Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

マクベス(初演版)

マクベス(初演版)
Macbeth
1847年初演
原作:ウィリアム・シェイクスピア
台本:フランチェスコ=マリア・ピアーヴェ、アンドレア・マッフェイ

<主要人物>
ダンカン(黙役)…スコットランド国王。史実でのダンカン1世。マクベスに王位を簒奪される。「黙役」となっているものの、登場しない演出もありそう。この作品は伊語なので「ドゥンカーノ」と呼ばれたりしていて、誰それwwwってなります。
マクベス(Br)…蘇国の武将、のちにダンカンを弑逆し国王となる。史実でのマクベタッド・マク・フィンレック(有能な王様だったらしい)。魔女の予言と強烈奥さんに振り回されて、人生がエラいことになってしまった人。ヴェルディ作品の暴君の系譜に入れて考えられることも多いけれど、思い悩むこと甚だしい非常に内面的な役で、あんまり暴君と言う感じではないというか、アッティラ以上にナヨナヨwただ、原作シェイクスピアなのでそのあたり描き込みは格段の差だが。初演版では幻影の場が実質狂乱の場と言うべき大規模かつ歌の求められるもので、ベルカントの素養も必要だろう。一方でより新しいスタイルを模索したと思われる死の場面や独白もあるため、かなりの演技力も求められる。そういう意味では、改訂後より初演版の方が難しいと言えそう。この作品は伊語なので「マクベット」と呼ばれていたりしていて(以下略
マクベス夫人(S)…彼女はマクベスの奥さんである。名前はまだない。というかない。が、原作同様強烈なキャラクターで実質的な主人公と言ってもいい。マクベスが受けた魔女の予言の話を聞いて、本人以上に火がついて手段を選ばずに権力に走って行く恐ろしい女だが、一方で最後には後悔に苛まれ、衰弱して死んでいく。アビガイッレと非常に関係が深い役だということができそう。初演版ではアリアが1つまるまる全く違う音楽で、音程も高く転がしも多いので、よりソプラノ向きでしょう。この改訂前アリアは華やかなベルカント流儀のものなので、ヴェルディの意向を考えればアリアの差替えは納得いくもの。改訂後と比べても役の比重は変わっておらず、超難役。
バンクォー(B)…蘇国の武将。この人も史実の人物だと言う。息子が国王になると魔女に予言されたことが災いし、マクベス夫妻に恐れられ、暗殺される。前半で殺されてしまうため、意外なぐらい登場場面は少ないのだが、マクベス夫妻の恐怖を納得させるだけの風格が欲しい。また、大シェーナでの完成度の高い不安感のある音楽をきっちり再現できねばならず、どことなく不吉な雰囲気を湛えている感じも必要。この作品は伊語なので「バンコ」と呼ばれているが、これはわかりやすい。
マクダフ(T)…蘇国の貴族でファイフの領主。マクベスに妻子を殺される悲劇の人だが、最後には仇を討つ。カッコいいどころの役のような気もするんだが、扱いは軽くて出番も少ない。っていうかアリアのカバレッタなんてマルコムとずっとユニゾンだし^^;原作での出番もそもそも少ないのだが、初演の時のテノールがへっぽこだったからといわれてはいる。けど、後年の大規模な改定含め、ヴェルディはかなりこの作品に手を入れているらしいということを考えると、あんまりこの役を重要視してなかったということがむしろ大きいような気がする。妄想ですが笑。この作品は伊語なので「マクドゥッフォ」と呼ば(以下略)
マルコム(T)…ダンカンの息子。マクダフとともに父の敵を討つ。敵を打つのはいいんだけど、のちにバンクォーの子孫が王になるんだよね?この人どうなるの?マクダフの負担が軽減されている分脇役テノールの割には歌う分量が多い。
医者(B)…夫人の夢遊の場の解説役。スピードワゴンではない。
侍女(Ms)…夫人の夢遊の場の実況役。シュトロハイムではない。
フリーアンス(黙役)…バンクォーの息子。バンクォーのシェーナの後走って逃げる演出も多い。彼の子孫がステュアート朝を開いた

