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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百三十一夜/地上の重さから逃れて〜

あまり意図したわけではないのですが、ギオー、ヴァン=ダムと仏ものの大御所が続いております。そろそろちょっと毛色の違う人に行こうかとも思っていたのですが、奇しくも訃報を知りましてこの路線を続けることになりました。

CharlesBurles.jpg
Tonio(La fille du régiment)

シャルル・ビュルル
(Charles Burles)
1936〜2021
Tenor
France

シャルル・ビュルルの名はどれだけ知られているのでしょうか(ラジオ番組で紹介されるのを聞くとどちらかと言えば「シャルル・ブール」といった音に自分は聞こえるのですが、ここでは表記としてまだ見ることの多い「ビュルル」で通します)。正直なところ、「泣く子も黙る」というほどの知名度を誇っているとは言い難いかと思います。ご存じとすればよっぽどオペレッタに精通している方か、パリ・オペラ座の公演を念入りに集めている方、或いはあのロンバールの素晴らしい『ラクメ』(C.P.L.ドリーブ)に感動された方ならば、ご記憶にあるかもしれません。

経歴としては10歳ほど先輩のミシェル・セネシャルと近いと言えそうですが、後々述べますけれどもセネシャル翁の個性を更に尖らせたようなところがあるように思います。比較的若い時期は主役として活躍しつつ、オペラ座では長い間にさまざまな傍役、更には端役まで歌っていますから、むしろ個性的な傍役として公演に花を添えているイメージの方が強いかもしれない。

かく言う僕も『ラクメ』のジェラルドに圧倒されてはいたものの、真剣に音源を集めはじめたのは、せいぜいこの1、2年がいいところでしょう。(後日プラッソンの同作のCDで脇役のアジを演じているのに気づいて心底びっくりしました)。しかし、聴けば聴くほど改めてその実力の高さに舌を巻きます。特にライヴ録音がすごい。むしろこれだけ卓越した歌い手が、どうしてスタジオでは大きな役を残していないのだろうと思わず首を傾げたくなるような、聴く人を魅了して止まない力を持っているテノールだと言うことがわかってきます。泣く子を黙らせるのは知名度ではなく、実力なのです。

この8月ごろ、Malibranから彼が主演した『ロンジュモーの御者』(A.アダン)を入手して、あの愉悦に溢れた高音を繰返し堪能していたのですが、どうもそのころに亡くなられたようです。日本では訃報も出なければ大きな話題にもなりませんでしたからオンタイムではわからなかったのですが、なんというか不思議な縁を感じまして、少しでも多くの方に彼のリラックスした超高音を少しでも知っていただくことができたらと思っています。

<演唱の魅力>
これまでも仏ものを得意とする歌手たちをご紹介するとき、彼らの声をあらわすキーワードとして優美さや明るさ、洒脱さ、洗練を挙げてきました。ビュルルは、こうした特徴が最もよく現れている歌い手の1人だと言えるでしょう。ゲッダやセネシャル、ヴァンゾ、アラーニャといった並みいるリリカルなテノールたちの中においてさえも、耳が蕩けるような陶酔感を与えてくれると言う点で、彼は別格です。あの高音域の響きの香の煙のような気だるげな甘美さと、夢のような典雅さと言ったら!当て推量ながら現在歌っているベル・カント歌いたちのような鋭利で身の詰まった胸声とは違い、頭声と言っていい発声だと思います。今どき流行らないスタイルなのかもしれませんが、そんな頭でっかちなことを言ってビュルルの声、ビュルルの歌の快楽をなおざりにするのはあまりにももったいありません。

僕が「優美」とか「洗練」とか「スタイリッシュ」と言うときには、あまり聴衆へのパフォーマンスに傾かない人が多いように思うのですが、ビュルルについては様子が違います。歌唱その物だけを取り出してみると、楽譜に書かれていない超高音を随所に挟み込んでもいれば、お得意の高音をしっかりと引き伸ばしていていて、言ってしまえばかなり「攻めている」のです。下手をすれば「テノール馬鹿」の烙印を押されてしまいそうですが(もちろんそうした歌の楽しみもありますけれども)、不思議と嫌味な感じを受けたり、過剰な自己顕示欲に辟易させられたりはしません。押し付けがましいスポーティなスリルを生む装置として超高音が付加されるのではなくて、むしろその優美な歌の中であるべき場所に適切に組み込まれていると言う方がしっくりきます。だから聴いている側にとっては妙なストレスがないと言いますか、自然な流れの中で感情のピークに超高音の愉悦に酔うことができるのです。

