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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿五夜/ブラチスラヴァのナイチンゲール〜

最低音級のザレンバから、一気に駆け上がってコロラテューラの名手へ。

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Zerbinetta

エディタ・グルベローヴァ
(エディタ・グルベロヴァー)

(Edita Gruberová)
1946〜2021
Soprano
Slovakia

この世代の大プリマ・ドンナの最後の生き残りの1人でしょう。70年代から80年代がピークでしょうが、2000年代に入ってからもノルマ(V.ベッリーニ『ノルマ』)のような新しい役に挑戦したり、たびたび来日してそのパフォーマンスで話題をさらうなど、第一線のソプラノとして活躍している歌手としては、あとはマリエッラ・デヴィーアぐらいではないかと。2021年10月に帰らぬ人となりました。

スロヴァキアのソプラノといえば少し先輩に以前取り上げたポップがいて、夜の女王(W.A.モーツァルト『魔笛』)やアデーレ(J.シュトラウス2世『蝙蝠』)など被っているレパートリーも少なからずあります。が、この2人の持ち味は近いようで遠いところがあって、ポップちゃんがコロラテューラの技術はありながらもそこにこだわらず幅広くヴィヴィッドな娘役を軸として最終的にはヴァーグナーやR.シュトラウスのヒロインまで歌ったのに対し、グルベ様はその卓越した技巧をこそ最大の武器にして自身の可能性を追求していました。モーツァルトの『イドメネオ』でポップがイリアを、グルベローヴァがエレットラを歌って共演しているのは、彼女たちのキャラクターの違いを象徴していると言っていいかもしれません。

グルベローヴァのキャリア後半で特筆すべきは、ベル・カント作品における功績でしょう。自身が主催するレーベルNIGHTINGALEでは、彼女が中心となってスタンダードな作品から滅多に演奏されない秘曲に至るまで数多の録音がなされています。ロッシーニは今でこそマイナー作品にも光が当たるようになりましたが、ドニゼッティやベッリーニのレアな作品を発掘している点ではOpera Raraレーベル同様に資料的な価値も大きいように思います(どうせならもっといい共演者を揃えて欲しいという演奏もありますが)。

そんな訳で今回は、世紀の変わり目を生きた大技巧派ソプラノ、グルベローヴァの魅力をご紹介いたします。

<演唱の魅力>
ナイチンゲールという鳥はサヨナキドリ(小夜啼鳥)という風雅な和名が与えられているものの日本には分布しておらず、有名な割にその啼き声のイメージは抱きづらいかもしれません。すっきりした響きの声で少しせわしなく連符を刻みながら自在に“歌う”のを聴くと、コロラテューラ・ソプラノの喩えで引き合いに出されるのにも得心がいきます。そして、グルベローヴァが自身のレーベルにこの鳥の名前を選んだことは彼女の藝を象徴しているとも言え、転がしの技巧の正確さ、自在さで彼女に比肩できる人はほとんど思いつきません。個人的には円熟期の歌を聴いていると、熟練の職人が精妙な手つきと火加減で金属を細く長く伸ばしたり、膨らませる華麗さと繊細さを思い出します。

もう一つグルベローヴァを特徴づけているのはは、独特の硬質な声です。決して耳に障る金切り声にはならないのですが、愛らしく華やかだけれども慎ましやかな金属の輝きを持つ響き。楽器に例えるのであれば同じように高音で細やかなパッセージを扱うとしてもフルートやヴァイオリンではなくて、チェレスタやグロッケン・シュピールでしょう。この声と超絶技巧とが組み合わさることで、あたかも銀細工やオルゴールのように壮麗で緻密な歌が作り上げられています。

