Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

2人のフォスカリ

そろそろ今年中に全作品聴ききることを諦めました(笑)

2人のフォスカリ
I due Foscari
1844年初演
原作:ジョージ=ゴードン・バイロン
台本:フランチェスコ=マリア・ピアーヴェ

<主要人物>
フランチェスコ・フォスカリ(Br)…ヴェネツィア総督。本作の主人公。息子を死に追いやる周りの状況をひたすら嘆くがいかんともできない可哀そうな人。ただ、この作品ではそういう面が強調されてるけど、あれだけロレダーノに恨まれていると言うことは、多分相当のことしてますよこのジジイ。全体にはそんなに劇的な役ではないが、アリア・フィナーレは感情が爆発して聴きごたえある重厚な音楽。
ヤーコポ・フォスカリ(T)…フランチェスコの息子。ヴェネツィア十人委員会の陰謀で、無実の罪(と言うことに本作ではなっている)で流刑に処されて死んでしまうという悲劇的な状況をひたすら嘆くけれども(以下略)。悲劇の人になっているものの、あれだけロレダーノに恨まれていると言うことは(以下略)。短いながらも狂乱アリアがあったり結構力量の試される難しい役だと思う。
ルクレツィア・フォスカリ(S)…ヤーコポの妻。夫や義父に起こる悲劇をひたすら嘆(以下略)。アリアも重唱もそれなりにあって見せ場は多いんだが、主役父子に較べるとどうもいま一つな扱いをされている気がする。当てられている音楽そのものは結構難しいと思う。
ヤーコポ・ロレダーノ(Bs)…フォスカリ家の政敵で彼らを仇として憎み、ヤーコポを流刑にしフランチェスコを失脚に追い込んだ張本人。なんだかこういうと大悪役みたいだが、はっきり言って端役。後年のヴェルディなら拡張したんだろうなとも思う一方、このときのヴェルディが描きたかったのは結局総督だと思うので、まあこんなもんなのかな。
バルバリーゴ(T)…ロレダーノの腹心だが、後半で情に傾き、総督のもとに赴く(ただ、展開は余計悲劇的になる)。出番は少ないけどデ=パルマみたいな演技功者にやって欲しい。
ピサーナ(S)…ルクレツィアの侍女らしいけど全く記憶にないwww

<音楽>
・前奏曲
○第1幕
・導入の合唱
・ヤーコポのアリア
・合唱とルクレツィアのカヴァティーナ
・合唱
・総督のロマンツァ
・総督とルクレツィアの2重唱

○第2幕
・ヤーコポのアリア
・ヤーコポとルクレツィアの2重唱
・総督、ヤーコポ、ルクレツィアの3重唱とロレダーノを加えての4重唱
・フィナーレ

○第3幕
・導入曲
・ヤーコポのアリア
・ルクレツィアのアリア
・総督のアリア・フィナーレ

<ひとこと>
数あるヴェルディの作品の中でも最もコンパクトな作品で、本当にあっという間に聴き終わってしまいます。物語の筋としては役柄紹介のところでも見て取れるとおりひたすら悲劇的な状況を主役たちが嘆きまくって破滅を迎えると言うもので、率直に言って展開は起伏に乏しく、それが歌劇としての華やかさを殺いでいる面は否めません。
ですが、かと言ってこの作品が取るに足らない愚作なのかと考えると、それはちょっとちょっと違うかなと。『一日だけの王様』の直前に子供を失った悲しみはこの時点でもなお彼の心を苛んでおり、ここでの総督の嘆きにヴェルディは非常に共感していたことが作品全体から伺えます。と言うよりむしろこの作品は、軸である総督の悲しみのみをクローズ・アップし、他のストーリーやキャラクターをほぼ捨象している点ではトルソーだと言うこともできると思います。父として権力者としての苦悩は既に『ナブッコ』のときに現れている訳ですが(ナブッコとアビガイッレ、フェネーナ)、この作品に於いて内面性はより深みを増し、ヴェルディの生涯のテーマの一つとして明確なものとなっていきます。総督ものの作品としては、先駆者G.ドニゼッティの『マリーノ・ファリエーロ』に端を発し、ヴェルディの後の傑作『シモン・ボッカネグラ』へと繋がっていく重要な作品です。
そのように考えた時、当然この作品そのものは若書きではなくこれ自体でしっかりと完結した作品ではありますが、最終的にそれらの作品での権力者を描いていく布石、或いはスケッチ的な役割を果たしたと言えるのかもしれません。
また楽器の扱いについても興味深く、キャラクターの明確なモティーフ(総督の登場に伴って現れるチェロの動きやヤーコポと共に現れるクラリネットの動きなど)が出てくるところです。こうした印象的な主題の利用は、この後『ルイザ・ミラー』などでも現れてきます。

