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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百三十二夜/僕はなにを聴いていたのか〜

年を明けてから一気に本職が忙しくなりました。なかなかゆっくり音楽を聴く時間も取れず困ったものです。しかもただでさえバタバタしているのに、手持ち音源リストの作成に手をつけ始めたがために、実に8ヶ月ぶりの更新になってしまいました。

なんで今更音源リストなどを作り始めたのかといえば、結局のところここでの記事を書くためです。いつも手持ち音源から主役となる歌手の音盤をかき集める作業から始めるのですが、このごろは量の面でも記憶力の面でも流石に限界になってきました。記事を書いてしまってから「あ!こんなの持ってた!」とか「これを載せていない!」と言ったことも少なからずあります。また、若い頃に触れた音源には自分の耳の未熟さで味わえていないものも多く、こんなに良いものがなぜわからなかったのかと恥ずかしい思いをすることもしばしばなのです。
せめて自分の手許にあるものぐらいはもう少し網羅的に頭に入れておきたいと思って始めはしたものの、ご推察に難くないと思いますがまあこれが大変で少なく見積もっても2年はかかりそうだなという気がしています。
そんなこんなで随分間が空いてしまったわけです。

ChristaLudwig.jpg
Ortrud

クリスタ・ルートヴィヒ(クリスタ・ルートヴィッヒ)
(Christa Ludwig)
1928〜2021
Mezzo Soprano
Germany

今夜クリスタ・ルートヴィヒを取り上げることにしたのは、そんな作業をしていたことと深く関わっています。というよりも、改めて捉え直したいという気持ちを持った、という方が近いかもしれません。

20世紀最大のメゾ・ソプラノの1人である彼女は、ご承知のとおり残念ながら昨年亡くなりました。コロナ禍中であったにもかかわらず小さからぬ話題になっていたようです。クラシックの歌手、それも海外の歌手の訃報が取り上げられることが決して多くはない日本ですらニュースになっていましたし、Twitterでも多くの追悼コメントが流れていました。当然ながら僕自身も記事を書こうとしたのですが、しばらく悩んだ末にその時は文字にすることができないと思ったのです。当時を振り返ると、彼女の本領と思える歌唱を見出せていないと感じたことが一番大きかったのではないかという気がします。そしてあの頃の僕はその状況を、僕自身がまだ彼女の膨大な録音にそれほど触れられていないこと、特に彼女の藝術の本丸であるはずのモーツァルトやR.シュトラウス、ヴァーグナーの開拓が進められていないことに依るものだろうと理解しました。いずれもう少し独ものを聴くことができれば変わるだろう、残念だし心残りではあるけれど今はまだその時ではない、十分ではない、と。

最初に述べたようにリスト作りに手をつけたのはその後しばらく経ってからです。進めながら気がついて驚くと同時にショックでもあったのが、自分がこれまでかなり多くの、幅広いルートヴィヒの歌唱に接していたことです。先に挙げたモーツァルト、シュトラウス、ヴァーグナーはもちろんのこと、ヴェルディ、ビゼー、サン=サーンス、フンパーディンク、オッフェンバックにバーンスタイン……もちろん彼女の録音全体から見れば氷山の一角に過ぎないものではありますが、一方で知らない/聴いていないとは言えないぐらいの量です。これだけ接しているにもかかわらずはっきりとした印象がないとは、いったい何事だろうと頭を抱えつつ、持っていた音源を片っ端からあたっていきました。じきにわかってきたことは2つあります。1つは特にオペラを聴き始めた頃の自分が書評に左右され過ぎて真っ直ぐに聴けていなかったこと、もう1つは僕自身が「これはいいはずだ」と思って聴き始めた演奏での彼女が、必ずしも僕にとってベストに聴こえていなかったということです。僕は何を聴いていたのかと、しばし驚くとともに係もしたのですが、同時に自分なりにはっきり死とした像を結び始めたルートヴィヒの魅力を、書きたい、書かなければという思いを強くしたのも事実で、新しい音源も確保しながら、ようやく今夜のご紹介にいたります。
うまく書けると、いいのですが。

