Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

『あまちゃん』と宮澤賢治

そろそろほとぼりも冷めて「じぇじぇじぇ!」の氾濫も収まってきたところなので、ちょっと書いてみます。

昨年放送されていたNHK朝ドラ『あまちゃん』は、宮藤官九郎の独特のセンスのある世界が盛大に展開された朝ドラらしからぬ作品であったが故、好き嫌いが大きく分かれるものだったように思います。僕は非常にこれ好きで、毎朝楽しみで観ていました(とは言え東京編の地下アイドル時代のあたりは観ていない部分も多いのですが^^;)。クドカンさんの筆は全編冴え渡っていて、作品としても作品の中の仕掛けとしても凄いなあと思う面は枚挙に暇がないのですが、僕としてはやはりこの作品と賢治との関係が非常に気になっています。ところが、ネットを見てみてもあまりそこを深く言及している人はいない模様(多分僕の探し方が悪いんですが^^;)。なので、これについて僕が考えていることを徒然なるままに。

(1)『あまちゃん』と賢治の無関係性
上で関係性と言っているのに、いきなりのっけから「無関係性」の話で何じゃらほいと言いますか、言ってること違うじゃないかと思われるかもしれませんが、暫しご堪忍を。そもそもの部分で勘違いをされている方がかなりいらっしゃるようですので。。。

「『あまちゃん』の舞台は岩手県だから、同じ県の偉人もカメオ出演させちゃえ!」というような発想で関係している、というほど単純な話ではないと思います。ひとつには、後述しますが賢治を絡めている手法があまり直接的でないこと。そしてもうひとつ重要なのが、『あまちゃん』の舞台のモデルとなった久慈と賢治が中心に活動した花巻や盛岡がかなり離れていると言うことです。地図でご確認いただければと思いますが、久慈花巻間は直線距離で言えば東京から水戸ぐらいの距離感があります。また、震災後の交通の遮断による影響もありますが、花巻から久慈まで例えば電車で行こうとすると4時間以上かかります!水口の科白にもあるとおり、岩手は広いのです!ちょっとこれだけの距離感のものを、作品同士はあまり関係ないけど同じ県内だからという理由だけで単純に繋げるのは、やや唐突な印象を否めません。
これで賢治が久慈で長期滞在した記録があったり、逆にアキやユイが花巻で長期ライヴをやる話があったりすればまだなんとなくわかる訳ですが、いずれもありません。

(2)音楽から示唆される賢治
『あまちゃん』が賢治と関係すると言われるのは、その音楽からです。
むしろ、全編通して、明確に賢治を意識していることを指示しているのは、BGMしかありません。不勉強で申し訳ないのですが、脚本と音楽がドラマに於いてどのぐらい関わりがあり、どのように仕事をするのかわかっていません^^;が、中身と照らし合わせて行く限り、少なくとも今回の場合はがっぷりと一緒に仕事していないとこうはならないような気がしています(今回は言及しませんが『いつでも夢を』と夏のエピソードなどもそれを感じられる例)。

マグロ漁で世界中をめぐっている忠兵衛が最初に登場するエピソードで初登場するのが、賢治が作詞作曲したことで知られている『星めぐりの歌』です。忠兵衛がアキに世界中のさまざまな風物を見て回るのは、北三陸を出たことがない夏にここが一番だと教えるためだと語る場面で初めて流され、その後このテーマは重要な場面で繰り返し登場しています。

音楽として賢治に関わりそうなのはもうひとつ、これも繰り返し登場する大事なテーマですが、ゴダイゴの『銀河鉄道999』。北鉄と関わる場面で何度か登場する重要なテーマです。

『星めぐりの歌』は、賢治ファンが聴けばすぐ「あ!あれだ!」とわかるような代物ではあります。が、一般的な知名度がそこまであるかと言うと恐らくそうではないでしょう。“岩手と言ったら賢治”ということを押し出すにしては、随分控えめな印象です。『999』なんかはもっと単純に言えなくて、賢治に関係すると簡単に大見栄切って言うと怒られそうです^^;これは賢治の『銀河鉄道の夜』にインスピレーションを得た松本零士の同名の漫画のマンガのテーマであり、賢治の作品そのものにちなんだものではないからです。ここでも“岩手と言ったら賢治”にしては押しの弱い主張です。
これはどちらもこの弱い押しから何となく岩手っぽい賢治っぽい雰囲気が醸されればいいや~という次元で一部の人向けに発せられたスパイス程度のもの、中華風だからごま油使ってみましたみたいな次元のものなのでしょうか。

