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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿七夜/深淵の奥底から〜

Twitterではつぶやいたのですが、昨年暮れに15年ほどデータを貯め続けていたiPodがお釈迦になってしまいました。ある程度手許に音盤の形で残してあるコレクションもありつつも流石にショックが大きく、ここのところずっとその修復作業に追われておりまして、あまりこちらの更新が進められる状況には今も至っていません。
とはいえあんまり開けてしまうとそれはそれで書かなくなってしまいそうな気もして、けれども特集したいという思いのある人はまだまだたくさんいるので、ぼちぼち更新していこうと思います。

我ながら驚いたのですが、ヴィノグラドフの特集をしてからまるまる3年近くここでバスの記事を書いていないのでした。大バリトン特集でほぼほぼ1年かかっていますし、そのあとは反動のように女声を立て続けにご紹介していましたから当然といえば当然なのですが……それにしてもそろそろ「これぞバス」と言えるような人を取り上げたいなと思った次第です。

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Zarastro

クルト・モル
(Kurt Moll)
1938〜2017
Bass
Germany

ヴァーグナーをあまり聴き込めていないこともあってどうしても独国の歌手は取り上げづらく、名だたる巨匠を認識していつつも記事にできていません。今回久々にバスのことを書くのであれば、折角ならここで開拓できていない独国のバスを、その中でもとびきり思い入れのある人をと考えまして選んだのが今回の主役、クルト・モルです。

バスの種類についてはネーリやルッジェーロ・ライモンディのところで触れており、そこではプロフォンドだカンタンテだブッフォだと伊語による分類を紹介していますが、仮にその分け方に則るのであればモルの声は正しくプロフォンド。それもこれほどに底知れない深さのある、石炭袋の闇のように暗い音色の持ち主は古今東西あまり思いつきません。しかも単に深い、暗い、重いということではなく、その声はあまりに美しい……深淵の底から響くような彼の声に誘われると、人智の及ばぬ闇の中へすら思わず足を踏み入れてしまいそうになります。だからこそ彼は、多くの神秘の世界の住人や高徳の僧侶を当たり役にしてきたのでしょう。

他方でモルは小さな役をコツコツと演じてキャリアを積み上げてきた、言わば“叩き上げの歌い手”の感があって、スタジオ録音でもライヴ録音でも信じられないようなレパートリーを遺しています。少なからぬ大役を歌ってきてから何もそんなパートを歌わなくてもと思わなくもないのですが、そうした経験こそが彼自身の歌を作ってきたという矜持があるのか、或いは主役を演じるのとは違う抽斗を使うことに意味を見出していたのか……いずれにせよモンテローネ伯爵(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)やバルトロ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)といった役でも、彼の圧倒的な演唱を楽しむことができるのはファンにとって嬉しい限りです。そして、こうした役を演じてきた積み重ねが功を奏してか、コミカルな難役の中にも彼なしには語れないものが多々あります。

バス・ファンとしては不覚としか言いようがないのですが、2017年3月に亡くなられた頃は公私ともに多忙だった時期で全く訃報に気づかず、2年ほど経って大きなショックを受けたのでした。追悼というにはあまりにも遅ればせながら、今夜はモルの歌に想いを馳せたいと思います。

<演唱の魅力>
またもや自分語りのようなお話からで恐縮なのですが、僕が彼のことを初めて知ったのはまだクラシックを聴きはじめて間もない頃、NHK BSで放送された来日リサイタルの様子だったと記憶しています。この時の自分の第一印象は無邪気というかなんというか、「うわ、すごいおじいちゃん出てきたけど歌えんのかな」というものでした(と言っても、振り返るに70代ぐらいだったんだと思うんですが)。しかし第一声を聴いてその余りにも深みのある美声にビックリ!それ以来、あまり独ものは得意ではないと言いつつモルだけは自分の中で別格のポジションに居続けています(また、あの頃に既に幾らかでも自由にできるお金があったならと思うと、ちょっと残念でもあります)。ほとんど声楽に関心を持っていなかった人間の脳裏にすら刻まれる声なのです。

