Don Basilio, o il finto Signor

ドン・バジリオ、または偽りの殿様

オペラなひと♪千夜一夜 ~第百夜/ナポレオンは死んだが、別の男が現れた~

「1,001回やれたらいいな」ぐらいの軽い気持ちで始めた本シリーズですが、そんなん無理だわと気付くのにそんなに時間はかからなかったwここまで来るのにかなりかかりましたが、ようやっと、本当にようやっと100回を迎えることができました。
いやあ、時間かかった^^;

第50回では作曲家いうことでヴェルディをご紹介したのでした。
今回も同じくオペラの大家をご紹介。

Rossini.jpg


ジョアキーノ・ロッシーニ
(Gioachino Rossini)
1792~1868
Composer
Italy

「ナポレオンは死んだが、別の男が現れた」
スタンダールの『ロッシーニ伝』はこの一文から始まります。

この偉大な作曲家は、ほんの20代のときからその天才を発揮して、欧州をまたにかけて活躍、その名声を恣にします。しかし、僅か38歳で筆を折り、以降はほんの簡単なものしか書かなかったというのは有名な話です。ちょっと変わってはいるけれど人懐っこい魅力のあった人のようで、それ以外にも面白おかしいエピソードは枚挙に暇がありません。おそらくはかなりの割合で尾鰭がついたものだとは思いますが、ヴァーグナーとの音楽談義の逸話など、何度聞いても笑えます。このあたりは詳しく述べている書籍やWebサイトもたくさんありますから、詳細はそちらに譲ります。

作曲したオペラは40近いのですが、その後のロマン派の時代の中でこの天才は一時期殆ど忘れられた作曲家になっていました。そのあたりの事情も他の記述に譲りますが、レパートリーとして命脈を保ち続けていたもの、となるとブッファで行けば『セビリャの理髪師』、『チェネレントラ』、『アルジェのイタリア女』、セリアなら『セミラミデ』、『モゼ』、『グリエルモ・テル(ウィリアム・テル)』ぐらいでしょうか。しかし、長い間演奏が少なかった作品、或いは現在でも決して演奏機会の多くない作品にも、素晴らしい作品はたくさん眠っています。

今回は敢えて超有名作ではなく、そのような秘曲の中から個人的な選りすぐりをご紹介したいと思います。何年か前なら『ランスへの旅』を入れたのでしょうが、ちょっとベタすぎるかなあと思って辞めちゃいました^^;

・『シャブランのマティルデ、または美女と鉄の心』
フリッツァ指揮/フローレス、マシス、アレヴィ、タッデア、ヴィンコ、レポーレ、デ=シモーネ、キアッリ等/ガリシア管弦楽団&プラハ室内合唱団/2004年
>そんなことを言いながらいきなり一発目にDECCAからきっちり日本語解説付の録音まで出てしまっているやつを出すのもどんなもんかなあとは思わなくもないのですが^^;とはいえ『ランス』のように蘇演後の上演が盛んな訳でもなくまだまだ知名度の低いこの曲を、「秘曲」と謳っていながら取り上げないのはあまりにも片手落ちなので。いくつかの改訂版があるようですが、ここで演奏されているのはナポリ稿と呼ばれているものだそう。兎に角ロッシーニの作曲の技の粋を尽くした超弩級の傑作で、話の展開がわからなくても終始その音楽に身を委ねるだけで、彼一流の愉悦の世界に浸ることができます。ここではフリッツァがさっぱりとした響きで推進力のある音楽を作って呉れていますし、歌唱陣のレベルも高いため、フレッシュで爽快な演奏に仕上がっていて、演目の長さを感じさせません(1幕だけで1時間50分もあるのに!)
歌唱陣では何と言ってもフローレスにとどめを刺します。アリアこそないものの、テノール殺しと言うべき厄介で過酷な高音と転がしの連発。普通に考えたらこんなもん歌えないよ!と歌手が怒りだしそうな楽譜が延々と書かれている訳なのですが、彼はそれをものともしないどころか本当に自然に、何処かに余裕すら感じさせながら歌いきってしまいます。美声ながら硬めで切れ味の鋭い響きが、このエキセントリックな人物にリアリティを与えており天晴な歌いぶりです。対するヒロインのヴェテラン、マシスがまた素晴らしい!仏人の彼女はどちらかというとベルカントより仏ものの方がその良さが出るように思っているのですが、ここではそんな前知識は何処かへ吹っ飛ぶ卓越した歌唱。ゴージャスで華々しい技巧の渦に耳が釘付けになること請け合いです。尚且つ、この人もまたいくつになってもコケティッシュですよね^^かわいらしさもコミカルさも際立っています。厄介なアリアのあるアレヴィはやや硬さもありますが、技巧もしっかりしていますし、このセミ・セリアのセリア的な側面を感じさせるひたむきな歌唱が好印象です^^彼女に絡む超絶技巧的なホルンもお見事。マルコ・ヴィンコは名前を聴いたときには叔父さんのイーヴォの七光りかと思いましたが、全く違う軽やかでフットワークの軽い藝風に驚かされますし、侍医としてのちょっと気取った真面目さもアクセントになっています。デ=シモーネはバルトロ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)やマニフィコ(同『チェネレントラ』)などよりもよっぽど感心させられる素晴らしい歌唱で、むしろこういう斜に構えた役、同じ『チェネレントラ』でもダンディーニとか或いは詩人(同『イタリアのトルコ人』)、タッデーオ(同『アルジェのイタリア女』)の方が光りそうな気がします。レポーレも軽快なことば捌きでヴィンコ、デ=シモーネともどもアンサンブルを盛り上げていて◎
ロッシーニ上演を語る上で欠かせない録音だと思います。

・『アルミーダ』
シモーネ指揮/ガズディア、メリット、フォード、マッテウッツィ、ワークマン、F.フルラネット等/イ・ソリスティ・ヴェネティ&アンブロジアン・オペラ合唱団/1990年
>こちらはスタジオ録音ですが、国内ではあんまり出回っていないのではないかと。この作品で検索するとフレミングがMETでやったものの情報が殆どであとはカラスの音の悪いライヴ盤の話ですが、私見では演奏そのものはフレミングのものの数段上を行くと思っているのがこちらの録音です(カラスのは少し聞いた限りではあれだけ音が悪いと判断がつかないし、あの時代のテノールには歌いこなせていないです。誤解なきように言いますが、先のフレミングもカラスと共演しているフィリッペスキやジャンニ・ライモンディも優れた歌手だと思っています。単純にこの演目に向いていないと感じるだけ)。我らが山路芳久が出演しているアンダーソン&ブレイク主演のものも大変すばらしい演奏で、こちらをご紹介しようかとも思っていたのですが、肝心のアルミーダのアリア・フィナーレの音が悪すぎるので、迷った挙句こちらにしました。演目としては「え?そこで終わるの?!」とびっくりさせられる数あるオペラの中でも指折りの尻切れ蜻蛉台本だと思う一方、音楽的にはロッシーニの天才を感じさせるもので、とりわけアルミーダとリナルドに充てられている部分は最高!後年『モゼ』や『チェネレントラ』に転用している部分も散見されます。
指揮はロッシーニはお得意のシモーネだけあって安心して聴くことができます。今回ご紹介した中では唯一のスタジオ録音なのでライヴ感はないのですが、音質もいいですし密度の濃い丁寧な音楽で好感が持てます。スピードと歯切れの良さで愉悦を演出するのではなく、書かれている音楽そのものでこれだけ楽しく聴かせるのだからシェフの腕は大したものだと思います。
それを盛り立てているのが卓越した歌唱陣!優れたロッシーニ歌手が沢山出てきている現代においてもこれだけのメンバーはなかなか集められないものです。やはり主役アルミーダのガズディアの凄まじい切れ味の歌唱が記憶に残ります。彼女もまた日本では今一つ評価されていないように思うのですが、十分な重さとドラマティックさを持ちながらフットワーク軽く技巧的な歌いまわしも身につけていた素晴らしいソプラノです。その煌びやかな技巧でコンサートで歌われることも多い名アリア“甘い愛の帝国”も非常に見事ですが、なんといっても圧巻はアリア・フィナーレ!前半の気を失うほどの落胆と衝撃からくる茫然自失ぶりからの復讐の怒りに燃えるパワフルなコロラテューラ!!長い曲ではありますが聴き手の我々に息もつかせない凄まじい緊張感です。プリマ・ドンナとはこういうものだということを思い知らされます。そしてそのアルミーダと並ぶ超難役リナルドを演じるのは、ブレイクとフローレスを繋ぐ世代のロッシーニ・テノールの雄メリット!ベル・カント歌手として活躍していた頃の彼の最高の歌唱のひとつではないでしょうか。彼らしい太くずっしりした響きから弾き出される技巧と高音の強烈さは筆舌に尽くしがたいものがあります。ガズディアとの声の相性も良く、両者の重唱は実に美しいです。とはいえ、やはりメリットの実力の高さを強く感じさせるのは、有名なテノール3重唱でしょう。ここではフォードとマッテウッツィというこれまたロッシーニ・テノールの第1人者を従えて、なおかつ主役としての強い個性を発揮しています。カバレッタに入ってからのこちらも火が出そうなコロラテューラは癖になりますし、最後の部分での3人揃ったハイCはオペラ録音指折りの至宝と言ってもいいのでは。主役こそメリットに持って行かれているとはいえ、フォードとマッテウッツィは2人とも1人2役をこなしつつ、リナルドとは全く異なる良さをしっかり打ち出しています。フォードのアリア中間部でのロマンチックな甘さ(復讐に燃える部分なんですけどねw)、マッテウッツィののびやかで決然とした歌い回しいずれもお見事。チョイ役で登場するワークマンとフルラネットも何と贅沢!というかなんでこんな歌うところの少ない役を歌ってるのよフルラネット!!wwお蔭で1幕の4重唱はめり込みなく決まっていますがww
METの映像やカラスの録音で面白くないと思われた向きには、是非聴いていただきたいです。

