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Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百廿九夜/ひそやかな決意を胸に〜

自分が聴いている音源に20世紀中盤から後半にかけてのものが多いこともあり、悲しいことに100回を超える前後から追悼記事を書くことが多くなりましたし、既に取り上げた人の訃報に接することも増えました。近いところでは昨年の暮れにショーヨム=ナジ、今年に入ってからはネステレンコや指揮者のレヴァインなどよく親しんでいる音楽家たちが相次いで旅立ってしまっているのは、残念でなりません。
今夜の主役も2月の中ごろ、ちょうど前回のヴァイクルの記事の見通しが立った頃に亡くなられたというニュースを知りました。

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Micaëla

アンドレア・ギオー
(Andréa Guiot)
1928〜2021
Soprano
France

決して録音には恵まれていませんが、20世紀仏国屈指の名花です。
うっとりするほど滑らかで澄んだ響きは可憐だけれども、適度な質量と凛とした力強さがあって声を聴いている満足感があります。歌い口は端正なのですが「整っている」と言い方をしてしまうと恐らく正確ではなくて、慎み深さや趣味の良さ、上品さといった印象の方が強いように思います。このblogでの仏国の歌手の特集をお読みいただいている方はここまでで「ははあ」と思われるかもしれませんが、バリトンならばエルネスト・ブラン、バスならばロジェ・ソワイエやグザヴィエ・ドゥプラに通ずる空気を纏ったソプラノなのです。

訃報はもちろん大きなショックだったのですが、ある意味でそれ以上に悲しい気持ちにさせられたのは、少なからぬ記事が「カラスの『カルメン』でミカエラを演じたソプラノが死去」という書きぶりだったことです。もちろんあの『カルメン』の彼女はとびきり素敵ですし、その歌を知ることができる代表的な録音であることに異論はありません。けれど、アンドレア・ギオーは、アンドレア・ギオーの歌が素晴らしかったからこそ記憶に残る藝術家なのであって、決してひととき「カラスの共演者」であったことこそが彼女を知らしめている所以ではないのですから、こうした書き方はあまりにも彼女に対して礼を失していると思います。何故、魅力あふれるソプラノだった彼女の功績に素直に耳を傾けられないのか。

偲ぶ想いとともに、こうした大きな失望と憤りもあって、今回はギオーのことをどうしても書きたいと思った次第です。

<演唱の魅力>
「求められる声」という表現はあまりにも作品やジャンルを自分の都合のいいイメージの中に閉じ込めてしまう言い回しかもしれませんが、それでもやはりある役柄に対してこういう響きや表現で聴きたい/聴きたくないという嗜好の存在を否定することはできないでしょう。伊もののテノールと言えば生命力にあふれた輝きを放っていて欲しいし、独もののソプラノであれば生硬で辛口なスパークリングワインのようにすっきりと純粋な響きを、露もののバスであれば人生の悲喜交交を折り込むことのできるような倍音の豊かさを期待してしまう。では仏もののソプラノでは?その一つの答えがギオーではないかと思います。

彼女の声を聴いてまず強く印象付けられるのは、既に述べたとおりいかにも娘役らしい可憐さです。それも品よく躾けられた深窓の令嬢とでも言ったような風情で、フレッシュなのですが若さゆえのオーバーな熱量や効きすぎるぐらいの機転でキビキビと動き回る様子ではなく、むしろ楚々として奥ゆかしい空気を纏っています。ただこれで終わってしまうとあまりにも「お人形さん」になってしまうのですが、仏もののソプラノ役はそうではありませんよね?アントニア(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)はこのイメージに最もそぐう箱入り娘ですが、最後にはクレスペルやホフマンの籠の鳥を脱する人間としての芯の強さを持っています。非力な田舎娘の代表格であるようなミカエラ(G.ビゼー『カルメン』)も、恐怖と闘いながら戀する相手のいる無法者の住処まで乗り込む覚悟のできる女性です。マルガレート(C.F.グノー『ファウスト』)もローゼン(V.A.E.ラロ『イスの王』)もそうでしょう。彼女たちに通底する、一見すると可愛らしく弱々しい少女のようでありながら、自分の信じる道筋を抂げない我の強さを宿した人物に、ギオーはまさにうってつけの声を持っているし、またその楽器のポテンシャルを活かすことができたのです。だからこそ彼女のミカエラは決して添え物にはなることなく、頼りなげな外見に譲ることのないしたたかさを秘めた人物として、態度とは裏腹に弱さを内包したカルメンへのこの上ないカウンターパートであり得るのです。「カラスの『カルメン』のミカエラ」でも「ロードのカルメンのミカエラ」でもなく、「稀代のミカエラとして様々なカルメンと亘りあったソプラノ」なのだと、僕は声を大にして言いたいと思います。