<音楽>
・前奏曲
○第1幕
・魔女の合唱、マクベスとバンクォーの2重唱
・マクベス夫人のカヴァティーナ
・行進曲
・マクベスの独白
・マクベスとマクベス夫人の2重唱
・フィナーレ

○第2幕
・マクベス夫人のアリア
・暗殺者の合唱
・バンクォーの大シェーナ
・マクベス夫人の乾杯の歌と祝宴の場

○第3幕
・魔女の合唱
・マクベスの幻影の場

○第4幕
・合唱
・マクダフのアリア、マクダフとマルコムの2重唱
・マクベス夫人の夢遊の場
・マクベスのアリア
・戦いの音楽
・マクベスの死

<ひとこと>
ヴェルディ自身が最も愛着を持っていたという作品で、長きに亘り手を入れていたと言います。現在は後にオペラ座での公演用に改訂した版が専ら演奏されますが、ここでは初演版。
はっきり言えるのは、この初演版はもっと上演が増えて然るべき、非常に充実した作品だということです。前作の『アッティラ』もこの時期では比較的出来のいい部類の音楽がついているようには思いますが、比べ物になりません。

改訂後の話は改訂版でなるべくしたいとは思いますが、改訂版は有名作ですし、どうしてもそこを較べた話が多くなってしまいますが、まず言えるのは改訂版の重心がかなり夫人寄りなのに対し、この初演版ではマクベスと夫人の両者、或いはむしろマクベスの方に重心が載った作品だということが言えると思います。恐らくはスタイルの問題はもちろんのこと、改訂版初演の地パリの趣味の問題やヴェルディの興味の対象がやはり夫人の異常性にあったということでしょう。ヴェルディの後年の志向から行けば、むしろ最後はあっけらかんとした合唱ではなくマクベスの死を選びそうなところをわざわざ改訂しているというのは、そういうことなんじゃないかと思っています。
スタイルということばを遣いましたが、初演版はまさに過渡期の作品ということばがふさわしいでしょう。ベルカント作品を引きずっているところがかなり見られます。それは例えばマクベスの幻影の場面や、2幕の夫人のアリアあたりに顕著ですが、2重唱の後半の展開部にもそうした傾向が見えます。面白いのは改訂版ではこのあたりのはっきりベルカント流儀の部分をバッサリ直しているところですが、そのあたりは改訂版の折にでも。一方でかなりモダンで後の作品を予感させる部分もあって、その最たるはマクベスの独白でしょう。旋律的と言うよりはとぎれとぎれの語りというべき風情で、糸を張ったような緊張感があります。リゴレットの独白や、更に先のファルスタッフをも感じ得るところでしょう。

初演版のマクベスは、ヴェルディ屈指の難役だと思います。改訂版よりも劇中の比重が大きいということに留まらず、過渡期の作品らしく伝統的な音楽から意欲的な音楽までさまざまなスタイルのエッセンスが垣間見られるからです。改訂版のマクベスもヴェルディ作品では異色な要求のある役ではあるのですが、それに加えてベルカントも必要というのはかなり過酷でしょう。最もベルカント的なのは、後の改訂で大きく変更される幻影の場でしょう。ここは例えばアッスール(G.ロッシーニ『セミラミデ』)やタッソー(G.ドニゼッティ『トルクァート・タッソー』)の狂乱の場と関係の深い音楽だと思います。前作アッティラのアリアも同じような傾向にあります。そういう意味では伝統的なスタイルだとは思うのですが、ここの部分の完成度は関連するこうした作品に劣らない、極めて高いものと言っていいと思います。特に完全にカットされているカバレッタは暗いドラマティックな迫力があり、ヴェルディが低音陣に書いたカバレッタの中でもトップクラスの出来ではないでしょうか。また、同じく改訂版でカットされる死の場面は、これとは逆にうんとモダンで簡潔な音楽です。改訂版でのカットはちょっと先に行きすぎた?ということなのでしょうか。ここの部分はむしろこちらの版の方が作品全体の雰囲気にも合致していると思います。この2か所を聴くためだけでもこの初演版を聴いて損はありません。独白の先進性は既に上述したとおりですが、この時期に朗々とした歌ではなくドラマティックな語りに仕上げているというのは特筆に値するでしょう。有名なアリアは比較的伝統的なスタイルで書かれたカヴァティーナですが、カバレッタを伴わず、このあたりにもヴェルディの苦心が見てとれるようです。作曲家らしい流麗な旋律を聴かせる歌で、名旋律と言うところではマクベスの最大の見せ場でしょう。こうして見るとベルカントを心得て流麗に歌わなくてはいけない一方、演劇的な表現力をも問われる先進的な音楽表現もしなければいけない、初演版のマクベスの難しさが見えてきます。