・『エジプトのモゼ』
アッカルド指揮/スカンディウッツィ、ペルトゥージ、ブレイク、デヴィーア、スカルキ、ディ=チェーザレ共演/ナポリ・サン=カルロ歌劇場管弦楽団&合唱団/1993年
>『モゼ』は成立過程が非常に煩雑な作品で、私の理解では当初伊国の劇場向けに伊語で作曲されたのが『エジプトのモゼ』、その音楽をもとに仏国の劇場向けに大幅に改編を行い仏語にしたのが『モイーズとファラオン』、それを更に伊語に直したのが『モゼ』。『モイーズとファラオン』は恥ずかしながら視聴できていないのですが、『エジプトのモゼ』と『モゼ』について言えば、改作で同じ旋律が登場するとは言え全く別物と言っていいように個人的には思います(ヴェルディの『第1回十字軍のロンバルディア人』と『ジェルザリム』みたいな感じ)。ややこしいことに『エジプトのモゼ』と名乗りながら演奏しているのは『モゼ』と言う録音も複数あるようですが、知る限り『モゼ』の録音が一番多く、この『エジプトのモゼ』は録音・映像ともに少ないです。が、これはその少ない資料の中では信じられないほど素晴らしい内容の映像です!画質音質とも近年のものと較べると残念ながら遜色があるのですが、舞台としてはちょっとこれ以上のものは考えられません。声よし、演奏よし、姿よしと三拍子揃っています^^
アッカルドと言う指揮者は知らないと思っていたのだけれども、かなり有名なヴァイオリン奏者だそうですね。器楽奏者になじみがないものでお恥ずかしい限り(^^;どうしても歌の印象が強いのですが、急緩のついた立派な采配だと思います。ロッシーニらしい前進する音楽づくりで、終幕クライマックスのドラマティックな展開はお見事です。一方で2幕の4重唱や有名な祈りも静謐で素晴らしく、オペラらしい“音楽による時間の停止”が実に自然になされています。
そして歌手陣が最高!オジリーデを演ずるロックウェル・ブレイクは非常に自己主張の強いテノールなので、ともすると濃過ぎたりアクが強すぎたりと言うことがあるのですが、この役そのものが、一本気で直情径行、自分の色戀のためには大胆な行動も厭わないという、かなりアグレッシヴな代物なのでピッタリです^^アリアこそありませんが、エルチアとの2つの重唱、ファラオーネとの重唱はじめ、高音もあれば技巧も盛りだくさんの難役なので、ロッシーニ・ルネサンスを支えた技巧派である彼の面目躍如たるところ。『モゼ』を含めてもこの役まわりの録音のベストと言っていいでしょう(ややこしいことに『モゼ』では名前がアメノフィスに変わるのですが……しかも『モゼ』ではオジリーデと言う名前の大臣も出てきたり^^;)ヒロインのエルチアのデヴィーア、個人的には完璧な技巧に反して熱狂を感じさせないイメージのある人なのですが、ここでは興に乗っていたのかかなりアツい歌い口で興奮させられます。アリアの最高音の切れ味などこの人だからこそ出せるものでしょう。ブレイクとの相性も良く2つの重唱が盛り上がるのは実力者2人の相乗効果でしょう。ファラオーネを演じるペルトゥージはこのメンバーの中では最年少、何と28歳の時の録音ですが、貫禄のある歌いぶりで若さを感じさせません。この『エジプトのモゼ』ではアリアもありオジリーデとの重唱もありで『モゼ』より数段大変な役だと思うのですが、いつもながら転がすパッセージもお手の物。何より権力ある王としての厳めしさが強く感じられるのが舞台としては非常に嬉しいところです。アマルテアのスカルキははっきりイマイチな歌の時もあるのですが、ここではコロラテューラもちゃんとしていますし、セコンダ・ドンナの母親役らしい一歩引いた淑やかさが歌にも声にも演技にも出ているのが◎アロンネのディ=チェーザレもこの時はヴェテランだったと思いますが、如何にも頭が切れて口うるさい長老らしい雰囲気を漂わせる一方、素直で耳馴染みのする美声が印象に残ります。そして誰より題名役のスカンディウッツィでしょう。ロッシーニを得意とする他のメンバーの中でひとりより重たくドラマティックな演目を得意とする彼が入ることで、モゼのカリスマ的なイメージが強くなります。どっしりと深いプロフォンドはペルトゥージの切れのある声と好対照をなしており、この2人が絡む場面はタイプの違うバスの魅力を楽しむことができて楽しいです。もちろんただずしずしと重たいだけではなく、彼らしい優美で端整な口跡も大きな魅力ですし、フットワークの軽さも感じさせます。この演目は題名に反してオジリーデとエルチアの印象が強くなりがちですが、彼がしっかりと物語の軸になっているように思います。
この映像もうひとつ素晴らしいのは、画像の粗さはあるものの各役の見た目がばっちり役柄に当てはまっていて美しいこと。昨今オペラ歌手の見た目も随分良くなってきたのはご存じのとおりかと思いますが、それにしてもこれだけ姿も声も歌もしっかりハマっている映像と言うのはそうはないでしょう。特にスカンディウッツィのイケメンぶりには惚れぼれします笑。
伊もの、特にベルカントを好まれる向きには是非。

・『トルヴァルドとドルリスカ』
ペレス指揮/メリ、タコーヴァ、ペルトゥージ、プラティコ、フィッシャー、アルベルギーニ共演/ボルツァーノ=トレント・ハイドン管弦楽団&プラハ室内合唱団/2006年
>本作は『セビリャの理髪師』の直後に書かれた作品で、ロッシーニ自身もかなり気合を入れて作曲した(転用も殆どないそうです)のにも拘わらず、初演時の評価がいま一つで現在に至るまで殆ど知られていません。では実際この録音を聴いてみてどうかといいますと、なぜこれほどの傑作が日の目を見ることがなかったのか不思議なぐらいの代物。話の筋自体は『フィデリオ』(L.v.ベートーヴェン)を彷彿とさせる、ド定番と言うべき“救出オペラ”ではありますが、『シャブランのマティルデ』同様その音楽的な魅力が台本をはるかに凌駕していると言って過言ではないでしょう。脇役オルモンドの歌うシャーベット・アリアに至るまで緊張感のある密度の高い音楽に溢れており、この公演のように優れたメンバーを揃えれば、圧倒的な印象を与えて呉れます。ここで指揮をしているペレスと言う指揮者も演奏しているオケも寡聞にして私自身は他では聞いたことがないのですが、ロッシーニに欲しいドライヴ感のつまった音楽を、軽い風合いながらも充実した響きで聴かせていて、近年の他の優れたロッシーニ演奏と較べても遜色なく感じました。プラハの合唱もお見事。
歌唱陣はいずれも優れていますが、わけても悪役のオルドウ公爵を演じるペルトゥージが傑出していると言っていいでしょう。セミ・セリアの悪役らしくシリアスで恐ろしい側面とコミカルな側面とがある役ですが、全体にはシリアスに寄りつつもどちらにも不足を感じさせません(作品そのものがどちらかと言えばセリア寄りのセミ・セリアなので、彼の判断は的を射ていると言えます)。いつもの彼らしいシャープな響きながらゾッとさせるようなドスも効いていて、『フィデリオ』のドン・ピツァロ(役柄的にも近い)に欲しいような酷薄さが窺えますが、同時にそこにセクシーな悪の魅力をも醸し出しています。クライマックスの公爵退場のアリアも見事な迫力で、この作品の本来の主役がこの役であることを聴衆に印象付けています(ロッシーニがここに公爵の最大の見せ場であり曲中の白眉とも言えるアリアを持ってきているのに対し、ベートーヴェンがピツァロの退場にはまるで無関心だったことはちょっと面白いところ)。主役のメリは少し声が重くなってきている頃の歌唱のように思いますが、伊ものにありがちなつっころばしではなく申告で真面目な役どころなのでむしろピッタリ来ています。声そのもののクリーミーな味わいは落ちていませんし、転がしも達者でむしろヒロイックな感興を増していると言ってもいいでしょう。ふたつのアリアも難なくこなしています。もう一人の主役、ヒロインのタコーヴァは実はあまり聴いたことのないソプラノで、ロッシーニを歌うにしては太くて重ための声のように思うのですけれども、それが却って淑やかな風情を出していて魅力があります。重心の低い声であることもあってコロラテューラはところどころぎりぎりでハンドルを切っているような感じもありますが、まずまずクリアしています。それよりも悲劇のヒロインとしての凛とした佇まいが感じられる歌によるプラスの方が大きいと思います。演目的に物凄くコミカルなアリアがある訳ではありませんが、現代を代表する名ブッフォ、プラティコのジョルジョも小気味よく、この役柄に人間的な厚みを加えています。およそオペラ歌手で彼ぐらいそのダミ声で得をしている、或いはそのダミ声を効果的に遣っている人はいないでしょう^^彼と前述のペルトゥージ、メリの出来が非常によいお蔭で、ロッシーニの手によるものの中でも強烈な男声3重唱は超快演!彼の妻を演ずるフィッシャーもよく気の回る、優しくて慎み深い女中を等身大で演じる一方、見せ場のアリアでは技巧も聴かせています。目立つ役でこそありませんが、好サポートで嬉しくなります。脇役のオルモンドにアルベルギーニは、今ではちょっともったいないぐらいのキャスティングですね笑。
これを聴かずにロッシーニ・ファンを騙る勿れ、という名盤です。

・『オテロ、またはヴェネツィアのムーア人』
タン指揮/オズボーン、バルトリ、カマレナ、ロチャ、カールマン、ニキテアヌ共演/ラ・シンティッラ管弦楽団&チューリッヒ歌劇場合唱団/2012年録音
>『オテロ』というとやはり有名なのはヴェルディの作品だとは思いますが、ロッシーニも書いています。台本がシェイクスピアからかけ離れていて酷いという評が昔からあるのですが、この作品が作られた時代にはシェイクスピアの『オセロー』は伊国では普及しておらず、基本的なプロットは一緒だけれども全く別物と思った方がいいのだとか。加えて本作ではオテロよりもむしろデズデモナに焦点が当てられていて、ヴェルディのオテロの死を想定して観ると最後があっけなく感じられる一方で、柳の歌からデズデモナの死までの充実した音楽は特筆すべきものがあります。デズデモナを除くと主要な役は3役もテノールで、先ほどの『アルミーダ』を思わせる編成です。
この映像では全体に時代を移した演出になっており、全体的にセットも衣装も近代的でな雰囲気ではありますが、過激なことをしている訳ではないので或意味で安心して観ることができます。他方で昔ながらの棒立ち演出かと言うとそんなこともなくて、むしろ現代劇のような張りつめた緊張感を孕むとともに、各人の動きに説得力を持たせていて素晴らしい舞台です。音楽的にもぐいぐい聴かせる求心力があります。タンの指揮そのものは立ち上がりもう一つかなと思っていたのですが、歌唱陣のテンションに引っ張られてか進むに従ってどんどんよくなります。正直なところ、私自身この映像でこの作品を再評価したような次第です。映像も録音もそんなにたくさんある作品でもありませんから、こういう優れたものが1本あることは非常にありがたいところ^^
歌唱陣はいずれも現時点でこれ以上はなかなか考えられないメンバーと思います。いずれのどの場面でも覇気のある圧倒的な歌で、2幕途中までは3つのテノール2重唱にいたく感動していたのですが、2幕のアリア・フィナーレから終幕までバルトリが凄過ぎて全部持って行ってしまいました(笑)デズデモナは技巧を魅せる部分だけではなく、1幕のエミーリアとの重唱や所謂“柳の歌”のようにしっとりと歌の美しさを聴かせる部分の比重がかなり大きいのですが、そもそも大前提として彼女は非常に歌がうまいので、抜群のパフォーマンス。特にニキテアヌがまた美声なので1幕の重唱は、哀しい響きではありながらも本当に美しい音楽に仕上がっています。一方で1幕フィナーレや2幕でテノール対決に分け入るところ、そして刺殺の場面のような激しくドラマティックな場面では、強烈なコロラテューラを伴った劇的な歌唱が印象に残ります。そして歌とともに演技がまた天晴なもの。というか彼女の場合、歌とことばと演技とが三位一体となっていると言ってもいいかもしれません。歌が凄いところは演技もことば捌きも凄いのです。そうした意味で、個人的には全編亘って最も気に入ったのは2幕のアリア・フィナーレ。オペラにおける迫真のパフォーマンスとは、まさにこういうもののことをいうんだと思います。題名役のオズボーンも見事な歌唱です。高音まできっちり決まる一方でここでのテノールの中では比較的太め重め。重心の低い声からのパワフルな歌い口は猛将オテロのイメージに沿いますし、彼もまたことばの繊細な扱いが達者。アリア以上に重唱での冴えがお見事。ロドリーゴのカマレナはオズボーンとは好対照をなす軽やかでノビヤカナ声の技巧の達者なテノール。その技術の確かさはひょっとするとフローレス以上かもしれません。アリアも重唱もキレッキレです。歌唱技術も見事ながらむしろ演技で光ったのがイァーゴのロチャ。パット見いい人そうで(普通にヒーロー役でも行けそう)実際そういった体を装いつつも邪悪な顔をちらつかせるあたりは心憎いばかり。それでいて重唱の途中で超高音を噛ませてきたりしていて、アリアはないながらに裏の主役と言ってもよい活躍。カールマンはレイミーを思わせる重心の低いしっかりした声ながら転がしも行けるし、先述のとおりニキテアヌも美しい声で善戦。
ロッシーニの隠れた傑作、伊もの好き必聴の1枚。

