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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿八夜/馥郁たる美男子〜

飛んでしまったiPodの中身はそうそう簡単には復旧しそうになく、ちまちまと作業しています。もっと早く復旧する手段もないことはないのですが、それをやってしまうとどうしても復旧したい音源がちゃんと入るかどうかわからない。やはり絶対入れておきたい音源は少なからず存在するので、牛のあゆみでも確実な手を使いたいというところです。
そんなこんなでまだ以前の4分の1ぐらいの状況なのですが、こちらもちまちま更新していこうかと思います。

BerndWeikl.jpg
Mandryka

ベルント・ヴァイクル
(Bernd Weikl)
1942〜
Baritone
Austria

今回もバスを続けようかと思ったのですが、前回モルの音源を聴いているうちに共演の多かった彼のことを書きたくなりました。チャームポイントの口髭が凛々しい墺国のバリトンです(実在の人物でこんなに似合う人を他に知りません笑)。

若々しいパワーに溢れた個性を持った人ですが筋肉質な硬い声ではなく、むしろ芳醇で耳に心地よいやわらかな響きが魅力の核になっていると思います。同じヴィーンの先輩であるヴェヒターと較べるとその違いは歴然でしょう。ヴェヒターを華やかだけれどもやや神経質で峻険な貴族と評するのであれば、ヴァイクルはさしずめ駆け引きが上手で社交会が似合い、愛想のいい色男と言ったところでしょうか。ヴェヒターのみならず独墺系のバリトンは、ドン・ジョヴァンニ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)やダニロ(レハール F.『メリー・ウィドウ』)を演じても比較的生真面目で不器用な印象のある歌手が多く、そうでなければ思い起こされるのは愛嬌と人間味とを魅力にしたプライやベリーといった一群です。彼らもまた十分に素敵なのですが、いかにもな美男子の雰囲気を湛えているという点で、ヴァイクルを際立った存在と見ることもできるかもしれません(敢えて同じような歌手を探すのであればブレンデルだと思いますがもう少し軽量級ですね)。

今でこそヴァイクルの最も重要なレパートリーとしてハンス・ザックス(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)は欠かせないものとなっていますが、戀おおき美丈夫という言葉がしっくりくる歌声と個性と照らせば、当時いかに斬新なキャスティングであったかは想像に難くありません。ヴァーグナーの作品に明るくない僕ですらも、ザックスと言えば重厚で低い倍音の鳴るバスによって演じられる思索的な中年の親方というイメージが植え付けられているぐらいですから。しかし他方で彼の歌に接すると、この役が名刺がわりとして知られ、愛されたのはよくわかるように思うのです。今回はそのあたりの彼の持ち味について語っていくことができればと考えています。

<演唱の魅力>
戀に悩む優男というとオペラではテノールの印象ですが、天下の色事師ドン・ジョヴァンニを引き合いに出すまでもなく、自らの戀情を追いかける美男子がバリトンに割り当てられる機会は少なからずあります。ベルコーレ(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)が軍曹という肩書のみならず女性にモテるだけの外華やかな容姿をも備えているからこそネモリーノは焦るのでしょうし、アルマヴィーヴァ伯爵(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)に冒険心あふれたヒーローの面影が残っていてもおかしくはない訳です。当て馬/敵役ばかりではなく、堂々たる主役としてマンドリカ(R.シュトラウス『アラベラ』)もオネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)を挙げることもできるでしょう。彼らは胸に熱い情熱を抱いた騎士であり、「カヴァリエ・バリトン」といわれる歌手にこそ歌われてほしい。ヴァイクルは、まさにうってつけです。