そうした位置づけを考えると、やはり最も重要なのは総督フランチェスコです。ナブッコに続き、後のフィリッポ、シモンへと繋がっていく父であり王である人物として、ヴェルディの描いたキャラクターの中でも重要だと思います。ヤーコポと親子の重唱こそないものの、作中では常に息子への感情のベクトルが示されていますし、義娘であるルクレツィアとは共にヤーコポの安否を思う重唱があります。ただ、この重唱(というかこの作品の重唱全般に言えると思うのですが)は過渡期的な感じで、例えばナブッコとアビガイッレの重唱やシモンとアメーリアの重唱などに較べると印象が薄いです。より耳に残るのは、2つの独唱曲でしょう。訥々と哀しみを語る登場のロマンツァは最低限の低音の伴奏を添えたもの。このころのヴェルディはザッカリアの祈りやドン・カルロ(『エルナーニ』)のアリア、そしてこの曲と同じような形でいずれも見事な独唱を書いています。手法的には近いけれども、それぞれ全く違うシチュエーションというのも興味深いです。
音楽的に素晴らしい、全曲の白眉と言えるのはアリア・フィナーレでしょう。無実の息子が流刑に処され怒りを顕わにするところ、そしてそれを傲然と拒絶し総督に退位を迫るロレダーノたちと十人委員会(このあたりの十人委員会と総督の関係を本当はきちんと書くべきなのでしょうが、私にはその力はないのでここでは割愛します>_<)とのアンサンブルは非常に聴き応えがあります。ここでの息子を返せという総督の懇願には、ヴェルディの魂が宿っています。この姿には娘を返せと迫るリゴレットが透けて見えますし、ここでの大芝居はシモンに通じるものを感じます。声楽的にも演劇的にも力量のあるバリトンに演じて欲しい役です。

これに較べると残りの役は主役2人を含めて書割的です。このあたりが、この作品がトルソー的な印象を与える原因なのでしょう。
とは言っても、ヤーコポは種類の違うアリアが各幕1つずつある結構大変な役です。開幕してすぐのアリアはカヴァティーナ・カバレッタ様式に則ったスタイリッシュなもので、彼が誠実な人間であることを伺わせ、先の無情な展開を際立たせています。2幕冒頭は一種の狂乱アリアで、物語的には何であるのかよくわかりませんが(敢えて言うなら彼の精神の耗弱っぷりを表すというところでしょうか)、音楽としても演劇としてもドラマティックな場面で歌手の力量が試されます。3幕のアリアはルクレツィアやロレダーノ、それに合唱も積極的に絡んでくるのでアリア感はあまりありませんが、劇的ではあります。ここでは父への思いも口にされ、この作品が家族の悲劇であることを感じさせます。何もできずに流刑に処されてしまうなよっとした役どころではありますが、テノールの役としては奇跡的なぐらいまともなキャラクターかもしれませんw
ルクレツィアは夫に較べるとまだもう少し物語的に活躍する部分もあって、陳情を出したり夫の死を義父に伝えたりなんてところはなかなか劇的です。アリアは2つあって悲惨な運命を嘆くものと夫の死に復讐を誓うもので、いずれもドラマティックだとは思うのですが、これもまたちょっと過渡期的な印象で、聴きごたえはあるけれども耳には残りにくいかなぁ^^;というかですね、この作品構成としてこの夫婦のアリアがちょっと多すぎる感じなんですよね。3幕のルクレツィアのアリアなんてもう1回総督との重唱にしても良かったんじゃないかと言う気もしますし。ただ、歌うのはこの役もかなり技巧的で大変だと思います。また、ルクレツィアは最後に血の復讐を求めていますが、『シモン』のアメーリアはそこで和平を求めており、この緊密な2つの作品間でのキャラクターの意味付けの変容は大きいように思います。

