Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第九十三夜/苦悩する勇者~

女声を続けるつもりだったのですが、またしても名歌手の訃報。
この人も独特の英雄的な雰囲気があって好きだったのですが……残念です。

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ジョン・ヴィッカーズ
(Jon Vickers)
1926~2006
Tenor
Canada

好きなテノールと言いながら、お恥ずかしながら彼についても一部のレパートリーしか聴くことができておらず……特にヴァーグナーやブリテン、それにオテロ(G.F.F.ヴェルディ『オテロ』)あたりを視聴できていないのに記事にするのは些か気が引けるところもあるのですが、まあFDやオブラスツォヴァの時もそうでしたが、ちょっとずつ追記します^^;
ファンの方にとっては、これらの役を除いてどんなイメージ持ってるのよ?というところかと思います。僕にとっては、仏ものドラマティック系の人という印象が一番強いです。信仰心が非常に厚く、舞台についても宗教的な独自の考え方を持っていたようです。タンホイザー(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』)は宗教的信条に合わないという理由で歌わなかったそうですし。自分の長丁場の最中に咳をした観客を怒鳴りつけたという有名な逸話もあります。結構つきあいづらい人だったんでしょうね^^;

ただ一方でそういう人ですから物凄く真面目に真摯に音楽に向き合った人だということも言えます。で、そのやや常軌を逸したような生真面目さが確かに歌唱からも感じられます。こうした雰囲気が合うのはやはり悲劇。そして彼の持ち声そのものもまた、そうしたオーラに相応しい、悲劇的な色彩を帯びているのです。彼ぐらい悲劇的な声と言うと……声区こそ違いますが、ボリス・クリストフぐらいかもしれません。それぐらい、或種異様な雰囲気を纏っています。でも、それがカッコイイ!

ちなみに、私もよく間違うのですが、彼のファーストネームは“John”ではなく“Jon”です。本名が“Jonathan”なので、その略なのだとか。

<ここがすごい!>
はっきり言っちゃおう、ファンには怒られるかもしれないけどこのひと美声ではないと思います。むしろ独特のアクやクセを感じるしわがれた声。だからあんまり声の美しさや優美な旋律を聴かせることで勝負するタイプの役柄には向いておらず、実際あまり歌っていません(まあポリオーネ(V.ベッリーニ『ノルマ』)みたいな例外もあるみたいだけど、あの役は重たい声で勝負するものとされていた時期があるので、同じ土俵には置きづらいでしょう)。一方で非常にタフでパワフル。確かにヴァーグナーの諸役を得意としたのもわかる強烈な馬力があります。とはいえ彼が所謂典型的なヘルデン・テノールかと言われると、ヴァーグナーをあまり聴かない自分にとっても若干の違和感を覚えます。ドラマティックで力強い声は確かに如何にもヴァーグナーなのですが、そんなに独的な匂いがしないと言いますか。その暗いくすんだ声と求道者のような歌い口もなんとなく違うように思えます。彼の声はあまりにも苦悩が深く、神性を帯びたヘルデンと言うには余りにも人間的過ぎるような気がするのです。もちろん、そのイメージがむしろ合う役もあるでしょうが(似合いそうな気がしてちらっと聴いたジークムント(R.ヴァーグナー『ニーベルンクの指環』)は予想通りバッチリだったwまだ聴けていませんが、これは全曲を探さねば)。
力強い声だからこそ勇者や英雄と言ったイメージが来る一方で、その言ってしまえば汚い声からは深い深い憂悶や苦痛を、人間の心の苦しみを感じさせる。ヴィッカーズはそういう歌手です。ロックやポップスなど他のジャンルのみならず、オペラに於いても、美声であることばかりが音楽をよいものにする訳ではなく、悪声であるからこそむしろ感動的な歌を歌うことができることを示す見本のような人、とも言えるでしょう。

