オペラなひと♪千夜一夜 ~第百三十夜/迫真の語り〜2021-10-23 Sat 18:49
それなりに長く連載していることもあって、大好きなんだけどいつ登場させようか保留にしてしまっている人が少なからずいます。後回しになってしまう理由にもいろいろあって、自分がまだその人のレパートリーを開拓しきれていないとか何かしらの特集をしていてそのテーマにそぐわないとか、あるいはこんな低音歌手に偏った内容のblogでも声区のバランスを多少気にしてはいますから、同じパートが続いてしまったのでまた今度ということもあります。
今回は、そんな事情がちょっとありまして登場が遅れていた人です。 ![]() Don Quichotte ジョゼ・ヴァン=ダム (ヨセ・ファン=ダム、ホセ・ファン=ダム) (José van Dam) 1940〜 Bass Baritone Belgium ものの本によると20世紀に最も多くの録音を残した歌手はフィッシャー=ディースカウだそうです。確かに彼のレパートリーにおいてオペラはほんの一角でしかなく、歌曲や宗教音楽などの業績をあげていけば枚挙にいとまがないでしょう。他方で、ことオペラというジャンルに限定した時に誰が一番多いのか考えると、確かにFDにも山ほど録音はありますが、レパートリーの関係もあってかそこまで多い印象はありません。そうなると超人気ソプラノやスター・テノールの名前もまたたくさん頭の中を去来するのですが、僕自身が意外と有力候補だと思っているのは、今日の主役ジョゼ・ヴァン=ダムです。 とにもかくにも本当によく名前を見かけます。ショルティやフォン=カラヤンに気に入られた彼は、若いうちから役の大小や伊独の別にかかわらず様々なレパートリーで演奏に参加していますし、フィガロ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)のように繰り返し録音している役も少なくありません。とりわけ彼のレパートリーをユニークなものにしているのは仏もので、グノーの代表作3つをいずれもスタジオで遺しているほか、マスネー以降20世紀までのメジャーな作品はほとんど歌っているのではないでしょうか。これらはプラッソンとの仕事が多いですね。そして4悪役(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)に至ってはまさにスペシャリストと言うべきで、カンブルラン及びナガノの指揮によるスタジオ録音のほか、ペリソンとの映像、デ=アルメイダやレヴァインをはじめとするさまざまなライヴ録音まで含めると一体いくつあるのやら、ちょっと想像がつかないほどです。 ただ正直このレパートリーの広大さこそが、これまで記事を書くのを躊躇っていた最大の理由でもあります。大体このシリーズを書くとき、まずは手元にあるディスクのリストを作るところから始めるのですが、もうこの時点で既に目が回りそうです……自分の趣味で重点的に集めているはずの多くの歌手よりも持っていそうなのは間違い無いとして、下手をすると愛してやまないギャウロフの音源より多いかもしれない。それでも、本当なら彼の話をするならば聴いておきたい父(G.シャルパンティエ『ルイーズ』)やユメ(G.フォーレ『ペネロープ』)、エディプ(G.エネスコ『エディプ』)といった役がまだ押さえられていないことを白状せねばなりません。 とはいえこれらを聴いてからでなければと言っていると永久にヴァン=ダムの記事は書けないでしょう。130という回数が節目になるのかは微妙なところですが、10回に一度ぐらい彼のような録音史の巨人を取り上げたいと思ったところです。 <演唱の魅力> それだけ膨大な録音があるというと、癖のないクリアーな響きを思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。しかしヴァン=ダムが所謂オペラっぽい声かというとちょっと、いやかなり違う。同じように仏系レパートリーで活躍した低音歌手ならば、例えばドゥプラやソワイエの方が明るくて通りの良い響きで、天鵞絨などと喩えられて好まれそうです。美しい声だとは思うのですが決して高らかに輝かしく響くのではなく、ガレの色ガラスのランプ・シェードを思わせるような曇りがあって、むしろ慎ましやかに籠って聴こえます。どちらかというと歌曲だとか(実際仏歌曲の録音は多いです)、或いはひょっとするとシャンソンの方が合うかもしれない。