そういった彼女の持ち味が存分に味わえるのは、まずはモーツァルトというのが私の意見です。彼女の可愛らしく気品のある声が若々しい貴婦人の姿を鮮やかに描き出すコンスタンツェ(『後宮からの逃走』)は圧巻ですし、決して叫ぶことはしていないのにヒステリックな怒りを見事に表出したエレットラ(『イドメネオ』)や夜の女王(『魔笛』)はそれぞれ上演史に燦然と輝く名演と言えるでしょう。とは言えグルベローヴァ最高の歌唱を聴くとができると思うのは、そのモーツァルトを意識していたであろうR.シュトラウスの創造した難役ツェルビネッタ(『ナクソス島のアリアドネ』)!彼女の技巧の粋が尽くされているとともにおそらくはご自身の明るいお人柄が反映されたことで、ツェルビネッタがコケティッシュなコメディエンヌとして舞台の上に生を受けています。そんなことは決してありえないですが、仮に彼女の他の記録が全て忘れられたとしても、この役1つを以て人々の記憶に永遠に遺り続けるに違いありません。まさに当たり役中の当たり役です。

<アキレス腱>
これはもう完全に私見なので異論・反論はたくさん出て来るのは承知の上、趣味の問題と思っていただければと言うところなのですが、一般的な傾向として彼女の硬質な声がベル・カント作品の柔らかな旋律線で十分に活かされるのかと言うとちょっと疑問符です。もちろんこの方面での彼女の貢献の大きさや後で取り上げるいくつかの演奏での驚異的なパフォーマンスには不動の価値があると思います。ただ、プロモーションでたびたび聞かれる「ベル・カントの女王」と言うフレーズに納得できるかというと、それは別問題。グルベローヴァが彼女の持てる力を尽くして、ベル・カントの作品に新たな光を当てたと言うことであれば全く異論はないのですが……。

自分としてはグルべ様をあんまり評価してないような書きぶりが並んでしまうのは非常に不本意ながら、彼女が歌ってさえいればそれは極上のものというような絶対的なプリマとしての評価が出来上がってしまっているようにしばしば感じられるのが非常に残念に思えます。不幸にして私はグルベローヴァの実演に触れることができなかったので、そこでは自分の認識以上の演唱がなされている可能性も高く、上記の意見は一面的だという批判は甘んじて受けます。しかしそれでも彼女が自身の土俵で作り上げた歌の真骨頂はツェルビネッタやコンスタンツェ、エレットラにこそあって、ベル・カント作品への取組みはむしろ彼女のあくなき探究心から来る意欲的な挑戦、グルベローヴァ流に昇華した藝術を楽しむものではないかと思うのですが、半可通の偏屈でしょうか。

<音源紹介>
・ツェルビネッタ(R.シュトラウス『ナクソス島のアリアドネ』)
ベーム指揮/ヤノヴィッツ、キング、バルツァ、ベリー、ツェドニク、クンツ、マクダニエル、エクヴィルツ、ウンガー、ユングヴィルト共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1976年録音
>不滅の名盤。共演のヤノヴィッツやキング、バルツァ、ベリーなどどこにも死角がなく、ベームの指揮も冴えわたっているのですが、何と言ってもグルベローヴァの一世一代の名演がこうして音盤に残っていることがオペラ聴きにとって大きな幸福と言えるでしょう。その技巧の素晴らしさには一点の曇りもなく、あの難曲のアリアですら聴いていて何ら不安を覚えずに、シュトラウスの書いた美しい旋律に酔うことができます。技術的に完璧に歌えることがあって、それをスリリングに聴かせることがあるのだと思うのですが、その更に向こう側に、私たちの知る由のない天国的でより自由な世界があることを錯覚させるような、天衣無縫で生の喜びに溢れた歌ーーそう、信じられないような繊細で困難な技巧(めくるめく装飾音や気の遠くなるような高音でのppからのクレッシェンド!)を尽くしているにもかかわらず、そこにあるのはなんの衒いも気負いもなくて、純粋に生き生きとした音楽が紡ぎ出されているのです。これがツェルビネッタの享楽的である意味で薄っぺらな、しかし生きることの純粋な魅力を体現するようなキャラクターに大きな説得力を持たせています。グルベローヴァがどんな歌手か知りたいと尋ねられたら第一に推す録音です。

・コンスタンツェ(W.A.モーツァルト『後宮からの逃走』)
ショルティ指揮/ヴィンベルイ、バトル、ツェドニク、タルヴェラ共演/WPO&ウィーン祝祭合唱団/1985年録音
>この作品も名盤が多いですが、コンスタンツェで聴くのであればローテンベルガーと双璧と言えるのではないでしょうか。至難のアリアが3曲もある役ですが、彼女の自在な歌を聴いていると思わずその難しさを忘れてしまいそうなほど。低い方の音もお手の物です。とりわけ拷問には負けないと高らかに宣言するアリアで最高音を自在にデクレッシェンド、クレッシェンドをかけるところはこの音盤の最大の聴きどころでしょう。何と芯の強いpp!他方で単なる技巧頼みの曲芸大会では決してなくて、全曲を通して凛とした気高いヒロインであることが感じられるのも流石の一言です。共演ではツェドニクの名人芸的歌唱と、蛮勇ぶりにリリカルな美しさを添えたタルヴェラの歌が秀でています。

・夜の女王(W.A.モーツァルト『魔笛』)
アーノンクール指揮/ブロホヴィッツ、ボニー、サルミネン、シャリンガー、E.シュミット、ケラー、ハンプソン、コバーン、ツィーグラー、リポヴシェク、クメント、モーザー共演/チューリッヒ歌劇場管弦楽団&合唱団/1987年録音
>グルべ様といえばこの役!という方も少なからずいらっしゃるでしょう。グルベローヴァはここまでも書いてきたとおり基本的には可愛らしい感じの声ですが、ここでは重たい声を意識して歌っているようで、ともすると軽くなり過ぎてしまうこの役に相応の貫禄と共に、この役のちょっと異常な感じ、超然とした氷の女王のような美しさをうまく与えています。見目麗しいのだけれどどこか魂が宿っていないような印象を受ける麗人が、感情的に叫んでいるようなエキセントリックさと言いますか、美しいアンビバレントさ、グロテスクさがあるのです。ある意味で彼女のメカニックな魅力が最も出ているということもできるかもしれません。アーノンクール先生は科白を取っ払って全てナレーションにするという奇抜なことをしていますが演奏そのものは小気味のよりモーツァルト、端役に至るまで歌手も揃っていますが、とりわけ素晴らしいのはハンプソンの弁者。古今の名盤で様々な歌手がこの渋い役を歌っていますが、彼ほど優美で雄弁な弁者を僕は他に知りません。

・エレットラ(W.A.モーツァルト『イドメネオ』)
プリッチャード指揮/パヴァロッティ、バルツァ、ポップ、ヌッチ、ストロジェフ、山路共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1983年録音
>既にこのblogでは何度か登場していますが、モーツァルトのオペラの中では決して取り上げられることの多くない作品ながら万全のキャストを揃えた超名盤。全体としては敵として描かれたこの役に盛り込まれたありったけの技巧と感情とにグルベ様が果敢に挑んでいます。特筆すべきはやはり退場時に歌われる、負の感情渦巻く強烈なアリアでしょう。モーツァルトでここまで「鬼気迫る」という言葉がふさわしく感じられる歌唱は、夜の女王の復讐のアリアですらそうはありません。上述の通り可憐な娘役を演じるポップとの間には、声区も同じなら声質も比較的近いものが感じられるのに、見事なコントラストがきいています。こちらも彼女のファンならば必携の全曲盤ですね^^

・グレーテル(E.フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』)2021.2.5追記
ショルティ指揮/ファスベンダー、プライ、デルネシュ、ユリナッチ共演/WPO&ヴィーン少年合唱団/1981年録音
>オペラを知らない人でも楽しめるオペラ映画ではないでしょうか。グルべ様は開幕からある種のスターオーラというか貫禄というかがあって少女らしくはないのですが、表情は愛らしいので違和感なく観ることができます(その点ファスベンダーは本当に少年っぽい。ケルビーノやオクタヴィアンよりもヘンゼルがはまっているように思いました)。さておきファスベンダーとの声の相性が抜群にいいのと、見事な安定感があって、子どものお遊戯のような冒頭のアンサンブルでさえも完成度の高い作品であることがよく伝わってきます。同じことは音楽教室のCMで使われた2幕冒頭のグレーテルの歌にも言えるでしょう。また、彼女たちの眠りの前の祈りの静かな美しさは何ものにも代えがたいものです。彼女たちを取り巻く大人たち(プライ、デルネシュ、ユリナッチ)も決して多くない出番でそれぞれ主役のような歌を披露しており、物語の世界を豊かにしていると思います。