苦悩する勇者の登場する作品は伊独仏露を問わず沢山ありそうな気がするのですが、どういうわけだか自分が良く接してきた中では断然仏もののイメージです。特に印象に残っているのは、その圧倒的なサムソン(C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』)!この役ばかりは何としても彼の歌唱を聴いていただきたいです。仏もの以外であれば僕が聴いた中ではフロレスタン(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)が大変素晴らしかった!暗い牢獄の中で絶望し、煩悶する偉大な人物を非常にリアルに描いていて、確かに彼なら危険を冒してレオノーレが救出に向かうだろうなと^^

この路線で実力を発揮するんだもん、そりゃあオテロやジークムントがいい訳だし、ご本人さえ認めて呉れたらタンホイザーをやって欲しかったよね^^;

<ここは微妙かも(^^;>
もう既に述べたことの繰り返しになるような気もしますが、悪声ではあるので声そのものが嫌いと言う人はいそうな気がします。また、そのごつごつとした歌い口と振り絞るような発声は効果的に響くときもありますが、やはり流麗さが欲しいところなどでは厳しい。ヴァーグナーを歌うヘルデンとしてはあまり評価していないという向きの人がいるのも、このあたりに原因があるのでしょう。
総じて、好き嫌いがかなりストレートに出る人だと言えるように思います。

<オススメ録音♪>
・サムソン(C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』)
プレートル指揮/ゴール、ブラン、ディアコフ共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団/1962年録音
>不滅の名盤。何はなくともヴィッカーズと言えばサムソン、サムソンと言えばヴィッカーズだと個人的には思っています。聖書の中でも群を抜いた腕力のある英雄である一方、かなり粗暴でトホホでしかも色仕掛けで屈してしまうような一面もあり、けれどもそこから悔恨して内面的に思い悩み、神の意志を遂げるという複雑な役どころ。もちろん輝かしくて神性を帯びたテナーが有無を言わせない調子でやって呉れるのもそれはそれで痛快なのですが、ここではやはり彼の人間臭い苦悩に塗れた、汚れた声が欲しい。腕っ節の強さはあるけれども、何処かに付け入られる弱さが感じられるような、そういう歌と声を実現しているという点で行けば、やはりヴィッカーズこそが最高のサムソンだなあと思うのです。第1幕での英雄的な振舞い、第2幕でデリラに籠絡される弱さ、そして第3幕冒頭のアリアで感じられる身を切るような悔恨と、どれをとっても素晴らしい出来。そして彼に絡むデリラ役は、こちらも不世出のファム=ファタル歌手ゴール!ヴィッカーズの歌唱から感じる人間サムソンに足りないものを、ゴールのデリラは全て持っているように感じられるからこそ、その心の隙間に入り込んでいくところに説得力が増します。黒幕の大司祭を演じるブランがまたノーブルな色気のあるバリトンで堪りません。表立って描かれてはいないけれども、デリラと大司祭の関係を十二分に感じさせます。脇を〆るディアコフも重厚なバスで◎プレートルの指揮も要を得たもので、この演目を語るにあたって外せない演奏と言っていいでしょう。

・フロレスタン(L.v.ベートーヴェン『フィデリオ』)
フォン=カラヤン指揮/デルネシュ、ケレメン、リッダーブッシュ、ドナート、ラウベンタール、ファン=ダム共演/BPO&ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団/1970年録音
>これも素晴らしい演奏。この作品自体は堅いだのつまらないだの言われ放題な印象がありますが、音楽そのものは聴くべきところが多いと思いますし、しかも名盤が多いのが嬉しいところであります。ヴァーグナーをちゃんと聴いていないので不用意なことは言えませんが、個人的には彼の独ものの中では一番いいんじゃないかなあと思っています。何と言っても幽閉の深い苦しみをストレートに感じさせるしわがれた声と内面的な歌いぶり!2幕冒頭で彼が歌い出した瞬間に現在起きている悲劇がどれだけ深く、苦々しいものかを感じさせる歌は特筆に値するものではないかと。他方捕えられた英雄の獅子吼とも言うべきキングのフロレスタンと双璧と言うべきものでしょう。歌唱陣も重厚で達者な人が揃い踏み。特に早世した洪国のケレメンの歌唱が聴けるのは嬉しいところ。