敵役のロレダーノは上述のとおり作品としては出番も少ない小さな役。ただ、その短い登場の範疇で冷酷非道な復讐の喜びに歪んだ人格を示さなくてはいけないので、そういう意味では難しいかもしれません。ただ、総督を描きたかったこのときのヴェルディにとって見るとこのぐらいの扱いでも十分だったのかもしれませんが、こうした歪んだ人物像にのちのイァーゴやパオロ、ヴルム、或いはここでもリゴレットの影を見ることはできるように思います。また、男性合唱はロレダーノ側として登場しますが、これまでの作品と比べてもかなり性格的で不気味な雰囲気が漂っており、彼らは一体となってフォスカリ家を追いつめていきます。そういう意味ではかなり印象的な“悪役”としてこの合唱がいるとも取れるでしょう。
そんな中で本当に端役で筋書き的には殆ど装置と言ってもいいように思いますが、バルバリーゴは結構重要ではないかと思います。結果的には悲劇をより深めるものとなったものの、彼のみが最後に総督に憐憫をかける訳で、上記の他の悪役とは明らかに立位置が違います。脇役テノールでも巧い人にやってもらわないと現実味のない「書割」になってしまいますが、なかなか難しいですね^^;

<参考音源>
○カルロ=マリア・ジュリーニ指揮/フランチェスコ・フォスカリ…ジャン=ジャコモ・グェルフィ/ヤーコポ・フォスカリ…カルロ・ベルゴンツィ/ルクレツィア・フォスカリ…マリア・ヴィターレ/ヤーコポ・ロレダーノ…パスクァーレ・ランバルド/バルバリーゴ…マリオ・ベルジエーリ/RAIミラノ管弦楽団&合唱団
>1951年と古いライヴ録音ですが、当時20代だったいずれも1924年生まれの名手たちの共演を楽しむことができます(今の若者公演みたいな感じだったんですかね^^)。比較的手に入りやすいものの中で、ライヴらしい熱気を楽しみたいならこれが一番かと。グェルフィは押し出しのいい声で貫禄ある総督を演じています。力強さが持ち味の彼ではありますが、アリア・フィナーレではちょっと抑え目にすることで、息子を返して欲しいと言う思いが却って切々と伝わってきます。蓋し大熱演でしょう。知ってる人は知っているヴィターレもドラマティックな歌声を駆使してスリリングな歌唱。かなり重たい声ですが、意外なぐらい機動力もあって感心します。そしてベルゴンツィ!ここではライヴでの彼の良さを発揮していて、いつもの堅実で整った歌唱にアツいパッションが乗っかって素晴らしいです。2幕の狂乱ぶりなどとても見事。ベルゴンツィ優等生歌唱信仰のある方には是非聴いていただきたいですね(笑)カットもあってロレダーノは殆ど出番なしですが、まあ別にどうでもいい感じ。バルバリーゴも魅力薄。と言う訳でやはり主役3人を聴くものでしょう。ジュリーニの指揮も後年のようなのたのたした感じはなく、聴ける範囲では悪くないかな。音はお世辞にもよくありませんが、歌手の声は近いですし、ライヴ録音を聴きなれている人なら十分に楽しめるかと思います。

