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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百三十四夜/再び歌う日を夢み〜

2022年はさまざまなことがありましたが、やはり戦争を意識せずにはいられない年でした。僕自身がいまオペラに親しんでいるのは、『イーゴリ公』と『ルスランとリュドミラ』に入れ込んだ時期があるからなので、現在のロシアの姿には大きなショックを受けています。折からのコロナ禍も含めて、オペラに限らず藝術や文化に親しむことができるのは、平和であってこそということを痛感しているところです。

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Lady Macbeth

マリア・グレギーナ
(Maria Guleghina, Марія Агасівна Гулегіна)
1959〜
Soprano
Ukraine

今日は、マリア・グレギーナをご紹介します。

ソプラノとして国際的な名声を得てきた彼女はオデッサの生まれ。此度の戦争を受けて以下のようなメッセージを発信しています。

「とても辛いことですが私はコンサートで歌うことができないでしょう、たとえそれが私の最愛の、全身全霊を捧げてきた聴衆のみなさんのためであったとしても――祖国ウクライナでの戦争が終わるまでは。昨日、彼らは私の生まれた町オデッサを爆撃しました。声は人の魂であり、痛みを感じるもので、このような心の痛みの中で歌うことは不可能なのです。」
※拙訳のため至らぬ部分はご容赦ください

壊れてしまった世界がかつての姿に戻ることはあり得ないでしょう。
しかし、新しいかたちの平和が築かれ、彼女が再び舞台に立つことができる日が訪れることは、信じていたい。祈りのような思いとともに、打鍵しています。

<演唱の魅力>
平和への願いから書きはじめたのですが、実は彼女がこうしたセンチメンタルなコメントを発表したことに、そのときの僕は驚きを覚えました。というのも彼女といえば巨大な声を縦横無尽に駆使してドラマティックな表現の限界に挑む藝風の持ち主というイメージであり、伴って演じる役もアビガイッレ(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』)であったりマクベス夫人(同『マクベス』)であったりといった好戦的な野心家、女戦士が似合うと刷り込まれてしまっていたのです。端的に言えばパワフルに戦いにいく歌とのギャップがあるように思われたのですね。

今から振り返ると苦笑せざるを得ません。あまりにも当然の前提として演じる役の言葉尻と歌手本人の思想や信条は必ずしも一致しないということがありますが、それ以上にあのようなメッセージを発さずにはいられない情感の豊かさこそが、彼女の持ち味を生み出しているものであり、選んできた役柄へと繋がっていると思うからです。ドラマティック・ソプラノのレパートリーというと女傑めいた荒々しい歌いぶりや威勢の良さがつい目につきますが、むしろ大事なのは彼女たちの持つ人一倍強い情けの深さ、想いがふるまいや言葉に溢れ出てしまうような直情性です。例えば自分の愛や感情にあまりにも素直に突き進むトスカ(G.プッチーニ『トスカ』)は、その典型としてイメージしやすいと思います。グレギーナは、やはり印象的な名演を遺しています。

この点は最初に挙げた2役でも変わりません。父とイズマエーレと、そしておそらくはフェネーナをも果てしなく深く愛し、尊敬した瞬間がなければ、アビガイッレが2幕の冒頭で計り知れないほど絶望し、怒り狂って復讐に赴くことはないでしょう。また夫への愛の有無は意見が分かれるとしても、マクベス夫人が王権への欲望に率直で、禍々しい行動を辞さない人物であることは疑いようもありませんし、その発狂も、築き上げた栄華の後ろぐらさと脆さからくる不安と罪の意識に苛まれたものと読み解くことはできるでしょう。いずれの役も実に自分の感情に素直ではないですか。ここで改めてグレギーナのコメントに目を向けると、勇ましく抗戦を掲げるようなものでこそないものの、自分の生まれた場所、育った町が受けた暴力を我がものとして受けとめた痛みを真摯に、直截に紡いだものであり、彼女の得意とする役たちと共鳴していることが感じ取れるはずです。