・ドン・ジョゼ(G.ビゼー『カルメン』)
フリューベック・デ=ブルゴス指揮/バンブリー、フレーニ、パスカリス共演/パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団、パリ木の十字架合唱団/1969-1970年録音
>どうもあまり評価がよろしくない演奏なんですが、僕自身は大好きなカルメン!デ=ブルゴスの色彩的な音楽づくりのお蔭で非常にエキゾチックな香りの高い演奏になっていると思います。彼のジョゼに関していろいろな意見があるのは納得のいくところで、例えばカレーラスやアラーニャのような堕ちっぷりを期待すると全く違うので、抵抗がある人はいるかもしれません。ヴィッカーズは最初から最後まで或意味剛直で真面目であり続けます。しかし、ジョゼ自身は結構頑固で愚直で、それが故に非常に不器用な人物なんですよね、執着するし。と思うと彼のようなアプローチもまたありなんじゃないかなあと思ったりいする訳です。ジョゼの生真面目さや不器用さをここまで体現した歌唱もあまり無いのではないかと。しかも不器用なキャラクターを押しだしている一方で歌唱的にはかなり高度なことをやっていて、例えば花の歌の最後の高音を譜面どおりppに持って行っているのは知る限り彼とカレーラスだけ。カレーラスは繊細で神経質な役作りを更に研ぎ澄ますような印象になった訳ですが、ヴィッカーズは他が剛直なだけに却ってジョゼの脆さがぐっと見えてくると言いますか、非常に色気がある。この花の歌だけでも聴く価値のあるもの^^バンブリーのカルメンは変にべたべたせずさっぱりとした小気味よさがあり、個性的ながら◎フレーニのミカエラは、この役としてこれ以上のものはないように思います。パスカリスのエスカミーリョは評判が悪かったんで期待していなかったんですが何の何の勇ましい鬪牛士で、やや粗さはあるものの悪くありません。脇役陣もgood!

・エネー(H.ベルリオーズ『トロイ人』)
デイヴィス指揮/ヴィージー、リンドホルム、グロソップ、ソワイエ共演/ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団&合唱団/1969年録音
>ベルリオーズの超大作の初の全曲録音。複雑で巨大な作品だが、デイヴィスの構成力のある指揮でダイナミックでありながら見通しの効く音楽になっており、その手腕に圧倒されます。どちらかというとディドーやカサンドラに焦点がありがちな演目ではありますが、全曲を通した主役としてこのエネー役は非常に活躍も多く、一方で負担の大きな役どころ。この大役をヴィッカーズは見事に果たしています。エネーはまた多くの苦悩に満ちた勇者ですから、彼がハマらない筈がない訳ですが、それでもやはりその重厚で堂々とした歌唱からは、神話世界の英雄の姿が強く感じられます。伊ものの、例えばマンリーコ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)とはまた違うのですが、或種の熱気を感じさせる馬力のあるパフォーマンスです。アリアで1ヶ所だけ声が割れるところがありますが、小さな瑕疵ですし、未だに範とするべき堂々たる演唱ではないかと^^ヴィージーやリンドホルムはじめ共演陣にも恵まれています。


・ラダメス(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
ショルティ指揮/L.プライス、ゴール、メリル、トッツィ、クラバッシ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1961年録音
>またまた登場しました『アイーダ』っぽくないのに見事な演奏の『アイーダ』(笑)恐らくこれが通常の演奏っぽくない大きな理由を作り出しているのが、彼のラダメスのような気がします。確かに彼もまた堂々たる勇者ぶりではあるのですが、それが伊もので通常求められるような明るい輝きを帯びた流麗なものではないんですよね。彼らしいアクの強いくすんだ声によるがっちりとしたラダメス。これはかなり個性的ですが、聴いてみると意外とありなんです^^普段おいおい大丈夫かいと思うラダメス君がむしろ憂国の士のように聴こえて来たりして(笑)共演陣もショルティの指揮もかなり個性的ですが、聴いて損のない演奏です。
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