・『オリー伯爵』
グイ指揮/セネシャル、バラバーシュ、カンネ=マイヤー、アリエ、マッサール、シンクレア共演/トリノRAI交響楽団&合唱団/1957年
>最後に敢えてちょっと毛色の違うものを。録音年代を見れば一目瞭然ですが、ロッシーニ・ルネサンス以前のレトロな上演で、今の歌手だったらこういう歌い方はしないだろうなあと思う部分は多々ありつつも、全体に仏流のエレガンスを感じさせる捨てがたい魅力があるのです。殆どの音楽が『ランスへの旅』からの転用とはいえ(基本的にはロッシーニは、『ランスへの旅』を機会ものの作品と捉えており、再演をあまり前提としていなかったようです)、仏語の作品として作られた本作が、セネシャルやマッサールのような仏もののスペシャリストたちによって歌われるのを聴くことができるのは非常に嬉しいところ。他のメンバーは意外とグローバルなメンバーなのですが、非常に仏ものっぽい演奏になっています。
ヴィットリオ・グイは伊人の指揮者ですし、オケも合唱も伊国のものではありますが、軽やかな音楽に仕上がっています。グイは近代での蘇演にも深く関わった人物と言うことで、当時この演目については権威と言ってよい人だったのかもしれません。なんにしても洒脱な仕上がりが心地いいです。超名曲の第1幕フィナーレのアンサンブルも彼の手腕があってこそのものでしょう(余談ですが、この曲のもととなった『ランスへの旅』の14重唱(!)の大コンチェルタートは、個人的にはロッシーニの最高傑作の1つだと思っています)。
歌唱陣では上述のとおり、何と言っても生粋の仏勢セネシャルとマッサール!題名役を演じるセネシャルはいい意味で肩の力が抜けた歌で、やわらかく優美でありながらもこの役らしい軽薄さといい加減さを実によく体現していて、この全く褒めるべきところのない主人公をとても魅力的に演じてみせています。転がしもうまいし、高音もピシっと出せるのですが、一番うっとりさせられるのはその官能的な裏声かもしれません。いまどき頭声をこうやって使う人はほとんどいませんが、効果的に使えば歌唱の表現として素晴らしい抽斗になりうると納得させて呉れます。マッサールもまた高音の頭声がお見事。柔らかい響きのバリトンが出すこういう音には得も言えぬ色気があります。そしてことば捌きがとりわけ巧みで、酒を見つけてきたことを自慢するアリアも余裕綽々、自惚れたランボーの姿が容易に想像できます。一方で彼らしい上品で洒落た歌い口は健在で、とてもオモシロオカシク歌っているんだけれどもやり過ぎて伊流のブッフォになったりはしないあたり流石の匙加減。家庭教師を演じるアリエは仏勢ではありませんが、この役は彼本来の魅力であるしなやかで深みのある声の響きが最大限に活かされる役だということがよくわかります。同時に、重厚でどっしりした響きの声でありながら転がしも達者で、彼がベルカント復興期に生まれていたらさぞかし活躍したに違いないのになどとつい思ってしまうくらい。彼もまたアリアの高音を絶妙な裏声を駆使して表現していてgood!男声陣に較べると女声陣はややマイナーなメンバーではありますが、いずれも聴きおとりしません。伯爵夫人を演じる洪国の名花バラバーシュは、やや歌い口が独っぽいと言いますか、オペレッタみたいな感じが無きにしも非ずですが、軽やかな歌い口で愛らしいヒロインを演じており不満はありません。カンネ=マイヤー演じるイゾリエは、台本上の活躍ぶりに反して歌としてはおいしい部分が少なめですが、存在感があります。また、この役のヒーローになりきらないコミカルな部分も充分に感じられると言っていいでしょう。彼女たちとセネシャルの相性がいいので終盤の重唱も盛り上がります。大きくはない役ですがラゴンドのシンクレアもいい味を出しています^^
過去のロッシーニ演奏にも面白いものがあることを再確認させられる録音です。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第九十九夜/最強の脇役~

いろいろバタバタしていたもので随分空いてしまいましたが、脇役シリーズをやっていたのでした^^;
実はこの人を2桁の最後に持ってきたくてここで脇役シリーズを始めてみていたのでした。

de Palma

ピエロ・デ=パルマ
(Piero de Palma)
1925(1924?)~2013
Tenor
Italy

伊ものの録音で脇役と言えば彼でしょう。伊国に於ける最も有名な脇役テノールといっても過言ではないと思います。

何と言っても録音が多い!200以上もあるそうな!概して脇役の売れっ子は小さな役でもたくさん録音しているものですが、これだけの数登場している人というのは、ちょっと他には思いつきません。レパートリーも70を越えるとか。場合によってはかけ持ちをしていたりもしています。
これだけ録音が多い理由はもうひとつ。藝歴がとても長い!録音だけ見ても40年に亘っています。デビュー後すぐのテバルディとも音源を吹き込んでいますし、キャリア末期にはなんとペルトゥージやフリットリとも共演しています。要するに、20世紀の本格的なオペラ録音時代を通して活躍していたという訳です。
そう思って彼の名前で調べてみると本当にありとあらゆる録音に参加していて、改めて彼の驚異的な経歴に舌を巻くことになります。あのスポレッタ(G.プッチーニ『トスカ』)も、あのベッペ(L.レオンカヴァッロ『道化師』)も、あのカイウス先生(G.F.F.ヴェルディ『ファルスタッフ』)も!といった具合。圧倒的な美声や華麗なテクニックで聴かせる歌手はたくさんご紹介してきましたけれども、これほどの脇のスペシャリストは、ちょっと他に思いつきません。

そんなわけで今回の脇役シリーズの〆に、彼ほど相応しい人もいないでしょう^^

<ここがすごい!>
上述のとおりその圧倒的な藝歴の長さ、そして脇役としてのレパートリーの広さが何と言っても目を引きます。同じ役での登板も多くて、スポレッタなんてそれこそえらい話で、私がいつも参考にしているサイトを見てみると、テバルディ、ゲンジェル、オリヴェロ、ステッラ、シリヤ、L.プライス、ニルソン、カバリエ、ネブレット、ヴァネスと繰返し歴代のプリマと共演しています。
何故これほどまでに重用されたのでしょうか。

当然と言えば当然ですが脇役はそこまでたくさん歌う訳ではありません。変な話ヴィンコやクラバッシのところでも少し触れましたが、それでもバスなんかはそもそも第1歌手でも脇のことが多いので案外アリアがあったりするもんなんですが、テノールだソプラノだなんていうと第1歌手が目立つ歌を歌うものですから、本当に僅かな出番のことが多いように思います。その僅かな瞬間で役柄のキャラクターを感じさせるような表現力がまずは必要になってきます。ただ、もちろんデ=パルマもその点素晴らしいのですが、そこが秀でているという話だけであれば、ここまででご紹介した脇役歌手たちとあまり変わらない。

彼がこうして数多く起用されたのは、やはりオペラの出演者としての根本と言っていい、卓越した歌の巧さと声の良さにこそ理由があるのではないかと思います。彼の大活躍(敬意を表して!)は、オペラに於いて主役を張るような歌手でなければ歌はほどほどで充分と言うようなことは絶対にないことを実を以て証明しているような気がするのです。しっかりと彼の歌を堪能できる場面と言うのは必ずしも多くないのですが、例えばベッペのセレナーデ。全曲の中で目立ち過ぎず引きすぎない適度な存在感を保ちつつも、決定的に歌が巧みで、その名調子に暫し耳を奪われてしまいます。或いは『アンドレア・シェニエ』(U.ジョルダーノ)での密偵。こちらがまたほんの一瞬の出番ではあるのですが、絶妙なセンスで紡ぎだされるそのことば捌きのうまさ!普段ならそのままジェラールのアリアへのつなぎとして聴き飛ばしてしまいかねないようなところですが、この一瞬にデ=パルマの妙技が詰まっています。より大きな編成になったときのアンサンブル能力の高さにも“耳を聴き張る”ものがあります。例えばそれは『グリエルモ・テル』(G.ロッシーニ)のロドルフォ、『ラ=ファヴォリータ』(G.ドニゼッティ)のドン・ガスパロで楽しむことができます。特に『ラ=ファヴォリータ』のスタジオ録音は、主役のテノール不在のアンサンブルで、コッソット、バキエ、ギャウロフといった人たちの中でもテノールパートとして十二分の役割を果たしている点で特筆に当たるのではないかと。
そして声の良さ!これは単に美しい声であるということだけではなく、彼の立ち位置、持ち役として適度な声の響きになっているということがミソだと思います。例えば彼ぐらい演技功者で歌もうまい人が脇役で登場するとして、その声がデル=モナコなりパヴァロッティなりシラグーザなりといったような声だったらどうでしょう?それはもう鶏を割くに焉んぞ、と言う話にどうしてもなってしまいますよね。美声なんだけれども派手すぎない、美しいんだけれどもちょっと個性を感じさせる。そんな声質が彼の藝風の根本にあるんじゃないかなと。