個人的にはそれにしちゃどちらも重たく扱われてないかい?と思うのです。

(3)『双子の星』と『銀河鉄道の夜』
『星めぐりの歌』は賢治にとっては思い入れのある作品だったようです。単独の作品であるのみならず、賢治の有名な童話『双子の星』と『銀河鉄道の夜』というふたつの作品で登場しています。更に、『双子の星』のエピソードにも『銀河鉄道の夜』の中で言及があります。これらは非常に緊密な関係のある作品です。

賢治には、大変仲の良い妹トシがいたことは、ご存じの方も多いのではないでしょうか。賢治は彼女を大変可愛がっていましたが、彼が26歳の時に病死してしまいます。彼女の存在や彼女の死は作家にとって大きなものであり、『永訣の朝』や『ひかりの素足』など多くの作品にその影響を見ることもできます。『双子の星』と『銀河鉄道の夜』もその例に漏れません。『双子の星』の主役である天の野原で笛を奏でる双子の星チュンセ童子とポウセ童子、『銀河鉄道の夜』の主役として空を旅する軽便鉄道に乗るジョバンニと最後には別れてしまう友カンパネルラは、いずれも賢治とトシがモデルとなっているとされています。この2人の主役というのが、『あまちゃん』との関わりの大きなミソです。

『あまちゃん』の主人公はアキということになっていますが、実際には群像劇とも言うべき作品で、たくさんの主役を見出すことができると思います。少なく見積もっても夏、春子、ひろ美、そしてユイは主人公と見なすことができるでしょう。

アキとユイ。『あまちゃん』の世界をひっかきまわしていく2人の主役は、『双子の星』と『銀河鉄道の夜』での2人の主役と重ねてみることができるのではないでしょうか。

『あまちゃん』のひとつの軸になるのが、アイドルを目指す2人の奮闘譚です。アイドルは北三陸市のような地方にとっては、華やかな存在。地元を賑わすご当地アイドルは、まさに地元の2人のスターです。「スター=星」即ち「歌や踊りを披露する2人のスター」は「笛を吹く双子の星」の姿にそのまま繋がっていきます。更に、「2人で東京でアイドルになる!」と言って出発するも結局は東京にたどり着くことができないユイという設定も、「どこまでもどこまでも一緒に行こう」と言いながら旅を続けることなくジョバンニの前を去るカンパネルラと重なって見えてきます。
この2人の主役を、クドカンはもっと捻った形で変奏していきます。「2人でアイドルを目指し、夢を叶えたアキと挫折したユイ」というテーマとまずダブってくるのは岩手から芸能界を目指した2人、アキの母春子とひろ美です。歌と言う才能を持ちながら開花できなかった春子と、あまりの音痴ぶりに春子の歌と運で以て成功を掴んだひろ美。成功を掴んだものと掴めなかったものと言う両者の関係性は、アキとユイの関係に繋がります。この2人はいずれもアキたちとは異なり、本来的にはスターとして必要な条件を欠いており、欠いているからこそ2人はセットの主役だと言えます。もっと言うのであれば、その春子の両親である夏と忠兵衛にも、アキとユイの姿を見ることができます。北三陸を出たことがないユイのためにあちこち渡り歩いて、ここが一番だと教えてあげると言うアキのことばは、物語の序盤で夏のために世界を渡り歩くと言った忠兵衛のことばから繋がってくるものです。そして、この忠兵衛の語りの場面で初めて『星めぐりの歌』がかかっています。世界をめぐる忠兵衛・アキの姿と星めぐりが重なってきます。これらが無意味になされているとは思えません。
「3代前からマーメイド」とひろ美が歌ったとおり、夏・春子・アキにはそれぞれセットとなる忠兵衛・ひろ美・ユイがおり、彼らは3代の“双子の星”なのです。