しかも彼女は、その人柄の個性に見合った役柄を歌うのに十分な声、ヴァーグナーを歌わないソプラノとしては最重量の楽器を持っています。また藝風としても堅実に端正に歌を磨き上げていくというよりは、感情のたかまりに乗って行くタイプで、ベル・カントやヴェルディ初期の演目であれば、高音を付加したりカバレッタにヴァリアントを加えたりといった表現に攻めていくような体当たりの歌を持ち味としています。ひとつ象徴的なのは、露ものをレパートリーとするソプラノたちが最も重視するタチヤーナ(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)をあまり歌っておらず、全曲の記録すら手に入れやすい状態ではないのに対し、リーザ(同『スペードの女王』)は音源も映像も遺しており、いずれもこの作品の代表的な演奏として知られていることです。タチヤーナはネトレプコはもちろんゴルチャコーヴァですら歌っていることを考えると、グレギーナが積極的でないことの異例さが際立ちますが、彼女の声とキャラクターに対してあまりに儚く、可憐で内向的なこの役を演じることは、自身にとっても役柄にとってもプラスにならないと考えているのではないかと推察します。

但し注意が必要なのは、グレギーナが繊細さを欠いた歌手では決してないということです。例えばノルマ(V.ベッリーニ『ノルマ』)のアリアを聴くと、荒事一辺倒ではないことがよくわかると思います。冒頭のpppppの細さと強さは比肩できるとしてカバリエぐらいしか思いつかず、声の重さを考えると技術と集中力の高さを考えると驚異的です。演技の面ではやはり当たり役のアビガイッレでの複雑な役作りが印象に残ります。3幕の前半、錯乱したナブッコとの重唱はアビガイッレの一次的な勝利宣言と理解することもできる部分ですし、実際そのように演じられることも多いのですが、グレギーナはヌッチとともにそれ以上の意味をこの場面に籠めています(このコンビの『ナブッコ』は2つありますがいずれの演出でも基本の路線は変わらないので、ある時点での彼らの統一された見解と理解してよさそうです)。アビガイッレは一見高らかに勝利を歌い、ナブッコを蔑むのですが、その表情にははっきりと葛藤が見えるのです。愛している、尊敬しているにもかかわらず父は自分を娘として扱ってくれない、しかも雷に打たれて錯乱し、強かった姿は見る影もない。そうした悲哀に押しつぶされながら、かろうじて勝利を嘯いて見せている、強がって見せているということがグレギーナの演唱からははっきりと伝わってきます(同時に、慈悲を乞い、態度を軟化させているようでありながらも、アビガイッレを娘として愛することは一貫して拒絶するヌッチの冷たさもお見事です)。このあたりの非常に知的なアプローチに目を向けずに、豪快さばかり取り沙汰して毀誉褒貶するのはフェアではないでしょう。

<アキレス腱>
これだけ激賞して来て難ではあるのですが、僕自身かなりの間捉え損ねていた人だと思います。最も大きな理由は、おそらく彼女の藝風である体当たりさに起因するであろう好不調の波です。もともと重心が低めの声ということもあって、高音を歌いにいきはするもののあたっていないことも多いですし、同様の理由でベル・カント風の作品では明らかに転がしがグダグダになっていることもしばしばありまして、低調なタイミングだととても印象が悪くなってしまう。この辺りはかなり以前ですがスコットの回でした話と近い部分はあるでしょう(声そのもののタイプは全く違いますが)。できれば絶好調の歌唱から入ると、不調の時であっても彼女なりの良さが感じられる部分が見えてくるように思います。

<音源紹介>
・アビガイッレ(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』)
オーレン指揮/ヌッチ、コロンバーラ、サルトリ、スルグラーゼ共演/アレーナ・ディ・ヴェローナ管弦楽団&合唱団/2007年録音
>1990年代から2000年代を代表するアビガイッレ歌いはグレギーナでしょう。ヴィーンでの映像とサントリー・ホールでのCDもそれぞれ見るべきところは多いのですが、このヴェローナでの映像を一番に推したいです。なんと言っても喉の調子が最高!新しい世代ではあるものの、その声質やレパートリーもあって喉が万全の状態と感じられる記録は残念ながら多くないのですが、この演奏には彼女の全ての記録の中でも最良の瞬間が収められているように思います。2幕冒頭のアリアはこの映像の白眉であるとともに、映像で観られるこの場面としてもベストでしょう(オーレンの音楽づくりがまた素晴らしいです)。また、細やかさは流石にヴィーンが勝る気はするものの、それでも野外劇場での公演とは思えない繊細で複雑な演技もお見事です。グレギーナとしてもよく役を飲み込んでいるし、共演陣、とりわけヌッチの役作りが卓越していることもあって、アビガイッレが単なるエキセントリックな烈女にならず、愛するものに愛されない哀しみから野望に燃えているというリアルな人物として立ち現れています。こうした意味で登場してすぐの3重唱も見逃せませんし、やはり3幕のナブッコとの対峙が印象に残ります。日本語字幕こそありませんが、ヴェルディアンならば絶対に外せない1枚です。