このように考えて行くと、彼はあたかもオペラの脇役として活躍するためにこの世に生を受けたのではないかと、そんなことをふと思ってしまうのです。

<ここは微妙かも(^^;>
脇役の神様とも言うべき人ですし、自分の領分を判った仕事をしているひとなので、正直微妙なポイントを感じることは殆どないんですよ^^;長く歌う場面になってもそもそも歌がうまいから聴かせちゃいますしね。

敢えて言うと声量はないです。だからライヴ盤で奥で歌っていると聴こえづらい。
本当にそれぐらいでしょうかね^^

<オススメ録音♪>
・スポレッタ(G.プッチーニ『トスカ』)
マゼール指揮/ニルソン、コレッリ、フィッシャー=ディースカウ共演/ローマ聖チェチリア音楽院管弦楽団&合唱団/1966年録音
>数多ある彼のレパートリーの中でどの役のイメージが強いかと言うと、僕としてはやはりこの役のイメージなのです。怪物と言うべきスカルピア男爵の側近と言うことで、大々的に歌う部分がある訳ではないものの存在感は欲しい。こういう役で「絶品」と言う言い方も変な感じがありますが、デ=パルマのスポレッタの匙加減の見事さは本当に素晴らしいです。男爵の手下の狡猾な悪人としての憎々しさを感じさせると同時に、彼もまた男爵に恐怖を感じる小市民であることを感じさせる役作り、ことば回しが巧みで歯切れの良い歌い口。何度聴いても唸らされる藝です。上述のとおり録音もたくさんありますし、スタジオ録音も多いですが、ここでは個人的にイチオシな音盤を^^

・ベッペ(L.レオンカヴァッロ『道化師』)
モリナーリ=プラデッリ指揮/デル=モナコ、トゥッチ、マックニール、カペッキ共演/ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団&合唱団/1959年録音
>デル=モナコの傑出したカニオが取り沙汰される録音ですが、彼のベッペもまた秀逸であります。こちらも上述しましたが、彼にしては珍しく独立した聴かせどころのセレナーデが何と言ってもお見事!彼が実は物凄く歌がうまいことを強く印象付ける歌唱ですが、そこは彼らしく自分の役柄をよくわかっていて、素敵過ぎないし優美過ぎない。劇中劇の人物としての薄っぺらさと、旅一座の若者らしい品のなさを感じさせる歌に仕上げているのです。そして非常にユーモラス。白塗りのアルレッキーノが気取って歌うのが目に浮かぶようで、とてもコミカルです。この劇中劇が喜劇であることはこの作品に於いてかなり効いていて、あの壮絶な“衣装をつけろ”で1幕が締まったあと、2幕の決定的な殺人の場面の間の緩衝材の役割を果たしている訳ですが、ここであっけらかんとしたばかばかしい雰囲気をどれだけ出せるかというのが大きなポイントになります。当然デ=パルマは、その点でも100点満点です。

・ドン・ガスパロ(G.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』)
ボニング指揮/コッソット、パヴァロッティ、バキエ、ギャウロフ、コトルバシュ共演/テアトロ・コムナーレ・ディ・ボローニャ交響楽団&合唱団/1974-1977年録音
>ドニゼッティの作品に登場する第2テノールでも最も活躍する役柄ではないかと思います。というのも、役としても主役のフェルナンドとレオノーラに対して敵愾心を抱く貴族でありドラマを動かす役ですし、第1テノールが不在の中大規模なアンサンブルが展開される2幕フィナーレでは結構しっかりアンサンブルに絡んでくる、3幕フィナーレでも重要と美味しいところ盛りだくさんなのです。で、この中で老獪なデ=パルマさんの歌いぶりがとても説得力があって決まっています。役の描き方ももちろんですが、件の2幕フィナーレでも全く凹まないし、若々しい声を響かせるパヴァロッティに対していい意味で年齢を感じさせてコントラストがはっきりついている。ちょっと皮肉な歌いぶりも流石のものです。そもそも名盤ですが、性格テノール好きにもオススメできます^^(どんなニッチな進め方だよw)

・エルヴェイ(G.ドニゼッティ『アンナ・ボレーナ』)
ヴァルヴィーゾ指揮/スリオティス、ギャウロフ、ホーン、アレグザンダー、コスター、ディーン共演/ヴィーン国立交響楽団&合唱団/1968-69年録音
>同じく皮肉で冷酷な感じがハマっているのがこちら。暴君エンリーコの側近ですから立ち位置的にはスポレッタに通ずるものもあると思います。出番こそ多くはありませんが、王の権力を間接的に示す役ですから、やはり彼のようにうまい役者が演じると演奏が一段と盛り上がります。個人的なお気に入りはペルシの第2のアリアでの絡みの部分で、王の命令を淡々と伝える冷酷さがいい。アレグザンダー(どうしてどうして人気がありませんが良いテノール!)の情熱的な歌とヴァルヴィーゾの活き活きとした音楽にピリッとスパイスを利かせています。

・ロドルフォ(G.ロッシーニ『グリエルモ・テル』)
シャイー指揮/ミルンズ、パヴァロッティ、フレーニ、ギャウロフ、コンネル、D.ジョーンズ、トムリンソン、マッツォーリ共演/ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団&アンブロジアン歌劇合唱団/1978-1979年録音
>またしても権力者の側近役ですが、この作品については実は親玉ゲッスレルよりも印象的な歌を与えられていると言っていいでしょう。このロッシーニの大叙事詩の1幕フィナーレは、テル以下の主要キャストが一切登場しない異色のナンバーですが、そこで酷薄な圧政者の代表として現れるのがこの役。彼は合唱含むスイスの人々とは違う動きを明瞭に聴かせています。またその冷たい雰囲気に加えて、抵抗するスイス人に対する苛立ちをロッシーニの優美な旋律に乗せて軽やかに歌ってしまうデ=パルマさんの手腕はここでもお見事。主要キャストがいない場面と言いながら、この録音では彼以外にもこの場面にD.ジョーンズやコンネル、トムリンソンといった大物を並べていることもあって、大変充実した音楽に仕上がっています。

・密偵(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)
サンティーニ指揮/コレッリ、ステッラ、セレーニ、ディ=スタジオ、マラグー、モンタルソロ、モデスティ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>出番はほんのわずか!長いところでもジェラールのあの有名なアリアの直前に報告にやってくる密偵と言うこの役は、多分歌う部分で行ったらあの長い作品の中のほんの数10小節に過ぎず、普通なら聴き飛ばしてしまうのですが、彼が演じるとそんな舞台装置的な役でさえぐっと印象的に聴こえてきます。ここでのその一瞬のことば捌きのうまさには本当に頭が下がり、これだけでプロの密偵が簡潔で素早い報告をして去っていく姿が活き活きと脳裏に浮かびます。この録音はデル=モナコ、テバルディ、バスティアニーニのガヴァッツェーニ盤に隠れて注目されることが少ないですが、主役3人はもとよりこうした小さな脇役に至るまで揃った超名盤です。

・ワグネル(A.ボーイト『メフィスト―フェレ』)
サンツォーニョ指揮/ギャウロフ、クラウス、テバルディ、スリオティス共演/シカゴ・リリック・オペラ管弦楽団&合唱団/1965年録音
>ことば捌きの快活さ、巧さと言うところで行くとこの役も彼の当たり役と言っていいでしょう(録音の必ずしも多い作品でもないのに、シエピともクリストフともギャウロフともスタジオ録音を遺しています!)。ここでは個人的にこの作品最高の録音と思っているこのライヴ盤を。不審な影に怯えるファウストの不安に対し、能天気な多弁さで説得しようとする若い学生を、実に軽々しくコミカルに演じてみせています。たくさん喋っているのですが、それが頭に入って来ずどんどん流れて行ってしまうところなど本当にリアル。同じ声なのに、ガスパロで年長者に感じられたのに対し、ここでは若い軽薄さを出して見せるあたりの藝達者さにも脱帽させられます。

・マストロ・トラブーコ(G.F.F.ヴェルディ『運命の力』)
パタネ指揮/カレーラス、カバリエ、カプッチッリ、ギャウロフ、ナーヴェ、ブルスカンティーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1978年録音
>これもまたコミカル路線。この重厚で巨大な悲劇を立体的なものにするコミック・リリーフとして、ブルスカンティーニとともに引きたっています(ここではプレツィオジッラのナーヴェがやや弱いので余計に^^;)ここでもまた喋る喋る笑。ごくごく明るく楽しいのですが、面白おかしくなり過ぎずクスッとした笑いで、集中度の高い息の詰まる展開の中で、ほっと一息つかせて呉れるちょうどいい箸休めになっているあたりのセンスは流石です。この演奏、ナーヴェはいまいちだと言いましたが下手ではないですし、むしろ他のメンバーが凄過ぎwこれがライヴだというんですから大したもんです。

・使者(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
メータ指揮/ニルソン、コレッリ、バンブリー、セレーニ、ジャイオッティ、マッツォーリ共演/ローマ国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1967年録音
>これも彼があちこちで起用されている役ですが、本当にここまで来ると藝の領域と言いますか。第1幕でアモナズロが攻めてくるというのを伝えに来る小さな役なのですが、どうも後の大テノールの登竜門になっている節があり、トマス・モーザーやニコラ・マルティヌッチといった大物も歌っている中で、ダントツで歌がうまく説得力があります。王が戦争を高らかに宣言するに至るまでの緊迫した空気が歌からひしひしと感じられるのです。脇の名手の面目躍如と言いますか。

・カイウス先生(G.F.F.ヴェルディ『ファルスタッフ』)
フォン=カラヤン指揮/タッデイ、パネライ、カバイヴァンスカ、ペリー、アライサ、シュミット、C.ルートヴィッヒ、ツェドニク、ダヴィア共演/WPO&ウィーン国立歌劇場合唱団/1980年録音
>ヴェルディ翁最後の作品の口火を切るのは脇役ながらこのカイウス。勢いのある幕開けの音楽に乗った彼の演じる医者が第一声を発すると一気に物語の世界へと引き込まれていきます。ここではバンドルフを独国のツェドニクが歌っているのもあって、恐らく唯一と思われる伊独の名キャラクターテナー夢の競演(?)になっています。ここに、名優タッデイとダヴィアが絡んできて冒頭から非常に充実したアンサンブルが繰り広げられています。フォン=カラヤンもこういう曲には合ってますしね^^もう少し歌って欲しいとすら思いますが、そこを歌わせないのがこの作品の特徴でもあるので難しいところです。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第九十八夜/第3の低音~

脇役シリーズ3人目。
この人は一般的に物凄く知名度がある人ではないだと思うのですが、個人的に結構好きな声で音源をかき集めている人の1人です(意外とギャウロフだけじゃなくていろんな人の音源を集めてるんですよ!笑)

Clabassi.jpg

プリニオ・クラバッシ
(Plinio Clabassi)
1920~1984
Bass
Italy

知名度がある人ではないとは言いましたが、日本ではあのNHKイタリア・オペラで来日しており、伝説的と言われているような公演にも登場しているので、全く無名ではないかと思います。また、探してみるとプローチダ(G.F.F.ヴェルディ『シチリアの晩禱』)やアルヴィーゼ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)、エンリーコ8世(G.ドニゼッティ『アンナ・ボレーナ』)など大きな役でも録音を遺していますし、オールスターキャストと言うべき『イル=トロヴァトーレ』(G.F.F.ヴェルディ)の映像でもフェランドを務めているなど活躍をしており、少なからずその実力を評価されていたと言って良さそうです。

とは言え脇での渋い仕事で絶妙な仕事をしている印象の強い人です。特にバリトンやバスが複数いる演目で第2バス、第3バスとして登場したときの存在感は素晴らしく、彼にしか出せない味わいがあります。イマイチな歌手が歌うと第1バス、場合によっては第2バスにも隠れてしまうような役であっても、しっかりキャラクターを出して呉れることもあって、ロッシ=レメーニやクリストフ、ザッカリア、ネーリなど有名バスとの共演も多く、重宝されていたことが良くわかります。

プライヴェートでは、往年の名テノール、ベニャミーノ・ジーリの娘のソプラノ歌手リナ・ジーリの夫君。歌手ファミリーですね^^

<ここがすごい!>
物語に於いて要石の役割をしている役、要役と言うべきものがあるかと思います。詳しく言うと、出番は必ずしも多くないけれども、その言動が物語を大きく動かしたり、主人公に大きな影響を与えたりするような役をイメージしています。映画などでは時としてカメオ出演的に大物が演じたりする、アレです。オペラの世界でもそういう役はあって、例えばそれはリゴレットに呪詛をかけるモンテローネ伯爵(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)であり、行き詰まった物語の終結に突如現れるカルロ5世の亡霊(同『ドン・カルロ』)であり、悪代官の怒りを買って犠牲となる長老メルクタール(G.ロッシーニ『グリエルモ・テル』)である訳です。こうしたところで最も力を発揮するのが、誰あろうクラバッシなのです。それこそ上記の役は全て録音しています。モンテローネ伯爵に至っては少なくとも3つも!メルセデスで鳴らしたベルビエを以前ご紹介しましたが、それと同じような或種の貫禄さえ感じさせます(笑)

脇での活躍が多かったとはいえ、どっしりとした安定感のある響きの重厚な美声。ややくぐもったような感じはあるのですが、彼一流のゴツゴツとした歌いぶりと相俟って独特な魅力を作り出しています。
歌に於いては「流麗とした」とか「なめらかな」みたいなことが良く高い評価を得ますが、必ずしもいつもそういうものばかりが優れているとは私個人としては思っていません。様々な人がさまざまな表現をすることで歌の世界は広がりますし、特にオペラのようにドラマの要素があるものの場合、歌いぶりに個性があることがプラスに働く場合も多い。クラバッシのゴツゴツした歌はそういう面で非常にいい個性を持っていて、僅かな登場場面であっても役柄を印象的なものにすることができると言っていいでしょう。或時には剛毅で力強い人物、また或時にはどこか不器用さの漂う人物、別の時には超然とした人物、悪役、頑固者、老人……等など。暴君のことばはより頑迷で峻厳なものとして響き、呪いの歌はより強烈な異質感を伴って観客の耳に残ります。だからこそ、大きくはなかったとしても要役での起用が増えるのだろうと思うのです。第3の男のスペシャリストには、それ相応の理由があるのです。

基本的にはシリアスな演目での起用が多い人ではありますが、コミカルな役柄でも藝達者なところを聴かせます。もう少しこっちの路線も残して呉れたらなあと思うところで、バルトロ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)とか歌ったら結構面白かったんじゃないかしら。

<ここは微妙かも(^^;>
脇役を中心に大役まで器用にこなしていく彼ですが、上述したゴツゴツした歌い回しがあまりあっていない曲、もっというとたっぷりとしたカンタービレを優雅に聴かせて欲しい曲とかでは、ちょっと不満が残るかも。また、ヴィンコと同じく大冒険はしないので、そういうのが聴きたいとなると、物足りなさは出てしまうと思います。

<オススメ録音♪>
・修道士(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
サンティーニ指揮/クリストフ、フィリッペスキ、ステッラ、ゴッビ、ニコライ、ネーリ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1954年録音
・フィリッポ2世(同上)
ヴェルキ指揮/NHK交響楽団/1959年録音
>修道士役で録音しているものはやはり不滅の名盤でしょう。特に男声低音がこれだけ充実している録音はそうそうありません(ゴッビはロドリーゴには異質ではあるけれども)。上述の通り修道士は出番こそ少ないものの、カルロ5世の亡霊でもあり、要役というべき非常に重要な役で、まさにクラバッシの本領が発揮できる役です。果たして少なからぬ大物も録音しているこの役ではありますが、個人的にはベストの歌唱だと思っています。彼らしい厳しい、辛口の歌いくちが、この世ならざる超然たるものとして、この悲劇を引き締めてくれています。諦念が感じられるような、祈りのような旋律が実に似合っていて、沁みます。この録音ではクリストフとネーリといういずれも馬力のあるバスが共演していますが、彼らと同じ演奏で登場してこれだけ説得力のある修道士ができる人は、まずいないといっていいと思います。この修道士のイメージが強い彼ですが、実はNHKイタリア・オペラの際のガラでフィリッポ2世のアリアを歌っています。彼がここまでの大役を歌った記録はおそらく他にはないと思いますがこの歌唱単体を取り出すなら、かなり完成度が高いように思います。脇の歌手として少なからぬ舞台に立っていたからこそ出せる味わいと言いますか、しっとりとした悲哀の感じられる歌。実力の高さを改めて知ることができます。

・モンテローネ伯爵(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
セラフィン指揮/ゴッビ、デ=ステファノ、カラス、ザッカリア、ラッザーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1955年録音
>この役はいくつか録音していて、いずれも存在感のある歌唱を発揮していますが、手に入りやすいのはやはりこの音源でしょうか。この作品、悪役は公爵のイメージがありますが、ヴェルディはそもそもこの作品に『呪い』という題名をつけたかったという話もあり、リゴレットを苦しめる呪いをかけた本人は誰あろうこの役、そしてリゴレットを復讐に駆り立てる直接のきっかけになっているのもこの役なので、しょぼいとがっかりなのであります。クラバッシは例えばモルやペトロフのような凄まじい声という訳ではありませんが(むしろこの2人がこの役を録音しているのがびっくりなんですが)、ここでもそのごつごつした美声をたっぷりと鳴らして荒々しい歌を作っていて、伯爵の怒りの大きさを感じさせます。声量もしっかりあるので、1幕のアンサンブルのような込み入ったところでもずっしりと呪いが聴こえてくるのは爽快なほど。このぐらいやってくれるとぐっと緊張感が増します。

・長老メルクタール(G.ロッシーニ『グリエルモ・テル』)
ロッシ指揮/タッデイ、フィリッペスキ、カルテリ、コレナ、トッツィ、シュッティ、パーチェ共演/トリノ・イタリア放送交響楽団 &合唱団/1952年録音
>これは隠れ名盤と言っていいと思います。タッデイほか主要キャストがこれだけ揃っているとこの大作の聴き映えも一際増します^^メルクタールは1幕の最後に引っ立てられ、2幕の3重唱で処刑されたことが示唆されるので出番こそあまりありませんが、彼が尊敬されているからこそスイス人たちの怒りがいや増すわけですから、相応の重みが必要です。ここでは長老としてのずしりとした重みのある声と歌い口がお見事。1幕フィナーレでもはっきりメルクタールのパートが聴こえてきます(意外とここまで聴こえてくるのは少ないかも)。引っ立てられる前に切る見栄もばっちり決まっています。

・埃国王(G.F.F.ヴェルディ『アイーダ』)
ショルティ指揮/L.プライス、ヴィッカーズ、ゴール、メリル、トッツィ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1961年録音
>こちらもこれまで何度も登場してきている癖のある名盤ですね笑。この作品そもそも男声低音にはそんなにスポットが当たっていない上に、同じバスでもランフィスの方がキャラクターが強くて影が薄くなりがちなのですが、彼らしい仕事ぶりでキャラクターをはっきり出しています。ここではいかにも豪儀そうで、自信満々の王様。ラダメスが娘との結婚を望んでいないことなど全くお構いなしという感じがよく出ています。冷徹な政治家らしいトッツィのランフィスとの性格の違いが出ているのも◎

・オジリーデ(G.ロッシーニ『モゼ』)
セラフィン指揮/ロッシ=レメーニ、タッデイ、フィリッペスキ、マンチーニ、デ=パルマ共演/ナポリ・サン・カルロ劇場管弦楽団&合唱団/1956年録音
>埃国ものでもう1個。ここでもまた第3バス、大臣オジリーデを演じています。またしても歌う場面はあまり多くありませんが、今度は上述の録音でトッツィが演じていたような、国王に忠実で異教徒に冷酷な神官という人物像を作り上げています。実に憎々しいまでの悪役ぶりですし、ロッシ=レメーニやタッデイと伍しても堂々たる声で脇ではありますが重厚な存在として光を放っています。古い録音なのでロッシーニ・ルネサンス以降のような軽さはありませんが、セラフィンの指揮は上々ですし、この時代のロッシーニの演奏として楽しめるものだと思います。

・アドルフォ(F.シューベルト『アルフォンソとエストレッラ』)
サンツォーニョ指揮/アルヴァ、ダンコ、パネライ、ボッリエッロ共演/ミラノRAI管弦楽団&合唱団/1956年録音
>伊語版。真面目なシューベルト・ファンの人たちが眉を顰めそうな気がしますが、この手のものの中ではかなり優秀な演奏だと思います。全体に伊的な仕上げになったことで、歌曲の連続のようであった元の作品がぐっとオペラらしくなっています。アドルフォはパート的には第3バスだと思うのですが、エストレッラに関係を迫ったりマウガレートを唆したり、或いは反乱を企てたりと実質的な悪役でかなり活躍します。クラバッシはこの役をかなり性格的に歌い上げていて、例えば合唱と絡むアリア(と言っていいと思う)では黒幕らしいオーラが実によく出ていて◎重唱部分でもかなり辛口な表現で、物語を盛り上げています。或意味で彼の歌が一番聴ける録音かも笑。共演陣も優れています。