<演唱の魅力>
この連載のタイトルがはっきりと物語るとおり、僕自身はオペラファンでしかなくてクラシック音楽や声楽には疎いのですが、母はむしろ声楽愛好家で、実家ではよくバッハの宗教音楽やシューベルトの歌曲もかかっていました。そんな環境でしたから、ルートヴィヒの名はオペラの人というよりも声楽の人として覚えていたように思います。彼女の歌は静謐な美しさと分かち難く結びつき、「派手ではないけれど、端正で、実直で、凛とした美しさのある歌い手」というイメージを、気がつけば押し付けていたのかもしれません。また、色々な方の感想を見る範囲の当て推量でしかありませんが、同じようなイメージが先行してしまっている人は、存外少なくもない気もします。

まず今回縦にしっかり聴いてみようと思ったのは、自分がごく初期に手を伸ばしてみたような演奏にもう一度当たることで、当時は気づかなかった彼女の魅力に気づくことができるのではないかと考えたからです。ところが意外なことにこれがあまりピンときません。言葉にしづらいのですが求心力に欠けると言うか、パンチが足りないと言うか……そもそも僕は低音が好きでオペラを聴いているので、渋い歌手に魅力を感じないわけでもありません。これはひょっとすると僕はルートヴィヒと相性が悪いのでは?と思い始めたところで、印象のガラッと変わる音源に出会いました。『キャンディード』の老婆役−−これを彼女の「当たり役」という人は、あまりいないでしょう。バーンスタインが英語で書いたオペレッタ(オペラという人も、ミュージカルという人もいる)のコメディ・リリーフ、しかも見せ場の歌は思いっきりタンゴなどという役を、ルートヴィヒが歌っているということ自体そもそも意外な印象を持つかもしれません。ところがどっこい、このタンゴが抜群に楽しい(笑)。この録音の時点では尊敬される老大家であった彼女が、悪ふざけとしか思えないような巻き舌英語で、嘘か本当かわからない怪しい身の上話を歌い上げるエキセントリックさに打たれた僕は、虚心に帰ってルートヴィヒで強く記憶に残っている役柄を探りました。それは独語によるカルメン(G.ビゼー『カルメン』)であり、デリラ(C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』)であり魔女(E.フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』)であって、僕が固定観念で「よいはずだ」と信じてかかっていた作品ではなかったのです。

それからはむしろ、ルートヴィヒはうんと身近になりました。僕にとっての彼女の魅力は淑やかさや実直さというよりも、若々しい力強さだとか勢い、切れ味に近いところなのだと今は思っています。狂乱といってもいいような激情に駆られた瞬間や、若さに満ち満ちた少年など、エネルギーの高い役柄、高い瞬間で聴かせる煌めきは、他の追随を許さないものです。そして、そうと定めてしまうと不思議なもので、記事を書くために新しく入手した音源でも外すことは減ったように思います。オルトルート(R.ヴァーグナー『ローエングリン』)、エボリ公女(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)、ケルビーノ(W.A.モーツァルト)……とりわけオルトルートは格別でした。一周回って結局ヴァーグナーなのかい、と思われるかもしれませが、ここでの復讐に駆られた魔女の異様な迫力に総毛立たない人がいるでしょうか。もし以前の私のように、ルートヴィヒが四角四面な歌い手だと思われている方だとしたら、些かギョッとするかもしれません。しかしだからと言って、「グロテスク」の一言に切り捨てることはできないでしょう。ルートヴィヒの持つカリスマこそが、彼女のオルトルートの魔法の源なのですから。

<アキレス腱>
メゾの歌手の多くがソプラノの役に憧れるものなのだそうで、ルートヴィヒもまた、ソプラノの諸役に挑戦しています。そうした役柄ではバッハを歌うときのような敬虔で実直な彼女が登場してくるように思うのですが、別の魅力になっているかというと……僕の感触としては成功しているとは、必ずしも言い難いように思います。華がない、というより欲しい音色で聴こえてこない、あるいは淡白すぎる印象という方が近いかもしれません。役柄が浮かび上がってこないのです。
やはり彼女は個性の強いメゾの役柄で聴きたいなあというのが、私見です。
うーん、でもレオノーレはすごく良かったのがわかったので、ひょっとすると単に向いている演目で聴いてないだけかもしれない……(2022.11.5追記)