ですからよしんば大ファンであったとしても、もし彼が万人受けするタイプかと問われたときには、”Oui”と答えないのではないかと思うのです。それぐらいの、はっきりと独特の個性を持った声。 しかし、それでも彼がこの2つの世紀を跨いで多くの指揮者に愛され、幅広い演目で起用されている事実に変わりはありません。単純でわかりやすい理由としては、バスからバリトンまで多くの役柄を歌いこなすことのできる音域の広さが挙げられるでしょう。基本的には低い倍音が中心なので、バス歌手の勲章と言えるような役どころ、メフィストフェレス(C.F.グノー『ファウスト』)、フィリップ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)などを演じているイメージが強い一方で、ゴロー(C.ドビュッシー)やウリアス(C.F.グノー『ミレイユ』)のようなレパートリーも演じていますし、なんと「バリトン・アリア集」まであります(流石に慣例的な高音の多くをカットしていますが)。 他方、声域の広さは強みではあるものの当然ながらそれだけで重宝はされないでしょう。ここでヴァン=ダムが支持された第2の理由として、当時の指揮者が求めた器用さがあったのではないかと個人的には考えています。モーツァルトでもヴェルディでもヴァーグナーでも立派な歌を遺している一方で、さてではよく耳にするところのモーツァルト歌いの愉悦だとかヴェルディ歌い/ヴァーグナー歌いの熱狂を宿しているかというと、どうもそういう感じはしないのです。表情は淡白どころかはっきりとつける方なのですが、どちらかというと朗々とした旋律に酔わせるような歌い方というよりは語りに近い印象、語りにそのまま音程がついていったような印象。感情の起伏や爆発を歌に乗せることから距離を置き、楽譜やリブレットから読み取れることを丹念に分析して練り上げる、まさに「演じる」ようなスタイルだということができるかもしれません。こうした観察者的な視線を持った藝風は、声の力で歌手に役が“降ってくる”のを良しとした世代では煙たがられるものだったろうと思うのですが、作品を慣例や通俗的なイメージから切り離し、そもそも作品で描かれた世界を追求していくことを目指す趣味においては、むしろ望まれるものだったのではないでしょうか。 面白いのが、歌の快楽に委ねるのではなく書かれたことを追い求めるスタイルは演劇的であるとともにとても器楽的な様相を帯びていることで、これにより彼はさらに自由にレパートリーを切り拓くことができているように思います。例えばドニゼッティの曲がピアノで演奏されるイメージが湧かないとかムソルグスキーの曲がオーボエで演奏されるイメージが湧かないといったことがないのと近いように、その個性の強い声にもかかわらずヴァン=ダムの歌を全く想像できないという役がないのです(もちろん声域に合っていないとかもっとイメージに合う人がいったということはあるのですが)。このポイントは先ほどあげた2番目の理由と極めて近いところにありつつも少し軸足が異なるので、第3の理由とすべきかもしれません。 それでは、ジェネラリストであるヴァン=ダムは何を歌っても均質で面白くないのでは?と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。彼の藝風が最も発揮されるのは、やはり仏ものです。彼以上に語りのうまいメフィストフェレスはちょっと想像できない。バランスとして流麗な歌によりがちなグノーの悪魔では“金の仔牛”すら自然に語る至藝に頭が下がりますし、ベルリオーズでの言葉捌きは或いはそれ以上と思わせる自由闊達さ。時に荒々しい圧力すらあるのに、決して過剰にはならないヴァン=ダムの歌い口は真似できるような代物ではないでしょう。また、とかく主役にばかり光の当たる仏ものでの派手ではないけれども軽んじることのできない重みのある役柄--例えばマスネーの伯爵デ=グリュー(『マノン』)やファニュエル(『エロディアード』)、グノーのローランス神父(『ロメオとジュリエット』)やドリーブのニラカンタ(『ラクメ』)--に、得難い存在感を与えているのも見過ごせません。そしてこうしたことの延長線上に、歌の快楽よりも言葉の美しさの求められるゴロー(C.ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』)や聖フランチェスコ(O.