・ドン・バジリオ(G.パイジェッロ『セビリャの理髪師』)
ファザーノ指揮/ブルスカンティーニ、ミシアーノ、ツィーリオ、バディオーリ共演/ヴィルトゥオージ・ディ・ローマ合奏団&コレギウム・ムジクム・イタリウム/1970年録音
>これは来日公演の映像があるのですが、すみません全部観られていません^^;ただ、ロッシーニではなくパイジェッロの方のセビリャの映像ですし、日本語字幕もありますから結構貴重且つ有意義な音盤かと。動くクラバッシが見られるという意味でも、我々にとっては非常に有意義です!(←我々誰だよ!)更に言うと意外と少ない彼のコミカル路線の録音です。この時代の作品を歌うにしてはかなり声が重いとは思うのですが、思いのほかフットワークが軽く口跡も見事でうきうきと聴けます。後半の高速アンサンブルでの早口もお手のもの。ロッシーニのバジリオも残してくれればよかったのに!笑

・コッリーネ(G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)
モレッリ伴奏/1954年録音?
>彼のこの役は大変完成度が高かったそうなのですが――そしてそれもまた然りと思えるところなのですが――、残念ながら全曲はまだゲットできておらず。しかしここでのピアノ伴奏で聴ける外套の唄ひとつとっても、非常に味わい深い歌です。わずか1分少々の短い歌の中に、しみじみとした哀惜の念とコッリーネの優しい人柄とが凝縮されています。この演奏が入っているアリア集は言わば名唱撰、ここでご紹介している他の歌唱も入っているため、彼の藝をコンパクトに知ることができてありがたい代物です。とはいえこのCDそのものの非常に入手が難しいのですが……

・モチェニーゴ(G.ドニゼッティ『カテリーナ・コルナーロ』)
チラーリオ指揮/ゲンジェル、アラガル、ブルゾン共演/聖カルロ・ナポリ劇場管弦楽団&合唱団/1972年録音
>珍しい演目の音源ですが、実力の高いメンバーが揃った充実した公演です。モチェニーゴはヴェネツィアの貴族で、キプロスを思いのままとすべく陰謀を企てる、実に陰湿な悪役です(笑)が、ここでも彼の独特の歌いくちがぴったり来ていて、強権的で悪辣な人物を大変リアルに造形しています。かなりドラマティックな表現をしていますが、未完の『アルバ公』を除くとドニゼッティの最後の作品ということもあってか違和感なく、むしろ効果的に聞こえるように思います。カテリーナはじめ主人公たちはこんなやつに人生狂わされるのかと思わせる一方で、悪の魅力もしっかりと湛えているあたり流石名優と唸らされるところ。

・ライモンド・ビデベント(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
バルトレッティ指揮/スコット、ベルゴンツィ、ザナージ共演/NHK交響楽団&東京放送合唱団/1967年録音
>NHKイタオペの伝説的名演のひとつ。重厚な美声でこのメンバーの中でも主役の一人として十二分に実力を発揮できることがよくわかります。どっしりした声も相俟って、彼のライモンドはルチアの側に立って彼女を心配する養育係というよりは、ルチアの周りの大人代表というのがふさわしいような威厳と安定感をもったキャラクターになっているように思います。仲裁の部分も、両者納得して引き下がるのがよくわかるというところ。折角ならばアリアも歌えばよかったのにというのは、ないものねだりでしょうか。

・アルヴィーゼ・バドエロ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)
プレヴィターリ指揮/ミラノフ、ディ=ステファノ、ウォーレン、エリアス共演/ローマ聖チェチリア音楽院管弦楽団&合唱団/1957年録音
>ちょっと意表を突くメンバーですが、Deccaのスタジオ録音です。そして各々のキャストが非常に役にハマっていて、マイナーな音盤ながら個人的にはかなり好きなジョコンダ。彼はいつもながらの荒削りな歌唱で、頑固でプライドの高そうな権力者の人物像を作り上げています。アリアが出色で、苦虫を噛み潰したような顔が目に浮かぶようです。また、ラウラに死を迫る場面は大変迫力があって、これなら確かに家の名誉の方が人の死よりも大きいと考えていそうだなという感じ。渋みのある存在感が演奏全体の印象を盛り立てています。

・フェランド(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)
プレヴィターリ指揮/デル=モナコ、ゲンジェル、バスティアニーニ、バルビエーリ共演/RAIミラノ交響楽団&合唱団/1957年録音
>RAIのオペラ映画の音源。映画版なので、ちょこまかと細かいカットが入っています。デル=モナコのノリが今一つ悪いが、放送音源にもかかわらず全体にしっかりイタオペした佳演。ここでの彼は無骨な軍人らしさがよく出ていてこれもまた秀逸。伯爵の第一の部下であることもしっくりくるし、軍団から昔語りをせがまれる、或る種の人望的なものも滲み出ているように思います。先程来たびたび述べているように声量もあるので、アズチェーナを引っ立てる場面のアンサンブルもしっかり聴こえてきてよいです。

・ジョヴァンニ・ダ=プローチダ(G.F.F.ヴェルディ『シチリアの晩禱』)
ヴォットー指揮/プロッティ、フェラーロ、ロベルティ共演/トリエステ・ヴェルディ劇場管弦楽団&合唱団 /1959年録音
>録音に恵まれなかったメンバーが揃ったライヴ音源で、カットこそ多いもののかなりホットな演奏が繰り広げられていてオススメ。共演のフェラーロとプロッティがそれぞれかなり高い音を朗々と鳴らしていてゾクゾクします。さてそんな中でクラバッシは、他の人物の心の揺らぎなどよそにひたすら革命に邁進していく実在の英雄プローチダを演じています。ここでもまた全体に渋みの効いた精悍で厳しい人物を構築する一方、有名なアリアで歌われる故国愛は真実味に満ちており、感銘を受けます。最後にはアッリーゴたちを追いやってしまうものの、本来は高潔な人物であることが感じられるパフォーマンスです。

・エンリーコ8世(G.ドニゼッティ『アンナ・ボレーナ』)
ガヴァッツェーニ指揮/ゲンジェル、シミオナート、ベルトッチ共演/RAIミラノ交響楽団&合唱団/1958年録音
>あの凄まじいカラスのライヴの裏音源と言いますか、同じくガヴァッツェーニの采配と楽譜により、シミオナート以外の面々を入れ替えての放送音源です。クラバッシはカラスの方ではロシュフォール卿を演じていて、そこでも第3の男らしいアシストをしているのですが、ことこの演目に関してはエンリーコの方がいいと思います。国王らしい品格のある充実した声を持ち合わせている一方で、逆らう者は一切赦さないやや狂信的なまでの強い意志を感じさせます。アンナに対する恐ろしいまでの冷酷さが非常にリアルに歌われていて、嫌な男だと思う以上に恐ろしさが印象に残ります。生涯に妃を何人も取り替えたヘンリー8世という人を考えると、これは大変な説得力ではないかと。シミオナートのこの役をまともな音質で聴けることもラッキーですし、ゲンジェルがスタジオで録音したものという意味でも貴重です。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第九十七夜/公演の隠し味~

前回も言ったとおり、4回に亘って脇役をご紹介していこうと思っております^^
本日は2回目。前回は男声だったんで、今回は女声。

Malagu.jpg

ステファニア・マラグー
(Stefania Malagù)
1932~1989
Mezzo Soprano
Italy

女声の脇役って男声の脇役に較べると比較的パートに拘りがないところがあって、ソプラノの人がメゾの役やったり逆もまたあったりなかなか悩むところ。この人の場合も「ソプラノ」とされていることも結構あるんだけど、まあ声質からいくとメゾかなと思います。

脇役歌手のご多分に漏れず、彼女もかなり広大なレパートリーを誇り、特にある時期の伊系のレパートリーではアンナ・ディ=スタジオと並びかなりよくお目にかかる人です。大きく扱われない小さい役でいくつも出ているので、ディスコグラフィーが調べづらいったら^^;複数の録音が多く残っていて手に入りやすいところでは、フローラ(G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)やベルタ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)あたりが挙げられます。いずれも必ずしも歌うところの多くない役ではありますが、フローラはあらすじ上軽んじられない役柄ですし、ベルタにしてもちょっとエクストリームな主人公たちを横目で見ながら観客に寄り添う役割を鑑みれば、適当な人を宛がうと興を殺ぎかねないところ。こうしたところで隠し味的、品のいいスパイス的に良い仕事をして呉れる人なんですよね、だからこそ多くの録音で起用されています。

あまり写真が出てこないのですが整った顔立ちの一方で、ベルタでの映像などを観ると老け役的なメイクをしても自然に見えます。若い召使から老婆まで様々な役柄で違和感なく馴染めるというのは、歌でも視覚でもハードルの高いところですし、そういう意味でも重宝されたのではないかと思います。

<ここがすごい!>
どんなに僕が頑張ってバスやバリトンの魅力を説こうと、オペラの花形が女声であることは覆りません。多くの演目でヒロインたるソプラノが、ロッシーニなどではメゾが舞台の中心を担っていく訳です。逆にそうだからこそだと思うのですが、女声の脇役と言うのは活躍の場が男声の脇役に較べると際立ちにくいところがあります。前回のヴィンコのオススメ録音の一覧などをご覧いただければわかるとおり、バスなどではあらすじ上そんなに大事ではない役でもアリアや見せ場がついていたりする。一方で女声はどうか。ロッシーニやドニゼッティの時代の作品の息抜きとしてのシャーベット・アリアを歌う役としてはソプラノやメゾが登場することは少なくないにしても、一般にはあまり目立たない。フローラやスズキ(G.プッチーニ『蝶々夫人』)やメルセデス(G.ビゼー『カルメン』)は大事な役であっても歌の見せ所はあまり無い訳です。だってそんな見せ場があったら、プリマ・ドンナの印象と被りかねないですから。だから、割とこの分野の人たちは不遇と言いますか話題になりづらい。でも、そういうパートでも適当にまあ歌えるひとを配しておけばいいというのはやはりちょっと違っていて、その道のプロの人が歌うことでだいぶ役自体の印象が変わってくるし、ひいてはその舞台の印象が変わってくることもあるのです。