<音源紹介>
・オルトルート(R.ヴァーグナー『ローエングリン』)
ベーム指揮/J. トーマス、ワトソン、ベリー、タルヴェラ、ヴェヒター共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1965年録音
>少なからず聴いていたはずなのに、「これだ!」という歌唱と出逢ったことで曲の理解がうんと進むという経験は、オペラ聴きならば誰しもあるのではないかと思います。今回の記事を書くにあたって仕入れたこの音盤での彼女のオルトルートは、僕にとってまさにそういった経験でした。ヴァーグナーの大家であるヴァルナイや大好きなゴールの歌唱にそそられなかったわけではないものの、脳髄に響くようルートヴィヒの魔女の前では霞んでしまいます。この音盤を聴いて2幕の短い独唱に衝撃を受けない人はいないでしょう。むせ返るようなヴァーグナーの毒に、ヴィーンの聴衆が音楽を中断するほどの拍手を送っているのももっともなことです。けれども本当にすごいのは一場面でのスリルにとどまらないことで、このあとエルザの大聖堂への入場に割っているところや、終幕ローエングリンに食ってかかるところではほとんど狂気と言ってもいいような壮絶さを見せています。この作品の裏の主役は虐げられてきたオルトルートだったのではないかと思わされるほどです。これだけ彼女が強烈だとほとんど独り舞台になってもおかしくないのですが、共演者全員高水準で絶妙なパワーバランスです。とりわけトーマスがきちんと表の主役たる力強いローエングリンを歌っているのが素晴らしい。そしてもちろん、この燃え盛るような音楽世界を作り出しているベームには賛辞を惜しみません。

・ヴェーヌス(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』)
フォン=カラヤン指揮/バイラー、ブラウエンステイン、ヴェヒター、フリック、クメント、ヴェルター共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>ヴァーグナーからはじめましたので続けていきましょう。と言いつつ初めて聴いた時から今にいたるまで、この演奏全体はどうもパッとしないというのが正直な感想ではあります。それでも敢えてここで紹介せざるを得ないほどの気を、独りルートヴィヒだけが吐いています。開幕早々これだけ男に追い縋る役も他にはないと思いますけれども、不本意な別れを前にした悲しみと怒りに揺れる心を極めて人間的に表現しながら、女神としての威厳もまた決して失っていません。愛情を裏切られた恨みから祟りを齎しているような強烈さがあるのです。彼女はスタジオ録音でもこの役を遺しており十分立派な歌なのですが、ここまでの危機迫る迫力は有していません。オペラ歌手としての実力を、舞台でこそ最大限発揮するタイプの人だったのだろうと感じます。これだけのヴェーヌスを引き剥がしていくだけの覇気がバイラーに感じられないのが非常に残念です(こちらはむしろスタジオ録音でのコロの圧倒的な輝かしさが忘れられません)。それでもこの音盤のヴェーヌスベルクの場面は必聴だと思います。

・オクタヴィアン(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)
フォン=カラヤン指揮/シュヴァルツコップフ、エーデルマン、シュティッヒ=ランダル、ヴェヒター、ゲッダ、ヴェリッチ、キューエン共演/フィルハーモニア管弦楽団&合唱団/1956年録音
>名盤として“履修”し、いっときその評価に疑問を抱き、今また改めてその魅力に酔っています。この後ご紹介する作品でもルートヴィヒは数々のズボン役を演じていますが、それらと較べてもやや女性的なテイストでこのオクタヴィアンを演じているように個人的には感じます。このバランスの妙が重要に思えていて、これによって冒頭の閨で迎えた朝やゾフィーと対面した場面、そして最も重要な場面である3幕の3重唱といった重要な音楽の陶然たる官能性がいっそう高められているようです。一転してマリアンデルとしてオックス男爵を手玉にとる3幕でのいたずらっ子らしいおふざけもまた微笑ましい……こうしたシュトラウスにこそ備わっている味わいを引き出しているという点で、彼女のオクタヴィアンは稀有なものだと思うのです。いうまでもなく共演も優れていますが、シュヴァルツコップフの濃密な言葉の扱い、エーデルマンが聴かせる絶妙な高貴と下品のブレンドがやはりお見事(実は一時期その魅力がよくわからなくなったのがこの2人なのですが、今はこれ以上のものはないように思えます)。フォン=カラヤンの卓越した手腕については言わずもがなのものでしょう。