メシアン『アッシジの聖フランチェスコ』)といった作品での活躍があります。 こうして見ていくと、仏ものでこそ彼の本領に触れることができるというよりも、仏ものでの手広い活躍が彼の歌唱の基礎になっている、ということもできるような気がしてきます。それほどまでにヴァン=ダムの仏ものの歌唱は美しく、得難いのです……。 <アキレス腱> 彼のアプローチでは、基本的に非常にリアルで生真面目な印象が先に立ちます。そのためある意味で頭でっかちな役への迫り方をしていることで、どんな役柄にも対処できる代わりに違和感を生んでしまう役があるのも確かで、そういう意味で好き嫌いが出る役は少なからずあるでしょう。例えばフィガロ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)などは楽しい反骨者というよりは怒り心頭に発しているところの方が真実味があるという異色な印象がありますし、ヴェルディやヴァーグナーでは爆発的なものを出さない分優等生的で枠の中に入ってしまったような歌唱に思えることもあります。 また、オールマイティな活躍をしているだけに音域的な限界を超えた配役をされていることもしばしば。ザラストロ(W.A.モーツァルト『魔笛』)などは彼の理窟っぽいやり方にはあっているのですが、如何せん音が低い……フォン=カラヤンが彼を起用した理由もわかるけれども、やはり彼の魅力はバス・バリトンからバッソ・カンタンテあたりなんだろうという思いを強くします。 <音源紹介> ・ドン・キショット(J.E.F.マスネー『ドン・キショット』) ミンコフスキ指揮/ファン=メーヘレン、トロ=サンタフェ共演/ベルギー王立モネ劇場管弦楽団&合唱団/2010年録音 >ヴァン=ダムには何度も述べているように膨大な録音や映像があるのですが、一つだけ取り上げるならば、僕が選ぶのはこの引退公演です。さまざまな時代や言語、様式をまたにかけて活躍してきた藝道の終着地として、ヴァン=ダムが愛すべき遍歴の騎士を演じたかったということがよくわかる舞台姿、立居振舞い、歌が胸を打ちます。もちろん往時の柔らかで湿り気のある響きは退いて、乾いた硬直した鳴り方になっているものの、プラッソンとのスタジオ録音(あれも稀に見る見事な演奏なのですが)の時以上に真に迫っているように思われてなりません。おかしさや悲しさ、崇高さといった全てのものを覆う老いというものを、あたたかな筆致で描いたこの舞台は、一つの人間讃歌と呼ぶこともできるでしょう。本をキーアイテムにしたペリーの心理的な演出と、愉悦に溢れたミンコフスキの音楽がつくる世界観も卓越していますし、ファン=メーヘレンの必要趣味的で人間臭いサンチョをはじめとした共演者たちも奮闘しており、この大歌手の花道を飾る公演にかける並々ならぬ意欲を感じます。 ・4悪役(J.オッフェンバック『ホフマン物語』) ナガノ指揮/アラーニャ、デュボス、ドゥセ、ヴァドヴァ、ジョ、ラゴン、バキエ共演/リヨン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1994-96年録音 カンブルラン指揮/シコフ、セッラ、プロウライト、ノーマン、マレー、ティアー、タイヨン、リドル共演/ブリュッセル王立モネ劇場管弦楽団&合唱団/1986年録音 >彼が最も歌った役であると同時に、最も得意とした役ではないでしょうか。ヒロインたちに比べると1人で演じられることの多い4人の悪役は、実のところそれぞれ持ち味も鳴ってほしい音もまったく違うので、全てを満足させてくれる歌手はあまりいないのですが、ヴァン=ダムの歌唱はまさに範とすべきものだと言えるでしょう。ダイヤモンドの歌の官能的な最高音から、ミラクル博士のゾッとする低音まで十全な響きを聴かせるだけでも至難ですが、コミカルさ、不気味さ、尊大さといったもののバランスを各役で調整しつつ、グロテスクながら魅力的な一人の悪魔へとまとめ上げていく手腕には頭が下がります。加えて、オッフェンバックの手稿の発見に伴う楽譜の変化に応じて、ほとんど全ての演奏で異なっているだろう楽譜への対応力にも舌を巻くばかりです(ダッペルトゥットのアリアとしてダイヤモンドの歌よりも鏡の歌の方が、彼はあるいは歌ったかもしれません)。正直なところ彼は登場しているどのホフマンも見事なのですが、取り扱っている楽譜の新しさや共演の充実ぶりからここではナガノ盤とカンブルラン盤を挙げておきましょう。 ・メフィストフェレス(H.