とはいえいかなその素質があったとして肝心なのは歌、彼はその点でも卓越しています。とりわけその鼻持ちならないさ!物語に登場する美男というのは往々にしてうぬぼれ屋で自己顕示欲が強いものです(これはもちろん僕自身が男だから余計に感じるという部分もあるように思いますが、他方で物語を進めていくためにはそういう性格づけが必要だからという側面もあります)。どういうわけかテノールにはこういう雰囲気を出せる人が多いのですが、バリトンではナルキッソス的な空気を出すのに苦労を感じることが少なくありません(演じる役柄の幅が広いからかもしれません)。ヴァイクルは、あの整ってはいるものの強面の容貌からはちょっと想像ができないぐらい、引き出しが多く器用な歌い方をできる人なので、この鼻につく空気を自然に/自在に歌に纏わせるのが本当にうまい。そのうぬぼれをベースにジョヴァンニやオネーギンであれば人を喰った、性格の歪みを巧みに描きますし、ベルコーレならいつでも配れるように自分のブロマイドを何枚か懐に忍ばせていそうなバカバカしさを感じさせます。また、実はベックメッサー(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)も遺していて、闊達で滑ったイケメンぶりには感嘆させられること請け合いです。褒めているんだかなんなんだかと思われるかもしれませんが、こういう個性は物語の人物をリアルにするために非常に重要であるばかりでなく、出そうと思って出せるものではありません。

なおかつヴァイクルが素晴らしいのはそのちょっと鼻持ちならない美男子オーラを感じさせつつも、上段で述べた独墺系らしい生真面目な雰囲気を逸脱してはいないところ。これがあるからこそヴォルフラム(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』)やザックスが、大きな支持を得たのではないでしょうか。容姿も整っていて思慮深く、実力もあるけれど、ただほんの少しだけ歳を累ねていて、そしてヒロインの意中の人物ではない。自分にあるものもないものもわかっているからこそ、相手の意を汲んで引いていくという葛藤の深さとかっこよさ。あるいは元帥夫人(R.シュトラウス『薔薇の騎士』)に通ずるところもあるかもしれません。こうした年長者の姿はちょっと理想化された人間すぎる、かくありたい人物像すぎるという向きももちろんあるでしょうが、それでもやはり観る人を魅了するものであると思います。

<アキレス腱>
とても藝達者でいろいろな人物を演じ分けられる人だとは思うのですが、ちょっとやりすぎかなと感じるところもない訳ではなくて、役によって/聴く人によって評価の上下が出てくる部分もあるようです(僕は好きなんでご紹介するんですがね笑)。また、なんといっても甘い声が武器のひとなので、ドライな声や表現が欲しい役では良さが活きないと思います。例えば司令官(R.シュトラウス「平和の日』)は期待して聴いたのですが……これならそれこそヴェヒターの方がハマっただろうなと。

<音源紹介>
・マンドリカ(R.シュトラウス『アラベラ』)
サヴァリッシュ指揮/ポップ、Ju.カウフマン、ザイフェルト、クーン、ヤーン、ホプファヴィーザー、シーデン共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1989年録音
>あれだけザックスの話をしておいて難ですが、僕にとっては、彼といえばここでのこの役の演唱なのです。冷静に考えればこのマンドリカという男、自分が富豪であることも魅力的な容姿であることもわかっていながらそれをごりごり押し出すのではなく、もったいぶった言葉や態度から主張していくという、鼻持ちならなさで行けばオネーギンといい勝負の人物なのですが、ここでのヴァイクルはそうした衒いを自然に、しかも素敵に魅せてしまうだけの華々しさと愛らしさを備えています。パワフルで野生的な歌い口はこの役のもつエキゾチックな香りを高めるとともに、彼が地方出身者だからこそ財産や貴族的な振舞い/慣習にこだわっているのだということを仄めかしてもいるようです。結構オーバーに愛を語ったり、怒り狂ったり、落ち込んだり気性の激しさを際立たせた歌だとも思うのですけれども、それがギリギリのところで悲愴でもありコミカルでもあり美しい……絶妙な匙加減には感服させられます。ヒロインのアラベラもややこしいこだわりのある女性ですがポップちゃんの知的さがとてもよく出ていて、しかも可愛らしい。この主人公たちのキャラクターとしての面倒臭さを、ここでの彼らは絶妙に愛すべき人たちへと昇華しているのです。この作品の肝ながら現実感に乏しいズデンカに生き生きと命を吹き込んでいるカウフマンや直情径行で程よくおバカなザイフェルト、エレメールにはもったいないぐらいのキラキラした美声で歌い上げるホプファヴィーザーといった面々もお見事ですが、この公演はクーンとヤーンの作り上げる極めて人間的な両親によって深みを増していると言っても過言ではありません。とりわけクーンのヴァルトナー伯爵は道化役と愛のある父親とのバランスが最高で極め付け。そしてもちろんこれらを支えるサヴァリッシュの豊麗な音楽の洪水も圧巻です。NHKさんには是非ともこの映像を正規の商品として販売していただきたいです。

・ハンス・ザックス(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)
サヴァリッシュ指揮/ヘップナー、ステューダー、S.ローレンツ、モル、ファン=デア=ヴァルト、カリッシュ共演/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1993年録音
>そんなわけで一般的には本命と思われるザックスです。繰り返しますが僕はあまりヴァーグナーは聴き込めていないものの、これだけ若やいだザックスの類例は少なくとも彼以前には思い当たりません。まだ枯れていないものを持っているからこそ、むしろ悩みの深さを感じさせる名演だと思います。彼が本気になれば親方衆やポーグナーはもちろんのこと、エーファ自身ですらも心をぐらつかせかねないことを自覚した上で、彼女の幸せを願って自らの想いに蓋をするまでの心のよろめき惑いがとても切実です。ヴァーグナーの音楽は例によって男性中心的で大袈裟なので、人によっては大仰で胡散臭くなってしまいそうなところを個人として親しみを感じられるレベルまで現実味を持たせている手腕は圧倒的と言えるでしょう。ここでもサヴァリッシュの指揮もいいですし、共演も優れていますが、とりわけエーファのステューダー!こんなにこの役が瑞々しく、愛らしいものだったとは!

・ジクストゥス・ベックメッサー(R.ヴァーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)
ショルティ指揮/ベイリー、コロ、ボーデ、モル、ハマリ、ダッラポッツァ共演/WPO&ヴィーン国立歌劇場合唱団/1975年録音
>あまりにも新しく、優れたザックスとして鳴らした彼が、若い時に演じたベックメッサーというとちょっとイロモノ感すら漂ってしまう意想外の配役ですが、これは掛け値ない名唱だと言えるでしょう。ヴァルターやザックスとの関係で捉えられがちなこの役は、笑われる役としての対比を際立たせるために過度に年老いた、物笑いの種となる人物として描かれてしまうと思うのですが、ここでのヴァイクルはこれまでに述べてきた彼らしさをある意味で明確に発揮しています。即ち、ベックメッサー自身としては大変真摯で真剣であり、なおかつ端正でもありながらそれがどこか行きすぎてタガを外してしまったような、筋の通った滑稽さがあるのです。だから聴かせどころのセレナーデなどはハッとするほど美しい……この辺りバカバカしいだけになってはいけないバランスの難しさをよくよく心得て歌っているのがわかります。同じくジェントルなベイリーのザックスとのバランスもいいですし、上記の録音同様モルの実直かつ華のある歌にも旨みがありますが、なんと言ってもコロの美声がすごいです。まるで火口から流れるマグマのような明晰で生命力のある、熱量の大きな輝き。スタジオ録音ながら必ずしも手に入りやすくないのが残念です。

・ヴォルフラム・フォン=エッシェンバッハ(R.ヴァーグナー『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』)
ハイティンク指揮/ケーニヒ、ポップ、マイヤー、モル、イェルザレム共演/バイエルン放送交響楽団&合唱団/1985年録音
>ヴァイクルのヴァーグナーといえばやはり一にも二にもザックスなのでしょうが、実は彼の持つ音色や雰囲気に一番似合っているのはこのヴォルフラムなのではないかと思います。この役はイェレツキー公爵(П.И.チャイコフスキー『スペードの女王』)と同様、幸せになることのできない哀愁と諦念を漂わせた人格者的二枚目であって欲しいと個人的には思っているのですが、そういった理想に一番近い歌唱です。外面・内面ともに天分に恵まれ、何不自由ない人生を送ることもできたであろうに、ただ一人の破滅的な天才のせいで運命が狂っていく人物の哀しい美しさ……情熱溢れるヴェヒターや理知的なFDとは異なる高貴なる凡人ヴォルフラムをヴァイクルは地で行けてしまっているのが素晴らしいです(こう考えてみると、実はこの役は遠くないところでザックスと繋がっているのかもしれません)。だからこそタンホイザーにはもうちょっと人が欲しかったところ、いやケーニヒも悪くはないのですが。ポップやモルがいいだけに余計にそれは感じてしまいます。

・グンター(R.ヴァーグナー『ニーベルンクの指環』)
レヴァイン指揮/ベーレンス、ゴールドベルク、サルミネン、ステューダー、ヴラシハ、シュヴァルツ、デルネシュ、トロヤノス、グルーバー共演/メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団/1989年録音
>高貴なる凡人と言えばこの役こそだという気もします。この兄妹はハーゲンの引き立て役のようにもともするとなってしまうのですが、それでは面白くない。彼もまた世間並みには優れた人物であるからこそ、ハーゲンの怪物性が際立つのではないでしょうか。ヴァイクルらしい甘めの歌い口をこの役として好まない方ももちろんいらっしゃるでしょうが、ブリュンヒルデへの彼の想いを建前以上のものにしているように思います(愛に焦がれる兄を弟が弑するというのは『ラインの黄金』との対照が意識されているんでしょうね)。そして彼が歌うことによって、例えばジークフリートとの誓いの歌などヴァーグナーがこの演目に与えているベル・カントっぽい歌にも気付かされたりします。共演の中ではサルミネンがダントツで強力、次いでステューダーの楚々とした歌が気に入っています。ノルンたちが豪華でびっくり。

・ドン・ジョヴァンニ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)
ショルティ指揮/バキエ、シャシュ、M.プライス、バロウズ、ポップ、スラメク、モル共演/LSO&ロンドン歌劇合唱団/1978年録音
>この演目/役柄は非常に多面的なので、演じる人によって随分と解釈が分かれるのまた面白いところですが、ここでのヴァイクルはショルティの作る音楽以上にコミカルに演じているのではないかと感じます。自分の美男子ぶりを笠に着たジョヴァンニで、世の中を舐めきって全てが自分の思いどおりになると信じて疑わない、非常に横柄で傲慢な印象が前に出ています。あまりにも戯画化されすぎていて魅力を感じないという方もいらっしゃるでしょうが、悪人というよりは自信過剰な戀の狩人としての説得力は十分と言えるのではないでしょうか(ですから彼のジョヴァンニはベルコーレやオリー伯爵(G.ロッシーニ『オリー伯爵』)とおそらく非常に相性が良いと思うのです)。こうなるとただのコミカル路線のレポレロでは力不足になってしまいますが、藝達者なバキエが一筋縄ではいかなさそうな狡さを持っていて好演。主従ともにバリトンというのも珍しいですが良いコンビですし、騎士長に来るどバスのモルが際立ちます。天使のようなプライスと溌剌としたポップも聴きもの、バロウズも凛々しいですが、シャシュは好き嫌いが出そう。