・ケルビーノ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
ベーム指揮/フィッシャー=ディースカウ、シュヴァルツコップフ、クンツ、ゼーフリート、シュテルン、S.ヴァーグナー、ディッキー、マイクト共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1957年録音
>これを言うといろいろな人から怒られそうなのですが、ルートヴィヒになかなかピンとくることができなかった原因が、実はモーツァルトです。名盤の誉れ高いベームとのコジは残念ながら彼女のみならず音盤そのものが全く僕の感性に引っ掛からず、ギャウロフの圧倒的な活躍で大好きなクレンペラーのDGでもどうにもおしとやかすぎてエルヴィーラの尖ったキャラクターにハマっているように思えませんし、上手いとは言っても流石に第2の侍女で印象をガラッと変えるのは難しい……そんな僕にとって光明であったのがケルビーノでした。シュトラウスの作曲の経緯もあってオクタヴィアンと重なる部分が多い役ではあるのですが、明確に異なる人物像に仕上げています。もう少し歳下で、分別よりも感情が先に立つやんちゃ盛り、けれども誰からも愛される紅顔の美少年……バジリオの下世話な誹りのニュアンスを斥けて、まさしくCherbin d’amoreと思わず口をついて出てしまうような溌溂とした少年を、ルートヴィヒは作り上げています。わけても2幕のアリアが圧巻です。彼女以外がこう歌ったら、指揮者のテンポからちょっともたついていると感じてしまうでしょうが、胸いっぱいに膨らんでいる甘やかで弾んだ戀の想いがひしひしと伝わってきます。

・レオノーレ(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)2022.11.5追記
フォン=カラヤン指揮/ヴィッカーズ、ベリー、クレッペル、ヤノヴィッツ、クメント、ヴェヒター、パスカリス、パンチェフ共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1962年録音
>アキレス腱のところで書いた通りルートヴィヒは少なからずソプラノのレパートリーにも挑んでいて、この役も複数の録音があるのですが、正直なところこれを聴くまでは「優秀なメゾの藝術的チャレンジ」以上の感想は持っていませんでした。が、ここでようやくその真価を知ることができたという感じです。1幕の名アリアでももちろん緊密で切迫感のある絶唱を聴くことができるのですが、2幕に入ってからのアンサンブルには圧倒されます。ロッコとの墓掘りの歌での痛切な悲しみとひた隠した怒りにハラハラしますし、ピツァロの横暴に激怒して正体を明かす場面の緊張感の高さも特筆すべきです。この演奏を聴いてここで息を呑まない人はいないでしょう。フィナーレでのフロレスタンとの重唱もただ喜ばしいという次元ではなく、自由を勝ち取ったという誇りに溢れた勝利宣言だということがよくわかります。フォン=カラヤンの輝かしく堅牢な音楽、ヴィッカーズをはじめとした独唱陣の隙のなさを含め、この作品指折りの名演と言えるでしょう。

・シッラ(H.プフィッツナー『パレストリーナ』)
ヘーガー指揮/ヴンダーリッヒ、フリック、ベリー、シュトルツェ、クレッペル、ヴィーナー、ヴェルター、クライン、カーンズ、ウンガー、ユリナッチ、レッセル=マイダン、ケルツェ、ポップ、ヤノヴィッツ共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音
>もう1人、少年を。うってかわってこのプフィッツナーの大作は色戀とはかけ離れた藝術をテーマとした作品で、オクタヴィアンやケルビーノの出る幕はありません。けれども堅苦しさ一辺倒ではなくて、活き活きとしたやりとりや風刺をはらんだ笑いの要素が織り込まれており、シッラもまたそうした存在として登場します。この少年は夢を抱き、新しい世界に焦がれているからこそ、戀に燃える少年たちとは違う思い上がり、若さゆえに満ちている無邪気で傲慢な自信を持っているのです。ここでのルートヴィヒの純真な声はまさにうってつけと思います。そう、ここでも彼女は全く異なる少年の声になっているのです。なんと凛々しく、またあどけない響きを備えていることでしょう!あたかも本当に思春期のようです。そしてシッラの活力こそが、老パレストリーナが1幕で痛感する衰えと3幕で与える赦しにつながっていきますから、決して長いとは言えない出番であっても彼女が歌うことに大きな意味があるのです。こうして少年3役に着目すると彼女の舞台人としての卓越に気付かされますね。

・魔女(E.フンパーディンク『ヘンゼルとグレーテル』)
アイヒホルン指揮/ドナート、モッフォ、フィッシャー=ディースカウ、ベルトルト、オジェー、ポップ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&テルツ少年合唱団/1971年録音
>バーンスタインの老婆で聴きとれたような彼女のおちゃめさ、コメディ・センスを突き詰めるところまで突き詰めるとこの役になるでしょう。デイヴィス指揮の演奏でも大活躍なのですが、更にいい意味での悪ふざけが際立っているように思い、こちらを推しました。ここまでやるかという“イヒヒヒ”笑いやら極端なRの巻舌、味見でのムニャムニャなど笑えるところは枚挙にいとまがありません。この役での悪ふざけと言えばセルフ・パロディ的な怪演を繰り広げたシュライアーを思い出しますが、エキセントリック差ではやや譲ったとしても、女声で演じることによって生み出すことのできる自然さがルートヴィヒにとっては大きなプラスになります(そしてそれでも十分すぎるほどエキセントリックでもあります)。彼女のような優れたメゾが歌う低音でのドス、高音での切れ味はこの役が道化の要素を含みつつも悍ましい悪者であることも思い出させ、オルトルートにも通ずるものを持っていることを教えてくれるのです。豊麗な響き、さりとて重くならない音楽を作るアイヒホルンのセンスの良さは抜群ですし、共演もベストでしょう。

・カルメン(G.ビゼー『カルメン』)
シュタイン指揮/ショック、プライ、ムゼリー、レブロフ共演/BPO、ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団&シェーネベルク少年合唱団/1961年録音
>今となっては後付けになってしまうのですが、初めてルートヴィヒの歌唱を聴いて圧倒されたのはカルメンだったように思います。白状しますと視聴前には、彼女の独的な声質はあまりにも生真面目すぎて異質だろうなどと考えていたのですが、そんな予想は1幕を聴き終える頃にはあっさりと覆されていました。独語で歌われているにもかかわらず、南欧の明るさとロマのエキゾティシズムとがはっきりとあって、蠱惑的なファム・ファタルそのものだったのです。何度聴いてもそのみずみずしく若さに溢れた声と奔放な歌い口(しばしば挟まれる高音の刺激たるや!)には魅せられますし、言語の壁を越えたカルメンの名演であることは疑いようもありません。あんまり知らない人を含めてキャストのレベルも高いので、5重唱の愉しさは格別です。陽気なプライのエスカミーリョも聴きもの。

・デリラ(C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』)
パタネ指揮/キング、ヴァイクル、マルタ、コーゲル共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1973年録音
>今度は仏ものを続けましょう。主役3人だけ見るとヴァーグナーをやるつもりだったはずが何か手違いがあったのか?という気もすれば、いわゆる珍盤の部類ではないかなどと邪推もしてしまいますけれども、とんでもない!数ある本作の音源の中でも屈指の名盤だと思います。ルートヴィヒは上述のカルメンとは違って自由な歌い崩しなどを避けた抑えた歌唱ながら、そこには収まりきらない情念(それは例えば戀でもあり、復讐でもあり)が見え隠れします。同じように“運命の女”であったとしてもデリラの野心はうちに秘めたものであって、カルメンと一緒にはできないと訴えかけているようでもあります。ある意味でちょっと知能犯なデリラとも言えるかも知れません。尋常一様では無いキングの神々しさと生臭坊主らしい妖しさのあるヴァイクルが拮抗しているのも嬉しいところです(ここの三つ巴ができてこそのこの演目ですから)。

・母(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)
小澤指揮/ドミンゴ、グルベローヴァ、エーダー、シュミット、バキエ、モリス、ディアス、セネシャル、シュタム共演/仏国立管弦楽団&仏放送合唱団/1986~1989年録音
>もう一つ仏ものをと考えて引いてきましたが、いやしかし彼女のレパートリーの広さと言いますか、大成したあとでも小さな役で仕事をしているのには頭が下がります。当然ですがアントニアの母は筋書きにおいても、この作品でも最も盛り上がる重唱を歌うという意味においても重要な役柄ですが、それにしてもルートヴィヒほどの大物が歌っている例は少ないでしょう。還暦前後だったはずですが声の力は健在で、アントニアに呼びかける場面の神々しさは群を抜いています。第一声だけで超常の存在、この世ならぬ人なのです。一緒に歌うグルベローヴァやモリスはこの頃が一番声に脂の乗っていた時期ではないかと思いますが、衰えによる聴き劣りなど一切感じさせません。

・エボリ公女(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
クロブチャール指揮/ギャウロフ、ドミンゴ、G. ジョーンズ、パスカリス、ホッター、ツェドニク共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1967年録音
>数は多くないもののヴェルディも歌っています。彼女の土俵と違う流儀の音楽ではあるのでヴェールの歌など技術的に苦労しているところもあるのですが、これまで見てきたような情熱的な麗人が似合う彼女にとってエボリは適性のある役だと思いますし、こうして聴くことができるのは喜ばしい限りです。当然ながら美貌のアリアも緊迫感の有る名唱ですけれども、2幕でカルロたちに啖呵を切る場面の嫉妬に狂う様が鬼気迫る表現で息を呑みます。「拒絶を受けて追う女」としては上述のヴェーヌスの影も見えるといっていいかも知れません。絶好調で豊かな声をたっぷり聴かせるドミンゴと重厚で武人的なパスカリスとのバランスもよく、前半のクライマックスと言えるでしょう。全体に演奏そのものは素晴らしいのですが、パスカリスやギャウロフの出番の肝心なところに欠損や乱れがあるのが非常に残念です。

・クイックリー夫人(G.F.F.ヴェルディ『ファルスタッフ』)
フォン=カラヤン指揮/タッデイ、パネライ、カバイヴァンスカ、ペリー、アライサ、シュミット、デ=パルマ、ツェドニク、ダヴィア共演/WPO&ウィーン国立歌劇場合唱団/1980年録音
>彼女のヴェルディというとこの役のイメージという方もいらっしゃるかもしれません。まとまったアリアがあるわけではないけれど強烈なキャラクターを示してほしいこの役では、彼女の異質性とコメディのうまさがプラスに働くのは間違いないでしょう。あの魔女の底意地の悪さを活かしつつ陽気さを際立たせた感じとも言える気はしますが、ファルスタッフの元に使いとして来る部分ではそこはかとない不気味さも漂わせています。そして、これは共演陣にも言えますがアンサンブルのうまさ!老巨匠の作り上げた複雑で緻密な重唱の旨味を存分に楽しめます。

・アンジェリーナ(G.ロッシーニ『チェネレントラ』)
エレーデ指揮/クメント、デンヒ、ベリー、ヴェルター、ルーズ、D. ヘルマン共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1959年録音
>これははっきりと申し上げて珍盤だろうなと思います。独語なのはもちろんとして、本来の作品の3分の1ほどバッサリカットされていますし、序曲が終わってすぐアリドーロが謎のアリア(出典をご存知の方がいらっしゃれば是非教えていただきたいです)を歌ったり、舞踏会の場面でバレエ音楽が挿入されたりと、通してみても『チェネレントラ』を聴いた感じはあまりしません。が、しかし、この演奏はそういった留保があったとしても歌と声が立派で聴く楽しみがあるのです。「立派」というと重たすぎるのでは?という懸念も出てこようかと思います。実際ルートヴィヒにしても聴くことのできるアンジェリーナとしては最も重い部類の声ではありますが、娘らしい明るさも兼ね備えていて、変に隈取りにならず愉悦も感じられます。秀逸なのはアリア・フィナーレで、それこそモーツァルトの作品を思わせる軽やかで小気味よいコロラテューラを披露しており、若い頃の彼女はこんな歌までうたえたのかと畏敬の念を新たにします。

・アダルジーザ(V.ベッリーニ『ノルマ』)
セラフィン指揮/カラス、コレッリ、ザッカリア共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1960年録音
>カラスがスタジオ録音で遺した2つの『ノルマ』は、残念ながらいずれも彼女のピークの記録ではないと言われ、また共演についても好ましく語られることは多くないようです。今回取り上げているこの録音でよく槍玉に上がってしまうのは誰あろうルートヴィヒで、実のところ僕自身も疑問に思って今した。しかしこの音源についても改めて聴き込んでみると、むしろいったい彼女のどこが悪いのだろうか?という気持ちが湧き上がっています。なるほど確かに独的な生硬さが全くないわけではないですが、むしろこくのあるやわらかな響きは、若いけれどもぎりぎりで分別を持ち込める淑やかさを感じさせます。何よりカラスやコレッリとの声の重なりが掛け値なしに美しいのです。特に2幕冒頭のデュエットは、カラスが悪声だとかルートヴィヒが伊ものっぽくないとかそんな御託を並べるだけ野暮でしょう。

・コルネーリア(G.F.ヘンデル『エジプトのジュリオ・チェーザレ』)
ライトナー指揮/ベリー、ポップ、コーン、ヴンダーリッヒ、ネッカー、プレーブストル共演/ミュンヒェン交響楽団&バイエルン放送合唱団/1965年録音
>20世紀中葉の演奏らしい重々しいヘンデルですが、優れた音楽者たちが本気で取り組んだ演奏であるからこその荘厳な魅力に溢れています。妙な話ですが変にオペラティックになりすぎず、歌曲のように聴けるところが大きいのかもしれません。コルネーリアは嘆く役ですから、華美な装飾のない抑制された旋律をどれだけ聴かせられるかにかかっているわけですが、ルートヴィヒは丹念な歌唱で深い哀しみを表現しており引き込まれます。東山魁夷の京都の風景を観るような静かな感動があるのです。だからこそポップのヴィヴィッドなクレオパトラとは好対照を成していると言えるでしょう。パートの異動にこそ時代を感じさせますが、男声陣の充実ぶりも特筆すべきものです。

・オッターヴィア(C.モンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』)
ルーデル指揮/G.ジョーンズ、ヴィッカーズ、ギャウロフ、スティルウェル、マスターソン、タイヨン、セネシャル、ビュルル共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1978年録音
>当然こちらも演奏スタイルとしては今や時代がかったものと言わざるを得ないものですけれども、やはり捨てがたい良さがあります(大河ドラマ的な題材ということもあってちょっと『ホヴァーンシナ』っぽいぐらい)。音は今ひとつながら映像が遺っているのもありがたいです。ヴィッカーズの躁鬱っぽいネローネ(セネシャルとのバカ騒ぎっぷりも笑えます)やジョーンズの悪女ぶりも楽しいのですが、公演としては暴君に虐げられる側の演唱が秀逸ではないでしょうか。ルートヴィヒは皇后としての品格もたっぷりですし、不幸を予見した悲哀に満ちた歌が胸を打ちます。なかんずく終幕にローマへの別れを告げる場面は、ディドー(H.ベルリオーズ『トロイ人』)を想起させるような、苦味のあるかっこよさです。ギャウロフのセネカ(巨大な美声!)ともども破滅のさまが魅力的で、真の主役はこちらなのでは?などとこの作品でも思ってしまいます。

・老婆(L.バーンスタイン『キャンディード』)
バーンスタイン指揮/ハドレー、アンダーソン、グリーン、オルマン、ゲッダ共演/LSO&ロンドン交響合唱団/1989年録音
>いまだにこの自作自演盤は代表的な録音・映像でしょう。上述の通り僕にとってはルートヴィヒ開眼になった大事な1枚です笑。ここまでのご紹介で彼女がまた卓越したコメディエンヌであったことは十分に伝わっている気はしますが、それでもこの演奏でのあまりにもあっけらかんとした陽気さには驚かれると思います。僕自身も全曲の映像を持ってはいないのですが、全曲の映像を入手しました!バーンスタインやゲッダともども既に“レジェンド”だった彼女への共演、聴衆のリスペクトを感じるとともに、心から楽しそうなパフォーマンスに思わず笑みがこぼれます。youtubeにも転がっているタンゴの部分は傑作。ここだけでもご覧になってください。大ヴェテランがノリノリで歌い、踊り、カスタネットまで叩いているのがなんとも微笑ましいです。実際会場でも、隣に座っているアンダーソンが思わずファンの顔になっていますし、バーンスタインも実に楽しそう。
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