ベルリオーズ『ファウストの劫罰』) ショルティ指揮/リーゲル、フォン=シュターデ共演/シカゴ交響楽団、合唱団&グレン・エリン児童合唱団/1981年録音 >ファウストものは大好きなblog主ですが、長いことどうもしっくり来なかったのが本作、一部の楽曲は演奏もしましたし、パリで実演も観たもののどうも良さがわからない……などと思っていた折、今回ヴァン=ダムの記事を書くにあたって、オペラを聴き始めた頃に1回聴いて放り投げていたこの音盤を聴いて、漸く初めて作品の面白さに気づくことができたような次第です。なんと言ってもまずは彼の演じるメフィストフェレスの皮肉たっぷりの歌い口が極上。グノーと較べてもボーイトと較べても、ここでの悪魔に与えられた歌は軽くて地味なので、歌の造形や声の威力・魅力で惹きこむタイプの人がうたうとどうしても欲求不満というか「聴き足りない」感じになってしまうのですが、ヴァン=ダムの旨みのある語りを聴いているとその絶妙な言葉さばきに心が満たされます。魅力的だけれども調理の難しい素材が、適切な調理と量、そしてタイミングによって供されるような満足感とでも言いましょうか。決してひたすらに美しく言葉を紡ぐことに終始しているわけではなく、ドキッとするような破壊力のある表現を聴かせているときもしばしばで、音域もあってヴォータンを演じている時のアダムを思い出したりもします。やや乾いた感じの高音に独特の色気のあるリーゲルと、逆にしっとりした趣のフォン=シュターデ、ショルティのキビキビした音楽も相俟って、ベルリオーズの奇想の世界を楽しめます。 ・メフィストフェレス(C.F.グノー『ファウスト』) プラッソン指揮/リーチ、ステューダー、ハンプソン、ドゥニーズ共演/トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団、合唱団&アルメ・フランセ合唱団/1991年録音 >打って変わってわかりやすく華麗でメロディアスなグノーの世界においても、我らがヴァン=ダムは忘れ得ない悪魔を演じています。先ほどのメフィストのスパイシーな警句めいたことを手短にまとめる才気煥発さに対して、こちらはきっぷの良い金持ちを思わせるようなゴージャスさがあります。と言ってもクリストフやギャウロフといったスラヴ系の歌手たちのような俗悪な成金っぽい凄みではなくて、あくまで身振りはエレガントで親切そうな空気をまといつつ、というあたりはやはり仏系のバスたちの路線を感じさせます。彼の個性としてはソワイエのように完全に羊の皮をかぶっているのではなくて、どこかちょっとギャングのようないかがわしげで謎めいた香りを漂わせているところでしょうか。ありがたいことに補遺としてほとんど歌われることのないスカラベの歌(金の仔牛に差し替えられたクープレ)まで歌ってくれています。割とライトな響きのメフィストと言うこともあってか、共演は総じて明るくて、重くなりすぎない声と知的な歌い回しを持ち味としている人が揃っていて嬉しいところです。 ・ローラン神父(C.F.グノー『ロメオとジュリエット』) プラッソン指揮/ゲオルギウ、アラーニャ、キーンリサイド、フォンダリー、M.A.トドロヴィッチ共演/トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団&合唱団/1995年録音 >この作品はどうしても主役2人に注目が集まりますし、当時スターカップルとして飛ぶ鳥を落とす勢いだったゲオルギウとアラーニャにどうしても注目しがちですが、低音陣も実力者で固められており隙がありません。ヴァン=ダムの神父は若い彼らを庇護する高徳の人といった印象で、自分たちの家のことを優先する大人たちの中で決して押し付けがましくない真摯さが感動を呼びます。2人の秘密の結婚の場面はもちろんですが、ジュリエットに秘薬を渡す場面でも相手を尊重する慈愛に満ちた優しい歌が心地よいです。 ・ウリアス(C.F.グノー『ミレイユ』) プラッソン指揮/フレーニ、ヴァンゾ、ロード、バキエ共演/トゥールーズ・カピトール管弦楽団&合唱団/1979年録音 >バリトン寄りのバスのヴァン=ダムがウリアスを、バス寄りのバリトンのバキエがラモンを演じているのはちょっと意外な感じもしますが、聴いてみると流石2人とも藝達者ですし年齢差を考えるとこちらの方が説得力がある組合せだというプラッソンの判断にも得心が行きます。なんといっても若々しい力強さ!