対して夫人は初演版でも改訂版でも同じような難しさを持っている役だと言えるように思います。上述のとおりアビガイッレの延長線上にあるというべき野望の女で、突っ込んだところは改訂版のところで書こうと思いますが、力強い迫力のある声で超絶技巧をこなさなければいけない超難役です。性格的に改訂版と異なるのは、差し替えられた2幕冒頭のアリアで、こちらではより音程の高い華やかでベルカントの香りが漂う音楽になっています。技術的には相当難しいもので、聴き映えはします。ただ、マクベス夫人のキャラクターと合っているかと言うとちょっとなあという感じ。これは雲泥の差で改訂版の不気味なアリアの出来が勝っています。それ以外のマクベスとの重唱などでもちらほらベルカントの素養が要求される一方、ベルカント音楽が生み出した狂乱の場をより演劇的に発展させたとも言える夢遊の場を歌わねばならないし、手紙の読みまである(これはヴェルディの作品では異色だし、当時としては珍しい手法だったのではないかと思いますがどうなんでしょう)と考えると、この版でのマクベスを歌うのと同様の難しさがあるとも言えるでしょう。

バンクォーは役そのものは大きいとは言い難いものの、存在感のあるバスがやらなければ面白味が減ってしまうところで、実際録音などでは軒並み有名歌手が演じています。バンクォーは悪人ではありませんが、堂々とした重々しい存在感とともに、不吉な雰囲気を感じさせる人でなければ、名曲である大シェーナが活きません。この大シェーナもまた、ヴェルディが新しい表現を意欲的に試みた結晶とも言うべきものです。同時期に作曲されているアッティラのアリアのカヴァティーナ部分との関連は間違いなく強く、ここでも嘘ら寒いどことなく不安な予感に苛まれる様子が見事に表現されています。劇的に終わる構成も、アリアやカヴァティーナではなく敢えて「大シェーナ」としたヴェルディの意図を強く感じます。

上記の役に較べるとマクダフは普通のテノール役で、特段意欲的な音楽はつけられていません。これは上述のとおり初演の歌手の非力さに起因するというのがよく言われる話ではありますが、やっぱりヴェルディの関心が低かったように私には感じられます。とはいえ彼のアリアは伝統的でありながら、非常に悲痛で聴く者に訴えかけるものです。この時期の他のテノールのアリアなどと比べても(例えば次回作『群盗』の主人公であるカルロなどよりずっと)、ずっと見事な曲なのは、やはりヴェルディの本作への思い入れでしょうか。

マルコムはマクダフの補強用の役と言う程度だとは思います(カバレッタ部で延々ユニゾンとかどんだけ期待されてないんだよって感じですねw)が、清潔感と若さのあるテノールが期待されるでしょう。

合唱もマクダフのアリアの前の曲がまるっと変わるのをはじめ、改訂でかなり手直しされますが、全体的に改訂後の方があやしげでドラマティックな雰囲気が増しているように思います。この作品では特に女声合唱、魔女の合唱の出来が作品全体の雰囲気を左右します。この作品に登場する人々、マクベス夫人でさえ手玉に取っているのは、彼女たちだからです。ヴェルディは夫人を醜くて汚い声の歌手が歌うべきだということに拘ったと言いますが、魔女たちについても同じことが言えると思います。整然と綺麗に統率された合唱で魔女たち、と言われて納得がいくでしょうか。合唱各人の声のエッジが立たせたような、別の言い方をすればめいめいが勝手に歌っているような猥雑さが欲しいところです。