・マクベス夫人(G.F.F.ヴェルディ『マクベス』)
ムーティ指揮/ブルゾン、グレギーナ、コロンバーラ、サルトリ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1997年録音
カンパネッラ指揮/C.アルバレス、スカンディウッツィ、ベルティ、J.パラシオス共演/リセウ劇場交響楽団&合唱団/2004年録音
>ひょっとすると一番有名かもしれないMETでの映像はまだ観られておりませんで、いつか追記をすることになるかもしれません笑。1つ目に挙げたスカラ座の演奏はかなり若い頃の映像ですが、音盤化されていないことが信じられない超名演。若きグレギーナは、壮年のムーティの足早な音楽に乗ってキレッキレの歌唱を披露しています。まだ楽器そのものが重くなっていないこともあって転がしの達者さが光りますし、声が澄んで聴こえる分、高音がエキセントリックに響きます。円熟を感じさせるブルゾンの老年のマクベスに対して、若く、サディスティックで美しい夫人です。そう、ヴェルディの意図には反するかもしれませんが、これほど美しいマクベス夫人は僕は他には知りませんし、そうである意味のある舞台だと思いました。2つ目の映像も美しさは感じさせるのですが(これは女性性を際立たせている演出によるところもありそう)、マクベスとの関係が大きく違って興味深いです。立派な声と力強い歌にもかかわらずアルバレスははっきりと気弱な歳下のマクベスで、ここでのグレギーナは老練さのある姐さん女房という風情。こちらもまた恐ろしくあるのですが、若いからこそ燃やす野望ではなくて、年齢を累ねてから巡ってきたチャンスを貪欲に捉えようとしているように感じます。1997年と較べると随分重くなった声でのコロラトゥーラや高音は容易ではなさそうですけれども、無理をするのではなく歌い回しで聴かせるうまさがあるのもそうした印象を強くしていると言えるかもしれません(カンパネッラが歌手に合わせる棒だということもあるでしょう)。いずれの映像もバンクォー、マクダフ、マルコムの3人は美声且つスタイリッシュで花を添えています。

・オダベッラ(G.F.F.ヴェルディ『アッティラ』)
スタインバーグ指揮/レイミー、C.グェルフィ、ファリーナ共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/2001年録音
>いかにも彼女向きの役なのですが残念ながらきちんとした商業録音はなく、自分が入手した海賊盤は音がブッツブツに切れているものです……が、この演奏は本作の録音の中でもトップクラスの名演だと思います。アビガイッレやマクベス夫人並みの難役にもかかわらず、演奏頻度が高くないこともあって満足できる演唱に出逢う機会の少ないオダベッラですが、ここでのグレギーナはまさに理想的。しっかりとした質量のある声は必ずしも美声という響きではないものの、稠密かつパワフルなもので、父を殺された復讐を自らの手で下さねば満足できないこの異常なヒロインのキャラクターに合致しています。重さもあってやはりコロラトゥーラでは動きがぼやけてしまうところもあるのですが、それでもよく動きますし、高音やヴァリアンテを積極的に加えていくところなど、実に好戦的なこの役らしいです。共演もいいですがとりわけ第一人者のレイミーがやはりライヴらしい攻めの歌唱が見事、スタインバーグの音楽もホットでこの体温の高い作品にはぴったりです。

・ノルマ(V.ベッリーニ『ノルマ』)
リッツィ=ブリノーリ指揮/リチトラ、アルドリッチ、ヴィノグラドフ共演/マイアミ・ビーチ・ニュー・ワールド交響楽団&合唱団/2004年録音
>全体を通してすごく完成度の高い演奏かというとまあまあかなあとも思うのですが、それでも敢えてご紹介するのは、彼女の歌唱に今どき聴くことの少なくなったカラス流のドラマティックさがあり、なおかつ上述もした通り精巧なガラス細工のような繊細さに特筆すべきものが感じられるからです。とりわけ、有名な“浄らかな女神”は一聴の価値があると思います。冒頭は絹糸のような細さとしなやかさがありながら、なおかつグレギーナ一流の強さのある響きを維持したpppppで圧巻。彼女の歌が蛮勇的猛々しさを売り物としていると思っていらっしゃる方にこそ聴いていただきたいです。

・フローリア・トスカ(G.プッチーニ『トスカ』)
ムーティ指揮/リチトラ、ヌッチ、マリオッティ、パローディ、ガヴァッツィ共演/ミラノ・スカラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/2000年録音
>オペラを初めて観ると言う人にオススメするなら『トスカ』が一番良いと思っているのですが、中でもこの映像は優れていると思います。自らの感情・戀情によって悲劇に突き進んで行くこの過剰なヒロインは、時として嘘くさく浮いて感じられることもあるのですが、上述したようなグレギーナの情けの深さにはばっちりとハマっています。しかもヌッチのスカルピアが有能な警察官僚の表向きと内面の欲情と変態性を共存させた怪演なので、2人の絡む場面の演劇的に大変面白い!2幕の半ばにある探り合いが極めて緊張感の高いやりとりに仕上がっています。リチトラは演技はもう一つすが、カラッとした、しかし十分な重さのある響きの声がとても気持ちいいです。この主役たちとムーティの豊麗な音楽がきっちり張り合っているのがこのディスクの最大の美点でしょうね。

・リーザ(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)
ゲルギエフ指揮/グレゴリヤン、ゲルガロフ、レイフェルクス、フィラトヴァ、ボロディナ、アレクサーシキン共演/サンクトペテルブルク・マリインスキー・オペラ管弦楽団&合唱団/1992年録音
>早くから伊ものをレパートリーの中心としていたためか、烏国の歌手にしては露ものの録音が意外と多くないのですが、この役は音源と映像を遺しています。いずれも同じプロダクションでハイレベルなのですが、ここでは折角なので映像の方を挙げました。悲劇の気配、暗鬱とした不吉なムードこそが必要な作品ですから、仄暗い響きのグレギーナの声は最適だと思います。また、彼女の声が持つ馬力の強さが、深窓の令嬢として生活しているからこそ、その中から抜け出して「生きる」「愛する」ことを獲得しようとする執着というか怨念のようなもの表出するのにも一役買っているようです。彼女の抑圧された均衡状態を崩すきっかけとしてグレゴリヤンの輝かしいけれどもどこかに不安定な、落ち着きのなさを感じさせる声は説得力があります。彼女たちの行く末には、最初から破綻しかないということが感じられるのです。

・ゼムフィーラ(С.В.ラフマニノフ『アレコ』)
N.ヤルヴィ指揮/レイフェルクス、コチェルガ、レヴィンスキー、フォン=オッター共演/イェーテボリ交響楽団&イェーテボリ歌劇場合唱団/1996年録音
>グレギーナは上述の通りあまり露ものは歌っていないにもかかわらず、ラフマニノフのオペラ全集には起用されています。視聴してさもありなんという気持ちになるのは私だけではないでしょう。ラフマニノフのオペラは全体に低音男性への入れ込み方に較べて戀人たちの描き方が類型的な印象があるのですけれども、ここで彼女のような魅力も実力もある歌手が出てくるとバランスが取れるのです。救いのない陰惨な物語の要求に十分応える暗いエネルギーに満ちた声がしっくりきますし、いい意味での荒々しさがあってこのロマの女性に野性味を与えています。見せ場の子守唄はヤルヴィの猛然としたテンポも追い風となって壮絶な印象。レイフェルクスやコチェルガといった実力者が演ずる共演も◎です。

・フランチェスカ・ダ=リミニ(С.В.ラフマニノフ『フランチェスカ・ダ=リミニ』)
N.ヤルヴィ指揮/レイフェルクス、ラリン、アレクサーシキン、レヴィンスキー共演/イェーテボリ交響楽団&イェーテボリ歌劇場合唱団/1996年録音
>オペラらしくない構成であることもあって『アレコ』以上に演奏機会は少ないながら聴けば聴くほどラフマニノフの暗澹たる豊穣さに惹かれる作品です。第2部に据えられたバスの独白が壮絶すぎるので、第3部の逢瀬の場面でテンションが落ちてしまうこともあるのですがグレギーナとラリンはたっぷりとした美声が輝かしく、フランチェスカとパオロの法悦の一刻に圧倒されます。どうしても後半のパワフルな印象が強くなりますが、情熱に絆されるまでの心の動きの丁寧な描き方、精妙で強靭なpppなど情感においても技術においても幅の広い藝が楽しめ、短いながらもグレギーナの知的さと多才さを感じさせる演奏だと思います。
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