アキとユイが東京を目指すのに用いようとした手段は、バスを試したこともありましたが結局は北鉄でした。その北鉄に乗って行ったアキと乗って行けなかったユイがジョバンニとカンパネルラであることについては既に言及しましたが、そう考えると北鉄が銀河鉄道であると言うことも見えてきます。本編から離れますが『999』のテーマについては賢治との関係だけではなくいろいろな要素が絡んでいて、楽曲そのものが1979年の作品であり春子の青春時代と現代を繋ぐものであると言うこと、歌詞と復興のイメージのリンク(北鉄運転再開の際に流れる)など考えられることはたくさんあります(恥ずかしながらマンガを読んでいないのですが、その内容とも無関係ではなさそう)。北鉄とともに『999』がかかるのは、単に鉄道をモチーフにした楽曲であることやその曲調からではなく、物語上の必然なのです。
やや穿ち過ぎかもしれませんがそうして見て行くと、北鉄周りには銀河鉄道めいたものもちょこちょこ存在しています。菅原のジオラマと黒曜石でできた地図、小田の琥珀採掘場とプリオシン海岸、ウニを捕る海女たちと鳥を捕る人、震災でユイと大吉が乗った車輛の止まったトンネルと石炭袋などなど。

(4)まとめ
以上のように考えて行くと、やはりクドカンはかなり意識して『双子の星』と『銀河鉄道の夜』の主題を織り込んでいるようです。それもおおっぴらにはならないように意識して。2人の主役が密接に関係する『双子の星』と『銀河鉄道の夜』を前面に出すことなく両作に関わりのある『星めぐりの歌』で匂わせたり、『銀河鉄道999』という別作家の作品をクッションとして間に挟んだり、というのはいずれもかなり手の込んだことです。花巻さんの科白を借りるなら「わかるやつだけわかればいい」ということになるのでしょうが、それにしても何故ここまでして北三陸こと久慈とは直接の関わりのない賢治を本作に絡めたのか(「わかるやつだけわかればいい」というのがまた“花巻”さんだというのも何となく示唆的です)。

クドカンはインタビューで、本作の最後1ヶ月は“岩手讃歌”だというような趣旨の発言をしているそうですが、シーズン通して観てみても本作はやはり“岩手讃歌”、“地元讃歌”だと言えると思います。しかしこの物語の枠で語られているのは、結局は広い岩手県のほんの一部、久慈の復興エピソードです。普通にやっても充分面白いドラマになり得るとは思いますが、もっとコンパクトな印象になったのではないかと思うのです。ここからもっと拡げて、この物語が岩手の物語であるということを主張したいと考えたときに、隠し味として賢治の童話を組み込んだのではないかなぁ、というのが僕自身の解釈です。結果としてこの作品の持つ汎用性は上がったような気がしますし、キャラクターにもエピソードにも広がりができています。

今回は僕の興味の対象である賢治という観点のみから『あまちゃん』というドラマを見てみた訳ですが、クドカンは恐らくこうした仕掛けをもっとこの作品に用意しているように思います。脚本家の本気が垣間見える本作は、単なる流行りのドラマで片付けるには勿体ない作品だと言えるでしょう。表面的な小ネタ部分だけではなく(もちろんそれもこの作品の魅力ではありますが笑)、根幹の部分で凝りに凝った作品なのですから。
スポンサーサイト

宮沢賢治 | コメント:2 | トラックバック:0 |
<<オペラなひと♪千夜一夜 ~第六十一夜/パリの伊達男~ | ホーム | かはくの展示から・恐竜展特別編~第18回/まとめ>>

コメント

クドカン自身の出身が近いのも、気合いの入り方に何らかの影響を与えたのか。
2014-02-28 Fri 21:11 | URL | 銀狐 [ 編集 ]
> クドカン自身の出身が近いのも、気合いの入り方に何らかの影響を与えたのか。

それは間違いなくあると思うなぁ。震災後の実感の入り方は半端なかったし^^
2014-03-01 Sat 08:52 | URL | Basilio [ 編集 ]

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |