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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿六夜/綺羅星の姫君〜

1ヶ月に1度ぐらいは更新したいのですが、なかなかままなりませんね……。
さておき今宵は久々に伊国の薫りのする歌手をご紹介。

AntoniettaStella.jpg

Leonora(Il Trovatore)

アントニエッタ・ステッラ
(Antonietta Stella)
1929〜
Soprano
Italy

20世紀中葉を代表するスピントの名花。経歴を調べるとプッチーニもよく歌ったようですが「ヴェルディのひと」という印象が強く、それは外形的には、ディスコグラフィーに顕れていると言えるでしょう。彼女の代表盤と言えばまずはセラフィン盤の『イル=トロヴァトーレ』、それにサンティーニ盤『ドン・カルロ』にガヴァッツェーニ盤『仮面舞踏会』とヴェルディ中期の傑作が並びます。面白いのが、併せてよく知られている音盤がプッチーニではなくジョルダーノの『アンドレア・シェニエ』であるところ。ここには彼女の持ち味を間接的に見出せるかもしれないと思うのです。

実際に彼女の歌を聴くと感じるのは、曲がらない信念を持っていそうな意志の強さ、芯の強さです。これは彼女の楽器によるところが大きいと思います。決して固い声やきつい声ではなく伊国らしいふくよかな響きですし、変な重ったるさとも無縁の清澄な声だと思うのですが、兎に角馬力があります。他方その歌には強さとともに、育ちの良い相貌や美しい所作までもが想像できそうな王族・貴族の風情が漂っています。こうした彼女の特徴はヴェルディの描くドラマティックな時代劇の姫君にしっくり来るもののように感じておりまして、それが例えば2度にわたってエリザベッタ(『ドン・カルロ』)のスタジオ録音を遺す結果につながった理由かもしれないなどと妄想してしまう次第です(彼女のプッチーニをまともに聴くことができていないので、この推測は本当に妄想レベルの、フェアではないものですが)。

同世代のゲンジェルやトゥッチに較べればかなり商業録音に恵まれてはいますが、彼女もまたやや先輩のカラスとテバルディの活躍と活動時期を同じくしていることで、割りを食っているように思います。ステッラの長所が最もよく発揮されている録音ですら、彼女たちと比べて魅力に欠けるというような批判がなされてしまうのは、明確な個性を持ったスターとして非常に残念なことです。「黄金時代」の多様性の一つの重要な証左として、彼女の名演の数々は大きな意味を持つと思うのですが……。

<演唱の魅力>
ご多聞に漏れず僕がステッラという人を知ったのは、名盤の誉高いセラフィンの『イル=トロヴァトーレ』でした。恥ずかしながら白状しますとこの時には「素晴らしく美しい声のソプラノ」以上の印象がなかったのですが、本当にオペラに触れはじめたばかりだったこともあって、それこそ繰り返し繰り返しこの演奏を聴き、耳になじませたのを覚えています。そんなこんなで私の中でのレオノーラのイメージはすっかりステッラなのですが、いろいろと他の歌手の歌唱を聴いた今改めてこの音源に改めて当たってみて痛感するのは、如何に彼女の声が特殊なものだったかということです。彼女の楽器の明るく柔らかみのある響きはどう聴いても伊もの向きなのですが、他方で金属的で厚みのあるオーケストラをも分断する強靭な輝きは、敢えて誤解を押して言うのであれば、ヴァーグナーやR.シュトラウスを得意とする独系の歌手の持っている力強さを想起させます。今回改めて聴き直していた時には思わずビルギット・ニルソンの名前が脳裏によぎる瞬間もあって、ひょっとするとこの人は何かしら違う巡り合わせであればブリュンヒルデ(R.ヴァーグナー『ニーベルングの指環』)なども歌ったかもしれないなどと考えたりもしたくらいです。