彼女の美質の頂点として、あまりにも演奏されることの少ないE.レイエの『シギュール』が遺されたことは、オペラ・ファンの僥倖と言っても良いでしょう。ヴァーグナーの『神々の黄昏』の異稿と言えるこの物語で彼女が演じるのはブリュヌイルド、即ちブリュンヒルデです。その登場の悠揚たること!やわらかな美しさを保ちつつも、しなやかで雄渾な声と歌い口は、まさに戦女神にふさわしい神々しさを放っています。手に入れ難い逸品ですが、ぜひもっと知られて欲しいものです。

<アキレス腱>
「麗人」というイメージとぴったり合致したギオーの歌唱なのですが、どうもその長所がうまく発揮されていない印象の演奏もないわけではありません。何が、と言われると非常に困るのですけれども、どうもその可憐さと力強さのバランスがしっくりはまっていないと言いますか、「滑っている」感じに聴こえてしまう時があるのです……また、彼女もまたこの世代の歌手ですから細かい音の転がしについては雰囲気で聴かせている部分がないと言い切ってしまうと嘘になるでしょう(色々な意味でカバリエがお好きな方であれば気にはならないと思います)。

<音源紹介>
・ミカエラ(G.ビゼー『カルメン』)
ベンツィ指揮/ロード、ランス、マッサール、パニ、ブルデュー、プランティ、モリアン共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/1960年録音
プレートル指揮/カラス、ゲッダ、マッサール、ソートロー、ベルビエ、ヴォーケラン、プリュヴォ、マル、カレ共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/1964年録音
>いろいろ述べてきましたがギオーはやはりミカエラのイメージが強いのです。カマトトっぽいいやらしさを出さずに純朴で一途な田舎娘を演じるというのは難しいのだろうなあと思うのですが、そういう意味で彼女ほど好感度の高いミカエラ、『カルメン』というむわっとするような熱気をはらんだ作品の中で一服の清涼剤たり得るようなミカエラには、そうそう出会うことができません。最初に取り上げた抜粋盤は、これが全曲録られなかったのが本当に残念でならない、生命力と洒脱さに溢れた決定的名盤。彼女が登場するのは僅かにあのアリアだけなのですが、それでも『カルメン』の中でのこの役の存在をきちんと聴き手に刻みつける力があります。のちのベルガンサのカルメンを予見させる、軽やかできっぷのいいロードのカルメンと機微のわかったランス、ベンツィの瀟洒な音楽も抜群です。とはいえ、ギオーについていえばアリア以外も聴きたくなるのが人情で、そうなるとあの「カラスの『カルメン』」です。これで彼女を知っている、或いはここでしか彼女を知らないが印象的という人がいてもおかしくない名演をこちらでも遺しています。冒頭のモラレスたちとの絡みでは兵営が男ばかりという以上にちやほやされる理由のよくわかるチャーミングさですし、ジョゼを説得する静かな語りも真に迫っています。母の便りの重唱も美しい……のですが、ここでのゲッダは美声だけれどもちょっと健康的過ぎ。ジョゼは2つスタジオで遺していますし、いずれも水準以上とは思いますが、いずれを聴いてもゲッダに向いた役ではなかったんだなと思ってしまう部分は否めません。またカラスも評価が難しい……稀に見る演劇的表現力で磨かれたカルメンが魅力的でないなどというつもりは毛頭ないのですけれども、他方でオペラ座を支えた仏ものっぽいキャストにこれだけ囲まれてしまうと彼女の個性はあまりにも異質であるように思います、ここでいずれの録音でも共演してむしろ輝いているのは華やかな闘牛士、ということはマッサールの回で語りましたからそちらに譲りましょう。