「深い」という形容詞を繰返し遣っていますが、他の面から光をあてるならば、やや籠ったやわらかな声ということもできるでしょう。この「やわらかな声」という点は彼のキャラクターにかなり効いていて、荒々しさはトーンダウンする反面、畏敬の念を感じさせる落ち着き、超常的なオーラ、声の暗さを緩和する人間くささと言ったものが引き出されているように考えています。加えて絶妙な瞬間に挟まれる声芝居が抜群にうまい!コミカルな悪役に憎めない表情を与えているのはこの濃やかさだろうなあと思います。象徴的なのはハーゲン(R.ヴァーグナー『ニーベルングの指環』)ではなくオックス(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)を持ち役にしていたことで、これはモルの持ち味を知る一つのヒントになり得る点でしょう。もう少し深掘りするなら、同じように独国に典型的な暗く深い声を持ち、コミカルな役も得意にしたゴットロープ・フリックとの比較も役に立ちそうです。興味深いことに、彼は逆にオックスではなくハーゲンをメインレパートリーに据えています。両者がともに名演を遺している役オスミン(W.A.モーツァルト『後宮からの逃走』)からはその違いが炙り出せるかもません。どちらもその凄まじい声でオスミンの剛力無双ぶりを際立たせている部分は共通していますが、フリックがけばけばしいまでのドラマティックさでかえって間抜けぶりを強調する一方で、モルの歌には終始どこか人のよさがにじみ出ていて、ブロンデとのやりとりなど可愛らしささえ感じられるものになっています。

上述の通りその美声を駆使した小さな役にも忘れがたいものが数多くあります。こうした活躍という観点では、最近特集したところでいうとザレンバに近いということもできるかもしれません。これだけの声の人が一瞬の登場とはもったいないとも感じられますが、むしろその一瞬で舞台を引き締める声を出してくれるという意味では得難い存在と言えるでしょう。気品を失わずに呪いの言葉を突きつけるモンテローネ伯爵の鮮烈さ、怒る領主を諫める隠者(C.M.フォン=ヴェーバー『魔弾の射手』)の崇高さ、地獄の底から現れる騎士長(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)の血も凍る壮絶さ、異端者への容赦ない極刑を言い渡す宗教裁判長(С.С.プロコフィエフ『炎の天使』)の冷酷さ……いずれもモルだからこそ引き出せる境地を聴き取ることができます。

膨大なレパートリーの中から「これは」というものを一つ選ぶのであれば、ザラストロ(W.A.モーツァルト『魔笛』)を挙げたいです。物語をコペルニクス的にねじってしまうこの役は大変厄介な存在で、厳かな旋律にもかかわらず誰が歌ってもどうしても嘘くささや胡散臭さが漂ってしまうのを避けられないのですが、モルの穏やかで思慮深い歌い口にはそういったことに封をしてしまう魔力があるように思います。敢えてその怪しさを強調するのでないならば、彼以上に説得力のあるザラストロの登場は望めないように感じるのは、やや贔屓耳に聴きすぎでしょうか。

<アキレス腱>
低い方の倍音が豊かな深い声であることからは想像に難くありませんが、どうしても高い音には苦労している感じはあります。またこれも仕方のないことでしょうが、早口が必要な部分のもたつきが気になるという御仁もいらっしゃるでしょう(いずれも彼の声の重さを考えれば信じられないようなレベルで対処しているのですが……)。
また上述もしましたがやや籠った響きの楽器であることは確かなので、その点の好き嫌いもあるかもしれませんね。