そういった意味で行けばマラグーと言う人は実に柔軟に物語の世界を膨らませることのできる歌手だと言っていいのではないかと思います。例えばアバドのライヴでのマルチェリーナ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)では、比較的声質も近いベルガンサが爽やかな少年然としたケルビーノを演じているのに対し、はっきりとオバサンと言う感じの年増らしさを出しています。それも年増は年増なんだけど醜い老婆と言う感じではなく、女としての魅力はまだもっているというような、この役にちょうどふさわしいぐらいの年齢感を絶妙に醸すのです。ベルタを演じているときはそれよりも更に歳の行った印象になるし、逆にフローラなどを演じる時にはそうしたオバサン感はむしろおくびにも出さず、ヴィオレッタの同業者、友人である華やかで艶めかしい普通の高級娼婦(つまりヴィオレッタのような悩みを抱えない人物)として、主人公たるヴィオレッタというキャラクターを目立たせるのに一役買っています。
そう、言ってしまえばオペラの主人公たちと言うのは、オペラの世界の中でのちょっと異常な人たちなんです。考え方が普通と違ったり境遇が普通と違ったり、その要素はいろいろありますが、ちょっと以上だからこそ主人公になり得るんです。で、脇役と言うのはそれに対し物語世界の中での「普通」を提示することにひとつ大きな意味がある。この世界の中での「普通」がこうだからこそ、主人公は悩み苦しむんですよと観客に納得させるんです。そういう意味でいくと、マラグーはどんな役柄でも実に自然にその「普通」を私たち聴衆の前に用意して見せます。これが不自然だと、一気に公演の作りもの感が増してしまうところを絶妙な塩梅で演じ、舞台を立体的にしていくんです。主役の素材を引き立てるのに、まさにこれ以上はない隠し味であり、多くの録音での起用はその証左と言うことができるのかもしれません。

<ここは微妙かも(^^;>
どんな脇役でも本当に器用に創りあげて行きますし、あまり上述しませんでしたが実際のところ歌もかなりうまいので、聴かせどころのある準主役級の役を演じても納得させてしまう実力もあるので、そこまで不満を感じることは殆どないと言っていいでしょう。
敢えて言うのであれば、派手さはやはりないので例えばマッダレーナ(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)みたいな役をやったときには、もう一声パンチが欲しい気はします。

<オススメ録音♪>
・フローラ・ベルヴォア(G.F.F.ヴェルディ『椿姫』)
クライバー指揮/コトルバシュ、ドミンゴ、ミルンズ共演/バイエルン国立管弦楽団&合唱団/1976-1977年録音
>クライバーの指揮に痺れる1枚ですね^^フローラはヴィオレッタの友人の高級娼婦で、歌う場面こそ少ないものの、2幕後半の夜会の主であり、ヴィオレッタとの対比でも重要になった来る役どころです。マラグーにとってはそれなりに年齢が行ってからの録音ではありますが決して姥桜にはなりすぎず、華やかな社交界を生きる普通の女を演じています。短い出番ですが、その中にもヴィオレッタのカウンターパートとしてのキャラクターが籠められていることがわかるパフォーマンスであり、お見事。マゼール盤でもいい仕事をしています。

・ベルタ(G.ロッシーニ『セヴィリャの理髪師』)
ヴァルヴィーゾ指揮/ベルガンサ、ベネッリ、コレナ、ギャウロフ、アウセンシ共演/ナポリ・ロッシーニ劇場交響楽団&合唱団/1964年録音
>こちらは上記に較べてうんとコミカルで、言ってしまえばいい意味でオバチャン感が強い歌唱。騒々しい主人公たちをよそに客席に向かってぶちぶちと愚痴を呟いている様がリアルで楽しいです(笑)キャリアはこれからという若手が歌うことも多いですが、やはり彼女のように脇で鳴らした人が歌うと味わいも一入です(とはいえここでの彼女はまだまだ30代前半だった訳ですが。そうは思えない堂に入った歌いぶり)。一方で例えばバルビエーリのような往年の大御所が歌った録音も面白いのですが、聴かせどころもシャーベット・アリアですし、本来的にはここでの彼女のような歌唱が求められているように思います。同じメゾのベルガンサとの共演ですが、ヒロインとしてフレッシュな歌を聴かせるベルガンサときっちりキャラ分けがなされています。この2人は後にアバド盤でも共演していますが、こちらでもうまく棲み分けしており、この頃にはそれぞれの役の第一人者とされていたのでしょう。

・マルチェリーナ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
アバド指揮/プライ、フレーニ、ファン=ダム、マッツカート、ベルガンサ、モンタルソロ、ピッキ、リッチャルディ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1974年録音
>アバドの若さが出た感はあるものの、面子の揃ったライヴ盤。先ほどのベルタから10年後の歌唱にも拘わらず、こちらの方が年増なものの容色の衰えていない女性像を作っていて、懐の深さを感じさせます。ここでもまたベルガンサと共演していますが、両者のキャラクターの違いがより顕著に顕れているように思います。折角彼女のように歌える人を配したのだから、マルチェリーナのアリアも歌えばよかったのに……と思わなくはないです^^;(バジリオも往年のテノールピッキを起用したなら、ねえっていう苦笑)とはいえ、女声も男声もそれぞれ声のカラーが違う人たちが登場していて、楽しめる録音です。

・アリーサ(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
サンツォーニョ指揮/スコット、ディ=ステファノ、バスティアニーニ、ヴィンコ、リッチャルディ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1959年録音
>メンバーの揃った佳演。何と言っても他にこの作品の録音のないバスティアニーニとヴィンコがいい味を出しています。いつもながらキレッキレのスコット(と言っても必ずしも彼女のベストではないかなと思いますが)に対して、温和で心底ルチアを心配している侍女という風情が感じられます。また、有名な6重唱からフィナーレにかけては意外とバリバリ聴こえて来て欲しいパートなのですが、そこでの声量も十分なもの。名アシストぶりが顕れていると言えるのではないかと^^

・ベルシ(U.ジョルダーノ『アンドレア・シェニエ』)
サンティーニ指揮/コレッリ、ステッラ、セレーニ、ディ=スタジオ、モンタルソロ、モデスティ、デ=パルマ共演/ローマ歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>不滅の名盤。主要3人が飛び抜けて素晴らしい上、細々とした場面で活躍して欲しい小さな脇役たちがこれ以上はないぐらい粒ぞろいのメンバーです。さて我らがマラグーもここではそんな脇役のひとつベルシを演じていますが、ここではまたこれまでの他の役とはだいぶ違った人物造形をしていて、抽斗の多さを感じさせます。上品な貴族の娘であるマッダレーナに対して、小憎らしいぐらいのアグレッシヴで軽々しくて蓮っ葉な小娘ぶり。同じく脇役のスペシャリストであるディ=スタジオのマデロンが渋い老婆ぶり。2人とも康サポートですが、逆だったらどうなるかな?というのもちょっと聴きたくなります^^

・アリス(G.マイヤベーア『悪魔のロベール』)
サンツォーニョ指揮/クリストフ、スコット、メリーギ、マンガノッティ共演/フィレンツェ5月音楽祭管弦楽団&合唱団/1968年録音
>最後に彼女の録音の中では恐らく最も大きな役を。この大作グラントペラの主人公のひとりであるアリスは、しっかりとしたアリアも準備されていれば、題名役のロベールや魅力的な悪役であるベルトランとも絡む場面が多いのですが、このメンバーの中であっても決して聴き劣りしない立派な歌唱を披露しており、その実力の高さを感じさせます。また、この作品のもう一人のヒロインであるイザベルに較べるとより演劇的な部分に重点が置かれていることも、脇役功者の彼女の良さを際立たせているようです。伊語盤でメンバーも伊的にすぎるところはありますが、この娯楽大作のエンターテインメント性と言うところを考えるなら、聴き逃せない録音ではないかと思います。
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オペラなひと♪千夜一夜 ~第九十六夜/気をつけよ!気をつけよ!~

さて100回までラストスパートと言うことですが、前回宣言したとおりここからまたシリーズもの。実はずっとやりたかったんですが名脇役シリーズです!

アリアをドカンと歌って注目を浴びまくる主役もオペラの世界には大事なのですが、その音楽や演劇の世界をより豊かに、広くするのは、魅力的な脇役たちです。そこをケチるのと、いい人を持ってこれるのではだいぶ公演全体のイメージが変わってきてしまう。
ややっこしいことにここにいい歌手を持ってくるのは大事なんだけれども、必ずしも大物を持ってくればいいかと言うと、また違うもの。いや、もちろんカメオ出演的に大物が出てきたりすればそれはそれで流石なパフォーマンスをして呉れることも多いんですけど、主張が強すぎてしまうこともままあるんですよね^^;
となると、脇役歌手たちの出番になる訳です。

そんな脇の名優たちをこれから4回に亘ってご紹介していきます。

vinco.jpg

イーヴォ・ヴィンコ
(Ivo Vinco)
1927~2014
Bass
Italy

綺羅星のようなスターが伊ものを彩っていた時代の、数々の名演を陰に日に支えた、脇役バスきっての名手の1人です。脇役脇役と連呼していますが、実際にはフィリッポや宗教裁判長(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)、ザッカリア(同『ナブッコ』)やアルヴィーゼ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)といった主役クラスの役も歌っており、そこでも充分な活躍をしていることからも、その実力は伺えるのではないかと思います。

派手さこそあまりありませんでしたが、風格のある厳めしい美声としっかりした歌で舞台をキリッと引き締める、いかにもヴェテランの名優と言った風情があります。バスはチョイ役であっても年長者の役や権力者の多いものですが、そうした役柄を演じても決して物足りなさは感じさせず、むしろ僅かな出番であってもどっしりとした役柄相応の落ち着きと存在感を示して呉れる人と言えるでしょう。

私生活では烈女フィオレンツァ・コッソットの夫君として長く知られており、共演も多いです。今回ご紹介するディスクでもかなりの数一緒に登場していますし、ちょっとほっこりするようなエピソードもあるのですが、晩年に離婚しています。
親族関係だと甥っ子のマルコ・ヴィンコがモーツァルト、ロッシーニ、マイヤベーアなどで現在活躍中、来日もしています。

<ここがすごい!>
ヴィンコを評価しているオペラ聴きに彼のオススメの録音は何かを尋ねたら、多分10人中10人が筆頭に挙げるのがセラフィン盤『イル=トロヴァトーレ』(G.F.F.ヴェルディ)のフェランドでの歌唱ではないかと思います。ここでの歌唱は、本当にもうべらぼうにうまい!この役はギャウロフやトッツィと言った大御所も録音しているのですが彼らを含めても、この役のベストでしょう。そしてそこに、彼の美質と言うのは良く顕れているのではないかと。

『イル=トロヴァトーレ』ではバスが俎上に上ることは殆どありません。歌う量から言っても、主役4役の方が圧倒的に多いですし、彼らに強烈な個性も与えられているからです。しかし一方で、実は開幕第一声(Allerta! Allerta! ―― 気をつけよ!気をつけよ!)を発して観客をオペラの世界にぐっと引きこむのがこの役なら、この異常な物語の背景を伝えるのもこの役で、そういう意味で公演全体の成否を握っているとも言えます。変な話、ここでずっこけてしまうと、その後の主役4人が活かしづらくなってしまう。ヴィンコの声や歌唱には派手さはありませんが、まず緊張感があります。Allerta!の一声で衛兵たちだけではなく、聴衆である我々もまた舞台に気をつけねばならないと感じさせるような力があるのです。次いで口跡の良さがあります。話のうまい人は、その語り口だけでぐっと聴き手を引き寄せてしまいますが、ちょうどそれと同じように、伯爵家の因縁話をぐいぐいと聴かせてしまうのです。そして、歌がうまい。雰囲気だけで誤魔化す訳では決してなく、細かい装飾などをきっちりこなす技術もあり、非常に端正で説得力のある歌。彼のフェランドで聴くことのできるこうした一連の長所を、堅実に安定的にいずれの演奏でも感じさせるのが、ヴィンコの良さであり、プロ根性的なところではないかと思います。チョイ役であってもいい仕事をするんですよね^^