・アルマヴィーヴァ伯爵(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
ベーム指揮/ヤノヴィッツ、プライ、ポップ、バルツァ、リドル、リローヴァ、ツェドニク、エキルス共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1980年録音
>ヴァイクルはいかにもこの役には向いていそうなのに意外にもこれ以外に録音も映像もないようです(ちなみにこの時の映像はときどき出回っているのですがちょっとびっくりするような価格で出ていることが多いので、今のところは諦めて音のみで我慢しています^^;)。実際視聴してみてどうかといえば、よくぞこれを遺してくれましたという素晴らしいもの。上述の音源との並びで聴くとよくわかりますが、ああ彼のアルマヴィーヴァはちょっと隙の多いジョヴァンニなんだなということで、色男だしそれと貴族であることを鼻にかけた強権的な人物ではあるのだけれども、そこにあぐらをかいてしまった油断の多さがとても感じられます。コワモテのイケメンなのでアリアなんかはとてもかっこいいんだけれども、フィガロやスザンナにいっぱい喰わされるところはとても油断があってお間抜け。あまつさえここでのフィガロとスザンナは百戦錬磨のプライと利発を絵に描いたようなポップちゃんですから、余計そこが際立ってくるようです。好みは多少あれどこれだけの布陣のフィガロを東京で観られたなんて羨ましい限り!

・ハンス・ハイリンク(H.A.マルシュナー『ハンス・ハイリンク』)
G.A.アルブレヒト指揮/シュレーダー=フェイネン、シウコラ、ツォイマー、ギルズ共演/RAIトリノ管弦楽団&合唱団/1972年録音
>フォン=ヴェーバーとならびモーツァルトとヴァーグナーを繋ぐ時代の重要な作曲家にもかかわらずほとんど忘れられているマルシュナーの代表作の1つで、カットはかなりあるものの貴重な全曲録音です(プライの歌うハイリンクのおまけ付き)。話の筋を何度読んでもどうも人間にたぶらかされたとしか思えないちょっと抜けた感じのする地獄の王子なのですが、マルシュナーがデモーニッシュな迫力のある音楽を与えていることもあり、ヴァイクルぐらいのはパワーのあるたっぷりした声で歌われてこそ真価を発揮すると思います。響きの甘さが活きていることもあってしばしば歌われているアリアもロマンティックな味わいがあるのですが、地獄の軍団の合唱との歌の不気味さがとても独墺系らしくて個人的には好きです。共演も指揮も全くわかりませんが、水準の高い演奏だと思います。

・オットカール(C.M.フォン=ヴェーバー『魔弾の射手』)
C.クライバー指揮/シュライアー、ヤノヴィッツ、アダム、マティス、ヴァイクル、フォーゲル、クラス共演/シュターツカペレ・ドレスデン&ライプツィヒ放送合唱団/1973年録音
>出番は少ないながらも大変重要な要役で、カヴァリエ・バリトンとしての彼の魅力を味わえます。この物語の世界において悪魔の誘いに乗ることが禁忌であり、本来マックスは罪を免れないことを象徴するのがオットカールという人物です。彼が隠者のとりなしがあるまで頑なに恩赦を拒むのは、個人的な固定観念に縛られているからではなく、しきたりを守り統治する領主としての勤め、求められているふるまいを果たそうとしているからなので、小役人じみてしまったり、度量が小さく見えてはいけない。ここでのヴァイクルの歌唱は若い力に溢れて荒々しいですが、そのことがよくわかるものです。