・アデーレ(J.シュトラウス2世『蝙蝠』)2022.9.29追記
グルシュバウワー指揮/ヴァイクル、ポップ、ファスベンダー、ベリー、クンツ、ホプファヴィーザー共演/WPO&ヴィーン少年合唱団/1980年録音
>この有名な映像も最近ようやく通して観ることができました。これだけ大スター揃い踏みですとそれだけで年末の特別感が得られるというものでしょう。グルベローヴァは開幕第一声で勝負あり、でした。あのアデーレの陽気な嘆きのヴォカリーズだけでこれだけバカバカしく美しく聴かせてしまう歌手は他にいないでしょう。演技の面では名コンビのヴァイクルとポップの夫婦役の間に入っても、常に狡賢く立ち回ることのできそうな強かさもあります。こうなってくると2幕のアリアの成功は約束されたようなもので、自在な技巧とともに嫌味にならずに笑える厚顔無恥さを兼ね備えており、見ていて思わずニコニコしてしまいます。更には呑んだ後のカラオケのようなテンションで歌われる3幕のアリアも抱腹絶倒!この曲がここまで生き生きと歌われている例を他に知りません!彼女のコメディ・センスの最良の記録ですね。

・ルチア(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
メータ指揮/ラ=スコーラ、フロンターリ、コロンバーラ、ベルティ共演/フィレンツェ・フェニーチェ歌劇場管弦楽団&合唱団/1996年録音
>彼女はベル・カントの女王ではないと思う、という話をさんざっぱら上でしましたが、他方でそれは彼女が自らの持ち味と魅力でベル・カントの諸作品に新たな息吹を吹き込んだことを否定するものではありません。ルチアというとクラウスやブルゾンと演じたレッシーニョ盤が有名なのですが、この来日公演の記録はそれよりも断然素晴らしいものです。舞台上の彼女の集中した空気が画面の向こうからでもビリビリするほど伝わってきて、息を詰めて凝視してしまうほど。とりわけ狂乱の場は圧巻で、壮絶な美しさに思わず涙がこぼれます(いや初めてこの映像を観た時、久々にこの場面で泣きました……)。メータのドライな音楽づくりは、下手するとベタベタしてしまうこの作品にはハマっているように思いますし、共演もスタイリッシュで気分がいいです(ちょっとフロンターリが平板ですが)。中でもラ=スコーラは絶唱で彼の記録の中でもトップクラスでしょう。

・ノルマ(V.ベッリーニ『ノルマ』)
ハイダー指揮/マチャード、ガランチャ、マイルズ共演/ラインラント=プファルツ州立交響楽団&ヴォーカル・アンサンブル・ラシュタット/2004年録音
>グルベローヴァが引退を賭けてでも歌いたいと語ったという話があるこの役、録音が出た時にはかなり話題になったように記憶しています。初めて聴いた時、最初はグロッケンのようなグルベローヴァの声はノルマには愛らしすぎるような気がしたのですが、満を持しての練り込まれた歌唱は研ぎ澄まされたものであるとともに堂々たる貫禄が感じられ、全曲聴きこんだ後には非常に感銘を覚えました。カラス以降最近までもてはやされた重たいノルマとも、バルトリの革新的な軽いノルマとも違う、華麗で凝集された魅力のある彼女のノルマはとてもユニークであり、この時のグルベローヴァだからこそ歌えた歌だと思います。共演ではまだ若いガランチャがうんと深くて暗い声でアダルジーザを演じているのが素晴らしい……NIGHTINGALE最大の成果かもしれません。いつもながらジェントルな美声を聴かせるマイルズもお見事、マチャードが平板なのが残念です。

