Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

ナブッコ(ナブコドノゾール)

ナブッコ(ナブコドノゾール)
Nabucco (Nabucodonosor)
1842年初演
原作:旧約聖書を題材としたオギュスト・アニセ=ブルジョアとフランシス・コルニュ合作の戯曲
台本:テミストクレ・ソレーラ

<主要人物>
ナブッコ(Br)…バビロニア王ナブコドノゾールで、ナブッコは通称。史実での新バビロニア王ネブカドネザル2世だが、作中でのバビロニアとアッシリアの扱いはかなりいい加減なので、まああまり気にしなくても多分大丈夫。
アビガイッレ(S)…ナブッコの上の娘。勇猛だが実は母親は奴隷であり、ナブッコは王位を継がせるつもりはない。正気の沙汰とは思えない難曲が用意されている大変な役。
フェネーナ(Ms)…ナブッコの下の娘。おそらく正妻の娘で、父親に溺愛されている。イズマエーレと恋仲で、密かに改宗している。
イズマエーレ(T)…エルサレム王ゼデキヤの甥で、フェネーナと恋仲。
ザッカリア(B)…ヘブライの大祭司であり指導者。彼らの代表として異教徒であるナブッコと対立し、神のことばを受ける。この人無視してるあらすじが結構あるけど、ナブッコ、アビガイッレと並ぶ作中の最重要キャラの1人。
アンナ(S)…ザッカリアの姉妹。姉だか妹だかよくわからんけどイメージ的には妹。
アブダッロ(T)…ナブッコの家臣。古くから仕えており忠実(多分)。
ベルの大祭司(B)…バビロニア人たちの宗教指導者で、ザッカリアと同じぐらい異教徒嫌い。何でこの人だけ名前がないのか謎。

<音楽>
・序曲
○第1部「イェルサレム」
・合唱
・ザッカリアのカヴァティーナ
・イズマエーレ、フェネーナ、アビガイッレの3重唱
・フィナーレ

○第2部「不敬な輩」
・アビガイッレのアリア
・ザッカリアの祈り
・イズマエーレのソロと合唱
・カノン
・ナブッコの譫妄

○第3部「予言」
・合唱
・ナブッコとアビガイッレの2重唱
・合唱
・ザッカリアの予言

○第4部「偶像破壊」
・ナブッコのアリア
・葬送行進曲
・フェネーナの祈り
・合唱
・アビガイッレの死

<ひとこと>
ヴェルディの第3作にして出世作。
内容は正直なところシッチャカメッチャカではありますが、一種異様な熱気に満ちており、ヒットしたのもよくわかる作品。あらすじに突っ込み出したら突っ込むところはものすごく多いし、台本だけ読んでみてもどのキャラクターもいまいち共感しがたい(というか理解しがたい言動が多いw)のですが、その熱気を孕んだ音楽と共にあるとものすごい説得力があり、一気に聴けてしまう。そして、その異様な熱気がこのあとの彼の作風を最も特徴づけるポイントとなっていると思っていて、基本的に彼の作品はテンションが非常に高い(というかテンションの低い、冷たい物の流れてるヴェルディなんて聴きたくない笑)。そういう意味で、如何にそれ以前の2作が打ち捨てるには勿体ない佳作だったとしても、ヴェルディの出発点、彼の原点は?と問われればやはりこの作品と断じて問題ないでしょう。全体の構成を見てもよく言われるとおりこの作品は特に合唱の力に負うところの大きい作品で、合唱が全く絡まない曲の方が少ないです。一方でソリストの活躍がないかと言えばそんなことはなく、アリア或いはアリア相当の音楽が多いです。逆に、ちょっと意外ですが重唱は第1部フィナーレのような大規模なアンサンブルを除くと2重唱と3重唱はそれぞれ1つずつしかありません。また、1幕あたりがながい2幕構成だった前2作に対し、そこまで長くない幕(この作品では部と呼んでますが))が4つという格好になっているのは聴衆の嗜好の変化の影響でしょうか。