一方的な声の強さだけではなく、言葉の感覚の鋭敏さ、声芝居の巧みさも彼女の大きな特質でしょう。セラフィンとの『椿姫』(G.F.F.ヴェルディ)はカラスとの因縁を避けては通れない音盤でなかなか純粋に評価されづらいところがありますが、ここでのゴッビ演ずるジェルモンとのやりとりなど、どうしてどうして緊張感と哀しみに包まれた得難い感興のある瞬間です。そのニュアンスの豊かさは、より彼女に向いた役であるエリザベッタ(『ドン・カルロ』)の長大なアリアでも聴き取ることができるでしょう。また、『仮面舞踏会』ではそうした言葉のをちゃんと聞かせながら、テンポが速くて細かい厄介な動きをしっかりはめるという辣腕ぶり。そのアンサンブル能力の非凡さも味わえます。

それにしてもここで述べてきた声の強さやニュアンスの豊かさ以上に、ステッラの個性を際立たせているのは、高雅な気品です。前段で「時代劇の姫君」と形容しましたが、その王侯貴族の令嬢然とした空気は彼女の藝風の根幹を成しているように思います。決して大時代的な古くさい歌い回しではないのですが、同時に決して現代劇風のメタ的な視点やある種の冷酷なドライさも似つかわしくなく、例えば読替え演出の舞台に登場するステッラはとても想像できないのです(笑)。とはいえそれは単に型にハマったお嬢さんということではなくて、背景は書割でも先の展開が見える固定観念の世界の「理想の女性像」でも、その世界の主人公として生きている存在感を宿しています。この点こそが歴代の名花たちの中でもとりわけ彼女の特異性が顕れている部分ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

<アキレス腱>
上述の通り濃やかなニュアンスをつけることができる人ではあるのですが、あまりにも美しく、強い声だからでしょうか、力押しに終始してしまっているような時がないではありません。そうした音源に出会うと、ステッラならもっと歌えたはずだと思うのに……と残念な気持ちになります。またこれは好き好きだと思いますが、常に均質に豊かな歌声というわけではなくて、速いパッセージなどで語りのようなやや乾いた響きの声が混ざる時があるので、気になる人は気になるかもしれません。
コロラテューラについては一糸乱れぬ正確さを売りにした人ではないのでお好みでない方もいるでしょう(特に下降音型はだれがち)。が、これだけの質量のある声としてはかなり達者だと僕個人は思います。

<音源紹介>
・レオノーラ(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)
セラフィン指揮/ベルゴンツィ、バスティアニーニ、コッソット、ヴィンコ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1962年録音
クレヴァ指揮/ベルゴンツィ、バスティアニーニ、シミオナート、ウィルダーマン共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
>かなりメンバーは共通していますが、方向性は全く異なるいずれも超名盤。特徴を簡単に述べるなら音楽として磨き上げられ、完成された演奏である前者と、舞台としての生々しさがまざまざと記録された後者において、ステッラについてもその双方のベクトルがはっきりと顕れています。自分にとって刷り込みになっていることは否めないにしても、やはりこのセラフィン盤での彼女ほど美しいレオノーラは思い当たりません。楚々とした麗人を思わせる端正さと美しさを兼ね備えつつ、声の強靭さは随一で、鍛えた刃物のような美しさがあります。ベル・カント作品の総決算的な面もある本作、華やかなコロラテューラも立派なものです。しかもカットされがちな4幕のカバレッタまで入れてくれているのは嬉しいところ。これに対して後者はヴェルディ演奏黄金時代のライヴの真髄を知ることができる強烈な演奏です。多少瑕が出ようが何だろうが、目の前の聴衆といかに白熱した舞台が作れるかに心血を注ぎ切った、異様なまでの集中度にはくらくらさせられます。ステッラはアリアもいいですがこういう音盤はやはりアンサンブルのうまさが光るところで、1幕フィナーレの熱気や4幕でのバスティアニーニとの丁々発止のやり取りは、ライヴ録音に求める魅力の全てが詰まっているようです。いずれも最高のトロヴァトーレ、是非座右に。

