域よりも音色によってその棲み分けがなされていると言っても過言ではないと思います。もちろん色々なタイプの声と役柄があるのは大事な前提として、輝かしく華やかでエキセントリックなソプラノに対し、メゾは一段落ち着いた柔らかで深みのある声を持ち味にしていると一般的には言うことは出来るでしょう(もちろん、コッソットやバルツァのようにきらびやかな切れ味を持ち味にする人もいますので、あくまで「一般的に」です)。こうした音色は独特の妖しさやわかりやすく言ってしまえば大人の色気を帯びていて耳に心地よい訳ですが、どうしても全体に暗めで重たい響きに聴こえてしまいがちです。そうした中で柔らかな深みと色気を感じさせる声ながら春の日のような明るさを兼ね備えた歌手が、今回の主役ジャヌ・ロードです。

声の朗らかな明るさは直感的にはより高い音のパートと相性が良さそうな気がしますし、実際そういうメゾにはソプラノのレパートリーを持っている人が少なからずいます。但しそれらの歌唱がいいかと言いますと……違うパートの人が頑張ってチャレンジしている印象以上のものになることはほとんどありません。先述の通りロードもソプラノの役柄も歌っていて、レナータ(С.С.プロコフィエフ『炎の天使』)や女(F.プーランク『人間の声』)、それにトスカ(G.プッチーニ『トスカ』)などは音源を手に入れることができます。いずれもはっきりと「メゾが歌っている」歌唱。ここまでですと単に健闘お疲れさまでしたという出来になりそうなのですが、ロードの歌唱はむしろ「メゾとして役を昇華した」と言うべき非常に完成度の高いものです。もちろん高音域で苦労している感じはあるのですが、それ以上に中低音での豊麗さとニュアンスに富んだ歌い口の絶妙さがたまりません。その人物がそこにいる感覚があるのです。これもまた個人的な経験ですが、彼女のレナータのCDを初めて見かけたとき、価格も高いし原語ではないしなあと躊躇しつつ視聴して、そのあまりの色気と説得力に打たれて一点購入を決めたことをよく覚えています(ここではルプレヒトを演じているドゥプラの彼女との相性がまたとびきりよかった!)。尋常ではない危険なオーラをまとう美女がありありと脳裏に浮かぶのです。これだけ声と言葉で表現できる人ですから、残念ながら映像で彼女を観たことはないのですが、演技も達者だったのだと推察します。

そうした彼女の良さーー声の明るさと言葉のニュアンスのセンスーーが活きる演目が、オペレッタであり現代音楽であったのでしょう。実際彼女が参加した決して多くはない全曲録音のうち2つはオッフェンバック、2つは現代物で、いずれも鮮烈な印象を残す名盤と言えるものです。カルメンの全曲やデリラ(C. サン=サーンス『サムソンとデリラ』)を遺して欲しくなかったかと言えば嘘にはなりますが、必ずしも一般に音源が豊富とは言えないこれらの演目を彼女が遺したのは幸運でもあり、また当時の人たちの見識でもあったのでしょう。あえて一つ、ロードの魅力を知る最善の役を選ぶのであれば(カルメンやマルガレートとかなり悩むものの)、やはりエレーヌを挙げたいです。希国神話の美女ヘレネーそのものならば楚々としたソプラノがイメージに合うのでしょうが、『美しきエレーヌ』はあくまでそれを下敷きにしたオッフェンバックの猥雑な笑いの世界。酸いも甘いも嚙み分けた空気を醸し出しながら、なおかつ賑やかで朗らかな女性をイメージできるロードの声は楽器としても最高ですし、オペレッタとしての言葉や歌での遊びのセンスの良さには脱帽させられます。

<アキレス腱>
上でも何度か述べていますが、高い方まで音そのものは楽に出している感じはするものの、ちょっと響きがきつく聴こえてしまう部分はあります。中低音が豊かなだけに高音で固く生っぽい声になってしまうのはどうしても目立ちがちです。また彼女の持ち味になっている深みのある美声を、薹が立っているように感じられる向きもあるようです(世論(J.オッフェンバック『地獄のオルフェ』)などを聴いているとそういう印象を持つ方がいらっしゃるのも良くわかりますが、個人的にはマイナスではないと思います)。

<音源紹介>
・エレーヌ(J.オッフェンバック『美しきエレーヌ』)
ロンバール指揮/コラッツァ、マルタン、バスタン、トランポン、オーフォン、フリードマン、ギーグ、トリジュー、バルボー共演/ストラスブール交響楽団&ライン国立合唱団/1978年録音
ロザンタール指揮/プランテ、ジロドー、J.ドゥセ、ドミニ、フォルリ共演/パリ・オペラ・コミーク座歌劇場管弦楽団&合唱団/1966年録音
>ロード最大の当たり役のひとつ。最近でこそミンコフスキの指揮でロットが主演した映像をはじめ、カサロヴァやラーモアが主演した映像など入手できるものが増えてきましたが、それでもロンバール盤の持つ輝きは失われないでしょう。決して純情な箱入りお姫様ではなく、戀のアヴァンチュールを求めるマダムとして生々しく真実味があって、オッフェンバックの陽気で下世話な音楽にぴったりです。またこの作品は全体的に伊もの(特にヴェルディ)のパロディと思えるような部分がたくさんあるのですが(第2幕フィナーレなど)、彼女の声の重心の低さはこうした部分に迫力を与えつつ、他方でその音色の明るさは「これはパロディですよ」ということも示すという絶妙なバランスです。2つの録音の間には8年もの歳月があるものの、声でも歌でもそこまで優劣はないように感じています。ロンバール盤は終始絶好調のノリノリでアガメムノンを歌うバスタンや声に無駄な迫力があるのが笑えるメネラスのマルタンなど共演も強力。ロザンタール盤ではよりオペレッタらしいごちゃごちゃした空気があるのと、藝の幅の広いジロドーがメネラスで登場している点でポイント高いです。