爆発的なエネルギーに満ちた高カロリーな音楽が並ぶ中で、静かに望郷の念を歌う“行け、我が想いよ金色の翼に乗って”が一番有名なのは、ちょっと興味深いところです。これにまつわるエピソードはいろいろあります。公私ともに失意のどん底にあって作曲意欲が全く無かったヴェルディが自宅で台本を放り投げると、たまたまこの合唱のページが開き、その詩に感銘を受けて一気に作曲したとか、初演の際にこの合唱が熱狂的に受け入れられ、何度もアンコールがあり、一夜にしてヴェルディは人気作曲家の仲間入りをしたとか。どちらも非常に有名なエピソードで、伝記などでもよく取り上げられていますが、個人的にはちょっとどうにも伝説めいているような気がしています。直接文献にあたって調べた訳ではないので、あくまで私の妄想ですが、この曲が有名になってから作られた話のように思えます。もちろんリソルジメントの影響が全くなかったと言えば嘘になるでしょうが、だいぶ尾鰭がついているような。
歌劇全体の中で一段ぐっとトーンを落として、この曲が訥々と歌われることで、作品全体がきりっと引き締まって聴こえるその効果、素直に共感を呼ぶ内容の詩、そして穏やかながらも芯の通った力のあるヴェルディの旋律の美しさといった曲そのものの魅力については、言を待ちません。むしろ、こうしたエピソードは、その曲の魅力によって生み出されたものだと考える方が自然なのではないでしょうか。

“行け、わが想いよ”のみならず、合唱のナンバーはいずれも個性的で素晴らしいもの。冒頭の合唱からして力強く、またヘブライ人たちの混乱を良く表現したものですし、アッシリアを称える華やかな曲や、独唱者たちが絡みオラトリオのように響く4部のものも聴きごたえがあります。合唱団の力量が試される作品でしょう。

タイトル・ロールのナブッコは、ヴェルディの父親役、そして暴君役の源流と言うべきドラマティックで様々な表現が必要とされる役柄。作中ではいろいろな顔を見せなければなりません。登場から雷に打たれるまでは荒々しく横暴な侵略者ですし、アビガイッレとの重唱やアリアは1人の父親であり悔い改めた男、カバレッタでは軍人然とした表情を見せます。更に、雷に打たれてからの場面はナンバーとしては2部フィナーレの一部となっていますが、実質ナブッコの狂乱アリアと言っていいでしょう(ザッカリアとアビガイッレが一節ずつ最後に歌いますが)。非常にごつごつした印象の、粗削りな描写で描かれてはいるものの、上記のようなキャラクターの特徴は、後の作品に通ずる部分が非常に多く、後のヴェルディのバリトンのプロトタイプとでも言うべき存在です。逆にいえばプロトタイプとしての難しさもあって、声に頼り過ぎれば多面的な顔が描けず一本調子になってしまいますし、表現や演技力に頼り過ぎれば作品そのものが持つ熱情が薄まってしまいます。もちろん溢れ出る熱情だけに乗っかってはこの時代の作品の様式感からは外れてしまう。加えて、もともとこの台本でナブッコが改宗するのがかなり不自然ですので、それを何とか納得させるためには、なんらかのプラスワンがないと。要するにこの役はかなりの難役だということが言えるでしょう。

長女アビガイッレもまた大変な難役。終始怒りに満ちたこの女性を表現するために、ヴェルディは超高音から低音までドラマティックに響かせ、なおかつあらん限りのコロラトゥーラをゴリゴリと突っ込むと言うとんでもない音楽をつけています。この役もナブッコと同じようなディレンマを抱えていて、コロラトゥーラの得意な軽い声ではまるで小娘になってしまいますし、ドラマティックな重い声では逆に技巧がもたついてしまう。そしてさらに言えば、怒りと同時に父からも愛する男性からも愛されない者の哀しみが表現されなければ、技巧を見せるだけの浅いキャラクターになりかねません。登場の場面の低音ではその哀しみを羨望や恨みとして見せるべきですし、2重唱でのナブッコへの勝利宣言も嬉しそうになってはならない。父親への複雑な感情が表現されなければ、この作品はドラマとして薄くなってしまいます。また全曲のフィナーレは、今度は実質アビガイッレのアリア(最後にまたしてもザッカリアがちょろっと歌いますが笑)ですが、ここでの彼女の懺悔もまたナブッコの改宗と同じくやや不自然なので、そこを感じさせないようなプラスワンが必要でしょう。