真面目な役柄を淡々と歌ったとしても、例えばベル・カントや仏もののように声質にあった演目であれば十分に活躍できる極上の歌をうたえたことは想像に難くありませんが、Malibranが出している名演集(毎度ながらなんと意欲的な仕事!)に接すれば確信に変わります。正確な年代まではわからないのですが、まさか20世紀の中庸に『清教徒』(V.ベッリーニ)の悪名高いハイFを舞台で歌ったテノールがいるとは!それもどうにかこうにか苦労して出しましたという代物ではなく、自信に溢れた声を響かせているのですから驚きを隠せません。また仏もののシリアスな演目としては繰返しになりますが、スタジオで遺しているジェラルドが外せないでしょう。爽やかで秋晴れのような澄んだ明るい響きには、地上の重さを感じないと言いますか、生々しい現実とどこか乖離したようなところがあって、この夢見がちで生活感のない人物と見事に合致しています。

とは言えそのあまりにも明るく、軽い、現実味の薄い声と抜群のコメディ・センスが、ビュルルを喜劇の人として聴衆に印象づけているのもまた事実でしょう。プラッソンはオッフェンバックの3つの演目で彼を起用していますが、いずれも主役ではなく表情豊かな脇役に据えているのは、その尖った個性が最も光る場を計算した見識と言えると思います。ビュルル自身もまた、自分に求められていることがわかっているようです。上述のとおり彼はどうすれば自然さを維持できるかを弁えている歌手なのですが、プリュトン=アリステ(J.オッフェンバック『地獄のオルフェ』)では敢えてはっきりと流れをぶった斬る高音で歌うことでエキセントリックな効果を上げています。こうしたビュルルの美質が結集するのは、高音の強さをコミカルな人物の造形にそのまま繋げられるような役です。残念ながらどちらも手に入れづらいライヴですが、トニオ(G.ドニゼッティ『連隊の娘』)とシャプルー(A.アダン『ロンジュモーの御者』)を聴けば、彼の最良の時を知ることができるでしょう。

<アキレス腱>
これも上述しましたが頭声に近いと思われる高音域は、現代のロッシーニ・テナーたちの力強い胸声による超高音に馴染んだ耳にはちょっと異質と言いますか、古くささを感じるものかもしれません(それでも意外なぐらいしっかり声量はあるのですが)。ゲッダも『真珠採り』(G.ビゼー)のアリアなどで近いことをやっていますし、往年のフェルッチョ・タリアヴィーニのソット・ヴォーチェも近い世界のように思いますから、このあたりに違和感を持つ向きだと辛いでしょう。
あるいはヒロイックで荒事っぽい力感をテノールに求める方の好みにも合わないだろうと推測しますが、そうした御仁にとってはおそらくは彼のレパートリーは興味の範疇外でしょうからこの点はそこまで心配いらないかもしれません。