・世論(J.オッフェンバック『地獄のオルフェ』)
プラッソン指揮/メスプレ、セネシャル、トランポン、ビュルル、ベルビエ、コマン、ラフォン、マラブレラ共演/トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団&合唱団/1978年録音
>オッフェンバックが本作のために書いた音楽が、最も多く収録されている録音だそうです。全体に質は高いのですが、プラッソンの指揮がちょっとまったりしてしまっており、スピード感がないのが惜しいところ。姦しい妻が死んだことで一息つくオルフェに凄まじい勢いで迫ってきて地獄に行けと駆り立てる世論の図々しさはどんな録音でも笑えるところですが、ロードのリッチな、しかし重たくならない声で歌われると、こけおどし的な迫力も相待ってお腹を抱えて笑えます(この場面なんて極めて現代的で、今こそ日本でリバイバルされてほしい作品です)。セネシャルの軽薄だけれども可愛げのあるオルフェとは好対照だと言えるでしょう。面白い役にも関わらず歌う部分が少ないのが残念なぐらい。共演では先述のセネシャルとともに、フットワークの軽いメスプレとあっと驚く裏声が飛び出すビュルルが絶品です。

・ジェロルスタン女大公殿下(J.オッフェンバック『ジェロルスタン女大公殿下』)
・ブロッテ(J.オッフェンバック『青髭』)
ベンツィ指揮/ボルドー・アキテーヌ管弦楽団&アキテーヌ声楽アンサンブル/1979年録音
>上述したオッフェンバックのアリア集より。ここでもエレーヌで見事な歌を披露していますが、折角なので他の役をご紹介しましょう。エキセントリックな女大公殿下のハマりっぷりは特筆したいです。まさに自家薬籠中という余裕綽々の歌で、楽譜に忠実すぎず離れすぎない品のあるお馬鹿っぷりを楽しむことができます。それこそセネシャルやバスタンと全曲録音をして欲しかったという気も。ブロッテでは女大公殿下と大きく歌い方を変えている訳ではないように思うのですが、その自由自在な歌い口で今度は野放図な田舎者感を引き出しているように聴こえ、ロードの言葉遣い・声色の巧みさを再認識させられます。

・マルガレート(V.A.E.ラロ『イスの王』)
デルヴォー指揮/ヴァンゾ、ギオー、マッサール、バスタン、トー共演/リリック放送管弦楽団&合唱団/1973年録音
>ラロのこの作品は決してメジャーではないにも拘わらず、クリュイタンス指揮ゴール主演の音盤とこの音盤という2大横綱が揃っているという嬉しい状況です。ゴールが歌うと鬱々と悩み恨む内面的な人物がキレてしまったような怖さがあるのですが、ロードの明るい声はそれよりももっと激情型で思いのままに突っ走る若い女性という印象を強くします。ある意味で素直にこの役を演じている感じで、等身大なリアリティがあるのはむしろこちらかもしれません。2幕冒頭のアリアのみずみずしさなどを思うと、演劇に寄りすぎず率直に彼女の歌の良さが楽しめるという点では、出演している全曲盤の中でも筆頭に挙げられそうです。共演も穴がありませんし、デルヴォーの指揮も流石は心得たもの。

・カルメン(G.ビゼー『カルメン』)
ベンツィ指揮/ランス、マッサール、ギオー、パニ、ブルデュー、プランティ、モリアン共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
>『カルメン』の名盤を1枚だけ選べと言われたら、僕は迷わずこれです。魔性の女の持つ色香を出そうとして、ついついべたっとした重たさや無駄な迫力が加わってしまいがちなこの役において、ごくさっぱりとした歌をうたいながら姐御肌を感じさせることにロードは成功していると思います。同じような路線でこの役を歌った人としてはベルガンサが挙げられますが、彼女よりも更に自然な歌い口と言えるでしょう。カルメンを決して異常人ではなく、健康的な魅力にあふれ、多くの人に好かれることで常に輪の中心にいる人物として描く説得力が彼女の歌には宿っています。これに対してジョゼのランスがやや病んだ感じで良いバランス(実は異常なのはカルメンよりもこの人だと思う)。マッサールやギオーはカラスとの共演盤の方が有名でしょうがこちらの方が完成度が高いと思います。その他カルメンの取り巻きたちは歌も上手ければ言葉も綺麗で文句なしです(5重唱の楽しいことと言ったら!!)。そしてロードの夫君ベンツィの華やかで色彩的で柔軟な指揮!仏流でありながら、舞台となった西国の朗らかな空気をも感じさせる名タクトです。