ヘブライの代表たるザッカリアは、音楽的にはこの作品の主役とも言うべき扱いを受けています。タイプの違うアリアが3つも用意されている他、要所要所でドラマを展開させ、最後の最後も彼の高らかなナブッコへの称賛で終わります。この役にこれだけの見せ場が用意されている理由としては、初演の名バスであるニコラス=プロスペア・デリヴィスの力量に負うところも多いでしょうが、やはり物語上のこの役の重要性抜きには考えられないと思います。軍事力でバビロニアに敗れても、ヘブライの人々を信仰の道に導く予言者という役どころを考えれば、当然カリスマがないと務まらないですし、もっと言ってしまえば、この作品に於いて彼こそが、彼らと彼らの宗教そのものを象徴していると言っていいかもしれません。宗教劇のとしてのこの作品の出来がいいかどうかはまた別として、この作品の宗教劇としての側面はやはり重要です。ナブッコはそのために譫妄し改宗する訳ですし、アビガイッレは懺悔して死んでいくのですから。ナブッコやアビガイッレほどの難しい表現が必要な役ではありませんが、作品の要石として重要なキャラクターであり、彼がイマイチだと全体がしまりのない印象になってしまいます。

これら3役に比べると戀人たち、即ちフェネーナとイズマエーレは個性の少ない役で、どちらかと言えば「道具立て」という感じがします。ナブッコの愛の対象でありアビガイッレの憎しみの対象であるフェネーナと、アビガイッレの愛の対象であり物語を進展させる事件を起こすイズマエーレという役割以上には、あまり大きな意味付けはなされていないと言っていいでしょう。フェネーナには魅力的なアリアが与えられていますが、小さなものですし、フェネーナのキャラクター付けに貢献していると言うよりは展開のうえでの必要があって入れられている感じがします。イズマエーレに至っては、合唱と絡むソロはあるもののアリアもありません。これがのちのヴェルディだったら同胞を裏切ったことへの後悔とフェネーナへの愛の間で苦悩するアリアのひとつもあるのではないかと思いますが、彼の後悔は起こした事件の大きさに対し非常にさらっと扱われています。このあたりヴェルディが彼らをあまり重視していないことが伺えます。

総じてかなり要求の多い演目です。演奏は困難を極めるでしょう。
ですが、だからこそこの演目は非常に面白い作品だと思います。

<参考音源>
○ランベルト・ガルデッリ指揮/ナブッコ…ティート・ゴッビ/アビガイッレ…エレナ・スリオーティス/フェネーナ…ドーラ・カラル/イズマエーレ…ブルーノ・プレヴェーディ/ザッカリア…カルロ・カーヴァ/ベルの大祭司…ジョヴァンニ・フォイアーニ/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団
>まずはゴッビの藝をステレオで楽しめるというのが非常にありがたいところ。声自体は最盛期はないですし発声にも癖があるように思いますが、それがまた却ってナブッコというキャラクターの異形さを際立たせているように感じます。各場面の演じ分けも見事の一言、特に圧巻は譫妄の場面とアビガイッレとの対決で彼らしい解釈の深さが感じられます。マクベスも残して欲しかった…(苦笑)そしてスリオーティスのアビガイッレ、これも良く残してくれましたというところ。フェネーナとイズマエーレのやり取りに割っている登場の場面から迫力ある声でゾクゾクさせられます。重量感ある声で転がしもきちっとやってくれますし、おそらくこれは彼女のベストの録音のひとつと言っていいでしょう。ザッカリアのカーヴァはこの時期の中堅バスでもうちょっとと思う録音も少なくないのですが、ここではいい仕事をしています。力強い声の流麗な歌い回しで、どちらかというと人間臭い感じのする人物造形です。プレヴェーディもイケメン声でカッコいいですし、カラルも清楚な感じで素敵。ヴィーン国立はオケも合唱も非常に澄んだ音色で、この暴力的な音楽にはちょっと美しすぎる感もありますが、まあそれは高次元な贅沢でしょう。ガルデッリは流石に初期ヴェルディがよくわかっている感じ。この作品でも熱情に流され過ぎず、派手にドライヴこそしませんが、きっちり音楽を積み上げている印象です。