・エリザベッタ・ディ=ヴァロワ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
サンティーニ指揮/クリストフ、ラボー、コッソット、バスティアニーニ、ヴィンコ、マッダレーナ、デ=パルマ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団/1961年録音
>こちらもまた最大の当たり役。エリザベッタを2回もスタジオで録音している歌手は寡聞にしてステッラしか知りませんし、それもカラスやテバルディが活躍している最中のことということを考えると、彼女たちとは異なる個性がはっきりと認識されていたのかなと思います。以前の自分のメモを見ると重厚な低音陣に恵まれた旧盤やライヴ録音の方が好ましいと感じていたようですが、改めて聴いてみるとカルロのラボーとの声の相性の良さ、言葉さばきの巧みさなど彼女の良さはこちらの方が出ているように思いました。伊語5幕版(ここではやや変則的)の1幕の重唱は、歌手の力量と魅力がないと持たない場面で正直なところ退屈な思いをすることも少なくないのですが、ここではラボーともども伊ものに向いた煌びやかで透き通った美声と情感豊かな歌唱で本盤の大きな聴き処になっています。別れに際した小さなロマンスも哀切極まる佳演ながら、やはり大詰めのアリアが極め付けの名演でしょう。

・アメーリア(G.F.F.ヴェルディ『仮面舞踏会』)
ガヴァッツェーニ指揮/ポッジ、バスティアニーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1960年録音
>ステッラのヴェルディとしてもう一つ忘れることができないのがアメーリアです。特に「イタリア歌劇団」公演を生でご覧になった世代の方々にとっては、彼女がベルゴンツィやザナージと演じた超のつく名演がありましたから、その印象はより強いかもしれません(残念ながら私はまだあの映像を入手できていないのですが)。ここで紹介しているスタジオ録音は、彼女の声を取り出して考えるならばベストでしょう。その美しさと強靭さについて今回の記事では何度となく繰り返して触れてきていますが、それらが高次で融合された非常にスケールの大きな歌唱を楽しむことができます。しかも馬力一辺倒には決してならず、例えば2幕終盤や3幕の不穏で動きの細かいアンサンブルなど正確無比なリズム感とフットワークの軽さをも示す会心の出来です。同様に旨みの強い巨大な声を持っているバスティアニーニもお見事で、これでリッカルドがベルゴンツィだったら!という思いを強くします(ポッジは明るい澄んだ声は魅力があるのですが、どうも高い倍音が伸びきらないというかやや詰まって聴こえてしまうのです。。。)。

・ルイザ・ミラー(G.F.F.ヴェルディ『ルイザ・ミラー』)
サンツォーニョ指揮/ディ=ステファノ、マックニール、アリエ、カンピ、ドミンゲス共演/パレルモ・マッシモ劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>ステッラのヴェルディと言えば上述3役が絶対に外せない王道であるのに対し、裏名盤と言いますか、あまり知られてはいないけれども是非オススメしたいのがこのルイザ。そもそもこの役かなり要求の厳しい難役で、序盤はベル・カント作品のヒロインのような転がしや軽さが求められるのに対し、2幕のアリア以降はうんとドラマティックで深刻な歌を歌わねばならず、多くの名ソプラノが挑んでいながら全曲通して満足できることはほとんどないです(大体が登場の場面で軽さが出ないか、逆に後半でパワーが不足してしまうか)。正直ここでの彼女も登場のカヴァティーナの細かいパッセージにはうまく決まっていない部分もあるのですが、個人的には知る限りで最高のルイザだと思います。冒頭では彼女の声の暖かい輝きから、うきうきとした幸せな心持ちがひしひしと伝わってくるのに対し、偽りの手紙を書かされる場面からはその声の強さを全面に押し出して、臓腑をえぐるような悲痛な歌唱(しかし決して絶叫調にはならない)を繰り広げる手腕は圧巻です。共演ではディ=ステファノは勢いの目覚ましい名唱、アリエもいつもどっしり構えた歌が持ち味ですがいい意味でテンション高め、カンピの憎々しい怪演と短い時間ながらドミンゲスの登場も嬉しいところ(ところでこの音源、どの情報を見ても伯爵がカンピ/ヴルムがアリエとされていますが、明らかに逆です)。マックニールは1幕の熱唱は良かったんですが3幕がちょっと荒っぽすぎで惜しい……。