ヴァンゾとの決鬪の場面で凄むところなどはこの時の彼だからこそ出せた迫力を感じさせるものです。プライドも高ければ腕っ節も強いけれども心に弱さも持っているこの人物は、マッサールのようなハイ・バリトンが歌うと「気位が高い」という言葉を想起させますが、ヴァン=ダムぐらい低い方の響きが充実していると「矜持」という語が似合うように思います。ヴァンゾ、ロード、バキエといった仏ものの大家たちは文句のつけようのない歌唱ですし、やや伊的で異質な感じはなきにしもあらずであってもやはりフレーニのコクのある美声にはうっとりさせられてしまいます。 ・ニラカンタ(C.P.L.ドリーブ『ラクメ』) プラッソン指揮/ドゥセ、クンデ、ビュルル、プティボン、エイデン共演/トゥールーズ・キャピタル管弦楽団&合唱団/1997年録音 >先ほどの『ロメオ』や後述する『マノン』もそうですが、このころ既に老大家の趣のあったヴァン=ダムは若きスター歌手たちをフューチャリングした仏ものの音源で演奏の要として繰り返し起用されています。当然ながらドゥセの演じるラクメこそが主役なのですが、彼のニラカンタがこの録音の価値を更に高めているのは間違いないでしょう。既に声のピークを過ぎてやや乾いた響きになっていることによって、ソワイエの歌で聴くことができるような芳醇な声と情緒的なリリシズムとは全く逆の、厳しくて頑なな高僧を作り上げています。ああこのニラカンタなら、どんなに優しい歌をうたっても確かに異教徒を刺すだろうなという、追い詰められている感じがとてもリアルです。以前も取り上げましたがドゥセは現代のラクメとして最高の歌唱(彼女のあとには誰が来るのでしょう?)、クンデは大好きなテノールなのですがこの役では響きが軽すぎるというか明るすぎるというか、彼のパートだけ蛍光ペンで塗ったような感じで馴染んでいない気がします。 ・クロード(C.L.A.トマ『アムレート』) プラッソン指揮/ハンプソン、ドゥセ、ド=ユン、ラオー共演/トゥールーズ・キャピタル管弦楽団&合唱団/2000年録音 >ハンプソンやドゥセが当たり役を演じた大変見事な公演の映像記録にもかかわらず、入手困難なのが残念です。敵役のクロードは、僕の持っているいくつかのこの作品の中でもここでのヴァン=ダムが最高だと思っています。この王の冷たさ、不遜さ、そして自らの犯した罪への恐怖を、美しく仏語の語りの中で歌うことができるのはヴァン=ダムをおいて他にいないでしょう。懺悔のアリアの低い方の音をもっとしっかりと鳴らすことのできるバスはもちろんもっといるかもしれませんが、彼の声の乾いて曇った響きが不安と後悔をより際立たせているように感じます。舞台姿は背の高いハンプソンやド=ユンと較べると明らかに小柄なのですが強烈な存在感があり、むしろ小柄だからこそ邪さが凝集されたような効果をあげているようです。どこかで発売されないかとずっと思っているのですが。。。 ・ファニュエル(J.E.F.マスネー『エロディアード』) プラッソン指揮/ドゥニーズ、ステューダー、ヘップナー、ハンプソン、ヴァノー共演/トゥールーズ・キャピタル管弦楽団&合唱団/1994年録音 >派手好みのMETなどではいかにも受けそうな演目の気はするのに登場人物が多いせいかあまり演奏が盛んではなく、またキャストが揃っている音源も少ない本作では本命といえる演奏でしょう。占星術師のファニュエルはワイルドの『サロメ』には登場しない(従ってシュトラウスのオペラにも登場しません)人物ながら、サロメの正体も知っていれば王とも王妃とも直接対決があるという重要な役柄です。伊的なドラマティックさを出すことができるバスならばいくらでもいるでしょうが、優美なマスネーの音楽を崩すことなく緊張感のあるやりとりができる歌手はなかなか得難いところ、ヴァン=ダムならばまさに適役というわけです。同じく流麗でロマンティックながら強力な声を持っているハンプソンとの対決は、彼らのキャラクターと音楽が噛み合って、美しくも迫真の場面になっていると思います。ステューダーが出色、ヘップナーも魅力満載という中ではドゥニーズがやや影が薄いですが十分に美しい歌唱だとは思います。ここまであえて触れていませんでしたがプラッソンの仏ものでの精力的な仕事には驚かされると共に尊敬の念を強くします。今ほど光が当たっていなかった時代によくぞここまで仏ものを牽引してくれたものです。 ・伯爵デ=グリュー(J.E.F.