○ジュゼッペ・シノ―ポリ指揮/ナブッコ…ピエロ・カプッチッリ/アビガイッレ…ゲーナ・ディミトローヴァ/フェネーナ…ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニ/イズマエーレ…プラシド・ドミンゴ/ザッカリア…イェヴゲニー・ネステレンコ/アンナ…ルチア・ポップ/ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団&合唱団
>録音史上最高のナブッコはカプッチッリだと思います。これは譲れない。先述のゴッビや後述のマヌグエッラ、それに現代ならヌッチも素晴らしいナブッコですが、総合点ではやはりこの人がベスト。さまざまな顔を描かなければいけない役どころですがいずれをとっても圧巻の表現力。そしてその声!単純に美しいとか聴き栄えがするという部分もありますが、まさにこうした時代物にうってつけの主役の声であります。そしてディミトローヴァのアビガイッレも大変素晴らしい。美声ではないけれども力強い声としっかりした技術でいかにもな感じの隈取のキャラクターを作っています。基本的に声がデカいんですが、絞るところはぐっと絞っていたり剛直一本槍だけではない部分もあって、世評ほど大根ではないと思います。ネステレンコのザッカリアもびちっと決まってます。このひとはパワフルな低音のイメージが強いですが、そのパワフルさを維持しつつ高音がまた輝かしく、意外と高い音も沢山出てくるこの役では持ち味が活きます。カーヴァより峻険な感じの印象もこれはこれで不屈の大祭司には合っているように思います。ヴァレンティーニ=テッラーニの淑やかな声は清純派のフェネーナに合ってますが、イズマエーレにドミンゴはちともったいなさすぎやしないかい^^;そしてそれよりも勿体ないのはポップがアンナって誰の趣味だよwww凄くいいけどこれはちょっと役不足すぎるでしょうwwwベルリンのオケと合唱も丁寧でいいですがそれを更に印象付けているのはやはりシノーポリの指揮でしょうな。このひとも熱気だけに流されず様々な動きを見せて呉れていい仕事してると思います。

○リッカルド・ムーティ指揮/ナブッコ…マッテオ・マヌグエッラ/アビガイッレ…レナータ・スコット/フェネーナ…イェレーナ・オブラスツォヴァ/イズマエーレ…ヴェリアーノ・ルケッティ/ザッカリア…ニコライ・ギャウロフ/ベルの大祭司…ロバート・ロイド/フィルハーモニア交響楽団&アンブロジアン・オペラ合唱団
>マヌグエッラのナブッコはうえの二人に較べるとだいぶ普通ではあるのですが、立派にヴェルディを歌う声があることと、そして何より彼の知的な歌い回しは魅力的です。アリアのようにドカンと歌うところももちろんですがレチタティーヴォも巧いし、譫妄も悪くない。スコットのアビガイッレは配役だけ聞くとミスキャストに思えるんですが、これが一世一代の大熱唱。声質的にはスリオーティスやディミトローヴァよりも明らかに軽いのですが、その迫力たるや圧倒的で、この3人の中で実は一番烈女系かもしれない。声的にも歌的にもほとんど破綻寸前なんだけれども本当に紙一重的バランスで、ゾクゾクさせられます。そしてギャウロフの貫録のザッカリア。声自体は全盛期の豊かな響きではないのですが、兎に角スケールが大きい。そのスケールの大きさがそのまま役の説得力に繋がっていて、そりゃこのひとだったら負け戦であったとしてもヘブライ人たちも彼を支持するだろうね、と言う感じ。これだけ存在感があれば要石としての存在感は十二分です。ルケッティは日本ではいまいち人気がないテノールですがここではプレヴェーディと同様なかなかにヒロイックで爽快。オブラスツォヴァのフェネーナは歌の内容的には文句はないのですがちょっとキャラが強烈すぎやしないかと思わなくもない^^;オケ・合唱はともに伊国の団体ではないですがそれでもかなり良く聴こえるのはムーティの手腕でしょうね。このころのムーティは伊ものだと本当に豪快でスカッとして気分がいいですね。特にこの演目ではこのアプローチがあっているように思うし。かと言って全箇所かっ飛ばしてるだけってわけでもなく、例えば最後の最後のザッカリアの賛辞とかは逆にどっしりとしたテンポで作品の座りをよくしています。や、ものすごい熱情に駆り立てられたような演奏だけれどこれはすご~く計算されてると思いますよ。恐るべきムーティ。最近のは好きじゃないけど(笑)
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