・ブリュヌイルド(E.レイエ『シギュール』)
ロザンタール指揮/ショーヴェ、マッサール、バスタン、ブラン、An.エスポージト、シャルレ共演/ORTF管弦楽団&合唱団/1973年録音
>ギオーの歌手としての柄の大きさは、この録音で一番感じられるかと思います。ヴァーグナーとの作風の違いや筋書きの相違があるとはいえ、雄大で重厚なオーケストラをバックに女神の復活や、イルド(『黄昏』のグートルーネにあたります)との対決、壮大な死の場面にとてつもない馬力がいることには変わりなく、それを彼女らしい“たをやめぶり”を維持して歌い上げてしまうのを聴くと、エリザベッタ(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)なども遺してくれていればという詮ない妄想が、つい掻き立てられるのです。共演がこの時期の仏ものの粋を尽くしたメンバーなのもたまりません。特に主役のショーヴェ!彼もまた録音に恵まれていないのですが、これほどぴったりの役柄が遺っているのはありがたいです。

・ローゼン(V.A.E.ラロ『イスの王』)
デルヴォー指揮/ロード、ヴァンゾ、マッサール、バスタン、トー共演/リリック放送管弦楽団&合唱団/1973年録音
>彼女が遺した全曲盤ではカラスの『カルメン』とともに比較的入手しやすいものです。いかにも整い過ぎたお嬢様であるローゼンは、歌が上手いだけの人が演じてしまうと薄っぺらな印象を免れ得ないでしょうが、ギオーは優しいけれども力のある声で対照的な存在感を示しています。ちょうどカルメンに対するミカエラのように、ドラマティックではあっても多くの葛藤を抱えた弱さのあるマルガレードに対して、地味ながらローゼンは一貫して姉を心配し、守ろうとする譲らなさを持っているのだなということがわかるように思えるのです。そういう意味で、カルメンでもそうでしたがロードとのバランスが素晴らしいですね^^ヴァンゾのハスキーな声もセクシーですし、まとまった歌はないものの低音陣も充実しています。

・マルグリート(C.F.グノー『ファウスト』)
エチェヴリー指揮/ボティオー、ドゥプラ、ビアンコ、シルヴィ共演/管管弦楽団&合唱団不明/1960年録音
>何度か書いていますがこの時代の仏国の流行だったのか、上述の『カルメン』のみならずオペラは抜粋が非常に多いです(全曲録っていてくれたらどんなによかったか!)。華麗なヴィルトゥオーゾを聴かせる宝石の歌が大きな聴きどころであるが故に技巧に長けたソプラノが歌うことも多いこの役ですが、彼女たちにはあまり聴くことのできないこっくりとした響きの豊かさ、倍音のやわらかさを十二分に楽しめるのが、ここでのギオーの魅力でしょう。月明かりの入った部屋のように、程よい明るさと暗さの同居したような彼女の音色が、“トゥーレの王”など個別の歌にも合っていますし、作品全体の色調にも沿っています。そしてここでもフィナーレは堂々と神々しい……!ドゥプラはじめ必ずしも録音の多くない面々の共演も嬉しく、とりわけボティオーは貴重でしょう。