マスネー『マノン』) パッパーノ指揮/ゲオルギウ、アラーニャ、パトリアルコ、ラゴン、リヴァン共演/ベルギー王立モネ劇場管弦楽団&合唱団/2000年録音 >作品の中で重要ではあるけれども決して出番は少なく、極めて渋い役ですから、ライヴ盤を見ると座付の歌手が演じていたり、また音盤の紹介がなされていてもスルーされていることが多々あるのですが、こういうところで得難い存在感を示してくれていることは、ヴァン=ダムの業績の中でも重要な点だと思います。華やかで刹那的な思慮に乏しい若者たちに対し、あらゆる面で対置されたこの伯爵は落ち着きや思慮とともに堅気のいやらしさをも纏った人物で、意外と演じるのは難しいと思うのですが、彼は流石のバランス感覚。「良識」という言葉の持つプラスの面とマイナスの面とを巧みに表現しています。こちらもまた主役に据えられたゲオルギウとアラーニャが、ただただネームバリューだけの存在ではなかったことがよくわかる名演を繰り広げています。 ・ラルフ(G.ビゼー『美しきパースの娘』) プレートル指揮/アンダーソン、クラウス、G.キリコ、バキエ、 ジマーマン共演/フランス放送新フィルハーモニー管弦楽団&合唱団/1985年録音 >『カルメン』という傑作の影に隠れがちなこのビゼーの佳作の、知るかぎり唯一の全曲録音ですが、よくこれだけのキャストが集まったものです。ラルフが酔って歌う戀の歌は、仏もののバスのアリアとしては比較的メジャーなので多くの録音がありますが、ここでの彼の歌を聴くとなるほどこういう文脈で歌われるものなのだなあと得心がいくように思います。妙な言い方ですが、声に力はあるものの立派過ぎないのです。報われない戀を紛らわすために酒に頼っている男の情けなさや悲しさが、ヴァン=ダムのソフトな声と知的なコントロールで引き出されているように思います。また、アンリと決闘では堂々と男らしく、クラウスの美声とのアンサンブルも綺麗です。登場人物が多いこともあってこの役も必ずしも出番がたくさんあるというわけではないのですが、或いは主人公のアンリ以上にラルフに肩入れしたくなってしまうような人間くささがあるんですよね。この辺り人を喰った不実な好色漢を演じるキリコや、陽気でマイペースな父親のバキエともうまくキャラクター分けができていて三者三様に楽しめます。 ・ゴロー(C.ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』) ガーディナー指揮/アリオ=リュガ、ル=ルー、ソワイエ、タイヨン共演/リヨン歌劇場管弦楽団&合唱団/1987年録音 >何度か書いている通り得意ではない作品なのですが、夜霧のようなしっとりとした演奏と幽玄で美しい映像(読替演出ですが)が相まって、日本語字幕がなくても作品への理解を広げられるように思います。この頃のヴァン=ダムはまだまだ老境という年齢ではなかったはずですが、掴むことのできない幸せへの渇望とそれを手に入れられる若者への羨望といった老いたる者の哀しみを、歌を通してまた芝居を通して切実に訴えかけています。僕はここでの彼の演唱を観たことで、この物語の主人公がゴローであること、この役もまたフィリップの変奏なのだという理解を得ることができました。アリオ=リュガとル=ルーの題名役2人はもちろん、ソワイエやタイヨンといった脇役も含めて歌も姿も最高ですが、この映像の軸になっているのは、紛れもなくヴァン=ダムだと思います。 ・フィリップ2世(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』) パッパーノ指揮/アラーニャ、マッティラ、ハンプソン、マイヤー、ハーフヴァソン、エリゼー共演/パリ管弦楽団&シャトレ座合唱団/1996年録音 >ヴァン=ダムの歌ったヴェルディというと真っ先に思い浮かぶのは、やはりここでのフィリップでしょう。ラ=スコーラやヌッチと共演している伊語版での「フィリッポ」もまた堂々とした名演で捨てがたいのですが、こちらでの仏語による自然な演唱の魅力はほかの歌手の公演からは得難いものがあります。小兵ながら序盤の威圧的なオーラは卓越していて、高貴なオーラのある王者というよりももっと現代風の権力者、グローバルな市場を席巻する企業の社長のような有無を言わさない冷たさです。だからこそあのアリアからの極めて人間らしい懊悩が活きてくるようにも思えます。これだけを聞くとギャップが大きすぎてしまうのではという懸念を生みそうですが、実際はこの2つの側面をきっちりと繋げる流石の手腕で、あの冷たい表情が権力者としての仮面であることがよくわかるのです。