○ランベルト・ガルデッリ指揮/フランチェスコ・フォスカリ…ピエロ・カプッチッリ/ヤーコポ・フォスカリ…ホセ・カレーラス/ルクレツィア・フォスカリ…カーティア・リッチャレッリ/ヤーコポ・ロレダーノ…サミュエル・レイミー/バルバリーゴ…ヴィンチェンツォ・ベッロ/墺放送交響楽団&合唱団
>一般に一番勧められるのはこれでしょうね、カットも殆どなさそうですし^^全てが揃った音源と言っていいと思います。圧巻はカプッチッリでしょう。シモンで一時代を築いた彼らしい、大物感のある総督です。彼一流の渋みの効いた演唱には痺れます。音がいい分ロマンツァも楽しめますし、やはりここでもアリア・フィナーレが見事。カレーラスは一番いい時期だったんでしょう、彼のヴェルディの中ではドン・カルロと並びベストの出来と言っていいと思います。また、彼の如何にも幸薄そうな雰囲気が役柄にもぴったりです(褒めてます)。なよなよめそめそしたイメージの強いリッチャレッリもこのあたりの作品にもっと軸足を据えていればよかったんじゃないかなと感じさせる名演です。ヴィターレほどではないものの意外なほどパワフルに聴かせています。レイミーはヴェルディじゃないと何度かこのブログでは書いていますが、流石にここでは不満無し…っていうかはっきり言って役不足じゃない^^;ベッロは聴いた限りでは一番いいですが、もっと巧く歌える人もいるんでないかな?という気もします。と言っても不満と言うほどのものではないです。ガルデッリはいつも通りの堅実なもので、オケも合唱もなかなかの水準だと思います。普通に愉しむ上でも充分ですし、まずは曲を知りたいという向きにもお勧めできるものでしょう。

○ネッロ・サンティ指揮/フランチェスコ・フォスカリ…レオ・ヌッチ/ヤーコポ・フォスカリ…ヴィンチェンツォ・ラ=スコーラ/ルクレツィア・フォスカリ…アレクサンドリーナ・ペンダチャンスカ/ヤーコポ・ロレダーノ…ダニロ・リゴーザ/バルバリーゴ…レオポルト・ロ=シウト/ナポリ・サン=カルロ歌劇場管弦楽団&合唱団
>本作を映像で楽しむ上では手に入りやすく、演出も穏当なもので悪くないものです。ただ録音に難があって歌手たちの声の響きが些かきつくなってしまっているのが残念ではありますが。ヌッチのこの役を映像で楽しむことができるのは、財産と言ってもいいでしょう。いかなグェルフィとカプッチッリが素晴らしくても、彼らは映像では残っていませんし、ヴェルディ・バリトンの歴史の中でも演技功者として知られるヌッチは、やっぱり映像で観たい。そしてその期待通りの活躍ぶりで楽しませて呉れます。この作品だとどうしてもアリア・フィナーレに注目してしまう訳ですが、息子の死を知らされてから自らが死ぬまでの演唱は非常に素晴らしく、息をするのも忘れて見入ってしまいます。ラ=スコーラは声が大分重くなってしまった後のものではあるのですが、ここでもスタイリッシュで端正な歌作りに好感が持てます。こういう感じだとあらぬ疑いをかけられた無罪の人らしさがあって、無理がありません。ペンダチャンスカはいまいちで、東欧系のヴィブラートがあるのですが、一度気になってしまうと結構気になりますし、転がしもちょっともたついてる(サンティは確かに速めではあるのですが)。ヌッチと並ぶと同じ棒立ち演出でも演技力の差が見えてしまいます。リゴーザは歌や容貌、演技も含めて憎々しい悪役を好演しており、カットが残念なぐらい。対してロ=シウトは緊張があったのか指揮ばかり見ていて、かなり違和感があります。オケや合唱の音もきつめになっていますが、サンティの指揮は伊的で結構好きです。テンポ取りが結構サクサクしていて、上記の音源の重厚路線を聴いてからだとびっくりしますが、初期ヴェルディとしてはこれもいいんじゃないかなと。
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