<音源紹介>
・ザラストロ(W.A.モーツァルト『魔笛』)
サヴァリッシュ指揮/シュライアー、ローテンベルガー、ベリー、E.モーザー、モル、ミリャコヴィッチ、ブロックマイヤー、アダム共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1972年録音
>既に上で述べたとおり、彼の演じた数多の役柄の中からどれが印象に残っているかと訊かれたならばこの役です。メトでの映像も遺されており、そこでも抜群の存在感を誇ってはいますが全体の完成度としてはこのサヴァリッシュ盤と思います(というか、この音源こそ個人的には『魔笛』のベストの演奏と言って憚りません)。モルの声のなんと優しく幽玄なこと!そしてその歌の厳かさと慈愛の深さ!しっかりとした足取りで聴く者の心に寄り添ってくる彼のザラストロの入念な歌唱は、先述の通りの台本による役柄の白々しさや出番の少なさなどを補って余りあるものです。或る意味では最も危険なザラストロということもできるでしょう。彼と対立するモーザーもまた夜の女王のベスト。技術的な余裕はありつつも、若者を冒険に導く鷹揚さと怒りに声を震わせるエキセントリックさとを兼ね備えています。タミーノやパパゲーノについてはやれヴンダーリッヒがいいとかプライがいいとかといった好みはあるでしょうがシュライアーとベリーが特筆すべき名演を繰り広げていることをなんら否定するものではありませんし、ローテンベルガーもチャーミング(彼女はオペレッタやもっと軽い喜劇のイメージが強いですが、卓越したモーツァルト歌いですね)。サヴァリッシュの堅牢なタクトもお見事です。つまるところこの録音、この役柄の多い演目では奇跡的なほど穴がないのです。『魔笛』の演奏をどれかひとつと問われれば、迷いなくこの音盤を推すことができます。

・騎士長(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)
ショルティ指揮/ヴァイクル、バキエ、シャシュ、M.プライス、バロウズ、ポップ、スラメク共演/LSO&ロンドン歌劇合唱団/1978年録音
>この演目はバスやバリトンが4人も必要ですが、モルのような深い声で歌うとなれば騎士長一択ですね。晩餐の場面で凄まじい声を響かせるイメージがあまりにも強い役であり、その場面で彼以上に強烈な印象を与える歌手はフリックやサルミネンなど少なからずいるのですが、ジョヴァンニとの決闘で殺される最初の場面の一瞬で人間的な優しい人柄まで感じ取れるという点で、この役のベストは彼ではないかと思います(またここでのプライスの可憐なこと!)。もちろん終幕での登場の存在感が相対的に低くなることはありません。ヴァイクルの甘美な、しかしちょっと世の中を馬鹿にしていそうなジョヴァンニに引導を渡すという意味で、本当に地の底から語りかけてくるようなモルの声はあまりにも効果的です。コミカルなだけはなくシニカルでもあるバキエのレポレロすらも、彼の前では恐怖せざるを得ないことがよくわかります。指揮・共演とも優れていますが、シャシュだけはモーツァルトには違和感があるかもしれません。

・オスミン(W.A.モーツァルト『後宮からの逃走』)
ベーム指揮/オジェー、グリスト、シュライアー、ノイキルヒ共演/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団&ライプツィヒ放送合唱団/1973年録音
>彼の人間くさくて陽気な側面を知りたければまずはこれでしょう。上述した2つの役を聴いているときには、粗野で暴力的且つ間の抜けた顔が誇張されたこの後宮の番人を歌っているところはとても想像できないのですが、聴いてみるとこれほど憎めない、ある種の愛らしささえも感じさせるオスミンは他にないように感じます。相変わらず大砲のような凄まじい低音を駆使しながら決して鈍重にならない彼の歌を聴いていると、私などは竜巻きのようなパワーとスピードであちこちを駆け回るルーニー・チューンズのタズマニアン・デビルを知らないうちに思い浮かべることもしばしばです(そう言えば彼にもなんとも言えない愛嬌がありますね!)。難所中の難所である勝鬨のアリアの最低音にも余裕があります。ベームの指揮のもと共演もこれだけ揃えば文句なし。

・ドン・バルトロ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
ショルティ指揮/ヴァン=ダム、ポップ、ヤノヴィッツ、バキエ、フォン=シュターデ、ベルビエ、ロロー、セネシャル、バスタン、ペリエ共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1980年録音
ショルティ指揮/レイミー、ポップ、アレン、テ=カナワ、フォン=シュターデ、ベルビエ、ティアー、ラングリッジ、ケニー、タデオ共演/LSO&ロンドン歌劇合唱団/1981年録音
>モーツァルトのコミカルなキャラクターをもう一つ。『フィガロ』は登場人物の多い演目で、主役というべきスザンナ、フィガロと伯爵夫妻が揃っていて欲しいのはもちろんのことながら、彼らを取り囲む脇役たちが個性的に妙技を披露してくれるとそれだけ面白くなります。バルトロももちろんそうなのですが、ザラストロやオックスを持ち役にしたモルのような大御所が実際の舞台で歌っており、それが映像に収録されているという点で、最初に挙げたDVDは本当にありがたいものです(共演もバスタンをアントニオに据えるほどの無敵艦隊)。昨今の歌手のように俳優のような演技ではなく、割とパターンのある動きをしているようにも見えるのですが、それが実に自然で活き活きとしたものに感じられるのは20世紀の名手の底力でしょうか。聴かせどころのアリアではネチネチとした早口が笑いを誘いますし(その辺りで飽き飽きした様子をにじませるベルビエも笑えます)、ややふらつきながらもあの太い声で終盤の2度の高音を決められるとグッとくるものがあります。2つ目に挙げたややメンバーの異なる録音の方が有名と思いますし、ライヴでのワクワクはないものの演奏としては整っており、モルも正確さを取るならばアリアなどこちらの方が優れているでしょう(それにしてもこの時のショルティのチームは毎回ケルビーノ、バルトロ、マルチェリーナにフォン=シュターデ、モル、ベルビエを据えているのだから恐ろしいものです)。

・オックス男爵(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)
フォン=カラヤン指揮/トモヴァ=シントヴァ、バルツァ、ペリー、ホーニク、ツェドニク、リップ、コール共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1982年録音
>自分としてはどうしてもモルと言えばモーツァルトと刷り込まれてしまっているのですが、モーツァルトを敬愛しオマージュしたシュトラウスの作品での活躍、とりわけこのオックス男爵での歌唱を忘れる訳にはいきません。この役は下品で高慢で図々しくて卑怯で、恐らくはこの物語に登場する誰一人として彼に対して好意的な眼差しを注いでいないのに、間違っても客席からは嫌われてはならず、どこかに古い時代の優雅さと愛すべき人くささを湛えながら、一抹の哀愁をさえ漂わせていて欲しいという、数あるオペラの役柄の中でも最高峰の難役だと思います。モルの演唱は、この不可能な問いへの一つの説得力のある回答でしょう。元帥夫人に自分の若々しい好色ぶりを誇る得意満面さ、財産に対するネチネチとしたこだわり、テノール歌手をうるさいと叩き出す小心な怒り、そのあまりにも堂々たる退場……歌う人によってはさらっと流してしまいそうな部分に詰められた魅力は枚挙にいとまがなく、聴けば聴くほどその味わいは増していくようです。最大の見せ場であるワルツは言うにや及ぶ!ここでのオックスの鼻歌は単に彼が上機嫌という以上に優美で繊細で、どんな人間でもこんな風に美しく愛を歌うことができるのだとシュトラウスが主張しているよう思う部分で、モルはその意図を見事に実現していると感じます。オスミン同様に難所として知られる超低音も余裕たっぷり。フォン=カラヤンは正直うるさすぎる演奏も多い中でこれはベストの1つ、トモヴァ=シントヴァの淑女ぶりやバルツァの溌剌とした美青年に加え、ペリーもホーニクもいいですが、ツェドニクの演ずるヴァルツァッキがうまい!キャラクターテナーの面目ここに極まれり、という名歌唱です。

・ヴァルトナー伯爵(R.シュトラウス『アラベラ』)
レンネルト指揮/カバリエ、ニムスゲルン、ミリャコヴィッチ、コロ、ドミンゲス、ガイファ、スコヴォッティ共演/ローマ放送交響楽団&合唱団/1973年録音
>オックスと比べるとかなり小さいですが、如何にも彼らしいこうした役での良サポートぶりを聴き取れる演奏です。自身のギャンブル狂いで破産寸前などうしようもない面をコミカルに表現しつつ、貴族であり軍人であったことに誇りを感じさせるような重厚な声を響かせるというバランス感覚の良さは彼ならではでしょう。知的な歌い口もあって、この老人がいざとなれば意外に機転の効くところだとか結構ちゃんと父親としての慈愛も持っているところなども浮いてしまわずに説得力が感じられ、奥行きのある人物を作り上げています。伊国のオケに聞いたことのない指揮者、カバリエはともかく後はあまりシュトラウスの印象のないメンバーで、初めて聴いたときには正直期待をしていなかったのですが極めて完成度の高い演奏で自分の先入観を恥じました(苦笑)

・ファン=ベット(A.ロルツィング『ロシア皇帝と船大工』)
フリッケ指揮/ブレンデル、ボニー、ザイフェルト、ファン=デル=ヴァルト、ローテリング、リドル、ヴルコップフ共演/ミュンヒェン放送交響楽団&バイエルン放送合唱団/1987年録音
>コミカル路線で行くと日本ではなかなか演奏されない楽しい演目も遺しています。キャラクターとしてはバルトロを拡張したような、自信過剰で声だけは大きい権威的な人物(且つヒロインの父親)と言う比較的単純なものなのですが、いかにもロルツィングらしいロマンティックな旋律も満載されており歌うところが多い分、声だけで聴かせる響きの魅力や飽きさせない藝が必要な役でしょう。モルのパフォーマンスはまさに理想的なもので、重厚でどっしりした声がちょうどいい具合にこけ脅し感を出していますし、とぼけた口跡は聴いていて思わず笑みがこぼれるものです。「とぼけた」といえば、登場アリアでのファゴットとのヴィルトゥオーゾ的なやりとりはルチアの狂乱のような高度なアンサンブルをしているにもかかわらず正しくとぼけた味わいを出していてとても長閑。曲中1番の聴きどころかもしれません笑。

・ダーラント(R.ヴァーグナー『彷徨えるオランダ人』)
フォン=カラヤン指揮/ヴァン=ダム、ヴェイソヴィッチ、ホフマン、T.モーザー共演/BPO&ヴィーン国立歌劇場唱団/1981〜3年録音
>独国を代表するバスですから僕自身の嗜好とはかかわりなくヴァーグナーも重要なレパートリーです。この俗物の船長を演じるには彼の声はやや高貴過ぎるような気もしながら視聴しはじめるのですが、いざ聴いてみると喜劇的な役柄を演じるときのような軽さを感じさせる素晴らしい歌唱で、その懐の深さに頭が下がります。ヴァン=ダムの暗く籠った声とも相性が良く、序盤に取引をする場面の重唱はベル・カント的な優美さもありつつ作品そのもののどんよりとした空気にも沿った名演でしょう。フォン=カラヤンの豪奢な指揮も聴きごたえがあります。

・ヘルマン1世(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』)
ハイティンク指揮/ケーニヒ、ポップ、マイヤー、ヴァイクル、イェルザレム共演/バイエルン放送交響楽団&合唱団/1985年録音
>彼の堂々たる重厚な低音は、言わずもがな身分のある人物を演じるのにも適しています。ヴァーグナーの王様役というのはどちらかというとメロディアスに歌いあげるというよりも、祝詞のような音程のある語りという趣きの音楽が当てられていることが多いのですが、それでも単調にならずに聴き手を惹きつける力量は特筆すべきものでしょう。2幕フィナーレのような重層的なアンサンブルも多いので、何を歌っているかがはっきり伝わってくるだけの声量があるのも大きなプラスです。この時期共演の多かったポップとヴァイクルもそれぞれに脂ののった歌唱、ハイティンクはつまらないという人もいますが個人的には風通しが良くて好ましく思います。

・ハインリヒ・デア・フォーグラー(R.ヴァーグナー『ローエングリン』)
アバド指揮/イェルザレム、ステューダー、マイヤー、ヴェルカー、A.シュミット共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場唱団/1991〜92年録音
>アバドの『ローエングリン』というとドミンゴが題名役を演じた映像の方がメジャーらしく、隠れがちですがこちらも名演です(個人的にはマイヤーは得意ではないのですが、ここでは優れたオルトルートを演じていると思います)。モルは品格と安定感のあるずっしりとした声で、問題のある登場人物の多いこの物語の国を支える主を作り上げています。軍令のシュミットも相当立派なのですが、彼が仕える領主として全く不足のない、信頼感とカリスマのあるハインリヒです。ここでも頻出する長丁場の演説も決して飽きさせず、うまみのある歌でしっかり聴かせています。

・ファイト・ポーグナー(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)
サヴァリッシュ指揮/ヴァイクル、ヘップナー、ステューダー、S.ローレンツ、ファン=デア=ヴァルト、カリッシュ共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1993年録音
>低音の役柄が多い演目ながら、バスの中でもとりわけ低い声を持っている彼が繰り返し演じているのはやはりこの役です(とは言え、アリア集ではザックスも歌っていますが)。どうしてもザックスがカリスマ的な主人公になってしまうので、ポーグナーはともすると地味で影の薄い印象になってしまうことも多いのですが、彼の輝かしい声は他の親方たちの中にいても決して埋もれることはなく、ニュルンベルクでも一目置かれる重要人物であることがすぐにわかります。また(いかにもヴァーグナーらしい価値観の枠の中であるとは言え)娘にも深い愛情を抱いていることのわかる、とても優しい歌唱は感動的です。

・隠者(C.M.フォン=ヴェーバー『魔弾の射手』)
クーベリック指揮/コロ、ベーレンス、メーフェン、ドナート、ブレンデル、グルムバッハ共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1979年録音
>この演目でバスと言うとカスパールが強烈なアリアで記憶に残りますが(ちなみにこちらもアリア集で歌っています)、ここではそちらは先輩のペーター・メーフェンが演じ(彼もまた高級感のある美声!ながら録音が極端に少ないのが勿体無いです)、彼は物語の終盤に少しだけ登場する隠者を歌っています。出番が僅かとは言えこの作品全体を大団円に導く重要な要役であり、安直なデウス・エクス・マーキナーに堕さないような説得力がほしいです。ここでのモルは登場第一声で勝負あり。声量があると言うよりは空間を満たすような奥行きのある巨大な声と、その楽器を濫用しない穏やかな語り口が合わさって、常人の知を超えた高徳の人物として圧倒的な存在感を示しています。これだけのオーラがあれば、若々しいパワーが漲るブレンデルの領主が彼の意見を受け容れるのも宜なるかなと言ったところでしょうか。

・カジモド(F.シュミット『ノートル=ダム』)
ペリック指揮/G.ジョーンズ、キング、ヴェルカー、ラウベンタール共演/ベルリン放送交響楽団、RIAS室内合唱団&聖ヘトヴィヒ大聖堂合唱団/1988年録音
>間奏曲が時たま演奏される以外はほとんど接する機会がなく、正直ちょっと散漫な部分もあるのですが、独ロマン派らしい甘美で重厚な音楽に酔える作品でもあります。『ノートル=ダム』ものの他のオペラ同様にカジモドの出番は意外と少ないものの、終幕での活躍は忘れがたいものです。ここでは普段の落ち着いたモルや気のいいモルではなく、よりドラマティックな歌唱。フロローとの対決の場面はその荒々しさに手に汗を握りますし、全てが終わった後の絶望的な独白は長くはないものの、悲痛で胸に迫ります。こういう人間味のある芝居をすると彼はピカイチですね。

・宗教裁判長(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
マルティネス指揮/ギャウロフ、アラガル、フレーニ、トロヤノス、マズロク、レイノーゾ共演/ハンブルク州立歌劇場管弦楽団&合唱団/1980年録音
>本領の独ものに留まらない幅広い活躍を知ることができる録音もいくつか。伊ものの中でもモルの凄まじい声が最大限に活きるのは当たり役だと思っています。大変残念ながらスタジオ録音もなければ手に入りやすいライヴ音源もないのですが、バス・ファン必携です。同じように抗いがたい高僧であっても、ザラストロや隠者で聴くことができるような穏やかな聡明さではなく、狂信的であるとさえ言えそうな権威とヒエラルキーの意識が宿った非人間的な存在であることが明確に示された演唱で、思わずゾッとさせられます。「人ならざる何か」になってしまったことが感じられる宗教裁判長としてはネーリと双璧でしょう。だからこそ、藝としての円熟期に差し掛かったこのギャウロフの非常に人間味のあるフィリッポとの対決には凄みがあります。20世紀を代表する名バス2人の対決がこうして残っているのは、まさしく幸運でしょう。