<参考音源>
○ジョン・マテソン指揮/マクベス…ピーター・グロソップ/マクベス夫人…リタ・ハンター/バンクォー…ジョン・トムリンソン/マクダフ…ケネス・コリンズ/マルコム…リチャード・グレーガー/BBCコンサート管弦楽団&合唱団
>ちょっと意外なメンバーによる演奏ですが、この時期BBCはヴェルディの有名作品の初演版とか埋もれた版を演奏するのに凝っていたらしく、『シモン』の初演版も遺していますし、『ドン・カルロ』に至っては恐らくはそれまで演奏されたことがあるのかすらわからない超原典版の録音もしています。で、この演奏ですが、個人的にはかなり好き。正直オケも合唱もあんまり巧いとは思わないんですが(祝宴の場面とかクラが派手にリードミスしてるしw)、それがこの欧州の辺疆の古びた雰囲気に包まれた世界に逆に非常に合ってるんです。魔女の合唱なんかも程よくへたくそ(笑)一方でソリストたちはそれぞれにレベルの高い歌唱で、いいバランスを保っています。何と言ってもマクベスのグロソップが立派。意外と音源が少ない人なので、ここでの登場は嬉しい限り。荒々しい声と堂々とした存在感で、聴き応えがありますし、モダンな独白もベルカントな幻影の場も過不足ない表現で満足できます。僕自身は未聴ですがリゴレットで鳴らしたというのもよくわかる表現力、演技力です。ハンターは如何にもこの役にあった棘のある声ですし、転がしも悪くありません。附加的な高音をつけたりしていてそれなりにカッコいい。けど、もうちょい迫力が欲しいかなあ。グロソップが立派なだけにもう少し味付けの濃い歌唱の方が暴走する夫人らしさが出てくると思うのです。バンクォーは有名な割にあまり私には縁が無いトムリンソンですが、ここではグロソップに負けず劣らず重厚かつ不吉な雰囲気で◎ただ、大シェーナはソット・ヴォーチェやクレッシェンドを意識し過ぎたのか、声の飛びがよくない個所があります。コリンズはやや線が細い気もしますが、ハリと金属光沢のある声で、この役らしい若々しさを感じさせて呉れます。マクベスの初演版を聴いてみようと思う好事家には、望外の充実した歌を楽しむことができることもあり、おススメできます。

○マルコ・グィダリーニ指揮/マクベス…イェヴゲニー・デメルジェフ/マクベス夫人…イアーノ・タマール/バンクォー…アンドレア・パピ/マクダフ…アンドレア・ラ=ローザ/マルコム…エミール・アレクペロフ/伊国際管弦楽団&ブラティスラヴァ室内合唱団
>最近の演奏ですがこれも楽しめます!恐らく更新日現在存在する2つしか無い録音が、両方とも作品の良さがわかる音源だというのは、嬉しいところです^^グィダリーニの采配によるところだと思いますが、この時期のヴェルディらしい熱気はこちらの演奏の方があります(ライヴだからって言うのもあるでしょうね)。全体に前に進む音楽で気分がいいです。合唱はちょっと綺麗すぎるかも。マテソンより巧いとは思うのですが、やはり汚らしさが欲しい。オケは上記のBBCより巧いと思いますが、生っぽい汚い音も入っていて綺麗すぎなくて程よい匙加減笑。マクベスのデメルジェフは勃国のバリトンだそうで、ここでしか聴いたことはないですが、結構な実力者だと思います。暗い音色の厚みのあるバリトンで役にもあっていますし、終幕のアリアの表情付けなど知的なコントロールを感じます。独白も劇的で見事ですし、幻影の場も引き込まれます。タマールはセミラミデがいまいちだったので期待してなかったのですが、こちらの方がうんと好演。技術的な部分はや附加的な高音などはハンターに譲るものの、狂気に満ちた隈取りな雰囲気など全体的には彼女の方が出来がいいと思います。これならアビガイッレやオダベッラを歌っても良さそうです。パピは何度か来日しているバスでありながら諸々の事情でスルーしていたんですが、いくつかの録音を聴いて聴くべき人だった…と痛く反省しています。深々とした重厚な響きのある声で、何処かシエピを思わせるようなところがあってかなり好みです(シエピよりはかなり粗っぽい歌になるところもあるのですが)。ここでもどっしりとしたバンクォーを演じていて公演を支えています。ラ=ローザは頑張ってはいますが、コリンズより細い声でちょっと流石に^^;有名キャストではないものの、全体にはこちらも十二分におススメできるものです。
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