・アントニア(J.オッフェンバック『ホフマン物語』)
エチェヴリー指揮/ランス、メスプレ、サロッカ、セルコワイヤン、ジョヴァネッティ、マッサール、バキエ、ジロドー、ミシェル、ビソン、ソワイエ共演/管弦楽団&合唱団不明/1968年録音
>この作品のヒロインと悪役と道化とをそれぞれ別の人に演じさせつつ、全体を1枚のCD(恐らく当初はレコード両面でしょうね)に収まる長さにしてしまった抜粋ですから、ほとんどガラ・コンサートか歌合戦の世界なのですが、だからこそ当時の仏国の歌手たちの珠玉の歌声を凝縮した魅力のある音盤です。抜粋ではありますが、単なる清楚なおぼこ娘のようでいて藝術家として一本の筋の通ったアントニアはまさにギオーの適性にハマった役柄ですから、こうして聴くことができるのは非常にありがたいです。アリアの静謐さももちろんながら、やはりクライマックスの3重唱での恍惚とした音楽が一番の聴きどころでしょう。この瞬間、アントニアは表現という快楽に身を委ねているのだろうなということが感じられます。ここでも巧みに誘惑者を演じるバキエ、そして母の声にはソランジュ・ミシェル!ややエチェヴリーの指揮がおっとりしている気はしますが、それでもこれだけ仏ものらしいメンバーでこのアンサンブルを愉しめるのは大きいです。

・マティルド(G.ロッシーニ『ギョーム・テル(ウィリアム・テル)』)
ロンバール指揮/ブラン、ゲッダ共演/パリ・オペラ座歌劇場管弦楽団&合唱団/1967-8年録音
>パテ社は仏もの抜粋シリーズによくぞこれを入れてくれました!と心底思います、ロッシーニの最後の大作であり伊語版もあるが故に仏語の録音・映像は今でも必ずしも多くない作品ですから……。気高いブランやゲッダと並んでも、ハプスブルクの王女として登場して負けない気品を感じさせる淑やかな声の響きと端正な歌は流石のものです。ゲッダとの情熱的な(しかし決して伊的な暑苦しさに陥らない)戀の重唱もさることながらやはりアリア、特に最後に付加した高音の繊細な響きは多くのオペラファンを唸らせるに違いありません。ブランは本当にこういう役は似合いますね!格調高く英雄然としたテルは古典的過ぎるというご意見もあるでしょうが、元来のロッシーニたちの意には沿うものでしょう。ゲッダは全曲盤も遺していますがここでも柔和でありながら強烈な歌唱を披露しています。

・ミレイユ(C.F.グノー『ミレイユ』)
・サロメ(J.E.F.マスネー『エロディアード』)
・ドンナ・エルヴィーラ(W.A.モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』)
>最後はMalibranの出している名唱集から。このレーベルにはよくあることながら細かい情報はわからないことが多く、調べる限り『エロディアード』以外の全曲盤は出回ってはいないようです。うーん、実にもったいない!まずミレイユではあの長大な祈りのアリア、仏国でもルネ・ドーリアなど細めのソプラノが歌うことも多い役ですが、ギオーぐらいの響きの幅がある方がこの歌のドラマティックな盛り上がりも愉しめるし、絶叫調にもならなくて良いと思います。次いでロマンティックなマスネーの世界のサロメであれば、彼女はベストの歌手の一人と言えるでしょう。細く鋭すぎる声の人や、逆に脂の乗ったグラマラスすぎる人が歌ってしまうと、この役に欲しいエロティックな少女の姿にたどり着けない。ギオーの声には程よい肉感があるように思います。そしてエルヴィーラ!正直なところこれは彼女のイメージではなかったのですが、素晴らしい演奏がまとめられているこのアルバムでも随一の出来です。コミカルに傾きすぎてしまったり、逆に深刻になりすぎてしまったりするこの役で、少なくともこのアリアを聴くかぎり、ギオーはものすごくリアルな女性の気の迷い、親近感のある葛藤を描くことに成功しているように感じます。Malibraさんには是非こちらの全曲を出していただきたい……!
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