パッパーノ版としか言いようのない楽譜の取扱いに面食らう場面もなきにしもあらずですが、変に重々しくならない音楽は見事ですし、シンプルな美しさのある演出とも相性がいいです。共演陣は特に男声の水準が高く、現代の名唱です。 ・修道士(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』) フォン=カラヤン指揮/ギャウロフ、カレーラス、フレーニ、カプッチッリ、バルツァ、R.ライモンディ、グルベローヴァ、ヘンドリクス共演/BPO&ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団/1978年録音 >パッパーノのある意味での軽やかさをまとった演奏に対して、こちらは重厚で祝祭的なフォン=カラヤンの世界で、どちらを好むかははっきりと趣味の問題と思います。テバルドに先ごろ亡くなったグルベローヴァ、天の声にはヘンドリクスと相変わらずの徹底的な豪華路線の中で、ヴァン=ダムは修道士を歌っています。通例この役を歌うようなバスと較べると彼の声はどちらかといえばバリトン寄りのリリカルな響きではあるので、ドスがない分不気味さやおどろおどろしさはあまりないのですが、生真面目な歌い口はいかにも静かな寺院の上人という風情がハマっています。だからこそ亡霊のような雰囲気を出しているということも言えそうです。バス3人の中でフィリッポのギャウロフが一番重いという、よく考えてみると意表をつくキャスティングですが、ヴァン=ダムにせよライモンディにせよフォン=カラヤンがよくよく考えて起用していることが伺えます。 ・パオロ・アルビアーニ (G.F.F.ヴェルディ『シモン・ボッカネグラ』) アバド指揮/カプッチッリ、ギャウロフ、フレーニ、カレーラス、フォイアーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1976年録音 >今更賛辞を重ねる必要もない名盤中の名盤でしょう。アバドのシモンのライヴ音源に当たるとこの役はフェリーチェ・スキアーヴィが演じていることが多く、ややいがらっぽい癖のある響きの声と性格的な歌い口のいかにもな感じがとてもいいのですが、スタジオ録音ではヴァン=ダムが歌っています。この役としては低めの声で落ち着いた感じですし、歌唱も整っているので一聴するとおとなしい気もするのですが、逆にそれまで忠誠を尽くしてきた身内に対しても復讐を辞さない根暗な過激さを柔和さの下に宿しているようです。ある意味でわかりやすい悪人になりすぎていないことによるリアリティですとか、物語の膨らみを感じるものになっているのです。 ・フィガロ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』) ショルティ指揮/ポップ、ヤノヴィッツ、バキエ、フォン=シュターデ、モル、ベルビエ、ロロー、セネシャル、バスタン、ペリエ共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1980年録音 >上述のとおり彼のフィガロは、異色の風貌です。歌のみを取り出して聴いてみると、例えばカペッキだとかプライのような人間味をこの役に求める方にとっては、暗く籠った音色も生真面目なまでにスタイリッシュな歌い口も受け入れがたいとさえ思えるかもしれません。かく言う僕もいくつかの音源を聴きながらあまりしっくりこないなあと感じていたのですが、この映像を見てうんと印象が変わりました。舞台で演じている彼をみると驚くほど柔和で、いい意味で皮肉屋らしいウィットに飛んだパフォーマンス。ああそうか、これは陽の世界のメフィストフェレスなんだという不思議な納得感があります。他方でまた彼に演じられることによって、フィガロというのは陽気な好人物というイメージが先に立ってしまいがちなものの、ロッシーニと違ってこちらのフィガロは思いっきり自分が利害関係者なので、実は大円団までは終始怒っているんですね。そうした怒りが動力となっている人物として、ここでのヴァン=ダムはとてもリアルです。最も大きな拍手が飛んでいるのが終幕のアリアなのは、パリの観衆の物見だかさとも言えるのかもしれません。バジリオやマルチェリーナのアリアなどのカットは残念ではありますが、映像としては端役に至るまで聴覚・視覚ともに抜群(アントーニオにバスタンとは!)