<音源紹介>
・トニオ(G.ドニゼッティ『連隊の娘』)
エチュアン指揮/メスプレ、フォンダリー、フレモー、ル=ブリ共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1979年録音
>この演目はCDでもDVDでも名盤と呼ばれる音源が少なからず存在しますが、僕個人はこの録音を随一に推したいです。序曲に歪みもあって音質がいいとはとても言えないものの、ドニゼッティらしい旋律の愉悦と仏ものらしい洒脱さ、そしてライヴの熱気が一体となった快演です。トニオは高音を得意とするテノールの憧れとも言える一方で、見せ場のアリアで連発されるハイCに加えて原典版は仏語なので、ただベル・カントを歌えるというだけではこなせない難役ですが、これら全てが強みであり、しかもコメディアンとしての才能のあるビュルルにとっては、自身の魅力をこれ以上なくアピールできる役と言えるわけです。その地に足がついていないつっころばしぶりは特に1幕前半で発揮されています。例えばマリーの歌う連隊の歌の合いの手の部分などは力量のある歌手がやればやるほど勇ましくなってトニオがスベってる感じが出なくなってしまうのですが、彼は声こそしっかり鳴りつつどこか頼りなげで世間知らずの坊やらしく、スュルピスたちに一喝されてしゅんとなるのも違和感がありません。当然ながらアリアも文句なし!ハイC8連発(多くの場合最後もあげるので9ですね)を終始スリリングな響きで魅了する名テノールはたくさんいますが、見せ場としての緊張感を保ちながらもこれだけリラックスした音で鳴らすことができる人は他に思いつきません。まさに、天にも昇る心地という感じです。2幕ではメスプレやフォンダリートのわちゃわちゃしたアンサンブルも楽しいですが、終盤のカヴァティーナの真摯な歌い口が1番の聴きどころでしょう。シリアスもしっかり行けるところがこうした部分で活きてきます。共演のメスプレ、フォンダリー、ル=ブリともに彼らの最上の歌唱、特にメスプレはすごいです。残念ながら手に入れるのがなかなか難しいのですがblog更新日現在でyoutubeで聴くことができますので、未聴の方にはぜひ一度触れて欲しいです。

・ジェラルド(C.P.L.ドリーブ『ラクメ』)
ロンバール指揮/メスプレ、ソワイエ、ミレ共演/パリ・オペラ・コミック管弦楽団&合唱団/1970年録音
>ビュルルの藝に触れることができるスタジオ録音として最も手に入れやすいものあり、決して多いとは言えない本作の全曲録音の中でも随一のものだと思っています。ジェラルドという男はある意味では最もテノールらしい、戀に没頭するがあまり破滅に突き進んでいく、あらすじだけ読むと共感を呼ぶというよりは苛立ちすら感じさせるような人物なのですが、これだけ耽美な歌声を聴かせられるとぐうの音も出ません。その淡くて儚い、蠱惑的な甘さを持った歌い口は、現実のラクメや彼女を取り巻く状況が全く見えておらず、彼女の棲む森が桃源郷か何かだと思い込んでいる彼をリアルに描写するばかりでなく、聴き手もその幸せに巻き込んでしまうような危うさもまとっています。残念ながら主役としての録音が多くない彼ですが、この役ばかりは当時の他の歌手に換えることはできなかったのでしょう。ここでもメスプレは絶好調でこれ以上ない名唱、ソワイエも苦々しい役を軽やかな美声と歌い口でくるんだ得難いサポート、ロンバールの華やかな音楽も夢想的なこの作品を引き立てます。

・シャプルー(A.アダン『ロンジュモーの御者』)
ブラロー指揮/サニアル、J.ドゥセ、ブリュン共演/マルセイユ歌劇場管弦楽団&合唱団/録音年不明
>彼の録音としては最も最近流通するようになったものだと思います。同時期に出たスピアーズ主演のDVDもバカらしくて楽しいのですが、力強い暗めの音色がこの中身のない軽やかな音楽といまひとつ相性が良くないのと、ちょっとその他のメンバー含めて「おバカをやってる」感じが拭えないので個人的にはこちらの方が好みです(スピアーズ自体は現役のテノールとしては最高だと思うのですが)。こちらは音しかない上に必ずしも音質良好とは言いかねるという大きなハンディキャップがあるにもかかわらず、「この人たちおバカだ」と確信させるような裏表のない潔さがあります。ゲッダもアリア集で残した1幕の御者の歌はハイDまで記譜されていて、この軽佻な作品にはそぐわないぐらい難しい曲なのですが、この超高音がそのままシャプルーのオペラ歌手としての売りとなるものであり、そのエキセントリックな人物設定そのものが笑いを誘うというところまでを、ビュルルはいささかも衒いのない清々しい歌で描いてしまうのです。これを聴いてしまうと彼以上の歌が想像できないような仮称とも言えるでしょう。共演ではここでしか聴いたことのないサニアルというソプラノが、メスプレのような可憐さと外連味を感じさせる歌でお見事です。