・マリア・ステュアルダ(G.ドニゼッティ『マリア・ステュアルダ』)
パタネ指揮/バルツァ、アライサ、ダルテーニャ、アライモ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1989年録音
>ドラマティックな演奏が好まれた時代からベル・カントらしい技巧が嗜好される時代へのいい意味での過渡期の歌手を揃えた古典的な名盤。グルベローヴァは細めの声とppを駆使することで、マリアをひたすらに強い女性にするのではなく、聴き手にとって共感を覚える薄幸の麗人として描いています。死を前にした祈りの繊細な美しさ!他方でこの人物のプライドの高さや気の短さというものも十分に感じられ、本作の肝であるエリザベッタとの対立の場面の不穏な説得力と緊張感を盛り立てています。対するバルツァも算高さと人間的な葛藤を兼ね備えた名演で、どちらにも思わず感情移入してしまうほどです。作品上男性陣は添え物になりがちですが、優柔不断ながらロマンティックなかっこよさのあるアライサ、穏やかで深い悲しみを湛えたダルテーニャ、そして理知的で冷酷な政治家をドライに演じるアライモと3人ともこれ以上ない適役で、考えうる限り最高のメンバーでしょう。是非、ご一聴を。

・エリザベッタ1世(G.ドニゼッティ『ロベルト・デヴリュー』)
フェッロ指揮/ラ=スコーラ、アレン、チョロミラ共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1990年録音
>そのグロベロヴァーが今度はエリザベッタを歌っているのがこちら。キャリアの最後ごろに彼女はこの役をあちこちで歌っていますが、年代的には歌い出したころの記録でしょうか。ゲンジェルのように強烈な迫力で押して行かずとも絶対的な女王としての貫禄を引き出すとともに色戀の絡んだ人間くささをも表現しているのは流石の一言です。怒り狂って振り絞るようなフィナーレのカバレッタにはゾクゾクさせられます。彼女のベル・カント録音の中では共演が優れているのもこの演奏のいいところで、切れ味鋭く居住まいの整ったラ=スコーラ 、イングリッシュ・ジェントルマンらしい品の良さと暗い迫力を伴ったアレンと丁々発止の切り結びを聴かせています。

・セミラミデ(G.ロッシーニ『セミラミデ』)
パンニ指揮/マンカ=ディ=ニッサ、ダルカンジェロ、フローレス、コンスタンティノフ共演/ウィーン放送交響楽団&ウィーナー・コンツェルトコール/1998年録音
>女王の貫禄という意味でもう一つ忘れられないのがこちら(こうして見ていくと彼女は実に多くの女王役を演じていますね!)。サザランドやステューダーの録音と較べて、全体に彼女の得意な高音域に寄せていっている気はするものの、それでもこの煌びやかなコロラテューラの洪水は抗い難いです。彼女の声はあまりベル・カントという感じがしないということを何度か述べましたが、そのことによってむしろセミラミデにこの世ならぬ存在感と言いますか、浮世離れした恐ろしさを与えているようにも思います。アルサーチェを演じるマンカ=ディ=ニッサは、当代一流の技巧派たちの中で転がしがへたり気味なのが惜しくはあるのですが、一方でグルべ様との声の溶け合い方は抜群で、この作品の一種独特な倒錯的官能を盛り立てていると言えるのではないかと。男声陣は折角このメンバーなのでもっと主張してもよかったような気もしますが、まあセミラミデが中心ですからこのぐらいのバランスでもいいのでしょう(と言ってもいずれもその技術力に舌を巻く歌唱です)。

・ジルダ(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
シノーポリ指揮/ブルゾン、シコフ、ロイド、B.ファスベンダー、リドル共演/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団/1984年録音
>ヴェルディ異色の名盤もご紹介しておきましょう。ブルゾンを除くとあまりヴェルディの熱狂的な世界とは縁のなさそうなメンバーですがそれもそのはず、シノーポリが慣例的な高音を避けて楽譜に書かれた音楽をじっくり丹念に表現しようとした演奏なのです。なのでグルべ様が起用されていながらアリアでも意外なところで音を下げたりしているんですが、これが大成功。「ヴェルディ」と聞いて思い浮かぶ溢れんばかりの情熱から距離をとった音楽でジルダが歌われるのに彼女以上の人はいなかったでしょう。ある意味で純音楽的な演奏の中でグルベローヴァの器楽的な歌唱が活きること!シコフのやや陰気な公爵はじめ共演も揃っていますが、やはりここではブルゾンが秀逸でしょう。ヴェルディがテンションだけのものではないということがわかる優れた演奏です。
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