・ミニョン(G.ビゼー『カルメン』)
アルトマン指揮/ヴァンゾ、An.エスポージト、ルー共演/国立オペラ・コミーク座歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音
>意外と『ミニョン』は多国籍な演奏が多いので、ハイライト盤なのが非常に惜しい名演です。ミニョンは舞台女優フィリーヌの持つ輝くような華やかさこそないものの、そばにいることで感じられる奥ゆかしい可愛らしさが求められるといういささか厄介な要求のある役ですが、ロードの声には明るい若さが詰まっていて、しかも淑やかな響きで、この要求のズバリど真ん中に当たっていると思います。ヴィルヘルムへの無邪気な愛情を示すところや楽屋でのおふざけなどではある種のあどけなさすら感じますし、何と言ってもあの有名なアリアが素晴らしい歌唱!彼女のフレッシュな声の響きが、夢見がちな少女のうっとりとした歌にリアリティを与えています。共演ではのちの全曲よりも圧倒的に瑞々しい声のヴァンゾ、まろみのあるこってりした声ながら技巧もしっかり聴かせるエスポージトがいいです。ルーの優しい声も悪くはないのですが、この役にはもう少しはっきりバスの方が合うと思います。

・タヴォン(C.F.グノー『ミレイユ』)
プラッソン指揮/フレーニ、ヴァンゾ、ヴァン=ダム、バキエ共演/トゥールーズ・カピトール管弦楽団&合唱団/1979年録音
>彼女にしては珍しく老婆の役を演じています。そうなるとその声の朗らかさや若々しさはマイナスになりそうですが、いざ聴いてみると彼女らしい言葉や声色の巧みさがよく出ていて流石の完成度。アリアはこの牧歌的な悲劇の空気を緩ませる、穏やかで少々コミカルな歌唱。口跡からはちょっと意識的におばあさんぽく歌っているような感じがします。他方で決闘の場面の後でウリアスをなじる部分は非常にドラマティック。彼女がこんなくらい迫力を聴かせるとはびっくりしました。つくづく懐の広い人です。仏ものでの活躍の多かったメンバーの中でフレーニのみ1人異質ではありますが、流石は彼女のこと歌のうまさは圧倒的。総じてグノーの書いた優美な旋律を存分に楽しむことができる録音と思います。

・レナータ(С.С.プロコフィエフ『炎の天使』)
ブリュック指揮/ドゥプラ、フィネル、ジロードー、ヴェシエール共演/パリ・オペラ座管弦楽団&フランス放送協会合唱団/1957年録音
>現代ものの名演もご紹介。意外にも本作の世界初録音は露語歌唱のものではなく、仏語による本録音だそうです。冒頭すぐの第一声からロードの歌声には不安定な甘美さがあって、一気に引き込まれてしまいます。彼女に対峙するルプレヒトを演じるドゥプラがまたちょっと優柔不断な色気を感じさせる声と歌。これらの役は本来指定されたソプラノとバリトンが露語で歌うと非常に固く、ギシギシした響きを作り出し、演目全体のエキセントリックな印象を強くするのですが(例えばゴルチャコーヴァとレイフェルクスの名演などまさにその典型)、深く柔らかみのある声の響きと仏語歌唱であることが相まって、このコンビは実に、実にエロチック。3つの録音しか聴いていませんが、これ以上に妖しく人を魅了する演奏はちょっと想像できず、プロコフィエフの音楽の奇妙な耽美さを引き出しています。聴いているととても翻訳物のオペラを聴いているようには思えず、むしろ仏映画を観ているような気持ちになってくるのは、声や歌のキャラクターはもちろんのこと、彼らがともに卓越した演技センスを持っているからでしょう。フィネルやジロードー、ヴェシエールはそれぞれわずかな場面にしか出てこない脇役ですが、それぞれにインパクトの強い個性的な歌唱です。

・女(F.プーランク『人間の声』)
マルティ指揮/仏国立管弦楽団/1976年録音
>この作品について僕自身の理解がどこまで追いついてるんだという大きな問題はあるものの、その範疇では優れた演奏だと思います(^^;プーランクとともにこの作品を作り上げたデュヴァルは完全にソプラノでしたから、聴いているとごくごく若い女性が頭の中のスクリーンに浮かんでいたのですが、ロードぐらいしっかりしたメゾが歌うとイメージがガラッと変わってある程度年齢を累ねて分別のある女性が想起され、だからこそ男が彼女の許を去ってしまうことに差し迫った感情、ただならぬ執着が感じ取れるように思います。特に終盤、女が死を選ぶあたりはほとんど官能的ですらあるデュヴァルに対して、重たい感情に沈んでいくロードはゾクゾクするようなリアルさがあり、両者譲らぬ名演でしょう。レナータもそうでしたがこうした現代劇的な作品では、彼女の言葉への鋭敏な感覚が最大限発揮されますね。
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