・プリュトン=アリステ(J.オッフェンバック『地獄のオルフェ』)
プラッソン指揮/メスプレ、セネシャル、トランポン、ロード、ベルビエ、コマン、ラフォン、マラブレラ共演/トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団&合唱団/1978年録音
>この作品のために書かれた音楽が全て収められているのだそうで、聴いたことのない旋律がたくさん登場するのは楽しいものの、プラッソン先生のテンポ設定もあってちょっと間延びした感じもある録音です。メスプレやトランポンもおっとり気味(2人とも大好きな歌手なのですが!)な中で、このドタバタ劇らしいスパイシーさを与えている人物こそ我らがビュルルで、黒幕であるプリュトンをかなり尖った歌と語りで演じています。既に述べましたがまず登場のアリステの歌からして、優雅で気持ちのいい歌だなあと聴いていると突然最後のフレーズを1オクターヴ上げて歌い出し(!)、そのまま歌い切ります(!!)。最初に聴いたときには、本当に椅子から転げ落ちそうになりました。かと思えば語りの地声は意外と低くドスが効いていて、悪役笑いなどルーニー・テューンズの世界から現れたかのような堂に行ったものです。アンサンブルでもエッジの効いた、しかし仏ものらしい物腰の柔らかさは決して失わないバランス感覚の鋭さで、映像も含めてこの役としては最高の歌唱だと思っています。共演ではいずれも以前記事にしていますけれども、やはりセネシャルのコメディアンぶりとロードの立派な世論が忘れがたいですね。

・ポール殿下(J.オッフェンバック『ジェロルスタン女大公殿下』)
プラッソン指揮/ヴァンゾ、クレスパン、マッサール、メローニ、ルー、メスプレ共演/トゥールーズ・キャピトール管弦楽団&合唱団/1976年録音
>『オルフェ』とは逆にこちらは結構カットが入っているようで、ミンコフスキ盤ではハイライトの一つと言っていい面白おかしさを見せている鐘のアンサンブルなどがごっそりカットされていますが、プラッソンの音楽運びそのものはこちらの方が闊達です。ややクレイジーな笑いを作り上げていたプリュトンに対して、ここでのポール殿下はまさしくつっころばし。優美な品こそあるけれどマッチョさや堅実さからは程遠く、軍人好きの女大公殿下のお眼鏡にはとても叶わないだろうなという情けなさを全体から発していて笑えます。お坊ちゃんらしいクープレももちろん楽しいものの、最高に楽しいのはカヴァリエ・バリトンらしい高貴さと気負いのあるマッサールと陰気なしたり顔を気取る実務家っぽいメローニとのチグハグでスピード感のある3重唱!フリッツ憎しだけで結託するおバカさが音だけでも伝わってきます。

・メネラオス(J.オッフェンバック『美しきエレーヌ』)
プラッソン指揮/ノーマン、エイラー、バキエ、ラフォン、アリオ=リュガ共演/トゥールーズ・キャピトール管弦楽団&合唱団/1985年録音
>プラッソンとのオッフェンバックの仕事でもう一つ。「エレーヌの夫」であることしか取り柄のないことを恥ずかしげもなく自己紹介してしまうおとぼけな王様を演じるには、彼の明るくすっとぼけた響きはうってつけですね。科白回しの巧みさはこちらでもしっかり発揮されていて、浮気の現場を発見して激怒するところなど、この人声優もやれたんじゃないだろうかという暴れっぷりです。そしてこちらでもバキエ、ラフォンとの3重唱が愉しい!この曲は『ギョーム・テル』(G.ロッシーニ)のパロディな訳ですが、ビュルルは引用されているアルノールの嘆きの旋律を原曲同様の悲壮な色彩で歌っていて、内容のバカバカしさとのギャップの笑いを仕込んでいます。バキエは恐らくテルを歌ったバリトンで唯一このアガメムノンも遺している人だと思うのですが、ついついあのシリアスそのものの歌唱を思い浮かべてニヤニヤしてしまいますし、仏語の節回しや言葉捌きがとにかくうまくて舌を巻きます。ラフォンもまたここでは縦横無尽の大活躍で、この人は喜劇の人なんだなと認識を新たにしました。予想外の配役に驚かされるノーマンやアリオ=リュガ含め、充実しています。