だと思います。 ・オランダ人(R.ヴァーグナー『彷徨えるオランダ人』) フォン=カラヤン指揮/ヴェイソヴィッチ、モル、ホフマン、T.モーザー共演/BPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1981〜3年録音 >荒々しさや暗さの際立った作品であり、この役そのものにも救済に辿り着かない亡霊の冷たいとげとげしさが求められる一方で、ヴァーグナーの中では初期の作品ということもあって歌の美しさも欲しいという中で、彼の演唱はひとつの解ではないかと感じます。もっとドラマティックに、パワフルに演じる人も多いですから最初はどうしてもやや地味な印象を持つのですが、その沈んだ色調の響きと朴訥とした語りは救いのない海の男として現実味があります。更にそこからメロディアスな歌に移っていった時も変に派手になりすぎない渋い美観があって、変に仰々しい感情過多な歌唱をされるよりも真に迫っています。同じく美声のモルとの重厚な美声での重唱は聴きごたえ満点です。 ・ヨカナーン(R.シュトラウス『サロメ』) フォン=カラヤン指揮/ベーレンス、ベーム、バルツァ、オフマン共演/WPO/1977-78年録音 >こちらもまだ耳ができていない頃に聴いて面白いと思えなかったのですが、今回聴きなおして完成度の高さに驚いた演奏です。とりわけ彼の理知的な藝風は、この預言者のキャラクターに合致しているように思います。例えばヴェヒターなどはエネルギッシュで苛烈なヨカナーンだと思うのですが、ヴァン=ダムはもっと静謐な雰囲気を湛えた高僧、渾々と人の進むべき道を説きそうな、学者風の人物になっているようです。どちらも大変ドライで、甘さのない堅物(それでもどこかに色気を感じさせる)という点では共通しているのですが、全く別の印象を与える歌唱になっています。どちらを好むかははっきりと好き好きの話になるでしょう。共演ではベーレンスが出色、バルツァやオフマンも良いのでヘロデにもう少し人を得たかった感じはします。 ・弁者(W.A.モーツァルト『魔笛』)2022.10.13追記 フォン=カラヤン指揮/コロ、マティス、プライ、グルベローヴァ、メーフェン、グリスト、ウンガー共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1974年録音 >ヴァン=ダムにはザラストロの音源もあるのですが、音域がかなり低いこともあってか弁者の方がよく歌っていたようです。実際こちらの方が彼の持ち味にあっていると思えます。もちろん声の響きの特性もあるのですが、それ以上にこの役には流麗な歌のかわりに、言葉の抑揚に従った音楽が与えられているからでしょう。まさに語りかける「弁者」であって「歌手」ではないことを体現したかのようなヴァン=ダムの演唱は、この場面の旋律が持つ控えめで誇張のない美しさをよく引き出しています(そしてそれだけ独語にも堪能ということですね)。この場面を愛したというヴァーグナーも膝を打つ名唱ではないでしょうか。穏やかで温かみのあるメーフェンのザラストロともはっきり棲み分けがなされています。 ・聖フランチェスコ(O.メシアン『アッシジの聖フランチェスコ』) 小澤指揮/エダ=ピエール、リーゲル、フィリップ、ゴーティエ、クルティ、セネシャル共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1983年録音 >正直に申し上げてまだ今の自分の耳でどう捉えていいのか苦しむ部分が多いのですが、彼が初演を行い、各地で高い評価を受けてきたこの演目を取り上げないのは片手落ちですので、紹介させていただきます。記憶に残るのはどちらかといえば打楽器や木管楽器、高弦の色彩豊かな鳥の声ですとか、オンド・マルトノが奏でる彼岸の世界の音という中で、4時間にわたって主役として質素な音形を柔和に語り続けるというのは、オペラ歌手の歌手としての側面からしても役者としての側面からしても凄まじい困難でしょう。そういう意味で、仏語での語りを最大の武器としてきたヴァン=ダムが持てる技を尽くした藝の極致を味わうことができるものと思います。彼の思索的な役作りがどれほどこの役柄に真実味を持たせたかと思おうと、映像で観ることができないのが残念です。 スポンサーサイト
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