・ファルケ博士(J.シュトラウス2世『蝙蝠』)
C.クライバー指揮/プライ、ヴァラディ、ポップ、レブロフ、コロ、クッシェ、グルーバー/バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1975年録音
>必ずしもオペレッタをたくさん歌っている人ではないと思いますが、『蝙蝠』は外せないでしょう。アイゼンシュタインという男は愛すべき人物ながらある程度解釈の方向が揃うのに対し、彼へのとびきり馬鹿馬鹿しい復讐を企てるこの人物の方こそ意外と色々なアプローチがあるように思います。ヴァイクルのファルケ博士は十分すぎるぐらいコミカルな味わいも持っているのですが、同時にびっくりするほどハンサム。彼がアイゼンシュタインもまた歌っているからということではないのですが(映像があるのですが未視聴)、ひょっとするとこの悪友たちは逆の立場であってもおかしくなかったのでは?とついつい勘繰ってしまいます。この或る種の双子的な空気は、相方がプライであることによっておそらく更に強くなっています。実年齢も含めた印象で言えば年長の人懐っこい男にしっぺ返しをする頭の回る年下の男というここでの『ドン・パスクァーレ』的な構図に対して、おそらく実在はしないですが配役を交換した演奏があるならば是非聴いてみたいものです(観られていないのに言うのもなんですが、ヴァイクルのザックスにプライのベックメッサーという映像があって、ひょっとすると関係性としてはそこに近くなるのかも)。こんな2人ですから1幕で舞踏会に乗り出す重唱が大傑作です!クライバーの素晴らしく闊達な音楽と抜群のキャストによる歌が楽しめる不滅の名盤ですが、実はこの音盤の価値を高めているのは科白回しかもしれないと最近思います。独語の美しさだけではなく、怪しげな仏語も楽しめますし、露語ネイティヴという点まで鑑みれば、毀誉褒貶を見越してもレブロフをオルロフスキーに据えた意図は非常によくわかります(そして彼がちゃんと仏語がわかっていそうなのもミソ)。

・ベルコーレ軍曹(G.ドニゼッティ『愛の妙薬』)
ヴァルベルク指揮/ポップ、P.ドヴォルスキー、ネステレンコ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1981年録音
>ヴァルベルクによる2つのブッファの全曲録音は、指揮者、歌唱陣、オケや合唱とすべてにおいてスタジオで遺されていることそのものが意外ではあるのですが、いずれも大変優れた演奏です。ヴァイクルについて言えば、やわらかな甘みのある声の持ち味がベル・カントものでも十分に発揮されるものであることを示したものだと言えるでしょう。もう何度も上で述べていますが、中身のないイケメンという定番の役柄を奇を衒わず直球で演じています。いわば極上の紋切り型。案外と伊的なメンバーでもこれだけ見た目の整っていそうなベルコーレというのはいないような気がしており、僕は彼の歌を聞いて初めてああこの役は「ドン・ジョヴァンニくずれ」なんだ、という新鮮な発見が得られました。作品そのものに新しい光を当てつつ全体にブッファの愉悦にも満ちた特異な秀演です。

・マラテスタ医師(G.ドニゼッティ『ドン・パスクァーレ』)
ヴァルベルク指揮/ネスてレンコ、ポップ、アライサ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1979年録音
>上記の「妙薬」と同じくこちらも実にユニークなブッファ。20世紀の名ボリスと名ザックスがこのおバカな演目でどんな歌を披露するのか初見だと想像もつきませんが、めざましい成功だと思います。ザックスやヴォルフラムで聴かせる知的さを喜劇に転じていくとファルケやこの役になっていくのだなあと役同士の意外な距離感が見えてきて面白いですね。海賊版のレコード以外ではフィガロ(G.ロッシーニ『セヴィリャの理髪師』)も見当たらないヴァイクルですが、ネステレンコともども早口も実に達者。この作品のハイライトである強烈な2重唱がこれだけ重たい声のコンビで痛快に歌われた例は他に知りません。何度も共演しているポップちゃんとの息の合ったコンビでも、いわゆるベル・カントっぽいイメージを脱却した清新な歌唱を楽しめます。アライサが見事なのは言わずもがな!

・リゴレット(G.ヴェルディ『リゴレット』)
ガルデッリ指揮/アラガル、ポップ、ローテリング、タカーチ、マルタ共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1984年録音
>実は以前は全然いいと思わなかったのですが、今回改めて聴いてみて充実した演奏なのに驚きました。なんといってもヴァイクルの言葉の扱いが見事で、浮き沈みが激しく複雑なリゴレットという男にさまざまな表情を与えています。もちろん2幕のようにドラマティックで人間的な場面も秀逸ながら、とりわけ意外とこの役柄の歌唱で見えてくることの少ない、道化としての顔、例えば1幕1場でモンテローネを侮辱するに至るまでの皮肉なおべんちゃらっぷりが際立っているようです。ポップはアリアなどちょっとモーツァルトっぽい歌ですが娘ぶりが愛らしいですし、アラガルもライヴ盤ほどのアツさこそないものの薄っぺらな端正さがこの役らしい。ヴェルディの録音が必ずしも多くないローテリングやタカーチも高水準です。ただ、傍の中では驚くぐらい迫力のあるマルタのモンテローネがいちばん聴きごたえがあるかもしれません。

・ダゴンの大祭司(C.サン=サーンス『サムソンとデリラ』)
パタネ指揮/キング、C.ルートヴィッヒ、マルタ、コーゲル共演/ミュンヘン放送管弦楽団&バイエルン放送合唱団/1973年録音
>これまた何故あえてこのメンバーでこの作品をという感じですが、上述の2つのブッファと『リゴレット』と同じくバイエルン州ゆかりのオケと合唱ですから、当時のミュンヘンで演奏されていたオペラの空気を遺したいというような意図があったシリーズなのかもしれません。さておきこの演目はどうにも題名役たちにばかり話題が偏りがちなのですが、この大祭司は第3の主役であってここがこけてしまうと全然面白くない演奏になってしまう重要なポジションです。ヴァイクルのまとっている男の色気と独墺系らしい生真面目さがここでは絶妙な相互作用を起こして、背徳的な空気を湛えた生臭坊主を作り上げています。こういう妖しげな色香があるとデリラとの重唱の意味合いも増しますし、サムソンとの関係も一段と緊張感を孕んだものになることが、お聴きいただければお分かりになるでしょう。仏もののイメージはこちらもないものの神性を帯びた雰囲気がハマっているキング、柔軟で旨みのあるルートヴィッヒも優れており、一風変わってこそいるものの役者の揃った名盤です。

・イェヴゲニー・オネーギン(П.И.チャイコフスキー『イェヴゲニー・オネーギン』)
ショルティ指揮/クビアク、バロウズ、ギャウロフ、ハマリ、セネシャル共演/コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団/1974年録音
>露色の少ない演奏の中では最も知られたものかもしれません。フヴォロストフスキーなど露国のバリトンが聴かせる気怠げで空虚な哀しい男とは異なり、戀の冒険者を感じさせるアプローチには最初ちょっと面喰らいますが、繰返し聴いていると役に対しての思い込みから離れればこういう人物造形も十分あり得る気がしてきます。ドン・ジョヴァンニと繋がる部分もあるのですが、彼のように情熱的に色戀を追いかけ回しているわけではなく、ヴァイクルのオネーギンは退屈しのぎに女性に声をかけているような、愛情の感じられないもの(だからこそオリガに色目を使ってレンスキーを激昂させるあたりがリアルなのです)。それがこの役の虚ろさに別の部分から光を当てているように思います。共演はいずれも土臭さはありませんが優秀、特にギャウロフの圧倒的な声には登場の瞬間から息を飲みます。

・ドン・ヴァスケス(L.シュポア『錬金術師』)
フレーリヒ指揮/ピュッテルス、アボウロフ、ドゥルミュラー、ツィンクラー共演/ブラウンシュヴァイグ州立劇場管弦楽団&合唱団/2009年録音
>知るかぎりヴァイクルの最も新しい全曲録音は、滅多に演奏されないシュポアの秘曲です。題名役ながら派手な歌は多くなく、筋の上でも戀の鞘当てを繰返す若者たちにスポットが当たっているようには思うのですが、この作品を仄暗い色調に定めている点で強い存在感が求められていると言えるでしょう。さしものヴァイクルも往年の甘美さは衰え、渋みの際立ったドライな響きになっているのですが、ここではそれがむしろ効果的に働いていて、特に宗教裁判の幻想の場面など実に不気味です。共演は知らない人ばかりなのですが、事実上の主役と言っていいピュッテルスが抜群の出来で舞台を引っ張っているほか、ドゥルミュラーの熱の籠った歌唱もお見事。作品も素敵で一聴の価値ありです。
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