・モンテローネ伯爵(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
ジュリーニ指揮/カプッチッリ、ドミンゴ、コトルバシュ、ギャウロフ、オブラスツォヴァ、シュヴァルツ共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1979年録音
>これも「モルほどの人がこんな小さな役を!」と言う代物のひとつでしょうが、ここに彼を起用した慧眼と交渉力は賞賛に値するものでしょう。あまり話題にされることはありませんが、リゴレットの侮辱に対して我を忘れて呪いの言葉を叫ぶこの人物がいなければ、そもそもこの物語は始まらないのです。そしてその呪いの叫びはリゴレットの脳裏に深く刻みつけられるような強烈さがなければなりません。モルのノーブルな歌い口はこの貴族の自尊心を示すのにふさわしいものですし、その底しれない声での罵りにはまさに地獄から響いてきているような凄みが感じられます(騎士長を想起するのは僕だけではないでしょう)。ここでも共演しているギャウロフは、彼らしい微妙な色彩を加えながらも残虐な行いを辞さない野卑な響きがあって見事なコントラスト。他に共演で傑出しているのは繊細なコトルバシュで、彼女のベストかもしれません。ただ全体として見るとジュリーニの音楽が丁寧なんだけれども勢いに欠けるもので、特に主役のカプッチッリが足止めを食ってしまっているのが惜しいです。

・宗教裁判長(С.С.プロコフィエフ『炎の天使』)
N.ヤルヴィ指揮/セクンデ、S.ローレンツ、ツェドニク、ラング、サロマー共演/イェーテボリ交響楽団、イェスタ・オーリン合唱団&イェーテボリ・プロ・ムジカ室内合唱団/1991年録音
>知っている範囲では唯一の露ものの録音です(とは言え、全体的に独っぽいメンバーで土臭さよりは純音楽的なシンフォニックさを感じさせるものではあります)。『ドン・カルロ』の宗教裁判長ほどの“邪悪さ”はないにしても、主人公を破滅させる絶対的なこの宗教権威もまたおぞましく、“善”の衣を纏っているからこそ始末におえない腐臭を感じさせる役柄だと思います。その意味でここでモルが演じていることには2つの側面から非常に強い説得力を与えているようです:1つは繰返しになりますが地の底から響いてくるような彼の深く暗い声によって抗いがたい力を感じさせること、もう1つは彼が多くの役でも見せる穏やかで格調高い歌がここでも聴けることによって“善”の衣を纏った恐怖の存在であるということです。共演ではここでも脇役ですがツェドニクが抜群。セクンデの悪声がエキセントリックなレナータに貢献している一方、ローレンツはちょっと穏当すぎるかも。
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Ushi (Bos taurus)

"平安と喜びがあなたにありますように"
(これはバジリオではなく、アロンソですけどね)

去年は散々な年で自分の生活が侵食される恐ろしさを知った時間でしたが、家に長いこといた分いろいろと気づきもあったし、それまでのマイナスな習慣が清算されたところあったかなと思っています。状況はどうもますます悪くなっているように見えますが、だからこそちょっと心持ちも変わって、新しいことを始めてみようとも思っているところです。

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去年の記事でも書いていた通りここ数年あんまり創作意欲が湧いていなかったのですが、ちょっと大きな作品を出す機会があったこともあって紙に触っているうちに、やっぱり楽しいなあという気持ちがまた生まれてきました。しかも今年の干支は昔から好きな動物のウシですから、これまで実現できていなかった蹄を表現した手の込んだものを作ろうと思った次第です。

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のときもそうですが副蹄は何かしら表現したいと考えつつ、イノシシとウシではメインの蹄の形がだいぶ違います。このずっしり感を出したかった。

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「これをやりたい」がうまくいっても別のところで引っかかってしまうのは良くある話。今回は頭の処理に悩みました。パーツはあるんだけど欲しいところに欲しい長さで伸びない!結局角に使うつもりだったパーツと耳に使うつもりだったパーツを入れ替えたらすっとまとまりました。

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いい感じに出来上がったんだけど、作り込めば作り込むほど美味そうな感じになってしまうのは何だんだろうw

また、このコロナで乱暴な言葉の投げ合いに疲れてしまってtwitterの個人アカウントを閉じたのですが、創作折り紙を発表するため改めて開設しました。基本的に作品発表にしぼった発信の予定。
粗製濫造にはしたくないのでたぶん低浮上になりますが、よろしければ気長におつきあいくださいませ。
@basiwolihaberi

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