・ヴィオレッタ・ヴァレリー(G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)
セラフィン指揮/ディ=ステファノ、ゴッビ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1955年録音
>上述したとおりカラスにまつわるエピソードばかりが語られてしまう音盤ながら、ステッラらしい良さもしっかり出ており無視できない演奏だと思います。確かにここではややコロラテューラがもたつきがちだったり、慣例的なEsを入れなかったりというところで1幕、特に本作のハイライトというべきあのアリアではいささか地味な印象になっているのは否めないのですが、むしろ迷いや憂いが繊細に表現されている2幕からの完成度の高さは比類ありません。訥々とソット・ヴォーチェで優しく“諭す”ゴッビのジェルモンに対して、最初は毅然として振る舞いながらも徐々に迷いと諦めとに支配されていく重唱は、全曲中の白眉。また3幕の直情的なディ=ステファノとの重唱も聴きごたえ十分、特に後半の「こんなに若くして死ぬなんて!」というドラマティックなやりとりが秀逸です。

・マッダレーナ・ディ=コワニー(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)
サンティーニ指揮/コレッリ、セレーニ、ディ=スタジオ、マラグー、モンタルソロ、モデスティ、デ=パルマ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>万全のキャストによる、燃えた鉄のような熱気に包まれた名盤……なのですが主役3人に大看板を並べたガヴァッツェーニ盤の割りを食ってかあまり言及されないように思います(もちろんあちらも掛け値ない極上の声の饗宴を味わえる演奏であることは言を俟ちませんが)。テバルディのマッダレーナが波乱の人生を歩みながらもどこか腹をの据わった奥ゆかしさを感じさせる淑女であったのに対し、ステッラはよりはっきりとヒロイン、不運に見舞われた育ちのいいお嬢様という風情で、絶妙なバランスで気品と癇の強さが共存しています。そう、この役は革命で落ちぶれてしまうとは言っても、ヴェリズモやプッチーニの時代の作品には珍しい貴族令嬢で、そのように考えると彼女がスタジオ録音としてこの役を遺したのはとても合点が行くように思うのです(余談ですがプッチーニの姫様役と言えばご存知トゥーランドットがおりまして、声質を考えてもステッラが歌うのだとしたらこの役だという気がするのですが、全曲はどうも歌ってなさそう)。コレッリの熱唱やセレーニの苦みばしった歌とも相性が良く、モノクロ映画を観ているような感興があります。

・リンダ(G.ドニゼッティ『シャモニーのリンダ』)
セラフィン指揮/ヴァレッティ、タッデイ、カペッキ、バルビエーリ、モデスティ、デ=パルマ共演/ナポリ・サン・カルロ劇場管弦楽団&合唱団/1956年録音
>全曲録音がほとんどない本作にとっては貴重な存在である一方で、彼女にとっては異色の録音だと言わざるを得ないでしょう。知る限り彼女のドニゼッティはこれしかないのですが、ステッラの個性を考えるならばそれこそ女王三部作ぐらいドラマティックな作品を歌ってそうなものなのに、敢えて可憐な田舎娘のリンダに起用されているのですから。彼女の録音としては最も初期のものなので、あるいはまだその持ち味を模索しているときだったのかもしれません。ではここでの歌唱が大味で退屈なものかというと、これが文句なく素晴らしい。ルイザでも感じられたように、登場アリアから甘やかで明るい声の響きにうっとりさせられてしまいます。もちろん役に対して重い声ではあるし、機動力でももっと優れた人はいるでしょうが、彼女の声だからこそ引き立つ歌のうまみがあるように感じます。そうした甘美さが更によく出ているのがヴァレッティ演ずるカルロとの重唱、最高にロマンティックです。他方で彼女らしいシリアスなパワーを聴き取ることができるところもあって、例えばボアフレリー侯爵がパリのリンダを訪ねる場面は通常ならば彼ら2人の行き違った感情がコミカルに歌われるものだと思うのですが、名ブッフォのカペッキが徹頭徹尾ふざけて笑い歌っているのに対して、ステッラはかなり深刻に悩んだり不快感をあらわにしたりしていて、侯爵の非道さとリンダの哀れさがグロテスクなまでに強調された一種異様な迫力がある怪演になっています。そして狂乱になると、タッデイやバルビエーリとの絡みはほとんどヴェルディのような切迫感で進んでいきますし、続くカバレッタはゆっくりと、しかし明らかに正気ではないぎこちなさを伴っていて、聴いていて寒気を覚えるほど。間違いなくこの録音最大の聞きどころです。全体にこの作品には重い指揮とキャストながら、その方針でしっかりと筋が通っていて独特な個性を持った名盤になっているように思います。
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