伊人にしてはやや硬さのある声なので、流麗なカンタービレを聴かせるタイプではないのですが、他方でそれによって僅かな出番であっても登場人物の威厳や重量感を増している部分もあるように思います。如何にも峻厳な権力者であったり、尊敬を集める年長者という感じ。そういう意味で声もまた彼の得意とした役柄にあっていたと言いますか、或いは知的な彼のことですから、自分の声の特質をよくわかっていたんだろうなという気もします。

<ここは微妙かも(^^;>
上述もしましたが、実力はあるけれども派手さはありません。また安定感のある実直な歌唱と言うことを裏返すと、大冒険をするタイプではないということにもなります(というか、脇を中心にしている歌手にとってはそうしたことは必ずしも必要ないことですよね)。ドン・バジリオ(G.ロッシーニ『セビリャの理髪師』)のように大袈裟にやった方が面白い役などでは、やや食い足りなさを感じるときもあります。

<オススメ録音♪>
・フェランド(G.F.F.ヴェルディ『イル=トロヴァトーレ』)
セラフィン指揮/ベルゴンツィ、ステッラ、バスティアニーニ、コッソット共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1962年録音
>好みはあれど不滅の名盤でしょう。この盤の魅力は既にあちこちで語られていますし、ヴィンコの良さについても上述している訳ではありますが^^声の豊かさの面でも最も充実した時期のものですし、録音もgood!渋いながらも筋肉質な美声が、如何にも伯爵麾下の老軍人といった風情があります。バスティアニーニとの声の相性もいいですね、物凄くうまくて存在感もあるんですが、決して主役を喰わない絶妙な匙加減です(これがギャウロフやトッツィだと伯爵より強くなってしまう…というか彼らが出てる音盤の伯爵役がどちらも弱過ぎるという説はあるwそれもかなり有力w)声量もかなりあるので、アズチェーナがひっ立てられるところの裏でのバスティアニーニとの掛け合いも聴き応えバッチリです!フェランドを聴くなら(という聴き方も酔狂だけど)、まずはこれを!

・スパラフチレ(G.F.F.ヴェルディ『リゴレット』)
ガヴァッツェーニ指揮/バスティアニーニ、クラウス、スコット、コッソット共演/フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団&合唱団/1960年録音
>筋肉質と上述しましたが、そういうところが活きているのはこちらも。ネーリのような凄みの効いた声の殺し屋ももちろん恐ろしいですが、ヴィンコの場合は精悍でドスが効いた迫力よりも職人気質的なリアリティがあります。渋みのある声は低い音域でもしっかり響き、リゴレットの気持ちを煽るのには充分過ぎるほど。ここでもバスティアニーニやコッソットとの相性は◎です(ただ、彼らがこの役に合っているかと言うと微妙なところはありますが^^;)

・宗教裁判長(G.F.F.ヴェルディ『ドン・カルロ』)
サンティーニ指揮/クリストフ、ラボー、ステッラ、バスティアニーニ、コッソット、マッダレーナ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1961年録音
>スカラ座不滅の名盤ですね。彼の演じているものの中では主役級の役どころのひとつでしょう。彼の厳しい声が役柄と非常に合致していて、派手なことをしている訳ではないのですが非常に説得力がある演奏になっています。ネーリやタルヴェラと言ったこの役であたりを取った人たちはかなり力で押していく人が多いように思いますが、むしろここで聴かれる彼の歌で印象に残るのは、その歌唱の丁寧さや正確さで、装飾なども実にきっちりと歌っています。ヴェルディが書いたとおりに歌うことで得られる効果を知ることができる点でも貴重でしょう。かなりエモーショナルに歌うクリストフとも好対照です。その他のメンバーもこの作品の一つの範足りうる見事な歌唱!必携の録音でしょう。

・オロヴェーゾ(V.ベッリーニ『ノルマ』)
デ=ファブリティース指揮/ゲンジェル、コッソット、リマリッリ共演/ボローニャ市立劇場管弦楽団&合唱団/1966年録音
>これはメジャーではないですが、数あるノルマの中でも指折りの超名演と言っていいと思います!ここでも雰囲気作りの達人ヴィンコが冒頭から威厳たっぷりの堂々たる歌唱で盛り上げています。またライヴと言うこともあってか、長老としてのどっしりとした存在感に加えてやや荒々しい表情付けになっているのですが、これがローマ帝国に虐げられた異教徒の長という感じを実によく引き出しています。この演奏、このあと出てくるゲンジェル、コッソット、リマリッリの3人もやや異常なテンションの高さで切り結んでいくのですが、そうした熱演の下地を作っていると言ってもいいのではないかと^^大推薦盤です!

・ザッカリア(G.F.F.ヴェルディ『ナブッコ』)
バルトレッティ指揮/バスティアニーニ、パルット、オットリーニ、ロータ共演/フィレンツェ五月祭管弦楽団&合唱団/1961年録音
>これもまた彼にしては大きな役ですが、その実力を遺憾なく発揮しているものではないかと。重心の低い力強い声が、民衆を導く宗教的指導者と言う役柄にも似合っていますし、異教の王への怒りをかなり直截に荒々しく表現する一方で、静謐な祈りは敬虔でストイックな空気に満たされていて、彼のいろいろな芝居を楽しめる代物でもあります。共演は必ずしもベストではない印象で、中でもパルットがいまいちなのが痛い。バスティアニーニの男らしいナブッコは魅力的ですが、ライヴ的な瑕はやや多いか。ないものねだりですが、円熟を迎えてからの歌唱があったらどれだけ素晴らしかっただろうと思ってしまいます。。。アリアのない役ですがイズマエーレのオットリーニがハリのある美声で聴かせます。

・バルダッサーレ(G.ドニゼッティ『ラ=ファヴォリータ』)
グラチス指揮/コッソット、アラガル、コルツァーニ共演/トリノ王立歌劇場管弦楽団&合唱団/1968年録音
>こちらも名演。彼の辛口の声と歌い回しが、息子に、王に、王の妾にと各方面に怒りまくっているこの権力者の姿をよく表していて、特に2幕フィナーレの衆人の目の前で王の態度をなじるところなど鳥肌が立つような迫力があります。最低音域のパートでもあり、実際の権勢を握っている役柄でもある訳ですが、そこをしっかり決めて呉れているので演奏そのものも引き締まった感じがします。若いパワーに溢れたコッソットと瑞々しいアラガルに、録音の少ない名手コルツァーニと共演も聴き逃せません。

・アルヴィーゼ・バドエロ(A.ポンキエッリ『ジョコンダ』)
ヴォットー指揮/カラス、フェラーロ、カプッチッリ、コッソット共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1959年録音
>カラスの新しい方のジョコンダですが、こちらもまた役者が揃っています。ここでも権力者ではあるものの、思いどおりにならない男の憤懣やるかたなさみたいな感じが顕わになっていて秀逸。頑固で冷酷な人物をよく描いていて、妻の死体の横でいけしゃあしゃあと華やかな宴を開いてしまうところなどもリアルに感じられます。カラスがここでもまたドラマティックな歌唱を披露している他、若きカプッチッリののびやかな美声が見事なバルナバ、キレッキレなコッソットなど聴きどころには事欠きません。これまた録音の少ないフェラーロも程よくリリカル程よくロブストでこの役柄にあった理想的な歌唱。名盤です。

・ライモンド・ビデベント(G.ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』)
サンツォーニョ指揮/スコット、ディ=ステファノ、バスティアニーニ共演/ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団/1959年録音
>慣習的なあるものの、個人的には低音陣に魅力を感じる音盤です。いやスコットもディ=ステファノもいいんですが、彼女らについてはもっと出来のいい別の音源があるし、というところ。ここまでのところはどちらかというと怒り狂っているようなレパートリーが並んでいましたが笑、こうした優しい役でも滋味のある歌唱を遺しています。この役はギャウロフやシエピ、レイミーと言った大物が演じても説得力のある所ではあるのですが、ヴィンコが演じると或意味でフェランドなどと同じように、控えめながら言うべきことはしっかり言う忠臣というような人物像が見えてきます。2部1幕のフィナーレの仲裁には説得力がありますし、ルチアの発狂を嘆く場面も強く訴えかけるもの。そして彼が仕えるのがここでもまたバスティアニーニ!おそらく数あるエンリーコの中でも最も気品ある貴族的なものでしょう。嫌な奴なんですが、兎に角カッコいい!

・コッリーネ(G.プッチーニ『ラ=ボエーム』)
フォン=カラヤン指揮/フレーニ、G.ライモンディ、パネライ、ギューデン、タッデイ共演/ヴィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団/1963年録音
>こちらもまた名脇役ヴィンコの持ち味に合った役だと言えるでしょう。見せ場の小さなアリアが印象的で有名な役ではあるのですが、実演では若者たちのアンサンブルでの出番が中心になってきます。主役の面々を立てつつ、出過ぎず埋もれず自分の仕事を自分の流儀できっちりやるというのは、アンサンブルが多い演目では重要ではありますが、一方で難しくもあります。ここでの彼はそういう匙加減が絶妙です^^共演陣も理想的!(何度聴いてもショーナルにタッデイでびっくりするw)

・バルトロ(W.A.モーツァルト『フィガロの結婚』)
ジュリーニ指揮/タッデイ、モッフォ、ヴェヒター、シュヴァルツコップフ、コッソット、カプッチッリ共演/フィルハーモニア管弦楽団&合唱団/1959年録音
>最後に毛色の違うものをひとつ。伊ものの重たい演目でのバイプレーヤーというイメージが強い彼ですが、こんなものも遺しています。そしてこれがまた面白い!コレナのような如何にもブッフォでもなければ、モルのようなモーツァルト流儀と言う訳でもないんですけれども、絶妙に人間臭いバルトロ。フィガロへの復讐を熱く語れば語るほど、「うまくいきませーんよー」というオーラが漂ってきます笑。それでも不思議と嫌みのない、飽きの来ない、そんな人物に仕上がっています。こちらも共演が豪華ですがベストは伯爵夫人でしょう。カプッチッリのアントニオはやたら声が輝かしくて笑えますww
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