・漁夫(G.ロッシーニ『ギョーム・テル(ウィリアム・テル)』)
ガルデッリ指揮/バキエ、ゲッダ、カバリエ、コヴァーチ、メスプレ、ハウウェル共演/ロイヤルフィル管弦楽団&アンブロジアンオペラ合唱団/1973年録音
>そしてパロディ元の作品にも、彼は登場しています笑。ビュルルほどの声と技術があればアルノールも十分歌えたはずですが、父を殺した圧政者を憎みつつもハプスブルクの娘との戀に悩むという役柄があまりにもヒーロー然とし過ぎているせいか、この小さな役しか遺していないようです(次に触れる名唱集ではライヴの歌唱が入っています)。けれども、小さくてもむしろこの役の方が確かに彼の個性に合致しています。冒頭に歌うアリアは戀に焦がれつつも優しく楽しげで、祖国を憂うテルを苛立たせるには十分な暢気さがあります。ビュルルの軽やかでのびのびとした声とやわらかな歌い口がこの暢気さに合わないはずもなく、現実の危機を顧みない感じを一層引き立てているわけです。僅かな出番しかないのがもったいない気もしますが、適材適所といえる配役と思います。実力者で固められた主役たちについてはそれぞれの記事で述べていますが、ここではぜひバキエを上述のアガメムノンと聴き比べてほしいということだけは述べておきましょう。

・リシャール、ギヨー(A.E.M.グレトリ『リシャール獅子心王』)2023.5.28追記
ドノー指揮/トランポン、メスプレ、ヴァン=ゴール、ストルノット共演/ベルギー放送室内管弦楽団&I.M.E.P合唱団/1978年録音
>モーツァルトと同世代だったりそれより前の作曲家への関心が相対的に低いこともあって、グレトリも聴いたことがなかったのですがこの録音に触れてその素晴らしさに感銘を受けました。明朗な旋律と快活なリズムで実に気持ちのいい作品ですし、古いながらもこの演奏は変に重たくなることなくその魅力を伝えています。ここでのビュルルは題名役ながら救出オペラということもあって出番の少ないリシャールと、アンサンブルで僅かに登場するギヨーの2役を演じています。いずれも彼らしいリラックスした歌い口の良さが味わえますが、リシャールは背筋の伸びたキリッとした歌で堂々たる王様ぶり、対してギヨーはキャラクターテナー的な声色と表現でコミカルにという描き分けがお見事です(最初ギヨーはやたらうまい別のテノールだと思ってしまったぐらいです笑)。まとまった出番としてはやはりアリアが聴きごたえがありますが、トランポンをはじめ共演が上手いこともあってアンサンブルが楽しいですね。

・ジョルジュ・ブラウン(F.A.ボワエルデュー『白衣の婦人』)
・アルトゥーロ・タルボ(V.ベッリーニ『清教徒』)
詳細不明
>Malibranが出している名唱集は、いつものことながら詳細不明なライヴの切り貼りで必ずしも聴きやすい音ではないとは言え、全てのテノール・ファンにオススメしたい痺れる内容です。CD2枚にわたってラモーからアダンにいたるまでかなり色々な役柄を入れているのですが、特にオススメしたいのはこの2つ(いやむしろMalibranさん、これらの全曲を出してはくれまいか)。ジョルジュは強い高音を響かせているゲッダやブレイクを前にしても遜色がないどころか、彼らを凌駕する切れ味を持っている上に、セネシャルが聴かせるような優雅さや余裕さえもまとった超人的な歌唱。小気味の良い登場のクープレも胸のすく名唱ですが、やはり白衣の婦人を待つ大アリアが聴きごたえ満点、拍手がうるさいのだけが惜しいです。アルトゥーロについては何故かトラック分けされていませんが、主な出番がまとめてドカンと入っているので聴きどころは押さえられます(けどこれだけあるなら全曲が欲しいです、Malibranさん!)。彼の持ち味を考えれば想像できるとおりの、いやあるいは想像以上の力みのない、気持ちのいいベル・カントでうっとりさせられます。高音を売りにしている歌手でもえいやっと出しがちなハイC以上の音を、こともなげにスッと出していく技術の高さにはただただ頭が下がります。あのハイFをも滑らかに決めているのには、本当にびっくりさせられました(思わずスピーカーを二度見してしまいました)。ビュルルの真の実力を知ることのできる名盤です。
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